はぴねす!SS「世の中そんなに甘くない」 【第16話】 「……姉さん、事件です」  雄真は思わず天を仰ぎ、呟いた。  無論、雄真に姉などいないし、ましてや脳内姉がいる訳でもない。ただの現実逃避だ。  が、某E○Aのシ○ジ少年かスぺ○ンカーの主人公並に打たれ弱い雄真にとって、現実逃避は心の平穏を保つ上で必要不可欠、ある意味“精神安定剤”なのである。察してやって欲しい。  ……ま、所詮それで逃げ切れる筈も無いのだが。  当然、今回も直ぐに目の前の現実へと引き戻された。 「な……何をやっているのですか?その女(ひと)は誰ですか?」  震える声で、すももは問い詰める。  その両腕には大皿が抱えられていた。白いナプキンを被せてあるため何が盛られているかは見えないが、その匂いから察するに揚げ物――おそらく“すもも特製コロッケ”――だろう。  家庭科実習で作った料理を差し入れに来た、といったところだろうか?  コロッケは雄真の好物である。ことにすもも特製ともなれば、TOP3にランクインする程の大好物だ。  おりしも丁度昼時、空腹という最高の調味料も加わり、まさに食べ時と言って良い。  が、それ以上に間が悪かった。  葵を抱き抱える自分、そしてそれを見て立ち尽くすすもも――まるで“かつて”の再現である。  ……いや、二人が共に義妹だということを考えれば、寧ろ余計タチが悪いだろう。(何せ、かつての様に「片方を放り出して」という訳にはいかぬのだ)  ぶっちゃけ、“修羅場”というヤツだ。 「い、いや……これはその……」  狼狽しつつも、雄真は何とか弁明を試みる。  が、悲しいことに何を言ったら良いかまるで思いつかない。自然と言葉は尻すぼみとなっていく。  それは、かえってすももの不安を煽り立てた。  兄さん……なんで……?  兄と離れて僅か二日、されど二日。すももの不安は募る一方だった。  何しろ十日間とはいえ実母と暮らすのである、「もしかしたら、もう帰ってこないのではないか?」という不安が過ぎるのは無理からぬ所であろう。  兄離れの出来てないすももにとり、その未来予想は悪夢以外の何者でも無かった。  加えて、色々と良からぬ噂も流れてくる。  故に、すももは調理実習のお裾分けを名目に、こうしてわざわざ兄を訪ねてきたのだ。  ……が、最愛の兄は見知らぬ女(ひと)を抱き抱え、穏やかに笑っていた。  すももは裏切られた思いで一杯だった。 「……お兄さま?」  と、そこに今までこの状況を無視……と言うか気にもせずに、雄真の腕の中で独りその温もり堪能していた葵が、不思議そうに呼んだ。  ……多分、いや絶対にこの状況に気付いたのでは無い。恐らく、ついさっきまで揺り篭の様に自分を優しく揺らしていた雄真の手が、急に動かなくなったことに対して疑問と不満を抱いたのだろう。 「“お兄さま”!?」  その言葉に、すももが目を剥いた。  雄真を“兄”と呼べるのは、世界広しと言えども自分だけの筈である。これは重大な主権の侵害だった。  如何な子供とはいえ、到底許せる行為ではない。 「兄さんは私だけの兄さんなんです! 勝手に兄呼ばわりしないで下さい!」  と、すかさず目の前の少女(葵)に噛み付いた。  そして、強引に二人の間に割って入る。  しっしっ!  葵の代わりに腕に潜り込むと、すももは雄真に対してお説教を開始した。 「兄さんも、一体何やっているのですかっ!?」 「あ、いや……」 「あんな子供に“お兄さま”なんて言わせて! 捕まりますよ!?」 「えっと、だから……」 「……しょうがないですねえ。“お兄さま”って呼んで欲しいのなら、わたしが呼んであげますよ♪  ニセ妹に呼ばせるよりも、ずっといいでしょう? 兄さ……“お兄さま”♪♪」  そう言いながら、すももはさかんに雄真に体を押し付けた。  ……あたかも、まるでネコが自分の匂いを擦り付けるかの様に。 「…………?」  さて、一方の葵である。  訳も判らぬ内に“楽園”を追い出された彼女は暫し呆然としていたが、直ぐに“指定席”が占拠されていることに気付いた。 「!?」  葵は目の前の光景に驚愕し、硬直する。 『……しょうがないですねえ。“お兄さま”って呼んで欲しいのなら、私が呼んであげますよ♪  ニセ妹に呼ばせるよりも、ずっといいでしょう? 兄さ……“お兄さま”♪♪』 「!!」  が、その言葉で我に返った。  ニセ妹――それは、もしかして自分のことか? 「…………」  葵は、ゆっくりと立ち上がった。  ……なんか目が据わってる様に見えるのは、決して気のせいではないだろう。  その手には、何時の間にか杖――マジックワンドを持つ前の生徒が使う――が握られている。 (ヤバいっ!?)  その徒ならぬ様子に気付き、雄真は慌てて声を上げた。 「ストップ!? ストーーップ!!」  …………  …………  ………… 「え〜と、な? 葵ちゃんは鈴莉先生の弟の娘さんで、俺の従妹なんだよ……」 「え……?」 「で、こっちはすもも。俺が養子に行った先の娘さんで、俺の義妹」 「……え?」  からくも悲劇を一歩手前で回避した雄真は、すももと葵を引き合わせた。  が、説明しつつも雄真はまるで隠し子でも紹介するかの様に、実に後ろめたそうに二人から目を逸らしている。  ……なんか二人とも裏切っている様に思え、居た堪れなくてならぬのだ。  耳を疑う様な二人の声が、痛い。 「…………」 「…………」  き、気まずい…… 「ま、まあ二人共俺の妹なんだから、姉妹みたいなもんだよな、なっ? だから二人共仲良くやってくれ……お願い」  沈黙したまま見詰め合う二人、その緊迫感に耐え切れず、雄真はお願いしてみた。最後など、殆ど哀願に近い。  ……が、それは藪蛇だった。 「そ、そんな……兄さんに“隠し妹”が……!?」 「お兄さまが、他にも妹を作っていたなんて……」 「「!?」」  二人は互いの台詞に驚き、ついできっ!と睨み合う。 「わたしが本物の妹ですよ」 「いいえ、本物は私です」  ……どうやらこの妹共、二人揃ってかなり独占欲の強いらしい。  「妹が二人に増えれば愛情も独占時間も半分」「only me(あたしだけ)」――ぶっちゃけ、“自分以外の妹”の存在など認める気は更々無い。  二人は「我こそが本物」とばかりに主張し始めた。  勘弁してくれ……いや、マジで。 『――!!』 『――……!』 「ねえ……アレ、放っておいていいの?」  何時の間にやら復活した彩音が、恐る恐る雄真に声をかけた。  衆人(中等部魔法科一年一同)が見守る中、すももと葵の二人は先程から“雄真の妹”の座とやらを巡って口論を続けている。  ……別に『定員1名様のみ』と決まっている訳ではないのだが、両者一歩も譲る気配は無い。