帝國召喚 改訂版 短編「ある王国飛竜騎士の記録」 【前編】  とても広く豪華な広間。そこで私は人々の注目を一身に集めていた。  私は緊張に震えながらも、恐る恐る黒い水晶球に手をかざす。 ……すると水晶はたちまち透き通り、明るく輝き出し た。  広間にどよめきが木霊する。 「おめでとう、ジャン・バイヨー! 君は今日から王国魔法士族だ!」  州知事閣下が興奮して叫ばれた。そして壇上から駆け下り、私の手を痛いほど強く握られる。 「最早“古の物語”とばかり思っていた“黒水晶の儀”の主催者となれたばかりか、二百年振りの新たなる魔導師血統の 誕生に立ち会えるとは! これ程の名誉は無い! ……礼を言うぞ、ジャン・バイヨー」  雲上人である州知事閣下が私を“お前”ではなく“ジャン・バイヨー”と呼び、あまつさえ握手までして下さったこと の意味を、当時の私は全く理解していなかった。 ……ましてやその言葉の意味すらも。  ただ何とか失敗せずに済んだことに安堵し、『これでやっと家に帰れる』としか考えていなかったのだ。  私の名はジャン・シルヴァン。栄光ある王国飛竜騎士である。 ――――ロッシェル王国、王都“シャラント”。  ロッシェル王国は20万kuの国土と800万人の人口を誇る北東ガルム屈指の大国である。当然その王都“シャラント”も 人口20万を越える大都市であり、殷賑を極めていた。  ……その雰囲気に呑まれ、ジャンは竜車の中で小さく丸くなる。何もかもが生まれ故郷とは異なるその“異質さ”に怯 えていたのだ。  ジャンは王都から遠く離れた、ある小村で生まれた。  生家は貧しく、彼自身も幼い頃から家の手伝いに追われていたという。  が、彼が数えで10歳の時、転機が訪れた。  数えで10歳になった国民は、全員“審査”を受けなければならない。この“審査”とは魔力の有無を調べる儀式のこと だ。(正確に言えば魔力そのものは全ての生物に存在するため、『魔導士たりえるだけの魔力があるかどうかを調べる儀 式』)  在野の魔導士血統を発掘する非常に重要な儀式……だったのだが、大昔ならいざ知らず今時、一般人から魔導士が生ま れてくる筈も無い。魔導士の血統などとっくの昔に見出されて“魔法士族”に列せられている。故に、ここ百年近く新た な血統が誕生しておらず、この儀式もすっかり形骸化していた。  ――そんな“廃止”の二文字すら囁かれる状況の中で久し振りに……本当に久し振りに発掘されたのがジャンだった。 彼は数次に渡る“審査”を突破したばかりか、『魔導士ではなく魔導師相当の血統』と判定されたのである。  最後の魔導士血統が発掘されてから八十九年、魔道師血統の発掘に至っては実に二百年以上が経過していることを考え れば、州知事の感激ぶりも当然だった。 「あの…… 僕は一体、何時家に帰れるのでしょうか?」  ジャンは同乗している役人に恐る恐る尋ねた。役人に声をかける恐怖より、家の心配の方が上回ったのだ。  両親とも毎日朝から晩まで働いているため、弟妹達の面倒はジャンが見なければならない。弟妹達は大丈夫だろうか?  両親は無事働きに出られただろうか? 心配事は山とあった。 「現在、お屋敷に向かっておりますよ。もう直ぐ到着する筈です」  役人は恐ろしいほど丁寧な口調――故郷の村役人からは想像もつかないほど――でジャンの質問に答えた。 「あの、僕の家は王都にはありませんし、“お屋敷”なんかじゃあありません……」  何か決定的な勘違いをしているらしい役人に、ジャンは震える指摘した。 ……役人に間違いを指摘するなど考えるだ に恐ろしい行為だったが、それ以上にその間違いを放置するのが恐ろしかったのだ。  が、役人は愛想笑い(!)を浮かべて彼の指摘を否定した。 「間違えてなどおりませんよ、ジャン・シルヴァン様。確かに貴方様のお屋敷へと向かっております」 「……僕はジャン・シルヴァンではありません。ジャン・バイヨーです」  やはり間違えていたか、とジャンは丸くなる。  罵倒や暴力から身を守る為だ。 「“バイヨー”は貴方様の“昔の姓”でしょう? 今は“シルヴァン”の筈ですが?」  ジャンの反応に苦笑しながらも役人は、辛抱強く再度否定した。 「昔の……姓?」  その時になって初めて、ジャンは自分が“売られた”ことに気付いた。  現在、人間族――特に北東ガルムの様な大文明圏(先進地域)の――には、“魔導師”と“魔導士”という二種類の魔 法使いが存在する。  “魔導師”とは所謂昔からの魔法使い、“魔導士”とは魔法士とも言い、自力で魔法を扱えるほどの魔力を持たない― ―法具による増幅が必要だ――“新しい魔法使い”のことだ。  この世界は“マナ”という“魔力の素”で満ちている。が、マナそのものは非常に安定した性質であり、そのままでは 何の反応――この反応を魔法という――も起さない。故に、反応を起こすには魔力に変換しなければならず、この『マナ を魔力に変換する能力』を“魔法回路”と呼ぶ。種によりその出力――『一度にどの位の量の魔力を精製できるか』『そ の魔力をどの程度の間持続できるか』――に差はあるものの。全ての生物が持つ能力だ。  ……尤も、『全ての生物が“魔法回路”を保有する』ことと『魔法が使える』こととは別の問題だった。魔法を発動す るには一定以上の魔力を必要とし、魔法レベルが上がれば上がるほど必要とする魔力は大きくなる。