帝國召喚 改訂版 間章1「事変前夜」 【1】  大内海と小内海を結ぶディスバテル大海峡、そのガルム大陸側――正確にはレイヒ・ラウルの両大河流域およそ約300万kuの範囲に、“北東ガルム文明圏”なる文明圏が存在する。  同文明圏は約12,000万人という膨大な域内人口とその規模に相応しい優れた文明を誇り、世界七大文明圏の一つにも数えられる程の巨大文明圏だ。また他の大文明圏同様、北のレイヒ・南のラウルという二つの大河から発した二つの文明圏、及びその支文明圏を統合した“複数の文明圏の集合体”でもある。それ故……という訳でもないだろうが、同文明圏は現在二つの対立する勢力によって支配されていた。  北東ガルム文明圏の北半分を支配するレムリア王国、南半分を支配する“大陸同盟”(*1)である。(この他にも若干の中立勢力が存在するが、無視しても構わない規模でしかない)  ――とは言うものの、両者の事情はまるで異なっていた。  レムリア王国が人口6000万超の一大王国であるのに比べ、対する大陸同盟は総人口こそ5000万人を超えているが、南部諸国の連合体に過ぎなかった。加えて属する国家が『100を超える(*2)』とあっては、些か“烏合の衆”なる言葉が頭を過ぎるのも無理からぬことだろう。(何しろ対峙するレムリア王国など、“張子の竜”と嘲笑していたくらいだ)  が、にも関わらず、この同盟は既に200年以上続いていた。同盟諸国のみならず敵対するレムリア王国すらも含めた、各国の様々な事情や打算の結果とはいえ、それだけの長期間に渡って安定と平和――少なからぬ小競り合いこそあったが――を保障していたのだ。  同盟自体も時代の流れと共に変化していき、当初こそ(規模はともかく)単なる軍事同盟に過ぎなかったが、現在では経済共同体とでもいうべき存在にまで発展している。いつしか大陸同盟は同盟諸国にとり、軍事的にも経済的にも圧倒的優位に立つレムリア王国から独立を守るための、必要不可欠な存在にまでなっていたのである。  ……そんな同盟諸国の一国に、イルドーレ王国なる国家が存在した。  イルドーレ王国は、大陸の沖合いおよそ250〜630ミールの海域に浮かぶ島々(南クローゼ列島)を支配する島嶼国家である。  人口7万人、うち5万人が大陸から500ミール近くも離れたイルドーレ本島に存在するという、半ば大陸から切り離された存在だ。(事実、イルドーレ王国は北東ガルム文明圏中では『最も貧しく蛮』とされ、“島住み”“海猿”などと半ば公然と嘲笑されていた)  ……そんなこの国がまがりなりにも同文明圏の一員と見做されているのは、ひとえにかつて大陸のごたごたに乗じて大陸同盟の一員に名を連ねることに成功したからに他ならない。  が、それから二百余年……太平に慣れ、当時の外交感覚は既に無い。狭い国の中、コップの中の争いに現を抜かすだけの状態が続いていた。  “黒船”が来航したのは、丁度そんな時代だった。 ――――イルドーレ諸島沖上空、第三空中竜兵隊。 「報告には聞いていたが、まさかこれ程とは……」  眼下を疾走する、船と呼ぶには余りに巨大な存在に、第三空中竜兵隊隊長は絶句した。  最大級の外航船ですら全長170ブートがやっとであるにも関わらず、コイツは『全長700ブート近く』という冗談の様な大きさだ。船と言うよりは“海に浮かぶ城”と呼んだ方が余程しっくりくる。 「“海を疾る城”、か」  思わず呟き、ふと疑問に思う。  ――そういえばコイツ、どうやって動いているのだ?  船の動力と言えば風力に決まっているのだが、コイツは帆を張らずに走っている。それどころか、帆を張るマストが無い。 ……いや、それらしきものが有るには有るのだが、この巨体を動かすには余りに貧弱な存在である。  にも関わらず、恐ろしい程の高速だ。感覚的――初めて見る大きさなので余りアテにならぬが――に並のフネの倍近い。 「一体、何処の国の船だ?」  こんな船、見たことも聞いたことも無い。  第三空中竜兵隊隊長は首を捻った。 ――――イルドーレ諸島沖海上、帝國海軍一等巡洋艦“筑摩” 「12時の方向に機影!」  その報告に吉田は目を凝らすが何も見えない。  が、艦長から双眼鏡を借りて覗き込むと、芥子粒の様な“点”が複数視えた……様な気がした。 「……まあ、見張り員は特に目の良い兵をあてがっておりますからなあ」  だから無理も無い、と艦長は笑う。  先んずれば敵を制す――何でも夜間の見張員などは暗闇に目を慣らすため、日没数時間前から暗い部屋に閉じ篭り、暗闇に慣らすらしい。  それを聞いて、吉田は呆れた様に首を振った。 「……レーダーを開発して、配備すればいいだけの話じゃあないか」  英国がレーダーの力でドイツ空軍からロンドン上空を守りきった――その後も小競り合いは続いているが――ことを思い出し、指摘する。  が、艦長は顔を顰めて首を振った。 「レーダー? ……ああ、電探のことですか。ありゃあ駄目ですよ、闇夜に懐中電灯を振りかざす様なもの、いい的です。位置が割れている陸上基地なら兎も角、艦隊は隠密行動が常ですから。  それにやはり最後に頼りになるのは、機械ではなく訓練に訓練を重ねた人間ですからねえ」 「……そりゃあそうだろうがね」  技術の海軍も所詮この程度か、と少なからず失望しつつも、吉田はそれ以上追求するのを止めた。  代わりに視線を甲板上に転ずると、対空戦闘準備の命令が出されいるせいか、機銃員と武装した水兵があちこちで目に付く。  ……武装した水兵?『対空戦闘準備』なのに? 「“空からの切込み”に備えるため、陸戦隊を臨編したのですよ。  ……連中、所構わず離着陸出来ますからなあ」  吉田の疑問を悟り、艦長が説明した。  ……その苦い表情から察するに、海軍はかつてその“空からの切込み”とやらで散々痛い目にあったに違いない。 「意気込みは買うが、我々はあくまで交渉に来たのだ。初っ端から事を起こすのは勘弁してくれよ?」 「なに、念のための準備ですよ。 ……ま、あんな小型の飛竜じゃあ何もできやしませんがね」  そう言って艦長は笑う。  向かって来る敵はワイバーンではなくただの飛竜(ワイアーム)。ブレスは吐けず、速度も実用で100q/hに満たぬ非力な存在だ。到底脅威足り得ないだろう。 「頼むよ、本当に」  吉田は軽く肩を竦め、念を押した。  帝國海軍一等巡洋艦“筑摩”は現在、一路イルドーレ王国目指して航行している。  その目的は『外交使節団の移送兼護衛』。転移してから早一年以上――大内海沿岸の資源地帯をほぼ手中に収め、ようやく一息つきつつあった“帝國”は、早くも次の手を打とうとしていた。資源の次は市場、とばかりに中央世界進出のための橋頭堡を築くべく行動を開始していたのである。 ……些か早過ぎる気がしないでもなかったが。  “帝國”がこれからイルドーレ王国に対して行おうとしていた外交は実にシンプルで、『“黒船(筑摩)”で来航することにより相手に衝撃を与え、有利な交渉を行う』という砲艦外交の最たるものだった。当座の要求も『食料・物資の提供(輸出)要請』とペリーの黒船と酷似していることから、俗に“ペリー計画”とも称されており、過去の自分達の体験から“帝國”人の誰もが成功を確信していた。  ……が、彼等は重要なことを忘れていた。  黒船来航の意味を正しく理解し、かつ正しく行動できた国家は、(転移前の)世界広しといえどもかつての“帝國”だけだった、ということを。  そして、この世界が大艦巨砲主義とは真逆の“航空主兵主義の権化”とも言える世界だ、ということを。  双眼鏡ですら芥子粒の様だった飛竜が、肉眼ですらはっきりと認識できる様になった。 「機影確認!」 「対空対強襲戦闘準備!」  対空指揮官の言葉に、甲板上に緊張が走る。ここまで近づかれたら高角砲では対応出来ない、機銃の出番だ。  機銃要員達は銃座で機銃を操作し、陸戦要員は完全武装で要所に待機する。  ……良く見れば、高角砲や機銃の要員達も腰に拳銃を下げている(狭い配置内では小型拳銃とはいえ邪魔そうだ)。特に単装機銃の要員など、その足元に弾薬箱に混じって小銃を収めた箱まで置いている。  実は彼等単装機銃の要員も要所に待機する者達同様、専門の陸戦要員なのだ。彼等は艦固有の定員には含まれておらず、必要に応じて新設された“本部”(*3)から派遣されることとなっている。その基本任務は単装機銃の操作及び陸上戦闘であり、丁度かつての英国海兵隊の様な役割を担っていた。 「撃つな……撃つなよ」  特設機銃座の各班長が、そう何度も繰り返す。  連装機銃の機銃員達が汗をかきながらワイアームを追尾する中、単装機銃は比較的容易に追尾する。  が、だからと言って『単装の方が連装よりも優れている』という訳では無い。確かに連装は俯角・旋回速度に問題があるが、単装は単装で給弾に問題がある、どちらも一長一短であり、組み合わせて初めて効果を発揮するのだ。(“帝國”海軍は、それを大内海で散々学んだ)  ちなみに“筑摩”の対空兵装は12.7cm高角砲が連装4基8門、25mm機銃が連装8基・単装8基の計24挺であり、転移前と比べ13mm機銃(連装2基4挺)が25mm機銃(連装2基4挺)に換装された上、新たに単装の25mm機銃が採用・増設されている。  そして専門の陸戦要員が60名――これ等の措置は全て、転移後の教訓によるものだった。  大内海での戦いにおいて“帝國”海軍が最も……と言うより唯一手を焼いたのが、『空からの斬込み』だった。  低速とは言っても100q/h近い(場合によってはそれ以上の)速度で飛行するワイアームは、そう簡単に撃ち落せるものではない、ましてや海面スレスレを飛行されたら尚更だ。そして一旦懐に潜り込まれれば、高角砲はもちろん連装や三連装の機銃では追尾不能、容易に乗り込まれてしまう。  乗り込まれてしまえば、甲板上は殺戮の場だ。“帝國”海軍の将兵は艦内では基本的に非武装であるし、陸戦経験も皆無に等しい。対する敵は基本的に弓矢や刀槍のみとはいえ戦い慣れており、ワイアームの様な化け物まで従えている。 ……結果は火を見るより明らかだった。(そもそもこの様な事態、海軍は想定すらしていない)  無論、最終的には鎮圧できるものの、甲板上は敵味方の血に塗れた、などといった事態が多発したのである。更に付け加えれば、独航する輸送船の被害などこの比ではない。  この斬込み戦術により少なからぬ数の死傷者を出した“帝國”海軍は、慌てて以下の対抗策を実施した。  ・対空・対水上近接防御力を高めるため、各艦艇に13o又は25o単装機銃を増設する。   定数は――   戦艦・正規空母が25o単装機銃12。   巡洋艦・軽空母が25o単装機銃8。   駆逐艦が25o単装機銃4。   それ以下の艦艇が13o又は25o機銃を単装2〜4基。   ――とする。(一部の小艇を除き、最低でも片舷2射線を確保すること)  ・各艦艇に配備している陸戦兵器の定数増強と陸戦専門要員の配属。  以上の措置により、ようやく敵の斬込み戦術に対抗できる様になったのである。以後、被害は激減した。  ……とはいえ、最も効果を挙げたのはもこの様な“対処療法”ではなく、敵拠点の制圧や現地に対する慰撫策といった“予防療法”だったのだが。  10頭程のワイアームが周囲を飛び交う中、1頭がゆっくりと艦に近づいてきた。  そして第二主砲塔の上空数mで静止し、大声量で口上を述べた。 「私はイルドーレ王国軍第三空中竜兵隊隊長、ホセ・ブランである! 貴艦は既に我が国の領海へと足を踏み入れているが、その真意は如何に! 速やかなる返答を求む!」 ――――イルドーレ王国王都。  イルドーレ王国の都はイルドーレ本島のほぼ中央、湾に面した平地に存在する。名を“ハルダー”といい、700戸程の民家が立ち並ぶ小さな港町だ。城で働く者達を含めても人口5000人に満たぬだろう。  ……5000人の王都、である。まあ人口7万の小国ということを考えれば宜なるかな、だが些か看板倒れの気がしないでもない。  尤も、これはあくまで“帝國”人の感覚に過ぎない。アルフェイムで『人口5000人』と言えば、中央世界でも町どころか“小都市”、“帝國”が覇を唱える大内海沿岸なら“巨大都市”と見做される規模だ。人口700万超の帝都を始めとする100万都市を複数抱え込み、地方都市ですら『10万都市がざら』という“帝國”とは、そもそもの基準が違い過ぎたのだ。(*4)  ……話を元に戻そう。  さて、ハルダーである。  この王国唯一の都市は現在、ちょっとした騒ぎになっていた。 「は〜〜、でっかいフネさね」 「んだな、まるで島だ」  突如海上に現れた巨大な船に、王都の民は呆気にとられ思わず手や足を止める。  そして、しげしげと観察した。 「しかし、どこの船だ?」  何しろこれ程の船である、きっと名のある大国が使わしたに違いない、と群集の一人がしきりに感心する。 (“筑摩”は座礁を恐れてかなり沖合いにいるため、実際より二まわりは小さく見えるのだが、それでもこの世界では圧倒的だった) 「なんでも、大内海の向こうの国らしい」 「……なんだ、蛮族の船かよ」  大内海と聞き、騙されたとばかりにその男は吐き捨てる。  そして『興味を失った』と言わんばかりに、降ろしていた荷を担ぐとその場を後にした。  群集の多くも同様で、男の言葉を合図に次々除き去っていく。  残ったのは、一部の暇人のみだ。 (彼等の大半は、日々の糧を得るために朝から晩まで働かねばならない。いつまでも“こんなこと”に係ってはいられないのだ) 「……しかしあれ程大きくては、竜士(*5)さま方の手に余るんじゃあないか?」 「何、その時はお城の竜騎士(*6)さまが出て来られるさ、騎士さまなら一捻りだ」 「違いない!」  中には不安がる者もいないではなかったが、他の者達に一笑に付される。  ……そこに黒船来航時の“帝國”人の様な恐怖は、危機感は無かった。  『飛竜こそ力の象徴、如何なる船も飛竜には勝てない』  このアルフェイム特有の“常識”は、彼等の様な無知な民草にまで……いや、無知だからこそより一層強固に根付いていた。  例え驚嘆すべき存在だったとしても、彼等にとり海上に浮かぶ船よりもその上空を飛び回る飛竜の方が強力に思えたのだ。“帝國”の思惑は見事に外れた、と言わざるを得ないだろう。  が、“帝國”にとっては強大な軍艦こそが“力の象徴”だった。誰しも己を基準に相手を考える以上、『無理からぬ判断』と言えなくもない。  ……それに、大内海では確かにこの“砲艦外交”は通用したのだから。  大内海の諸勢力は駆逐艦にすら驚き、戦わずして降伏する例すら多々あった。そうでなくとも、少なくとも交渉で優位に立つことは出来た。  これは彼等の空中戦力が貧弱だったことに加え、“帝國”が非常に寛大な条件を提示したからこそ……そして何より、彼等が敗者必滅の弱肉強食の世界で生きていたからこそ、であろう。戦争すらも外交の一手段に過ぎない中央世界で通じる筈も無かったのだ。  が、過去の成功に味をしめた“帝國”は二匹目の泥鰌を狙い、こうして『失敗した』という訳だ。  ……ああ、『イルドーレだから失敗した』とも言えるかも知れない。  中央世界の文明人達は、その外に住む人々を夷狄蛮戎と多かれ少なかれ侮蔑しているが、特に彼等イルドーレ人の場合、それが強い。  これはコンプレックスの裏返しだろう。自らもまた“島国”と差別される存在であり、上手いこと文明国と認められたとはいえ、本来ならば“夷狄蛮戎”と見做される位置にあるからこそ、の。  それ故に彼等は、『大内海の蛮族如きに』とより激しく反発したのだ。  イルドーレの民は高らかに謳う。  馬鹿にすまいぞ。