はぴねす!SS「世の中そんなに甘くない」 【第01話】  ――かくして、“式守の秘宝”は再び封印された。  伊吹も助かり、物語はハッピーエンドで幕を閉じたのである。  だが幕が閉じたのは、この一連の事件に関する話だけだった。  彼等彼女等の物語は、まだまだ続く。  さて、本編の主人公であり一応このSSの主人公でもある小日向雄真は、実母である鈴莉から自分が膨大な魔力を秘めていることを改めて教えられ、今後魔法を学ぶため魔法科に転科するかどうかの選択を迫られていた。  ……というか、ぶっちゃけ転科を強制されていた。 「今回のことで、魔力が活性化しちゃったのよ」  秘宝を鎮めるため、そして伊吹を助けるために雄真の魔力回路は大回転を行い、どうやらすっかり「お目覚めになられた」らしい。 「まあ並の魔法使いが十人や二十人軽く干からびる位の魔力を放出したのだから、当たり前と言えば当たり前よね?」  などと、とんでもないことを口走る鈴莉。 「御薙先生……」  そのトンでも無いお言葉に、一堂真っ青である。  が、鈴莉は平然と返す。 「大丈夫よ、この程度。何しろ雄真くんは私の息子っ! その証拠に、こうしてピンピンしているでしょう?」  ……何気に親馬鹿な言葉だが、流石に皆乾いた笑いしか出来ない。  が、兎に角そういう訳で雄真の魔力が活性化してしまった為、ちゃんとした制御法を学ばないと危なっかしくてしょうがない――安全装置の無い爆弾の様なもの――らしい。 「制御具では駄目なのですか?」 「『無いよりはマシ』程度ね。暴走を抑えられない制御具なんて、意味無いでしょう?  まあ暴走以前に、一寸興奮しただけで『すぐ限界』でしょうけどね?」  春姫の言葉に、鈴莉は溜息を吐きつつ答える。 「そんなに凄いのですか? 雄真の魔力って?」  「制御具も役に立たない程の魔力」と聞き、杏璃が身を乗り出す。 「凄いというより『凄まじい』と言った方が正確ね。 秘宝を鎮めた時でさえ、無理矢理起こして寝ぼけてた様な状態よ。これで本調子になれば……」  想像もつかない、と首を振る鈴莉。  この女傑をして、ここまで言わせるとは。  雄真の魔力、恐るべし。 「……お前、本当に人間か?」 「うるせー」  ハチが呆れた様な突っ込みに、雄真は憮然と返す。  流石に化け物扱いは面白くないのだ。 「まあ私が雄真くんの魔力を抑えておくから、定期的な点検を怠らなければ、制御具だけでも取り合えずは大丈夫。  ――あっ、制御具は寝る時もちゃんと付けなさいよ?」  「雄真くん自身は本能的に防御するだろうから大丈夫だけど、部屋は崩壊するわよ?」と脅す。  そのあんまりの言葉に、雄真は思わず一番望んでいたことを口走った。 「封印はしてくれないのですか?」 「あのねえ…… 生物の魔力、それも活性化状態の魔力を永久封印するのは、とても難しいことなの。ましてや雄真くん程の魔力を永久封印なんて、事実上不可能よ。  で、そういう状況で解けるってことは、膨らんだ風船が破裂する様なもの。  ……雄真くんだってある日突然封印が解けて、『周り吹き飛ばしちゃいました♪』なんて嫌でしょう?」  生物の魔力波長は常に変化する。波長の方向性も大小も、全て。  そこに法則性は見られない。(一寸した体調や感情の変化にも左右されるからであろう、とは言われているが正確な所は不明である)  故に、単調な波長である無生物の魔力に比べ、封印が著しく困難なのだ。  それでもある程度までの魔力ならば、力尽くでどうにかなるのだが、それ以上は…… 「それこそ、その生物の生命活動を完全に停止させるしかないわね」  真顔で言う鈴莉に、一堂はようやく事態の深刻さを飲み込んだ。(今までは、どこか冗談めいた雰囲気があったのだ) 「魔力の抑制だって、所詮は一時凌ぎに過ぎないわ。時間と回を重ねるごとに抑制効果は落ちていく……  結局の所、最後は自分で何とかするしかないの。それが魔力を持つ者の“義務”よ」  ……雄真は黙って俯いていた。内心、激しく葛藤していたのだ。  「部屋が崩壊する」程の被害が出るということは、自分の近くにいた者も巻き込まれる筈だ。  自分の魔力が、他人を傷つけるかもしれない。いや、その可能性が高い――その未来予想は、雄真の胸を激しく打った。  自分は、あの時以上の間違いを起こすかも知れないのだ。 (俺は、また逃げ様としたのか? あの時と同じ選択しか出来ないのか?)  愕然とする。自分は、そんなにも臆病な人間だったのか。  が、臆病だろうがなんだろうが、もう逃げられない。こうなった以上、正面から見据え、取り組まなければならないのだ。  何より、自分の過去を克服するために。二度と同じ過ちを繰り返さないために。  ――そう、だからこそ自分自身で魔力を制御出来る様にならないといけない。 「御薙先生! 俺、魔法科に転科します! 見事魔力を制御して見せます!」 「そう! 嬉しいわっ! ……じゃあ、ここにサインを御願いね。後の手続きは、『親として』私が全部やっておくから♪」  今までの真剣さは何処へやら、鈴莉は雄真にサインをさせると「気が変わらない内に」とばかりに学園へと向かう。 「鈴莉ちゃ〜ん! 待ちなさ〜い! 雄真くんの親はあたしよ〜!!」  鈴莉の「親として」発言に反応し、叫びながら鈴莉を必死に追いかける音羽。  ……他の者は鈴莉の余りの豹変振りに、ただただ呆気にとられることしか出来ないでいた。 「……今までの御薙先生の言葉、もしかして嘘じゃあ?」  だとしたら、俺の決意は一体?  額に汗を浮かべつつ、雄真はそれだけの言葉をやっとの思いで口にする。 「う〜ん。嘘……じゃあ無いとは思うけど、少し大袈裟なお話だったのかもね。でも嬉しいな、雄真くんと一緒になれて」  あの時の返事、待ってるからね――と春姫。その目に、一瞬ゾクリとする。  ……何故だろう? あの時、返事を伸ばして貰って正解だった様な気がしてならないよ 「ふんっ! あんたもあたしのライバルに認定してあげるわ! 光栄に思いなさい!」  一応歓迎してくれているのだろうか? 杏璃の言葉だ。 「小日向雄真、貴様は私が認めた男だ。下手な成績を出そうものなら……覚悟しろよ?」  ……伊吹、脅すのは無しにしようぜ? 「兄さん、酷いですよ〜 せっかく一緒の校舎になれたのに、伊吹ちゃんと一緒に行っちゃうなんて〜」  すももよ、いい加減少しは兄離れしなさい。兄はお前の将来が少し心配だぞ? 「ふふふ。雄真さん、不幸そうですね? 占って差し上げましょうか?」  ……小雪さん。勘弁してください、マジで。  最近、小雪さんの占いは「不幸を占う」と言うよりも、「不幸を呼び寄せる(増やす)一種の呪い」の様に思えてならないです。主に、俺限定の。 「これも何かの縁。小日向殿、宜しくお頼み申す」 「小日向様、これからも宜しく御願い致します」  有難う。なんか一番下心が無さそうな二人の言葉が、一番嬉しいよ。 「酷いわ、雄真! あたしを捨てて魔法科の子達を取るのね!?」 「畜生! 羨ましいぞ〜!!」  半泣きの準と血の涙を流すハチ。あ〜、勘弁してくれよ。本当。  まあそんな訳で……  こうして俺は普通科から魔法科へと転科し、魔法使いへの道を歩み始めたのだ。  新学期、俺は魔法科へと転科した。  春姫や杏璃、沙耶や信哉達と共に、新たな学園生活を送るために。  新たな一歩の始まりだ。  ……が 「あの〜御薙先生? 何故俺は“中等部”にいるのでしょうか?」 「あら? だって魔法科に転科するんでしょう?」  俺の心からの疑問に、御薙先生は不思議そうに問い返した。 「俺、高等部の二年ですよ?」  ……何故だろう。激しく嫌な予感がする。  必死に嫌な予感を押さえつけ、一縷の望みをかけて主張してみる。 「……だって雄真くん、『魔法の単位を全然持って無い』じゃない」 「やっぱり〜!?」  嫌な予感、的中。  本来、この世界では初等部と中等部は義務教育であり、科が分かれるのは高等部に入ってからのこと。それまでは皆共通の課程をこなす。  ……魔法科を除いて。  魔法科とは、特殊な才能と特殊な教育法を必要とする科だ。  故に、初等部の内から特別に教育していく必要がある。  通常の義務教育に加え、魔法学というトンでもなく膨大な教育課程をこなさねばならないからだ。  無論、高等部に入ってからも同様である。  普通科と同等の教育課程――でなければ普通科と一緒に授業を受ける筈も無い――に加え、主要教科数個分のボリュームがある各種魔法学までこなす彼等彼女等は、間違いなく“エリート”であった。  ……そんなエリート集団に、つい昨日まで一般人だった雄真がついていけるだろうか?  それを考えれば、これはある意味当然の措置と言えるだろう。  が、当の雄真はこの話を聞いて真っ青だ。 「聞いて無いですよ!?」 「だって聞かれて無いもの」 「クーリングオフを要求します!」  俺の決意は儚く砕けた。そりゃあもう、呆気なく。 「……雄真くん? 初等部から始める?」 「不肖、小日向雄真! 中等部魔法科で粉骨砕身頑張らせて頂きます!」  ランドセルを背負った自分を想像し、俺は無条件降伏した。だって……なあ? 「がんばってね♪」  御薙先生はとびっきりの笑顔で笑った。  こうして俺は普通科から魔法科へと転科し、魔法使いへの道を歩み始めたのだ。  ……瑞穂坂学園高等部普通科二年から、中等部魔法科一年として。  どちくしょう!! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第02話】 「ふんふんふ〜ん、ふんふんふ〜ん♪」  魔法科校舎の廊下に陽気な鼻歌が響く。  ……余程機嫌が良いのであろう。  その鼻歌を奏でる人物は周囲の目もものとせず、我が道を行く。  そんな様子を周囲の者達は――  ある者は我が目を疑い、  ある者は我が耳を疑い、  またある者など、「自分の脳に何か深刻な問題でもあるのではないか?」と懸念する有様だ。  鼻歌だけで周囲を混乱させる程の人物。それが御薙鈴莉という存在なのだろう。  が、そんな他人の様子など鈴莉の知ったことじゃあない。  故に、現在「幸せいっぱい夢いっぱい」状態の彼女は、普段のポーカーフェイスをかなぐり捨てて鼻歌を歌い続ける。  ……しかし何故、彼女はこうも浮かれているのだろう?  答えは簡単。「最愛の息子と再会出来た上、息子が魔法の道に復帰した」からだ。  それは何よりも彼女が望んでいたことだった。  『鈴莉は魔法の研究の為、雄真を小日向家に預けた』  ――これはある意味正しく、またある意味間違っている。  何故ならば、彼女は「雄真のために彼を小日向家に預け」、「雄真のために魔法の研究に没頭した」からだ。  雄真は膨大な魔力を持って生まれてきた。  それこそ、この国でも屈指の魔力を持つ鈴莉すら超越する程に。  それを知った鈴莉は狂喜した。  それこそ我がこと……いやそれ以上に。  もしこれが他の者ならば、鈴莉の心に恐ろしいほどの対抗心が芽生えたことだろう。  何せ、鈴莉は負けん気が人一倍強い。特に己の最大の能力である魔法分野で差をつけられるなど、到底容認出来ない筈だ。  が、彼女に湧き上がったのは純粋なる喜び。  己を越える能力を持って生まれてきた息子への、祝福の思いだけだった。  自分より優れた魔法使いになることを彼女が喜べる唯一の存在、それが雄真(息子)だったのだ。  かくして、鈴莉は雄真をこの国一の……いや史上最高の魔法使いにすべく、英才教育を始める。  雄真は彼女の期待に答え、すぐにその優れた才能の片鱗を表した。  それを無邪気に喜ぶ彼女。  ……それは彼女の人生でも最良の時期であった。  が、そんな幸せは長く続かなかった。  突然雄真が「魔法をやめる」と言い出したのだ。  鈴莉は狼狽した。  雄真を史上最高の魔法使いにしようと目論んでいたから、では無い。  「魔法をやめる」ということは、雄真自身の生命に直結する程の大問題だったからだ。  雄真は膨大な魔力を持って生まれてきた。  が、魔力は諸刃の剣。大きければ大きい程その反動も強くなる。  それ故に、魔力を制御できなければ大変なことになる。  その暴走は周囲を巻き込み大被害を与え、その刃は自分自身にすら向かうだろう。  だからこそ鈴莉は、雄真を魔法使いにしようとしたのだ。  が、本人にやる気が無ければどうしようもない。かえって害になるだけだ。  雄真の決意の固さを知ると、鈴莉は魔法をやめることに同意した。  幸い、当時の雄真はまだ魔法に目覚めたばかりであり、かつ鈴莉が常に管理していたため、何とか雄真の魔力を鎮め、休眠させることが出来た。  彼女は雄真の魔力を鎮めると、魔法関係から一切遠ざけるため、断腸の思いで雄真を小日向家に預けた。  ……その際に姓まで変えることに同意したのは、自分の未練を断ち切るため、そしてなにより雄真自身の幸せのためを考えた最後の親心だったのだ。  こうして鈴莉は、泣く泣く雄真を手放したのである。  そして以後、鈴莉は魔法教育と魔力封印の研究に没頭する。  もし雄真が再び魔法の道を目指した時、少しでも楽が出来るように。  もし雄真の魔力が活性化しても、鎮めることが出来る様に。  皮肉なことに、彼女の名声を不動のものとしたのは、これ等の研究の成果ゆえのことだ。  「国屈指の魔法の使い手」としての鈴莉よりも、「魔法教育の権威」「封印研究の権威」としての彼女の方が何倍も評価されたのである。  ……まあそんな過去の話はどうでも良い。  そんなことよりも失った時間を取り戻すことの方が、現在の鈴莉にとっては遥かに重要なことなのだ。  そう。彼女には野望がある。  雄真を歴史に名を残す大魔法使いとすること。  雄真に再び自分を母と呼ばせること。  雄真と再び一緒に暮らすこと。  ――その野望を叶えるため、鈴莉はこうして日夜裏工作を続けている。 「〜〜♪」  幸せいっぱい夢いっぱい。  鈴莉の幸せ指数は急上昇、連日最高値を更新中だ。  だからこそ、こうして鼻歌の一つや二つ出るのも当然だった。  幸せ、足りすぎである。 ――――高等部魔法科二年教室。 「〜〜♪」  さて、ここにも「幸せいっぱい夢いっぱい」の人物が一人。  誰であろう、御薙鈴莉の直弟子であり、瑞穂坂学園きっての才媛でもある神坂春姫その人だ。 「〜〜♪ 〜〜♪」  やっぱり鼻歌なんか歌っちゃったりして、御機嫌そのものである。  ……まあ想い人と10年越しの再開を果たし、その上同じクラス――魔法科は一学年一学級――になるという、まるで盆と正月が一緒に来たようなめでたさだ。浮かれるのも無理ないのかもしれない。 (雄真くんと毎日一緒♪ 隣同士で一緒に授業を受けて、お昼も一緒に食べて、放課後は一緒に魔法の勉強♪)  そう。自分はクラスメートであり、雄真の実母である御薙先生の直弟子だ。おまけに幼馴染でもある。一緒にいても何ら不思議なことはない。  (幼馴染に関しては異議を挟みたい所ではあるが、彼女の脳内では既にそう設定されているらしい)  既にクラス委員の特権をフルに利用し、雄真の席を自分の隣に確保してあるという周到さだ。 (帰りは一緒に帰って、お休みには一緒に買い物に行ったりなんかして♪)  今後の展開を想像し、恍惚となる。  一世一代の告白は棚上げされたのは無念だが、断られた訳ではない。  チャンスは幾らでもある。押して押して押しまくるのだ。 (――あっ、転科したてで色々不慣れだろうから、色々世話をしてあげる必要もあるわね?)  どうやら、この調子で世話焼きも独占する積りの様だ。  ……彼女もやっぱり、幸せが足りすぎていた。 「……春姫、やけに御機嫌ね?」  杏璃が幾分引き気味に尋ねる。 「あ、わかる?」 「そりゃあ、わかるわよ。さっきから誰かに声をかけられても上の空、全然反応しないじゃない」  にやけた顔で肯定する春姫に、杏璃は苦笑しつつ教える。 「え…… 全然気が付かなかった……」  そう言って首を捻る春姫。  常に周囲に気を配る、如才ない彼女にしては珍しいことだ。 「ま〜、浮かれるのはわかるけどさ、もっとシャッキリしなさいよ? 春姫と雄真は、あたしのライバルなんだから!」  そう言う杏璃も雄真の転科に満更でも無さそうで、クラスメート達に雄真のことを色々教えている。  ――曰く、「一寸意地悪だけど悪い奴じゃあない」  ――曰く、「自分の新たなライバルだ」  等々、杏璃にしてはかなりの高評価に、クラスメート達の期待も高まる。  このため、クラスメート達の想像する最大公約数の雄真像は――  あの御薙教授の一人息子で、  杏璃がライバル視する程の魔法使いで、  春姫と杏璃が高評価する程のいい男。←ここ重要。  ――という、「それ何処の完璧超人?」的な過大評価もいいところの虚像となっていった。  ――そしてHR直前。  皆の視線は、教室のドアに集中していた。  HRの大分前から、皆今か今かと転科生が来るのを待っているのだ。  