帝國召喚 改訂版 短編「邯鄲の夢」 【前編】  清華。  中央世界から遠く離れた極東の地に存在する彼の国は、でありながら列強(*1)として君臨する唯一の国家だった。  ……これは前代未聞のことである。  アルフェイムにおいては“母なる海”小内海こそが世界の中心であり、その沿岸地域――即ち中央世界――に存在する国、住まう者のみが“文明国”“文明人”とされている。  その他は全て辺境であり、夷狄戎蛮の棲まう地なのだ。ましてや遠い東の果て極東など、蛮族とはいえもはや人の住む地ではない。その様な辺境中の辺境の国家に“列強”の称号を与えるなど、“常識”では考えられなかった。  更にある。  清華人は米を喰らう。  無論麦や肉も食すが、米も喰らう。  ――なんと野蛮なことよ。  まるで小さな蟲を無数に盛ったかの様な椀を、それを食すのを見て、中央世界の“文明人”達は哂ったことだろう。  さすが東夷共にすら“東夷”と罵られるだけのことはある、と。  ……そして哂うと同時に、反感も覚えた筈だ。  ――なんと生意気なことよ。  他の蛮族共の様に中央世界の風を真似るのでなければ、恥じて自国の風を隠すのでもない。  かといって気負っている様子も見せずに平然と自国の風を見せ付けるその態度は、“文明人”達を甚く刺激したことだろう。  こいつ等は自分達を……ひいてはこの中央世界を“世界の中心”と見做していないのではないか――そう疑念を抱かせる程に。  が、それでも尚、中央世界は清華を列強として認めた。  如何な極東の果てとはいえ、3億とも4億とも言われる人口を誇る超巨大国家である。無視し続けるなど土台不可能な話だったのだ。  加えて清華は東方辺境領域に多大な影響力を有しており、巨大な経済圏を独自に築いている。経済的な観点からも国交は不可欠だった。  ……認めざるを得なかったのだ。  それ故、列強諸国は渋々とこの“東夷の大親分”を迎え入れたのである。  清華が列強となれたのは、まあその様な理由からだった。  尤も、列強諸国はあくまで“客人”として清華を向迎え入れたのであって、仲間として共に中央世界での権益を分かち合う気は更々無かった。  故に彼等が認めたのは、清華を外交上対等に扱うこと、東方辺境領域――自分達の手が及ば(べ)ない場所――における清華の権益を認めること、という現状追認的なものに過ぎない。  そして権益分配等の実質的な話し合いでは、清華は常に蚊帳の外に置かれていたのである。 (対する清華もこれを受け入れた。彼等からすれば遠い中央世界での権益など画餅同然であり、対等な外交・交易関係を結べばそれで十分だったからだ)  この様に、清華は列強諸国の中で浮いた……というより孤立した存在だった。  話を本題に移そう。  清華は世界最大の国家である。  人口30,000万人余。が、これすらも平民のみの数字であり、他の階層は算入されていないのだ。  およそ1000万人の王侯貴族と士族(全人口の3%)、300万人の聖職者(全人口の1%)……そして600万とも700万とも言われる賤民(全人口の2%)をも含めれば、32,000万前後にも達するだろう。  ……これはアルフェイム人口の1/6、他の大文明圏の3倍に近い数字であった。  単独でこれ程の巨大文明圏に成長できたのには、理由がある。  後に“帝國”の研究によって明らかになるのだが、実は清華は……と言うよりもこの文明圏(*2)は『三つの大文明圏とその周辺の中小文明圏が統合』して生まれた“超巨大文明圏”なのだ。(北部は麦を主食とし、南部は米を主食とする理由もこれで説明がつく)  他の地域とは異なり文明圏間の距離が近接していた上、大河が多いために陸輸だけでなく海運も可能だった点を“帝國”の研究者は指摘しているが、何れにせよこれだけの領域を統一した清華開祖は間違いなくアルフェイム史上屈指の“英雄”と言えるだろう。  ……が、これだけの領域である。全国を完全な統制の元に置く事は不可能……と言わないまでも非常に困難である。  それ故、清華開祖は郡国制を採用し、特に辺境には実子に大領を与えて配した。秦・蜀・楚・呉・越・斉・燕・趙・魏・韓の“清華十王国”である。  他にも多数の諸侯・貴族を各地に配し、その地域の要とした。  彼等は俗に『十王爵、一千諸侯、三千卿、五万大夫』と称される清華の譜代直参貴族(*3)であり、その詳細は以下の通り――   王爵  1000万石前後の国守   公爵  10万石以上の郡守或いは郡守格   侯爵  1万石以上の県主或いは県主格   伯爵  1万石以上の領主格   卿爵  3000〜1万石の領主或いは領主格   上大夫 500〜3000石の領主或いは領主格   下大夫 500石未満の領主或いは領主格   *清華の行政区分は州、郡、県に大別される。(県未満は省略。なお一戸は5〜6人前後)    州 500,000〜1,000,000戸前後    郡  50,000〜  100,000戸前後    県   5000〜   10,000戸前後   *“王侯”とは王・公・侯・伯、“諸侯”とは公・侯・伯、“王侯貴族”とは王・公・侯・伯・卿大夫を指す。  こうして見ると、貴族とは『領地を有する(と見做される)者』だということが判る。如何な大禄――この場合多くは一代限りだが――を得ようと、領主でなければ士に過ぎぬのだ。  貴族とは、領地を治めて地域の安定を図ると共に、一朝事ある時は兵を率いて駆け参じる藩屏であり、  士は、その文武でもって主君に使える官である、という訳だ。  ……尤も現在では軍事権まで有している完全な“領主”は王のみであり、公侯は統治権のみ、伯以下に至っては徴税権を有するだけの存在に過ぎなかったが。 (ちなみに上で“石”という単位が使われているが、当然“帝國”の1石とイコールではない。これはかつて江戸期以前の“帝國”の様な租税形態を用いてきた時の名残であるが、最早完全に形骸化している。『1石=領民1人』と考えた方がまだ実態に近いだろう)  そんな数多の直参貴族の中に、一人の元“帝國”人がいた。陶侯、朱祐である。  朱祐は“帝國”登場の少し前、およそ30年間に渡って清華の要職にあった人物である。  残念ながら彼の“帝國”名は現在に伝わっていない。一応、“山田太郎”なる名が伝わってはいるものの如何にも偽名臭く、生地に至ってはは“相模国”という出鱈目ぶりだ。こうして見ると、“大正元年”という生年月日も怪しいものだった。  ……恐らく清華に骨を埋める覚悟で全てを捨て去ったのだろう。幾人かの名が挙げられているが、現在に至るまで確証は無い。  この様な態度から常にシュヴェリン王国のアキレアス大王(*4)と比較され、売国奴呼ばわりされる場合が多い。  が、それは余りに言い過ぎというものだろう。彼は彼なりに精一杯生きたのだから  ――とはいえ、このまま正体不明では話にならない。  故に最も有力な説を採用し、それを朱祐の正体としようと思う。