遥かに仰ぎ、麗しのSS「そんな滝沢家のお正月」 【前編】 ――――平成18年大晦日。  大晦日だというのに、ここ(有)因幡造園では夜明け前から何人もの男達が忙しなく動き回っていた。  その中で一人、恐ろしく手際の悪い青年に棟梁の怒鳴り声が飛んだ。 「ほらバイト! もたもたしてないでとっとと準備しろっ!!」 「は、はい!」  叱られた青年は慌てて準備を急ぐ。  ……誰であろう、我等が主人公滝沢司である。  大晦日だというのにこうして夜明け前から、司はバイトに精を出していたのだった。  ――話は一週間程前に遡る。  冬季休暇目前のある日、自室をノックする者がいた。 「誰だ? 相沢……がノックする訳ないな、仁礼か?」 「…………」 「もしかして、理事長?」 「…………」  「誰だ?」と首を傾げながら司がドアを開けると、そこには通販さんが立っていた。  その脇には、何やら大きな箱が置かれている。 「……珍しいこともあるものだな。何の用だ?」 「…………」  司の質問には答えず、通販さんは脇に置いてあった箱を指差す。 「何だ? 開けていいか?」 「…………(コクリ)」  ガサガサ 「こっ、これはっ!?」  箱の中身を見て、司は驚愕する。  中には、「豪華愛蔵版 ○平犯科帳DVD全集」が梱包されていた。  TVで放映されたもの全話――白黒TV時代のものまで――が収録されている上、お宝映像まであるという素敵な一品である。司は興奮して通販さんを見た。 「こっ、これを僕に!?」 「…………(コクリ)」 「有難う! この恩は忘れないよ!! ……って、その手は何?」 「…………代金。29万9800円」 「ぶっ!!」  余りの高額さに、司は思わずむせ返る。 「……適正価格」 「……いや、まあ、確かにその位はするだろうけどね? 幾らなんでも急にそんな大金……つーかこれ、クリスマスプレゼントとかじゃないの?」  美綺とか栖香とか、後はみやびとかからの。 「……依頼主」  通販さんは司を指差し、その想像を否定する。 「え、でも僕こんなの知らな……」 「…………(ジー)」 「……ごめんなさい、今すぐ思い出します」  通販さんの無言の威圧にビビリ、司は大急ぎで記憶をひっくり返す。  が、中々思い出せない。そんな司に痺れを切らしたのか、通販さんがぽつりと助け舟を出した。 「……12月20日、18時」 「え? あ、あ――っ!」  ええ、思い出しましたよ?  確かあの日は、ボーナスが出て気が大きくなってて…… ついでに酒も入ってたし……  で、通販番組見て「これ欲しいっ!」って、衝動的に通販さんに御願いしちゃった様な、してない様な……  ……いやあすっかり忘れてましたよ、はい。 「29万9800円」  思い出したのなら金払え、とばかりに通販さんの手が差し出される。 「え〜と、分割じゃ駄目?」  ぶっちゃけ、今は金が無い。  ……いや、あるにはあるのだが、既に使い道が決まっているのだ。 「……ボーナス」 「いや、アレには先約――正確には“後約”――が……って、何処へ!?」 「……風祭理事長の所」 「! お願いそれだけはっ!!」  みやびに知れたら、どんな目に会うかわかったものではない。  もー教師としての威厳も何も知ったことではなく、司は必死で懇願する。 「…………」  が、通販さんは、そんな司を冷たく見下ろすだけだ。  その視線に溜まりかね、司はとうとう降参した。 「払う! 払いますから!?」 「……毎度」  ――と、ゆー訳で、司はオケラになったのである。 「……どうしよう」  代金を払った後、司は途方にくれていた。  現在の所持金では、有り金を叩いても実家に帰宅するのがやっとである。  まあ家だろうが分校だろうが、喰う寝るには困らないのではあるが、これでは…… 「……予約した温泉、行けないよ」  自業自得、である。  『年始年末、漢ならば黙って一人温泉旅!』  愛読雑誌「日経 漢のOFF」(エロ本にあらず)のキャッチフレーズに感化された司は、皆の誘いを断り、某高級温泉旅館で正月を過ごす――流石に年末からは予約が取れなかった――ことにしていた。  宿代は既に前払いしてあるが、往復の交通費を始めとする経費を考えれば、それなりの軍資金は必要だろう。 「……かと言って、父さんや母さんに『貯金崩してくれ』なんて言えないしなあ」  司は給料の大半を貯金しているが、その通帳は実家の両親に預かって貰っている。  だから司としては、両親を心配させる様な真似は絶対したく無い。それ位ならヒッチハイクするなりキャンセル――半金取られるが――した方がマシだった。  ……そんな司に、手を差しのべたのが学生時代の友人である井上だ。  彼は鷹揚にも、“年末の割の良いバイト”を司に紹介してくれたのである。  くれたのではあるが…… ――――再び、平成18年大晦日。 (畜生、井上いつかコロス……)  車内で揺られながら、司は友人を呪う。  井上は「割の良いバイト」と言ったが、とんでもない大嘘、実際は肉体労働の最たるものであり、泊り込みで一日の半分以上を働くという非常にハードなバイトだった。  ……それが四日間半も続くのである。 (バイトが終わるのは明日の正午、あと丸一日以上もこんなことが続くのか……)  普段デスクワーク主体の司にははっきり言って地獄、既に体中が悲鳴を上げていた。  が、確かにバイト代は良い。これならば貧乏旅行をしなくて済むだろう。 (司、頑張れ! 今日一日頑張れば高級旅館で温泉だ! 漢のOFFだっ!!) 「おーいバイト! 着いたぞ、荷を降ろせ!」 「はーいっ!」  パンッ!  司は頬を叩いて気合いを入れ、車から降りた。 「えっっ!?」  嘘だろっ!?  司は己の目を疑った。  ……目の前には、何故か見慣れたお屋敷がありました。 「ははっ! 驚いただろ! ここがかの有名な“桜屋敷”、お大尽仁礼様のお屋敷さ!」 (ええ、確かに驚きましたよ棟梁…… 別の意味で、ですが)  笑う棟梁を横目に、司はその心中で大きな溜息を吐いた。 「おいバイト、お前何やってんだ?」  手拭で頬っ被りする司を、棟梁は呆れた様に見る。 「いやあ、まあ……」  こんな所を栖香に見つかったら、一体何と言われるかわからない。  たとえ直接栖香に見つからなくとも、ここの使用人達にも結構顔を覚えられているので、やはりバレる可能性が高い。  故に油断は禁物、と司はビクビクしながら進む。 「……ああ、なるほど。安心しろ、この広大な屋敷の庭全てを管理している訳じゃあない。俺達の担当はほんの一区画だ」  まあそれでも相当なものだがな、と笑う。  どうやら元気の無い司を見て、仕事量に目を回しているのと勘違いした様だ。  正確に言えば、桜屋敷の広大な庭は高名なある造園家によって統一管理しており、(有)因幡造園はその一下請けに過ぎない。  ……とはいえ(有)因幡造園の腕を見込まれたからこそ、下請けになれたのではあるが。  (実際、桜屋敷の管理下請けを任されるということは、庭師にとり一種のステータスだった) 「わかったら、さっさと準備しろ!!」 「は、はいー!」  …………  …………  ………… 「皆様、大晦日まで御苦労様です。お茶をお持ちしましたので、どうか召し上がって下さい」  ギクッ!  ――それは仕事もつつがなく進んでゆき、これなら大丈夫かな〜と安心し始めた矢先の出来事であった。  恐る恐る横目で見ると、何とお茶とお茶菓子を運んだ使用人二人を連れた栖香が目の前にっ!?  恐れていた事態が、遂に起こったのだ。 (出入り業者なんぞに、いちいち挨拶すんなよっ!?)  思わず胸中で突っ込む司だが、栖香だって何も出入り業者全員に挨拶して回っている訳では無い。  (有)因幡造園は下請けとしてとはいえ、四代に渡って桜屋敷の庭を(一部とはいえ)管理し続けてきたのだ。  ここまで来れば顔見知りも同然、挨拶の一つもしようというものだろう。 「こ、これはお嬢様自ら挨拶にいらっしゃるとは……」 「いえ、父も母も来客で手が放せませんので、やむを得ず失礼かと存じますが私が御挨拶に参りました」 「いやいや、自分らには勿体無いことです……って、お前も何時までも頬っ被りなんぞしてないで、とっととお嬢様にご挨拶しろ!」  棟梁は、先程から頬っ被りして俯いている司を叱り飛ばし、手拭を奪い取った。 「あら、新しい方です……!?」  司を見た途端、栖香は顔を強張らせて立ち竦んだ。 「いやあ、バイトですよ。体力無いし要領も悪い―― パタンッ! ……って、お嬢様っ!?」  直後、ふらっと体が揺れたかと思うと、栖香は倒れてしまった。 「おっ、御嬢様!? 誰か医者を、医者をーーっ!!」  ……え〜と、俺、何かした? 「司さん、姉さんが呼んでますよ」  失神した栖香が運ばれていってから凡そ30分後、弟の正臣が司を呼びにやって来た。 