ガラガラ  ドアが開く。  ……が、入ってきたのは担任の老教諭だけだった。 「??? え〜、HRを始めます」  老教諭は皆の視線に多少戸惑いつつも、何事も無かったかの様にHRを始める。  そのHRは全く普段通りで、転科生の「ての字」も無い。  …………  …………  ………… 「え〜、これでHRを終わります。皆さん、今日も一日がんばってください」 「まっ、待って下さい!」 「? 神坂さん、どうかしましたか?」  老教諭は、普段の彼女らしからぬ慌て振りに、驚いた様に尋ねる。 「あの! 雄真くん……じゃなくて転科生が今日来る筈なのですが!?」 「はい? ……いいえ、聞いていませんよ? そんな話は?」 「そっそんな筈は無いです! 昨日の夜だって雄真くん、ちゃんと魔法科に転科するって!!」  ……どうやら二人、休み中も結構マメに連絡を取り合っていた様である。  そんな春姫の言葉に暫し熟考する老教諭。  そして思い出したとばかりに、手を打って話し出した。 「ああ、ああ、思い出しましたよ。そういえば今日、普通科から魔法科に御薙教授の御子息が転科してくると……」 「それです! それっ!」  余程切羽詰っているのだろうか? まだ老教諭が話し終えないうちに、続きを促すかの様に声を発する。  ……本当、普段の彼女らしくない。 「でも、彼は確か中等部に転科するそうですよ?」 「「「「はい?」」」」  春姫一人に止まらず、クラス全員が思わず聞き返す。 ……今、何と仰いました? 「彼は魔法学関連の単位を一つも持っていませんからねえ〜 気の毒ですが、仕方が無いでしょう」  その老教諭の言葉に、「それはそうだよなあ〜」的な雰囲気がクラスに流れる。  魔法学をここまで学んできた者達からすれば、それは嫌でも納得出来る言葉だったからだ。  (魔法科は、単位が足りなければ義務教育だろうがなんだろうが次に進めない、というスパルタ式教育なのだ)  が、それでも諦めきれない者がここに一人……いや二人。 「でっでも、雄真くんは天才なんです!」 「いや……神坂さん…… 天才だろうがなんだろうが、単位が無ければ……」 「そうよ! それに御薙先生がその気になれば、単位の百や二百どうにでもっ!」 「……柊さん。御願いですから、そういう不穏当な発言は謹んで下さい」  老教諭は、二人の攻勢にたじたじだ。  彼女達の勢いに押され、とうとう真実を口に出してしまう。 「第一、これは御薙教授がお決めになったことです! あの人がこうと決められた以上、この決定は絶対です!」  どうやら鈴莉はかなりの権力者らしい。 「ということは、御薙先生が高等科への編入を許可すれば、雄真くんはこのクラスに転科出来るのですね!?」 「そんなことは私の口から言えません!」  老教諭は答えを拒否するが、その態度が雄弁に答えを物語っていた。 「こうしちゃいられないわ! 急いで御薙先生の所に行かないと!」 「あっ待ってよ! 春姫!」  二人は教室から飛び出した。  向かう先は、恐らく御薙教授の所だろう。 「……………………」  老教諭とクラスメートは、そんな二人を呆気に取られながら見送っていた。  そんな中、全く動じていない者がやはり二人。 「兄様、私達は如何いたしましょうか?」 「うむ、小日向殿のことは心配なれど、学生たる身で授業を放り投げる訳にもいくまい?」 「でも……」 「何、小日向殿のことなら心配いらぬ。きっと中等部でも上手くやっていかれるであろう」  何せ伊吹様が認められた程の者だからな、と信哉。 「……それもそうですね。寂しいですが、仕方ありません」 「うむ」  ……暢気に会話していた。 ――――御薙教授研究室。 「先生!」 「あら? 神坂さんに柊さんも。一体どうしたの?」  鈴莉は、突然の二人の来訪にさしたる驚きも見せず、いつもの様な態度で尋ねる。 「先生! 何故雄真くんは、高等部ではなく中等部に転科するのですか!?」 「だって単位が無いのだもの。しょうがないじゃない?」  実母だというのに、まるで他人事の様に話す鈴莉。  堪りかねた春姫が反論する。 「でも酷すぎます! 今頃どんなに心細い思いをしているか!」  可哀想な雄真くん、と嘆く春姫。 「……で、私にどうしろと?」  そんな春姫の様子に、鈴莉は呆れた様に尋ねる。 「今すぐ、雄真くんを私達のクラスに転科させて下さい」 「駄目よ」  鈴莉はきっぱりと断った。 「! 『無理』じゃなくて『駄目』なのですね! やっぱり先生は、雄真くんを高等部に転科させることが出来るのですね!?」 「出来る出来ないを問われれば、勿論『出来る』わ。 ……でも駄目。これは雄真くん自身のためなの」  丁度いい機会だから貴方達にも教えてあげる、と鈴莉は話し始めた。  雄真を魔法科高等部二年に転科させること自体は、さして難しいことでは無い。少なくとも彼女には。  が、はたしてそれが本当に雄真のためになるだろうか? 「今まで10年以上、魔法から離れていたのよ? 魔法学だって碌に学んではいないわ。  ……そんな状態では、たちまち落ちこぼれるわね。賭けても良いわよ?」 「そんなことさせません!」 「うんうん、私達は親友だものねえ。ちゃんと面倒見るわよ。ビシビシと」 「……そして瑞穂坂学園魔法科は、史上屈指の魔力の持ち主だけでなく、才媛二人までも失う訳ね」  「自分達に任せて下さい!」と言わんばかりの二人の様子に、鈴莉は軽く溜息を吐いた。  この二人――特に春姫の場合、雄真に入れ込み過ぎて、本気で一緒にドロップアウトしかねない。  その場合、仮に杏璃だけは残ったとしても、春姫がいなくなれば彼女はやる気を失なってしまうだろう。  学園側としては、それだけは避けたいのだ。 「だから、中等部から始めるのが雄真くん本人のためだし、貴方達自身のためでもあるのよ」  まあ中等部からでも大変でしょうけどね、と付け加える。 「「でも、頑張れば!」」  尚も食い下がる春姫と杏璃。  何せ二人共、努力第一主義の徒だ。「努力すれば何とかなる」とでも考えているのだろう。 「……神坂さんに柊さん? 学園はお勉強だけをする場所じゃあ無いわよ?」 「「え?」」  突然の爆弾発言に、二人は目を丸くする。 「学園で皆と仲良くするのも勉強と同じくらい…… いえ、それ以上に重要なことよ。  まあ貴方達には少し汚く聞こえるかもしれないけれど、『人脈作り』という奴ね」  学生時代に育てた友人関係は、社会に出てから大きな財産になる。  特に魔法使いという狭い業界では、一匹狼は生き難い。  だからこそ、学生時代に培った人脈は宝石にも等しい程貴重なものなのだ。  が、もし高等部二年にいきなり転科したとしたら、雄真は勉強勉強に追われてとても友人どころの騒ぎでは無いだろう。  第一、期間が短すぎる。 「でも……私達がいますし……」  ……その貴方がいるから尚更なのよ。  春姫の言葉に、鈴莉は内心で何度目になるか分からない溜息を吐く。  (こうも雄真に対する執着心が強い少女が傍にいれば、他に親しい友人などとてもでは無いが望めない) 「兎に角、これは雄真くんの新しい人生、その第一歩なの。雄真くんは独力で勉強して、独力で親しい友人達を作る必要があるのよ。  ――だから、邪魔しては駄目よ? 今が一番大切な時なのだから」 「でも! 『親しい友人』って中等部の、それも女の子じゃないですか!?」 「あら? 全員が全員そうじゃあ無いでしょう?  それに今は中等部生でも、高等部に入れば高等部生、大学に入れば大学生になるわよ?」  4年の年の差なんて直ぐに埋まるわよ、と鈴莉。  少し補足しておく必要がある。  魔法科……というより魔法使いそのものに言えることだが、実は男性よりも圧倒的に女性の方が多いのだ。  比率で言えば10対1にはなるだろう。  だから確率論的に言えば、鈴莉の言う「親しい友人達」は「中等部一年の少女達」となる。 「うわあ…… 雄真、気の毒に……」  話を聞いている内に、何だか雄真が「違う世界の人」になった様な気がし、杏璃は思わず合掌する。  (「もし自分が雄真の立場だったら」と考えると、何だか熱いものが瞼にこみ上げてくるのだ) 「だから雄真くんが中等部に慣れるまで、邪魔しちゃあ駄目よ?  少なくとも転校初日から10日は会っては駄目、最初が肝心なのだから」  他の同級生と壁を作ることになりかねないため、厳に注意する。  (本当は10日でも少な過ぎるが、流石にそれ以上は我慢出来ないだろうと考え、鈴莉は現実的な数字を口にしたのだ) 「そんなっ!」 