(なんてワガママな……)  が、その主題は微妙に狂ってきており、現在は「どちらがより雄真に可愛がられているか(きたか)」に落ち着いている。  ぶっちゃけ、“愛され自慢”だ。  思わず赤面ものな話のオンパレード、彩音など先程から背中がむず痒くて仕方が無い。  (尤も、少女達の大半は夢見るお年頃なのか、はうっ、と聞いていた。 ……まあそれはそれで問題なのだが) 「聞こえない聞こえない聞こえない……」 「逃げてどーするっ!?」  げしっ!  耳を押さえて蹲る雄真を見て、彩音は思わず蹴転がした。  雄真は面白いほど良く転がり、壁と熱いキスを交わしてようやく止まる。 「ぐほうっ!? ――はっ!俺は何を!?」 「……まあ、本人が聞いたら悶絶もの、ってのは判るけどさ。放っておいたらアレ、本気にする娘も出てくるよ?」  ようやく正気を取り戻した雄真に、彩音は溜息混じりに忠告した。  彼女が見るに、二人の話は相当脚色されている。  相乗効果もあって、おそらく500%(当社比)は誇張されているのではないだろうか?  もはやフィクション、「それ、どこの少女マンガ?」の域である。  ……まあ如何に“夢見る夢子ちゃん”“箱入り娘”の集団である我がクラスメ−ト達でも、流石に鵜呑みにはしないだろうが、この大法螺の半分でも信じられたら堪ったものではないだろう。  特に、雄真が。  だから、彩音としても心配して声をかけたのである。 「う〜む、それはマズいなあ……」 「あんな大法螺、半分でも信じられたら後が大変だよ?」 「は、ははは……」  その言葉に、雄真は乾いた声で笑った。笑うしかなかった。  ……だって、少なくともすももの話に関しては、話半分で実話レベルなのだから。  いや、あの頃は俺も若かった。(葵の話に関しては……「違う」と祈る他無い) 「笑ってる場合じゃあ無い、と思うんだけどね……」  雄真の胸の内など知る由も無い彩音は、それを見て呆れた様な声を漏らした。  と、そんな時である――  えええええーーっっっっっ!!?? 「な、何っ!?」 「何事!?」  少女達の突然の大合唱に驚いた二人は、慌ててその現場へと目をやった。 「ふ、ふんっ! そのくらい、なんですか!」  「子供の頃は毎日の様に一緒にお風呂に入り、体を洗って貰った」という葵の自慢に、すももは一瞬悔しそうな表情を見せたものの、次の瞬間には不敵な表情で笑った。  そして、胸を張って言った。 「わたしなんか、兄さんが中学卒業するまで、ずっと一緒にお風呂に入っていたんですからね!」  えええええーーっっっっっ!!??  すももの爆弾発言に、今まで沈黙を守っていた少女達が驚愕の声を上げた。  ……その話が事実なら、雄真は中三、すももは中二まで一緒に入浴していたことになる。  幾ら“夢見る夢子ちゃん”“箱入り娘”の少女達でも、流石にそれは――  状況を把握した彩音も、思わず突っ込んだ。 「や、さすがにそれは無いでしょ……」  が……振り返って見た雄真は、のたうち回っていた。  その姿は、すももの話が真実であることを雄弁に物語っていた。 「うおおおおおーーー誰か俺を殺してくれっっっ!!」 「実話かよっ!?」  …………  …………  ………… 『兄妹なんだから、“いつも一緒”は当然よ♪』 『兄妹仲良くね♪』  かーさんは、幼い頃の……より正確に言えば日向家に貰われたばかりの俺に、よくそう言ったものだ。  同時に、実行もしていた。  お風呂も一緒、寝るのも一緒……兎に角、いつもすももと一緒だ。  まるで、すもものぬいぐるみみたいだなあ……  当時の俺は、すももの抱き枕代わりをしつつ、よくそう思ったものだ。  ……まあ、そのお陰で人見知りの激しかったすももにも、直ぐに懐かれる様になったのではあるが。  が、その弊害は大きかった。  すっかり「刷り込まれた」すももは、一人では寝ることすら出来なくなってしまったのである。  故に、雄真が小学校を卒業してからも、ずるずるとこの状態が続いた。  とはいえ、その時はまだ、これがそれ程異常な状態だとは知らなかった。  せいぜい、「ウチのすももは兄離れが遅い」程度にしか思っていなかったのだ。  ――おかしい。  そう思い始めたのは、中学に入ってからのことだった。  世間が広がり始め、違和感に気付いたのだ。  はっきりとそれを認識したのは、やはり中学二年に進級し、すももが一年に入ってきた時のことだろう。  明らかに、俺達兄妹は「近過ぎた」。  が、それでもなお確信を得るまでには至らなかった。誰かに聞けることではなかったからだ。(かーさんは「よそはよそ!うちはうち!」と話にならない……)  とはいえ、何時までもこうしてはいられない。すももと入る風呂も、“いろいろ”厳しくなってきた。  強まるジレンマ……だから、思い切って親友の準に聞いたのだ。 『あ〜、それはね、雄真――』  準は、にっこりと笑い。優しく長年の疑問に答えてくれた。  女神――不覚にも、そう思ってしまう位に。  まあ代償として次の休日に奢らされた――断じてデートではない――が、今の今までずっと秘密を守ってきてくれたことを考えれば、安いものだろう。  お陰で、中学卒業までの一年半をかけ、何とかすももを兄離れさせることが出来た。  ああ準、お前は本当にいいヤツだよ。お前は俺の――  …………  …………  ………… 「親友だよ……」 「お〜い、帰ってこ〜い」  ポクポクポク……  目を虚ろにして何やらブツブツ言っている雄真の頭を、彩音はまるで木魚の様に叩いた。 「――はっ! 俺は何を!?」 「や、それはさっきもやったし――って、それよりあんた等、兄妹でナニやってるのよ……」 「面目ない」 「ま、ゆーまの奇行に気付いたのあたしだけみたいだし、シラ切り通した方がイイと思うよ?  ……自分のためにも妹さんのためにも」 「え……気付かれて無い?」  周りを見ると、確かに少女達の目はすももに注がれている。  と、いうことは――  リンゴ〜ン、リンゴ〜ン  その朗報に、思わず頭の中で鐘が鳴り、天使がラッパを吹きまくる。  ……その様子を見て、彩音はニシシと笑った。 「ま、口止め料として、たっぷりと奢ってもらうけどね?」 「……お手柔らかに」  弱みが弱みだけに、雄真は大人しく頭を下げた。 「お兄さま!」 「うおっ! ……なんだい?葵ちゃん」  余りにも急に呼ばれたため、雄真はついうっかりちゃん付けしてしまった。  が、余程慌てているのか、葵はそれに気付かず言葉を続ける。 「私と一緒に、今晩お風呂に入りましょう!」  キャー! 「……ごめん、それ無理」  葵のバックから聞こえて来る黄色い声を無視し、雄真はきっぱりと撥ね付けた。  