帝國召喚 改訂版 第2章 【16】  クノス島を制圧した“帝國”軍――より正確には北方方面艦隊――は、ロッシェル王国に対し、交渉の席に着くよう呼びかけた。  ……もはや勝負あった、と言わんばかりの態度である。  だがそれは、大いなる錯覚に過ぎなかった。  その事実を、“帝國”軍は直ぐに思い知ることとなる。 ――――ロッシェル王国王都“シャラント”、王城。  『クノス島陥落!』  その報に、王国上層部は震撼した。  たかが辺境の蛮族相手にワイバーン1個連隊を失ったばかりか、あまつさえ国土まで奪われたのである。屈辱、と言ってよいだろう。  直後に“帝國”より届けられた記録水晶が、その思いを一層強いものにする。  市庁舎たるクノス城より王国旗が引き摺り下ろされ、“帝國”旗が翻る――その光景は、見る者の感情を激しく刺激した。 「……もはや事ここに至っては、結論は一つしかありませんな」  無言で映像を凝視していた重臣達は、その終了後に頷き合った。  ……そう、最早これは単なる名誉不名誉の問題ではないのだ。 「左様、南海に居座る“帝國”軍を、何としても叩き潰すのみ!」  “紛争”が“戦争”となった瞬間だった。  国家というものは、多かれ少なかれ皆“威信”という目に見えない看板を背負っている。  これが大きければ交易や外交を始めとする対外的な活動で様々な利便を得られるし、少なければ見向きもされない。特に対外交流が盛んな中央世界においては、死活問題とも言えるものだ。  幸い、とでも言うべきか、ロッシェル王国は大きな威信を持っていた。それ故に大陸同盟でも指導的な……いや、特権的とでも言うべき地位(*1)を保持していた。  が、その威信が大きいほど、失った時の影響は大きい。ヤクザではないが、『この商売、舐められてはやっていけない』のである。だからこそ、是が非でも恥を雪がねばならなかった。  この責任云々だの、そんな瑣末なことはどうでもいい。後で幾らでも追求できる。  目先の算盤勘定、ましてや安っぽい誇りなど関係ない。そんな段階はとうに過ぎている。  大陸同盟の盟主として……いや、中央世界の文明国として、何としても“帝國”軍を叩き潰さねばならなぬのだ。  かくしてロッシェル王国は“帝國”の呼びかけを無視し、戦争の決意を固めたのである。 ――――同時刻、“帝國”領ピグニス。第一九航空隊司令部。 「現在使用可能な機体は――  第八航空戦隊が艦戦×26機(常用23+補用3)/艦攻×42機(常用36+補用6)の計68機(常用59+補用9)、  第一九航空隊が艦戦×17機(常用16+補用1)/艦攻×16機(常用12+補用4)の計33機(常用28+補用5)、  ――以上、艦戦×43機(常用39+補用4)/艦攻×58機(常用48+補用10)の総計101機(常用87+補用14)です。  ただし一割近い機が被弾しており、一部規定の性能に達しなくなった機も存在します」  その報告に、第一九航空隊司令横川大佐は眉をしかめた。  開戦時には――  第八航空戦隊が艦戦×33機(常用27+補用6)/艦攻×42機(常用36+補用6)の計75機(常用63+補用12)、  第一九航空隊が艦戦×22機(常用18+補用4)/艦攻×22機(常用18+補用4)の計44機(常用36+補用8)、  ――以上、艦戦×55機(常用45+補用10)/艦攻×64機(常用54+補用10)の総計119機(常用99+補用20)を保有していたのだから、20機近くを失った計算となる。  これは、当初の想定を上回る“大損害”だ。 「我が隊の損害は軽微だが、それは練度も数も上の七航戦が盾となってくれたお陰だ。 ……これがもし、『我が隊単独だったら』などと考えたらぞっとするな?」 「まったくです」  司令の言葉に、部下達も頷く。  実際、敵の侮り難い実力を散々に見せ付けられている以上、それは当然の感想だった。 「……しかし、思ったよりベテランの損害が多いな?」  今度は副長が顔をしかめた。  八航戦から送られてきた資料によれば、零戦の被撃墜数は7機。  が、うち半数近い3機がいわゆる“ヴェテラン”だ。残りの被撃墜機や被弾機も、技量に覚えのある連中が少なくない。 「八航戦によると、大半が巴戦時のものだそうです。 ……推測ですが、腕に自信がある故に慣れぬ戦いに戸惑い、或いは消極的な戦い方に業を煮やしたのでしょう。無論、率先して戦ったからこそ、とも評せますが」  それだけでないことは明白だろう、付け焼刃故の弊害だ。 「今後、戦法の徹底を図るべきですな」 「ですが、この戦法は機体に過度の負担をかけますから、整備の手間も馬鹿になりません。我が隊の整備兵は若く数も未充足ですので、整備にも限界が……」 「搭乗員の練度も、お世辞にも高いとはいえません。空中分解する機体が出る恐れもあります」 「となると、怪しい機体は除ける必要があるな……その補給、馬鹿にならんぞ?」  飛行長の言葉に、飛行隊長、整備長、主計長がそれぞれの立場から注文をつける。  同様の意見が次々に上がった。 「……そもそも、零戦自体がこんな戦い方を想定していないからな、消耗が大きいのも無理はない」 「それもそうだが、数的優位だって常に保証できる訳じゃあないぞ? ましてやこの前みたいな二倍三倍の数ともなると、こっちの負担が大きすぎる。とても現実的ではない」  ……そう、仮に相手の倍の戦力を用意したとしても、常にそれだけの優位を維持できるよう、運用することは容易なことではない。  搭乗員の疲労、  機体の消耗、  燃料弾薬の消費、  整備にかかる負担……  等々、負担が大き過ぎるのだ。(ましてやロッシェル王国の航空戦力は、開戦の時点ですら七航戦と一九空の三倍にも達している)  結局導き出された結論は、(少なくとも現在の態勢では)『短期的ならともかく、長期的に行える戦法ではない』『もし敵が総攻撃に出れば、たちまち守勢に追い込まれる』というものだった。  和平か、それとも戦争か――“帝國”軍現地部隊は、固唾を飲んでロッシェル王国の出方を見守った。 ――――ロッシェル王国王都“シャラント”、飛竜軍司令部。 「やあ、英雄殿の御登場だ!」  飛竜軍司令官アルベルト・カペー王弟中将は、銀剣付守護騎士章を胸に下げた一人の飛竜騎士の登場に、相好を崩した。  そして、まあかけろ、と席と葉巻を勧める。 「光栄です、殿……いえ閣下」  オーベール・ガリ中佐はあやうく“殿下”と呼びそうになり、慌てて“閣下”と呼び直した。  ……この王弟殿下が“閣下”と呼ばれる方を好むことは有名な話だったが、幸い気にした様子は見られない。  ガリ中佐は安堵しつつ、葉巻を受け取り席に着いた。  …………  …………  ………… 「久しぶりに、大いくさとなる」  二三の世間話を重ねた後、カペー中将は本題に入った。  葉巻を吹かしつつ、ガリ中佐を見る。 「……申し訳ありません、我らの力が至らぬばかりに」 「死者を鞭打つのは好きじゃない」  ガリ中佐の言葉に、カペー中将は僅かに顔をしかめる。  ……この育ちの良い将軍は、その結果はどうであれ、最後まで戦った男達を悪く言うことを良しとしない――そういうどこか非情に徹しきれない、甘いところがあった。 (これは美徳であり、同時に欠点でもある。現に彼は第13飛竜連隊の全滅を聞き、第13飛竜連隊長ギスラン・クロケット大佐の処分を中止するよう騎士団長に命じていた。このような行為は、信賞必罰を旨とする軍事組織の長としては失格だろう) 「は、重ね重ね――」 「それに、だ」  カペー中将はガリ中佐の言葉を遮る様に、言葉を続ける。 「むしろ、第13飛竜連隊は限られた権限内でよくぞ戦った、と言えるだろう。悪いのは我々だよ…… 敵の質と量を過小評価した挙句、徒に現地部隊の手足を縛った、ね」  ジュッ!  そう言い終えると、葉巻を灰皿に押し付ける。 「が、いい加減頭の固い年寄連中も目が覚めた。 ……君達の尊い犠牲によって、だがね。高過ぎる授業料だったが、それでもその犠牲は決して無駄ではなかった、と思いたいものだよ」 「…………」  ガリ中佐は、カペー中将の独白を黙って聞いていた。  ……閣下は、一体何故自分にこんな話を聞かせるのだろう? 「我が軍の最終目標は、二つある。一つは奪われた国土の奪還、そしてもう一つは――」  そこで鋭くガリ中佐を見る。 「“帝國”軍の殲滅。この二つ、何れも欠けてはならない。この為に我が飛竜軍は第3飛竜騎士団と、その後詰めに第2飛竜騎士団を投入する」  計2個飛竜騎士団……飛竜軍第一線兵力の半数を投入する大作戦だ。  その規模の大きさに、ガリ中佐も興奮して身を乗り出す。 「それは凄い!それだけあれば――」 「私としては、これでも不足だがね…… ま、政治だから仕方がないが」  めんどうなことだ、とカペー中将はつまらなそうに鼻を鳴らす。  彼としては、各騎士団から引き抜いたワイバーン・ロード連隊を集成した臨時騎士団で一気に敵空中戦力を撃破、その後第3飛竜騎士団による対地対水上攻撃によって“帝國”軍を殲滅しようと考えていた。  ……が、その余りに大規模な兵力投入計画は、大陸同盟諸国の懸念と干渉を招いた。  ――ロッシェル王国軍は大陸同盟軍の中核である。その本分を忘れ、徒に『牛刀をもって鶏を裂く』行為は固く慎んで頂きたい。  ロッシェル王国の対“帝國”戦への戦力投入は、そのまま大陸同盟軍の弱体化、ひいては対レムリア安全保障の低下に繋がる――そう、彼等は見做していたのだ。  この考えが正しいかどうかは兎も角、お陰でロッシェル王国軍は投入戦力を限定せざるを得なくなった。具体的に言えば、投入するのは第2・第3飛竜騎士団の2個騎士団に縮小。しかも実際に敵の矢面に立つのは第3飛竜騎士団のみであり、第2飛竜騎士団は後詰め、予備に過ぎない。 ……まあ拠点の受け入れ能力を考えれば、妥当なところではあるのだが。(だからこそ、当初はフルワイバーン・ロードの集成騎士団を投入しようとしたのだ) 「とはいえ、第3飛竜騎士団は第13飛竜連隊を失っているため、僅か2個連隊に過ぎない。 ……これでは些か心許ない」 「はあ」  何が言いたいのかさっぱり判らず、ガリ中佐は曖昧に返事する。 「そこで、君の出番だ。君はある独立中隊を率い、今回の作戦に参加して欲しい」  君にはその権利と義務がある――そう、カペー中将は真剣な目で彼を見た。 ――――“帝國”領昭北諸島、北方方面艦隊旗艦“香取”。 「――回答期限まで残り24時間を切りましたが、未だロッシェル王国からの回答はありません」 「これに対し、王国軍は各地で活発な動きを見せております。特に飛竜軍の動きは大規模で、確認できただけでも――」  次々ともたらされる報告に、艦隊司令部は緊張に包まれる。  これ等の情報は、全てある一つの方向性を示していた。  ……『ロッシェル王国軍が、大攻勢の準備を整えつつある』という。  が、それを聞いた長官は、ただ一笑に付すのみであった。 「ふん、所詮は異界の土人か…… まだ彼我の実力差が判らんと見える」 「いかがなさいますか?」 「出てきたら叩き潰す、徹底的に。 ……それだけのことだ」  自信満々の長官の言葉に、だが参謀の一人が懸念を示す。 「お言葉ですが、敵が動員しつつある戦力は『ワイバーンだけでも優に100を超える』とのこと。 ――そうなれば、クローゼ方面における彼我の戦力比は完全に逆転しますが」  長官の眉が吊り上る。 「……我が軍が負ける、とでも言いたいのかね?」 「そこまでは申しません。ですが、思わぬ苦戦を余儀なくされる可能性も捨て切れません。そうでなくとも、出血は先の比ではないでしょう。既に少なからぬ物資を消費し、死傷者も100名近い以上――」  バンッ!  その言葉に激高し、長官は机を叩く。 「では、どうしろと言うのかね!尻尾を巻いて逃げろ、とでも!?」 「せめて対抗上、我等も戦力を増強するべきかと」 「……君は馬鹿か?そんな戦力、一体何処にある?」  長官は乱暴に吐き捨てる。 「ここ(昭北島)の第一六航空隊を投入しようにも、方面唯一の航空拠点たるピグニスに、2個航空隊を運用する能力はない。空母を増強しようにも、GFからの援軍などおよそ不可能な話だ。 ……これで一体どうしろ、と?」  ピグニス本島にある飛行場の滑走路は、1500×100m。2個航空隊の受け入れも十分に可能な広さを持っている。  ……が、肝心の整備補給能力が追いつかない。人も設備も物資も、何もかもが足りぬのだ。 「確かに、第一六航空隊全てを受け入れることは、現状では困難でしょう。しかし艦戦部隊だけならば――」 「それに、だ!」  尚も進言しようと試みる参謀を黙らせ、長官は言葉を続ける。 「確かに、敵の航空戦力は飛躍的に増強されるだろう。だが、それでやっと我等と『互角かやや多い』程度だ。 ……“帝國”海軍はほぼ同数の、それも土人友の軍相手に負ける程に、脆弱なのかね?  違う、断じて違う!一体諸君らは、何時からその様な腑抜けになったのか!?」 「長官の仰る通りです、我々が負ける筈がありません」 「先の想定外の損害も、現地部隊の戦意に欠けた、引け腰な戦いにあったものと思われます」  参謀達の多くは、長官の意を汲み主戦論に傾きつつあった。  ……いや、元より彼等は積極的な攻勢論者だ。  長官同様、彼等の多くは武勲を立てる機会を得るために運動し、進んで北方方面艦隊司令部に配属されたのである。故に、これは当然の成り行きだった。  部下の追従に気を良くした長官は、満足気に頷く。 「まったく、臆病者に限って直ぐに悲観論を唱えたがる。『戦場で十分な兵力を与えられることなどまずあり得ない』というのに愚かなことよ…… 足らぬを工夫するが軍人ではないか?」 「その工夫ですが…… 敵が戦力を集めるのを、指をくわえて見ている手はありません。停戦を破棄し、叩くべきです」  自らを売り込むべく、参謀の一人が長官が好みそうな作戦を進言する。  確かに今回の停戦は相互の合意に基ずくものではなく、“帝國”側からの一方的なものに過ぎない。  故に、ロッシェル側が既に丸二日も何らボールを投げ返さない以上、破棄してもさほど問題では無いだろう。  が、長官はこの進言に大いに頷きながらも、退けた。 「その積極さは大いによろしい! ……が、『豚は肥してから喰え』だ。敵が集め終えるまで、待ってやろうじゃあないか」 「は!」 「しかし、現地の指揮官達はどうも積極性に欠けます。大丈夫でしょうか?」  あれだけの航空優勢でさえへっぴり腰だったというのに大丈夫か、と今度は別の参謀が指摘する。  司令部の督戦命令を散々無視した一六空及び八航戦両司令の評判は悪い、口々に同意の声が上がった。  長官も思わず考え込む。 「む……」 「督戦が必要ではないでしょうか。もしよろしければ――」 「いや、俺がいこう」 「は?」 「長官権限により司令を一時解任し、七航戦を直卒とする。貴様は、一六空を督戦しろ」 「それは流石に……」  GFとの亀裂が決定的になりかねない――そう言い掛け、口篭る。  が、察した長官は自信満々に言い放った。 「土人共に、本物の“帝國”海軍の力を見せてやる必要があるのだ! いいから直ぐに飛行艇を用意しろ!」  ……“帝國”軍が攻撃を再開したのは、停戦から87時間後――即ち、停戦が失効から実に15時間も経過してからのことであった。  この原因やその間の遣り取りに関して詳しく述べるつもりはないし、また必要もない(*2)だろう。『敵であるロッシェル王国を前に、お決まりの官僚的闘争を繰り広げていた』ただそれだけの話だ。  “帝國”は今回の軍事衝突を、この時点になっても未だ“紛争”と見做していたのである。 *1 ――――特権的とでも言うべき地位――――  ロッシェル王国は北東ガルム文明圏でも有数の大国であり、その威信を背景に大陸同盟でも指導的な地位を築いていた。この地位には、特権とでも言うべき様々な特権が伴っていた。その代表的なものだけでも――  ・拒否権を代表とする、大陸同盟内における巨大な発言力。  ・自国通貨が大陸同盟における標準通貨(の一つ)として採用されており、大きな経済的恩恵を受けている。  ・魔道兵器開発に必要な資金のかなりの部分を、同盟諸国からの協力金や輸出により賄っている。  ――等々、かなりの権益である。逆に言えば、これを失った際には計り知れないダメージがあるだろうことは、想像に難くない。 *2 ――――『この原因やその間の遣り取りに関して詳しく述べるつもりはないし、また必要もない』――――  いわゆる“空白の15時間”として、既にあらゆる分野で散々に取り上げられている問題だ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【17】  北方方面艦隊司令長官は、少なくともその戦意に不足は無かった。  彼は指揮権を握ると、ただちに第一次攻撃隊を出撃させる。  クノス島沖に遊弋する第八航空戦隊からは、艦戦×18機/艦攻×18機の計36機。  ピグニス島の第一九航空隊からは、艦戦×9機/艦攻×6機の計15機。  ――以上、艦戦×27機/艦攻×24機の総計51機。全機一丸となって大陸本土へと向かう。  その目標は、港湾都市サンザック。  戦力集中の原則に従い、実に可動機の六割――戦闘機に至っては七割――もの戦力を継ぎ込んだ、“帝國”軍の総攻撃が始まった。  サンザックはヴィエンヌ州の州都であると同時に、王国有数の港湾都市としても有名である。  また地上軍(*1)の各種部隊・施設を始め、海軍の艦隊司令部や飛竜軍の連隊司令部(飛竜第13連隊)が置かれる一大軍事拠点でもあった。  故に、その守りはクノス島のそれとは比較にならぬ程充実していた。具体的には――  地上軍は、戦時体制に移行したヴィエンヌ軍管区に加え野戦軍(*2)を、  飛竜軍は、クノス島で全滅した飛竜第13連隊に代わり、飛竜第3連隊(飛竜2個中隊欠)と飛竜第8連隊第3・第4中隊を、  海軍は、王国南部海域を担当する1個艦隊のほぼ全力を、  それぞれ展開させており、海からの攻撃に対する守りとしては些か過剰――少なくとも彼等の軍事常識からすれば――な程の戦力だった。  無論、これは反撃を意図してのことである。  が、攻勢に出るには未だ物資の集積が不十分であり、今しばらくの雌伏を余儀なくされていた。  ……そんな時、“帝國”軍が来襲したのだ。 ――――ロッシェル王国港湾都市“サンザック”、第3監視所。  要衝だけあり、ヴィエンヌには複数の監視所が設置されている。  これらの施設は望遠鏡による目視警戒に止まらず、天候や昼夜に左右されない生命/魔力探知機を用いた魔道による広域警戒も行っており、高い早期警戒能力を誇っていた。  当然、“帝國”軍攻撃隊もかなり早い段階で察知された。が…… 「……おや?」 「どうした?」  対空用生探の半球水晶を覗き込んでいた同僚の言葉に、隣で対空用魔探の半球水晶を覗き込んでいた下士官が声をかける。 「いや、どうも機械の調子がおかしいんだ」 「……またか」  それを聞き、下士官はうんざりした様な声を上げた。  ……一体、これで何度目だろう?  見ると、同僚の半球水晶からは中感度の生命反応が探知されている。  が、こちら(魔力反応)はゼロ。ピクリとも動かない。 「こりゃあ、おかしい」 「だろう?」  探知距離と感度から考えて、生命反応は人間換算でおおよそ100人分といったところだ。  これだけの生命反応が飛んでいるとなれば、その発する魔力たるや相当なものだろう。ただ100人の人間が歩いているのとは訳が違う。  にも関わらず無反応ということは―― 「……故障、だな」 「旧型の方が良かったなー」  同僚が懐かしむ。  この新型、大幅に探知距離を引き上げた上に敵味方識別機能まで組み込んだ……は良いが、処理すべき情報が飛躍的に増えたせいか、はたまた感度を上げすぎたせいか、頻繁にシステムダウンしてくれる困り者だった。やむを得ず出力を大分絞って運用しているが、こういった誤作動が珍しくない。 「コレ、造ったはいいけど結局没ったヤツらしいぜ。何でも、他じゃあ前の型を改良したものを使ってるらしい」 「なんでウチだけ? ……というか、なんでこんな欠陥品が制式採用されたんだ?」 「さあ?」  二人は首を捻った。  ……この二人の会話はロッシェル王国の魔道技術、その限界を端的に表していた。  この新型探知機は、仮想敵たるレムリア王国の新型探知機に触発され、開発されたものだ。  が、何とか同程度のカタログデータを持たせたは良いが、無理に無理を重ねたお陰で結果はこのざま…… 魔道先進国を自称しているとはいえ、レムリア王国を始めとする“真の先進国”(列強)と比べ、未だ様々な分野で立ち遅れていることを痛感させられる結果に終った。  とはいえ対抗上、そして面子の上からも開発失敗を認める訳にはいかない。故に制式化され、少数が生産・配備されたのである。 (ちなみにヴィエンヌに配備されたのは、『最も脅威が少ない』と判定されたからだ。このことからも、ロッシェルが海からの攻撃に対して無関心だったことが伺える)  何れにせよ、彼等は故障と判断。報告を受けた所長も同様に“いつもの誤作動”と頭から決め付け、警戒を発令することはなかった。  ……もしこれが半日程前ならば、或いは発令していたかもしれない。いや、むしろそうしていただろう。  が、既に警戒態勢から20時間近く経過し、些か気が緩んでいた。誤報による叱責を恐れたことも否定できない。