魔法少女リリカルなのは×とらいあんぐるハート3SS

番外編「はじめてのぼうそう ふぇいと編」

えぴろ~ぐ「ふぇいと、覚醒す」




【1】


 管理局資格の中でも最難関の一つに数えられる執務官資格。
 その難易度は「馬が針の穴を通る方がまだ易しい」とすら評される程だ。
 だがそれだけに、その価値は計り知れない。
 それ故に、本年度(新暦68年)もまた多くの局員達が挑み、散っていった。

 ――そんな中、フェイトは数次に渡る試験を突破し、見事最終試験にまで駒を進めていた。



「……あれがハラオウン三尉か?」

 試験会場に現れたフェイトを見て、係員の一人がそっと相棒に声を掛けた。
 彼女は注目の的だった。
 それはそうだろう。何せ二度目――去年は不戦敗なので実質今回が初だが――の受験ながらもここまでの成績は大差でトップ、
しかも弱冠12歳での快挙である。注目されない方がおかしい。
 だが「それだけ」という訳でも無かった。いや、むしろ――

「ああ、ハラオウン家のご息女にて、弱冠9歳でAAAランク資格を収得した神童。
 ついでにここまでの総合成績トップのフェイト・T・ハラオウン三等海尉殿、さ」

 係員の問いに、記録係を務める相棒が軽く頷いて補足した。
 これを聞き、訊ねた係員は感心した様に呻く。

「バック、魔力、実力。 ――全て文句なし、か。
 おまけに将来楽しみな容姿だし、いる所にはいるものだなあ」

「既に実績も挙げているぞ?
 三年前の“闇の書”事件では高町なのは三尉と並ぶ事件解決の立役者だったし、それ以後も多くの高難度任務を達成している。
 ……ああ、“切り裂きジャック”(※ぷろろ~ぐ「恭也さんと私」参照)を捕まえたのも彼女だ。それも単独で、な?」

 この初めて聞く事実に、係員は仰天した。
 (※いくら大魔導師とはいえ子供を、それも単独で「切り裂きジャックにぶつけた」などという話は、
.   さすがに管理局としてもあまり知られたくない事実である。
.   故にこの快挙を知る者は、その功績と比べて驚くほど少ない)

「切り裂きジャック!? あのランクAAA、練度“教官”級の総合戦闘魔導師を……マジかっ!?」

「マジだ。ま、将来は約束されたも同然の人物だな。今回はその第一歩、という訳さ」

「……つーか、なんでそんだけ手柄立ててるのに三年近くも三尉のままなんだ?
 三年もすれば、普通何もしなくったって二尉にはなってるだろ?
 ましてそんだけ手柄立てるAAAランク様ともなれば――」

 係員の至極尤もな疑問に、相棒は軽く肩を竦めた。

「まだ12歳だからな。せめて15……いや、出来れば18歳を超えなきゃあ、人事としてもそうそう位階を上げられないさ」

 「その代わり、それ以降は凄いだろうけどな」と最後に付け加える。
 だがそれでも係員は納得しない。

「けど、信賞必罰は組織の要だろ? 通常の進級はそれでいいにしても、あの“切り裂きジャック”を捕まえて『何も無し』ってのは……」

「付け加えれば、彼女は未だ正規の局員ではない。どちらかと言えば嘱託に近い扱いだ。何でも学校に通っているらしい」

「ほう? 何処の大学だ? やはりクラナガン大学か?」

 多分そうだろうな、と思いつつも係員は聞いてみる。
 (ちなみにクラナガン大学とは、ミッドチルダ……いやWUにおいて一二を争う名門大学だ)
 ……だが、相棒の答えは予想の斜め上を行っていた。

「いや、管理外世界の小学校らしい」

「はあっ!? おいおいおい、ちょっと待ってくれよ。
 執務官試験の最終試験にまで進める様なおつむを持ってて、何でまた小学校なんぞに――
 それも管理外世界だって!?」

 「訳分かんねえ!?」と頭を掻き毟る係官。
 だが物知りの相棒は、「そんなことも分からないのか」といった表情で“答え”を教えてやった。

「おそらく、他の有象無象をシャットアウトしてのコネ作りだろ?
 何でも、“陸”の八神はやて二尉に“空”の高町なのは三尉も通っているそうだから」

「……陸海空の未来のトップ最有力候補が勢揃いかよ」

「ああ、ハラオウン本家も人死にが続いて最近落ち目だからな。何としても巻き返したいのだろうよ」

 相棒はさも分かった様に、重々しく頷く。
 ……実に穿った見方であるが、このような目で見る連中は実際少なくなかった。
 “大御所”と呼ばれるほどの実力者であった祖父を筆頭に、父母……そして夫までも失ったリンディは、
事実上一人でハラオウン本家を切り盛りしている。

 だがハラオウン家ほどの大家を、いくら有能でもたった一人で支えきれる筈が無い。
 その潔癖な性格も災いし、現在のハラオウン本家は主流派筆頭から傍系に近い位置にまで転落していた。
 それ故、かつての地位を取り戻そうとやっきになっている。 ――そう見做されていたのである。

 リンディとしては、イヤな連中と積極的に付き合わないで済む分精神的に楽だから、この状況に半ば安住しているのだが……
 (※とはいえ、同時に「祖父や父母に申し訳ない」という気持ちも無いではなかった)

「八神二尉と高町三尉は、非常に力のある魔導師であるにも関わらず、異常なまでに“閥”の色がないからな。
 何としても引き込みたいのだろうよ。
 ……ま、この二人にしたところでバックは欲しいに決まってる。
 一番恩を売れるし、煩くもなさそうなハラオウンを選んだのだろう」

「は~、まだ小さい内から色々と大変なことだ」

「馬鹿野郎。あの三人は10年後には将官、20年もすりゃあ陸海空のトップだぞ? お前と違って先を見てるんだよ」

「……へいへい、子供の内からそんなこと考えさせられる位なら凡人で結構。今のままでも並以上の給料なんだから、文句は――」

「あなたたち! 何遊んでるのっ!」

「「も、申し訳ありません! ペティヨン三佐殿!」」

 突然の背後からの甲高い叱責に、だべっていた二人は慌てて背筋を伸ばして振り返る。
 そして、敬礼。
 振り返らずとも分かる。この野太くもカマっぽい……いや、カマそのものの声は――

「まったくもう! だらしないったらないわっ!」

 ……身長190センチ超のゴツい男が、カマっぽい口調と仕草で喋っている所を想像して欲しい。
 それはある意味、地獄絵図に他ならない。
 フローラン・ペティヨン・ド・ヴュヌーヴ三等空佐は、まあそういう男……いやカマだった。
 だが、(少なくともその傍で)彼を笑う者はいない。
 その見てくれとは裏腹に、このカマ……いやペティヨン三佐はランクAAA-、練度“助教”級の空戦魔導師である。
  加えて、蛇の様に執念深く冷酷な男だ。そんな命知らず、いる筈が無かった。

「ふんっ!」

「「(ほ……)」」

 ペティヨン三佐は震える二人を睨んでいたが、直ぐに興味を無くした様に視線を外した。
 その視線は暫し宙を彷徨った後、最後に机の上に置かれていた各受験生の成績表で止まる。