「ワタシ、ツカサ違ウ、ゴンザレス。人違イネ」 「……往生際悪いですよ、“義兄さん”」 「ぐっ! ……しかし今はバイト中、私用で抜ける訳には!」 「あ、今話して来たんですけどね? 棟梁さん、『もうバイトはいい』って言ってましたよ?」 「クビッ!?」  僕のバイト代は!? 「あと伝言です。『お幸せに』だそうです」 「何話したっ!?」  棟梁は井上(友人)の親戚なんだぞ!? 噂が友人達に広まるっ!! 「まあまあ……では、姉さんの所に行きましょうか」  パチンッ  そう言いつつ、正臣が指を鳴らす。  すると、何処からともなく屈強な男達がやって来た。  彼等は司の両脇を抱え、連行していく。 「うおおっ! 放せ○ョッカー!」 「……こんな時でもギャグ、出るんですね」  姉さん達の趣味はわからないなー、と頭を掻きつつ、正臣は司を連れて姉の元へと向かった。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 (ううっ、空気が重い、辛い……)  あれから「部屋が汚れるから」と正臣に無理矢理風呂に放り込まれ、着替えまでさせられた後、司はようやく栖香の部屋に通された。  が、栖香は一言も言葉も発そうとしない。布団から起き上がり、司をじっと見つめるだけだ。  部屋の中、年頃の男女が二人っきり。そして布団……考えてみれば結構危険なシチュエーションであるが、色っぽさの欠片もなく、部屋は重苦しい雰囲気に支配されている。 「あ、あのさ、仁礼」 「…………」 「バイトのこと、黙っててくれないかな? ほら、一応ウチはバイト禁止だし」 「…………」 「ああ、でも体を動かすことって結構大事だよな? すっかり体が鈍ってたよ。 はは、またやってみようかな?」 「うっ……」  と、栖香の瞳から、大粒の涙がポロポロと流れ落ちてきた。 「どうした! 何処か痛いのか!?」 「……痛いのではありません。悔しいのです、情け無いのです」  栖香は搾り出すように訴える。 「へ?」 「……“バイトの方”が司さんだと気付いた時、一体私がどんな気持ちだったと思いますか?」 「え〜と?」 「気付く前は他人事でした。遠目からではありますが、棟梁さん達に怒鳴られ、小突かれながら働いていて……ああ、なんて気の毒な人だろう、と」 「…………」 「それが司さんだと気付いた時、悔しくて悲しくて目の前が真っ暗になりました。  ……それから後のことは覚えていません。気付いたらここで寝かされていました」 「……仁礼」 「司さん、教えて下さい。何故せっかくの年末を、私の誘いを断ってまで、あんな辛いバイトをなさっているのですか?」 「え〜と……」  真剣な表情の栖香を見て、思わず言葉に詰まる。  ……ホントのことを言ったら、刺されそうな気がするのは気のせいだろうか?  結局、司は何とか誤魔化すことにした。 「仁礼…… 男にはな、何としてもやり遂げなければならないことの一つや二つ、必ずあるものなのだ。  そしてそれをやり遂げるためには、如何なる屈辱にも耐えなければならないのだよ。  『明日の為に、今日の屈辱を歯を食いしばって耐える』――それが男という生き物だ」  ……まあ間違っちゃあいない、間違っちゃあいないのではあるが……こう言うと立派に聞こえるから、不思議である。  故に世間知らずの栖香は、一発で騙されてしまった。(無論、惚れた弱みもある) 「司さん、そこまでの覚悟を……」 「わかってくれたかい、仁礼」 「はい。差し出がましいことを申し上げて、申し訳ありませんでした」  深深と頭を下げて謝る栖香。  そんな彼女を見ると、流石に司も心が痛む。 「い、いや、わかってくれれば良いんだよ」 「ですが、私に何か力になれることがあれば…… 私では無理でも、姉様なら……」  姉様なら、と口に出す栖香は辛そうだ。  自分が司に出来ない事を「姉なら出来る」という事実は、栖香にとり口惜しい現実なのだろう。 「大丈夫、大丈夫だからっ!?」  そんな栖香を司は慌てて止める。  美綺は栖香と違う。直ぐに司の本音を探り出してしまうだろう。  で、旅行がおじゃんとなるばかりか、お仕置きされるに違いない。アイツはそーゆー奴だ。 「でも……」 「これは容易く口にすべきことでは無い。僕と仁礼、二人だけの秘密だ」 「二人だけの秘密……」  その言葉は栖香の琴線に触れた様だ。  顔を真っ赤にして、何回も繰り返し呟いている。 「約束だよ?」 「はい!」 「いやあ、見事に姉さんを手玉にとってましたねえ」  部屋を出て直ぐ、正臣がやってきて呆れた様に言った。 「人聞きの悪い事言うな……ていうか、お前盗み聞きしてたな?」 「後学の為に、と考えたのですが空振りでした。けどまあ、代わりにいい話が聞けましたよ」  半眼の司を意に介さず、澄ましたものだ。実に喰えない子供である。 「正直、君の将来が恐ろしいよ」 「じゃあその御期待に少しお応えするとしましょう。 ……で、本音は何ですか?」 「なっ、何のことだっ!?」 「……この程度のひっかけで、あからさまな動揺しないで下さいよ。  だって結局、『お金が欲しかった』のでしょう? そのお金、一体何に使うんです?」 「う、うう……」 「まあ司さんの場合、『人助け』って選択肢も充分有りえるけど、今回は芝居がかってたから違いますよねえ」 「正臣……! おそろしい子!」 「……もうギャグはいいですから」  なんでこんな人に栖香姉さんも美綺姉さんも……と正臣は頭を振る。 「……何が目的だ?」  誤魔化せない、と悟った司は本題を切り出した。 「流石にギャグ無しだと話が早いですねえ。ま、仁礼家と相沢家の確執を解いた手並みを考えれば、当然ではありますが。  ……いつもそうしてれば良いのに」 「ギャグじゃなくてジョークだ。心を潤してくれる、リリンの生み出した文化の極みなんだよ」  聞かなかったことにして、正臣は話を続ける。 「こっちも単刀直入にいいます。口止め料下さい。あ、お金じゃ無いですよ? 無いのはわかってますから」 「『やって欲しい事があるのです』ってか?」 「ご名答。報酬は“他言無用”でどうです?」 「……僕に出来ることなら、ね」  司は暫し逡巡した後、諦めた様に肩を竦めた。  カッコーーン  耳に染み入る鹿威しの音をBGMに、一人の男が酒を飲んでいた。  その傍らにはとびっきりの美少女が控えており、付きっ切りで男の酌をしている。  ――司と栖香だ。 「司さんと二人っきりで年が越せるなんて、まるで夢の様です」  栖香はそうはにかみながら、司の杯に酒を注ぐ。 「ははは、僕もさ」  司は笑いながら、くいっと一気に杯を呷った。 「ぷは〜 五臓六腑に染み渡る! いい仕事してるな〜」  ……どこぞの胡散臭い鑑定家の様な物言いだが、これでも司にとっては最大級の賛辞である。  何しろ酒も肴も超一流、おまけに栖香が酌をしてくれるのだ。気分はサイコー、司が浮かれるのも無理は無かった。 (つい数時間前までむさ苦しい男共と禁欲生活をしていたのだから、尚更だ!) 「……でも折角のアルバイトでしたのに、申し訳ないことをしました」  あんなにも固い御決心で望んでおられたのに、と栖香はしょげかえる。  ……どうやら、自分の我儘で司がバイトを止めたと考えているらしい。  そんな彼女はとても可愛らしく、思わず口元が緩んでしまう。 「……いや、僕の方こそ悪かった。仁礼をこんなにも心配させてしまうとは思わなかったよ」 「では、やはり……」  責任を感じて項垂れる栖香。  そんな栖香の頭を、司は優しく撫でてやる。 ……偽善者っぽい笑みで。 「気にするな! 大晦日位、仁礼とゆっくり過ごしたいからなっ!」 「司さん……」  司の言葉に、栖香は目を潤ませて感動した。  ……司の嘘吐き。  栖香はすっかり騙されている様だが、これは本当は正臣との“取引”なのだ。  時間を数時間ほど前に遡ってみよう―― 『今日と明日、姉さんと二人っきりで過ごして欲しいのですよ。勿論、今日は泊りで』  そして明日は何処かに遊びに連れて行ってあげて下さい、と正臣。 『ま、それ位別にいいけどさ……』  なんだそんなことか、とばかりにあっさり承知する司に、思わず正臣は耳を疑ってしまう。 『……言い出した僕が言うのもなんですが、随分簡単に承諾しますね? 職場にばれたら如何しよう、とか少しは考えて下さいよ……』  と言うかあなたは一応教師だし、姉さんは教え子でしょう、と頭を抱える正臣。  が、司は実にあっけらかんとしたものだ。 『別にばれなきゃ大丈夫だろ? 第一、これが初めての“お泊まり”って訳じゃあ無いのだから、今更どうってことは無いさ』  ここに泊まったのは今日が初めてでは無いし、訪れた回数は更に多い。  (ついでに言えば、数こそ少ないが他にも複数の生徒の家に泊まったり拉致られたりしている)  故に、最初こそ緊張でドキドキものだったが最早慣れた……というか開き直っている。後は野となれ山となれ、ケセラセラ、だ。  そんなことを一々気にしていたら、“あそこ”ではやっていけないのである。  ……とはいえ、それはあくまで“あそこ”でのみ通用する台詞だ。  世界の常識は“あそこ”の“非常識”、“あそこ”の“常識”は世界の非常識。  司はすっかり“あそこ”に毒された様だった。 『教え子を誑かす淫行教師……』  まったくだ。 『黙れや。 ……で、何を企んでる? 僕を陥れようとでも?』  正臣にとっては何のメリットも無さそうな“取引”に、司は不審の目を向けた。  ……いや実際、“姉思いの弟”なんてキャラじゃあないのだ。コイツは。  何か碌でも無いことを考えているに違いなかった。 『いやだなあ。僕はただ姉さんに幸せを思って……ああ、義兄さんを売る訳じゃあないですから、安心して下さい』  司はじっと正臣を見る。  前半は説得力ゼロだが、後半に関しては少しは信用しても良い様にも思える。  ……まあそれ以前に弱みを握られている以上、選択の余地は無かったが。 『……胡散臭いが、まあ良いだろう。取引にある程度のリスクは付き物だからな』 『その辺は僕を信用して下さい』 『……そんな、如何にも何か企んでます、的な笑みを浮かべて言われてもなあ』  その余りの胡散臭さに、司は苦笑するしかなかった。  正臣も釣られて笑う。  この瞬間、取引は成立した。  ――という訳で、司は急遽仁礼家に泊まることとなったのである。  で、“いつもの客間”で夕食をとった後、こうして酒盛りを決め込んでいる、という訳だ。 「…………」(クイッ←杯を呷っている) 「…………♪」(トクトク←杯に酒を注いでいる) 「…………」(クイッ←杯を呷っている) 「…………♪」(トクトク←杯に酒を注いでいる)  ちなみに今までの間、栖香は付きっ切りで甲斐甲斐しく世話をしてくれている。  その姿は、完全に“恋する乙女”だった。  風呂上りの浴衣も艶かしく、実に無防備だ。  ……一年前までの栖香しか知らない者にとっては、実に信じられない光景であろう。 「あ〜、仁礼?」  流石にこの色っぽい雰囲気に耐え切れなくなったのか、はたまた別の理由か、突然司が口を開いた。 「…………」  が、栖香は返事をせず、プイッと横を向く。  その横顔はいかにも不満そうだ。  ……ああ、そうだ。二人きりの時は―― 「……栖香」 「はい♪」  やっと返事をしてくれた栖香に、司は内心苦笑しながらずいっと杯を差し出した。 「僕ばっかり飲むのもつまらないから、君も飲みなよ」  ……替えの杯ではなく自分の杯を差し出したことから察するに、どうやらかなり酔っている様だ。 「なっ!? わ、私はまだ未成年の身ですし、それにその杯は司さんの……い、いえ、それが嫌だ、などとは口が裂けても申しませんが、何と申しますかその……」  予想外の展開に真っ赤になって慌てふためく栖香。  司はそんな彼女に優しく笑いかけた。 「栖香?」 「は、はい……きゃっ!?」  急に抱き寄せられ、栖香は小さく悲鳴を上げた。  が、それだけだ。ちょっと驚いただけであり、抵抗する気など毛頭無い。むしろ望む所?である。 「司……さん?」  栖香は潤んだ瞳で司を見た。  司は腕の中の自分を“熱いまなざし”で見つめている。 「……栖香」  自分を呼ぶ心地良い響きを耳に、栖香は軽く目を閉じて身を委ねた。 「……司さん」 「……イイから黙って飲む」 「へっ? む、む゛〜〜っ!!?」  司は笑いながら、グイッと栖香の口に無理矢理酒を注ぎ込んだ。 ……それも徳利で直接。  ……前言撤回。どうやら『かなり酔っている』ではなく『完全に酔っている』様だった。  (*良い子は絶対に真似をしないで下さい!) 「ぷはっ!! つ、司さん!? 無理矢理は止めて下さい! 飲みます、飲みますか……む゛〜〜っ!!」  しばらくジタバタもがいていた栖香だったが、やがてガクッと頭を垂らしてそのまま動かなくなった。 「……きゅう」 「ふむ?……栖香は先に寝てしまったか…… 仕方ない、僕も寝るとするか」  そう呟くと、司は栖香の体に自分の羽織をかけ、自分は座布団を枕にそのまま寝てしまった。  ……深夜、後学のため、と期待で胸を膨らませて忍び込んだ少年が見たものは、目を回してのびている姉とそのとなりで平和そうに寝ている義兄の姿だったという。 「無駄足だった……orz」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【中編】  翌日――つまり明けて正月、司は仁礼家から車を借り、栖香と二人っきりのドライブを洒落込んでいた。  無論、起床後に栖香に対して平謝りに謝った事は言うまでも無いだろう。  すみすみは大層御怒りで、「私を酒に酔わせようとなさるのは結構ですが、もっと雰囲気というものを大事にして下さい!」なる意味不明のお小言を頂いた程だ。  が、まあなんとか宥めすかして御怒りを解き、こうしてドライブに連れ回している――と言う訳だ。  話は変わるが、司はつい最近まで車の免許を持っていなかった。  が、少し前、みやびが「教職員は全員車の免許を持つこと!」などと突然のたまい、強制的に免許を取らされた。  わざわざ分校近くの道路を封鎖し、臨時の教習場とする程の徹底振りで、連日訓練した(させられた)ものだ。  ……まあ訓練対象者が「司一人」しかいなかったことから、みやびの真意が何処にあったかは明白であろう。  多くは語らないが、免許習得後の第一同乗者はみやびだった、とだけ指摘しておく。(なお、翌年度からは教職員採用条件に「普通免許必須」なる項目が追加された) (しかしこの車高そうだよなあ……)  間違っても初心者が乗る様な車では無い。  壊したり傷つけたりした時の弁償金額を考えると、思わず緊張してしまう。  ……そんな司を他所に、栖香はすっかり御機嫌だ。まあこれだけでもドライブに連れ出した甲斐があったというものであろう。 「何処へ行きたい?」  何処へ行くか全く決めていなかった司は、無責任にも行く先を栖香に丸投げした。 「司さんのお好きな所に」  カッキーン!  ……が、思惑は見事に外れ、打ち返されてしまう。  内心冷や汗をかきながらも、司はなんとか返答を試みる。 「……そんなこと言うと、イケナイ所に連れてっちゃうぞー」  爆。  ……淫行教師そのものの台詞である。  流石の司も口に出した後。ヤベッ!と慌ててしまう程だ。  が、その軽口は思っても見なかった反応を引き出した。 「わ、私は、そ、そんなつもりじゃ…… で、でも司さんが『どうしても』と仰るのなら……」  顔を真っ赤にしながらしどろもどろに弁解にならない弁解を続ける栖香。  それを見た司は、「あー、可愛いなあー」と思わずにやけてしまう。  ……しかし一体、如何したというのだろう?  普段の司なら上の様な系統の軽口も、そして前回の様な「自分を良く見せようとする嘘」もまず言わない。  たとえそれが、みやび・美綺・殿子の三人でも、である。  こんなことを言うのは一人、栖香に対してのみなのだ。  司と最も繋がりの深い四人――みやび、美綺、栖香、殿子――の少女達は、それぞれが特徴のある糸で司と繋がっている。  みやびとは“主従”。意地っ張りなお姫様と気心知れたお気に入りの従者。  美綺とは“親友”。一緒に面白おかしく馬鹿やれる友人同士。  殿子とは“兄妹”。頼りない兄としっかり者の妹。  ――そして、栖香とは“恋人”。無論、そこまではっきりとした関係ではないが、この言葉が最もよく当てはまるだろう。  “シ○アナード・レイ”の二つ名は伊達じゃあない、「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」である。 (しかしまさか、“桜の君”にこんなにお近づきになれるとはねえ……)  助手席で真っ赤になって縮こまる栖香を見て、司は軽く頭を振る。(ちなみに“桜の君”とは、司が栖香に対して密かに付けた二つ名だ)  彼女とふたりっきりでいると、不思議な感覚が湧き上がってくる。自分を抑えきれないのだ。  ……思えば初めて出会ったあの日から、桜舞い散る中で出会ったあの時から、恋に落ちていたのかもしれない。  だからこそ、いい所を見せようと格好つければ失敗して自爆し、気の利いたことを言おうとすればうっかり淫行教師ばりの台詞が出て自爆してしまうのだろう。多分、きっと……もしかしたら。  まあ実際の彼女は、初対面の印象とは少し……いやかなり異なったが、それでもやっぱり彼女は“桜の君”だった。  だからこんなにも僕を魅了する――「司さん!? 前、前っ!?」  もしかして僕って詩人?と一人悦に入っていた司の耳元に、突然栖香の叫ぶ声が聞こえた。  