(迎撃態勢に移行するにも、少なからぬ労力と費用が必要なのだ)  それ故に、彼等は“狼少年”を信じることが出来なかった。  更に運が悪いことに、当時天候の状態が悪く、目視での発見も遅れた。  ロッシェル軍が発見した時には、攻撃隊は既に目前まで迫っていたのである。  ……少なくともこの段階では、勝利の女神は“帝國”軍に微笑んでいた。 ――――サンザック上空。  “帝國”軍攻撃隊がサンザック上空に達した時、空に敵影は無かった。  見ると、敵の大半はようやく離陸したばかり。  トトトトトト……  天佑、とばかりに指揮官は突撃の命を下す。  艦戦隊は、郊外南北の二つの飛行場から離陸しつつあるワイバーンに、  艦攻隊は、飛行場(飛竜巣)や軍港、各種貯蔵施設を始めとする地上目標に、  それぞれ騎兵の如く突進した。 <南飛行場上空>  南に位置する飛竜巣に向かったのは、  ワイバーン制圧を任務とする――   一九空 艦戦隊(艦戦×9機)   “神鷹”艦戦隊(艦戦×6機)  ――の艦戦15機に、  飛竜巣襲撃をを任務とする――   一九空 艦攻隊(艦攻×6機)  ――の艦攻6機、計21機である。  艦戦隊は艦攻隊に先行し、露払いとばかりに殺到する。  敵は、12機のワイバーン。  未だ高度を稼げないワイバーンに、慎重に……だが(ワイバーン相手には)十分な加速を付けた艦戦隊が襲い掛かった。  クノス島上空でのこともあり、油断も手加減もする気は更々無い。事前の手筈通り、小隊毎の徹底的な一撃離脱戦法だ。  機銃弾を喰らい、たちまち数機のワイバーンが堕ちた。  ……どうやら、楽ないくさになりそうだった。 <北飛行場上空>  北に位置する飛竜巣に向かったのは、  ワイバーン制圧を任務とする――   “瑞鷹”艦戦隊(艦戦×6機)   “祥鷹”艦戦隊(艦戦×6機)  ――の艦戦12機に、  飛竜巣襲撃をを任務とする――   “神鷹”艦攻隊(艦攻×6機)  ――の艦攻6機、計18機である。  艦戦隊は艦攻隊に先行し、露払いとばかりに殺到する。  敵は、12機の“ワイバーン”。  未だ高度を稼げないワイバーンに、慎重に……だが(ワイバーン相手には)十分な加速を付けた艦戦隊が襲い掛かった。  クノス島上空でのこともあり、油断も手加減もする気は更々無い。事前の手筈通り、小隊毎の徹底的な一撃離脱戦法だ。  たちまち数機のワイバーンに機銃弾が命中する。が――  !?  平然と、向かってくる。だいぶ……いや、恐ろしく速い。  一撃後に離脱しようと試みるが……逃げ切れない!  ブレスを喰らい、たちまち1機の零戦が火達磨となった。  ……彼等が相手にしていたモノは、ワイバーンであってワイバーンではなかった。  ワイバーンから生殖機能を除去して得た“空容量”に、人工的な魔力回路を組み込むことにより、数倍もの出力増を得た超ワイバーン“ワイバーン・ロード”――それが、その正体だった。  ワイバーンの優に五割増の高速、  五割どころか倍近いブレス出力、  何より、ワイバーンのブレスすらも防ぐ防護結界(零戦の機銃弾はこれに阻まれたのだ!)を持つ、ワイバーンに似ているがまったく異なる存在……  そしてこれに騎乗するは、徹底的に空対空戦闘を叩き込まれた竜騎士(*3)である。  『ワイバーンを堕とす為の存在』  『空中優勢を得るための切り札』  それが、ワイバーン・ロードなのだ。  ワイバーン対策しか立てていなかった艦戦隊は、大混乱に陥った。  転移初期……ことにロッシェル戦役において、“帝國”軍航空隊は陸海問わず敵航空戦力に対して苦戦を強いられた。何しろ零戦や隼といった第一線級の戦闘機が、ワイバーン・ロードはおろかワイバーンにすらしばしば撃墜されたのだから、尋常ではない。  何故、この様な事態になったのだろう?理由は幾つも考えられる。代表的なものでは―― ・初期の“帝國”戦闘機は格闘戦用であり、より格闘戦に適していた敵に対して格闘戦では劣勢を強いられた。かといって一撃離脱を行おうにも、中途半端な能力しかなかった。 ・初期の“帝國”戦闘機(ことに陸軍機)は火力が低く、ワイバーン・ロードの防護結界を撃ち破るには多くの場合反復攻撃が必要だった。対する敵は(防御の貧弱さから)一撃で“帝國”軍機を堕とせた。 ・無線機の劣悪さから連携が不十分だった。対する敵は高性能の無線により、連携が十分取れていた。 ・敵はワイバーン、ワイバーン・ロードを問わず“風の結界”により与圧されていた。この差は、両者の一瞬の判断力に少なからぬ影響を与えた。 ・敵の高機動に翻弄された。  ――等が挙げられている。が、“高機動”とは何だろう?多くの元搭乗員が語ったことによりすっかり定着した感のある表現だが、抽象的過ぎてよく判らない。  加えて、幾ら“高機動”とはいえワイバーン・ロードは兎も角、半分以下の速力しか出ないワイバーンにすら翻弄されるとは、些か首を傾げざるを得ない。  実は、これに関して的確に表現した台詞がある。“帝國”海軍の撃墜王の一人、笹井醇一予備役海軍少将の言葉だ。  『連中の動きがあまりに飛行機のそれと異なるので、当初は誰にも偏差射撃が出来ませんでした』  ……要するに、機動する敵の未来位置が予測できぬため『(余程近づかない限り)狙って撃てぬ、当たらぬ』ということだ。  笹井少将はまた、いかにも講道館柔道の有段者らしい表現もしている。  『まあ、左利きの相手と(柔道の試合で)組む感じですかねえ。とにかくやり辛い』  この違和感は、ベテラン程大きかったという。 ……これにより少なからぬ数のベテランが調子を崩され、堕とされた。(ましてや新米など、違和感云々以前に圧倒的な腕の差でワイバーンにすら苦戦する始末だ)  結局、“帝國”軍航空隊が完全に優位を確保したのは、紫電改や疾風といった『この状況を力尽くで押し切れる』、重火力重装甲の高速戦闘機を大量に投入できるようになってからのことだった。  それまでの間、“帝國”軍航空隊は予期せぬ苦戦を強いられ続けたのである。  この空戦は、その嚆矢だった。  ワイバーン・ロードはただの一撃で零戦を火達磨にするが、零戦は数撃を与えてなお堕とせない。(*4)  一撃離脱しようにも速度差は殆ど無く、それも圧倒的な“腕の差”で帳消しにされてしまう。  何より情報が殆ど無い、その上数も同数――およそ考えられる中で最悪の状況だった。  かくして戦いは一方的な結果で幕を閉じる。  ――サンザック北飛行場上空の戦い―― ・参加機数  “帝國”軍  零戦12機、九七式艦攻6機  ロッシェル軍 ワイバーン・ロード12騎 ・損害機数  “帝國”軍  零戦12機、九七式艦攻6機  ロッシェル軍   無し  ……如何に『苦戦を強いられた』とはいえ、この様な完敗は空前絶後のことである。  “帝國”海軍……いや、“帝國”がこの日を“屈辱の日”としたのも、無理も無いことであった。 *1 ――――地上軍――――  飛竜軍と海軍を除いた地上戦を担う軍の総称。あくまで俗称であり、地上軍なる組織が存在する訳ではない。 *2 ――――野戦軍――――  各兵科の部隊を編合した臨時編成の混成軍で、戦時に編成される。 *3 ――――徹底的に空対空戦闘を叩き込まれた竜騎士――――  ワイバーンは言わば“襲撃機”であり、騎乗する竜騎士は対地対空偵察等なんでもこなせるようバランス良く訓練するが、対するワイバーン・ロードは“戦闘機”であり、転換前に基本的な訓練を行った後は空戦技術のみを徹底的に叩き込まれる。(これはあくまでロッシェル王国の場合だが、他国でもこれ程ではないもののワイバーン・ロード乗りは空戦を専門とし、他は全て余技と見做されている) *4 ――――『ワイバーン・ロードはただの一撃で零戦を火達磨にするが、零戦は数撃を与えてなお堕とせない。』――――  ロッシェル事変当初、“帝國”軍航空隊は高価な20mm弾の使用を厳しく制限されていた。角田少将や横川大佐はこれを半ば無視していたが、長官直卒となってからは内規通りとされた。即ち、各門30発――それも対地攻撃時のみその使用を許可する、だ。かくして零戦隊は、僅か7.7mm機銃2挺で強固な防護結界を持つワイバーン・ロードに立ち向かう羽目となった訳である。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【18】 ――――ロッシェル王国、サンザック北飛竜巣上空。 「ちっ、少々時間をかけ過ぎたか……」  最後の1騎を堕とした後、大隊指揮官(*1)である第3飛竜連隊第1中隊長ジャック・ネッケル少佐は、苦虫を噛み潰した様な表情で呟いた。  ……その眼下では、飛竜巣が燃えている。襲い掛かってきた敵を返り討ちにしたはいいが、むざむざ爆撃を許してしまったのだ。  ――第13連隊が『僅か1日でやられた』と聞いたから、どんな強敵かと思えば!  慎重に慎重を期したことが仇となった、どうやら敵を過大評価し過ぎたらしい。  “眼”で辺りを見渡すと、やはり他空域の敵も爆撃をあらかた終え、既に退避行動に移っている。これでは試合に勝って勝負に負けた様なもの、あまりに苦い勝利だった。 「……なら、少しでも取り返さんとならんな」  そう不敵に笑うと、ネッケル少佐は騎首を新たなる敵に向けた。 「これより追撃戦に移る!全騎続け!」  …………  …………  …………  更に7騎を堕とした所で、ネッケル少佐は魔道通信を通じて全騎に再度命令を出した。 「全騎、追撃止め!」  既にサンザック上空の敵はほぼ一掃した。これ以上の追撃は流石に竜を無駄に消耗させるだけだ。  次の戦いに備えるべく、ネッケル少佐は部隊の手綱を引く。  僅か半個連隊でおよそ1個連隊に匹敵する数の敵を撃ち堕し、対する損害はゼロ――文句なしの完全勝利である。  ……が、これはあくまでワイバーン・ロード隊のみに限った話に過ぎない。他に目を向ければ――  ワイバーン隊は、12騎中10騎を喪失した。対する戦果は僅か1騎……  やはり奇襲を受け、未だ魔力出力も不十分な上昇中に上空から襲われたのが痛かった。これによりまず4騎を失い、戦力比が2対1に開く。そして魔力出力は未だ定格に達せず――この状況下では、全滅しなかっただけでも上出来だろう。まして1騎といえど敵を堕としたのは、賞賛に値する。(ワイバーン・ロードとて状況は同じだが、元の出力が違う。何より“最初の一撃”を防げたのは大きい)  地上施設も少なからぬ被害を受けた。特に、敵が爆撃戦力の半数を割いた南北飛竜巣の損害は大きく、その機能に大きなダメージを受けている。対空攻撃で敵2騎を堕としたものの、到底割に合うものではないだろう。  これ等の事実を考えれば、ワイバーン・ロード隊の戦果も決して手放しでは喜べない。いみじくもネッケル少佐が考えた様に、彼等は『試合に勝って勝負に負けた』のである。  