「成績トップは……ハラオウンの小娘!? それになによ、この点数! 最終試験0点でも受かっちゃうじゃないっ!?」

「……いえ、一応最低基準点がありますから流石に0点では――」

「分かってるわよっ!」

「ひっ!? も、申し訳ございません!」

 余計なことを言って怒鳴り飛ばされた係員は、小さくなって謝る。
 ペティヨン三佐はこれをふんっ!と鼻で笑った後、忌々しそうに呟いた。

「気に入らないわね……」

「……は?」

「アタシはね、この子とやりたかったの」

「はあ……」

 ペティヨン三佐がとんとんと叩く書類を見ると、それは次席の少年――と言ってももう19だが――の成績表だった。
 ……ちなみに最終試験は犯人逮捕の模擬演習であり、ペティヨン三佐は奇数順位の受験生相手に犯人役を務めることとなっている。
 要するに、「フェイトが主席になったせいで、お目当ての男の子とくんずほぐれずできないじゃないのっ!?」と逆恨みしている訳だ。

「……おまけに、“全てを切り裂く者”を倒したですって?」

「「!?」」

 すっと細い目で呟くペティヨン三佐に、二人は二重の衝撃を受けた。
 一つは、その怒りが先程までのそれとは根本的に質が異なること、つまり本気で怒っていることに気付いた衝撃。
 そして二つ目は、“切り裂きジャック”をかつての二つ名で呼んだことに対する衝撃。
 二人はやっと思い出した。
 ああ、そういえばペティヨン三佐は、“切り裂きジャック”……いや“全てを切り裂く者”に散々“借り”があった、と。
 ……同じ部隊、かつ冷酷な者同士であるにも関わらず、かつてまったく敵わなかったが故に。

 それをフェイトが、12歳の少女が倒した。
 これが屈辱でなくてなんであろうか?
 ペティヨン三佐は、鋭い目で二人に問い質す。

「……あの小娘、どの位点を落したら主席から陥落するの?」

「ここまで来れば、ハラオウン三尉の主席合格は覆りません。
 後は『どの程度まで成績を伸ばすか』の問題です。得点次第では、歴代トップも可能ですから」

「…………そう。なら、主席合格を祝って思いっきり恥をかかせてあげるわ」

 ペティヨン三佐は目を怪しげに光らせながらそう笑うと、強い匂いの香水を己にふりかけた。
 それは、彼が本気になった証。相手の血やら何やらの臭いを消すためのものだった。



 裏方で陰謀が生まれようとしていた頃、当のフェイトはといえば――

 よろよろ…… ふらふら……

 ……海よりも深く落ち込んでいた。
 その足取りは危うく、まるで夢遊病患者の様だ。
 言うまでもなく、恭也の朝帰りが原因である。

(私が……悪いんだ…………)

 数日前から何度となく思い、また口に出してきた言葉を、フェイトは心の中で呟いた。
 初めてのお部屋訪問、初めての二人っきりだったというのに……
 ああ、あれからいったい何度泣いたことだろう?

(私が……悪いから…………)

 じわっ

 また、目が潤んできた。
 ああ、「心から願えば想いはきっと通じる」だなんて、なんと浅はかだったのだろう。
 口に出さねば、行動しなければ、何も得られないに決まっているのに。

(私……馬鹿だ…………)

 本当に、そう思う。
 思い返すは、過去に何度となく繰り返された光景。
 なのはとはやてが恭也にじゃれ付くのを指を咥えて見ていた、ただ声を掛けられるのをじっと待っていただけの自分。
 お姫様願望に浸っていたのだ。「黙っていても、何時かは……」などと夢見ていたのだ。

『もしその気があるのなら、直ぐにでも差し押さえなくちゃっ!』

『恋の勝負は早い者勝ちよ! 油断してたら、あっという間に鳶に油揚を攫われてしまうのっ!』

『これは女の戦(いくさ)よ! そんなことを言ってたら、たちまち負け犬になっちゃうの!』

(お義母さんが教えてくれたことが、正しかったんだ……)

 リンディの忠告を無視した結果が、あのざまである。
 ……恭也とあの夜一緒にいたであろう女性は、やはり恋人なのだろうか? もう手遅れなのだろうか?
 だとしたら――

『もし結婚となれば恭也くんはその女性のモノ、他の女性は近寄ってはいけないの』

「!」

 そこまで考えた瞬間、フェイトの中でナニかが生まれた。
 より正確に言えば、それはあの初めて“ぼうそう”した時に、やはり初めて感じた感情。
 ふつふつと、あたかも湧き上がる様な……ともすれば戦闘衝動にも似た、不思議な感情。
 その正体は嫉妬。今までただ嘆き悲しむことしか知らなかったフェイトが、新たに獲得した感情だった。

 ぎりっ

(負けて……負けて堪るものか…………)

 フェイトは奥歯を噛み締める。
 そうだ、リンディだって言っていたではないか。

 『フェイト、あなたの最大の弱点は年齢よ』
 『けど、それは使い様によっては最大の武器にもなるの』
 『私の様に一発大逆転も夢じゃないわ』

 ――とっ!
 それに……まだ相手が恋人と決まった訳ではない。

 フェイトはぎゅっ!と拳を握り締める。

 そうだ、泣いてなんかいられない。そんな暇があったら、さっさと恭也に自分の想いをぶちまけるのだっ!
 ……もう二度とあんな思いを、後悔をしないためにも。



「両者前へ!」

 復活したフェイトに、試験の順番が回ってきた。
 これにパスすれば、憧れの執務官である。
 ……だが「そんなこと」、今のフェイトにはどうでもいい話だった。

(一刻も早く終わらせて、恭也さんの所に行かないと……)

 そんなことを考えるフェイトの鼻に、ある独特な匂いが漂ってくる。

「!?」

 驚き、目を見開く。
 忘れもしない、この匂いはあの時恭也から感じた――

 ぶちっ!

 その瞬間、フェイトの中でナニかが切れた。

 コ・イ・ツ・カ・・・・・・

「初め!」

 その言葉を合図に、殺戮……もとい攻撃衝動に支配されたフェイトはいきなり全力全開。
 バルディッシュの出力リミッターを解除し、フルドライブモードで目の前の相手へと襲い掛かった。


「フーーーーーーーーッッッッ!!!!」



 ……そこから先のことは、もはや語るまでもないだろう。
 その凶行を目撃した人々は恐怖し、口々に囁いたという。
 『やはり魔王の親友は魔王だった』と。
 残念ながら試験は失格となったが、代わりにフェイトはこの武勇伝と、Sランクの魔導師ランクを手に入れることとなる。
 ああ、フェイトの二つ名“雷神”がメジャーとなったのもこの時以降だ。

 ――かくして、フェイトは伝説となった。








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【2】


<1>

「まだ12歳の婚約者をつい襲って、泣かせた挙句に魔力を暴走させただあ!?」

「この年末のクソ忙しい時に、痴話ゲンカで警察を振り回すんじゃねー!」

「もう少し育つのを待てや、このぺド野郎っ!」

 ――等々、散々なことを言われながらも、恭也は数日振りに釈放された。
 しかし、なんかもー色々とつっこみ所というか、冤罪ありまくりの罵声である。
 けど、恭也は別に気にしなかった。
 ……だって、謂れのない誤解や中傷には慣れてるし。
 だから、ほとんど……いや全くと言ってよいほど聞いちゃあいない。華麗にスルーし、警察署を後にする。

「ふむ、後でリンディ提督には礼を言わんとな」

 下宿に帰る道中、恭也はそう言って一人頷いた。
 実際、恭也がこうも手早く釈放されたのは、リンディが釈放の便宜を図ってくれたからである。
 ……まあ義娘(フェイト)の暴走故のことだろうが、やはり礼くらいは言うべきであろう。
 何しろ、フェイトをそうさせたのは恭也の失態なのだから(そういや、フェイトは何故あんな時間にうちにいたのだろう?)。

「しかし、まさかフェイト嬢がああまでキレるとはね……」

 やはり激しい情事の後の臭いを嗅がれたのは失敗だったな、と頭をかく。
 純粋なフェイトのことだ、きっとさぞかし驚いたことだろう。パニックに陥ったのも無理は無い。

(これは……嫌われたかな?)

