魔法少女リリカルなのは×とらいあんぐるハート3SS IF編「恭也が聖闘士になるようです」 【第1話「“無座”の恭也」】 ――――太平洋、フェニックス諸島デスクィーン島。 「フッ、噂に聞く暗黒聖闘士の実力とは、この程度か?」 「う、うう……」  目の前の男の嘲笑に、ジャンゴは一言も言い返せなかった。  正義であるべき聖闘士の力を私利私欲のために使う悪の集団、アテナからも見放された存在、暗黒聖闘士。  その本拠地にいきなり正面から殴りこみ、瞬く間に自分以外の全員を倒したこの男に、心底恐怖していたのである。 (この男、一体何者……)  押し寄せる恐怖を紛らわせる為か、ジャンゴは必死で相手の正体を探る。  かつて自分の留守中に“鳳凰座”の聖衣を奪われた際、1/3にも及ぶ戦力を失って弱体化しているものの、 暗黒聖闘士は断じて一人の男にここまでいい様にあしらわれる様な存在ではない。  にも関わらず全身黒尽くめのこの男は、それを容易く実行して見せた。  ……それも、聖衣すらまとわぬ生身の体で。  だが彼の疑問は、男が思い出したかの様に口を開いたことにより氷解した。 「ああ、そういや言うのを忘れていた。『教皇代理の命により、お前達を討つ』  ――これでいいかな? クロノの奴、こういう細かいとこ煩いからな〜」 「お、お前、聖闘士か!?」  驚愕のあまり、ジャンゴは大きく目を見開いた。  どれだけ腕に自信があるかは知らないが、誇りある聖衣を纏わずに戦う聖闘士がいようとは――  だがそんな彼を無視し、男は一歩前に足を進める。 「さて前口上も済んだことだし、とっとと死んでくれ。これ以上無駄な時間はかけたくないのでな」 「う、うわああああっ!?」  ジャンゴは“鳳凰座”の暗黒聖衣を纏い、わめきながら男に突撃する。  ……だがその行為は、男にとって予想の範囲内でしかなかった。 「無駄だ。俺の拳はあらゆる防御をすり抜け、小宇宙(コスモ)に直接ダメージを与える。暗黒聖衣如き、薄紙同然」  そう言い捨てると、すれ違いざまに一撃を繰り出した。  その一撃、ただの一撃でジャンゴは地に伏す。 (う、うう…… 何だこの痛みは…… まるで魂を砕かれたかのようだ……)  一見、ただの軽いジャブを受けただけ。暗黒聖衣にも肉体にも掠り傷一つついていない。  ……にも関わらず、まるで体の奥の奥を八つ裂きにされたかの様なこの感覚。  もはや指一本動かすことは叶わない。命の炎が急速に消えていくのが分かった。 (聖衣を纏わぬ聖闘士、そしてこの力…… ま、まさかこの男――)  死を前にして、ジャンゴはようやく男の正体を悟った。  “無座”の恭也。  守護星座どころか守護星すら持たぬ、異端の聖闘士。  「聖衣を纏わずして黄金聖闘士に匹敵する力を持つ」とすら言われる男。  そして、女神アテナの――  そこで、ジャンゴの思考は永遠に途切れた。 「やれやれ、暗黒聖闘士の本拠地なんて言うから、着いたらすぐ会えるかと思っていたら……  探すだけで大分時間喰ったぞ。とんだ誤算だ」  任務を終えた恭也は溜息を一つ吐くと、ポケットから取り出したカード電卓片手に何やら計算を始めた。  そして画面の数字を見て、天を仰いだ。 「やれやれだぜ……」 ――――ギリシャ共和国、アテネ市内の公園。  暗黒聖闘士討伐の数日後、恭也はアテネ市内の公園にいた。 「さて、では頂くとするか」  ベンチにどっかり座ると、そう言って嬉しそうに手をこすり合わせる。  脇には、そこそこ高価な酒やつまみの詰まった大きな紙袋。全てケチった旅費から捻出したものだ。  ……本来ならもっと豪勢にいく予定だったのだが、予想よりも帰りの旅費が上昇したため質より量を優先せざるを得なかった。  だがまあ過ぎたことは仕方が無い、くよくよしていたら酒が不味くなる。  恭也は気分を切り替え、紙袋から酒とつまみを取り出した。  時折公園を歩く市民が恭也を見て眉を顰める(※何せ無精髭を伸ばし放題の上に髪もボサボサだ)が、そんなことは気にもとめない。  右手には酒瓶、左手にはつまみ。酒をラッパ飲みしつつ、その合間につまみに喰らいつく。  ――それが、この世界における恭也の一番の楽しみだった。  一瓶飲み終えた後、恭也はようやく一心地ついたかの様に呟いた。 「ふー、この一杯のために今日を生きているって感じだ……」  そう言いつつ、一杯(一瓶)どころか次々と酒瓶を空にしていく。  それは、以前なら決してしなかった無茶、体を痛める行為。  だが恭也は気にせず、刹那の享楽に溺れる。  酒は、いい。一瞬とはいえ、全てを忘れさせてくれる…… 「はっ、はっ、はっ、甘露甘露!」  酔いが回り、愉快そうに恭也は笑った。                          ・                          ・                          ・ 「!?」  ぞくっ!  酒を何本か空けた頃、急な寒気で恭也は我に返った。  ……気のせいか、周囲の気温が下がったような気がする。  まだ日はあんなに高いのに、酒も入っているというのに、実に不思議なことだった。 「うむ、これは俺にもっと酒を飲めという天啓か?  ……ああ、言われずとも飲んでやるから心配すん――  そこで、恭也は言葉を止めた。  そして、前方を凝視する。  ……その視線の先には、浅い栗色の髪をした12〜13歳の少女が立っていた。  何やら、恐ろしいほどの迫力で。 「おかしいな…… なんでお仕事で出かけてる筈のお兄ちゃんが、こんな所でお酒を飲んでいるのかな?」 「! なのはっ!?」  何故ここに……  妹であり雇い主でもある少女の登場に、恭也は絶句する。  くっ、普段はサンクチュアリの最深部、アテナ神殿に引き篭もっている癖にっ! 「……少し、頭冷やそうか」  少女……いやなのはは、剣呑な表情で宣告した。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第2話「岩窟王恭也」】 ――――スニオン岬岩牢。 