帝國召喚 改訂版 短編「天国に一番近い島」 【前編】  昭和一六年一二月八日  内地―外地間の連絡及び交通が全面途絶。前後して外地派遣の将兵や在外邦人、在外資産等が本土各地で発見される。原因は不明。  対英米戦開始の為待機していた閣僚は早朝より臨時閣僚会議を開き、臣民の動揺を抑えるために以下の対策を講じることを決定。   一、現状の把握及び原因の究明、事態解決に総力を挙げる。   二、外地への渡航及び通信を全面禁止。   三、外地より帰還した邦人の身元確認及び隔離。   四、出現した在外資産の接収。  政府、『外地との連絡、交通の途絶は軍の作戦行動によるもの。詳細は国家機密』と発表。臣民に平静を呼びかける。  昭和一六年一二月二〇日  帝國、ダークエルフと初の公式接触。交渉開始。これ以降、ようやく状況を把握し始める。  この間にも臣民の動揺は増大、幾つもの噂が流れる。特に有力なものが『ソ連が満州に侵攻して釜山まで占領された。台湾や南洋も英米軍に占領された』というもの。  昭和一六年一二月二四日  帝國、食料確保及び旧在外邦人救済のため“神州島”(当時は神州大陸)に進出。大兵力の投入により短期間で北西部沿岸を制圧、翌昭和一七年一月より入植開始。  昭和一六年一二月三〇日  帝國、ダークエルフと暫定合意に達する。交渉本格化。  昭和一七年一月三日  政府、臣民の士気向上のため東京湾で大観艦式を行う。戦艦“大和”公開。  合わせて労働力確保のため、大規模な軍の動員解除――100万人以上の成年男子を職場に復帰させる――を発表。  昭和一七年一月七日  帝國・ダークエルフトップ会談。『御聖断』下る。ダークエルフ、帝國に臣従。  帝國、ダークエルフに領土下賜。スコットランド王国建国。ダークエルフへの武器供与開始。  昭和一七年一月八日以降  資源情報をはじめ、様々な情報が集まり始める。  連合艦隊にダークエルフの輸送命令――『いかなる犠牲を払っても彼等の安全確保に努めよ』――が下る。  ダークエルフからの薦めに従い、獣人独立派勢力と接触。交渉開始。  今後の帝國の指針となる“決号”計画の策定。但し、今回は骨組みとなる基本方針のみ。  政府、玉音放送により臣民に“異世界への転移”を公表。団結を呼びかける。  資源地帯獲得作戦、“決一号”計画発動。  帝國がこの世界――アルフェイム――で本格的な活動を始めたのは“決一号”計画発動後、即ち昭和一七年一月中旬以降のこと、と一般には言われている。(しかもこれは船団が本土を出航した時期の話であり、実際に大陸に到着したのは一月も下旬に入ってからのことだ)  が、実際には探査等の目的で昭和一六年中に大陸を訪れていたし、早くも昭和一七年元旦には大陸進出時の拠点造りのため大内海の島々へ進出を開始していた。  ……そして何より、上の年表にもある様に“決一号”計画発動……いや、“決号”計画の策定以前にも大規模な進出をおこなっていた。  “神武”計画、即ち“神州島”進出計画である。 ――――昭和一六年一二月二三日未明、???  あたり一面は炎に包まれていた。  突如として村のあちこちで上がった火の手は、恐ろしい程の勢いで広がっていく。  驚いて村人達が飛び出すが、“何か”を受けて次々と倒れていった。  が、今まで暢気に暮らしていた村人達には何が起こったのかも、何をしたら良いのかも判らない。ただ逃げ惑うばかりだ。  ……そんな中、一人の少女が走っていた。  少女には訳が判らなかった。  一体、何が起こっているのかも、  何故、自分達がこんな目に遭うのかも、  自分達は如何したら良いのかも、全く判らない。  彼女に唯一出来ることは、皆と同じ様にただただ逃げ惑うことのみだ。  ――そうだっ! ナパさん!  少女は先日漂流してきた老人のことを思い出した。  彼は足を怪我している。独りでは逃げられない!  少女は走る方向を変え、ナパがいるであろう小屋へと向かった。 「ナパさんっ! 大丈夫!?」 「ああ、嬢ちゃんかい…… 一体何が起こったかいのう?」  少女が危惧していた通り、ナパは小屋の中で暢気に寝そべっていた。  どうやら事態を把握していないらしい。 「何を暢気なことを言ってるの!? 早く逃げないと殺されちゃうよ!!」 「猛獣かいのう?」 「この辺りに凶暴な獣なんていないよ!」 「じゃあ戦争かいのう?」 「“ここ”にはあたし達以外の人間なんていないよ…… あたし達が初めて会った“外の人”がナパさんなんだから……」  あたしにも何が起こったのか判らないよ、と少女は悲しげに首を振る。  そして何とか老人を背負おうと奮闘する。 「わしゃあもう年だからのう…… 無理せず嬢ちゃんだけでも逃げいや……」 「そんなこと出来ないよ!」  少女は強引に老人を背負い、よろける様に歩き出す。 「とにかく逃げないと……」  そうは言ったものの、少女にも逃げ切る自信はなかった。 ……何処かに隠れた方が良いだろうか?    ――そうだ! “森の人”達の所なら!  少女は希望を見つけ、目を輝かせた。  優しい“森の人”達ならば、きっと自分達を匿ってくれるだろう。  かつて、漂流してこの地にやってきた自分達の先祖を助けてくれた時の様に。 「“森の人”達を頼ろうよ! そこなら――」  が、少女は最後まで言葉を発することは出来なかった。  一瞬の内に首を刎ねられたのだ。 ……恐らく、何も感じずに死んでいったに違いなかった。 「……困りますよ、そんな真似をされては」  “老人”は首だけになった少女を両手で持ち上げ、穏やかな口調で諭した。  その声は、先ほどまでとは異なり、若々しい声だ。 「貴方方人間は“ここ”に『居る筈が無い』、だから『居てはいけない』のですよ。ましてや『奴等に助けられた人間の村』など、あってはならぬのです。  ……そうでなければ、我々の“雇い主”のシナリオが大きく狂ってしまうのですから」  無論、少女の首は黙して何も語らないし、何の反応も示さない。  が、“老人”は尚も話しかける。 「私がダークエルフに生まれてきたことが運命なら、貴方がこの村に生まれてきたのも、ここで殺されたのも運命です。お互い諦めましょう。 ……せめてもの情けと今までのお礼に、楽に殺してあげましたから」  『痛くなかったでしょう?』とその老人――ダークエルフは、優しく少女の頭を撫でてやる。  と、その時、一人のダ―クエルフが駆け込んできた。 「エドリック様! ここにおられましたか!」  どうやら老人に化けていたダークエルフ――エドリック――の部下らしい。 「ああ、御苦労様です。お仕事はもう終わりましたか?」 「はい。まあ百人そこそこの小さな村ですからね、楽なものです。  ……おまけにこいつら、碌に警戒心もありゃあしませんでしたし」  呆れた様に話す部下。彼には抵抗すら試みようとしない村人が不思議でしょうがないらしい。  ……そしてそれ以上に呆れたのは、こんな簡単な任務にこれ程の数のダークエルフを投入したことだ。  何の前準備も前知識も無い、見知らぬ地での“ぶっつけ本番の大作戦”と緊張していた自分が恥ずかしい。 「それは仕方が無いでしょう。生まれた時から飢えも戦争も知らなければ、誰だって自然とこうなりますよ」 「『それは羨ましい』と言うべきか、『だからこうなった』と言うべきか、判断に苦しみますな」  エドリックの言葉に部下は微妙な表情で首を振った。 「それは我々凡人には一生かかっても出せない答えですよ」 「なかなか哲学的ですな…… ま、我々は金さえ貰えれば文句ありませんが」  こんな楽な仕事で大金が手に入るのだから、笑いが止まらない。 「……いえ、『お金は』頂いていませんよ?」 「そんな馬鹿な!?」  部下は悲鳴染みた声を上げた。  任務内容は兎も角、これ程の数のダークエルフを投入して“無料”なんて有り得ない……いや、それ以前に『ダークエルフがタダ働きをする』ということ事態が信じられなかった。何せ自分達は“闇の世界”の住人であり、“闇の仕事”で喰っているのだから。 「仕方が無いでしょう? “依頼人の方々”はそれなりの地位と権力をお持ちですが、別にお金持ちという訳じゃあ無いのですから」  それに急のことですしね、と肩をすくめる。  が、急であればある程依頼料が高くなるのは当たり前のことで、何の説得力も無い。 「『それでも依頼を受ける』という選択が信じられませんが」 「……ま、何も報酬は金銭とは限らない、ということですよ。“先行投資”の意味合いもありますがね?」  世の中美味い話はない、と言うことだろう。 ……無論、誰にとっても、だ。  “依頼人”は懸念を解消したのは良いが、今回の件でダ―クエルフに大きな“借り”を作ったばかりか“弱み”までも握られた。  無論、それを盾に脅す様な稚拙な真似をするダ―クエルフでは無い。が、何も言わなくとも“依頼人”は、これからダ―クエルフに対して気を使うことになる筈だ。  これはダ―クエルフも同様で、今回は“タダ働き”所か政治的にもかなり“危ない橋”を渡っている。  が、それでも尚リスクとリターンを秤にかけ、両者共にリスクを採ったのだ。 「はあ、そんなものですか」  味有り気な上司の言葉に、部下のダ―クエルフはそう頷いて退いた。  ここから先は自分が踏み込んで良い領域では無いことを察したからだ。 「さて、無駄話はこれ位にしましょう。まだお仕事が残っています。 ……『全てをなかったことにする』という一番大事なお仕事が」  ……どうやら彼等の“雇い主”はこの村の存在を、そしてこの村に対して行ったことを、“上”にも“下”にも知られたくないらしかった。 「さあ最後の一仕事です。頑張りましょう」 「ハッ!」  ダ―クエルフ達は全ての死体を運び出すと魔法で周囲に巨大な“結界”を張り、燃盛る村を後にした。  数日後、完全に廃墟となった村跡に人間の一団が現れた。  が、彼等はここで起きた惨劇に全く気付かなかった。ダ―クエルフの大規模幻術により、彼等の目には『何十年も昔に廃墟となった村の跡』の様に見えたからだ。  ……だから、何時の間にか供えられていた花にも当然気が付かなかった。  彼等は様々な“からくり地竜”を用い、僅か一日で村跡を地中に埋めてしまった。  その上には大量のセメントが流しこまれ、僅か一月足らずの間に多数の“からくり飛竜”が翼を休める広大な“広場”に生まれ変わったという。 ――――昭和一六年一二月二四日未明、貨客船“めきしこ丸”。 「皆様も御承知の通り、八日未明に未知の大陸が発見されました。場所は占守島北東部海域です。  ……その代わりカムチャッカ半島が――いえ、『世界そのもの』が消えていましたが」  成る程物は言い様だ、と第一五歩兵団長の石山少将は感心した。  