はぴねす!SS「世の中そんなに甘くない」 【第11話】  気がつくと、広い広い公園にいた。  ……違う。ここは公園じゃあなくて庭だ。僕のお母さんの弟、景範おじさんの家の庭だ。  その広い庭で、僕は様々な幻影魔法を披露する。  動物園や水族館で見る動物達から精霊界に存在する様な魔獣まで、思いつく限りの生物の幻影を造りだす。 『おにいさま、すごーい!』  僕の魔法を見て無邪気に笑う葵。  観客はこの子一人。彼女のためだけの魔法芸だ。  葵が喜ぶのを見て、僕は更に多くの幻影を造りだす。  突然、地面から何頭ものイルカ達が現れた。  彼等は地面を海面に見立てて様々な芸を披露する。 『イルカさんだっ!』  葵は興奮して叫び、近くに駆け寄ろうとする。 『つめたっ!? ……あれ? ぬれてないよ??』  余りにも近づいたため、跳ね上がる水飛沫を全身に浴びてしまう。  が、全身に水飛沫を浴びたにもかかわらず、全然濡れていない。  ……それを葵はしきりに不思議がる。 『まぼろしだから、あたりまえだよ』  僕は笑いながら説明してあげた。  これは、視覚だけでなく五感全てを幻惑する高等幻影魔法なのだ。  だから水飛沫がかかった感触も、冷たさも当然感じる。もちろん水の匂いも。 『これ、まぼろしなのっ!? ほんものじゃないのっ!?』  葵は驚いてイルカを撫でる。  そう。その手触りも温もりも、吐きかける息や匂いまでも全てが幻影なのだ。  やがて、葵は溜息と共に呟いた。 『すごいなあ…… わたしにもできるかなあ……』 『もちろんできるさ! あおいはぼくの“いもうと”なんだから!』  実際には従兄に従妹だけど、兄弟のいない僕等にとってはお互い兄妹も同然だ。  だから、僕は声を大にして同意した。 『……でも、おとうさまもおかあさまも、おばさまもおにいさまも……みんなまほうがつかえるのに、わたしだけつかえないよ……』 『あおいはまだまだこどもだから、しかたがないよ』  葵に魔法が使えない筈がない。だって、葵の中には大きな“力”が眠ってるのだから。その力はおじさんやおばさんのそれよりもずっと大きい。  僕にはそれが“視えた”。 『あおいにはちからがある。だからぜったいまほうがつかえるようになるよ。ぼくがほしょうする』 『でも、わたしにはどうやったらいいのかもわからないよ…… ほんとうに、まほうがつかえるようになるのかなあ……』  半べそで訴える葵を見て、僕は胸が痛んだ。  たった一人の妹が泣いているのだ。なんとか力になってあげたかった。 『……あおい、いますぐまほうがつかえるようになりたい?』 『……うん』  葵は泣きながらもはっきりと頷く。  それを見て、僕は心を決めた。  お母さんには「駄目」って言われてるけど―― 『……じゃあ、ぼくがまほうをつかえるようにしてあげる』 『ほんとっ!?』  無邪気に喜ぶ葵を見て、僕は自分が間違っていないことを確信した。  お母さんは危ないって言うけれど、葵の力を起こしてあげるだけだし…… 『ほんとだよ。だからじっとしてて』 『うんっ!』  そして僕は、葵の“内”に“魔法の手”を突っ込んだ――  ジリリリリリ……カチッ。 「……朝か。ったく、いい所で」  そう呟くと、俺は目覚ましを睨みつけた。  ――あと少しで昔のことを思い出せたのに!  雄真には小日向家に来る前の記憶が無い。  覚えている最も古い記憶は、「にこにこ笑うかーさんとその背中に隠れるすももの姿」。初めて小日向家にやって来た時の光景だ。  が、にも関わらず――自分が養子だと知っていながら――今まで自分の“本当の家族”のことなど考えもしなかった。  記憶が無いことを全く不審に思わない……いや、「記憶が無い」ことすら忘れ去っていたのだ。  唯一の名残りは、魔法に対する強烈な拒否感のみ。これは異常と言っていいだろう。  この事実を自覚したのはつい最近、例の秘宝事件からのことである。  春姫、杏璃、小雪、伊吹、沙耶、信哉……様々な魔法使い達と触れ合うことにより、自分の心と記憶に対する違和感がもたげ始めたのだ。  違和感は急速に大きくなっていき、それと共に断片的にではあるが過去の記憶も蘇っていく。  最近では魔法に対する拒否感も殆ど消えうせ、過去の記憶を取り戻そうとする意欲も持つ様にまでなっていた。  ……が、ある事件が“意欲”を“義務感”へと変心させた。  言うまでも無く、前回の葵との一件が原因である。  葵との一件は、雄真に少なからぬ衝撃を与えた。  自分が忘れ、切り捨てた過去に「切り捨てられた人達が存在する」という事実を突きつけられたからだ。  「過去の自分にも大切な人達がいた」という当たり前のことを知ってしまったからだ。  実母を忘れ、慕ってくれていた従妹を忘れ……他にもどれだけ多くの大切な人達を忘れてしまったことだろう?  その事実は、雄真に罪悪感を抱かせるに十分だった。  現在の雄真にとり、過去の記憶を取り戻すことは義務――或いは贖罪――にすらなっていたのである。  が、未だ記憶の大半は闇の中。ようやく「何故自分が魔法を嫌いになったか」を思い出せた程度で、実母である鈴莉のことすら未だ思い出せないでいる有様だ。  正直に言って、小日向雄真は些か焦っていた。 (あと10分……いや5分でも時間があれば……)  故に、千載一遇のチャンスをふいにしてしまった雄真は、現在激しい後悔に襲われていた。  ……とはいえ、何時までもうじうじ悔やんいるというのも建設的ではない。ここはやはり前向きに考えるべきだろう。 「ま、あそこまで思い出せただけでも上出来か」  0と1では天と地ほども違う。1で終わったことを嘆くよりも、0から1になったことを喜ぶべきだろう。  欲を張ればきりがない。葵のことを思い出せただけでも上出来というものだ。  (もしかしたら、幼児化したお蔭かもしれない。だとしたら「瓢箪から駒」というヤツである) 「しかし、“妹”か。 ……すももに知れたら大変だな。こりゃあ」  雄真の心に、葵が自分の従妹だという実感がようやく湧き始めたが、新たなる悩みの種も同時に芽生え始める。  ……他でもない、現“妹”であるすももの反応だ。  ああ見えて、すももはかなりの“焼きもち焼き”である。新たな妹の登場など、とてもではないが認めてくれないだろう。拗ねられ、泣かれること間違いなしだ。  対抗意識バリバリに、更なるスキンシップを自分に求める可能性も否定できない。 (――すももに何て言おう?)  先程「前向きに」と決めたばかりだというのに、そう考えると途端にへたれる雄真。  困難を前にする直ぐ出る悪い癖だ。 ……実に意志力の足りない男である。 「言うべきか、それともばれるまで延ばすべきか――それが問題だ」 「ハムレット?」 「うおっ!?」  突然横から声をかけられ、思わず仰け反る。  そして相手を確かめ、更に驚愕する。 「おはよう、雄真くん♪」 「って、葵ちゃんっ!? 何で? どーやって?」  なんと、同じベットに葵がいた。  しかも服は雄真のワイシャツ一枚きり。所謂“裸Yシャツ”というヤツである。 「? ……!!」  葵はしばし不思議そうに雄真を見つめていたが、直ぐにニヤリと何やら怪しげな笑みを浮かべ、雄真にしなだれかかった。  ……そして、耳元に息を吹きかけながら妖しく囁く。 「お・に・い・さ・ま」 「あ、葵ちゃん! もしかして気付いた!?  ……いや、駄目だ! 従兄妹同士でこんな真似は――」  そこまで言いかけ、気付く。 「……お前、誰だ?」 「はい?」 「俺は葵ちゃんのことを完全に思い出した訳じゃあないし、今の葵ちゃんとの付き合いも殆ど無いけど、これだけは言える。  ……葵ちゃんは、そんな風に笑わない」 「くっ、流石は雄真くんね……よくぞ気付いたわ……って、そこまで気付いてなんで私のことは気付いてくれないのよーーーーっ!?」  滝の様な涙を流しつつ、悲痛な叫び声を上げる葵(偽)。  そんな彼女を見て、内心「決まった!」と格好つけていた雄真は思わずずっこける。 「へっ?」 「酷いわ酷いわっ! 実の母を見抜けないなんて、愛が足りなさ過ぎるわよっ!!」  私はこんなにも、こんなにも愛しているというのにっ!――と泣き伏す葵(偽)に、雄真は恐る恐るたずねてみる。 「って、もしかして鈴莉先生なんですか!?」 「もしかしなくても私よっ!!」  葵(偽)改め葵に化けた鈴莉は、がおーッと抗議する。 「……何故また、葵ちゃんに化けたんです?」  びくっ!  ……聞いてはいけないことだったのか、鈴莉はあさっての方向を見る。  その額には一筋の汗が流れていた。  ――ん、まてよ?  確か、鈴莉先生は最初に俺を「雄真くん」と呼んだ。 ……ということは、「最初は俺を騙すつもりなんてなかった」ということだ。  なら、何故葵ちゃんに化けた? ……いや、確かにそっくりだが微妙に違う。もし鈴莉先生が本気で化ければ、そんなミスを犯す筈が無い。  ! そうか、「葵ちゃんに化けた」んじゃあない。むしろ―― 「……鈴莉先生、なんで『縮んだ』のですか?」  びくっ、びくっ! 「そういえば、俺と同じ食事しましよね。“幼児化の薬”が入ったヤツ」 「ふっ…… 認めたくないわね…… 『若さ故の過ち』ってものは……」  鈴莉先生、もう結構な年じゃあないですか――喉までその言葉が出かかったが、流石に口に出すほど雄真も愚かではない。  突っ込みどころ満載ではあるが、聞き流すことにする。 「白状するとね、雄真くんの推理通り、私も幼児化の魔法薬入りのスープを飲んだのよ。 ……うかつだったわ」  冷静沈着な鈴莉とは思えぬミスである。ま、それだけ浮かれていた、ということだろう。  後で慌てて解呪薬を飲んだものの既に手遅れ――ただ一応は効いたらしく5〜6歳ではなく11〜12歳で縮むのは止まった――という訳だ。 「まあ解呪薬も飲んだし、私自身の抗力もあるから、夕方には完全に解けると思うわ」  現在、薬が最後の悪あがきをしているらしい。  故に、本来ならば元に戻っている筈の朝に縮んだままなのだ。 「……夕方まで、その姿のままですか?」 「そうよ? あっ! この姿で講義してみようかしら!  いえ、いっそこのまま制服着て、雄真くんと一緒に学生生活をっ!!」 「それだけは勘弁して下さい。マジで」  雄真はベットの上で土下座する。  ただでさえ伊吹と葵のことで噂になっているのだ。この上「葵と鈴莉は瓜二つ」などという事実が広まれば、マザコンの烙印まで押されてしまう。  マザコンのロリコン・プレイボーイなどという二重苦は雄真には荷が重すぎた。  ……そんな雄真を見て、鈴莉は意地悪く笑う。 「ふふふ、安心して。今日はちょっと行く所があるから、学園にはいないわ」 「……良かった」  雄真は思わず安堵の溜息をもらす。 「あら? そういう反応はショックね。私がいないのが、そんなに嬉しいのかしら?」 「っ!? いえ、そういう訳じゃあ!」 「冗談よ。さっ、顔を洗って朝ご飯にしましょう」 「……その前に、お願いだから服着替えて下さいよ」  何時までも息子のワイシャツ――しかも昨日着たヤツ――1枚で動き回るのは止めて欲しい。  目のやり場に困るし、葵とどんな顔をして会ったら良いのかわからないではないか。 「いいじゃない♪ 固いこと言わないの♪」  が、鈴莉は屈託無く笑いつつ、洗面所目指してグイグイと雄真の背中を押す。  その燥ぎっぷりは相当なもので、「精神年齢まで退行したか?」と訝った程だ。  飲んだ魔法薬のせい……では勿論ない。飲んだ魔法薬は肉体にしか作用しないタイプのものである。  だいたい、鈴莉が雄真(最愛の息子)に対して、精神にまで影響を及ぼす様なヤバイ薬を使う筈が無いのだ。  (いや、まあ、その「最愛の息子」とやらを魔法薬で幼児化させた時点で、既にダメダメではあるのだが……)  とは言うものの、現在の鈴莉の行動は非常に子供っぽい。