「なのは! これはどういうことだ! 何故に俺がこんなトコに幽閉されなきゃならんっ!?」 「……お兄ちゃん、それ本気で言ってるの?」  一体何を怒っているのだろうか? 俺の必死の訴えを軽くスルーし、なのはは頬を河豚の様に膨らませて俺を見る。  ……涙ぐましい努力で旅費を節約し、その分をちょろまかしただけなのに、う〜む??? 「……旅費を浮かして飲むくらい、普通だろう」 「普通じゃないよ、悪なの」 「あ、悪ってお前…………」  その断罪ぶりに絶句したね。 「……でもね? それだけのことでここまで怒らないよ」 「と言うと?」 「今までの積み重ねだよ。 ……心当たりあるでしょう?」 「皆目見当もつかんが?」 「じゃあ教えてあげる。聖闘士になったはいいけど、ちょっと強そうな敵が来たら直ぐ逃げる。  その癖、隙を見てアルデバランさんの兜の角にリボンを付けたり、ミスティさんをボコボコにするなんて凄いこと平然とやるし……  もう滅茶苦茶だよ!  『黄金聖闘士並の実力があるクセに、毎日毎日自堕落な生活を送っている聖域一の怠け者』。  ――それがお兄ちゃんに対する世間様の評価なんだよ!? 私、もう耐えられないよっ!」 「いやだって……なあ? 俺、守護星座どころか守護星すら無いただの雑魚だし? 小宇宙燃やせないから原子なんて壊せないし?」  ……それにそもそも聖闘士になったのだって、とりあえず当座の衣食住確保するためだものなあ。  だがなのはは、そんな俺の弁明をぴしゃりと切り捨てやがった。 「黄金聖闘士の隙を突けたり白銀聖闘士をボコれる人を、“ただの雑魚”なんて言いません!」 「それは見解の相違と言うものだな。俺としては同僚連中と同程度の仕事はしているつもりなのだが……」  そう、だから俺的には前回の暗黒聖闘士征伐によりかなり得点を稼いだつもりだ。  あれだけ稼げば、10年は怠けられる。 ――うむ、実にいい(美味しい)仕事だった。  だがそんな俺の考えを見透かしたのか、なのはは言った。 「ノブレス・オブリージュという言葉があります! お兄ちゃんはもっと働くべきだと思うの!」 「や、だから俺は雑魚――」 「と、に、か、く、お兄ちゃんは更正してもらいます! 異議は認めませんっ!」 「検察官が裁判官を兼ねる上、一審制かよ……」 「あー、あー、聞こえない、聞こえないのー」  こ、こいつ…… 個人的感情だけで俺をこんなトコに幽閉しやがったな…………  両手で両耳を塞ぎつつ首を振るなのはを見て、俺は確信したね。これって女神としてどーよ?  ……ああアリか。神さまって、たいてい勝手気ままだものなorz 「じゃ、暫くここで海よりも深く反省してね。十分反省したら出してあげる」 「ちょっ、待―― 反省の有無なんてどーやって調べるんだよ!? この周辺に人なんていないぞ!?」  ――って言うか、食事とかちゃんと呉れるんだろうな!? 「私は女神だからノープロブレムだよ」  だがそんな俺の心配を他所に、なのはは帰ってしまった。がっでむ。                          ・                          ・                          ・  それから半日後、俺は死に掛けていた。 「し、死ぬっ! マジ死ぬっっ!?」  そう叫びながらも、俺は酸素を求めて必死に顔を水面上へと突き出す。  ゴツン!  天井の岩に頭をしたたかぶつけ、目に火花が散った。 (畜生! とうとう頭一つ浮かべる空間すら無くなったかっ!)  心中で罵倒しつつも今度は顔を上げ、その状態のまま慎重に浮かび上がる。  何度か天井と熱烈な接吻を交わしながらも、俺は何とか酸素を補給することに成功した。ああ、空気が美味い……  ……見ると、もう天井は目の前だ。 「……なのはよ、お前は本気で兄を殺すつもりか?」  一瞬、マジでそー思ったね。  この岩牢、どういう訳か日が沈むのと同時に徐々に潮が満ちてきやがる。  おかげで朝は僅かに足を湿らせる程度だった海水が、今じゃあこの有様だ。  ……ぶっちゃけこの牢、死刑用なんじゃねーの?  あ゛あ゛…… こうしてる間にも水位が、酸素が………… (そろそろ、本気でヤバいな……)  『聖闘士はね、ステゴロが鉄の掟なんだよ♪』  ――な〜んてこと言ってなのはの奴、俺から武器を一切合切没収しやがったからなあ〜  ぶっちゃけ打つ手無しのお手上げ状態だ。泣きいれちゃおうかな、なんて弱気にも思っちゃったりしちゃいます。  や、多分本気でなのはに助けを求めれば、来てくれるんじゃないかな〜、とは思うんだよ?  アイツ仮にも女神なんだし、ここはお膝元のサンクチュアリ近郊なんだし、流石にそこまで鬼じゃないだろうし……  ……けど、な? きっとアイツ、得意満面の笑顔で「待ってました!」とばかりに来ると思う。全財産賭けてもいいぞ?  ま、直ぐ飲み代とかに消えちゃうから、そんなに無いけどな。  「やっぱりお兄ちゃんは私がいないとダメだね」「これに懲りたら、ちゃんと私の言うこと聞くんだよ?」等々……  ああ、得意満面で俺に説教するなのはの姿が目に浮かぶ。  だが俺とて男、奴の兄、そこまでの屈辱を受ける気は毛頭無い(今まさに喰らってる最中だけどなっ!)。  俺は自由の旗の下に生きる男、この身はともかく心まで飼われる訳にはいかんのだ! (あ゛あ゛…… 水が、酸素が…………)  そんな意地張ってる間にも水位は上がっていき、遂に海水は天井にまで達した。  肺に残る酸素で必死に耐えるも、それは無駄な努力でしかない。直ぐに堪りかねて口を開け、大量の海水を飲み込んでしまう。  思わず咳き込み、残る僅かな酸素までもが奪われる。 (――神よっ!)  俺はなのはを除く全ての神々に救いを求めつつ、遂に意識を失った。  ……だから、その直後に全身が光の膜で包まれたことに気付かなかった。  恭也ハ、死ヌマデ参ッタト言イマセンデシタ。 ――――同時刻、アテナ神殿なのは私室。 「!」  