帝國召喚 改訂版 第1章「クノス島攻略戦」 【6】  報告を受けたヴィエンヌ軍管区司令部は、ガリ少佐の予想通り反攻作戦の凍結を指示、以後別命あるまで積極的な攻勢を禁じた。  そして一軍管区では手に余る作戦と判断し、王都シャラントに事の次第を報告したのだった。  ――かくして、舞台は地方から王都へと移ることとなる。 ――――王都シャラント、王城。  ヴィエンヌ軍管区からの報告を受けた軍務大臣――各軍管区は軍務省隷下――は直ちに参内し、国王に奏上した。 「――もはや、軍務省の手に負える事態ではありません。至急野戦軍を編成し、送るべきかと存じます」  軍務省は基本的に“軍の行政機構”であり、軍令に関する権限も無ければ能力も無い。(大体、軍務大臣からして文官だ)  まあ国内の警備位は行うが、あくまで軍最高司令官(元帥)たる国王を、後方から支える存在に過ぎないのだ。  ……故に今回の様に『国内警備のレベルを越えた』場合、こうして手を引かざるを得なかったのである。  国王は軍務大臣の言葉に厳かに頷くと、傍に控えている侍従長に重臣達を集めるよう命じた。  当代のロッシェル王フィリップ3世は、王としての教養こそ一通り身に着けているものの極めて凡庸であり、大国ロッシェルを導くには些か心もとない人物――少なくとも本人はその様に自覚している――だった。  故に、王は何事もまず重臣に諮り、その多数たる意見を基に政策を決定することを身上としている。  今回もまたそれは変わらない。王は己の意見、感情を一切出さず、先ず重臣達の意見を求めた。 「そなた達の忌憚無き意見を聞きたい」  国王は集まった重臣達の前でそう宣言すると、後は一切の発言を止めてしまう。  が、王のやり方を心得ている重臣達は、口々に意見を述べ始めた。 「陛下、やられた以上やり返すのは当然のこと、“帝國”の拠点であるピグニス諸島まで進軍すべきです」 「こうなったそもそもの原因として、“帝國”に対して様々な便宜を図った挙句、拠点まで与えたイルドーレが挙げられます。きゃつ等にも責任を取らせるべきでしょう。  “帝國”だけでなく、イルドーレに対しても軍事的制裁を行うべきです!」  その言葉に、口々に同意の声が上がった。  が、否定的な意見もまた少なくない。 「……しかし、イルドーレは我々と同じく“大陸同盟”に加盟する同盟国ですぞ? イルドーレに責任を取らせることまでは否定しませんが、流石に軍事的行動は……」  外務大臣が、その立場から真っ先に反対した。  イルドーレ王国に圧力をかけるのは悪くない手だ。が、それが軍事的なものとなると話は変わってくる。  イルドーレ王国は親“帝國”の立場をとってはいるものの、ロッシェル王国と共に大陸同盟の一員である。他の同盟諸国に対する根回し無しでの軍事行動は外交的に大きな失点、ひいては同盟内におけるロッシェルの地位低下に繋がりかねなかった。 (何しろ同盟内には足を引っ張ろうとする輩に事欠かない。彼等はあわよくば同盟内におけるロッシェルの権益を掠め盗ろうと、鵜の目鷹の目なのだ)  ロッシェル王国が大陸同盟を外交の主軸としている以上、それは絶対に避けなければならない事態だった。 「何も、『イルドーレ全土を制圧しろ』とまでは言っていない! “限定的な制裁”を、と言っているのだ!」  軍事制裁に賛意を示すグループの面々が声を荒げた。  外務大臣の立場は理解するが、だからといって妥協する気は無い。  この大ロッシェルが、吹けば飛ぶような小国イルドーレに“舐められている”のだ、多少なりとも“教育”してやらねば、“しめし”がつかないではないか!  が、その主張はたちまち財務大臣の痛烈な反撃にあった。 「反対だ、絶対反対だ。『イルドーレ全土の制圧』などとてもペイしない、“限定的な制裁”とて同様、赤字の大小の差に過ぎん。 ……認められんよ、絶対に」  そんなことよりも問題は、此度の戦争の費用をどう補填するかだ、と財務大臣は声を大にして主張する。  当初の目論みは外れ、必要とする時間、人員、物資……そして費用は飛躍的に増大した。  ――である以上、いや仮にそうでなかったとしても、その損失をどこかで補填、出来れば黒字化する必要がある、と。  戦争は、外交の一手段であると共に経済活動の一環でもある。  故に、戦争を行う者はその支出と収入――何も物質的なものに限らず有形無形の――には、常に目を配らねばならないのだ。 「無論、その支出と収入には“面子”などといった無形の物が入っていることは否定しない。国の体面、男子の面子大いに結構! ……が、金銭もまた同様に重要だ。戦争をやるからには、体面も金銭も全てが独立採算で黒字でなければならん!  『体面は守ったが赤字だった』『黒字だったが体面は保てなかった』など、許されないのだよ!!」  財務大臣はそう言葉を締めくくった。  王国の台所を預かる彼からすれば、儲かる見込みの無い戦争など絶対却下だ。 (コイツ等は口で威勢のいいことばかり言うが、そのツケを背負わされるのは常に自分達財務省なのだ) 「……では、財務大臣はどうせよ、と?」  余りにも“あからさま”な財務大臣の主張で冷や水をかけられた形の面々は、些か憮然として問うた。  と、財務大臣は『何を当たり前のことを』といった表情で答えた。 「侵攻は最低限に。だが、収入は最大限に」  “帝國”には血で、イルドーレには金銭でもって贖って貰う――そう財務大臣は主張した。  実の所、クノス島奪還に関しては既に規定路線として暗黙の了解がなされている。  故に問題は『何処までやるか』であるが、これに関しては様々な意見が存在した。  と言うのも、面子とそれに対する経済的外交的なコストの評価が人それぞれであることに加え、“帝國”という海のものとも山のもの知れぬ国家をどう評すべきか、一体如何程の賠償を得られるのか、一向に見当がつかなかったからだ。  が、財務大臣は、まるで悪徳高利貸しの様に『イルドーレにも払わせる』と主張する。  無論、他の者達とてイルドーレに対する賠償金の請求を考えていたが、多分に形式的なものであり、財務大臣のそれとは意味合いも金額の桁も違うことは明白だった。 「先ずクノス島周辺の“帝國”軍を撃破、同島を奪還する。その後、ピグニス諸島を制圧、“帝國”に賠償付の講和を認めさせる。 ……まあ、賠償に関してはどの程度の額になるかは不明だがね。  これと並行し、イルドーレに対しても外交圧力を加え、謝意と賠償を引き出させる。何、わざわざ攻め込まなくとも、軍をピグニス諸島まで進めれば一発だろう。交易を制限する、という手もある」   「……イルドーレにそんなカネがありますか?」  場の空気を代表して、一人が疑わしげに問う。  イルドーレが貧しい小国である上、借金に塗れていることは有名な話なのだ。とても自分達が満足すべき額を吐きき出せるとは思えない。 「ピグニス諸島を割譲した際、“帝國”はイルドーレに大金を支払っている。加えて“帝國”は大量の物資を同国から調達している。財政は大分楽になった筈だ」  その限界まで吐き出させるのだ、と財務大臣は主張する。 「……具体的には?」 「600万レムリア・リバーを20年賦、複利6分で」  だいたい年50万レムリア・リバー、20年で1000万レムリア・リバーといったところか。  50万レムリア・リバーと言えば、一郡(人口1万人前後)の税収にも匹敵する額だ。それが20年――悪くない話である。  が、同時にイルドーレの国家歳入の約二割に相当する額でもあった。残っている借金も考えれば、イルドーレは歳入の過半を返済に当てねばならなくなってしまう。  ……その意味するところは―― 「流石にそれは…… 仮に実行した場合、イルドーレは“台所預かり”となりますぞ?」  流石に哀れみを感じたのか、躊躇する者がちらほら声を上げた。  “台所預かり”とは、借金を返せなくなった貴族士族が陥る事態で、具体的には『家の財政を借金の貸主共に委ねる』ということだ。  まあ士族でも非常に不名誉な話で、仮にも一国がなるなど前代未聞、多分ありえない話だろう。 ……が、それに近い状態になる可能性は高い。少なくとも、歳入源の多くは“差し押さえ”となる筈だ。  が、財務大臣はばっさりと切って捨てた。 「連中には二.三十年程、地べたに這いずり回ってもらう。 ……軍事侵攻より、余程いい懲罰になるだろう?」  そう言われると沈黙するしか無い。  財務大臣の案は、王国が最も得をする案なのだから。 「……財務大臣は『侵攻は最低限に』と仰ったが、ピグニス諸島まで兵を進める、と?」  てっきりクノス島奪還で兵を止める、と主張するかと思っていた者達が、心底意外そうに問うた。  それに対し、財務大臣は肩をすくめて答える。 「無論だ。賠償にピグニス諸島を入れられて、その分減額されてはかなわんからな。幸い、クノス島とピグニス諸島は目と鼻の先、ついでに獲っておく方が“得”だ」  ……これらの余りに身も蓋も無い言葉に、思わず笑い――ただし底意地の悪い――が洩れる。  何のことはない、財務大臣はこの中で最も“帝國”とイルドーレに対して強硬な案を提出したのである。  先程まで険悪になりかけていた空気は、たちまち吹き飛んでしまった。 「……財務大臣もお人が悪い」 「金の亡者ですな!」 「が、悪くは無い」 「ああ、私も賛成だ」 「大蔵大臣の案に、『当初よりイルドーレ王国に対して外交圧力を加え、“帝國”軍の行動を阻害する』という修正を加えて賛成します」  外務大臣のその言葉に、誰も反対する者はいなかった。  ――結局、会議は以下の結論を得て終了した。  ・増援として野戦軍を編成し送る。  ・先ずクノス島周辺の“帝國”軍を撃破、同島を奪還する。その後、ピグニス諸島を制圧、“帝國”に賠償付の講和を認めさせる。  ・上と並行し、イルドーレ王国に対して外交圧力を加え、謝罪と賠償を引き出すと共に“帝國”軍の行動を阻害する。  ・上と並行し、大陸同盟諸国に働きかけ、イルドーレ王国を孤立させる。  国王は軍に対し、直ちに上の目的を達成する作戦を立案する様に命じた。  王命を受けた軍は直ちに作戦を立案、奏上した――ここまで書き、筆者ははたと筆をおいた。  ……実の所、この表現ではかなりの“誤解”を生む恐れがあるからだ。  『王命を受けた軍は直ちに作戦を立案、奏上した』  さて、読者の方々は上の表現をどう読まれるだろうか?  恐らく、(最高軍司令官たる)国王を輔弼する参謀本部が作戦を立案した、と考えるに違いない。  が、実の所、その様なモノは当時のロッシェルには存在しなかった。何故なら、この世界には“参謀制度”が存在しなかったからだ。  19世紀初頭〜前半にかけてプロイセン王国陸軍が確立したこの近代軍制――それも最も重要なものの一つ――が存在しない以上、“統一的に軍令を司る常設機関”など存在し得なかったのである。  ……とはいえ、それに対をなす“統一的に軍政を司る常設機関”は存在する。先の軍務省がそれだ。  軍務省は、軍の行政事務に関する全ての権限(と責任)を国王より委託された存在である。複雑・高度化する一方のこの分野は、組織で当たらねばとても対応できなかったのだ。 (同様に各級部隊でも、後方支援等の裏方事務に関する全ての権限(と責任)を指揮官より委託された集団が存在する)  尤も、“軍令”に関しても同様のことが言える。ワイバーンの登場により陸海空の三次元となった戦場は、魔道通信の発展に伴いその範囲は広がる一方だ。加えて昨今では、兵科の分化と高度化も進み、要求される知識はより“広く深く”なっている。本来ならば、とうに“指揮官と参謀団”といった集団指導体制が出来ても不思議では無いだろう。  ……が、後方支援や行政事務等の“雑事”に関しては、『“雑事”は下々に任せ、指揮官は神聖なる戦闘指揮に専念すべき』として比較的スムーズに委託されたものの、『神聖なる戦闘指揮』の分担に関しては手付かずのままだった。  戦闘指揮を分担されるだけでも重大な主権侵害だというのに、ましてやプロイセンの参謀の様に“指揮官を牽制する連中”など、その存在を歓迎される筈もなかったのだ。(というよりも『この世界の常識』からすれば、自分よりも上位の各級指揮官に対してあれこれ“指導”する様な存在は有り得ない)  無論、各級指揮官……ことに上級指揮官ともなると少なからぬ数の補佐役が付く。  が、彼等はあくまで“補佐”であり、指揮官の細々とした雑用を引き受ける“秘書”に過ぎない。時には助言したり“軍師”の様な存在もいるだろうが、あくまで『責任も無ければ権限も無い』という、参謀とは似ても似つかぬ存在なのだ。  ……これでも今までボロが出なかったのは、『ここ暫く大きな戦争が無かった』ことに加え、『どこも似たようなもの』であり露見しにくかったからだろう。  軍務省を始めとする軍行政機構が無ければ軍は一日たりとも存在し得ないが、参謀団がいなくともまあ軍は存在できる――そもそも“帝國”世界からして参謀制度が整ってからまだ百年経っていない――ということだ。  話は長くなったが、要するに参謀本部の様な組織は存在し得ない。  最高軍司令官たる王を軍令面から支える“組織”など、存在しないのだ。  が、現実問題として歴代の王が必ずしも軍に精通している訳ではないし、ましてや王一人で全軍を統括できる筈でも無い。  故に“組織”ではないものの、王を軍令面から支える“集団”が存在した。  侍従武官と軍事参議官である。  侍従武官は、宮内にあって王の傍に侍る中堅〜上級将校だ。通常の侍従と同様に『王の“私的な使用人”』としての立場であり、公的な発言権こそ無いが、日頃より王と接しているだけあってその信頼は厚く、無視できぬ影響力を持つ。  軍事参議官は、有力な将官が退役した後に任じられるポストで、どちらかと言えば名誉職な意味合いが強い。が、侍従武官とは異なり公的な発言権を持ち、その影響力はより大きい。  ……とは言うものの、両者共に公的私的の差は有れど一種の顧問団に過ぎず、とてもではないが王国軍全般を統括する様な能力も権限も無かった。  要するに、各軍は王に直結しているものの、その繋がりは必ずしも機能的なものでは無かった、という訳だ。  では上の表現を正確に書き記し、話を続けよう。  王命を受けた軍事参議院――王の軍事顧問団の様なもの――は直ちに作戦の立案作業にかかった。  普段ならば『誰を指揮官とするか』『どの兵科が主力となるか』『どの様な戦術を採るか』等で一悶着あるのだが、今回に関しては実にスムーズだ。(それだけ選択の余地が無い、ということだろう)  先ず彼等は『クノス島からの報告』と『イルドーレから送られ、今まで埃を被っていた報告』を詳細に検討し、ピグニス諸島の“帝國”軍の評価を大幅に修正した。  ……どう評すれば良いのか判断に悩むが、実は今までの戦力評価は、常識という名の思い込みで行なわれていたのである。 (まあこれは“帝國”軍とて同様であり、ある意味『似た者同士』ではあるのだが……)  こうして軍事参議院は、“帝國”軍を『空中戦力:1個〜1個半連隊、陸上兵力:最大1000人、海上戦力:戦列艦数隻』と算出。これに基ずき『空中戦力:飛竜連隊4個(ワイバーン・ロード2個+ワイバーン2個)の増強飛竜騎士団、陸上戦力:半個野戦軍、海上戦力:1個艦隊、他:左記を支援する諸部隊』という戦力を要求した。  ……が、この要求は『余りに過大過ぎる』と二度目の評定で反対が続出、結局『空中戦力:1個飛竜騎士団、陸上戦力:1個増強歩兵大隊、海上戦力:1個戦隊、他:左記を支援する諸部隊及びクノス島常備戦力』と凡そ半分に減額されてしまった。  軍事参議院としては大いに不満がある決定だったが、如何にせん王が決断した以上は仕方が無い。彼等は与えられた戦力を前提に作戦の立案を行い、再度奏上した。 <対“帝國”戦計画>  @投入戦力   ・機動戦力    第3飛竜騎士団(*1):第3、8、13飛竜連隊    第32戦隊:スループ艦4隻    ヴィエンヌ歩兵連隊第1大隊(*2)    土木隊(*3)    他、諸部隊。    *1 うち、第3飛竜連隊はバーン・ロード連隊。    *2 軽砲1個中隊を臨時配属。    *3 少数の工兵将校・下士官を監督官とした徴用労務者集団。   ・地域戦力    クノス島駐留軍(*4)     ┣━クノス島防備隊:武装カッター4隻     ┣━クノス島飛竜巣中隊(*5)     ┣━クノス島工兵分遣隊     ┣━クノス島輜重分遣隊     ┣━クノス島工廠分遣隊     ┣━クノス島竜廠分遣隊     ┣━クノス島施療分遣隊     ┣━クノス島通信分遣隊     ┗━ヴィエンヌ州兵クノス中隊(*6)    *4 飛竜中隊と海軍第32戦隊のスループ艦2隻は除外し、機動戦力として掲載。    *5 壊滅    *6 正規軍ではないが準陸戦戦力として。   なお、総司令官は第3飛竜騎士団長とする。  A作戦   ・第一段階    先ずクノス島飛竜巣の再建と拡張を行う。    完成後は第3飛竜騎士団が全力展開。   ・第二段階    その援護の下、クノス島-レスト島間に位置する適当な島に飛竜巣を建設。    完成後はここを拠点にレスト島及びピグニスの“帝國”軍を空爆。   ・第三段階    第一〜二段階で“帝國”軍空中戦力を殲滅した後、レスト島に逆上陸・奪還。    奪還後はレスト島に飛竜巣を建設。    完成後はここを拠点としてピグニスの“帝國”軍を制圧。   ・最終段階    ピグニス諸島の占領。    占領後はその軍事圧力でイルドーレ及び“帝國”を威圧。  作戦に関しても、三度目の評定で“物言い”がついた。  クノス島の飛竜巣、と言うより大半の飛竜巣には、騎士団規模の空中戦力の展開を支える人員も物資も設備も無い。それどころか同島の飛竜巣は大ダメージを受けており、まず『現状の回復』から始める必要すらあった。  その様な訳で、当分はクノス島で足踏み状態。その後も拠点の建設に合わせて進軍するため、第一段階ですらかなりの時間がかかる。一から造る第二段階以降となれば尚更だろう。(ましてや建設要員や物資は不安定な『敵前での海上輸送』だ)  が、只でさえ悠長な反攻計画の、更なる足踏みを政治は許さなかった。原案では『時間と予算がかかり過ぎる』とされ、圧縮を余儀なくされたのである。  具体的には――  ・土木隊の規模を圧縮   人員・竜を半減すると共に、労務者を囚人に切り替える。  ・クノス島飛竜巣拡張の見送り   従来規模(1個連隊標準)のままとし、再建に全力を上げる。  ・建設予定の飛竜巣の規模を圧縮。   各自1個連隊標準とする。  1個連隊標準の飛竜巣では最大でも2個連隊の運用しか出来ず、絶対的な空中優勢が確保しきれない可能性がある――流石に今回ばかりは軍事参議院もそう反論したが、重臣達の意見は変わらなかった。これ以上の予算と計画の遅延は、政治的に到底認められるものではなかったからだ。  無論、値切った分だけの出血をするであろうことは彼等とて理解している。が、それでも尚、(許容できるとして)そう決断したのである。 (この様に、彼等は未だ今回の“戦争”を“偶発的な紛争”と見做していた)  王は重臣達の意見を容れ、これを最終決定とした。同時に、第3飛竜騎士団長を総司令官とする“帝國”討伐軍の編成も命じている。  ……が、時既に遅かった。彼等がこの数日を無為に過ごしている間に、状況は大きく変化していたのである。  “帝國”軍が、遂に本格的な侵攻を開始したのだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【7】  あと1時間程で日付も変わろうかという深夜、クノス島沖数ミールの海域に突如として複数の艦影が現れた。  その数、3隻。 ……どうやら全て大型戦列艦らしい。  夜間だというのに全くの無灯火であるこの艦隊は、だが信じ難い程の高速で単縦陣を組みつつ航行している。  と、急に各艦の砲が旋回を始めた。  その砲口の向かう先はクノス島。  先導艦の砲撃を合図に各艦は次々と砲撃を開始する。  静寂は轟音で、闇は爆炎で破られた。  ……後に反“帝國”的な立場にある史家達から、嘲りを込めて“Fool's War”と呼ばれることになる開戦初期の奇妙な休戦状態は、“帝國”艦隊によるクノス島夜間砲撃によって終わりを告げたのである。  開戦当初、両軍は最初の一撃を除き、共に沈黙を保ち続けていた。  “帝國”は攻め込んだは良いが思わぬロッシェル軍の手強さに目を丸くし、慌てて対策を講じている最中という『泥棒を捕らえて何とやら』を絵で描いた様な状態。  ロッシェルはロッシェルで予想(というより思い込み)以上の規模の“帝國”軍に驚き、やはり慌てて中央にお伺いの真っ最中。  ――という実に間抜けな状況であり、図らずも両者は“休戦状態”に陥っていたのだ。  が、これはあくまで『より大規模な戦闘の為の準備期間』であって、決して平和が訪れた訳では無い。  互いに矛を交えずとも両軍は水面下で活発に活動しており、『先に“準備”が整った方が先手を打つ』という一種の競合状態にあった。  ……そんな中、“帝國”軍も着々と準備を進めていた。  開戦四日目には待ちに待った第八航空戦隊が到着し、その戦力を飛躍的に増加させていたのである。  同航空戦隊の戦力は、以下の通り。   第八航空戦隊(司令官 角田覚治少将)     戦隊直属:空母“神鷹”“瑞鷹”“祥鷹”(*1)           油槽船“黒潮丸” (臨時配属、10384総トン)           輸送船“新夕張丸”(臨時配属、5355総トン)           歩兵第二八聯隊第一大隊     第二二駆逐隊:駆逐艦“水無月”“文月”“皐月”“長月”  八航戦は、『フランケル沖での訓練約三ヶ月は、大油田地帯だけあって石油に恵まれていたため、一年分に相当する程のものであった(*2)』と将兵に言わしめる程の猛訓練をフランケル沖で行った後、今回の作戦に投入された。  戦隊司令官は角田覚治少将。海軍でも屈指の猛将である。  その戦意は旺盛で、到着早々『戦意が足りん!』と夜明け前にも関わらずピグニス航空隊司令部に怒鳴り込んだ程だ。  