今までの「大人の女性」的雰囲気(?)からはおよそかけ離れている。  薬のせいでは無いとしたら、何が鈴莉の行動を幼くしているのだろう? やはり、肉体が若返ったせいだろうか?  ……それもやはり違うだろう。  確かに、精神は肉体に引っ張られる傾向がある。環境適応の観点から見てもこれは否定できない事実だ。  が、僅か数時間足らずで精神がここまで退行する筈も無い。ましてや「あの」鈴莉なのだ。ぶっちゃけありえない。  ならば、何故?  正解は、“雄真くん分”(謎)を目一杯補充したからに他ならない。  十年振りに最愛の息子(雄真)と二人っきりで過ごし、おまけに「一緒にお風呂♪大作戦」こそ挫折したものの、幼児化したことにより「ゆずはの占い(呪い)」から逃れて「一緒に添い寝♪計画」を成功することが出来たのだ。  幸せ一杯ではっちゃけてしまっても、まあ仕方が無いことだろう。多分、きっと。 「うふふ〜♪」  そんな訳で、上機嫌で雄真の背中にぴったりと貼り付いていたりする。  時々、すりすりと体を擦り付けるのはご愛嬌だろう。  御薙鈴莉、至福の一時であった。  洗面所では、異様な光景が繰り広げられていた。  年の頃11〜12歳程の少女が鼻歌を歌いながら、洗面台前に座る16〜17の少年の歯を磨いているのである。  ……実に倒錯した、イタい光景だった。  言うまでも無くこの二人、雄真と鈴莉である。  このシチュエーションが展開されるまで、如何程のドラマがあったのだろう?  お見せできなくて残念だ。 「〜♪」  ニコニコと笑いながら雄真の歯を磨く鈴莉。  顔を顰めながらも半ば諦め、鈴莉の為すがままにされている雄真。  二人はまったく正反対の表情を浮かべながら、やっぱり正反対のことを考えてたりする。 (♪〜 時よ止まれ〜 雄真くんはあまりにかわいい〜♪) (――頼むっ! 早く終わってくれっ!!)  鈴莉には至福かもしれないが、雄真には羞恥プレイもいいところである。  ……いや実際、この歳にもなって母親に歯を磨いてもらうなど屈辱もいいところ、もし他人に見られたり知られたりしたら、人殺しだって出来るかもしれない位の恥ずかしさだ。  しかもその母親が年端も行かぬ少女の姿なものだから、恥ずかしさは更に倍率ドン! こうなったらもー「はらたいらさんに全部っ!」の世界である。  が、心底幸せそうな鈴莉を見ると、へたれ……もとい心優しき少年である雄真にはそれ以上の抵抗は出来なかった。  故に仕方なく「今回だけ、今回だけ」と心に堤防を造り、流れに身を任している、という訳だ。 「〜♪ 雄真くん、痛かったら言ってね〜♪」  とは言うものの、流石にある程度時間が経つとやや落ち着き、心にも余裕も出てくる。  ふと真正面の巨大な鏡を見ると、相変わらず幸せそうな鈴莉の姿が目に映った。 (しかし、葵ちゃんと子供の頃の鈴莉先生って本当に似てるなあ……)  そう認めざるをえない。  多少の胸の差を覗けば、背格好体つきは瓜二つだ。  ……とはいえ、二人の雰囲気はまるで違う。  葵はもっと穏やか……というかのんびりほわほわした雰囲気だが、鈴莉は燥ぎながらもやはりどこか妖しげでクールな雰囲気を醸し出している。 「どうしたの?」  真剣な表情で鏡を見つめる雄真に、鈴莉が心配そうに声をかけた。 「あ、いえ少し考え事を―― そうだっ!」  あの夢の続き、先生なら知っているんじゃあないか?  ――そう思いつき、雄真は思い切って尋ねてみる事にした。 「あの…… 鈴莉先生、俺聞きたいことがあるんです」 「なあに?」 「質問なんですが、『魔法を使えない子に、魔法を使える様にしてあげること』って可能なのですか? 可能だとすれば、何か副作用とかありますか?」  それは、本題に入る前ふりの様な質問だった。  ……が、その質問は思いがけない反応を引き起こした。  カシャーン 「ゆ、雄真くん……何言って…… ま、まさか、『思い出した』の……?」  歯ブラシを落とし、顔面蒼白の鈴莉。  これを見て雄真も真っ青になった。  思わず立ち上がり、鈴莉の両肩を掴んで問い詰める。 「鈴莉先生! 俺は葵ちゃんに一体何をしたのですか!? それで葵ちゃんはどうなったのですか!? 教えて下さい!!」 「……は? 葵……さん?」 「俺、昔のことを少しだけど思い出したんです!  その記憶では、まだ葵ちゃんは魔法を使えなくて、でもどうしても使える様になりたいって言うから――  先生に止められていたにも関わらず、俺、何かした筈なんです!!」 「……雄真くん。どの位、思い出せたの?」  今度は鈴莉が真剣な表情で雄真にたずねる。  雄真が真っ青になって慌てふためく一方、鈴莉は急速に落ち着きを取り戻していたのだ。  …………  …………  ………… 「……なるほど、葵さんのことを思い出したのね?」  ふー、と溜息を吐きつつ腕を組む鈴莉。  いつもはその腕の上に巨乳が乗っかる訳であるが、残念ながら現在慎ましい胸――歳からすれば豊かだが――になっているため、その様な眼福は見ることができない。実に残念なことである。  ……まあ、今の雄真にそんな心の余裕はなかったが。 「先生……」 「結論から言うとね、確かにあれから大変だったわよ?  3歳になったばかりの子供の魔力を開放するなんて無茶もいいとこ、葵さんは高熱を出して三日三晩寝込んだわ」  まあ雄真くんは三歳前から魔法が使えたから、判らなかったのかもしれないけどね、と鈴莉は付け加えた。 「くっ!」  自分のしでかしたことに、雄真は打ちのめされる。  ……本当に昔の自分はガキだった。力に溺れ、自分を、魔法を、万能と過信していたのだ。 「……とはいえ、普通魔力が具現化したら大概熱出して何日も寝込む訳だし、葵さんの場合もまあその程度だったから安心していいわ。現に彼女、今でもピンピンしてるでしょ?」  それに、と鈴莉はクスクス笑いながら付け加える。 「葵さん、雄真くんの手をずっと握って離さないのですもの。これじゃあ怒るに怒れないわよ。本人も反省していたみたいだったしね?」  それでも結局は怒られた訳ではあるが、鈴莉は雄真を安心させようとそんな風に誤魔化して宥める。  ……いやまあ、実際大変だったのだ。あの時は。 「……良かった」 「雄真くん、随分と葵さんに御執心ね? 焼けるわ〜」 「いえ、そんなんじゃあないですよ」  そう、これは罪悪感からくる関心に過ぎない。  兄妹と感じるほどの時を過ごしておきがら、今の今まで忘れていた負い目。  そして今尚、彼女は自分を覚えていてくれるというのに、自分は―― 「そっ『そんなんじゃあない』っ!? ……はっ! もしかして雄真くん、葵さんに私を見ている!?  そ、そうよね……『息子は母親に似た女性を愛する』って言うし……」 「だあっ!?」  せっかく真面目に考えていたというのに、鈴莉のその一言でぶち壊しである。 「でもいけないわ…… 幾らなんでも私に似すぎているし、葵さんは従妹ですもの……  お母さんは賛成できないわっ! ええ、許しませんよっ!!」 「だから違いますって!?」 「違う…… はっ! じゃあもしかして『子供しか愛せない』とか!?」 「俺はノーマルですよっ!?」  ぶっちゃけ、雄真の趣味――伊吹には口が裂けても言えないが――は「バン、ギュッ、ボン」。お気に入りのDVDは「裏女教師・激汁90分」だったりする。  ……が、鈴莉は聞いちゃあいなかった。代わりに、弾丸の様に雄真の胸の中に飛び込んでいく。 「げふっ!?」 「仕方がないわ…… 今だけ、今だけお母さんが慰めてあげるっ!!」  この体勢と体格差では、むしろ鈴莉の方が慰められていたりするのは秘密だ。 「お願いっ! 話聞いてっ!!」  雄真は、必死に胸にコアラの様にしがみついた鈴莉を引き剥がそうとする。  ……こうして、暫しの間母子十年ぶりのスキンシップが始まった訳である。  どうでもいいが、ついでに時計はかなりイイ感じに進んでいた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第12話】  ……そんなことやってる間にも、時計はかなりイイ感じに進んでたりする。 「うわっ!? もう8時っ!!」  ふと時計を見て、雄真はたちまち真っ青になる。  時計は8時数分前を指している。朝のHRは8時半からであるから、もう30分しかない。  如何に同じ敷地内――このマンションは学園内にある鈴莉の研究室と空間的に繋がっている――とはいえ、瑞穂坂学園の広大な敷地を考えれば、もう出なければ間に合わない時間だろう。 「じゃあ先生、行ってきます!」  雄真は慌てて着替えると、急ぎ玄関へと向かう。  ……が、それを鈴莉が強い口調で呼び止めた。 「雄真くん! 朝ごはんを食べていきなさい!」  鈴莉が指差す先には、何時の間にか朝食のおかずを流用したサンドイッチが作られていた。  食べ易いように、と鈴莉がわざわざ作り変えたのだろう。中々美味そうであり、視覚と嗅覚が雄真の食欲中枢を刺激する。  が、頭の中で時間を素早く計算すると、雄真は断腸の思いで首を振った。 「そんな時間、ありませんよ」 「いけません! 朝食は一日の基本です!」  お母さんの言うことを聞きなさい、とばかりに鈴莉は断固として譲ろうとしない。 「勘弁して下さいよ〜〜」  堪らず雄真は泣きを入れる。  ……情け無い、と言う無かれ。  今直ぐ出ても、「走って間に合うかどうか」である。食べたら遅刻は確実だろう。  転科初日早々からあれだけ問題起こしておいて、今日も「遅刻しました」ではさまにならない。雄真も必死なのだ。 「……転移魔法で校舎近くまで送ってあげるから、安心なさい」  そんな雄真を見て、我ながら甘いわねえ、と鈴莉は溜息を吐きつつ妥協する。 「えっ! 本当ですか!?」 「まあ今日は私の責任も無きにしもあらずだから、仕方が無いわ……」  いや、ほぼ全部先生の責任なんですが……  そう思いつつも、気が変わられたら困るため、雄真は無言でサンドイッチを頬張る。  魔法で送ってもらうとはいえ、時間そのものがギリギリなのだ。ゆっくりと味わっている暇などない。 「時間が無いのはわかるけど、もう少しよく噛んで食べなさい」 「ごちそうさまっ! じゃあ先生、お願いします!」 「……私の話、ちっとも聞いてないわね……」  朝食に要した時間は僅か3分。その余りの早さに、鈴莉は呆れ果てた様に言った。 「雄真くん、ハンカチ持った? ティッシュ持った?」 「持ちました。ていうか、入れっぱなしですから」  ぶっちゃけ、ハンカチなどまず使わない。トイレの後だって手洗い場の温風乾燥機で十分だ。  ……はて、そういえば最後に使ったのは一体何時だろうか?  まあハンカチそのものは、かーさんかすももが定期的に代えてくれているらしいが―― 「……男の子ねえ」  その話を聞き、鈴莉はなんともいえない表情を浮かべて苦笑する。  音羽もさぞや難儀したことだろう。 ……まあそういった難儀なら、音羽には大歓迎だろうが。  もちろん、私だって大歓迎だ……  鈴莉は、音羽に対して申し訳ないという気持ちと共に、溢れんばかりの羨望が湧き上がってくるのを抑えることが出来なかった。  何故こうなってしまったのだろう? 何処で間違えたのだろう? 何故、実の母たる自分がこの様な思いをしなければならないのか?  ……そう思うと堪らなくなる。一体何時まで私は―― 「先生?」  気付くと、雄真が心配そうに自分を見つめていた。  鈴莉は気持ちを急ぎ切り替え、仮の表情を作って応じる。 「はいはい、判りました。直ぐに送ってあげるから慌てないの」 「いや……そういうんじゃあなくて―― あ、無論そういうのもありますが、先生大丈夫ですか?」 「あら? 心配してくれるの?」 