魔法少女リリカルなのは×とらいあんぐるハート3SS 番外編「はじめてのぼうそう ふぇいと編」 本編「聖夜の惨劇〜それでも俺はヤってない〜」  ※恭也28歳、はやて・なのは・フェイト12歳(小学校卒業前)の時のお話です。 【1】 ――――第97管理外世界(地球)、海鳴市。 <1> 「……あれ?」  その日、学校からの帰り道にふと海鳴臨海公園まで立ち寄ったフェイトは、そこで良く見知った姿を見つけ、軽い驚きの声を上げた。 (恭也さんだっ♪)  思わず顔をほころばせ、急ぎその下へと駆けて行こうとする。  ……が、直ぐに躊躇して立ち止まった。  つい先刻、別れた友人を思い出してのことだ。 (はやてにも、知らせてあげた方がいいよね?)  フェイトの手が、ポケットの携帯電話に伸びる。  恭也は一年程前にフェイトとのコンビを解消し、陸士部隊へと出向した(別に仲違いした訳では無い。単なる人事異動だ)。  以後、「平日はミッドチルダで部隊勤務、週末は海鳴の八神家で家族団欒」という典型的な単身赴任生活を送っている。  このため、はやては週末或いはまとまった休暇時にしか恭也と会えなくなってしまった。  自他共に認めるお父さんっ子……と言うより重度のファザコンであるはやてにとって、これは辛い。  事実、週末と週始めで彼女のテンションは明らかに異なっていた。 (はやて、きっと喜ぶだろうな)  その姿を想像し、フェイトは微笑む。  それこそ恭也にむしゃぶり付き――  ……自分など、蚊帳の外に置かれてしまうに違いない。 (あ……)  そこまで考え、今まさに送信ボタンを押そうとしていた指が止まった。  はやても辛いだろうが、それでも週末には必ず会える。会って恭也を独占できるのだ。  対する自分はと言えば……確実に会えるのは月二回の鍛錬日のみ。  これとて、なのはとはやてが乱入するようになってからは“個人指導”でなくなっている。  最後に二人っきりとなったのは―― (もう何ヶ月も前……)  その事実に嘆息する。  無論、会おうと思えば会える。常に受身に回っているから“こう”なるのだ。それは分かっている。  ……けれど、いったい何と言って会いに行けばいいのだろう?  例えば、はやては“娘”、なのはは“妹”だ。“父”や“兄”に会いに行くのに、理由などいらない。「会いたいから来た」で通用する。  けど、自分には無理だ。だって、“娘と妹の友達”に過ぎないのだから。  だから―― これは滅多に無いチャンスなのだ。  ――毎週末会えるのだから、今日くらい譲ってもらおうよ?  フェイトの悪い心が、そっと囁いた。  それは、とてもとても魅力的な提案。でも…… (それは駄目。お友達を裏切れないよ)  フェイトの指が、再び送信ボタンに迫る。  ――でも、これを逃したら何時会えるかな?  また、指が止まった。 (……次の鍛錬日に会えるよ。あと一週間もないもん)  ――で、また三人の“仲良しぶり”を指くわえて見てるんだ? (う……)  その光景を想像して、思わず口篭ってしまう。  鍛錬を終えた後、「疲れた」と恭也の背に寄り掛かったり、膝の上に座ったりするなのはとはやて。  ……そしてそれを傍で眺めている、三人の会話を黙って傍で聞いている自分。  無論、三人から無視されている訳ではないし、ましてや邪険にされている訳でもない。  なのはやはやてはフェイトに結構話を振ってくるし、何より話の輪から外れかければ恭也が水を向けてくれる。  けれど受身である以上、どうしても疎外感を感じてしまう。不満を残してしまう。  自分が悪いと分かっているのに、この感情を抑えきれない。  溢れてくる感情に困惑したフェイトは、もはや口癖と化した感のある、どこか言い訳染みた呟きを口にした。 「……だって、しょうがないよ。二人は家族なんだから。私は他人、しょうがないよ……」  強引に思考を打ち切り、ボタンに指をかける。そしてそのまま一気に―― 「……フェイト嬢、さっきから一人で何をしている?」 「きゃ……むぐっ!?}  突如背後から聞こえた声に驚き、思わず声を上げかけた。  が、声をかけた人物はすかさずフェイトの口を左手で押さえ、言葉を封じる。  そして、右手で落下する携帯電話を拾い上げた。 「おっと」 「むぐっ(恭也さんっ)!?」  背後の人物の正体に気付き、フェイトは安堵の溜息を漏らした。  これを見て、恭也も流石にバツが悪そうに弁明する。 「すまんな…… このご時勢、少女に悲鳴を上げさせた日には手が後ろに回りかねんのだ……」 「……普通に声をかけて下さいよ。お願いですから」  怒るより先に、フェイトは呆れたような声を上げる。  幾らなんでも、気配を消していきなり背後からは無いと思う…… 「性分なんだ」 「今更ですけど難儀ですね。と言いますか、危うく衝撃波で吹き飛ばすところでしたよ?」 「うわっ! 俺、バラバラ?」 「……そこまでしませんよ。せいぜい、お相撲さん(全盛期の小錦)の“ぶちかまし”を喰らう程度ですか」 「…………」 「どうしたんですか? 顔、真っ青ですよ?」  何故か顔面蒼白となった恭也を、フェイトは不思議そうに覗き込んだ。 <2> 「……どうしたんですか? 顔、真っ青ですよ?」  そう言って不思議そうに自分を見るフェイトに、恭也は内心大いに戦慄する。  ……そーだ、そういやこの子、結構天然だった、と。  そして、被害者が加害者へとジョブチェンジすることを防ぐべく、教育的指導を行う。 「……フェイト嬢、初撃はせめて幕下程度にしておきなさい。関取はマジやばいから」 「はあ…… わかりました」  分かったような分からないような、けれど一応は守られるであろう返事を聞き、恭也は胸を撫で下ろす。  やれやれ、なんか一人で携帯電話を見て葛藤してたから、不思議に思って声をかけてみただけなのに……  そこで思い出したように、恭也はフェイトが落しかけた携帯電話を差し出した。 「ほれ、携帯」 「あ、ありがとうございます」 「いやなに、元はと言えば――って、コレはやての番号だな?」  ふと目に入った見慣れた番号に、恭也は軽い驚きの声を上げた。  ……まるで金に困って消費者金融にかけるかかけないか、と言わんばかりの葛藤ぶりだったのに。 「あ、はい。恭也さんを見つけたので、知らせてあげようかなって」 「のおっ!?」  それを聞いた恭也は奇声を上げ、送信ボタンを押そうとするフェイトから慌てて携帯電話を取り上げた。 「? 何故邪魔を?」 「頼む、ここで俺を見つけたことは、はやてにはどーか内密に……」 「ええっ!?」  手を合わせて拝まんばかりの恭也に、フェイトは困惑気な声を上げた。 「で、でもはやてが可哀想ですよ! 恭也さんがいないと、すっごくしょんぼりなんですよ、あの子!」 「や、それは分かってるし可哀想だと思う。けど、今日は時間が無いんだ……  ぶっちゃけ、あと一〜二時間しかここにいれない」  はやての恭也に対する依存心には、相当なものがある。  単身赴任して最初の数ヶ月など、昼夜を問わずシグナムに拉致られ、恭也の匂いの付いた毛布やシャツを頭から被ってえぐえぐと 泣いているはやてをよくあやさせられたりしたものだ(※ちなみに自分の残した仕事はザフィーラが代行)。  それ以降は以降で、はやてが必死で覚えた次元間転移術を駆使し、下宿先の布団の中で丸くなってたことも一度や二度ではない。  ……まあ流石に最近はだいぶ落ち着いてきたが、それでも週初めに家を出る際にはそれなりの“儀式”を必要とする程だ。 「儀式、ですか……」 「……ああ、儀式だ」  何処か呆れた口調のフェイトに、恭也は自嘲気味に応じる。 「ちなみに、残された一〜二時間では……」 「たっぷり一時間かかるから厳しいな。それに、アレは屋外っつーか人前でやるものじゃない……」 「そ、そうですか……」  「いったいナニをやってるんだろ?」と思わなくもないが、友人の名誉の為にフェイトはあえて聞かないことにした。  ……はやて、もう少しお父さん離れした方がいいと思うよ? 「ま、父親冥利ではあるんだけどね。  ……それよりもフェイト嬢、話は変わるが君は何時まで家族と一緒に風呂に入るつもりだ?  参考までに聞きたいのだが?」 「……はい?」 「具体的には、クロノと」 「…………は?」  一瞬何のことか判らず、首を捻るフェイト。  ……だがそれがとんでもない冤罪で、しかも恭也が信じきっていることに気付き、慌てて声を大にして訴えた。  ついでに恥辱のあまり、顔も火を噴きそうなほど真っ赤だ。 「!? 入ったことありませんよっ! それ大嘘ですっっ!!」 「や、でも家族だろ?」 「そんなことになったら、舌を咬み切ります!」 「そこまでかい……」 「恭也さん! 私、清い体ですからっ!」 「あ、ああ……」  その勢いに押され、恭也はカクカクと頷く。  これを見てやや落ち着きを取り戻したフェイトは、憤懣やるかたない!とばかりに首を傾げた。 「それにしても、いったい誰がそんな根も葉もない噂を……」 「はやてが言ってたぞ? 『フェイトちゃんちもそうなんだから、ウチだってまだまだ平気や!』って」 「は〜や〜て〜〜」  めきょっ!  怒りのあまり、フェイトは返してもらった携帯電話を握り潰す。  ついでに掌から超高電圧とそれに伴う高熱が発生。かつて携帯電話だったモノは、たちまち液化を通り越し気化してしまった。  ……環境破壊? 何それ? 「うおう…… ぐれいと……」  だが、これを見た恭也が盛大に引いていることに気付き、フェイトは慌てて怒りを静める。 「!? あ、あははは…… ……冗談ですよ? ええ、冗談」 「そ、そうだよなー フェイト嬢はいい子だもんなー あはははは……」  ……この現実から目を背けたかった恭也も、進んで騙されることとする。  見てない、俺は何も見てないぞ。  フェイト嬢は、ちょっと天然が入ってるけど、とても優しいいい子なんだ…… 癒し系なんだ………… 「「あははは……」」 <3>  それから数分後、二人は仲良くベンチに腰をかけていた。  ちなみに互いの距離が近いのは、まあお約束である。 「ところで恭也さん? そんな短い時間、何しに海鳴まで来たのですか?」  