転移時に少壮気鋭の大蔵官僚だった某氏のことだ。  氏は転移直後に消息を絶ち、その後死亡宣告を受けているが、その様々な特徴が朱祐と重なっている。何より朱祐が財務官僚として頭角を現したことからも、氏が朱祐だった可能性が高い。  ……が、上に挙げた通り確証は無い。それ故、読者諸兄に重ねて申し上げておく。  これはあくまで筆者の独断である、と。  何れにせよ、朱祐は外国人の身でありながら一代にして陶県5万石を領する諸侯(陶侯)にまで上り詰めた事だけは事実である。  文字通り徒手空拳で一国一城の主にまで登りつめたのだ。その点、紛れも無く彼は“偉人の一人”だった。 ――――清華、金陵。  金陵は清華の都である。  その人口は登録されている土地管理者――必ずしもその土地の持ち主ではない――とその家族だけでも200万、実数なら300万を越える世界最大の都市だ。  これ程の規模でありながら、その四方は高く厚い城壁で囲まれており、街並みは整然と区画されている。  更に驚くべきことは、内陸の都市でありながら都市内港を持っていることだろう。わざわざ遠方から運河を開通させた、と聞いてはただただ驚嘆する他ない。  『一体、如何程の国力か!』  それがこの地を初めて訪れた者――その誰もが等しく抱く思いだった。  正に世界最大の国家たる清華の首都に相応しい都市、と言えるだろう。  朱祐もそう感じた者の一人だった。  初めて金陵を訪れた時、その荘厳さに圧倒されたものだ。  “帝國”で生まれ育ちながら、なおそう感じたのである。  大通りを竜車と騎竜の一団が進んでいた。  20騎程の騎竜は皆、騎槍や騎銃で武装している。  金陵では良く見る光景、諸侯行列だ。  その中央の一際豪華な竜車、その中で朱祐は溜息を吐いていた。  ――俺も、老いたものよ。  陶城から金陵まで竜車で僅か一日。  が、年老いた身にはそれすらも辛い。急ぎの旅なら尚更だ。  老いというものを嫌でも実感させられ、朱祐の気分は重くなっていた。  ――考えてみれば俺ももう75……いつ死んでも不思議ではない年だ。  そんな当たり前のことに気付き、愕然とする。本来ならばとうに隠居して不思議で無い……いや、すべき歳だ。  が、流石に官職は辞したとはいえ、彼は未だ陶侯だった。結婚したのが遅く、子供達は皆まだ若いためだ。(彼等は今しばらくは金陵で官僚として仕え、経験と顔を繋ぐ必要があった)  加えて朱祐が陶侯となって10年、ようやく陶県の経営は軌道に乗ったばかりである。まだまだ若い子供達には任せられない。  故に、朱祐は老骨に鞭打って領内の経営に没頭していたのである。  ――孫も生まれたことだしな、まだまだだ。もう数年は頑張らねば。  自分に老いを感じている暇などない。  朱祐は決意を新たにし、気合を入れた。 ――――金陵、首城。  金陵は――というよりも清華の都市は皆、都市全体が城の様なものである。  よって首城とは官衙等の公的な区画を指し、正確には城ではないのだが、まあ実質的には“城の中にある城”といった存在だ。  現在、朱祐は其処にいた。  『至急参内せよ』との命により参内したのではあるが、通された場所は謁見の間ではなく“奥”――皇帝の私的居住区――だった。  訝しみながらも朱祐は立礼する。 「ただいま参内致しました」 「うむ、大儀であった」  皇帝は軽く頷いた。  アルフェイムにおける皇帝とは、(皇帝位を与えた)神の“地上における代理人”である。  “帝國”風に考えれば『皇帝とあると同時に教皇』とでもいった存在で、人の身でありながら王位を与えることが出来る唯一の存在であるばかりか、聖職者の任命除名すらも独占する正に絶対者だった。  ……それ故に中央世界ではまともな存在とは見做されず、清華を野蛮と見る材料の一つとなっていたのではあるが。 「実は朱祐に見て貰いたいものがあってな」  そう言うと、皇帝は控えていた側近の一人に目を配らせた。 「陶侯、これを御覧下さい」 「? ……! こ、これは!?」  は手に取ったものを見て、目を剥いた。  ……それは、紛れも無く“帝國”の新聞だった。  そして何より、その日付に目を奪われる。  『昭和一七年七月七日』  自分がこの世界にきてから、半年以上未来のものだ。  震える手付きで紙面を広げる。  懐かしさの余り、涙が滲み出てくるのを止められない。  が、そこで疑問が沸いてきた。  ――何故、これが此処にある!? 「これは我が国の交易商人が、大内海沿岸で手に入れたものです」  新聞を渡した側近が、朱祐の疑問を察して答えた。  ……無論、ただの商人ではないだろう。おそらく間諜も兼ねているに違いない。 「……朱祐、済まなかったな。朕はお前で試す様な真似をしてしまった、許せ」  涙を浮かべて新聞を握り締める朱祐を見、皇帝が済まなそうに言った。  そして側近を促し、事情を説明させる。  ここ数ヶ月前から気になる報告が届いていた。  何でも大内海で暴れまわっている国がある、と。  その国は恐ろしい程の勢いで大内海沿岸を統一しつつある、と。  ――ここまでならば清華にとっては関係の無い話だ。  それ故に、直接の担当者を始めとした官僚達は、さしたる感慨もなくその報告書を書庫の奥に放り込んだ。  ……このままいけば、書庫の奥で朽ち果てる運命だっただろう。  が、偶々ある高官が調べもののため自ら書庫を訪れ、新しく入ったという報告書を何気無く開き、やはり偶々気になる単語が一つ……一つだけその目に飛び込んだことからその運命は一転した。  『その国の名を、“帝國”という』  ――よもや、これは陶侯様の故国のことではないか!?  高官は驚愕した。彼は以前秘書官をしていただけあり、朱祐のことは良く知っている。  彼は慌てて皇帝に上奏した。  内密に再調査を行った所、驚くべきことが次々と明らかになった。  何しろ、常識では考えられないことのオンパレードだ。調べれば調べるほど“帝國”の異質さが浮かび上がってくる。  これは“この世”の国ではない――そう上層部が結論を下すのに、さしたる時間を必要としなかった。  そして引き続き調査を続行させると共に、あらためて確認の為に朱祐を呼んだ、という訳だ。  ……ここで補足しておく必要があるだろう。  清華の幸運は『朱祐がいた』ということだ。  彼は清華の高官であり、その身の上は首脳部の誰もが知っていた。半信半疑ではあるものの、端から否定してはいなかったのだ。  だからこそ先入観を排し、その報告の重大性を『理解できた』のである。 (逆に言えば、その詳細を知っているのは一部の高位高官のみであり、であるが故に報告書を最初に読んだ担当者達は無視したのである)  朱祐は上の話を呆然と聞き、やっと一言搾り出した。 「……そうですか」 「ああ、悪いがこれから朱祐にも働いてもらうことになる。 ……が、今日の所はもう下がれ。下がってゆっくり休め」  朱祐の様子を見、皇帝は予定を切り上げることを決めた。  ……これから彼に課される役割が、彼にとって辛いものになるであろうことを承知しているが故の心遣いだった。  …………  …………  ………… 「あの日も、こんな雲一つない晴天だったか……」  首城からの帰り道、金陵の屋敷へと向かう竜車の中、朱祐は呟いた。  ……が、その心中は外の天気とは正反対だった。  ――あれから40年……40年だ。何故、何故今更……  知らず知らずの内に両の拳が握り締められる。  かつてあれ程帰る事を切望した祖国が、この世界にある。  何度泣いたことだろう、何度叫んだことだろう。 ……が、帰ることはできない、出来る筈が無い。  長きに渡り清華の国政を一手に司ってきた自分が、今更帰れる筈も無いだろう。自分は清華を知り過ぎたのだ。  加えて彼には子も孫もいる。子供達は半分“帝國”の血を引くとはいえ皆清華で生まれ育った清華人、孫に至っては清華の血の方が遙かに多い完全な清華人だ。あの子達を見捨てろ、と? 400の家臣(*5)とその家族を……5万の領民達を見捨てろ、と?  ……そして清華自身にも恩がある。一外国人に過ぎなかった自分を受け入れ、諸侯にまでしてくれた、という大恩が。  ――俺はどうすれば良い?  朱祐は頭を抱え、蹲る。  これから清華が自分に求めることなど判りきっていた。  知っている全てを、思いつく全てを話せ、ということだ。  今までの様に、一人の“帝國”人として故郷のことを語るのではなく、元大蔵省官僚として語らねばならぬのだ。  ……が、それは“売国”以外の何者でもなかった。  彼は、決断を迫られていた。 *1 ――――列強――――  大文明圏における最強国家に与えられる尊称。世界有数の国力を有し、周囲の文明圏のみならず遠方の文明圏にまで多大な影響力を有する――ここまでは“帝國”における定義と同じだが、大きく異なる点が幾つか挙げられる。 @海外領土を殆ど――或いは全く――保有していない。  アルフェイムでは空軍(ワイバーン)の力が陸海軍を圧倒しており、海上からの戦力投射は自殺行為と同義語にまでなっている。例え小規模文明圏が相手でも腰を据えて、それでもかなりの損害を覚悟せねばならぬだろう。陸続きの周辺文明圏の場合においても同様で、大概距離が離れているため困難な遠征となる場合が多い。  ……要するに、他文明圏の侵略などこの世界では――少なくとも中央世界においては――とても割に合う行為ではない、ということだ。 A多文明圏間の相互補完関係。  @で挙げた様に、海外への軍事力投射は非常に困難である。それでも列強諸国が多大な影響力を及ぼせる理由は、その経済力と魔法技術力で各文明圏の有力国を取り込み、同盟国としているからだ。  彼等同盟国が列強の軍事力を代行し、その文明圏における列強のシーレーンや権益を守る。その代わりに列強のシーレーン網を利用して交易出来るし、(退役した中古とはいえ)ワイバーン・ロード等の強力な魔法兵器を優先的に購入することも出来る。戦時には援助だって受けられるだろう。文明圏内で非常に優位な立場に立つことが可能なのだ。  この様な列強を盟主とする有志連合の“相互補完関係”、そして列強間の“談合”こそが、この世界における標準的な国際関係なのである。(それ故、外交というものが非常に重視されている) *2 ――――文明圏――――  アルフェイムは地球の表面積のおよそ3倍であり、その陸地面積も2倍を越える。加えて大陸奥地や辺地には魔獣が存在するため、人類は大陸海岸沿いにまるで海に浮かぶ小島の様に点々と散らばった生活圏を形成している。これが“文明圏”だ。  その規模は様々であり、“大文明圏”ならばその人口は10,000万人前後に達するが、他の“中小文明圏”ならば中央世界でもせいぜい1,000万人前後に過ぎず、2000万を越えることは無い。それ以外の所謂“辺境”ともなれば100万人前後だろう。 (なお余談ではあるが、世界人口200,000万人のうち、およそ半数が中央世界で暮らしている) *3 ――――譜代直参貴族――――  この場合の“譜代”とは『代々の臣』ではなく『子孫に爵位を相続可能な』という意。(ちなみに『代々の臣』は“重代の臣”と呼ぶ)  故に、譜代でなければその地位は一代限りである。 *4 ――――アキレアス大王――――  シュヴェリン王国中興の祖でカナ・メクレンブルク・シュヴェリンの祖父。(詳細は外伝1を参照) *5 ――――400の家臣――――  陶侯家臣団は大夫25人、士350人の計375人。しかもこれは士分以上(官)の話であり、平民階級である雇人(卒)も含めれば800人を越える。  なお陶県の人口は53,200人、その内訳は貴族・士族1,600人(うち100人は郷士)、聖職者530人、平民50,000人、賤民1,070人である。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【中編】  朱祐の瞼に、40年以上前の光景が浮かび上がった。  …………  …………  …………  気がつくと、彼は草原で仰向けに倒れていた。 「……ここは何処だ?」  軽く首を傾げる。  つい先程まで、自分は省内で仕事をしていた筈だ。  ……ならば、これは夢なのだろうか?   グ〜〜  が、腹が自己主張し、その考えを否定した。  ――そういえば、夜食抜きで残業をしていたか。  そこで、気付いた。  まだ夜が明けたばかりの筈なのに、あんなに太陽が高いことに。  ……が、だからといってどうなる物でもない。   グ〜〜!  腹が先程以上に自己主張をした以外、状況は何も変わらなかった。 「腹が減っては戦はできぬ。戦が出来ぬのだから仕方が無い……」  そう呟くと目を瞑る。  数分後、穏やかな寝息と共に彼は眠りに就いた。  ……結局彼が選択した行動は、『このまま無駄な体力を使わぬ様、ここでじっとしている』という酷く消極的なものだった。  このままいけば、彼は行き倒れていたことだろう。確実に。  が、幸か不幸か“このまま”行き倒れることはなかった。  それから間もなくして武装した男達に捕らえられ、牢に放り込まれたからである。  数日後、彼は未だ牢の中にいた。  何でも、自分は貴族の狩場に無断侵入したらしい。  ついでに戸籍を答えられない(でたらめな)こと、奇妙な服装をしている?ことから、“逃げ出した賤民”なる疑いもかけられているらしかった。  ……よく判らぬが、“帝國”士族……それも天下の大蔵官僚たる自分としては、甚だ心外な話である。  が、暗い牢の中、僅かな食事と水だけでは怒る気力も湧いてこない。相変わらず横たわり、独り呆けるのみだ。  鞭で打たれた痛みに顔を顰め、僅かに体を動かすと、顔に微かな光が当たった。  ……月の光だ。覆っていた雲が去り、闇を払ったのだろう。  その柔らかな光は、どこかほっとさせる。  彼は僅かに洩れる月光を眺め、そしてふと口ずさんだ。   