 12歳ともなれば、流石にその意味に気付いたことだろう。
 ならば、「恭也さん不潔です! もう顔も見たくありませんっ!」――ぐらいに思われても不思議ではない。
 きっと、もう二度と自分にあの笑顔を見せることも、近寄ってくることも無いに違いなかった。

 ふう……

 その結論に、恭也はどこか安堵めいた溜息を漏らした。
 ……寂しいない、と言えば嘘になる。だが同時に、どこかホッとしたこともまた事実だったのだ。

(頃合――だしな)

 フェイトももう12歳、年が明ければもう中学生である。いい加減、距離を置くべき時期だ。
 歳の差、年齢の差、魔力の差、そして何より“世界”の差……
 所詮、彼女……いや彼女達と自分とでは、あまりに立場が違いすぎる。

「さようなら、フェイト嬢。今までありがとう」

 恭也は遠い目で、この場にいないフェイトに別れを告げた。
 ……だがそこで一つ、とても困ったことに気が付いた。

「あ゛…… そういや今度から、はやてやなのはを怒らせた時の仲裁役どうしよ…………?」

 …………

 …………

 …………

「お゛…… お゛おおおおお…………」

 下宿に辿り着いた恭也は、目の前の光景を見て呆然と立ち尽くした。
 ……かつて下宿があった場所は、巨大なクレーターとなっていた。
 まさか……まさかこれ程とは…………

「フェイト嬢、恐るべし……」

 恭也は呻く様に呟いた。
 えっと……これ何ですか? 核攻撃でも受けたのですか?
 畜生、エネルギーの大半は空に逃げたと聞いたのに。
 ……しかし、家は吹き飛ばされて跡形も無いにせよ、家財道具は回収できると思っていたが――

「こりゃ、ダメだな……」

 探すまでもなく、恭也は早々に諦めた。
 そして、とぼとぼと元来た道を戻る。
 目指すは、“クラナガン・エクスプレス”駐屯地。
 下宿先を失った今、恭也には隊舎に転がり込む以外、道は無かったのである。



<2>

 駐屯地に到着した恭也を待っていたのは、部隊長と(直属の)中隊長の叱責だった。
 ここ数日間の無断欠勤に始まり、日頃の勤務態度、勤務成績等々……
 傍から聞いていると、いやなんと罵倒の語彙が豊富なのだろうと思わず感心してしまう程だ。
 だが恭也は聞き飽きているらしく、やはり警察署の時の如く頭にトンネルを作り、右から左へ聞き流す。

「――――――――ッ!」

(あ゛~ 早く終わらないかねえ……)

「――――――――ッ!」

(あ! そういや、差し入れのビールが一本残ってたっけ)

「――――――――ッ!」

(一風呂浴びる前に、冷やしておくか。風呂上りの一杯! く~、たまらんっ!)

「――――――――ッ!」

(……お? そろそろ終わりか? とりあえず頭下げとこ)

 叱責はいつもの如く、たっぷり数時間程続いた後、大幅減俸を言い渡されることで終わりを告げた。
 ……これで今月何度目だろう? 一々覚えてないが、今月の給料はどうも素晴らしいことになりそうだ。
 ま、バイト代の残りがあるからいいんだけどね……

(とは言え、もう今年も終りだというのについてない……)

 軽く溜息を吐いて、恭也は隊舎の“物置部屋”へと向かった。
 そうさ、こんな日は酒でも飲んで、とっとと寝てしまうに限る。



 本来、武装隊の若い曹士は営内での集団居住が義務付けられている。
 だが恭也は、(陸士にも関わらず)特例で営外居住を認められていたばかりか、内々に営内宿舎に個室まで持っていた。
 ……いや、恭也自身は単なる共用物置かと思っているのだが、そこは紛れも無く恭也専用の部屋だった。

 ごくっ ごくっ ごくっ

「ふー」

 贅沢にも発泡酒でなくプレミアムの缶ビールを飲み干すと、恭也は満足げな吐息を吐き出した。
 そして、何気なくベットの上から部屋を見渡す。
 曹なら二人、士なら四人が押し込められるだけあって、一人だと相当広い。
 ……と言うか、がら~んとしている。
 共用設備は別としても、一人分の設備と荷物しか無いから、当然と言えば当然なのだが……

「これじゃあ、俺の個室みたいだな?」

 恭也は、軽いジョークのつもりで呟いた。
 流石に少々居心地が悪くなり、それ故に吐かれた言葉だった。

(だがまあ、「ずっとこのまま」という訳でもあるまい。ならば、それまではせいぜい楽をさせてもらおう)

 そう考え、ごろりと横になる。そして、コレクションの“月刊釣り道楽”を手に取って広げた。
 幸いなことに、これ等恭也秘蔵のコレクションは無事だった。
 「トタン屋根のあの家では本が傷む」と全てここに残したため、惨禍を免れたのである。
 読みたい時読めずにかなり不自由したが、災い転じて福となすというヤツであろう。
 ……尤も、下宿でゆっくり読もうと一時持ち出していた数冊に関しては絶望的だったが。

「~~♪」

 美味い酒を飲んだ後ごろりと横になり、眠くなるまで本を読む。
 それは実に幸せな一時であり、思わず鼻歌なんか歌ってしまう。
 そんな上機嫌の恭也の耳に、来客を告げるノックの音が響いた。

 とんとん……

「はいはい、開いてるよ。つーか鍵なんか無いぞ、どうぞ――」

 !?

 初めは気の無い返事で応じた恭也だったが、直ぐに驚いて顔を上げた。
 この気配は――おいおい、嘘だろ……

「恭也さん、こんばんわ。おじゃまします」

 来客は、なんとフェイトだった。
 恐らくは飛んできたのだろう、バリアジャケット姿で、手にはバルディッシュが握られている。
 (……気のせいだろうか? なんだかバルディッシュがやさぐれているような???)

「ふぇ、フェイト嬢……?」

「はい、フェイトです♪」

 驚く恭也に、フェイトはにっこり笑って頷いた。
 その笑顔に、恭也はますます混乱する。
 バカなっ…! ありえないっ…! 常識的に考えてっ……!

「…………うぞ」

「……?」

 驚きを通り越し呆然とする恭也を見て、フェイトは軽く小首を傾げる。
 そして、じっと恭也の目を見た。

「いや、あんなことがあったから、てっきり俺の顔など見たくもないかと思っていたのだが……」

 恭也は堪らず視線を逸らし、言い訳染みた口調で弁解する。
 と、フェイトはとんでもないとばかりに大きく首を横に振った。

「そんなこと、ある訳ないじゃないですか。 ……それは、少しショックでしたけど」

「す、少しか……?」

「少しですよ、恭也さんにとっては。そうですね、好感度マイナス1万点ぐらいですか」

 ……え~と、好感度って?
 けれど、なんとなくだがソコに触れてはいけない様な気がする。
 だがあまりにフェイトが「聞いて!」と言わんばかりの表情だったので、仕方がなく遠まわしに訊ねた。

「……ちなみに、俺の持ち点は?」

「1億点くらいです♪」

「凄いインフレだな」

「あ、初対面の人は0点から始めるのですよ? そこから1点2点と増減していくのです♪」

「そ、そうか……(どんだけチート機能使えば1億点になるんだよ……)」

 冷や汗をかきつつ、恭也はなんとかそう返した。
 ……何故だろう? なんかいつものフェイト嬢とは、言動……つーか雰囲気が違うような?