「そりゃあそうですよ。何と言ったって先生は俺の――」  そこまで言うと、流石に恥ずかしいのか雄真は口篭る。 「ん〜? 私は雄真くんの何なのかしら? 是非知りたいわね〜〜」 「あっもうこんな時間だっ!? 先生お願いします?」 「はいはい、判りました判りました」  わざとらしい雄真の言葉に苦笑しつつも、鈴莉は騙されてあげることにした。  取りあえずは今の言葉と態度だけで十分だ。十分癒された。  うん、大丈夫。私はまだまだ頑張れる。 「じゃあ行くわよ? 目をしっかり瞑ってなさいね?」 「はい」  雄真は素直に頷き、目を瞑る。  次の瞬間、雄真は奇妙な浮遊感を感じた。 ――――中等部魔法科校舎前。 「? ……おおっ!」  恐る恐る目を開くと、そこは魔法科校舎前だった。  時計は8時10分。遅刻どころか余裕でセーフだ。雄真は鼻歌を歌いながら校舎に入ろうと歩き出す。  が…… 「あっ! また襟のボタン外してっ!!」  聞き覚えのある声が後ろから聞こえたため、恐る恐る後ろを振り向く。  ……するとそこには、両手を腰にあててお怒りポーズの鈴莉先生(小)がいらっしゃっいました。 「先生っ!? なんでっ!!」 「私だって用事があるから、ついでに一緒に転移したのよ。  それより雄真くん! 私の目を盗んでまたボタン外したわねっ!」  鈴莉がビシッ!と指差すその先には、何時の間にか外された学生服の第一ボタンと襟ホック。(無論、雄真が隙を見て外したのだ) 「まったく油断も隙も無いんだから……」  鈴莉は、うんしょと背伸びしながらボタンを留める。 「あの…… 人が見てるんですけど……」  丁度登校時間の真っ最中である。皆の注目の的だ。  クスクスという通りすがりの少女達の笑い声に、思わず耳まで赤くなる。 「別に変なことしてる訳じゃあないのだから、気にしないの!」 「いや、恥ずかしいですし」 「だらしが無い方が、余程恥ずかしいわよ?」 「……さいですか」  ボタンを留めると、鈴莉は雄真の周囲をくるくる回って身嗜みを確認し、気に入らないところがあると容赦無く直していく。  それが終えると鈴莉は満足そうに頷いた。 「それじゃあ私はもう行くけど、ちゃんとお勉強頑張るのよ? 皆と仲良くね?」 「わかりました、わかりましたからっ!!」  気のせいか、クスクスという笑い声が大きくなった様な気がし、雄真は悲鳴混じりの返事で応じる。 「ふふふ♪ じゃあね?」  パタパタと駆けて行く鈴莉の後姿を見送り、それが見えなくなると雄真はようやく安堵の溜息を漏らした。  鈴莉は校舎裏まで転移すると、周囲に誰もいないことを確認してその場にへたり込んだ。  あの時、自分は上手く誤魔化せただろうか?  その後、きちんと振舞えただろうか?  ……雄真は「あの時のこと」を不審に思われなかっただろうか?  心臓が早鐘の様に打つ。 『あの…… 鈴莉先生、俺聞きたいことがあるんです』 『なあに?』 『質問なんですが、『魔法を使えない子に、魔法を使える様にしてあげること』って可能なのですか? 可能だとすれば、何か副作用とかありますか?』 『ゆ、雄真くん……何言って…… ま、まさか、『思い出した』の……?』  ……何たる失態。  迂闊だった。あれでは「疑って下さい」と言っている様なものではないか。まったく私らしくもない。 (――いや、私らしいか)  鈴莉はそう自嘲する。  自分でも重々承知しているのだ。こと雄真のこととなると我を失う、ということを。  全てを――自分すらも――客観的に見ることが可能だというのに、どうしても雄真だけは客観的に見ることが出来ない。  溢れんばかりの感情が、理性を押しのけてしまうのだ。  昨日からの自分の行動を思い返す。  何と言う愚かな、幼稚な行動だろう。さぞかし雄真を呆れさせたに違いない。失望させたに違いない。  ……それでも楽しかった。幸せだった。  愚かとは思うが、後悔はしていない。  後悔することといえば―― 『ゆ、雄真くん……何言って…… ま、まさか、『思い出した』の……?』  ……何故、自分はあの様なことを言ってしまったのだろう。  これが原因で、雄真が「思い出した」ら如何するというのだっ!  ぎりっ!  “あの時”のことを思い出し、鈴莉は歯噛みする。  ……そうだ、思い出す必要など無い。忘れたままで良いのだ。  辛いなら忘れしまえばいい。  代わりに私が覚えていてあげるから。  代わりに私が何とかしてあげるから。  全てを私に任せ、忘れてしまいなさい。  ――お母さんが守ってあげるから。  鈴莉は改めてそう決意すると立ち上がり、歩き出した。  他でもない雄真の為に。  『鈴莉にとって、雄真は未だ毛布を被って泣く幼子』  ……いみじくもゆずはがそう看破した様に、鈴莉の心はあの日、雄真と別れた時に凍りつき、止まっていたのだ。 ――――御門本家本邸。  御門家はこの国でも最も古き魔法使いの一族、その一つである。  その家格と実力は式守家にもひけはとらず、名実共にこの国の魔法界に君臨している家として数えられている。  ……まあ古くから企業経営にも力を入れているため、一般人には“御門財閥”と言った方が通りが良いかもしれないが。 「さて、説明してもらいましょうか?」  その本家本邸で、それも当代当主に向かい、鈴莉は大上段に切り出した。 「……随分、縮みましたね」  当主は、鈴莉を上から下までジロジロ遠慮なく見回した挙句、溜息を吐きつつ言った。 「うちの葵を見ている様で、少々……いやかなり複雑ですよ」 「うるさい。貴方は私の質問にだけ答えれば良いのよ」 「答えろ、と突然言われても…… はて、一体何のことやらとんと見当もつきませんね」  当主は茶を飲みつつ、わざとらしく首を傾げる。  当代当主、御門景範。  旧姓、御薙景範。未だ若輩なれどその商才は凄まじく、御門家に入り婿後、瞬く間に停滞気味だった傘下企業を建て直し、“御門財閥中興の祖”と称えられる傑物である。  また魔法の実力も(男としては)トップクラスであり、魔法界の名門御門家当主としても歴代上位に数えられるであろう。要するに、“できる男”だ。 「……じゃあ教えてあげるわ。崩壊した魔法科校舎建て直し資金の寄付を申し出るなんて、金にシビアな貴方が一体如何いう風の吹き回し?」 「……いや、別におかしなことじゃあないでしょう? 娘が通っている学園、しかも同じ魔法科の校舎が壊れたのですよ?」 「その理由が、『娘の不始末だから』と聞いたけど?」 「別に不始末とまでは言って無いさ。けど、まあ関係者ではあるからね。 ……それに実際――」  そこで景範は葉巻を咥え、火をつける。  ……心の科で「葵、すまん」と謝ながら。  (娘には止められているが、こればかりは止められないのだ) 「姉さんだって、少しでも支払いが減った方が有り難いでしょう?  姉さんはウチ(御門家)の分も払う、なんて言ったそうだけど、それって再建費用の半分を払うってことですよ?  ……大丈夫なのですか?」 「ぐっ……」  痛い所を突かれ、鈴莉は口篭る。  高峰家や式守家、それに御門家は魔法界の名門であるが、御薙家だってこれ等に負けないくらい由緒正しい家だ。 ……由緒だけは。  重代の財産に加え様々な副業に手を出している彼等に対し、御薙家には財産らしい財産なんて殆どまったくと言って良い程ない。  というか、家そのものが既にないのだ。御薙家は傾くどころか既に滅び、一族など当の昔に散り散りバラバラである。  ……別に戦争とか政争に負けて滅ぼされた訳ではない。古木が腐って倒れる様に、自然に消滅しただけの話だ。  恐らく、世俗的なことに疎かった“お公家集団”だったことが災いしたのだろう。結束が弱い緩やかな連帯集団だったことも不味かったかもしれない。兎に角、時代の波に対応出来なかったのだ。  そんな訳で、鈴莉と景範が生を受けた時には「既に御薙家は本家のみ」、という有様だった。まあそれでも、強力な魔法使いの家であるため、十分以上に裕福ではあったのだが。  ……そんな御薙家に、只の校舎建て直しならまだしも、その何倍も金のかかる「魔法科校舎の再建資金」は荷が重い。  如何な鈴莉がその後資産を増やしたとはいえ、桁が違うのだ。1/4でもキツイのに、1/2となると資産の大半を失ってしまうだろう。  鈴莉自身はさほど金に対する執着は無いが、将来雄真が受け取るべき大切な財産である。そう考えると努々疎かには出来なかった。 「無理しない方が良いと思うけどね ……そういやあ雄真くん、魔法の道に復帰したんだって? 目出度いことだ」  その言葉とは裏腹の口調に、鈴莉の眉が吊り上る。 「……貴方には関係のないことよ」 「関係無い……関係無い……ね。出来ればそうあって欲しかったが……」  景範は吐き捨てる様に言うと、乱暴に葉巻を灰皿に押し付けた。 「……何が言いたいのかしら?」  鈴莉の眉が更に吊り上る。 「姉さん、取引しようじゃあないか」 「取引?」 「雄真くんを転校させてくれ。何処か遠くに、今直ぐ。  その代わり、再建資金の全額をウチが支払おう。その同額を姉さんに支払ったって良い」  云百億という大金を、景範は何の躊躇いもなく提示する。 「何を言っているのっ!? そんなこと出来る筈ないでしょう!!」 「何故だい? 一からやり直すのなら、何の障害も無い筈だよ?  ……ああ、なんなら姉さんも一緒に行けばいい。姉さんなら引く手数多だろう?」 「……何が目的?」 「さてね、そんなこと如何でもいいじゃあないか」  景範は如何にも悪役っぽく笑う 「それより姉さん、このままじゃあ財産の大半を失ってしまうよ?  姉さんは別に構わないだろうけど、跡継ぎの雄真くんが可哀想じゃあないか」 「ぐっ……」 「良く考えようよ。姉さんだって、息子の雄真くんに何か残してやりたいだ『お父さま?』ろう……」  つーーーー  その声を聞き、景範の額に一筋の汗が流れる。  恐る恐るドアを見ると、花束を抱えた葵が立っていた。 「葵っ!? 何故此処にっ!? 学園は……って、しまった! 今日は『例の日』かあっ!!」  一世一代の不覚っ! と景範は床を転げまわる。  ……それを無視し、葵は鈴莉に駆け寄った。  (途中で「ぷぎゅっ!」と妙な音がしたが、誰も気にする者はいない) 「あの……御薙先生ですよね?」 「ええ、そうよ。 ……よく判ったわね?」  鈴莉は軽く驚く。  葵の感覚の鋭さもだが、それ以上にその必死の表情に驚いたのだ。  ……この様な彼女、今まで見たことも無い。 「今、お兄さまが……雄真お兄さまのお話が出ていましたよねっ!?  ……もしかして、雄真お兄さまは生きていらっしゃるのですかっ!?」 「はあっ!?」  葵の真剣な問いに、鈴莉は素っ頓狂な声を上げることしか出来なかった。  御門家の裏庭――その広大な敷地の一角に、それはあった。  『みなぎゆうまの墓』  ……突っ込み所満載の、このやたらデカくて立派な建造物を前に、鈴莉は無言で立ち尽くす。  その足元には、鈴莉が造り出した魔法のロープでグルグル巻きに縛り上げられた景範が転がっており、がくぶると震えている。 「…………」 「…………(ぷるぷる)」  暫しの重苦しい沈黙の後、鈴莉はゆっくりと振り返り景範を見る。  笑顔だが滅茶苦茶怖い。怖すぎますよ、鈴莉さん。 「……さて、景範? 覚悟は出来てるでしょうね?」 「いきなり死刑判決っ!?」  どうやら、言い訳どころか遺言すら聞いてくれないらしい。 「私の雄真くんを勝手に殺しておいて、タダで済むと思ってるの? 思って無いわよね?」  鈴莉さんはかなりお怒りの様で、その内からは凄まじい量の魔力が溢れ出ている。  余りの高密度の為、魔力がバチバチと放電しちゃってる程だ。イオノクラフト効果モドキ(?)で宙にだって浮かべるかもしれない。  ……それにしてもこれだけの魔力である。