帝國召喚 改訂版 第1章「クノス島攻略戦」 【1】 ――――昭和一八年八月、昭北島。  大内海と小内海を結ぶディスバテル海峡。その大内海側の入り口に、昭北島(*1)はあった。  “内海”と言っても大内海は約15000万ku、小内海でも東西合わせて約9000万ku――小内海は海峡によって東西に分割されている――と、実に広大な海域を誇る。故に、両者を連絡するディスバテル海峡もそれに見合うスケールであり、『最狭部でも500q以上』という“大海峡”だ。  昭北島は、このディスバテル海峡を塞ぐに最適の位置にある。このため“帝國”は昭和一七年の半ばには同島に進出、北の守りの要として、また来るべき小内海(中央世界)進出の拠点として、日夜整備を進めていた。  丁度、英国におけるシンガポールの如き存在、とも言えよう。  そんな要地であるから、当然停泊する艦船も多い。尤も大半は輸送船や駆逐艦以下の小型艦艇だが、中には巡洋艦クラスも見受けられる。  ――その内の1隻、練習巡洋艦“香取”の艦内では、二人の男達がある重要な会話を交わしていた。 「……宜しいのですかな?」 「問題ない、全て“計画”通りだ」  片手で水晶球を弄びつつ盛大に葉巻を吹す背広の男の言葉を、海軍第二種軍装に身を包んだ男は、そう切り捨てた。  それを聞くと背広の男は何とも言えぬ表情を浮かべ、葉巻を灰皿に押し付ける。(この世界に葉巻があるだけでも御の字だが、やはりハバナシガーが懐かしい!)  そして今度は両の手で水晶球を支え、まじまじと覗き込んだ。 ……水晶球は、今、正に出撃しようと勢揃いする航空機を映し出している。 「全く、“魔法”という奴は大したものですなあ! ある特定分野においては我々……いや、アメリカさえも超越する! ……そして何より、我々には予想もつかないことを平然とやってのける」 「……何が言いたい?」  背広の男の何処か芝居染みた言葉に、軍装の男は軽く目を吊り上げた。  が、背広の男は平然としたものだ。 「別に何も? ただ強いて挙げるとすれば、『“予定”より早過ぎる』ということ位ですかな?」  それが遠回しに『相手を甘く見るな』と言っていることに気付き、軍装の男は一笑に付す。 「はっ!“この世界”の蛮族共相手に我々が負けるとでも!? これは笑わずにはおれんな! ……有りえん、有りえんよ、吉田君」  軍装の男――及川海軍大将――は、そう実に嫌味っぽく背広の男――吉田特命全権大使――の名を呼んだ。  昭和一六年一二月八日、正に全世界相手の戦争へと突入しようとしていた“帝國”は、突如“異世界”へと転移した。(無論、原因は不明だ)  より正確に言えば、転移したのは千島から沖縄に至る所謂“本国”のみであり、南樺太・朝鮮・台湾・南洋諸島といった植民地や満州、支那占領地は転移しなかった。  が、不思議な事に、海外の“帝國”人及び“帝國”資産(*2)は共に転移してきていた。(これらの人々や物は各地の空き地等に出現し、ちょっとした混乱を招いたものだ)  その反面、国内であっても外国人――植民地の人々も含む――や外国資産(*2)は消えうせた。上の例から察するに、きっと今頃それぞれの母国にあるのだろう。  ……この説明不可能な超常現象を身を持って体験した“帝國”は、まず現状把握に追われて慌てふためき、把握後は暫し呆然としたと伝えられている。  が、座して待てばただ朽ち果てるのみ。例えこの地が異世界であろうとも、生き残る為には行動を起こさねばならない。かくして全てを……本当に全てを失った“帝國”は、生きるべく行動を開始した。  そしてそれから早一年と八ヶ月――雌伏の時を終えた“帝國”は、遂にこの大内海から中央世界へと飛躍しようとしていたのである。  ことの起こり、その直接の原因としては、数日程前に起きた事件が挙げられる。  昭北島の北西、即ちディスバテル海峡南西海域に位置するアプト島で、ロッシェル王国の漁民達に“帝國”漁船の乗員が全員虐殺されたのだ。  後に“明神丸”事件と呼ばれるこの事件は、直接的には“帝國”側の常軌を逸した乱獲が原因だった。が、例えどの様な理由でも同胞を、しかも自領内――アプト島は“帝國”領だ――で虐殺されては黙っていられない。“帝國”はロッシェル王国に対し、速やかなる謝罪と賠償、そして犯人の引き渡しを断固たる態度で要求した。  が、対するロッシェル王国とて負けてはいない。