そわそわと、まるで何かを待っているかの如く部屋の中を歩き回っていたなのはが、突然驚いた様に顔を上げた。 「今の小宇宙(コスモ)は……まさか……」 (ううん、きっと気のせいだよね。あの子はもう数千年も前から封印されている筈だし)  だが直ぐにそう思い直し、椅子に腰を下ろす。  そして“待ち人”のことを一時頭の隅に置き、“あの子”のことを思い浮かべた。 (結局、前世でも仲良くなれなかったな……)  冷たい表情、冷たい口調で話す“あの子”。  “あの子”とは、この世界を巡ってもう気の遠くなるほど長い間戦い続けてきた。  ……本当は、そんなことしたくないのに。  やっぱり、今生でも戦うことになるのだろうか? 「ううん! 今度こそ絶対に仲良くなるのっ!」  なのはは強くそう自分に言い聞かせると、再び頭を“待ち人”へと切り替えた。 「お兄ちゃん、遅いなあ…… 本当に強情なんだから……」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第3話「覚醒! 海皇フェイト」】  夢…… 夢を見ている……  数千年の闇の中、突然わたしに流れ込んできた夢を。  それは、ありえない夢。  夢の中のわたしは、神ではなく人だった。  かけがえのない親友や仲間たちがいた。  皆で泣いて笑って、時には大切なものを守るために戦う――そんな毎日。  ……全て、わたしには縁のないはずのもの。  ただ宿命により戦うだけの存在、ただの人形であるわたしには……  ――いいかげんにしてっ!  たえきれずに、わたしは叫んだ。  わたしは、みとめない。  ぜったいに、みとめてなんかやるものか。  わたしが、夢の中の自分をうらやむなんて……  見ていられず、なんど“壊そう”と思ったことだろう?  ……けれど、できなかった。  だって、“あの人”がいたから。  “あの人”と会うだけで、わたしの心が躍る。  “あの人”と会えないだけで、わたしの心は暗く沈みこんでしまう。  その一挙手一投足に、わたしの心は振り回される。  うれしくて、たのしくて、つらくて、かなしくて……  それは、わたしのしらない、とてもふしぎな感情。  でも、これだけはわかる。  夢の中のわたしは、“あの人”とずっと一緒にいたかったのだ。  ……けれど、“あの人”はいなくなってしまった。  わたしの哀願を、手を払いのけて行ってしまった。  そこで夢は終わり、再びわたしはひとり闇の中に残される。  それでもあきらめきれずに、わたしは闇のなか、必死で“あの人”のことを探す。  “あの人”はどこ? どこにいるの?  どこかで、“あの人”の声が聞こえた。  だから、わたしは必死で手をのばした。 ――――??? 「う…うう…… ! げほっ、げほぉっ!?」  目を覚ますと同時に、俺は激しく咳き込んだ。  幸い海水を少し飲んだ程度らしく、咳は直ぐに収まった。 (……なのはが助けてくれたのか?)  ……そうとしか考えられない。  あの絶体絶命の窮地を救い出すなど、それこそ神や仏のみが為せる技であろう。  きっと見るに見かねて、ドクターストップしたのだ。 「……また、なのはに恩着せられるなあ」  思わず苦笑する。  あいつ、女神というか雇用主のクセに俺にたかるからなあ…… 今度は一体何をねだられることやら……  デラックスパフェ程度で済めばいいが、と思わず懐を心配してしまう。  だがまあ、それは一先ずおいておくとして―― 「……しかし、ここはどこだ?」  当然の事ながら、自分が今いる場所は岩牢ではなかった。神殿の様だが、こんな場所は知らない。  ……なのはの案内でサンクチュアリ中を回ったから、知らない場所なんて無い筈なんだけどなあ?  十二宮とか、教皇の間とか、アテナ神殿とかスターヒルとか。  各宮を通過する時、何か黄金聖闘士達に睨まれてめっちゃ怖かったけどなっ!  なのはがいなけりゃ、殺されてたかもしれん……  そんなことを考えながら外に出て、ふと空を見上げた俺は驚いた。 「ををっ! 空が海っっ!?」  頭上遥か高みには、空ならぬ海が広がっており、やはり鳥ならぬ魚が群れをなして泳いでいる。う〜む、これは一体?  俺は神殿を歩き回ってみるが、人っ子一人、ネズミ一匹いやしない。  ……にも関わらず床はピカピカ、埃一つ落ちていない。謎以前に不気味だ。 「……何故だろうな? 何かすっげえ地雷を踏んだ様な気がするんだが……」  「やはり素直になのはに助けを求めるべきだったか?」と半ば以上後悔しつつも、俺は主殿と思われる場所へと足を踏み入れた。                          ・                          ・                          ・                          ・                          ・                          ・  そこは、主殿というよりも“謁見の間”だった。  壇上には玉座があり、金刺繍の赤絨毯が部屋中央を縦断している。  そしてまるで王座の両脇を固めるが如く置かれた台座には―― 「むうう? これは聖衣か? ……いや、少し違うか」  台座の上に安置された様々な“彫像”の群れに、俺は目を丸くした。  それは、聖衣に似てあらざるもの。だが、やはり聖衣同様の神秘的な“何か”を感じさせる。  そして最奥部の一際高い壇上の玉座には、壷が置かれていた。 ……何故に?  不思議に思い、俺は壇上に上がり壷を手にとってみる。  ……何故だろう? 何処か懐かしい気がする、誰かに呼ばれている様な気がする。  俺は思わず、壷に貼られた札破り、蓋を開けた。  と――何かが飛び出し、未だ本調子ではない俺と激しく激突した。  その勢いで俺は壇上から落ち、床に背を、最前列の台座に頭をしたたか打ち付ける。 「あうちっ!?」  ……何だ? 動物……いや人間!?  見ると、年の頃9〜10歳程の、金の髪をした全裸の少女が、俺にしがみついて泣いている。  