客観的に見れば『帝國が世界から消えた』と言うのが正しく、『消えたのは帝國ではなく世界』などとは天動説ばりの強弁であろう。  が、それを堂々と言い切れる心臓が羨ましい。半分でも良いから分けてもらいたかった。  ……そんな石山少将のどう評すれば良いのか苦しむ様な感想とは関係なく、尚も説明は続く。 「連日の航空偵察の結果、“神州大陸”は1500〜2000q四方の巨大な“島”であることが判明しました。その面積はおよそ120万Ku、満州国に匹敵するものと思われます。  帝國はこの島と周辺の諸島群を編入、殖民することを決定しました。数百万にも上る旧海外在留邦人に生活の糧を与える為、そして何より食料問題を解決する為、早急にこの地を確保せねばなりません。  ――これが今回の作戦です。ここまでで何か御質問は?」  政府から派遣された官僚――軍司令部経由のため名目的には『軍司令部から派遣された』ことになっているが――である飯田はそこで一端説明を中断し、集まった第一五歩兵団の幹部連に尋ねた。  その言葉が終わった途端、何人かの将校が挙手する。 「地図をまだ見ていないのですが?」 「そんなもの、ありません。 ……と、言いますか、『有る訳無い』でしょう? 以前お見せした航空写真が全てです」 「「「………………」」」  重苦しい沈黙が起こった。  無論、『未知の世界に地図なんかあるか!』と言う彼の言い分は判る。それは全くもって正しい、正しいのだが……  正直言って『地図の無い軍』など、彼等にとって悪い冗談でしか無かったのだ。  この空気を変えるため、一人の将校が慌てて次の質問する。 「『確保』と仰いましたが、敵対勢力が存在するのですか?」 「無人です。が、危険な魔獣“オ―ク”が多数生息していますのでこれを駆除せねばなりません。それが貴方方の役目です」  その言葉に、幹部連は思わずお互いの顔を見合わせた。  ……おいおい、これだけの戦力集めて“害獣駆除”だあ? 一体相手はどんな化け物なんだよ。  彼等の思いは尤もだった。帝國はこの島を確保する為だけに、以下の戦力を投入――或いは投入を予定――していたのだから。 “神州大陸”派遣軍序列  派遣軍司令部  第一三師団歩兵第一〇三旅団(歩兵第六五聯隊、歩兵第一〇四聯隊)  第一三師団歩兵第二六旅団  (歩兵第五八聯隊、歩兵第一一六聯隊)  第一五師団第一五歩兵団   (歩兵第五一聯隊、歩兵第六〇聯隊)*歩兵第六七聯隊欠  第一七師団第一七歩兵団   (歩兵第五三聯隊、歩兵第五四聯隊)*歩兵第八一聯隊欠  第一八師団歩兵第二三旅団  (歩兵第五五聯隊、歩兵第五六聯隊)  第一八師団歩兵第三五旅団  (歩兵第一一四聯隊、歩兵第一二四聯隊)  歩兵第六七聯隊 *第一五歩兵団より抽出  歩兵第八一聯隊 *第一七歩兵団より抽出  独立工兵第八連隊  軍通信部隊  軍兵站部隊  軍兵器勤務部隊  総計14個歩兵聯隊を主力とする大兵力だ。加えて各旅団や歩兵団は所属している師団より輜重、衛生、通信部隊を派遣され、独立戦闘が可能となっている。(またこの他にも第三艦隊水上部隊が支援――主に船団護衛と航空偵察を実施――していた)  この軍の特徴は、『極限まで軽量化された軍である』ということだろう。  何せ、歩兵聯隊隷下の聯隊砲/速射砲中隊や歩兵大隊隷下の歩兵砲小隊といった歩兵が装備する軽砲しか無い上、工兵は独立聯隊1個、航空部隊に至っては皆無――まあ運用しようにも飛行場そのものが存在しなかったが――という有様だ。これでは近代戦は遂行出来ない。  が、別にそれで構わなかった。帝國が彼等に望んだのは近代戦ではなかったのだから。 「奴等を甘く見ない方が良いでしょう。連中は凶暴かつ強力な野獣です。後続の開拓団のためにも、一匹残らず始末して頂きたい」  そして、思い出した様に付け加えた。 「ああ、殺す時は出来る限り原型を止めて頂きたい。『砲の直撃でバラバラ』『重機の連射で挽肉』なんてもっての他です」 「……まるで『注文の多い料理店』だね。我々に猟師の真似事でもさせる積りかい?」 「まさしく。死体は食肉等、有効利用しなければなりませんからね」  ……そう。これは“あくまで“狩り”なのだ。だから砲兵などという重いものはいらないし、大袈裟な支援部隊もいらない。歩兵の進撃を維持する最小限度の支援部隊があればそれで良い。  ならばそれ以上の部隊派遣は、船舶と重油の無駄、というものだった。  石山少将の皮肉に気付かなかったのか、はたまた気付かない振りをしたのか、我が意を得たり、と飯田は頷く。  が、第一五歩兵団の幹部連は今しがた配られた資料を凝視し、己の目と耳を疑った。 「待って頂きたい! 今頂いた資料では、『オ―クは直立二足歩行』とありますが!?」 「それが何か?」 「何か、ではありません! 貴方は我々に虐殺を指示した挙句、臣民にまで人喰いをさせるお積りか!!」  一人の幹部の激昂に、次々と同意の声が沸きあがった。  彼等に渡された資料に描かれた魔獣オ―クは、“猪頭の人間”として描かれていた。  ……“人肉食”という禁忌を想像せずにはいられない程に。 「……どうやら貴方方は大きな勘違いをしていらっしゃる様だ」  大袈裟に首を振り、飯田は軍人達の“誤解”を正してやる。  この世界には、人間、エルフ、ダ―クエルフ、ドワ―フ、獣人等々といった多種多様の“人類”が存在する。これ等の種族は全て人間と同等かそれ以上、或いは準ずる知的生物だ。