そして何より、敵の攻撃はまだ終っていなかった。 『連隊規模の敵空中部隊が接近中!至急迎撃に向かって下さい!』 「くっ!早い、早過ぎる!よりにもよって――」  地上部隊が用意した着陸地点――飛竜巣は暫く離着陸不能――に降りようとしていたネッケル少佐は、思わず罵声を上げる。  既に半数ほどの竜が降り、他も着陸体勢に入っている最悪……とは言わぬまでもかなり悪いタイミング(*2)だ。舌打ちしつつ落としかけていた愛騎の魔力出力を上げ、再び上昇に転じる。  ――しかしそれにしても、“連隊規模”とは!  どうやら敵は本当に1個騎士団を超える戦力を、はるばる海の向こうからあの狭苦しい島々に運び込んだらしい。そんな真似、我々(ロッシェル)には不可能だ。列強とてできるかどうか……  が、それ以上考えることは自分の仕事ではない。ネッケル少佐は目の前の仕事に注意を戻した。  敵は倍……加えて我が方はかなり消耗している、あまり無理は利かない。ことにブレスの余力が不安だ、積極的な空戦は避けた方が良いだろう。  ――よしっ!  ネッケル少佐は即座に決断を下した。 「爆撃阻止に全力を上げろ!1発の爆弾も落とさせるな!!」  第二ラウンドが始まった。 ――――“帝國”海軍第八航空戦隊、旗艦“祥鷹”(*3)。 「いったい、どうなってるのだっ!?」  明らかに大きく数を減らした攻撃隊の帰還に、司令部は戸惑いを隠せなかった。目の前の現実を、認められないでいたのである。  だが攻撃隊の損害が集計され、数字として突きつけられると、その損害に誰もが蒼白となった。  第一次攻撃隊   ・参加機:艦戦×27機/艦攻×24機の計51機    第八航空戦隊(艦戦×18機/艦攻×18機の計36機)     “瑞鷹” 艦戦×6機/艦攻×6機     “祥鷹” 艦戦×6機/艦攻×6機     “神鷹” 艦戦×6機/艦攻×6機    第一九航空隊(艦戦×9機/艦攻×6機の計15機)   ・未帰還機:艦戦×15機/艦攻×11機の計26機    第八航空戦隊(艦戦×13機/艦攻×8機の計21機)     “瑞鷹” 艦戦×6機/艦攻×1機     “祥鷹” 艦戦×6機/艦攻×1機     “神鷹” 艦戦×1機/艦攻×6機    第一九航空隊(艦戦×2機/艦攻×3機の計5機)  ……実に、50%もの損耗。  非情な現実を前に、“祥鷹”艦橋は重い沈黙に支配された。  そして、第二次攻撃隊の損害が彼等に更なる追い討ちをかける。  第二次攻撃隊   ・参加機:艦戦×12機/艦攻×24機の計36機    第八航空戦隊(艦戦×5機/艦攻×18機の計26機)     “瑞鷹” 艦戦×2機/艦攻×6機     “祥鷹” 艦戦×1機/艦攻×6機     “神鷹” 艦戦×2機/艦攻×6機    第一九航空隊(艦戦×7機/艦攻×6機の計14機)   ・未帰還機:艦戦×3機/艦攻×8機の計11機    第八航空戦隊(艦攻×6機)     “瑞鷹” 艦攻×2機     “祥鷹” 艦攻×1機     “神鷹” 艦攻×3機    第一九航空隊(艦戦×3機/艦攻×2機の計5機)  第二次攻撃隊は三割の損耗……第一次攻撃隊の被害を合わせれば37機、破棄された機体も含めれば40機を超える。  この数字は、攻撃前の常用機四割に匹敵した。  対する戦果は、二つの飛行場こそ壊滅に追い込んだものの他の施設は破壊不十分、敵航空戦力も未だ健在――とてもこれだけの損害に釣り合うものではない。 「損害の大半は強化型ワイバーン“ワイバーン・ロード”によるものと思われます」  航空参謀が報告する。  ダークエルフの事前情報では、ワイバーン・ロードはワイバーンを基に徹底的な改造を施したものだそうだ。何でも数倍に膨れ上がった出力を利用し、速力・火力・防御力を大幅に強化してあるらしい。  ……そこまでは、信じた。  が、『“帝國”軍の第一線戦闘機にも劣らぬ性能を有し、ことにその防御力には信じ難いものがある』と聞いた時には皆鼻で笑い、誰一人相手にしなかった。“専門家”である彼等にとり、その情報はあまりに常識外れの、馬鹿馬鹿しいものだったからだ。  加えて、ダークエルフ……というよりこの世界の人間に対する偏見もある。 『そんな能力、あり得ない。ダークエルフは“魔道兵器”とやらを過大評価している』 『所詮この世界の人間であるダークエルフに、近代兵器の何たるかが判る筈が無い。我が軍の兵器を過小評価し過ぎている』  軍はダークエルフの情報を、基本的に信用していた。 ……いや、むしろ重んじていた、といっても良い。  が、こと兵器情報に関しては別だった。その無知故に余りに科学技術を過小評価し、魔道技術を過大評価している――そう考えていたのだ。  このためワイバーン・ロードに関しても『生身の生物にそれ程の性能がある筈無い』とせいぜい“高性能な複葉機”程度に考えていた。(この時点になっても、だ!)  ……だから、あり得なかった。こんな筈ではなかった。  如何に化け物とはいえ、生身の生物相手に近代兵器の粋たる零戦がここまで負けるとは――  ドンッ! 「いったい、どうなってるのだっ!?」  長官は机を叩き、叫ぶ。  が、誰も答える者はいない。沈黙したままだ。  ……そんな重い空気を、入室した通信士官が破った。 「一九空から入電!『第三次攻撃隊ノ要アリト認ム。我、艦戦8艦攻7ヲ出撃可能』!」 「出しましょう、長官!」  入電に勢いを得、“祥鷹”艦長が進言した。  彼は、第一次攻撃隊の半数ほどしかない第二次攻撃隊の方が損害が少ないことに注目した。もしや……敵は消耗しているのではないだろうか?  考えてみれば、相手は生身の生物だ。やってみる価値はあるだろう。 「馬鹿な!これ以上傷を広げる気か!?」 「少数機の攻撃では、無駄に損害を増やすばかりだ。そんなことより損傷機の戦列復帰に全力を尽くすべきだろう」 「一六空からの戦力抽出も検討すべきだ」 「いや、今後のこともある。“威力偵察”と考えれば、出す意味はあるのではないか?」  進言はたちまち圧倒的な反対にあったが、賛成も少数見られる。  賛成・反対両派は固唾を呑んで長官の裁定を見守った。 「……『敵飛行場を使用不能にする』という当初の目的は果たした。第三攻撃の必要は無いだろう」  暫し目を瞑って熟考していた長官は、ゆっくりと口を開いた。 「よって、暫くは戦力の回復と再編に努める。通信参謀」 「はっ!」 「一六空の艦戦隊を、大至急ピグニスまで進出させろ。あと、クノス島の一木支隊先遣隊にも連絡だ」 「一木支隊に……ですか?」 「一木支隊には、敵本土に上陸してもらう。陸空からサンザックを征圧するのだ」 「はっ!」  この時点では、北方方面艦隊はクノス島の一木支隊が“一木支隊先遣隊”だと考えていた。  直ぐにでも3000を超える本隊が到着する、と信じていたのである。(少なくともその前提で考えれば、決して無謀な作戦では無かった)  だから、まさか、『後続部隊がこない』などとは思いもよらなかった。  こうして、戦いの舞台は空から陸へと移ることとなった。  “帝國”軍は、地上部隊でもって一気にヴィエンヌを占領、この“紛争”にケリをつけようとしたのである。 ――――クノス島、一木支隊第一中隊駐屯地。 「今日も来てますね」 「……ああ。連中、諦めてないな」  空を飛ぶワイバーンを眺めつつ、二人の男は呟いた。  一人は“帝國”人、もう一人は(上手く化けているが)ダークエルフだ。 「で、何の用ですか?森安大尉殿」 「用が無ければ呼んではいかんのかね?モートン少尉」  この間の賭けの負け分なら、確か『給料日まで待ってくれ』だったのでは?と茶化すダークエルフ――モートン少尉に、森安大尉も乗る。  ……暫し笑いあった後、森安大尉は封筒を一つ差し出した。 「……これは?」 「やる。“負け分”なんて端金よりも、もっといいものが入っている」 「? ……!これは!」  一読したモートン少尉の顔が、驚愕で歪む。  中に入っていたのは一枚の命令書。昭北島への一時出張命令だった。 「ま、実質的には数日分の休暇だな。いいなあ、羨ましい」 「……何故です?」  モートン少尉は、厳しい顔で問い質す。  が、森安大尉の表情は変えず、飄々と答えた。 「金が惜しくなったから。 ……それだけだよ」 「何でも、部隊は近日中に敵本土へ乗り込むらしいですね。 ……それも、たった1個大隊で」 「なに、直ぐに後続の部隊も来るさ」 「……来ませんよ、知ってるくせに。『大内海のどこかで大規模な反乱が起きたらしい(*4)。そこに急遽投入されたそうだ』と私が教えた筈です」 「そうだったか?」 「それに、これは方面艦隊司令部からのもの。一体どうやって?」 「司令部に、兄貴がいる。参謀なんだ」 「なら――」 「俺は、無理だ」  森安大尉は機先を制した。 「不可能、とまでは言わんが難しい。それに何より、そこまで恥知らずにはなれん。 ……が、お前は部外者だ。馬鹿な“帝國”人共に付き合う義理は無いさ」  ま、何れにせよ命令だから今夜には立たんとな、と笑う森安大尉。  ……それを見て、モートン少尉は心底怒った顔で吐き捨てた。 「見損ないましたよ」  そして、憤然と立ち去る。  その後姿を身ながら、森安大尉はポツリと呟いた。 「……それはお前の目が節穴だからさ。俺は、元からそういう男だよ」  暫くして、今度は中隊指揮班付の准尉が、軍曹と兵を連れてやって来た。 (兵の方は、何やら両手に鞄を持っている。かなり重そうだ) 「中隊長殿!中隊総員、手紙を書き終えました!」 「御苦労。至急、モートン少尉に渡せ」 「は!」  准尉が目配せすると、軍曹と兵が駆け出していく。  それを見送った後、准尉が頭を下げた。 「久しぶりの手紙ですから、皆喜んでおりました。ありがたくあります」 「特別任務が多かったからなあ……無理も無い」 「あと――」  准尉が声を潜める。 「他中隊の兵の分まで、本当によろしかったのですか? もし上にばれたら……いえ!自分らが決して言わせません!ですが、万一……」 「何、構わんよ。出世はとうに諦めている。それに、いっそ黒部少尉の様に辺境暮らしもいいかもしれない」  そう言いながら、運悪く辺境中の辺境に飛ばされた、かつての部下を思い出した。 「ああ、あの…… どうしてるでしょうねえ、あの暢気な少尉……いえ中尉殿は」 「ま、飯の不味さを嘆いているんじゃあないか?」 「……目に浮かぶようですな」  僅か数年前の話だというのに、二人はまるで遠い昔を懐かしむ様な表情で笑う。  ……それは、とても穏やかな表情だった。  一木支隊に出撃命令が下されたのは、その日の夜のことである。 *1 ――――大隊指揮官――――  この場合の“大隊”とは、飛竜第3連隊の第1・第2中隊を集成した臨時の飛行群であり、正規のものではない。