我に返ると目の前にはビルが――  慌ててハンドルを切る。 「!? うおうっ!? ……危なかった」  危うく二階級特進する所だった、と呟き、司はハンドルにもたれた。背中は嫌な汗でびっしょりだ。  栖香も胸を撫で下ろす。 「しっかりして下さい……」 「ああ、こんな高い車で事故ったら首を括るしかないからな」 「いえ、そうではなく、ですね……」  見当違いの方向で心配する司に、栖香は呆れた様に答えた。  ……本当、シリアスの続かない男である。 「さ、さ〜て、何処に行こうかな〜〜」  司は気を取り直して――“誤魔化して”とも言う――、当初からの問題である行き先を決めるべく頭を働かせる。 「ふーむ。順当な所でいくと、初詣なのだが……」  が、司は人ごみが大嫌い、出かけるならば「土日よりも平日」な人だ。  そんな司にとって、人ごみの代名詞でもある初詣など鬼門もいい所だった。  ……ぶっちゃけ、初詣なんかインターネット神社で十分である。  が、栖香の手前、そんな引きこもり的発言は出来ない。  期待でそわそわしている彼女を見ると、初詣もまあいいかな?とも思う。 「……出来れば実家でのんびりしたいのだが」  正月はコタツでまったり、これ最強。 「! 先生のご実家に連れて行って下さるのですか!?」  と、司の独り言を聞きつけた栖香が興奮して身を乗り出してきた。  ……どうやら内心のつもりが口に出していたらしい。 「へ? 僕の実家に来たいのか? ……でも、何もないぞ?」  司は怪訝そうに尋ねる。正直、栖香の興奮ぶりが理解出来ないのだ。  桜屋敷と比べる気は端から無いが、庶民の家そのもので面白いものなんて無いのに、何故?  が、栖香にとっては余程興味を引くものがあるらしい。司が引く程の気の入れようである。 「是非お願いしますっ!」 「わ、わかった……」  司は栖香の勢いに押され、実家に連れて行くことを承諾した。 「〜〜♪」  栖香は浮かれていた。  ここの所、実についている。「司と二人だけの秘密」「司と二人っきりの年越し」「司と二人っきりのドライブ」と、まるで盆と正月が一緒に来たような目出度さである。  そして今度はなんと「司の実家にご招待」だ。司の両親とご挨拶しちゃうのだ。 ……怖いぐらいついている、と言えよう。  この好機を逃す手は無い。現在、栖香の頭の中では凄い勢いで様々な検討がなされていた。   ステップ1 自分の両親と会って認められる。   ステップ2 司の両親と会って認められる。   ステップ3 両家の両親が会って認め合う。   ステップ4 婚約   ステップ5 ゴール  彼女は以上の様な壮大な構想を練っていたが、今回司の両親に認められれば「ステップ2クリア」である。  他の面子がステップ1もクリア出来ていない(栖香的判断)ことを考えれば、並み居るライバルをぶっちぎりで引き離す様な決定打と言っても過言では無いだろう。  ――そう考えると、自然と顔に笑みが浮かぶ。 「栖香、随分とご機嫌だな?」 「司さんと一緒だからですよっ♪」  栖香はにっこり笑い、喉を鳴らしながら司にもたれかかった。  ……それは、猫というよりもむしろ「獲物を前にした猫科のナニカ」の様であった。  オンナッテコワイデスネ……  そして、1時間後―― 「ここが僕の実家だ」  都内、駅近くの住宅街に司の実家はあった。  土地が大分下がったとはいえ、この場所で庭付き一戸建だ。億は下らないだろう。  ……ま、桜屋敷に比べたら屁のツッパリにもならないのだが。 (う、視線を感じる……)  寄り添う栖香を見て、流石に声をかける程野暮ではないが、ご近所の視線をやたら感じるのだ。  ……まあいきなり超高級車で乗りつけ、こんな極上の美少女を連れてきたのだから、当たり前だろう。  その上着ている着物は極上、身のこなしもたおやか、となれば―― 「? 司さん、どうかなさいましたか?」 「……栖香、君は何も感じないか?」 「?」 「……いや、気付かないならいいんだ、別に」  司は苦笑しながら家に向かう。  栖香も司の三歩後ろを歩き、後を追った。 「ただいま〜〜」  ガチャッ 「司さん、お帰りなさい」  ……玄関を開けると、晴れ着に身を包んでにっこりと出迎えるみやびがいた。  彼女は司を見ると、礼儀正しくペコリとお辞儀する。  ( ゜д゜) 「…………」  ギイ……パタン(←司がドアを閉める音)  (つд⊂)コ゛シコ゛シ   ガチャッ(←もう一度ドアを開ける音) 「司さん、お帰りなさい」  (;゜д゜) 「……………………」  ギイ……パタン(←もう一度ドアを閉める音)  (つд⊂)コ゛シコ゛シコ゛シコ゛シコ゛シコ゛シコ゛シコ゛シ 「……どうなさったのですか?」  無言で何度もドアを開け閉めする司に、栖香は怪訝そうに尋ねた。  が、司はそれに答えずしゃがみ込み、膝を抱えて震えだす。  ((((;゜Д゜))))カ゛クカ゛クフ゛ルフ゛ル 「あれは幻覚、あれは幻覚、あれは幻覚……」 「つ、司さん!? 一体何がっ!?」 「あ……ありのまま、今起こった事を話すぜ!  『ドアを開けたら、いる筈の無い奴がやる筈の無い行動をとっていた』  な……何を言ってるのかわからねーと思うが、おれも何が起こったのかわからなかった……  頭がどうにかなりそうだった……  催眠術だとか立体映像だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。  もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」 「はあ……」  よくわからないが、いつもの“病気”だろうと栖香は見当をつけた。  ……ちなみに“病気”とは、司が多用する「意味不明の表現や単語を用いた理解不能のギャグ」のことである。  恐らく漫画やゲームなどから得た語彙なのだろうが、恥ずかしいことこの上ない。  内輪だけのことならばまだ良い……いや良くはないが、せめてよそさまの前でだけは絶対やって欲しくなかった。 (司さんもこれさえなければ……)  栖香は慨嘆して思わず天を仰ぐ。  そして、分校に戻ったら司の“コレクション”を全て始末しよう、と心に決めた。  ……滝沢司、何気に人生最大の危機であった。  バンッ!  と、急にドアが勢い良く開き、中からみやびが飛び出した。  そして、両手を腰に当てて吼える。 「こら――! 折角出迎えてやったのに、なんでドアを閉めるんだっ!!」 「本物っ!?」 「当たり前だっ!! って、いヒャヒャヒャ――」  司にムニューと頬を引っ張られ、みやびは堪らず悲鳴を上げる。  しばらく引っ張り心地を堪能した司は、重々しく頷いた。 「うむ、この感触は正しく理事長! ……ゲフォッ!」  ……が、次の瞬間、みやびに蹴り飛ばされた。 「アホかあ――っ!?」 「……う……うむ…… この足の……感触は……正しく……理事……長……がくうっ!」 「まだ言うか! このっ! このっ!」  倒れ付す司に尚も蹴りを入れようとするみやびを、栖香が慌てて羽交い絞めにして止める。 「理事長、止めてください!」 「ええいっ! 放せっ!」 「いいえ、放しません。 ……それより理事長、何故貴女が“司さんの家”にいらっしゃるのですか?」  ピタッ!  栖香の冷やかな質問に、みやびの動きが止まった。  そして視線をあさっての方向を向けながら口を開く。 「家庭訪問だ」  経営者と言えば親同然、労働者と言えば子も同然。  故に経営者たる者、常に労働者に対して気を配ってやらねばならない。  労働者の家庭環境を把握するのはその第一歩……なのだそうだ。 「……それで晴れ着を着て元旦に、ですか? もちろんこの後、他の先生方のご実家も訪問されるのでしょうね?」  栖香は如何にも胡散臭げに質問を重ねる。 「あー、そうだなー 56億7000万年後位には……」 「貴女は弥勒菩薩ですかっ!?」 「えーい、うるさいうるさい! そんなことより仁礼栖香! 何故お前がここにいる!」 「私は『司さんに誘って頂いた』のです」 「なっ!?」 「司さんは昨晩、仁礼家にお泊りになられたのですよ?」 「なっ、なっ!?」  ふふん、と勝ち誇った栖香の言葉に、みやびは絶句する。  そして、ギ・ギ・ギ……とまるで油の切れたおもちゃの様に司の方を向いた。 「つ、司……お、お前まさか……」 (あれっ? なんか何時もと反応が違いますよ!?)  怒って飛び掛ってくるかと思い、身構えていた司は思わず拍子抜けする。  みやびは暫く固まっていたが、やがて半泣きになって家の中(司の実家)に駆け込んだ。 「うわ〜〜ん! 司の淫行教師〜〜っ!!」 「うわ〜〜ん! 司の淫行教師〜〜っ!!」  バタン! ガチャガチャッ!  