牀前看月光(牀前月光を看る)   疑是地上霜(疑うらくは是れ地上の霜かと)   擧頭望山月(頭を挙げて山月を望み)   低頭思故郷(頭を低れて故郷を思う)  李白の“静夜思”である。  彼は同時代の“帝國”エリート層の例に漏れず豊かな教養を持ち、また特に漢詩を好んでいた。  ……それ故の、何気無い呟きだった。  が、それは思っても見ない効果をもたらした。 「“先生”、どうかその詩を今一度詠んでは頂けないでしょうか」  見ると牢の前で獄卒が跪き、頭を下げていたのだ。  獄卒頭は機嫌が悪かった。  ……それはそうだろう。よりにもよって、卑しい賤民(まだ確定はしてはいないが)風情を自分の担当する牢の一つに入れる羽目になったのだから。  ――ええい、汚らわしい! 後で床も壁も張り替えねばならぬではないか!  怒り心頭である。その賤民を自ら鞭打ちせねば気が済まなかった。  が、残念ながらここ数日忙しく、そんな暇はない。  獄卒頭は歯軋りしつつも、部下の極卒共に『俺が手を下すまで余計な真似はするな』と厳命し、暫く放っておくことにした。  ……それがまた、癪に障る。  故に、ようやく暇が出来た今夜、獄卒頭は暗い笑みを浮かべて牢へと向かっている、という訳だ。  深夜、己の足音しか聞こえない中、獄卒頭は一人牢へと急いぐ。  “賤民”は、他の牢から離れた場所に、一人閉じ込められている。  犯罪者とはいえ平民を賤民と一緒にする訳にはいかないからだが、その配慮のために『本来ならば十人以上押し込む牢を“賤民”一人に独占させる』というふざけた状況となったことも事実である。 「生意気な!」  獄卒頭はそう吐き捨てると、鞭を持つ手を強める。牢まであと少しだ。  ――と、何やら声が微かに聞こえてきた。  深夜……それも隔離牢だからこそであろう。牢に近づくにつれて大きくなり、やがて獄卒頭の耳にも明確に聞き分けられる様になった。  その内容を悟り、驚愕する。  ――これは……詩? 馬鹿な! 賤民が詩を詠むだと!?  野を這う獣が人語を話す様なもの、有り得なかった。  ……が、そう断定しつつも、その耳はその“詩”の断片を必死で聞きとろうとしていた。  頭を……挙げ……て…………山月……を望……み…………  頭を…………低れて…………故郷…………を思う…………  再び静寂が戻ると、獄卒頭は思わず手にしていた鞭を落とし、牢の前に跪いて乞うた。 「“先生”、どうかその詩を今一度詩っては頂けないでしょうか」  20俵取の軽輩とはいえ、獄卒頭は官――即ち“士”だった。  士、である。   武なかりしは文は惰なり。   文なかりしは武は蛮なり。   故に――   武なかりしは士に非ず。   文なかりしは士に非ず。  士あらずば官に非ず、獄卒頭も一通りの武芸と学問を身に着けていた。  それもただ身につけた、という訳では無い。真摯に学んだのである。  それ故に、理解出来たのだ。  断片のみとはいえ、その詩の美しさを。  “先生”が自分の望みを聞き入れ、その全てを詠い終えた時、不覚にも獄卒頭は涙を浮かべていた。  ――何と美しい詩か!  自分風情にも判るその素晴しさに、獄卒頭は感激した。  加えて韻を踏んだその詠みは、その意味を完全に理解している証拠だった。  ――この方は断じて賤民などではない!  そう獄卒頭は確信した。  何せ、これ程の詩である。  詠まれればたちまちの内に天下の評判になること間違いない。  が、未だこの様な詩は聞いた事が無かった。  ……ならばこの方が今作られ、詠まれたのだろう。そうに違いない。  かほどの詩の誕生に立ち会えるとは、何たる名誉か! 「先生、この様な場所に押し込めた非礼をお許し下さい。必ずや獄卒長に先生の無実を訴えましょう」  獄卒頭は再び頭を下げ、そう誓った。  以後の遣り取りについて多くを語る必要はないだろう。  獄卒長は非礼を侘び、獄舎の一室を用意して以後彼を客人として遇した。 (開放されなかったのは彼が未だに身元不明であるためだ)  獄に詩聖あり――その噂はたちまち近隣に広まった。  彼の宿舎には噂を聞いた近隣の文化人が足繁く訪れ、教えを請う。  彼もまた請われるまま幾編かの詩を詠み、またその全てが余りに素晴しかった為、その名声はますます広がっていった。  ……そして、ついに噂は宮中にまで及んだ。  ――是非会いたいものだ。  朱祐――彼はこの時既に清華風に“朱祐”と名乗っていた――が詠んだとされる数編の詩に目を通した後、時の皇帝は溜息と共にそう呟いたという。  当時は孝文帝の世である。文学を……ことに詩を愛し、自らもまた好んで詩を詠んだ帝にとってそれは当然の思いだったろう。  が、その身は大清華の皇帝、如何な“詩聖”と言えども何処の馬の骨とも判らぬ輩と会うことは出来ない――そう主張する重臣達に、孝文帝は命じた。  ――ならば、身分を与えよ。  こうして朱祐は半抱入席(*1)とはいえ下大夫(*2)の身分を賜り、拝謁を許されたのである。  ……が、拝謁の場で発言を許された彼は、とんでもない事実を告白した。  何とこれ等の詩は全て自分が作ったものではない、というのだ。しかも自分はこの世界の人間ではなく、この詩もこの世界のものではない、という。  もしもその告白が事実であるならば、皇帝を騙し、あまつさえ貴族の位階を不当に得たことになる。  また告白が嘘であるならば、やはり皇帝の前で嘘偽りを言い、愚弄したことになる。  ――八つ裂きにせよ。  そう命じてもおかしくなかった。(事実、歴代の皇帝ならばそうしたことだろう)  ……いや、それよりも前に周囲の廷臣達が騒ぎ出した。  が、孝文帝は周囲とは異なる反応を示した。  ――ならばそちは、異界の名詩を詠んだ、というのか?  身を乗り出して尋ねる帝に、『御意、千編は諳んじえましょう』と朱祐は答える。  それを聞き、帝は感嘆と羨望の溜息を吐いた。  ――異界の名詩が一千編、か。  帝にとり、それは夢の様な話だった。  だから、『証拠に』と詩を詠もうとする朱祐を耳を塞ぎながら慌てて止め、命じた。  ――これより朕の傍に侍し、一日に一編だけ詠むがいい。  その後、朱祐は封1000石の上大夫位と宮中の一室を与えられ、以後皇帝に近侍することとなった。  月日は流れ、三ヵ月後。 「朱祐、朕は異界の存在を信じるぞ」  いつもの様に朱祐の詩を聞いた後、帝は真剣な顔でそう宣言した。  詩人にはそれぞれ個性(作風)というものがある。  が、朱祐が詠む詩はまるで多数の詩人が詠んだかの様にバラバラで、統一された個性(作風)がない。  ……にも関わらずどれも第一級だ、信じない訳にはゆくまい、と言う。 「いやはや、この世は不思議で満ちているものよ」  帝は大笑し、ついで苦笑した。 「……なるほど、だから“朱祐”か」 「?」 「いやなに…… そちは知らぬだろうが、朱氏というのはもう数百年以上も前に滅びた名門氏族なのだ」  朱氏とは現在の韓・魏・趙の三王国をも含む広大な領域を支配していた大国、晋王国の王族である。  