(飛竜連隊は数個の中隊から成り、その隷下に大隊は存在しない)  *2 ――――『かなり悪いタイミング』――――  離陸は、通常でも“数時間の飛行”に匹敵する負担を竜を与える。それが急激な離陸、ましてや垂直離陸なら尚更だ。(垂直着陸中の再上昇も同様)  今回はそれに加え、『戦闘後に休養の間もなく再離陸』とかなりの負担を強いている。これらの“負担”は、その性能に直結した。 (燃料や弾薬を再補給すれば動く航空機(機械)と違い、ワイバーン(或いはワイバーン・ロード)は生物である。その消耗は通常、休養による自然回復を待つしかない) *3 ――――旗艦“祥鷹”――――  当初、第八航空戦隊の旗艦は“神鷹”だったが、指揮官交代に伴い“祥鷹”に旗艦が移された。(一説では「長官が前任である角田少将の影を嫌ったため」ともされているが定かではない) *4 ――――『大内海のどこかで大規模な反乱が起きたらしい』――――  いわゆる“モエシアの大乱”のこと。大内海沿岸のモエシア文明圏で起きた“帝國”史上屈指の反乱で、指導者の名前をとり“ファルカスの大乱”ともいう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【19】  二日後、とりあえず――あくまで『とりあえず』『応急的に』だ――戦力の回復と再編を終えた“帝國”軍は、行動を再開した。  未だ再建途上ではあったが、これ以上の空白は敵を利するだけ、巧遅より拙速を選んだのだ。  この時点(ロッシェル本土上陸作戦発動時)における、クローゼ方面の“帝國”軍序列は以下の通り。   北方方面艦隊(司令長官 及川海軍大将)    クローゼ方面(長官直卒)     ・機動部隊(長官直卒)      第八航空戦隊        戦隊直属:空母“祥鷹”“瑞鷹”“神鷹”        第二二駆逐隊:駆逐艦“水無月”“文月”“皐月”“長月”        航空機:艦戦×12機(常用10+補用2)、艦攻×26機(常用22+補用4)の計38機(常用32+補用6)。      第一六航空隊艦戦隊:艦戦×24機(常用18+補用6) *“神鷹”搭載機としてピグニス島沖で訓練中。      歩兵第二八聯隊 *現在先遣隊の1個大隊のみ。      油槽船“黒潮丸” (10,384総トン)      輸送船“新夕張丸”(5,355総トン)     ・クノス島守備隊(クローゼ方面次席司令官 角田海軍少将)      司令部      第一〇三設営隊      特設砲艦“第四千代田丸”      輸送船2隻“月山丸”“氣比丸”(各4,500総トン)     ・ピグニス島守備隊(第一九航空隊司令 横川海軍大佐)      第一九航空隊:艦戦×11機(常用11+補用0)、艦攻×10機(常用7+補用3)の計21機(常用18+補用3)。  肝心の航空戦力は、艦戦×47機(常用39+補用8)/艦攻×36機(常用29+補用7)の総計83機(常用68+補用15)。  一六空の投入により、艦攻はともかく艦戦はサンザック空爆以前の水準まで回復している。加えて同隊は“北の守り”だけあって、転移前からのべテランを擁する精鋭部隊だ。『敵飛行場が使用不能であること』『地上からの同時進行であること』を考え合わせれば、制空権の確保は十分可能と判断されていた。  これに支援された5000の陸兵により、敵本土の重要拠点サンザックを占領することによりその戦意を挫く、というのが“帝國”軍の構想である。  が、実のところ『南クローゼ(クノス島)の占領では駄目だったから今度はサンザック』という、些か泥縄的な発想に過ぎない。思わず蘇州→無錫→常州→南京と無定見に戦線を拡大した日支事変を連想してしまうのも、気のせいではないだろう。(そもそも一六空の投入とて想定外のことだ!)  ――とはいえ、ここまできて退く訳にはいかなかった。  既に少なからぬ物資を消費し、かつ思わぬ損害まで出している。  ……ならば、それ相応の果実を得ねば“面子”が立たぬではないか!  そして何より、官僚的な“帝國”が素早く“損切り”するなど不可能に近い。一度賽を振った以上、進むしか道は無かった。  かくして“帝國”軍は前進を決意し、ルビコン川を渡ることとなったのである。  ロッシェル本土上陸作戦における“帝國”軍の構想は――  第一段階:歩兵第二八聯隊先遣隊1000余名をサンザック近郊の無人地帯に夜間上陸させる。その陽動及び支援として、サンザックに第二二駆逐隊主力による艦砲射撃を行う。  第二段階:本隊到着までの間、歩兵第二八聯隊先遣隊は橋頭堡を築くと共に可能なら周辺の敵軍を撃破、サンザックを攻略する。  第三段階:本隊到着後は、(停戦合意に達するまでの間)その戦果を拡大する。なお第二・第三段階にあたり、クローゼ方面の海上及び航空部隊は総力を挙げてこれを支援する。  ――という、極めて単純なものだった。  これに従い、作戦第一段階として“帝國”軍は――  ・歩兵第二八聯隊先遣隊を輸送船“新夕張丸”に乗船、これに護衛として駆逐艦“文月”を付け輸送船団を編成、サンザック近郊の無人地帯に夜間上陸させる。  ・この陽動及び支援として、サンザックに第二二駆逐隊主力(駆逐艦“水無月”“皐月”“長月”)による艦砲射撃を行う。  ――こととした。  これに従い、二群の部隊がロッシェル本土上へと向かう。  ……が、先の夜間砲撃の例もある。当然のことながらロッシェル軍はサンザック周辺の海域に哨戒網を布き、夜間も警戒にあたっていた。  王国海軍第三艦隊に所属する、スループ艦“ラ・シール”もその1隻だった。 ――――ロッシェル王国サンザック沖、スループ艦“ラ・シール”。 『生反! 右40、10000、複3の500、近ヅク速イッ!』(生命反応有り。右40度、距離10000パッシス(約15,000m)、500人分の生命反応が3つに分かれ接近中、高速です!) 『魔反ナシッ!』(魔力反応は有りません)  探知室(対水上探知機)から次々ともたされる情報に、“ラ・シール”艦橋は緊張に包まれた。  おりしも夜間の単独哨戒である。戦うか逃げるか、それともやり過ごすか――艦長は難しい選択を迫られる。  艦長は暫し熟考し、命令を下す。 「総員戦闘準備!通信班は(司令部への)打電準備、戦闘開始と共に打電!」  号令一下、既に戦闘配置に就いていた乗組員は、速やかに準備を整える。  甲板では砲に弾丸、バリスタに大矢が装填され、  動力室では“風の魔石”が起動され、  通信室では通信が入力・送信待状態にされ、待機。次の命令を待つ。  スループ艦“ラ・シール”は、優勢な敵――その反応から恐らくスループ艦か小型フリゲートが3隻――相手に戦う覚悟を決めたのだ。  ――やはり、『魔力反応は無し』か……  緊張を紛らす為か、艦長は戦闘に傾注しつつもその頭の片隅で、ふとそんなことを考えた。  生命反応はあるのに、魔力反応は無い――そんな奇妙な現象が、“帝國”との戦闘にあたってしばしば報告されている。  ……そう、丁度今のように。  が、魔力とは生きとし生けるもの全てが持つものであり、如何に魔導師でないにしろ500人からの人間がいれば、発する魔力はかなりのものとなる。探知できない筈が無いのだ。  ――やはり、“ステルス”なのか? ……いや、まさか大内海の蛮族にそんな真似…………  常道からすれば、何らかの魔力低減措置(ステルス)を施している、と考えるのが妥当であろう。何しろ『魔力反応――ことに大魔力を発するワイバーンの――の低減』は中央世界の諸国で研究されているテーマだ、レムリアなどの列強諸国では既に実用段階に達した、という噂もある。が――  ――そもそも、魔力反応“ゼロ”など考えられん……あり得んのだ。  そう、“ステルス”はあくまで『魔力反応を低減する』ことにより『探知され難くする』技術に過ぎない。数十騎もの空中戦力の発する魔力をゼロにするなど、不可能な話だ。  だが、だとしたら敵は、“帝國”軍はいったいどうやって――  まるで得体の知れない“何か”を相手にしている様な気がし、背筋に一瞬冷たいものが走る。  ……もしや、我々は何かとんでもない相手と戦っているのではないだろうか?  まるで史上初めて戦竜軍団の突撃を迎え討ったペルガン王国の一歩兵隊長の様な気持ちで、艦長は“帝國”艦隊を待ち受けた。  さて“ラ・シール”が“帝國”艦隊を発見した時、当の本人は自分が見つかったなどとは露とも知らず、無灯火による隠密航行を行っていた。  “水無月”“皐月”“長月”の3隻は、闇の中をひたすら大陸へと向かう。その速度、14ノット。(これ以上の速度では陽動の役目を果たせない――“新夕張丸”は最高でも15.5ノット――上に危険だ)  当然のことながら、“ラ・シール”の存在には気づいていない。如何な“帝國”海軍の見張員とはいえ、この闇の中で15,000mも先にいる300総トン程の小型船を発見するのは非常に困難なことなのだ。(加えて、本当に腕の良い見張員は旧式駆逐艦などに回されない)  だから、先手を打ったのは当然“ラ・シール”だった。 「“魔法の矢”(*1)発射!」  距離6000パッシスまで詰めると、艦長は攻撃を命じる。  “魔法の矢”は本来対空用だが、魔力結晶を用いた炸裂式の弾頭を持ち、小なりといえどその爆発力は船(木造)に対してもかなりの効果を期待できる。  ……そして何より、対艦戦闘時の最大交戦距離は6000パッシス(約8,800m)である。使わない手は無かった。(艦砲の実用交戦距離は200パッシス(約300m)以下で、長射程弾を用いても300パッシス(約440m)程度……)  ゴウッ!  魔道式バリスタから“魔法の矢”が次々――艦載型の重発射機なので四連装――と放たれる。  全弾発射すると、艦長は次なる命令を下す。 「帆を上げろ! “風の魔石”(*2)最大、右30度!」  ヒュウウウー  “風の魔石”の力により、艦に吹く風が変化する。帆は上げられると同時にこれを捕らえ、そのエネルギーを推進力へと変える。  “ラ・シール”は、速度7ミール(約5.6ノット)で“帝國”艦隊へと突撃した。 ――――駆逐艦“水無月” 「右30度より発砲炎!」 「敵艦らしきもの、距離8,000、方向右30度!」 「何だと!? ――いや、合戦準備!」  見張りからの報告に、艦長や参謀達と“海図”をつき合わせた隊司令は慌てて迎撃を指示する。  ――馬鹿な、我々が先手を打たれるだと!?  夜戦は“帝國”海軍の、中でも水雷部隊のお家芸である。  先制を受けたことに、隊司令は少なからずショックを受けた。  ドンッ!  音と共に、衝撃が襲う。 「一番砲塔に敵弾命中!」 「一番砲塔使用不能、砲員全員死傷!」  