角田少将は、副官を始めとする周囲の者達の制止を振り切り司令官室へと突入、室内からは何か割れる音だの怒号だのの合奏が盛大に鳴り響いたという。  ……その後急に静かになったかと思うと扉が開き、一時的に顔の造りを変えた両者が仲良く肩を組んで出てきた時には、流石に皆空いた口が塞がらなかったが。  室内で何があったかは今もって不明であるが、翌日より八航戦の艦載機も訓練に参加する様になった、ということだけは確かだった。  ――が、それだけで終わらないのが角田少将の角田少将たる所以である。  到着したその日、即ち開戦五日目には早くも行動を開始したのだ。 ――――“神鷹”会議室。  到着翌日、第八航空戦隊司令部では状況説明が行われていた。 「クノス島の航空戦力は、初日に大打撃を被ったものの順調に回復しています」  この中で唯一陸軍の軍服に身を包んだ男が、居並ぶ八航戦幹部の前で発言している。  ……がこの男、良く見ると“帝國”人ではない。  一見したところ白人の様だが、何よりその長く尖った耳がそれを否定している。  実は彼こそが、この世界における“帝國”の耳目であり知恵袋でもある種族“ダークエルフ族”なのだ。  彼は淡々と情報を読み続ける。 「開戦二日目の夕刻には人員及び物資・資材を載せた船が本土より到着、三日目には1個飛竜中隊とその竜卒、四日目には連隊主力も到着しています。  飛竜巣は未だ復旧には程遠い状態ですが、1個飛竜連隊の戦力と『短期的に』という枕詞が付くもののそれを支える物資が存在することは否定できない事実でしょう」 「……『振り出しに戻る』どころか悪化しているな」  ――せめて、海上輸送を妨害するだけでもかなり違っただろうに。  その言葉を飲み込み、角田少将は溜息を吐く。  そもそもピグニスには、航空戦力を除いてまともな戦力は存在しない。  故に航空戦力が再建中である以上、妨害手段は存在し得ないのだ。  ……である以上、訓練に専念するしかないではないか。  様々な見方があるだろうが、攻撃を切り上げたのは強ち間違いとも言い切れなかった。  と言うのも、切り上げた分の時間をこうして対ワイバーン訓練(一撃離脱戦法)に当てられるからだ。  この意味は大きい。何しろ戦法の転換は、何時かは――というよりも出来る限り早急に為すべきことである。それを早くも初日から行ったということは、『格闘戦を続行していれば出したであろう損害』を最小限に押さえた、と同義語なのだ。  が、それと引き換えに『敵に時間を与えてしまった』こともまた事実だった。  後知恵ではあるが、仮に計画通り二次以降の攻撃隊を繰り出していれば、少なくとも兵站を失い疲弊した敵第3中隊は早期に無力化出来ただろうし、増援戦力を各個撃破出来た可能性も少なくない。  敵に時間(猶予)を与えてしまったことにより、建て直しの時間を与えてしまったのだ。  ……要するに両者は“コインの裏表”であり、断定的な判断を下せる性質のものでは無い、ということだ。 「無論、未だ敵はその戦力を全力発揮出来ません。その支援体制から考えて、半数出撃が良い所でしょう。 ……しかし、それも時間の問題です」 「判っている。これ以上、敵に時間をくれてやる気はない」 「しかし、航空隊は現在訓練中では?」  付け焼刃とは言え一日で如何こうできる話ではない、と首席参謀が指摘する。  が、角田少将はニヤリと笑う。 「おいおい、我々の戦力は航空機だけか?」 「! まさか!」 「このまま何もしないでじっといるのは性に合わん。今夜、本戦隊はレスト島に殴り込みをかける」  周囲の幹部達を見渡し、角田少将はそう宣言した。  角田少将が提示した案は“駆逐艦群による夜襲”。  戦隊から駆逐艦群を切り離し、その高速でもって一撃離脱する、という作戦だ。  ピグニス本島からクノス島まで約110海里、30ノットなら7時間半程で往復出来る距離である。  そして日の入りから日の出までは約10時間――ざっと2時間半の猶予がある。少なく見積もっても1時間以上の間、艦砲射撃を行えるだろう。  1時間、である。  睦月型駆逐艦の主砲である三年式12p砲の発射速度は、最大で10発/分程度。  ……まあ持続射撃となると、砲身冷却や砲員の疲労やら何やらでその半分にも届かないだろうが、それでも100発は撃てる筈だ。  睦月型の主砲は3門(*3)であるから、1隻あたり300発以上――これは陸軍野戦重砲大隊の一回分の射撃を上回る程の弾量(*4)である――を叩き込むことができる計算だ。  夜間であることに加え、正確な地理も把握していないことを考えれば正確な射撃など望むべくも無いが、それなり以上の損害を与えられる可能性が高かった。  やるだけの価値はある作戦、と言えるだろう。  また、『北方艦隊に対するアリバイ作り』という意味合いもあった。  開戦から既に五日、北方艦隊もいい加減我慢の限界だろう。最悪、司令部が“前進”してくる恐れすらある。(事実、『艦隊司令部から参謀……いや長官自ら督戦に訪れる』といった話が洩れつたわってくる程で、一刻の猶予もならない状態だった)  北方艦隊司令部の感情を好転させ、今後の自由度を確保するためにも、夜襲は行わねばならなかったのである。  ……そしてそれは、孤軍奮闘していた横川大佐に対する“援護射撃”にもなる筈だった。 「賛成です! 我が駆逐隊はその総力を挙げ、必ずや夜襲を成功させてご覧に入れましょう!」  これこそ正に駆逐艦の仕事。“空母のお守”や“トンボ釣り”よりは余程やりがいのある任務、と駆逐隊司令が意気込んで賛成した。  が、それに対して悲鳴の様な声が上がる。 「空母を裸にする気か!?」 「……帆船の1隻や2隻、独力で撃退できるでしょう?」  駆逐隊司令はそう言って肩を竦めた。  多数の高角砲と機銃で身を固めた空母は、この世界では最大最強の“超巨大戦列艦”だ。22ノットという“超高速”も合わせて考えれば、この世界の非力な軍艦など何隻来ようが鎧触一蹴だろう。 「そういう問題では無い! いいか、君達の任務は――」 「あ〜、すまんが1隻だけ残す。君は留守を守ってくれ」  間に入り、角田少将はバツが悪そうに言った。  ……いや、彼自身も駆逐隊司令の意見に全面同意なのだが、それだと駆逐隊司令が夜襲指揮官になってしまう。  が、今回の作戦にはパフォーマンスな意味合いもある。『司令官自ら』でなければ、戦意旺盛であることを北方艦隊司令部に見せねば、政治的効果は半減以下なのだ。 (まあ、『自分が指揮をしたい』という気持ちも否定できなかったのだが) 「……そうですか」 「『効果あり』となれば二度三度……と続ける。その際は君が指揮官だ」 「有難うございます……」  先程の意気は何処へやら、すっかり意気消沈した駆逐隊司令に、角田少将はスマンと内心手を合わせた。 「……しかし、敵航空隊の練度は相当高い、と?」  主席参謀が、敵航空戦力による夜間攻撃の可能性を指摘する。  僅か3騎のワイバーンに“第三千代田丸”が撃破されたことから考えれば、敵の対艦能力は馬鹿に出来ない。ブリキ缶並の駆逐艦には大きな脅威だ。  その指摘を受け、角田少将はダークエルフの男を見て頷いた。  男が再び発言する。 「ワイバーンに夜間飛行能力はありません。 ……いえ、正確には可能なタイプも極少数存在しますが、少なくともレスト島周辺には配備されていません。  ですから日の出前までに安全圏へ離脱すれば、空襲を受ける恐れは無いでしょう」  が、尚も否定的な声が上がる。 「我々は、未だこの海域の正確な海図を保有しておりません。夜間の高速機動は座礁の危険性があります」  その場合、その駆逐艦は確実に喪失するだろう。  敵航空隊が見過ごす筈が無く、夜明けと共に激しい空襲を受ける筈だからだ。 「敵本拠地の正確な地図もありません。はたして消費する弾量と重油、そして危険性に見合うだけの効果が得られるか……」  この作戦を敢行した場合、1隻につき300発以上の12p砲弾と100t以上の重油を消費する。  ……これは決して少ない量ではない。ましてや3000海里以上離れた本国から運んできたことを考えれば、努々浪費して良い量では無かった。  これ等の尤もな疑問に対し、ダークエルフの男は根気良く説明していく。 「駆逐艦クラスの艦ならばこの世界にも存在します。優秀な水先案内人を用意しましたので、問題は無いかと。敵本拠地についても位置は把握しています、制圧射撃には十分でしょう」  ……が、その行為は『自分達が知らなかった計画をこのダークエルフは事前に司令官から知らされていた』という証拠でもあった。  少なくとも、その場の者達はそうとった。 (無論、司令官とこのダ―クエルフの二人で練った、という訳では無い。司令官が状況把握の為に質問を重ねる過程で思いついた、というだけの話だ)  その場の空気を最も代弁していたのが、“文月”駆逐艦長の言葉だろう。  『何故コイツがここにいる?』とばかりに、彼は実に胡散臭そうな目で発言した。 「……司令、失礼ですが、その男の情報は本当に信用できるのですか?」 「……貴官は、サドラー大佐を、ひいてはダークエルフ族を侮辱する気かね?」  角田少将の眉が釣り上がった。 「“彼等”の情報の正確さは、この二年で証明された筈だ。 ……僅か一年足らずの間に大内海沿岸の資源地帯を獲得できたのは、一体誰のお蔭かね?  ワイバーンについても、彼等の情報を信用していればこんな“二度手間”をせずに済んだのだぞ?」  事実だった。  “帝國”が右も左も判らぬこのアルフェイムで、僅か二年足らずの間に中央世界進出を目論むまでになれたのは、彼等ダ―クエルフの存在抜きには語りえない。  転移直後に彼等と出会い、服属させられたからこそ、彼等が資源の位置を始めとする様々な情報を提供したからこそ、だ。  無論、それなりの代償を“帝國”が払ったからこそ、とも言えるが、だからと言って彼等の重要性が減じる訳では無いだろう。  ――まあ、無理もないがな。  角田少将には“文月”駆逐艦長の……いや、八航戦の幹部達の気持ちが判らなくも無かった。  何時の間にか“帝國”中枢に入り込んできた彼等に対し、彼とて拒絶感に近い違和感、警戒感をを感じずにはいられなかったからだ。  ……が、それが“代償”である以上、そして何より“御聖断”である以上、受け入れねばならぬ事実であった。(ましてや彼はこの場の最上位者である)  故に、角田少将は叱責した。 「は、申し訳ありませんでした!」 「俺に、ではなくサドラー大佐に詫びるべきではないのかね? “中佐”」 「……申し訳ありませんでした、サドラー大佐」  ……そう、このダークエルフは大佐であり、“文月”駆逐艦長よりも上位者なのだ。  正確に言えば、サドラー大佐は“帝國”軍人ではない。  “帝國”陸軍の軍服を身にまとい、“帝國”陸軍の階級章を着けているが、唯一帽章のみが違う。五芒星ではなく樹冠に矢を組み合わせたものだ。   “カレドニア王国陸軍大佐”  ――それがサドラー大佐の正式な身分であった。  カレドニア王国とは、“帝國”が流浪の民であるダークエルフに土地を与え、建てさせた邦である。  “帝國”はその成り行き上、ダークエルフを臣従させる上で様々な特権を与えている。