「う~む……」

「あの」

「!? な、何かな~」

 不審に思われたかと、恭也は一瞬慌ててしまう。

「中に入っても、いいでしょうか?」

 だがフェイトの言葉でそれが誤解だと分かり、恭也は全身の力を抜いた。
 は~、心臓に悪い……

「ああ、構わんが」

「じゃあ、おじゃましますね♪」

 フェイトはにっこり笑いながら後ろ手で扉を閉めると、一瞬何やら呟いた。
 そして、部屋の中央まで進むと武装を解除し、私服に――

 !?

 その姿に、恭也の目が丸くなる。

「……フェイト嬢」

「はい?」

「……何故に、メイド服?」

 ……そう。元の姿に戻ったフェイトは、なんとメイド服を着ていた。
 それも今流行?の変形メイド服ではなく、長い裾に長いスカートといった正統派のメイド服だ。
 (ノエルが起きていれば「真似っ子!」と怒ったことだろう)

 だが恭也のつっこみに、フェイトはやはり軽く小首を傾げるだけだった。

「? だって恭也さん、好きでしょう?」

「待てや」

 フェイトの言葉に、恭也の顔が盛大に引きつった。
 畜生、誰だそんなデマ流した野郎は……

「え? でも……」

 フェイトは首を傾げつつ恭也が座るベッドの下に潜り込み、がさごそとダンボールを引き出す。
 そして、手馴れた手つきで中から「現代芸術概論」なるタイトルカバーの付いた本を抜き出し――って、ちょっ! 待っ!?
 慌てる恭也の前でフェイトはぱらぱらと本を捲り、あるページを広げて見せた。

「だって、これ――」

 そこに写っていたのは、豊かな胸を惜し気もなくはだけさせたメイドさんだった。
 ……はい、ごめんなさい。 これは「現代芸術概論」なんかじゃありません。
 表紙だけすり替えて偽装した、「月刊美乳倶楽部」というエロ雑誌です。
 しかし、何故フェイト嬢がそれを知って――

「前にみんなで遊びに来た時、はやてが見つけました」

「!? まさか……はやてとなのはも知って…………」

「はい。けど肝心の恭也さんはいないし、お部屋にはえっちな本があるしで、二人とも怒って怒ってそれはもう大変でした……」

 「私が止めなかったら、この本もダンボールごと燃やされてましたよ?」とのフェイトの言葉を、恭也は呆然と聞いていた。
 ……そういや、以前週末帰った時、えらくはやての機嫌が悪い時あったな。
 皆はすき焼き食ってるのに、俺は具無しのすき焼き汁かけただけの冷たいネコマンマだったっけ……
 現実逃避でそんなことを遠い目で思い出す恭也に、フェイトは自信満々に言い放った。

「汚れや破損状態から考えて、えっちな本の中でもこの本が一番読み返されてます!
 その中でも更に開かれてるのがこのページ!
 ――だから恭也さんはメイド服が好きっ!」

「何その三段論法!?」

「だからがんばってメイド服を探してきましたっ! 私のサイズに合うのがなくて、大変でした……」

「や、俺は――」

 そこまで言いかけて、恭也は慌てて口篭った。

『単にその写真の娘の乳が気に入っただけであって、別にメイド服はどうでもいい』

(――な~んて言える訳ねえだろっ!?)

 恭也は頭を掻き毟る。あ~、何処からつっこんだら良いものやら……
 と、そんな馬鹿やっている間に、フェイトはメイド服のボタンを外していく。

「え~と、こうして……こう」

 そして写真通りに胸をはだけさせると、羞恥で顔を真っ赤にしながらも、ナニかを期待する様な目で恭也を見る。

「どう……でしょう?」

「う゛……」

(くっ…… 小振りだが、形といいバランスといい素晴らしい。年齢を考えれば、これは将来大いに期待がもてるっ!)

 ……や、そうじゃなくて――

「と、とにかく! 子供がこんなもの見るんじゃありませんっ!」

「あっ!」

 恭也はフェイトからエロ本を取り上げると、ビリビリに引き裂いた。
 ……内心、滝の様な涙を流しながら。
 ああさらば、俺の美乳たちよ……

 それを終えると、今度はフェイトを睨む。

「子供が大人をからかうんじゃない! フェイト嬢、幾らなんでも悪質すぎるぞ!」

 だが、フェイトも負けてはいなかった。

「からかってなんかいませんっ!」

「!?」

 その真剣な声と目に、恭也は瞠目する。
 まさか……本気か!?

「私! やっと自分の気持ちに気付いたんですっ!」

「フェイト嬢……」

 恭也は呻く。
 今のフェイトは、かつてはやてが恭也に告白した時とまったく同じ目だった。
 ならば……こちらも真剣に相手をしなければなるまい。
 相手は子供、加えて(どんな相手だろうが)答えは既に決まっている。
 だが……いやだからこそ――

 恭也は、姿勢を正してフェイトの言葉を待つ。
 暫しの逡巡の後、フェイトは口を開いた。

「私、思い切って告白します!」

 そして、そう言うがいなや恭也の胸に飛び込んだ。

「生まれる前から愛してましたーーーーッッ!!」

「なんだそりゃあーーーーっ!?」

「ああ温かいなー 気持ちいいなー 私、ずっとこうしたかったのーーっ!」

 恭也の胸に飛び込んだフェイトは、思いっっきり体を押し付けながら、至福の表情で叫ぶ。

「頼むから止めてくれ、フェイト嬢…… 君は、君はっ! こんなことするキャラじゃないだろう!?」

 ……この有様に、恭也はもー涙目だ。思わず放り投げるのも忘れて訴える。
 ち、違うんだ…… これは夢、そう悪い夢なんだ……
 だって……だってフェイト嬢は本当にいい子なんだ、癒し系なんだ…………

 が、フェイトは「うがー!」声を大にして反論した。

「『そんなことするキャラじゃない』? キャラって何ですか!
 いつもいつも貧乏くじばかり引くのが、私のキャラですかっ!?」

「フェイト嬢……」

「そんなのもうごめんです! 私だって、はやてみたいに恭也さんといちゃいちゃしたいし、添い寝だってしたいんですよっ!!」

「フェイト嬢の言いたいことはよく分かった。だが、だがせめてTPOを弁えてくれっ! 話し合おうっ!?」

 何とかこの場を収めようと、恭也は必死で訴える。
 が、フェイトは聞く耳を持たない。

「その手には乗りません! こんな千載一遇のチャンス、逃すものですか!」

「や、だが皆に気付かれるぞっ!?」

 そう。こんなペラい壁、鍵もないドアの部屋で、こんなことしてた日には――
 俺は伝説になってしまうっ!?

 と、フェイトは勝ち誇った表情を浮かべた。

「大丈夫ですよ、さっき結界を張りましたから。だから、誰も入ってこれませんし、中で何が起こっているのかも分かりません」

「!?」

 それを聞き、恭也は目を見開いた。
 そして、フェイトがドアを閉めた時の不審な行動を思い出す。
 ということは、やはりあの時――

(……ダメだ、話にならん)

 恭也は嘆息すると、フェイトを放り投げるべく手をかける。が……

「させませんっ!」

 ビリッ!