故に、魔力はあって も魔法を使える生物は非常に少ない。  幸い人間族は『魔法を使える』とされる種族だったが、丁度境界線ギリギリにいるのか魔法を使えない者の方が圧倒的 多数の上、使える者もそれほど高い魔力出力は持っていなかった。  故に、魔法を使える者は“魔法使い”として太古から優遇されてきた。彼等が『昔からの魔法使い』とされる“魔導師 ”だ。  対する“魔導士(魔法士)”は、ここ数百年で登場した『魔法を使えない魔法使い』であり、人間族の魔法に対する考 え方の変化を具現化した存在でもあった。  人間族の魔法使いは『魔法を使える種族』全体のレベルから見れば非常に貧弱な存在だ。亜人だけを見ても、エルフや ダークエルフとは雲泥の差である。  ……そして何より、大規模化していく一方の戦争に対し、貧弱な人間族の魔法使 いでは質・量共に対応出来なくなりつつあった。このため人間の魔法使い達は、数百年前にある大きな決断を下した。  『自らの魔法を、戦場で使うことを放棄した』のである。  代わって、彼等はその魔力をその他の用途に使い始めた。医療、通信、気象予測、資源探査等々……自分の魔力だけで は不可能なら様々な魔法道具すら作り、対応しようと試みる。こうして様々な魔法技術や魔法具が生まれ、様々な魔法理 論が発展していった。(もちろん彼等の技術と知識は戦争にも利用されている。攻撃や防御の強化、遠隔通信といった単 純だが重要なことから始まり、戦竜・飛竜等を対象とした生物調整、魔法兵器の開発・生産など実に幅広い)  ――この様に『幾つもの魔法技術と魔法物質を組み合わせて制御し、一つのシステムとして運用する』ことこそが魔力 の低い人間が出した“答え”、“人類の魔法”だった。この『魔法の理論化・体系化』こそ、魔力が決して高いと言えな い人間をして世界最大勢力にのし上げた理由なのである。確かに魔法物質の精錬や部品の製造といったハード面ではドワ ーフに、魔法そのものではエルフに大きく劣るだろう。が、それらを組み合わせて一つのシステムとする技術に関して人 間の右に出る種族は存在しない。ましてや、こうした発想・発明に関しては人間の一人舞台だった。  こうして人間族の“魔法”は急速に発展、現在では『魔法使いと魔法技術は国家に必要不可欠』とされるまでになって いた。魔法使いはかつての様な“王侯貴族の私物”ではなく“騎士格の士族(魔法士族)”、支配階級の一員となってい たのである。 ……そんな彼等は魔法使いと言うよりも“魔法学者”“魔法技術者”であり、“テクノクラート”であっ た。  “魔導士(魔法士)”はそんな流れの中で誕生した存在だ。増大する需要に従来の魔法使いだけでは到底数が足りなく なり、『魔力感知は出きるが、魔法は法具無しでは使えない』という彼等も“魔法使い”として組み込まれたのである。  彼等は古い魔法使いと比べて少なからぬハンディキャップがあるものの、既に古い魔法使い達が失っていたハングリー 精神を活かし、国家の期待に遺憾なく応えた。 ……が、国家の方がそれに十分報いたかはまた別の問題だった。既に強 固な身分制度が構築されていた関係上、従来の“古い魔法使い”は“魔導師”、新しい魔法使いは“魔導士(魔法士)” とされ、両者は厳密に区別されたのである。(ロッシェル王国を例に見ると、同国にはおよそ5000家30000人の新旧魔法 使いが存在するが、魔導師1000余家は正魔法士族(御目見得以上の騎士格)、魔導士4000余家は准魔法士族(御目見得以 下の騎士格)とされ、両者は大きな壁で隔たれている)  さて、ジャンである。  新たな魔道師血統として認められた彼は、古からの習いからすれば一家創設を許され、最低1000フロルの準備金と年 200フロルの家禄、その他様々な支援が与えられる筈だった。  ……が、準備金や家禄は兎も角、様々な支援にかかる手間と費用は馬鹿にならない。この為王国政府は1000フロルの準 備金と年200フロルの家禄を持参金とし、ジャンを既存の魔道師の家に放り込んだのである。それがシルヴァン家だった 、という訳だ。  シルヴァン家の家禄は金800フロル。『下級が金200〜400フロル、中級下位が金400〜800フロル、中級上位が金800〜 1200フロル、上級が金1200〜1600フロル、最上級が金1600〜2000フロル』という相場(ちなみに魔道士は一律銀2000リバ ー)を考えれば、ギリギリ中級上位層に含まれる魔導師の家だ。(尤もジャンの家禄が加算され、今年からシルヴァン家 の家禄は金1000フロルとなっていたが)  ……が、“中級”と言っても魔道師である。格としては上級騎士に匹敵するし、収入からすれば下手な貴族並(家禄の 他に貴族や裕福な平民相手の副収入――立場的には副収入だが額的には主収入――があり、これを加えれば収入は家禄の 数倍になる)だ。故にシルヴァン家は2000平方パッシス(約1300坪)近い広大な屋敷を構え、20人を越える家人(家臣と 使用人のこと)を従えていた。  ――そんな家の婿養子としてジャンは迎えられたのだった。 ……無論、ジャンの与り知らぬ所で。  あれから数日、ジャンは内心、激しく落ち込んでいた。  両親が1000フロルの手切れ金で自分と縁を切ったことを知り、がっくりきていたのだ。  ――そりゃあ1000フロルは大金だよ……  大金などといったレベルではない。1000フロルは正金貨250枚――ロッシェル正金貨は重量1/4オース(約8g)で品位 90%――を意味する。腕の良い職人の年収が王都でも銀1600リバー程度(金1フロル≒銀16リバー)ということを考えれ ば相当なもの、ということが判るだろう。(これだけあればジャンの故郷なら小地主位にはなれる)  が、それにしても…… 「ヒドイよ……」  傍から見れば小村の貧民から一躍“シルヴァン家当主”となり、豪華な部屋、豪華な服、豪華な食事を満喫している様 にも見えるがそうでもない。 ……いや、確かに与えられてはいおるのだが、到底それを満喫出きる様な状態では無かっ たのだ。  行儀作法から始まって各種学問に基礎魔法、おまけに武術の師まで付けられ、朝から晩までしごかれる毎日――正直、 自分が何だってこんな目に遭うのか、ジャンは未だに良く判っていなかった。が、同時に最早自分の居場所がここにしか ないこともまた承知していた。だからこそ大人しく言われたことを(自分なりに)こなし、こうしてへとへとになるまで 頑張っていたのである。    そして今もこうして言いつけ通り、就寝前の“妻”の“お相手”をしている。  どうやら今日は大変ご機嫌らしく、さかんにア〜だのウ〜だの話しかけてくる。 ……乳母の乳の出がいつもより良か ったのだろうか?  ――そんなどうでも良いことを考えつつ、“妻”が疲れて寝るまでの間の相手をしているのだ。 「アー!」 「あはははは……また失敗か」  これが中々重労働である。“妻”は抱っこが大好きであり、『寝たかな?』と思って一寸でも下ろそうとすると途端に 目を開いてしまう。実に油断がならないのだ。  いや……まあ、傍に控えている乳母に任せれば直ぐに寝付くのだが、ここで任せては何だか負けた様な気がしてならな いのだ。(自分とて実家では何人もの弟妹達の世話をしてきたのである!) 「御館様、お代わりしましょうか?」 「いえ、最後まで面倒見ます」  乳母の申し出を断り、ジャンは再度勝負を挑む。  …………  …………  …………  数時間に及ぶ“死闘”の後、ようやく“妻”が寝付いたのを確認し、乳母に返す。  自由時間と睡眠時間を限界まで削った苦い勝利だったが、勝利には違いない。軽い高揚感に包まれつつ、ジャンは魔法 書片手に瞑想室へと向かった。 ……ようやく本日最後のノルマだ。  瞑想室に入るとジャンは床の魔方陣中央で座禅を組む。そして軽く目を閉じ、“魔法回路”を発動させた。  周囲のマナが魔力に変換され、体内に充満する。ジャンはそれを組み立て、現在唯一使える魔法を発動する。 ……そ の一瞬、暗い部屋がぼんやりとした光に包まれた。  ジャンはこの魔法を何度も発動させ、十回を数えたあたりでゴロンと横になった。 「……うん、少しは上達してきた」  横目で砂時計を確認し、満足気に頷きながら額の汗を拭った。確かに最初の頃に比べれば、“光の明るさ”も“持続時 間”も“発動速度”もかなり向上している。何より、10回以上発動したのに“多少の息切れ”程度で済んでいるのは大き い。(最初は2回目で昏倒した!)  ……誤解が無い様に言っておくが、“魔法回路”の性能の高低は生まれつきのものだ。故に、修練によってどうこう出 来るものではない。(一見、魔力出力が上がるように見えるが、単に自分の元からの能力を使いこなせるようになっただ け)  が、だからと言って“無駄なこと”ではない。自分の“魔法回路”を使いこなし(制御し)、その限界を知ることは魔 法を使う上では必要不可欠なのだ。  故に、ジャンは毎日この訓練を行っていた。 「よし、休憩終わり!」  ジャンは呼吸が整ったことを確認すると跳ね起き、再び精神を集中、“魔法回路”を発動させた。  ……その訓練は昏倒するまで続いたという。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【中編】  12歳になるとジャンは魔導学院へ入学させられた。(魔導学院は将来の魔導師・魔導士の教育機関であり、数え年で12 歳に達した魔法士族の男女は全員ここに通わなければならないのだ)  ちなみにロッシェル王国の魔法士族教育では、初等教育は基本的に各家独自に行う。魔導師の家ではそれぞれの家風に 従った教育を行い、魔導士の家では私塾――引退した元魔導学院教師などが開いている――に通わせる場合が多い。(但 し最近では、魔導師でも小身の家などでは私塾に通わせる例が増えている)  上の魔導学院は中等教育にあたり、5年制だ。  そして高等教育はそれぞれ選択した専門課程(大半は徒弟制)で学ぶ。 ……まあ、高等教育はそれぞれの就職先が担 っているので、“高等教育課程の選択”は事実上“就職先の選択”と同義語だったが。  ……そんな訳で、一端進学先を決めれば修正不可能。将来は完全に決定されてしまう。故に、進学先に関しては慎重に 慎重を期して選ばなければならなかった。  そして月日は過ぎ、最終学年である5年生となったジャンも将来の進路の決断を迫られていた。 「なあジャン、俺達ももう16、来年はいよいよ卒業だぞ? お前は何処進むか決めたか?」 