帝國召喚 改訂版 短編「繁栄の光と影」 【前編】  ――現在の“帝國”ほど富み、栄えた国家はアルフェイム史上存在しない。(“列強の興亡”(*1)冒頭より転載)  “帝國”がアルフェイム世界に現れてから、早くも60年を超える歳月が流れた。  ……60年、である。  “帝國”において地球世界のことを肌で知る者は、もはや圧倒的な少数派だ。  多くの“帝國”人にとってはアルフェイムこそが故郷であり、地球世界のことなど遠い世界の御伽噺に過ぎない。  所謂“旧世代”が各分野の長老として存在していることから、未だ地球世界は無視し出来ぬ存在だが、それも時間の問題だろう。  地球世界の影響力は、急激に薄れつつあったのである。  ましてや、『人生50年』などと言われるアルフェイム世界の人々にとっては、“帝國”は『自分達が生まれる前から存在する世界帝国』に他ならなかった。  現在の“帝國”は、アルフェイムの過半を領する超巨大国家である。  その版図はかつての中央世界に加え、いわゆる夷狄蛮戎の内の北狄・南蛮・西戎の三つを完全に下し、現在は清華を中心とする東夷相手に徐々に勢力を広げている、といったところだ。(これは地球世界でいえば、ウラル以西の欧州・インダス以西のアジア(中東・中央アジア)・アフリカ・南北アメリカを支配しているに等しい。往年の大英帝国……いや中世のモンゴル帝国をも凌ぐ“世界帝国”だ)  この広大な版図を、“帝國”は本国・属州・邦國の三つに大別し、管理していた。三者の大まかな違いは――    本国とは『“帝國”本国政府が本国人を治める地』で、転移前からの列島に神州島を加えた極狭い地域(とはいえ、“帝國”の国力は殆ど全てこの地に存在する)、  属州とは『“帝國”本国政府が非本国人を治める地』で、資源地帯や交通・防衛の要衝等、戦略上の要地を含む限られた地域(いわゆる直轄地)、  邦國とは『現地政府が非本国人を治める地』で、“帝國”の大半を占める“その他”の地域(いわゆる自治領、藩国)、  ――となる。(ちなみに本国人とは『本国に居住する人々』ではなく『転移前からの“帝國”人とその子孫』のこと。俗に“譜代民”“御譜代”とも呼ぶ)  要するに“帝國”とは本国を中心とした多数の国々の連合体であり、その統治の大半は現地人に委ねられていたのである。  帝國による支配は、それ以前よりも明らかに世界の在り方を好転させた。  まず戦争が無くなり、平和が訪れた。  国家間の序列はあるものの、そこには秩序があり、決して無法を許すものでは無い。  国々は争うよりも協力し合う場面が多くなった(例えば、飢饉時には帝國を始め、周辺諸国からの援助が期待できる!)  民の暮らしは確実に豊かになり、何よりも安全になった。  大局的に見れば、明らかに人々は“幸せ”になったのだ。  後に“パックス・ジャポニカ”と呼ばれる平和と繁栄の時代の始まりである。  ……が、無論、全ての人々が幸せとなった訳ではない。  何事にも表と裏、光と影が必ず存在する。  “帝國”による平和と繁栄の果実を多くの人々が多かれ少なかれ享受する中、繁栄から取り残された人々もまた少数ながら存在した。  ホラズム土侯国連合なる邦國は、そんな“繁栄から取り残された人々”の住まう地だった。  土侯国とは邦國中最下位の格である。国主は王位を許されず、“帝國”爵位も大騎士爵か騎士爵に過ぎない。(*2)  要は土豪、地方の中小豪族である。  が、ホラズムの土侯達は豪族ですらなかった。  そもそも、ホラズム地方は無人の地だった。  その80%が山岳地帯であり、農業に適した土地は僅か5%にも満たない。土は痩せ、水も乏しい……到底、人が住める地では無い。  が、にも関わらず“帝國”は、強引に入植を行った。  対象は、各地の流民達――そう、ホラズム土侯国連合は“流民の国”だったのだ。  “帝國”が世界各地を併合しつつあった当時、国と国……或いは文明圏と文明圏の隙間に生きる流民は、急速にその活動範囲を狭められていた。  そもそも『独自の社会を営む不定住者集団』など、統治者からすれば邪魔でしかない。  故に、各地の流民達のうち大勢力のものを強引にホラズムへと入植させ、ホラズム土侯国連合を建国したのである。(*3)  時に昭和三三年、第一次東征の時のことだ。  ホラズム土侯国連合の建国により、流民は流民でなくなった。  そればかりか、大族長は“帝國”騎士爵を、族長も“帝國”士族籍を下賜され、それぞれ土侯・村長となった。  流民が、押しも押されぬ“帝國”貴族・士族に列せられたのである。  アルフェイムの人々は、時代が大きく変ろうとしていることを痛感した。  ……が、所詮は形式だけに過ぎなかった。  まず、彼等流民出身の土侯達は、他の諸侯から徹底的に無視された。(当然のことだ。『自分達と流民の頭風情が同格』などと認められる筈もない)  “帝國”もそれを黙認……どころか助長した。建国当時ですら『200土侯国、総人口100余万』と言われたホラズム土侯国連合の土侯長――任期制の土侯代表――を、騎士爵のままに据え置いたのである。(他とのバランスを考えれば、より上位の待遇とすべきところだろう)  つまりは、“そういうこと”だったのである。  加えて、与えられた国そのものが、深刻なほど貧しかった。  ホラズム地方は面積こそ100,000kuと広いが、上でも述べた通り農業に適した土地は僅かであり、資源も碌に存在しない。  唯一見込める産業は牧畜であるが、100万の民を養うに足る家畜を用意することは困難であるし、また数年に一度旱魃があることを考えれば、到底安定しているとは言い難かった。  何より、牧畜は部族主義と内部対立を生み出す。200の部族(土侯国)が一丸となることは、まず不可能だ。  ……が、それこそが“帝國”の狙いだった。  “帝國”は『最初から“帝國”に対して協力的だった』とされる12の土侯を連合体の理事国とし、他の大多数の土侯の監督を任せることによって更なる内部対立を煽った。  ホラズムという牢獄に流民達を押し込め、かつ分断し互いに監視させる――転移から十余年、“帝國”もようやく大国の流儀を会得しつつあったのである。(*4)  何れにせよ、ホラズムが独力で生きていくことは不可能だった。  故に“帝國”は、ホラズムに対して税(*5)を免除したばかりか、毎年多額の援助(*6)を与えていた。  その額、平成一〇年代で年15,000万圓相当。(*7)  ホラズムが曲がりなりにも国家として機能しているのは、この援助のお陰以外の何者でもなかった。  無論、ただではない。  “帝國”は、ホラズムが唯一支払えるであろうものを、代償として要求したのである。  ……それも大量に。 ――――平成二〇年一月。“帝國”領ホラズム土侯国連合、クナル土侯国サラン村。  ホラズムでは、年齢は数え歳で数える。  16歳になれば成人だ。  ここサランの村でも、15回目の正月を迎えた少年少女達が、新年の祝いの主役として祝福されていた。  家族……そして村の一族(*8)は彼等彼女等のために、ささやかな宴を催した。  芋・豆・黒麦を水で煮込み、植物油と塩で味付けした“スープ”、黒麦粉を水で溶いて焼いた“ケーキ”、といったいつもの食事も心なしか“身”が多く食べ応えがある。  この他にも、大人達の前には自家製の芋酒ではなく買い求めた麦酒、子供達の前には白湯ではなく山羊の乳で満たされた杯を手にし、喉を潤す。  更に主役である新成人達の前には、特別に林檎とゆで卵まで並べられていた。  ――そしてメインデイッシュ。大きなコーンビーフ缶が切り開かれ、皆に切り分けられる。  誰もが目を細め、それを“ケーキ”に包んで食べる。  麦酒を、山羊の乳を次々と胃に流し込み、笑いあう。  幸せの一時。だがそれは、別れの宴でもあった。  ……明日の朝には、彼等彼女等の多くが村を出なければならぬのだから。  少年達は軍に入営し、少女達は人買いに売られていく。  理由は、『長男長女でないから』。  長男は家を継ぎ、長女は嫁に行く。それぞれの家で暮らしていける。  が、次男次女以下は、村に居場所が無い。  故に、村から出なければならぬのだ。  男は兵士に。  女は奴婢に。  ――それ以外、彼等彼女等に生きる道は無かったのである。  翌朝、次男次女以下の新成人達は竜車の荷台に乗せられ、それぞれの地へと連れて行かれた。  ホラズム土侯国連合の国軍兵力は、およそ10万人。(*9)  平成一九年末の人口が約200万人だから、凄まじいまでの重武装国家だ。  とはいえ、この10万人のうち本国に存在するのは1/3にも満たない。  何故なら、その大半は常に戦地に身を置いているからである。  彼等は“帝國”本国軍の指揮の下、『ホラズム男性最大の死因は戦死/戦病死』と言われる程の激戦地を渡り歩いていた。  ……それこそが、“帝國”の要求した“代償”だった。  ホラズム土侯国連合軍は、文字通り血と命を“帝國”に支払っていたのである。 ――――ホースト土侯国内、第3軍管区訓練大隊。 「お前達は賊国の出だ!」  クナル出身の新兵達を前に、教官は開口一番そう叫んだ。  今から三年前、当時のクナル土侯は他の土侯達に呼びかけ、12理事国の特権を大幅縮小しようと目論んだ。  12理事国は本国政府が認めた権益を拡大解釈すべきでない――それが、彼の主張だった。  が、それを察知した12理事国は『本国に対する叛意あり!』とクナル土侯を口撃、追い詰められたクナル土侯は退位に追い込まれてしまった。(クナル土侯は退位ですんだが、数人の側近は自決に追い込まれた)  ……それから三年、12理事国のクナルに対する目は未だ厳しい。その影響は、彼等新兵にまで及んでいたのだ。 「――だから、お前達は他人の百倍千倍の忠誠を見せろ!国の為に死ね!」  そう結び、教官は話を終えた。  ――僕は、死ぬまで飼い殺しか……  サラン村から入営した少年の一人、カリム・サラン(*10)は、現実を知って目の前が真っ暗となった。  次男以下が身を立てるには、軍で立身出世するしかない。  立身出世とは、具体的には『下士官になる』ということだ。  兵のままでは、最低限の衣食住が保証されるに過ぎない。  が、下士官になれば俸給を貰え、妻を迎えることもできるのである。  故に、新兵の誰もが下士官になることを夢見ていた。  ……が、下士官になるのは狭き門だった。  元より絶対枠が少ない――ホラズム軍はその規模に比し将校下士官が非常に少ない――上、まず優先されるのは12理事国の出身者。  他の大多数が、残る枠を争うのである。壮絶、と言って良い。  賊国出身者など、真っ先に落とされるだろう。  『下士官となって妻を持つ』というカリムの夢は、入営初日で儚く潰えたのである。  カリムの、夢も希望も無い、辛い新兵生活が始まった。  新兵の仕事は、殴られること、である。  ましてや賊国出身者、殴られるにはこと欠かなかった。  ……いや、殴られるだけならばまだ良い。  上級者……ことに将来を望めぬ古参兵達の陰惨な虐めは凄まじく、少ないない数の新兵が死を選んだ程だ。(中には『どうせ死ぬなら――』と“事件”を起こす者も存在したが、全て“事故”で片付けられた)  が、それ以上にカリムがショックを受けたのは、新兵間の対立だった。  『部族が違う』といだけで大切なもの、必要なものを盗み、壊し合う。  切羽つまれば同じ部族同士ですら、『村が違う』といだけで盗み合う。  産まれてから一度も村を出たことがないカリムにとり、ここは地獄も同然だった。  