「ぐわっ!?」

 察したフェイトから強力な電撃を喰らい、たちまち崩れ落ちてしまう。
 ぐお…… 体が痺れて動かん……

「よいしょっと……」

 フェイトは、そんな恭也の胸に馬乗りになり、恭也を見下ろした。
 うお……今気付いたけど、フェイト嬢の目がいつも以上に真っ赤い!? つーか怖っ!?
 おまけに「ふーっ! ふーっ!」って感じで息荒いし、どう考えてもマトモな精神状態じゃねえ……
 くっ! 普段の癒し系フェイト嬢を意識して、ソフトな対応を心掛けたのが不味かった。
 (はやてならもっと手荒に、とっくに放り投げてたのにっ!?)

「~~♪」

 そんな恭也を無視し、フェイトは上機嫌で体を密着させると、まるでイヌかネコの様に体をこすり付ける。
 ……? 何……やってんだ?
 と、フェイトは突然動きを止めた。

「…………」

 そして、じっ!と無言で恭也の顔を見る。
 いや、より正確には……口を見ている???

「キス……してもいいよね…………?」

 暫しの沈黙の後、フェイトはごくりっ!と唾を飲み込んで呟いた。

「よくねえっ!?」

「抵抗もないし、OKってことだよね?」

「や、抵抗できなくしたの、君だから……」

「はやてだって昔したんだし、いいよね……」

「や、だからあれは人命救助――ていうか、お願い話聞いて……」

 恭也は哀願するも、フェイトはすっかり自分の世界に入っているらしく、全く聞いちゃあいない。
 勝手に言って勝手に頷くと、一旦密着していた体を離して仰け反る。そして――

「せーのっ!」

 両手で恭也の頭を固定すると、目を瞑った状態で勢い良く顔面を叩きつけてきた。
 ――って、ちょっ!?

 ごっち~~ん!

「あうっ!?」

「のおっ!?」

 ……その結果、おでことおでこが勢い良くごっつんこ、所謂ヘッドバット状態となる。
 だが両者のダメージは同等でないらしく、恭也は軽く呻くだけだったがフェイトは痛みで転げ回った。

「~~~~~~~~っ!?」

 ごろごろ……

 だが、それでもフェイトは諦めなかった。
 暫し苦悶した後、「位置は掴めました」と再び恭也の胸に馬乗りとなり、やはり再び目を瞑った状態で顔面を叩きつける。

 がっち~~ん!

「~~っ!?」

「っ!?」

 ……その結果、今度は互いの前歯が盛大にぶつかった。
 これは……痛い。すっごく、痛い。
 今回はフェイトばかりでなく、恭也も声にならぬ悲鳴を上げる。
 そして、またも転げ回るフェイト。

「~~~~~~~~~~~~~~~~っっ!!??」

 ごろごろ…… ごろごろ……

 が、やはりフェイトは諦めなかった。
 かなり長いこと苦悶した後、「コツは掴めました」とまたも恭也の胸に馬乗りとなる。
 そして、三度目の正直とばかりに、やはり目を瞑ったまま顔面を叩きつけてきた。
 つーか、頼むから目を瞑るなよ……

 ぶちゅっ!

 ……流石に、今度は成功した。
 ムードもへったくれもないが、恭也とフェイトの唇が勢い良く重なる。

「♪」

「(無念……)」

 暫しの間を置いた後、フェイトの目がゆっくりと開かれた。
 至近距離から見たフェイトの瞳は、とてもとても紅く……いや朱に染まっている。
 そしてその奥に隠されているモノに、恭也の背筋が凍りかけた。

 ぞくうっ!

 あれは――子供の目ではないっ!?

(や、ヤバい……)

 恭也は戦慄した。

(このままでは、喰われる……)

 だが、そうなってしまったらゲームエンド。以後の人生は薔薇色の牢獄で過ごさねばならない。
 それだけは……それだけは断じて避けねばならなかった。
 何より、「ロリで逝った男」などという不名誉は許されない。大人としてっ!

(だが、どうする? 体も碌に動かんこの状態では、抵抗すら……!? そ、そうかっ!)

 たった一つ、一つだけだが、反撃手段は残されていた。
 ……いや、正確には「時間の経過や度重なる物理的な衝撃による若干の回復」により、一つだけ反撃手段が生まれていたのだ。
 だが、それは諸刃の剣。
 だがそれでも、最悪の事態に比べれば……いや、だがしかし…………

(え~い、ままよっ!)

 半ば自棄になった恭也は、震える両の腕でフェイトの頭をがっしり固定する。

「!」

 と、フェイトは一瞬驚いたものの、ナニを勘違いしたのか直ぐに嬉しそうな表情を浮かべ、両手を恭也の首の後ろに回してきた。

「♪」

 そして、がっちり固定。ふっ、愚かなりフェイト嬢……

(……そんなに「あの時」のはやてみたいになりたいのなら、ならせてやるさ)

 恭也はそうニヤリと笑うと、かつてのはやてに対するのと同様、唇を強く押し付けこじ開ける。
 そして――思いっきり空気を吸い出した。

「!?」

 じたばた、じたばたじたばた……

 凄い勢いで肺から酸素を奪われていくフェイトは、驚いてもぞもぞと体を動かす。
 が、それでも恭也の首にまわした手を外さない。
 ……これでは、幾らあがいた所で意味は無い。
 所詮は子供の小さな肺活量のこと、ものの数秒でフェイトはダウンしてしまった。

「……きゅう」

「ふっ、勝った……」

 その虚しい勝利に、恭也は遠い目をして小さく呟いた。








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【3】


<1>

 苦渋の決断により辛くも危機を脱したものの、恭也はあいも変わらずベットに仰向けに寝転がっていた。
 ……や、ぶっちゃけ体が痺れて動かないのだ。
 そしてその胸には、やはりフェイトが乗っかったまま、ぴくりとも動かないでいる。

「きゅう……」

「やれやれ、人騒がせな……」

 胸で目を回すフェイトを見て、恭也は重い溜息を吐いた。

(だがまさか、まさかフェイト嬢まで“こう”なるとは……)

 溜息が呻きに変わる。
 ……いったい、何が彼女をここまで変えたのだろう? 分からない、まったく分からない。

「世界は謎に満ちている……」

 恭也は本気でそう呟いた。
 ダメだ、コイツ…… 早く何とかしないと……



 さてそんなアホなことを考えてる間に、その理不尽なまでの回復力により、どうにか体が動くようになってきた。
 故にこの状況から抜け出すべく、「よいしょっ!」と転がり、立場(上下)を入れ替えてみる。

「ぐお……」

 ……が、流石に全回復には程遠いらしく、起き上がることはできない。両肘両膝で四つ這いになるのがやっとだ。
 仕方なくその状態でぷるぷると震えつつ、更なる回復を待つこととする。
 と、己のすぐ下にいるフェイトの、はだけた胸が目に飛び込んできた。

「う゛……」

 なんとなく、気まずい。将来楽しみな乳であるだけに尚更である(なんかこう、“ザ・人間のクズ”にでもなったような……)。
 だから、どうにかボタンを留めようと試みる。
 だが痺れに震える手では、どうにも上手くいかない。かえって余計はだけさせてしまう始末だ。

「難しいものだな……ん?」

 どんっっ!

 悪戦苦闘している最中、部屋が……いや空間そのものが大きく揺れた。

「くお……」

 堪らず、フェイトの上に倒れこんでしまう。一体、何事!?
 その直後、見知った気配が突如として出現した。

(これは――はやてっ!?)