「知らないよ」  ジャンは投げやり気味に悪友に返す。 「は?」 「……義母上がお決めになることだから」 「ああ、お前そういや養子だっけな。 ……けどさ、お前の場合普通の養子とは訳が違うだろ?」  ジャンは家禄200フロルを持ってシルヴァン家に入ったのだから、どちらかと言えば“合併”だろう、と主張する。 「そんなの関係ないよ。家人もみんなシルヴァン家重代の人達だからね…… 僕は他人、良くてお客様、さ」 「しっかりしろ、ジャン! お前はシルヴァン家当主なんだぞ!? 大体、お前の御蔭でシルヴァン家の家禄は1000の大 台に乗った――同じ中級上位でも1000以上と以下では扱いが違う――んだ、少しは胸を張れ!」  バンバン。  悪友はジャンの背中を強く二、三回叩いた。  励ましてくれているのだろうが、かなり痛い。 「……ありがと」 「どういたしまして」 「で、そういう君は何処へ? 親御さんは何て?」 「ああ、何処でもイイってさ」 「……そりゃまた豪快な」  ジャンは呆れた。  実際、進路は養子でなくとも親が決める場合が多い。そうでなくても『幾つかの候補の中から選べ』が良い所だろう。 “家”を背負っている以上、好き勝手な行動は許されないのだ。 ……それを『何処でもイイ』とは。 「俺は信頼されてるからな」 「はー」 「……おいおいおい、ここ笑うトコだぞ? 俺が三男坊ってこと位、お前知ってるだろ?」 「ああ、そういや君の家は大家族だよね」  ジャンは頷いた。確か彼の家は男三人に女二人の子沢山だ。 ……これは珍しい。  魔導師や魔導士の家は子供が少なく、二人が大半で三人となると殆どいない。ましてや五人など……(ちなみに家を絶 やさぬ意味から、一人はもっと珍しい) 「だからだよ。『勝手にしろ』ってトコさ。姉貴二人を嫁に出して、二番目の兄貴の養子口見つけるので精一杯。残り滓 の俺まで手が回らんのさ」  悪友はそう笑いながら父親の口調を真似る。  ジャンはそんな悪友を気の毒に思いながらも、同時に彼の家の状況にも同情してしまう。(何時の時代も嫁入りには金 がかかる。それが二人、しかも次男の養子口までとなると……)  が、余程言われ慣れているのか、悪友はさして気にしていないようで、そのまま話を続ける。 「うちは家禄200の小身だからな。家禄1000の御大身シルヴァン家とは違うのさ…… ま、『魔法士共の家なら幾らでも 養子口があるぞ』なんて冗談言われたが、それこそ冗談じゃあない、それなら“部屋住み”のままで十分さ。職に就けば 金には困らんしな」  悪友はそう言って首を振る。  この場合の“部屋住み”とは、『職には就くものの結婚はせず(出来ず)、一生家にいる』ということだ。(『結婚し ない(出来ない)』のは相手がいない――魔法使いは魔法使い同士でしか結婚出来ない――ため、『一生家にいる』のは 『○○家の○○』という身分でないと魔導師として働けないため)  国の本音としてはこういった場合、魔法士の娘と結婚して魔法士のレベルを底上げするのが望ましいのだが、社会制度 上それは出来ないし言えない。魔導士(魔法士)の家に養子に入るということは『魔導士になる』と言うのと同義語であ り、身分制度のはっきりしているこの世界では屈辱以外の何者でも無いからだ。故に誰もが拒絶し、彼の様に“部屋住み ”の道を選ぶ。(これには『魔導師の血を自分達で独占する』という魔導師達の生臭い判断も後押ししている)  ……昔はこういった“部屋住み”に国が一家を立てさせてやったものだが、今となっては財政上不可能だし、既得権益 を減らされる――当然家が増えた分減る――立場の既存の魔導師家もいい顔をしない。一生飼い殺しだ。  しかし同じ魔導師でありながら、ジャンと比べて随分待遇が違うことを疑問に思うかもしれない。が、これは“当然の 差”だった。  何故ならジャンは『自力で“魔導師”となった初代』であり、彼は『親から血を受け継いだだけの“魔導師”』だから だ。所詮屁理屈ではあるが、この差は社会制度上極めて重要と見做されていたのである。     「あ〜〜〜」  何と言ったら良いのかも判らず、ジャンは曖昧に返した。 「気にするなよ! 直ぐに変な気を使うのがお前の悪い癖だ!」  バンバン  再び背を叩く。痛い……激しく痛い。 「ま、“部屋住み”も悪くないさ。気楽だしいいぞ? 親父と交渉して就職したら離れに住めることになったしな!」  そして妾と一緒に暮らすんだ、と悪友。 「ただれてるなあ……」  16の少年が言う台詞ではない。 「10で結婚したお前に言われたくないね」 「あ〜〜 で、将来何になるんだい?」  雲行きが怪しくなったので慌てて話を変える。 「魔法ギルドの魔法機械技師になるんだ。 ……これが結構イイ収入なんだぜ? 特に夏場なんか『故障した冷房早くな おしてくれ』って袖の下もタンマリだ」  魔法ギルドは独自の商業活動も行っており、貴族や平民の金持ち相手に巨利を得ていた。(特に冷房、冷蔵、冷凍…… といった機械は需要が大きく、とても儲かるのだ)  魔法ギルドは言わば魔導師達の株式会社(ただし半国営の)であり、魔導師達は毎年多額の配当金を受け取ることが出 来る。(ちなみに株は“家”、株数は“家禄”だ。