「い、い、わ、ね? ……もし破ったら、『雄真くんの母として』考えがあるわよ?」  「師として」、では無く「雄真くんの母として」という所がミソだ。 「はい……」  敗北を悟り、がっくりと項垂れながら返事をする春姫。  こうして彼女の計画は頓挫し、大幅な修正を迫られることとなった。  やっぱり世の中、そんなに甘くないのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第03話】 ――――中等部魔法科一年教室。 「大ニュースっ! 大ニュースだよ〜〜!」  興奮した少女の声が教室に響き渡る。  声の主はショートカットの小柄――年齢を考えても――な少女で、いかにも活発そうだ。  少女の名を、上杉彩音という。  彩音はクラス一、すなわち学年一の情報通である。  常に何処からか情報を集めだし、それを披露して注目を集めるという、まあそういう少女だ。  尤もその情報の大半は、美味しい店だの、今の流行だのといった極他愛も無いものであるが、これが中々に有益であり、それ故“彩音情報”は皆から重宝されている。  が、彼女の会話は騒がしいことこの上ない。  そのよくとおった声とはっきりした発音は、普段でさえ非常に良く聞こえる。この上、大声で話された日には――  『……もう少し、声のボリュームを下げてはもらえないだろうか?』  これがクラスメート達の一致した意見だった。  まあ彩音は憎めない性格なので、半ば以上は黙認されていたが。  そんな訳で、今日も彩音は元気一杯だ。  故に、その声は教室中に響き渡る。  特に“大ニュース”のせいか、何時もより声も大きい。(当社比120%という奴だ)  その声に驚き、皆が一斉に彩音を見る。  余程良い情報を手に入れたのだろう。その顔は得意満面だった。 「……上杉さん。貴女ももう中等部生なのですから、もう少し慎みをお持ちになったらどうですか?」  そんな彩音の様子を見て、クラスメートの一人が呆れた様に声をかけた。  年齢の割には成長した少女で、いかにも生真面目……というか、気が強そうだ。  少女の名を、式守明日香という。  明日香は学年主席であり、学年一の魔法の使い手――大概は主席と被る――でもある。  その実力により魔法科中等部一年を束ねている、言わばボス的存在だ。 「やだな〜明日香っち。ノリが悪いぞ?」  が、彩音はさして気にもせず、明日香にお気楽そうな言葉を返す。  明日香も慣れているのか、それ以上は追求しない。 「……貴方が元気過ぎるだけです。で、何です?」  その代わりに続きを促す。  ……何だかんだ言って、矢張り明日香も気になるらしい。 「ほい?」  明日香の言葉に、彩音は僅かに首を傾げる。  その仕草はまるで仔猫の様だ。 「貴方が『大ニュースだ』と仰ったのでしょう!」 「あ〜、あれね」 「全く、貴方と言う人は……」  何時の間にか、クラスメート達も二人の周りに集まっている。  皆、大ニュースとやらが気になって集まったのだろう。  (何しろ彩音情報には、嘘や誇張はまず無い。だから彩音が“大ニュース”と言う時は、本当に大ニュースだと皆知っているのだ)  皆の注目を意識した彩音は、コホンと咳払いを一つすると、大袈裟な身振り手振りで話し始めた。 「な、なんと! 本日転校生がやって来るのですよ!」  ……惜しい。転科生だ。  「おお〜」と、どよめきが起こる。  変わり映えの無い学園生活において、転校生の登場は一大イベントである。  特にここ瑞穂坂学園魔法科においては、その大半が初等部や幼稚舎からのエスカレーター組という、正に学年全員幼馴染状態だ。  そんな中にピカピカの転校生がやって来るという事態は、確かに“大ニュース”と言っても良いだろう。  皆、目を輝かせて面白い様に食いついてくる。 (ふっふっふ〜 入れ食いだよ〜〜♪)  そんな様子に彩音は内心ほくそ笑んだ。  何せ、今回のニュースはとびっきりのとびっきりなのだ。  その上、ネタは幾つもある。  皆の話題の的になること間違い無し、だ。 (日こそ、明日香っちの驚愕の顔を拝んでやるのだ♪)  そんなどうでも良い野望を胸に秘めた彩音は、得意満面で明日香を見る。 「全く…… 皆中等部にもなって、子供なのだから……」  はしゃぐクラスメート達を見て、明日香は一人嘆いた。  もう初等部生じゃあないのだから、いい加減もう少し大人になって欲しいものだ。  ――そう彼女は常々思っているのだ。 「え〜、でも転校生ですよ? 期待の新人ですよ?」  が、そんな明日香に異議を挟む者が一人。にこやかに反論する。  黒く長い髪の少女で、どこかおっとりしている少女だ。  少女の名を、御門葵という。  葵は学年次席であり、学年二の魔法の使い手という、明日香に次ぐ存在だ。  ……まあ彼女は闘争心に乏しいため、実力というよりも気迫で明日香に負けている観があるのだが。 「そうそう! 期待も期待、超ド級のニューフェイスだ! 話が分かるね〜葵♪」 「……“期待の新人”って何です? 野球じゃああるまいし」  どこかずれた調子で喜ぶ葵と、すかさず合いの手を入れる彩音。  そんな二人を見、明日香は軽く溜息を吐いた。 「ふっ」  突如、彩音は勝ち誇った様に笑う。 「……何ですか上杉さん。その笑いは」 「勝負だっ! 明日香っち!」 「……またですか? いい加減諦めれば良いものを」 「もちろん諦めないよっ! 今日こそあたしのこと『彩音っち♪』って呼んでもらう♪ いざ尋常に勝負!」  ちなみに勝負とは、彩音のニュースに明日香が驚いたら明日香の負け、驚かなかったら勝ちという、実に他愛も無いものだ。  ……が、当人達にとってはそうでも無い。  もはや意地の問題なのである。プライドとプライドのぶつかり合いという奴だ。  しかも明日香が負けた場合、彩音のことを「彩音っち♪」と呼ばねばならぬ屈辱が待っているのである!  (ちなみに「明日香っち」と呼ばれることに関しては、初等部の六年間で既に諦めている) 「……いいでしょう。どうせまた私の勝ちでしょうが、乗ってあげます」 「よしっ! それでこそ女の中の女、明日香っち! 葵、審判頼むよ!」 「良いですよ」  審判を頼まれた葵は、にっこり笑って快諾した。  その周りでは、級友達がどちらが勝つかで賭けを始めている。  ……まあ彩音に賭けるのは、大穴狙いのチャレンジャーだけであるが。 「ニュース第二弾! 転校生は、“特待生資格”を持っている!」  再び「お〜」というどよめきが周囲から上がる。  どうやら転校生は、かなりの才女の様だ。 「へえ、なかなかの方ですのね?」  が、やはり同様に特待生資格を持つ明日香には、余り効かない。学年主席の余裕である。 「どうどう? ライバル登場だよ、明日香っち?」 「良いライバルになって頂きたいものです」 「ちぇ〜素直じゃないな〜」  そう言いつつも、彩音はあっさり引き下がった。  何故ならネタはまだまだあるからだ。 「ニュース第三弾! 転校生の特待生ランクは、ななんと“特A”である!」 「なっ!?」  流石の明日香も思わず聞き返す。  それを見逃さず、葵はすかさず判定を下した。 「あ〜、驚きましたね? “勝負有り”です〜」  周囲のざわめきも凄い。  “特Aランク特待生”とは、それ程のものなのだ。  特待生資格とは「申請すれば無条件で特待生になれる」資格であり、学園でも優秀な者にのみ与えられるものだ。  だから、特待生資格を持っている者全てが特待生として、授業料等の減免措置を受けている訳では無い。  (裕福な子弟の多い瑞穂坂学園では、「学園に気を使うことになるから嫌だ」と申請しない家庭が少なくない)  故にどちらかと言えば、優秀な者の証として扱われる場合が多い勲章的な資格である。  が、私大三巨頭の一つである瑞穂坂大学を中核とするここ瑞穂坂学園で特待生資格を得るということは、全国屈指の優秀者と認められた様なもの、後々まで通用する極めて実用的な勲章だ。  特待生資格には特A、A、B、Cの4ランクがあるが、中でも特Aランクとは学園がその才能を見込み、是非にと三顧の礼で迎える者にのみ与えられる資格だ。  申請すれば授業料その他一切合財全て免除される上、寮暮らしならば寮費も只、おまけに小遣いまで貰えるという至れり尽くせりの資格である。(しかも返還は不要!)  当然その判定も厳しく、具体的に魔法科で言えば「10年に1人いるかどうか」。