当初は『事実確認まで何とも申しかねる』、事実確認後は遺憾の意を示しつつも“帝國”漁船側の遣り口の強引さも合わせて指摘、『喧嘩両成敗』を主張する。当然、賠償も犯人の引き渡しも断固拒否だ。  この態度に“帝國”は『激怒した』。直ちに暴懲膺廬(*2)とばかりに刀を抜き、今まさに斬りかかろうとしていたのである。  ……冒頭の二人の会話は、その最高責任者同士の会話だった。  会話は尚もつ梳く。 「しかし、肝心の陸軍はまだ部隊が到着していないと?」 「しているさ」 「……僅か1000人足らずの先遣隊だけで、人口800万超のロッシェルを?」  吉田は口を顰めた。今回の作戦で投入される陸戦戦力は僅か1個聯隊。 ……それだけでも少ないというのに、予定が早まったため現在投入可能なのはその更に1/3でしかないのだ。(吉田からすれば正気の沙汰ではない!) 「『僅か1000人』と言うが、並々ならぬ1000人だよ。陸軍最精鋭の呼び名も高い歩兵第二八聯隊だ。 ……君も、噂には聞いているだろう?」 「一応、耳には」 「転移以来、常に先陣として投入されてきた歴戦の勇士達――それが1000人だ! ロッシェルの蛮族共相手に、一体何の不足があると言うのかね!?」  ドンッ!  及川は机を叩き、些か興奮気味に叫んだ。先日昭北島に到着した二八聯隊将兵の動作溌剌、軍紀厳正たる態度に彼は感激しきっており、その勝利を露程も疑っていない。(尤も、これについてはこの島にいる他の海軍軍人達も全くの同意見だったが) 「『獅子は兎を屠るにも全力を以てす』と聞きますが?」 「素人が口を出すな!いくさは、我々軍人に任せておけば良いのだ!」  その言葉に吉田は肩を竦めた。  一事が万事この調子で、どうにも手がつけられない。  ……正直、些かもて余していたのである。  転移後、一線を退いていた吉田は周囲の要望により、再び返り咲いた。(退潮著しい外務省にとって、吉田の政治力と牽引力は是非とも必要だったのだ)  そして現在、吉田は昭北島以北の国々全てを担当する“北方特命全権大使”の地位に就いている。  及川もまた、吉田と似た様な立場にある。海相を辞した後は軍事参議官として無聊をかこっていたが、小内海進出の話を聞きつけ、一期後輩の嶋田海相に頼み込んで北方方面艦隊司令長官に就任したのだ。  この“北方方面艦隊”は小内海進出に当たって臨時に編成された艦隊で、連合艦隊とも同格の組織――とはいえ連合艦隊とはかつての遣支艦隊以上の規模の差があるが――だ。  結論を言えば、吉田と及川はそれぞれ軍事と外交の最高責任者――陸軍は対ロッシェル戦に関しては物資は別として1個聯隊(つまり最高位は大佐)の戦力しか出さない――であり、同格同士でもある。  が、及川は吉田が同格などとは毛ほども思っていなかった。海軍大将であり、かつ海相まで務めた自分が外務次官が精々の男と同格である筈が無い、と頭から信じ込んでいたのだ。(これは全くの誤解である。吉田は外務省でも指折りの実力者であり、望めば外務大臣になる機会は幾らでもあった)  加えて、外務省そのものも馬鹿にしていた。『宣戦布告さえ満足に出来ぬ外交官など、いない方がマシだ』とすら思っていたのである。  ……実は転移直前、外務省はある重大な失策をやらかしていた。なんと駐米大使館書記官の不手際により、『宣戦布告をしていなかった』のだ!  この報告に、軍と政府は真っ青になった。  対米戦直前に転移したことから事なきを得たが、あのままいけば“帝國”はアメリカを“騙まし討ち”する所だったのである。そうなれば大戦果による早期講和など夢のまた夢、否応なしに勝ち目の無い長期戦、消耗戦に引き擦りこまれていたことだろう。その行き着く先は、火を見るよりも明らかだ。  更に悪いことに、この事実が発覚したのは転移後一年近く経ってからのことだった。外務省は緘口令まで出してこの事実を隠蔽し、闇に葬ろうとしていたのである。  軍は前々から外務省の外交能力に深刻な疑念を抱いていたが、今度という今度は決定的だった。  外務省にとっては幸いなことに、当時の駐米大使が海軍出身だったため、処罰自体は極々軽いもので済んだ。が、泥を塗られた立場の海軍としては堪ったものではない、その苦々しさは想像に難くないだろう。  こういった経緯から、現在の海軍には陸軍以上に外務省を嫌っている連中が少なくなかった。