次々ともたらされる被害報告。  が、その数秒後、それをかき消す轟音が響いた。  ドッ――――――…………  見ると後方が大きく光り、真っ二つに折れる駆逐艦を映し出している。  あれは―― 「……“皐月”、沈没」 「――――あの馬鹿野郎っ!」  暫し呆然としていた隊司令は、見張り員からの報告に我に返った。  そして、腹の底からの大声で罵倒する。  あの大爆発は魚雷の誘爆によるものだ、間違いない。  が、魚雷は全艦陸揚げし、現在は全艦未搭載の筈だ、その筈だった。  ……しかし、恐らく“皐月”の艦長は、それをしなかったのだ。  『魚雷が無ければ、駆逐艦は駆逐艦じゃあありません。たたのブリキ缶です』  かつて“皐月”艦長が涙ながらに訴えた言葉を思い出す。  兵学校の期数こそ違うものの、同郷で良く知ったる仲ゆえの言葉だ。  ――ああそうだな、まったくの同感だ。俺だって予備魚雷の撤去までは我慢できるが、“魚雷の全廃”なんて到底我慢できんよ。  自分達駆逐艦乗りは、今まで毎日血反吐を吐きながらも水雷戦術の訓練と研究に明け暮れていたのだ。転移により状況が変わったからって、『はいそうですか』なんて納得できない。  その気持ちは痛いほどよくわかる。  ――だが……だがな、俺達は軍人なんだぞ。そんな個人の感傷で、命令に背くことが許されるとでも思っていたのか!?  そしてその結果が“皐月”の轟沈だ。  あの爆発では、多くが即死したに違いない。つまらぬ個人の感傷で、多くの部下を道連れにしてしまったのだ。  ……そして現在は作戦行動中。生き残って漂流している将兵を救助することは許されない。  深手を負っている者も多かろう。が、見捨てなければならない。彼に出来ることは、せいぜいこの戦闘後に浮き輪やボート、食糧などを投下してやること位だ。 「馬鹿野郎……本物の大馬鹿野郎が…………」  隊司令は暫し軍帽を深く被り、絶句した。 「敵艦、尚も接近中!距離6,000、方向右30度!」  ……が、その報告に目を大きく開き、勢い良く号令を下す。 「全艦撃ち方始め! あのクソッタレを叩き潰せっ!」  その数分後、“ラ・シール”は無数の12p砲弾を受けて“皐月”の後を追った。  “帝國”艦隊が夜襲を敢行しようとしていた当時、サンザック港入り口には艦隊司令官自ら率いる第3艦隊(*3)の主力が展開していた。  その戦力、大型フリゲート艦“リベルテ”以下、スループ艦“ファンタスク”“マラン”“テリブル”“トリヨンファン”の計5隻。  残る1個戦隊(スループ艦4隻)を周辺哨戒に当てていることを考えれば、艦隊のほぼ全力といってよいだろう。  彼等は消息を絶った“ラ・シール”の仇を討つべく、そして何よりサンザック港突入を阻止すべく、“帝國”艦隊を待ち構えていたのである。 ――――ロッシェル王国サンザック港沖、大型フリゲート艦“リベルテ”。  さすが王国海軍が4隻しか保有しない虎の子だけあって、“リベルテ”の探知機(生命探知機)は真っ先に来襲する“帝國”艦隊を捕捉した。 『生反! 右10、10000、複2の300、近ヅク速イッ!』(生命反応有り。右10度、距離10000パッシス(約15,000m)に300人分の生命反応が2つに分かれ接近中、高速です!)  伝声管から伝えられる情報に、艦橋は軽い緊張に包まれる。  艦隊司令官は戦闘を行うべく号令を発した。 「最大戦速!全艦続け!」  その言葉は直ちに戦闘通信(*4)を通じ、各艦に伝達される。  命令を受けた各艦は“風の魔石”を発動、単縦陣で旗艦に続く。  10000……9000……8000……  “帝國”艦隊との距離は、徐々に縮まっていく。  そして距離が7000パッシス(約10.300m)程まで縮まった時、それは起こった。  カッ!  強烈な光と音が突如闇を引き裂き、ロッシェル艦隊を照らし出す。  “帝國”艦隊が照明弾を打ち上げたのだ。 「くっ、見つかったか……」  画竜点晴を欠く事態に、艦隊司令官は舌打ちする。  が、こちらは敵の倍以上の戦力だ。このまま―― 『敵増速!はや……40ミールっ!? 敵艦隊は速度40ミール(約32ノット)以上でこちらに向かってきます!』  ……40ミールっ!?  艦橋に、驚愕の声が次々と上がる。 「馬鹿なっ、間違いではないのか!?」  その報告に艦隊司令官は目を見開き、思わず伝声管を奪って探知室に確認する。  現在、味方艦隊の速度は12ミール(約10ノット)――これが“風の魔石”を使い、更に追い風を受けての数字である。  ……にも関わらず敵艦隊は、風下からこちらの三倍以上の速度で向かってくる、というのだ! 『――いえ、間違いありません! 敵艦隊は、確かに40ミールでこちらに向かってきます!』  提督という雲上人からの直接の問いとは知るはずもない探知員は、自信満々に答えた。(彼にも艦隊旗艦探知員――つまり艦隊一番の腕を持つ探知員――という誇りがあるのだ)  それを聞いた艦隊司令官は、伝声管の蓋を乱暴に閉めると振り返り、何かを命じようと口を開く。 「くっ!全艦――」  が、その言葉は轟音でかき消され、最後まで伝えることは適わなかった。 「敵艦発砲!右20度に至近弾です!」 「!? 敵との距離はっ!?」 「……7000パッシス(約10,300m)です。連中、7000で砲撃を開始しました」  信じられない、と言わんばかりの艦隊司令官の問いに、艦長も同様の表情で……だがきっぱりと頷いた。  ……その合間にも敵弾は次々と艦周囲の海面に着弾し、派手な音と水柱を上げている。信じ難い射程、信じ難い発射速度だ。  そして、水柱は徐々に近づいている。このままでは―― 「ええいっ!敵艦隊との距離はっ!?」 「6000パッシス(約8,800m)です!」  それを聞き、艦隊司令官は決断した。 「変針、左90度!全艦“魔法の矢”発射準備!」(*5) 「!? この状況でですか!?」  艦長が声を上げる。  ……確かに、威力設定を最小にすれば“魔法の矢”は届くだろう。  が、この状況で敵前回頭するなど、自殺行為もいいところだ。  それでも、艦隊司令官は命じる。 「このままではジリ貧だ!」 「……わかりました」  艦長とて、他に方法がある訳では無い。(ようは『このまま直進して砲の射程内に入り込む』か『回頭して“魔法の矢”を放つ』か、ジリ貧かドカ貧かの違いだ)  そして何より、上官の命は絶対だった。  命令は戦闘通信を通じ、直ちに各艦に伝達された。  その直後、“リベルテ”艦橋に12p砲弾が命中し、艦隊司令官以下の艦隊司令部員を吹き飛ばした。  ……が、それでも命令は生きていた。  最後の命令に従い、“リベルテ”は敵弾を受けつつも最後の力を振り絞って回頭する。旗艦に従い、各艦も順次回頭を始めた。  が、回頭時に無防備になった右舷に次々と砲弾が命中、ロッシェル艦隊は片っ端から撃沈されていく。  それは、さながら『死の敵前大回頭』だった。 ――――駆逐艦“水無月” 「やはり、いたか」  敵艦隊が待ち構えている、と踏んで照明弾を上げた――どうせもう見つかっている――のだが、どんぴしゃり、である。  前方の、照明弾により照らし出された敵艦隊が、その判断の正しさを証明していた。  意を強くした隊司令は、勢い良く号令をかける。 「最大戦速!撃ち方始め!」  距離10,000で“帝國”艦隊は射撃を始めた。 ……この距離では、敵艦隊に反撃の手段は無い。  5門の三年式12p砲が、毎分50発という高レートで短時間に大量の砲弾を発射する。  圧倒的な優速により距離を保ちつつ、圧倒的な鉄量を叩きつける――が、いっこうに命中しない。 「……夜間とはいえ、酷すぎないか?」 「しょせんはトンボ釣りに回された駆逐隊だ。仕方が無いさ」  誰とも無しに上がった声に、隊司令は憮然として答えた。  如何な精鋭揃いの“帝國”海軍といえど、全員が一流という訳ではない。  加えて、優秀な人員は重要な部隊に優先して回される。  ……そして悲しむべきことに、第二二駆逐隊は重要な部隊とはほど遠い位置にあった。ならば回される人材も推して知るべし、であろう。  これに夜間という悪条件が加われば、こういう結果になるのは当然だった。  ――やはり、もう少し距離を詰めるべきか。  自問しつつも、だが隊司令は首を振った。  今はまだ大丈夫のようだが、これ以上距離を縮めればまた“あの攻撃”を受けるかもしれない。  今度は1隻ではなく5隻だから、さぞかし盛大に撃ってくるだろう。その損害は、馬鹿にならない。  ただでさえ既に駆逐艦1隻と100人からの死傷者を出しているのだ、余計な危険は冒したくなかった。  ……保身、ではない。  監督不行き届きでこれだけの損害を受けた以上、海軍は彼に責任をとらせることは間違いない。  おそらくこの一連の戦いが終れば解任され、予備役に編入されることだろう。  が、だからこそ……であるからこそ、これ以上の損害を出したくなかった。何としても作戦を成功させねばならなかった。  このままで終るなど、真っ平御免だったから。  そう隊司令が逡巡していた時、奇跡は起こった。 「はあ?」 「連中、気でも狂ったか?」  その光景に、“水無月”艦橋に、唖然とした声が次々と上がった。  ……なんと、敵艦隊が突然回頭を始めたのである。敵艦の大きな横腹が、無防備に次々と曝け出されていく。  如何に練度が高くないとはいえ、的が数倍になれば当たらぬ筈が無い。先程とはうってかわり、攻撃が次々と命中していく。 「敵1番艦沈没!」 「敵2番3番艦大火災!」  景気の良い報告が次々ともたらされる。  敵艦隊の全滅は、もはや時間の問題だった。 「天佑、か」  隊司令は胸を撫で下ろした。  第二二駆逐隊が武装カッターを蹴散らしつつサンザック港に突入したのは、それから間もなくのことである。  第一次クローゼ海戦   “帝國”軍(死傷者・行方不明150名以上)     沈没:駆逐艦“皐月”     小破:駆逐艦“水無月”   ロッシェル軍(死傷者・行方不明約700名)     沈没:大型フリゲート艦“リベルテ”        スループ艦“ファンタスク”“マラン”“テリブル”“トリヨンファン”“ラ・シール”        武装カッター複数     その他に地上施設及び人員被害多数。  “帝國”軍側の不満は兎も角、客観的には“帝國”軍の圧勝だった。 *1 ――――“魔法の矢”――――  いわゆる“マジックミサイル”で、この場合はロッシェル王国軍の主力対空(マジック)ミサイルを指す。  本来は対空用だが、作中の用に対艦への転用も可能。(ただしあくまで「戦闘力を喪失或いは低減させる」程度の威力であり、流石に撃沈は難しい)  その性能は以下の通り。    