辛い……苦しい……  が、カリムには死ぬ度胸すら無かった。  故に、ただただ耐えるしかない。  他の新兵同様、カリムは村の仲間達だけで固まり合い、この地獄を何とか乗り切った。  が、その代償として、カリムは“壊れて”しまった。  内気でのんびりした、というカリムの性格は、卑屈で猜疑心の強いものへと作り変えられてしまったのである。(尤も、これは多かれ少なかれ全ての新兵に言えることだった)  三ヶ月間の基礎訓練を終えたカリム達新兵は、無印の訓練兵から星一つの二等兵に昇進、それぞれの任地に赴いていった。  カリム達クナル出身者は、全員が補充・交代要員として戦地へと送り込まれた。 ――――クンドゥズ土侯国。  ホラズムは楚漢時代の巴蜀すらも楽園に見える程険しく、荒れた地である。  その峻険さは天然の要害として、外に対してだけでなく内に対しても効力を発揮している。  故に、出国するには12ある国道の内、何れかを利用しなければならなかった。(*11)  任地へと赴くべく、多くの補充兵達と共に駐屯地を出たカリムは、行軍7日目にしてようやく理事国が一つであるクンドゥズ土侯国に辿り着いた。  12の国道は、全て何れかの理事国に通じている。  しかも各理事国はホラズム最外縁に位置し、国の出入り口を塞ぐ形となっている。  言わば、国を出る為の最終関門だった。  ……これは偶然ではない。  各理事国は、ただ連合政府の要職を独占して政治を動かすに止まらず、他にも多くの役割を担っている。  例えば――  ホラズムを12に分けた地域の筆頭土侯国として、それぞれ地域内の他土侯国を管理する。(前回の話に出てきた、配給物資の分配もその一環だ)  ホラズムと外界を通じる道、その最外縁に在り、その出入国を管理する。  ――等、どれも重要な任務である。  ことに出入国管理は最重要任務であり、理事国はホラズム人・他国人を問わず、その出入国を厳しく制限していたのである。 「止まれ!」  クンドゥズに入ろうとした瞬間、厳しい誰何が飛び、行軍が止められた。  ……クンドゥズ親衛隊だ。  12理事国内には国軍は駐屯しておらず、“親衛隊”なる各土侯国の私兵集団が警備に当たっている。  そして、入国するには一般人はおろか国軍ですら、一々許可を得ねばならなかった。 (おい……隊長殿って大尉だろ?向こうは少尉なのに、なんでぺこぺこするのさ?)  隊の指揮官がわざわざ騎竜を降り、頭を下げながら許可証を手渡している。  対する親衛隊の隊長は、ふんぞり返っていて傲慢不遜そのものだ。  その光景に目を丸くし、カリムは仲間の耳元で囁く。  と、仲間の方は苦虫を噛み潰した様な表情で、カリムの耳元に返した。 (同じ理事国民同士ですら、親衛隊の方が一段上なんだぜ?うちの隊長は非理事国民だから、実質二階級下さ)  つまり、親衛隊少尉は理事国民の国軍中尉か非理事国民の国軍大尉に匹敵する、ということだ。  が、納得できないカリムは更に囁いた。 (それでも、同位同士だろう?) (お前は本当に馬鹿だなあ……相手は親衛隊の将校様だぜ?大隊長殿だって平伏するさ) 「第3軍管区の補充隊か……よし、通れ!」  その声で、二人の密談は中止された。  見ると、親衛隊の隊長が顎をしゃくり、隊長に命じていた。  隊長は敬礼し、再び騎竜する。  ……が、その表情は軍帽に隠れ、確認することはできなかった。  こうして、隊は行軍を再開した。  親衛隊の銃は、最後までこちらに向けられたままだった。 「うわ……」  行軍中に次々と目に入る光景に、カリムは目を丸くした。  他の新兵達も同様で、皆目を丸くしている。  クンドゥズの家々はどれも小奇麗で、人は肥えている。  ……そして何より、隊を横切る羊の群れ。  カリムの知る限り、クナルでは多くの家が痩せた鶏を一組も飼うのがやっとであり、それすらできぬ家――かくいうカリムの家もその一つだ――も少なくない。羊や牛を飼うなんて一部の裕福な家だけだ。  クナル中の牛や羊を集めても、この群れ一つにすら敵わないのではないだろうか?  ――目に見える範囲内でこれ程いるということは、一体全部でどれ位いるのだろう?  そう思わずにはいられない。  あからさまな格差を見せ付けられ、カリムは気分が悪くなった。  ペッ!  思わず、唾を吐き捨てた。  注意する者は、誰もいなかった。 ――――ホラズム国境周辺。  クンドゥズに入領して丸2日後、隊はクンドゥズ……というよりもホラズム国境に辿り着いた。  橋を越えれば国外だ。  が、橋を渡り終えたカリムは、目の前に広がる光景に目を丸くした。  ……クンドゥズの時とはまた別の意味で。  ――これじゃあ、クナルの方がマシだよ……  生まれて初めて見る国外は、一面の荒野だった。  道すら、無い。  ――こんなところで脱落したら、死ぬなあ……  道なき道をひたすら歩きながら、カリムはぼんやりとそんなことを考えた。  もう強行軍も10日目である。疲労も蓄積し、足も棒の様だ。(何せ、テントすら張れない野宿続きである)  本気で脱落者が出てもおかしくない。  が、行きも帰りも判らない。もしはぐれたら、さ迷い歩く内に水筒の水が無くなり、飢えるより先に乾いて死ぬだろう。  ――それは、イヤだなあ。  座り込みたくなる衝動を必死で押さえ、カリムは歩き続ける。  ……実のところ、彼等ホラズムの民は(次男以下ですら)それほど自らの境遇を嘆いていなかった。  やはり、食える、ということが大きいだろう。(これを保証されているだけでも、邦國最貧国の民より遥かに恵まれている!)  女は兎も角、男は次男以下でも軍に入れば食えるのだ。  それに、必ずしも戦死する訳でもない。  そもそも、長男長女とてちょっと大きな怪我や病気をすれば、死ぬ。  特に女は、出産時に死ぬ可能性が少なくない。だから、死ぬ年齢に(統計上は)大きな差が無い。  『ならば、“可能性”のある軍も悪くない』――そう考える者だって、少なからず出てくるのだ。  無論、これはあくまで男達の視点である。  売られていく女達には、また別の見解があるだろう。  が、悲しいことに、まだ幼い内に消えていく彼女達にその不当を訴える手段は無い。  国外へと売られる訳だから、男達もその末路を実際見ている訳ではない……  その身の不幸に気付ける程、ホラズム人は物を知っていなかった。余りに、無学過ぎた。  そして何より、人とは“慣れる”生き物だった。  故に、ホラズムの民は己の不幸に気付く事が出来なかったのである。 ――――“帝國”大陸鉄道臨時停車駅。  クンドゥズ土侯国まで7日、  国境まで2日、  更に歩くこと5日――都合丸2週間の行軍で、ようやくカリムは“帝國”大陸鉄道の駅舎へと辿り着いた。  ここで最後の一泊、汽車を待つ。 「へえ〜立派な石を使ってるなあ〜〜」  ……石ではない、コンクリートだ。  就寝前の自由時間、カリムは仲間達と共に駅舎を散策していた。  ……駅といっても荒野の真っ只中にある臨時停車駅なので、無人の粗末なものだ。  が、ホラズム人から見れば、中々に立派な建物である。  久しぶりに目にする人工の建造物ということもあり、カリムにはまるで御殿の様に見えた。 「汽車は明日何時来るの?」 「昼前の10時に来るらしい」 「そうか……楽しみだなあ」  ホラズムには竜以外の輸送手段が存在しない。  そしてその竜ですら、限られた機会にしか利用できない貴重なものだった。(カリムなど片手で数えられる程だ)  故に、汽車にのれる、と聞いて少し……いやかなりワクワクしていたのである。 「……お前、暢気だなあ」 「そうだ、深刻な問題があるんだぞ! ……いやそりゃあ、汽車に乗れるのは楽しみだが」 「と、いうと?」  仲間の言葉に、首を捻る。  汽車に乗れるし、もう当分歩かないで良いし、いいこと尽くしではないか。 「カリム……いいか、その足りない頭でよく考えろ。これから汽車で何日も旅をするんだぞ、何日も」 「車内じゃあ、どう考えたって温食の支給はない。 ……まだ当分、冷たい乾パン尽くしだ」 「うへえ!」  ……もう丸二週間、乾パン尽くしである。  それがまだ続くと聞き、カリムもうんざり顔になる。  が、何か思いついた様な表情をし、口を開いた。 「……あ、でも“帝國”が支給するんだろ?もしかしたら、氷砂糖が入ってるかもしれないよ?」  何といっても、あの“帝國”だ。それ位してくれだろう。  もしかしたら、干肉だって期待できるかもしれない。  が、仲間達はそれを聞き、呆れた様に首を振った。 「本っ当に馬鹿だなあ……金持ちほど吝嗇なんだよ」 「金持ちになれば財布の紐を締める。締めるからまた貯まってもっと金持ちになる……それが真実さ」 「そう……なのかな?」 「そうさ!クンドゥズ見りゃあ、判るだろう?」 「……そうだね」  納得し、カリムは肩を落とした。  ボオオオオーーーー!  汽車は、翌日の10時ジャストに駅に滑り込んだ。  その巨大な鉄の塊に、新兵達は皆圧倒される。(あの巨大な黒い鉄塊が向かってくる威圧感!)  そして何より―― 「凄え…本当に時間通りやってきたぜ……」  その正確さに驚かされる。  コイツ、何百kmも向こうから来たのだろう?なのに……  軍隊で多少矯正されるものの、ホラズム人の時間感覚はかなり大雑把だ。(それはそうだろう。何せ時計すらロクに無いし、また必要も無い生活なのだから)  それ故に、針が10時を指した同時に停車する、という“芸”に驚愕したのである。  ……尤も、“帝國”大陸鉄道の機械の如き精密なダイヤは、その偉容と並んで全世界のアルフェイム人の驚嘆の的だったが。  彼等を運ぶべくやって来た汽車は、帝國大陸鉄道のかつての主役、D62(*12)だ。  大陸貨物輸送の主力として昭和二〇〜五〇年代にかけて全世界で活躍したタイプである。  が、現在では流石に老朽化し、二線級以下……どころか稼動状態にある車両を探す方が難しい状況だった。  要するに、レア(或いはオンボロ)、ということだ。 ……まあそれが喜ぶべきことかどうかは判らぬが。  カリム達は整列し、貨車へと乗り込む。  貨車の前後には警戒車が連結され、鉄道警備隊が乗り込んでいた。  汽車が動き出して暫くすると、早めの昼食が配給された。  が、渡されたのは乾パンの袋ではなく、茶色い箱(*13)だった。  あちこちで疑問の声が上がる。 「何だ、これ?」  カリムとその仲間達もやはり首を捻る。  紙包みの乾パンにしては―― 「おい!缶詰が入ってるぞ!」  箱を開けた仲間が驚き、声を上げる。 「うそっ!? ……本当だ」  中には、大きさも様々な4つの缶詰。先割れスプーンやナプキン、醤油や塩といった調味料まで入っている。  これが昼食!?携行食の!? ……嘘、だろ……  彼等ホラズム兵にとり、携行食といえば乾パン以外に、ない。  ましてや缶詰など、記念行事のときに出される“ご馳走”だ。  恐る恐る、缶を空ける。 「こりゃあ……」  絶句する。  一番大きな缶詰には、具がたっぷりと入った麦粥。  2番目の大きさの缶詰には、乾パンと氷砂糖。  3番目の大きさの缶詰には、果汁ジュース。  一番小さな缶詰には、コーンビーフ。 「……凄いや」  これはもう“旨い”ではない、“凄い”である。  麦粥を一口啜り、カリムは目を丸くした。  具は豆や野菜だけでなく、肉までゴロゴロと入っている。  今まで食べてきた麦粥とは異なり、全ての材料が贅沢に使われているそれは濃厚な味わいで、しかもよく腹にたまる。  