故に家禄によって待遇は大きく異なる)  具体的には――  下級魔導師家   家禄× 1.0倍  中級下位魔導師家 家禄× 2.0倍  中級上位魔導師家 家禄× 3.0倍  上級魔導師家   家禄× 5.0倍  最上級魔導師家  家禄×10.0倍  ――となる。  例えば家禄1000フロルのシルヴァン家ならば年3000フロルの配当金が貰え、家禄と合わせればこれだけで4000フロルに もなる。この上ギルドから依頼される内職代や職禄(ただし現在当主は学生)によっては5000フロルに達しても不思議で は無い。これは王都庶民50〜100人分の年収である、如何に魔導師が裕福かが判るだろう。  ……が、魔導士は魔法ギルドの正規構成員では無い為、上の配当を貰う事は出来ない。故に家禄や職禄、それにギルド から斡旋された内職やで稼ぐしかないが、フロルに直して250前後、多くても300は越えないだろう。これが魔導師なら最 下位の高200の家でも600フロル程度の年収はあるのだが――(まあそれでも十分以上に恵まれた収入ではあるが) 「冷房…… 修理……」  ジャンは金持ちの家で真っ黒になって魔法冷房機を直している自分を想像した。  ……激しく欝だ。 「おいおいおい、俺達魔導師がんなことする訳無いだろ? それをやるのは魔法士の連中だよ。俺らは指図するだけ」  かなり微妙な表情のジャンに、悪友が笑う。 「…………」  ――“魔法士”か……  ジャンは内心で呟いた。  今ではすっかり定着した感がある“魔法士”だが、これは俗語……それも差別的な響きを持った呼称である。“魔法士 ”は正式には“魔導士”なのだ。  ……が、読みが同じなのを嫌がった魔導師達は魔導士を魔法士と呼び、それが定着してしまったのである。  目を閉じる。  “魔導士”は器具の補助無しには魔法を使えない――その程度の魔力しかない。  自分達魔導師が魔法を三次元……いや四次元的に捉えるとすれば、彼等魔導士は魔法を二次元的にしか捉えることが出 来ないのだ。  これを補うには知識と訓練しかない。故に、彼等が魔法使いとなるには並々ならぬ努力が必要だった。  ……が、それでも能力の差は圧倒的だった。彼等“魔導士”は、所詮は魔導師の助手でしか無い。  『でも、彼等はとても一生懸命だ』  ――彼等はもう決めてるよなあ?  人一倍努力している彼等は、きっと自分の様に受動的ではなく能動的に動いているのだろう。  そう思えてならなかった。 ――――シルヴァン家屋敷。  ジャンが帰ると、幼い少女が仔犬の様に飛び出してきた。 「にいさま!」 「ただいま」 「たいへんです! たいへんなのです!」 「どうした、リズ? また隣の猫が子を産んだか?」 「ちがいます!」 「……ああ、隣の犬が子を産んだのだな?」 「にいさま! となりのいぬは“おとこのこ”です!」 「……そうだっけか? 済まんな」  ワシワシ  リズの頭を少々乱暴に撫でる。  リズはくすぐったそうにしたが、直ぐに真剣な口調で言った。 「じつはわたしたち、“きょうだい”ではなく“ふーふ”だったのです!」 「…………」  アホーアホー  ……何処か遠くで鴉が鳴いた様な気がした。 「……知らなかったのか?」  そっちの方が大事件だった。  隣の屋敷には“出来た”お嬢さんがいる。当主夫婦も人が良いので、ジャンも良くお世話になったものだ。  ……その彼女が、今度嫁に行くことになった。(ジャンにとっては初恋の人でもあり、ちょっと……いやかなりショッ クだったのはここだけの話だ)  で、リズが先程毎度の様に隣に遊びに行った時、彼女から花嫁衣裳を見せて貰ったのだが、その時のことである。 『きれい、とってもきれい』 『ふふふ…… きれいなのはドレス?』 『! そ、そんなことないよ! ねえさまはもっときれい!』 『ありがとう』 『でもいいなあ…… わたしもきたいなあ……』 『あ〜〜〜』  お嬢さんはその言葉を聞き、何と言ったら良いかと言葉を濁す。 『わたしもはやくけっこんしたいな』 『……へ? リズちゃんもう結婚して旦那様がいるじゃない?』 『???』 『ジャンくん、リズちゃんの旦那様でしょう?』 『? にいさまはにいさまですよ?』 『ちゃんとお式も挙げたわよ?』 『いつですか?』 『え〜と、あれはリズちゃんが生まれて何ヶ月目だったかしら……』 『が〜ん!』  大好きな“ねえさま”が嘘をつく筈も無い。初めて明かされる真実を前に、リズは驚愕した。(多分今までで一番驚い ただろう)  それだけで頭が一杯になり、この事実を兄に知らせるべく駆け出した。 『ああ、確か4ヶ月目……あら?』 「あ〜〜〜大変申し訳が無いのだが」  ジャンは大事件と胸を張るリズに申し訳無さそうに答えた。 「それ、知らないの多分屋敷でお前だけだから」 「はい?」  リズは不思議そうに首をかしげた。  ……そして、やがてその言葉の意味を理解したのか、恐る恐る尋ねた。 「お母様も?」 「義母上も」 「じいやにばあやも」 「ああ」 「ライにログに……」 「ああ、ああ、それだけじゃないぞ? お前が飼ってるバル(犬)も、池の魚も庭の蟻も皆知っている。 ……知らなか ったのはお前だけ」 「が〜ん!」  『自分だけ』というのが余程ショックだったらしい。  彼女を見つけて近づいてきたバルに、『おまえもしってたんだね……』としょげながら頭を撫でる。  が、ふと気付いた様に再び首を傾げた。 