われらイルドーレ、小国といえど中央世界が文明国。  馬鹿にすまいぞ。われらイルドーレ、島国といえど大文明圏が一国。  馬鹿にすまいぞ、と力を込めて謳うのだ。その心情たるや、察するに余る。  仮に“筑摩”に驚いたとしても、彼等は決して認めないだろう。文明国の誇りにかけて、認める訳にはいかないのだ。 (何しろ、かつて自分の国の地名人名が“蛮風”だったため、大陸風に変えてしまった位のお国柄なのだ)  ……或いは、戦艦ならばまた違う反応だったかもしれない。優美な重巡とは異なり、有無を言わさぬ存在感を見せ付ける戦艦ならば。  が、当時の“帝國”の台所事情を考えれば、これは無理な相談だった。  重巡も大喰らいだが、戦艦はそれ以上に大喰らいである。  “筑摩”は重油2690tを搭載し8000海浬(18ktの場合)を航行するが、戦艦は重油6480tで9800海浬(“金剛”18ktの場合)と、実に“筑摩”の倍以上の重油消費量である。本土―イルドーレ本島間は直線距離でも優に3000海里以上、必要とする消費量の差は片道1000t、往復ならば2000tを超えることを考えれば、『戦艦を』などとは口が裂けても言える筈が無いことが判るだろう。何しろこの“筑摩”ですら、重油の消費を抑える為に12kt――18kt場合の半分の重油消費で済む――で航海しているのだから……  更に言えば、数ある重巡の中から“筑摩”が選ばれた理由は、単に戦艦・重巡の中で唯一定員を満たしているのが“利根”“筑摩”の二艦のみ(*7)だったからだ。  人も油も――全てが不足していたのである。  要するに、全ては“必然”だったのだ。 ――――同、王城。 「“帝國”? 聞いたこともない国だな?」 「聞く所によれば、大内海にある国だとか」 「なんだ、蛮族か。 ……そんなことより、新しい酒はまだ届かぬのか?」  重臣の報告を軽く聞き流すと、国王は杯を呷る。  そして、顔を顰めた。 「……不味い、不味くて敵わん。やはり国産は駄目だ」  そう呻くと、杯に残った酒を床に捨てる。  バシャッ!  国産としては最上級の蜂蜜酒であったが、所詮は“田舎の醸造所”の品、大陸の一流どころのそれとは比べるべくもない。その代わり――と言うのも何であるが、安価だった。無論、仮にも一国の王が飲む酒であるから、庶民が気軽に飲める様な代物ではない。が、それでも大陸の一流品をわざわざ取り寄せるのと比べれば、天と地ほども違う。 ……そして何より、払った金は『地元に落ちる』ということが素晴しかった。特に現在の様な状況では。  傍に控えていた侍女が、無言で床に零れた酒を拭う。  ……その布巾も大陸産だ、買えば日雇い労働者の日当数日分が吹き飛ぶだろう。  重臣は意を決し、口を開いた。 「恐れながら陛下が注文なされようとした品々、我等が独断にて取り消させて頂きました」 「何だと!? それでは、余は一体何を楽しみにして生きていけばよいのだ!!」  国王は怒り狂い、手にしていた杯を床に叩きつける。  ガラスの杯――やはり大陸の第一級品である――は音を立てて砕け散った。  その破片は重臣にも飛び散ったが、彼は尚も言葉を続ける。 「陛下、大陸産の品々の購入を、どうかいま少し抑えて頂けないでしょうか? せめて我が国にもある品くらいは、我が国のものをお使い下さい」 「馬鹿な!? その様なもの、文化人たる余に合う筈もなかろう!」  文化人や貴人には、それに相応しい品があるのだ、と王は頑強に主張する。 「お言葉ですが、我が国の財政は――」 「黙れ黙れ黙れ! 余は、お前達に無理矢理この様な僻地に連れてこられたのだぞ!? 全てお前等が悪いのだ!!」  散々怒鳴りつけると、王は聞く耳持たぬ、とばかりに奥へと引っ込んでしまった。  一人残された重臣は、この王の行動に内心大きな溜息を吐いた。  ――やはり、シャラントでの生活が元凶か。  先王の意向により、現王は一流の教育を受けるべく、成人するまで大国ロッシェル王国の王都で暮らしていた。  が、それが裏目に出た。大陸大都市での生活に慣れきってしまい、故郷に帰ることを忌避したのだ。  半ば無理矢理にイルドーレに連れ戻された王――当時はまだ王太子だったが――は自国の辺鄙振りを大いに嘆き、大陸での生活を懐かしんだ。  そして先王が死去して王位を継ぐと、身の回りの品々――それこそ食材から日用品に至るまで全てを大陸のものに変え、大陸風の生活を常としたのである。  教育を間違えた、と言わざるを得ない。  王は酒に酔うと、決まって口にした。  こんな魚臭い僻地で余は一生を終えねばならぬのか、と。  何故余は大陸に生まれなかったのか、と。  ……イルドーレの不幸はこの様な男が王だったこと、そしてこの男以外に王家直系が存在しないことだった。  王とはいえその実態は“七〜八万石程の田舎大名”に過ぎないイルドーレ王が、この様な放蕩をして国が保てる筈がない。御蔭で借金は急増し、国の財政は破綻寸前――という状況である。要するにこの当時のイルドーレは内政で手一杯であり、とうてい外交など行う余裕などなかったのだ。 (まあ例え余裕があったとしても、果たして適切な対応が採れたかどうかは大いに疑問ではあるが……)  そんなイルドーレにとり、“帝國”の来訪は正しく“泣きっ面に蜂”“弱り目に祟り目”だった。  果たして何人がそれに気づいているかは判らぬが。 *1 ――――大陸同盟――――  ラウル条約に調印した諸国による同盟なので、正式には“ラウル同盟”と呼ぶのが正しい。 ……が、その余りの大規模さから、何時しか“大陸同盟”と呼称される様になった。  ちなみにラウル条約なる名称は、北東ガルム南部に流れる“母なるラウル”――南部の象徴――から採られている。 *2 ――――『属する国家が100を超える』――――  大陸同盟”に加盟する諸国の詳細は、ロッシェル王国(人口800万超)及びブールジュ王国(同650万超)の二大国を筆頭に、人口150〜300万級の上位中堅国が6、同50〜150万級の下位中堅国が20、更に同10〜50万級の小国30、同10万未満の零細国52の計110ヶ国である。  ……成る程、確かに同盟に頼らざるを得ない規模だ。ロッシェル・ブールジュの両大国といえども、とても単独では(この世界の主戦力たる)魔道兵器の開発と配備を両立出来ないし、それ以下の国々……特に小国・零細国と呼ばれる国々に至っては、そもそも兵の頭数すら満足に揃えられないだろう。同盟が200年以上続いたのもむべなるかな、だ。(軍事のみならず経済に関しても同様のことが言えた) *3 ――――“本部”――――  特設機銃員教育隊のこと。本来は『限られた人員を効率よく運用するための管理機関』、『戦時に必要とされるであろう膨大な機銃員の教育機関』として新設されたのだが、何時の間にやら帆船時代の英国海兵隊紛いの任務まで併せ持つ様になった。 (彼等は乗艦の防衛に止まらず海賊狩りや山賊・空賊狩り、或いは暴徒鎮圧と積極的に打って出ており、『海軍で最も血を流している部署』とすら囁かれている程だ)  特設機銃員は陸戦も機銃操作も3名(1個班)を基本単位としており、転属も配置も班単位で行われる程徹底されている。その陸戦時の武装は――    機銃班 班長・第二班員が四四式騎銃、第一班員が九六式軽機関銃及び拳銃。    擲弾班 班長・第二班員が四四式騎銃、第一班員が八九式重擲弾筒及び拳銃。    突撃班 班長が一〇〇式短機関銃、班員2名が四四式騎銃。  ――となっている。とはいえこれはあくまで理想であり、現実は一〇〇式短機関銃はおろか四四式騎銃ですら碌に手に入らず、これ等の代わりに三八式歩兵銃、或いは三八式騎銃を主装備とするのが常だった。  ちなみに各艦に派遣される時は、指揮要員に加えて単装機銃1基につき6名――つまり運用定員の倍――の人員が派遣されることとされている。例えば“筑摩”派遣の特設機銃員の編成は――    指揮班  将校2、下士兵6    第一分隊 下士官兵13    第二分隊 下士官兵13    第三分隊 下士官兵13    第四分隊 下士官兵13  ――となっている。これは対空対強襲戦闘には『2個分隊が特設機銃を運用し、残る2個分隊が完全武装で強襲に備える』という態勢だ。 *4 ――――『尤も、これはあくまで“帝國”人の感覚に過ぎない。(中略)そもそもの基準が違い過ぎたのだ。』――――  アルフェイムでは中央世界でも10万人を超える都市は少なく、人口5000人前後もあれば町ではなく“都市”(ただし小都市だが)と見做される。1万人なら立派な“都市”、3万人もいれば“大都市”、10万人ともなれば“巨大都市”だ。だいたい“帝國”の1/10の規模、と考えて良いだろう。(ただし例外として、列強諸国の都は何れも100万都市である)  これが辺境となると規模は1/10以下にまで落ち込み、1万人を超える都市は少ない所か殆ど存在しない。故に、人口500人前後もあれば町ではなく“都市”(ただし小都市だが)と見做され、1000人なら立派な“都市”、3000人もいれば“大都市”、5000人ともなれば“巨大都市”という有様だ。  ……この事実を考えれば、何故“帝國”が中央世界進出を目指したかが判るだろう。確かに大内海沿岸の諸文明圏は資源供給地帯として重要な存在だったが、到底“市場”足り得なかったのだ。(現在、“帝國”の投資による開発で需要が生じているが、これは意味が違う) *5 ――――竜士――――  ワイアームに騎乗する士のことで、正式には飛竜士という。 *6 ――――竜騎士――――  ワイバーンに騎乗する士のことで、正式には飛竜騎士という。 *7 ――――『戦艦・重巡の中で唯一定員を満たしているのが“利根”“筑摩”の二艦のみ』――――  当時、第一及び第二艦隊は平時体制にあり、専ら内地で訓練任務に就いていた。これは海軍の人員が外地に展開する方面艦隊に吸い取られていたためであるが、対する第一及び第二航空艦隊が転移後も戦時体制を維持し続けていたことを考えると、この差は非常に興味深い。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2】 ――――“筑摩”艦上。 「は?国王陛下に御目通りできない? ……それは一体、どういう訳ですかな?」  訪れた使者の口上に、吉田は口をへの時に曲げて詰問する。  ……が、イルドーレより派遣された使者は木で鼻を括ったような対応を崩さず、ただ『会えない』の一点張りだ。 「貴国には貴国の事情があろうが、我が国にも我が国の事情がある。陛下は卿らに御会いにならない、それだけだ。  用件ならば私が取り次ごう、沙汰があるまで大人しく船で待て」  そのあまりの言い草に、吉田は抗議の声を上げた。 「仮にも我等は一国の使節ですぞ!? この様な非礼、信じ難い!」 「非礼はむしろ貴国の方だろう。そもそも、なんの根回しも無くいきなり他人の国に乗り込んでくるとは、どういうことだ?  本来ならば、しかるべき国に仲介を頼むべきだろう」  ……おいおい。こんなちっぽけな島国の王相手に、古代中国の皇帝でも相手にするかように振舞え、と言うのかね?  この男の余りの夜郎自大振りに、吉田の怒りと驚愕は“呆れ”へと変化した。  そして、なるほどと感心する。  ――ああ、現地職員達が口を揃えて言ったのは、このことか。  イルドーレを訪れる前、吉田は近隣諸邦國の領事事務所に彼の国に関する情報を提出させていた。(*1)  故に基礎的なデータは把握していたが、同時に以下の気になる忠告も現地職員から受けていた。 『イルドーレ人は官民問わず傲慢です。大した実力も無い癖に自らを“先進文明国”などと称し、大内海に住む我々を嘲笑します。  ……いえ、確かに中央世界の人々は皆多かれ少なかれ我等を見下していますが、連中は別格中の別格です。露骨に態度に表す上、法外な要求までしてくるのですから。  そして何かあるとすぐに“大陸同盟”、『竜の威を借る鼠』そのものです。  とにかく付き合うと腹が立つだけなので、我等は極力関わらない様にしておりました。閣下も御気分を害するだけでしょうから、放って置かれた方が賢明でしょう』  そして、あんな連中が同僚たる邦國になるなど真っ平御免です、と吐き捨てたものだ。  ……相当な嫌われぶりである。しかも一人や二人の話ではないのだから、よほど問題のある国なのだろう。  が、生憎と“帝國”にはイルドーレが必要であり、嫌でも関わり合わざるを得なかった。“帝國”本土から北大内海の拠点たる昭北島まで2500海里、昭北島から中央世界の大陸(ロッシェル王国)まで更に1000海里の大海が横たわっている。昭北島と大陸の間にもう一拠点必要だったのだ。  イルドーレ王国は大陸から200〜500海里、昭北島から500〜800海里の海域に位置し、前進拠点として――そして昭北島に対する物資供給源として最適だった。他に選択肢は有り得ない以上、何が何でも拠点化する必要があったのである。 「……やりますか?」  そんなことを考えていた吉田の背後から、艦長が『力尽くでの解決』を小声で提示した。  ……余程この男の態度に腹を据えかねているのだろう、“提示”というよりもむしろ要求に近いニュアンスだ。 (今回の件は吉田に全て任されているため、彼の腹一つでそれが可能だった)  戦力に問題はない。  “筑摩”だけでも十分強力だが、その後部甲板には二式水戦3機に零式水観3機を搭載しているのだ、貧弱なイルドーレの航空戦力など鎧触一蹴だろう。陸戦戦力も特設機銃員を中核に中隊規模の陸戦隊が編成可能で、王宮どころかイルドーレ全土だって占領できる。  が、その必要は無い、と吉田は後ろに手を出して拒絶した。そして―― 「……仕方がありませんな、では使者殿にお任せしましょう」  そう嘆息すると、吉田は頭を下げたのである。  この行動に、その場にいた“帝國”人全員が目を丸くした。  …………  …………  ………… 「何故、あの様な輩に頭を下げねばならぬのです!?」  艦橋に戻ると、艦長は血相を変えて吉田に詰問した。  ……あの男、吉田が頭を下げると一層勢いづき、やれ『貢物はないのか!』だのやれ『使者になんのもてなしもないのか!』など際限なく要求してきた。  そして現在、特別にあつらえた貴賓室で“艦長秘蔵の洋酒”をあおっているのだから、艦長は憤懣やるかたないのも無理はないだろう。  が、吉田は断固として首を振った。 「これも外交だよ、艦長。あの勘違い野郎を“教育”してやれることは私にとっても大変魅力的な話だが、一時の感情に流されてはいかん」  そもそも、中央世界進出は外務省の復権を賭けた一大事業である。それを初っ端から力尽くで解決することは自殺行為に他ならない、吉田が却下したのも当然だろう。  ……とはいえ、何も吉田は省利省欲のみ考えて行動した訳では無い。仮にもイルドーレは大陸同盟の所属国である、武力行使は同盟諸国の反発を招くだろけでなく、中央世界中に警戒を招きかねない、と判断し却下したのだ。  一時の感情に流されたり省利省欲のみに眼を向けるなど“外交官失格”だが、かと言って国益のみに眼を向けるのも“二流以下の外交官”がすることだ。“一流の外交官”とは、『国益と共に自らの利益を追求できる者』のことを言う――少なくとも、吉田はそう考えていた。 「あんな国の一つや二つ、本艦だけでもお釣りが来ます!」 「武力行使は国益に繋がらんよ。現段階で大陸同盟を刺激するのは得策でない」 「蛮族如き、皇軍の敵ではありません!」  艦長は真っ赤になって反論する。  地雷を踏む気も無いので、吉田は肩を竦めながら話を微妙に修正した。 