今度は乾パンに噛り付くと、今度は芳醇な甘みが口の中に広がっていく。 ……コーンビーフに至っては言葉も出ない。凄い、凄過ぎる。  カリムは夢中で食べた。  腹がくちくなると、背嚢に寄り掛かり目を閉じる。(彼等には一人半畳のスペースが与えられている)  そして、ふと思いだした。  『“ボトムズ”が……(*14)』  食糧配給時に現れた、獣化した獣人兵達を引き連れた将校は、確かそう言った。  そして、獣人兵達と“笑って”いた。  ……あれは、どういう意味だろう?  初めての経験に、カリムは首を捻る。  その言葉の意味も、彼等の態度も、全く理解できなかった。  が、それはかつて彼の、いや彼等の先祖が散々受けた仕打ちだった。  かつて、彼等流民は人と見做されず、獣の様に扱われていた。地元民に嬲り殺されることすら珍しくなかった。  が、“帝國”の世となってからはホラズムに隔離され、良くも悪くも外界から隔離された。  それから、早50年。  今まで外界から他者がいないから、面と向かって差別されたことはない。  配給があるから、ある程度働けば少なくとも飢えて死ぬ心配は無い。  ある意味、彼等は“温室”にいたのである。  それ故に、その底知れぬ悪意に気付くことが無かったのだ。  ……少なくとも、今はまだ。 *1 ――――“列強の興亡”――――  皇紀1700年から2700年までのアルフェイム世界における経済の変遷と軍事闘争を記した歴史書。2687年に発売され、世界的なベストセラーとなった。  著者はフォール・ボネー氏。同氏はロッシェル王国出身で、現在は大阪帝國大学歴史学部教授・同大学国際安全保障研究所所長である。(専門は軍事史、外交史) *2 ――――『土侯国とは邦國中最下位の格である。国主は王位を許されず、“帝國”爵位も大騎士爵か騎士爵に過ぎない。』――――  邦國は、その殆ど全てが君主制である。  “帝國”はこれ等の諸国を厳密に格付し、その待遇に様々な差を設けていた。 (これは邦國諸国を懐柔・分断する上で、大きな効力を発揮した)  邦國の階梯は大きく分けて王国と土侯国の二つに大別される。  うち王国は公王国/侯王国/伯王国/正卿王国/副卿王国の五つに、  土侯国も土侯国/土侯領の二つに分けられ、明確に区別されていた。 (同位の邦同士においてすら、様々な格差が存在する)  なお、ホラズム土侯は騎士爵であるため、正確には土侯国ではなく土侯領(クナル土侯“領”、ホラズム土侯“領”連合)とするのが正しい。  が、本文中では広義の意味で土侯“国”とした。 *3 ――――『故に各地の流民達のうち大勢力のものを強引にかき集め、ホラズムに入植させてホラズム土侯国連合を建国した。』――――  “流民”と一括りに呼ばれているが、その構成は様々――それこそ民族も出自も――である。  共通項といえば、血族集団ということ位だろうか?(彼等は基本的に他人を信用しないので、血の繋がりによりその結束を保っている)  規模もまた同様で、数家族程度の集団から数百数千人規模の流民集団まで大小様々だ。(とはいえ大規模な流民集団は移動……というよりも存在すること自体が困難を極めるため、多くは数家族単位に分かれて生活している)  彼等は独自の社会を持ち、幾つもの小集団を束ねる族長や大族長が存在する。    “帝國”は彼等大族長達と話をつけ、流民をホラズムへと追放した。  ……が、数百人以下の小規模勢力はそのままとされた。  『きりがない』ということもあるが、やはりある程度の数の被差別者は統治上、存在した方が色々都合が良かったのであろう。 *4 ――――『ホラズムという牢獄に流民達を押し込め、かつ分断し互いに監視させる――転移から十余年、“帝國”もようやく大国の流儀を会得しつつあったのである。』――――  近年の研究では、ダークエルフであるゴドウィン・サドラー統合陸軍中将(当時)が指導的役割を果たした、とする説が有力である。 *5 ――――税――――  いわゆる“朝貢”。全ての邦國は、そのGDPの5%相当を本国に納める義務がある。 *6 ――――援助――――  援助の内訳は、以下の通り。 ・食糧:10,000万圓相当(輸送費等の経費1,000万圓を含む)  “帝國”本国政府はホラズムに対し、穀物(麦・豆・玉蜀黍)・植物油・塩等の食料を年に約30万t支給している。  (これだけでホラズムの全国民が一人当たり1500kcal分の栄養価――要は基礎代謝分――を得られる計算だ) ・食糧以外の物資:2,000万圓相当(輸送費等の経費を含む)  ホラズムにはいかなる工業も存在せず、医薬品や井戸の配管――深い井戸を掘らねば水が得られない――といった必要不可欠な物資はもとより、鉛筆・ノ−トといった日用品ですら外部より取り寄せねばならない。 ・軍事物資:2,000万圓相当(輸送費等の経費を含む)  ホラズム軍の武器は勿論、およそあらゆる装備は“帝國”本国からの支給品である。 ・現金:1,000万圓  以上、15,000万圓相当にも上る。(国外に派兵している軍の経費も含めれば、軽く20,000万圓を超えるだろう)  ……が、当然のことながら、この物資は平等に行き渡っていない。  物資の分配は12理事国が担当しているが、全人口の一割に過ぎぬ彼等が1/3の物資を独占し、他の九割には残る2/3しか渡さないからである。  こうして不当に得た物資のうち余剰分は横流し(換金)され、理事国の懐に入ってしまう。  このため、理事国国民と非理事国国民の配給内容には大きな差があった。  例:食糧配給(一人一日あたり)    配給規定(約1,500kcal)     黒麦  150g *他の穀類で代用される場合も多い。     黒麦粉 150g *他の穀類で代用される場合も多い。     豆    40g *他の豆類で代用される場合も多い。     配合粉  40g *玉蜀黍・大豆の混合粉。     植物油  20g     塩    5g    非理事国国民(約1,000kcal+)     黒麦  100g *他の穀類で代用される場合も多い。     黒麦粉 100g *他の穀類で代用される場合も多い。     豆    30g *他の豆類で代用される場合も多い。     配合粉  30g *玉蜀黍・大豆の混合粉。     植物油  15g     塩    5g    理事国国民(約2,000kcal+)     黒麦  200g *他の穀類で代用される場合も多い。     黒麦粉 200g *他の穀類で代用される場合も多い。     豆    60g *他の豆類で代用される場合も多い。     配合粉  60g *玉蜀黍・大豆の混合粉。     植物油  30g     塩    5g  理事国国民には連合政府からの上記配給の他に、所属土侯より10銭/日相当の追加配給がある。  一見小額に見えるが、鶏1羽が2圓程という事実を考えれば、決して小額とは言えないだろう。  この状況を“帝國”政府は把握していたが、許容範囲として黙認し続けていた。 (とはいえ、これ以上悪化すれば流石に動くだろう。理事国もそれを熟知しているからこそ、「この程度」で済んでいるのだ) *7 ――――『その額、平成一〇年代でおよそ年15,000万圓相当。』――――  ホラズム土侯国連合の国力は、平成一九年末現在でおよそ――    人口  2,000,000人    面積   100,000ku    GDP   20,000万圓  ――となっている。(援助額がGDPに匹敵する!)  ただしGDPに関しては推測部分が多く、正確とは言い難い。  というのも、ホラズムの民はいかなる工業も持たず、ほぼ全員が牧畜或いは農業を営んでいるのだが、  農業は、家庭菜園レベル、  牧畜は、痩せた鶏が数羽、  といった事例が大半で、援助物資で足りない部分を補う程度でしかないのである。  当然、生活は自給自足か村内での物々交換となり、市場は各土侯国に一つ……それも多くて月に数回しか開かれない。  故に、計算は非常に困難となる。 (なお、“有力産業”として阿片栽培が囁かれているが、確認できないため未算入とした)  また、人口に関しては「今までホラズムに送り込んだ数の累計」を計上したが、特に大きな問題は無いと思われる。 (“帝國”は「今までホラズムに送り込んだ数の累計」分の援助しか行わないため、せいぜい±10%の誤差だろう) *8 ――――『家族……そして村の一族。』――――  各土侯国は、それぞれ一つの流民集団を母体として誕生した。故に*2で述べた通り、国そのものが一つの血族集団となっている。  ましてや村ともなれば、皆が近い親戚のようなもの、と言える。 *9 ――――『ホラズム土侯国連合の国軍兵力は、およそ10万人。』――――  この他に親衛隊2万人が存在する。 (親衛隊は12理事国出身者からなる理事国の私兵に過ぎないが、その装備と待遇は国軍よりも上) *10 ――――カリム・サラン――――  出身村と同じ姓であるが、別に村長(族長)の家の出という訳ではない。  単に村の全員がサラン姓というだけの話で、『サラン村のカリム』といった程度の意味だ。 *11 ――――『故に、出国するには12ある国道の内、何れかを利用しなければならなかった。』――――  他のルートも無くは無いが、全て荷車の使用すら不可能な道なき道である。  加えて途中の補給も見込めず、必然的に水や食糧を始めとする全ての物資を背負っての踏破となる。実質不可能と同義語だろう。  ……まあそれ以前に、必須たる地図が手に入らない――ホラズムの地図は一般人には手に入らない――だろうが。 (仮に手に入ってもホラズム人の場合、その大半は文盲で地図どころか文字すら読めない) *12 ――――D62――――  転移後、D51を上回る性能と生産性を確保すべく開発された本国用のD52を、大陸広軌(1575o)に合わせて拡大改良した“化け物”。  その大牽引力を最大限に活かし、大陸における物資輸送に活躍した。 *13 ――――茶色い箱――――  携行用の軍用糧食、その一食分である。(ただ“帝國”軍の糧食は現在、より簡便なレトルトパウチが主流になりつつあるため、少し古い生産年のものと推測される)  文盲のカリムには判らなかったが、箱には様々な文が印記されていた。その中に「第五区地域用」なる一文があった。  これは帝國領全域を区分した内、五番目の区に住む住民用、という意味である。  様々な種族・人種を抱える“帝國”は、食事一つとっても様々な工夫を必要としていたのだ。 *14 ――――『“ボトムズ”が……』――――  ホラズムをもじった、ホラズム人に対する侮蔑語。  「最下層共」「最低(ボトム)の野郎共」といった意味だろうか。  単語から察するに、“帝國”人が広めたと思われる。 (一説では、人とすら見做していない、とすらある) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【中編】  ――北海から南海まで、世界を縦断する鉄のカーテンが降ろされた。その東側は、全て“帝國”の敵国または潜在的な敵国である。(第43代“帝國”宰相 吉田茂)  ホラズム近郊の臨時停車駅から7日、汽車は終着点であるラーワルに到着した。  そこから、更にトラックで1日、東部戦線に最も近い町の一つ、ビンディへと到着する。  ここから先は、徒歩だ。 「ん〜〜!」  