故に、この世界の圧倒的多数派である人間も彼等を“亜人”と呼び、人間扱いしていた。(まあ種族間で様々な差別――時には排斥すら起こる――が存在するものの、一応建前的には皆“人”として認められていたのだ)  が、オ―クは“人類”と見做されていない。同様に獣頭である獣人が、或いはその存在すら許されず見つけ次第抹殺される“忌まわしい”ダ―クエルフですら“人”として認められているのにも関わらず、だ。……これには幾つかの理由が存在していた。  まず第一に『言葉が通じないこと』が挙げられるだろう。  この世界では、全ての“人類”はそれこそ種族や地方の差も関係なくお互いの話している内容が理解できる。大気に満ちた魔力の素“マナ”の作用によるもの、とも言われているが、兎に角会話で不自由することが無いのだ。  が、オ―クはこの法則の輪から外れており、如何なる“人類”とも会話が不能――異世界からやってきた帝國人ですらこの法則が適用され会話が可能だというのに――だった。  ……これだけでもこの世界では“獣”と見做されて仕方がないというのに、オ―クは更に『凶暴』『知能が極度に低い』『悪食』『醜い』といった負の要素にこと欠かなかった。(少なくともこれがこの世界の“常識”だ)  それ故『“人”の姿を真似た“卑しい獣”』とされ、蛇蝎の如く嫌われていたのである。 「――この様にオ―クは“人”ではありません。故に、“人”を喰らうのはこの世界でも最大級の禁忌ですが、オ―クを喰らうのは禁忌でも何でもありません。 ……まあ流石に自慢できる話ではありませんがね。  ああ、無論“虐殺”でも無いですよ? “駆除”ですね」  だから何も躊躇う必要はない、と諭す。  オークそのものを食料とすること自体は、まあそれ程異常という訳では無い。事実、辺境辺りでは貴重な蛋白質として珍重されている地域も未だ存在する。  が、有る程度の文明圏となると流石に拒否感が出てくるのだろう、オークを食料とするなどという話はまず聞かない。ましてや帝國の様に国レベルで組織的に、という話は非常に珍しい。同様の事例を探すにはそれこそ相当歴史を遡らなければならないだろう。 ……その“国”とて人口数千数万程度の小国であり、とても帝國の様な大国の例は無かったが。(まあ現在では組織的に食料と出来るほど数がいない――少なくとも文明圏周辺では――ということもあるが)  ……が、帝國は本気でオークを“食料”と見做し、敢えてそれを実行する積りだった。 「さて、この世界の“いろは”を講義しはこれで終わりです。最後に貴方方の気持ちを楽にする“魔法の言葉”を教えてあげましょう」  飯田はニヤリと笑い、言った。 「これは『命令』であり、『御国の為』『臣民の為』です」  確かにそれは、彼等にとって最高の免罪符だった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【後編】  ――オーク。  恐るべき生命力と臂力を誇る猪頭人身の“魔獣”、  本能だけで生きる無知性の“野獣”、  他に類を見ない程の貪欲さと残虐さを持つ“呪われし獣”、  神々に背き、見放された“罪深き獣”……  かつてオークは世界中で繁栄し、『人間と覇権を争った』とさえ伝えられている。  それは長く激しい戦いだったが、最終的には人間の勝利に終わった。  “愚鈍”なオークは“賢明”な人間に敗れ去ったのだ。  “神々に見放された”オークは“神々に祝福された”人間に敗れ去ったのだ。  かくしてオークは人間との覇権争いに敗れ、その後没落していく。  まともな文明圏からは掃討され、存在したとしても文明圏最外部で細々と生きている程度に過ぎない。  後は人間の手の及ばない大陸奥地か、辺境の小文明圏あたりで息を潜めて生息している位であろう。  オークは人間の前から姿を消し、闇に帰されたのだ。  ……多くの伝承ではその様に伝えられている。  が、しかし――  一箇所だけ、一箇所だけ彼等の楽園が存在したのだ。  その地はオークで満ち、彼等は繁栄を謳歌していた。  ……人間に見つかるまでは。  その人間達は、その地を“神州島”と呼んだ。 ――――昭和一六年一二月二四日、“神州島”北西部北東海岸。  最初に“神州島”の地を踏んだのは第一五歩兵団の将兵だった。  第一五歩兵団は第一五師団から分派された旅団規模の軽歩兵部隊で、その編成は以下の通りである。  第一五歩兵団   歩兵団司令部   歩兵第五一聯隊   歩兵第六〇聯隊   輜重兵第一五連隊分遣隊   師団衛生隊分遣隊   師団通信隊分遣隊   他  帝國の“神州島”進出計画は先ず孤立した北西部の制圧、その後徐々に南下して支配地域を広げていく算段だ。  “北西部制圧”は計画第一段階であり、軍主力は北西部西海岸に、別働隊として第一五歩兵団が同北東海岸、第一七歩兵団が同南東海岸にそれぞれ上陸を予定している。  軍主力は西海岸上陸後、東進しつつ『北西部のオ―ク掃討』。  別働隊は北西部と他地域を繋ぐ回廊に南北から上陸し北西部を孤立化、回廊を封鎖し『北西部のオ―クを逃がさない様にする』。  ……この様に、帝國は北西部のオ―クを一匹たりとも逃がさぬつもりだった。  これは『他地域のオ―クが食糧難に陥るのを防ぐ』こと、そして『早期に大量のオ―クを確保する』ためである。  