みやびは半泣きになって家――もちろん司の実家だ――に駆け込むと、ご丁寧にも鍵とチェーンまでかけて固く扉を閉ざしてしまった。  ……呆気にとられる司と栖香を置き去りにして。  後に残された二人は、暫し無言で立ち尽くす。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「……………………はっ!?」  我に返った司が慌ててドアに駆け寄るが、鍵が閉められているため開く筈も無い。  が、それでも何とかドアを開けようと試みる。  バンッ、バンッ、バンッ! 「理事長! よりにもよって実家の前で何てことほざきやがるんですかっ! 僕の品行方正なイメージが!?」 「つ、司さん、落ち着いてください! こんな所でそんな大きな声を上げては!?  ……それに品行方正って、どの口で言いますか?」 「栖香っ!?」  が〜〜ん  「ブルータスよ、お前もか?」ばりに驚愕する司。  が、栖香は申し訳無さそうに……だがきっぱりと答えた。 「……ごめんなさい、司さん。こればっかりは流石にフォローのしようが……」 「嘘だと言ってよ、バーニィッ!?」  ……いや、そのネタ前使ったし。 「自覚、無かったのですね……」  栖香は大きな溜息を吐き、首を振った。  がっくし。  司はゆっくりと倒れる様に両手両膝をついた。 「ううう…… 僕の教師としての評価って、そんなに低いのか……」  実家のお父さん、お母さん……司はやっぱり駄目でした。  今明らかにされた衝撃の事実にむせび泣く司。  思わず地面に“の”の字まで描いちゃう位落ち込んでいる。 「……ええっと、きっ気にしないで下さい、司さん!  教師になんか向いてなくたって、良いじゃあないですか! 司さんなら立派に仁礼家でやっていけますとも! ええ、私が保証します!!」  言い過ぎたことに気付いた栖香が慌てて駆け寄り、優しく背中をさすって慰めた。  ……全くフォローになってない慰めだったが、何処が如何効いたのか司は顔を上げた。 「栖香……こんな僕でも……?」 「私には司さん以外いませんっ!」  栖香は断言した。一点の迷いも無い、正に誠心誠意の言葉だ。  が、ここは閑静な住宅街の公道、それも自宅の真ん前だった。おまけに正月の朝という、御近所の皆さんが在宅している可能性が恐ろしく高い日時でもある。  そのTPOの弁えなさは、正に馬鹿ップルのそれであった。  ……まあ、今の二人にゃあ知ったことでは無かったが。(一時の感情の暴走、というヤツだ) 「栖香……」 「司さん……」  寄り添う二人。今の二人は互いしか見ていなかった。  故に滝沢家のドアが開き、中から誰かが出てきたことにも全く気付かなかった。  ……その誰かが、二人の直ぐ傍で立ち止まったことすらも。 「栖香……」 「司さん……」 「……司さま、仁礼さま、おはようございます」 「きゃあ!」 「リ、リーダさん!?」  声をかけられ、ようやく二人は直ぐ近くにリーダが立っていることに気付いた。  流石にバツが悪そうに離れるが、リーダは「何も見ていなかった」とでもいう様に優雅に一礼する。 「お正月早々、驚かせてしまい申し訳ありませんでした」 「いやいや、リーダさんなら何時でもOKですよ!」  ……さき程までのイチャイチャ振りは何処へやら、司はリーダに愛想を振りまくる。  (その後ろでは栖香が冷やかな視線を浴びせている様にも見えるが、たぶん気のせいだろう) 「ありがとうございます。 ……けれど、どうかお嬢さまにもそう言ってやって下さいませ」  照れ笑いしながらも、リーダはみやびのアピールも忘れない。  ……そのいじらしさに司はふにゃふにゃになり、思わずリーダの手を握り締める。  (更に栖香の視線が冷たくなった様にも見えるが、きっと気のせいだろう、そうに違いない) 「さすがリーダさんは奥ゆかしい! メイドの鑑ですよ!  ……ところでリーダさんは晴れ着、着ないのですか?」 「メイドですから」  凄く説得力ある答だった。 「それは残念! 見たかったなあ、リーダさんの晴れ着姿……いてっ!?」  ……尻に激痛を感じ振り向くと、そこには“いい所”でお預けを食った挙句、リーダ登場後は放置されっ放しの栖香さんが、恐ろしく不機嫌そうな顔で睨んでいらっしゃいました。  視線もバナナで釘が打てちゃう位冷たいです。  ――ヤバい!  司は慌ててご機嫌をとろうと栖香の手を取るが、ぴしゃりと跳ね除けられてしまう。  ……間違いない、すみすみはかなり怒っていらっしゃる。 「いや栖香…… これは、その……」 「知りません!」  ぷいっ! 「栖香〜〜」 「気安く呼ばないで下さいっ!!」  拗ねる栖香とそれを宥める司――当人達にとっては深刻かもしれないが、傍から見れば両手を合わせて『ごちそうさま』な光景である。微笑ましいことこの上ない。  そんな二人に助け舟を出すべく、リーダは苦笑しながらも二人に歩み寄った。  ……………  ……………  ……………  さて、リーダの仲裁もあって栖香はなんとか機嫌を直し、司はようやく懐かしの我が家へと足を踏み入れることが出来た。  が、感慨に浸っている暇など今の司には無い。 「くっ! 理事長は既に父さんや母さんと接触した後か!」  司は唇を噛み、歩みを早めた。 「父さんや母さんが心配だ、精神汚染されている可能性が高い。急がないと……」 「……司さん、それは流石にあんまりかと」 「……司さま、お嬢さまはクトルゥー神か何かですか?」  司のみやびに対する容赦無い批判に、リーダはもちろん流石の栖香も顔を顰めた。  が、司は「Oh!NO!」とばかりに頭を掻き毟って反論する。 「似たようなもんですよリーダさん! きっとあのお子様理事長は、両親に僕の悪口吹き込んでいるに違い無いのですよ!?  ――ああ、こうしている間にも父さんや母さんの耳に僕の悪口(精神汚染)がっっ!!」 「あ、そういう意味ですか」  栖香は納得した様に頷いた。  要するに、司は「みやびが両親に何か自分の悪口を吹き込んでいるのではないか」と心配しているのだ。  “精神汚染”は“両親の司に対するイメージ悪化”を比喩的に表現したものだろう。  ……些か感心できない表現だが、司の心配は栖香にも理解できる。  あのみやびが司を褒めるところなど想像もできない、きっとあれこれ悪口を振りまいているのに違いないのだ。  (その証拠に、司の台詞を聞いたリーダは苦笑している。一体自分達がいない間に、どの様な会話が交わされていたことやら……) (他人事ではありませんね。不味いです)  栖香はそう自分を戒める。  今回のことも、下手すれば「教師と生徒のただれた関係」などと御両親に告げ口されかねないのだ。  ……そして万が一それを信じられた場合、自分の人生計画は大きく後退する。  司同様、栖香にとっても到底他人事では有り得なかったのである。 「司さんの仰る通りです! 急ぎましょ……って、何故洗面所っ!?」  ドアを開けると、そこは洗面所だった。  両親の所に向かっているものとばかり思っていた司は、実は洗面所に向かっていたのだ。  ……何故?  栖香には、司の行動が理解できなかった。  ま、今に始まったこっちゃあなかったのではあるが。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【後編】 ――――滝沢家居間。 「し、信じていたんです! 司先生は立派な先生だと! ……なのに、なのに〜〜っっ!!」  そう言うと、みやびはえぐえぐと司母に泣き付いた。  ……無論、嘘泣きである。  今までの付き合いから、司が両親に弱いということなど百も承知、むしろそれを見越しての行為だった。 「あらあら、司は本当にしょうがない子ねえ…… こんなにかわいい理事長さんを困らせるなんて……」  司母は穏やかな表情でそう言うと、みやびを優しく撫でて慰める。  ……そんな司母に、みやびはくすぐったそうに身を任せていた。慈母もかくや、といった風の司母にすっかり懐いていたのである。  (無論、“司の母”という事実がみやびの警戒心を解く大きな要因となっている。でなければ「泣きつく」などという行為を、あのみやびがする筈も無い)  ちなみに司父は、先程からそんな二人をにこにこと眺めている。 「悪い子は、たっぷり叱って上げなければねえ」  ニヤリ。  その一言を聞き、みやびの目が笑った。 (仁礼なんかといちゃいちゃした罰だ! 両親にこってり絞られるがいいっ!)  司母の膝元に顔を伏せながら、みやびは腹の内でそうほくそ笑んだ。  スッ  とその時、居間の襖が大きく開かれた。 (――ふっ、来たな滝沢司っ!)  期待を胸にみやびは振り返り……次の瞬間、その表情が凍りついた。  その元凶は司父や司母の前に正座すると、折り目正しく一礼する。 「父上母上、司はただ今戻りました」  ……誰?  