この建国もその一つだった。  ……そしてやはり特権の一つとして、その国軍の階級は『“帝國”軍のそれに相当する』とされていた。  建前、ではない。  その旨は“帝國”の法にも明記されており、例えばカレドニア王国軍大佐なら『“帝國”高等官三等、従五位、勲三等……』といった具合に位階すら与えられる。  ちなみにサドラー大佐の場合――  “陸軍大佐従四位勲三等伯爵ゴドウィン・サドラー”  ――となる。“帝國”の爵位すら与えられているのだ!  かような例は以後存在しない。異例中の異例、としか言いようがないだろう。  これは彼等ダークエルフを軍に参入させるに当たり、『いきなり“帝國”陸軍大佐やら何やら……といった高級兵科将校にすることは極めて困難』との指摘が人事側からなされたことに加え、ダークエルフ側が反発を憂慮したため、『看板だけ変えた』ことから生じたことだった。  カレドニア王国軍の人事権は当然王国側にある。それ故に『30そこそこで大佐』などという珍事が続出したのだ。  ……まあ将校の総枠というか定数は“帝國”により定められてはいたが、如何なスパルタ並の総動員国家とはいえ高々総人口10万(*5)のカレドニア王国陸軍に対し、“帝國”――正確に言えば“帝國”陸軍――は1個軍に匹敵する枠(*6)を許していたのである。『30で大佐』もむべなるかな、だった。  ……ちなみに“帝國”海軍の場合、大佐に昇進するのはどんなに早くとも『40過ぎ』だ。  まあサドラー大佐は言わば“上忍”であり、その中でも名門家の当主故の『30代前半の大佐』――この世界では何の不思議も無い――だったが、“文月”駆逐艦長はもう40も半ば、対するサドラー大佐は30代前半である。自分よりも10以上年下の上官……それもぽっと出の異人に頭を下げるのは、一体どんな気持ちであっただろう?  それを考えれば、起こるべくして起こった衝突だった。 「いやいや、私は何も気にしていませんよ」  が、中世の魔女狩りの如き迫害を受け続けてきた彼等からすれば、この程度の悪意はどうということもないのだろうか?  屈辱で顔を真っ赤にしている“文月”駆逐艦長に対し、サドラー大佐は丁重そのもの、全く気にしている様子がない。 「部下が失礼しました」  角田も頭を下げた。  サドラー大佐は今回の対ロッシェル戦にあたり、カレドニアの代表として派遣された“情報収集の総元締め”である。  ……それが着任にあたりわざわざ遠回りして、情報を手土産に挨拶に訪れたのだ。受け入れる受け入れないは別として、丁重に遇するのが道理というものだろう。 「ああ閣下、どうかお気になさらずに」  やはりサドラー大佐は柔和な顔で丁重に応じる。  ……この悪意の中、30そこそこでこの対応。  ――やはり只者ではない。  角田少将はそう感じずにはいられなかった。  …………  …………  ………… 「情報と……そして御忠告、感謝します」  帰還のため二式大艇へと向かうサドラー大佐を見送りがてら、あらためて礼を述べた。  本来ならば北方艦隊司令部経由で受け取る筈の情報を生で得たばかりか、司令部の様相――『長官自ら督戦云々』という奴だ――まで“それとなく”忠告されたのだ、大きな借りが出来た、という他ないだろう。 「人種の違いはあれど共に陛下の臣ではないですか! 何を他人行儀な!」  礼を言われるとは心外だ、と些か大袈裟に身振りするサドラー大佐。  ……そのユーモラスさに、角田少将ばかりか周囲の下士官兵共にまで笑いが洩れる。 「では私はこれで。 ……ああ、一人いきの良い中尉を置いていきます。どうかこき使ってやって下さい」 「有難うございます」  一瞬迷ったものの、角田は受け入れることにした。  それだけ、“生の情報”は魅力的だったのだ。 ――――駆逐艦“水無月”。  角田少将率いる3隻の駆逐艦――“水無月”“文月”“長月”――はその砲口をクノス島に向けたまま、速度を落として遊弋していた。  ……そして2300、突如として島の一角に火の手が上がった。 「ほう? 時間通りだな」 「位置も『ほぼ同じ』です」  クノス島の概図を凝視していた砲術長が断言した。  彼は火の手を目印に砲を微修正させる。(今頃、後続の2隻でも独自に行っている筈だ) 「準備完了しました!」 「宜しい。艦長、射撃を開始してくれ」  そう言って角田少将は、傍らの駆逐艦長を振り返った。 「は! “水無月”撃ち方始め!」  号令と共に“水無月”は射撃を開始、それを合図に後続の2隻も射撃を開始する。  ――それは、“休戦”の終わりを告げる音でもあった。  “帝國”艦隊の砲撃は1時間以上続き、およそ1000発の12p砲弾を投射した。 *1 ――――空母“神鷹”“瑞鷹”“祥鷹”――――  基準排水量:17600t  最高速力 :22ノット  航続距離 :18ノットで8500海里  兵装    :十年式12cm連装高角砲×4、九六式25mm三連装機銃×10  搭載機   :常用21機(艦戦9+艦攻12)、補用4機(艦戦2+艦攻2) *竣工時の定数であり最大搭載数ではない。  同型艦   :“神鷹”“瑞鷹”“祥鷹”  神鷹型航空母艦。豪華客船“浅間丸(神鷹)”“龍田丸(瑞鷹)”“秩父丸(祥鷹)”の3隻を空母に改装した艦。  基本的に大鷹型3隻と同じ艤装であるが、今年(昭和一八年)の四月から五月初頭にかけて相次いで竣工(改装完了)した新鋭艦だけあって、数々の改良が加えられている。  その詳細は以下の通り。  @兵装の強化。  “大鷹”の『十年式12cm単装高角砲×4、九六式25mm連装機銃×4』から『十年式12cm連装高角砲×4、九六式25mm三連装機銃×10』に強化。  A飛行甲板の拡大。  “大鷹”の『162.0m×23.5m』から『172.0m×23.7m』に拡大。  B機関換装による速力増強。  “大鷹”の21ノットに対して20ノット(予定)と唯一劣る筈だった速力は、機関換装により22ノットに強化されている。  *ただし大鷹型についても二番艦、三番艦と段階的に改良が加えられていることに加え、今回のドック入り(本編第2話参照)に伴い全艦以下の艤装に統一される予定。   @『十年式12cm単装高角砲×6、九六式25mm連装機銃×10』に兵装を強化。   A『180.0m×23.5m』に飛行甲板を拡大。 *2 ――――『フランケル沖での訓練約三ヶ月は〜』―――― “丸”昭和二八年十月号に掲載された手記より抜粋。  世界最大の油田地帯であるフランケルには当時既に精錬施設が存在しており、これを流用したものと推測される。(この精錬所は本土の小規模旧式施設をそのまま移設したもので、その精錬量と品質は御世辞にも良好とは言い難かったものの、訓練する分には何の問題も無かった、と言われている)  同戦隊のこの地での訓練振りは凄まじく、保有機の大半を訓練で消耗(!)し、同地補給廠より新品を交付されたことが記録されている程だ。  大量のガソリンと百機規模の機体交付――この事実からも、この猛訓練が角田少将の独断などでは無く、上層部の意向であったことを裏付けている。  通説では『不十分な練度で戦闘に投入された』とされている八航戦だが、この一節からも判る様に実際は一定のレベルに達していたのだ。 *3 ――――『睦月型の主砲は3門』――――  特型よりも前に建造された旧式駆逐艦群は、機銃を増設する空間と代償重量を確保するため、転移後に二番主砲及び予備魚雷を撤去している。  搭載標準は、九六式25mm機銃を『旧二番主砲位置左右に連装または三連装×2基、更に甲板の両舷左右に各単装×2』の計8〜10挺。  ……ただしこれはあくまで“定数”であり、『現実そうなっているか』はまた別の話であった。 *4 ――――『これは陸軍野戦重砲大隊の一回分の射撃を上回る程の弾量である』――――  あくまで“一回分”であって“一会戦分”では無い。  陸軍野戦重砲大隊は8〜12門であるから25〜38発/門、一発当たりの重量差――陸軍野戦重砲の主力は十五榴――を考えれば20発/門程度。  ……その生産量と兵站の限界から、当時の“帝國”陸軍砲兵が一回の射撃で消費する弾薬など、多くの場合これ以下であった。“砲兵による制圧”など到底不可能な状況だったのである。 『それ故』と言うべきか、当時の“帝國”陸軍は極端な白兵主義であり、そのドクトリンでは『戦闘は白兵戦によって決する』とされていた。 *5 ――――『総人口10万』――――  当時の公式記録からの数値だが、実際には15〜20万前後いたことが明らかになっている。  “帝國”及びカレドニア双方、この件に関しては現在に至るまでノーコメントを貫いている為、様々な憶測が流れている。 *6 ――――『1個軍に匹敵する枠』――――  将官だけをとっても『中将3、少将10』という大盤振る舞いぶりだった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【8】  ――――話は少し遡る。  御前会議で出された結論は、1個飛竜騎士団を中核とした“それなり以上の兵力”を投入するものの、『限定的な紛争に止める』という極めて抑制的なものだった。  それ故、派遣軍はその運用を始めありとあらゆる面――人員・物資・予算といった補給面に関することにすら――で制約が課されており、司令官の裁量も非常に限定的なものでしかなかった。(何しろ大まかな作戦までもが既に決められているのだ)  ……何故なら、これは“戦争”ではなく“紛争”なのだから。  戦争ならば現地(司令官)の判断を重んじ、相当な裁量権が与えられよう。だが紛争の場合、現場の判断で勝手にやられては政治的にも財政的にも問題が有り過ぎる。故に、足枷を付けるのだ。  この様に、少なくともこの時点では王国指導層の大半が“帝國”との軍事衝突を“局地紛争”と見做していたのである。  ……が、この決定に対して不満を抱く者もまた、少数ではあるが存在した。  その筆頭が、王弟アルベルト・カペー中将である。彼は重臣達の現状認識の甘さを糾弾すると共に、『より大規模な戦力の投入』と『現地派遣軍に対して大幅な裁量権を与える』ことを強く主張した。 「問題は、『あんな小島に、“帝國”は何故これ程の戦力を派遣したのか?』ということだ」  カペー中将はそう力説する。  “帝國”がイルドーレ王国より手に入れたピグニス諸島は、漁業資源以外は何も無い様な小島の集まりに過ぎない。  その様なところに大規模な空中戦力を送り込んだ、“帝國”の意図を察するべきだ、と言うのだ。 「間違いない、“帝國”は我々との戦争――それも全面的な戦争――を望んでいる」  それが、カペー中将の下した結論だった。 ――――王都シャラント、カペー中将邸。  御前会議の開かれた日の夜、カペー中将邸を訪れる者があった。  アンデュー伯ロベール・フォールである。王国侍従長職を務める彼は、“帝國”との衝突以来精力的に動き回っているカペー中将に“忠告”に訪れたのである。  ……が、カペー中将はあいも変わらず自説を展開するのみだった。  その余りに断定的な口調に、フォール侍従長は些かうんざりした様に尋ねた。 