5000総トン級の輸送船6隻に分乗した彼等は、護衛の旧式駆逐艦2隻(“松風”“旗風”)の支援を受けて上陸を開始した。  が、“敵前上陸”だというのに将兵達は実にのんびりしたものだ。  ……まあ無理も無いだろう。彼等はただの“獣狩り”としか聞かされていなかったのだから。 「……しかし“異世界”ねえ。実感湧かねえな?」 「だからお前は馬鹿なんだ。お前も船の上から見てただろ? 今まで海面に流氷が浮かんでる様な気候だったのが、突然台湾か南洋みたいになったんだぞ?  おまけに海の色まで線引きされた様に変わりやがる…… 気味が悪いったらありゃあしない」 「俺なんか、太陽がいきなり西から昇った時にゃあ心臓が止まるかと思ったな。  で、念のため磁石で調べてみたら何時の間にか東西南北が逆になってるんだ……  けど、下手に騒いで目え付けられたら敵わんからなあ〜 黙ってるのに苦労したぜ」  第一五歩兵団の中でも真っ先に上陸した歩兵第五一聯隊第一中隊の兵士達は、そんな会話を暢気に交していた。  船内にぎゅうぎゅう詰めで押し込まれていたのをやっと開放されたこともあり、口も軽い。彼等は口々に“異様な体験”を語りだす。  『ある所で海の色が線引きされた様に違っており、そこを越えた途端気温が一気に20度以上上昇する』  『太陽が西(と思っている方角)から昇る』  『東西南北が入れ替わる』……  『ここは異世界』などと教えられたものの些か眉唾ものに考えていた将兵達も、流石にそんな体験をさせられれば信じざるを得ないだろう。  未だ半信半疑ながらも、彼等は現実を受け入れつつあったのだ。 「馬鹿もん! お前等何を無駄口叩いておるかっ!? もたもたしてたら日が暮れるぞ!!」  が、たちまち分隊長の叱責が飛び、彼等は慌てて上陸作業を再開……いや、作業のスピ―ドを上げる。 「……ん?」  作業中、一人の兵士がふと顔を上げた。何やら視線を感じたからだ。  見ると海岸先の森林、その中から自分達を覗く者がいる。  目を凝らすと、何かのお面を付けたの小さな“子供”だ。  ……自分が見られていることに気付き、“子供”は軽く首を傾げる。  ――なんだありゃあ? 何故子供がこんな所に…… 「お前、何さぼっとるかっ!?」  が、直ぐに分隊長に見つかり怒鳴りつけられた。 「も、申し訳ありません! 分隊長殿! しかし子供が――」 「言い訳をするな! 大隊、何を訳の判らんこと言っとるか!?」 「は! 子供が自分らを見ておりましたので、つい……」 「子供? ここは無人島だぞ?」 「本当です! あそこに……」  部下が指し示す先を目を凝らしてみると、やはり子供らしき影が見える。  が、ここは無人島だ。不審に思い双眼鏡で覗いて見る。  ……と、そこには猪頭人身の“化け物”がいた。 「あれだ!」 「分隊長殿、何をっ!?」 「あれが害獣だ!」  部下が“お面”と思ったそれは、双眼鏡では“本物”とはっきり判る。  分隊長は興奮して叫ぶと三八式歩兵銃を掴み、影に向かって銃弾を撃ち込んだ。  一発、二発……三発目で『ぷぎ―』という甲高い悲鳴が聞こえた。 「命中だ! 小隊長殿にお知らせしろ! 『我が小隊が最初に害獣を仕留めました』とな!!」  そして他の部下に『あの害獣を連れて来い』と意気揚々と命じた。  …………  …………  ………… 「ぷ……ぷぎい……」  森林から引き摺り出された“害獣”は、身長3尺強の子供だった。  その長い体毛で覆われた体からは大量の血を、目からは涙を流している。  ……その場にいた誰もが、皆バツが悪そうな表情でそれを見る。 「……楽にしてやれ」  視察に訪れた小隊長はそう言うと、まるで逃げるかの様にその場から立ち去った。  残された者達は、誰が止めを刺すかで互いを見渡す。  と、分隊長が無言で進み出た。  ……それが彼なりの“けじめ”だったのだ。 「……悪く思うなよ」  分隊長は“害獣”の額に銃口を当て、引き金を引いた。  タ――ン!  銃声が辺りに響き渡る。  ……それが“始まり”の号砲だった。 ――――同日、オ―ク集落近郊。 「畜生! “ただの獣”じゃあなかったのかよ!?」 「“魔獣”だ! 妖怪みたいなもんなんだろ!? ……第一、猿だって投石位するぞ!」 「これ、“投石”ってもんじゃね―ぞ!?」  バキッ!  そう口々に叫ぶ兵士の頭上を、砲丸の様な石が音を立てて次々と飛んで行く。  石は『背後の木――細いとはいえ直径数pの――を数本へし折ってようやく止まる』という威力だ。当たったら只では済まないだろう。  タ――ン、タ――ン!  こちらも反撃するものの木々が邪魔になって中々当たらない。  が、相手を怯ませる効果はある様で、投石が若干の間止む。  投石。  発砲。  投石が一時中断。  また投石が復活、の繰り返し……これでは埒が明かなかった。  『オ―クの幼生体――そう表現・記述することで心理的抵抗を無くさせた――を発見した』との報告を受けた第一五歩兵団司令部は『近くにオ―クの集落が存在する』と判断、その時点で唯一上陸の完結していた歩兵第五一聯隊第一中隊を急遽先行させる決定を下した。  目的は『情報収集』……そして『襲撃』。今回の作戦行動は今後作戦を立てる上で貴重なテストケ―スと位置付けられていた。  命令を受けた第一中隊は即時進軍を開始。巨大な獣道を前進する。  途中“幼生体”に数度遭遇したがこれを“無力化”し、更に前進を続ける。  