鈴莉が少しでも方向を与えてやれば、忽ち幾つもの大魔法が発動されることだろう。  そうなれば数日前の魔法科高等部校舎崩壊事件の再現だ。この『みなぎゆうまの墓』を中心として、直径数十mのクレーターが出来ることは間違いない。  強大な魔力出力、そして何より熟練かつ洗練された魔法式を誇る鈴莉にとって、真・伊吹――或いは伊吹・改――(命名、雄真)の最大攻撃魔法を再現することは容易……とは言えないまでも、決して難しいことでは無いのだ。  特に激怒して気合ゲージが満タンとなっている現在は。 「葵っ! 葵っ! へるぷみーっ!!」  そんな鈴莉に慄いた景範は、必死に愛娘の葵に弁護を頼む。  ……が、葵はそんな景範を軽く無視して鈴莉に話しかける。 「あの……御薙先生?」 「何? 助命嘆願なら却下よ?」 「いえそんなこと『葵っ!?』より、ゆうまお兄さまのことなのですが……」  そんなこと、と切り捨てられてしまった景範は、悲痛な叫び声を上げると滝の様な涙を流して突っ伏した。  そんな景範を無視し、二人は会話を続ける。 「ええ、もちろん生きてるわよ? 貴方ももう再会している筈だけど?」 「! ……じゃあ、やっぱり!!」 「そうよ。昨日、貴方のクラスに転科してきたのが私の息子、貴方の『お兄さま』の雄真くん」  その言葉に、葵の表情がぱあっと明るくなる。  もしかして、とは思っていたのだ。  だって、あんなにも纏う魔力が似ているから。あんなにも雰囲気が似ているから。  ……でも、兄の魔力から感じた様な力強さが、覇気が感じられない。自分のことを本当に知らない様だったし、姓も違う。  第一、兄はもう10年も前に死んだ筈だ。  ――そう思いつつも、一縷の望みを持たずにはいられなかった。何より、その身に纏う空気に惹かれずにはいられなかった。  その気持ちは、間違っていなかったのだ!  が、気にかかることが幾つもある。  何故、自分の前から突然消え去ってしまったのだろう?  何故、姓が御薙では無く小日向なのだろう?  そして何より……  何故、自分と初対面のふりをするのだろう?  そういった疑問が葵の頭の中でぐるぐると廻る。  が、それを口に出して尋ねる勇気はなかった。  怖かったのだ。答えを聞くのが。 「……雄真くん、記憶喪失なの」  ぱあっと明るくなったかと思えば、直ぐにまた暗くなる。  ……そんな葵を見て、鈴莉は苦笑しながら教えてやる。  無論、本当のことを教える訳にはいかないため、『嘘ではないが真実ではない話』だったが。 「え……」 「だから、昔の記憶が一切無いのよ。貴方のことも、私のことも、ね?  ……でも無理に思い出させたら負担がかかって危険だから、私とも離れて今まで遠い所で暮らしていたのよ」 「そ……そんな……」  自分のことを忘れていると聞き、葵はがっくりと項垂れる。 「そんな訳で今まで貴方とも会えなかったのだけど、まさか景範が“死んだ”なんて言って誤魔化していたなんて……『姉貴っ!? 汚ねーぞっ!!』五月蝿いっ!!『ぷぎゃあっ!!』」  全ての責任を景範に押し付け様とする鈴莉に対し、景範が復活して抗議の声を上げるが、鈴莉にロープを締め上げられて忽ち沈黙する。  ……それを確認した後、鈴莉はにっこり微笑みながら葵にとっておきを教えた。 「でも安心して? もう大分良くなったから。だから魔法科に転科したのよ?  ……貴方のことも、つい昨日思い出したみたい」 「ほっ、本当ですかっ!?」  再び、葵の表情が明るくなる。 「ええ、本当よ」 「わ、私、学園に行かなければならないので、これで失礼します!」  鈴莉の話を聞き、葵は挨拶もそこそこに大急ぎで屋敷に戻ろうとする。  ……が、ふと何かを思い出したかの様に立ち止まり、振り返った。  そして、にっこりと笑って言った。 「お父さま……大っ嫌いです」 「ぐはっ!!」  ま、10年間も騙し続けりゃあ当然だわな……  葵が見えなくなった後、鈴莉は思わず呟いた。 「可愛いわね、葵ちゃん。雄真くんのことで一喜一憂して」  感情の起伏に乏しい子だと思っていたのだが、どうやらそうでは無さそうだ。  ……ああ思い出した。そういえば、彼女は昔はああだったのだ。  随分変わってしまったから、今の今まですっかり忘れていた。 「それにひきかえ、無様ね……」  鈴莉は景範を見下ろした。  全ての責任を押し付けられ、挙句に葵から嫌われた景範は、生ける屍と化している。  ……こうなるのがイヤだったから、必死で雄真を学園から追い出そうとしたのだろう。  まあ、それが一層葵を怒らせることになった訳だが。 「し、仕方なかった、仕方なかったんやあ〜〜」  と、景範は慟哭しながら振り絞るかの様に呻いた。  ……余程ショックだったのか、関西人でもないクセに関西弁だ。 「どないせいっちゅ〜んや……  姉貴はいきなり『雄真とはもう会えん』で後はだんまりやし、葵は泣くし……しまいには食事もロクにとらんと寝込んでしもうた……  なら、死んだことにした方がどれ程葵のためかと……」 「景範……」  ……そういえば、葵もあれから性格が大分変わった。以前はもっと明るく快活な子だったのに。  如何な幼い頃の話とはいえ、雄真との『死別』は決してこれと無関係ではないだろう。  それを思えば、彼とて被害者だ。  自分は息子(雄真)のため、景範は娘(葵)のため、それぞれが最善と思える方法を採った。それだけのことなのだ。  そう考えると、怒りの炎も小さくなっていく。何時の間にか魔力の放電も消えていた。 「……でも、『それはそれ、これはこれ』よね」  パチッ! 「ぷぎゃっ!」  鈴莉が指を鳴らすと、空中から巨大な足が出現して景範を踏みつける。  景範のお仕置き用として、鈴莉が学生時代に編み出した魔法、『タイタンクラッシュ』(命名、ゆずは)である。 「ああっ、なんかとっても懐かしい感覚っ!? でも痛っ! すっげえ痛っっ!!」  巨人の足に踏みつけられた挙句グリグリされ、景範は堪らず悲鳴を上げた。  ……懐かしさ故か、言葉も学生時代に戻っている。 「暫くそうやって反省していなさい」 「ノオ――――っ!? 姉貴、カムバッ〜〜クっ!!」  ……それから数時間。魔力が尽きて足が消えるまでの間、景範の絶叫が響き渡ったという。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第13話】  さて、一方の雄真は鈴莉が去った後、周囲の目を一身に集めていた。  その視線と忍び笑いに耐えられず、彼はそそくさと校舎へ駆け込む。  ――それを遠くから、より具体的には木の陰から見つめる少女が一人……いや二人。 「雄真くん……」 「雄真〜〜っ!」  ……誰であろう、春姫と杏璃である。  鈴莉より雄真との面会を禁じられている二人は、こうして遠くから雄真をストー……げふっ!げふんっ!、某“巨○の星”のねーちゃんの如く、陰から見守ることしか出来ないでいたのだ。 ――――ケース@ 春姫の場合。 「雄真くん……楽しそう」 《……春姫、貴方の眼は節穴ですか?》  春姫のせつなそうな呟きに、ソプラノの容赦ない突っ込みが飛ぶ。  ソプラノは甚く気分を害していた。いや、彼女(?)とて主の色恋沙汰に口を挟む程野暮ではない。 ……本来ならば。  が、最近の春姫ときたら雄真に首っ丈で、自分の相手どころか手入れすら碌に身が入らない有様である。これでは文句の一つや二つも言って当然だろう。  ……まあ、当の春姫はまったく聞いちゃあいなかったのだが。 「雄真くん……会いたいよ」  春姫は深く沈んでいた。 (こんなのってないよ……)  もう何度も呟いた言葉を、心の中でそっと呟く。  やっと再会できた想い人(雄真)から無理矢理引き離される――如何に大恩ある師といえど、この様な横暴が許されて良いのだろうか?  ……いや、許される筈が無い。故に、本来なら無視して当然(注 春姫主観)である。  が、生憎と師は想い人の実母でもあった。将来の円満な嫁姑関係を考えれば、ここは退くしかなかったのだ。 「……うう、お義母さま酷すぎます……」  クスンと嘆く春姫。 ……気分はすっかり姑に虐げられる新妻である。 《……春姫、お願いですから妄想は止めて、いい加減帰って来て下さい》  深い深い溜息と共に、ソプラノは懇願した。 ――――ケースA 杏璃の場合。 「何よ何よ何よっ! あたし達がこんなに心配してるってゆーのに、雄真ったらっっ!!」  杏璃は憤慨していた。  自分など昨晩は心配の余り眠れなかったというのに、当の雄真本人はよろしくやっているではないか!  ……これでは自分が馬鹿みたいである。 「あんなに鼻の下伸ばして、へらへらしちゃって〜〜!!」 《そ、そうでしょうか? 儂にはとてもそうには――》  杏璃の言葉に、パエリアが控えめな突っ込みを入れる。  ……が、それは火に油を注ぐ行為でしかなかった。 「うるさいわねっ! だいたいあの子誰よっ!?」  バリバリ  怒りの余り、ガジガジバリバリとパエリアの羽に喰らいつく杏璃。そして次々と消えていく羽――幾ら自動修復するとはいえ、これでは流石に追い付かない。  パエリアは堪らず悲鳴を上げた。 《ああっ!? それ以上羽を毟るのは止めて下され! 禿てしまう!》 「うっさいわね!(もきゅもきゅ) あんたは黙ってなさい!(もきゅもきゅ)」  今の杏璃にパエリアを省みる余裕など無い、やり場の無い怒りでいっぱいいっぱいなのだ。 「う〜〜 雄真のヤツ〜〜っ!」  本来なら、今直ぐ雄真に会いたかった。そして、思いっっっきりどつきたかった。 ……が、  ――もし破ったら、“雄真くんの母”として考えがあるわよ?  その度に何故か鈴莉の言葉を思い出し、足が動かなくなるのだ。  不思議現象である。もしや、これが噂に聞く精神拘束魔法だろうか?(絶対違う)  ムカつく、どつきたい。 ……だが足が動かない、どつけない。  これではストレスが溜まる一方だ。故に、一心不乱に齧る。  ガジガジ、バリバリ 《や〜め〜て〜〜!?》  パエリアの悲鳴が木霊した。  …………  …………  ………… 「「あれっ? 雄真くん(雄真)は?」」  春姫と杏璃は、不思議そうに辺りを見渡した。  ふと気付くと雄真の姿が見えない。  ……ついでに、先程まで生徒達でごった返していた周囲も閑散としている。 《《もうとっくに行ってしまいましたよ(わい)……》》  何処か疲れた様な声で、ソプラノとパエリアが答えた。 「え……何時の間に?」 「気がつかなかったわ……」  ――そりゃ、あんたらずっと自分の世界に浸ってましたから。  驚く二人に、ソプラノとパエリアは内心で突っ込む。 《そんなことより、そろそろ屋敷に戻る時間ですぞ》 「あ゛…… もうそんな時間!?」  パエリアの言葉に、杏璃は「しまった!」と舌打ちした。 「あれ? 杏璃ちゃん、今日は学校お休み?」  春姫は首を捻る。  ……そういえば、今初めて気付いたが杏璃は私服だ。 「うん、今日は“儀式”があるから」  杏璃は春姫の質問に頷いた。  けど雄真が心配だったから、こっそり抜け出したのだ。  だから、いい加減戻らないと不味い。とっても不味い。 「魔法使い一族の“儀式”かあ……杏璃ちゃん家はどんなことをやるの?」 「“魔法使いの”な〜んて付くから大袈裟に聞こえるけど、要は“旧家の儀式”よ。堅苦しくて退屈なだけで、意味なんて無いわ。  ……しいて言うなら、『やることに意義がある』ってヤツ?」  春姫は興味深々といった表情に、杏璃は軽く肩を竦めて答えた。  魔法使いの一族(或いは派閥)はそれぞれ魔法に関する独自のノウハウを持つ。  そのノウハウは一族の財産であり、一族の歴史の積み重ねだ。  故に、魔法使いは一族の歴史と伝統を尊重する。“儀式”はその一環なのだ。 「そうなの?」 