まるでTVCMにでも出てきそうな好青年を演じる司は、とても胡散臭かった、限りなく胡散臭かった。  (その証拠に、やはり栖香とリーダも目をまんまるに見開き、驚いた様に立ち竦んでいる) 「お、おい……司? お前、頭大丈夫か?」  少し前、栖香が言ったことと殆ど同じ台詞をみやびは口走った。  ……まあ栖香の場合、「つ、司さん……その……“大丈夫”ですか?」と流石に言葉をぼかしていたが。 「ははは、理事長は面白いことを仰る!」  が、いつもならムキになって反論する筈の司は、さらっと笑って流すだけだ。  キラッ!  ……おまけにその瞬間、歯が輝く。  みやびの背筋に、ぞわぞわとナニかが這う様な感触が走った。 「気色悪い真似はよせ――っ!!」  バキッ! 「げふうっ!?」  考えるより先に足が出た。  「しまった!」と思った時には既に遅く、司は吹っ飛んで頭から襖に突っ込む。 「あ……ご、ごめんなさ『きゃあ! 司さん大丈夫ですか!?』」  両親の目を気にし、みやびは慌てて謝罪の言葉を口に出すが、栖香の悲鳴にかき消されてしまった。 (むうう! さっきまで自分だって驚いていたクセにっ!!)  不満で頬を膨らませるみやび。  対する栖香は司に駆け寄り、甲斐甲斐しく介抱している。  が…… 「ああ有難う、仁礼クン」 「……はい?」  その言葉に、栖香の目が点になった。  いや、自分を“栖香”と呼ばないのは不満だが仕方が無い。あれは「二人っきりの時」だけの約束なのだから。  が、「仁礼クン」って?  ……どうも先程から司の様子がおかしい。本当に大丈夫なのだろうか? 何処か頭でも打ったのではないだろうか?  栖香は、まじまじと司を見た。 「ふっ、よせよ。皆が見ている……」  ふぁさ  その視線に気付いた司は、まるで某ザビ家の御曹司の様に前髪をかき上げる。  ……その仕草は、哀しいほどに似合っていなかった。 「……司さん、お願いですから正気に戻って下さい」  栖香は、思わず涙ぐんで哀願する。  ……これ以上、こんな司を見ていたく無かった。  本人は大真面目なのだろうが、周囲の者達にとってはタチの悪い三文芝居を見せられている様なもの、早い話が「イタくて堪らない」のだ。 「ははは、何を言っているのだい、仁礼クン?  ……おや、誰か来客の様だから失礼するよ。では父上母上、少々席を外させて頂きます」  栖香の心配を他所に、司は優雅に(だが何処か軽く)一礼すると玄関へ向かった。  ポロポロ  哀願も早々に切り上げられ、取り残された栖香の目に大粒の涙が浮かぶ。  そして遂に泣き伏してしまった。 「うっ、うっ、うっ…… 司さんが、司さんが…………」 「え〜いっ、泣くな仁礼! アレはきっと偽者だ! 偽者に違いないっ!」  嗚咽する栖香を見ていられなくなったみやびが駆け寄り、力強く断言する。 「……でも、あれは確かに司さんでした」  そう、ほんの少し前まで“司”は間違いなく司だった――それは、みやびとて承知している筈だ。  だんっ!  が、みやびは机を叩くと忌々しそうに叫ぶ。 「きっと、何者かに体を乗っ取られたんだっっ!」  ……何者って、誰?(むしろ“何?”と問うべきか?)  この突っ込み所満載の説に、だが栖香はハッとした様に顔を上げる。 「! 確かに、それで全て説明がつきます!」  をいをい……  が、行間の突込みなど聞こえるハズも無く――聞こえたとしても効果は疑わしいが――、二人の思考はますますエスカレートしていく。 「偽者を倒して司を助けるんだ!」 「わかりました!」 (……どうやらお二人共、知らず知らずの内にかなり司様に毒されたご様子ですね)  意気投合する二人を見て、リーダは内心冷や汗をかいた。  どうも司という人間は、周りの者を感化していくタイプの様だ。まあカリスマ性があると言えば聞こえがいいが、その方向性が少々問題だった。  流石に止めなければ――そう考えた時、一部始終を見守っていた司父が笑いながら口を開いた。 「いえ、ご心配なく。あれは確かにうちの司ですから」  が、その言葉は二人を更に混乱の渦へと叩き込んだ。 「何だって!? じゃあ、今までの司の方が偽者だったのか!!  常人から百光年はズレた奴だと日頃から思っていたが、まさか憑依体だったとは――」 「何を仰るのですか、理事長! 憑依体だろうが何だろうが、そんなこと関係ありません! 私にとっての司さんはあの方です!」 「……むう、確かに。たとえ得体の知れないナマモノだろうが、司は司だ」  そう言うと、みやびは暫し熟考する。 「よし、計画変更! 御両親の前で遺憾ではあるが、本物にはもう一度御退場願おうっ!」 「異議なしです!」  何処から取り出したのか、みやびは釘付きバットを取り出してニタリと笑い、栖香は栖香で何時の間にか懐剣を手にしている。 ……ソレデナニスル気デスカ?  息子(司)の生命の危機にも関わらず、司の両親はただその光景を面白そうに見ているだけだった。  ……実に暢気というか、大物である。  一方その頃、司は顔中の筋肉を緩ませ、玄関へと向かっていた。 「……やれやれ、親孝行のためとはいえ、流石に“真面目モード”は疲れるなあ」  ……何のことはない、今まででっかい猫を被っていただけだったりする。(実に人騒がせな男だ)  まあアレが“猫”かどうかは議論の分かれる所ではあるが、少なくとも司としては真剣に品行方正な人物を演じていたつもりだった。  が、みやびや栖香、リーダさんの存在を失念していたのは迂闊だった。後で口裏合わせて貰わないと―― 「仁礼やリーダさんはいいけど、問題はみやびだよなあ…… 大人しく協力してくれる……ハズないか」  そう溜息を吐きつつも、何とか打開策を考える。  ……居間の状態にも気付かず、実に暢気なことだ。 「は〜い、今開けますよ〜」  そんな訳で司は思考に気をとられ、不用意にも相手の確認もせずにドアを開けた。 「センセ、あけましておめでと! ほ〜ら、やっぱりセンセいるじゃん!」 「……司さん、なんでいるんですか」  ……ドアの向こうにいたのは、にししと笑う美綺とがっくり気落ちしている正臣だった。  栖香やみやびの例に洩れず、美綺は立派な晴れ着を着ている。 「……何でまた、二人して?」  司は目を丸くした。 「お正月の挨拶♪ ……それよりズルいよ、センセ! またすみすみの家にお泊りしたんだって!?」  あたしの実家には誘ってもちっとも来てくれないのに、すみすみの家にばっかり何回も泊まってズルイ、と美綺は頬を膨らませる。 「そうむくれるなよ、まあ“成り行き”みたいなものさ」  司は軽く肩を竦めた。 「……じゃあ、今夜はあたしの実家に泊まって♪」 「いや、命惜しいし」  きっぱり即答。 「ぶー、殿ちんやしのしのの家にもお泊りしたクセにー」 「……おまえ、アレを思い出させるか?」  美綺の言葉に、司は顔を引きつかせた。  ……閉ざされていた記憶の扉が開き、無理矢理その奥へと押し込んだ忌まわしい記憶が蘇る。  面会日、そのまま八乙女のじーさんに拉致され、無理矢理八乙女本家に連れて行かれた日のこと……  久し振り……本当に久し振りの一人きりの休日、Hな本を買いに行こうと勇んで門を出た途端、鷹月の手の者に拉致された日のこと……  八乙女家では歓待されたからまあいい――その後皆にお仕置き喰らったが――としても、鷹月家はやばかった、マジでヤバかった。相沢家とはベクトルが違うものの、また別の意味で恐怖したものだ。  ああ、これ以上は思い出したくもない…… 「いやあ、司さんモテますねえ」  ぱちぱちぱち……  何しろ相手は天下の八乙女、鷹月の両本家である。  呆れた様な感心した様な、そんな相反する感情を込めて正臣が拍手する。 「こんなモテかた、イヤだ……」  ……ごもっとも。 「それよりなんで家にいるんですか!?  『邪魔者二人を追い出して、美綺姉さんと二人っきりでむふふな一日』という僕の計画が滅茶苦茶じゃないですかっ!」 「策士策に溺れるとはこのことだね、おとーとよ」 「ソレが狙いだったのか……っていうか、お前実の姉相手にナニ考えてるんだ?」  正臣の魂の咆哮に、美綺は澄まして、司はおいおいと突っ込む。 「司さんにだけは言われたくないですよ……」 「ん〜、難しい問題だよね〜 “実の姉に欲情する少年”と“教え子を姉妹で侍らす鬼畜教師”……  はてさて、一体どちらがアブノーマルなのかにゃあ〜〜♪」 「……相沢」 「てへっ♪」  司の半眼に美綺は笑って誤魔化すと、その胸の中に飛び込んだ。 「ごろにゃん♪」 「まったく、お前という奴は……」  そう苦笑しながらも、司は優しく美綺を抱きしめてやる。  美綺は美綺で司の腕の中、仔猫の様に体をこすり付ける。  ……その光景を、正臣は血の涙を流しながら見つめていた。 