(無論、及川もその一人だ)  そして軍が政治を握っている以上、この不信と嫌悪は致命的だ。以後外務省は徹底的に干されることとなり、現在に至っている。(今回の件とて外務省が起死回生のため死に物狂いで工作し、なんとか話に加わった、というのが真相である)  そんな訳で、二人がギクシャクするのはある意味当然のこと、とも言えた。 ……その是非は別として。  今回の作戦(対ロッシェル戦)にあたり、“帝國”は北方方面艦隊を臨時に編成、同艦隊に作戦に関する権限をほぼ全面的に委譲している。  その戦力は以下の通り。  北方方面艦隊(司令長官:及川古志郎“帝國”海軍大将)   練習巡洋艦“香取”(旗艦)   第九艦隊   第八航空戦隊   艦隊附属     第一九航空隊(*4)     歩兵第二八聯隊     第一〇三設営隊     各種艦艇・特務艦艇・特設艦船群、他。  第九艦隊は昭北諸島を中心とした大内海北方方面を担当する警備艦隊、  第八航空戦隊は第二航空艦隊隷下の機動部隊、  第一九航空隊は第九艦隊より抽出された陸上航空部隊  であり、全て連合艦隊艦隊からの編入である。(このため仕事と部隊を奪われた形の連合艦隊とはかなり仲が悪く、共同作戦の際には支障が出る恐れすら指摘されていた)  各部隊をより詳細に見ると――  第九艦隊(大内海北方方面担当)   軽巡“長良”   第一八戦隊:軽巡“天龍”“龍田”   第二六戦隊:敷設艦“沖島”“津軽”   第三六戦隊:特設水上機母艦“聖川丸”、特設巡洋艦“金城山丸”   第五水雷戦隊     軽巡“夕張”     第三一駆逐隊:駆逐艦“神風”“旗風”“夕凪”(神風型)     第三二駆逐隊:駆逐艦“朝風”“春風”“松風”(神風型)     第三三駆逐隊:駆逐艦“追風”“疾風”“朝凪”(神風型)   第七潜水戦隊     特設潜水母艦“りおでじやねろ丸”     第七潜水隊 :潜水艦“伊号一”“伊号二”“伊号三”(巡潜一型)     第八潜水隊 :潜水艦“伊号四”“伊号五”“伊号六”(巡潜一型/巡潜二型)     第一〇潜水隊:潜水艦“伊号七”“伊号八” (巡潜三型)   第二七航空戦隊     第一六航空隊:艦戦×24機(常用18+補用6)、陸攻×24機(常用18+補用6)     第一九航空隊:艦戦×22機(常用18+補用4)、艦攻×22機(常用18+補用4)     戦隊附属:輸送機×8機(常用6+補用2)、特設航空機運搬艦“清澄丸”   第一一特別根拠地隊   艦隊附属     昭北島方面特別陸戦隊     各種艦艇・特務艦艇・特設艦船群、他。  *軽巡“長良”は名目のみの旗艦であり、実質的な司令部は陸上。  *第一九航空隊は抽出され、現在北方方面艦隊附属。  *特設航空機運搬艦“清澄丸”は特設巡洋艦からの転籍。  *艦隊航空兵力として上記の他に以下の部隊が存在。    根拠地航空隊:三座水偵×8機(常用6+補用2)  (この他に指揮下には無いが、二四航戦や海上護衛総隊隷下の輸送機・水上機等が若干存在する)  第八航空戦隊    空母“神鷹”“瑞鷹”“祥鷹”    第二二駆逐隊:駆逐艦“水無月”“文月”“皐月”“長月”(睦月型)  *母艦航空兵力:艦戦×33機(常用27+補用6)、艦攻×45機(常用36+補用9)  第一九航空隊(通称“ピグニス航空隊”)   “明神丸”事件が起きたアプト島を含むピグニス諸島(“帝國”領)を拠点とする“前進基地”部隊。   航空兵力は艦戦×22機(常用18+補用4)、艦攻×22機(常用18+補用4)。  ――となる。(ただし第九艦隊の最も重要な任務は『瓶の蓋』であることから、抽出された第一九航空隊を除き、原則として後方支援のみ)  ちなみに上に出てくる地名それぞれの大まかな位置関係は――   “帝國”本国     │  (北へ2500海里)     ↓    昭北島     │  (北北西へ500海里)     ↓   イルドーレ王国(北北西方向の幅270海里)     ↓   ピグニス諸島(北北西方向の幅30海里)     ↓   ロッシェル王国北クローゼ列島(北北西方向の幅200海里)     ↓   ロッシェル王国本土  ――となっている。尚、昭北島―ピグニス島間にあるイルドーレ王国は“帝國”寄りの独立国家であり、北方方面艦隊に食料や各種資材を供給する重要な役割を担っていた。