 恭也の顔が、驚愕で歪む。
 同時に、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

「お父さんっ!?」



<2>

 研修も中一日の休みとなり、一心地ついた時 耳を疑う噂を聞いた。
 曰く、「恭也とフェイトが婚約した」と。
 ……本来ならば、笑い飛ばすべき噂だった。年齢も魔力も、何もかもが違いすぎる(事実、聞いた誰もがそうした)。
 だが、はやてには到底笑い飛ばせなかった。
 年齢? 魔力? ……あの子は、そんなことを気にするような人間ではない。
 何より、自分には分かる。あの子は恭也のことを――

 どくんっ!

 不安で、胸が鳴った。
 ……それでも、今までならば(罰としてボコるものの)恭也を信じられた。
 けど……あの日、自分を無視してフェイトと会っていたことを知ったから、フェイトの家に泊まったことを知ってしまったから…………
 信じたいけれど、信じられなかった。
 だから、はやては研修を半ば放り出し、恭也に事の真偽を聞き質すべく大急ぎで飛んだ。

 ……けれど下宿先は巨大クレーターと化していた。
 おまけに「ならば」とやって来た勤務先隊舎の私室は、強力な結界で厳重に外界から遮断されていた。
 しかも、その両方からフェイトの魔力を感じる。
 だから、はやては殆どパニック状態になり、術の解除を試みることすらももどかしく、ほとんど力尽くで結界内へと突入した。
 そして、叫んだ。

「お父さんっ!?」



「お、お父……」

 はやてはもう一度恭也に声を掛けようとして、だが言葉を失ってしまった。
 ……恭也は、ベットの上でフェイトを押し倒していた。

 自分に気付き、慌てて密着した体を離すが、その隙間から見えるフェイトの服ははだけ、胸が露出していた。
 しかも、メイド服だ。恭也の趣味(←フェイト同様の勘違い)だ。
 ……そして、フェイトは意識を失っているが、その顔は紅潮しつつも何処か幸せそうだった。
 それが、かえって耳年増はやての妄想を炸裂させた。
 即ち、「メイドさんプレイの最中に恭也が暴走、大人のテクでフェイトを失神させ、現在本番へと移行中」と。

 アア、ヤッパリアノウワサハ、ホントウダッタノカ……

 はやての目の前が真っ暗になった。
 もう恭也が週末に八神家に戻ることはないだろう。これからは、年に数える程度の帰宅で我慢しなければならないのだ。
 一緒に寝てくれることも、一緒にお風呂に入ってくれることも、年数回。
 ……いやそれどころか、抱きしめてくれることすら「年に数回」かもしれない。
 そう考えると、涙が溢れてきた。



 ヤバい、殺られる……

 無言で立ち尽くすはやてを見て、恭也は己の運命を悟った。
 「これは、過去最大級のお仕置きを受ける」と。
 ……だが、いつまでたってもお仕置きは来なかった。
 それどころか、はやては力無く座り込み、声を殺して泣き始めた。

「は、はや……て?」

 目の前の光景に、恭也は呆然とした。
 かつて、泣かれたことは何度もあった。
 だがそれは暴力を伴う激しいもの、そうでなくとも自分を弾劾するものであった筈だ。
 なのに……こんな彼女は見たことが無い。
 それこそ、まるであの時、別れを切り出した時のような……

「はやて……」

 恭也はようやく自由になった体を起こし、傍に駆け寄った。
 そして、強く抱きしめる。
 ……だがそんな恭也の耳に、今度は目を覚ましたフェイトの、愕然とする様な声が耳に飛び込んできた。

「な……なんで私、メイド服なんか着てるんですか!? なんで胸を出してるんですかっ!?」



<3>

「う、う~ん……」

 結界を揺らす大きな振動とその後の騒ぎで、フェイトは目を覚ました。
 そして、ぼんやりとした頭で考える。
 あれ? 私、なんでベットで寝てたのかな? 確か試験の最中だったのに……?
 ……どうやら記憶が飛んでいるらしく、不思議そうにあたりを見渡す。
 (※と言うより、つい先程までの状態が普通では無かったのだろう)

(ここって、恭也さんの部屋?)

 訳が分からず、フェイトは首を捻る。
 試験で気を失ったのなら、医務室にいる筈なのに……
 ――そこで、自分の胸がはだけていることに気付いた。

「!?」

 真っ赤になって、慌てて胸を隠す。
 え? なんで? どうして? なんで私、恭也さんの部屋のベットで、胸を出して寝てたの?
 それに、私が着てるのって……メイド服!? 誰が着替えさせたのっ!?

 自分の置かれた状況に、フェイトはパニックを起こした。

「な……なんで私、メイド服なんか着てるんですか!? なんで胸を出してるんですかっ!?」



「い、いやフェイト嬢……これはその……」

 泣くはやてを腕の中であやしつつも、恭也は何とか説明しようと試みる。
 だが元より口下手な男である、立て続けに起こる事態に上手い言葉が出てくる筈も無い。
 おまけに注意がはやてとフェイトに二分されてしまい、どうしていいか分からず、遂に沈黙してしまった。

 恭也が沈黙する中、バルディッシュがフェイトにそっと耳打ちする。

《――――》(マスター! マスターは、あの男に騙されています!)

「え…… どういうこと?」

《――――》(これを見て下さい!)

 戸惑うフェイトに、バルディッシュはここぞとばかりに自分が記録した映像を送った。
 フェイトを押し倒している(様に見える)恭也。
 フェイトを拘束し、ディープキスで失神させる恭也。
 意識の無いフェイトに跨り、服を脱がす(様に見える)恭也。
 ……バルディッシュに都合の良い場面が、都合の良い順序で、フェイトの脳裏に次々と映し出されていく。
 フェイトは、たちまち茹蛸の如く真っ赤となった。

「あ、ああ……」

《――――》(マスター! あの男は真性の変質者です! 制裁を! 血の制裁をっ!)

「あ゛…… あ゛……」

 更にバルディッシュは有ること無いこと必死に告げるが、フェイトはもう何も聞こえていなかった。
 心臓はバクバクと早鐘の様に鼓動し、体温は急上昇。ショックで頭も沸騰寸前だ。
 が、やっとの思いで言葉を口にする。

「恭也さん…… 意識の無い私に、こんなことをするなんて……」

「ちょっ待――っ!? 絶対何か自分に都合のいいように勘違いしてるだろっ!?」

 恭也は慌てて抗議の声を上げるが、聞こえて無い以上何を言っても無駄である。

「恭也さんのえっちーーーーっっ!!」

 そう叫ぶと、それっきりフェイトはう~んと再び失神してしまった。



「うわ……もう何が何だか…………」

 泣き崩れるはやてと意識を失ったフェイトを両腕に抱え、恭也はもう混乱状態だ。
 畜生、俺の方こそ泣くか失神したいぞ……
 が、これで終わりでは無かった。更なる喜劇……いやが悲劇が彼に襲い掛かる。

 どんっ、どんっ、どんっ!

「(にゃー、入れてっ! 私も中に入れてよっ!)」

「な、なのは……orz」

 結界を揺るがす大震動と泣きの入った念話に、恭也はがっくりと肩を落とした。
 あ゛~、今回のオチが読めたぜ畜生……

 その数十秒後、恭也は予想通りスターライトブレイカーの直撃を食らい、吹き飛ばされた。



 ――恭也が吹き飛ばされる直前、運悪く部屋の前を飛ぶ者がいた。

「淫獣め……よくも僕の義妹を……」

 ……クロノだ。何がどうしたのか、両手両足に千切れた魔法の鎖を垂らしている。
 どうやら邪魔されない様にリンディに拘束されていたのを、自力で脱出したらしい。執念である。
 クロノは窓から入ろうとして、だが直ぐに忌々しそうに舌打ちした。

 ちっ、結界か……

「だがこの程度の障害! 義兄パワーで乗り越えてみせようっ! フェイト! 今助けに――へぷうっ!?」

 だがその直後、クロノは恭也共々スターライトブレイカーによって吹き飛ばされてしまった。
 ……哀れ、クロノ。



<4>

「じゃあ、お兄ちゃんはお部屋にいるの?」

「あ、はい。八神二尉とハラオウン三尉もご一緒の筈です」

「え? はやてちゃんとフェイトちゃんも?」

「はっ、その……差し出がましいことではありますが、お二人ともかなり思いつめたご様子でして、その……」

 大丈夫ですよね?

