魔法少女リリカルなのは×とらいあんぐるハート3SS 「とある青年と夜天の王」 プロローグ「全ての始まり」 【前編】 ――――西暦2006年6月24日夜。海鳴市、海鳴ベイシティホテル。  恭也は爆弾を抱きかかえると、最後の力を振り絞って窓に体当たりした。  ガッシャーン!  窓ガラスが割れ、恭也は地上12階から放り出される。  恐怖は、無い。  あるのは「守れた」安堵と「守れなかった」悔恨。相反する二つの感情のみ。  守れたのは、大切な人たちの命。そしてたくさんの希望。  守れなかったのは、大切な人たちの心と……約束。 「すまん…………」  恭也は皆の顔を思い浮かべ、小さく詫びる。  願わくは自分みたいな馬鹿野郎のことなどさっさと忘れ、幸せになってくれることを。  願い終えると、恭也は死を受け入れる準備を始めた。 (これで霊にでもなったら、会わせる顔無いもんなあ……)  地縛霊になった自分を想像し、思わず苦笑してしまう。  ……それは、あまりに情けない。死んでもゴメンだ。 (え〜と…… 確か雑念を消して、心を穏やかにするのがいいんだっけ?)  心頭滅却すれば火もまた涼し。恭也は心を落ち着かせ、静かに“その時”を待つ。  ここではない、遠い遠い“別の世界”へと旅立つために。 (――いざ、逝かん)  キイィィィィーーーーン (…………ん?)  一瞬、恭也は現実へと引き戻された。  今、胸元で何かが光ったような……? (気のせい……か?)  まあどうせ夜景の光か何かだろう。もう直ぐ死ぬ身には関係の――って、何アレ?  その不可思議な現象に、恭也の目が丸くなった。  直下の空間が、ウネウネと歪んでいる。  歪みは徐々に大きくなり、遂には“穴”となる。  そして自分は、一直線に“穴”へと吸い込まれつつあった。  ……ちなみに、回避は不可能。  もはや心頭滅却どころではない。予期せぬ事態に、恭也は顔面蒼白となる。 「の、のおおおおーーーーっっ!!??」  が、どうにもならない。なる筈が無い。  絶叫を残し、恭也は“穴”へと消えていった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【中編】 ――――??? <1>  コチコチコチ……  規則正しく針を進める秒針を、少女はベットに寝そべりながら、ぼんやり眺めていた。  あの針が12の数字まで到達すれば6月4日となる。少女、8歳の誕生日だ。  ……何が変わる訳でも無いけれど、それでも気にしてしまうのは、やはり特別な日だからであろうか? 「さようなら、7歳の私。こんにちは、8歳の私……」  少し気の早い言葉を、少女はぽつりと呟いた。  そして、自分でもおかしくて笑ってしまう。おかしくて涙が出てしまう。  ……私、いったい何を期待しとるんやろ? もう、諦めたはずなのに。 「大丈夫、私は幸せ。孤児にも関わらず、何不自由ない暮らしをさせて貰っとる。  これ以上贅沢言ったら、罰当たってしまうやん……」  嗚咽交じりのか細い声で、少女は呟く。  が、涙は止まるどころか、止め処もなく溢れて来る。  寂しい、辛い、一人ぼっちはもういや……  コチコチコチ……  シーツに顔を埋めて忍び泣く少女の傍で、時計の秒針は規則正しく進んでいく。  そして、遂に12の数字にまで達した。 ――それが、合図だった。  キイィィィィーーーーン  部屋の空気が硬質化した。空間が、“歪む”。 「…………?」  少女も異変に気付いたのか、涙交じりの顔を上げ、怪訝そうに周囲を見る。  するとベットの真上、その天井近くの空間に、黒い“点”が浮かんでいることに気付いた。  ……どうやら、これがこの不可思議な現象の大元らしい。 「???」  少女はベットに仰向けになり、泣くのも忘れて“点”を凝視する。  すると、“点”はゆっくりと、だが確実に大きくなっていることが分かった。  “点”はやがて“面”となり、次いで“輪”となった。“輪”の中は、まるで全てを飲み込まんとするが如き漆黒の闇――  ……普通なら、この現象に畏れ慄くであろう。逃げるか、震えて縮こまるか、どちらかであるに違いない。  だが、少女は違った。まるで何かに憑かれたかの様に、驚くことすら忘れ凝視し続ける。  〜〜〜〜ッ 「?」  少女は小首を傾げた。  何か、“輪”の向こうから聞こえてきたような気がしたからだ。  あ゛〜〜〜〜ッ  そう、ちょうどこんな人の声の様な―― 「って、ホントに人の声やんッ!?」  驚いて起き上がりかけると、声どころか人らしきものの姿すら見えてきた。  あ゛あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!?  それは、男の人だった。悲鳴を上げながら、“こっち”目掛けて一直線に落ちてくる。  ……より正確には、少女目掛けて。 (あ、もう駄目かも)  少女は自分の運命を悟り、再度ベットに横たわって全身の力を抜いた。  あれだけの加速が付いた大人の男性と激突したら、小柄で病弱な自分などイチコロだろう。逃げようにも、体が動かない。  ……だが、不思議と恐怖は無かった。むしろ最後の最後で不思議なものが見れて、少し得した気分だ。 「……あれ、やっぱり死神さんやろか?」  全身黒っぽいから、もしかしたらそうかもしれない。  ……私の最期にこんな演出してくれるなんて、ずいぶんと粋やなあ。 「あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!??」  “死神さん”の姿は段々と大きくなり、遂に輪から飛び出てきた。 (……お父さん、お母さん、私も今から行きます)  きゅっ!  少女の両手が、握り締められる。  と、“死神さん”と目が合った。 「!?」  “死神さん”は驚いた様な顔をし、次の瞬間―― 「ふんっ!」  気合と共に物理法則を完全に無視した軌道を描き、部屋の本棚へと激突。  飾られていた“鎖で縛られた巨大な本”と熱いベーゼを交わす。  べちゃっ! 「へぶうっ!?」  “死神さん”は奇妙な叫び声を上げ、床にずり落ちる。  と、その後を追うかの如く、大量の本を抱え込んだ本棚がその上に覆い被さった。 「ぷぎゅるっ!?」  ……そして、トドメとばかりに先程ベーゼを交わした本が“死神さん”の顔面に盛大に落下する。 「ぶろおっ!?」  ぴくぴくぴく……ぱたり  それっきり、“死神さん”はぴくりとも動かなくなった。  そして、床に広がっていく赤い“染み”。  はっ!?  そのあまりに見事な三段オチに、ただただ呆気に取られていた少女だったが、これで流石に我に返った。  慌てて這いより、肩を揺する。 「ち、ちょう、大丈夫!? 110……いや119番ーーーーッ!?」  少女の声が、家中に響き渡った。  それは、実に数年ぶりに少女が出した大声だった。 <2> 「う゛、う゛〜〜〜〜ん」  目を覚ますと、恭也は部屋の中にいた。  ……それも病院ではなく、一般家庭の部屋に。 (――て言うか、俺生きてるっ!?)  もぞもぞ、ぺたぺた。  恐る恐る確認してみるが、四肢もきちんとあり特に大きな損傷は見当たらない。  まあ「体中包帯だらけ」+「体中かなり痛い」ことから考えて全身傷だらけであることは確かだが、その程度で済めば御の字であろう。 「……何せ、爆弾抱えて12階から飛び降りたんだからなあ」  自分でも呆れてしまう。  この状況で助かるなど、運の強さもここに極まれりである。  ……もしかして、一生分どころか来世の運まで使い果たした? 「でも、死んだら残りの運もクソもないからなあ〜〜  それに来世のことまで責任持てんし…… う〜む?」  暫し考えて得た結論は、「ま、いっか」だった(実に極楽蜻蛉な男である!)。  