だがその姿、声、匂いは、自分のよく知る一人の少女を連想させる。まさか、まさか…… 「……ふ、フェイト嬢っ!?」  涙交じりの、焦点の合わぬ目で俺を見上げる少女は、幼い頃のフェイト嬢と瓜二つだった。  ……しかし全く人の気配が無かったにも関わらず、この少女は一体何処から現れたのだろう?  それに……何故に裸?  俺は驚きつつも、少女とコンタクトをとるべく揺すってみる。初めは繊細に、だが後半は激しくシェイク。  その甲斐があったのか、少女の目は徐々に光を取り戻し始めた。と―― 「!」  突然、少女はまるで夢から覚めた様にはっとし、俺を蹴り飛ばした。  俺の体が宙に浮く。ぐふぉお…… この子つええ…… 「人間、あなたは何者? ここが私の海底神殿と知った上で、土足で足を踏みいれたの?」  少女は先程とはうって変わり、氷の表情で俺を見る。  仰向けに倒れた俺の腹を片足で踏みつけながら、俺に問う。  その手にはいつの間にか三叉の鉾が握られ、俺の喉仏に突きつけていた。  ……つーか、一連の動作が全然見えなかったぞ。この少女、一体何者?  その時、俺の脳裏に以前なのはから聞いた言葉が浮かび上がった。 『神様はね、私のほかにも結構いるよ。まあピンキリだけど』 『その中にはね、いい神様もいれば悪い神様もいるんだよ? あ、もちろん私はいい女神様なのっ♪』 『悪い神様の中にはね、海皇っていうとっても偉くて強い神様がいるの。海神の王様で、昔何度も戦ったよ。  ……私のライバルみたいなものかな?』 『今? 今は海底神殿――海皇の神殿で海底にあるの――の壷の中に封印されてるよ?  まあ、あと200〜300年は出てこれないんじゃないかなあ?』  壷、“私の”海底神殿……  たら〜〜  俺の額に一筋の汗が流れた。  ……え〜と? もしかして俺、やっちゃった? 「答えられないの?」  少女の目が、厳しくなった。  ヤバい! やられるっ! 「……高町恭也だ」  俺は観念して答えた。  ……正直、格と言うより次元が違う。どう足掻いたところで無駄だろう。 「たかまち…きょうや……」  少女は、俺の名をかみ締めるかの様に何度も小さく呟く。  そして矛を収め、言った。 「……まあいいでしょう。恭也、封印を解いた褒美として、あなたに鱗衣を授けます。以後、海闘士としてわたしに忠誠を誓いなさい」  ……へ? 命を助けてくれるどころか職まで世話してくれるの?  その思いがけぬ言葉に、俺は目を丸くした。  そいつはありがたい、ありがたいが…… 「――だが断る」 「!」  ピタッ  ……俺の喉元に、再び矛が突きつけられた。  が、それでも俺の意思は変わらない。 「俺は誰にも縛られん。空を流れる雲の如く、自由きままに生きる」 「? 雲を止めるなんて簡単なことですよ?」 「……や、そーゆー意味じゃなくてね?」 「???」  その天然な発言に思わず突っ込むと、少女は首を傾げて不思議そうに俺を見る。  あ、この仕草は昔よく見たヤツだ。やはりこの子はフェイト嬢なのか……  ……しかしなのはがアテナでフェイト嬢が海神とは、異次元のそのまた異次元のクセになんてお約束な世界なんだろうねえ?  この分だと、はやての奴もどっかで神様やってんじゃねーか?  ああ、捨てた世界のことを嫌でも思い出しちまう。やはりこの世界も俺に優しくない。  俺は大きな溜息を吐いた。 「とにかく、お断りだ。殺すなら……殺せ」  そう言い捨てると、俺は体の力を抜いて大の字になった。  ……別人とは判っていても、フェイト嬢になら殺されてもいいかな、と思う。  だって、俺はあんなにも彼女を悲しませておいてこのざまだ。ほんと、殺されても仕方が無いよな……  だが、少女……フェイト嬢は一向にその手を動かさない。  気のせいか、矛を持つ手が微かに震えている様な気さえする。  やがてフェイト嬢は矛を下ろし、ぽつりと呟いた。 「……そんなに、いや?」 「ああ」 「…………そんなに、わたしが、いや?」 「いや、君は嫌いではないが……」 「なら、すき?」 「好きか嫌いかと問われれば、多分……」 「じゃあ、おねがい」  ……おねがい?  この時、俺は違和感を持つべきだったのだろう。  なのはから聞いた話とはあまりに異なる、自分の知る少女と重なるその言動に。  だが、当時の俺は目の前の少女にフェイト・T・ハオラウンを見ていた。  頭では理解していても、心が付いていかなかった。彼女に対する負い目が、それを邪魔するのだ。  だからつい、俺は幼少時のフェイト・T・ハオラウンに対するそれと同じ言動をしてしまう。 「や、だからなフェイト嬢? それとこれとは――」 「……わたしのはだか、見た」 「……はい?」  その意味することが判らず、俺は間抜けな声で聞き返した。  それに応えてか、或いは単なる独り言か、フェイト嬢はもう一度、さっきよりも明瞭に言った。 「……わたしのはだか、見た」 「う゛……」  言わんとすることの意味を悟り、俺は思わず口篭った。  ……や、確かにフェイト嬢すっぽんぽんだし? 俺見上げる形だから丸見えだし?  あ、やっぱり生えてない……  その俺の視線に気付いたのか、フェイト嬢は俺の目を見、有無を言わせぬ力の篭った声で言った。 「責任、とって」 「…………はい」 「♪」  俺の返答に、フェイト嬢は満足そうに頷いた。  ……もしかして俺、はめられた?  そんなorz状態の俺とは対照的に、フェイト嬢は手の一振りで服を纏い、壇へと登る。 ――ってちょっ! そんな簡単にっ!?  そして壇上中央の玉座に腰を下ろすと、俺を見下ろして改めて言った。 「わたしはフェイト、海皇フェイトです。  恭也、封印を解いた褒美として、あなたに“海龍”の鱗衣を授けます。  以後、海将軍筆頭としてわたしに忠誠を誓いなさい」  その神気に気圧され、俺は平伏するしかなかった。  ……え〜と、なのはになんて言い訳しよ? ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第4話「酒神礼賛」】 ――――海底神殿。 