本部に立ち寄った僅かな合間を利用して「転送して来た」と聞き、フェイトは首を捻った。  その余裕時間は僅か120分(残り89分)。正直、これでは何もできないだろう。  だが、恭也はそれで十分だと笑った。 「これを喰いに来ただけだからな」  そう言って恭也が袋から取り出したものを見て、フェイトは目を丸くした。 「……たい焼き、ですか?」 「ああ、たい焼きだぞ」 「わざわざ、そのためだけに……?」 「まあ、な」 (……わざわざ遠くから来るほど、美味しかったけ?)  記憶の中にしまってあった味を思い出し、フェイトは首を傾げた。  それなりに美味しくはあるが、同等以上の甘味はミッドチルダに幾らでも…… 「これ、な? 懐かしい味なんだよ」  同意しかねる、といった表情のフェイトを見て、恭也は苦笑しつつ補足する。 「懐かしい、ですか?」 「……ああ、俺の“故郷”の味とまったく変わらないんだ」 「!」  実に迂闊なことではあるが、その告白を聞き、フェイトはようやく恭也が異邦人であることを思い出した。  ……恐らく永遠に帰れぬ、異邦人であることに。 「俺、実は海鳴じゃあ外食って殆どしたことがないんだよ。  なにしろ家には料理の達人が二人もいたからなあ〜  だから、なるべく腹をすかせて家に帰ったものさ。  ……けど、コイツだけは特別だった。ま、安いし小さいしな」 「…………」 「だから、これを喰ってる時だけ俺は実感できるんだ。  『ああ、俺は存在するのだ』、『こんな偽者の俺にも、帰る場所があるのだ』と」 「恭也さんは偽者なんかじゃありません!」  フェイトは思わず立ち上がり、声を上げた。 「私は! 私にとっては恭也さんこそが――」  だが恭也は軽く微笑み、それ以上の言葉を制止した。 「……ありがとう。だが、やはり俺は偽者だ。それは自覚しなければならない。  でないと――俺は何をしでかすか分からんからな」  そう笑いながらたい焼きを千切り、一つをフェイトに手渡す。 「ありがとうございます……」  お礼を言い、フェイトはベンチに腰を下ろした。  正直なところ、あまりお腹はすいていない。  けれども、素直に好意を受け取った。  恭也がくれたのは、明らかに大きい方の欠片。  ……こういう人なのだ、恭也さんは。  何気なく、当たり前のように大きい方をくれる、そんな人……  少し心が温かくなったのを感じながら、フェイトはたい焼きを齧る。  そして……涙目となった。 「……恭也さん」 「何かね、フェイト嬢?」  うまうまとたい焼きを頬張りながら、恭也が訊ねる。 「……このたい焼き、甘くないです」 「カレー味だからな」 「…………甘くなくて、辛いです」 「カレー味だからな」  しくしく……  「結構いけるだろう?」とホクホク顔の恭也。  だがフェイトは内心涙を流しながら、この“カレー味のたい焼き”(自称)なる摩訶不思議な物体]を咀嚼する。  恭也さん……通すぎますよ……  何とか全て飲み込んだ後、恭也が待ちかねたように感想を聞いてきた。 「どうだ?」 「あ、はい、美味しかったです……」  フェイトは無理に笑顔を作り、心にも無い言葉を口にする。  これを聞き、恭也は満足そうに頷いた。 「や〜、そうかそうか、ようやく同好の士を見付けられて嬉しいよ。  ……なにせ、なのはもはやても文句たらたらだったからなあ〜」  そして、袋から再びたい焼きを取り出し、やはり千切って(もちろん大きな方を)フェイトに手渡した。 「今度は是非チーズ味を試してくれ。きっと気に入ると思う」 「ありがとう……ございます…………」  フェイトは、ともすれば引きつりそうな顔で無理矢理笑顔を作り、いかにも有り難そうに物体]MarkUを受け取った。  ……全ては、愛ゆえに。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2】 <1>  もそもそ……  物体]MarkU……もといチーズ味のたい焼きを、フェイトはまるで小鳥が啄むように食べる。  元々小食で食べる速度も遅い彼女だが、今日はいつも以上にゆっくりちびちびと食べている。  もう、お腹がいっぱいなのだろうか?  ……いいや、違う。  確かに特に空腹を感じてはいないが、だからといって一口サイズのたい焼きの半欠片くらい、食べられないことはない。  つまりは、「それだけ不味い」ということだった。 (……気持ちが悪い)  あまりの不味さ……と言うかダメージに、フェイトは内心滝の様な涙を流す。  できることなら、もう食べるのを止めて捨ててしまいたかった。  ……だが、これは恭也から貰ったものである。そんな真似ができる筈も無い。  思い切って飲み込む、という手も使えない。  先程食べた物体]MarKTことカレー味のたい焼きが、彼女の繊細な胃に深刻なダメージを与えている。  もしコレを塊で放り込んだ日には、それこそ最悪の事態――嘔吐――すら招きかねなかった。  もそもそ…… もそもそ……  故に、フェイトは少しずつ少しずつ、ゆっくりと食べる。  けれどそれは、胃を守るのと引き換えに味覚嗅覚を虐めるに等しい行為。 (なんですか、このチーズは……)  先程のカレー味とやらも独特の風味と刺激の強さに閉口したが、このチーズ味は更にその上をいく。あまりにクセが強すぎるのだ。  加えて口の中に残るカレーと混じりあい、最悪の合奏を奏でている。鼻の奥が痛い……目に沁みる…………  ……そんなフェイトの苦労も知らず、恭也が得意気に声をかける。 「それぞれ単独で食べてもイケるが、一緒に食べると何とも癖になる味だろ?」  こくり……  返事すら返す余裕もないフェイトは、ただ頷き返すのがやっとだった。 <2> 「ご、ごちそう……さまでした…………」 「うむ、見事な味わいっぷりだったぞ、フェイト嬢」 「ありがとう、ございます……」  ようやく完食したフェイトは、まるで12ラウンドを戦い抜いたボクサーの如くぐったりとしていた。  だが恭也は目の前の少女が何故そこまで消耗しているのかが理解できず、しきりに首を傾げながら観察する。  ……と、その口元に食べ残しが付いているのを見つけた。  元来いらん程世話焼き好き――ただし身内限定だが――なこの男のこと、すぐさま指でそれ拭き取った。 「フェイト嬢、口元に付いてたぞ」 「あ……」  にんまりと笑って指先を見せる恭也に、フェイトの顔が赤く染まる。 (恭也さんに、きっとお行儀が悪いって思われた。恥ずかしい……)  が、この反応は恭也のいぢわる心をいたく刺激した。  ふむ、さすがフェイト嬢だ。反応が可愛いねえ……  飛びつき、尻尾が振り千切れんばかりに甘えまくる“娘”はやて、  体にもたれかかり、にゃあにゃあと甘える“妹”なのは、  それぞれ可愛く、恭也のお気に入りだ。  だが、目の前のこの少女の愛らしさも決して二人に負けてはいない。  元気で積極的な二人とは対照的に、何事にも控えめなその姿勢。  にも関わらず滲み出てくる優しさは、実に心を癒される。  そして中でも一番のお気に入りな所は、その素直さ。  あの二人は自分の言葉にやたら懐疑的だが、この少女は実に素直に聞いてくれるし信じてくれる。  (その上、騙されたと知っても暴れない!)  ことにあの、困ったりパニくったりした時に見せる表情と言ったら――  にたり…… (畜生、俺のいぢわる魂を震わせやがるぜ……)  思わず口元を歪めて笑う。 「……フェイト嬢? まだまだ口元に付いてるから、拭いてやろう」  無論、嘘である。  だがいつもの様にフェイトは恭也の言葉を素直に信じ、赤い顔を更に真っ赤にさせて首を振る。 「!? だ、大丈夫です! 自分で拭けますから!」 「まあまあそう言わずに。自分では拭き難いだろう?」  くいっ!  怪しげに笑いながら、恭也はフェイトを引き寄せる。  フェイトはじたばたと抵抗するが、魔力を使わぬ少女の力での話、すぐに捕まってしまった。 「ふっふっふ、観念するんだ」 「あうあう……」  フェイトは観念し、目を固く瞑った。  その顔は真っ赤、体はふるふると震えている。 「さ〜て、まずどこから――むう? 誰か近づいて……やべっ!」  誰か近づいてくる気配を感じ振り返ると、警官がこっちへと真っ直ぐ一直線に向かってくるのが見えた。 ……それも、複数。  恭也は慌ててフェイトの体を揺する。 「フェイト嬢! 起きろ! 起きてくれっ!」 「…………?」  フェイトは何とか目を開けたものの、どうやら羞恥のあまり頭が真っ白になっているらしく、ぽ〜としている。  ……恭也、何気にピンチである。 「フェイト嬢〜〜!?」  そうこうしている内に、警官達が直ぐそこまでやってきた。 「あ〜君、少しいいかね?」 「え、ええっと……何か?」  リーダー格の警官(巡査部長)の言葉に、恭也はフェイトの体を揺すっていた体勢のまま、背中越しに答える。 「『公園で金髪の少女を襲おうとしている男がいる』との通報があったのだが?」  ぶっちゃけ、恭也とフェイト……というよりもフェイトは、公園に来た当初から注目の的だった。  長い黄金の髪と宝玉の如き赤い瞳を持った、美しい少女。  これで注目されない筈が無い。老若男女を問わず、たちまち皆の視線を独占した。  ……そんな少女(12)にいきなり背後から襲い掛かり、口を塞いだ男。高町恭也(27)。  どう考えても変質者である。誰もが携帯電話を手に取り、110番したのも無理は無かった。 「……さ、さあ? そんな奴は知りませんよ?」 「……ほう? では、君はその少女に一体何をしているのかね? いや、何をしようとしていたのかね?」 「は、ははは…… ちょっと介抱をば……」 「……いいからその少女から手を離して、こっちを向きなさい」  その言葉に、恭也は渋々と振り返る。 「はい…… ――って“あの時”の警官!?」 「お前っ!? “あの時”の変質者!」  巡査部長と恭也、顔を向き合わせたと同時に互いに指差し合い、叫んだ。  そして――口論が始まった。 「誰が変質者かっ!?」 「小学生を膝に乗せ、『お父さん』なんて呼ばせて乳繰り合ってりあってりゃあ十分変質者だ! このロリコン野郎がっ!」  ……どうやら、はやてに屋外でじゃれられている時に見つかって、職務質問を受けたらしい。 「あれは娘だっ! それに断じて乳繰り合ってなどいない! 頬ずりして貰っていただけだっ!」 「そーいうのを世間じゃ“乳繰り合い”と言うんだ!  それにお前、見たところ20そこそこじゃねーか!  一体幾つの時の子だよっ!?」  恭也は27歳だが、歳よりも大分若く見える。具体的には、20歳程に。  ……そして実に当然のことだが、この世界の恭也(22)と瓜二つだった。 「色々深い事情があるんだよ! 察しろや!」 「なら職業年齢氏名住所を言え! 何の疚しいことも無けりゃあ、問題無いだろ!?」 「ぐ……」  本来この世界に存在する筈の無い恭也が、この質問に答えられる筈も無い。  職業はおろか戸籍すら無い以上、口篭るしかなかった。  だが、その行為は警官達の更なる疑惑を煽る。 「……お前、前も誤魔化して逃げたよな?」 「う゛……」 「……ちょっと、そこまで来て貰おうか?」  囲んでいた警官達が、恭也の腕を捕った。 <3> 「……あれ?」  恭也が巡査部長と口論していた最中、今までぼ〜としていたフェイトはようやく再起動を始めていた。  ……何だろう? 周りが騒がしい。  不思議に思い、ぼんやりながらも周囲を見る。  と、今まさに連行されようという恭也の姿が見えた。 「!?」  フェイトは慌てて立ち上がり、抗議の声を上げる。 「ちょ、ちょっと待って下さい!?」 「おお! フェイト嬢! へるぷみー」 「な、何で恭也さんがお巡りさんに捕まってるのですか!? 私が意識を失っている間に一体何がっ!?」  訳が分からぬもフェイトは先回りし、その小さい体で警官達の行く手を塞ぐ。  が、それを見た巡査部長が、“騙された可哀想な子”を見る目で優しく諭した。 「……お嬢ちゃん? 君が意識を失ってる間に、この男が悪戯をしようとしていたんだよ」 「悪戯の意味が違うしっ!?」 「黙れ! 少女の敵っ!」  ぽかっ! 「っ!?」  巡査部長に小突かれる恭也を見て、フェイトは声にならぬ悲鳴を上げた。  思わず恭也に駆け寄ってしがみ付き、涙目で警官達を睨む。 「きょ、恭也さんを離して下さい!」 「いやね、お嬢ちゃん……」 「私! 恭也さんにはいつもいつも“いぢわる”されたり“いたずら”されたりしてますけどっ!」  ざわっ!  このフェイトの告白に、警官達が驚きの声を上げた。  ……無論、この場合の“いぢわる”や“いたずら”は性的なそれではなく、腕白な子供がやる様な他愛も無いもののことだ。  が、警官達はまさに性的な意味として解釈した(まあ、ある意味合ってるのかもしれないが)。 「全然気にしてません…… だから……だから……恭也さんを刑務所に入れないで…………」 「刑務所!? フェイト嬢の中では俺、一体どういう運命にっ!?」  くくく…… 「そうか…… この子も既に調教済みか……」  フェイトの“お願い”を聞き、巡査部長は暗く哂った。  その全身からは、ヤバ気な瘴気を噴き出している。 「先々週は、やはり別の金髪美少女と黒髪美少女を両脇に侍らせ……」 「? ……誰?」  身に覚えが無く首を傾げる恭也に、心当たりがあるフェイトがそっと呟いた。 「(……あ、多分アリサとすずかだと思います。あの子達、こっちの……その、……さんに凄く懐いてますから)」  だが同時にこちらの世界の恭也を「恭也さん」と呼ぶことに強い抵抗感じ、思わず口篭ってしまった。  ……私、一体どうしたんだろう? 確か去年……いえ一昨年まではちゃんと呼べてたのに……  そこまで考え、気付いた。こちらの恭也と親しくなって以来、(元からあまり縁が無かったこともあるが)彼とまったく会っていないことに。  それどころか、むしろ無意識の内に避けていたことに。 (???)  自分の行動が理解できず、フェイトは内心困惑を隠し切れなかった。  だが、次の聞き捨てならぬ言葉に我に返る。 「先週は、ショートカットの茶髪美少女と乳繰り合い……」 「(……恭也さん? “ショートカットの茶髪美少女”って誰ですか?)」 「(……はやてだ、はやて)」  服の袖をぎゅっと掴み、む〜と見上げるフェイトに、恭也は苦笑して答えた。  そして、何処か遠い目であの時のことを思い出す。  ……考えて見れば、あの時逃げ出さなかったら、ここまで状況が悪化しなかったろ〜な〜、と。 (けど、はやての奴ブチ切れ寸前だったからなあ…… 無理か……)  今にも攻撃魔砲を繰り出そうとしたはやてを抱え、必死で遁走したのはもはやイイ思い出です、はい。  やはりここは大人しく捕まって、リンディ提督に何とかしてもらうしかないだろ〜な〜と、恭也は溜息を吐いた。 「そして今日は、赤眼がミステリアスな金髪美少女…… しかも悪戯OK……」 「……何度も言うようだがな、お前絶対勘違いしてるぞ」 「お前のようなMO(モテ男)が美女美少女を乱獲するから、世の男達はかくもあぶれるのだ……」 「聞けよ、話」 「この鬼畜があっ!」 「!?」  血の涙を流しながら吼える巡査部長に身の危険を感じ、恭也は思わずフェイトを担ぎ逃げ出した。  ……や、マジで身の危険を感じたし。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【3】 <1> 「待てーっ! お前の様な男は、法によって裁かれねばならんのだっっ!!」 「ちいっ! しつこい!」  そのあまりのしつこさに、恭也は思わず声を荒げた。  尤も、実際は逃走を始めてから僅か数分が経過したに過ぎない。  だがされど数分、他の警官達はとうに撒いて見えなくなっている。  ……だというのに、この巡査部長だけは未だに振り切れない。  まるで何かに憑かれたかの様に、恭也を追いかけ続ける。  幾らマウンテンバイク――行きずりの青年から強制的に借りた――に乗っているとはいえ、 そして幾ら恭也が本気で逃げてないとはいえ、まさかここまで食い下がるとは……  しっとのパワー、恐るべしである。 「恭也さん! 何故逃げるのですか!?」  先程から肩に担がれているフェイトが、抗議の声を上げた。 「私達、疚しいことなんて何も――」 「……すまん、フェイト嬢。君はそうかもしれんが、俺って叩けば結構埃が出てくるんだわ」  戸籍すら無いしな、と恭也は自嘲気味に笑う。  ……ああ、でも向こうの世界でも戸籍はあったけど、やっぱり後ろ暗い生活送ってたっけ。  剣の腕を磨くために、本当に“色々”やったしな…… 考えて見れば今の方が全然マシかも。  胸張って「管理局勤務です」って言えるし。 「ビバ合法的職場、ビバ合法的殺傷」(ボソッ)  フェイトに聞こえぬよう、恭也は小さく呟いた。  や、だって聞かれたら何言われるか分からないし? 「あの……恭也さん?」  やべっ、聞かれたか!? 「な、何かね? フェイト嬢?」  内心の動揺を押し殺し、恭也は平静を装い(装ったつもりで)訊ねる。 「……あのおまわりさん、今度はバイクに乗り換えようとしています」 「何ですとーーッ!?」  思いもよらぬ言葉に振り返ると、確かにそこには青年をからバイクを奪い、今まさに乗らんとしている巡査部長の姿があった。  ……つーか、そこまでやるかよ? さすがにつきあってられねえ…… 「ちっ! 俺もそろそろ本気で逃げるとするか……」 「魔法を使うのですか?」  だがその質問に、恭也は鼻で笑う。 「まさか! あんな小者相手に魔法なんざ使った日には、ノエルに大目玉喰らっちまうさ!」  カートリッジだってタダではない(※ちなみに普段使いの弱装カートリッジ(“レギュラー”16L入)は物価換算で1600円相当)。  家計を預かるノエルが知れば、「ごらんのありさまだよっ!」と真っ赤の家計を手?に、半泣きで詰め寄ること請け合いである。 「???」  未だノエルを非人格型AI搭載のアームドデバイスだと思い込んでいるフェイトは、この返答に首を傾げる。  だがそれも一瞬のこと、直ぐに「比喩だろう」と思い直し、自分を納得させて話に戻った。 「でも、バイクですよ?」 「フェイト嬢? 何も速く走ったり飛んだりすることだけが、相手を撒く方法じゃあないぞ?  より早く、より楽に。そして反撃の糸口を作りつつ逃げる。 ――これぞ逃走の本領だ」  ちっちっちっ……  指を振りながら笑うと、恭也は肩に乗せていたフェイトを今度は横抱き――所謂“お姫様だっこ”――にした。 「ピッチは上げんが、道が悪くなるから揺れるぞ。しっかり掴まっててくれよ?」 「はい」  ぎゅっ  フェイトは素直に頷き、両手を首に回す。  だがこれを見て、追いかける巡査部長はますますヒートアップする。 「ちくしょーっ! 先々週は金髪美少女と黒髪美少女を両脇に抱え、先週は茶髪美少女を担ぎ上げ、 今週は赤眼の金髪美少女を横抱きで逃走かっ!? そのままベットに直行かーー!?」 「?」 「妄想豊か過ぎるぞっ!?」  恭也は背後に怒鳴り返すと、本格的に撒くべく裏通りへと飛び込んだ。 <2> 「「……………………」」  数十分後、恭也とフェイトはビルの屋上で絶句していた。  その眼下には、警官、警官、警官……とにかく警官、警官の群れ。早い話が“大捜索”が行われている。 「ここまで…… ここまでやるか……」  恭也は呻いた。  あの巡査部長を撒き、フェイトと暫し会話を交わした後、さてそろそろ帰ろうかと思えば端末に管理局からの緊急通信。  「在海鳴市“ゲート”を一時閉鎖する」などと書かれているから、何事かと思えばこの有様である。  ……なるほど、確かに付近で現地警察がこれほど大規模に動いていれば、秘密保持の見地から閉鎖も止むを得ないだろう。  やってくれるぜ、こんちくしょう。  たそがれる恭也に、魔法を使って警官達の会話を集めていたフェイトが、申し訳無さそうに追い討ちをかける。 「……私、何故か誘拐されたことになってるみたいです」 「……あの野郎」  どうやらあの巡査部長、どうあっても自分を捕まえて晒し者にしたいらしい。  ……確かに、「肉を切らせて骨を断つ」つもりならば、まあ悪くない考えだ。  