そして、あらためて自分の状況を再確認する。 (体に多数傷があるものの、重大な損傷は無し)  ……これは有り難い。どうやら、いま暫くは剣士として生きられそうだ。  自分を助けてくれた“何か”に、今は素直に感謝することとする。 (拘束はされていない。武器も……ある)  自分が持っていた武器は、他の私物と共に部屋の隅に丁寧に置かれていた。  使用可能かどうかまでは不明だが、この部屋の主にやはり素直に感謝することとする。 (で、最後にここは何処だ? 見た所、一般家庭の……それも小さな女の子の部屋のようだが……)  今自分がいる場所を、机や椅子の高さ等から「小さな」、雰囲気から「女の子」の部屋と判断した。  ……しかも「知らない子の」だ。いったいどうしてここにいるのか、ちょっと見当がつかない。 (不思議と言えば……なんで俺、床に寝てるんだろ?)  ……や、助けて貰った上に厚かましい話だとは思う。  けど、自分の傷は拙いなりにも丁寧に手当てされている。心が篭っているのだ。  にも関わらず、床に布を敷いただけの場所に寝かされているのが分からない。あまりにアンバランス過ぎる。 (それに倒れた本棚といい、う〜む……)  再び、考える。そして得た結論は―― (ま、いっか)  ……やはり「ま、いっか」だった。  特に問題無さそうだし、恭也的に結果が良ければノープロブレムである。  そんなことよりも、これからすべきことを考える。 (真っ先にすべきことは、手当てと目覚めるまで場所を提供してくれたこの部屋の主と保護者に、心から礼を言うことだろう。  足りない分は後日あらためてすれば良い)  そして次にすべきことは―― (皆への連絡)  そこまで考え、恭也は盛大に顔をしかめた。  うわー、カッコ悪〜〜  正直、バツが悪すぎる。 ……どんな顔して会えばいいんだろ? 「――すまん、心配かけた」  う〜む、暗い。 「今帰った。フロメシ寝る」  う〜〜む、軽過ぎ。 「不肖高町恭也、恥ずかしながら帰還しました!」  う〜〜〜〜む、イマイチ。 「ただいま」  ……うん、これでいこう。何気ない顔で「ただいま」。  多少泣かれて、怒られて、ボコられるかもしれないけど、甘んじて受けよう。 (ふ〜〜)  今後の対応が決まると、だいぶ気持ちが楽になった。  そして、眠気が襲ってくる。体が、休息を求めているのだ。 「もう一眠りするか……」  恭也は本能に身を委ねるべく、目を閉じ、意識を沈め―― (――ハッ!?)  だが保留にしたままだった重大な案件を思い出し、意識が急浮上する。  ……何故か、全身冷や汗でびっしょりだ。 「そうだ…… 帰ったら“返事”する約束だったんだ……」  やべ…… 三人になんて言おう?  深い苦悩の篭った呟きを漏らし、恭也は先程以上に真剣に悩む。  や、だって下手な選択した日にはデッドエンドものだし。 「う゛〜〜〜〜 ……むう?」  頭を抱えて悩んでいた恭也が、急に緊張した表情で顔を上げた。  誰かがこっちに向かって来る。  が、その気配は小さい上、危険も感じない。 (……子供? この家……いやこの部屋の子か?)  警戒を解き、不思議そうに首を捻る。  いや、それ自体は不思議ではないのだが―― (足音がおかしい。杖……松葉杖をついている?)  ガチャ  そうこう考えている間に、ドアが開いた。  入ってきたのは、小学校低学年ほどの女の子。ショートカットの愛らしい少女だ。  その右手には想像通り松葉杖が抱えられ、左手には袋が下げられている。  恭也が目を覚ましたことに気付くと、少女は嬉しそうに笑った。 「あ、起きたん? よかった〜  もう三日も目を覚まさんかったから、心配したんよ?」 「……それは迷惑をかけた。心より礼を言う」  そう言って、恭也は今の自分ができる最大限の動きで頭を下げた。 「ややなあ、困った時はお互いさまやん。でも、本当によかったわあ。  ……今日目覚めんかったら、止められてた119番しようかと悩んどったんよ」 「?」 「覚えとらん? 私が『119番〜〜』叫んだら、手え掴んで『110番と119番はカンベン……』って呻いたやない?」 「あ〜〜〜〜」  少女の言葉に、恭也は如何にもバツの悪そうな声を上げる。  ……ついいつものクセで、無意識の内にやっちまったか。  普段の仕事は“裏”が大半だから、基本的に警察とか公的機関と関わりたくないんだよ。  今回は正真正銘警察からの“まっとうな依頼”だったけど、その警察からの依頼だって半分は表沙汰にはできないヤツだからなあ……  や、まあリスティあたりに頼めば揉み消してくれるだろうけど、後が怖いし。  『恭也、これで貸し一つだよ?』  ……あの人の貸し、高くつくからなあ。  どんな仕事を(それもタダ働きで)押し付けられるか分かったもんじゃあない。闇金も真っ青だよ、ホント。  ま、それはそうと、こんな訳ありの怪しい男を三日も預かってくれたとは。 「……本当に迷惑をかけた」  心の底からそう思い、再び頭を下げる。  が、少女は(袋を床に置き)空いた左手をぱたぱた振り、気にしないでと笑ってくれた。 「だから困った時はお互いさまやって」  ……少女の背後から後光が差した様な気がした。いや、マジで。 <3>  なんまんだぶなんまんだぶ…… (なんかようわからんけど、愉快な人やなあ〜)  何故か自分を拝み伏す“死神さん”を見て、はやては知らず知らずの内に顔を綻ばせた。  ……本当に、こんな気持ちになったのはどれ位振りだろう? ちょっと思いつかない。  だから、本当にお礼なんかいいのだ。  だって、自分も救ってもらったから。あの底なしの悲しみから、一時的とはいえ引き上げてもらったから。  だから―― 「この恩は一生忘れん」 「……ええんよ、本当にええんよ。お互い様や」  心からの気持ちを込めて、はやては首を振った。 「そういえば、お兄さん名前なんて言うん?」  よいしょと枕元に腰を下ろしたはやては、“死神さん”の名前を聞いてみた。  (※とはいえ、目の前の相手が“死神さん”などでないことは既に承知している。彼は普通の人間だ) 「私ははやて、八神はやて。小学校休学中で毎日が日曜日の8歳や」 「俺は高町恭也。高校中退の無職で23歳。当然、毎日が旗日だ」 「「……………………」」  くすくす……  ははは……  自己紹介をした後、二人は暫く見つめ合い、息を合わせたように笑い始めた。  そして息も絶え絶え、苦しそうに口を開く。 「……似てるな、俺ら」 「イヤな似かたやけどね?」  二人は、腹の底から笑いあった。 (……私、なんでこんなに笑えるんやろ?)  ふと、はやては疑問に思った。  この歳で長い間一人暮らしをしていたこともあり、自分は人一倍警戒心があると思う。  なのに……何故? 何故自分は見知らぬ男の人の前で、こうも無邪気に笑えるのだろう?  寂しくて堪らなかったから?  不思議な出会いをしたから?  面白い人だから?  ……そうかもしれない。でも、きっとそれだけじゃない。もっと決定的な……とてもとても大事なことがあると思う。  それが何なのか、自分でもよくわからないけれど―― 「てりゃ」  ぺちっ 「あうっ!?」  いきなりの痛みに、はやては思わず俯いた。  そして、涙目で恭也を睨む。 「な、何するん!?」 「デコピン」  だが恭也は涼しい顔だ。何を当たり前のことを、と言わんばかりの表情で応じる。 「デコピンされたのは知っとるよ!? なんでって聞いとるんや!」 「人を無視して自分の世界に入ったから。言わば教育的指導だな、うむ」 「このいぢめっこ!」  ぽふっ!  恭也の言葉に憤激したはやては、毛布の上に倒れこみ恭也の胸やお腹をぽかぽかと叩く。 「うおう、地味に痛いぞ!?」 「いぢめっこに、おしおきや!」 「降参、降参」  これは堪らんとばかりに、恭也が両手を挙げた。  