が、森を抜け草原に出た所で奇襲攻撃を受けた。  突然前方の森林より大規模な投石攻撃を受け、斥候任務で中隊より先行していた分隊は忽ち拘束されてしまったのだ。 「分隊長殿! ここは一時、後方の森林まで後退しましょう! 小隊の到着を待って擲弾筒分隊の支援を受ければ――」  向こうは森林に身を隠し、木々を盾に投石。こちらは遮蔽物の無い開けた地で伏せつつ射撃。  ……如何考えても分が悪い。どんな戦法を採ろうが、たかが分隊程度では“それなり以上の出血”を覚悟しなければここを突破出来ないだろう。  が、小隊規模なら擲弾筒分隊の支援射撃を受けつつ、各小銃分隊が交互躍進で前進できる。  ――そう分隊長の伍長に補佐格の古参上等兵が進言するも、その進言を退けられてしまう。 「馬鹿もん! 団長閣下が直々に我が中隊に御同行されているのだぞ!? 獣如き相手にそんなへっぴり腰で如何する!!」  実は『今後の為に是非見たい』と、第一五歩兵団長が僅かな供回りのみ連れて中隊本部と同行している。  その事実を考えれば、そんな『敢闘精神に欠ける』真似は出来ない、断じて。 「各自、現在装弾している弾を撃ち尽くして新しい装弾子に代えろ! その後突撃する!」  ……どうやら分隊長は『相互躍進による前進』では無く『突撃による前進』を選択した様だ。  恐らく時間をかけることによって出血が続くことを恐れたのだろう。  『長時間の出血』よりも『短時間の大出血』の方が『結果的に被害が少ない』と判断し、一気に勝負を賭ける積りだ。  タ――ン、タ――ン!  分隊長の号令で50発以上の弾丸が短時間で発射される。  その大部分は木々に遮られるが、それでも数発は命中したのだろう。悲鳴らしき声が聞こえてくる。 「突撃!」  分隊長の号令一下、分隊は喚声を上げて突撃を開始する。  喚声と突撃に驚いたのか投石が目に見えて減り、御蔭で途中1人が脱落したものの、分隊12名の内11名が森林内に飛び込むことに成功した。 「……でけえ」  彼等が森の中で見たものは、身長2mを軽く越える程大きなオ―クだった。体重も100kgや200kgなんてものじゃあないだろう。  その数4頭。ブヒブヒ喚きながら腕を滅茶苦茶に振り回して立ち向かってくる。  その腕は細い木の幹など容易に叩き折る程の威力を秘めていた。  タ――ン、タ――ン!  兵達は三八式歩兵銃を腰だめで乱射する。  彼我の距離は10mもなく外し様が無い。  ……が、命中してもオ―クは一向に倒れない。命中時に悲鳴をあげ、命中部からも少なからぬ出血があることから、効いていない筈は無いのだが倒れないのだ。  かえって益々暴れる始末である。 「くっ! 化け物め!」  分隊長は歯軋りした。  よく『三八式歩兵銃は威力不足』と言われているが、長銃身から発射されるその6.5mm三八式銃実包は高初速かつ低伸弾道であり、騎兵を乗せた大型軍馬の骨を破砕するのに十分な威力を持っている。決して非力ではないのだ。ましてやこの距離ならば、大人3人を貫通するだけの威力を持つ。  にも関わらず―― 「分隊長殿!」  タタタッ!  分隊長を襲おうとするオ―クに、背後から機銃手が三点射を二度叩き込む。  これにはさしものオークも堪らなかったのか、悲鳴を上げて倒れた。 「背後に集中射撃しろ! 1頭ずつ狙え!」  その命令でオ―ク1頭につき10発近い弾丸が背後や側面かに叩き込まれ、次々に倒されていく。  オ―ク共が逃げ腰だったこともあり、その後数分でオ―クは全員倒された。 「損害は?」  分隊長は疲れた様な声で聞いた。 「笹山がやられました。こいつの腕で吹き飛ばされて……即死です」  兵の一人が忌々しそうに倒れているオ―クの内の1頭を蹴飛ばした。  ……と、そのオ―クは微かに呻き声を上げた。 「! まだ生きているのか!」  分隊の誰もが戦慄した。  調べてみると、他のオ―クも同様で全頭まだ生きている。  これだけの銃弾を至近距離から浴びて尚生きているとは、何という生命力だろうか!  その後、耳孔や眼孔に銃弾を撃ち込みようやく止めを刺したが、この一連の戦闘で初期の楽観論は木っ端微塵に吹き飛んでしまっていた。  ――これはただの“狩り”じゃあない。命がけだ。  誰もがそう感じ、今後を思いやった。 ――――オ―ク集落。  分隊からの報告を受け、中隊は全力でオ―ク集落を攻撃する。  まず中隊が保有する全て――9筒――の擲弾筒が射撃を開始、数十発の擲弾を撃ち込む。  オ―ク共はその音と威力に驚き、忽ち混乱状態に陥った。  ……が。 「プギー!」  一際巨大なオークが一声上げた。  恐らく長なのだろう。その声を聞くとオーク共は何とか立ち直り、負傷した仲間を背負い逃げ出し始める。  が、“長”を始めとする一際屈強な10頭のオークは踏み止まり、中隊の進撃を阻もうと突進してくる。  タタタッ!  中隊は2個小隊に逃げるオークを追撃させ、残りの1個小隊と中隊本部でオークを迎え撃った。  オーク達は問答無用の集中射撃を受け次々に倒れていく。  が、突進を止めない。武器すら持たず、腕を振り回しながら突進する。  仲間の屍を越え、突進する。  ドンッ!  擲弾の直撃――擲弾筒の水平射撃――を受け、やっと最後の1頭が仕留められた。  ……消費した弾薬量を考えれば頭が痛くなる様な収支である。 「……やはり九九式が是非とも必要ですね」  中隊長が呻く。  