幼稚舎から大学まで存在する魔法科に「唯の一人も存在しなかった」時代すらある。それ程の資格なのだ。  ちなみに現在の魔法科は三人もの特Aランク保持者が在籍するという黄金時代で、学園関係者は「瑞穂坂学園魔法科こそ全国一! 帝大魔法科何するものぞっ!」と鼻息が荒い。  (彼女等の存在を梃子に、瑞穂坂学園は名実共に魔法教育の頂点になろうと目論んでいるのだ)  その三人とは、  高等部三年、高峰小雪  高等部二年、神坂春姫  高等部一年、式守伊吹  ――の三人である。  ……皆高等部なのは偶然だろうか? 「はっはっは。どうかね、明日香っち?」 「くっ、伊吹姉さまと同格の転校生ですってえ〜」  ……どうやら、かなり効いている様だ。  何しろ敬愛する“伊吹姉さま”と同格の相手である。  明日香が気後れするのも無理は無い。 「どうやら効いたようだね〜」  得意満面の彩音に、明日香は唇を噛む。が―― 「……ええ、効きましたよ上杉さん」  明日香は、あっさりと己の負けを認めた。  式守明日香は誇り高き少女である。  故に、ことここに至って尚もごねる様な真似はしないし出来ない。 「えっ、あたしの勝ち!? やった!」  一方の彩音は、明日香の敗北宣言に喜び浮かれる。  六年以上の長きに渡る戦いの中、ようやく掴んだ初勝利だ。  記念すべき瞬間に、思わず涙ぐんでしまう。  ……が、それも一瞬のことだった。 「ええ。ですから約束どおり、『彩音っち♪』と呼んで差し上げます。一回だけ」 「へ?」  突然の思いがけない明日香の言葉に、彩音は目をパチクリさせる。  ……そこへ冷酷非常、悪徳弁護士の様な明日香の言葉。 「どの位の間呼ぶかは決めていませんでしたでしょう? ならば、一回でも良い筈です」 「さっ、詐欺だあ〜! あたしの六年間の苦労を返せ〜!」  「今、呼びましたよね?」と笑う明日香に、彩音は手をばたつかせて抗議する。 「また驚いたら呼んで差し上げます。頑張って仕入れなさいな」 「無理! 無〜理〜! こんな大ニュースそうないって!? ……あ」 「?」 「ふふふ〜」 「??」 「ふ、ふ、ふ、ふ〜」  彩音はMDを録音状態にすると、ニヤリと笑う。 「なっ、何ですか?」  その不気味な笑いに、思わず後退る明日香。 「明日香っち敗れたり!」 「何をいきなり……」 「いっくよ〜! ニュース第四弾! 転校生は男の子だ!」 「「「えーーーーっっ!!??」」」  クラス全員が驚きの声を上げた。  (関係ないが)その声は、遠く高等部にまで響いたという。 「う、嘘でしょう? 男子で特Aって?」  クラスメートの一人が否定的な見解を示す。  すると、次々に同様の意見が噴出した。 「ガセネタ、じゃないの?」 「だよね〜 『ウチに男子転校生が来る』ってだけでもレアなのに、その上『特Aランクの特待生』?  ……それ、三毛猫の雄以上に有り得ないよ」 「皆酷いなあ〜あたしのニュースは正確だよ? 今までだってそうだったでしょう?  それに三毛のオスだってちゃんといるんだから、特Aランクの男子だっているよ! ……多分、きっと」  彩音もやはり自信が無くなってきたのか、最後の声は勢いが無い。 「そりゃあそうかもしれないけど、特Aランクの上に男子って…… 正直胡散臭いよ……」  クラスの大半は否定的だ。 ……まあ無理も無いが。  前回でも話したが、魔法使いは圧倒的に女性が多い。  魔法使いの男性など、全体の一割にも満たぬのだ。十数人の魔法使いを無作為抽出して、一人いるかどうかだろう。  そして能力も女性の方が圧倒的に上で、男性の上位層ですら女性でいえばやっと中位層末端に手が届く程度のレベルでしかない。トップクラスでも中位層中〜上位がやっとだ。  だから「男子で特Aランク」など、確率統計的に有り得ないのだ。  が、彩音は尚も食い下がる。 「本当だよ! ちゃんと聞いたんだから!」 「なら、聞き間違えだよ」  その一言に皆一様に頷くと、それぞれの席に戻り始める。  慌てた彩音は、取り合えず間近にいた明日香に縋り付いた。 「ちょっちょっと待ってよ! 明日香っち、いいの? メシア降臨だよ! ピンチだよ!?」 「……何です、メシアって?」  彩音に縋り付かれた明日香は、怪訝そうに返す。 「中等部魔法科一年。そこでは学年主席である式守明日香の独裁により、男子は塗炭の苦しみを受けていた。そこにメシアが降臨するっ!  ――って展開だよ? 燃える世紀末救世主伝説だよ?」 「……貴方は漫画の読みすぎです。第一、私達の学年には男子はいません」  そう。中等部魔法科一年に男子はいない。  女子校、と言う訳ではない。単に男子の実力が足りないだけの話だ。  先程も述べたが、男子の魔法レベルは女子のそれと比べて大きく劣る。  故に、超一流である瑞穂坂学園魔法科に男子が入学出来る可能性は低い。限りなく低い。  またたとえ合格できたとしても、魔法実技でついていけないことはほぼ確実である。  ……ならば、相応の学校に始めから入学した方が賢明というものだろう。  とはいえ、一般学力や座学系魔法学で非常に優れた成績の男子が一芸入試枠で入学してくる場合もあるし、中には上条信哉の様な高レベルの男子魔法使いだっているのだ。だから全く不可能、という訳では無い。  (彼の場合、総合的にはやっとこさ上位層に手が届くかどうか――それだって男子としては破格だ――の魔法使いだが、戦闘魔法に特化したそれはその体術と合わせて凶悪な戦闘能力を発揮する)  故に、各学年には数人の男子が存在する。  が、中等部一年には一人もいない。これも珍しい。  ……まあ稀に起こる、確率論的な必然性による現象ではあるのだが。  (こうなると余計男子はこない。誰しも「男は自分だけ」なんて状況、御免被るからだ) 「う〜、皆ノリが悪いよ〜」  皆からガセネタと断定された彩音は、がっくりと膝をつく。  そんな彼女に、クラスメートから容赦の無い一言。 「黙れ、狼少年ならぬ狼少女!」 「冤罪だ!?」  ショックを受ける彩音。最早、orz状態である。 「……ま、その転校生とやらが来れば、事の真偽が判明するでしょう」  明日香の一言で、一瞬足を止めたクラスメートも再び動き出した。  そして各々の席へ。 「明日香っち……」  信じて、とウルウル目で訴える彩音。 「あと上杉さん? もし先程のニュースが嘘、もしくは誇大広告だった場合、学級裁判を開きますからね。覚悟して下さい」 「あう〜〜」  にっこり笑いながらキツイことを仰る明日香さんに、流石の彩音も言葉を失う。  彼女は、フラフラと覚束ない足取りで自分の席に向かい、席に座るとそのまま突っ伏した。  先程の興奮は何処へやら、すっかり熱気の冷めた教室で、何事も無かったかのように先生を待つ生徒達。  (どうやら転校生の件すら「無かったこと」にされている様だ)  そんな中…… 「皆冷たい……」  項垂れる少女が一人と…… 「特Aランクの特待生さんですか〜 エリートさんなのですね〜」  と期待に目を輝かせる少女が一人。  仲良く机を並べて座っていた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第04話】 ――――中等部魔法科一年教室……のドアの前。 「うう……」  緊張する。恐ろしく緊張する。  まるで石化したかの様に、雄真は教室前で固まっていた。  その額には脂汗が流れている。  ……まあ無理も無い。  何せ、高二にもなって中一と一緒に勉強をしなければならないのだ。その恥ずかしさたるや、察するに余り有る。  が、いつまでもこうしている訳にもいかなかった。 「小日向君、大丈夫? 顔真っ赤よ?」  担任の先生も心配そうに顔を覗き込む。  若い女性で、どこか少し頼りなさそうな先生だ。 「やっぱり、御薙教授も一緒の方が良かったんじゃあ?」 「ごめんなさい。それだけは勘弁して下さい」  雄真は、先生の申し出を即行で断った。  この年で母親同伴なんて勘弁して欲しいし、第一「あの御薙教授の息子だ」などと広めたくない。何れは広まるにせよ、自分から広めるような真似は断じて御免だった。  だからこそ途中で鈴莉を追い返したし、事情を知る皆にも黙っていて貰う様に頼んだ――まあ人の噂を振りまくような連中ではないが――のである。  ……が、それにしても鈴莉を追い返すのは一苦労であった。 『何で母親の私が一緒に行ってはいけないの?』  とか、 『雄真くんの晴れ舞台を見たいのよ〜』  とか駄々を捏ね、自分も一緒に行くと言い張って聞かなかったのだ。  