遥かに仰ぎ、麗しのSS 「Shall we dance?」 【2】  司が一人悶えていた丁度その頃、殿子は梓乃と中庭にいた。 「ダンテ、お食べ」 「ワン!」  梓乃が皿に盛ったご飯を差し出すと、ダンテは一声上げて餌に飛びつく。  カッ、カッ、カッ、 「……凄い食べっぷりだね」  その食べっぷりに殿子は目を丸くする。  ――ダンテってこんなに大食漢だったかな? 以前はもっと小食だったような?  それに気のせいか、その食べっぷりは誰かを連想させる。  『誰だっけ?』と殿子は首を捻った……が、答えは直ぐに出た。  ――ああ、司に似てるんだ。  納得、と殿子は頷いた。  考えてみれば、ダンテは司に一番懐いている。『ベットは飼い主に似る』というから、司に似ても不思議では無いだろう。  ――司、よく食べるから。 ……梓乃なんか目を丸くしてたっけ。  その豪快な食べっぷりを思い出し、殿子は思わず忍び笑いを漏らす。  殿子は、司の食べっぷりを見るのが大好きだった。  自分の作った料理を心底美味しそうに、嬉しそうにして食べるのを見ると、とても嬉しくなるのだ。  作った相手を喜ばせる食べ方――これこそが、真の作法というものではないだろうか?  ……考えてみれば、自分が知る作法とは“恥をかかない”“不快感を与えない”という、自分のための作法でしかなかった。  目から鱗が落ちる、とは正にこのことだろう。  ――本当に、司は凄い。  そう心から思う。自分は司に教えられてばかりだ。  殿子はあらためて、自分の“兄”を誇らしく思った。  カッ、カッ、カッ、 「いっぱい食べて、早く大きくなるのよ」  そう言うと、梓乃はダンテの頭を優しく撫でてやる。 「きゅう〜!」 「ふふふ、いい子いい子」  梓乃は幸せそうに微笑んだ。  ――ああ、これこそがわたくしの望む“幸せな時間”です!  思わず『やった!』とばかりに軽く片手を挙げ、拳を握り締めちゃう程、梓乃は浮かれていた。  可愛いダンテを愛でる自分、そしてそれを優しく見守る殿子、  周囲には誰もおらず、殿子と二人っきりの静かな世界、  穏やかに流れる時間――これこそが正に梓乃の望む世界なのだ。  が、考えて見ればここの所ずっと、その様な世界とは無縁だった。  ……司がこの分校にやって来てからである。  今でこそ梓乃は、曲がりなりにも司を受け入れているが、そこに至るまでには様々な紆余曲折があった。  そもそも滝沢司という人物は、梓乃の最も嫌いなタイプだ。  常にじっとしておらず、何か突拍子も無い事を思いついて実行、挙句の果てに周囲の者をそれに巻き込む。  ……そして(巻き込まれた者が)気付いた時には、既にどっぷりと首まで浸かって抜け出せなくなっているのだ。  まるで蟻地獄の様な恐るべき存在である。  その司が、よりにもよって自分達を目に付けた。 ……実に迷惑な話だった。  おかげで生活はかき乱され、変化を迫られた。挙句に殿子までをも奪い去れそうになった。  ――だから、“嫌い”が“憎い”に変わるまで、さしたる時間を必要としなかった。  あの頃の梓乃は、司を追い出す為に様々な罠を仕掛けたものだ。  始めこそ子供染みたものだったが、効果が無いことを悟ると徐々に危険な罠に手を出していく。  が、10回やっても1回成功するかどうか。加えてその度に自分も一緒に引っかかり、逆に司に助けられる始末……かえって殿子の司に対する評価は上昇する一方だった。  思いつめた梓乃は、遂には犯罪をでっち上げ、それを司になすりつけようとまでした。  ……だが嘘が真となり、自分が襲われそうになって初めて気付いたのだ。  この恐怖と絶望を、無実の人になすりつようとしていたことに。  なんて幼稚だったのだろう、なんて残酷だったのだろう。  あの時のことは、今でも鮮明に思い出せる。 ┌───────────────────────┐ └───────────────────────┘ ┌───────────┐ └───────────┘ ┌──────┐ └──────┘ ┌───┐ └───┘ ┌─┐ └─┘  『せ、先生、助けて! 先生!!』  自分が他でもない司に助けを求めたことに、梓乃は驚愕した。  愚かにも、自分が陥れようとしていた相手に助けを求めたのである。  ……これは“天罰”なのだ。助けなどくる筈が無い。ましてや、司が――  その時だ、自分を呼ぶ声が聞こえたのは。  『八乙女、大丈夫か!?』  ……信じられなかった。  池で溺れそうになった時、泳げないにも関わらず真っ先に飛び込んで助けてくれた司。  一緒に階段から落ちた時、身を挺して庇ってくれた司等々、挙げればキリが無い。  そして今回もまた、司は自分を助けてくれたのだ。  『先生! ごめんなさい! ごめんなさい!』  気付くと、司に抱きついていた。  『もう大丈夫だ、大丈夫だから』  『ごめんなさい…… ごめんなさい……』  梓乃は泣きじゃくりながら、自分の罪を告白した。                          ・                          ・                          ・                          ・  実に感動的なシーンである。  ……が、実はこのシーン、“多少の”記憶の改竄が行われている。  では真実を見てみよう。  『もう大丈夫だ、大丈夫だから』  泣きじゃくる梓乃を、司は優しくあやす。  