「ああ確かに敵ではないだろうさ、我々の本当の敵は“距離”と“時間”だからな」  先程も書いたが、『中央世界最果ての地』とすら言われるイルドーレですら“帝國”本土から3000海里以上もある。しかも途中に碌な拠点が無いことを考えれば、如何に中央世界での軍事展開が困難かが理解出来るだろう。加えて資源の供給量と需要の間に未だ大きな開きがある以上、大規模な行動は物理的にも不可能だった。  海軍を例に挙げれば――  組織を動かす人も、  艦艇や航空機を動かす石油も、  沿岸海域や通商路を護る小型戦闘艦艇も、  港内業務や戦闘艦艇を支援する補助艦艇も、  ――何もかもが不足している。この様な状況で小内海に大規模な戦力を派遣すれば、どうなるだろう?  大型艦に関しては問題ない。現状では使い道がなく、本土で遊んでいるのだから。だが――  まず大型艦の定員を充足するために、他部門から人員が引き抜かれる。  次いで小内海での活動を維持するために、大量の小型艦艇・補助艦艇も引き抜かれる。  この行為は他地域・他部門での効率を著しく低下させるだろう。そしてこれらが消費する石油・物資……下手をすれば、“帝國”の致命傷にもなりかねない愚行だった。 「…………」  故に、艦長は沈黙した。  それを見て、吉田は穏やかに諭す。 「“帝國”の重点は、一にも二にも生命線である“大内海沿岸部の資源開発”だ。幾ら『近い将来のため』とはいえ、生命線を疎かにするなど本末転倒ではないかね?  ……それに、どうせ殴るならばイルドーレの様な小物ではなく、もっと大物を狙うべきだ」  限りある資源を有効に活用かつ最大限に利用するため、大きい一発で大物を仕留める。(もちろん大義名分を得た上で、の話だ)  そうなれば、中央世界の国々も“帝國”を無視できなくなるだろう。少なくとも北東ガルムにおける“パワーゲームのプレイヤー”として認められる筈だ。 「もちろんイルドーレも態度を変えるだろうさ。それまでの辛抱だよ」 「……変わりますかね?」 「変わらなければ、“国を喪う”だけさ」 「…………わかりました」  と、吉田の部下である外交官が顔を出し、困った様に口を開いた。 「……閣下。あの使者、今度は『“心遣い”はどうした!』と騒いでおりますが、如何致しましょうか?」 「…………」  吉田の顔が引きつった。 ――――イルドーレ王国、王城。 「交易だと?」 「はい、それが連中の本音のようです」  “筑摩”から帰還した使者は、重臣達を前に断言した。  『貴国で食料等の物資を調達をしたい。それにつけても船を空荷で送り出すのは不経済なので、行きに物資を積んで売却することを望む』  ――そう“帝國”は打診したのだが、幾ら外交音痴たるイルドーレ王国の使者とはいえ、流石にこの言葉を額面通りには受け取らなかった。 ……いや、それどころか“帝國”の本音を(その表層のみとはいえ)見破っていたのである。 「“帝國”の真意は『北東ガルムとの本格的な交易』にあります、我が国に目を付けたのもその為でしょう。大陸同盟の一員である我が国を“エイオンの木竜”に仕立て上げることにより、有形無形の様々な障害を一気に乗り越えようと目論んでいるのです」  使者の言葉に、重臣達は大きく頷いた。 「……成る程。確かに我が国を経由すれば、関税や輸入制限が大幅に緩和されるからな」 「が、如何な礼儀を弁えぬ蛮族とはいえ、いささか虫が良過ぎる考えですな」 「で、連中は一体何を持ち込もうというのかね? 珍獣の毛皮か何かか?」  ひとしきり相槌を打ち合っていた重臣の一人が、興味本位からか何気無く訊ねた。  ……とはいえ、言われずとも想像が付く。あんな辺境で輸出出来るものといえば、そこにしか生息しない珍しい動植物から採取した品くらいのものだ。 「いえ、違います」  が、使者は首を振り、目録を差し出した。 「! こ……これは!?」  目録を見開いた重臣が、驚愕の声を上げる。  “帝國”が輸出を希望する品々は、大内海沿岸産の錫や鉛・銅・水銀といった様々な金属の地金だった。  が、何よりも彼等が驚いたのは“その量”だった。  1航海につき50万リブラ。“帝國”は月1回以上の航海を要求しているから、年12航海――600万リブラ!  これは産出する金属の種類にもよるが、中央世界でも“大規模な”とされる鉱山の年間生産量に匹敵する量だった。無論、中央世界の国々の中にはこれをはるかに上回る金属地金を輸出する国々が少なく無い。が、これだけ大量の余剰が出る程の生産力を辺境の国家が有することに、彼等は驚きを隠せなかった。  ……それは、彼等が思い浮かべる“辺境の国”とは余りにかけ離れていたのだ。  “帝國”の統一により、大内海沿岸の諸文明圏は急激な発展を遂げつつあった。  『有史始まって以来の緩やかな統治』と言われ、その投資も(資源開発関連を除き)最小限に留めていた“帝國”だったが、『それぞれの小さな文明圏に半ば閉じ篭り、その中ですら群雄割拠していたような状態』が解消され、曲がりなりにも“一つの意思”に従って動き出した効果は絶大だった。  全ての文明圏は“帝國”本土を中心とした海上ネットワークによって結びつけられ、連動して動き出す。陸上でも鉄道により近隣文明圏同士を直接結びつける計画が進行しており、既に幾つかの文明圏間で開通している。例え“帝國”人以外の利用が極度に制限されているとはいえ、その洩れ伝わる物は従来の比ではない。農業、鉱工業、商業……ありとあらゆる産業が一斉に勃興を始めたのである。  その最たる分野が鉱業だった。  ……実の所、“帝國”がその近代的な技術を投入して開発している鉱山などほんの一握りに過ぎない。“帝國”の限られた国力では、幾つかの重要地点に集中投資するのが精一杯だからだ。それ故に、鉱山の大半は現地人のみの手によって操業されていた。(“帝國”が大内海沿岸全域を支配したのも、『鉱山数で生産量を補う』必要があったからだ)  が、今まで中小の勢力が細々と、それも軍備の片手間に操業していた各鉱山は、従来では考えられない程の大資本・大労働力の投入により、その姿を根本的に変えつつあった。  軍に費やしてきた人と金が文明圏中から集められ、開発に投入される――その効果は絶大で、『“帝國”の貧弱な輸送網では捌き切れない』などという笑えない光景すら出現しつつあったのである。結果、かなりの資源が港に滞留された。“帝國”が今回持ち込もうとした資源は、これを(現地で)精錬したものだったのである。  大内海地方は世界で最も資源が集中した地域であり、これを殆ど手付かずの状態で手に入れられたことは、返す返すも“帝國”にとって幸運なことだった。  豊かな水産資源は“帝國”人を飢えから救い、豊かな地下資源は“帝國”文明を崩壊から救った。そして手強い中央世界から距離を置き、態勢を整えた上での“チャレンジ”を可能にしたのである。これは他地方では到底不可能な芸当だろう。更に言えば、“米櫃”を独占した“帝國”は、今後アルフェイム世界で勃興するであろう近代工業そのものでも圧倒的な優位を保証されている。スタートでの技術独占に加え、最重要資源地帯をも独占したことの意味は、それ程大きなものなのだ。(例を挙げれば石油の過半、レアメタルに至ってはその大半が大内海地方に埋蔵されている)  ……尤もこういった過ぎる幸運が後に“帝國”人を些か神懸り的方向へと導いていくことになるのだが、今回はここで筆を止めておこう。何れにせよこの時期、大内海地方における鉱業生産は飛躍的に増大し、これ程大規模な輸出を可能としていたのである。 「ううむ……」  信じ難い事実を突きつけられ、呻く重臣達。  が、その中で一人だけ、先程から無言で目録を眺める者がいた。 「……デヴルー侯、どうされましたか?」  周囲の重臣が、遠慮気味に声をかける。  デヴルー侯ペドロ。王国大貴族の一人であり、王国筆頭魔道師でもある重鎮だ。  が、それ以上に顔を面で、腕を布で覆った異形は、その醸し出す雰囲気と数々の“噂”も合わせて、同僚たる重臣達ですら気後れを禁じ得なかったのである。 『この目録にある品々、どの程度の代物だ?』 「は……はい、申し訳ありませんが、詳しいことは判りかねます」  妙に甲高い、まるで赤ん坊が喋りだした様なデヴルー侯の声に、使者は上ずった声で慌てて答える。  と、デヴルー侯は薄く哂った。 『嘘だな。この目録には産地も品質も記載されていない。ならば代わりに現物を寄越した筈だ、違うか?』 「……蛮族故の不手際でしょう」 『ならば何故、貴様はそれを正さなかった?』 「も、申し訳ありません! “見本”と称し、僅かばかりの地金を預かったことを忘れておりました!」  圧倒的なまでの眼光に射竦められた使者は、観念して土下座する。  が、デヴルー侯はそれを冷たく見下ろし、言い放った。 『全部、だせ』 「は……?」 『貴様、我が催促せねば、全てを懐にしまいこむ腹積りだったな? 事が露見してなお、惜しさの余り隠そうとしている』 「い……いえ、決してその様な真似は……」  ……図星だった。自分が賂を要求すると、“帝國”人は目録に書いてある全ての金属地金を合わせて1万リブラ程も寄越し、『見本としてこの品々を貴国にお渡しする。ただし、目録にはその旨もお渡しする量も書いていない』と意味ありげに耳元で囁いたのだ。  要は『己の才覚でここからばれぬよう分け獲れ』ということなのだろうが、中に“屑魔石”が入っていたのが不味かった。  魔石とは様々な魔道に用いられる“レアメタル”であり、金銀に匹敵する価値を持つ“貴金属”でもある。故に、屑といえどもかなりの価値がある筈で、これが使者の正常な判断を狂わせた。身分不相応の財宝を前に、我を忘れてしまったのだ。 『一度掴んだものは放さない……その強欲さも許し難いが、こうも簡単に露見する嘘を吐く無能さは、それ以上に許し難い』 「あああ…………」  恐怖の余り腰を抜かしながらも、使者は必死で後ずさる。  彼は、自分が“帝國”人にしてやられたことにようやく気付いた。  あの“ヨシダ”という男は、必ず横領が発覚するであろうことを確信しながら、耳元で囁いたのだ。  ……そして愚かにも自分は、その悪魔の囁きに乗ってしまった。  眩いばかりの財宝に目が眩み、その中に隠された“罠”に気付かなかったのである。 『何よりも、我をたばかろうとした罪は許せぬ』 「お、お許し『死ね』  デヴルー侯のその言葉と同時に、使者の首が捩れ切れた。  同時に、大量の血が噴水の様に飛び出す。 「ヒッ!」 『……これはこれは、諸卿にはとんだお見苦しい所をお見せした、許されよ』  目の前で起こった凄惨な光景に顔を蒼くした重臣達に、デヴルー侯はまるで茶でも零したかの様に詫びをいれた。  ……何の高ぶりも見せぬその姿は、“狂”と呼ぶ他無い。重臣達は噂が真実であることを確信した。  後日、改めて“帝國”が提供した見本を検分すると、失笑せんばかりの事実が明らかになった。  “帝國”が“屑魔石”と称したのは、さして使われていない魔力結晶……それも高品質の大結晶ばかり。再精錬すれば“良質の魔力結晶”として生まれ変わるだろう代物だったのだ。  恐らく精錬技術の劣悪さから高品質の大結晶でしか必要とされる魔力を得られず、魔道技術の劣悪さから少しでも劣化すると使えなくなるのだろう――調査に当たった魔道士達はそう推測した。  これを裏付けるかのように、金属地金も魔力結晶ほどではないが不純物が多く、“地金”としては些か問題のある代物だということも判明した。  ……まあ魔力結晶に関しては兎も角、他の金属については『大内海地方の鉱業は採掘偏重であり、大量精錬を行う能力を未だ持っていないにも関わらず、大量の鉱石をそれも急いで精錬するよう要求されたため、“やっつけ仕事”になってしまった』というのが真相――些か苦しい言い訳だか――なのだが、何れにせよようやく安堵すべき事実に巡り合い、重臣達は先ず安堵を、次いで嘲笑した。  ――所詮、こんなものか。  そして、哂いながら月一回の交易を許した。  ……無論、『何重もの仲介手数料と関税を取った上で』の話ではあったが。  とり合えずこうして“帝國”は当初の目的、その第一段階を果たしたのである。 *1 ――――『イルドーレを訪れる前、吉田は近隣諸邦國の領事事務所に彼の国に関する情報を提出させた。』――――  “邦國”とは、“帝國”が大内海沿岸部を制圧した際、“帝國”に降った国々のことを言う。事実上の保護国・属国であり、本来ならば“藩王国”とでも呼ぶべき存在である。  ……これを“邦國”などという意味不明の語彙で呼称するのは、“帝國”人特有のあいまいさと“邦國”諸国への配慮に他ないだろう。 (事実、“帝國”の統治は信じ難いほど緩いものだった。これは成り行きから大内海を制圧したものの、自国の国力では到底統治しきれないしまたする気も無い、という“帝國”の事情によるものだ)  とはいえ、どう取り繕おうが属国は属国、彼等は外交権を“帝國”に奪われている。このため外交官は本来の職務を失い、現在では主に“帝國”と祖国とを繋ぐ役割――副次的には他邦國との付き合い――を担っていた。  “帝國”外務省はそんな彼等を引き抜き、現地中堅〜幹部職員として採用、不完全ながらも独自の情報網を築いていたのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【3】 ――――“筑摩”、全権大使公室。 「サンチョ・マヤルカが殺されたそうです」 「……誰だね、それは?」 「まあ、薄情な御方! 閣下が罠に嵌めた、イルドーレの哀れな使者殿ではないですか!」  振り返りもせずに資料を読み耽る吉田に、“彼女”は呆れたような口調で答えた。 「ああ、そういえばそんな名前だったか。 ……しかし聞こえが悪いな、誰が誰を嵌めたと?」  吉田は振り返ると軽く肩を竦め、言葉を続ける。 「俺はただ、本当のことを言っただけさ。『目録には見本として送る地金の量も存在すらも記載されていない』とな。 ……それを如何とるかは、奴の勝手さね」 「それって、“教唆”に当たりませんか?」 「見解の相違だな。俺は、『記載されていないからきちんと伝えてくれ』という意味合いで言ったのだよ。そもそも陛下の大忠臣たるこの俺が、横領になど手を貸す筈もないだろう?」 「……そういうことにしておきましょうか」  そう言ってクスクスと笑う“彼女”を見て、吉田は内心大きな溜息を吐いた。  ――いやはや、まったくもって大したものだ!  “彼女”は北方特命全権大使就任と同時に付けられたダークエルフで、なかなかどうして喰えない女だった。  本来はただのオブザーバーの筈なのだが、何時の間にやらこうして吉田の秘書役に収まっているのがその何よりの証拠だろう。 ……それも周囲を押しのけた訳でも、周囲の反発を買っている訳でも無く、ごく自然に周囲が納得するように、である。如何に“帝國”人の“脇が甘い”とはいえ、生半かな手管ではない。  が、それ以上に恐ろしいことは、普段は全くと言って良いほど“女”を……いや、存在そのものをこのような『軍艦内ですら』感じさせないことだった。まあこれで醜女ならば一万歩程譲ってまだ判らなくも無いのだが、髪を短く纏め上げていることを除けば十分“佳い女”だ。もはや不思議どころか“異常”と言って良い事態で、戦慄を禁じ得ない。  ……にも関わらず、今回の様に二人きりになると途端に濃密な“女”を感じさせる。言うまでも無く吉田を墜とすためだろうが、判っていて尚むしゃぶりつきたくなる妖艶さである。正直、いつまで理性を保てるか自信がなかった。  ――今まで“転向”した連中を阿呆呼ばわりしていたが……  吉田は内心で大きく嘆息する。  