「……何のために? 我々と全面的に衝突して、一体彼等に何の得があると?」  今回の紛争にロッシェルが勝利するのは間違いない。  海の向こうからはるばる軍を投入しなければならない“帝國”と、それを迎え撃てば良いだけのロッシェル。  大内海の蛮国に過ぎぬ“帝國”と、大文明圏の大国たるロッシェル。  ……全ての条件が違い過ぎる。まあ“帝國”も大内海の覇者を気取るだけあって、その軍事力と海上輸送力は中々のものの様だが―― 「“ワイバーンもどきの“カラクリ飛竜”に“鉄皮の大型戦列艦”…… 大内海では“鳥なき里の蝙蝠”でいられたのかも知れないが、ここ(中央世界)ではそうはいかない」  その増長はより大きな力で“修正”されるだろう、フォール侍従長は断言した。 「その“より大きな力”が不足している、と私は言っているのだ」 「1個飛竜騎士団を中核とした戦力が、不足とでも?」  フォール侍従長は目を丸くする。 「ああ、不足だね。連中の“カラクリ飛竜”とやらは、空戦性能はともかくワイバーン・ロード並の高速らしいではないか!」 「……ワイバーン・ロードどころか、只のワイバーンに軽く捻られたらしいですがね」  何処か馬鹿にした様なフォール侍従長の言葉に、カペー中将は『これだから素人は』と言うかの様に首を振った。 「その高速だけでも、少なくともワイバーンには強敵だよ。ワイバーンにわざわざ危険な任務を押し付ける必要はあるまい?」  コイツはワイバーン・ロードに任せ、ワイバーンは対地支援に専念すべきだ、とカペー中将。 「――だから飛竜騎士団1個(ワイバーン・ロード1個連隊+ワイバーン2個連隊)では到底足りない。敵の空中戦力が1個連隊以上だそうだから、ワイバーン・ロードを2個……いや3個連隊欲しい。ワイバーンは現状の数で良いから、ワイバーン・ロードを後2個連隊増派すべきだな」 「ワイバーン・ロードを3個連隊投入!?」 「無論、現地派遣軍に対しては大幅な裁量権を与えることが前提条件だ」 「……失礼ですが、御自分の仰る意味を判っておられるのですか?」  フォール侍従長は声を荒げた。  ロッシェルが保有するワイバーン・ロード部隊は4個連隊、それも全国各地に散らばっている。  それを一ケ所に集めるだって? ただ竜だけ集めて済む話ではない、人員物資……集合させるだけで一苦労だし金だってかかる。虎の子を取り上げられる形となる各騎士団長達への説得も大変だ。  ああ、政治的にも問題が大き過ぎる。国防上の穴が生じるし、他の同盟諸国も不安がろう。   ……如何考えても、『牛刀を以て鶏を割く』に等しい行為だ。哂い者となり国の威信を損ないかねない。  ――しかも、『現地派遣軍に対しては大幅な裁量権』だって?  その様なことが許されるのは唯一、戦争のみだ。  そんな白紙手形(小切手)……いや、白紙委任状渡せる訳ないだろう! 「中将の仰ることは“戦争”を意味しますが?」 「その通り。だから言ってるではないか、『“帝國”は我々との戦争――それも全面的な戦争――を望んでいる』と。  ……私は、『それに備えよ』と言っているのだよ」  そこで、フォール侍従長はやっと“気付いた”。  当人が意識しているかまでは不明だが、カペー中将は戦争をやりたがっているのだ。それも、大規模な戦争を。  頭が痛くなるのを抑えながら、フォール侍従長は諭す。 「……アル、よく聞け」 「“叔父さん”、もう僕は中将だよ。いい加減子供扱いはやめて欲しいなあ」  フォール侍従長が“中将と侍従長”では無く“甥と叔父”という関係を持ち出してきたので、カペー中将……いやアルベルトの口調も軽くなる。 (“王弟と侍従長”という関係が無いのは、以前からアルベルトが王弟である前に将軍であることを強く意識しているからだ) 「24で“中将”って言われてもなあ…… ま、大人扱いされたければ、もう少し“大人になる”ことさ。子供の戦争ごっこの様な感覚ではまだまだだよ」  フォール侍従長……いや、ロベールはそう言って軽く肩を竦めた後、真面目な表情で言葉を続けた。 「今回の紛争は、どう考えても割に合わない」  “帝國”を叩き出した所で、政治的にも経済的にもロッシェルが得る物は何も無いのだ。  ……いや、政治はプラスマイナスゼロだからまだ良い。問題は経済だ。  ロッシェルが勝つのは当たり前のことだが、余程上手くやらなければロッシェルは大きな損害を受ける、とロベールは言う。 「今回の紛争、どうやったって“帝國”を島から追い出し、拠点のピグニス諸島を占領して手打ちだ。が、そんなちっぽけな島獲った所で何の足しにもならんし、“帝國”は痛くも痒くも無い。 ……そんな状況で、“帝國”が一体どれだけの賠償金を払うと思う?」  とても戦費を補填するには足りないだろう、とロベールは首を振った。 「けど、イルドーレにも払わせるのだろう?」 「無論、政治的にも経済的にもイルドーレには賠償を払わせなければならんさ。だがな、貧乏な小国であるイルドーレに、一体どれだけ出せると思ってる?  お前は財務大臣の言葉を額面通りに受け取った様だが、あれは場を和ませ、議論を誘導するための誇張した表現さ。他の同盟諸国の目もある、そう多くは獲れんよ。  ……御前会議で決定された兵力と方針は、こういった判断から導き出されたものだよ」  利益が得られない以上、何とか損をしない様に、しても最小限に――という訳だ。 「何故、北東ガルム第二の大国たる我がロッシェルが、ちっぽけな他の同盟諸国にそこまで気を使わなければならないのさ?」  判ってはいる、判ってはいるが、アルベルトは聞かずにはおれなかった。 「我が国の軍備は、他の同盟諸国からの支援の上に成り立っている。 ……そして、それでも我が国は単独でレムリアに到底抗しきれない。軍事的にも経済的にも、だ」  大陸同盟は、北東ガルムの半分を占める列強レムリア王国に対抗するため、結成された大同盟である。加えて何時しか、単なる軍事同盟に止まらず経済的な相互扶助同盟にまで発展していた。  レムリア王国の国力は北東ガルム第二の大国たるロッシェルの10倍上。大陸同盟がなければ、経済的にも軍事的にも他の国々は飲み込まれてしまうだろう。 ……無論、ロッシェルとて例外ではない。 「畜生!」  アルベルトの心からの叫び声に、ロベールは溜息を吐いた。 「軍事的にはお前の言う事の方が正しいのかもしれないさ、なんたってお前は本職だ。 ……だがな、国家というものは軍事だけで成り立っているのではない、“軍事力”“経済力”“外交力”“技術力”が相互にバランスをとって支えあっているのだ。“経済力”“外交力”“技術力”の伴わない“軍事力”など直ぐに崩壊するし、その逆もまたしかり、だよ」 「……それ位は判っているさ。けど、悔しいなあ。もし大陸同盟がなければ、我がロッシェルが北東ガルムの残り半分……いやその半分でもを制し、レムリアと雌雄を決していただろうに!」 「その場合、確実に戦乱の世となっていただろうな。ここ百年以上レムリアとは小競り合いだけだが、それは我々が圧倒的な弱者の連合、『脅威ではないが滅ぼすのは厄介』程度の存在でしかないからに過ぎない。これが数ヶ国……ましてや一ヶ国なら脅威の方に天秤が大きく傾き、レムリアは本気で潰しに来るだろう。  ……忘れるなよ、レムリアはその版図こそ北東ガルムの半分しか占めていないが、その軍事力や経済力は――」  そういった意味でも、海の向こうの“帝國”とやらと長く遊んでいる余裕など無い、とロベール。 「外務省の出した結論は、『“帝國”は中央世界において“先進国”“大国”と見做されることを望んでいる。今回の紛争も本質的にはそのための示威行動に過ぎない』だそうだ。  賠償交渉でその辺を満足させてやれば、イルドーレから小島を馬鹿げた額で買い取った例からも、それなりの賠償金を引き出せるだろう」 「……そこが理解できない」  アルベルトは嘆息した。 「他の話は理解できるさ、納得はできないけどね。 ……けど、“帝國”がそんなちっぽけな望みで大枚出してこんな火遊びしてることだけは、理解も納得もできない」 「……考え過ぎでは無いのか? もしそうだとすれば、今頃クノス島は連続的な空襲を受けている筈だ。が、実際は初日に空襲が一回あったきり、ここ数日全く動きが見られないそうじゃあないか」  どう考えても“本気”だとしか思えない、と言うアルベルトに『なら連中、一体何を目論んでいるのだ?』とロベールは問い返す。 「それが判っていれば、兄上だってとっくに説得しているさ」  アルベルトは苦笑した。  が、それが比喩的な表現に過ぎぬことをロベールは承知していた。  ……何せ、自分達側近の悩みが『陛下は何事もはきと申さぬ御方にて』ということなのだから。 (実弟のアルベルトがそれを知らぬはずが無い。要は『全員簡単に説得できる』と言いたいのだろう) 「とはいえ、『“帝國”は用意してから殴りかかった』という事実だけでも十分だと思うね。だいたい、今回の原因となった事件だって怪しい。  ……報告によれば連中はかなり強引な漁をしていたそうじゃあないか、漁場争いが起こるのは目に見えていた筈だ」 「……確かに、今回の事件に関しては不審な点が多い」  ロベールは渋々ながらも同意した。  事件直後に“帝國”が出してきた要求は、余りに法外なものだった。(尤も、これ自体に不審な点は無い。『最初に一発ブチかます』のは外交ではよくある話だ)  が、ロッシェルが当然の如くその要求を退けると、“帝國”はハードルを下げる代わりにレスト島の占領を選択した。その余りに迅速な軍事行動は、外交交渉のレートを上げるにしては些かギャンブル的な要素が強過ぎた。  ――“帝國”は、この大規模な“投資”に見合うだけの利益を、どうやって得る気なのだろう?  王国外務省を始め、誰もが首を捻ったものだ。(当時の常識からすれば、“帝國”の目論みは“パラノイアの誇大妄想”以外の何者でもない)  が、ここで“帝國”の工作が活きてきた。 ……尤も、その本来の目論見の“斜め上に”、だったが。  “帝國”は、イルドーレ王国を通じて大陸同盟諸国に対して盛んにメッセージを発していた。  さまざまな自画自賛を並べているが、要は大陸同盟に加盟したいらしい。イルドーレ王国から小島を買い取ったのも、その加盟条件を満たすためのものだそうだ。  この宣伝文句を素直に額面通り受け取る者はいなかったが、手当たり次第に吹き込んでいるらしく、今では大陸同盟諸国指導層の大半が知っている話となっている。  ……そうなると、『そういうものか』と思う者達が出てきても不思議ではないだろう。何せ、他に合理的に説明出来る理由が無い――少なくとも彼等の常識では――のだ。  ――大内海の新興国家が、箔を付ける為に(大文明圏の一つである)北東ガルムの一国として名を連ねたいそうだ。  大内海という辺境も辺境の国家に対する蔑視も手伝ったのだろう、何時しかその様な嘲りの篭った会話が、各地のパーティーで“笑いの種”として囁かれ始めていた。  “帝國”の工作は、それなりの効果を上げつつあったのだ。  そして、意外なことに情報分析のプロたる王国外務省までもが、同様の結論に達した。  