「ま、ウチなんか魔法使いとしては新興だけど、だから余計に……ね」 「ふうん? そういうもの……なのかな?」  杏璃の身も蓋も無いご意見に、春姫は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。 「魔法使いは頭が固いからね〜 ――って、何? 春姫の家は無いの?」 「うん、知識としては一応知ってるけど……ほら、私の家って魔法使いは私だけだから……」 「あ……ごめん」  実は、春姫は魔法使いとしてはかなり特殊な部類に属する。なんと、両親親戚からその先祖に至るまで「魔法使いが一人としていない」のだ。  通常、魔法使いは魔法使いの一族からしか生まれてこない。極稀に魔法とは縁の無い家からも生まれる場合もあるが、その場合でも先祖を辿れば必ず魔法使いがいる筈だ。  ……が、春姫の場合、先祖に魔法使いを確認することができなかったのである。(余程遠い先祖なのだろう)  春姫ほどの“力ある魔法使い”が一般人から生まれてくるなど、前代未聞……とまではいかないが相当珍しい。故に、「先祖に余程強力な魔法使いがいたのだろう」と当初はあれこれ余計な詮索があった程である。  (本来ならば真っ先に出る筈の「母親の浮気疑惑」が出なかったのは、春姫が父の姉に良く似ていたためだ) 「……でも、それじゃあ大変だったんじゃない?」  何のノウハウも無い一般人の家で生まれ、一人前の魔法使いとなることは並大抵の苦労ではない。ましてや、ここまで来るには相当な努力があった筈だ。  杏璃はあらためてライバルの偉大さを思い知った。 「うん…… お父さんもお母さんもどうしていいか判らず大変だったみたい。初めて魔力に目覚めた時なんか、私倒れて入院しちゃったし……」  ……大変どころの話ではない。春姫本人は知らないが、覚醒当初は原因すら判らずICU(集中治療室)に担ぎ込まれ、生死の淵を彷徨った程だ。  幸い、「大きな魔力を感知した」という大魔法使い(鈴莉)がわざわざ尋ねて力を貸してくれた為、事無きを得たが、そうでなければどうなっていたか…… 「御薙先生に会えていなければ、今の私は無いよ」  春姫は断言する。  実際、赤の他人の子供をここまで――まるでわが子に対するが如く――懇切丁寧に教育してくれる魔法使いなど、他にはまず存在しないだろう。  一族、派閥の共有財産たるノウハウを、赤の他人に教えるなどもっての他、名門とはいえ最早実態の無い御薙家の出身だからこそ出来たことだろうが、それにしても思い切ったことである。  (だからこそ、伊吹から「御薙鈴莉の娘」と聞かされた時に春姫は動揺し、「もしかして」と思ってしまったのだ) 「今じゃあ春姫はすっかり“御薙家魔法使い”だものね〜」  「いい話よね〜」と、うんうん頷く杏璃。  ……けど、名門御薙家の魔法を操る春姫がちょっぴり羨ましいのは内緒だ。 「そんな……“御薙春姫”だなんて…… もしかしたら“小日向春姫”になるかもしれないし……」  と、何やらツボに入ったのか、春姫は突然体をくねらせ始める。 「お〜い、春姫〜〜?」  それを見た杏璃は目を大きく見開き、思わず目の前で手を振った。  ……が、反応ナシ。 《無駄です。ああなると春姫はしばらく帰ってきません》 「ええっ!? コレ、初めてじゃないのっ!?」 《つい先程の御嬢様も、ああでしたぞ?》 「うそっっ!?」  杏璃はソプラノの溜息混じりの言葉に驚愕し、パエリアの指摘にショックを受けた。  ……いや、傍から見るとコレがまた……しかも自分もやったとなると………… 「あ゛あ゛あ゛っ! ねえパエリア、誰かに見られなかったかなあ!?」  見られたら恥ずかし過ぎる。具体的には日記を見られる位恥ずかしい。  杏璃は思わずしゃがみ込み、パエリアに恐る恐る尋ねた。 《はて……最近とんと物忘れが“禿しく”(激しく)なりましてのう……》  が、羽を全て齧られた意趣返しか、パエリアはもったいぶって答えようとしない。 「意地悪しないで教えてよ〜〜っ!?」  春姫は妄想に身をくねらせ、杏璃は過去の己の行いに身悶える――  その後、二人が遅刻(春姫は学校、杏璃は儀式)したのは言うまでも無いだろう。 ――――魔法科中等部校舎、一年教室前。  雄真は、教室の前に辿り付くと軽く呼吸を整えた。  そして、元気良く扉を開ける。  ガラガラ! 「おはよう!」  しーーん  が、クラスメート達はチラチラとこちらを見るだけで、反応は皆無と言って良い。  まあ端から返事など期待してはいなかったが、やはり空しいものである。 「……道は遠いな」  クラスに受け入れられることの困難さを改めて痛感し、雄真は思わず呟いた。  ……が、所詮「溶け込む」ことなど“年齢差”、そして何より“性差”を考えれば不可能だろうし、万が一溶け込めたら溶け込めたでそれもまた不味過ぎる気がする。(そりゃそうだ)  正直、この幼いクラスメート達とどの様な関係を築くべきか、雄真は未だ判断しかねていた。 (……あれ? 葵ちゃん、まだ来てない?)  席に着くと、隣の席が空いていることに気付いた。  もう結構いい時間である。イメージ的には、もっと余裕をもって登校しそうな子なのだが……もしかしたら、休みだろうか?  だとすれば、寂しい様なホッとした様な、複雑な気分だ。  御門葵。  血の繋がった従妹。  幼い頃、実の兄妹の様に過ごした少女。  過去と共に切り捨てられながら、尚も自分を慕う少女……  ……本当に自分の弱さには呆れ返る。過去の過ちから逃げる為、自分は全てを忘れ……いや、『切り捨てた』のだ。  その際、一体自分はどれだけの人々を切り捨て、傷つけたのだろう? 「…………」  雄真にとり、葵は“切り捨てた過去”の象徴だった。  雄真の心が罪悪感で溢れる。 「今まで、ごめんな」  雄真はそう呟くと、葵の机を優しく撫でた。  ……そんな様子を興味津々に観察するクラスメート達。  ひそひそ…… (うわ〜やっぱり両思いなんだ〜〜) (ラ…ラヴよ…… ラヴがリアルで……) (いいな〜 葵ちゃんいいな〜〜) 「……ん?」  ふと視線を感じ、顔を上げる。  と、数人のクラスメートと視線が合った。 「「「!」」」  彼女達は驚いた様な表情を浮かべ、慌てて視線を逸らす。 「???」  雄真は首を捻り、席に着こうとする……が、その時、突然刺す様な視線を感じた。  恐る恐る振り向くと、昨日雄真に突っかかってきた式守明日香が凄い形相でこちらを睨んでいる。  ……そしてその周囲には、明日香の取り巻きらしき少女達が、やはりこちらを睨んでいた。 「「「…………」」」  他のクラスメート達はその雰囲気に気圧され、静まり返ってしまう。  ピリピリとした、焼け付く様な空気。 「あ、あは…あはははは……」  愛想笑いを浮かべてみたが逆効果、空気はますます悪くなる一方だ。  が、昨日助けてくれた葵はいない。小日向雄真、絶体絶命のピンチである。  まさに一触即発の事態。  と、その時――  バタバタバタ! ガラッ!  廊下を慌てて走る音が聞こえたかと思うと、勢い良く扉が開く。  そして一人の少女が転がり込んできた。上杉彩音だ。 「先生来てないっ? 来てないよねっっ!?」  彩音はそう叫びつつ教室を見渡し、担任が来ていないことを確認すると脱力した。 「間に合った〜〜」  どっ!  その口調と表情、そして行動の余りのコミカルさに、クラスメートの間に笑いが起こる。  それだけで、先程までの空気は見事吹き飛んでしまった。  クラスメート達は次々に挨拶がてら彩音を冷やかし、彩音もクラスメートと挨拶がてらの会話を楽しんでいる。 「あ! ゆーま、おはよっ!」  雄真と目が合うと、彩音は元気良く挨拶した。 「あ、ああ…… おはよう……」  ちらりと明日香を見ると、気を殺がれたのかそっぽを向かれた。  ……助かった。 「ん? どしたの?」  安堵する雄真に、彩音は不思議そうに尋ねた。 「いや…… 彩音、二日目にして随分と俺に馴染んでるな〜と」  とり合えずの誤魔化したが、これもまた本音だ。  なにしろ、もう“雄真”から“ゆーま”である。  人見知りしないというかなんというか…… 「んん? 迷惑かな?」 「いや、むしろありがたい。俺に構ってくれるの、彩音と葵ちゃんだけだし」 「ははは。でも、それは仕方がないよー。皆、男に対する免疫無いもん。おまけにゆーまは年上だから」 「ま、はっきり拒絶されないだけマシか」 「葵に感謝だねー」 「あと彩音にも、な」  二人が協力してくれるおかげだよ、と感謝する雄真。  が、それを聞いた彩音は微妙な表情だ。 「あー、もしかして気付いてない?」 「?」 「ゆーまはあたしと葵を一緒にしてるけど、あたしなんかオマケもオマケだよ? 全部葵のお蔭なんだから!」 「そりゃあ、葵ちゃんには世話になってるけど、彩音にも感謝してるぞ?」 「……それは嬉しいけどさ、雄真は全然わかってないよ。  葵が積極的に助けたからこそ、ゆーまはウチのクラスにいられるんだから」  葵は明日香と並ぶ中等部一年の双璧である。  成績こそ明日香に次ぐ次席だが、その実力は限りなく拮抗している……いや、むしろ「もしかしたら葵の方が上ではないか?」とすら囁かれている程だ。  常に全力投球でぶつかる明日香に表情すら変えずに対抗し、常に測ったかの様に一歩手前で譲る葵は、それだけの底知れなさを級友達に与えていたのである。 「その葵がああまで執着するから、クラスの皆もゆーまのこと受け入れて……はいないまでも“黙認”したんだよ? でなきゃ、今頃大変だから!」  ましてや明日香っちが敵に回ってるんだからね、と付け加える。  ……確かに彩音の言う通りである。先程の明日香とその取り巻きの態度から察するに、もし“葵”という壁が無ければ今頃、某宝塚男子部も真っ青の虐めにあっていた可能性すら否定できないだろう。  そう考えた雄真は、素直に葵に対する感謝を口にした。 「葵ちゃんは親切だからなあ」  スパーン!  ウンウンと頷く雄真の頭に、何処から出したのか彩音のハリセンチョップが炸裂する。 「な、何を!?」 「あんたねー、そりゃあ『葵は不親切』とは言わないけど、葵のゆーまに対する態度は異常だよ!?」  あの子は恐ろしいほど受動的なんだから、と彩音が呆れた様に説明する。 「……そうは見えないけど」 「だ〜か〜ら〜“異常”って言ってるでしょっ!?」 「う〜ん」  ――あの子は、その程度で動じないと思うわよ?  そういえば、鈴莉先生もそんなこと言ってたな。  なるほど、「俺にだけ積極的」という訳か。 「納得したみたいだね。“三角関係”ってのも、あながち冗談じゃ無いんだよ?」 「あー、葵ちゃんが俺に優しくしてくれるのは、そんなのじゃあなくて……」  そう言いながら、ふと気になったことを尋ねる。  ……葵の席は未だ空席だ。 「……そういえば、葵ちゃんは?」 「ああ、今日はお休みだよ。毎年、この日は休むんだ。  ……なんでも、今日はお兄さんの命日なんだって」 「……はい?」  雄真は一瞬我が耳を疑い、ついで思い出した。  そういえば、俺は死んだことになってるのか……  なんか、余計ばれる訳にはいかなくなったような気がしてならないな〜〜 「そういえばさ、ゆーまは御薙先生の息子って本当?」  もうばれたーー!? 「ど、どうしてそれを……」  恐る恐る聞くと、彩音は忌々しそうに答えた。 「……“鬼”の片割れから聞いた」 「鬼?」  雄真が怪訝そうに聞き返すと、彩音は慌てた様に首を振る。 「な、なんでもない! それよりさ、本当?」 「……本当だよ」  嘘をついてまで誤魔化す気は無いので、雄真は渋々ながらも肯定する。 「うわっ、本当なんだ! 凄い!!  あ、そうなると、ゆーまと葵は従兄妹同士になるんだねー  ……あれ? にしては二人とも初対面っぽい???」  