それを聞き、葵はよろよろとよろめく。 「そ、そんな……」 「えっへん、わたしの勝ち、ですね!」  ぽかっ!  勝ち誇るすももの脳天に、雄真はチョップを喰らわせる。 「あうっ!?」  ……さして力を入れた様には見えなかったが、その実結構力が入っていた様だ。  すももは思わず頭を抑えて蹲り、涙目で兄の横暴に抗議する。 「う〜、兄さん、酷いですよ〜〜」 「黙れ、このバカ妹。あと、嘘をつくな、嘘を。葵ちゃんが本気にしただろうが」 「え……?」  思いがけぬ兄の言葉に、すももは驚愕のあまり大きく目を見開く。  ……それを見て胸が痛んだが、雄真は心を鬼にして叱った。  そして、葵のことを説明する。  かつて妹同然だった従妹であること、  まだ幼いこと、  今までずっと寂しい思いをしてきたこと―― 「すももはお姉ちゃんなんだから、葵ちゃんをもっと労わらなきゃ駄目だぞ?」 「に…兄さん……」  ほろ……ほろ……  すももの両目から、大粒の涙が流れた。 「す、すもも……?」  ……やべ、きつく言い過ぎたか?それとも強く叩きすぎたか?  雄真は慌てて声をかけようとしたが、その前にすももは大きく頷いた。 「わかりました……」 「や、判ってくれたのなら――」 「兄さんは、幼くて、実のお母さんによく似てて、血の繋がってる葵さんの方がいいんですね……」 「全然判ってねえっ!?」  というか、人の話を全然聞いていない。 「うわ〜〜ん!兄さんのロリコン、マザコン、シスコンっっ!!」  ヘレンケラーもびっくりな三重苦を雄真に投げつけ、すももは教室を飛び出した。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第17話】  ――さて、所変わって魔法科校舎入り口。  ここに、一人の少女の姿があった。  傘を背に差した、ちんまい少女だ。(制服と徽章から高等部一年のようだが、とてもそうは見えない!) 「ふむ、何とか午後の授業には間に合いそうだな」  えらく古風の物言いで一人頷くと、少女は教室へと向かう。  と、途中何やらやら凄い勢いで駆けている人影を見つけた。  あれは―― 「……すもも?」  少女が驚き、声を上げる。  と、向こう(すもも)もこちらに気付いたらしい。方向転換し、こちらに駆けて来る。  そして、少女の胸へと飛び込んだ。 「伊吹ちゃ〜〜ん!!」  少女……もとい、伊吹に抱きつくと、すももはえぐえぐと声を殺して泣き始める。  その徒ならぬ様子に、伊吹は驚いて尋ねた。 「ど、どうしたのだ!? すももっ!」 「ううううう〜〜〜っ!」 「泣いていてはわからぬ。誰かに虐められたのか? もしそうなら――」  私が制裁を下してやる、と語気を強める。  が、すももは大きくかぶりを振り、涙ながらに訴えた。 「に、兄さんが……兄さんが…………」 「! ゆ、雄真がどうかしたのか!?」  思っても無い人物の登場に、伊吹は一瞬声を荒げる。  が、直ぐに逸る心を抑え、その一言一句も聞き漏らさぬ様、全神経を耳に集中させた。  そして、じっと次の言葉を待つ。 「兄さんが……わたしのこと……『もういらない』って…………」 「……は?」  ……伊吹の目が、点になった。  が、すももは尚も訴え続ける。 「本物の妹が手に入ったから……偽物の妹なんか、『もういらない』って……」 「……え〜と? その、なんだ……お前達は、血こそ繋がっていないが、確かに兄妹だろう? だから――」  ぶわっ!  よく判らぬなりに、なんとか慰めようとした伊吹だったが、何やら地雷を踏んだらしい。  涙が止まるどころか、ますます両目に溢れていく。 「う、う……血が繋がってて……本当のお母さんそっくりで……小さい妹が……ひっく……兄さんにできたんです……」 「??? ……もしかして、御薙鈴莉が妊娠でもしたのか?」 「これ以上実妹に増えられたら堪りませんようっ! 伊吹ちゃんのバカあ〜!」 「そ、そうか……」  正直、訳が判らなかったが、伊吹はただただ頷くしかなかった。  …………  …………  …………  キッ!  暫し泣いていたすももだったが、泣き止むと決意を込めた表情で伊吹を見た。  そして、伊吹の手を引く。 「こうしちゃいられません! 行きましょう、伊吹ちゃん!」 「行くって何処にだ? それに、私はそろそろ教室に行かんと……」  すももとて、そうであろう?と伊吹は首を捻る。  が、すももは猛然と首を振った。 「そんな暇はありません! あの女から、兄さんを取り返さなくちゃいけないのですから!」 「しかし、だな……」  今、少し……いやかなり気になる台詞が聞こえたものの、伊吹は尚も渋る。  というのも、実家の長老連からかなり強く釘を刺されていたからである。  曰く、「これ以上破壊活動を行うな」「これ以上問題を起こすな」「これ以上授業を欠席するな」etc.etc.――と。  故に、色々な意味で一緒に行きたい(行ってやりたい)のは山々なのだが、そういう訳にもいかなかったのである。  が、すももの方も諦める気は更々無かった。 「あの女がいる限りわたしは偽妹だし、伊吹ちゃんだって偽ロリのままなんですよう!」  だから、新たな“属性”を身に着ける必要がある、と力説するすもも。  何が何でも伊吹を連れて行く積りらしく、全身に気迫が漲っている。  こうなると元々すももに甘い伊吹である、その勢いに押され、つい頷いてしまった。 「そ、そうか……すまんな」  ……伊吹よ、そこは怒るところだぞ? ――――中等部一年教室。 「お兄さま、家の者が校門に着いたようです」 「あ、ああ……」  葵の言葉に、雄真は気の無い返事をする。  ……流石に、すもものことが気になって気になって仕方が無いのだ。  とはいえ、今は何を言っても無駄、ということもまた判っている。  ある程度、時間を置くしかない。判っている、判ってはいるのだが―― (今回は長引きそうだな……タイミングが悪すぎた)  そう、思わざるを得ない。  が、覆水盆に返らず。ここで下手に葵まで心配させ、二人共泣かせる訳にもいかない。  そう思い直し、雄真は無理に笑顔を作り、葵に向けた。 「ありがとう、葵」 「はい!」  勝利の余韻に浸る葵はその言葉に勢いよく頷き、ご機嫌で校門へと向かった。  ……そりゃあもう、尻尾があったらブンブン振ってそうな程に。  バンッ!  葵が消えて暫くして、突然扉が開いた。  そして、先程までの様子はどこへやら、何故か短時間のうちに復活したすももが、満面の笑顔で宣言する。 「兄さん! わたしは帰ってきましたよっ!」 「すも……も!?」  