「フェイト嬢、酒をくれ」 「……お酒?」 「そう、人類の伴侶、天の美禄、命の水、百薬の長、リリンが生み出した文化の極み、酒だ」 「最後はあまり関係無いような気がするけど…… 恭也、喉が渇いたの?」  俺の言葉に、玉座に座るフェイト嬢はおかしいなあと首を捻る。  や、確かにここ海底神殿にいる限り、フェイト嬢の神オ−ラで腹は減らないし喉も渇かないが、それとこれとは別問題である。  俺は声を大にして訴える。 「喉は渇いていないが酒が飲みたい!  人類と同様、神々も古今東西酒とは切っても切れぬ深い関係!  祭祀は無論、普段から大量の酒が貢がれている筈っ!  そのお裾分けを是非っっ!!」 「……でも、第3のビールなんて無いと思う」 「……いや、あれはただ安いから飲んでただけだ。  それすらも飲めずに、配給のジュースに医務室からくすねたアルコール入れて飲んだりしたこともあったが、ありゃあダメだな。  やはりちゃんとした酒が飲みたい。具体的には“高い酒”がっ!」  何で俺が第3のビールを愛飲してたこと知ってんだろ、と思いつつも畳み掛ける。  ……まあ俺が貧乏臭く見えるせいかな、やっぱり。 「確かにあるけど、全部紀元前のものだから、現代人の恭也の口には合わないかも」  俺の言わんとすることを理解したフェイト嬢は、「別に構わないけど」としながらも付け加えた。  ここ海底神殿にある限り、何千年経とうが酒は劣化しない(そのクセ適度な熟成はされているらしい。なにそのチート)。  とはいえ、果たして数千年前の味に洗練された現代人の舌がついていけるかどうか……ということらしい。  だが心配ご無用。俺の貧しい舌は紀元前の人間にだって負けんっ!  ……それに、俺が第一に求めているのは“心地良く酔うこと”なのだ。 「上質のアルコールさえ摂取できれば、問題ない」 「……わかった。ついてきて」  フェイト嬢は頷くと、玉座から腰を上げた。                          ・                          ・                          ・  大きな扉の前に立つと、フェイト嬢はその扉を開いた。  ギィィ…… 「ここが酒蔵」 「おおっこれぞまさしく酒池肉林! ──って、肉はないか。が、酒の池っ!」  フェイト嬢によって開かれた扉の内部を見て、俺は目を輝かせた。  体育館程もある大部屋、その床には優に一抱え以上の大きな甕が一面に並び、壁面の棚には壺が所狭しと並んでいる。  この全てが酒なのだろう。その魅惑の香りに、頭がクラクラする。ああ、天使達が頭の中を舞っているよ…… 「……お酒臭い」  そんな俺とは対照的に、フェイト嬢はまるで柑橘類の匂いを嗅いだ仔猫の様に顔を顰め、一歩も入ろうとしない。  だがまあそれでもここまで付き合ってくれたのだから、感謝ものだろう。  ……そういや、元の世界のフェイト嬢も酒は苦手だったな。  それでも俺の晩酌に度々付き合って、一口飲んだだけで目を回してたっけ。やっぱり、似てるな。 (このフェイト嬢の心遣いを無駄にしてはいけないよな、うん。よ〜し、今日は飲むぞ〜〜!)  そう頷くと、俺は酒蔵へと吶喊した。 「夢の地へ、いざ行かんっ!」  先ず手近な甕の蓋を叩き割ると、中の酒を両手で掬って飲む。  ……うむ、こいつは果実酒だな。素朴な味だが、丁寧に造られている。  だが、これでは手はべたべただし何より飲みにくい。顔を近づけて飲むも同じこと。  ……う〜む、こりゃあコップか柄杓が必要だな。  そう考えた俺は辺りを見回し、何か代わりとなるものを探す。 「!」  壁の瓶を見て、閃いた。  瓶で掬って飲もう!  早速丁度良さそうな形のヤツを手に取り、蓋を開ける。  ――お、美味い。  コップ代わりにしようと思っていたが変更、このシリーズを攻めてみることとする。  俺はそのまま、ぐいっと一気にあおった。 「……え?」  扉の外で露骨に顔を顰ませていたフェイト嬢は、俺が瓶をラッパ飲みで飲み干していく光景を見て、驚きの言葉を洩らした。  慌てて駆け寄り、俺の服の裾を掴む。 「……だめ、そんなに飲んじゃ、だめだよ」 「こんなにあるんだから、いいだろう」  だが、フェイト嬢は「違う」とばかりに大きく首を振る。 「だめ、体こわすよ」 「そんなヤワじゃないさ」 「だめっ!」  苦笑して次の瓶を手にした俺に、フェイト嬢が飛び掛った。  そして瓶を奪うと、後ろ手で隠す。  その行為に腹を立てた俺は、思わず声を上げた。 「フェイト嬢!」 「だめ、だめだよ……」 「いいから、寄越せ」  ……他にも酒は一杯あるのだが、いい気分に水をさされたこともあり、俺はフェイト嬢から酒を取り返そうと試みる。  対するフェイト嬢も、何故か自慢の“力”を使わず、だが必死に酒を隠す。  や、何やってんだろうな、俺たち…… 「フェイト嬢! 俺は酒が飲みたいんだ!」 「恭也、もうたくさん飲んだよ」 「あんなの喉を湿らす程度だ、全然足りない」 「うそつきっ!」 「?」 「だって恭也さん、『俺は体が資本だからな』って言って、どんなにお金があっても一日一缶以上お酒を飲まなかったじゃないですか!  ……なのになんで……なんでそんなに自分の体をいじめるんですか……」 「フェイト嬢……君は…………」  俺は絶句した。  ……何故、何故この世界のフェイト嬢が、前の世界での俺のことを知っている?  何より、今の口調はまるで…… 「フェイト嬢、何故君がそれを知っている?」 「……わたしは神だから、何でも知ってる」 「嘘だっ! なのはは知らなかった! なのに同格の君が何故知っている!?」  目を逸らして答えるフェイト嬢の両肩を掴み、俺は詰問した。  だが、言ってから気付いた。  ……俺、今なのはのこと言っちまった?  ヤバい、粛清されるかもしれん……  が、フェイト嬢は何処か寂しげな顔をするだけだった。 「……気にしないでいい。多分、そうじゃないかと思ってたから」 「へ……?」  