「あれ? じゃあわたしにいさまの“およめさん”?」 「そうだな」 「じゃあ、わたしもらわれてきた?」 「いや、貰われたのは僕だな」 「?」 「僕がお前の旦那として貰われたのだ」 「でも、にいさまおとこのひと……」  リズの知識では、貰われるのは“おんなのひと”の筈だ。“おねえさん”もそうだし。 「ああ、僕はリズを貰おうにも家が無かったからな。だから僕が貰われたんだ」 「ええ! じゃあにいさまおうちがなかったの?」 「ああ、橋の下で義母上に拾われたんだ」 「はしのした!」 「前足が太かったからな、だから『将来大きく育つだろう』と見込まれて拾われたんだよ」  それはバル(飼い犬)の話である。 「そうなんだ……」 「そうなんだよ」  余りにも簡単に信じるリズの将来を少し不安に思いつつ、ジャンは頭をポムポムと叩く。  ――が、今回は嘘とも言い切れないかな?  自嘲する。実際、自分は“家なき子”であり、橋の下で拾われたも同然なのだから。  あれから6年。僅か6年、されど6年。いろいろな事があった。  かつての実家、バイヨー家は消滅した。  父は働きもせず毎日酒におぼれて僅か三年で死亡。  母も同様の生活を送っていたが、死因は酒ではなく撲殺。弟妹達と共に押し込み強盗に襲われて殺されたのだ。  ……犯人は近所の住人。こちらが毎日朝から晩まで働いているのに、毎日遊び暮らしているのが気に食わなかったのだ そうだ。  が、奪えた金は100フロル。1000フロルの金が、僅か5年足らずで1/10になってしまっていたのだ。(金を使い果たし た後の惨めな生活を思えば、ある意味死ねたのは幸せだったかもしれない)  あんなに真面目だった父は、母は、すっかり変わってしまったのだ。 ……自分のせいで。 「とんだ親不孝者だな、僕も」  自嘲する。  だって、『両親が死んだ』と聞いた時、その死に様を聞いた時、思ってしまったのだ。  ――たかが1000フロルで、何をとちくるった真似を……  そう考えた次の瞬間、ジャンは自分の考えに愕然とした。  今の自分は、まるで物語で聞く悪魔そのものではないか。  貧しいが正直者の一家に大金を与え、その破滅ぶりを見て嘲笑う悪魔に。  ……いや、実の両親相手だから尚罪深い。 「悪魔、か……確かにな」  自分がいなければ、両親はいまも貧しいが平穏に暮らしていただろう。いや……もしかしたらその貧しさすらも自覚し ていなかったかもしれない。自分もここに貰われるまで、『自分が特に貧しい』とは知らなかったのだから。  ぺちぺち 「?」  なにやら音がするので下を向くと、リズが懸命にジャンを叩いていた。 「何を?」 「またわたしをだましたのですね!」  ……どうやら先程呟いた『悪魔』という言葉を聞き、騙されたことに気付いた――正確には『自分を騙したことを喜ん でいる』と勘違いした――のだろう。 「お前は平和だなあ」  ヒョイ  ジャンは苦笑しつつ、“妻”を肩に乗せた。 ……大分辛くなってきたが、うん、まだ大丈夫だ。 (リズはこれが大好きなので、まあご機嫌取りという奴だ) 「? へいわ?」 「悩みが無くていいな、ということさ」  正確には『頭が平和』なのだが流石にそれは言えない。 「む〜〜、わたしだってなやんでます、かんがえてます!」 「……たとえば?」 「わたしも“けっこんしき”したい! きれいな“どれす”きたい!」 「……それは悩みではなく欲望だ」  ほんとに平和なヤツだな、とジャンは苦笑し、母屋に向かう。 「?」 「お前の望み、義母上に頼んでみよう。結婚式、やってやろうじゃあないか」  極々内々の、“ごっこ”程度のものならなんとかなるだろう……と思う。 「ほんと!」 「……ま、まあ努力するさ。最悪、ドレスだけでも買ってやる」 「ありがとう!」 「ははは、ま、これが甲斐性って奴だ」 「かいしょう?」 「旦那に必要なものさ」 「かいしょう……かいしょう……」  リズは何度も呪文の様に呟く。 ……多分難しい言葉なので、復唱して暗記でもしているのだろう。 「……あんまりその言葉、外で使うなよ?」 「うん、わかった!」 「おまえ、返事はいいなあ……」  ジャンはそう苦笑しつつ母屋に上がった。  ……その後、リズが隣のお嬢さんの旦那さんに、『おじさんは“かいしょう”あるの? ないと“けっこん”できない んだよ?』などとのたまったのはまた別の話である。(まあ二人とも大爆笑するだけで済んだが) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【後編】  夢があったのだ。いや、夢というよりは空想、空想というよりは妄想と言った方が良いかもしれない。  それでもあったのだ、憧れていたものが。  なりたいものが、あったのだ。  地べたを真っ黒になって這いずり回る自分の上、蒼い蒼い雲ひとつ無い大空を、悠然と飛翔する竜と騎士。  ジャンは、飛竜騎士になりたかったのだ。  ……思えばそれは叶うはずも無い夢、妄想――その筈だった。  が、それは何時の間にか直ぐ目の前に、手を伸ばせば届く位置にあった。  ジャンは、ずっと昔に心の奥底にしまった筈の夢を思い出した。  飛竜騎士とは、“飛竜の王”ワイバ−ンや“飛竜の大王”ワイバ−ン・ロ−ドを操って天を翔る騎士のことだ。