が、この様な“酒飲み話”の類と同レベルの結論に達したのは、“もう一押し”あったからである。  ……横川大佐の“消極的な”戦いぶりは、ロッシェル側に誤ったメッセージを与えたのだ。  ワイバーン・ロード並の速力を誇るカラクリ飛竜を連隊規模も投入したこと。  開戦初日に大小数十発の“魔力弾”による爆撃を行ったこと。  にも関わらず、以後数日間の沈黙していることから――  『我々(“帝國”)は、大文明圏の大国に匹敵する軍事力と技術力を持った国家である』  ――という政治的なメッセージ、アピールと誤解したのである。  無論、それにしては“やりすぎ”な面が幾つもある。  が、相手が“大内海の蛮国”(故に洗練されていない)であることを考えれば説明がつく、と納得してしまったのだ。  後世、この判断を批判する声は多い。  『彼等は“帝國”が扉を蹴破ったのを見て、愚かにもそれをノックと勘違いしてしまった』  『彼等は固定観念に縛られ、己の目と耳で調べることを怠った』  等々、散々である。 ……が、本当にそうだろうか?  上で言う“固定観念”とは“当時の常識”であり、天が落ちてこないのと同様、調べる必要も無いものだった――と言ったら言い過ぎだろうか?  『大内海の蛮国に、中央世界の大国を上回る軍事力などある筈が無い』  『大内海の蛮国に、中央世界の大国を上回る技術力などある筈が無い』  『大内海の蛮国に、中央世界の大国を上回る経済力などある筈が無い』  『大内海の蛮国に、中央世界の大国を上回る外交力(諜報力)などある筈が無い』  『海の向こうから、中央世界の大国と戦えるだけの戦力を送り込める筈が無い』  ……ロッシェルの不運は、本当に『天が落ちてきた』ことだったのだ。 「とにかく、血の気の多い連中を扇動する様な真似はもう止めろ。お前は王弟なんだぞ?」  帰宅する直前、もう一度ロベールは念を押した。  王弟たるアルベルトがいるからこそ、連中の勢いづくのだ。  ……そして、政治的にも混乱する。  “甥と叔父”という関係から軽視しがちだが、『侍従長が夜、人目を避けて訪れる』という状況は相当なことなのだ。 「判ったよ、今回は引っ込むさ」 「……今後共、自重してくれ」  ロベールは苦笑しつつ竜車に乗り込んだ。  ……『これで終わった』と胸を撫で下ろして。  自分達が話している間に前提条件が大きく崩れ去ったのを彼が知るのは、それから間もなくのことであった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【9】  順調にその戦力を強化しつつあったクノス島の航空戦力は、“帝國”艦隊の夜襲によって再び大打撃を受けた。  ……それも第13飛竜連隊が進出し終えたその夜に。  飛竜第13連隊長ギスラン・クロケット大佐は、色々と問題があるものの戦意溢れる指揮官だった。  彼は、クノス島の飛竜巣が壊滅したこと、そして敵の戦力が並々ならぬことを知ると即座に全力展開を決断。同日(開戦初日)の夕刻にはかき集めた人員及び物資・資材を船――かなり強引な手段で民間から臨時徴用した――に載せ、クノス島に向けて送り出した。(同船は特に妨害を受けることなく、翌日の夕刻に到着)  続いて翌日には1個飛竜中隊を増派(同日午後に到着)、四日目には帰還した船に残りの人員及び物資・資材を載せて送り出し(翌日の夕刻に到着)、夜襲を受けた五日目の午後には残る2個飛竜中隊も進出、飛竜第13連隊は不完全な状態ながらもその全戦力を進出し終えていた。  ……豪胆、と評すほかない。  何せ上級司令部からの命令も無い……しかも“反攻作戦の凍結”と“積極的な攻勢の禁止”が通達されている様な状況下での独断行動である。にも関わらず他の担当空域を放っぽりだして連隊全力を投入するとは、如何な飛竜第13連隊が『クノス島を始めとした北クローゼ列島とその周辺海域上空をその担当空域に含めている』とはいえ、命令違反ととられても仕方の無い行動だった。並の指揮官ではとてもではないが真似できない決断であろう。  が、それが裏目に出て飛竜第13連隊は多大な損害を蒙ってしまった。  独断で連隊を進出させた挙句にこの損害だ、このままいけば彼の未来が暗いものになることは間違いない。  ……とはいえ、クロケット大佐にも言い分はあった。それも、十分世間に通用するだけのものが。  と言うのも、当時の常識から考えれば『軍艦にこれ程の攻撃力がある筈が無い』のである。  唯一、大規模空襲によってのみ可能(*1)だろうが、夜間におけるワイバーンの運用はほぼ不可能(*2)――つまり、これはまったく想定外の事態だったのだ。  が、何れにせよ結果責任を問われることは避けられない。(ましてや独断での進出により受けた損害だ)  毒喰らわば皿まで。少しでも責任を軽くする為、クロケット大佐は積極的な攻勢に出る必要に迫られていた。 ――――飛竜第13連隊仮設本部、連隊長公室。  “連隊長公室”とは名ばかりの薄汚れた天幕の中、やはり薄汚れた二人の男達が会話を交していた。 「“帝國”艦隊は、飛竜巣とその周辺地域を集中的に狙った様です。他地区の被害は軽微で、『流れ弾によるもの』と言って良いでしょう」 「……つまり、あれ程の砲撃が全て“我々のみ”を狙ったもの、ということか」  副官の報告にクロケット大佐は面白く無さそうに鼻を鳴らした。 「光栄なことだな? 我々は、あれだけの魔力弾を大盤振る舞いするだけの価値があるらしいぞ?」 「……まさか、敵艦に魔道砲が装備されているとは考えてもいませんでした」 「気にするな。それは俺とて同じ……いや、中央の御偉いさんとて同じことだろうよ。そんなことより報告を続けろ」  副官の面目無さそうな言葉を流し、続きを促す。 「はっ! まず――――」  副官の報告に、クロケット大佐の頭が痛くなるのを隠せなかった。  やっと応急修理の終わった滑走路が再び……それも前以上に破壊されたことはまあいい、時間があれば復旧できるものだし、迎撃位なら(効率は落ちるものの)滑走路が無くとも『なんとかならないこともない』のだから。  ……が、大量の人員や資材・物資を失ったのは致命的だった。両者はワイバーンの運用を支えるには必要不可欠なもの、これを欠いた以上、今後連隊は急速に消耗していくだろう。  が、それでもやらねばならない。このままでは面目が、クロケット家の面目が立たない。なんとしても一矢報いねば――そう自分を言い聞かせ、クロケット大佐は副官から渡された書類を睨む。  幸い、と言って良いかは判らぬが、ワイバーンの損害は“比較的”軽微だった。  死亡2、重傷2、軽傷3――残る17騎が無傷という訳だ。(竜騎士もワイバーンと共にいたため、これに準ずる)  ……まあ“無傷”と言ってもあれだけの砲撃に1時間以上も晒されたのだから、精神的な打撃は無視できない。“無傷”とされている竜達も消耗している、と考えた方が良いだろう。  ――とはいえ『人員の七割が死傷し、資材・物資の八割以上を失った』ことを考えれば、奇跡の様な数字と言える。  あれ程の猛攻を受けたにも関わらず、直撃か余程の至近弾でも無い限りワイバーンや竜騎士達は無事だったのだ。  これは先の爆撃のこともあり、ワイバーンの天幕周囲を厚く高い土嚢で囲んでいたからであろう。たったそれだけのことで、これだけの耐久力を発揮したのだ。  が、竜の防護に全力を傾注したため他は犠牲となり、砲弾に生身で晒された。それ故の七割、八割という損失だった。 「1個中隊が全滅か……」  普段なら頭を抱えたくなる様な報告だが、他の損害を考えれば受け入れられないこともない。少なくとも、まだ“連隊”として戦える数字だ。  が、ワイバーンや世話や装備の調整、飛竜巣の管理を行うべき人員の大半を失っている。残された資材や物資も乏しい、“連隊”として戦えるのは良くて一週間程だろう。 ……それ以降、ワイバーンは急速に消耗する。その前に何としても戦果を挙げなければならなかった。  ――いや、焦ってはいかん。慎重に、余裕は無いからこそ慎重に行動する必要がある。  クロケット大佐は自分にそう言い聞かせた。  明るい材料だってある。夜明けと同時に比較的元気なワイバーンに爆装を施し、索敵爆撃に出している。砲撃が止んでからまだ3時間強、敵艦隊は然程遠くない場所――恐らく20ミール(約29.4q)圏内――にいることは間違い無く、必ず補足出来る筈だった。  ――先ず、こんな被害をもたらしてくれた“帝國”艦隊に借りを返す。  そう、力強く頷く。  軍艦など何隻集まろうがワイバーンの敵では無い、必ずや撃沈破できるだろう。  とり合えず、それで『やられたがやり返した』と主張できる。しかも敵艦は魔道砲を大量装備した精鋭艦隊の様で、その撃沈は高く評価される筈だ。(それ故、残された貴重な爆弾を全て使っても構わない)  この功績を土台に、少しずつ戦果を積み重ねていけねば良い。 「で、あの“火事”については?」  気分を切り替え、クロケット大佐は副官に尋ねた。  敵の砲撃の直前、飛竜巣近くの山で火事があったが、これは偶然とは思えない。  間諜が紛れ込んでいる可能性が高かった。 「『人為的なものである可能性が高いが、誰がやったのかすら不明』だそうです」 「引き続き捜査を支庁に要請しろ」 「かしこまりました。 ……ですが、支庁が言うには『この島は皆顔見知りの様なもの、密偵の入り込む余地は無い』と。どうやら連中、島民への対応で手一杯の様です」  先の空襲に続き、今回の夜間砲撃である。平和に慣れきっていた島民達は恐慌状態に陥っていた。  一部地域では役人だけでは対応できず、州兵すら投入されたらしい。下手をすれば中央から責任を問われる事態であり、彼等も必死だ。  ――故に彼等に言わせれば、『そんな本当かどうかも怪しい話……それも“いても数人の間諜”に関わっている余裕など無い』という訳だ。 「“島住み”共が! だから奴等は駄目なのだ!」  クロケット大佐は吐き捨てた。  “島住み”とはこの世界における賤称の一つで、大陸に住む人間達が島に住む人間達を蔑む際に良く用いる言葉だ。  意味としては『ちっぽけな島に住む賤民が!』といった様なもので、『島に住んでいる様な連中は、大陸から追い出された奴等で貧しく卑しい等々』という根強い偏見――この世界ではあながち嘘とも言い切れぬが――からきている。(一説では『海に対する恐怖心の裏返し』とも言われている)  ……この世界において、島に住む人々は大陸に住む人々より、一段も二段も低く見られていたのである。  まあそんな訳だから、北クローゼ支庁の役人共にやる気がある訳が無い。  特に北クローゼの場合、元々は独立国家だったのを安全保障上の理由――大陸を守る“壁”目的――から併合したのだから尚更だ。  何せ上は左遷された様な連中、下は現地採用の“滅ぼされた国の元支配階級”である。無能の上にやる気ゼロ、尻を引っ叩かなければ……いや、叩いたとしても熱心に動く筈も無かった。 「正式な軍命が出ていれば、利敵行為か何かで処分してやるものを……」 「だからこそ、でしょう。 ……つくづく度し難い連中です」  余程腹に据えかねたのだろう、クロケット大佐の言葉に副官も怒りを込めて同意した。  ……が、それ以上のことは何も出来ない。軍における立場が微妙な現在、これ以上問題を増やすことは避けねばならなかったのだ。(無論、連中もそれは承知の上だ) 「畜生……」  不安、焦り、怒り……様々な負の感情が心に宿っていく。  が、そんなモノにゆっくり心を委ねる様な暇など、クロケット大佐には許されなかった。  新たな問題を持って、通信担当士官が彼の元に訪れたからである。  軍が野戦において用いる情報伝達手段には“人や鳥獣・竜による伝令”と“魔道による伝達”があるが、前者はあくまで伝令であり通信ではない。  つまり通信担当士官と言えば魔道通信のエキスパート、即ち“高度技術職の魔法使い”なのだ。(竜騎士とてそうだが、方向性が異なる)  故に彼らは、魔道通信に止まらず様々な魔道技術の運用を担当している。通信など、任務の一分野に過ぎぬのだ。  ――そういった理由から“帝國”艦隊が放った砲弾の調査を行っていたのだが、彼の報告は驚くべきものだった。 「魔力反応が無い? ……間違いではないのか?」 「いえ、全く確認出来ませんでした」  通信担当士官は断言する。  開戦初日に“帝國”軍が投下した爆弾からも、やはり魔力反応が無かった。 ……その時は『数日が経過しているため、拡散してしまった可能性も否定できない』とされたのだが、今回は昨晩の話であり、それも大量に撃ち込まれたのである。本来なら残留魔力でいっぱいの筈だ。 「……連中、一体全体どんな手品を使ったというのだ?」  クロケット大佐は首を捻る。  『魔力反応が無い』ということは、『魔力弾(*3)ではない』ということだ。  ……が、通常の炸裂弾(火薬)にあれ程の威力は無い。  この世界で使用されている火薬は、所謂“黒色火薬”だ。砲弾や爆弾もせいぜいナポレオン時代の欧州レベル程度――或いはそれ以下――であり、その威力はたかが知れている。これ程の惨禍を引き起こせる筈が無いのだ。  だから魔力弾による大規模攻撃、とばかり思っていたのだが…… 「カラクリ仕掛けの飛竜といい、魔力反応の無い高威力弾といい、一体何がどうなっているんだ? 大内海で何があったというのだ?」  クロケット大佐はまるで狐に包まれた様な気分だった。  ……様々な問題に囲まれ、混乱しかけてていた彼に止めを刺す“最後の一撃”がもたらされたのは、それから直ぐのことだった。  索敵攻撃隊が、敵を発見出来ずに空しく帰投したのだ。 *1 ――――『唯一、大規模空襲によってのみ可能』――――  魔道砲兵の大規模運用でも可能だが、その様な事態は大国同士の全面戦争以外は到底考えられず、現実的ではない。 (例えばロッシェル王国が魔道砲兵の大規模運用を想定しているのは、“北東ガルム文明圏最大最強の国家”“世界の列強が一つ”であるレムリア王国との全面戦争時のみ) *2 ――――『夜間におけるワイバーンの運用はほぼ不可能』――――  特殊な調整を施した個体を除き、ワイバーンの夜間運用は不可能。 *3 ――――『魔力弾』――――  俗称で魔法弾とも呼ぶ。火薬の代わりに魔力を利用した砲弾や爆弾で、帝國の砲爆弾と比べても些かの見劣りもしない大威力兵器。  『通常弾とは比べ物にならぬ』という大威力もさることながら、『発射時にほぼ無煙』『豪雨の中でも使用可能』という優れた運用性も合わせもつという非常に優れた兵器だが、皮肉にもその大威力故に……そして何よりその生産量の少なさとコスト故に特殊兵器(決戦兵器)扱いされており、戦場の主役は依然として『黒色火薬を用いた通常弾』というのが現状だった。  ……まあ『目玉が飛び出る程高価』という訳では無いが、通常弾と魔力弾のコスト差は“帝國”における『魚雷と爆弾のコスト差』程はある。加えて大量製造が可能になったとはいえ、戦場における全ての需要を満たすには到底足りなかった。  要するに、大文明圏の大国と言えども気楽に使える兵器では無かったのである。(それ故に『魔力弾の大規模運用』は政治的にも軍事的にも大きな意味合いを持つ)  この様に戦場の切り札ともっされる魔力弾ではあるが、その登場は比較的新しく、本格的に配備され始めたのはここ100年程のことに過ぎない。  尤も『魔力を封入し兵器として用いる』というアイデア自体は大昔より存在していた。魔力を封入する性質を持った魔石も古くから知られており、これに魔力を封入して戦場で使用した、という千年以上も昔の記録すら存在する程だ。  が、魔導師自らが手作業で一つずつ魔力の封入をしなければならないこと(量産困難)、封入した魔力が短期間で漏れ出してしまう――暴発の恐れすらあった!――こと(信頼性に乏しい)等の様々な欠点があり、とても大規模に投入できるものでは無かったのだ。(加えて技術的な問題だけでなく、政治的な問題も多々存在した)  これらの問題が大方解決したのが『およそ100年前のこと』という訳である。(ちなみにこの魔力弾製造技術も他の多くの魔道技術の例に洩れず、ワイバーン研究から得たものだ) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【10】  丘の上から見下ろす景色は“絶景”だった。  飛竜巣は完膚なきまで破壊され、未だ炎と煙が燻っている。  僅かに生き残った兵達は、自分達よりも明らかに多い遺体袋を運んだり、瓦礫を片付けたりしているが、その動きは鈍く足元はふらついていた。 「凄えや……」  思わず感嘆の溜息を漏らす。  “帝國”にこれ程の力があるとは思ってもみなかった。  世界中の国々との契約を打ち切り、ただ一国に――それも臣従すると聞き、目を丸くしたものだが…… 「どうやら、お偉方の決断は間違っていなかったらしい」  そうほくそ笑むと、男はその場を後にした。 ――――第八航空戦隊、旗艦“神鷹”  “神鷹”の司令部は、昨晩の砲撃が予想以上の戦果を挙げたことで活気付いていた。 「現地からの報告によれば、敵の飛竜巣……いえ“飛行場”は当分の間使用不能となったそうです。加えて空中……航空戦力も大量の人員・物資を失った様で、本国からの補給が無い限り、早晩その能力を喪失することは間違いないでしょう」 「……が、放置すれば“初日の二の舞”か」  そう言うと、角田少将は暫し沈黙した。  クノス島……いや北クローゼで自給できる物など、木材を中心とする少数の資材や基礎食料位のものだ。とてもではないが、軍の要求する物資を賄うことは出来ない。  それ故、戦力を回復するには本国(大陸)からの海上輸送が不可欠なのだが、彼等の海運力では大陸からクノス島まで丸一日かかる。 「彼等は最も手近にある集積物資――第13飛竜連隊の保管物資――を既に島に運び込み、失っています。近在から物資を集める手間を考えれば、二日三日かかっても不思議ではないでしょう」 「大陸からクノス島まで僅か100海里、されど100海里、か……」 「我々を含むこの世界の者にとり、海は“巨大な城壁”なのです。 ……攻守双方にとって」  それは“帝國”が元いた世界とて同じことだ。  が、言葉は同じであっても、両者の意味合いは大きく異なる。  “アルフェイム”人にとっての海は“乗り越えることのできない鉄壁”を意味したが、“帝國”にとっては“面倒だが乗り越えられる壁”程度に過ぎなかったのである。  ……そしてこの違いこそが、開戦初期においてロッシェルがその判断を誤る最大の原因でもあったのだ。 「何れにせよ、この好機を逃す手は無いな」  開戦初日も現在と同様の状況――破壊の度合いは異なるが――だったが、それ以後攻撃を中断してしまい、敵に回復の機会を与えてしまった。  ……その二の舞だけは避けなければならなかった。  無論、開戦初日と現在とでは状況が大きく異なっている。  当時は陸上航空隊であるピグニス航空隊のみしか戦力が存在せず、水上及び陸戦戦力は皆無に近い状況であった。  肝心の航空戦力も低練度の艦戦と艦攻が40機足らずであり、しかもレスト島防空の為に艦戦の半数(1個中隊)を割かねばならなかった。  ……加えて思わぬ敵の反撃である。『第八航空戦隊の到着を待って』と判断したのも、些か消極的だがまあ止むを得ない判断と言えるだろう。 (そもそも水上及び陸戦戦力が無い以上、本格的な上陸作戦は不可能)  が、第八航空戦隊と陸軍部隊(歩兵第二八聯隊第一大隊)が到着し、基地・水上・陸戦部隊の全てが揃った。  そして今回の戦果により、北クローゼにおける戦力比は“帝國”に大きく傾いている。この機会を逃す手は無い。  角田少将は決断した。 「よし! 一気にクノス島を攻め落とすぞ!」 「しかし、我が戦隊は対ワイバーン訓練を始めたばかりですが」  戦隊参謀が声を上げる。  隷下の航空隊は昨日訓練に参加したばかりで、訓練に費やした時間は座学を含めても四〜五時間程度でしかない故の懸念だった。 「構わん。あと何日やろうが所詮は付け焼刃、畳の上の水練など一度やれば十分だ。後は実戦で覚えさせろ」  が、角田少将はにべもない。  フランケル沖での猛訓練が効き、八航戦の練度は経験はともかくそれなりのレベルに達している――それ故の自信だった。 (何しろほぼ同時期に編成されたピグニス航空隊よりも、平均飛行時間が200時間以上も高いのだ) 「ピグニス航空隊はどうしましょう?」 「もちろん彼等にも参加してもらう」  角田少将は断言した。 (ちなみに角田少将はクローゼ方面の指揮権を与えられており、当然ピグニス航空隊に対する命令権も保有している)  一端出撃を決めた以上、その全戦力を叩き付けるのが彼のポリシーだ。  加えて“鳥”如きに零戦が3機も堕とされたことは、自分にとって……いや“帝國”にとって屈辱以外の何者でも無い。レスト島上空での借りは何としても返さねばならなかった。 「第一目標は敵ワイバーンの撃破! 第二目標は敵ワイバーンの撃破! 第三目標は敵ワイバーンの撃破だ! 攻撃隊の編成を急げ!」 ――――“神鷹”飛行甲板上。  エレベーターに載せられ、攻撃隊の機体が次々に飛行甲板に上げられていく。  やがて出撃準備が完了するが、生憎と自然風は全くのゼロ――無風状態――だ。  “神鷹”は最高速力(22ノット)で航行しているものの、自力で攻撃隊を発艦させうるだけの風力は作りだせない。  以前の“神鷹”なら、この状況ではどうやっても発艦不可能だっただろう。  ……が、今は違う。 「よし! “風”を造りだせ!」  その声と同時に、突如として5ノット程の追い風が吹き始め、たちまち27ノットの合成風力が作り出される。  攻撃隊を発艦させて尚、お釣りが来るだけの風力だ。  ……これこそが“帝國”海軍が唯一取り入れた魔道技術、“風の魔石”の力だった。  “風の魔石”とは、呼んでその名の通り『人工的に風を作り出す』魔道機械である。  本来は船(帆船)の精密機動用として開発されたもので、一定レベル以上の国家の軍艦ならば大概装備されている。  作用としては、一定範囲内の空間に働きかけ、風を吹かせたり邪魔な風を打ち消したりする。  例えば最大発生風力が5ノットとしよう。  その場合、無風ならば好きな方向に最大5ノットの風を吹かせることが出来る。  