帝國召喚 改訂版 第2章 【26】  闇夜の森の中、数十名の男達が息を潜めていた。  幸い夏であるため寒さに凍える心配は無いが、代わりに虫が出る。ただ纏わり付くだけなら良いが、血を吸われるのは 閉口ものだった。  が、それでも男達は我慢強く、じっと“客人”を待つ。  ――大丈夫、大丈夫だ、きっと上手くいく…………  その中の一人、ヴィアン戦竜軍少尉は震える手でポケットから小さな“白い玉”を取り出し、噛み砕いた。  イルドーレ産のとある樹液を煮て固め、(べたつかぬよう)粉を塗したただけの味も香りもしない特殊口糧だが、噛み 応えだけは、ある。  それを、咀嚼音を立てぬ様に、だが必死で噛みしめる。  お陰で幾分、気が落ち着いてきた。お陰で集中力も上がったらしく、先ほどまで聞こえなかった様な人の呼吸音や衣擦 れが、かすかに聞こえてくる。 (どうやら“精神安定剤”というのもあながち嘘でも無いようだ)  グルル……  突然、愛竜が低く唸った。  そして、じっと闇を凝視する。  暫くすると、複数の足音が聞こえてきた。  ……遂に“客人”が現れたのだ。  が、これはおそらく前哨だろう。狙うは敵本隊、逸る心を抑えてやり過す。  ヴィアン戦竜軍少尉は手槍をぎゅっと握り締め、時を待った。  流石に初期情報の入手から半日もすれば、それなりの情報が集まってくる。(*1)  “帝國”軍上陸二日目の夕刻には、ロッシェル軍はおぼろげながらもその全体像を掴み始めていた。  『敵の数は1000〜1500』  『おそらくはその全てが歩兵』  『輜重は含まずか極少数』等々……  これを知り、今まで緊張に包まれていた討伐軍司令部に安堵の空気が漂った。  ……これでは如何な精兵といえど、サンザックは落とせない。  何せ、市内だけで同数の正規兵、やはり同数の補助兵(州兵)が配備されている。これに付近にいる師団の一部を加え て投入すれば、殲滅できるだろう――そんな楽観論が支配し始めたのだ。  が、日没後に届けられた戦竜中隊からの報告により、状況は一変する。  『数個班の敵歩兵により、戦竜3騎喪失』  『敵歩兵は後装式の連発銃を装備し、その火力は極めて高い』  詳細は未だ届かぬものの、それは極めて重視すべき情報だった。  『一兵で一小隊(26名)に匹敵』という評価は流石に眉唾ものだが、少なくとも数倍の火力は保有しているだろう。  仮に三倍として3000〜4500の歩兵、五倍ならば5000〜7500の歩兵に匹敵する、ということだ。  これは討伐軍が保有する歩兵全て(5個大隊5000名+州兵)に匹敵する数である。  故に討伐軍司令部は総力を挙げてこれを迎撃することを決定、全軍に集結を命じた。  ……とはいえ、広範囲をカバーすべく、また空襲を避けるため、軍主力は分散配備されている。  加えて如何に敵空中部隊の主目標が飛竜軍であるとはいえ、大規模な行軍を行えば良い獲物、必然的に部隊移動は夜間 に限定されてしまう。  これでは行軍速度は著しく低下し、到底刻限までに全軍を揃える事は敵わない。時間が圧倒的に不足していた。  中途半端な戦力で迎撃するのは自殺行為である。窮余の一策として、討伐軍司令部はある策を採った。  即ち、敵に近い位置にある(と思われる)部隊を幾許か集めて支隊を編成、これに遅滞防御を命じ全軍展開までの足止 め役としたのである。  こうして編成されたのがフルニエ支隊だった。  フルニエ支隊(*2)は支隊は郷土部隊であるヴィエンヌ歩兵第3大隊から抽出された部隊を主力としており、これにやは り予備役編成の軽砲班を加えただけの歩兵部隊だ。  (重要とは言えぬものの)捨て駒と呼ぶには些か惜しい戦力だが、かと言って真正面から防御戦を展開するには難があ り過ぎる。  故に支隊長は、土地勘を活かした猟兵戦術により出血を強要しつつ、合わせて情報を収集することとした。 (当然想定される同支隊の死傷率は非常に高いものだったが、『その大半が郷卒であること』『勲章と弔慰金を約束した こと』により、士気は維持されていた)  ――が、やはり物事とは上手くいかぬものだ。  中でも最も近い位置にあったヴィエンヌ歩兵第38中隊――全滅した第37中隊同様市外の警戒に当たっていた――は、余 りに敵に近過ぎた。  このため合流は不可と判断され、止むを得ず第一陣として急遽夜襲に投入することとなったのである。  