その姿に、雄真は顔をひきつらせた。  メイド服……なのはまあいい、この際目を瞑ろう。  が、頭のイヌミミ、お尻のシッポにまで目を瞑ることは、流石の雄真でもできなかった。  ……しかもこのミミ&シッポ、先程からすももの表情に合わせて滑らかに動いている。  多分絶対、魔法関係だ。具体的には、以前(はぴねす!りらっくす参照)の魔法薬である可能性が高い。 (あんなに苦労して元に戻ったのに……正気か?)  正直、頭が痛い。また同時に、すももをそこまで追い詰めたのか、と欝になる。  ……そして、それ以上にクラスメ−トの沈黙がイタかった。  が、そんな兄の心情に気付かぬすももは、雄真に更なる追い討ちをかける。 「……ほら、伊吹ちゃんも」 「(ほ、本当にこの姿で公衆の面前に出るのか!?)」 「何照れているんですか、かわいいですよ?これなら兄さんもイチコロです!」 「(わ!お、押すな……)」 「じゃ〜ん!兄さん、どうですか!」 「う、うう……」  自信満々のすももと、如何にも恥ずかしげな伊吹。  その姿は、ネコミミ&シッポの巫女さん―― 「…………」  ガタッ!  雄真は無言で立ち上がると、二人の首根っこを掴み上げる。  そしてそのまま入り口まで歩き、放り投げた。  ぽいっ! ガラガラピッシャン! ガチャ!  ご丁寧にドアの鍵まで閉めると、何事も無かったかの様に席に戻る。 「(兄さ〜ん、開けて下さいよ〜〜)」  カリカリ 「(こら!雄真、開けんか!)」  ガンガン!  ……扉の外から洩れてくる声は、ひたすら無視だ。  その一連の光景を呆気にとられながら見ていた彩音は、恐る恐る雄真に声をかけた。 「えっと、雄真、今の……」 「他人だ」 「でも……」  取り付く島も無い雄真に、尚も食い下がる。  と、雄真はまるで自分にも言い聞かせるかの様に、重々しく呻いた。 「俺の身内に、犬耳メイドや猫耳巫女さんなんていない……」 「うん…そうだよね……」  血を吐くようなその言葉を聞き、彩音も「何も見なかった」ことにした。  カリカリ ガンガン!  カリカリ ガンガン!  カリカリ ガンガン!  カリカリ ガンガ……ドガンッ!  教室内に暫し、二人がドアを爪で引っ掻いたり蹴飛ばしたりする音が響き渡る。  が、遂に堪忍袋の尾が切れたのかドアが破壊され、怒りの表情の伊吹が姿を現した。 「貴様! 締め出すとはどういうこと……ん?」  伊吹は怒りの表情を一転、怪訝そうに後ろを見る。  モクモク  その背後……正確には扉の外から、正体不明の煙が入ってくる。  伊吹の顔が、困惑で歪んだ。 「あの煙……毒ではなさそうだが、魔法の臭いがするな」 「何だって――うぷっ!?」  モクモクモクモク……  煙は凄い勢いで教室中に充満していく。  逃げる間も無く、雄真達は煙に巻き込まれた。  …………  …………  ………… 「けほっ、ごほっ! ……おい、皆大丈夫か?」  幸い、煙は1分程で消滅した。  消滅を確認した雄真は、皆の安否を確認する。 「だ、大丈夫ですー」 「まあ、大事は無い」 「そうか、なら他の皆も――へっ!?」  その返事に安堵した雄真は周囲を見渡し、絶句した。  ミミ、ミミ、シッポ、シッポ……先程まで普通だったクラスメ−ト達が、ケモノっ娘大集合になっているっ!? 「な、なんじゃこりゃあーーーーっっ!?」  雄真の叫び声が、教室中に響き渡った。 「……なるほど、それぞれの性格にあった動物に変身する訳ね」  一方、雄真程のダメージを受けていない彩音は、皆の姿を観察し、一つの結論を出した。  よく見ると、各々の姿はその人物によくマッチしている。  同時に、煙には多少のアルコール分が含まれていたのか、クラスメ−ト達はやたら陽気――自分は父親の相伴で多少酒に慣れている為か無事だったが――に騒いでいる。  ……誰の仕業か判らぬが、相当な遊び心のある人物に違いない。 「おお!そういえばあたしは……って、タヌキかいっ!?」  その特徴的なミミとシッポは、可愛らしくデフォルメこそされているものの、まさしくタヌキのそれだった。 「冗談じゃないわよ!――って言いたいところだけど……ま、ハイエナじゃないだけマシかな?」  ……そういえば、自分の親友達ならどうだったろう?  明日香なんかが変化したら、結構面白いことになっただろうに、残念だ。  そこにいくと葵は簡単すぎて面白みが無い。きっと毛並みの良い白猫あたりだろう。  一人で納得し、彩音は大きく頷いた。 「……えっと、仮装大会?」  ――それが、この狂騒劇を見た杏璃の感想だった。  あれから朝の光景が気になって気になって仕方が無かった彼女は、儀式もそこそこで抜け出した。  そして、こうやって一年の教室の前までやって来たのであるのだが――  目の前で繰り広げられる光景に目はまん丸、二の句も告げられないでいた。  ……雄真、アンタ何やってんのよ? 「もしかして、そういう趣味なの?だったら――『みんな、楽しそうだね』わっ!?」  突然の背後からの声に、杏璃は驚いて振り向く。  そこには―― 「え〜と、春姫?」 「どう?杏璃ちゃん。 ……似合う、かな?」 「や、似合う似合わないと聞かれたら、そりゃあ似合ってると思うけど……」 「そう?良かった」  そう言って微笑む、イヌミミ&シッポ?の春姫。  すももと同じイヌっ娘?のようだが、そのミミはぴんっ!と凛々しく立っている。(ちなみにすももは垂れミミだ) 「……一体、その姿は?」 「うん、“雄真くん分”が不足してきたから、ちょっと補給に、ね?」 「いや、『ね?』って言われても、正直何が何だか……」 「じゃあ行ってくるね?」 「あ!ちょっ!?」  言うが早いか、春姫は姿を隠してしまった。  何か、認識妨害系の魔法だろう。  ……後を追おうにも、彼女にはあれ程高度な認識妨害系魔法は使えない。  一人取り残された杏璃は、思わず下を向いて呟いた。 「自分だけ、ずるいじゃない……」 「まあまあ、これでも飲んで落ち着いて下さい」 「ありがと……」  何処からか差し出されたジュースを受け取り、口に含む。  ……あ、結構美味しい。  飲み干した後、杏璃はお礼を言うべく振り返り……絶句した。 「ごちそうさ……小雪先輩!?」 「いえいえ、お粗末さまでした」 「……一応お聞きしますけど、その格好は?」 「踊るあほうに見るあほう、同じあほなら踊らにゃコンコン(そんそん)、ですよ」  ……キツネミミ&キツネシッポの小雪は、完全になりきっていた。 「春姫といい小雪先輩といい、一体――『あら、柊さんは寂しがりやのうさちゃんなんですねー』へっ!?」  ……そういや、先ほどから何やら頭とお尻が重い。  恐る恐る、杏璃は手を回してみる。