連中が阿呆と言うよりは、『ダークエルフ共の方が一枚も二枚も上手』というべきだろう。いやはや、まったく陛下もトンデモないご決断をなされたものである。  ……いや、当時の状況――まさに皇国滅亡の危機だった――を考えれば、“止むを得ない”どころか最善最良の選択だったことは疑う余地が無い。  が、なんとか最悪の事態を回避できた今となっては、もはやその負の側面から目を背け続けることが出来くなっていたのだ。  転移直後、自分の身に何が起こったのか見当もつかないでいた“帝國”は、彼等ダークエルフと出会うことにより、ようやく(おぼろげながらも)事態を把握した。  と同時に、自分達の置かれた状況に愕然とした。  『右も左も判らない異世界……それも大洋のど真ん中に本土ごと放り出された』  これは単に海外市場を失っただけでなく、同時に食料・資源供給源までもが断たれたことを意味していた。  本土の市場だけでは、“帝國”の経済を到底支えきれない。  本土の資源だけでは、“帝國”の文明を到底支えきれない。  本土の農業だけでは、“帝國”の人命を到底支えきれない。  ……それは死刑宣告も同然だった。当時の“帝國”は、文字通り滅亡の危機に瀕していたのである。  故に、“帝國”はダークエルフと“取引”した。闇の世界に生き、『世界の隅々までそのネットワークを張り巡らせている』とすら言われる彼等に、“帝國”がこの先生きていく上での“水先案内人”を求めたのだ。  これにより“帝國”は滅亡の危機から救われた訳だが、代償もまた大きかった。  臣籍降下させるとはいえ、“帝國”第二皇位継承権者たる皇子をダークエルフ第一王位継承権を持つ王女と婚姻させるのを始め、百済滅亡以来……いやそれ以上の規模と待遇でダークエルフ達を受け入れねばならぬのだ。これは“国辱”とすら受け取られかねぬ行為であり、下手をすれば国が割れる危険すらあった程だ。 (前代未聞の“玉音放送”と臣民が現状を“それなりに”把握したこととで何とか収まったが、火種は依然として燻っている)  ――そして早一年が過ぎた現在、彼等ダークエルフは着実に“帝國”での地歩を固めつつあった。丁度この“彼女”の様に目立たずだが確実に、“帝國”要部に浸透しつつある。これに対する見方は濃淡あるものの、次の三通りだ。  けっしてでしゃばらず、さり気無くサポートする彼等を好意的に見る目。  それ以上の数の非好意的な目。  そして圧倒的多数である『僅か10万やそこいらで何ができる』という無関心――そもそもダークエルフと直接触れ合う人間の数自体が少ないのだ――な目。  無論、吉田は非好意派である。が、同派の圧倒的多数が感情的な理由からダークエルフに非好意であるのに対し、吉田はより深刻な目で事態を眺めていた。  ……もしや“第二の藤原氏”となるのではないか、とまで彼は憂慮していたのである。 「まあ怖いお顔、一体何を考えていらっしゃるのです?」 「……いろいろさ。“これからのこと”とかね」  何時の間にか直ぐ傍に近寄り、自分の目を覗き込んでいた“彼女”に、吉田は皮肉気に笑う。  ……が、その内心では必死に欲望を鎮めていた。(まったく油断も隙もあったものじゃあない!) 「閣下は私達のことを誤解なさっておいでですわ」  “彼女”はそれだけで吉田の言わんことを察し、妖艶に微笑む。 「私たちは、ただ自分たちの居場所を確保したいだけ…… 何の縁も身寄りも無い私たちですもの、保護して下さる方々をお探しするのに必死なのですわ」 「殿下がお前達の王女と婚約されたことで、既にその目的は達せられた筈だ」  ダークエルフの次世代かその次の世代の王は、皇室直系に最も近い存在となるのだ。『一体何が不満か』と吉田は眼を剥き、彼女を手で遠ざける。  が、“彼女”は距離を更に縮め、吉田の甘い声で囁いた。 「私たちは、より深い縁を“帝國”の方々と結ぶことを望んでおりますわ。 ……そう、できれば私たちを“異邦人”と見做さなくなる位に」 「『だから実力者を狙って篭絡する』か? ふん、理由にならんな」 「……無理矢理ではありませんよ? ちゃあんとお願いして、助けて頂いておりますわ」 「当たり前だ。もし薬や魔法を使ってのことならば、お前たちに明日は無い」  それならば話は早かったのだがな、と吉田は残念そうに首を振る。  もしダークエルフがその様な洗脳まがいの行為に手を染めていれば、吉田は即座に実力行使に出ていただろう。ナチ打倒の為にソヴィエトと手を結んだチャーチルの様に、軍強硬派とすら手を結んで、だ。  が、現実は違った。  確かに美女と情報提供で懐柔され、親ダークエルフに転じた高官は少なく無い。少なく無いが、嘆かわしいことに五分五分……いや、どちらかと言えば高官側の方が積極的に喰いついているのが真相だ。決して彼等ダークエルフのみを責めることは出来ないだろう。  加えてダークエルフは決してそれら高官の威を借りたりしない。返って“実るほど頭を垂れる稲穂”の如くより辞を低くし、周囲の好感を得ている――“帝國”人はこういった態度に弱いのだ――くらいである。その“上手さ”がまた、末恐ろしかった。 「私たちは常に日陰の身でしたから、人の目を見て行動するのに慣れているだけですわ。せっかくお天道さまの下に出てこれたのですもの、それを失うまいと必死なのです。 ……わかって下さいな」  そう言うと“彼女”はお願いの表情で両手を組み、上目遣いで覗き込む。  その視線に吉田はまるで仔犬を虐めた様な感じになり……が、ぐっと抑えて断言した。 「君達の立場は理解するが、その行動は納得しない。もし一線を超えたと判断すれば、俺は即座に君達を“排除”する――そう上に伝えておけ」  彼等の存在は重宝であるが、国家崩壊・民族滅亡を前にしたかつての様に“絶対必要”とまでいう訳では無い。『肉を切らせて骨を断つ』、大出血を覚悟をすれば切り捨てることすら可能なのだ、と吉田は釘を刺す。 (無論、下手をすれば何時終わるとも知れぬ大恐慌の引き金になりかねない行為であり、吉田自身もまた自裁――陛下の面目を潰した罪で――せねばならぬだろうが) 「わかりましたわ、お伝えします。 ……日陰の女は辛いですわね」 「……何故、そこで“日陰の女”が出てくる?」 「私たち一族は“帝國”のお妾ですもの。妾は捨てられないよう、どんなにがんばって主人に尽くしても家族の方々に罵られます。お家に迎え入れられても、決して家族にはなれませんわ……」 「もういい……やめろ……」  『でも健気な耐える女ってお好きですよね?』と訊ねる“彼女”に吉田は嘆息し、しっしと手を振った。  ……いや、それが手だと判ってはいるのが、それでも脱力してしまったのだ。(この女、空気を変えるのが実に上手い!) 「ではやめます。今日は閣下と本音が判って大収穫でしたわ」 「とうに気づいていた癖に、良く言う」 「いえ、腹を割って話し合うのは重要ですわよ? 信頼はそこから産まれますから。 ……我等が“王”と陛下の様に」 「ものは言いようだな?」  が、吉田の皮肉に答えず、“彼女”は吉田の耳元で何やら囁いた。  吉田の表情が変わった。 「……何故、それを知っている?」  それは正しく、会談における陛下のお言葉だった。ごく一部、陛下に近しい者しかしらぬ筈だ。 (吉田自身、牧野伯から一部を聞かされただけでその全容は知らない) 「多分、同じ理由ですよ? 私も王家の方々とは多少のご縁がありますから……」 「君は随分と大物なのだな、身に余る光栄……とでも言うべきかね?」 「どうぞお好きなようにお取り下さい。でも……そうですわね、それだけ閣下が“大物”だということですわ。私たちの保護者になって頂けず、残念です。 ……個人的にも」 「そりゃあどうも」  でも、また機会はありますわよね?と残念そうに首を振る“彼女”に、吉田は投げやり気味に返した。 「茶化さないで下さいな。本当に残念ですなのですよ? ……私、強い殿方が好きですから」 「酒場にでも行けば、自称も含めて掃いて捨てる程いるさ」 「またそうやって私をいじめになる……本当に酷いお方。私の言う“強さ”とは、そんな“匹夫の強さ”ではありません。閣下の様に動じない強い精神力と、大成する器のことですわ。 ……わかってらっしゃるくせに」 「今度は褒め殺しかね? 努力は買うが……」 「いえ、閣下は望めば宰相……いえ大宰相にだってなれる器量を持ったお方、そんな閣下とお近づきになれて個人的にも大満足ですわ」 「……それは良かった」 「でも、それでは私ばかりいい思いをしたことになります。ですから、良いことをお教えしますね」  『閣下と私だけの秘密ですよ?』と“彼女”。   「サンチョ・マヤルカは、帰ったその場で殺されたそうです。 ……それも、重臣の一人に」 「ほう? 随分早いと思ったが……」  その反応の薄さに、“彼女”はあらあらと両手を口に当てる。 「サンチョ・マヤルカは軽輩とはいえ王の直臣、それが王の裁き無く殺して“お咎め無し”ですわよ?」 「……別に珍しいことでもなかろう? 辺境ではままあることだ」 「一応、イルドーレは中央世界の文明国ですわ。辺境とはルールが違います」  中央世界と辺境との最大の違い、その一つとして『法の運用が厳格かそうでないか』が挙げられる。  無論、完全なる法治国家である筈も無いが、少なくとも如何な権臣と言えど、無断で王の直臣を……しかも官職にある者を討つことは許されない。何故ならそれは、王の権威に対する重大な挑戦であるからだ。 「そういった場合、たいがい“無礼討ち”を主張するのですが……今回の例では厳しいですね、無理がありすぎます」 「――ということはその重臣が相当な権臣、或いは王の権威が著しく低下しているか、はたまたその両方か…… 一体誰だね、その重臣は?」  吉田はイルドーレの重臣リストを開き、吟味する。  が、皆“どんぐりの背比べ”であり、飛び抜けた存在はいない。こういった場合は大概足の引っ張り合いで、同僚の失点は見逃さない筈なのだが…… 「デヴルー侯ですわ」 「……? 誰だ、それは」  リストを幾ら眺めても、その様な重臣は出てこない。  必死で探す吉田を見、“彼女”は助け舟を出した。 「“王国筆頭魔道師”で探せば、出てくるのでは?」 「……これか。が、名しかないぞ、爵位すら記されておらん!」  担当者の怠慢ぶりに、吉田は書類を叩いて怒る。 「無理もありませんわ。この方、重臣とは名ばかりで今まで引きこもってらしたもの」 「む……」  暗に、『自分達を頼らなかったからだ』と指摘された様な気がし、吉田はバツの悪い表情で呻いた。 「お気になさらないで下さいな、それにしても筆頭魔道師とはいえ魔道師が侯爵で重臣とは、文明国を名乗る割りにイルドーレは随分と“蛮”ですわね?」  中央世界における魔道師とは、あくまで中〜下級貴族の名誉と上〜中級貴族に準じた富を約束された存在に過ぎず、テクノクラートとしてその分野での意見こそ尊重されるものの、決して重臣として最高意思決定機関に名を連ねることはない。 「地名や人名、制度を中央世界風に変えてみても形だけ、『仏作って魂入れず』でしょせん地は辺境のよう」 「……君は随分と回りくどいな。『辺境とはルールが違う』のではなかったのか?」 「申し訳ありません、“辺境”は言い過ぎましたわ。 ……でも、“辺境にとっても近い”というのは本当」 「と、言うと?」 「デヴルー侯は皆が恐れるとっても怖いお人…… 加えて現在、王の権威は地に堕ちています。彼のお人を止められる者は、重臣といえどおりませんわ。それを許す風土でもありますし、ね?」 「……何故それ程の実力者が、今まで外部に知られなかった?」 「遠い海の向こうの小国ですもの。おまけに引きこもっていましたし」 「そこが判らん、引きこもっていて何故“実力者”足り得るのだ?」 「“実力者”というよりも、皆恐れているのですわ」  先ず、その外見に驚かされる。  子供の様な体躯、妙に甲高い声……極めつけは顔を面で、体躯を隈なく細い布で覆ったその奇装。  が、それを哂う者はイルドーレには存在しない。そんな命知らずは。 「うっかり侯の素顔を見てしまった方は、その場で惨殺されたそうですわ…… 普段は大人しいお人の様ですが、何か粗相があると豹変なさるとご評判」  “呪殺の達人”という噂もありますから、重臣の方々もまるで腫れ物を触るよう、と笑う。 「“呪殺”なんて、本当に存在するのか?」 「有るには有りますけど……どうやら皆さん、“呪い”というものを何か勘違いしていらっしゃるようですわね。あれは、そんなに便利なものでは無いのですよ?」 「あるのか……」 「ご安心を、私たちは呪殺なんてまどろっこしい上、不確実な手段なんて採りませんわ」  そう言うと、“彼女”はにこやかに手で何かをさっくりやる様な行動をとる。  とりあえず、吉田は見なかったことにした。 「…………で、『王の権威が地に堕ちた』とは?」」 「今の王さまは大層な浪費家、借金は積み重なり財政は火の車、ですわ。 ……これを」 「ほう、これは……」  “彼女”から渡された一枚の紙を一瞥し、思わず感嘆の声を上げる。  イルドーレ王国の財政状況について。    国家総歳入:450万リバー    国家総歳出:540万リバー      王室費   100万リバー      家禄費   150万リバー *対象は貴族。      職禄費   100万リバー *対象は官(貴族・士族)及び雇人(平民)全て。      借入金返済  90万リバー *利子分のみ。      政策費   100万リバー *最低限必要とする分。    総計:  −90万リバー  借入金総計は500万リバー。  うち国内分300万リバー。利子は12%(元金100万リバー)、15%(元金100万リバー)、18%(元金100万リバー)の計300万リバー。  うち国外分200万リバー。利子は20%(元金100万リバー)、25%(元金100万リバー)の計200万リバー。  なお200万リバーの元金償還が3年以内に、300万リバーの元金償還が5年以内にあり、償還或いは延長による利子の大幅増を必要とする。 「……酷いな、破産寸前だ」  吉田は呆れた。  固定費が多すぎ、どうにもならない。余程思い切った大改革を行わない限り、どうしようもないだろう。(まあ“帝國”も他人の事を言えた義理では無いのだが……)  が、これは使える。 「お役に立てまして?」 「ああ、残念ながら立ったぞ」  渋々、といった表情で認める。 (癪だが、役に立つ情報だ。他の連中が溺れるのも無理は無い) 「なら、ご褒美を下さいな」 「……礼じゃあなかったのかね?」 「手柄を立てた部下は、褒めるものですわよ?」 「……君は何時から俺の部下になった?」 「固いことは抜き、ですわ」  そう微笑むと、軽く接吻する。 「今回はこれで諦めます。では」  御機嫌で退出する“彼女”を、吉田は唖然として見送った。 「……やれやれ、本当に油断のならん連中だ」  後日、イルドーレより回答が届いた。  それは、思ったよりもかなり早いものだった。 ……その内容は別として。 「なんだこれは!」 「これはまた、随分と欲張った要求だね?」  怒りに震える部下と呆れたような(それでいて)どこか楽しそうな吉田――返答を読んだ両者の反応は、まったく対称的なものだった。 「笑い事ではありませんよ、閣下!」  部下は吉田の反応に食ってかかる。三役と幕下力士ほども格が違うにも関わらず、だ。(よほど気に食わないのだろう!)  ……確かに、イルドーレからの回答は『怒って当然』と評すべきものだった。  イルドーレは食料を始めとする物資の売却だけでなく、“帝國”が運ぶ物資(地金)の購入までも許可し、“帝國”の要求に対して満額回答を示した。  