『三八式小銃ではオーク相手に威力不足』ということが、この戦闘ではっきりした。  ……三八式ではオークと戦えない。  が、石山少将は別の感慨を抱いていた。 「まるで“虐殺”だな」  彼にはどうしてもオークが“獣”とは思えなかったのだ。百歩譲ったとしても――  ……そこまで考えた時、彼の耳に無神経な口調の言葉が飛び込んできた。 「ああ、死体は持ってきた大八車に載せて運んで下さい。海岸で解体しますから」  “生体視察”という名目で強引に付いて来た飯田が、連れてきた軍属にあれこれ指示を飛ばしているのだ。  流石の石山少将もこれには苦言を呈した。 「……君はこの光景を見ても何も感じないのかね?」  冥福の一つも祈ってやれ、と石山少将。  が、飯田は『何を馬鹿な』という表情で答える。 「……そりゃあ可哀想だとは思いますよ? 屠殺場に送られる牛や豚位には」 「貴様!」  思わず飯田の胸倉を掴む。 「何度も言うようですがこいつ等は獣です。この世界の誰もがそう考えています。  ……努々お間違えの無きよう」  飯田はその手を払い、噛んで含めるように諭した。  その後の調査は驚くべき結果をもたらした。  オークの集落は『横穴式住居――所謂“洞窟”――に女子供を住まわせ、他は周囲に野宿する』という獣とさして変わらない暮らしをしていた。  が、決して獣では無かった。  周囲には焚き火の跡や石器の様なものが多数散らばっている。  洞窟内の壁には様々な絵が描かれている。  ……そして何より決定的だったのは、少し離れた場所に“墓地”が存在したことだ。  そこでは幾つもの土饅頭が規則正しく並び、その上には石と花が置かれていた。   「何が“獣”だ! 何が“知性が無い”だ。我々を騙したな!  お前のせいで皇軍の名に泥が付いたぞ! どうしてくれる!?」  石山少将は怒り心頭で詰め寄った。 「……確かに壁画と墓の存在は不味いですね。破壊を要請します」  バキッ!  石山少将は飯田を殴りつけた。  そして吐き捨てる。 「この狂人が!」 「……そうですね。僕は狂っているかもしれません。けど冷静ですよ。ただ感情的に喚くだけの閣下よりは、ね?」  その言葉に周囲の将校達が激昂し、軍刀に手をかける。  が、飯田はそれに怯まず、逆に穏やかな口調で語りだした。 「……転移前、帝國は食料供給のおよそ二割を外地からの輸入に頼っていました。内地の人口は7400万人ですから、『1500万人分の食料を輸入していた』ということになります」 「お前、急に何を言って……」 「更に転移後、本土外に在留していた数百万の邦人まで加わりました。現状のままでは一人当たりの食料供給は転移前の3/4にまで低下するでしょう。  ……この意味がお判りですか? 転移前ですら誰もが腹一杯食べていた訳では無いのですよ?」 「…………」  ……実際、これはとんでもない話だった。  転移直前(昭和一六年)の臣民に対する食糧供給は熱量べ―スで一人当たり平均約2100Cal/日――単純に考えてこの“3/4”なら約1600Cal/日だ。  1600Cal/日……日支事変が始まる前の豊かな時代には2400〜2500Cal/日もの熱量を消費し、政府発表の栄養要求量標準でも『一人当たり2,000Cal/日(標準的な労働者なら2,400Cal/日)』としていることを考えれば、これがどれ程恐ろしい数字であるかが判るだろう。 「このままでは如何遣り繰りしても1000万人の餓死者が出ます。それを防ぐ為なら僕は何だって実行しますよ?  海の魚も山の獣も獲り尽くして見せましょう。この豊かな森林を全て焼き払い、田畑にだってして見せましょう。  ――たとえ死後地獄に落ちようとも、です」  ……その言葉を聞き、将校達は黙りこんでしまった。  “兵站”という観点からなまじの知識人よりもその数字の重みを理解している彼等には、飯田の言葉の意味を十分過ぎる程理解出来たからだ。  それは、先程の怒りを醒まさせるには十分過ぎる程の冷水だった。  ――我ながらよく言う。  軍人達の反応を見て、飯田は内心苦笑した。  無論、彼の言葉に“嘘”は無い。このままでは大量の餓死者が出るのは事実だし、それを防ぐ為には自分はどんな手だって用いる積りだ。  が、『だからオ―クを食料にする』という論理はペテンに過ぎなかった。  冷静に考えてみれば判ることだ。  この島に一体何頭のオ―クがいるだろう? 連中は石器時代の様な生活を送っている。如何な自然豊かなこの地とはいえ、1000万、2000万などという数字はまずあり得ない。1頭/1kuと仮定しても120万頭がいい所で、100万切っていたって不思議では無い。  ……さて、この120万頭から一体どの程度の肉が得られるだろう?  一頭から30sとして36000t、50sとしても60000t。一見大量にも思えるが、これは帝國人一人当たりにしたら僅か1sにも満たない量である。途中過程での様々なロスも考えれば500gに届くかどうか怪しいものだ。もし1sもあれば御の字だろう。  帝國人一人が必要とする蛋白質は平均70g/日、年換算なら25〜26sという事実を考えれば、この数字では『“足し”にはなるがそれ以上のものではない』ということが判るだろう。効率だって悪い。  事実、帝國は蛋白質確保手段としては海洋資源の方を有望視しており、既に相当数の漁船の徴用解除と大量の重油を割り当てを決定している。