と―― 「なんか生えてるーーーーっっ!?」 「あら、かわいいうさミミ&うさシッポですよ?」  何時の間にやらウサギ少女と化した杏璃は、思わず両手両膝を床につく。  ……なんか精神的に大ダメージだorz 「でも神坂さんはオオカミさんのようですから、食べられないように気をつけて下さいね?」  小雪がくすくすと笑いながら忠告?するが、ショックのあまり耳に入らない。 「一体、どうして――はっ!?」  さっきのジュース! 「小雪先『ほら、柊さんもレッツらゴー♪』きゃああああっっ!?」  小雪を問い詰めようとした杏璃は、押し出されて教室内へと転がり込んだ。  ゴロゴロ……ドン!「きゃっ!」ドン!「わっ!」ドカッ!「うおっ!?」  勢いよく教室内へと転がり込んだ杏璃は、途中二人程吹き飛ばし後、何かにぶつかってようやく止まる。(途中、「ストライクです」と聞こえたのは、気のせいだろうか?) 「あいたたた……」  鈍い痛みに顔を顰めるが、思った程の痛みは無い。  どうやら、ぶつかった“何か”がクッション代わりになったようだ。 「う、ううう……」  下の“何か”が、呻き声を漏らす――って、人!? 「あ、ごめんなさい……」  杏璃は慌てて謝り、その場をどこうとした。  が、その相手を見て、まるで凍りついたかの様に動きを止める。 「……雄真?」  杏璃が押し倒した相手は、雄真だった。  ……ちなみに、途中吹き飛ばしたのはすもも&伊吹である。(現在、両名共に失神中) 「へ?もしかして……杏璃?」  雄真も気付いたのか、驚きの声を上げる。 「雄真……」  じわ……  ……どうしてだろう?言いたいこと、してやりたいことが山とあったのに……言葉が、出てこない。  胸がいっぱいになり、思わず――  『もし破ったら、“雄真くんの母”として考えがあるわよ?』  ――はっ!?  突然、鈴莉の言葉が脳裏に浮かんだ。  ああ、どうしよう、どうしよう。いったいどうしたら――  おろおろ、おろおろ…… 『強い衝撃を与えると、記憶が飛ぶ、って言うよな?』  ……こういう時には、大抵ロクな考えが浮かばない。  よりによって思いついたのは、何時だったかハチが言っていたバカ話だった。  が、溺れる者は藁をも掴む。 「あ、ありがとうハチ!」  冷静な判断が下せなくなっていた杏璃は、悪魔(ハチ)の囁きに耳を貸してしまった。  そして、拳を固めて思いっきり振り下ろした。 「……杏璃?」  まるで何も聞えないかのような無反応。潤んだ瞳で自分を見つめたかと思えば、まるでこの世の終りの様な表情でオロオロする杏璃。  最初は文句の一つも言ってやろうかと考えた雄真だったが、この徒ならぬを見て心配気に声をかけた。 「雄真……」  何度目かの呼びかけに、杏璃は初めて反応した。  そして、今にも泣き出しそうな表情で――  雄真をタコ殴りにし始めた。  バキッ! ドカッ! 「ぶろっ!?」 「ごめんね、ごめんね……」 「何すんだよ杏璃っ!?」 「お願い、忘れて……」 「忘れられっか!?」  ドカッ! ドカッ! ドカッ!  が、その言葉で拳は更にその勢いを増す。  泣いて謝りながら、マウントポジションで雄真を殴り続けるウサミミ少女――それは、実に異様な光景だった。  …………  …………  ………… 「何をしているのですか……あなたは」  ……その、まるで人でも殺せるのではないか、とでもいう程の殺気を含んだ声に、杏璃は振り返る。  そして、その声の主が“朝の少女”だということに気付き、彼女は眉を吊り上げた。 「あんたは――」 「私のお兄さまを傷つけて、ただで済むとはまさか思ってないですよね?」  かちんっ! 「へえ……“私の”“お兄さま”ねえ?」 《お、お嬢様!相手は幼子ですぞ!?》  剣呑な表情でゆらりと立ち上がった杏璃に、パエリアが思わず声を上げた。  (……どうせなら雄真の時も止めてやれよ、と突っ込みたい所だが、ロリコンパラダイス?を前にそれどころでは無かったらしい)  ……確かに、普段の杏璃なら、こんな年端もゆかぬ少女相手にこの様な対応をとるなど、まず考えられなかっただろう。  が、“この少女”だけは別だった。  杏璃は、パエリアの言葉に猛然と首を振る。 「あたしの魔法使いとしての勘が、『この子は敵だ!』って叫んでるわ!」 《……いえ、それは多分、魔法使い以外の“別の何か”の勘かと》  パエリアの突っ込みを無視し、杏璃は目の前の少女と対峙する。 「やるなら……相手になるわよ?」 《その格好(ウサミミ&ウサシッポ)で凄まれましても、迫力がありませんぞい》 「うっさい!」  あ、反応した。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第18話】 「…………」 「…………」 ((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル  前回から睨み合い、一触即発状態の二人。  二人の殺気に気圧され、つい先ほどまでアルコールの力で陽気にはしゃいでいた少女たちも、たちまち借りてきた猫の様に大人しくなる。ぶっちゃけ、ガクブル状態だ。  これに驚いた彩音は震える足を叱咤し、慌てて葵の傍へと駆け寄った。 「ちょ、ちょっと葵!? あの人、高等部二年の柊先輩だよ? 絶対ヤバいって!!」  高等部魔法科二年次席、柊杏璃。  同学年に超ド級高校生の神坂春姫がいる為に常に二番手に甘んじているものの、通常ならば十分学年主席を張れる程の実力者だ。  (事実、次席とはいえ三位以下を優に数馬身引き離している)  また余談ではあるが、新興とはいえ有力な魔術師一門の宗家の血を引く“サラブレッド”でもある。  ……要するに、常識から考えて如何な葵といえど、中等部の一年生如きが勝てる相手ではないのだ。  だから退け、と彩音は忠告する。  が、葵はきっぱりと首を振った。 「いいえ、退きません。絶対に」 「でも、なんか知らないけど柊先輩、滅茶苦茶機嫌悪そうだよ?ケガしかねないよ!」 「大丈夫ですよ。お兄さまがいますから、私は負けません」  ピクッ!  葵の言葉が余程カンに触ったのか、杏璃の眉が一層吊り上った。  ……すると何? 「雄真は自分の側についている」ってこと? あたしは「雄真の敵」ってこと? 「(ヒクヒク)言ってくれるじゃないの…… 随分とあたしも甘く見られたものね?」 《……お嬢様、その台詞、まるで悪や『いいから黙りなさい!』ブッ!?》  先程からやたら葵の肩を持つパエリアにお灸を据えると、杏璃はビシッと葵を指差した。 「あたしに戦いを挑むとはいい度胸ね!尻尾を巻いて逃げるなら、今のうち――“ぽむっ!”