それを見て勝ち誇るはやて。 「私の勝ちや!」 「うむ。強いぞ、はやて嬢」  恭也は、くしゃくしゃとはやての頭を撫でる。  そして優しく……まるで包み込むかのように笑った。 「あたりまえや。私はとっても強いんやから、甘く見たらあかん」  はやてもまた笑いながら、ふと昔のことを思い出していた。  それはもうずっと昔、両親と一緒に過ごした最後の誕生日のこと。  ――なあ、はやて。来年の誕生日プレゼントには何が欲しい?  ――お父さん、少し気が早すぎるんやないですか?  ――ははは、いいやないか。はやて、今からいい子にしてたら好きなものを買うてやるぞ? ……あんまり変なものはダメやけどな?  『おにいちゃん!』  ――は?  『わたし、おにいちゃんがほしいっ!』  ――ははは、困ったな……どないする、母さん?  ――どないするって言われても……  『 おとうさん、おかあさん、おねがいや〜』 (天国のお父さんとお母さんが、心配してくれたのかもしれんなあ……)  はやてには、そう思えてならなかった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【後編】 <1>  その夜―― 「……俺、ナニやってるんだろう?」  天井を眺めつつ、恭也はぽつりと呟いた。  すー、すー  ……その傍らには、穏やかな寝息のはやて。  二人は、一緒のベットに同衾していた。ぶっちゃけ、恭也は抱き枕状態だ。 「む〜〜〜〜」  すりすり……  寝ぼけたのか、はやてがわき腹にしきりに顔を擦り付けてくる。恭也の頬が緩んだ。  あ〜、かわいいな〜 ちっちゃくってやわらかくてあたたかいな〜〜  愛らしさのあまり、思わず抱きしめてしまいそうになる。つい、手が―― (はっ!?)  我に返り、慌てて手を引っ込める。 「俺って、最低だ……」  ……そして、自己嫌悪に陥った。  男女問わず子供に対しては過剰な程スキンシップの厚い恭也であるが、別に「見境無し」と言う訳ではない。  そこにはきちんとした線引きがなされている。  まず大原則として「家族か家族でないか」、次いで「親しいか親しくないか」。  基本的に彼が甘い顔をするのは“身内”に対してのみであり、他人に対してはむしろ冷淡に近い。  だが、保護を必要としている子供に対してだけは別だった。  元来旺盛な恭也の保護欲が刺激されまくり、ついつい構いまくってしまうのである。  今回も、そうだった。 「はあ〜〜」  溜息が出てしまう。 (よそ様のお子さんに、俺はなんてコトしてるんだろ……)  ここまでくれば、もはや犯罪である。  だが恭也には同衾を断ることができなかった。  言い訳になってしまうかもしれないが、こうなったのにも訳があるのだ。  はやては、幼い上に足が悪い。  にも関わらず、恭也の手当てをしてくれた。敷布まで下に敷いてくれた。  ……いったい、如何ほど苦労したことだろう? なのに、恩着せがましいことは何一つ言わない。  ばかりか、「怪我人やから」と目を覚ました恭也に、一つしかないベットまで譲るとまで申し出た。  挙句、自分は床に寝るとまで言う(何でも、自分が目を覚ますまでの間もずっとそうして、直ぐ傍で寝ていたらしい)。  お互いが譲り合った結果が、この同衾という訳だ。 (……しかし何故、この子は初対面の俺に、ここまで簡単に懐いたのだろう?)  恭也は首を捻る。話した限りでは中々どころか相当に賢い、しっかりした子だと思うのだが……そこまで寂しかったのだろうか?  だが直ぐに首を振った。違う、それだけでこの子はここまで懐きはしないだろう。何かこの子なりの理由があるに違いない。  ……さすがにそれが何かまでは分からないけれど。  恭也は、それ以上はやての事情に踏み込むことを避けた。他人の自分がこれ以上深入りすることに、躊躇を覚えたのである。  