 案内をした陸曹は、心底心配そうな表情でなのはに訊ねた。
 ……それは、隊舎全ての隊員達の共通の思いだった。

 だがこれを聞き、なのははにっこり笑う。

「うん、大丈夫だよ。ちょっとお兄ちゃんと『お話』するだけだから」

「は、ははは…… 『お話』、ですか…………」

「うん、『お話』。あ、ここまでどうもありがとうございました」

 ぺこり。

 乾いた笑いの陸曹に大真面目に返すと、なのははお行儀良く頭を下げてお礼を言った。
 と、陸曹は困った顔をして慌てて両手を振る。

「や、勘弁して下さいよ、高町三尉。上官に対して当然のことをしたまでですから……」

「私も当然のことをしたまでだよ。上とか下とか関係ないと思うな、こういうの」

 なのははそう軽く笑いつつ、恭也の部屋をノック……しようとして、顔を顰めた。

「……結界?」

 一応ドアを開けてみるが、当然のことながら中は見えないし、何も聞こえてこない。
 仕方なく中に入ろうと試みるが、ダメだった。
 (※はやての場合は、魔力に加えて術にも優れていたからこそ侵入できた)

「にゃー、開けて、開けてよ」

 かりかり……

 なのはは、まるで猫の様に結界を爪で引っかきながら訴える。
 だがこれでは中に聞こえる筈も無いため、返事は無い。
 それでも諦めず、今度は魔力を込めた拳でガシガシと叩き始めた。
 同時に、強い念話を飛ばす。

 どんっ、どんっ、どんっ!

「(にゃー、入れてっ! 私も中に入れてよっ!)」

 ……これなら、幾らなんでも聞こえた筈、届いた筈だ。
 が、それでも待てど暮らせど音沙汰が無い。
 遂に、なのはキレた。涙目になりながら、レイジングハートを構える。

「……いいもん、いいもん。力尽くで中に入れてもらうんだから」

「高町三尉!? 何する気ですか!? ま、まさか――」

 次の行動を察して真っ青になった陸曹に、なのはが不敵に笑った。

「そのまさかだよっ! レイジングハート! スターライトブレイカー、スタンバイッ!」



「スターライトブレイカー警報! スターライトブレイカー警報! 総員退避ーーーーっ!!」

 陸曹の叫びに、息を潜めていた隊員たちが一斉に隊舎から逃げ出し始めた。
 ……そりゃあもう、まるで沈みゆく船から逃げるネズミの如く。

「隊舎から出来る限り離れろーっ!」

「もたもたしてっと巻き込まれるぞっ!?」

「んなもん置いてけ! 命の方が大切だ!」

 そして彼等が退去し終えると同時に、光の柱が恭也の部屋のあたりを突き抜けていく(ついでに誰か吹き飛ばされた様な?)。
 直後、音を立てて崩れ落ちていく隊舎。ああ、一応鉄筋コンクリート製なのに。一応耐魔法防御が施されている筈なのに……
 その光景に、皆涙した。 ……今夜、寝るトコどうしよ?



<5>

 ぷか~~

 果ての果てまで飛ばされた恭也(とクロノ)は、仲良く池に浮かんでいた。

「あ、あはははは……」

 もうここまできたら笑うしかない。恭也は自棄になって笑う。
 ……その隣には、何故かクロノが浮かんでいる。
 しかしコイツ、何しに来たんだ? 運の無い……

(それに、うつ伏せに浮かんでるけど……呼吸とか大丈夫なのか?)

 ま、意識は無いみたいだが、バリアジャケットは正常に作動しているから良しとしておこう。うん、そうしよう。
 恭也は、そう無理矢理自分を納得させた。
 ……実際、今は他人を構ってる余裕などない。受けた理不尽さにいっぱいいっぱいだ。
 何故自分がここにいるのか、何故こんな目に遭うのか……頼むから誰か説明してくれっ! ぷりーずッッ!!

 だが当たり前のことだが、その疑問に答える者はいなかった。
 目に映るのは、満天の星と月のみ。
 ああ、今夜はあんなにも月がきれいだ……

(そういや、アルザスの月はもっと綺麗だったな……)

 ふと恭也の脳裏に、この間任務で訪れたアルザスの雄大な自然が思い浮かんだ。
 あそこで剣を振るったら、自然と一体化したら、さぞや気持ちがいいに違いない……
 そう思うと、少しだけ気持ちが収まった。

(やはり、俺には剣しかない……)

 改めて、思う。
 ……そういやここの所、大都会という名のコンクリートジャングルでばかり修行をしていたなあ。
 きっと、体が自然を求めているに違いない。そうさ、みんなコンクリートジャングルが悪いんだ……
 そう思うと、だいぶ気持ちが収まってきた。

(旅に出よう)

 恭也は決心した。
 金なら、ある。バイト代の100万が。
 ……温泉? はっ! 知ったことかいっ!? 休日もバイト代も全部修行に使ってやるっ!

「それが、せめてもの俺の復讐だっっ!!」

 恭也は、天に向かって吼えた。 

 ――こうして、恭也はそのまま隊舎戻ることなく旅に出た。
 目的地は、第6管理世界アルザス地方。

「わたしに…… なんのご用……ですか…………」

 そこで薄幸の美幼女と出会うことになる訳だがそれはそれ、また別の話である。
 まあ今回は、「その後も足繁く同地を訪れる様になった」とだけ言っておこう。




――――後日談のそのまた後日談(その1)


 どぽどぽどぽ

 ざっざっざっ

 震える手で湯飲みに熱々の緑茶を注ぎ、普段の倍以上……それこそ溶けきれずに底に大量に沈殿する程の砂糖を入れると、
リンディはそれを一気に飲み干す。

 ごっごっごっ……

「ふう……」

 そして、飲み終えた湯飲みをどんっ!と置くと、呻くように呟いた。

「……孫に期待しよう」

 クロノでもフェイトでもどっちでもいい、孫が生まれたら第一線を退き、子育てに専念するのだ。
 そして今度こそ……今度こそはっ!

 ぴしっ!

 握り締めた分厚い湯飲みに、ヒビが入る(ちなみに魔力は無使用)。
 ……いや、それは確かに今回は自分も悪かった。それは自覚している。
 あの時……フェイトをけしかけた時の自分は、とうてい正気とはいえなかった。それは認めよう。

「けど……けどね? 何も兄妹二人揃って暴走することないじゃないっ!?」

 どんっ!

 リンディは机を叩き、思わず叫んだ。
 だが直ぐにがっくりと肩を落す。そして、深い深い溜息を吐いた。

 は~~

 クロノ…… あなたももういい加減諦めて落ち着きなさい。どう転んだってフェイトはあなたには靡きません。
 だからとっととエイミイとくっついて、私に孫を抱かせてちょうだい。お願いだから。
 フェイト…… そりゃあね? 私だって恋する乙女だったから気持ちは分かるわよ? けど……けどね?