――へ?」  突然の出来事に、杏璃は思わず間の抜けた声を上げた。  ……煙の効果がまだ残っていたのか、突如葵の頭とお尻にミミとシッポが生えたのだ。  葵の方も、不思議そうにミミやシッポを撫でている。 「???」 「あれえ? 縞模様のネコかあ……まあ毛並みは凄くいいけど、ちょっと意外」  そう首を傾げると、彩音はまじまじと葵を見る。  黄色というよりも黄金、黒というよりも漆黒で色鮮やかに彩られたネコミミ&シッポ。  柄から言えばトラネコだが、その毛並みは“トラネコ”などと呼ぶにはあまりに勿体無さ過ぎる。  その風格はまるで―― 「?」 「!」  ぞくっ!  葵と目が合った瞬間、背筋に冷たいものが走った。  タヌキとしての、小動物としての本能が、最大限の警鐘を鳴らす。  ニゲロ、ニゲロ、ニゲロ……  違う……コレは断じてネコなんかじゃない……  ネコはネコでもネコ科大型肉食獣だ。  ぶっちゃけトラ、タイガー。  ……なんでトラなのに、ネコミミなのよ。  彩音は呻いた。 「葵……あんた、でっかい猫被ってたわね?」 「?」  意味が判らないのか、葵は大きく首を傾げた。  ……どうやら、天然は本物だったようだ。 「お、おい、お前ら……」  小休止状態となったこの機を活かすべく、復活した伊吹が二人の間に割って入ろうと試みる。  が、何時の間にか出現した小雪に羽交い絞めされ、止められた。 「まあまあ、ここは一つ若い者に任せて」 「何を馬鹿なことを言っている! このままでは、魔法合戦に突入するぞ!?」 「でも、二人共聞く耳持たないと思いますよ? お互い譲れないものがあるようですし」 「だがな――」 「仮に止めても遺恨が残りますよ? なら、拳で語り合わせるべきです。 ……それに、その方が面白いですし」 「それが本音か……」  呆れ果てた様に、伊吹は小雪を見た。  が、小雪は悪戯が成功した悪戯キツネの様な表情で笑うのみだ。 「えへ♪」 「この騒動も、どうせ貴様が原因なのだろう? ……一体、何を企んでいる?」 「ちょっとした“仕返し”ですよ。ああいう優柔不断な上に浮気性の人は、少しくらい痛い目にあった方がいいのです」 「それに関してはまったくの同感だが……何故そこで雄真が出てくる?」 「それは秘密です」 「……話にならんな」  軽く溜息を吐くと、交渉決裂、とばかりに伊吹は再び仲裁に向かう。  が、小雪の一言でその歩みを止めた。 「巻き込まれたら多分同罪、一蓮托生ですよ?」 「う゛……」  ……ありえる。  確かに、いつものパターンならそのまま巻き込まれ、何時の間にやら当事者の一人と化すのが“お約束”だ。  が、今回それだけは避けたかった。  これ以上、式守家次期当主としての体面を傷つけるのは、長老ズに絞られるのは、正直御免蒙りたい。  ――すまん。  そう内心で詫びつつ、伊吹は傍観を決め込むこととした。  さて、外野がそんな遣り取りをしている間に小休止が終ったらしい。  二人は再び睨み合い、一触即発の空気を再び作り出す。 「さて……最後にもう一度だけ聞いてあげるわ。本当にやる気?」 「お兄さまの仇相手に、退く気はありません」 「くっ!言わせておけば……行くわよっ!」  杏璃は怒りに任せ、魔力弾を放つ。  が、それはやはり葵の放った魔力弾によって迎撃された。  バチッ!  ぶつかりあった魔力弾がぶつかり合い、暫し鬩ぎ合った後、相殺される。  試しに二の矢、三の矢と放ってみるが、やはり尽く相殺されてしまう。 (へえ、やるじゃない)  内心、杏璃は軽い感嘆を漏らした。  ……別に大して本気を出した訳ではない。ほんの小手調べ程度、防がれて当然だ。  が、ここまで簡単に防がれるとは、正直思ってもみなかった。 (言うだけのことはある、ってこと?)  そう杏璃は評価する。  これだけできれば、中等部の一年生としては上出来だろう。  前の大言壮語もむべなるかな、だ。  ……が、杏璃の目からすればまだまだ粗が目立つ。 (その天狗鼻、へし折ってあげるわ)  杏璃は不敵に笑った。  …………  …………  ………… (――う、うそっ!?)  その後暫くして、思いも寄らぬ展開に杏璃は内心大きく動揺していた。  あれから二人は互いに魔力弾を撃ち出し合い、それを相殺しあう、という一見単調な行為を延々と繰り返している。  が、その威力と発射速度は時間と共に上昇を続けており、もはや一種のチキンレースと化していた。  ……ここまで勝負が長引いたことも勿論だが、何より信じられなかったのが「このレースで押されつつある」という現実だ。  確かに、今はまだ一見したところ互角の状態が続いている。  が、葵の放つ魔力弾1発を相殺するのに、杏璃は1〜2発の魔力弾を必要としていた。  この差は1〜2発から1〜3発、1〜3発から2〜3発といった感じで時間とともに広がっていくだろう。  早晩限界に達し、迎撃し切れなくなることは明白だった。 (何で、何であたしが負けなくちゃいけないのよ!?)  その未来予想に、杏璃は歯噛みした。  確かに、葵は中等部一年生としては破格の使い手だ。中等部全体で見ても、十分上位圏に位置するだろう。  が、魔力弾という単純な魔法だけに、はっきりと判る。  術式構成、術式発動速度、術式制御力――全て、圧倒的に杏璃が上だ。葵の技術は杏璃よりも優に数段劣っている。  ……だというのに、何故負けなければならぬのか。  ドンッ! ドンッ!  また、葵の魔力弾の力が増した。  対抗すべく、杏璃は更に緻密な術式を組む。  ……が、完全には追いつけない。また、差が広がった。 (――くっ! なんて魔力よっ!?)  その底知れぬ魔力に、杏璃は思わず内心で悪態を吐いた。  杏璃とて、全国レベルの魔力の持ち主である。  にも関わらず、葵との間には技術差を補って余る“力の差”が存在した。  このままでは――  ぎりっ! (悔しい……)  悔しさの余り、杏璃の目に涙が滲んだ。  自分は、目の前の少女より4年間も余分に修行している。  自分達の年頃での4年の差は大きく、“絶対的な差”と評しても良いだろう。  誰よりも努力した、という自負もある。  ……それが、否定されたのだ。 (悔しい…悔しい……)  単に力があるというだけで、この少女は自分を打ち負すのだ。  自分の努力を、才能を否定するのだ。  そして何より――  杏璃の脳裏に、朝の光景が浮かんだ。  新妻の如く、甲斐甲斐しく雄真の世話をする少女。その時、自分はと言えば…… 「……負けられないわ、絶対に」  杏璃の目が据わった。  このままでは、もーいろんな意味で負け犬である。  そんな屈辱、断じてノーだ。  