こっちのしてみれば、少女誘拐の容疑で捕まったなど無実であっても屈辱この上ない話、何より世間体が悪過ぎる。  まあ世間体云々に関しては、この世界の人間では無い自分には関係ないが、それでも屈辱であることに変わりは無い。  加えて“ゲート”が閉鎖されたことにより、まず時間内に帰隊することも叶わなくなった。  こっそり来ていることを考えれば、如何に緊急事態とはいえ、何らかの処分が下されるであろうことは間違い無いだろう。  たとえば減俸とか減俸とか。  だが、対する向こうはと言えば――  ・市民からの通報があったこと(恭也は知らないが、一本や二本ではない!)。  ・容疑者が非協力的姿勢の上、少女を抱えて逃走したこと。  ・同様の重大事件が最近頻発しており、一連の対応に世間の批判が弱いであろうこと。  ・警察自体が身内に甘いこと。  ――等により、(まあ流石に始末書一枚では済まないだろうが)処罰は軽めとなるに違いない。  腹立たしさのあまり、恭也は盛大に舌打ちする。 「ちいっ!」  びくうっ!  恭也の舌打ちに、フェイトはまるで自分が叱られたかの如く体を大きく震わせた。  そして、半泣きで申し出る。 「あ、あの…… 私、『勘違いです』って言って来ます……」 「……頼む、これ以上話をややこしくしないでくれ」 「でも…… 私のせいで……恭也さんが…………」  そう。フェイトは全て自分のせいだと思い、激しく落ち込んでいた。  その目は涙で溢れ、今にも零れ落ちそうだ  ……普段の恭也なら、ここで蕩けんばかりの手厚いフォローを入れたに違いない。  だが今の彼は怒りに燃えており、フェイトの状態に気付きもしなかった。 「いや、フェイト嬢のせいではない。全てあの警官が悪いのだ」  ――と、振り返りもせずに軽いフォローを入れるのみだ。 「くそっ! あの国家権力の狗め!」  そして、続けて罵倒。  ……これでは、フェイトはますます縮こまるばかりである。 「ご、ごめんなさい……」  フェイトは、蚊の泣くような声で謝った。  だが、頭に血が上っている恭也には届かない。  それどころかノエルをケースから出し、据わった目で呟く。 「……いっそ、強行突破するか? 俺もいい加減頭に来てるし、10人や20人病院送りでも仕方が無いよな?」 「!? だ、駄目ですよ!」  これを聞き、フェイトは驚いて恭也の腕に縋った。  が、暗黒面に支配されかけている恭也は、クククと暗く笑う。 「大丈夫だ、フェイト嬢。この世界の俺が身代わりになってくれる。管理局もこの世界の警察も俺を追及できん」 「無茶ですよ! それに……なのはも悲しみます」  ぴたっ!  “なのは”という言葉を聞いた途端、恭也の動きが止まった。  そして、恐る恐る訊ねる。 「……え〜と、やっぱ怒るかな? なのは」 「え…… あ、はい。多分……いえ、絶対に」  たら〜〜  恭也の全身から、イヤな汗がにじみ出た。  怒るなのは――それは恭也にとり、恐怖以外の何者でもない。  悪(いお兄ちゃんは)・即(座に)・撃(つの)。  それこそが、なのはのロウでありジャスティス…… 「くっ! だが事をここまで大きくした以上、どっちにしろなのはは怒るっ!  そして俺に、“また”ゼロ距離からスターライトブレイカーを喰らわせるに決まってるんだっっ!!  ――ならば毒喰らわば皿まで!」 「でも…… これ以上大きくしたら、一発が二発、二発が三発に……」 「同じだっ!」  くわっ!と恭也は目を見開き、怒鳴る。 「きゃっ!?」 「俺はやるぞっ! 正義は我にあり! なのはにとて、むざむざやられはせん! やられはせんぞおっ!」  血走った目で、恭也は吼えた。  お仕置きに対する恐怖から、完全に自分を見失っている。 「ま、待ってください!」 「え〜い、離せフェイト嬢! このままでは武士の……剣士の一分が立ち申さん!」 「わ、私も一緒に謝りますから!」 「……へ?」 「私も、恭也さんと一緒に謝ります!  それでももし……もしなのはが“スターライトブレイカー”って言ったら……  私が代わりに受けますから…………」 「や、流石にそれは……」  「人として終わってる」と言いかけ、その言葉を飲み込んだ。  ……ようやく気付いたのだ。フェイトが泣いていることに。  えぐえぐ…… 「お、お願いですから、止めて下さい…… 私のせいで恭也さんとなのはがけんかしたら、私、私……」 「あ゛〜〜 分かった、分かりました。暴れないしケンカもしないから」  ぽんぽん  泣く子とフェイト嬢には勝てない。  恭也は困った顔をしながらフェイトの頭を軽く叩き、あやす。 「ほ、本当ですか……」 「ああ、本当だとも」  涙交じりの顔で自分を見上げるフェイトに、恭也は大きく頷いた。  ……ぶっちゃけ、毒気抜かれて怒りも恐怖も萎んで消えてしまった。  これを聞き、フェイトは顔を綻ばせる。 「ありがとうございます! 私、絶対なのはを説得してみせます! 駄目でも、恭也さんの盾になりますから!」 「……や、流石にソレは人としてどうだろう?」  ……今までなのはとはやてを散々盾とか矛にしてきたクセに、今更である。  それを知っているフェイトも、納得できないと不服そうだ。 「でも……」 「じゃ、じゃあ『二人で一緒にスターライトブレイカーを受ける』ということで……」 「……わかりました」  渋々と頷くフェイトを見て、恭也は内心大きな溜息を吐いた。  ……なのはが余計怒りそうな気がするのは、何故だろう? <3> 「……しかし、これからどうするかなあ〜」  何時“ゲート”が解除されるかは不明だが、少なくとも今日明日は閉鎖されたままだろう。  その間何処でどうすべきか、と恭也は嘆息する。 「? はやての家に帰るのではないのですか?」 「や、はやてのやつ、最近ようやっと落ち着いてきたんだよ。だから帰宅ペースを崩したくない」 「でも、じゃあ……?」  フェイトは怪訝そうに恭也を見た。  彼女とて、実家(八神家)を出た恭也の懐状態は承知している。  ……正直、彼がその間の宿泊費を持っているとも思えない。というか、食費すら危うかった。  と、予想通りこの男はトンでもないことを平然と口にする。 「ま、手ぶらだが数日のことだし、八束神社の裏山で過ごすさ」 「もう12月ですよ!? 夜は氷点下ですよ!? 死にますって!!」 「なに、何とかなるさ」 「なりませんよ! ご飯だってどうする気です!? どうせお金だって、ほとんど無いのでしょう!?」 「まあ茸・山菜・獣・魚……後は昆虫?」 「い、いやああああーーーーッ!?」  がしっ!!  フェイトはマジ泣きで恭也の腕をとり、引き止める。 「う、ウチに来て下さい! お泊めしますからっ!」 「や、それ不味いって」 「大丈夫です! アルフは定期健診で今日と明日いませんから、家には私しかいません! 私達が黙っていれば誰にも――」 「それ、余計に不味いって」  フェイトの勧めに、恭也は苦笑しながら首を振る。  ……この男にも、その程度の判断力はあったのだ。  だが、フェイトは尚も食い下がる。 「じゃ、じゃあせめてご飯だけでも! お願いですから昆虫は……昆虫だけはっ!?」 「結構香ばしくて、最初の一口はいけるぞ?」 「うぷ……」 「大丈夫か?」 「大丈夫じゃないですよ……」  気持ち悪そうに胸を抑え、フェイトは抗議した。  同時に納得する。ああ、だからアレ(たい焼き)が平気だったんだ、と。 「ま、そんなわけで」 「ああ、待って!?」  フェイトは去ろうとする恭也の腰に必死に掴まり、行かせまいと踏ん張る。  が、悲しいかな非力の上に軽量級、あっさり引き摺られていく。  ずりずり…… 「……しつこいぞ、フェイト嬢」 「うち、この間新しい炊飯器買ったんです! 今流行の“高級炊飯器”ってやつを!」  ピタッ  恭也の足が止まった。 「……フェイト嬢は、確かパン派だったのでは?」 「あ、はいそうでしたけど、はやての家で高級炊飯器で炊かれたお米をご馳走になったら美味しかったので」  ……そして、その際に恭也が“高級炊飯器”で炊かれたお米を大層気に入っていることも耳にしていた。  それ故の言葉だった。 「……味噌汁の具は?」 「え? え〜と、え〜〜と……あ、太く切ったお葱と大根を山ほどっ!」  恭也は、葱と大根をブツ切りにした味噌汁をこよなく愛していた。  米とコレさえあれば何もいらぬ、という程に。  だから……恭也はあっさりと前言を翻し、頷いた。 「ふむ…… では馳走になるとするか」  この男の判断力など、所詮この程度であった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【4】 <1> 「ふむ…… では馳走になるとするか」  恭也はあっさり前言を翻し、フェイトの家へと訪れることに同意した。  確かに八神家の面々にばれたらヤバいけど、黙っていれば大丈夫。 ――そう自分に言い聞かせて。  (もしこの判断が甘かったのだとすれば、“艶々ご飯”と“大根と葱の味噌汁”に目が眩んだのであろう)  これを聞き、フェイトの顔がぱあっと明るくなった。 「ほ、本当ですかっ!?」 「ああ、本当だとも。 ……で、飯と味噌汁の件、確かに相違ないな?」 「もちろんです! 私、がんばりますねっ!」  ぐっ!  恭也の念押しに、フェイトは腕を捲くって力強く宣言する。  そして「今日はごちそうだっ!」と、気負って訊ねた。 「あの、おかずは何にしましょう?」  お金は……ある。正確には、使用限度額「たくさん」のカードが。  (※非常勤とはいえ、フェイトは恭也など足元に及ばぬ高給取りなのだ!) (ああカード持ってて良かった♪)  「これなら大丈夫」とフェイトは買う気満々で微笑む。  ぶっちゃけ「そうだな――」と恭也が上げたもの全部、それも最高グレードのものを買うつもりだ。  ……何故だろう? 既に当初の目的を見失っているような???  だが米や味噌汁の時とは違い、恭也はさして興味無さそうにぱたぱたと手を振った。 「何でもいい、任せる。 ……と言うか、どんぶり飯と味噌汁だけでも構わんが」 「あう……」  そのあんまりな返答に思わず挫けそうになるフェイトだったが、せっかくのチャンスをここで逃す訳にはいかない。  諦めたらそこで試合終了、とばかりに食い下がる。 「あの、さすがにお味噌汁だけは…… よく一汁○菜とも言いますし……」 「なに、大根と葱を景気よく入れれば汁と菜を兼ねるさ。俺のことは気にせず、フェイト嬢の好きなものにしてくれ」 「え、え〜〜と、毎日決めるのって結構骨なんですよ。どうしても偏っちゃいますし。  ですから、できれば恭也さんの意見も聞きたいな〜〜って」 「むう、確かに……」  恭也はなるほどとばかりに頷き、腕を組む。  これに手応えを感じ、フェイトは畳み込んだ。 「食べたいもの、挙げてくれたら助かります♪」 「う〜〜〜〜む」  暫し腕を組んで考えていた恭也が、ぽつりと呟いた。 「……冷蔵庫の中を見て、決めようか」 「……はい?」  思わず、フェイトは聞き返す。  ……何故に?  首を捻る彼女に、恭也は淡々と指摘した。 「正直、こんな状況じゃあ俺達買い物なんてできないだろ?  だから、必然的にフェイト嬢の家にある食材だけで作ることになる」  ……正論である。  (加害者と被害者の差はあれど)二人とも手配されている以上、暢気に買い物などできる筈が無い。  たちまち見つかり、先の繰り返しだ。  だが、それだけが理由ではない。  実のところ、恭也はフェイトの思惑にある程度気付いていたのだ。 (きっとフェイト嬢のことだから、気を使ってご馳走を作ろうとするに違いない)  それは、流石に悪い。だから遠慮したのである。 「あうあう……」  とはいえ、フェイトからしてみれば意気込みに冷水を掛けられたようなもの。がっくしだ。  それに―― (家に食材なんて、今ほとんどないよ……)  冷蔵庫の中身を思い出しつつ、フェイトは嘆息する。  二人暮らしということもあり、ただでさえ食料在庫が少ない所へもってきて(食糧消費の大半を占める)アルフの不在である。  なけなしの買い置きなど、前日に全て使い切ってしまった。  小食の自分だけならどうとでもなる、それよりもこれを機会に冷蔵庫の中身を一新してしまおう。  ――そう考えたのが裏目に出たのだ(私の馬鹿っ!)。 (缶詰なら……あったよね?)  フェイトは、必死になって戸棚の奥の奥まで思い出そうと試みる。  だが乾パンとドッグフード以外どうしても思い出せない。このままではホントに「ご飯とお味噌汁だけ」になりかねなかった。 (恭也さん…… うちは大家族の八神家とは違うんですよ……)  冷蔵庫や食料庫に食料ぎっしりの八神家を思い出し、フェイトは内心愚痴った。  そして、(やはり内心で)頭を抱える。 (どうしよう……)  出された食事を見て、きっと恭也はがっかりすることだろう。  それに……それにこのままでは、腕の揮いようがないではないか。 (「踏んだり蹴ったり」って、こういうのを言うんだよね?きっと)  「なんで私ってば、いつもこうなのかな?」と、フェイトは恨めし気に天を仰ぐ。  ……神さま、そんなに私が嫌いですか?  もしこれがはやてやなのはなら、強引に恭也にねじ込んだことだろう。  (※魔法を使えば、警官の目を掻い潜って買い物することとて不可能ではない)  だが、彼女にそこまでの気概はない。ただただ己の不運を嘆くのみであった。 「じゃあ、そろそろ行くか?」 「あ、待って下さい」  出入り口へ向かう恭也を、フェイトが気を取り直して呼び止めた。 「どうした、フェイト嬢?」 「念のため、魔法で帰りましょう」 「魔法? ステルス(不可視)付与の飛行魔法か?」 「いえ、テレポート(瞬間転移)です。はやてみたいに次元間や中長距離は無理ですけど、短距離で行き慣れた場所なら……」  フェイトは恥ずかしそうに説明する。  次元間転移を平然とこなすはやてを見て「自分も」とばかりに訓練したのだが、どうやら自分にはそういった才能が無いらしい。  結局ものになったのは、同次元内での短距離転移のみ。  それも大魔力による力技で、とことん非効率なものだった(正直、使えない魔法だ)。  だがこれを聞いた恭也は感嘆し、フェイトを褒める。 「いや、大したものだぞ? 転移なんて、やろうったって出来るものじゃあない」 「それはそうなんですけど……」 「是非、体験させてくれ。で、俺はどうすればいい?」 「あ、私にしっかりと掴まって下さい。接触はできる限り多めに」 「……こうか?」  ぎゅっ  恭也はフェイトにしがみつく……というか抱きしめた。 (ッ!?)  正直、抱きかかえられたりしたことは何度もあったが、真正面から抱きしめられるのは初体験である。  思ってもいなかった事態に、一瞬フェイトは内心慌てふためく。  ……そして、直ぐにふにゃあとなった。 (はう〜〜♪)  はやての気持ちがわかる様な気がする。確かに、これはなかなか……  恭也の匂いと温もりと感触に、頭がぼ〜っとする。  確かにこのまま眠ってしまったら、さぞ気持ちがいいことだろう。 「……フェイト嬢?」  不審に思ったのか、恭也が声をかけた。  が、この程度では既に夢見心地のフェイトを覚醒させるには至らない。 (はい恭也さん、今行きますよ……)  何処か遠くから聞こえた声に、フェイトは夢うつつ状態で返事をし、転移魔法を発動した。 <2>  ――さて、時は少し遡る。  恭也とフェイトがビルの屋上で絶句していた丁度その時、無人のフェイト宅を訪ねた人物があった。  その名はリンディ・ハラオウン。フェイトの義母である。 「あら? もう帰ってる筈だと思ったのだけど…… お友達と寄り道でもしてるのかしら?」  義娘の不在に首を傾げつつも鍵を開け、リンディは中へと入る。 (まあ直ぐに帰るでしょう。それまでに夕食の準備でもしましょうかしら……) 「〜〜〜〜♪」  フェイトと会うのも数週間ぶりだ。嬉しくない筈が無い。  自然に頬が緩み、足取りも軽くなる。  ……が、直ぐに顔つきが厳しいものとなった。  リンディにとって甚だ不本意だが、今回の来訪においてフェイトと会うことは“従”に過ぎない。  そのことを思い出し、それに心を痛めたのだ。  リンディは「“海軍”中将」「提督」として、1個艦隊の司令長官を務める管理局要人の一人である。  (※この場合の「提督」は、海将に対する敬称ではなく「上級艦隊指揮官資格」保有者のこと)  故にその責任・立場は極めて重く、とかく忙しい身の上だ。  ただ「義娘に会う」というだけで、そうそう気軽に任を離れることはできない。  (※如何に家庭を大事するミッドチルダ文化であっても、彼女ほどの地位の公人ともなれば公の方を優先することが求められる)  それでも私を優先し仕事を繰り延べて海鳴に来たのは、「責任を感じてのこと」と「申し訳無さ」のため。  アルフが数日間家を空けると聞き、フェイトが一人きりとなるのを心配してのことであった。 「あれから一年以上経ってるけど…… やっぱり不安よねえ」  そう呟き、リンディは嘆息する。  ああ、思い出したら胃が痛くなってきた……  今から一年前、ふとしたことでクロノの“秘密の嗜好”が明るみとなった。  それは、家族――新しくできた義妹――に対する偏愛。  それも表に出すことなく、コソコソと裏で蠢いてのもの。  非の打ち所の無い、優秀な自慢の息子だと思っていたのに。信じていたのに…… (やっぱり、寂しかったのかしら……)  気持ちは分からなくも無いのだ。  小さい頃に父を失い、母であるリンディも多忙で、ろくに構ってあげられなかった。  だから、もしかしたら家族というものに飢えていたのかもしれない。  ……ああ、師匠兼姉貴分のリーゼ姉妹によくおもちゃにされていたようだから、或いは妹という存在に憧れていたのかもしれない。  だが、だからと言ってフェイトの行動を監視・束縛する理由にはならない(それも表は何食わぬ顔でいながら、だ!)。  何より問題なのは、今まで無関心だったクセに義妹になった途端に掌を返したこと。  リンディは再度嘆息する。 (クロノがフェイトそのものを好きで、フェイトもクロノが好きだったなら、認めてあげたのだけれど……)  だが、現実はその逆だ。  クロノはフェイト個人ではなく義妹という存在を愛しており、一方のフェイトもクロノのこの行動を(引くと同時に)警戒している。  これでは認めるも何も無い。と言うか、至急クロノを矯正すべきであろう。  リンディはリベラルだったが、変質者だけは許せなかった。  ……たとえそれが血を分けた息子であっても、いや「だからこそ」。 「せめて、恭也くんみたいにスマートにやってくれてたらなあ……」  思わず、リンディは愚痴った。  恭也もクロノ同様、家族に対して偏愛的なところがある。  事実、“娘”はやてや“妹”なのはに対するスキンシップは相当ディープだ。  だが実際には、恭也、はやて、なのはの三人は法的な家族関係に無い。  単に自分達が勝手にそう言っているだけだ。  リンディの見る所、恭也ははやてやなのはを愛しているからこそ、家族に招き入れた様に見える。  愛しているからこそ、より深い関係に――  うん、悪くない。ことに招かれた二人が喜んでいるところが素晴らしい。  リンディはリベラルである。だから、三人が幸せなら無問題だった。 (クロノもこういうところを学んでくれたら……)  ……一応念のために言っておくが、上はあくまでリンディの個人的見解である。  世間一般から見れば恭也もクロノも同じ穴の狢、五十歩百歩、二人とも“アレな人”に違いは無い。  (むしろ隠してる分だけ、クロノの方がマシかもしれない……)  だが「隣の芝生は青い」というように、彼女の目には青々と見えたのである。  そこまで彼女は精神的に追い詰められていたのだ。  一人リンディは呟いた。 「とりあえずクロノはエイミィに任せる(←諦めた)として、後はフェイトに期待するしかない、か……」  幸い、フェイトは非常に優秀だ。  親友の事故にパニック状態となり、残念ながら去年の執務官試験は不戦敗だったが、 立ち直った今年は数次に渡る試験をトップクラスで突破している。  残る最終試験もきっと潜り抜け、優秀な成績で合格してくれることだろう。  (……と言うか、ここまで来たら落ちる要素が見当たらない)  性格も捻くれたクロノとは違い、純真無垢―― 「問題は、ここね……」  リンディは苦笑する。  フェイトの唯一にして最大の欠点は、「あまりに純粋かつ素直すぎること」。  今はまだいいが、もう少し砕けないと今後かなり苦労することだろう。  ……それに、なのはとの関係も不安だ。  ことになのはが泊まった後、その匂いが付いた毛布を抱きしめて陶酔するフェイトを見ると、 彼女の今後に一抹の不安を抱かずにはいられない。  リンディはリベラルだったが、同性愛だけは勘弁して欲しかった。 (……フェイト? お義母さん、信じていいのよね?)  兄妹それぞれの将来に不安を抱きつつ、リンディは廊下を歩いた。 「……あら?」  廊下を歩いていると、フェイトの部屋のドアが開いていることに気付いた。  ……これは、私に入れと? 「無断侵入は母親の特権なのよ〜〜♪」  何気なく、と言うか確信犯的にリンディはフェイトの部屋へと足を踏み入れる。  そして、直ぐに目を丸くした。 「何、これ……」  部屋に入ってまず目に付いたのは、巨大なぬいぐるみだった。  それは、優に大人一抱え分はあるであろう巨大な黒ウサギのぬいぐるみ。  だがその目付きは鋭く、お世辞にも可愛いとは言えない。  にも関わらず、数あるぬいぐるみ達の中で最も取り出し易く、かつ目立つ位置――“特等席”というヤツだ――に置かれている。 (……もしかして、お気に入り? これが???)  リンディは首を傾げつつ手にとり、あちこち動かして観察する。  すると、撫でられたり抱きしめられたりした痕跡が多数見受けられた。  ……どうやら、かなりの寵愛を受けているらしい。  こんな可愛くないぬいぐるみの、いったい何処が気に入ったのだろう?  思わず眉を顰め、ぬいぐるみを凝視する。 (やっぱり、かわいくないわよねえ?)  悪いが、フェイトの審美眼を疑ってしまう。  ……あの子、本当に大丈夫だろうか?  この人形、生地は中々いいものを使っているし作りも丁寧だが、肝心のデザインが致命的悪すぎる。  ことにその目付きは、何処か人を小ばかにしているようにも――あれ? 「誰かに、似てる?」  自分で言って気が付いた。確かにその表情は、身近な誰かを想像させる。  だが、その名が出てこない。喉元まで出掛かっているのに出てこない。 ……誰だっけ? 「ん〜〜?」  暫し考えるも徒労に終わったため一時保留とし、次に移ることとした。  リンディは部屋をぐるりと見渡たし、次の“獲物”を探す。  と、机の上に置かれた写真立てと、壁に貼られた多数の写真が目に入った。  写真立てを手に取って見ると、フェイトを中心にリンディとクロノが写っている。  ……フェイトが養子に来た時に写したものだ。 「あら、クロノも嫌われてはいないみたいね」 (良かった……)  思わず安堵の溜息を漏らす。  引いたり警戒したりはしているものの、一応家族として受け入れているらしい。実に優しい子だ。  リンディは軽く微笑みつつ、写真立てを戻した。  そして、今度は壁に貼られた写真へと目を向ける。  こちらの写真には、フェイトと共になのは、はやて、アリサ、すずかといった友人達が写っていた。 「これは――お友達との写真ね」  几帳面にも古い順に並べられているため、実にいろいろ分かり易い。 (ああ、やっぱりなのはちゃんが一番なのね。はやてちゃんも後から登場した割に中々。 ……やっぱり、同じお仕事だからかしら?) 「…………?」  写真の時代が新しくなるにつれ、微笑んでいたリンディの表情が困惑気味に歪んできた。  少女達――せいぜい偶に同年代のユーノが写る程度――の中に、一人の青年の姿が見受けられるのだ。  年齢、性別共にかけ離れた存在なので、えらく目立つ。  その青年の名は高町恭也。八神はやての父を名乗る人物だ。 「……なんで恭也くんが?」  リンディは酷く困惑した様に呟いた。  いや、なのはやはやてと深い関係にある彼のこと、それだけなら然程不思議なことではないかもしれない。  ……そう、ほんの数枚程度ならば。  だが時代を経るにつれ、飛躍的に写る率が増えていく。  心なしか、フェイトとの物理的・精神的な距離すら近くなっている様にも見受けられる。  特にここ最近になると、遂には二人きりで写されている写真すら複数登場し始めた。 「これは…… 時期的に、恭也くんが臨時にフェイト付になった時ね」  写真の日付を確認しつつ、リンディは当時のことを思い出した。  当時、アルフの急な退役により、フェイトの補佐役が空席となってしまった。  ……まあフェイトの能力からすれば、そのまま単独行動に移行するのが普通だったろう。  だがフェイトの未熟さ――ことに精神的な――を痛感していたリンディは、新たな補佐役(兼教育役)を付けることとした。  とはいえ何しろ急なこと、人物的にも能力的にも信頼できる人物など用意できる筈もない。  ましてや極度の人見知りであるフェイトに、となると絶望的だ。  結局、リンディが補佐役として選んだのは恭也だった。  必要最低限の条件は満たしているし、まあ適任者が準備できるまでの一月かそこらなら大丈夫だろう、と判断してのことだ。  (何より、フェイトの使い魔であるアルフが「アイツでいいよ、ヒマそうだし」と勧めた?ことが大きかった)  要するに代役、義娘の補佐役に抜擢するのだから信頼はしているが、単なる護衛以上の期待はしていなかったのである。  だが、この一月程の間にフェイトは大きく成長した。  ことに戦闘力の向上は著しく、今までの猪武者的な行動が影を潜め、戦い方に深みが出てきた。  これなら補佐役は必要ない。 ――リンディがそう判断するほどに。  (※同時にリンディの中で、恭也に対する評価が大幅に上昇した。    以後、彼女は恭也を単なる“一騎駆けの武者”ではなく、人の上に立てる人物として認識することとになる)  リンディは、恭也に心からのお礼を述べた。  『ありがとう、恭也くん。これでフェイトも一人で行動できるようになったわ。名実共に一人前ね』  『いえ、少し意識改革をしただけに過ぎません。正直、フェイト嬢程の才能なら誰が指導しても同じかと』  『そんなことないわよ。あなたは指導者としての才能があるわ。 ――どう? もしよければ、教官職を手配してあげるけど?』  謙遜する恭也に、リンディはお礼を兼ねた提案を提示した。  もし頷けば、明日にでも三等陸尉の位階と陸戦教官の職位が手に入ったことだろう。  だが、恭也は大きく首を振って辞退した。  『折角のお申し出ではありますが、俺は常に前線にありたいもので。 ……できることならば、その最期の瞬間まで』  その言葉の意味することに気付き、リンディは顔を曇らせた。  ……この青年は、戦えなくなる前に戦って死ぬことを望んでいるのだ。  だがそれが彼の望みならば仕方無いだろう。  彼の人生は彼のもの、他人がとやかく口を出すことではない。  『……そう。でも、お礼はさせてくれないかしら? 以前フェイトを助けて貰った分も含めて』  『助けたのは妹のおねだりを聞いただけ、使い魔役も仕事のうちです。礼など必要ありませんよ』  『そう言わずに――』  あくまで首を振る恭也に、それは困るとリンディは食い下がる。  そのしつこさに恭也も一瞬困った顔をするが、直ぐに何か思いついた様にいたずらっぽい表情で笑った。  『いや……貰いましたか』  『?』  『礼ならば、既にフェイト嬢から頂きました。ですから、これ以上は不要です』  『フェイトから? ……何を?』  『フェイト嬢にお聞き下さい。ではこれにて失礼……』  『あ、ちょっと――』  ――そこまで思い出した所で、リンディの表情が変わった。 「ッ!?」  当時は何気なく聞き過ごした「礼ならフェイト嬢から貰った」発言だが…… (まさか…… まさかまさかまさかっっっっ!?)  がばっ!  リンディは真っ青になって壁にへばり付き、写真を凝視する。  僅か一月程の間にしては、多過ぎる写真。近過ぎるお互いの距離と表情――  ――ああ、そういえばフェイトがバリアジャケットを変えたのも、普段の髪型をツインテールにしなくなったのも、丁度この頃だ。 「!」  そして、ようやく気付いた。あの黒ウサギの目付きが、恭也に似ていることに。  ふらっ  その衝撃に、立ち眩みでよろけてしまう。  ……もしや、自分は取り返しの付かないことをしてしまったのではないだろうか?  思わず最悪の事態を想像してしまい、リンディは慌てて頭を振って自分に言い聞かせる。 (駄目よ、リンディ。フェイトと恭也くんを信じてあげなくちゃ。  私の娘、私の部下、信じないでどうするの!  ……ああ、でも私もフェイトと大して歳も変わらない時にクライドとっ!?) 「と、とにかく一度フェイトと話し合わないと……」  早計は禁物である。まずは落ち着いて話を聞くべきだろう。落ち着け、私……  思考が負のスパイラルに陥いりかける寸前で、リンディは何とか引き返すことに成功した。 「……?」  その直後、リンディは空間の歪みを感知した。驚いて顔を上げる。 「これは……空間転移魔法?」  同時に強大な魔力も感知した。フェイトの魔力だ。 「……わざわざ空間転移で帰るなんて、一体どうしたのかしら?」  フェイトの空間転移の非効率さを知るリンディは、しきりに首を傾げる。  ……え? しかもこの部屋に直接???  空間の歪みは徐々に大きくなり、やがて魔方陣を形成。  光の繭に包まれた転移対象をベットの上に落して消滅した。  そして実体化したフェイトを見て――――リンディは絶句した。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【5】 <1>  フェイトの転移魔法は凄かった。 (うう、酔いそう……)  はやてやヴォルケンズとの付き合いで、それなり以上に転移を経験している恭也だったが、彼女のこれは――  光に包まれてやたら眩しいし、まるで無重力状態にでもあるかの如く平衡感覚が無い。  