彩音は感心した様にしきりと頷いていたが、はたと首を傾げる。  ……どうやら従兄≠兄らしく、雄真と“葵のお兄さん”が結びつかない様だ。 「あのさ、その話は葵ちゃんには内緒にしてくれないかなあ?」  これ幸い、と雄真は彩音に頼み込む。もし彼女が協力してくれれば、かなりの時間稼ぎが出来るだろう、と踏んでのことだ。 「へ? なんで?」 「葵ちゃん、俺が従兄だって知らないんだよ。  で、今知られるのは不味いと言うかなんと言うか……」 「…………」  すーと彩音の目が細まった。  そして、今までとはうって変わった真剣な顔で雄真を見る。 「……あたしはね、葵の親友なんだ。少なくとも、あたしはそう思っている」 「え〜〜と」  その勢いに押され、雄真は一歩後ずさる。  と、彩音は更に一歩踏み込んできた。ナンカコワイデス…… 「……その葵を『騙せ』?」 「いや……騙すなんて人聞きの悪い…… これは葵ちゃんのためでも……」 「なら、洗いざらい話しなさい。それで判断するから」  雄真は、カクカクとただ頷くことしか出来なかった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第14話】  雄真の話を聞き終えた後、彩音は呆れ果てたような溜息を吐いた。  そして、一言。 「……へたれ」 「ぐはっ!?」  図星を指されたのか、雄真は机に突っ伏す。  自分でも「もしかした俺って……」と常々思っていた所にこの一撃である、効かぬ筈が無い。  小日向雄真、初の“へたれ”認定だった。  ……実の所、今まで雄真に面と向かってこんな事を言う人物は存在しなかった。  直球勝負の杏璃や毒舌の小雪ですら、である。  これは皆が皆、雄真に対して非常に高い好感度――具体的には80オーバーくらい――を持っていたことが原因だろう。(“惚れた者の弱み”“痘痕も笑窪”というヤツだ)  が、何のしがらみも無い彩音は実に客観的な判断を下し、何の遠慮も無くそれを雄真にぶつけたのである。  『あえて言おう、小日向雄真は“へたれ”である!』と。  これは実に画期的なこと……なのかもしれない。もしかしたら、きっと多分。 「……そ、そんなに“へたれ”かなあ?」 「だってそーじゃん! まあ葵を忘れた事は一億歩譲って仕方が無いとしてもさ、思い出した後も黙ってるなんて酷過ぎるよ!  ……葵、あんなに慕ってるのにさ」 「いや……これは葵ちゃんのためでも……」 「どーだか? 正直、逃げてるだけにしか見えないよ」 「ぐっ……」 「とにかく! 葵は真実を知るべき! それで幻滅して過去と決別するか、過去の思いを成就するかは葵の自由ッ!! ……アンダスタン?」 「イ……イエス、マム……」  一応抗弁を試みたものの容赦無く切って捨てられた雄真は無条件降伏を受諾、武装(抗弁)を解除した。  それを見て、彩音は満足そうに頷く。 「よろしい! では最後に、彩音ちゃんから元気の出るおまじない♪ ゆーま〜目をつぶって〜〜♪♪」 「へ…… あ、ああ……」  雄真は言われた通り目をつぶる。 ……ちょっとだけドキドキするのは内緒だ。 「じゃっ、いっくよ〜〜♪」  せ〜の、という掛け声の後、凄まじい衝撃が雄真を襲った。 「男なら責任とらんかいっっ!!」  バキイッ!! 「ぶろおっ!?」  鉄拳制裁を受け、某車田ばりに吹き飛ぶ雄真。 ……少女のものとは思えぬ力である。  が、空中に漂う雄真の視界に巨大なマジックハンド――もちろんグーだ――を手にする彩音が映る。  ――あ、納得。  「恐らく魔法の一種だろう」と納得した雄真は長い滞空の後、“おやくそく”通りに顔面から着地した。  グシャッ! 「げふうっ!?」 (ああ、どーせこんなことだろーと思ったよ、こんちくしょうっっ!)  ビクンッ、ビクンッと微妙に痙攣しながらも、雄真は天に向かって胸の中で毒づいた。  ……半分期待(何を?)してたクセに、実に大嘘吐きな男である。 「大丈夫? なんか派手に吹っ飛んだけど」 「……彩音がやったんだろ〜が」  心配げに覗き込み、手を貸す彩音に流石の雄真も苦笑した。  ま、彼女の性格からしてあれで“チャラ”なのだろうが…… 「ま、これだけの秘密を『あたしにだけ』話してくれたことに免じて、さっきの“彩音ちゃんアタック”でチャラにして上げる」 「ありがとう……ぷっ……くく……」  予想通りの言葉に、苦笑ではない本当の笑いが込み上げてくる。 「ちょっと! 何で笑うのよ!?」 「いや……ごめん……くくく……」 「何かムカつくっ!」  余りに笑い過ぎたのか、そう叫ぶと彩音が飛び掛ってきた。今度は魔法無しのステゴロだ。  必殺の“首四の字固め”が炸裂する。彩音の細い足が雄真の首にジャストフィットだ。 「うおうっ!? ギブギブギブ――っ!!」  雄真の叫び声が響き渡った。  バンッ! 「あなたたちっ! いい加減にしなさいっ!!」  大きく机を叩く音と共に、激しい叱責が二人に飛んだ。  ……誰であろう、式守明日香だ。先程は矛を収めたものの、この果てしなく続く馬鹿騒ぎにとうとうキレたのである。 「え〜と、式守さん……」 「明日香っち……ひっ!?」  「この裏切り者!」と言わんばかりの明日香の形相に怯え、彩音は思わず雄真にしがみ付いた。  ……が、それは最悪の行動だった。火に油を注ぐ様なもので、明日香の機嫌はますます悪化する。  ギンッ! 「「ひいい……」」  その眼光に怯える雄真と彩音。 「小日向雄真、流石ですわね? 葵に続き彩音までも……このケダモノがっ!」 「ご、誤解……」  が、明日香は雄真を無視し、今度は彩音を睨み付けた。 「上杉さん?」 「ひ、ひゃいっ!?」  恐怖の余り、彩音は上ずった声しか出ない。 「……残念ですわ」 「へ?」 「……まさか貴女まで“汚染”されるとは」 「お、汚染?」  彩音は聞き返すが、明日香は一方的に話すだけで答えようとはしない。 「小日向雄真とじゃれ合う程の仲になった以上、貴女は『小日向雄真に汚染された』と判断せざるを得ません」 「俺はバイ菌かい――ぶっ!?」 「しっ、黙って!」  文句を言おうとする雄真だったが、明日香の態度と口調に只ならぬものを感じた彩音に(裏拳で)制止される。 「何か血が出てるんですが……」 「いいから黙る!」 「これ以上の“汚染”を防ぐには、“汚染源”と“汚染された者”を抹殺するしかありません。残念ですわ。  ……でも、“腐った林檎”は排除しなくちゃいけませんの」  にっこり。 「「ひっ、ひいいっ!!」」  怖いほどの笑顔で向かって来る明日香に震え上がり、二人は腰を抜かしつつも必死で後退る。  が、明日香はゆっくりながらも一歩、また一歩と追い詰めていく。 「あ、彩音! “彩音ちゃんアタック”だ!」 「ムリムリムリ! 明日香っちにあたしの魔法なんか通じないよっ! クラス全員でも勝てるかどうか……」 「マジですかっ!?」  見ると、クラスメート達は既に二人の反対側に避難している。  ……嗚呼、人情紙風船。 「明日香っちに対抗できるのなんて葵位のものだよ!  ――て言うか、ゆーまこそ“特Aランク特待生”でしょ? 御薙センセの息子でしょっ!? ごーっ!!」 「んな何話も前のネタなど知らんわっ!?」 「アンタ年上でしょ、男でしょう!? 甲斐性見せてよっ!!」 「んな甲斐性要求される位なら、へたれで結構!」  互いに盾役を押し付けあう二人……実に美しくない光景である。  ……が、遂に二人は壁際まで追い詰められた。もはや逃げ場はない。 「うわーん! こんなことなら思い切って"Oasis" でスーパーデラックス&スペシャルパフェ食べとくんだった〜〜」 「畜生〜〜 彼女も出来ないまま死ねるか――っ!!」  しょーも無いことを叫ぶ彩音(最期の望みがソレですか?)と伊吹に聞かれたら殺されそうな台詞を血涙で叫ぶ雄真(じゃあアンタ、彼女でもないのに……)。  正に絶体絶命、恥も外聞も無い二人であった。  ――と、その時、  どっご〜〜ん!  凄まじい大音響と共に、校舎が大きく揺れる。 「な、なんだ地震? 雷? 火事親父!?」 「お馬鹿ッ! 校舎の結界が破られたのよ!!」 「へ……でも確か校舎の結界って……」  伊吹・改(或いは真・伊吹)の前ではガラス並の脆さだったけど、凄く強力でちょっとやそっとじゃあ破れないんじゃあなかったっけ?  ……まさか伊吹がまた? 「いや…… アイツならやりかねんな(ひでえ) 何しろニトロ並の――ぐはあっっっ!?」  そこまで話した時、窓から飛び込んできた“何か”の直撃を受け、雄真は吹っ飛んだ。  ……つくづく騒動に縁のある男である。 「ぐはあっ!?」  窓から飛び込んできた“何か”の直撃を受け、雄真は勢いよく吹っ飛んだ。  その衝撃で視覚は真っ黒、何がぶつかったのかも判らない。 (――何か、俺ってこういう役回りばっか……)  度重なる不幸の連続に、さすがの雄真も半泣きだ。もーなんだかとってもちくしょう!な気分である。  が、そんな中ふと気付いた、気付いてしまった。  ……その“何か”が、結構柔らかくて気持ちいいことに。ついでに、どことなくデジャヴだ。 (そういや、以前杏璃のヤツに体当たりかまされた時の感じに似てるな?)  が、衝撃が軽い。多分、質量が比較対象(杏璃)よりも軽いせいだろう。  ……ならばコレは伊吹だ、そうに決まっている、そうに決めた。  雄真は独断と偏見で、“何か”を伊吹と断定した。(今までの騒動の大半が伊吹絡みであることを考えれば、まあ無理も無いことなのかもしれないが……)  ひくひく……  昨日からの騒動を思い出し、雄真の頬が引きつる。  何故か知らないが、伊吹の関係者(明日香)に目の敵にされたり、  伊吹に校舎中を追いかけ回されたり、  挙句の果てには校舎ごと吹き飛ばされたり……  そしてとどめが今回である。 (伊吹のヤツ、いい加減にしろよな!)  雄真の感情に火がついた。  ここまでやられては黙っていられない、今後のためにも“おしおき”が必要だろう。  雄真は今までの鬱憤を晴らす……もとい、伊吹の所業を正すため、おしおきを決断した。  無論、まともに戦って勝てる相手ではない。つーか、絶対返り討ちだ。  が、勝算が無い訳ではない。最近気付いたのだが、伊吹は雄真が反撃の機会を与えずに押して押して押し捲ると、最後には“借りてきた仔猫”状態になるのだ。  ならばその状況にもっていけば――イケるっ!  短い思考の後、雄真は行動に出た。 「ぐっ!」  着地の衝撃に苦悶の表情を浮かべつつも、雄真は胸元にしがみ付いている“伊吹”を引き剥がし、馬乗りになって押さえつける。  そして―― 「喰らえっ!」 「!?」  雄真は“伊吹”の側頭部に両の拳を当て、思いっっっきりグリグリと動かし始める。 「〜〜〜〜〜〜!!??」  余程痛いのか、“伊吹”は声にならない悲鳴を上げる。予想通り、反撃は無い。抵抗も微弱だ。  が、雄真は一向に手を緩めようとはしなかった。代わりに、ここぞとばかりに拳に力を篭める。 「俺の怒り、思い知ったか!」 「〜〜〜〜〜〜!!!!」 「まったく、いつもいつもお前というヤツは――――って……アレ?」  力尽きたのか、急にガクッと崩れ落ちる“伊吹”。  その余りの早さに、雄真は怪訝な表情で彼女を見る。  ……そこでようやく気がついた。  自分がおしおきしている相手が、伊吹ではないことに。  よりによって、「葵だった」ということに。 「あ、葵ちゃん!?」  雄真は慌てて葵を開放する。  ようやく体の自由を取り戻した葵は、ゆっくりと力無く振り向いた。  そして、半べそをかきながら訴える。 「い…痛い……よ…… お兄さま……」  目には涙が溢れ、決壊寸前だ。 「ご、ごめん…… まさか葵ちゃんだとは……」  何気に葵が重大発言していることにも気付かず、雄真は葵を必死であやす。 