が、既に風が吹いている――例えば東に3ノット――場合、東にならば最大“5+3”ノット、西にならば最大“5ー3”ノットといった具合だ。  それ故、頻繁に変わる風向きと敵の動きを睨みながら、頭の中でベクトルを考えつつ最適な方位を算出せねばならず、中々運用の難しい機械でもあった。(とは言えこの機械が有ると無いでは雲泥の差、勝敗に直結すると言っても過言ではない)  ……まあ、単純に要求される合成風力を作り出すだけの“帝國”海軍には関係の無い話だったが。  “帝國”海軍に関係があるとすれば、持続時間だろう。  この機械、平時に大気中のマナを魔力に変換して貯蔵しておき、使用時に消費する訳だから、当然持続時間がある。  持続時間は風力発生範囲、造成風力等で変化するが、“神鷹”級の飛行甲板(172.0m×23.7m)の場合でだいたい5ノットで1時間強、再チャージに半日かかる。(これでは防空も考えれば、攻撃隊を1日に2回送り出すのがやっとだ)  またチャージした魔力を貯蔵する為に500個近い魔力結晶を装備しているが、10回も使用すると劣化が進んで容量が半分以下に低下するため、頻繁に交換する必要があった。  ……が、これはあくまで“帝國”海軍が採用している“風の魔石”の場合、の話である。  各文明圏ごとに魔石を造る技術に大差があり、特に中央世界から遠く離れた大内海の技術では、結集したところで『この程度』――それもダークエルフの協力を受けてやっと――だったのだ。  (たとえば大量の魔力結晶を必要とするのは“変換効率が悪い”ためであり、魔力結晶の劣化が早いのは“精錬技術の不足”のためだ)  とはいえ、これだけあれば低速の改装空母でも自前の航空機を運用することができる。  かくして低速の商船改装空母群も、帝國海軍機動部隊の正式なメンバーとして働かされる事となったのである。  ……いや、正規空母や本格的な軽空母とは異なり使い惜しみが無い――何しろ元の世界に戻れば艦隊決戦には使えないのだ――分、馬車馬の様に扱き使われている感すらあった。  風を受け、攻撃隊が次々に飛び立つ。  その数――  “神鷹”攻撃隊 零戦二二型6機、九七艦攻6機  “瑞鷹”攻撃隊 零戦二二型6機、九七艦攻6機  “祥鷹”攻撃隊 零戦二二型6機、九七艦攻6機  ――の計36機(零戦二二型18機、九七艦攻18機)。  これにピグニス航空隊の攻撃隊17機(零戦二一型8機、九七艦攻9機)を加えた計53機が、クノス島に向けて飛び立ったのだ。  それは実にロッシェルが予想する戦力の倍、優に2個連隊以上の数だった。 ――――飛竜第13連隊仮設本部。  バンッ! 「敵艦隊を発見できなかっただと!? それで貴様はおめおめと帰ってきたのか、この無能がっ!」  クロケット大佐は机を叩くと、帰還した索敵隊の指揮官を怒鳴りつけた。  ……それも皆の前で、である。 「……敵艦隊を発見出来なかったのは遺憾であります。しかし、敵は影も形も――」 「言い訳はいい! 奴等がこの島から然程遠くない海域にいることは、間違いないことなのだ!」  バンッ! バンッ!  ――まあ無理も無いな、連隊長殿のチャンスを潰してしまったのだから。  激昂する上官の罵詈雑言を前に、索敵隊の指揮官――ガリ少佐――は自分でも驚くほど冷静だった。  ……これ程の侮辱である、いつもなら屈辱で真っ赤にまっていただろう。  それ故、彼は己の心に何処か違和感を感じていた。  上官の叱責を軽く聞き流し、あれこれと違和感の正体を推測する。  ――やはり、“己の失態”だからだろうか? ……いや、どうも違う様な気がする。  確かに、『敵艦隊が近くにいる』ということに関しては、ガリ少佐も同感だった。  船の速さは気象条件や海流に大きく左右されるが、だいたい平均で6〜7ミール/h、最大でもその倍がいいところだろう。  敵が去ってから索敵を出すまでの時間差が4時間だから25ミール前後。が、ここ数日非常に穏やかな天気が続いている。上手く海流に乗ってもその半分程度……15ミールがせいぜいだ。目と鼻の先である。 ……が、見つからない。  ――風の魔石で距離を稼いだ?  今まで“帝國”が繰り出した兵器を考えれば、風の魔石を持っていても不思議では無い。アレを使えば――  いや、仮に我々と同程度の性能――それも最良の――だったとしても最大で+15ミール、合わせてやっと30ミールだ。島から30ミールの海域など、空からならば直ぐに見つけることが出来る。(ましてや勝手知ったるなんとやら、なのだ)  ――考えてみれば、連中はどうやって我々の哨戒網を潜り抜け、ここま来たのだろう?  攻勢は禁じられたとはいえ、いやだからこそ余計に我々は島周辺の哨戒を行い、防御体制を整えてきた。  ワイバーンによる空からの目、  艦艇による水上からの目、  漁師達の目だってあった筈だ。  ……にも関わらず、全く敵艦隊の接近に気付かなかった。  カラクリ仕掛けの飛竜といい、今回の“幽霊艦隊”騒ぎといい、ガリ少佐は何か不吉なものを感じずにはいられなかった。 「ええいっ、もう一度行って探して来い! そして見つけるまで帰ってくるな!」  そうこうしている内に叱責は終わったが、その代わりに、何と再度の捜索を命じられた。  ……しかもその内容は滅茶苦茶だ。  ――『見つけるまで帰ってくるな』? 正気か、子供の使いじゃあないんだぞ?  ようやく違和感の正体に気付き、呆れ果ててガリ少佐は進言した。 (そう、ガリ少佐は『呆れていた』のだ。己の上官の、その異様なまでの執着振りに) 「無意味です。それより、敵の次の一手を防ぐ算段をするべきかと」  たとえ無駄足だったとしても、もう敵艦隊の捜索に割ける労力と時間は使い果たした。  今度は“次”に備えなければならない。  常識から考えて、敵が艦砲射撃だけで済ます筈が無い。必ずや二の矢を放つ筈だ。  残敵掃討、そして撤退する艦隊を支援する意味でも、その空中戦力を投入することは間違いないだろう。  ……が、クロケット大佐は見えざる敵艦隊に多大な執着がある、(敵艦隊の索敵に失敗した)ガリ少佐が言うべきでは無かった。  バンッ! バンッ! バンッ! バンッ!  彼は狂った様に机を叩き、首を振る。 「無意味とは何だ! 敵の艦隊はいる、いる筈なのだ!」 「竜は昨晩の砲撃で疲労しています、敵襲を前に、これ以上の消耗は避けるべきかと」  堪りかねたのか、先任の副連隊長――連隊には二名の副連隊長(中佐)がいる――も口添えする。  が…… 「カラクリの飛竜なぞ、何騎堕としても大した手柄にはならん!」 「なっ!?」  ザワッ  その言葉に、響めきが起こった。 「その様なことを仰っている場合ではありません!」 「その通りです! ワイバーン・ロードに匹敵する速度だけでも、ワイバーンには大きな脅威です! ましてや対地上攻撃における能力は、先に実証済みではないですか!?」  流石に先任副連隊長が語気を強め、もう一人の副連隊長も参加するが、クロケット大佐は止めない……いや、止まらない。  尚もガリ少佐を糾弾する。 「そもそも貴様が悪いのだ! 貴様が『帝國のカラクリ飛竜は、速度はワイバーン・ロードに匹敵するもその機動性は劣悪』などと上に送るから!   貴様は政治が判っていない、全く判っていない! 『帝國のカラクリ飛竜は、ワイバーン・ロードに匹敵する速度』としていれば撃墜をワイバーン・ロード並に評価されるものを、お蔭でワイバーン以下だ!」  その余りにも下卑た……だが余りにも明け透けな本音を前に、誰もが呆然とする思いだった。  『……本当に、これが自分達の上官なのか? 別人ではないのだろうか?』――そう疑ってしまう程に、変わり果てていた(*1)のだ。  ――人は、追い詰められるとこうまで変わるものか。  神経質そうに爪を噛む上官を見て、ガリ少佐は内心驚きを禁じ得なかった。  クロケット大佐は多少粗暴な所はあったものの、戦意溢れる優秀な指揮官だった。(でなければ、さしたる“ひき”も無しに大佐、しかも栄光ある飛竜連隊長になどなれる筈が無い)  ……それが、ここまで変わるとは。  確かに独断で進出した挙句、これだけの人員と物資を失った以上、厳罰は免れない。(ましてや竜までも少なくない数死傷させているのだ)  少しでも軽減するために手柄を欲するのは判るが――  とはいえ、そんな精神状態の指揮官に率いられる自分達の身を考えれば、驚いてばかりはいられない。  ガリ少佐はそう考え、取り合えず“幽霊艦隊”のことを頭の隅に追いやった。  カーン、カーン、カーン!  ……半鐘の音が激しく鳴り響いたのは、そんな時だった。  八航戦(とピグニス航空隊)が放った攻撃隊が発見されたのは、意外にもクノス島の遙か手前だった。  ……というのも、彼等は島伝いに飛行していたからである。  実の所、“帝國”は北クローゼにおける正確な海図を保有していなかった。  考えてみれば当たり前のことで、他国の領域で勝手に測量する――宣戦布告と同義語だ――ことなど出切る筈が無く、ましてや詳細な地図――何処の国だろうが重要な国家機密――が手に入る筈も無い。故に、開戦前に“帝國”が用意した地図は、『概略図に情報を書き込んだ』類のものでしかなかった。  ……これを元に航空機が洋上航法を行うなど自殺行為以外の何者でもない、だから彼等は地文航法を行わざるを得なかったのである。(この辺の事情は艦船とて似たようなものだった)  だから攻撃隊は経由する各島々で目撃された。  “帝國”とロッシェルが紛争状態となったことは、北クローゼの民の大半が既に知っていた。  敵の飛竜を見つければ、褒美が貰える――そう期待した民は、争って役所に届け出た。  攻撃隊がノス島の遙か手前で発見されたのは、まあそういう訳だ。  そして各島には、国境付近ということもあり魔法通信機が配備されている。魔法通信としては最も簡易なタイプで、出力が低く近距離――せいぜい支庁まで――までしか届かない上、タイプライターの様な文字入力方式なので音声も映像も送受信不可ではあるが、それでも攻撃隊の存在を知らせるには十分だった。(非常時により通信員を貼り付けていた点も無視できない)  とはいえ、八航戦からクノス島まで僅か100海里強。巡航でも40〜50分あれば到着する距離だ。  最初に発見されたのが、出撃後10分過ぎ。  最初に最寄の役所に届けられたのが、出撃後15分過ぎ。  クノス島の支庁に伝えられたのが、出撃後20分過ぎ。  ……そして同島の各部隊に伝えられたのは、何と攻撃隊が出撃してから30分過ぎ、到着の凡そ15分前のことだった。 *1 ――――『〜そう疑ってしまう程に、変わり果てていた』――――  一説によれば、クロケット大佐は“帝國”艦隊の大規模魔力弾攻撃(に匹敵する艦砲射撃)により、神経に異常をきたしていたともされている。 (事実、大規模魔力弾攻撃など誰にとっても初めての経験であり、他の多くの将兵にも――飛竜巣から遠く離れた駐屯地の将兵まで!――多かれ少なかれ神経に異常が見られたことから、“帝國”艦隊の攻撃がクロケット大佐の精神に何らかの影響を与えていたとしても不思議ではない)