おまけに恐ろしく乱暴な運転をしている車の助手席に乗っている感じで、“乗り心地”も最悪である。  ぶっちゃけ、下手、乱暴。(まあ比べる相手が悪過ぎるかもしれないが、それにしても……)  これにはさしもの恭也も根を上げた。 (正直、早いトコ開放して欲しいのだが……まだ着かないのか?)  高々歩いて30分程の距離にも関わらず、中々転移が終了しない。  や、せいぜい数分のことだとは思うのだが、やたら長く感じてしまうのだ。  ……こんなことなら、彼女には悪いがステルスモードの飛行魔法の方が良かったかもしれない。 (けど、アレはアレで格好悪いしなあ……)  フェイトに抱えられ、或いはぶら下がって運ばれる自分の姿を想像し、恭也は苦笑する。  “使い魔”時代に散々経験したことだが、あれは実に情けなかった。  ……………………  ……………………  …………………… 『フェイト嬢、フェイト嬢』 『? 何ですか、恭也さん?』 『今通り過ぎていった魔導師を大至急追っかけてくれ、ぷりーず』  あの野郎、俺を見て笑いやがった。  まあ気持ちは分かる。  何せ、大の男が11歳の少女に抱かかえられて飛んでるんだ、そりゃあ笑いたくもなるだろうさ。  つーか、俺だって他人事なら笑うぞ……  ……けどな? 「それはそれ、これはこれ」で腹が立つことに変わりは無いんだよっ! くそう、殴っちゃる!  だが、いきり立つ俺を不思議そうに見つつ、フェイト嬢はあっさり首を振った。 『無理ですよ。もうあんなに遠くに行っちゃいましたし』 『ほわいっ!? この程度、フェイト嬢なら楽勝だろっ!?』 『この空域では、演習場以外での超音速飛行は原則として禁止されているのですよ。現在の速度はM0.5、法定速度ギリギリですね』 『うわあ…… なんて夢も希望も無い現実的な理由……』  一体ここは何処の高速道路だよ。 ……もしかして、道交法みたいなのがあるのだろうか? 『なら、せめて姿を隠してくれ。ほら、ステルスなんたらとかゆー奴』 『……ごめんなさい、恭也さん。飛行交通法で、やっぱりステルスモードでの飛行は禁止されているんです』 『あ、やっぱりあるんだ……』  ファンタジーのクセに、世知辛い話だなあ……  ……………………  ……………………  …………………… (いやあ、実に懐かしい)  恭也は、どこか遠い目で過去を思い出す。  他人の目さえ気にしなければ、あの頃は実に快適だった。 (……尤も、「他人の目」以上に「自分の目」がキツかったけどな)  「我ながら狭量なことだ」と苦笑する。  この世界では、子供が上司として大人を指揮するのは一般的……とまでは言えなくとも、そう珍しいことではない。  だから、そう恥じることではないのだ。寧ろフェイト程の魔導師の補佐役なのだから、むしろ誇って良い。  ……だが恭也には、それが出来なかった。  フェイトが実力実績人格共に申し分無い、得難い上司だということは理解していた。  そして、無能な自分を如何に厚遇してくれていたかも理解していた。  それでも、出来なかった。一時的なら兎も角、「永続的に」など到底許容できなかった。  意地っ張り。 ――そう言ってしまえばそれまでだが、それこそが正しく彼の「譲れない一線」だったのだ。 (……お?)  そんなことをあれこれ考えている間に、眩しい程だった光が急速に薄れてきた。  同時に、徐々にだが平衡感覚も戻ってくる。  ……どうやら、ようやく到着したらしい。 (やれやれだ……)  恭也は安堵の溜息を吐いた。  だが、ここで問題が一つ。  この感想はフェイトに伝えるべきだろうか?  ……それとも、お世辞でも褒めるべきか?  自分的には正直に言った方がいいと思うのだが、何しろ今はフェイトが立ち直ったばかりで間が悪い。  ここはやはりお茶を濁すべきだろうか? (言うべきか言わぬべきか――それが問題だ。 ……むう?)  戻ってきた感覚が、第三者の存在を探知した。しかも、これは―― (ヤバい……)  内心、恭也は滝の様な汗を流す。  ……アルフなら、まだ良かった。そりゃあ何発か喰らうだろうが、考えが読めるし話も通じるから大事には至らない。  だが、よりにもよってリンディ提督とは……  付き合いが浅いため反応が読めないが、顔面蒼白で絶句していることから考えて、どうもロクなことにならなさそうだ。  畜生、フェイト嬢は誰もいないと言っていたのに…… (この状況じゃあ、冷静には話し合えないだろうしなあ〜)  そのあまりのタイミングの悪さに苦笑する。  現在、恭也は「ベッドの上で」「フェイトを押し倒した状態」にある。  ぶっちゃけ人生オワタ\(^o^)/状態、逃げようにもフェイトが背にしっかりと腕を回しており、脱出困難だ。  あははは…… もう笑うしかねえ……orz  だがその時、視界に巨大な黒ウサギのぬいぐるみが入った。 (おおっ! 天はまだ俺を見放していなかったか!)  恭也は鋼糸でぬいぐるみを呼び寄せ、(匂いと体温でばれない様に)ジャケットで包むと自分と入れ替えた。  そして、リンディが放心してる間に急ぎ部屋を出ようと試みる。 「じゃ、そういう訳で――ぐぇっ!?」  がしっ!  ……が、脇を通り過ぎようとした瞬間、リンディに奥襟を捕まれてしまった。脱出、失敗。 「……恭也くん? ちょ〜〜っと、お話聞かせてくれないかしら?」 「や、ボク忙しいんで……」 「私、恭也くんに聞きたいことや言いたいこと、いっぱいあるの」  そう言って、額に幾つも青筋を浮かべて実にいい笑顔で笑うリンディ。  ぞくうっ!  先程から警報を鳴らしっぱなしだった本能が、過去最大級の警報を鳴らす。  ニゲロ、ニゲロ…… (ヤバい……この人、マジで切れてるよっ!? もしかしなくても俺、殺されるっっ!!??)  ……その判断は正しい。実の所、リンディに話し合う気など更々なかった。  話し合いは話し合いでも肉体言語ならぬ魔法言語で話し合う気満々、このままでは恭也の運命は風前の灯だ。  ずるずる…… 「ちょっ!? 首っ、首がっっ!?」  奥襟を掴まれたまま引きずられ、恭也は堪らず悲鳴を上げる。  が、リンディはガン無視で引きずり続ける。 (くっ! このままでは……)  心底から命の危険を感じた恭也は、何としてでも逃げることを決意した。  先ず眠っていたノエルを叩き起こすと、土下座せんばかりの勢いで泣きつき、なんとか協力をとりつける。  そして、逃走を開始する。 (神速! 神速! もういっちょ神速っ!)  ……こうして、ノエルの協力と切り札中切り札“神速”の大盤振る舞いにより、恭也は辛くも虎口を脱することに成功した。  後でフェイトが上手く誤解を解いてくれることに、一縷の望みを繋げながら。 <2>  ずるずる、ずるずる ごとごと、ごとごと……?  その感触の変化に気付き、リンディは後ろを振り返る。  と、そこに恭也の姿は無かった。恭也の奥襟を掴んでいた筈の手は、何故か椅子を掴んでいる。  いったい何時の間に……  唯一の逃げ場であるフェイトの部屋に引き返すと、窓が大きく開け放たれていた。  慌てて窓から顔を覗かせるが、もはや恭也は影形も無い。(ちなみにここは高層マンションの最上階だ) 「くっ! 何て逃げ足の速い!」  リンディは盛大に舌打ちした。  だが逃げ出した以上は罪を認めたようなもの、直ぐに追いかけて八つ裂――そこまで考えたところで、慌てて首を振る。  いやいや、どんなに卑劣な犯罪者であっても弁明の機会は与えるべきだろう。  (ちなみにリンディが思い描く裁判の人員構成は、裁判長兼検事がリンディ、弁護人がなのは&はやて、証人がフェイト、となっている)  それにどうせ逃げたところで最終的に帰るところは決まっているのだから、慌てることも無い。 「ふう……」  僅かに残った理性を総動員して気を静めると、ベットに視線を戻す。  そこには黒ウサギに抱きつき、すやすやと眠るフェイトの姿があった。  はあ〜〜  この光景に溜息を吐きつつも、事情を聞きだすべくリンディはフェイトの体を揺する。 「フェイト、起きなさい、フェイト――」 「む〜〜?」  何度も大きく体を揺すられ、フェイトはゆっくりと目を開ける。  そして、ぼんやりとした表情で暫く抱きついていたモノを眺め――パニックを起こした。 「きょっ、恭也さんが何時の間にか“きょーやさん”にっ!?」 「……そのぬいぐるみ、“恭也”くんって言うの?」  やはりと思いつつも、「そこまでか」とリンディは思わず訊ねる。  と、フェイトは「む〜〜」と抗議の声を上げた。 「違うよ、お義母さん。“恭也くん”じゃなくて“きょーやさん”!」 「……きょーやくん?」 「ちがうよ! “きょーやさん”、“さん”まで名前なのっ! 恭也さんそっくりで、かわいいでしょう♪」  にぱあ〜〜  ……どうやらまだ寝惚けているらしく、普段からは考えられない程の幼い口調と表情だ。  このあどけなさに、リンディは思わず微笑んでしまう。  ああ、やっぱりいいなあ…… 私、本当は女の子が欲しかったのよ……  同時に、燻っていた恭也への怒りが改めて燃え上がる。  おのれ…… よくも私の娘を…… 残された唯一の希望を…… 「! そうだ、恭也さんは!?」  ようやく完全に覚醒したフェイトが、慌ててきょろきょろと恭也を探す。 「“きょーやさん”ならそこにいるじゃない」 「ちがうよ! 本物の恭也さんだよ――って、お義母さんっ!? なんで!?」 「ちょっと用事があったの。あと、恭也くんならもう帰ったわよ」 「!?」  開け放たれた窓をリンディが指し示すと、フェイトは絶句し慌てて窓へと駆け寄った。 「きょ、恭也さ〜〜ん!?」 「ちょっ、ちょっとフェイト!?」  今にも窓の外に飛び出さんばかりのフェイトを、リンディは慌てて押さえつける。  が、フェイトは手足をじたばたと動かし、泣き叫ぶ。 「お願いだから戻ってきて下さ〜〜〜〜い!!」 「……あなた、家に誰もいないのを承知で、恭也くんを招き入れたの?」  リンディの目が険しくなるが、フェイトの耳には届かない。ただ変わらず泣き叫ぶだけだ。 「昆虫は、昆虫は嫌ああああっ!?」  ……昆虫って何?  