が、司が優しくすればする程、ますます梓乃はますます泣きじゃくる。  『ごめんなさい…… ごめんなさい……』  『???』  『ごめんなさい…… 許して下さい……』  『お、おい八乙女? よく判らんが放してくれ、犯人が逃げる』  遂には自分に許しまで乞い始めた梓乃に、司は混乱してしまう。  と、その時、聞きなれた声が耳に入った。  『お〜い、どうし…… ! 梓乃!その姿は!?」  『あ、りじ……ブフォッ!?』  梓乃はみやびに任せ、自分は犯人を追おうと振り向くが、その瞬間みやびの右ストレートが顔面に炸裂した。  何やらえらいお怒りの様だ。  『き、貴様というヤツは! 梓乃に何てことを!!』  『……へ? ! ご、誤解ですよ! これは――』  自分が犯人と誤解されていることに気付き、司は慌てて弁解を試みる。  ……が、そこに梓乃の一撃。  『許して下さい…… 許して……』  『梓乃のその姿とセリフ! 全てがお前をクロと言っているっっっ!!』  『お願い、話聞いてっ!』  ビシッと指さすみやびに、司は頭を抱えた。 ……ああ、一体どうやって誤解を解いたものやら。  『どうしたの!?』『どうしました!?』  『ああっ! 話が余計ややこしく!?』  更に美綺と栖香が登場。最悪の面子である。  ……どうやら司は天に嫌われているらしかった。  やはり日頃の行いのせいだろうか? お賽銭が少なかったからだろうか?  『先生……なんてことを!?』『センセ……そんな……』  『この女の敵め!』  『冤罪だっ!?』  ……案の定、司は皆から糾弾された。  絶対絶命のこの危機に、司は最後の綱である梓乃に救いを求めた。  『や、八乙女! お願いだから弁護してくれるかその手を放すかしてっ!! ぷりーず!』  ……が、梓乃は泣きじゃくりながら謝るばかり。  逃げようにも、梓乃の両手が先程からがっちりと司を捕まえている。  『許して…… 許して……』  『最悪だ!?』  黙っててくれた方がまだマシのその台詞に、司は絶望の声を上げた。  『梓乃…… 辛かったろう、怖かったろう…… きっと仇はとってやる』  『もう好きにして……』  司は観念し、両目を閉じた。  司が最後に見たものは、振り降ろされる金属バットだった。                               終 ┌─┐ └─┘ ┌───┐ └───┘ ┌──────┐ └──────┘ ┌───────────┐ └───────────┘ ┌───────────────────────┐ └───────────────────────┘  ちなみに改竄された三行目以降のシーン(『???』以降)は、既に梓乃の記憶領域から抹消されている。  ……だって、美しくないし。  まあとにかく、それ以来、梓乃は司を受け入れる様になった。  無論、対人恐怖症が治った訳ではなく、受け入れた司にすら体が拒否反応を示すのが現状だ。  が、それでも殿子と自分との二人だけの空間に、司が参加することを認めることが出来る様になったのである。  これは小さな一歩に過ぎなかったが、 しかし梓乃にとっては非常に大きな一歩であった。  ……が、それはそれ、これはこれ。  司には大分慣れたものの、やはり他人が苦手であることに変わりはない。  気持ち的にも殿子>>司である。今でも殿子と二人っきりの時間は至福の一時なのだ。  ――どうか、今日は司先生が来ません様に。  だから、思わずこんなことまで願っちゃうくらいだ。  そして、願ってからはたと気付く。  ――い、いえ、わたくしは別に司先生を嫌ってる訳じゃあ!? むしろ大変申し訳ないことをした……いえ、贖罪意識だけではなく、何度も助けられた……いえいえ恩だけでもありません! 普段はいい加減ですが、いざという時には頼りになる男らしい方ですし、大変好ましい殿方……ち、違います! そういう意味では!?  慌てて心の中の誰かに弁明を始める梓乃。  そして弁明は、いつしか変な方向へと向かっていく。  ――い、いえ、司先生に不満なんかありません! ほ、本当です! ……ただ、殿ちゃんに悪影響を与えることだけは、止めて欲しいですけど。  ……梓乃は、自分も司の影響を受けつつある、という事実に気付いていなかった。  自分だけは、と思っていたのだ。  けど、“思わず『やった!』とばかりに軽く片手を挙げ、拳を握り締める”なんてマネ、以前の梓乃なら絶対しなかっただろう。  梓乃も、着実に司の影響を受けつつあったのである。 「……きゅう?」  嬉しそうな顔をしたかと思うと、急に顔を強張らせたり泣きそうになったり……そしてその次の瞬間には、顔を真っ赤になりながら首を振る――  表情を次々と変えていく梓乃を、ダンテは不思議そうに眺める。  心配したのか、やがて傍へ歩み寄ろうとする彼女を、殿子が優しく制した。 「駄目だよダンテ、邪魔しちゃ。梓乃は今、自分の世界に耽っている最中なのだから」 「きゅう〜〜〜???」 「梓乃、楽しそうだね。一体何を考えているのだろう?」  殿子はダンテを抱き上げると、一人百面相を続ける梓乃を、優しく見守った。  『自分の世界に耽っている間は幸せの一時、だから邪魔しちゃ駄目だ』  ――殿子は、司の教えを忠実に守っていたのである。  “自分の世界に耽る”ということが、“妄想”と同義語であることに、殿子は気付いていなかった。  まあ気付いても、殿子は別に気にしないだろうが。