最高速度 400パッシス/針刻(約196m/s)    最大射程 7000パッシス(約10.300m)    最大交戦距離     対ワイバーン・ロード 2000パッシス(約3,000m)     対ワイバーン     3500パッシス(約5,150m)     対水上艦艇      6000パッシス(約8,800m)  なお対空戦闘時には単発では目標に撃ち落される可能性が高いため、1目標につき2発の発射――それも出来れば別個の発射機から――を(教本では)基本としている。  ……が、これでも撃墜率が低い――特に対ワイバーン・ロード――上に故障も少なくないため、実戦部隊では『1目標につき2発射機より2発、計4発の発射』を強く推奨していた。(つまり“ラ・シール”の「四連装発射機×1」という数字は、必要最低限のものでしかない、ということだ)  これは射程についても同様であり、実戦部隊は上の数値の七〜八割を目安としている。ただ爆弾を投棄させたり疲労させたりするのではなく、撃墜を狙うのならば、最低でもそれ位のことをしなければ期待できなかった。 *2 ――――“風の魔石”――――  艦の周囲を風の結界で覆い、結界内の風を自在に操る魔道機械。“戦闘時に用いる補助機関”であり、戦闘機動時には欠かせぬ存在だ。 (ちなみに“帝國”海軍もこれを導入している。ただし補助空母の速力不足を補うための“艦載機運用用”ではあるが) *3 ――――第3艦隊――――  王国南部海域の警備を担当する方面艦隊。司令官は少将。  その編制は以下の通り。  “方面”艦隊×3(司令官 少将)    ┣━艦隊司令部    ┣━警備艦隊(司令官直卒)    ┃  ┣━直属:大型フリゲート艦×1    ┃  ┗━戦隊×2:各スループ艦×4    ┣━根拠地×4    ┗━海兵連隊       ┣━連隊司令部       ┣━戦闘中隊×3       ┣━訓練中隊       ┗━連隊段列  ちなみに、根拠地とは「周辺海域の警備」及び「艦隊支援」を任務とする“基地隊”。 *4 ――――戦闘通信――――  この場合、海軍艦艇が僚艦との連絡時をとる際に使用する魔道通信を指す。  特徴としては「指向性が極めて強い」「到達距離が極端に短い」「送信可能な情報量が少ない」「安価で信頼性が高い」等が挙げられる。 (つまり傍受どころか探知さえ難しい、ということだ) *5 ――――「変針、左90度!全艦“魔法の矢”発射準備!」――――  “魔法の矢”は広い射界を得るため、多くの場合艦尾最上甲板に設置される。故にマストが邪魔し、艦前方に直接発射することは不可能だった。  (それでも前方の敵を攻撃することは不可能ではないが、ロスが大きく射程が実質10〜20%程も減少する) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【20】  挺身部隊(駆逐艦“水無月”“長月”)がサンザック港に突入しようとしていた丁度その頃、輸送部隊(駆逐艦“文月”及び輸送船“新夕張丸”)もまた目的地に到着していた。  場所は、サンザック南東40kmに位置するエギット岬。後方で遊弋する“文月”の援護の下、“新夕張丸”は海岸数百m沖という近距離で投錨、揚陸作業を開始する。  挺身部隊が派手に暴れまわったお陰か、はたまた市街から大分離れた地点に上陸したことが幸いしたのか、敵の妨害は一切無い。軽装備ということもあり、夜明け前に揚陸を完了した。  陣容を整えた一木支隊は、夜陰に紛れ一路北西へと進む。  計画としては、昼間は森林に身を潜め、行軍は主に夜間に行うことによって可能な限り隠密裏にサンザックを衝く、というものだ。  ……が、これは流石に虫の良過ぎる考えだったらしい。上陸した翌日には、もうその存在が王国軍に知れることとなった。 ――――ロッシェル王国サンザック郊外、オート砦。 「……森の中に見慣れぬ集団だと?」  オート砦の守備隊長であるベルモン大尉は猟師からの通報に眉を顰め、重ねて質問する。 「規模は?」 「猟師の話では、20〜30人だそうです」  ですが直ぐに逃げた様なので、あまりアテにはならんでしょう、と報告する下士官は付け加えた。  これを聞き、部下の少尉が意見を述べる。 「山賊では?幾らなんでも少な過ぎます、“帝國”軍ならその10倍は上陸させる筈です」 「しかし、それだけの規模の賊が存在する、という報告は無い」 「混乱乗じた可能性もあります」 「確かに、な。火事場泥棒を目論む輩が出ても不思議ではないだろう。 ……が、これが“帝國”軍の偵察隊で『本隊は別にいる』という可能性もある」  何れにしても、放っておける報告ではない。  ベルモン大尉は砦を出、捜索を行うこととした。  当時、ヴィエンヌ軍管区隷下のヴィエンヌ歩兵連隊は既に戦時体制に移行しており、第3大隊を臨時編成していた。(*1)  同大隊は軍管区直属の機動戦力、虎の子としてサンザックに留め置かれており、うち半数の4個中隊が周辺の警戒に当てられていた。  一木支隊が上陸した地点より最も近い地にある駐屯地、オート砦に駐屯していた第37中隊もその一つであった。  ……故に、ベルモン大尉を含めた将兵全員が予備役である。  が、その練度に不安は無い。  兵は皆、最低でも5年間の軍務を経験している古兵である。加えて、ついこの前――長くとも数年前――に除隊したばかり。年30日の訓練も受けており、何の心配も無いだろう。  唯一の不安は『将校が些か“とう”がたっている』ということだが、それとて老人という訳ではない。体力がやや劣っている代わりに十分な経験がある。  こういった部隊は、未だ除隊最低年限にも達していない兵が大半の現役部隊よりも、むしろ頼りになる――そう評する指揮官も、少なく無い。  無論、ベルモン大尉もその一人である。  であるからこそ、彼は正体不明の集団が“帝國”兵であった場合の不安など、些かなりとも持ち合わせていなかった。  むしろ、内心望んでいた、と言っても良い。  ――こんなチャンスは滅多にあるものではない、これを奇禍として是非手柄を立てたいものだ。  ベルモン大尉は一番槍を上げ、軍功を挙げることを目論んでいた。  一介の騎士に過ぎぬ彼は、そうしない限り世に出る目が無い。  退役して尚、彼は野心を捨てていなかったのである。  閑話休題。  さて、ここでロッシェル王国軍歩兵中隊の編制を少し見てみよう。  中隊は歩兵の最小編制単位であり、定員は約100名。標準的な編制は大尉1、中尉1、少尉2、曹長1、軍曹5、伍長8、兵80の98名(この他に段列や将校の個人従卒等が存在するが非軍人であるため省略)。  必要に応じて1/2中隊2個や1/4中隊4個等に分かれるが、基本は中隊一丸での行動を旨とする。  ……そうでなければ、打撃力が余りに低いからだ。(匪賊討伐や残敵掃討ならともかく、会戦において中隊以下では到底戦力足り得ない)  彼等歩兵の武器は、銃剣付のマスケットに擲弾(*2)と、まるでナポレオン時代のそれである。“帝國”軍から見ても十分に戦闘機(ワイバーン・ロード/ワイバーン)や戦車(戦竜)として通用するドラゴン達、そしてやはり様々な近代兵器に匹敵する魔道兵器が激突する中央世界の戦場において、アンバランスとも言える非力さだ。WWUの欧州戦線にナポレオン時代の歩兵が登場する――そんな違和感すら感じさせる。  が、実はこの奇形的な現象こそが、アルフェイム世界と地球世界の差異を雄弁に物語るものだった。  戦闘用のドラゴンや各種魔道兵器は強力だが高価であり、かつ(多くの場合)重厚長大な存在である。故に、貴族や士族といった“選らばれた階級”のみが唯一、使い得た。  対する平民(歩兵)は、マスケットに擲弾……これでは貴族士族(ワイバーンや戦竜)に敵う筈も無い。故に平民はあくまでドラゴンや各種魔道兵器を操る貴族士族の補助、下働きに過ぎぬのだ。(彼等平民が主役となる戦闘など、せいぜい匪賊討伐や残敵掃討ぐらいのものだろう。これらの任務は極めて重要だが、所詮は裏方仕事だ)  要するに、地球世界において(銃の普及等により)戦士階級が没落した様な現象が、アルフェイム世界では未だ起きていないのである。それどころか、魔道の進歩に伴いその差は開く一方だった。  ……これは武力だけに止まらない。  日常生活を快適にする、冷暖房や冷蔵庫を始めとする様々な魔道機械、  文字通り寿命を左右する、魔道医の医療魔道、  中央世界中の情報を瞬時に提供する、(提供量はともかく)質的には“帝國”の数十年先を行く大容量高速通信、  等々、このように魔道の恩恵を受けられる者(貴族士族や富豪)と受けられない者(平民)の生活レベルの差は天と地ほどもある。  『支配者に絶対的な武力と情報を与える』『一部の選ばれた者のみがその恩恵に与る』――それこそが、魔道というものの本質だったのだ。 (加えて、魔道は科学の発展を抑え込んでいた。それ故、この世界の科学レベルは産業革命の一歩手前で停滞を余儀なくされていた)  話は少し逸れたが、その様な訳で中央世界において歩兵は到底主力足り得ず、その割合も地球世界と比べて小さかった。(それでも軍の最大勢力には変わりなかったが……)  当然、その地位も低い。であるからこそ、非貴族のベルモン大尉にも出世するチャンスがあった。  ……もしかしたら現役復帰を許され、少佐になれるかもしれない。そうなれば家格が上がり、以後子供や孫が出世し易くなる。(*3)  子孫達は自分をベルモン家中興の祖と称えるだろう、百年二百年とその名を覚えられるのだ。こんなにも喜ばしいことは、誇らしいことは、無い。  ベルモン大尉は、野望と呼ぶには余りにもささやかな夢を見て、砦を出た。  中隊は森に入り、捜索を続ける。  そして森林を抜ける直前、“帝國”兵の集団を発見した。  ……(彼等が知る由もないことだが)一木支隊が放った将校斥候隊の30名だ。  幸いまだこちらに気付いていないが、それも時間の問題だろう。  ベルモン大尉は頭の中で素早く計算する。  敵は約30と、我々の1/3以下だ。  距離はおよそ100バッシス(約150m)。駆け足ならば10針刻(30秒)もかからず……いや、背嚢を捨てさせれば7針刻(21秒)で到達できる。  その間、敵は1銃あたり6〜10点刻/発(*4)として1銃1発撃てるかどうか、撃てたとしても発射可能な弾丸は30発だ。  ……ただその場合、想定銃撃距離は目と鼻の先なので、かなりの損害を出すだろう。15名は覚悟した方が良い。  が、かなりの確率で装填前に白兵戦に突入できることもまた確かだ。運が悪くとも、そのまま数の差で押し潰せる。うん、賭ける価値はあるな。  瞬時に決断したベルモン大尉は大声で叫んだ。 「背嚢投棄!総員突撃!」  喚声を上げ、1個中隊100名が突撃を開始した。  