歩きながら、カリムは大きく背伸びする。  今まで何日も狭い場所で揺られていたこともあり、手足を思いっきり伸ばせるのが心底、心地良い。  ――これで重い荷物がなければ、最高なんだけどなあ……  幾ら慣れた重みとはいえ、キツイことに変わりは無い。(銃に個人装具を合わせれば、優に30sを超える!)  ついでに食糧が従来の乾パン袋から“帝國”軍配給の缶詰に変更されているため、余計に重い。  ――それに、少し飽きてきたしね……  既に“帝國”の配給缶詰も8日間……優に20回以上食している。  いい加減、慣れた。飽きた。  が、かといってホラズム軍支給の乾パンが恋しい訳ではまったくない。(アレは“不味い”だけだ)  要は、口が奢り始めている、ということなのだろう。  人間とはつくづく現金なもの、慣れの生き物だった。 ――――“東部戦線”カラート地方、ホラズム軍第307小銃大隊。  ホラズム軍は総兵力10万人。その全員が、国内なら国軍司令部か12個軍管区の何れかに、国外ならば東方派遣軍に所属している。  うち東方派遣軍は所謂“東部戦線”に派遣されている外征軍で、4個軍団16個旅団7万人からなる。(*1)  ちなみに各旅団は5〜6個小銃大隊編成で、計88個小銃大隊を保有している。(ホラズム軍の保有する小銃大隊が全部で100個だから、その大半を供出している計算だ)  これ等の小銃大隊(*2)は“帝國”軍の指揮の下、その全てが最前線各地に貼り付けられていた。 「おお!カリムじゃあないか!」 「ハシムおじさ……軍曹殿!」  懐かしい人物の姿にカリムは喜びの声を上げかけ、慌てて敬礼した。  敬礼された人物は笑いながら、敬礼を返す。   「ははは、すっかりいっちょう前の兵隊じゃあないか」 「は、ありがたとうございます!」 「構わん構わん、甥っ子との久方振りの再会だ、普通にやれ!」  そういって笑う軍曹は、カリムの叔父ハシムだった。  言葉に甘え、カリムは口調を変える。 「嬉しいなあ、叔父さんと一緒の大隊なんて!」 「それどころか、同じ中隊さ」 「信じられない!」  カリムは目を丸くする。  若くして軍曹となったハシムは村の英雄、カリムの憧れだった。  そんな叔父と同じ中隊とは、これが喜ばずにいられようか!  ……が、そんな無邪気な感情とはまた別に、胸の奥で打算が働いていることも事実だった。  ――良かった。  軍曹が叔父ともなれば、ここでは虐められないだろう。  それこそが、何よりの喜びだった。 「……そういえば、叔父さん?」 「何だ?」 「“ボトムズ”って何?」 「……どこで、聞いた?」 「ここに来る時、乗った汽車で。鉄道警備隊の将校がそう言って、部下の獣人達と笑ってた」 「鉄道警備隊ってことは、帝國人かダークエルフか……」 「ダークエルフじゃあなかったよ」  幾らなんでも、ダークエルフの区別位は付く。  カリムは、あの時の光景を思い出した。  ……あの時は巨大な獣人に目を丸くし、同時に将校の背の高さにも驚いたものだ。  獣人が大きいのは、判る。 ……だって獣人だし。  けど、同じ人間族の将校もカリムより……いや、カリム達ホラズム人より頭一つ分近く大きかった。  これは、驚きだった。  ――でも、あの将校が特別じゃあなかったんだよね……  ここに来るまでの旅で、それを痛感した。  確かにあの将校も背が高かったのだろうが、それ以上に『自分達ホラズム人が小さかった』のである。(*3)  そんなとりとめもないことを考えていたカリムだったが、ふと叔父が険しい表情をしていることに気付いた。  ……何をそんなに怒っているのだろう? 「叔父さん?」 「いいかカリム、よく聞け」 「?」 「それは俺達を侮辱する、“帝國”人が作った言葉だ」 「“帝國”人が?」 「お前も知ってるだろうが、俺達は元を正せば流民だ。 ……流民といやあ、“外”じゃあ人とは認められない。路地裏で叩き殺されても文句の一つも言えないんだよ(*4)」 「えっ!?」  カリムは驚き、慌てて肩の銃に手を当てた。  その身長に不釣合いな程、長い銃。  ……その重みが、彼を落ち着かせる。 「まあ、俺達はもう流民じゃあないから、そんなことにはならないがな」  何より集団で武装していることが、それを防いでいる。 「“帝國”のお陰だね」  “帝國”が自分達をホラズムに送ったのはそういう訳だったのか、とカリムは納得する。  が、その言葉を聞いたハシムは鼻で哂った。 「ハッ! “帝國”のお陰、お陰ね……確かにその通りだわな……」 「だって、守ってくれたんだろう?食べ物だってくれるし……」 「“帝國”人は、単に“差別できる国”を作りたかっただけさ」  流民は身分制度の最底辺に位置し、誰からも差別される存在だ。  少数の差別できる相手は、平民共の不満のガス抜きには丁度良い相手だろう。  ……これを“帝國”は国レベルに拡大した。  最底辺に位置する、どの邦國からも差別される存在。不満のガス抜き相手――  無論、増えすぎた流民の厄介払い、という意味もあっただろう。もしかしたら、僅かな善意すらあったかもしれない。  が、“そう”考えなかった、とは言わせない。 「俺達がここにいるのも、これ以上増え過ぎないように、だよ。俺達は殺されるために……少しでも“帝國”の役に立ちつつ殺されるために、国外に引き摺り出されたのさ」 「じ、じゃあ僕は、死ぬ……殺されるの?」 「……そこが“帝國”の上手いところさ」  ホラズム兵は隔離されている。故に、逃げても百のうち九九は失敗するだろう。  運良く成功したとしても、そこは右も左も判らぬ異国の地……結局は『見つかって射殺される』か『野垂れ死ぬ』かの違いに過ぎない。  が、ここに居続ければ、生き残れる可能性がある。必ずしも戦死する訳ではないのだ。  ……そして何より、“肉”が喰える。 「一度肉を、贅沢の味を知っちまえば、もう元には戻れねえ。ホラズムにも帰れねえよ……年季明けてもここに居続けるしかねえのさ……死ぬその日までな…………」  “帝國”は国外に展開するホラズム兵に、食事の他にも酒・煙草・菓子といった嗜好品を配給している。  “帝國”の基準からすれば大したことは無いだろうが、それはホラズム兵の食生活を、舌を一変させるには十分だった。  ……故郷では考えられぬ贅沢な食生活に、彼等の口はすっかり奢ってしまった。  もう、故郷の粗末な食事には耐えられないだろう。 「あ……」  それはカリムも同様だった。  僅か10日間程の“帝國”食で、もう自分はホラズムの食事を“不味い”と思っている! 「俺達は、“帝國”の家畜なのさ」  自嘲気味に、ハシムは哂った。  『“帝國”の家畜』――それは、訓練期間中の虐め云々などというレベルの話ではなかった。  無論、叔父の言葉がどこまで真実かは判らない。(何しろ話が大き過ぎる)  だが、だが――それならば、納得できたのだ。  鉄道警備隊の将兵の哂いの意味も、  通り過ぎる人々の表情も、全て。  『自分達は、“人”ではない』  カリムの世界が、崩れ始めた瞬間だった。  現在の“帝國”軍は、そのレーゾンデートルを外征から防衛に移して久しい。  空を見上げれば、月連合王国に対する防宙・防空。  海に目を向ければ、敵性国家や海賊、海中に潜む魔海獣等に対するシーレーン防衛。  陸に目を向ければ、邦國間紛争や反乱の防止と領域内の安定。  何れも日夜ドンパチやっている訳ではないが、それでもその抑止能力こそが“帝國”の安定と繁栄を支えている、と言っても過言では無いだろう。  抜かずとも、守る――これこそが軍の本懐である。  建軍100余年にして、“帝國”軍はようやくあるべき姿、その一つを身に着つつあったのだ。  ……もう一つのあるべき姿に関しては、未だ手付かずのままったが。(*5)  とはいえ、“帝國”軍は本来、外征軍である。  かつて朝鮮で、満州で、支那で――“帝國”軍は常に国外で戦ってきた。  その熱きDNAは、簡単に消えるものではない。  “帝國”世論も、それを良しとする。(何せ、『常に敵地で戦う』ことが讃えられるお国柄だ)  故に“帝國”軍は、現在も唯一残されたフロンティア――東方――に向かい、ゆっくりと……だが確実にその領域を拡大しつつあった。(*6)  所謂、“東部戦線”である。  “東部戦線”は世界最大の大陸(*7)を南北に縦断する大戦線だ。  が、この全ての戦線で、ましてや常に激しい戦闘が繰り広げてられている訳ではない。  むしろ、戦闘が行われている地域など極限られた狭い範囲に過ぎなかった。  ……そして、毎日戦っている訳でも無い。  はっきりと言ってしまえば、極限られた地域で散発的な小競り合いが繰り返されている、というのが東部戦線の実態だった。  そもそも、“帝國”本国軍は陸海空合わせても高々300万に満たない。  ましてや、その本分は上で挙げた様に“防衛”である。とてもではないが、東部戦線のみを相手にしている余裕などない。  加えて、本国軍を大規模に運用すれば膨大な出費となる。装備の開発や調達に大きな支障をきたすことは避けられないだろう。(これは“東”にも言えることだ)  ……そうなれば、“長老達”が黙っていない。  故に本国軍が、ましてや大規模投入されるなど、余程のことが無い限りあり得なかった。(せいぜい旅団級部隊が、偶に思い出した様に前進する程度だ)  そんな本国軍の代わりに配備されていたのが、邦國軍である。  邦國軍は、基本的には武装警察或いは治安軍レベルの軍事組織に過ぎない。攻撃防衛を問わず、戦争は本国軍の担当なのだ。  故に、近隣で紛争が起こっている場合を除き、一般の邦國軍が動員されることはまず無い。  ……が、同時に“帝國”の広大な領域全てを本国軍だけでカバーすることは、物理的に不可能だった。  余程の戦線・地域を除き部隊を常駐させず、機動運用をデフォルトとしているが、それでもなお絶対数が不足しているのが現状だ。  故に補助戦力として、一部の邦國軍が活用されていた。  無論、ホラズム軍もその一つである。  彼等は邦國軍中で最も危険な地域を担当し、夥しい血を流し続けていた。 ――――“東部戦線”カラート地方、ホラズム軍第307小銃大隊第3中隊駐屯地。  人型の獣が3体、こちらに向かって駆けてくる。  獣人、ではない。その姿は禍々しく、まるで絵物語に出てくる悪魔の用だ。 「魔獣兵だ!」  その姿を見て、ホラズム兵達は悲鳴を上げた。  魔獣兵――獣人を上回るパワーとスピード、そして“防御力”を兼ね備えた“東”の化け物である。  それが、3体。数から考えてただの“嫌がらせ”だろうが、やられる方にとってはたまらない。恐怖で銃を持つ手が震える。 「撃ち方用意!」  中隊長の号令で、中隊は一斉に銃を構える。  ……前方警戒線の哨兵班が連絡を絶った時点で、準備に抜かりは無い。  100挺を遥かに超える数の小銃が、魔獣兵へと向けられる。  そして、距離500mを切った時点で射撃を開始した。(*8) 「撃ち方始め!」  ダーン! ダーン! ダーン!  全小銃が火を噴いた。  ホラズム軍の小銃は“試製一〇式小銃”。九九式長小銃をべースに発展したボルトアクション式の軍用ライフルである。  同銃は九九式実包は無論、重機用の九二式実包も発射可能なハイパワー小銃だ。  これは主に人以外の相手――主に戦竜の突撃阻止――を意識した為だったが、その代償として重く、反動の強い銃となってしまった。(*9)  ……所詮、『戦竜の突撃を小銃のみで阻止しよう』という考えそのものに問題があったのだ。  