なんとか追い返すことには成功したものの、かなりの体力と気力を消耗したことは否めない。  もう一度同じことを繰り返すのは真っ平だった。(あの人のことだ、不用意な発言をしたらひょっこり登場しかねない) (あの人も、本当に読めない人だよなあ)  先程までの鈴莉の様子を思い返し、雄真は内心溜息を吐く。  何故だかしらないが、彼女はやたらハイテンションだった。  ……その意図を訝しむ程に。 (「雄真くんたら、照れちゃって♪」なんて言うんだものなあ……どこまで本気やら……)  どうも、からかわれている様な気がしてならない。 「小日向君? もうそろそろ……」  流石に時間を気にしだした先生が、雄真に催促する。 「分かりました。ええ〜い! たのもう!」  気合を入れ、扉を開ける。  それは小日向雄真、運命の第一歩だった。 ――――中等部魔法科一年教室。 「たのもう!」  えらく大時代的な声と共に、教室のドアが開いた。  そして入ってきたのは、何と男の人。  ……その後を、慌てて先生がついて来る。(普通、逆だ)  ざわざわ……  訳が分からず生徒達は響めく。  その“男の人”が転校生だなどと、誰も思い至らない。(そりゃあそうだ) 「はい、皆〜 静かにして下さい〜」  流石にいい学校の生徒達だけあって、先生の一言で騒ぎが静まる。 「え〜、皆さんに転科生の紹介をします。皆、仲良くしてあげて下さいね? クラスで一人だけの男の子だからって、虐めちゃ駄目ですよ?」  ! ザワザワ……  再び響めきが起こる。  転科生に驚くというよりも、「如何見ても年上の男の人がクラスメートになる」ということに驚いているのだろう。  ……そして、驚く者がここにも。 「(先生、『クラスで一人の男の子』って!?)」 「(言葉通り意味ですよ? この学年には今まで――それこそ幼稚舎から――男の子はいませんでした。  だから、小日向くんが始めての男の子です。最初はいろいろ戸惑うかもしれないけど、頑張ってくださいね?)」 「(ちょっ! いえ……そういうことでは無くてですね!?)」  そこで気付く。  何故、あれほど鈴莉がハイテンションだったかを。 (御薙先生! 謀りましたね!?)  雄真の脳裏には、高笑いをしている鈴莉の姿が浮かんだ。  きっと今頃、自分の不幸を肴に楽しんでいるに違いない。全く、まるで小雪先輩みたいな人である。  (無論、濡れ衣だ。「親の心子知らず」の典型的な例だろう。どうやら鈴莉の野望が適うのは、まだまだ先の様だ)  そんな雄真の心情を他所に、先生は淡々と紹介を続ける。 「普通科の高等部から転科して来た小日向雄真くんです」 「「あーーーーっ!」」  その瞬間、生徒達の響めきの中でもとりわけ大きな声が、二箇所から上がった。 「え〜、皆さんに転科生の紹介をします」  その声に、彩音はがばっ!と机から顔を上げる。  見ると大きな男の子……いや男の人が壇上に立っているではないか! (……あれが転校生?) *転校生ではなく、転科生です  どうみてもかなり年上の男の人を見て、首を捻る。  だがそれも一瞬のこと、ふと気になることが頭に擡げた。  ……いや何、どこかで見たような人なのだ。 (む〜?)  悩む、悩むが出てこない。  直ぐそこまで出かかっているのだけれど。 「普通科の高等部から転科して来た、小日向雄真くんです」 (――雄真? 小日向雄真!?) 「あーーーーっ!」 (間違い無い! 絶対間違いない! 「あの」神坂先輩が告白してた人だ!!)  これは大ニュースである。それも超々ド級の大ニュースだ。  「特Aランクの特待生」や「男子転校生」なんてニュース、目じゃ無い。 (早速発表して、先程の汚名挽回しなければ!) *汚名は「返上」するものです。挽回すべきは「名誉」でしょう  いやいや上杉彩音。待て待つのだ。  慌てる乞食はなんとやら、ちゃんと裏をとってからでないと。  そう。神坂先輩にそれとなく聞き、反応を確かめるのだ。  発表するのはその後でも……  彩音は逸る心を押さえつけ、自分に言い聞かせる。  ジャーナリストたる者、真実を報道しなければならない。ネタの裏付けは必要不可欠。嘘や誇張などもっての他である。 (ふっ、ふっ、ふっ、見てろよ〜)  先程までの意気消沈は何のその。彩音は不敵に笑った。 「え〜、皆さんに転科生の紹介をします」  この時点では、明日香は然程驚きはしなかった。  多分、あの年になって急に魔法使いとして覚醒したのだろう、と当たりを付けたからだ。 (――同じ瑞穂坂の普通科にいた方ではないかしら?)  それならばウチに来たのも説明がつく。  (やはりいきなり違う学校、それも中等部に行くのは心細過ぎるというものだ) (お気の毒に……)  すでに中等部の履修過程を終え、大学入学目指して頑張っていた時期だろうに、また一からやり直しだ。  幾ら魔法使いが希少な存在とはいえ、あんまりといえばあんまりである。  明日香は心根の優しい少女である。故に、雄真の境遇に対して心から同情していた。  ……彼の名を聞くまでは。 「普通科の高等部から転科して来た、小日向雄真くんです」 (……雄真? 小日向雄真?) 「あーーーーっ!」  ――あれが伊吹姉さまを誑かした男、憎き小日向雄真!   明日香は名門式守家、その分家の出身である。(一口に分家と言ってもピンからキリまで様々だが、式守の姓を許されるだけあり、分家の中でも相当高位の存在だ)  当然、伊吹とも面識がある。  ……というか、非常に親しかった。憧れていた。  そう例えて言うならば、まるで伊吹が那津音を慕っていた様に。  その敬愛する伊吹を誑かす稀代の極悪人を、どうして許せるだろうか?  先程までの憐憫の情は消えうせ、明日香の心中には激しい敵意が渦巻いていた。  ……誑かすとは聞こえが悪いが、まあ早い話が雄真は式守家から伊吹の婿に見込まれていた。  話は事件解決直後に遡る。  事件解決後、式守家では主だった者が集まり、一族会議が開かれた。  議題は今回の事後処理について。  その際に、伊吹の責任問題が議題に上がったのは当然のことだろう。  何せ、あれだけの失態をしでかした伊吹である。  次期当主として失格の烙印を押されてもおかしくない。(分家筆頭出身とはいえ、本家の出でないなら尚更だ)  が、伊吹程の使い手は式守と言えどもそうはいない。  加えて、鈴莉が事件の存在自体を否定しているので、事件は公にはなっていない。(まあ式守家は鈴莉に大きな借りが出来たが、それはまた別の話だ)  故に、伊吹への罰は「暫しの謹慎」で済んだ。  無論、この影には当主の尽力、そして鈴莉の脅し――伊吹が失脚したら事件を公にする――があったことは否定できない。  が、まあ兎に角、全てが「無かったこと」にされたのである。  ……その代わり、と言っては何だが、会議では新たな議題が持ち上がった。  というよりも、いつの間にかこの“新たな議題”が会議の中心となっていた。  その議題とは、「小日向雄真について」だ。  雄真の膨大な魔力は、式守家を瞠目させた。  雄真は、幾ら暴走し始めたばかりとはいえ秘宝の暴走を鎮め、その上伊吹に魔力まで分け与えている。  『その力、如何程か!?』  式守家が瞠目するのも無理は無かった。  これ程の力の持ち主は、式守の歴史を見渡しても見当たらない。  もしかしたら、稀代の天才といわれた式守那津音すらも上回るのではないだろうか?  何れにせよ、次期当主たる伊吹よりも上ということだけは確かである。  ……そして、伊吹は現在の式守家一門で最大の魔力の持ち主であり、屈指の使い手だ。(「魔力が最大」でも「最強の使い手」では無いのは、未だ若輩のため)  つまり小日向雄真は、「現在の式守家の誰よりも上、もしかしたら式守家歴代当主にも敵う者がいない程の魔力の持ち主」ということになる。  式守家が「雄真を伊吹の婿に」と考えたのも、当然と言えた。  この話を聞いて、明日香は酷く気分を害した。  が、それ以上に気分を害したのは、それを問い質した際の伊吹の態度だった。 『お姉さまは平気なのですか!? あの様なことを勝手に決められて!』 『いや、まあ、仕方が無かろう? 全ては私の責任だ。寧ろ、軽くて驚いている』  伊吹は苦笑いしながら明日香に答える。 『謹慎についてではありません! 御存知無いのですか!? 姉さまに婿取り話が持ち上がっているのですよ!?』 