が、問題はその中身だ。様々な名目の手数料に加えて法外な関税が付随しており、これでは“帝國”が支払う地金は実質『見込んでいた価値の半分以下』という安値で買い叩かれることとなってしまう。(*1)余りに不当過ぎた。 「いいじゃあないかね。どうせタダ同然に手に入れたモノ(地金)だ」  にも関わらず、吉田『は全く気にしない』とでも言うかの様に悠然と葉巻を吹かしている。  まあこの態度もイルドーレ側の実情を知っているからこそなのだが、同様にそれを知っている(知らされている)筈の部下の怒りは収まらない……どころかますます燃え広がるばかりだった。 「問題はそこではありません! このような回答をしてくるということは、我々……いえ“帝國”が舐められているということなのですよ!?」  何故“帝國”がこんな夜郎自大な小国と呼ぶのもおこがましい“吹けば飛ぶような国”相手に下手に出ねばならぬのか――それが彼の怒りの原因だった。今回の条約(というよりも契約)締結の重要性は理解しているが、ここまで不平等な内容は断じて認められなかった。彼は“誇りある交渉”を主張する。 「……それでは、何時まで経っても話がまとまらんではないか」  が、吉田はにべも無く切り捨てた。  吉田に言わせればこれはあくまで謀略であり、『イルドーレは毒饅頭を喰った』に過ぎないからだ。  イルドーレには膨大な債務があり、今尚増え続けている。これは構造的な問題であり、小手先の改革では到底解決出来ないだろう。 ……それこそ、大出血を覚悟しない限りは。  が、その赤字分を“帝國”が補填してやれば、目先の危機が回避されれば、彼等は現状に安住することを選択するだろう。そして直に“帝國”無しではいられなくなる。  ――そうなれば後はどうにでも出来る。(無論、あくまで補填するのは赤字分のみであり、債務まで返せる程の余裕は与えない。生かさぬよう、殺さぬよう、じわじわと追い詰めていくのだ) 「なに、早ければ一年もかからんさ」  実はイルドーレはもう一つ墓穴を掘っていた――というのも、連中はこの契約を『一年毎の更新』としていたのだ。恐らくその都度更新料か何かをふんだくる積りだろうが、こちらにしても次回以降は黙ってサインするとは限らない。早ければこの一年で、状況は大きく変わるのだから。  ……が、部下はあくまで体面に拘った。 「外交は、相手に舐められたら終わりです!」 「ああ同感だ。確かに軍が2〜3個師団も出せると言うのなら、俺とてこんな屈辱を笑って見過ごさんよ」  吉田は葉巻を乱暴に灰皿へと押し付けると、ギロッと部下を睨みつけた。  ……実の所、彼とて何も好き好んでこんな反応を示している訳では無い、怒れるものならばとうに怒っている。  が、先立つものが無い以上、無意味どころか事態を悪化させる行動を厳に慎んでいた――それだけの話だった。  陸軍が『小内海に展開可能』とした兵力は僅か1個聯隊、5000にも満たぬ兵力に過ぎない。  これは海軍同様“距離”の問題もあるが、それ以上に大内海沿岸で手を広げ過ぎ、兵力の不足をきたしていたからである。(*2)  ……たったこれだけの兵力で、10億とすら謳われる中央世界で一体何が出来るだろう? 人口も面積も遙かに少ない支那相手ですら、(満州も含めれば)100万を遥かに超える兵を投じてなお、泥沼状態だったというのに、だ! 「現在の我々は大内海沿岸部での資源開発とその輸送でいっぱいいっぱいだ、とてもじゃあないが元の世界でやってた様な大立ち周り――それも数千海里も離れた場所でだ!――はできんよ。そんな真似すれば、たちまち国が傾く……どころか破産するな」 「所詮連中は蛮族です、我々の敵ではありません!」 「君達に言わせれば、支那も蛮族の筈だったのだがな」  吉田は意地悪く哂う。 「見かけに騙されるな、本質を見ろ。連中、曲がりなりにも“航空戦力”と“広域無線通信網”を保有しているのだぞ?」  アルフェイム世界は“魔法文明”(*3)とでも呼ぶべき、“帝國”が元いた世界(*4)とは全く異なる文明体系を有している。中世に毛が生えた程度に過ぎない辺境は兎も角、中央世界……ことに大文明圏では“帝國”から見てもかなり高度な技術が見受けられた。  大国ならば数百、列強に至っては数千単位で運用している飛竜戦力は、質はともかく量的には脅威そのもの、そして音声どころか映像――それも天然色動画だ!――すらも海を越えて瞬時に届ける通信技術に至っては“帝國”……いや、アメリカですら未だ保有していない超技術である。  ……これが脅威でなくてなんだというのだろう? そう指摘されれば、流石に部下も首肯せざるをえない。 「それはそうですが……」 「これだけでも日清日露当時の我が国に勝るな。 ……いや、下手すれば第一次大戦直前の欧米にすら匹敵するかも知れん」 「流石にそれは――」 「何れにせよ、油断は禁物だ。我々の手駒が限られている以上、慎重に行動する必要がある」  吉田は尚も反論を試みようとする部下を遮った。  そして何かを思いついた様に部下を見、意地悪く笑う。 「ああ、領事はお前がやれ」 「わ、私がですか!?」 「ああそうだ。お前、残務整理と組織防衛に追われてばかりの生活に嫌気がさして、志願したのだろう?」 「しかし……」 「ふざけるなよ、若造が!」  尚も逡巡する部下を、吉田は大声で叱り付ける。 「お前、外交官の仕事が傅かれておだてられ、威張っていることだけだとでも思っているのか? だとしたら辞めちまえ、外交官は、国益の為なら何でもやってのけるのが商売だ」 「…………」 「それに今回の仕事で主導権を握れねば……いや、せめて軍と対等に渡り合えねば我々(外務省)は“終わり”だよ。外交は軍に、邦國管理は内務省、要人接待は宮内省に奪われ、せいぜいメッセンジャボーイとして細々と生き残る他に道は無くなる」 「……そこまで、ですか?」  想像以上の外務省の凋落に、部下は驚きを禁じ得なかった。『状況は厳しい』とは思っていたが、まさかそれほどとは……  が、考えてみれば当然だった。転移により今まで築き上げてきた人脈・情報・外交ノウハウの一切を失い、無用の長物となった挙句に“対英米宣戦布告暗号の放置”である、外務省を取り巻く情勢は四面楚歌と言って良いだろう。そんな半死半生の状況では、禿鷹の様に利権を奪おうと群がる他省にとうてい抗し切れない。転移前に集めた情報・書類を整理した後には大規模な首切りを避けられないだろう、とは考えていたが、それでも甘かったようだ。  ……しかしチャンスでもある。  もし今回上手くやれば、外務省は存続できる。それは自分達の手柄、大手柄だ、同期トップは間違いない。  だからこそ野心のある連中はこぞって志願し、その中で自分を含む一握りだけが選ばれたのだ。  ――その一握りをも蹴落として、自分がトップに立つ絶好の機会!  そう考えると、胸に野望がこみ上げて来た。 「ならばやれ、見事“道化”になりおおせてみせろ。 ……但し卑屈にはなるなよ、あと言質も取られるな」  吉田は満足そうに頷いた。 「やれやれ、やっと行ったか。 ……まったく、最近の若い者は」  そう言いつつも、上手く押し付けられてホッとする。(吉田自身、あんな阿呆共に頭を下げるのは真っ平御免である。故に適当な奴を焚き付けたのだ)  と同時に、今回の任務に対する不満と馬鹿馬鹿しさが込み上げてきた。 「フン! 『適当な紛争、適当な権益』か。無茶言ってくれる」  1個聯隊という戦力は、戦争をするには少なすぎるが小規模紛争には十分な規模である。故に“帝國”はこれに小規模だがそれなりに強力な艦隊を付け、幾つかの紛争に勝利することにより小内海での権益(橋頭堡)を得ようと考えていた。全てはその為の布石だった。  無論、大内海沿岸だけでいっぱいいっぱいのこの時期に、“帝國”が早くも中央世界進出に動き出すことに異論が無いでは無かった。いや、むしろ『噴出した』と言って良いだろう。が、賛成派は執拗かつ強引だった。大内海沿岸における権益から洩れた経営者や省庁――外務省はその筆頭だ――の運動は熾烈を極め、遂に帝國宰相は“限定的な”と枕詞が付くものの、遂に中央世界進出を認める羽目になってしまったのである。  ……皮肉なことに、これは臣民対策でもあった。大内海沿岸の制圧が終わった今、臣民達は新たなる“フロンティア”の出現を望んでいたのである。彼等はまるで熱病に浮かされた様に、賛成派を全面的に支持していたのだ。  ――“帝國”よ、進め! 東へ西へ、南へ北へ、進め進め地の果てまで!  吉田の脳裏に、今本国で流行っている歌の旋律が流れた。酒場などでよく歌われる歌だ。  ――“帝國”よ、天下を取れ! 我ら一億、八百万の神々の御加護を受ける神国の民也! 「まったく、どいつもこいつも阿呆ばかりだ!」  吉田は忌々しそうに首を振り、頭からそれを追い出した。  ポケットに入った僅かばかりの小銭(兵力と物資)を使ったお手軽な、だがお得な“美味しい”買い物(戦い)――“帝國”が望んでいるのはそんな虫の良すぎる話だ。  が、外交を……ましてや戦争をコントロールするのが如何に難しいことなのか、本国の連中は判っているのだろうか? 「それでもやらねばならぬ、か。馬鹿馬鹿しい、まったくもって馬鹿馬鹿しい」  如何に懸念しようとも、既に賽は投げられた。一旦動き出せばもう誰にも止められない。  自分のため、古巣の外務省のため、そしてなにより“帝國”のため、吉田は全身全霊を賭けるしかなかった。  ……たとえそれが、どんなに馬鹿馬鹿しい仕事であったとしても。 *1 ――――『様々な名目の手数料に加えて法外な関税が付随しており、これでは“帝國”が支払う地金は実質『見込んでいた価値の半分以下』という安値で買い叩かれることとなってしまう。』――――  実際にはこれに加え、地金そのものの価値をイルドーレ側が“帝國”よりも大幅に低く見積もったことにより、『半分どころか数分の一』となった。 *2 ――――『これは海軍同様“距離”の問題もあるが、それ以上に大内海沿岸で手を広げ過ぎ、兵力の不足を来たしていたからである。』――――  この時点で“帝國”は大内海沿岸のほぼ全域を支配していた。これは環太平洋沿岸全域にも匹敵するほど巨大なもので、陸軍……いや“帝國”はこれを消化するだけでいっぱいいっぱい、一歩間違えれば消化不良すら起こしかねない状態だった。  またこのためか当時の陸軍はかつての積極性を完全に失っており、その主流は現状維持で中央世界進出には極めて消極的だった。(まあ何れにせよ既に全兵力の半分、50万弱もの兵を大内海沿岸部に展開している以上、動員無しに新たに師団規模の兵を動かすことは困難だったが) *3 ――――“魔法文明”――――  一般人がよく口にする言葉だが、学術的には“魔道文明”と呼ぶのが正しい。“魔法”とは魔獣などが本能的に操る原始的な魔力運用であり、長年の経験と研究により創り出された“魔術”、そしてそれを体系化した“魔道”とは根本的に異なる(と定義されている)。 *4 ――――“帝國”が元いた世界――――  いわゆる“地球世界”のこと。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【4】  ……それは、実に奇妙な船だった。  見事なまでに波の抵抗を無視した、完全な直線で構成されており、“船”というよりは“箱”と言った方がよほどしっくりくる。特に板を直接貼り合わせている船首部を見ると、美的云々以前にその凌波性を他人事ながら心配してしまう程である。(よくあれで大内海を超えられたものだ!)  巨大な鋼船であること、にも関わらず帆一つ無いこと――それ以上にその姿は“異様”であり、およそ美しくない。誰とも無しに“ボトフォッグ”(*1)などと呼ぶ様になったのも、まあ首肯せざるを得ない話だった。  “ボトフォッグ”は直接海岸に乗り上げると、その醜い鼻面をまるで跳ね橋の様に降ろす。  と、ぽっかりと船腹まで通じる橋と道が出来た。其処から日雇い人足達が次々と腹の中に入り込み、物資を運び出していく。相当溜め込んでいるらしく、中々終わらない。  ――そんな光景を、王国軍第三空中竜兵隊隊長ホセ・ブランは厳しい目付きで眺めていた。  そして、苦々しげに呟く。 「もしもあの腹に詰め込んでいる荷が“兵”だったら、都はたちまち占拠されてしまうだろうな……」  ……それは、紛うことなき事実だった。都にいる兵はたかだか100程、奇襲を受ければ簡単に無力化されてしまうだろう。  そもそも、イルドーレ王国軍は敵正規軍と戦える様な存在ではない。そのレーゾンデートルは“治安維持”であり、小は民衆の暴動から大は地方長官の叛乱まで――それが軍の想定する“戦争”の全てだ。大陸から遠く離れた、しかも大同盟に参加するこの国に、それ以上の軍備は必要とされなかったのである。  故に、陸上戦力は『非戦闘員を含めても300に届かない上に装備は弩(*2)に槍』と“帝國”の戦国時代レベルでしかなかった。空中戦力は大分マシだが、それでも棺桶に片足突っ込んだおいぼれワイバーン(*3)が5頭にワイアームが50頭(うち戦闘投入可能数30)に過ぎない。つまるところ、その程度の存在でしかなかったのだ。  ――いや、どちらにしろ同じことか……  嘆息する。  王国軍の主戦力たる空中竜兵隊の隊長だからこそ、ホセは軍の実力を、限界を熟知していた。  旧態依然とした陸上戦力は話にならない。仮に連中を阻止するとすれば海上ででしかないが、海賊船を相手にするのとは訳が違う、『手投げ弾を投擲後、ボウガンで牽制しつつ斬り込み』などという戦法が通用する筈も無いだろう。或いは“ボトフォッグ”1隻だけなら何とかなるかもしれないが、あの巨大な鋼船――“筑摩”のこと――が出てくれば“お手上げ”だ。  ――あの船……“チクマ”とかいったか。  ギリッ!  思わず奥歯を噛み締める。  “チクマ”も脅威だったが、それ以上にホセが懸念したのは“帝國”人達の態度だった。  というのも、表面こそ大人しかったものの彼等の目は侮蔑に溢れていたからだ。 ……それもイルドーレ人が浮かべる様な表層的な強がりではなく、もっと根源的な、まるで獣でも見るような目で、だ。  ――そんな連中が、ああも不平等な取引に大人しく従うことが、彼には信じられなかった。  故に、彼は軍幹部として直属の重臣に、“帝國”の脅威を説いた。『“帝國”の軍事力は強大であり王国軍のみでは対抗不能、もしもの時に備えて大陸同盟に支援を願うべきだ』と具申したのだ。  が、重臣は『あの巨大な船は“張子の竜”であり何ら脅威ではない』と笑い飛ばし、挙句何を勘違いしたのか彼に小さな皮袋を放り投げ、『それがお前の“分け前”だ』と下卑た表情を浮かべて言い放ったのである。  ……それは、“帝國”が寄越した地金を売却した金の一部だった。彼の真摯な具申は、ただの分け前の要求と見做されたのだ。  屈辱だった。が、それ以上に屈辱だったのは、自分がそれを拾って……受け取ってしまったことである。  ここ数年俸禄の遅配と借り上げが続き、空中竜兵隊隊長という要職に就く彼ですら生活は楽では無かった。これがあれば家族に衣服を新調してやれる、久し振り……本当に久し振りに肉を食わせてやれる、大分痛んできた屋敷も直すことができる――そう思えば、“拾わない”などという選択肢は有り得なかった。  ――つまるところ、金か。  重臣の様子から、ホセはそう判断した。  “帝國”がサンプルとして運び込んだ地金は、大陸で10万リバーで売れた。  急だった為に大分買い叩かれたが、それでも10万リバーが丸々懐に入ったのだから文句無い。