それ故、制式化されることはなかったのだが、その威力故に対中大型獣用の猟銃としての重要が生じ、(一部使用変更されたものの)商用べースで生き残った。  ホラズム軍が装備していたのは、この商用べースに修正――命中精度を高める為に二脚を追加する等――を加えたものだった。  同軍は実質的に小銃しか装備していない。(*10)  だからこそ、高威力の同小銃が採用されたのである。  ダーン! ダーン! ダーン!  ホラズム軍の小銃から放つ7.7o弾は、距離500mでも最大6mmの防弾鋼を撃ち抜くことが出来る。  無論、これは徹甲弾の話だが、普通弾でも4oはいくだろう。  ……ただの鉄板ではない、鋼板、である。  そして、この値は近づくにつれて増えるこそあれ、減ることはない。  距離350mで6mm、200mで8mm――  ホラズム兵と魔獣兵の、一騎討ちが始まった。  魔獣兵は、500mを30秒もかからず走り抜ける。  対するホラズム兵は、小銃を10秒に1発発射する。(*11)  1銃あたり2〜3発。  1個中隊の装備する小銃が約160挺。うち八割が参加するとして260〜390発……およそ300発以上の銃弾が、発射される計算だ。  魔獣兵は3体だから、1体あたり100発以上。半分が命中したとしても、50発が命中した計算である。  ……これではさしもの魔獣兵も堪らない。  魔獣兵の皮膚は、魔術により強化――防護結界の簡易版のようなもの――されている。  このため、高い強度と衝撃吸収能力を兼ね備えている。近距離からの7.7mm弾とて、弾き返せるだろう。  ……それが4〜5発程度ならば。  残念ながら、魔獣兵が受けた7.7mm弾はその程度では済まなかった。(ましてや連続的な命中だ)  まず、多数の銃弾が瞬間的に命中したことにより、凄まじい負荷が生じる。  元々、量産型魔獣兵の魔力出力は高くない。ましてや“廃棄”前の個体である、たちまち限界を超え、防護術式は弾け飛んだ。  無防備となった肉体に、銃弾が殺到する。  それでも巨象並のキャパシティーをもつその肉体は、何とか耐えようと試みた。  が、降り注ぐ銃弾の前に1体、また1体と力尽きていく。  結局、駐屯地に辿り着くことなく、全ての魔獣兵は倒された。     「連中、馬鹿だから助かるぜ……」  分隊を指揮するハシムは、そう言って哂った。  量産型の魔獣兵は、複雑な思考が出来ない。有体に言えば、馬鹿、だ。  故に、突撃といえば馬鹿正直な正面突破のみだ。  ……如何に高速で駆けようが、それでは話にならない。(せめて前進法を変えるだけでも大分違うのだが……)  が、決して油断の出来る相手ではないこともまた確かである。  今回は3体だったから簡単に撃退できたが、数がもう少し多ければ、阻止能力を超えていたかもしれない。  そして、1体でも懐に入り込まれてしまえば――  ホラズム軍の戦死傷者の数が、それを雄弁に物語っていた。 「ふう……」 「どうだ、カリム。初陣の感想は?」  地べたに座り込んだカリムを見て、ハシムは声をかけた。 「……あれが、僕らの敵ですか?」  あの姿、思い出しただけでも身震いする。  ……“アレ”は、この世に存在してよいものではない! 「ま、今の所はね」  ハシムは肩を竦めた。  量産型魔獣兵は頭が悪いので、どうしても目の前にいる敵に向かってしまう。  つまり、最前線のホラズム軍を無視出来ぬのだ。(だからこそ、ホラズム兵が配置されている。要は“鳴子”だ) 「……なんで少数で来るのですか?」  それがカリムの疑問だった。  あれが10だったら?20だったら?  ……恐らく、ロクでもないことになるだろう。  が、ハシムの言葉にカリムは耳を疑った。 「そりゃあ、連中も全然本気じゃあないからあ。単に廃棄期限が近づいたヤツを、有効利用しただけだよ」  量産型魔獣兵はその生成時に強引な成長を行っている為、寿命が短い。  故に、“東”の魔獣兵部隊は“処理”と称して廃棄が近づいた魔獣兵を西に向けて放つ。(“東”の言い分はあくまで“逃亡”、不幸な“事故”だ)  ……こいつらが万が一にでも町に進入すれば大惨事である。だからこそ、魔獣兵部隊が駐屯する前線には、ホラズム軍が配置されていたのだ。  この一連の過程で失う物は、“東”は廃棄間近の魔獣兵、“帝國”はホラズム兵に過ぎない。  多少穿った見方で言えば、『両者の利害は一致していた』のである。  箱を開けると、中には小銃弾がぎっしりと詰まっていた。  拳銃弾や手榴弾が詰まった箱もある。  頭から足元までフードで覆った正体不明の男は、それ等を一つ一つ慎重に鑑定する。  そして全ての鑑定を終えると、振り返って言った。 「全部でこれだけネ」 「……もう少し上げてくれよ。長い付き合いじゃないか」  男が指で示した金額を見て、ハシムは露骨に顔を顰めた。  実弾訓練や戦闘のドサクサに紛れて少しづつちょろまかし、貯めてきた装備である。もう少しその辺を汲んで欲しい、と主張する。  が、男は一考だにせずビジネスライクに首を振る。 「関係ないネ、これが相場ヨ」 「これなんて徹甲弾だぜ?普通弾よりもずっと強力だぞ?」 「……正直、手榴弾はまあいいとしても、小銃弾や拳銃弾なんて余ってるくらいネ。でも、長い付き合いだから買い取ってるのヨ?」 「ちっ!」  ハシムは忌々しそうに代金を受け取ると、その場で数え始めた。  ……しかもご丁寧に、“すかし”まで確認している。  が、その余りにあからさまな態度にもさした気にする様子も見せず、男はじっと数え終わるのを待つ。 「確かに」 「高く買って欲しければ、それ相応の物を持ってくるヨロシ」 「本当か?」 「私、嘘いわないヨ。 ……ま、無理だろうけどネ」 「へえ…… じゃあ、コイツなんてどうだ」  パチッ!  ハシムが指を鳴らすと、ホラズム兵が数人がかりで大きな箱を一つ運んできた。  訝しげに箱を開いた男は、中を見たとたん絶句する。 「……これはっ!?」 「“帝國”本国軍の対装甲弾だ」  それは、携行式の使い捨て軽対装甲弾、いわゆる“LAW”――Light Anti-Armor Weapon――だった。  重量こそ3sにも満たないが、最大1000mを飛翔し、強力な防護結界に守られた戦竜、厚い壁で守られたトーチカを粉砕する凶悪なまでの威力を秘めている。  ……そして、ホラズム軍には絶対に納入される筈の無い兵器でもある。 「……どうやって、手に入れタ?」 「町の軍倉庫から、ちょっとね」  この種の兵器は弾薬扱いだから、多少の誤魔化しは利く、とハシムは笑う。 「……無茶するネ」 「危険は承知さ!けど、カネが欲しいんだ! ――そういうそっちは、買う買わない、どっちだ?」 「負けたネ、買うヨ」 「そうこなくっちゃ!」 「……けど、ほとぼりが冷めるまで、暫く会わないネ」 「それは同感だ。俺も暫く“仕事”を休む」 「賢明ネ。あと、お金、今あるだけじゃあ足りないから、残りは後で払うヨ」 「……おいおい、『いつもニコニコ現金払い』がお前のモットーだろ?」 「仕方ないネ、あんな大物あるとは思わなかったヨ。でも大丈夫、私約束守る、きちんとあなたの口座に振り込むヨ」 「!? ……何故、俺の口座のことを知っている?」 「取引相手調べるの、当然ヨ。蛇の道は蛇、偽名使って隠してるみたいだったけど、すぐ判ったネ」  ま、ホラズム人は口座作れないから偽名でもしょうがないケド、と男は笑う。  が、ハシムは痛い所を突かれたのか厳しい顔だ。(手下のホラズム兵達も初耳らしく、顔を見合わせている)  ――おじさん、うそだろ……  目の前の光景に、カリムは呆然としていた。  ちょっと、手伝ってくれ――そう言われてハシムの子分達と共に荷を運んだのだが、まさかこんなことに……  ――おじさん、なんて顔してるんだよ……  金を数えるカリムの顔は脂ぎり、とても嫌だった。  ……そんな叔父は、知らない。叔父は賢く強い英雄で―― 「オ、新しい子分ネ?」  男がカリムを見て、今気付いた、とばかりに言った。 「ああ、俺の甥だ」 「おお!甥か!私、チャンね、よろしク」  男はカリムに近づき、手を持つとブンブン振る。  ……が、フードの下の顔を伺い知ることはできない。  声も作った様なくぐもり声だ。 「か、カリムです……」 「お近づきの印に、これあげるヨ」  そう言って、男はカリムに何本かの“紙巻煙草”を手渡した。 「僕、煙草吸えません」 「煙草、違うネ。もっといいものヨ」 「……煙草じゃあないんですか、これ?」 「もっともっといいもの、とても幸せになれるヨ」 「??? ありがとうございます」  とりあえずカリムは礼を言い、“紙巻煙草”をポケットに収めた。  …………  …………  …………  男が去った後、ハシムは子分達に札束を配り、最後にカリムの所にやって来た。 「どうだった、カリム?」 「……おじさん、これはどういうこと?」 「『どういうこと』って聞かれても、『見ての通り』としか答えられねえなあ」  ハシムはせせら笑う。  ……なんて、嫌な表情で笑うのだろう。  カリムは悲しそうな声で言葉を続ける。 「おじさん、村の英雄なのにどうして……」 「英雄?村の?はんっ!安っぽい英雄もあったもんだ。 ……それにな、その程度の名誉じゃあ腹は膨れねえんだよ、カリム」  目を吊り上げ、ドスの利いた声で話すハシム。  ……これが叔父の本当の姿なのだろうか?  だとしたら、とても悲しいことだ。とても、悲しい…… 「でもこれ、犯罪だよ……見つかったら……」 「見つからなきゃあ、犯罪は犯罪にならねえよ」 「…………」 「ま、仕方ねえよな。混乱してるんだろ?何も教えずに連れて来た俺も悪りいやな」  そう言って頭をかきつつ、ハシムは札束を一つカシムに手渡した。 「カリム、これが今日のお前の“取り分”だ。 ……ま、初めてだし小遣い程度だが、とっておけ」 「え……」  手に、ずっしりとした重みが加わった。  見ると、1圓札(*12)の束が握らされていた。 「こんなに……」 「景気づけに、これで女でも買えや!」  ガハハ!  目を丸くするハシムを見て、カリムは満足そうに笑った。 *1 ――――――――『うち東方派遣軍は所謂“東部戦線”に派遣されている外征軍で、4個軍団16個旅団7万人からなる。』――――――――  正確には68000名程。とはいえ、軍司令部も軍団司令部も旅団司令部も名目上の存在に過ぎず、いかなる指揮・支援能力も有していない。  というのも、兵站は“帝國”軍丸抱えの上、指揮下の大隊も全て“帝國”軍隷下のため、その必要が無いからである。 (まあそもそも、これだけの規模の軍を支えるにたる支援部隊を編成すること自体が、人的にも物的にも不可能だったが)  故に上記の高級司令部は全てお飾りであり、単なる名誉職と化していた。 *2 ――――――――小銃大隊――――――――  戦闘大隊の編制は、以下の通り。    小銃大隊     ┣━大隊本部     ┣━小銃中隊×4     ┃  ┣━中隊指揮班     ┃  ┗━小銃小隊×3     ┃     ┣━小隊指揮班     ┃     ┗━小銃分隊×4(小銃12)     ┗━大隊段列  定員は約750名。なお全員が徒歩であり、大隊段列が保有する僅かな荷竜が運ぶ一部物資の他は、全て兵が運ぶことになっている。 (少なくとも中隊長以上は騎竜することが標準であるアルフェイムの常識からすれば、『大隊全員が徒歩』というのは異様である) *3 ――――――――『確かにあの将校も背が高かったのだろうが、それ以上に『自分達ホラズム人が小さかった』のである。』