彼等は アルフェイム世界最強の兵科であり、その優劣が戦争の帰趨に直結する程の存在だった。  故に、地を這う竜“戦竜”を操る竜騎士が『下士官以上』なのに対し、飛竜騎士は『その全員が士官』という超エリ− ト部隊だ。当然、なるのも難しい。……と言うよりもかなり特殊な才を要求される。  『魔力に秀でる』という才を。  無論、ただ魔力があるだけでは無理だ。が、これが無ければその入り口にすら辿り着けない。如何に知力・体力に秀で ようが、如何に高貴な生まれだろうが、無理なものは無理なのだ。  だからこそ、誰もが一度は憧れるが現実を知って諦める、正に“夢の存在”だったのである。  ……が、ジャンは魔法使い、それも力ある“古の魔法使い”(魔導師)だった。彼が望めば、夢は夢ではなくなるだろ う。  故に、彼の心は揺れていた。 ――――王都“シャラント”、シルヴァン家。  ロッシェル王国では、大きく分けて“王族”“貴族”“士族”“平民”の4つの身分がある。うち貴族は“公爵”“侯 爵”“伯爵”“子爵”“男爵”“准男爵”の6階位、士族は“正騎士”“准騎士”“平士族”の3階位に分かれている。  これを魔法士族に当てはめれば、家禄1600〜2000フロルの最上級魔導師(数家)が“男爵”、家禄1200〜1600フロルの 上級魔導師(上位1%)が“上位の准男爵”、家禄800〜1200フロルの中級上位魔導師(上位4%)が“中位の准男爵”、 家禄400〜800フロルの中級下位魔導師(上位10%)が“下位の准男爵”、家禄200〜400フロルの下級魔導師(上位20%) が“上位の騎士(御目見得以上)”、魔道士が“中位の騎士(御目見得以下)”となる。  つまり、シルヴァン家は最下級とはいえ准男爵の位階を持つれっきとした貴族の家なのだ。  加えて、その収入は男爵を飛び越え子爵並、余裕――准男爵と子爵では格が違うため基礎出費に大差がある――を考え れば伯爵並の富家である。  ……何が言いたいかといえば、要するに『だから愛娘の“金のかかる我儘”を、笑って叶えてやるだけの“甲斐性”が ある家なのだ』ということだ。  楽団の演奏の中、王国准男爵の正装に身を包んだジャンと、豪華なドレスに身を包んだリズが絨毯の上を歩く。  数えで16歳と7歳の新郎新婦(?)だ。故に二人の歩調は大きく異なり、ジャンは合わせるのに悪戦苦闘である。  ……いや、まあ普段ならば慣れているのでどうということはないが、やはり多少は緊張しているのに加え、リズの歩調 がいつもにまして遅いのが原因だった。 「にいさま! にいさま!」  リズが小声で何やら訴える。  ジャンはそれを振り返らすに――入場の真っ最中だ――聞いた。 「何?」 「これ、とってもおもいです! くるしいです!」 「……だろうね」  ジャンは全面的に同意した。  コルセットで体を固定している上に重いドレスだ。辛くない筈がない。ジャンなどは『リズにコルセットなんかいらな いだろ?』と思うのだが、どうやらそれがドレスを着る際の“お約束”らしい。故に、リズは生まれて初めての苦しみに 半ば根を上げていた。 「たすけてください」 「ごめん、それ無理」  どうしろというのだ、とジャンは即答した。  が、リズは再度ねだる。 「もうあるけません……、おぶってください……」 「却下」 「う〜〜」  リズは唸りながらもジャンの後を必死についていく。根を上げない所を見ると、彼女にも“女のプライド”があるよう だ。  スタスタ  とてとて  スタスタ  とてとて  ピタッ  ジャンは軽く溜息を吐くと立ち止まり、振り向いた。  そして、リズに向かって手を広げる。 「ほら、来い」 「! うん!」  リズは満面の笑みを浮かべ飛び込んだ。  ジャンはそれを受け止め、抱き抱えながら入場を再開する。  これを見て、招待客は大きな歓声と拍手を浴びせた。  ――そうだ、構やしないさ。別に正式な式じゃあないんだし…… 第一、招待客は御近所でも特に親しい方々に僕やリ ズの友人達だ。  だから問題ない、とジャンは自分に言い聞かせるが、逆に言えば『だから余計恥ずかしい』とも言える。特に(ジャン の)友人達の冷やかしがイタかった。  一方のリズは(リズの)友人達からの歓声に笑顔で答えている。 ……こっちは“冷やかし”、向こうは”歓声”。何 処か釈然としない思いを抱えながらも、ジャンは作り笑いを浮かべて何とか式を乗り切った。  尚、今回の“結婚式”にかかった費用は計1500フロル。ドレスだけで800フロル以上かかった――王都庶民の収入は年 50〜100フロル相当――というのはここだけの秘密である。 「やあ、“シルヴァン卿”。結婚おめでとう……でいいのかな?」 「ジャンくん、おめでとう」  まずリズの友人達に、次いで悪友達の“洗礼”を受けてへとへとになったジャンを、“お隣のお嬢さん”ことセリーヌ とその婚約者のカルル大尉が迎えた。  ジャンは慌てて頭を下げる。 「あ、お二人とも今日はわざわざすみません」 「そんなことないわよ? とっても素敵な式だったから。 ……私も、“あれ”やって貰おうかしら?」 「……それは勘弁してくれ」  カルル大尉は顔を引きつらせて即答する。 「ふふふ、冗談よ。でも、さすがジャンくんは“甲斐性”があるわよね〜 リズちゃんが自慢するだけのことはあるわ」 「まったくだ。“勇者”と呼んでも差し支えなかろう。