それに次回以降は12万リバー前後で売れるだろう、流石に丸儲けではないがそれでも半分近くを税金や手数料名目で差っ引けるから6万リバー、“帝國”に売りつける物資の儲けもあるからこれを高く設定すれば10万リバーに近づけるのも不可能ではない。  これが月一回だから年に十二回。輸送費等の経費を考慮しても財政赤字の大半を、上手くやればその全てを賄える。重臣達の目が曇るのも無理は無かった。  ――きっと今頃、利権を巡って暗闘中だろうな。はてさて、いったい儲けの何割が彼等の懐に入ることやら……  そこまで考え、懐の重みと音に我に返り、気付かされた。  ……なんのことはない。自分も、所詮は同じ穴の狢だったのだ。  ドンッ!  些か自己嫌悪に陥りかけていたその時、轟音が響いた。地が大きく揺れる。 「橋が落ちたぞ〜〜!」  誰かが、大声で叫んだ。  その声に目をやると、都を縦断する川に架かる橋、その一つが崩壊していた。川には、少なからぬ数の人々が投げ出されている。  が、周囲の群衆はただ眺めるだけで、一向に助けようとしない。ホセは怒り、突っ立ってただ眺めるだけの平民共を怒鳴りつけた。 「おい、何をしている! 早く助けんか!」  と、平民の一人が薄笑いを……“あの時”の重臣とまったく同質の表情を浮かべ、言った。 「旦那、助けたら幾ら頂けますか?」 「! お、お前!?」  その言葉に暫し呆然とし、やがて烈火の如く怒ったホセは懐に手を入れ、皮袋を投げつけ……ようとしてその手を止めた。  それは、余りに惜し過ぎた。代わりにその平民を殴りつけようとも考えたが、それもできずに『命令だ!』と言い捨て、背を丸めてその場を後にする。  ……恥ずかしかった、ただ堪らなく恥ずかしかった。  本来ならば、あの“無礼な平民”は罰せねば、殴りつけなければならなかった。何故ならば、それが秩序を維持する上で必要な“義務”なのだから。  が、幾ら墜ちたとはいえ、ホセはそこまで恥知らずにはなれなかった。    あの橋が落ちたのは、十中八九老朽化によるものだろう。  財政事情の悪化により、王国はここ十年近く必要最低限の支出しかしていない。加えて、そこから更に少なからぬ額が横領されていることも、まず間違いない。である以上、橋の補修……ましてや架け直しにかける経費など、ある筈が無かった。  要するに、これは王国の怠慢による“人災”なのだ――そう思えば、ホセに彼等を殴りつけることなど出来なかった。  イルドーレの歳入は年450万リバー。が、そもそもこの数字自体が大嘘であり、貴族の代行分150万リバーを引いた『年300万リバーに達するかどうか』が実際である。  これを従来は王室費75万リバー、(官僚雇人等の公的な)人件費100万リバー、政策費をはじめとするその他が125万リバーと割り振り、各々その枠中で遣り繰りしていた。が、ここ十年ほどは王室費が100万リバーへと膨れ上がり、その皺寄せとして“その他”が100万リバーへと減っていた。  これは言うまでも無く、現国王の浪費癖によるものだった。王は歴代の王が少しずつ蓄えてきた私的な貯蓄を、次いで公的なものさえ使い果たし、それでも尚足りずに遂には歳入そのものに手を突っ込んだのだ。  が、100万リバーという数字は、政(まつりごと)を行う上でギリギリ最低限度の数字である。これでは数年毎に起きる突発的な臨時支出に対応出来ず、自然と不足分を借金で補うようになっていく。借金は借金を呼び、忽ち財政は行き詰まっていった。今では俸禄を借り上げ、足りない分は更に借金して埋めている始末だ。  ――これ程までに民に負担を強いて、このざまか。  ホセの綻びかけた良心が……騎士の矜持が痛む。  そもそも、イルドーレ程度の国力で450万リバーもの歳入・歳出を行うこと自体が分不相応だった。その国力に比し、あまりに過大過ぎる。(*4)  これを可能としたのは、ひとえにその重税故だ。  大陸諸国と比べ、イルドーレの税負担は極めて高い。表向きの税率こそ同等だが、大陸諸国が税の基となる数値を『全収入の50%前後』としているのに対し、イルドーレは『丸々全て、場合によっては実収入以上』の数値を基としているからだ。このため負担は実質50%超と、大陸諸国(20〜25%前後)の倍以上だ。  全収入の50%超を持って行かれる――これは、王国の九割以上を占める農民や漁民にとって、死活問題だった。  そもそも彼等は、収入の100%が丸々儲けという訳では無い。そのかなりの割合が生産経費であり、儲けはそれを引いた額に過ぎないのだ。ここから更に50%も引かれれば――  ……とどのつまり、イルドーレにおける平民とはすべからく小作農、或いはそれに類した存在であり、その日の糧にも困る存在に過ぎなかったのだ。(都市住民はこれより遥かに恵まれているものの、やはり余裕のある人々は一握りでしかない)  ――方々(貴族達)は、一体何を考えておられるのだろう?  そう思わずにはいられない。  現在に至るまで彼等の家禄は手付かずのままだ。何故、責任を取ろうとしないのだろう、何故、苦労を分かち合おうとしないのだろう。  ……が、ホセとて彼等を強く責める資格は無い。多少負担しているとはいえ彼は上級士族、平民とでは立場が違い過ぎるのだから。  少なくとも、自分と家族は腹を満たすことができる。  少なくとも、自分と家族は平民ならば十数家族も住める様な土地に住んでいる。  平民は明日の生活に悩むが、自分が悩むのは食事の質や家の補修費、新しい衣服の購入費だ。確かに自分は士族の中でも恵まれた存在だが、最下級の士族でも少なくとも飢える心配は、明日の生活に困る者はいないだろう。  にも関わらず、これ程搾取して尚、我々は橋の修繕費すら横領するのだ。 「この国も、もう長くないのかもしれないな……」  思わず呟き、ホセは慌てて周囲を振り返る。  そして誰も気にしていないことを確かめると、安堵の溜息を吐いた。  そして自分とその家族の生活を暫くの間向上させるであろう皮袋を、(罪悪感を抱きつつも)しっかり懐に抱き、家へと向かった。  ホセはある意味、平均的な王国士族だった。現状を憂いながらも、自らの生活を守るに汲々とする、という。  後世、『イルドーレに人無し』などと嘲笑されることとなるが、そんなことはない。平民だけでも7万人以上、これに一定の教育を受けた貴族士族が数千人存在したのだ、才人は数多くいただろう。 ……が、人物は出なかった。“帝國”の幕末、多くの人物が小藩から出たのに比べ、『まったく』と言って良いほど出なかった。  この大きな差はやはり風土……そして何より、『広く学ぶ場』の有無であろう。  “帝國”では、どんなに小藩の出身だろうが江戸に出て学ぶことが出来た、自由に国家を語ることができた。  が、イルドーレ人が大陸に、外国に行くことは困難だ。(確かに江戸に行くのも大変だったろうが、外国に行くのとは次元が違う)  仮に外国に行けたとしても、自由に語り合うことなど不可能だ。(如何に同盟国とはいえ、相手は外国人なのだ)  ……そして硬直した身分制度は、才人を潰した。  現状を憂う少数の者は目と耳と口を塞ぎ、  大半の者は現状の不満を他への蔑視に向ける  ――それが、イルドーレという“国のかたち”だったのである。 ――――在イルドーレ“帝國”連絡事務所。  実質的な交易関係にあるとはいえ、正式には未だ“帝國”・イルドーレ王国間に国交は無い。  が、例え国交が無くとも関係が存在する以上、窓口は必要である。故に“帝國”は領事館級の連絡事務所を王都ハルダーに開設、イルドーレとの折衝に当てていた。 「どいつもこいつも俗物ばかりだな! この国に人物はいないのか!?」  王都郊外或いは街外れの、港にほど近い一画にある連絡事務所に戻ると、羽場は忌々しそうに吐き捨てた。  ……今の今までこの国の重臣連と会っていったのだが、どうやら余程腹に据えかねるものがあったらしい。出てくるのは愚痴ばかりだ。 「おかえりなさいませ」  そんな羽場を一人の少女が恭しく迎えた。小柄で華奢な、だが可愛らしい少女だ。  少女は彼の着替えを手伝いつつ、当たり障りの無い相槌を打つ。 「大陸から遠く離れた小さな小さな島国ですから、世間知らずになるのも仕方がないことでしょう」 「だが、夜郎自大にも程があるぞ?」  羽場は甲斐甲斐しく世話する少女に、振り向きもせず問う。  が、少女はさして気にせず、代わりに笑って励ました。 「そこを何とかするのが、久治様のお仕事ではないですか。力の見せ所ですよ、がんばって下さいませ」 「……お前は気楽に言うなあ」  羽場は嘆息した。  吉田に言われ、勇んで着任してから早一ヶ月――これが中々に難しい仕事であることを、彼は嫌という程思い知らされていた。  ――今思えば、どうもうまく乗せられた気がしてならない……  再び嘆息。  未だ国王に会えないことも問題だったが、それ以上に問題だったのが彼等の“たかり癖”だった。  何かにつけて賂を要求する彼等に、羽場はほとほと手を焼いていたのである。  とはいえ、事態は“帝國”の望む方向へと動いていることに変わりはなかった。  高貴を自称する彼等が“大内海の蛮国”である筈の“帝國”に対し、進んで……時に争ってまで便宜を図っていたのである。  これは、黄金の力だった。    『転移以前の“帝國”は何の資源も産出しない資源小国』  もはや一般常識となっている言葉だが、これが必ずしも正しいものではないことを御存知だろうか?  転移当時の“帝國”は、実は中々の金銀産出国だったのである。  元々、“帝國”は古来より多くの良質な金山銀山を有していた。流石に転移時には『採掘し易い場所はあらかた掘り尽くした』状態だったとはいえ、採掘技術と精錬の技術の向上、そして何より“非常時”ということで商業べースを無視した我武者羅な採掘の結果、なんと昭和15年の金産出量は27トン、銀産出量に至っては350トンに達していたのである。これは当時のアルフェイム世界にとってはかなりの数字であり、レムリアを筆頭とする巨大産出国には及ぶべくも無いが、それでも十分“大産出国”と評すべきものだった。(*5) (これに当時のアルフェイム世界では考えられない超高純度(99.9999%!)かつ高精度の重量・整形が加わり、“帝國”産の地金――金銀に止まらず全ての金属の――は中央世界で急激に認知されていくことになるのだが、これは“帝國”が中央世界との交易に直接乗り出し、その決済用に“帝國”産の地金――後に貿易専用貨幣に移行――を用いる様になってからの話である。この時点での“帝國”地金は大内海沿岸で採掘・精錬された低品質のものであり、金銀も“帝國”産であるものの広く薄く用いる関係上粒状にされ、純度も九割以下に過ぎなかった)  光り輝く黄金の前に、彼等は平伏したのである。  ……が、効き過ぎた。  有象無象の輩が羽場に群がり、己を売り込む。『あれは俺がやったのだ』『これも俺がやったのだ』と。  彼等の言を全て信ずれば、イルドーレは既に“帝國”領である。こういった連中を相手にするのも大概疲れるが、振りまいた金銀の費用対効果を考えると頭が痛い。 ……もしかしなくても、かなりのムダ金を振りまいているのではなかろうか?  羽場は帳簿を前に呻く。 「……そこまで几帳面にする必要は、ないのではないでしょうか?」  少女は首を捻った。  羽場は金銀を渡した日時・場所・相手・量・効果等を一々細かくつけているが、そもそも領収書など期待出来ない様な秘密任務だ、ここまで馬鹿正直にやる必要はないだろう。 「それでは、俺が“横領したかも”などと疑われるだろうが」 「こういった任務ですから、多少は役得の範囲内では?」  ……それは、この世界ではごく当たり前の感覚に過ぎなかった。  が、その言葉に羽場は激怒し、少女を怒鳴りつける。そして、床に叩き付けた。 「馬鹿野郎! これは公金、御国のものだぞ!」 「も、申し訳ありません! どうかお許しを!」 「いいや、許さん!」  羽場は少女を組み伏せ、殴りつける。  少女は泣いて許しを請うが、一切無視だ。むしろ“心地良い音色”にしか聞こえない。  遂には少女が泣き叫ぶ気力すらも失うと、今度は乱暴に犯す。無理矢理吐き出させる悲鳴が、実に心地良い。  散々に少女を痛ぶり満足すると、羽場は少女を放置したまま自室へと向かう。  帰ってきた時の憤懣はとうに消えうせていた。  ……これが羽場の、彼なりのこの地における鬱憤解消法だったのである。 「お、おはようございます…… 久治様……」  翌朝、少女はおどおどと羽場に挨拶した。小脇に書類の束が抱えている。  それをチラリと横目で見、羽場は無愛想に言った。 「訳は出来ているな、寄越せ」 「あ、あの……」  少女はおどおどと上目使いで羽場を見る。 「何だ、言ってみろ」 「まだ、半分しか……」 「何だと!?」 「きゃ! も、申し訳ありません!」  怒声に怯え、少女は頭を抱えて蹲る。 「あの後、必死でやったんです、が、がんばったんです! けど……」  口では言えないが、目で訴えていた。  ――頭はくらくら、目はかちかちするし、体は鉛のようで…… 「俺のせいだ、とでも言いたげだな?」 「そ、そんなことはありません!」  少女は慌てて否定するが、羽場はかなり機嫌を害した様だった。 「お前、『突っ返す』ぞ?」  その一言で少女は真っ青……いや、まるでこの世の終わりの様な表情となる。 「そ、それだけはお許し下さい!」  人間に擬態しているが、実は少女はダークエルフである。  アルフェイム世界における基礎知識の助言や文章翻訳等を行うために送られてきた(*6)のだが、どうやら天涯孤独の上に一族からも爪弾きの様で、送り返される――“任務失敗”と見做される――ことを極度に恐れていた。  …………  …………  ………… 『現在、第一線級の者は資源探査に、二線級の者も大半が諜報網の維持に回されています」  少女を連れてきたダークエルフの男は、申し訳無さそうに羽場に言った。 『そんな訳で、大変申し訳ありませんがコイツしか手の空いている者がおりません。諜報活動は不適格ですが、翻訳や基礎知識位ならあります。後は……まあ身の回りのお世話くらいは出来るでしょう。どうか好きに使って下さい……おいっ!挨拶せんか!』  男の罵声に、後ろで小さくなっていた少女は更に萎縮する。  男は舌打ちしつつ少女を引き摺り、その頭を擦り付けて平伏させた。 『お、おい、少し乱暴ではないかね? 同胞だろう?』 『認めたくないですがね』  羽場の言葉に、男は渋々、といった表情で頷いた。 『ならばもう少し……』 『“働かざる者喰うべからず、生きるべからず”――これが我々の掟です、天涯孤独の身でここまで育てて貰っただけでも、感謝して欲しいものですよ』 『…………』  余りの台詞に絶句する。  が、男は余程急いでいるらしく、用件を述べると直ぐに席を立った。 『では私はこれで。 ……あ、おい!』  男は帰る直前、少女の耳元で何やら小さく囁く。  と、少女は真っ青になり、何度も何度も頷いた。  小さな小さな言葉だったが、人一倍耳鋭い羽場には男の言葉が微かに聞こえていた。  『これで最後だ、失敗しても帰れると思うな』  ――と。  その言葉が少女の立場を物語っていた。  以後、少女は羽場のただただ言うがままとなった。  …………  …………  ………… 「お慈悲を、お慈悲を……」  自分の足元に縋り、必死に許しを請う少女。その姿を見下ろす羽場は、満足気な表情を浮かべていた。  ――ああ安心しろ、お前の様な“便利な玩具”、そう簡単に手放しはしないよ。  羽場には、ある特殊な性癖があった。  ……おかげで妻を持つどころか、娼館にも満足に通えない身だ。  が、この少女相手なら幾らでもその欲望を満たすことが出来る。昨日の様な行為も一度や二度の話ではないが、こうしてぴんぴんしている。昨日あれ程“可愛がった”というのに、もう平気な顔をしている。  一体どうして手放すことなどできようか! 「ふん、まあいい。出来た分だけ見せろ」 「あ、ありがとうございます!」  少女は何度も地べたに頭を擦りつけ、感謝する。 「いいから早く渡せ!」 「は、はい!」  少女は慌てて書類を分けようとする。  と――  ヒラリ  書類の一枚が羽場の足元に舞った。  ……何やら色々書き込まれている。  羽場は興味を示し、拾い上げた。 「何だ、これは?」 「あ、そ、それは……」 「言え」 「……ピグニス諸島の地図です」  観念したのか、少女は答えた。 「何故、そんなものを持っている?」 「一族から一時的に預かっている書類です。何でも、軍の依頼でイルドーレ全土を調査中だとか――」 「何故黙っていた!」 「も、申し訳ありません!」 「読め!」 「え…… で、でも……」 「いいから読め! 一族から半ば捨てられたお前が、今更義理立てして何になる!」 「は、はい! 『同諸島はイルドーレ王国最北端の領土で、大陸から200海里という好位置にある。小島の集まりに過ぎないが、その本島は飛行場を設置するにたる規模を備え――』」 「ほう……」  羽場は少女から地図をひったくり、しげしげと眺める。  ……確かに少々小さいが、拠点には格好の位置にある。 「ここに、軍を置ければ――」  そう、軍の駐留許可でも得れば、大きな得点になるだろう。軍に恩も売れる。 「で、でも、大陸同盟の規約では同盟に所属しない国の軍を受け入れることは、確か固く禁止されています」 「ちっ!」 「いっそのこと、重臣の方々みたいに買収できちゃえば楽なんですけどね……」 「! 今、何と言った!?」 「も、申し訳ありません!」  血相を変えて詰め寄る羽場に、少女は慌てて謝る。 「いいからもう一度言え!」 「は、はい、重臣の方々みたいに、島を買収できちゃえば楽なんですけどね、と……」 「それだ!」 「へ?」 「島を買うんだ!」 「……はい?」  少女はたっぷり数十秒ほど言葉の意味を吟味し、首を振った。 「お言葉ですが、仮にも国家がその領土を売却するなど、この世界ではおよそ考えられません。 ……少なくとも、中央世界ではここ百年は聞いたことがないです」(*7) 「中央世界以外では? 百年以上昔ではどうだ?」 「あるにはありますが、事例自体が少なくて……」 「前例があるなら可能性はある、ましてやこの国は破産一歩手前なのだからな!」 「あっ、でも――」  善は急げと立ち上がる羽場に、少女は慌てて付け加える。 「下手をしたら“下賜”と見做されて主従関係を結ぶ羽目になりますし、その逆(献上)の場合もあります、匙加減がとってもとっても難しいです。それに余り強引にやると、大陸同盟の共同防衛条項が発動される可能性も――」 「うるさい!」  少女の手を乱暴に払いつつもその忠告を頭に入れ、羽場は事務所を後にした。  竜車に揺られながら、ふと考える。  ――そういやあ、金を撒くのもあいつが言い出したことだったな。当初は何を商人の様な真似を、と馬鹿にしたものだが……  そこまで考え、羽場は首を振った。  金を惜しむな、とは吉田閣下も仰っていたことだ。あいつはそれを嫌がる自分に繰り返し言ったただけ、せいぜい蒔く対象と相場を教えただけに過ぎない。  ――うん、それがあいつの仕事、だから問題ない。それを採用したのは俺の才覚、今回あいつの何気無い言葉から思いついたのも俺の才覚だ。  だいたい吉田閣下は連中を過大評価し過ぎなのだ、むしろ我々外務省は積極的に利用すべきだろう。  ……何、所詮は10万そこそこの少数民族だ、いざとなればどうとでもなる。なんなら“同化”させたって良いのだから。  ――妻女を持てない以上、あの少女に子を産んで貰わなくなるかもしれんしな……  そこまで考えると羽場は頬を叩き、少女のこと、ダークエルフのことを頭から追い出した。  先ずは目先の大仕事を片付けなければならない、そんな先のことを考える余裕は無い。  もしこの件を成功させれば、軍に対して大きな“貸し”を作れるし、自分は外務省内で確固たる地位を得られるだろう。実にやりがいのある仕事だった。  ――まず重臣全員を取り込む必要があるな、あと何としても王に会わんといかん……  イルドーレがピグニス諸島の売却を決めたのは、それから暫くしてのことだった。 *1 ――――“ボトフォッグ”――――  直訳すれば“醜い大豚”だが、より正確にはオークの蔑称。更に現在では醜い(とする)人や物に対して陰口を叩く時に用いられる。(例:「あいつは“ボトフォッグ”みたいな面だ」「あいつの性格は“ボトフォッグ”だ」)  なお、今回“ボトフォッグ”呼ばわりされたのは、帝國海軍第二〇一号型輸送艦である。  <第二〇一号型輸送艦>  輸送艦とは昭和一七年に制定された艦種で、物資輸送を任務とするが通常の貨物船(運送艦)とは異なり、自力で人員貨物を揚陸することができる艦を言う。  アルフェイム世界……特にその大内海周辺においては、港湾設備は皆無と言ってよい状態であった。加えて測量も不十分であり、(充実した揚陸設備を持つ一部を除き)船舶は限られた僅かな港湾に向かうしか無かった。この為、海軍はこの世界の港でも効率的に運用出来る軽便かつ安価な運送艦を欲していた。  丁度同時期、陸軍も同コンセプト――目的は異なるが――の艦を模索していた為、共同開発・生産が決定。第一陣は陸軍の“蛟龍”をタイプシップとして陸軍が生産、それを海軍が購入する形式となり、続く第二陣以降は海軍が設計と生産を担当し、陸軍が資材調達をすることとなった。  第二〇一号型輸送艦はこの第二陣で、昭和一八年三月に一番艦が就役したばかりの新型である。  その要目は以下の通り。   基準排水量:950t   機関   :400馬力ディーゼル×3基(1200馬力)   最高速力 :13.4kt   航続距離 :13ktで3000浬(重油68t)   兵装   :40口径7.6cm単装高角砲×1、25mm単装機銃×4   搭載力  :九七式中戦車なら9両搭載可能。  同型は第一陣を上回る生産性と輸送力で活躍したが、やはり船首部の剥き出した扉は問題で、大波で脱落する例が続出した。気象による運用制限が余りに大きいことから、翌昭和一九年には生産性の低下を偲んで観音開きの船首を追加、その凌波性を大きく向上させた第三陣が登場した。(とはいえ、一般の船舶に比べればまだまだだった。この問題が解決したのは、昭和20年も半ばになってからのことである) *2 ――――弩――――  小さい島々から成り立つ国家だけあり、イルドーレ王国軍の将兵は基本的に“海兵”である。故に火縄銃は火縄の維持が困難かつ危険であり、燧石式は高価かつ不発率が高いと判断――少なくとも彼等はそう考えていた――され、確実に動作する(と思われる)弩或いは短弓を遠距離戦用兵器として採用していた。  ……まあその少ないリソースの大半を空中戦力に注いでいるため、『近代化したくてもできない』といった所が本当なのかもしれないが。(当然、魔道兵器など皆無) *3 ――――棺桶に片足突っ込んだおいぼれワイバーン――――  イルドーレ王国はワイバーンの産地ではないが、ロッシェル王国からの供与により戦力化(年1頭で5頭体制)している。第一線どころか二線すら退いた老竜ではあるが、それでもワイアームよりはるかに強力な存在だ。 *4 ――――『そもそも、イルドーレ程度の国力で450万リバーもの歳入・歳出を行うこと自体が分不相応だった。その国力に比し、あまりに過大過ぎる。』――――  近年の研究では、当時のイルドーレ王国のGDPは800万リバー強。実に55%を国が得ている計算になる。これはもはや徴税ではなく“収奪”と評して良いだろう。 *5 ――――『これは少なくとも当時のアルフェイム世界にとってはかなりの数字であり、(中略)“大産出国”と評すべきものだった。』――――  この他にも大内海沿岸部の“帝國”領には多くの金銀山が存在していたが、当時は大半が既存の鉱山であり、その採掘・精錬技術が低い――帝國技術は導入されていない――上に“帝國”に直接的な所有権はなかった。(それでも税名目でそれなりの量が現地所有者より献上されていたが、全て現地総督府や軍の活動費に当てられた)  “帝國”の大陸経営が軌道に乗り、金銀山の開発ラッシュが起こるのは、これより十年近く後の話である。  ……尤も、これ(金銀の大量流入)により貨幣価値が一挙に三分の一まで下がり、アルフェイム世界に“価格革命”と呼ばれる程の大混乱を起こすこととなるのだが、まあそれはまた別の話だろう。 *6 ――――『アルフェイム世界における基礎知識の助言や文章翻訳等をするために送られてきた』――――  当時こういった任務は彼等の独擅場だった。これを是正するため、吉田は大内海沿岸諸国の旧外務系官僚を集めていたが、世界規模の膨大なノウハウを持つ彼等には遠く及ばなかった。 *7 ――――『「お言葉ですが、仮にも国家がその領土を売却するなど、この世界ではおよそ考えられません。 ……少なくとも、中央世界ではここ百年は聞いたことがないです」』――――  少なくとも中央世界では、「領土は王個人ではなく王家の財産」「領土は永遠だが金銭は有限」といった考えや、「領土こそ国家の存在基盤」「封建制においては土地こそが最も重視すべき存在」といった事情から、まず行われない。  が、その歴史を見れば、領地を売る例を散見することができる。(尤も、領地の中身はあまり重要ではない地、切れ端が主だが……)。  売買の事情は、「戦費調達等の切羽詰まった事情」「他領と入り組んだ地や飛び地の整理」「事実上戦争に負けて領地を割譲せねばならないが、面子を保つために形式上売買の形をとった」等が大半を占める。ただここ最近は比較的平和が続き、外交が特に重視されているので、あまり聞こえの良くない領土の売却は特に避けられる傾向にある。(「あそこはそこまで困っているのか?」と思われたら外交に支障をきたすし、上の事情もその大半が消滅している) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【5】  デヴルー侯の屋敷は、田園風景の広がる王都郊外にあった。  侯爵で大臣、という地位と職務を考えれば、およそ相応しくない場所である。  ……いや、本来ここは別邸であり、本邸は王都中心部にある。あるのだがデヴルー侯は、当主となると直ぐに侯爵家の本拠をこの地に移したのだった。  本邸よりも広いことが気に入ったのだろうか?  それとも、幼少時より過ごした地だからだろうか?  はたまた、人気のないことが気に入ったのだろうか?  その理由は、今もって不明である。 ――――デヴルー侯爵邸。  屋敷の奥、その一室にデヴルー侯は独り、いた。  上衣を脱ぎ、その身に幾重にも巻かれた包帯状の白布を解く。  そして、忌々しそうに呻いた。 『呪わしい我が体よ……』  現れた侯の素肌は、醜く爛れていた。  広範囲――恐らくは体全体に広がっているであろう――の炎症によりその皮膚は破れ、肉も崩れて無数の潰瘍となっている。潰瘍はコロニーを形成し、膿まみれだ。 『呪わしい我が体よ』  もう一度、デヴルー侯は呻いた。  ……もう何度吐いたか判らぬ呪詛だ。  数百年にも渡る重度の近親婚の結果か、はたまた人の身には過ぎたる魔力のせいか、デヴルー侯は先天的に肉体に重度の欠陥を持っていた。  その皮膚は弱く、日の光にすら炎症を起こし、容易に破れ崩れてしまう。  その成長は遅く、一向に背が伸びない。“造り”も常人とは異なる。  もはやここまで来ると“醜い”を通り越し、“呪われた”としか言いようがない。侯の呪詛も当然と言えよう。(とはいえ、彼を“壊した”原因は、何もそれだけではなかったのだが……)  デヴルー侯は呪詛の言葉を吐きつつも、薬膏を体に塗る。(他の者達が『魔道に用いる薬によるもの』と思い込んでいた侯の匂いは、実はこの薬膏によるものだった)  体を塗り終わると、今度は仮面を脱いだ。その下は、やはり白布で覆われている。侯は無言で布を解いた。  ……白布を取り去り露になった容貌は、その体以上の異形だった。  毛髪どころか眉毛すらない全くの無毛、  顔全体に広がる炎症、  異様な位置にある目鼻等々。  その姿はまるで――  空気が僅かに変化する。 『何奴!』  誰何と同時にデヴルー侯の手が振り上げられ、無数の鎌鼬が天井を襲う。  と、次の瞬間、忍び装束の男が飛び出してきた。  ……まったくの無傷、ということから察するに、何らかの手段を駆使して鎌鼬を無効化したらしい。  常識から考えれば、護符の類を保持していたと考えるところなのだが―― 『お前、魔導師だな? ……それも、かなり高位の』 「…………」  ククク、とデヴルー侯は哂う。  あり得なかった。  魔導師、それも高位の魔導師がわざわざあれ程の体術を身につけ、ましてや忍びの真似事をするなど、ある筈がないのだ。  ……いや、そういった特徴を持った一族は確かに存在した。  が、彼らは数年前に――  ――どうでも良いこと、よ!  が、もしそういった“常識”を振りかざす者がいれば、そうデヴルー侯は罵倒したことだろう。  相手が何者だろうが今の侯には関係ない。  己の正体を見たから殺す、それだけのことだった。 『死ね!』 「!?」  デヴルー侯が放った渾身の一撃は、防護結界ごと男を撃ち抜いた。それでもなお収まらず、轟音と共に建物の一角を吹き飛ばす。  ……にも関わらず男はなお生きていた。そして最後の力を振り絞り、魔法の炎で己を焼く。  後に残されたのは、性別すら判断に苦しむ程に焼け焦げた遺体のみだった。 『フン!』  デヴルー侯は遺体を見下ろし、鼻で哂う。  そして再び、薬膏を塗り始めた。  …………  …………  ………… <<お館様、一体何事ですか!?>>  暫くして部屋の水晶が光り、家人の声を伝える。  ……そういえば、あれ程の騒ぎだったというのに、未だ誰一人様子を見に来ない。ただ息を潜めるだけだ。  無論、訳がある。デヴルー侯が癇癪を起こして部屋を壊すことはままあったし、下手に部屋を訪れて逆鱗に触れたら命が幾つあっても足りないからだ。(一体今まで何人が手討ちにあったことか!) 『何でもない、鼠を一匹始末しただけだ』 <<そうですか、お騒がせして申し訳ありませんでした>>  デヴルー侯の不機嫌そうな声を聞き、家人はそうそうに通信を切り上げる。  侯の説明に必ずしも納得した訳ではなかったが、それ以上に侯が恐ろしかったのだ。  薬膏を塗り、布を巻き、仮面をつけるとようやくデヴルー侯は平静に戻った。  と同時に、疑問が湧き上がってくる。  ――何故、ダークエルフが我が屋敷に忍び込んだ?  あの男の正体はまず間違いなくダークエルフだろう、とデヴルー侯は考えている。  何故なら、あれ程の魔力を持つ者が人間の筈がなかったからである。  先の戦いはあっさりと決着がついたが、それは相手が油断していたからだ、ということをデヴルー侯は重々承知していた。  それは、侯の渾身の一撃を半分以下の魔力で防ごうとしたことからも明らかだった。 (男は攻撃魔術と防御魔術を同時に発動し、侯の魔術を防ぐと同時に攻撃しようとしたのだが、それが裏目に出たのだ)  『人間離れした』とさえ評されるデヴルー侯と互角かそれ以上の魔力を持ち、かつあれ程の体術を持つ者、といえば彼等しか存在しない。  