第38中隊の将兵にとっては不幸中の幸いか、支隊長の要請により敵捜索に当たっていた戦竜中隊から急遽抽出した戦竜 班(戦竜5騎)が加わることとなったが、それでも10倍以上の敵を相手にするには、甚だ心許ない。  冒頭の(運悪くも戦竜中隊から派遣された)ヴィアン戦竜軍少尉の不安と緊張も、ある意味当然と言えた。 「……隊長殿」  ヴィアン少尉に付けられた年の頃50近い歩兵軍少尉が、耳元に小声で囁いた。 「何か?」 「連中、行軍ではなく臨戦態勢で動いております」  ――!? 「なんだ、と……」 「歩き易い海岸沿いではなく、森を動き回っているのがその証拠です」 「警戒隊ではないのか?」  隊列の前方後方側方に警戒班を置くのは常識だ。  が、その言葉に歩兵軍少尉は首を振った。 「それにしては規模が大き過ぎますし、移動方向もあさっての方向です。 ……あれは“警戒”ではなく“索敵”ですよ 」  多分、日没前に先遣隊を倒した部隊(第22話参照)でも探しているのではないでしょうか?  ――そう、この下士官上がりの応召少尉は結論付けた。 「不味いぞ、それは!」  ヴィアン少尉は頭を抱えた。  中隊は、“帝國”軍が海岸伝いに行軍すると想定していた。  当然、配置もそれに最適なものとなっている。故にあてが外れれば、各部隊は“一斉に”ではなく“順次”、しかも“ 孤立して”戦わなければならない。  ……何より、(警戒しているとはいえ)行軍中の隊列を襲うのと臨戦態勢の部隊を襲うのでは難易度が違い過ぎる。た だでさえ、数が違うと言うのに――  ――どうする?  ヴィアン少尉は自問する。  自分が率いるのは、戦竜2騎に随伴歩兵が1個小隊。夜の戦竜は状況によっては1騎で1個中隊にも匹敵するが、森林内で の戦闘の場合その行動を大きく制限されてしまう。  が、かと言ってこのままでは、直に見つかってしまうだろう。指示を仰ごうにもこの状況では不可能――なら、やるべ きか?うん、やるべきなのだろうな……  散々あれこれ迷った末、彼は腹を決めた。 「装填!」  その命に、歩兵達は一斉に装填を始める。  コツンコツン……  時折聞こえる込め矢の音がもどかしい。思わず舌打ちしたくなる。  敵に聞こえないだろうか?火薬の臭いを気付かれないだろうか? ……やはり射撃無しで突撃させるべきだったのだろ うか?  が、こういった場合、銃を撃たせるのと撃たせないのとでは敵味方双方の士気が大きく異なってくる、と教わった。な らば、やむを得ぬリスク……か?  新米少尉であるヴィアン少尉の脳裏には常にこういった様々な“雑音”が浮かび上がる。そしてそれを抑えるには、経 験も知識も圧倒的に不足していた。(そもそも、彼は単に『騎乗する戦竜が負傷したから』――戦竜中隊から抽出された 5騎は全て先の戦闘(第22話参照)で負傷した竜――というだけでここに回されたに過ぎない!)  故に本来ならば、経験の深い歩兵軍少尉の方が指揮をとるべきだったろう。  が、歩兵軍の地位は低い。同格ならば古参新参を問わず戦竜兵の方が歩兵よりも格上だ。  これに戦竜軍への配慮も加わり、ヴィアン少尉は一部隊の、それも最強部隊――他の3隊は全て戦竜1騎に随伴歩兵が1 個小隊――の指揮官に任命されたのである。 (流石に『貴族と士族』という家格差による影響はなかったと信じたい) 「射撃準備完了しました」 「膝射準備! ブレス着弾と同時に発砲!」  ドンッ!  騎竜から撃ち出された火球は、木々の合間を縫う様に飛翔する。  至近距離ということもあり、弾道は平射に近い。  そして着弾、その飛散する炎で周囲を照らし出す。(低初速、ことに闇夜ということもあり、この一連の光景は肉眼で もはっきりと確認できた)  ……が、所詮は音がする方向に向けて撃っただけの盲打ち、照明弾以外の役割を果たすことは叶わなかった。  着弾と同時に随伴歩兵も一斉に射撃するが、敵兵は広範囲に分散しており、かつその大半が既に伏せている。何より火 力が圧倒的に足りない。  未だ燻り続ける炎で確認できる範囲内では、これも戦果はゼロ……ばかりか、敵の反撃すら誘発する。余りに早い反応 に、突撃の余裕すら無い。  ――これでは敵に猶予を与えただけではないか!  やはり射撃無しで突撃すべきだった、とヴィアン少尉は唇を強く噛み締め、悔やむ。  が、後の祭りだ。敵の射撃はますます激しく、かつ正確なものになっていく。(僅か数針刻でこれ程とは!)  兵共は伏せ、自身もまた竜と共に身を低くし、一歩も動けない。このままでは―― 「総員着剣! 突撃準備!」  ヴィアン少尉は意を決し、叫んだ。  