対するはやてもまた、恭也のことをあまり聞こうとはしなかった。  だが行動は同じでも、その心理は真逆。  ぎゅっ  はやての両の手は、恭也の服をしっかりと握り締めている。  それこそが、はやての本音。決して口には出さないが、彼女は―― 「……大丈夫だ。黙っていなくなったりはしない」  そう耳元で囁き、恭也ははやての頬を撫でる。  ある程度回復するまでの間、恭也はここに泊まることを既に決め、はやてにもそれを伝えていた。  ……それも、心配しているであろう家族達に無断で。  電話をかける時のはやての不安そうな表情と、通じなかった時の安堵の表情を見てしまったから、ということもある。  だが何よりの理由は、「電話が通じなかった」から。  自宅にも、翠屋にも、皆の携帯電話にも……どれ一つとして電話は繋がらなかった。  全て、「その番号は現在使われていない」か「他人が使用していた」。  ――ありえない。恭也の胸の内に存在する漠然とした違和感、そして不安が急速に膨れ上がっていく。  だから、問題を先送りした。考える時間が、心を整理する時間が欲しかったのだ。 「……とりあえず、回復に専念するかね」  そう無理矢理自分を納得させ、恭也は目を閉じた。 <2>  翌朝。陽の光の下、恭也は武器の損傷具合を確認する。 「…………」  スラリ  恭也は無言で小太刀を鞘から抜き、真剣な表情で眺める。  そして大きく顔を顰めた。 「大慶直胤が……」  大慶直胤作の小太刀は刃身に深い皹が幾つも入っており、見事に逝ってしまっている。  ああ、新々刀とはいえ最上作なのに……  幸い、士郎の形見である八景は(一応)無事だったが、実に頭の痛い話だ。 「次、何使おう? 新刀や新々刀で実戦的なヤツは、あらかた逝っちまったからなあ〜  まさか希少な古刀を使う訳にはいかないし…… いっそ、割り切って現代刀でも使うか?」  倉にある刀剣をあれこれ思い出し、恭也は嘆息する。  ここ数年、あちこちの戦場やら抗争に首を突っ込みまくったせいで刀の消耗が激しい。  父の形見である八景の消耗を極力避け、力尽くの行動は主に対の刀で行っていることが、これに拍車をかけている。  だが仮に八景を倉に納め、二振の新刀・新々刀を同程度に使うとしても、近い将来ジリ貧となることは確実だ。  ……それに八景とて、いつまでも保つものではない。  やはり潮時、補充の利く現代刀に切り替えるべきなのだろうか? 「でも、なあ…… 偏見かもしれんが、現代刀に命を預けられん…………」  う〜むと恭也は唸る。  いい刀を使うのは、“御守り”という意味合いもある。  精神的な問題だが、命を賭けてるだけあってそうそう妥協できるものではない。  ……それに単なる刀同士の打ち合いならともかく、銃弾の飛び交う世界で戦うのだ。  果たして美術品志向の強い現代刀が、“武人の蛮用”に耐えられるだろうか? 「ま、後で倉と相談するか。  ……あ゛、飛針や鋼糸も半分以上なくなってやがる。ついでに服もズタズタ。  はあ〜〜〜〜……! も、もしやっ!?」  恭也は何か思い出した様に慌てて服をまさぐり、やがてホッと安堵の吐息を漏らした。  その手には、見事な黒水晶の首飾り。 「これ、忍が“誓い”を交わした時にくれたヤツだからなあ……」  とてもとても大事なものなのだ。 ――そう呟き、恭也はしげしげと眺める。 「何度見ても、実に見事なものだな」  月村家に代々伝わる家宝だったのも頷ける。  ……尤も、貰った当時は忘れられて埃に埋もれていたが。 「……そういや、コレもお守りだったな? じゃあもしかしてお前が俺を助けてくれたのか?」  そう、冗談めかして恭也は笑う。  無論、黒水晶は黙して何も語らない。陽の光を浴びて、ただただ光るのみだった。 <3> 「恭也さん! ご飯やで〜〜」 「ああ、今行く」  はやての声に、恭也は食堂へと降りていく。  