当時まだ新興国であった清華など及びもつかぬ国力と伝統を誇ったが、その歴史の古さゆえか内紛が多発、戦わずして自滅の道を歩んだ。 「それは……知りませんでした。名を変えましょうや?」 「何もはや清華の世、滅んだ国のことなど気にする必要もあるまいよ。以後も朱氏姓を名乗れ、許す」  恐れ入る朱祐を制し、帝は上機嫌で笑った。  ……さて、この頃の朱祐は中々に多忙だった。  というのも、一人皇帝にのみ侍していた訳ではないからだ。  まず皇太后や皇后に、和歌を教授する役目がある。  ――なんて美しい文字、優しい詩なのでしょう!  皇帝同様に芸術を好む彼女達はすっかり和歌の虜になり、自ら歌会を催す程の熱の入れ様だった。  清華のトップレディーが二人揃ってここまで熱中する以上、他の高貴な女性方も和歌を習得せざるを得ない。皆、必死になって学習する。  ……が、帝國文字も和歌も知るのは朱祐一人のみ。彼女達二人への教授と歌会出席だけで済む筈がなく、目が回る忙しさだった。  そして止めは太子への歴史講釈。  太子は詩にはさしたる興味を示さなかったが、異世界の歴史に関しては別だった。  特に近世から近代に至る歴史に関しては並々ならぬ関心を示し、根掘り葉掘り聞き出した。  ――要するに我が国……いやこの世界は“産業革命”とやらの手前で足踏みしている、という訳だな。  駆け足とはいえ一通りの流れを聞いた後、太子は溜息と共に呟いた。  そして更に付け加えた。  ――私の他には詳しく話さぬ方が良いだろうな、讒言の良い口実にされるぞ。  事実であった。  何処の馬の骨とも判らぬ者が皇帝一家の寵愛を受けていることを、疎ましく思う者は多い。  朱祐は異世界などという有りもしない世界を持ち出し、陛下を始め皆様方を騙しております――といった類など日常茶飯事だ。  ……尤も、皇帝は『ならば一層重く用いねばならぬな』と笑い、太子は『どうでも良いことよ』と切り捨てるだけだった。  皇帝にしてみれば、今まで聞いた詩の全てが朱祐自身の作となるだけの話であり、本題である“詩の素晴しさ”に何ら変わりは無い。  太子は太子で、朱祐の歴史講釈が真実だろうが架空のものだろうが“聞く価値がある話”であることに変わりない。  ……いや、かえって朱祐の才が並々ならぬものであることになり、一層重んじる必要があるだろう。  故に一言で退けられる、それだけの話に過ぎなかった。  が、この歴史話はどうもまずい。特に革命の話など、下手に洩れた場合かばいきれない恐れもある。  それ故の忠告だった。  朱祐は太子の心遣いに感謝し、跪礼した。  この様に皇帝一家から寵愛を受けていた朱祐であったが、政治に携わる様になったのは宮中に出仕してから五年後のことだ。  ……意外な程遅いが、これは上で挙げた様に仕事で忙しかったため、そして未だこの世界の事情に不慣れだったためだ。  が、孝文帝が太子を摂政としたのを機に、朱祐は政治の世界に足を踏み入れることとなった。  朱祐、第二の官僚生活の始まりである。  当初、朱祐は政治に極力関わらない様に心掛けていた。  己が余所者である、ということを十二分に自覚していたからだ。  が、彼とて男、出世欲はある。 ……いや、大蔵官僚を志したことからも判る様に、むしろ人並み以上の大志を抱いていた。  故に最初は無意識の内に、途中からは意識的に、清華の政治体制を観察していた。  清華の政治体制は、おおまかにいって古代中国と“帝國”の政治体制を合わせた様な体制だ。  というのも、中国式の省の上に“帝國”式の太政官相当職が複数存在するのだ。彼等は太政官同様に司法・行政・立法を統べる清華の最高国家機関であり、皇帝の頭脳でもあった。彼等は――   正一品 大丞相   従一品 左丞相、右丞相   正二品 内丞相、外丞相   従二品 亜相   正三品 黄門   従三品 諌議  ――という様な序列となっている。(無論、その全員が諸侯だ)  ちなみに大丞相は1名(ただし非常設職)、左右内丞相は各1名、外丞相は2名、亜相は4名、黄門は8名、諌議は12名が定員で、おおよそ30名からなる。  正式な会議にはこれに各機関の長官が加わるが、常に皇帝の傍に侍り政を行うのは彼等“堂上衆”のみだ。  このような政治体制をとっているのは、貴族が政治を独占しているからだろう――そう朱祐は判断していた。  ……しかしこうして見ると、清華は一見支那によく似た文化を持っているが、細部では大きく異なるまったくの“別物”だった。  特に、支那の三大特徴である“科挙”“宦官”“朱子学”が存在しないことは大きい。  清華では貴族が政治を行い、士族がこれを実務面から支えている。それ故に科挙や宦官が存在しない、というのは判る。  が、朱子学が存在しない、ということを知った時は朱祐も驚いた。  ――やはり清華は支那ではない。  あらためてそう考えざるを得なかった。  が、同時に確信した。『これならやれる』と、『自分の腕を振るえる』と。  儒学的な考えこそあるものの、朱子学の様に極端にイデオロギー学的な思想とは無縁の清華は、かなり実利的だ。それは『士とは文武両道たる者』『武だけでは芸人、文だけでは遊人』という考えからも伺える。  ……まあ芸人や遊人でも、それを極めてしまえばまた話は別なのだが。 (この場合の武とは武芸に止まらず実用的な能力――算術でも職人の腕でも良い――のことを指す。文とは教養のこと)  無論、封建制度を取り入れている以上完全に実利的な筈も無く、あくまで『想像以上に』といったレベルでしかない。『支那よりは遙かにマシ』といった程度のものだ。  が、それでも朱祐は決断した。  元大蔵官僚……それも同期で頭一つ抜きん出、『末は大蔵次官か』と将来を嘱望されていた程の腕が疼いたのだ。  こうして朱祐は太子の摂政就任と共に引き立てられ、官となったのである。  『正四品下、戸部尚書』――それが朱祐に与えられた役職だった。  戸部省は六部省(*3)の一つで、“帝國”で言えば大蔵省と民部省の職務を兼ねる大省である。尚書はその長官だから、大蔵省長官兼民部省長官と言ったところか。  朱祐はかつて目指していた役職(大蔵省次官)を飛び越え、いきなり清華全土の民事・戸籍・租税を統べることとなったのである。  結果として、朱祐は大成功を収めた。  ・近代的な統計・分析法の導入、  ・税制を一新すると共に酒・煙草等の専売化、  ・殖産政策による商工業の発展、  といった堅実な手法に加え、  ・国営銀行の設置と公認両替商の銀行化、  ・清華初の大規模公共投資(*4)  ――まで行い、国力と税収を増加させたのだ。  未だ発展途上にあった清華経済にあって、大規模公共事業の効果は凄まじく、各地の経済状況は大幅に好転した。  加えて幸運にもこの時期は豊作が続き、『倉庫には食料が満ち、金庫には金銀が満つ』と言われる程の税収だったという。