――――――――  事実、ホラズム人は身長が低かった。(平均身長は成人男性でも150pほど)  これは獣肉や乳製品はおろか魚肉ですら殆ど摂らない(摂れない)食生活が大きく影響しているものと思われる。 (無論、険しい山道を重い荷を背負って歩く、といった生活環境も無視できないだろう) *4 ――――――――『……流民といやあ、“外”じゃあ人とは認められない。路地裏で叩き殺されても文句の一つも言えないんだよ』――――――――  悲しむべきことに、事実であった。  気の荒いものの中には、流民というだけで袋叩きにし、時には殺してしまう者も少なくなかったのである。  この場合、現地役人は大概見て見ぬ振りをした (とはいえ、圧倒的多数は理由も無く流民に手を出すことはない。単に忌避するだけだ) *5 ――――――――『……もう一つのあるべき姿に関しては、未だ手付かずのままったが。』――――――――  軍政期より遥かにマシとはいえ、平成の御世になっても未だ軍は無視できぬ政治力を有していた。 *6 ――――――――『故に“帝國”軍は、現在も唯一残されたフロンティア――東方――に向かい、ゆっくりと……だが確実にその領域を拡大しつつあった。』――――――――  無論、純粋な国防問題として、というよりも覇権的な意味合いの方が強い。  また対内・対外的な権益確保や戦術・兵器の実験場といった面も否定できないだろう。  ……とはいえ今の所、“東”も“帝國”も全面戦争を行う気は更々無かった。 *7 ――――――――世界最大の大陸――――――――  西は中央世界東部から東は極東の清華まで、という文句なしに世界最大の大陸である。  余りに大きすぎ、複数の大陸に分けて呼ばれている程だ。(規模は違うが、地球世界のユーラシア大陸のようなもの) *8 ――――――――『そして、距離500mを切った時点で射撃を開始した。』――――――――  中隊は駐屯地周辺の森林を伐採、良好な視界を確保している。その上、100m毎に標識を設置し、射撃精度の向上に努めていた。 *9 ――――――――『これは主に人以外の相手――主に戦竜の突撃阻止――を意識した為だったが、その代償として重く、反動の強い銃となってしまった。』――――――――  とはいえ、地球世界の他の小銃と比較すれば、別に重量も反動も突出している訳ではない。単に“帝國”陸軍がその内情故に、こだわり過ぎていただけだ。 (長銃身のため、九九式実包使用時にはむしろ九九式短小銃よりも反動が少ないくらいだった) *10 ――――――――『同軍は実質的に小銃しか装備していない。』――――――――  ホラズム軍の武装は、将校が拳銃(携行弾数10)及びサーベル、下士官兵が小銃(携行弾数60)及び銃剣である。  これ以外の如何なる銃砲も、“帝國”軍は支給していない。(ちなみに手榴弾は支給しているが、弾薬扱い)  なお、ホラズム軍の弾薬定数(一会戦分)は、拳銃弾20発/小銃弾150発/手榴弾10発とされていた。 *11 ――――――――『対するホラズム兵は、小銃を10秒に1発発射する。』――――――――  あくまで「よく狙って」の数値。(ただ撃つだけならば、1分間に10発程撃てるだろう)  が、弾数が限られているホラズム軍にとり命中精度は何より重視すべきものであり、これ以上の数値は事実上あり得なかった。 (実のところ、同小銃は如何考えてもホラズム兵の体格にあっていなかった) *12 ――――――――1圓札――――――――  “帝國”中央銀行が本国以外の地域用に発行した紙幣。(無論、本国でも使用可能)  本国では、1圓といえば硬貨であり、紙幣は5圓からである。  が、本国以外では1圓といえどもそれなりの使いでがあるため、紙幣として発行している。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【後編】    町に住む男が新しい猟銃を手に入れた。    男は銃の試射を行うべく、野良犬を探しに町を出た。    野良犬が見つからなかったので、代わりに流民を撃った。    そこを通りがかった警官が、怒って言った。    『こら!道にゴミを捨てていくな!』    男は慌てて死体をゴミ箱に投げ捨てたとさ。                ――――ロッシェル侯王国のジョーク。  ――どうしよう……  ハシムと別れた後、カリムは一人途方に暮れていた。  その懐には、今まで見たことも無い大金が唸っている。  1圓札が100枚――これだけあれば、ホラズムなら山羊を1頭買ってお釣りがくる。(交渉次第では、“つがい”だって買えるかもしれない)  本当なら、喜び勇んで故郷の家族に渡したいところだ。が――  ――これは、“汚い”金だ。  犯罪で得た、不当な金。持っていたら、きっと不幸になるだろう。  それを思えば、家族に渡すわけには、巻き込む訳にはいかなかった。 『家族!? ……お前、馬鹿か?』  ふと、叔父の言葉が思い出された。  自分が戦地手当(*1)を使わず、故郷の家族の為に貯金していることを知った時の言葉だ。 『奴等はな、ただ長男長女に生まれたというだけの理由で、俺達次男次女以下の犠牲の上に胡坐をかいて、のうのうと暮らして恥じぬ屑共だ!  ――そんな奴等に金だと!?カリム、目を覚ませ!お前の金はお前だけのもんだ!!』  その剣幕に、カリムは驚いてただただ頷くしかなかった。  ……が、考えてみれば、叔父は碌に村に帰ってきたことがない。  本来ならば、大威張りで帰ってきても良い筈なのに、である。  そして、もう30を過ぎているというのに、未だに妻すら持とうとしない。  ――ああ、そうか……  カリムはやっと気付いた。  叔父は家族を、いや村そのものを嫌っているのだ。  ――うん、おじさんの気持ちもわかるよ。でも、やっぱり僕は……  カリムも昔のカリムではない。  軍に入り、国を出て、様々な経験をした。  でも、だからこそ信じていたいのだ。  血の繋がった、一緒に暮らしてきた家族だけは。  それだけが、もはやカリムにとって唯一の寄りどころなのだから。 「兵隊さん!」  その声に振り向くと、一人の女が立っていた。  ……女性の年は良く判らぬが、20を一つ二つ越えた所だろうか?まだ若い女だ。  女はにっこり笑い、口を開く。 「近くで店やってるんだ、何か買ってかない?  サイダ−が瓶入り1本20銭、ビスケットが1箱25銭、他にも色々あるよ。  ご希望なら料理だって作るよ。一番人気はオムレツ、卵と肉をたっぷり使った、作りたての熱々が30銭!」(*2)  ……ああ、客引きだ。  町から遠く離れたこんな場所だが、駐屯するホラズム軍目当てに商売する者も、少なからず存在する。  歌や踊り、劇に曲芸といった娯楽を提供する者、  屋外食堂を開き、食事を提供する者  物品の売買を行う者、  部隊の雑用を引き受ける者、  ――等々様々だ。(上の複数兼ねる者も珍しくない)  が、そんな多種多様である筈の彼等にも唯一、共通点があった。  それは、『流民である』ということだ。 (或いは例外も存在するかもしれないが、圧倒的な少数派だろう)  勿論、彼女も流民に違いない。  でなければ、いくら商売とはいえ若い女が、“ボトムズ”相手に愛想を振り撒く筈が無い。 「……えっと、僕は二等兵ですよ?どうせなら、もっと偉い人を誘った方が――」  久しぶりに見る女性、その眩しさにカリムは思わず顔を俯け、否定的に答えた。  ……正直、まともに目を合わせられない。  が、女はカリムの反応に満足しつつ、更に近寄る。 「でも兵隊さん、大金持ってるでしょ?」 「え!?」  カリムは驚き、慌てて飛び退いた。  そして、警戒して女を見る。 「あははは、それじゃあ丸判りだよ。やっぱり持ってるんだ」 「何で……判ったの?」  笑う女、その様子に警戒を解いたカリムは、不思議そうに問うた。 「そりゃ、お金の匂いがしたからね」  どうということはない、とでも言う様に女は答えた。 「匂い?」 「う〜ん、何と言ったらいいか……  ま、お金に恋焦がれていると、判る様になるんだよ」 「そういう……ものなのかな?」  判ったような、判らないような……  カリムは首を捻る。  ……本当に世の中、不思議でいっぱいである。 「うん、そう! だ・か・ら……お願い♪」 「でも、食欲無いんだよね……」  カリムは首を振る。  正直、悩みでいっぱいいっぱいだ。 「ふ〜ん、食欲が無いんだ…… じゃ、“こっち”はどうかな?」  が、女は諦めず、今度はカリムにしなだれかかった。  その甘い“匂い”に、クラクラする。  女は耳元で囁いた。 「5圓で今日一日、私を好きにしていいよ」(*3) 「え゛」  カリムは目を丸くした。  それって…… 「高い?じゃあもう一人、私の妹もつけるわ。場所も露天じゃなくてテントの中――どう?」  カリムの反応の意味を勘違いした女は、条件を引き下げた。  そして、上目遣いで見る。  ……実は、ホラズム軍相手の商売の中で最も利益を上げていたのが、こういった“売春”だった。(何しろ元手がいらないのだから、丸儲けだ)  故に、こういった成り行きは、言わば必然と言えた。 「いい!いいよ!」  カリムは真っ赤になって首を振った。  ……正直、彼には刺激が強すぎたのだ。(それに、“初めて”が3人で、というのもイヤ過ぎる)  が、閃いた。  丁度いい……のではないだろうか? 「お金が欲しいのなら、あげるよ」  正直、カリムは懐の金を持て余していた。  使う度胸もなければ、捨てる勇気も無い。かと言って持っているのも気分が重い。  だから、渡りに船、だった。(いいことをした、とちょっぴり良い気分にもなれるし一石二鳥だ)  カリムは懐から札束を出すと、女に差し出した。 「これ、あげるよ。だから、暫くでいいから“そんなこと”止めなよ」 「…………」  が、女は沈黙し、微動だにしない。  カリムは女が驚いているのかと思い、更に言葉を重ね、札束を押し付けた。 「……どうしたの?泡銭だし、気にしないで」 「……ふざけんな」 「え?」 「ふざけんなって言ってるんだよ!このホラズムの乞食野郎がっ!!」  バシッ! 「!?」  思いがけぬ反応に、カリムは呆然と立ち尽くした。  打たれた手が、じんじんと痛む。 ……何故?お金が欲しいんじゃあないの? 「あたしたちはね、“あんた等”と違ってちゃあんと二本の足で立ってるのさ!」 「僕だって働いて……」 「は!“御主人様”から与えられた住処でぬくぬくと守られて、挙句日々のおまんままで貰ってるあんた等の、一体何処が『働いてる』っていうんだい!」  女の目は、憎悪に染まっていた。  もし相手がホラズム人でなければ、喜んで金を貰っていただろう。自尊心を投げ捨て、這い蹲ったに違いない。  ……が、女にも最後の一線があった。  それを、カリムは踏み越えたのだ。  流民達が最も憎む存在、それはカリム達ホラズム人だった。  ただ『大きい勢力だった』というだけで放浪の時を終え、安住の地を与えられた、逃げた“卑怯者”達。  対する自分達はと言えば――  ……“こんな”生活だ。  “帝國”という絶対者の出現により、国々の国境は確定され、交流も進んだ。  もうかつての様に、国境の不確定さを利用し、そこに住むことも出来なくなった。安全な住処を、奪われた。  排斥の大きい、より内側で暮らさざるを得なくなったのだ。  ……が、排斥はかつての比ではなかった。  数千人といった規模の大勢力群が姿を消し、残ったのは数十、数百人といった小集団のみ。絶対数も減った。  かつてその数と組織力によって警戒されつつも、それなりに手加減されていた状況が、一気に崩れたのである。  流民に対する風当たりは、一層激しくなっていた。  そんな場所で、流民達は暮らすことを余儀なくされたのだ。  戦争もなくなったため、稼ぎも大きく減った。  戦争になれば兵士達の財布も緩くなるし、何より火事場泥棒だって期待できる。  ハイリスクだがハイリターンの“稼ぎ時”でもあったのだ。  結果、流民達は一層困窮した。  このように、『“帝國”による平和』は定住民達に繁栄を与えたが、流民達にその恩恵は無かった。  昔は良かった――そう老人達が嘆くのを子守唄に、今の流民達は育ってきたのである。(*4)  ――それに引き換え、ホラズム人はどうだろう!  隔離された環境で、迫害を知らずぬくぬくと暮らしている。  食糧や生活必需品を与えられるため、日々の生活を気にする必要も無い。  ……何故、こんなにも違うのだろう?  食い物の恨みは恐ろしい。ことに、日々飢えと戦っている流民達のそれは恐ろしい。  彼等は、ホラズム人を心の奥底から憎み、妬んでいた。  ――そのホラズム人を、ここの流民達は生活の糧としているのである。  屈辱、と言ってよいだろう。  この女にしたところで、『生きるため』という諦観と『巻き上げてやっている』と腹で哂うことにより、何とか精神均衡を保っていたようなものだ。  ……それが、カリムの“施し”により崩れた。  一度崩れてしまうと、もう止まらない。  女はまるでカリムが全ホラズム人を代表しているかのように、激しく罵り続けた。  カリムは、それを呆然と聞くことしかできなかった。  女から逃げる様にして去った後、カリムはトボトボとあてもなく道を歩いていた。  そんな彼に、声をかける者があった。 「お、カリムじゃあないか?」 「分隊長殿!」  なんと、直属の上司である分隊長(伍長)だ。  カリムは慌てて敬礼する。  ……本来ならば声をかけられるよりも先に気付き、敬礼すべきところである。  が、分隊長はとくに気にした様子もない。  代わりに、ニヤニヤとカリムを見るのみだ。 「お前も、女を買いに来たのか?」 「い、いえ……」  先の光景を思い出し、カリムは口篭る。  ……それを見て、どうやら分隊長は勘違いした様だ。  バンバンとカリムの肩を叩く。 「隠すな隠すな! ……そういやお前、まだ童貞なんだって?」 「な、何故それを!? い、いえ…その、あの……」  しどろもどろに弁解するカリムを見て、分隊長は爆笑した。 「そんなの、見りゃあ判るさ! ――よし、俺が奢ってやろう!」  賭けで買って今日は懐が暖かいんだ、お前得したな、と分隊長は笑う。  ……正直、有難迷惑だった。  が、分隊長はカリムに目をかけてくれている。(まあ軍曹の中でも一目も二目も置かれているハシムの甥だから、ということが大きいだろうが)  故に、断る訳にはいかなかった。  カリムは『有難うございます』と頭を下げ、分隊長の後を付いて行くことにした。 「……ここは?」  漂ってくる嫌な臭いと、地獄の底から洩れてくる様な声に、カリムは思わず顔を顰めた。  が、分隊長は慣れている様で、全く気にしていないようだ。 ……どうやらかなりの常連らしい。 「“因業婆さん”の店さ」  分隊長が連れて行ったのは、流民のキャラバンではなかった。  より安く、かつ流民以外の女がいることを“売り”にした、売春の専門宿だ。  無論、安いからには理由がある。  この売春宿にいる女達は、実は全員“廃物利用”なのである。  要するに、普通の売春宿で使い物にならなくなった女達を、格安で買い取ったのだ。  ……当然、見た目は悪いし“しまり”も悪い。何より、色々と“危険”だ。  が、安い。流民以外の女が抱ける、というのも魅力的である。  それ故、利用者は少なく無かった。  この分隊長も、そんな一人の様だ。(むしろ“愛好者”と呼んで良いかもしれない) 「ま、流民女も悪くはねえが、俺は“こっち”の方がいいわな」  どんな相手であれ“外”の女を嬲れるのが堪らない。  今日は懐も暖かいから、“壊して”も構わねえや、と分隊長は暗く哂う。  ……どうやら、相当鬱屈したモノがあるらしい。  カリムは顔を背けたくなる気を抑え、曖昧に笑った。 「……いらっしゃい」  店の受付――と言っても露天に蓆を敷いて木箱を置いただけだが――には、主である老婆が座っていた。  が、この主、細長いパイプを拭かせつつ愛想の無い挨拶をするのみで、こちらを見ようともしない。 「おいおい客商売。客……それも常連客相手にそりゃあねえだろう?」 「はん……常連だからこそ、余計に必要ないんだよ。それに愛想も抜きだからこそ、“この値段”さ」  老婆がパイプで指し示した先には、『30分15銭、60分25銭、90分35銭』と書かれている。  ……確かに安い。いや、安過ぎる。 「違いない、か……」  分隊長は苦笑しつつ、くしゃくしゃの1圓札を放り投げた。 「俺とコイツ二人、90分で入る。釣りはいらんからその分マシなの回してくれや。  ああ、俺はいつも通り“外”の女、コイツは何でもいいからマシなヤツを」 「ほう、景気がいいねえ…じゃああっちの二つにお入り……」  老婆は砂時計を引っくり返すと、二つの“部屋”を指し示した。 「ふむ。カリム、じゃあ俺はいくぞ? ……あとこれだけは言っておくが――」  分隊長はカリムに小箱を手渡し、真剣な口調で耳元に囁いた。 「やる時は絶対にコイツを使え、あと決して接吻もするな。 ……何なら、布袋被せちまえ。顔も見えないから一石二鳥だ」 「? ……はい」  訳が判らないまま、カリムは頷いた。  カリムは“部屋”の前で立ち止まった。  そして、しげしげと見る。  部屋と言っても、蓆で作った一畳程の小さな小さなテントだ。  造りも粗く、隙間風は当たり前、直ぐに壊れてしまうだろう。  暫しの逡巡の後、カリムは意を決して“部屋”に入った。  中は、更に臭いがきつかった。  鼻を摘みつつ、カリムは横たわったままの女を見た。  やつれ果て、汚れきった体、焦点の合わぬ目――その姿は悲惨そのものだ。  ……とても抱く気にはなれない。  カリムはどっかりと腰を下ろした。 「……?」  いつまで経っても行為をしようとしないカリムに訝しんだ女は、ちらりとこちらを見た。 「!?」  その瞬間、女の顔が驚愕と絶望で歪んだ。  両手で顔を隠すと丸くなり、慟哭する。 「? ……おい、どうした?」  その態度に驚き、カリムは女に近づく。  と、女は一層激しく抵抗した。 「どうしのさ?『――』!?」  女が思わず漏らした言葉に、カリムは驚愕する。  ……何故、何故この女は、僕の名前を知っているのだ!?  が、次の瞬間、カリムの脳裏に思い浮かんだものがあった。  まさか……嘘、だろ………… 「ハ……ハディル姉さん?」 「!?」  カリムが思わず呟いた名、間違いであって欲しかった問いかけ。  だがそれが真実であることは、女の態度が雄弁に物語っていた。  ――この女は…いや、この人は、僕の姉のハディル姉さんだ……  絶望の余り、ハリムは這い蹲って号泣した。  ハディルはカリムより5つ年上で、美人とは言えぬが愛嬌のある、優しい少女だった。  が、次女であった為、やはり数えで16歳になると何処かへ売られていった。  ……たったの100圓で。  それから5年――僅か、5年だ。  にも関わらず、かつての面影は見る影も無い。  一体何があれば、ここまで変われるのだろう?  一体姉が何の罪を犯したというのだろう?  ただ、『次女である』というだけで―― 『奴等はな、ただ長男長女に生まれたというだけの理由で、俺達次男次女以下の犠牲の上に胡坐をかいて、のうのうと暮らして恥じぬ屑共だ!』  ハシムの言葉が、頭に浮かんだ。  耐え切れず、カリムは涙ながらに呟いた。 「なんで、なんでだよ…なんでみんなして、僕の想いを踏みにじるのさ……」  軍で他のホラズム人から否定され、  ここまでの旅路で他国人から否定され、  ここで叔父の本当の姿を見せ付けられた。流民にすら否定された。  そして今また、今度は家族の“裏切り”を見せ付けられた……  ――もういやだ、こんな人生まっぴら御免だ!  カリムの中で、何かが弾けた。 「姉さん!二人で逃げよう!もう家族も故郷も知るもんか!」  幸い、金ならある。  二人で、どこか遠くに―― 「……姉さん?」  が、ハディルが返事を返すことは無かった。  ……永遠に。  絶望の余り、ハディルは頚動脈を切り、自ら命を絶ったのだ。  カリムの“世界”は、完全に砕け散った。  カリムはハディルの遺体を背負い、ひたすら道を歩いていた。  ……もう門限を過ぎているが、関係ない。  あてもなく、ただただ歩き続けるのみだ。  その目には、ただただ諦観だけがあった。 「カリム!待ちやがれ!」  そんな彼を追いかけ、爆走する竜車があった。  追いつくと停車し、ハシムとその手下達を吐き出した。 「何、おじさん?」 「てめえ、何処に行こうってんだ!良い子は家に帰る時間だぜ!」 「判らない……それに、もう帰る気は無いよ」  そう言うと立ち去ろうとするが、その行く手は阻まれた。 「……何?」 「このまま“喰い逃げ”されちゃあ、堪ったもんじゃあねえ!こいっ!」  そう吐き捨てると、ハシムはカリムを力尽くで荷台に乗せる。  ……その勢いで、ハディルの遺体が道に転がった。 「姉さん!?」 「死体なんざ、放っておけ!」 「姉さん!」 「少しは黙りやがれ!」  ガシッ!  ハシムはカリムを気絶させると、何処かへ連れ去った。  目を覚ますと、ハシムはいつの間にか武器の隠し場所に連れ込まれていた。  そして、目の前には鬼の形相のハシムが立っている。 「カリム……てめえ、俺が“預けた”100圓を、一体何処に隠しやがった」 「……もう、ないよ。全部使った」  カリムは正直に答えた。  あの金は、ハディルの遺体を買い取るのに使った、と。  が、それを聞いたハシムは怒り心頭でカリムを殴りつける。 「んだと!?この、金の価値も判らん糞餓鬼が!」  100圓といえば、ビンディの町なら一家族が一月……無理すれば二月暮らせる大金である。  どうせカリムのこと、碌に使えんだろう、と気を引くために気安く渡したのが、カリムのミスだった。  ……そう。始めからやる積りなど、更々無かったのだ。 「おじさん……」 「気安く叔父なんて呼ぶな!この“ボトムズ”野郎!」  息も絶え絶えで呼ぶカリムの顔を踏み躙り、ハシムは吐き捨てるように答えた。 「俺はな、手前等みたいな馬鹿共とは違うんだよ!」  訴える様に、ハシムは叫んだ。  ……まるで劣等感を消すかの様に。  カリムとて、始めから“こう”なった訳ではない。  始めは夢に希望に燃えていた。  特に、最年少で伍長勤務上等兵となった時は、喜びの余り眠れなかったものだ。  が、やがてハシムは現実を知る様になる。  非理事国の民、それも一庶民のハシムでは、この先幾ら努力しても国軍少尉が関の山、だ。  どんなに帝國語の読み書きが出来ても、  どんなに難しい数式が解けても、  どんなに戦術論を学んでも、  何の役にも立ちはしない。これが他の邦國ならば、国費留学生として本国留学の夢もあったのに――  知能が高いだけに、ハシムは直ぐに自分の、自国の置かれた状況を理解した。  