「酷い……よ……」 「本当にごめん!」  攻守はたちまち逆転した。  米搗きバッタの様に平身低頭、平謝りの雄真に、えぐえぐと半泣きで痛みを訴える葵――そんな遣り取りが暫し続けられる。 「ごめん! 本っ当にごめん! お詫びに何でも言う事を聞くからさ! うん、何でもっ!」  一向に泣き止まない葵に、雄真は遂に最後の手段に出た。  ……すももならばこれで機嫌を直すハズなのだが、どうだろう?  雄真は固唾を飲んで、葵の反応を見る。  と、葵は初めて反応を示した。 「……本当に、ですか……」  そう言って、じっと雄真の目を見る。 「うんうん、本当本当! ……あ゛、でも『俺にできる範囲内で』だけど」  脈ありと見た雄真は、ここぞとばかりに畳み込んだ。  これで駄目だったらお手上である、彼も必死だ。  ……その甲斐があったか、葵は泣き止んだ。 「……じゃあ、許してあげます」  約束ですよ、と葵。  さっきまでの表情とは正反対、満面の笑みだ。 「おう、まかせとけ!」  その内心は「安堵の溜息の大合唱」ながらも雄真は胸をドン叩き、「頼りになるオトナの男」をアピールする。 「はい!」  葵は元気よく返事をすると、ゴロゴロと喉を鳴らしながら雄真にもたれかかった。  そんな葵の喉を無意識の内に撫でながら、雄真はふと考えた。 (……そういや、葵ちゃんは俺に何を頼むつもりだろう?)  自分で言っておいて何だが、正直彼女が何を望むか見当もつかない。  ……とはいえ、安請け合いしたことに関する懸念はなかった。  これがすももやかーさんの場合なら、一体何を“お願い”されるか判らず非常にデンジャラスだが、葵相手ならそんな心配もない、と考えているからだ。 (う〜ん、やっぱり何か欲しい物がある、とか?)  中学生の経済力では買えないものも多いだろうし、やはりこれかな、と思う。  まあ自分の経済力でどこまで期待に応えられるか判らないが、葵ならばそれ程無茶なものは要求すまい。  10年ぶりの再会でもある、今までのお詫びも兼ねて、ここはひとつ思い切って見るのもいいだろう。  『え! こんな高いもの買って頂いていいのですか!?』  『ハハハ、俺はこうみえても年上なんだよ?』  『凄いです!』  完璧だ……我ながらなんて完璧なアイデアなんだ……  雄真は自分の思いつきに、一人悦に入っていた。  ……膝の上に喉を鳴らす葵を乗せながら。 「「「「「……………………」」」」」  さて、そんな二人の様子を周囲は唖然として眺めていた。  それは明日香ですら例外ではなく、怒りも忘れてただただ呆然としている。  ……そして、ポツリと呟いた。 「……上杉さん、あの小日向雄真の膝の上で喉を鳴らしている女(ひと)は、一体どこのどなたです?」 「え〜と、葵……なんじゃないかなあ、多分……」  が、答える彩音も自身無さそうだ。  ……だって、どう考えてもキャラ違うし。  二人は葵を初等部の時から知っている。その彼女達から見て、今の葵は明らかにおかしかった。  半べそをかきながらも、甘えた声で雄真に訴えかける葵、  半べそをかきながらも、その手は雄真の服を掴んで放そうとしない葵、  とどめは雄真の膝の上で喉を鳴らす葵――  ……そんな葵、知らない。つーか誰?  明日香は目の前の現実を認めることができず、ワナワナと震え頭を掻き毟る。 「葵が……葵が……“私の葵”が、ただの甘えネコに…………」 「何気にいきなり問題発言っ!?」  ズザザッ!  明日香のトンでもないカミングアウトに、流石の彩音もびっくり、周囲もドン引き状態だ。  ……が、当の明日香は言うだけ言うと、ショックの余り失神してしまった。  この混乱の中、中等部一年の双璧が二人揃って“あっち”に行ってしまったのである。 「あ〜〜、もう勘弁してよ……」 (ウチの担任、あれで結構キビシイんだから……)  取り巻きによって保健室へと運ばれていく明日香を横目に、一人冷静な彩音は頭を抱えた。  後に残されたのは、壊れた壁と雄真と葵の逢瀬、そして統制を失い混乱状態の生徒達…… 「せめて先生が来るまでに事態を収めないと……」  何せ昨日の今日、である。  起こり得る未来を想像し、彩音は身を震わせた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第15話】  キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜〜ン 「だあああああ〜〜、終わったーーーーっっ!!」  彩音はチャイムと同時に安堵の声を上げ、机に突っ伏した。  まだ授業が終わった訳ではないが、そんなことは知ったことじゃあない。ようやく“この苦行”から開放された喜びで一杯である。  辺りを見渡すと、他の生徒達も彩音ほど露骨ではないが、やはり安堵の溜息を吐いて脱力している。  が、これほど酷い状況にも関わらず、壇上の教諭は何の注意もしない。見ざる言わざる聞かざる、とばかりに身の回りを片付け、まるで逃げる様にそそくさと教室を後にする。  ……一体、何がどうしたというのだろう? 「し、死んだ〜〜」 「かずちゃん先生、鬼だよ〜〜」 「足がイタい……」 「わたしなんか、もう足の感覚ないよ……」  生徒達は、皆口々に“かずちゃん先生”の非道を訴えている。(ちなみに“かずちゃん先生”とは、彼女達魔法科中等部一年の担任、佐伯和子教諭の愛称である)  彩音の懸念も空しくあれから(前回参照)直ぐ教室にやってきた――まあただでさえ時間ギリギリの所へもってきてあの騒動だ――“かずちゃん先生”は、教室の惨状とだらしのない生徒達を見て暫し呆然とし、ついで烈火の如く怒って罰を命じた。  『昼休みまで全員正座! 休み時間もトイレ以外は席を立たないこと!』  ……そんな訳でクラス全員、今の今まで椅子の上で正座していた訳である。  うっかり姿勢を崩すと、監視役として宙に浮かんでいる魔法水晶が容赦なく電撃を浴びせてくる為、一時も気が抜けない。  このため二時限目以降ともなると教室は異様な雰囲気に包まれ、四時限目担当の新任教諭など涙目で授業していた程だ。  が、生徒達のダメージはそれ以上に大きい。何しろ昼休みが始まったというのに、誰一人席から立とうとしないのだ。  ぐ〜〜  がたっ!  腹の虫に負け、彩音がふらつきながらも立ち上がった。  そして、皆に声をかける。 「早くご飯食べに行こうよ、急がないとご飯抜きだよ?」  が、応じる者は誰もいない。  返ってくるのは、ただただ悲嘆にくれる声のみだ。 「……もう駄目、あたし"Oasis" まで行く気力ない」 「ああ……お弁当組が羨ましいよ……」  そんな嘆きの声が教室内に充満する。 「うう…… じゃあ購買で皆の分を買ってくるよ、教室で食べよう?」  見かねた彩音が、自らパシリを申し出た。  ……が、誰もが儚げに笑って辞退する。 「……ありがとう、彩音。気持ちだけ受け取っておくわ」 「無理しないでいいよ、彩音。昼の"Oasis" や購買は戦争状態、今の彩音じゃあ自分の分すら確保できるかどうか……」 「そんな!? 皆を置いていけないよ!」  麗しき……だがどこか芝居がかった友情に、彩音はノリノリで悲痛な声を上げた。  それに応じ、皆の台詞も更にエスカレートしていく。 「駄目よ、彩音! せめてあなただけでも!」 「お行きなさい、彩音! あたし達の屍を乗り越えて!」 「み、みんな……」  絶句する彩音。友情ごっこは今正にクライマックスに達しようとしていた。  が、そのすぐ隣では―― 「お兄さま、お弁当をお持ちではないのですか?」  まるで仔猫の様にじゃれつきながら、葵が雄真に訊ねる。  昼だというのに、一向に食事をとろうとしない“兄”を心配してのことだ。 「あ、ああ……」  葵の質問に、雄真は曖昧に答えた。  鈴莉の特製弁当があるにはあるが、流石にこの雰囲気で喰う気はしないのだ。 「では、私のお弁当をお分けします。一緒に食べましょう」 「でも葵ちゃん、手ぶらだろう?」  雄真は葵をあやしつつ、首を捻る。  葵は手ぶらどころか私服のまま、制服すら着ていない。とても弁当を持っている様には見えなかった。 「…………」 「……葵ちゃん?」 「…………」  返事が無いため再び訊ねるが、葵は雄真の問いかけを無視し、ぷいっと横を向く。  それを見て雄真は「ああ」と思い出し、どもりつつも何とか葵の望む言葉を口にした。 「……あ、葵?」 「はいお兄さま、何でしょう♪」  今度は満面の笑みで、葵は応えた。 「は、ははは……」  雄真は乾いた声で笑った。  何時の間にやら葵に全てばれてるし、もう笑うしかない、というヤツだ。  はてさて、案ずるより産むが易しと言うべきか、それとも先が思いやられると言うべきか…… 「あんたら……」  と、そんな二人に、彩音が額に青筋を浮かべて割って入る。 「あ、彩音?」 「どうしました、彩音さん?」 「……自覚ないんかい」  不思議そうな二人を見て、彩音はアタマ痛そうに呟いた。  ……実はコイツ等二人、朝からずっとこんな感じでイチャイチャしているのだ。  授業中も葵が教科書等を持ってこなかったため、互いにぴったりと寄り添ってイチャイチャのし通しである。  いーかげんにしろ、と突っ込みの一つや二つ入れたくなるのも当然だろう。 「?」 「あ〜〜、すまん」  素で首を傾げる葵を横目に、雄真が詫びの言葉を入れた。  ……いや実際、葵の相手にいっぱいいっぱいで今の今まで気がつかなかったが、冷静に考えなくとも“やりすぎ”だ。  自分達の行動を思い返し、雄真は赤面する。 「たく……って、それより何であんたら平気なのよ?」  そんな雄真に溜息を吐きつつ、ふと彩音は先程から抱いていた疑問を口にした。  ……何しろ死屍累々の教室の中、この二人だけは平然としているのだ。疑問に思うのも無理は無い。 「私、正座得意ですから」 「そういう問題かっ!」  葵の身も蓋も無い返答に、彩音はまるで某連邦の白い悪魔でも見る様な顔つきで突っ込んだ。  葵と同級生になって早七年……にも拘らず、一向に底を見せようとしないのだから恐ろしい。 「俺は……何でだろう?」  言われて雄真は首を捻る。  特に正座が得意という訳でも無いのだが――  と、またも葵がトンでもない答えを口にした。 「お兄さまは、私が魔法で体を浮かせていましたから」 「「「「「な、何だって――――っっっ!?」」」」」  彩音ばかりか、他のクラスメート達(除く雄真)も絶叫する。  補助も無しに何時間も人間を宙に浮かせる――しかもミリ単位で――には、凄まじい制御力と集中力が必用だ。とても中1……いや中等部レベルの業ではない。  が、葵はそれを誰にも悟らせず、平然とやってのけたのだ。もはや白い悪魔どころかデン○ロビウム並である。  葵……恐ろしい子っ! 「……葵、あんた明日香との勝負、今までずっと手を抜いていたわね?」  彩音が、剣呑な表情で葵に問うた。  明日香とて同じことはできないでもないだろうが、人知れず……しかも平然で、となると大いに疑問である。  故に今言ったことがもし事実ならば、やはり底力は葵の方が数段上、と見做さざるを得ないだろう。  が、にも関わらず、両者の勝敗は常に僅差ながらも明日香の勝利に終っている。これは、葵が手を抜いてきたとしか考えられない。  だがそれは、真剣に勝負を挑み、全力を尽くしてきた明日香に対する侮辱だ。いくら親友でも……いや親友だからこそ、許せる話ではない。 「そんなことはありません」  が、葵は真剣な口調で否定した。  確かにあの時は、あれが自分の全力だった、と。  実力は拮抗しつつも、気合で負けた、と。  それでもまだ納得できない彩音は、重ねて問う。 「じゃあ、何でそんな高難易度魔法を平然と使えたのよ?」 