「私は、暴れたりなんかしなかったわよ?」

 そりゃあ任務の時は張り切りすぎてやり過ぎたかもしれないけれど、それ以外の時は大人しかった……と思う。うん、多分きっと。
 少なくとも、クライドを「大魔法で」吹き飛ばしたりなんかしなかったし。

 頭を抱えるリンディの手元から、ばさっと書類の束が落ちた。
 それは「旧湾岸地区埋立地の巨大クレーター事件」「執務官試験会場での乱闘騒ぎ」そして「陸士第666部隊駐屯地における破壊活動」
に関する報告書とその始末書だった。

 歴史は繰り返す。
 ……ちなみにリンディさん? 昔貴女と結婚する前、クライドさんもよくそうやって頭を抱えてましたよ?




――――後日談のそのまた後日談(その2)


「……あれ?」

 その日、学校からの帰り道にふと海鳴臨海公園まで立ち寄ったフェイトは、そこで良く見知った姿を見つけ、軽い驚きの声を上げた。

(恭也さんだ♪)

 思わず顔をほころばせ、急ぎその下へと駆けて行く。
 そして、勢い良くその胸へと飛び込んだ。

「恭也さ~~ん♪」

「…………」

 ひょいっ!

 ……だが恭也は無言で避ける。
 そして、うっちゃり。
 結果、フェイトは地面に叩きつけられる形となった。

 べちゃっ!

「きゃんっ!?」

 ……よほど痛かったのだろう。
 暫し倒れ伏したまま、呻く。

「ううっ……」

「…………」

 呻く。

「う゛う゛っ……」

「…………」

 呻く……

「う゛う゛う゛っ……」

「…………」

 呻――

「……恭也さん?」

 そんなフェイトをスルーし、傍のベンチに腰掛けた恭也に、フェイトが伏したまま声を掛けた。

「何かね? フェイト嬢?」

 恭也は手にしていた袋を何やらガサゴソしつつ、気の無い返事を返す。

「……私、倒れてます」

「ああ、それが何か?」

 フェイトの言葉を適当に流すと、恭也は袋からたい焼きを取り出した。
 そして、もしゃもしゃと食べ始める。

「私、か弱い女の子です」

「か弱いとは到底思えんが、まあ女の子だな、うん。 ……で、それが何か?」

 尚も訴えるフェイトを、恭也はたい焼き優先の態度で適当にあしらう。
 だがそれでもフェイトは諦めない。

「…………こういう時、紳士ならどうすべきだと思いますか?」

「や、俺って紳士違うし?」

 ぽいっ!

 たい焼きを食べ終えた恭也は、袋をゴミ箱に放り投げると席を立った。
 そして、そのままさっさと立ち去ろうとする。
 だが流石にフェイトも我慢が限界に達したらしい。がばっ!と顔を上げ、非難の声を上げた。

「いつもいつも『俺は紳士道範士八段だ』とか『俺はフェミニストだ』とか言ってるじゃないですかっ!?」

「……俺にどうしろと?」

 その大声に無視しきれなくなったのか、恭也は面倒臭そうに振り返る。

「……立てません。手を貸して下さい。できることなら、お姫様だっこを希望します」

「だが断る」

「何故ですかっ!?」

「核の直撃喰らっても平気そうなヤツが、コケた程度で起き上がれない筈ないだろうがっ!?」

 ……このあんまりなお言葉に、フェイトは「よよ……」と嘆く。

「少し前まで、あんなに優しかったのに…… 最近の恭也さんは冷たすぎます……」

「……少し前までのフェイト嬢は、いきなり飛び掛ってなどこなかったからな」

「…………」

「…………」

 二人は、暫し無言で見つめ合う。
 やがて、フェイトがぽつりと呟いた。

「……では、どうしても助けてくれないと?」

「ああ、いろんな意味で面倒だ」

「そうですか…… なら、私にも考えがあります」

「はっ! こんな人通りの多い場所で、魔砲でも使う気か?」

「……泣きます」

「……へ?」

「本気で……泣きます……よ?」

 そう宣言するフェイトの目は、既に潤んでいた。
 涙はますます溢れていき、今にも大粒の涙が――

「ふっ! 大丈夫か、フェイト嬢!」

 身の危険を察した恭也は、掌を返してフェイトを助け起こす。
 そりゃもう胡散臭いほど紳士的に、優しく。
 するとフェイトは満面の笑みを浮かべ、体を預けてきた。
 ……ちなみに、涙は既に退いている。

「♪」

「やれやれ……」

 このあまりに現金な態度に、恭也は嘆息する。
 実に図太くなったものだ、ある意味はやてより性質が悪い……

「~~♪」

 そんな彼をよそに、フェイトは上機嫌で抱きつき、体を擦り付けてくる。

 すりすり……

「……フェイト嬢?」

「はい?」

「抱きつくのは……まあ分からんでもない。だが、何故に体を擦り付ける?」

「……そういえば、何ででしょう?」

 自分でも分からないのか、フェイトも「はて?」と首を捻る。
 そして、困惑気味に恭也を見た。

「や、俺に聞かれても……」

「う~ん、何故かこうしなきゃいけない様な気がするんですよ…… やらないと不安と言いますか……」

 ……二人は気付いていないが、あの夜(※第10話参照)の出来事は、フェイトのトラウマになっていた。
 衝撃的だったあの“匂い”に対する恐怖心から、無意識の内に己の匂いを擦り付け、所有権を主張しているのだ。
 尤もそのことを知らぬ二人は、ただただ顔を見合わせて首を捻るだけだった。

「……助け起こしたぞ、フェイト嬢?」

 まあいいか、と恭也はそれ以上考えることを止めた。
 女心なんか、自分に分かる筈が無いじゃないか。そんなことより今は目の前のことだ。

 と、フェイトは実にイイ笑顔でのたまうた。

「足を挫きました。優しくベンチまで連れて行って下さい♪ ――あ、もちろん介抱してくれますよね?」

「へいへい……」

 恭也は軽く肩を竦めつつ、彼女を抱き上げた。



 結論から言えば、フェイトは本当に足を挫いていた。
 ……軽く、だが。

「これで、良し」

「ありがとうございます」

「……これ位、魔法でどうとでもなるだろう」

 恭也はぶつくさ文句を言う(そう思ったからこそ、気付いていても放っていたのだ!)。
 だが、フェイトはとんでもないと首を横に振った。

「なんでも直ぐに魔法に頼るのは、よくありませんよ? この位の痛みは甘受すべきです」

「それはご立派な心がけで…… だがな、フェイト嬢? 流石にこの足で帰るのは少々きついぞ?」

「だから、恭也さんを頼ってるんじゃないですか♪」

「……何故だろうな? 本末転倒の様な気がするのだが……」

「いいじゃないですか♪ お礼に、夕食をご馳走しますよ?」

「俺は、そろそろ帰らなければいけないのだが……」

「……ちなみに、ほかほかご飯と大根とお葱がたくさん入ったお味噌汁はデフォです」

「さあ行こう、急いで帰ろう」

 ひょいっ!

 恭也はフェイトをまるで荷物の如く己の背に放り投げ、負ぶうと歩き出す。
 ……この扱いにフェイトは少し不満を覚えたが、「欲を言えばきりが無い」と納得することにした。
 その代わり、肩に乗せた腕をぎゅっと首にまわす。
 そして、その耳元にそっと囁いた。

「じゃあ、お願いしますね♪」

 あれから――二人は互いに遠慮しなくなった。
 フェイトは“少しだけ”積極的になって、
 恭也も“少しだけ”ぞんざいになって、
 そして二人の距離は、“少しだけ”近くなった。








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