『何だ、小日向雄真のことか』  満更でも無さそうな伊吹に、明日香の苛立ちはつのる。 『何処の馬の骨とも知らぬ男と!!』 『……雄真は馬の骨では無いな。私が認めた唯一の男だ』  咎めるような声。  が、尚も明日香は言い募る。 『姉さま!』 『そっ、それにな? 確かに雄真は口は悪いし多少意地悪ではあるが、悪い奴では無いのだ。むしろ……』 『…………』  顔を真っ赤にして雄真を弁護する伊吹を見、とうとう明日香は説得を諦めた。  ……というよりも、これ以上見たくなかったのだ。伊吹を。  以前の凛々しかった表情と雰囲気は消えうせ、伊吹はすっかり腑抜けてしまっていた。  (まあこれは明日香の主観だ。多くの式守家の者達は、現在の伊吹を「まるで憑き物が落ちた様だ」と歓迎している) (――小日向雄真のせいだ)  明日香は歯噛みし、小日向雄真を呪った。 (伊吹姉さまは悪い男に騙されている、自分が何とかしなければならない)  かくして、実にはた迷惑な強迫観念に取り憑かれた明日香は、「伊吹のために」暴走を始めた。  ……本当、伊吹と那津音の関係そっくりである。 「先生、小日向先輩が特Aランクの特待生という話は、本当でしょうか?」  さて、あっちの世界に行っている二人を他所に、教室では葵が一人で質問をしていた。(ちなみに他のクラスメート達は気後れし、それ所では無い) 「は? 特A?」  何度目かの葵の質問に、雄真は首を捻る。  特Aランクとは超エリートにのみ許された称号、自分には縁が無い代物だ。  が、先生は葵の質問をあっさりと肯定した。 「本当ですよ。小日向くんは魔法学こそ学んでいませんが、その魔力はもの凄いのだそうです。  だから理事会と魔法科首脳部は、全会一致で小日向くんに特Aランクの特待生資格を贈ることを決定したのです」  ――魔力だけで特Aっ!?  先生の言葉に、クラスの誰もが唖然とした。  ……魔力だけで特A評価を得られるなんて、前例が無い。  ならば一体、如何程の魔力だろうか!? 「とはいえ、魔法に関しては素人も同然です。皆さん、小日向くんを助けてあげて下さいね?」 「あの……先生? 俺、そんな話聞いて……」  雄真は慌てて説明を求めるが、先生は聞いちゃあいなかった。 「――って、もうこんな時間!? じゃあ、そういうことで〜」  雄真の戸惑いもなんのその、時計を見た先生は、慌てて教室を駆け出していく。 「先生!?」 「小日向く〜ん、がんばってね〜」  その一言を残し、先生は行ってしまった。  余程慌てていたのだろう。よく考えてみれば、始まりの礼も終わりの礼もしていない。  (尤もこれは雄真の自業自得、という面もある。鈴莉を追い返したことと教室前での逡巡で、時間を費やし過ぎたのだ) 「……俺の席は?」  ……そういえば、雄真の席も決めていなかった。  雄真は一人、壇上に立ちつくすしかなかった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【第05話】 「……俺の席は?」  担任に放っぽられた形となった雄真は、壇上に一人立ちつくしていた。  皆の視線を一身に集めており、具合が悪いことこの上ない。 (まあ、お互い様なんだけどな……)  心の片隅で、ふとそんなことを考える。  いきなり四歳年下のクラスに放り込まれた自分も災難であるが、いきなり四歳も年上――それも男――に乱入されたこの子達はもっと災難だろう。  学生時代における四歳の差は非常に大きい。この差は埋めるのは一寸やそっとでは……  この考えを裏付けるかの様に、彼に集まる視線は戸惑いのそれが大半である。  皆、彼にどう対応したら良いか、てんで見当がつかないのだろう。  が、何事にも例外というものがある。  戸惑いの視線の中に、先程からやたら熱い視線が三方向から向けられてくる。  一つは、まるで親の敵を見るかの様な視線。  一つは、まるで獲物を見るかの様な視線。  一つは、まるで珍獣を見るかの様な視線。  ……何れにせよ、碌な視線じゃあ無かった。  どうやらこのクラスでも、何か厄介ごとが起こりそうな予感がビンビンする。  (悲しいことに、こういう「不幸を察知する勘」に関しては良く当たるのだ)  早くも前途多難を予想し、雄真は深い深い溜息を吐いた。 「小日向先輩? 席が無いのでしたら、しばらくこの席に座られたら如何でしょうか?」  自分を呼ぶ声にふと視線を向けると、先程一人だけ自分に質問してきた少女が、自分の隣の席を推薦していた。  窓際最後部の席で、中々の特等席だ。  何時までもこうしている訳にもいかないので、雄真は有り難く少女の言葉に甘えることにする。 「ありがとう。じゃあ暫く使わせてもらうよ。ええと……」 「御門葵と申します」  自己紹介すると、少女……いや葵は立ち上がり、ぺこりとお辞儀した。  ――ちっちゃっ!?  立ち上がった葵を見て、思わず声を上げそうになる。  ……雄真は、葵がせいぜい自分の肩の辺りまでしか背が無いことに対して驚愕したのだ。  が、考えてみれば極当たり前のことである。  葵は雄真のクラスメートではあるが、高等部二年では無く中等部一年なのだ。  故に、葵の背が「同年代の少女と比べて低い」という訳ではない。年相応だ。  が、その身長差から、二人――雄真と葵――は自然と見下ろす姿勢と見上げる姿勢になる。  多分、他のクラスメートとも同様だろう。  ……これだけのことで、雄真はまるで別の世界に来たかのような錯覚すら起こす。 (本当、思えば遠くに来ちまったなあ……)  心中、乾いた笑いしか出てこない。  とはいえ、流石にそれを表に出すほど雄真も子供ではない。  故に、当たり障り無く返す。 「御門ちゃん、ありがとう」 (うん、上手く笑えたかな?)  何しろ、最初が肝心である。  こうなったら仕方が無い。腹を括って出来る限り平穏な中等部生活が送れる様、努力していくしかないだろう。  幸い、この少女とは会話が出来そうだ。加えて友好的でもある。 (この子を突破口とし、徐々にクラスに受け入れて貰えるようにしないと……)  そんな下心たっぷりに笑い返したのだ。良心が痛むが、非常事態ということでお引取りを願った) 「葵で結構ですよ? これから私達はクラスメートになることですし」  そんな雄真の下心も知らず、朗らかに返答する葵。  うん、笑顔が似合う可愛い子じゃあないか。  将来有望である。 ……断じてそっちの気は無いが。 「分かったよ、葵ちゃん。じゃあ俺も“雄真”って呼んで欲しいなあ。正直、“先輩”は勘弁して欲しい……」  ダブリみたいで何か嫌だ、と苦笑する雄真に、葵もクスクスと笑う。 「わかりました、雄真さん」  男の転科生が珍しいのか、それとも年上の転科生が珍しいのか、或いはその両方か――  兎に角、葵は雄真を珍しそうに見る。  ……そう。「まるで珍獣を見るかの様な視線」で。  が、珍獣だろうがなんだろうが、この際構わない。  重要なことは、彼女が一番最初に声をかけてくれたこと、そして途方に暮れていた自分に手を差し伸べてくれたことだ。  それだけで充分である。  どうやら、この子とは上手くいけそうだ――雄真はそう確信した。 「ここが俺の席か。 ……仮だけど」  どれ位の付き合いになるかは分からないが、「今後宜しく」と心中で机に挨拶する。 「元から使われていない席でしたから、ここが雄真さんの本当の席になるかもしれませんね」 「なるといいなあ。ここ、特等席だし」 「特等席、ですか? 極普通の席なのですけど?」  葵は首を捻る。  真面目そうな彼女には、その意味が分からないのだろう。 「あ、いや…… まあ、ここなら皆に迷惑かけないで済むからね。ほら、俺は座高が……」  本格的に悩み始めた葵に対し、流石に本当の理由は言えず、取りあえず当たり障りの無い言葉で誤魔化す。 「ああ、そういえば雄真さん、背が高いですものね」  納得しました、と葵。 「高いというか、普通なんだけどね……」  高等部二年として考えれば、雄真の身長は平均よりは上といった程度に過ぎない。  故に、「背が高い」という表現はやや誇大表現というものだろう。  身長といえば、このクラスの座席は皆、中等部一年用に高さが揃えてある。  ……具体的には、150センチ以下の生徒用に。  だから葵が推薦した席は、雄真には小さかった。  おまけに、元から使われていない席なので、多少埃が被っている。  が、葵が軽く呪文を唱えると、忽ち雄真に合わせた大きさに変化する。  