「お兄さまの傍にいると、私の力が増幅されるのです」  ぴしっ!  その瞬間、彩音は石となった。(もちろん、他のクラスメ−ト達もだ)  ……それはなんですか、愛の力ってヤツですか?  臆面も言ってのける葵に、流石の彩音も暫し二の句が継げない。 「…………はあ〜」  やっと石化状態がら回復すると、彩音は盛大な溜息を吐く。  『人の恋路を邪魔するヤツは、馬に蹴られて死んでしまえ』  その格言に従い、彩音は質問を切り上げることとした。  ……でもなんだかわからないけど悔しいから、捨て台詞を吐くことも忘れない。 「あ〜〜そうですかそうですか、ごちそうさま」  上杉彩音、13歳。  ボーイフレンドどころかロクに男と話したこともない、意外にも箱入り&奥手な少女であった。(ま、女子校だしね) 「ああっっっ!?」 「どうしました、お兄さま!?」 「どうしたの、ゆーまっ!?」  突然大声を上げた雄真に、葵と彩音が驚き振り返る。 「じゃあ、一時限目前半に突然体が軽くなって足の痛みが引いたのは、葵ちゃ……葵が俺を宙に浮かせてくれていたからか!」 「今頃気づいたんかいっ!?」 「はい、お兄さまが余りにお辛そうでしたので、僭越ながら一時限目開始10分後に空中浮揚の魔法を発動しました」 「授業開始10分っ!?」  ……自分達が四時限ぶっ通しで耐えさせられたものを、コイツは10分で開放かい。  彩音は歯軋りする。  確かに二人が平然としているのも当然だ、理解できる。が―― 「納得いかね〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!」  彩音は天を仰ぎ、咆哮した。  …………  …………  …………  数分後、ようやく彩音は咆哮を止めた。  ゼエ、ゼエ……  どうやら体力の限界らしい。肩で息をしながらへたり込む。  本来ならば最後の力を振り絞ってでも雄真を蹴倒すところだが、止むを得ず断念だ。  体力の限界もあるが、雄真の背後に浮かぶ巨大な二本の手が、彩音の心を挫いたのである。  ……や、だって何かバキボキ関節鳴らしてるし。 「大丈夫ですか?」  心配そうに、雄真の膝の上から葵が声をかける。  ……あの手、まず間違いなく彼女の仕業なのだが、そんなことはおくびにも出さない。 (葵、恐ろしい子っ!)  彩音は戦慄した。のほほんぽけぽけしている娘だとばかり思っていたのに……  と、今度は雄真が暢気な声をかける。 「……大丈夫か?俺に襲い掛かってこないところを見ると、余程疲れてるんだなあ」 「あ、あんたね……あたしのことをどー……や、確かにその通りなんだけどさ、そうじゃなくって…………」  つーか、あの拳のせいだ。どんなに疲れていようが、彩音はやる時はやる子なのである。  が、雄真は背後に浮かんでいる巨大な存在に全く気付いていない。代わりに苦笑しつつ立ち上がると、彩音に近寄り手を差し出した。 「しょうがないなあ…… ほら、立てるか?」 「ちょっ! 子供扱いしないでよ! この位全然平気……あれ?」  カクン  立ち上がろうとするも、足に力が入らない。慌てて両手に力を篭めるが、支えきれずに尻餅をつく。 「あれ?あれあれ???」  両手両足に力が入らない。 ……いや、それどころかガクガク震えている。 「子供が強がるんじゃない、ほら」 「あ……」  雄真は無理矢理お姫様抱っこすると、彩音を席まで送って座らせてやる。 「お、お礼は言わないわよ?」  初めての経験に真っ赤になりながらも、彩音は強がって見せる。  が、ムカつくことに雄真は平然としており、彼女の強がりにも軽く肩を竦めてみせるだけだ。 「俺が勝手にやったことだしな、構わないぞ。  ……勝手ついでに、俺が昼食買いに行こうか? 外のコンビニなら確実だぞ?」 (む、ムカつく……)  極自然にオトナの振る舞いをする雄真に、彩音は歯噛みする。一瞬とはいえ『ちょっと格好いいかも』と思ってしまった自分が口惜しい。  ……何としても一矢報いなければ気がすまない。  だから、彩音は言った。 「ゆーまの奢りなら。ていうか、むしろ奢れ」 「……パシリの上にカツアゲかい。でもま、いいだろう」 「……本当?」 「ああ、男に二言はない。大人の財布だ、ドンと来い」  上目遣いの彩音に苦笑しつつ、雄真は鷹揚に答えた。  が、彩音は想像通りの雄真の反応にニヤリと笑うと、教室中を見渡して大きく宣言した。 「お〜〜い、みんなっ! ゆーまが何でも好きなだけ奢ってくれるって!」  その言葉に、クラスメートは一瞬戸惑いの表情を見せる。  が、次の台詞で一変した。 「コンビニのジュース・お弁当はもちろん、ファーストフードまでなんでもござれ!  ゆーまがオトナの財布で奢ってくれるよっ!」  クラスメート達から歓声が上がる。 「ちょっ!?」  これには流石に雄真も顔色を変える。  そんな雄真を見て、してやったりと彩音は笑う。 「男に二言はないよね〜〜?」 「……はい」  雄真は内心滝の様な涙を流し、頷いた。  ……ああ、諭吉さん二枚で足りるだろうか? 「わたしはマグーでスペシャルセット!」 「じゃあわたしも!」 「わたしは……ドーソンの豪華特選幕の内でいいや」  無理だ、諭吉さん二枚でも足りるかどうか……  雄真、大打撃である。 (――やった!)  見事雄真に一矢報い、彩音は内心でガッツポーズをとる。  多少気の毒な気がしないでもないが、オトナぶって人を子供扱いするからいけないのだ。  ……それに午前中ずっと正座させられたの、大半が雄真のせいだし。別にこれくらいイイよね?  ぞくっ!  が、勝利の余韻に浸る彩音の背筋に、突然冷たいものが走る。  恐る恐る後ろを振り向くと、巨大な二本の手が指をわきわきさせて迫っていた。 「う゛……う゛にゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!!」  合掌。 「……? 何やってんだ、あいつ???」  何やらいきなり叫び声を上げたかと思うと立ち上がり、身悶えながらイヤイヤと首を振る彩音を見て、雄真は首を傾げる。  ……巨大な手が紙縒りを作る要領で、彩音をグリグリやっているのだが、雄真にはそれが見えていない様だ。  が、それもそのはず、実はこの手、言うまでも無く葵特製の“魔法の手”なのだが、実は対雄真ステルス機能を組み込んでいるのだ。  故に、雄真には見えないし聞こえない。鈴莉の“タイタンクラッシュ”からヒントを得、御門式魔術をベースに組み上げた式紙の一種なのだが、中々どうして見事なもの、とても即興とは思えない完成度である。  が、この“魔法の手”、生まれたばかりなので少々……いや、かなりお馬鹿だった。  まあそれでも命令入力方式ならば問題ないのだが、生憎と現在自動モード。お馬鹿な“魔法の手”は彩音の行動を“雄真に対する攻撃”と判断、おしおきを実行した――という訳だ。  (本来ならば葵が止める筈なのだが、生憎と現在凍結中、とてもそんな余裕はない)  ……が、まあ安心して欲しい。  “魔法の手”には学習機能も組み込まれている。つまり、経験を積めば積むほど“賢く”なるのだっ!  だから頑張れ、彩音! “魔法の手”が“賢く”なるその日までっっ!! 「う゛にゃあ゛あ゛あ゛〜〜〜〜〜がくっ!」  あ、墜ちた。 「う〜〜む、一人パントマイム? なんか元気そうだなあ……」  真相を知らない雄真は、彩音の百面相を不思議そうに観察する。  そしてふと何となく後ろを振り返ると、呆然と立ち尽くす葵が視界に入った。 「!? 葵ちゃ……葵、どうした?」  が、葵は返事をしない。  ……その代わり、がしっと雄真に抱きつく。 「葵?」 「…………」  雄真の言葉にも答えず、葵はただただ雄真にしがみ付くだけだ。  ……その表情は、どこか強張っている様に見えた。 「??? ――っあ!」  暫し首を傾げた雄真だったが、昔すももが同じ反応をした時のことを思い出した。  あれは確か――  すももが小学校何年生の時のことだろう? 忘れもしない、すもも友人の一人に、雄真によく懐いた子がいた。  一人っ子の鍵っ子ということもあり、兄という存在が珍しかったのだろうか、やたら雄真に構ってもらいたがったことを覚えている。  また雄真もそんなその子を憎からず思い、それなりに構ってやっていたものだ。  すもも自身も、多少不満に思いつつもそれを黙認していた筈だ。 ……そう、あの日までは。  あの日雄真が帰宅すると、遊びに来ていたらしいその子が飛びついてきた。  雄真は一緒にいたすももへの対応もおざなりに、そんな彼女をあやしつつ、抱き上げて居間まで連れて行ってやった。  が、幾ら待ってもすももが着いて来ない。  心配した雄真が玄関に戻ると、すももは顔を強張らせて立ち尽くしていた。そしてやはり、こうして自分にしがみ付いてきたのだった。  ……あの時は何が何だか判らなかったが、今なら判る。その子を優先し自分を無視したことに、すももはショックを受けたのだ。  今回も根は同じに違いない。葵は甘える自分を膝から下ろしてまで彩音を構ったこと、なおかつお姫様抱っこをしたことに対して、ショックを受けたのだろう。  考えてみれば彼女はまだまだ子供なのだ、当然……とは言えないまでも、無理からぬ反応だろう。 (ああ、昔のすももと全く同じだ)  雄真はようやく朝からの葵の行動、その本質を理解した。  理解すれば、行動は早い。 「ほらほら、拗ねるな拗ねるな」  雄真は抱きつく葵を抱き寄せ、優しく背中を叩いてやる。  と、葵は肩を震わせ、無言で泣き出した。  …………  …………  ………… 「お兄さま……ずるいです、彩音さんばっかり……」  ようやく泣き止むと、葵は開口一番に雄真の“えこひいき”を非難した。  ……その反応は実際の年以上に幼い。昨日再会した時は、しっかりした子だと思ったものだが―― 「ごめんごめん、反省してるよ}  雄真はそう言って頭を撫でてやるが、葵は未だ不満らしく、口を尖らせて同等の待遇を要求する。 「……私にもあれ、して下さい」  そんな葵の様子に、雄真のいたずら心がムクムクと頭をもたげる。  ……雄真はただの“優しい兄”ではなく、“いぢわるな兄”でもあった。  故に、かつてそうしてすももをいぢめた様に、雄真はいぢわるく笑う。 「別に構わないが、そんなことでさっきの“お願い”権使っていいのか? あ〜もったいない、もったいない」 「!?」  が〜〜ん!  かなりショックだったらしく、葵は半泣きだ。  そんな葵の頭をポンポン叩き、雄真は優しく笑う。 「冗談だよ、冗談」 「う〜〜〜酷いです! いじわるです!」  ポカポカと雄真を叩く葵を、雄真は優しく抱き抱えてやった。 「これで満足ですか、姫?」 「……お兄さまは本当にいじわるです、昔とちっとも変わっていません」 「…………」  あ〜、もしかして俺、すももみたいにこの子もよくいぢめてた?  ……どうやら、その辺はまったく変わっていないらしい。  人の本質とは、そうそう変わらないものなのだろうか? 「……でもそれ以上に優しいです。大好きですよ」  その言葉に、雄真は己の愚かさを悟った。  ……何のことは無い、自分は考えすぎていたのだ。 「ありがとう」  葵の言葉に、雄真はようやく肩の荷が一つ、下りたような気がした。  ……さて、ここで終われば“ちょっといい話”(や、ここが教室内だということを無視すれば、だが)で終わったかもしれない。  が、そうは問屋が卸さないのがこのシリーズである。 「に、兄さん……」  ギクッ!  その聞きなれた声に、雄真の体が一瞬硬直する。  冗談だろ? こんな最悪の状況で――  き、聞き間違いであってくれっっっ!!  恐る恐る振り向くと、雄真の願いも空しく、そこにはすももが顔を強張らせて立ち尽くしていた。  ……姉さん、事件です。