あくまで海産物が蛋白質の主体なのだ。  ……ならば何故、ここまでしてオ―クを狩ろうとするのだろう?  それは『オ―クの土地』と『オ―クの食料源』を手に入れる為だった。  土地も食料もオークを養う分しか存在しない――ならば奪うしかないではないか、狩るしかないではないか。  故に、『オ―クの肉』などあくまで副次的な産物でしかなかないのだ。  無論、オ―クの肉とて決して無用ではない。未だ満足に漁を行えない様な現状では、当座の蛋白源として非常に有用だ。食糧確保に不安な時期でもある、保険の意味合いもあっただろう。 ……が、それ以上でもそれ以下でもない。  要するに、この島のオークは何れにせよ皆殺しにする必要があった。ならば『毒喰らわば皿まで』――とでも考えたのだろう。或いは、『何もしらない担当者が有効利用を考えただけ』かもしれない。何れにせよ、誰がオークの食料化を計画に明記したかは今もって不明である。  ……故に、“罪”は現場の実行者達が一身に負うことになったのだ。 「僕の言葉を理解し、納得して頂けたのなら協力をお願いします。 ……墓と洞窟を爆破して下さい」  彼の要請は受け入れられ、墓も洞窟も爆破された。  オークの死体は荷車に載せられ、海岸まで運ばれると解体・塩蔵されていく。  臣民から『ボロ雑巾のような』と酷評されることになるオークの塩蔵肉ではあるが、未だ遠洋漁業や海竜狩が行われていないこの時期においては貴重な蛋白源だった。  昭和一七年だけで100万頭ものオークが狩られ、5万トンの食肉が帝國の食卓に上ることになる。  肉だけではない。その毛皮は防寒具やブラシ等に、骨と内臓は肥料や薬品に、と余すことなく利用さた。むしろ肉よりもこちらの方が有用だった、とすら言われており、正にオークはその骨の髄までしゃぶり尽くされたのだ。  オークから奪った土地には開拓民が進出し、開拓されていく。並行して、手っ取り早く食料を確保する為に大規模な焼畑も行われた。  ……この様に、オークは何もかも奪われたのだった。  初期の神州島に赴いた将兵は、陰鬱な気持ちになりながらもそれが『御国のため』『臣民の為』と信じ、それを実行した。  が、彼等の扱いは決して恵まれたものでは無かった。 ……彼等は『知り過ぎた』のだ。  “神州島”攻略に参加した将兵はその全員が軍に留まり、後の大軍縮でも除隊されることは無かった。  上級部隊こと解体されたものの、各大隊は独立歩兵大隊と名称を変えて大陸各地に派遣されることとなり、その後長い間本国への帰還を許されることが無かったという。  ……この第一五歩兵団も同様だった。  団司令部は一部の部隊と共にタブリンに派遣され、他の部隊もそれぞれの担当地域に分派された。  石山少将はタブリン総督庁初代長官となり、昭和一七年拳銃自決。  飯田も本国で事故に遭い、昭和一九年死亡した。  特に飯田に関しては死の前日、狂乱状態だったという。『よくも騙したな!』と何度も叫んでいたそうだ。  ――オークは人ではありません、獣です。獣を殺して何が悪いのですか? 獣を喰って何が悪いのですか?  それが飯田の口癖だった。  が、それは何処か弁明染みた口調でもあった、と彼を知る者は言う。  恐らく、彼はそう思い込むことで精神の平衡状態を保っていたのだろう、と。  いや、彼だけではない。当時、多くの者達が同様に『御国のため』『臣民のため』とこの行為に手を染めていたのだ。  それは悲劇であり、喜劇でもあった。  ……ここに彼が、彼等が知らぬ筈のある事実が存在する。  実は食料は『あった』。  満州で、朝鮮で、台湾で……そして支那の占領地で接収された大量の食料が、転移時に一緒に付いてきたのだ。  この事実が判明したのは、転移後実に数十年たってからの話である。  その量は諸説あるが莫大なことだけは確かであり、転移後の彼の地が心配される程だった、とされる。  恐らく昭和一七年は余裕で、節約すれば昭和一八年一杯までは何とかなったことは間違いないだろう。  ……が、転移直後に政府上層部に上げられた報告書にはこの事実は記載されていなかった。  その代わりに記載されていたのが『1000万人の餓死者』という幻の数字だ。  誰がこの細工をしたのかは不明である。  が、その者が恐ろしく知恵が回ったことは確かだろう。  『1000万人の餓死者』と聞き、政府上層部は真っ青になって“行動”を許可した。  『1000万人の餓死者』と聞き、準備する者も実行する者も、誰もが全面的に協力した。  『1000万人の餓死者』と聞き、反対派も沈黙した。  『1000万人の餓死者』とは、正しく“錦の御旗”だったのだ。  神州島は澄んだ空と澄んだ海に囲まれた美しい島である。  島内も温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、後に“世界で最も美しく豊かな島”と帝國人を始めとする世界中の人々から讃えられた程だ。  帝國の植民者達はその“世界で最も美しく豊かな島”を独占し、満喫した。  そして『不毛の満州朝鮮とは比べ物にならぬ』と我が世の春を謳歌したのだ。  ……が、神州島に先住者がいたことも、その悲劇も一切記録に残されていない。  ただ神州島に関する記録は高らかに謳うのみだ。  『天国に一番近い島』、と。