国家間の暗闘の際には必ず彼等が暗躍している、と恐れられるダークエルフしか。  ……が、彼等は今から二年ほど前、突如としてその姿を消した。それも世界中の国々との契約を一方的に打ち切って、だ。  以後、彼等の消息は不明――  ――そもそも、何故ダークエルフは消息を絶った?  孤立した小国であるイルドーレには縁のない話だが、当初は各国が互いに疑心暗鬼に陥って大変だったようだ。  が、それ以上に大変なのはダークエルフだろう。  闇の仕事とはいえ……いやだからこそ信用は大切である、ゼロどころかマイナスとなった信用を取り戻すことは容易なことではない。彼等に闇以外に生きる道があるとは思えないのだが……  加えて彼等は各国の暗部を請け負うことにより、その存在を黙認されていた筈だ。自らの安全保障と生活の糧を放り投げて、一体彼等は何処で如何しているのだろう?  ――そういった世界中の疑問、その答えが今、デヴルー侯の前に示されていた。  暫し熟考する。 『……そうか、そういうことか』  自分の出した結論に、心底愉快そうに笑った。  ダークエルフ共は“奴ら”に賭けたのだ。  こんな吹けば飛ぶようなつまらぬ島国で活動していることが、その何よりの証拠である。“奴ら”には、ダークエルフ共が全てを――自らの安全保障すらも――投げ捨て、なお賭けるだけの価値があるのだろう。  ……狂気であるが故にあらゆる常識の壁を乗り越え、デヴルー侯は真実へと辿り着いた。  侯の口元が歪む。 『我が積年の望み、適うやもしれん! 面白い、実に面白い!』  そして一人、狂ったように笑い続けた。 ――――イルドーレ王国、王城。  本来、朝議とは王の臨席の下に行われるべきものである。  が、ここ十年以上、イルドーレ王国の朝議(*1)は王不在を常としていた。これは王が政治に興味が無い――どころか何処か敵視している節すらある――ことに加え、朝議が(一部例外を除いて)早朝に開かれるためだ。  ……『日が昇り始めた頃に寝て、日が高くなると起きる』などという爛れた生活を送る王が臨席するなど、端から不可能な話だったのだ。  無論、これにはやりたい放題の重臣達も流石に顔を顰め、当初は激しく諌めた。  が、それ以上のことはしなかった。直に王の黙認――放任とも言う――を良いことに、今まで以上の好き勝手を始めたのである。  どっちもどっち、と評すべきであろう。 「内々にだが、“帝國”が領土の割譲を求めてきた」  もはや誰も気にしなくなった感のある空白の王座の下、議長役を務める筆頭大臣が口火を切った。  その内容に、議事録を書き留めていた書記官が驚いて思わず顔を上げた。  ……常に『見ざる聞かざる言わざる』の黒子に徹する書記官が、である。  それ程、この申し出は驚くべきものだったのだ。  領土とは国家の根幹であり存在そのものである、“全て”と言っても過言ではないだろう。  故に、“帝國”の要求は“宣戦布告”とすら見做されかねないものだった。  が、書記官“風情”のそんな態度など気にも留めず、筆頭大臣は周囲を見渡して発言を続ける。 「むろんタダではない、それ相応の代価が支払われる」 「如何ほどですか、閣下?」  まるで合いの手を入れるかの様に、蔵部長官――やはり重臣の一人だ――が発言する。  その言葉に、筆頭大臣は勿体ぶりつつも答えた。 「100万レムリア・リバー(*2)」  どよめきが起こった。  100万レムリア・リバーと言えば、人口1万超の大陸都市の税収にも匹敵する額だ。そして何より―― 「今年返済期限を迎える借金の元金に匹敵しますな!」  蔵部長官が声を大にする。  ……そう、そうなのだ。  王国には巨額の借金があり、今年から年100万リバーずつ元金を返済していかねばならなかったが、その今年分に丸々匹敵したのである。  借金の具体的な内容は国内の商人衆から300万リバー(年利12、15、18%の各100万リバー)、国外の商人衆から200万リバー(年利20、25%の各100万リバー)の計500万リバーである。  全て王が大変な浪費家であること原因(*3)だった。  利子だけで年90万リバー。『四半期毎に利子のみを払い、返済期日に元金と最後の四半期分の利子をまとめて払う』という返済方式だが、利子を払うだけでも精一杯、とても元金を返すアテなど無い、というのが正直な所だ。  が、もし期日に元金を返せねば、利率は更に跳ね上がる。いや、或いは確実を期すために、商人衆は差し押さえを行うかもしれなかった。(彼等は年貢の換金や交易等を一手に引き受ける御用商人衆であり、差し押さえる手段は幾らでもあった)  これを逃れる手段は事実上存在しない。そんな真似をすれば信用は地に落ち、まともな商人からは相手にされなくなるだろう。そうなれば有形無形の不利益を蒙ることになる。特に信用取引が行えなくなるのは致命的で、国内は『素直に差し押さえを受けた方がマシ』と思える程の大不況に陥りかねなかった。  ――故に、なんとしても借金を返さねばならぬ。だが金は無い、と堂々巡りの所に“帝國”が餌を放り投げたのである、彼等が喰いついたのも当然だろう。無論、それだけではなかったのではあるが。  様々な意味で驚く重臣達を前に、筆頭大臣はたたみかける。 「“帝國”の要求は『ピグニス諸島及びその周辺海域の完全なる領有権』だ、諸卿の意見は如何に?」  今度は、ほう?という戸惑いの言葉が漏れた。  ピグニス諸島は王国最北部の小諸島で、人口も百人にも満たぬ漁民が住むのみだ。漁場ではあるがとても100万もの価値があるとは思えず、どう考えても元がとれそうにない。  ……普通ならば何らかの陰謀を疑うべきところであろう。事実、幾人かから不審の声が上がった。が、大勢は動かない。ただ含み笑いをするのみだ。 「どうやら“帝國”は、余程文明国の仲間入りをしたいと見える」 「愚かなことよ、猿が人になどなれるはずもなかろうに」  彼等から洩れる嘲笑を、筆頭大臣は笑いながら締めくくる。 「よいではないか、一時の夢を100万で見せてやろうではないか」 「……閣下もお人が悪いことで」 「お互い様、よ」 「確かに」  笑いあう重臣達。  これを見て、書記官はようやく気付いた。  ――何ということだ! 既に方々の大半が既に買収されているのか!?  書記官は義憤を覚えた。  未曾有の財政危機、とのお題目で民に今まで以上の重税を課し、我等士族役人の俸禄を借り上げ、それでも尚足りずに政策費までも最低限に抑えているというのに、王も方々もちっとも身を削ろうとしない。  挙句の果てに、外国から賄を受けて国土の切り売りとは!  確かに、歴史を見れば領地を売る例を散見することができる。  が、『国家存亡を賭けた戦の戦費調達』や『他領と入り組んだ地、遠方の飛び地整理』或いは『事実上戦争に負けて領地を割譲せねばならないが、面子を保つために形式上売買の形をとった』といった已むにやまれぬ事情が大半で、そこからはとても現在のイルド−レが売却する理由は見出せない。加えてここ100年は比較的平和が続き、外交が特に重視されていることから、あまり聞こえの良くない領土の売却は特に避けられる傾向にあるから尚更だ。(『あそこはそこまで困っているのか?』などと思われたら外交に支障をきたすし、上の事情も大部分が消滅するからである)  “帝國”の申し出を受け入れれば、王国は大陸同盟……いや、中央世界中の笑い者となるだろう。  が、彼の思いを余所に議論は収束へと進んでいく。  当初反対気味だった者達も趨勢を見て矛を下ろした。他に借金返済の妙案が無い以上、反対し続けることは困難であるしする気も無い。下手に孤立した状態で反対すれば失脚しかねぬが、賛成すれば“分け前”に預かれる。寝耳に水だったのは業腹だが、止むを得ない、と判断したからだ。 「ではよろしいかな?」  筆頭大臣は満足げに見回した。  今回の件では多額の賄を貰ったし、売却費からも相当な“役得”を期待できる――そう考えると笑いが止まらなかった。  ……加えて借金返済の道筋もつき、一安心である。  今年の元金分はピグニス諸島の売却金でその大半を賄える――少なからぬ額が“役得”で消えうせる――し、来年以降は“とらぬ狸の何とやら”だが“帝國”相手の交易収入でやはり多くを賄うことができる。何、ある程度返せば繰り延べは出来る、何の問題も無い。  彼は自分の……貴族達の領地収入(家禄)を削ることなど全く考えていなかった。そもそもの原因が王の浪費癖によるものである以上、自分達には何の関係も無いこと、と考えていたのである。(この考えは彼等が大げさに言えばそれぞれ一国一城である以上、それなりの説得力――要するに『封建領主が王の尻拭いをする義務はない』ということ――を持っていた)  が、彼にも一つだけ計算違いがあった。それは―― 『……よろしいか?』 「……いかがなされましたか、デヴルー侯?』  筆頭大臣は内心の動揺を押し殺し、デヴルー侯の問いに応じる。  この何を考えているか判らない男、デヴルー侯の出席だけは計算外だった。  デヴルー侯は彼と同格の三大臣が一人だが、朝議には月に一度しか出席しない。確か今月はもう出た筈なのに―― 『安心されよ、反対はせぬよ。 ……賛成もせぬがな』  内心の動揺を見透かしたか、デヴルー侯は乾いた声で笑う。 「では?」  いつも通り白紙票を投ずると聞き、筆頭大臣は一安心しつつも恐る恐る尋ねた。 『いやなに、大したことではないかもしれぬがな、ピグニス諸島を売れば大陸と“切り離される”が?』  ピグニス諸島が“帝國”領となれば、イルドーレは大文明圏と直接繋がらなくなる、と聞いて数人がハッと表を上げる。  曲がりなりにもイルドーレが大文明圏の一員となれたのは、多大な政治努力と時の運、そして“盲腸”と揶揄されながらも大陸の文明国と連続していたためだった。その事実を考えれば―― 「いやはや、流石はデヴルー侯! “帝國”が目を付けたのもそれが理由でして……」  冷や汗をかきつつ、筆頭大臣はデヴルー侯に説明を試みる。 「連中もかつての我等と同様のことを狙っておるようなのですよ。まあそれなりに力を持つと、今度は箔が欲しいのでしょうなあ。 ……その値が100万、というわけです。  確かに我等は大陸との地理的連続性を失うことになります。ですが微々たるものですし、何より我々には“大陸同盟”というより強く太い大陸との繋がりがあります、何の心配もありませぬよ」 『さようか』  自ら問題提起をしておきながら興味を失ったのか、デヴルー侯は筆頭大臣が鼻白む程、どうでも良さそうに頷いた。 『……ま、どう転ぼうと我には関係の無いことよ』 「デヴルー侯?」  立ち上がり場を後にするデヴルー侯に、大臣が声をかけた。 『帰る。後は決をとるだけであろう? ああ、それと――』  何かを思いついた様に、振り返る。 『一つ提案だ。100万貰うのではなく、本年返済分の借金証書(100万)と引き換え、と申し出てみたら如何か?』 「それは――」 『案外、成功するやもしれぬぞ?』  言うだけ言うと、デヴルー侯は呆然と見送る重臣達を背に、広間を後にした。  “帝國”……というよりも羽場は購入代を“100万リバ−”から“100万リバ−分の借金証書”に変更するのに応じたのは、その日の内のことであった。 *1 ――――『イルドーレ王国の朝議』――――  同国の朝議に参加する資格を持つ臣を俗に“重臣”と呼ぶ。具体的には3人の大臣に各官庁の長官7人、次官7人の計17人である。なお、議長役は3人の大臣が輪番で務めた。 (ちなみに旧役職名ではそれぞれを大老(大臣)・中老(長官)・少老(次官)と呼び、“重臣”も“老臣”と呼んだ) *2 ――――『100万レムリア・リバー』――――  “リバー”とは北東ガルム文明圏の……いや、中央世界の標準通貨単位とも言うべき存在である。故に各国で採用され、国ごとに微妙な違いがある。  が、一般に“リバー”と言えば“レムリア・リバー”――即ちレムリア王国で発行したリバ−貨を指す。無論、“レムリア・リバー”貨が中央世界全土を覆いつくしている訳では無いが、国際通貨として外国間取引の際の評価基準として頻繁に用いられていた。(と言っても全ての国際取引をレムリア通貨で行っている訳ではなく、多くの場合は単に『○○レムリア・リバー相当の他国通貨(或いは地金)』で決済されている)  これは、レムリア王国通貨の高品質・高信頼性が評価されているためである。  レムリア王国は、他国とは異なる貨幣政策を採っていた。  例えば1オース金貨――“オース”は質量単位(国により微妙に異なるがレムリアの場合は1オース≒32g)――と言えば、他国では『総重量1オースの金貨』だが、レムリアでは『1オースの金を含む金貨』なのである。  つまり、他国では金銀貨の品位が頻繁に変わるのに対し、レムリアのそれは常に一定なのだ。これが評価されない筈が無いだろう。これにその国力――何しろ列強が一つだ――が加わり、通貨の価値はより一層高められている。  何れにせよ、中央世界における金銀産出量の四割を占める“黄金の国”だからこそ出来ることで、他の国々には到底不可能な芸当だった。  なお、レムリアの通貨単位は以下の通り。  16フロル貨(大金貨):金重量1オース(約32g)    総重量1+1/4オース(約40g)     金含有率80%   4フロル貨(正金貨):金重量1/4オース(約8g)  総重量1/4+1/16オース(約10g)  金含有率80%   1フロル貨(小金貨):金重量1/16オース(約2g) 総重量1/16+1/64オース(約2.5g)金含有率80%  16リバー貨(大銀貨):銀重量1オース(約32g)    総重量1+1/4オース(約40g)     銀含有率80%   4リバー貨(正銀貨):銀重量1/4オース(約8g)  総重量1/4+1/16オース(約10g)  銀含有率80%   1リバー貨(小銀貨):銀重量1/16オース(約2g) 総重量1/16+1/64オース(約2.5g)銀含有率80%  1/4リバー貨(豆銀貨):銀重量1/64オース(約0.5g)総重量1/64+1/64オース(約1g) 銀含有率50%   4ソル貨(大銅貨)   1ソル貨(小銅貨)  *大金貨は儀礼用、大銀貨は交易用の特別貨幣であり、一般には流通していない。  *公定レートは『正金貨1枚(4フロル)=60リバー=6000ソル』だが、実勢レートはおおよそ『正金貨1枚(4フロル)≒64リバー≒8000ソル』。(ただし地域や時代により金銀銅貨間の相場は常に変化する)  ちなみにイルドーレ王国も“リバー”を通貨単位として採用しているが、リバー貨の発行はしていなかった。  これは国内で金も銀も産出しないためで、代わりに独自通貨である“イルドーレ・センテ”銅貨のみを発行し、“レムリア・リバー”貨とリンクさせている。  ……とはいえ金銀貨の裏打ちが無いイルドーレ・センテ”の信用は低く、国外で通用しないどころか国内ですら忌避され、鐚銭扱いされている有様だった。(それ故、イルドーレ国内に流通する貨幣の大半は国外のものである) *3 ――――『全て王が大変な浪費家であること原因』――――  そもそも王が毎夜起きていること自体が大変な浪費だった。夜も王宮内を通常体制に近い状態においておかねばならぬため人件費等がかさむこともあるが、それ以上に王宮全体を照明し続ける必要があるからである。  これに加えて日用品に至るまで(高い輸送費を払って)わざわざ大陸から取り寄せるとなると、イルドーレ如き小国では国が幾つあっても足らない。初めから行き詰まることは目に見えていた。