精兵をもってなるロッシェル兵らしく、密集隊形ではなく散兵での突撃――突撃阻止の難易度が格段に上がる――だ。  これに気づいた敵が素早く体勢を整え、射撃体勢に入る。反応が早い、向こうも精兵だ。 「チッ!」  ベルモン大尉は思わず舌打ちした。用意のいいことに、予め銃弾まで装填していやがる。(火縄銃ではこうはいかない!)  が、銃撃距離は100バッシスと有効射程ギリギリである。加えて慌てて撃つだろうから、命中率はそう高くないだろう。不発だって多いはずで、せいぜい一割も命中(死傷2〜3人)すれば御の字だ。  ……加えて、次の装填が致命的に遅れる。次射はないと見て間違いない。  勝利を確信し、ベルモン大尉は笑みを浮べた。  ――この一撃に耐えれば……何っ!?  ダーン! ダーン! ダーン!  笑みが、驚愕で歪む。  重い、聞いたことの無い独特の発射音。  その直後、20を超える兵が倒れた。  ……その命中率、80%超。  ――馬鹿な、あり得ない……  信じられなかった。  ロッシェル王国軍の実験では、小銃の命中率は人間大の目標に対し、平均的な射手――それでも他国から見ればヴェテランだが――で   50バッシス(約74m)において、命中率60%。   75バッシス(約110m)において、命中率50%。   100バッシス(約150m)において、命中率40%。   150バッシス(約220m)において、命中率25%。   200バッシス(約300m)において、命中率20%。  となっている。が、これはあくまで静止目標に対する、理想的な環境下での“理論上の数値”に過ぎない。(少なくない確率で生じる不発すら無視している!)  実戦での疲労と緊張の中で動く敵を目標にすれば、数値はこの数分の一にまで落ち込むだろう。特に100バッシスを超えた遠距離では、途端に命中率が落ちることが知られている。  故に、ロッシェル王国軍は最大有効射程を100バッシスと定め、その命中率を1/8(12.5%)と見積もっていた。  ……だから、あり得ないのだ。『100バッシス弱で命中率80%』などという数字は。  が、そんな彼を嘲笑うかの様に、次の射撃音が響いた。そんな。早い、早すぎる……  ダーン! ダーン! ダーン!  やはり、20を超える兵が倒れた。  が、敵は些かの手も緩めず、射撃を続行する。  まったく装填操作をぜずに、ただ片手を軽く動かすだけで、次の射撃に移る。  ――連発式…だと……  想定外の出来事に、愕然とする。  が、その心情とは裏腹に、彼の軍人としての部分は冷静に状況を観察していた。  ……前提が、崩れた。  ベルモン大尉は失敗を悟る。  ダダダッ! ダダダッ!  今度は、発射音がほとんど連続した銃撃が聞こえ始めた。 ……どうやら、敵は更に高性能の銃を投入し始めたらしい。  対する中隊は、既に半数を割り込んでいる。このままでは全滅は時間の問題だ。  が、もはや後戻りは出来ない。進むも死、退くも死……ならば一縷の望みを賭け、突撃を続けるしかない。  それは、悲壮なまでの決意だった。  ベルモン大尉は最前列に立ち、軍刀を振り上げて叫ぶ。 「怯むな!続け!」  次の瞬間、ベルモン大尉は敵弾に倒れた。  中隊長が倒れても尚、中隊は突撃を続ける。  他の多くの国々の兵ならば、とっくに崩壊していただろう。  が、彼等は崩れない。  いや、崩れる訳にはいかぬのだ。  ――怖い……怖い……死にたくないっ!  デルボワ卒長は、目を瞑りしゃにむに駆けていた。  身は恐怖で震え、失禁までしながらも、駆ける。ひたすら駆ける。  が、逃げない。逃げられない。  “郷卒”である彼に、逃げることなど許されなかったのだ。  他の多くの同僚と同様、デルボワ卒長は“郷卒”だった。  “郷卒”とは『“卒郷”出身の兵卒』のこと、そして“卒郷”とは『除隊した元兵卒達の村』のことである。(ちなみにどちらも俗称だ)  ロッシェル王国において、規定の軍務を終えた退役志願兵は、“卒郷”に家と田畑を貸し与えられ、そこで生涯暮らすことを許されている。  要は『国から農地を借りている小作人』という立場だが、通常の小作人と違うのは『小作料を納めなくても良い』ということだ。  それどころか、“作り取り”である。  自作農ならば、税25%/諸経費35%掛かり、可処分所得40%。  小作農なら、上記に更に15〜20%の小作料が加わり、可処分所得は20〜25%にまで低下する。  これに対し、“卒郷”では税の代わりに5〜10%の村会費を払わねばならぬとはいえ、可処分所得は55〜60%にも達する。  同規模の自作農の五割増、小作農ならば二倍半〜三倍の手取り――これは大きい。さして広くない農地だが、家族でさして贅沢せずに暮らすだけならば十分な収入だろう。  加えて、公的に保証されたものではないが、慣例として士族に準じた待遇を受けることができる。  つまり、周囲の村の農民達は“卒郷”の者に出会えば道を譲り、頭を下げねばならぬのである。たとえ地主であっても、譲らねばならぬのだ。  また、『士族に準じた待遇を受ける』ということは、こういった名誉だけに止まらず実質的な利益をももたらす。  例えば、各種の魔道の恩恵を、(一定の制限があるとはいえ)士族価格で受けることができる。魔道医の治療を受けることだって不可能ではないだろう。(これは寿命の長短に直結する)  ……これだけ恵まれた待遇が、保証されているのである。当然のことながら、この“利権”を他人に渡す手は無い。  かくして“兵になる権利”は子へ、子から孫へと受け継がれる様になり、いつしか兵は“卒郷”出身者で独占される様になった。  半ば譜代化した彼等を、世間は“卒族”と呼んだ。 ……新たなる階級の出現である。  が、彼等“卒族”は、厳密にはあくまで平民に過ぎない。  王国はこの状況を黙認――国にとっても悪い話ではない――しつつも、兵役をまっとうできなかったり、軍務違反があったりすれば、容赦なく“卒郷”から追い出した。(場合によってはその家族すらも、だ!)  ……彼等に己の立場を思い出させ、身の程を弁えさせるために。  “卒郷”から追い出された元“郷卒”は悲惨だ。  平民でありながら準士族として遇され、様々な恩恵を受けていた彼等を庶民は羨望と嫉妬を込めて“蝙蝠野郎”と呼び、決して快くなど思っていない。  だから、そのしっぺ返しを受けるのだ。  それを知るからこそ、“郷卒”は“郷卒”でなくなることを恐れた。  だから、デルボワ卒長は駆ける。  待遇以上に恐怖が……家族への想いが、彼を縛っていた。逃げることなど、できない。  ――なんて…なんて遠いのだ……  僅か100バッシス、駆ければ6〜7針刻の距離。  が、遠い。果てしなく遠い――  ……それが、彼の最期の思いだった。  彼もまたベルモン大尉同様、敵弾に倒れ伏したのである。  結局、中隊が“帝國”軍に達することはなかった。  彼等が放つ銃弾の前に、ひれ伏したのである。  “帝國”軍30名が放った銃弾は、およそ150発。  無論、全力ではない。それ以上は『必要でなかった』――それだけのことだ。(ただ、当時の“帝國”陸軍の運用思想では限界に近い数字だろうが……)  ……が、それでもこれはロッシェル歩兵のおよそ150〜225名分、およそ2個中隊のそれに匹敵した。  命中率を考えれば1個大隊(8個中隊)、射程や威力等を加味すれば『2個大隊以上』と言っても過言ではない。  僅か1/4個中隊相当の“帝國”兵が、それだけの火力を発揮したのである。  雑兵に過ぎぬと思われた歩兵が、戦場の主役へと躍り出た瞬間だった。 *1 ――――『ヴィエンヌ軍管区隷下のヴィエンヌ歩兵連隊は既に戦時体制に移行しており、第3大隊を臨時編成していた。』――――  ロッシェル王国軍においては、歩兵連隊は州内の募兵や新兵の訓練等を行う管理単位であり、戦闘単位ではない。  各州に1個、計16個(除く近衛)が置かれている。その編制は以下の通り。    歩兵連隊     ┣━連隊司令部     ┣━第1歩兵大隊     ┣━第2歩兵大隊     ┗━連隊段列  第1大隊は歩兵軍に提供され(故に、通常はその隷下に無い)、  第2大隊は歩兵に限らず新兵全般の訓練を担当し、上記第1大隊や各軍に人員を提供する。  ……但し、有事には予備・後備役や新兵をもって第3以降の大隊、或いは独立中隊を臨時編成することがある。今回も同様だ。 (とはいえ装備や物資、人員・予算の兼ね合いから、せいぜい第3大隊の臨時編成がいいところであろう) *2 ――――銃剣付のマスケットに擲弾――――  マスケットの主力は滑腔式マスケットで、点火方式はフリントロックである。(仏の“シャルルヴィル”や英の“ブラウン・ベス”と同レベル、と考えてよいだろう)  施条式マスケット――いわゆる“ライフル”――も存在したが、コストや装填が困難なことから軍用としては一部に装備されるにとどまっている。これとは逆に、マッチロックを点火方式として用いる滑腔式マスケット――いわゆる“火縄銃”――は、現在では流石に旧式化しているにも関わらず未だに大量保有され、後方部隊や二線級以下の部隊に配備されている。  なお、擲弾とはいわゆる“手投げ弾”のこと。多くの場合、中空の球形鋳物に黒色火薬を詰めて導火線を付けただけの物に過ぎない。 *3 ――――『……もしかしたら現役復帰を許され、少佐になれるかもしれない。そうなれば家格は上がり、以後子供や孫が出世し易くなる。』――――  よほど優秀な場合、或いは抜群の功績を挙げた場合を除き、その出世は家格に左右される。(その優秀な者ですら、出世には限度があった)  例えば軍の場合、  平民は兵卒で終る。  一般士族は伍長見習から始め、曹長で終る。  上級士族は伍長見習から始め、中〜大尉で終る。  下級貴族は少尉見習から始め、少佐で終る。  中級貴族は少尉見習から始め、中〜大佐で終る。  上級貴族は少尉見習から始め、将官になれる。  ……これが“相場”である。この壁を乗り越えるには、上記の様に“よほど優秀”か、或いは“抜群の功績”を挙げなければならなかった。  ちなみにベルモン大尉は騎士、即ち上級士族(称号を持つ士族)である。  “帝國”風に例えれば「100石〜200石級、最大でも300石(俵)未満の下級旗本」といった所か。 (世間では『騎士は“最下級の貴族”』と見做されているが、少なくともロッシェル王国においては法的には士族に過ぎない) *4 ――――『1銃あたり6〜10点刻/発』――――  1銃あたり1発撃つのに18〜30秒かかる、という意。2〜3発/分  なおこれは散兵隊形で突撃する目標に対する数値であり、密集隊形で突撃する目標ならば4〜5発/分の射撃が可能。