驚嘆に値するよ」 「は? ――って、何で知ってるんですか!?」  ウンウンと頷きあう二人を見て、ジャンは一瞬何のことか判らず素っ頓狂な声を上げた。が、直ぐにその意味を悟り、 答えの判りきった質問を叫ぶ。 「「リズちゃん(君の細君)が言ってたわよ(が)?」」 「リ〜〜ズ〜〜!」  ジャンは“お仕置き”すべく、友人達とはしゃぐリズの所へ行こうとした……が、セリーヌに止められた。 「駄目よ、ジャンくん。甲斐性のある男は笑って許してあげなくちゃ」 「……はい」  婿入り当初からのジャンを知る彼女には頭が上がらない。ジャンは渋々矛を収める。 「よろしい♪」  その笑顔が眩しかった。 「カルル大尉は飛竜騎士なのですよね?」 「ああ、そうだよ。やっとこさ一人前(大尉)になったんで、ようやくセリーヌと結婚できる。  ジャンの質問に、カルル大尉は苦笑しつつ答えた。  飛竜騎士は修練期間が非常に長い。  飛竜騎士になるにはまず“飛竜騎士候補生”(教育機関は錬成飛竜騎士団)になる必要がある。候補生は4年課程で、 まず前半の2年で士官・飛竜騎士としての基礎知識が叩き込まれ、後半の2年は最初の4ヶ月は下士官待遇の見習として地 上軍の連隊に派遣され、残り20ヶ月は実際ワイバ−ンに搭乗し訓練する。  無事に候補生課程を終了すれば見習士官の位が与えられ、“見習飛竜騎士”(教育機関は第5飛竜騎士団)として本格 的な実戦訓練を1年間行う。これを終えると少尉の位が与えられ、“准飛竜騎士”となる。 ……が、まだまだ訓練機関 は終わらない。この後2年間、引き続き第5飛竜騎士団で腕を磨かせられることになるのだ。  候補生4年、見習1年、少尉2年の都合7年を経ると中尉の位を与えられ、“正飛竜騎士”となる。これでようやく実戦配 備だ。ここまでの間に“帝國”風に例えれば、月30時間×56ヶ月で都合1680時間程度の飛行時間を経験している。(実際 には自習や補習などで、その大半が2000時間近くを経験済み)  が、この程度では実戦部隊では半人前だ。実戦配備後二〜五年かけて編隊指揮官資格(2〜3騎の長)を獲ると大尉に昇 進できるが、これでようやく“本当の一人前”なのだ。実戦任務は10〜12年程度続き、三十代前半から遅くとも半ばには 第一線を退くことになる。その後は一部がより高位の指揮官を目指す他は、経験を活かして教官や飛竜養成官となるか退 役して第二の人生を送ることとなる。  このように飛竜騎士は一見華やかだが、その華の期間は余りにも短い、まるで花火の様な存在だった。 「……僕もなれますか?」  思いつめた様なジャンの言葉に、カルル大尉は驚いた様な顔をした。 「君の様な大身がなる職業じゃあないよ。正直、家禄250フロルの私だって浮いているのだから」  実際、魔導師で飛竜騎士を志す者などまずいない。メリットが無いからだ。  まあさして俸給が良い訳でも、出世出きる訳でも無いのに辛く長い修行期間だ。敬遠するのも当然だろう。(国として も、魔導師には研究開発に精を出して貰ったほうが良い)  が、これが魔導士から見ると話が変わってくる。『下士官から始めて中大尉で定年』相当の彼等から見れば『いきなり 将校』の上『大佐や少将になれる可能性も(僅かだが)ある』飛竜騎士は出世コ−スの花形だし、収入も良い。故に毎年 卒業生の大半が候補生を志す――という訳だ。  要するに、飛竜騎士とは『魔導士の職業』なのである。 「…………」 「まあもし志すなら、『誰かを蹴落とす』覚悟だけはしておきたまえ」  その時のジャンには、カルル大尉のその言葉の意味がよく判らなかった。  が、一年と立たずにジャンはそれを痛感することになる。 ……『ジャンが存在する以上、その前後数期の卒業生達は 絶対に将官になれない』ということを。  彼の存在が、『魔導士でも将官という高位職につける可能性がある』という唯一の出世コ−スを潰してしまったのだ。  卒業後、ジャンは飛竜騎士候補生となった。無論、ここに至るまで多くのいざこざがあったが、そう多くは語る必要も 無いだろう。  本年度候補生となったのは50人(ただし実際に騎士になれるのは半数以下)。男子魔導士は178人中122人が志望したが 、男子魔導師で志望したのは43人中ジャン1人だけだった。  そして月日は流れ三年生となり、4ヶ月の地上軍での見習い期間が終わっていよいよワイバ−ンに搭乗し始めた丁度そ の頃、とある事件がジャンの耳に飛び込んだ。 「レスト島が占拠された?」  ジャンは首を捻った。 「それ……何処だ?」  大陸人の多分にもれず、ジャンもまた海洋の島――しかもさして重要でもない――になどさしたる興味を持っていなか った。 「北クローゼの一番南の島らしい。イルドーレの隣だよ」  事件を教えてくれた、数少ない同期の友人が補足する。 「イルドーレ? ……まさか連中が?」  自殺願望でもあるのか、と呆れる。 「いや、“帝國”らしい」 「“帝國”? 聞いたことも無いな……」 「なんでもここ数年、大内海で暴れまわってたらしいけどね」 「新興国家か……」 「ま、直ぐに終わるだろうけどね。飛竜軍も第13連隊を派遣するらしいし」  第13連隊は水上打撃に秀でた連隊だ。 「違いない。何れにせよこっちには関係の無い話だな」  ジャンはそう笑って軽く聞き流した。