(尤もその金銀・食料は即座に次の公共事業に回され、死蔵されることはなかったが……)  この功により、朱祐は『従三品 尚書令』に補された。  尚書令とは非常設職の職であり、六部の長であると共に、諌議格として常時朝議に参加できる“堂上衆”の一人でもある。  時に清華に漂流して10年、朱祐44歳のことだった。  その後孝文帝が崩御し、太子が帝位に就く(孝景帝)と朱祐の改革はますます加速する。  その最大の改革は逓信部の創設であろう。  特に『駅竜と魔法通信網を大幅に増強、これを“民間の利用も可”とする』ことは、正に大改革と言っても良かった。  無論、中央世界においては古くから行われていたことではある。が、朱祐はこれをより大規模に、より安価に行ったのである。  ……当然、反発は大きかった。  特に『各地の有力郷士に世襲官の地位を与えて郵便業務を代行させ、早期に全国に郵便網を整備する』『官通信網の開放』といった改革は大きな批判を浴びた。皇帝が強く後押しせねば、朱祐は失脚どころか命がなかっただろう。  それだけ苦労しただけに、その成果は大きかった。  今まで多額の維持費を必要としていた駅竜や魔法通信網が、数年後には大きな黒字をもたらすまでになったのだ。  それだけではない。通信・郵便網の整備は商業の発展を促し、更なる税収をもたらしたのである。  朱祐の面目は大いに上がった。  また朱祐はその膨大な税収を利用し、貴族士族に対する慰撫策も行っている。  当時、伯以下の貴族士族の収入は米に換算されており、これに相応する額を国から支給されていた。  ちなみに米1石は銀10両と規定されている。10石ならば100両、そういう“約束”だ。(故に知行1石=米1俵=米4斗=銀4両)  ……が、この約束は既に100年以上続いている。  米自体の価値も当時よりも落ちている上、当時は金≒銀10だった実勢比率が現在では金1≒銀15にまで低下、下級貴族以下……特に士族の生活を直撃していた。  朱祐はこの米1石=銀10両という約束を改めて段階的に増額していき、最終的には知行1石=米1俵=米4斗=銀15両としたのだ。人気が出ない筈がないだろう。  帝の信頼は厚く、平民や下級貴族・士族からも慕われる(*5)。  この時、正に朱祐は絶頂の中にいた。  朱祐は実に幸運だった。  官となった初期は、丁度経済が上げ調子だったために改革の功績が大幅に“上げ底”された。  それ以降も、清華という国が生まれて初めて体験する“大規模公共投資”という名のカンフル剤の連発、官通信網の開放といった新たな産業の創出により、経済は急上昇していった。  ……ああ、朱祐が官となって数十年、不作知らずだということも大きい。  無論、数年サイクルで起きるある程度の不作はあったが、凶作や大凶作とは無縁な清華史上最も幸運な時代だったのだ。  が、何時の世にも永遠は無い。  単純だった経済は複雑化し、思い通りにはいかなくなってくる。様々な弊害も現れてきた。  公共投資も回と時を重ねる毎に効果が薄くなっていき、それに絡む汚職も多発する様になった。  ……改革の負の側面が顔を現し始めたのである。  それを暗示するかの様に、豊作の回数と度合いも減ってきた。  何より、唯一最大の理解者であった孝景帝が崩御した。  ――潮時だ。  そう朱祐は思ったに違いない。  その身は既に『従一品左丞相・尚書令』と堂上衆筆頭であり、尚書令も兼任し実権を一手に握っていた。  また、3万石の孟伯として諸侯の一員にも名を連ねている。  ……後は、“落ちる”だけだった。  そう考え、朱祐は太子――まだ帝位に就いていない――に辞職を願い出た。  ――臣、既に七十に届こうとし、もはやお役に立てそうもありません。太子が帝位に就かれるのを期に、後進に道を譲りたいと思います。  太子は驚き、言った。  ――先生、私を見捨てるのですか?  太子は先帝の命により、一部の側近と共に朱祐の歴史講義を受けていた。それ故の“先生”である。  太子は強く慰留したが朱祐は重ねて辞し、遂に辞職を認めさせた。  先代先々代からの重臣である自分は、この血気盛んな若者……そしてその側近達にとって行く行く邪魔となるだろう。  ……ましてや落ちる一方の身である、惨めな最後を送りたく無かったのだ。  数日後、太子は朱祐を呼び出し、辞を低くして言った。 「先生のおかげで天下の万民が豊かとなり、国庫は満ち溢れております。 ……そのささやかなお礼として、丹陽郡を用意させて頂きました。  どうか以後、丹陽公をお名乗り下さい」  丹陽郡は60余万石。大変豊かな郡で、『実質的な収入は100万石を越える』とすら言われている程の大国だ。  これだけの大領を丸々有すとなると、大諸侯(公爵のこと)の中でも屈指の存在となるだろう。  ……が、朱祐は即座に辞退した。 「そこまで評価して下さることは身に余る光栄ですが、私には大領過ぎます」 「では、太原郡はいかがでしょう?」  太原郡は20余万石。どちらかと言えば平凡な郡で、実質的には丹陽郡の二割程度の国力でしかない。  ……即座に出たことから考えて、どうやらこちらが本命らしかった。(諸侯の反発を考えて、あえて丹陽郡を持ち出したのだろう)  とはいえ太原公でも中堅レベルの大諸侯に相当する地位である上、そもそも大諸侯からして臣としては最高位の身分だ。文句のつけようがない。  が、やはり朱祐は辞退した。 「やはり私には大領過ぎます」 「……では太原郡の北半郡、北太原公はいかがでしょう?」  戸惑いながらも太子は更なる代案を出した。  太原郡の郡都は北部にある。郡都を中心とした10万石強を、ということだろう。公の最低基準は『10万石以上』だから、大諸侯としては最小規模だ。  が、朱祐は一向に頷かない。 「建国以来の臣でもないのに、かつて公となった者はおりません。どうかご容赦を」  ――と辞退する。  とはいえ先程までの辞退とは異なり、含みを持たせている。要は『公爵位は受けない』と言っているのだ。  流石に三度目の提案を拒否するのは非礼、それ故の含みだった。  それを聞き、側近が進み出て進言した。 「殿下、左丞相殿に陶県を下賜されたら如何でしょうか?」 「おお! それは名案だ!」  太子は膝を叩き、四度目の提案を行った。  陶県は5万石。丹陽郡同様に豊かな地で『10万石に匹敵する』とすら言われている程の大県だ。  5万石の県守なので侯爵ではあるが、実質的には先の北太原公と変わらない。(とはいえ収入は同じでも公と侯では格が違うが)  加えて交通の要衝で、金陵まで『竜車で一日』という近さである。その様な地を賜るのは信頼されている証拠、非常に名誉なことだった。  ……また陶県は、朱祐の細君の出身地でもある。  細君は陶県の有力な一族、その本家の出身だ。統治も楽だろう。 「臣、謹んでお受けいたします」  朱祐は深々と一礼した。  ……四度目ともなれば如何なる提案も受け入れざるを得なかったが、陶県とは考えうる中で最上の領地だった。 (後に口添えしてくれた側近に、彼が多大な礼を行ったことは言うまでもないだろう)  太子は帝位を継ぐと同時に朱祐の辞任を受け入れ、代わりに陶県と多数の支度金を与えた。 *1 ――――半抱入席――――  皇帝を始め王侯貴族の家臣は、その身分保証によって以下に大別される。  譜代席は、その子々孫々に至るまでその身分(位階と禄)を保証された臣。  抱入席は、その身一代に限りその身分(位階と禄)を保証された臣。  半抱入席とは抱席の一種で、『一時的にその身分(位階と禄)を保証された臣』のこと。  なおこの場合の『一時的』とは『出仕している期間』を指し、通常年単位である。  抱席や譜代への登竜門、といった意味合いの身分であり、決して気軽に与えられる身分ではない。(ましてや皇帝直参の貴族位だ) *2 ――――下大夫――――  最下位の貴族で、江戸時代で言えば『中下級の旗本、或いは諸藩の上級武士』に相当する。  なお、この時朱祐が賜った位階は『50石格の下大夫』である。  ……ちなみに下大夫の禄は150石以上、最低でも100石が相場だ。  士ですらおおよそ20〜40俵の“下士”、40〜60俵の“中士”、60俵以上の“上士”、100俵以上と下級の大夫にも匹敵する“大士”といった具合――格こそ違うものの“大夫以下の1石”と“士の1俵”は同収入――であることを考えれば、100石未満……ましてや50石など『最底辺の貴族』と言って良いだろう。 *3 ――――六部省――――  吏部省・戸部省・礼部省・兵部省・刑部省・工部省のこと。行政の実務機関。 *4 ――――清華初の大規模公共投資――――  従来、清華は労役によって公共事業を賄ってきた。 *5 ――――『帝の信頼は厚く、平民や下級貴族・士族からも慕われる』――――  代わりに権力者の常として、多数の政敵に囲まれていた。特に保守的な一部大貴族からは嫌われ抜いていた。  また、周辺国の民からも怨嗟の声を浴びていた。というのも、彼は従属する周辺国を植民地と認識し、徹底的に収奪したからである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【後編】  …………  …………  ………… 「閣下、到着しまして御座います」  気付くと、何時しか竜車は屋敷に到着していた。  ……どうやらかなり長い間思案していたらしい。  朱祐の――というよりも陶侯朱家の金陵本邸は、中心部からやや離れた、王侯の別邸が集中する区画に存在する。 『これがかつて左丞相として天下の権を握っていた朱祐の屋敷か……』と別の意味で驚かれるほど小規模かつ簡素なこの屋敷は、“陶侯”……いや1万石の小諸侯の金陵本邸として考えても寂しいものがあった。(加えて中央から離れ過ぎている)  ……それもその筈、元々この本邸は別邸であり、朱家の金陵本邸は首城と目と鼻の先に存在したのだ。  が、丞相職を辞したと同時に返上、かつては別邸としていたこの屋敷に本拠を移したのである。  それは、『もはや自分(朱祐)は……いや朱家は政治に関わるつもりはない』という意思表示だった。  公への昇進を三度も辞退したことといい、この金陵屋敷のことといい、朱祐は自らを守るために様々な努力を行っていたのである。  権力を手放した“元”権力者など木から落ちた猿も同然、どれほど用心してもし過ぎることはなかったのだ。  ……ましてや大改革を行った“元”権力者は。  竜車から降りると、息子達が出迎えた。  長男祐極が代表して父に歓迎の言葉を述べる。 「父上、お帰りなさいませ」 「ああ、ご苦労」 「子が父を迎えるのに、一体何の苦労がありましょう。  ……ですがこの急な上京、一体何が?」 「……お前達は何も聞いておらぬか」 「と、仰いますと?」  この様子からして、何も知らないらしい。(まあ当然と言えば当然だが、帝から上京を命じられたことすら知らない様だった)  朱祐は何か話そうと口を開いたが、厨房から煙が上がっていることに気付いてその言葉を飲み込み、代わりに言った。 「まず、飯だ。 ……全てはそれからだな」 「は、既に用意は整えさせております」 「頼む」  本当は食欲など欠片もなかったが、せっかく子供達が用意したもてなしである、朱祐は喜んで受けることにした。  ……何より、酒の力でも借りねばやってられなかったのだ。  息子達に上京の理由を話した後、朱祐は珍しく深酔いした。  故に目覚めたのも遅く、日もかなり高くなってからのことだった。  ……そんな朱祐が一人朝食兼昼食をとり終えた直後、息子達が面会に訪れた。 「父上、“帝國”での御身をお話下さい」  兄弟を代表し、長男祐極が朱祐に願った。“帝國”には我等の祖父母や異母兄弟がおりましょう、お教え下さい、と。  彼等は、“帝國”にいるであろう祖父母や異母兄弟を、どうにかして引き取ろうと考えていた。  “帝國”は清華と何ら敵対関係に無い。それどころか利害関係すら生じないであろう遠方の国だ、時間はかかるであろうが不可能な筈はない――そう考えたのだ。  それを聞いた朱祐は嬉しそうな……そして悲しそうな笑みを浮かべて暫し目を瞑り、だが目を開くと同時に振り絞る様に答えた。 「……おらん、よ」  自分は“帝國”で天涯孤独の身の上だった、と言う。 「しかし、お言葉ですが――」 「くどいぞ、祐極! 我が妻、我が子はここにいるお前達のみ!」  尚も言葉を続け様とする息子に、朱祐は厳しい表情と口調で言い放った。 「……ご無礼、まことに申し訳ありませんでした」  ……そこまで父に言われれば何も言えない。  息子達は非礼を詫び、場を辞した。 「……すまん」  独りになった後、朱祐は詫びた。  ……それは一体、誰に向けた言葉であったろう?  朱祐自身にすら判らない。が、それでも言わずにはおれなかった。  瞼を閉じると“帝國”の家族のことが思い出される。  ……もう何十年も会っていない。  父母は、妻は、子供達は一体どうしているだろう?  さしたる資産も無い我が家だ。一家の大黒柱である自分がいなくなれば、たちまち生活は困窮するに違いない。  我が身は一国一城の太守であるというのに、  我が家の倉は財宝で溢れているというのに、  何もしてやることが出来ない……いや、『切り捨てた』のだ。  今の生活を守る為に、父母を、かつての妻子を切り捨てたのだ。  この親不孝者め。  この人非人め。 「くっ!」  忘れようとしていた現実が、朱祐の胸を痛める。  ……が、どうにもならない。  引退前、朱祐は権力者の常として多数の政敵に囲まれており、特に保守的な一部大貴族からは嫌われ抜いていた。  朱祐は彼等の既得権益……その核心に踏み込むことは遂に無かったため、全面衝突こそ回避できたが、その政策――ことに商人共の力を著しく増大させたこと――は彼等の感情を著しく害したに違いない。  あれから十年、されど十年。努々隙を見せる訳にはいかないのだ。  ――そう決断すると、朱祐は立ち上がった。 「誰か、竜を! 首城へ向かう!」  それから朱祐は知りうる限り、考えられる限りのことを話した。  その情報は大内海沿岸部に築かれつつある諜報網にも活用され、更なる情報をもたらす。  集まった情報は吟味され、極秘の内に清華最高首脳部によって検討される……らしかった。  正直な所、朱祐は情報提供者に徹していた……いや、徹しようと心がけていた。  折角政治から遠ざかり、忘れられかけていた所を再び目をつけられたら堪らない、何の為に決断したのか判らなくなるからだ。  それ故、皇帝と清華十王家のみによる極秘会議に証人喚問される度に、朱祐は憂鬱となった。  ……そして、更なる追い討ちがかかる。  『陶侯朱祐に陶県周辺4県のそれぞれ一部、計5万石を加増し“陶公”とする』  ――これは、売国の代償ということか。  この勅を受けた後、朱祐はそう言って嘆息した。  己が決断、その意味を突きつけられた様な気がしたからだ。  加えてこの勅により、再びかつての敵対者から目を付けられ始めていた。  ……何もかもが上手くいかなかった。  そして――  『“帝國”軍、ロッシェル侵攻!』  ……この報を聞き、遂に朱祐は倒れた。  その意味を誰よりも早く理解したからである。  以後、朱祐が床を離れることはなかった。  度重なる心労は、老いた身に着実にダメージを与えていたのだ。  ――果たして来年、俺はあの梅の花を見ることができるだろうか?  病の床、その窓から見える梅の木を見て、朱祐はふとそんなことを考えた。  体は日に日に弱まっていく。もはや一人で立ち上がることすら満足に出来ない。  死が傍まで来ていることを感じざるを得なかった。  ……なのに何故だろう、何故自分はこんなにもほっとしているのだろう?  何故、『やっと開放される』などと思っているのだろう?  自分は誰よりも幸運に恵まれた筈だ。  先々帝、先帝と二代に渡って重用され、現帝からも師として遇されている。  戸部尚書から始まり最後には左丞相・尚書令として大清華の内政を一手に担い、多大な実績も残した。  そして現在、大諸侯にまで上り詰め、富も名誉も地位も極めた。  こうして病で伏せるまでの七十余年間無病息災、沢山の子や孫に恵まれた。  ……なのに何故、こんなにも心が寒いのだろう。  ふと、母の言葉が思い出された。  『人は死ぬ間際になってみないと幸せだったかどうかわからないよ』  ――ああ、母上の仰った通りです。  朱祐は寝台に横たわりながらしみじみと思った。  自分はこんなにも――  それから数日後、朱祐は意識不明に陥った。  幾度が帝から見舞いの使者が派遣されたものの、遂に朱祐が目を醒ますことはなかった。  ……そして五日目の夕刻、突然朱祐は目を醒ました。  …………  …………  ………… 「……こ、ここは!?」  目が覚めると、そこは“帝國”の自宅だった。 「お目覚めになりましたか?」  そう言いながら、妻が顔を出した。  清華の妻ではない。 ……もう数十年も昔に生き別れとなった妻だ。 「!」 「……どうされたのですか? 鳩が豆鉄砲をくらった様なお顔ですよ?」  お酒、まだ抜けてないのですか、と妻。  ……妻の顔からして、どうやら昨晩はかなり飲んだようだ。 「いや、なんでもない。 ……そうか、全て夢、か」  笑いが込み上げてくる。  ……そうだ、あんな御伽話のような話が現実の筈がない。  全ては夢――己の出世欲がもたらした夢だろう。  そう考えると、なんだか体中の力が抜けた様な気がした。  末は次官、と出世に拘っていた自分が馬鹿馬鹿しくなった。  ――そういえば、ちっとも妻や子を省みなかったな。  だから、言った。 「おい、温泉にでも行かないか?」 「どうなされたのです、急に?」  驚いた顔の妻。  ……それを見て、笑いがこみ上げてきた。 「偶にはいいじゃあないか。俺もお前も働きすぎだ、家族全員で明日から行こう」 「あなたはお仕事、子供達は学校ですよ?」 「さぼらせろ、俺も休む」  あんぐりと口を開ける妻を満足そうに眺めると、急に眠気が押し寄せてきた。  ……ああ眠い、とても眠い………… 「じゃあ俺はもう一眠りするから、温泉の予約を頼んだぞ」  言うだけ言うと、布団の中に潜り込んだ。  ……もう夢はみないだろう、と確信して。  …………  …………  …………  朱祐は妻、そして5人の息子とその孫達に囲まれた中、虚ろな目で周囲を見渡し妻の手をとった。 「……ああ、―――か」  ……それは、数十年も前に生き別れとなった“帝國”の妻の名だった。  それを知る者はいない。が、知らずとも判った。  妻以外の女を近づけなかった朱祐が女の名を、それも異国の女の名を呼んだのだ。かつて異界にいた時の妻の名だろう。 「ち、父上!?」  慌てる子供達。が、妻はそれを制し、朱祐の手に両の手を寄せて言った。 「お目覚めになりましたか?」 「あ、あああ…………」  驚愕の表情を浮かべる朱祐に、妻は穏やかに語りかける。 「……どうされたのですか? 鳩が豆鉄砲をくらった様なお顔ですよ?」  と、朱祐は憑き物が落ちたかの様に落ち着き、喘ぎながらもだがはっきりとした口調で呟いた。 「いや……なんでも……ない………… ……そうか……全て……夢…………か……」  そして、言った。 「おい……温泉……にでも…………行かない……か…………?」  話し終えた後、朱祐は満足そうに笑みを浮かべて死んだ。  享年、80歳。  大往生と言って良い歳だった。  帝は朱祐の死を聞き、正一品太師大丞相(*1)の位階を追贈した。  ……それだけではない。  朱祐の遺言によれば領地は5人の息子達に分割され、長男が陶県を次男以下が周辺4県に跨る領土を受け取り、それぞれ陶侯(5万石)、東永年侯(1万2千余石)、西渉侯(1万2千余石)、南磁侯(1万2千余石)、北臨侯(1万2千余石)となる筈だった。  が、帝は旧領10万石全てを長男相続とし、次男以下には周辺4県残余を与えた。  長男朱祐極は陶公(10万石)  次男朱祐楮は永年侯(4万石)  三男朱祐棆は渉侯(3万8千石)  四男朱祐檳は磁侯(3万6千石)  五男朱祐枢は臨侯(3万5千石)  ――にそれぞれ封じられ、全員が一国一城の太守となったのである。  そして以後中央の政治からは遠ざかったものの、その子孫は現在に至るまで繁栄を続けている。  朱祐は位人臣を極め、あらゆる栄耀栄華に包まれて死んだ。  その功績は多大であり、一時代を代表する人物として歴史に名を残すであろう程だ。  それは、もはや人として望みうる最高の名誉だろう。  ……が、朱祐はその全てを夢と信じたまま死んだ。  死を前にして、栄光に包まれた現実よりも過去を望んだのである。  だから、現実を夢と信じて朱祐は死んだのだ。  全ては“邯鄲の夢”と信じて。 *1 ――――正一品太師大丞相――――  “帝國”で言えば正一位関白太政大臣に相当。