食堂では、はやてがお粥を作って待っていた。 「恭也さん、もう三日もよう食べとらんから、お粥でええな?」 「ああ、鍋は俺が運ぼう」  連続した居間からは、時報代わりのTVの音が聞こえてくる。  ……ああ、もう直ぐ7時か。 『7時になりました。平成13年6月8日金曜日のNHKニュースです』  ――――ッ!?  その言葉に驚き、恭也は振り返った。  今……今何と言った!? 6月8日だと!?  馬鹿な!? クリステラソングスクールのチャリティコンサートは、“平成18年6月24日”だったのだぞっ!? 『日米英仏露戦略兵器削減条約が締結されました。  我が国はSLBM(潜水艦発射弾道弾)1発あたりの核弾頭を8発から4発に削減することになります。  海軍は核弾頭数の減少を大型化による更なる精度の向上により補う計画で――』 『北樺太、所謂“北方領土”を巡り、ロシア政府がまたも即時無条件の返還を要求しました。  これに対し政府は「北樺太は我が国固有の領土」としてこれを拒否し、駐日大使に遺憾の意を表明しました。  北樺太は大正8年にシベリア出兵と引き換えに当時のロシア正統政府たる――』 『与党憲政党は、減税問題に関して野党民政党と実質審議に――』 『本日未明、呉軍港沖で記念艦として展示されている戦艦“大和”でボヤ騒ぎがありました。原因は艦内レストランでの火の不始末――』  次々と流れるニュースに、恭也は呆然となった。  ……何だ、これは? いったい、何処の世界の―― 「!」 「!? 恭也さん! 何処行くんっ!?」  はやての悲鳴を振り切り、恭也は家の外に飛び出した。                          ・                          ・                          ・ 「はっ、はっ、はっ」  朝の海鳴を、恭也は一心不乱に駆けて行く。  はやてから借りた男物のパジャマに裸足という姿に、道行く人が振り返るが、そんなことは関係ない。  導き出されつつある結論を無理矢理押さえ付け、一縷の希望を抱いて駆ける。  目指すは翠屋。中丘町からはそう遠くない、もう直ぐ―― 「!?」  だが、希望は脆くも打ち砕かれた。  翠屋の前で、死んだ筈の士郎が掃除をしている。その隣には、“恭也”がいた。  ……それが、答え。  認めざるを得なかった。  自分が、異世界にいることに。 「あ、あはははは……」  恭也は、乾ききった声で笑った。 <4>  あてどもなく何時間も町を彷徨った後、恭也は臨海公園へと辿りついた。  空いているベンチを見付け、よろよろと腰を下ろす。  彼の気持ちを表すが如く、空からは雨が降り注いでいた。  だが恭也は気にも止めず、独り雨に打たれ続ける。  何の気力も湧かない。少なくとも、今は動けない…… (……これから、どうする?)  恭也は、ぼんやりと考えた。だが、何もかもがどうでもいいとすら思ってしまう。  無論、最初は怒りを覚えた。運命の理不尽さよりも、むしろ思いを汚されたことに激怒した。  老いと怪我を考えても、あまりに隙だらけの士郎。問題外の自分……見ていられなかった。  ――違うっ!  だが、思わずそう叫びそうになったところで気が付いた。  “この世界”では彼等こそが“本物”であり、自分が“偽者”なのだということに。  ……そう気付いた後、残ったのは虚無感だけだった。  だが心が折れても尚、頭は恭也に行動を命じる。 (……どうするかって? 決まってるだろ? 元の世界に帰るんだよ。来れたのなら、帰れる筈だ)  そのあまりに能天気な考えに、思わず笑ってしまう。 「ははっ、涙も出ねえや……」  ま、代わりに空が泣いてくれてるからいいか。  恭也は自嘲した。  すっ  突然差し出された傘に、恭也は我に返った。  見上げると、心配げに自分を覗きこむはやてがいた。 「……探したんよ?」 