どうも話が妙な方向に進みかけていることに気付き、リンディはフェイトの目を見て強い口調で訊ねた。 「フェイト、いったい何があったの?」  ……………………  ……………………  …………………… 「はあ〜〜〜〜」  全てを聞き終えた後、出てきたのは深い深い溜息だった。  ……そうか、それでスーパーから出たら、あんなに警官でいっぱいだったのか。納得。  しかし、それにしても…… (実際“内”に入ってみると、結構キツイわね……)  恭也とはやて・なのはのじゃれ合いは、確かに傍から見れば微笑ましい。  だがそこに自分の娘も入って実際に当事者となってみると、笑ってばかりはいられなかった。  ……と言いますか、前言(※第4話参照)を撤回させて下さい。  恭也くんは、クロノとはまた別の意味で困った子です。  だが、一番の問題は―― 「お願い、お義母さん! 恭也さんを助けてあげてっ!」 「はあ〜〜〜〜」  目を潤ませてお願いするフェイトに、リンディはもう一度大きく溜息を吐く。  幸い、一連の事情聴取の過程で“最大の懸念”は杞憂だったと判明した。  だが同時に、フェイトが恭也に対して特別な感情を抱いていることも判明してしまった。  かつて、なのはだけの特等席だった場所に、何時の間にか恭也の席が設けられていたのである。  ……まあ流石に席次的にはやはりなのはの方が上位らしいが、フェイトの女性としての成長が、 その差を徐々にだが埋めつつあるようにも思える。  つまり、フェイトは恭也に恋しているのだ。 ――そう結論づけたリンディの表情が、盛大に歪んだ。 (……フェイト、あなた趣味が悪すぎよ?)  思わず、頭を抱えてしまう。  確かに恭也くんはいい子ではあるけれど、それ以上に困った子だ。  おまけに歳が大きく離れている上、魔力・学歴・職業・収入・財産といった所謂“男の甲斐性”がまるでない。  およそフェイトに相応しくない男性だ。  ……リンディはリベラルだったが、可愛い義娘の相手に対してはどうしても保守的な目でしか見れなかった。 (なのはちゃんが男の子だったらな……)  心底そう思う。  あの子くらい優良物件……いやいや、しっかりした子なら無条件で応援してあげられるのだけど。「男の子」ならば。  ……世の中、実にままならないものである。 (はあ〜〜)  できればこんなことは言いたくないが、今後のためにもここははっきりと言っておくべきだろう。  今ならばまだ、傷も浅い。  だから、リンディはフェイトに告げた。 「フェイト、もう恭也くんと会っちゃいけません」 「!? な、なんでっ!?」 「恭也くんにお見合いの話が来ているからです。 ……それも、良縁が」 「ッ!!??」  無論、嘘……もとい方便である。あんな甲斐性なしに、んなモノ来る筈がない。  だが呆然とするフェイトに、リンディはまるで明日にでも恭也が結婚するが如く告げる。 「けど、あなたが傍にいたら破談になっちゃうのよ」 「…………」 「それにもし結婚となれば恭也くんはその女性のモノ、他の女性は近寄ってはいけないの。だから今の内から、ね?」 (……あれ?)  自分の台詞にリンディは首を傾げる。  こんな場面、かつて自分も経験したような……?  そう、あれはやはり12歳の時におじい様や両親から―― 「……………………」  ぽろぽろ……  突然、フェイトが大粒の涙を流し始めた。 「ふぇ、フェイト!?」 「……ゃ」 「え?」 「……いやだよ」  蚊の鳴くような声で、フェイトは訴える。 「そんなの、いや……」 「フェイト……」  ずきっ!  自分の心無い行為に胸が痛む。  ……ああ、私は自分の祖父や親と同じことをしていたのか。  申し訳なさのあまり、リンディは強くフェイトを抱きしめた。 「お義母さん?」 「ごめんなさい…… あなたは、そんなにも恭也くんのことを愛していたのね?」 「……愛?」  フェイトが小首を傾げた。  確かに恭也さんは大好きだけど…… 「……よくわからないよ」  正直、そんなこと考えたこともなかった。  ただ「大好きな人たちと、ずっとずっと一緒にいられればいいな」としか―― 「そう……」  フェイトの言葉に、リンディは頷いた。  この子は、まだ自分の気持ちに気付いていないのか…… 「ごめんなさい、恭也くんがお見合いするっていうのは嘘」 「!?」 「けれど、『恭也くんが結婚したら会えなくなる』というのは本当のことよ?  恭也くんももう26、いつ恋人ができたり結婚したりしても不思議じゃあないわ」 「あ……」  フェイトの表情が歪む。寂しい、悲しい……様々な表情が経て、最後に悔しげな表情を浮かべた。  「なぜ、自分ではないのか」。 ――(本人は気付いていないかもしれないが)まるでそう訴えるが如き表情を。  リンディがフェイトの耳元にそっと囁いた。 「その感情が恋よ。フェイト、あなたは恭也くんに恋しているの」 「そっか、これが恋なんだ……」  呆然と呟くフェイトを見て、リンディは満足げに頷いた。  そして、目を輝かせながら身を乗り出す。 「もし、あなたが恭也くんと一生添い遂げる覚悟があるのなら、私も協力してあげるわよ?」  『……夢を見ていたのかも知れない』  後にリンディはそう述懐する。  日頃の激務――ことに高官の狒々爺共とのやり合い――によるストレスと睡眠不足。  クロノに対する失望とフェイトに対する負い目。  そこへもってきて、かつての自分と同じ状況となったフェイトに、思わず自分を重ねてしまったのだ、と。 「……協力?」  訳が分からず、フェイトは不思議そうにリンディを見る。  ……て言うか、なんでお義母さんそんなに熱心なの? さっきまであんなに反対してたのに??? 「そうよ。もしその気があるのなら、直ぐにでも差し押さえなくちゃっ!」 「……差し押さえって?」 「恋の勝負は早い者勝ちよ! 油断してたら、あっという間に鳶に油揚を攫われてしまうのっ!  ――あの時私が一服盛らなくちゃ、クライドだって危うくっ!?」  ぷるぷるぷる……  何を思い出したのか、リンディは暫し全身を震わせる。  そして震えが止まったかと思えば、今度は頭を掻き毟って叫び始めた。 「ああっ、クライドの馬鹿! そんなにあのグラマーな元同窓生がいいのっ!?  私はこれからっ! これから成長期なのよおっ!  貧相でもしょうがないじゃない、まだ第二次性徴が始まったばかりなんだからっっ!?」 「え、え〜と……ごめんなさい、よくわからないや…………」  初めて見る義母の“ぼうそう”に若干引きつつも、フェイトはつい馬鹿正直に答えてしまった。  ……それが、長い長い恋愛講義――或いは“洗脳”――の引き金だとも気付かずに。 <3>  夕暮れの中、何とかフェイト宅から逃げだすことができた恭也は、道をとぼとぼと歩いていた。  く〜〜〜〜  腹が鳴った。なまじ温かい食事を期待していただけに、空腹が身にしみる。  ああ、こんもり盛られた艶々の丼飯、葱と大根のぶつ切り味噌汁……  ぴゅ〜〜  寒風に思わず首を縮める。  日が傾き、一層寒くなってきた。風が身にしみた。  ああ、ジャケット無しの野宿はキツ過ぎる……  どっかに新聞紙かダンボールでも落ちてないかな?  がさごそ……  だが古紙が高騰しているこのご時勢、中々見つからない。  空腹に耐えつつゴミを漁る自分に、ちょっぴり泣けてくる。  ……やっぱ、家に帰ろうかなあ?  すっかり弱気になったそんな時、である。 (あれは……俺?)  目に入った人物の後姿に、恭也は目を丸くする。  それはまさにこの世界の“恭也”だった。  だが同じ存在でこそあるものの、きちんと整えられた髪と厳しくも優しさを秘めた表情、 そして同じ黒尽くしとはいえ趣味の良い服装からか、およそ500%増(当社比)でイイ男に見える。  ……いや、そんなコトはどうでもいい。問題は―― (畜生、俺のクセに、なんて余裕のある表情をしてやがるんだ……)  隠れて様子を見ながら、恭也は歯噛みする。ああ、あの満ち足りた表情が気に入らねえ……  しかもこともあろうにこの“恭也”、高級中華料理店から袋を抱えて出てきた。あれは……まさしく高級肉まん!  畜生、俺なんて特売の肉まん(3個入158円)ですらそうそう買えんとゆーのに、1個630円の肉まんだと!? けっ、ブルジョワめ! (俺のクセに俺のクセに……)  恭也の心に、暗い怒りが湧き上がる。  俺はこの寒空の下、寒さと空腹に震えて夜を過ごさねばならんというのに、ヤツは、ヤツは――  『汝の思うが侭に為すがよい』  恭也の発する瘴気に応えたのか、ありがたい天啓が下った(ような気がした)。  ――神よ、感謝します。  恭也は口元を歪めて哂う。  大丈夫、俺も幼い頃にとーさんにさんざんやられたことだ。  むしろ生死に直結しないだけ、万倍マシだろう。  大丈夫、どうせこいつは俺だから犯罪じゃない。  よく言うじゃないか「俺のものは俺のもの」と。 「D〜〜〜〜ie!」  理論武装を終えた恭也は、鞘のままのノエルを棍棒代わりに“恭也”へと襲い掛かった。 「!?」  恭也の奇声に“恭也”は驚き振り返るが、既に遅い。  ぼかっ! 「へぶうっ!?」  前頭部に直撃を喰らい、たちまち昏倒してしまう。 「ふっ…… ぼうやだからさ……」  暫し勝ち誇った後、恭也は“恭也”からコートと肉まんの入った袋を強奪、八束神社の裏山へと姿を消した。  ……倒れ伏している“恭也”を残して。  その後、彼が“少女誘拐の容疑者”として警察官達に連行されたのは、ある意味必然の事だった。  ……………………  ……………………  ……………………  むしゃむしゃ、がつがつ……  ピー、ピー 「?」  裏山で肉まんを頬張っていた恭也は、突然の電子音に首を傾げながらも端末を手に取った。  そして――喜びの声を上げる。 「おお! “ゲート”封鎖が解除されたのか!」  きっと、フェイトがリンディの誤解を解くついでに頼んでくれたに違いない。  ありがとう、フェイト嬢。おかげで今夜は布団で眠れるよ。  浮かれる恭也は、今後その身に降りかかるであろう悲劇に、これっぽっちも気付いていなかった。