数々の判断ミス、その責任の取り方はただ一つしかない。  勇敢に戦って死ぬのみ、だ。  彼は大きく息を吸い込むと、あらん限りの大声で叫んだ。 「突撃ぃーーっ!」  その言葉と同時に騎竜は遮蔽物としていた草叢から跳躍、木々の合間を巧みにすり抜け、或いは邪魔な木々を吹き飛ば し、突き進む。  森とはいえ、この辺りならばそれなりに広い間隙があり、かつ木も細い。勢いさえつければ可能な行動だ。(だからこ そ、潜伏場所に選んだのだ)  そして着地と同時に再度ブレス攻撃。ただし今度は意図的にチャージを甘くし、火球生成をある程度未成熟状態に止め て発射する。  ゴウッ!  騎竜から、無数の小火球がまるで散弾の如く撃ち出された。  正規の技ではない、どちらかと言えば術式に負荷を掛ける外法――“魔法使い”共がそりゃあ嫌な顔をする!――だが 、部隊配備後必ず覚えさせられる技だ。  通常のブレスと比較して射程・威力共に大きく劣るものの、至近距離の歩兵を一掃するには最適である。今回も威力を 発揮し、近接する敵兵数名を吹き飛ばす。  が、動きを止めた巨大な戦竜は格好の目標だ。たちまち射撃が集中する。  急ぎ移動しようにも周囲を木々に囲まれ、方向転換すら満足に出来ない。(不可能ではないがどうしても動作が緩慢に なる)  出きることと言えば、前進のみだ。  ……或いはこの時、再度前方に突撃、いや跳躍すべきだったかもしれない。  が、ヴィアン少尉は、よりにもよって防護結界を起動してしまった。そのタイムラグ、そして何より結界が邪魔し、一 層身動きがとれなくなる。  これは致命的だった。ほぼ全周囲からの射撃を受け、騎竜はたちまち地に伏した。 「畜生!」  ヴィアン少尉は伏した竜を盾に、腰から九四式自動拳銃――彼の個人的な戦利品――を引き抜き、構える。 (元は所属していた戦竜中隊が先の戦闘で捕獲した敵装備の一つ。本来ならば貴重な資料として司令部に提出すべきもの だが、事実上『死ね』と命じたせめてもの罪滅ぼしか、中隊長より餞別に渡された)  ――お前らの武器で殺してやる!  そう、憎悪を込めて引き金を引く。  が、安全装置を解除していないため、弾が出ない。  ……試射も済ませ、使用法を理解したつもりだったが、所詮は付け焼刃、とっさのことで忘れていたのだ。 (何より、彼が知る銃と基本こそ同じものの細部の構造が大きく異なる。一朝一夕には使いこなせない) 「くっ!」  何度か試みるも、やはり発射は叶わない。ヴィアン少尉は舌打ちして拳銃を放り投げ、剣を引き抜こうとする。  が、それより一瞬早く、複数の銃剣が彼に殺到した。内1本は胸甲に弾かれたが、それ以外が彼の肉体に突き刺さる。 「かは……」  ターン!  ……皮肉なことに、彼が突き刺された瞬間に、先程投げ捨てた拳銃が弾を発射した。  叩きつけられた時に側面に強い衝撃を受け、暴発したのだ。  が、彼はそれに気付く事は無く、更に数回刺されて絶命する。  他の兵達も、その多くが彼同様の運命を辿った。  下手に燻る炎により隠密性が大きく減じ、数に押し潰されたのだ。  彼等が全滅と引き換えに成し得たことは、僅かに両の手にも満たぬ“帝國”兵を死傷させただけだった。  ――とは言え、彼等はまだ“まし”だった。  何せ、ヴィアン少尉隊の戦闘を知り、慌てて駆けつけた他の隊は、前進してきた重機の洗礼を受けたのだから。  ド、ド、ド……  照明弾が打ち上げられ、一瞬照らし出された目標に向け、射撃が開始された。  先と異なり、混戦状態ではない。故に手加減無し、後にアルフェイム中央世界を震撼させる存在となる九二式重機関銃 は、遺憾なくその真価を発揮する。  ロッシェル兵は慌てて身を屈め、木々を盾にするも、重機弾は容易にそれを付き抜け、その身を引き裂く。  その有り得ない程の威力、発射速度に、ロッシェル兵は混乱状態に陥った。  ……後は、ただの一方的な殺戮である。  結局、ロッシェル軍は七割を超える人員を失い、撤退した。 *1 ――――『流石に初期情報の入手から半日もすれば、それなりの情報が集まってくる。』――――  当時の“帝國”軍は、この辺りの認識を恐ろしいほど欠いていた。中央世界の通信能力を余りに過小評価していたので ある。 *2 ――――フルニエ支隊――――  同支隊は指揮班/軽砲班(旧式軽砲4門)/ヴィエンヌ歩兵第35・36・38中隊より成る。  総員約340名、指揮官はフルニエ少佐(ヴィエンヌ歩兵第3大隊副司令官)。