「あ゛あ゛…… 僕の美綺姉さんが……」  がっくし  思わず地に手をつけるほど落ち込んだ後、正臣はきっと睨んで司に詰問した。 「今日は栖香姉さんと一日中遊ぶ筈じゃあなかったんですか!?  僕はてっきり、初詣でもした後はホテルでよろしくやってるものとばかり思ってましたよっ!」 「それが中学生のセリフかい……」 「ちちち、甘いなあ。インターネット神社ならともかく、センセが本物の神社へ初詣になんか行く訳ないよ。センセ、人ごみが大キライだもん。  ……それにこの時期、ホテルは何処も満室だよ?」  姫始め、というヤツだ。 「でも、女性同伴ですよ!? まさか実家にいるとは――」 「簡単な推理だよ、ワトソン君。センセは混雑する様な日は出かけたがらない、ならば当然、実家がまず最初に頭に浮かぶ、というワケ」 「そんなひきこもりみたいな真似――」 「しちゃうのが、センセなんだよねえ…… ま、可愛いすみすみの為だ、もしすみすみが行きたい場所を言えば、センセはそこに行っただろうけど〜〜?」  そう言うと、美綺は皮肉っぽい目で司を見る。  ……何か責められているようで非常に居心地が悪い。司は慌てて目を逸らした。 「なら、何でまた実家に……」 「だから、『実家に行きたい』って言ったんだよ、すみすみが」 「……へ?」 「だってさあ、センセのご両親に会えるんだよ? しかも単独でだよ? これはもう、並み居るライバルを押しのける絶好の機会じゃん!」 「そ、そうだったのか――っっ!?」  今明らかにされた栖香の思惑に、司は戦慄を感じて叫ぶ。  女って怖い……つくづくそう思った瞬間だった。  そんな司を見て、美綺は呆れた様に溜息を吐く。 「だいたいセンセ、脇が甘過ぎるよ。女の子を簡単にご両親に合わせるなんてさ。それにその羽織袴だって仁礼家のヤツじゃん。それも紋付の」 「あ゛……」  言われてみれば、この紋付羽織袴は仁礼家から借りたものである。  「父の若い時の物で恐縮ですが……」と栖香から渡されたのだが…… 「あのね〜、普通の家で羽織袴借りるのと同じレベルで考えちゃ駄目だって!  仁礼家ほどの旧家が、ホイホイ他人に紋付の羽織袴なんて貸す訳ないでしょう?  それって、『この人は仁礼家の者です』って認めた様なものなんだよ?」 「う〜む、奥が深い」 「深くない、深くない。センセもウチのがっこの教師なんだから、もっとその辺のこと気をつけてよ! 罠はいっぱいだよ? 怖いんだよ!?」 「デカルチャ〜」 「??? ……あっ、“それ”禁止!」  ぽかっ! 「……痛いぞ」 「センセの趣味に口出す気は無いけど、真面目に話してる時は“それ”禁止!」  話が進まないし、進んでも変な方向に行くからね、と美綺。  ……どうやら栖香よりは理解がある様だ。 「へいへい、しかし今日は千客万来だな」  栖香はともかく、みやびにリーダ、美綺に正臣である。 「うん、あたしだって前々からセンセの実家に行くチャンス狙ってたんだもん。  ……だから、今日は何人の女の子が来るか見ものだね〜〜♪」 「?」 「だって、お正月だよ? 訪問するには絶好の理由じゃん? ――って、もうみやびーは来てるみたいだね?」  美綺は目敏く下駄箱に目を走らせる。 「ああ、何でも“家庭訪問”だそうだ」 「何、それ? みやびーも素直じゃないなあ〜」  美綺は快活に笑った。  再び、場所は滝沢家居間。  司が玄関で美綺達と会っていた丁度その頃、居間ではみやびと栖香が目を丸くしていた。 「へ……? 猫被ってる……だけ?」 「な、何ですか、それは……」 「いやはや、申し訳ない。ウチの司は、どうも私達の前ではやたらと格好つけるのですよ。なあ、母さん」 「ええ、本当に困った子…… 体は大きくなっても、いつまでも子供なんだから……」  そう言って笑い合う司父と司母。  が、二人にとっては笑い事では無い、なんかもー全身から力が抜けていく様な気分だ。 「猫被りって……アイツ、23にもなって何考えてるんだ…………」 「司さんらしいと言えば司さんらしいですが……何と人騒がせな…………」  リーダがにこやかに微笑みながらフォローを入れる。 「司さまは少年の心をお持ちですから」  ……それフォローになってませんって、リーダさん。  ガラッ  そんな頭イタイ状態の中、襖が開いた。 「みんな、あけましておめでとう!」  司に先導された美綺が、元気一杯挨拶する。  が、同行していた筈の正臣がいない。  目論見が外れた上に見せ付けられ、がっくり気落ちして帰ってしまったのだ。 「相沢!?」 「ね、姉さま!?」 「そんなに驚くことないじゃん、みんな『考えコトは一緒』ってことだよ♪」  驚くみやびと栖香に美綺はニシシと笑う。  その指摘に何か思い当たることでもあるのか、二人の顔はたちまち真っ赤だ。  ……そんな二人を横目に、美綺は司の両親に礼儀正しく挨拶する。 「新年あけましておめでとうございます、滝沢先生の生徒で相沢美綺と申します。  滝沢先生には日頃から大変お世話になっておりますので、是非ともお礼に伺いたいと思い、失礼とは思いましたが本日こうして参りました」  司はこの様子を見て感心し、そっと美綺に囁いた。 『相沢……』 『何、センセ?』  小声で話しかけてきた司に、美綺も小声で応じる。 『お前、ちゃんとした会話もできたんだな』 『…………ていっ♪』  ゲシッ! 『ぐあ……』  美綺の攻撃に、司は脇腹を押さえて蹲る。 「いえいえ、こちらこそウチ司がいつもお世話に……? 司、お前何やってるんだ?」  いきなり蹲った司を見て、司父が不審そうに声をかけた。 「い、いえ……何でもありません…………」 「センセ、大丈夫? 油汗かいてるよ?」 「(コ、コイツは……)」  素知らぬ顔で心配したフリをする美綺に、流石の司も半眼だ。  が、それでも猫被りは忘れない。 「あ、ありがとう、相沢クン。けど大丈夫さ!」 「……センセ、いい子ぶりっ子は似合わないから、止めた方がいいと思うよ?」  みやびや栖香と異なり、直ぐに司の“猫かぶり”を見破った美綺は、溜息と共に指摘した。 「な、何を仰りやがりますかっ!? 僕は何時も品行方正でありますことよ!!」 「や、だってもう言葉遣いが怪しくなってるし。それにそんなのセンセらしくないよ……」 「あ、相沢……?」  突然BGM?が切り替わり、哀しそうな声で俯く美綺に、司は戸惑いの声を上げた。 「センセは何時だって、誰に対しても自然体だったじゃない。アタシはそんなセンセが大好きなんだよ……  幾らご両親の前だからって、変に飾ったセンセなんて見たく無い……」  そう、司は誰に対しても自然体だった。  誰に対しても、である。大人になれば……いや、子供にだって様々な打算やしがらみがある、言うは易いが実際に行うは至難の業だ。  にも関わらず、司は自然体を貫いた。それも“あの”分校で。  馬鹿である、大馬鹿である。  が、遂に貫き通し、だけでなく「認められた」。生徒達に、そして生徒達の家にまでも。  ……これがどれ程凄いことか、司は自覚しているのだろうか?  美綺は、そんな司に魅かれたのだ。  だからこそ―― 「相沢……すまなかった……」  ぎゅっ  よく判らないが感動し、司は感情の赴く美綺の手を握りしめた。 「センセ……」  ぎゅっ  美綺も司の手を握り締める。  見つめ合う二人の距離は、もう目と鼻の先だ。  ……どーでもイイが、両親の前でナニやってるんだか。  そう思ったか、はたまた別の理由からか、みやびと栖香が割って入った。 「そこまで――――っっ!!!!」「時と場所を弁えて下さいっ!」 「うおうっ!?」 「ちぇ〜、折角イイ雰囲気だったのに……」  さっきまでの哀しそうな雰囲気は何処へやら、惜しそうに指を鳴らす美綺。(BGMもまるで何事も無かったかのように元に戻っている)  モシカシテ、さっきの演技ダッタンデスカ…… 「全く、油断も隙も無い……  が、今はそんなコトより滝沢司、お前の人騒がせな猫かぶりっぷりの方が問題だ!」  ビシッ! 「ぼ、僕!?」  みやびに指差され、司は目を丸くした。 「司さん、お願いですから馬鹿な真似は止めて下さい。恥ずかしいですから」 「……えっと、もしかして相沢以外にもバレてる?」  こくり  一斉に頷く一同に、司は愕然とする。 「何故だ…… こんなにも完璧な演技が、何故バレたっ!?」 「……完璧の意味、いっぺん辞書で引いて調べてみろ」 「司さんのお父様とお母様からお聞きしました」 「な、何だって――――っっ!!」  最悪の答だった。 「……もしかして父さんも母さん、とっくに気付いてた?」 「らしいですね」 「それって、僕の今までの努力は……」 「『全部無駄だった』に決まってるだろう? 馬鹿者が」  みやびに止めを刺され、司は蹲って奇妙な呻き声を上げた。 