この局面を一気に打開すべく、杏璃は決断した。 「レア・フレイメル・オース・セイフェス……」 《お、お嬢様! 正気で御座いますか!?》  杏璃が唱えようとしている呪文の正体に気付き、今まで補助に徹していたパエリアが慌てて声を上げた。  が、杏璃は聞く耳を持たない。 「当然よ! 敵弾防ぎつつ唱えるんだから、あんたも気合いれて補助しなさいよ!」 《し、しかしですな……幾らなんでも極大閃熱呪文を使うというのは――》 「相手は只者じゃあないわ。手加減の必要なし、よ」  尚も何か言おうとしたパエリアを無理矢理黙らせると、杏璃は術式構成を始めた。  見てなさいよ! ギャフンと言わせてやるんだから!  さて一方、小雪と伊吹の二人は、一年生達を流れ弾から守りつつ、葵と杏璃の戦いを観戦……もとい、見守っていた。 「……しかしあの娘(葵)、まさかこれ程の力の持ち主とは思わなんだ。術はともかく、お主(小雪)並の“力”があるのではないか?」  何故、これ程の力の持ち主が今まで無名だったのだろう?と伊吹は首を捻る。  これ程の力の持ち主ならば、春姫や小雪と並び評されても……いや、評されないのが不思議な程だ。  が、小雪は「どうということはない」と言わんばかりに答えた。 「多分、雄真さんがいるからですよ」 「はあ?」 「ま、そのうち判りますって」  そう言うと、益々深まる伊吹の疑問はそのままに、再び両者に視線を戻す。  ……正直、彼女とて全てを理解できている訳ではない。  が、ある程度の想像はついた。  転入したばかりの伊吹と異なり、小雪は学園の生徒達の実力を熟知している。  その彼女の見積もりでは、葵と杏璃の魔力はほぼ互角。(かつて式守家と並び評された御門家も、近代に入ってから一般有力家との間に婚姻を乱発、その魔力をかなり落としていた)  にも関わらず、今の葵は実に杏璃の倍近い魔力を見せつけている。  ……何ら、外部的な要因――魔力供給や魔具による魔力増強等――を見出せないにも関わらず、だ。 (多分絶対、雄真さんの仕業ですね)  おそらく昔、葵は雄真に何らかの“魔法手術”を(伊吹の様に)その身に受けたのではないだろうか?  そして雄真と再び出会ったことにより、既に葵の魔力と同化していた雄真の魔力残滓が活性化、何らかの方法で魔力を底上げしているのだろう。  ……いや、考えてみれば無茶苦茶な推論ではあるが、雄真が関係している以上、十分ありえる話だ。 「本当に規格外ですからね、あの人は」  思わず、小雪は苦笑した。  そうこうしている内に、情勢はどんどん葵へと傾いていく。このままでは、決着が付くのも時間の問題だろう。  そんな中、急に杏璃が攻撃を止めた。防御に徹し、ひたすら魔力弾に耐える。(何時までも耐え切れるものでもない、というのにだ!)  ……どうやら、何やら一発逆転を目論んでいるらしい。  杏璃の術式構成を“視て”、伊吹は驚きの声を上げた。 「お、おい! あれはもしかして――」 「ずばり、ベ○ラゴンですね!」 「……は? べギ…何だって???」  (いつものことではあるが)小雪の訳の判らぬ言葉に、伊吹は怪訝な表情で尋ねる。 ……それこそが、小雪の狙いだと気付かずに。 「しかし柊さん、かなりテンパってきましたねー、まさか子供相手に極大閃熱呪文をぶつけよう、だなんて」 「? おい、べギ…何とかとやらはどうした?」 「は? 何言ってるんですか、伊吹さん? あれは極大閃熱呪文に決まってるじゃあないですか!」 「いや、それはそうだが――って、貴様また私をからかったなっ!?」  からかわれたことにやっと気付いた伊吹は、怒りの余りビサイムを引き抜いた。が―― 「ほらほら、当分魔法は自粛するんじゃ無かったのですか?」  ――と小雪に痛い所を突かれ、ハッとしてビサイムを再び背に戻す。  やり場の無い怒りに、伊吹は地団駄を踏んだ。 「くっ……くそうっ!」  その予想通りの反応に、小雪はシッポを揺らして笑う。 (くすっ、本当に伊吹さんはいぢくり甲斐がありますね〜)  本当に可愛い反応、とってもいぢめ甲斐がある――はっ!?私は何を?確か、さっきまで部室で動物変化の魔法薬を作っていた筈……  ふと我に返り、小雪は周囲を見渡す。そして自分が引き起こした事態を把握して、愕然とした。  ……いや、やりすぎだろう、これは。  なんのことはない。小雪は狐の姿に“引っ張られ”、悪戯狐と化していたのである。  小雪は暫し己の行為を反省(多分)し、重々しく頷いた。 「……仕方がありませんね。覆水盆に返らず、です。せっかくだから最後まで楽しみましょう」  ……薬を飲もうが飲むまいが、やはり小雪は小雪だった。  閑話休題  杏璃は構成を高めていく。  が、向こうも攻撃を止めため、一瞬視線を葵に向けた。  ……見ると、向こうも何かの呪文を唱えている。  こちらがでかいのを一発かまそうとしていることに気付き、向こうも対抗して切り札を出すつもりなのだろう。 (――ふん! 無駄よ無駄っ!)  杏璃は鼻で哂った。  何の呪文かは知らないが、極大閃熱呪文に敵う筈が無い。  葵の技術では、せいぜい中閃熱呪文でも唱えられれば御の字だ。 (見てなさいよ! 魔力の差が決定的な戦力の差でない事を教えてやるんだからっ!)  攻撃魔法の威力は、基本的に“術固有の威力”と“投入魔力の大きさ”によって決まる。  乱暴に言ってしまえば、銃砲から弾丸を撃ち出すようなものだろう。弾丸が“術固有の威力”、撃ち出す火薬が“投入魔力”だ。  火薬(魔力)を大きくすれば初速が大きくなり攻撃力は増すが、それにも限界がある。(様々な補正があるので理論的には限界が無いが、現実的には「限界がある」と考えて構わない)  ……つまり、どう足掻いても拳銃(小閃熱呪文)やライフル(中閃熱呪文)では大砲(極大閃熱呪文)に勝てないのだ。  勝利を確信し、杏璃は術を解き放った。 「食らいなさい! 極大閃熱呪文っ!!」  ゴウウウウーーーーッッ!!  放たれた圧倒的なまでの熱線は、天井、床、壁、魔力弾合戦で破壊された残骸といったおよそありとあらゆるものを溶解しつつ、葵へと襲い掛かる。 (勝ったっ!)  全魔力を防御に回してレジストするも、その勢いまでは殺せずに壁へと叩きつけられる葵を想像し、杏璃は拳を握り締める。が―― 「小閃熱呪文、です!」  まるで機関銃の様に雨霰と発射される小閃熱呪文によって、極大閃熱呪文は受け止められてしまった。 「……はい?」  思わず、杏璃は口をあんぐりと開けた。  目の前では、無数の小閃熱呪文が、自分の放った極大閃熱呪文を受け止めている。  確かに、理論的には起こりうる現象である、あるが…… 「こ、こんなのあり……? どこまで底なしなのよ……」  絶句する。