しかも、まるで新品の様にピカピカだ。 「……凄いなあ」  雄真は、魔法の凄さとそれを使いこなす葵に感心する。  ぶっちゃけ、自分にも同じ様なことが出来るとは、とても思えない。 「いえ、大したことありませんから」  雄真の賛辞に対し、葵は笑いなら手を振って謙遜した。  無論、大したことない筈が無い。  何しろ、“物質変化”と“浄化”の二つの魔法を同時に、しかも短呪文で実行しているのだ。  加えて、仕上がりも上等である。中等部一年としては、破格の使い手だろう。(中等部全体を見渡しても、充分上位圏内に入る筈だ)  学年次席、Aランク特待生資格保持は伊達ではないのである。 「いや、凄いよ。 ……しかし、困ったなあ」 「?」 「さっき先生も言ってたけど、俺、魔法に関してはド素人なんだよなあ。  ついていけるか、心配だよ……」  何せ、魔法を一つも使えない“魔法使い”である。  今後のことを考えると不安だらけだ。 「でも、特Aランクなのでしょう?」 「……それが怪しいんだよなあ。正直、何で俺が特Aか見当もつかないよ。  その内、『やっぱり間違いでした』なんてことになって、剥奪されるかも」 「まあ」  雄真は本気で言ったのだが、葵は冗談ととったらしく、クスリと笑う。 「いや、本当『随分と仲が宜しいですのね?』……へ?」  見ると、やたら気が強そうな少女が一人、自分を睨みつけていた。  ……「まるで親の仇を見るかの様な視線」で。 「こうも簡単に葵を誑しこむとは、流石ですね? 小日向先輩……いや、小日向雄真!」 「……ええっと、俺達初対面だよね? 何でそんなに恨まれるのか、分からないのだけれど?」  何が何だか分からないが、豪く敵意剥き出しの少女の出現に、流石の雄真も戸惑う。 ……俺、何かしたっけ?  けど、こういう唯我独尊かつ問答無用なお方には、何故か心当たりが色々あるから不思議だ。  ……自分のあまりの女運の悪さに、思わず泣けてくる。 「そうですよ、明日香さん。雄真さんに失礼じゃないですか?」  葵は二人の間に入り込み、少女――明日香――を諭す。  が、葵の乱入は、余計事態を悪化させた。  葵は丁度雄真の盾になる形で乱入し、それが明日香を一層憤慨させたのだ。 「葵を盾にするとは卑怯な!? 葵、その男は危険だから離れなさい!」 「危険、なのですか?」  葵は後ろを振り返ると、不思議そうに雄真に尋ねた。 「……いや、本人に聞かれましても」  葵の天然な行動に、思わず突っ込む雄真。  そのせいで雄真は、葵が一瞬だけ真剣な表情をしたのを見逃した。  ……その時の葵は、雄真ではなく、まるで「雄真の中の何か」を見るかの様だった。 「ですよねえ…… 雄真さんはいい人ですよね」  葵は一人納得すると、再び明日香と対峙する。  が、明日香は尚も葵に対して説得を試みる。 「葵、騙されては駄目! その男は、伊吹姉さまを誑かした野獣なのよ!?」 「って、伊吹の関係者かよ!?」  驚愕の新事実に、雄真は「勘弁してくれ」と頭を抱える。 「! 姉さまを呼び捨てにするとは!」  雄真の呼び捨て発言に、甚くお怒りの明日香。  ……が、雄真は聞いちゃあいなかった。  雄真は一人、己の不幸を激しく呪う。 「あ〜、も〜、早速嫌な予感的中かよ、こん畜生! ちっとは猶予期間与えろや!?」  ――さっきまで少しは平和が続きそうな流れだったのに、何だよこの急展開!?  思わず天をも呪う雄真。  だがこの態度が、明日香の怒りの炎に油を注ぐ。 「私をどこまで侮辱すれば……」  ヤバイ、ヤバ過ぎる……  このままでは、直に魔法攻撃が来るだろう。  とはいえ、雄真は既に説得を諦めていた。  何せあの伊吹の身内である。(多分血縁だろう。そういえば何となくどこか似てる)  どんなに説得しようが、勝手に納得して勝手に盛り上がること間違い無し。説得するだけ無駄だ。 「天は我を見放したか……」  雄真は諦観し、運命を受け入れることにした。  が、何とか葵だけは逃がさなければならない――そう覚悟を決めて。  ……しかし、予想していた攻撃は来なかった。  明日香は暫くの間雄真を睨みつけていたが、魔法攻撃することも無く、教室の外に出て行ったのだ。 「?」  思わず首を傾げる雄真。  不覚にも、その時初めて気付いた。  葵が魔法の発動態勢をとっていたことを。 (……俺、こんな小さい子に庇われてたのか!?)  思わず情けなくて涙が出てしまう。  なんかもー、落ちる所まで落ちた、といった感じである。 「助かりましたね?」  葵がにっこりと笑った。  ……まるで、大きな犬に虐められていた仔犬を助けたかの様に。 「あ、有難う。御蔭で助かったよ」 「ふふふ、女の子と戦う訳にはいかなくて、困ってらっしゃる様でしたから」 「いや、そーじゃなくて」  戦っても勝ち目ゼロだし。  何と言ったら良いものやら、と雄真が苦笑したその時、先程から事態を見守っていたクラスメートの一人が叫んだ 「ラヴだわ!」 「……は?」  雄真は怪訝そうに聞き返す。  が、彼女は……彼女達は聞いちゃあいなかった。 「転校生を巡って葵と明日香が激突した!?」 「これって葵と転校生が良い雰囲気になってるのを、明日香が嫉妬したんだよね!?」 「うんうん。私達を無視して、二人だけの世界に入っていたものね〜」 「三角関係だ!」 「……修羅場って初めて見たよ」  クラスメート達は、先程の出来事を脳内で捏造し、勝手に盛り上がる。 「ちょっ! 君達! さっきの出来事を、一体全体如何見れば三角関係に!?」  無駄とは思いつつも、雄真は必死に弁解を試みる。  先程の明日香の場合には、無駄と悟った瞬間諦めたのに、だ。  何故かと言えば、「このまま放って置けば、絶対とんでもないことになる」と、雄真の不幸探知機が最大級の警報を発していたからだ。  ……それこそ、先の秘宝事件の時並に。  故に、無駄とは知りつつも、雄真は必死で彼女達を抑えようと努力する。  が、矢張り無駄だった。  要は、彼女達は自分(雄真)達をだしに恋愛ごっこを楽しんでいるだけなのだ。  だから、真実など如何でも良い。それっぽい場面があれば充分である。後は脳内フィルターを通して、記憶を捏造するだけの話だ。  そして、その捏造を共有しあう仲間が多ければ多い程、捏造の対象が近くにいればいる程、その捏造は彼女達の中では“真実”に近づいていく。  まあ彼女達の年頃、しかも女子校同様の立場からすれば無理からぬことではある。  が、だからといって笑って受け入れる訳にはいかない。  ……だって、もしこのまま放っておいたら、絶対とんでもないことになるに決まっているから。  そしてその被害を受けるのは、絶対自分に決まっているから。 「……御免ね、葵ちゃん。変な噂に巻き込んじゃって」  努力が徒労に終わった後、雄真は葵に頭を下げた。  彼女には、本当に申し訳ないことをしたと思っているのだ。  自分(雄真)は噂の格好位置にいるため、遅かれ早かれ、結局はこういう運命になった筈だ。  が、葵は違う。偶々雄真と関わったがために、とんだとばっちりである。(ちなみに、明日香については自業自得だ)  だが葵は雄真が何故謝るのか理解出来なかったらしく、不思議そうに聞き返した。 「はい?」 「えっと、噂……」 「ああ、あれですか」  葵は、クラスメート達がきゃいきゃいはしゃいでる方を見る。 「大丈夫ですよ。『人の噂も七十五日』ですから」  だから大したことはありません、と葵。 「……そんなに待てないなあ」  葵のその悟りきった言葉に、雄真は思わず苦笑する。  しかし同時に、この年頃でこういう噂は辛いと思うのだが、と首を捻った。  どうやらやっぱり、この子もどこかずれているらしい。多分。  ……それとも、深く考える自分が間違っているのだろうか?  男子と女子は別の生き物、と以前聞いた事がある。これで年の差が有れば、その距離は更に広がるだろう。  オールドタイプ(元男子高等部生)の自分には、所詮ニュータイプ(女子中等部生)を理解出来ないのかも知れない。  まあ、彼女達についていけないことだけは確かである。あの元気さが、正直羨ましい。  ……そう考えること自体、若さを失いかけている証拠なのかもしれないが。  何れにせよ、彼女達と上手くやるためには、相当の体力と気力を必要とするであろうことだけは確かの様だった。  こうして雄真の中等部生活は、先行き不安だらけのまま幕を開けた。  だが、これはほんの前触れに過ぎぬことを、彼はまだ知らない。