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」  ……そんな完全にorz状態の司に、更なる追い討ちがかかる。  今までの遣り取りをずっと眺めていた両親が、遂に動き始めたのである! 「司、お嬢さん方を泣かしてはいかんではないか」 「と、父さん……」  たら〜〜  司の額を一筋の汗が流れ落ちる。 「本当に司は困った子ね……」 「母さんも……」  たらたら〜〜 「ああ、これは“お仕置き”が必要だな」  二人のお言葉に司は冷や汗でびっしょり、ガクガクブルブル状態である。 「お、お許しを! ひ、平に、平に〜〜〜!!」  …………  …………  ………… 「さあ、これが司のアルバムですよ。どうか見て笑ってやって下さい」 「や〜め〜て〜〜!?」  柱に縛りつけられながらも必死で哀願する息子を無視し、両親は非情にも少女達に息子のプライバシーの塊を差し出した。 「見〜な〜い〜で〜〜!!」  少女達もその哀願を無視し、猫まっしぐら、まるでご馳走を前にした猫の様にアルバムに飛びついた。 「わ、暗っ!? これ本当にセンセの子供時代!?」 「しゃーないだろ、貰われた直後なんだから……」 「うおっ!? 何だ、この大時代的な不良スタイルは!?」 「当時はそれが不良の定番スタイルだったんだよ、復古調が人気だったんだ……」 「………なんで猫達と一緒に暴走族スタイルなんですか? いえ、猫かわいいですが」 「なめ猫、知らないのか? まあ僕も話で聞いただけだけどな、面白そうだからリアルなめ猫やってみようと近所中の猫集めて撮ったんだよ」  それぞれがそれぞれの感想を述べ、観念した司がそれに答える。  どうやら美綺が小学校時代、みやびは中学時代、栖香が高校時代の様だ。(ついでに高校時代には更正した様である)  と、アルバムを捲っていた栖香の指が止まった。 「(ムッ)この女性は誰ですか?」  栖香が不機嫌そうに指差した写真には、20を越えたか越えないか……といった頃の女性と学制服を着た司が映っている。  それを見て、司は遠い目をして答えた。 「……僕が、この世界(教職)に進むきっかけとなった人さ」 「そうですか…… この方が司さんをこの世界(おたく道)に……」  栖香は「全部コイツのせいかっ!」という目で写真の女性を睨みつける。  ……本人が知ったら、泣いて冤罪を訴えそうな勘違いであった。 「あれ、これ由じゃないか!?」  今度はみやびが驚きの声を上げた。  大学時代のアルバムを手に取ると、なんとみやびの知人“志藤由”が映っていたのだ。  ……それも、かなりの枚数に。  みやびの知人である以上、この志藤由なる人物はタダ者ではない。  本邦……いや、世界でも有数の大財閥の跡取り息子の上、本人自身も非常に優秀な人物であり、かつ性格も良好という、ソレナンテエロゲ?的な人物である。  どう考えても当時の司と接点は見出せない、とみやびは首を捻る。 「ああ、大学時代の同級生だよ。 ……ま、由は一年で辞めたんだけどな」 「そーいや、一時期社会勉強として普通の大学に通った、とか聞いた事があるなあ」  納得、とみやび。  が、今度はそれを聞いた司が首を捻る。 「……社会勉強? あいつ飛び級につぐ飛び級で碌に学生生活エンジョイしてなかったから、『親に頼み込んで一年だけ自由にさせて貰った』とか言ってたぞ?」 「……それでよりにもよってお前と出会うとは、運の無いヤツだ」  口を歪めて哂うみやびに、司は抗議の声を上げた。 「何言うか、僕と由はマブダチだぞ? 義兄弟の誓いだって交した仲だ。 ……あ、僕が年上だから兄で由が弟な」 「義兄弟って、お前……」  一体何やらかしたんだ……  流石に二の句が継げず、みやびはアングリと口を開ける。 「センセ、びっくりどっきりの玉手箱状態、な人生送ってきたんだね〜〜」  美綺が笑いながらそう評した。  ピンポ〜〜ン!  あらかたアルバムを読み終えた頃、来客を知らせるチャイムが鳴った。 「あ、アタシが出ま〜す♪ さあ今度は誰だろうね〜〜♪ 殿ちん? しのしの?」  美綺が立候補し、いそいそと席を立つ。  ……が、目をシベリア状態にして直ぐに戻ってきた。 「……センセ」 「どうした、相沢?」 「……来た」 「誰が?」 「……みんな」 「……は? 何言っ「「「「「あけましておめでとうございます!」」」」」  司は意味が判らず聞き直そうとしたが、その声は“新年の挨拶大合唱”の前にかき消されてしまった。 「先生〜、あけおめ〜〜」 「「あけおめ、あけおめ!」」 「……こら、もっとちゃんと挨拶なさい」 「お、お前等……何で……」  分校組本校組を問わない生徒達の来襲に、さしもの司も絶句状態だ。(無論、他の皆もである) 「だって先生のプライべート知る折角のチャンスだもん! 家にいたって退屈だしねっ! ……って、おお! 早速アルバムげっとだぜっ!!」  ちとせは炬燵の上に積み重なっていたアルバムを目敏く見つけ、素早く“げっと”する。  ……それを見た鏡花が、溜息を吐いて注意した。 「……ちとせ、先生に失礼ですわよ。それに勝手に他人様のアルバムを見るなんて、プライバシーの侵害です」 「ぶ〜〜、鏡花ちゃんだって先生の昔の写真、興味あるでしょう?」 「そ、それは…… 面白そうですし(ボソッ)」 「そうそう、先生がいると退屈しないもんね〜〜 あそこじゃ得難い存在だよ」  ちとせはここぞとばかりにアルバムを振りかざす。  と、横から手が伸び、アルバムがひったくられた。 「ではご開帳〜〜」 「「ご開帳、ご開帳!」」 「あ、ズルイ! あたしが見つけたんだよ!」 「はあ〜貴女達は………」  …………  …………  …………  この喧騒を呆然と見るしかなかった司に、一人の少女が申し訳無さそうに声をかけた。 「……司、ごめんなさい」 「殿子!?」 「……わたしが外出するって知って、みんな付いて来た」 「なんで!?」 「……わたしが外出するの、珍しかったからだと思う。それで、司の所に行くって知ったから……」  厳密に言えば、殿子は梓乃の祖父の招待で八乙女家に滞在する形となっている。  が、皆の前で正直に「正月は司に挨拶に行く」なんて言ったものだから、我も我もと退屈していた生徒達が大挙して襲来した訳である。  ……“お祭り男”滝沢司の真骨頂と言えた。 「ごめんなさい……司、怒った?」  しょげる殿子を見て、司は苦笑した。 「……馬鹿だなあ。僕がそんなこと位で怒る筈も無いだろう? 兄の心は太平洋なんだぞ?」  ……どうやら「とても広い」と言いたいらしい。  殿子の表情が緩む。 「ありがとう、兄さん」 「ふっ…… これでも殿子の世界でたった一人の兄だからな」 「うん!」  殿子は嬉しそうに笑った。  ……そんな彼女に、みやびがイヤな笑いをしながら声をかける。 「お、殿子も来てたのか〜? 見ろ、お前のもう一人の兄だぞ〜〜!」 「……誰?」  こんな人、知らない。  横からみやびが差し出した由の写真を見て、殿子が怪訝そうな声を上げた。  が、みやびは得意そうに解説する。 「志藤由、司と義兄弟の誓いをした阿呆だ。で、お前は由より年下だから、由の義妹」 「……司、それホント?」 「義妹云々はともかく、由は確かに僕の義弟だな」 「…………」  ギュッ! 「い、イタッ!?」 「司は、節操が無い」  そう言って、殿子はぷいっと横を向く。  無言で力一杯抓られた挙句にこの仕打ちである、司は堪らず抗議の声を上げた。 「何でさ!?」 「おお、なんたるレア光景!? 殿ちんが焼きもちを焼いている!?」 「「焼きもち、焼きもち!」」 「お、お前等なあ……「“先生”? ……随分とおもてになるのですね?」 「す……仁礼……」  意見しようと口を開くが、かつてない程に不機嫌そうな栖香の声を聞き、恐る恐る振り返る。  ……なんか冒頭でも似た様なシーンがあったが、まあ前編であれだけ持ち上げられておいてこのオチだ、怒るのも無理は無いだろう。 「おお、何たるいつも通りのマンネリ光景! すみすみが焼きもちを焼いている!」 「「マンネリ、マンネリ! きゃはははは!」」 「……………………(怒)」 「お願い、火にガソリンぶち撒けないで!?」  …………  …………  …………  その後、運良く何だかんだで有耶無耶となり、滝沢家は皆が持ち寄った手土産と司の過去話を肴にした大宴会モードに突入した。  司にとっては分校内での所業を両親に暴露され、踏んだり蹴ったり……だが結構楽しい一日となった。  ……「夜、生徒達を迎えに来た超高級車と黒服の大群が近所を埋め尽くしたこと」を気にしなければ、の話ではあったが。  後日、分校に戻った司に、両親からの宅急便が届いた。  その中身は防刃チョッキと「命を大事に」と書かれた一枚の紙…… 「父さん、母さん、誤解です……」  これを見た司は、涙が止まらなかったという。