あまりにあっさりとしたお言葉に、俺は拍子抜けしてしまう。  ……この世界の二人って、血で血を洗う仁義無き抗争繰り広げていたんじゃないのか?  俺は先程から感じていた疑念をぶつけた。 「……君は一体誰なんだ? 本当に海皇なのか?」 「わたしは海皇フェイト。 ……今言えるのは、それだけ」  そう言ったきり、フェイト嬢は口を噤んでしまう。  が、それで納得できる筈も無い。俺は再度フェイト嬢の両肩を掴んで問い詰める。 「フェイト嬢っ!」  ……しかし、どうやら流石にフェイト嬢も限界だったらしい。  仏の顔も三度まで、神のフェイト嬢の顔は……何度までだろうね? とにかくジロリと俺を睨み付ける。  やべ、やり過ぎたか…… 「恭也、しつこい…… しつこい人は…………嫌い」  フェイト嬢はそう言い捨てると――かくんと俺にもたれかかってきた。 「フェイト嬢っ!?」  てっきり、なのはばりの天罰を喰らわされるかと思っていた俺は面食らい、慌ててフェイト嬢を抱き起こす。と―― 「? わたし、“ふぇいと”なんてなまえじゃないよ?」 「……はい?」  突然のお言葉に、俺は思わず聞き返した。  や、何処をどう見てもあなたはフェイト嬢なのですが……  が、フェイト嬢は元気よく自己紹介を始めた。 「わたし、ありしあ。“ありしあ・てすたろっさ”っていうの!」 (――アリシア・テスタロッサだって!?)  俺の記憶が正しければ、それはフェイト嬢の――  俺は、まじまじと“アリシア・テスタロッサ”を名乗るフェイト嬢を観察する。  見かけよりも更に幼い舌足らずの口調といい、醸し出す雰囲気といい、その特徴はどちらの世界のフェイト嬢とも当てはまらない。  ……一体、何者?  だがそんな俺の疑念をよそに、アリシア嬢はきょろきょろと興味深げに辺りを見る。 「ここ、おじさんのいえ?」 「……おじさん言うな。俺はまだ――」  さんじゅ――そう言いかけ、自分が十分“おじさん”だということに気付かされた。  ふふふ…… 認めたくないものだな、自分の老いというものは…… 「……せめて、恭也と呼んでくれ」 「おじ……きょうやさんのかぞくは?」  幸い、アリシア嬢は素直に俺の頼みを受け入れてくれた。  ……ありがとう、をじさん涙が出てくるよ。  だから、俺も素直に答えてみた。 「ふっ、自分が喰うのでやっとだからな。だから、未だに嫁ももらえん」 「……はたらこうよ、きょうやさん」  両手を腰にあて、もうしょうがないなあ〜といった風情のアリシア嬢。  最近の子供は容赦ないなあ……  と、「いいこと考えたっ!」とばかりにアリシア嬢はにぱあと笑い、俺を見た。 「きょうやさん、そんなにおひげはやしちゃだめだよ。そんなだから、はたらけないんだよ?  ――そうだっ! わたしがそってあげる♪」 「や、これは反骨精神の表れとゆーか、俺なりのこの世界に対するアピールな訳で――」  何しろ、この世界に来た時から伸ばしてるからなあ……  ウザいのは判るが、剃る気ないぞ。もちろん剃られる気もなっ!  だがアリシア嬢はいつの間にか剃刀を手に、イイ笑顔で俺に近づいてくる。 「いいからいいから――あっ」  スパッ!  軽く剃刀に触れた瓶が、綺麗に真っ二つに割れた。  な……なに、その異常な切れ味はっ!? 「アリシア嬢! その剃刀、一体何処から持ってきたっ!?」 「わかんない。きがついたらもってた」 「捨てなさい! んなモノ!」 「や!」 「くっ!」  話にならんと俺は逃げ――ようとした瞬間、何故か金縛りにでもあったように体が動かなくなり、べちゃ!と転んだ。  ……こ、これはまさかフェイト嬢の仕業かっ!?  くそう……剃刀といいこの金縛りといい、どうやらフェイト嬢自身も俺が髭剃るの賛成らしい。  そうこうしてる間にもアリシア嬢は仰向けとなった俺の腹に跨り、今にも髭を剃らんと手を近づけてくる。 「や、止めるんだアリシア嬢っ!」 「だいじょうぶ、だいじょうぶ、まかせて!」 「そう言いつつ、その持ち方はなんだっ!? 刃物をそんな風に持っちゃいけませんっ!」 「もー、きょうやさんはしんぱいしょうだなあ〜」 「アリシア嬢っ、刃が垂直にっ!? それにそこは頚動脈っっ!!」 「おとこのこなんだから、それくらいがまんしてよ」 「出来るかっ!?」  俺は遂に根を上げ、何処かでこの様子を眺めているであろうフェイト嬢に泣きついた。 「フェ、フェイト嬢! よく判らんが俺が悪かった! 謝るから、せめて君がやってくれ!」 「もー、だめだよきょうやさん、おんなのことでーとしてるときに、ほかのおんなのこのはなししちゃあ」 「デート!? これはデートなのかっ!?  がっでむ、なんてこったい! この世界は不思議で満ちている!?  これがカルチャーショックというヤツか!!」 「にゃははは〜〜」 「! お、お前酔ってるな!? 酔ってるだろっ!!」  ……どうやら充満する酒の匂いで酔ったらしい。  アリシア嬢は陽気に笑いながら剃刀を振り回し、振り回された剃刀はスパスパと周囲の瓶や甕を裂いていく。  かくしてこれ等から漏れた酒で部屋を満たす酒の匂いはますます強まり、アリシア嬢もますますハイになっていく、という悪循環だ。  だがやはりというべきか、アリシア嬢に自覚は無い。 「……よってない、わたし、よってないよ?」 「酔ってるヤツは皆そう言うんだよっ!」  このままでは冗談抜きで、首チョンパされかねない。  恭也は悲鳴染みた声を上げた。  ――と、その時、頭にフェイト嬢の声が響いた。 『(恭也、もうしつこくしない?)』 「しないしない!」  俺は藁をも縋る思いで飛びついた。 『(私の言うこと、聞く?)』  が、足元を見ているのか、フェイト嬢は更に条件を追加してくる。  くっ、卑劣な…… 「それは――頼みによりけり」  俺の返答を聞いたフェイト嬢は、少し間を置いた後、条件を提示した。 『(……じゃあ、“海龍”の鱗衣を纏って私に見せてくれる?)』 「その位ならっ!」 