同時に、体中の力が抜ける気がした。  ……所詮、どんなに努力しても天才には勝てないのだろうか?  春姫に、伊吹に負け、挙句の果てにこんな子供にまで―― 《お嬢様! あきらめるのはまだ早いですぞ!》  プライドにひびが入り、今まさに木っ端微塵に砕け散ろうとしたその時、パエリアの声が脳裏に響いた。 「……パエリア?」 《相手を、良く見なされ》 「え……」  その言葉通り、杏璃は葵へと視線を向ける。  すると、額に汗を浮かべ、苦しげな表情の葵が目に入った。 「!」  ……そうだ、何故気付かなかったのだろう。  葵は呪文を圧縮構成し、その上高速詠唱で常時撃ち出し続けている。  幾ら魔力が大きいとはいえ、こんな大無茶が長続きする筈が無いし、第一集中力が持たない。  直ぐに、限界が訪れる筈だ。(こんな非効率極まりない方法に頼らなければならなくなった時点で、既に勝負は着いていた、とも言える) 「ありがとう! パエリア!」 《お嬢様は直ぐに熱くなられて、目の前のことしか見えなくなりますからなあ》 「一言多い!」 《目、目が〜目が回る〜〜っ!?》  杏璃はパエリアを乱暴に振った後、再び呪文に集中する。  形勢は逆転した。  攻める杏璃に守る葵――立場は真逆となった。  勢いに乗って、杏璃は一気に攻勢に出る。 (もうそろそろ、限界ね?)  立っているのも辛そうな葵に比し、杏璃はまだまだ余裕がある。  撃ち出した呪文を維持すれば良いだけの杏璃に比べ、葵は小呪文とはいえ常に大量かつ高速に撃ち出し続けねばならない。  ……たとえ倍、いやそれ以上の魔力差があった所で、この条件差は埋められない。  杏璃の技術が、葵の魔力に勝ったのだ。努力に勝る天才無し、である。  そうこうしている内に、杏璃の極大閃熱呪文がじわじわと葵の小閃熱呪文群を押し始めた。 ――あと一息! (勝った、勝ったよ雄真!)  今度こそ本当に勝利を確信した杏璃は、喜び勇んで雄真を見た。が―― 「へ……?」  春姫とすももにシェアされ、その膝枕で安らかに眠っている(ように見える)雄真を見て、杏璃は呆然とする。  が、それも一瞬のこと、直ぐに烈火の如く怒り出した。 「くっ! 雄真のヤツ〜〜っ! あたしが何の為に戦ってると――あれ?」  そこで、はたと杏璃は気付く。  ……あたし、何でこんなに必死になって戦ってるんだろ?  いくらなんでも子供相手に、大人げなさ過ぎるんじゃあ……  プライドも保たれ、ついでに今の怒りで胸に秘めていた“何か”も吹っ飛んだ今、杏璃に葵に対する敵愾心は(さほど)無い。  己の行為に、ひたすら首を傾げるのみだ。 《お、お嬢様! ここで手を抜かれては!?》  そこに、パエリアの切羽詰った悲鳴が響いた。  ……さて、ここで問題です。  Q  魔力供給を断たれたら、発動していた呪文は一体どうなるでしょう?  A  パエリアが維持したのも束の間、あっという間に押し切られ、消し飛ばされます。 「うっそーー!?」  自分に向かってくる無数の小閃熱呪文を見て、杏璃は悲鳴を上げる。  その数秒後、着弾。  なんとかレジストしたものの、杏璃はパエリア共々吹き飛ばされた。 《……しかし、実にお嬢様らしいオチですな》 「やかましい!」  …………  …………  …………  ドンッ! 「きゃあ!」 「むぎゅっ!?」  杏璃は勢いよく壁……いや、柔らかい何かにぶつかった。 「あ〜、酷い目にあったね、パエリア」 「……それはこっちの台詞ですよ、柊さん?」 「?」  そのどこか聞き覚えのある怒りを含んだ声に、恐る恐る杏璃は下を見た。  と、そこには中等部時代の恩師であり、現在のこの教室の担任でもある“かずちゃん先生”こと佐伯和子教諭が、鬼の形相で自分を見ている。  ……やばい、すっごくやばい。 「せ、先生……」 「一人中等部校舎に潜り込んだ挙句にこの惨状とは、いったいどういうことですか!?」 「へ? 一人――って何であたしだけっ!?」  杏璃は不思議そうに辺りを見回し……絶句した。  教室どころかフロア全体が大きく崩壊した中、いるのは一年生のみで部外者は人っ子一人いない。  春姫は? すももちゃんは? 小雪先輩は? 伊吹は? ……あれ? 雄真もいない!? 「さあ柊さん、たっぷりと事情を聞かせてもらいますからね!」  かずちゃん先生は杏璃のウサミミを鷲掴みし、教員室へと連行する。 「いた、いたいっ!? うわーん! みんなの裏切り者おっっ!!」  自分が人身御供とされたことに気付いた杏璃は、半べそかきながら引きずられていった。  合掌。 ――――中等部魔法科、保健室。 「じゃあすももちゃん、後はお願いね?」  応急手当を終えた後、春姫はそうすももに頼んだ。  ……名残惜しいが、最後まで付き添う訳にはいかないのだ。後ろ髪を引かれる思いで席を立つ。 「まかせてください、姫ちゃん!兄さんはしっかり看病しますよ!」 「……この子も、ね?」 「え〜〜!」 「雄真くんだって、そう頼むと思うわよ?」  その余りに露骨な態度に苦笑しつつ、春姫はもう一度、今度は雄真をダシにして頼んだ。  と、効果覿面、すももは不承不承ながらも同意する。 「う〜〜〜仕方がありません。他ならぬ姫ちゃんと兄さんの頼みです、涙を呑んで引き受けましょう」 「お願い、ね?」  もう一度念を押し、春姫は保健室を後にする。  そして扉を閉めると、大きく溜息を一つ吐いた。 「ふう……」 《おつかれですか、春姫?》 「ううん、違うよソプラノ。雄真くんの感触が、まだ体に残っているんだよ……久しぶりだなあ、って思ってたの」 《……お願いですから、それを人前で言わないで下さいね?》 「判ってるわよ」 (うわーん! みんなの裏切り者おっっ!!)  ……何処か遠くから、杏璃の悲鳴が聞こえてきた。 「杏璃ちゃん、ごめんね……」  春姫は小さく呟いた。  ……杏璃には本当に悪いことをした、と思う。  が、今はまだ雄真と会ってはいけない時、捕まる訳にはいかないのだ。  それに―― 「雄真くんをあんな目に合わせたのだから、これ位のおかえし、いいよね?」  そんな春姫を見て、ソプラノは嘆息した。 《……春姫は雄真様のこととなると、性格が変わります》 「……そうかな? うん、そうかもね」  春姫はソプラノの言葉に小首を傾げた後、頷いた。  ……自分でも、自覚してはいるのだ。 《自覚しているのなら、自重して下さい》  が、どうしようもないものは仕方が無い。  春姫はきっぱりと首を振った。 「ごめんなさいソプラノ。それ絶対無理だと思うし、する気もないよ」 《……だと思いました》  ソプラノは、諦めた、とでも言わんばかりに大きな溜息を吐いた。