目の前が、真っ暗になった。  ……が、それでもハシムは絶望しなかった。  この閉塞状況から抜け出すべく、一層知識の吸収に励んだのである。  そして下した結論が、『ホラズム人を辞めること』だった。  ホラズム人を辞める――無論、合法的には不可能だ。  だから、戸籍を買う必要がある。身元がばれねば属州、邦國何処でもいい、全てを一からやり直すのだ。  が、それには金がいる。  死んだことにするため、戸籍を買うため、逃亡するため、一旗上げるため……金は幾らあっても多いことは無い。  だから、横流しに手を染めた。  金を得るため、そして裏の世界にコネを作るために。  ……その最後の仕上げが、先の取引だった。  ちまちまやっていたら何時まで経っても金は貯まらない、だから勝負に出たのだ。  その甲斐もあり、やっと何とか脱出できるだけの金が貯まった。  が、欲が出た。  まだだ、まだ足りない。駄賃として、カリムを殺して弔慰金も手に入れよう――そう考えたのである。  ホラズム兵が外地で戦死すると、帝國が幾ばくかの弔慰金を出す。  それに、ハシムは目を付けた。  だからこそ、カリムを丸め込もうとこうして色々と吹き込み、かつ世話してきたのだ。  が、こうしてカリムは騒ぎを起こした。  ……弔慰金どころか、下手をすればこっちのケツにまで火が回りかねない。  故に、口封じに出たのだ。 「ちっ!もう待ってられねえ……せいぜい苦しんで死んで貰うぜ」  回収しようと思った金が手に入らなかった恨みもある、ハシムは凄惨に笑って斧を振りかぶった。  …………  …………  ………… 「どうした!」  外が騒がしいことに気付いたハシムが叫ぶと、手下の一人が真っ青になり駆け込んできた。 「ぼ、ボス!憲兵隊です!」 「なっ!?」  カシムも顔色を変えたが、直ぐに真顔に戻り、指示を出した。 「武器を持って、散り散りに逃げろ!」 「は、はいっ!」  手下が退室した後、ハシムは素早く身支度を整え、手下も知らぬ抜け穴の戸を開けた。  ……ぐずぐずしてはいられない。手下が囮になっている間に逃げねば――  ――そうだ、俺はこんな所で終る人間じゃあねえんだ!  カリムが死ぬ所を見れないのは残念だが、心配は無い。  意識を失っているし、放っておけば出血多量で死ぬだろう。  ……何より、“一味”のカリムを憲兵隊が助けるとも思えない。 「じゃあな、カリム。俺がお前の分まで生きてやるよ」  捨て台詞を残し、ハシムは部屋から出て行った。  バンッ!  憲兵隊が扉を蹴破ると、部屋の中には血まみれのカリムが一人、横たわるだけだった。 「……遅かったみたいですね」  憲兵隊の中尉は呟くと、部下に指示を与えた。  そして一人になるとカリムの血止めをし、運ぼうとした。 「……誰、ですか」  目を覚ましたカリムが、かすれ声で尋ねた。 「憲兵隊の隊長ですよ、カリムくん。 ……ま、命だけは助かるでしょう。安心なさい」 「殺して…下さい……」 「?生きていたくはないのですか?」 「どうせ……こんな体じゃあ……この先……迷惑をかけるだけ……」 「わかりました」  憲兵中尉は頷いた。  確かに、この先生きても碌なことはなかろう。  ましてや五体不満足ともなれば、最後は野垂れ死にの可能性が高い。  ……そして何より、カリムの目にもはや生への執着は見られなかった。  望み通り、憲兵中尉は拳銃をカリムのこめかみに当てる。 「……ではさようなら。もしも来世というものがあるのなら、願わくはもっとマシな国に生まれることを」  それは、単なる口上に過ぎなかった。  が、それを聞いたカリムが最後の力を振り絞り、何かを伝えようとしていることに気付いた。  憲兵中尉は銃を降ろすと、彼の口元に耳を近づける。 「………………」 「……そうですか、判りました」  その言葉を聞くと、カリムは目を閉じた。  ……力尽き、失神したのだ。  放っておいても、死ぬだろう。  が―― 「約束、ですからね……」  そう呟くと、憲兵中尉はカリムのこめかみに拳銃を当て、引き金を引いた。 「中尉殿!全員の拘束を完了しました!」 「そうですか、ご苦労様」 「抵抗を行った者については、止む無く射殺しました」 「まあ、親玉さえ確保できていれば問題ないでしょう」 「は、その点は抜かりありません。恐ろしく往生際の悪い男でしたが、確保しております」  ハシム軍曹の醜態を思い出し、憲兵軍曹は苦笑した。  ……あの男、最後は泣き喚いていたっけ。  あまりにも煩く、見苦しいその姿は、憲兵達の失笑を買ったものだ。 「……あまり笑うものではありませんよ、軍曹」 「ハッ!まことに申し訳なく――」  任務中の不謹慎を咎められた、と思った憲兵軍曹は慌てて表情を引き締める。  が――次の瞬間、耳を疑った。 「彼はね、まあ……こんな言い方は適当ではないかもしれませんが、“強く”“まとも”な男でしたよ」 「は……?」  意味が判らず、憲兵軍曹は怪訝そうな声を上げた。  “強い”……あの醜態で?  “まとも”……大それた犯罪に手を染めながら? 「彼は彼なりにね、今の境遇から逃れようと必死だったのですよ、きっと。 ……ま、だからといって同情する気は更々ありませんけどね」  そう。ハシムはこの“地獄”に絶望せず、なんとか逃れようと必死にもがいていたのだ。  そしてあと一歩、あと一歩で抜け出す所にまで這い上がった。  が、ギリギリの金額で妥協し逃げれば良かったのに、欲をかいた。  よりにもよって、自分を慕う甥っ子を、弔慰金目当てに殺そうとした。  ……その瞬間、“蜘蛛の糸”が切れたのだ。  暫しの沈黙。  それに耐え切れなくなった憲兵軍曹が、恐る恐る口を開いた。 「で、その餓鬼ですが……」 「カリム君が、何か?」 「一味の話では、そいつも仲間のようでして――」  死んだとはいえ、確保したい、と言う。 「カリム君は関係ありませんよ?悪い叔父に騙されて殺された、可哀想な子供です」 「ですが――『軍曹』」  憲兵中尉は今までとは全く異なる口調と目付きで、呼んだ。 「私と連中の言葉、君は一体どちらを信じるのかね?」 「し、失礼しました!」  憲兵軍曹は顔色を変え謝罪すると、何やら理由をつけて逃げる様に出て行った。  ……その後姿を眺めながら、憲兵中尉は懐から煙草を取り出した。  そして、煙草を咥えつつ、カリムの最期の言葉を思い出す。  ――中尉殿、僕はもう、人間に生まれたくないです……  この世の全てに裏切られたカリムは、人間に絶望しつつ死んだ。  ――もしも生まれ変われるのなら、貝がいいな。深い深い海の底、殻に閉じ篭って暮らすんだ……  それは、叔父とは真逆の選択。  憲兵中尉は呟いた。 「かわいそうな坊や。君はこの世界で生きていくには余りにも弱すぎた……」  天は自ら助くる者を助く、動かず嘆いているだけでは何も状況は変わらないのだ。  我々(ダークエルフ)とて、今の地位に辿り着くまでにどれ程の辛酸を舐め、だが絶望せずどれ程足掻き続けたことだろう。  方法の是非はともかく、君の叔父とて必死に足掻いていたのだよ?  ――だから、あなたもそう祈ってくれたら嬉しいな……  願うだけでは、祈るだけでは、何も変わりやしない。  が、君がそう望むのなら、せめて最期の望みどおりに祈ってあげよう。  カリム・サラン、かわいそうな坊や。願わくば来世では、君が望むように生きられることを。  憲兵中尉の尽力もあり、カリムの死は戦死とされた。  カリムの“戦死”に、“帝國”は1,000圓(*1)の弔慰金をホラズム土侯国連合に支払った。  うちホラズム土侯国連合が1/4、クナル土侯国が1/4を税として差し引き、残る1/2の500圓がカリムの家族に支払われた。  家族はこの弔慰金で長男に嫁を迎え、長女も嫁がせた。  そして余った僅かな金で、鶏のつがいを購入した。  雄鶏はカリム、雌鶏はハディルと名付けられた。  ――――現在の“帝國”の繁栄は、我々アルフェイム人の犠牲の上に成り立っている!(清華王国丞相 李業) *1 ――――――――戦地手当――――――――  ホラズム軍の規定によれば、俸給を得られるのは下士官以上の正規軍人のみであり、兵は衣食住の支給のみとされている。  が、それでは色々と問題がある為、“小遣い”程度の金が月々渡されている。  これに加え、戦地に出た場合には物価差を補填する形で“帝國”本国が戦地手当を給付していた。  この戦地手当ては現地でこそ大した額ではないものの、ホラズムではそれなりの価値を持っていた。 *2 ――――――――『 「近くで店やってるんだ、何か買ってかない?  サイダ−が瓶入り1本20銭、ビスケットが1箱25銭、他にも色々あるよ。  ご希望なら料理だって作るよ。一番人気はオムレツ、卵と肉をたっぷり使った、作りたての熱々が30銭!」   』――――――――  一番近い町ビンディの物価と比べ、明らかに割高である。  まあ“ぼっている”というよりは“外国人向け価格”或いは“危険料込み”といったところか。 *3 ――――――――『「5圓で今日一日、私を好きにしていいよ」』――――――――  *2と比べ、これは明らかに“ぼっている”。早々に条件を引き下げたのも、当たり前だろう。  この国の王都ですら街娼は60〜90分1圓、一晩でも3〜4圓といった所だ。(この他に宿代がかかる場合も有るが)  故に5圓という額は、幾ら“外国人向け価格”とはいえ、王都から遠く離れたド田舎で要求できる額ではない。  まあ引き下げた条件が“落としどころ”だろうか。 *4 ――――――――『昔は良かった――そう老人達が嘆くのを子守唄に、今の流民達は育ってきたのである。』――――――――  逆に言えば、当時の定住民達にとっては堪ったものではなかった。  国境の不確定さ不安定さを利用していつの間にか居座り、付近住民の共有財産を不法占拠することから始まり、  数と結束を頼りに周辺の定住民を威圧する。  農作物や家畜を盗むのは日常茶飯事、時には山賊行為すら働く。  ――といった無法ぶりである。  平時ですらこれだから、戦時ともなれば更に酷かった。  火事場泥棒は当たり前、多くが避難民や村を襲って略奪暴行を働く――排斥されるのもむべなるかな、だ。 (そういった理由からか、流民が撲殺されることが多い地域も、国中央から離れた地域、特に国境付近に多い)  ……彼等がここまで差別されているにも、尤もな理由があったのである。  生きるためにある程度は仕方が無いとはいえ、彼等は明らかに「やり過ぎた」のだ。  余談ではあるが、“帝國”統治下に入り国家間紛争が終わると、多くの地域で軍民結束した流民狩りが始まった。  流民がホラズム送りになったのは、ある意味彼等を守る為でもあったのである。(究極的には地域安定の為だが)  が、帝國のこの措置――各国に対し非公式ながら討伐禁止令まで出した――は「甘過ぎる!」と多くの国や民から不満の大合唱だった。 (危険度の少ない小規模流民集団を残したのも、当初はこういった連中のガスを抜くため、という点が大きかった)  大局的に見れば、帝國は流民を保護した、と言えよう。 *5 ――――――――1,000圓――――――――  “帝國”本国では学生のアルバイト代程に過ぎないが、国民の大半が(それも大家族全員合わせて)1日1圓以下の生活費で暮らしているクナルでは、眼がくらむ程の大金である。 (ホラズムよりも遥かに豊かな筈の、カリム達が駐屯していた国ですら、庶民の月収は王都でも100〜150圓前後だ)