『(約束……)』  フェイト嬢の声が消えたと同時に、アリシア嬢がかくんと俺にもたれかかってきた。  だが、直ぐに起き上がる。  起き上がったアリシア嬢は、その纏う空気は一変していた。  これは――アリシア嬢ではない、フェイト嬢だ。  俺は冷や汗かきつつ、礼を言った。 「フェイト嬢、助かったよ」 「恭也、動かないで」  が、フェイト嬢は俺の言葉を無視し、俺に跨ったまま手の剃刀を近づける。  ま、まさか…… 「な、何を……」 「恭也は言った。『謝るから、せめて君がやってくれ!』と。 ――だから、私が剃る」 「は、はかったなっ! フェイト嬢!?」 「正当な取引」  ――かくして、俺の反骨精神の象徴は削ぎ落とされた。ちくしょう…… ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第5話「海闘士恭也」】  海底神殿には、二重の結界が張りめぐらせている。  一つは、海皇フェイトによる従来からの結界。  一つは、女神アテナにより新たに設けられた結界。  その目的に防衛・封印の差はあれど、望まぬ者の侵入を拒むものであることに変わりは無い。  そして、“神々の皇”とされる両神の手による結界を破ることは、たとえ高位の神々であっても至難の業。  故に海底神殿に到達するには、海皇フェイト、女神アテナの双方から祝福を受けていることが必須であった。  だがそのような存在など有り得る筈も無い(何せ、この二柱の神々は不倶戴天の仇敵同士だ!)。  故に、それは不可能と同義語だった。 ……つい数日前までは。  高町恭也。年齢、永遠の18歳(←つまり、「ここからもう一度人生をやり直したい」という意)。  この男、どんなチートを使ったのか海底神殿に辿り着き、後先考えずに海皇フェイトの封印を解いてしまったのである。  後世、神々を誑かし……もとい欺きし者と言われる男の、最初の悪行だった。 ――――海底神殿。 「よっ、久し振り!」 「……あらら、先を越されましたか」  海底神殿に降り立った女性に、先客の女性が懐かしそうに、だが「へへん♪」と声を掛けた。  対する声を掛けられた方の女性も懐かしそうに、だが「あらら」と声を上げる。  前者の名はアルフ、後者の名はリニス。  共に海皇フェイトに“永遠の忠誠”を誓い、生まれ変わっても尚その記憶を受け継いできた者達同士。  つまり海闘士の中でも側近中の側近である。  故に、つい数日前までは別の名を持ち、別の人生を歩んでいた。  だが海皇フェイトの復活と同時に二人も過去の記憶を思い出し、こうして馳せ参じたという訳だ。 「しかしまさか、今生でフェイトが復活するとわね〜  あたしはてっきり、あと2〜3回生まれ変わった後だとばかり思ってたよ」 「……アルフ、『海皇陛下とお呼びなさい』とまでは言わないけど、せめて“様”くらい付けなさい。  これから次々と集うであろう下の者達に示しが付かないでしょう?」 「TPO位は弁えてるよ! あたし達だけなら、フェイトでいーじゃんっ!」 「はあ、まったく貴女という人は……」  アルフの返答に、リニスは頭イタそうに首を振る。  が直ぐに真剣な表情で、先のアルフの疑問に頷いた。 「でも確かにフェイト様の復活が早過ぎますね。アテナの結界が解けていることから考えて、完全に覚醒したのは確かなのだけど……」 「まあいいじゃんいいじゃん! めでたいことに変わりは無いんだから、リニスも眉間に皺なんか寄せないの!」 「貴女は本当に暢気ですね…… 仮にもこの海底神殿と地中海を守護する近衛海将軍なのだから、もう少し……」 「あたしは肉体労働専門! 難しいことは、祭祀長リニス様に任せるよ!」 「はあ……」  また私が海皇軍の編成から運営まで、一人で一切合財やるのか……  リニスは気が重そうに溜息を吐いた。  フェイトに会うべく謁見の間に二人が足を運ぶと、そこには既に先客がいた。  成人の……男性だろうか? 鱗衣を纏い、その雄姿を玉座のフェイトに見せている。 「あれは…… “海龍”?」  リニスは驚き目を丸くした。  “永遠の忠誠”を誓った自分達二人以外は、前世の記憶など持っていない。  だから、自分達より早く訪れるなど、有り得ない筈なのに…… 「……早速、フェイト様が見つけたのかしら?」  そう思わざるを得ない。  天文学的確率だが、“海龍”の鱗衣を纏うに相応しい人物が近くにいたのだろう。 「ありゃりゃ、こりゃさっきの勝負はノーカンかねえ? ……およ?」 「? どうしたのです?」 「フェイト…… すごく嬉しそうじゃない?」 「え?」  アルフの言葉にリニスが見ると、確かにフェイトは凄く嬉しそうだった。  それに心なしか……とても頼もしそうに“海龍”を見ている。 「それ程までに、当代の“海龍”の海闘士が強力?  ……いいえ違う、それだけじゃない。あれは――」  ごくごく親しい者……いや自分達にすら、滅多に見せない表情。  だが、自分達以外の海闘士は全て初見の筈…… (……いったい、何者かしら?)  謎は深まるばかりだった。  ――と、突然“海龍”が「べちゃっ!」と倒れ伏した。  “海龍”は仰向けとなった亀の如く手足をじたばたさせるが、直ぐにぴくりとも動かなくなってしまう。 「…………」 「…………」  このあまりに情けない光景に、アルフとリニスはぽか〜〜んと立ち尽くす。  そして暫しの後、アルフがやっとの思いで口を開いた。 「……あのさ、リニス?」 「……何ですか、アルフ?」 「アイツさ、さっきからこれっぽっちも小宇宙を感じないんだけど……」 「……いったい、何者?」  先程とは真逆の意味で、リニスは呻いた。 ┌───────────────────────┐ └───────────────────────┘ ┌───────────┐ └───────────┘ ┌──────┐ └──────┘ ┌───┐ └───┘ ┌─┐ └─┘  時は少し遡る。  謁見の間、金の刺繍であしらわれた赤絨毯の左右通路脇に鎮座する無数の彫像群。  