「はやて嬢、か……」 「こんなどしゃぶりの中、傘もささんで……」 「そうしたい年頃なんだ」 「23にもなって、することやないと思うけど」 「心は少年のままなんだ」 「……恭也さん、もう少し大人になりましょうや」  はやては一瞬苦笑するが、直ぐに不安そうな表情で訊ねた、 「……何で、急に家を飛びだしたん? 私、何かした?」  この問いに、恭也は首を振って否定する。 「はやて嬢が悪いんじゃない、俺が悪いのさ。  俺は、この世界にいるべき人間じゃないんだ」 「……何言ってるか、ちっとも分からんよ」 「なに、簡単なことだ。俺は別の世界から来た人間で、この世界の人間じゃない。  だから俺の家に俺がいた。 ――それだけだよ。この世界では、俺は偽者さ」  それは、あまりにふざけた説明。  だが、はやては納得したように頷いた。  そして、ぽつりと問うた。 「……これから、どうするん?」 「元の世界に帰る方法を探す旅に出る」  これを聞いたはやては、恭也に掴みかかり叫ぶ。 「でもっ! 泊まる所ないやん! お金だって――」 「男一匹、どうとでもなるさ。はやて嬢、世話になったな」 「待っ――きゃうっ!?」  ドサッ!  立ち去ろうとする恭也を追いかけようとして、はやては転倒した。  さすがに放ってはおけず、恭也は駆け寄り、助け起こす。 「お、おい大丈夫か? ――って、お前熱があるぞ!?」  いったいどうした――そう言いかけ、気付いた。  はやての足元は、雨や泥でだいぶ汚れている。  まさかあれから、俺が飛び出してから、ずっと探していたのか!?  ……考えて見れば、当たり前のことだ。  はやては恭也のことなど何も知らないに等しい。ならば時間をかけ、手当たり次第に探し回るしか無いではないか。 (つまるところ、全て俺のせいか。なんたる失態……)  辿りついた答えに、恭也は呻く。 「馬鹿者め。こんな足で、こんな雨の中を夕方まで……」 「……恭也さん?」 「何だ、馬鹿者」 「少なくとも私にとって、恭也さんは偽者なんかやないよ?」 「…………」 「……それに恭也さんがこの世界で独りぼっちなら、私だって独りぼっち。私達は同じや」  ぎゅっ!  手で恭也の服を掴み、はやてはじっと見上げる。 「恭也さん……お願いだから私の家族になって」 「…………」  無言の恭也に、はやては尚も言葉を続ける。 「たとえ意識がなくても、恭也さんがいた間は楽しかった。温かかった。  ……もう、独りにはもどれへん」 「…………」 「誰でもいいんやない、恭也さんがええんや。恭也さんだからええんや。  元の世界に帰れるまで……ううん、落ち着くまででいいから、私の家族になって……」 「…………」 「お願いや……」  はやての言葉を、恭也は無言で聞いていた。  そして全てを聞き終えた後、天を見上げる。  ……思わず出てきた涙を隠したのだ。  ああ、この世界でも俺を必要としてくれる人がいるのか。  この少女は、これ程までに俺を必要としてくれるのか。  恭也は嘆息し、軽く目を閉じた。  この少女は、俺の命を助けてくれた。そして今また、この世界で生きる意味を、資格を与えてくれようとしている。  ならば、俺は何をすべきか? ――そんなことは、決まりきっている。  恭也は大きく目を見開き、はやての目を見た。  そして大きく息を吸い込み、“誓い”の言葉を口にする。 「約束しよう、はやて嬢。君が俺を必要とする限り、俺は君の……いや、はやての家族となろう」 「! 恭也さんっ!!」  はやてが、恭也の胸の中に飛び込んだ。  降りしきる雨の中、二人は固く抱き合う。 「兄でも父でも、俺を好きに呼ぶといい」 「私も……好きに呼んでええよ。娘でも妹でも、なんでもええ」  ……それは、何ら強制力を伴わない、両者の真摯な想いのみで交わされた誓い。  一つの家族の誕生であると同時に、これから起こる全ての物語の始まりだった。