その中でも最前列最近位に位置する“海龍”の彫像が、突如勢い良く分解した。  そして、一瞬の間に恭也の体へと装着される。  “海龍”の海闘士が、今ここに誕生したのであるっ!  べちゃっ!  ……だがそれもほんの一瞬のこと、直ぐにその重みに耐えかね、崩れ落ちてしまう。  海闘士恭也、早くもぴんちであった。 (う、うう…… 重い…… まるで鉛を着込んでいるようだ…………)  つーか、まるで子泣き爺みたいにどんどん重くなってきますです、はい。  やっぱりこーなったか、と恭也は地に伏しながら呻く。  この感覚、あっち(サンクチュアリ)で散々体験したしなあ……  …………  …………  ………… 『ぐ…… ぐおおお…………』 『お兄ちゃん! がんばってっ!』  “双子座”の黄金聖衣を纏った瞬間、恭也はその重みに圧し潰れた。  堪らず……だが悲鳴すら上げられずに呻くが、傍にいる愚妹はただただ声援を送るだけだ。  なのはよ…… 兄はお前に無理矢理コレを着せられて、こーなった訳なのだが…… 『小宇宙を燃やすのっ!』 『や…… だから俺に小宇宙は無いと……』  ……いったい、無いモノをどーやって燃やせとゆーのだろう?  しかもそれを教えてくれたのは、目の前のなのはだったりするのだが……  だが、なのははぐっ!と両の拳を握り締め、力強く訴えた。 『根性だよっ!』 『……………………』  この体育会系め……  結局、この特訓は恭也が失神するまで続いた。  そしてこの後も、事あるごとに繰り返されたこととなる……  …………  …………  ………… (あの地獄が…… ここでも繰り返されるのか…………)  力を振り絞って僅かに顔を上げると、はたして玉座のフェイトの顔が険しくなっていた。  やがて、フェイトの目がすーっと細くなる。 (ヤバい…… おしおきだ…………)  恭也が観念して顔を伏せると、頭上にフェイトの声が響く。 「……“海龍”? あまり悪戯が過ぎるようなら――“還す”よ?」  びくうっ!  その瞬間、纏っていた鱗衣が大きく震えた様な気がした。  次の瞬間、鱗衣が羽毛の様に軽くなる。  恭也は驚き、目を見張った。恐る恐る立ち上がり、しげしげと纏っている鱗衣を見る。 「こ、これは……?」 「鱗衣に協力させた」  何でも無いことの様にフェイトは答える。  だが恭也にとっては目から鱗、驚愕の大事態だ。 「協力!? そ、そんなことまでできるのか……」  すごいぞ、フェイト嬢! すごいぞ、鱗衣! 「……聖衣でも、これくらいできると思う。なの……アテナなら」 「……まぢ?」  こくり  フェイト嬢の頷きに、恭也は愕然となる。  それじゃあ、俺のあの特訓の日々は…… 「恭也は小宇宙が無いから、特訓なんてやるだけ無駄。無いものは燃やせない」 「…………」  ……そーだよね。そーだと思ってたよ、こんちくしょうorz  数分後、何とか復活した恭也に対し、フェイトが注意事項を説明する。 「でも軽くなっただけ。恭也は小宇宙が無いから、ただの鎧。それも適格者が纏うより数段落ちる」 「それでも凄いぞっ!」  だがその念押しに対し、恭也は興奮気味に叫んだ。  ……や、だって鱗衣って、一般兵でも青銅聖衣、隊長級なら白銀聖衣並、将軍級ともなれば黄金聖衣以上の性能なんだぞ?  で、“海龍”は将軍級だそうだから、多少落ちたトコで白銀なんか目じゃ無い。  ぶっちゃけ、Aランク……いや超Aランクのバリアジャケットを着てるようなモンだ。 (超Aランクのバリアジャケット……)  この事実に、恭也の全身が興奮で震える。  ……どうやら、散々悪態ついてたクセにその実、相当うらやましかった様だ(まるで“すっぱい葡萄”そのものの言動である)。  この喜び様を見て、フェイトは満足げに頷いた。 「“海龍”は最強最高の鱗衣。その出力と硬度は黄金聖衣より数段上。  だから、恭也が纏っても黄金聖闘士に準じる防御力が期待できる」 「をおお……」  恭也はますますヒートアップしていく。  黄金ってことは、Sランク級? もしかしてそれ以上?  これは――遂に俺の時代がっ!?  うるっ  思わず、目が潤んでくる。  長かった…… 本当に長かった…………  とらハ時代、「主人公のクセに後半咬ませ犬」「影薄い」「イラネ」と言われ、  リリカル時代になっても「やっぱり咬ませ犬」「決め技はディープキスですか?」「要するに魔砲少女達を光源氏計画ですね。わかります」 などと後ろ指を指されて続けてきた日々…… (だが……だがっ! そんな俺が遂に檜舞台にっっ!?) 「恭也、格好いい♪」  恭也の周りを仔犬のよーに回り、その勇姿?眺め見ていたフェイトが歓声を上げた。  ブタもおだてりゃ木に登る。  その声に、ついつい恭也は調子に乗ってしまう。 「ありがとう、フェイト嬢!」  そう叫ぶと、がしっ!とフェイトを両手で抱え上げ、“高い高い”をする。  そしてくるくると回りつつ、自信満々に宣言した。 「フェイト嬢! 俺に兵馬の権を寄越せ! なのはのヤツに一泡吹かせてやるっ!」  勝算は十分にある、と恭也は獲らぬ狸の皮算用……いや、算盤を頭の中で弾く。  黄金級は数こそ劣るが質では上、事実上互角。  そして、白銀・青銅級では数で圧勝―― くくく、圧倒的ではないか我が軍はっ!  ニヤソ、と恭也は笑う。  なのはに兄の偉大さを見せてやるっ! お尻ぺんぺんの刑だっ!  恭也のこの言葉……と言うかトンでもない要求に、嬉しそうに振り回されていたフェイトが大きく頷いた。 「うん、任せる。恭也はもう海将軍筆頭だから、好きにしていい」 「俺はやるぞっ! なのはのヤツに、俺を岩牢なんぞに閉じ込めた復讐をしてやるっ!」 「「ちょっと待ったーーーーっっ!!??」」  げしっ! 「ぶろおっ!?」 「あ……」  突然の背後からの衝撃に、恭也は妙な鳴き声を上げて吹き飛ばされた。  ぐおおおお…… コレ着てると、空間把握能力が極端に落ちる……!?  ……ま、周囲をフィールドで覆ってますからね。  “恭也の時代”とやらは、どうやらまだまだ先のようだった。