(ピグニス諸島も元々はイルドーレ王国領だったが帝國が“購入”したものだ)  こうして見ると、それなり以上の戦力である。特に要である航空兵力は、補用機も含めれば約200機と中々のものだ。 ……強いて苦言を呈するとすれば、僅か1個歩兵聯隊という陸戦戦力の少なさだろうか?  とはいえ、圧倒的なまでの彼我の火力差や『近代戦術を知る者と知らない者との戦い』であるという用兵上の優越、更に先に挙げた航空戦力を考えれば、1個歩兵聯隊どころか『1個大隊でお釣りが来る』と軍は判断していた。(尤も、政治的・物理的な制約から、1個歩兵聯隊以上の陸戦戦力を投入することは不可とされていたのではあるが)  が、作戦発動にあたって幾つかの不安要因が浮上してきたのもまた、否定できない事実であった。  まず真っ先に挙げられることは、予定が大幅に繰り上がったことによる弊害だろう。ことに部隊展開の遅れは大きく、目に見える形で作戦に影響を与えていた。(唯一の陸戦部隊である陸軍歩兵第二八聯隊が未だ先遣隊(第一大隊)のみしか到着していないことも問題だが、それ以上に問題なのは『第八航空戦隊が未だ昭北島で出航準備中』だということだった。お陰で基地航空隊(ピグニス空)と母艦航空隊(八航戦)が連携して航空優勢を確保する筈が、丸々二日以上の間を基地航空隊単独で航空戦を展開しなければならなくなった)  ……とはいえ、今更あれこれ言っても仕方が無い。最早賽は投げられたのだ、持てる戦力で全力を尽くすしか道は無かった。  昭和一八年八月二〇日、“帝國”軍は突如としてレスト島に上陸。同島をたちまちの内に占拠した。  レスト島は北クローゼ列島――ロッシェル王国本土南東海域を北北西から南南東にかけて横断する島々の集まり――の最南端に位置する同国最南端の領土である。 ……つまり、この行為は完全な主権侵害だった。(尤も、“帝國”は『“明神丸”事件に対する報復行動の一環』と宣言。正義は我にあり、と主張していたが)  当然これにロッシェル王国は激しく反発、直ちに奪還作戦を発動した。  ――かくして、ここに“ロッシェル事変”の幕が切って落とされたのである。 *1 ――――昭北島――――  昭北諸島の一島で、正式には“昭北本島”と呼ぶ。 *2 ――――資産――――  土地建物等の撤去不可能なものを除く。 *3 ――――暴懲膺廬――――  『暴虐な“蛮族ロッシェル”を懲らしめろ』という意。ちなみに“廬”はロッシェル王国を表す当時の当て字であり、“小さな粗末な家”を意味する。 *4 ――――第一九航空隊――――  転移前の旧第一九航空隊(第六根拠地隊隷下)とは全く無関係の新設部隊。  転移後、臨時航空隊を中心に大規模な部隊再編が行われ、これに伴い新編された。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2】  昭北島とロッシェル王国の中間に、イルドーレ王国なる島嶼国家が存在する。  総面積2500ku、人口7万人程の小国だが、昭北島方面に展開する“帝國”軍の物資供給源(の一つ)として、なかなかに重要な役割を担っている国だ。  “帝國”は同国より様々な物資を調達していたが、その中にはなんと“領土”まで含まれていた。  “帝國”がイルドーレ王国より買い求めた領土の名は、ピグニス諸島。俗に“南クローゼ列島”と呼ばれるクローゼ列島南部の諸島群を国土とする同国の最北端に位置する諸島である。  ――これを、“帝國”は丸ごと一つ買取ったのだ。買った“帝國”も“帝國”だが、売ったイルドーレもイルドーレ、としか言いようのない行為だった。  確かに、ピグニス諸島は最大のピグニス島(ピグニス本島)でも『数km四方しかない』という小島の集まりに過ぎない。が、それでも百人程の漁民が暮らすれっきとした有人諸島だ。  それを統治権ごと売り払ったのである。いかなる事情かは知らぬが、およそ正気の沙汰とは思えなかった。  が、まあ兎に角、こうしてピグニス諸島は“帝國”領となった、という訳である。  昭和一八年七月、“帝國”はピグニス本島に海軍設営隊(第一〇三設営隊)を送り込み、全土の基地化に着手した。(現地住民には購入直後に補償金を支払い、周辺の島々に移住して貰った為、当時既に本島は無人となっていた)  同設営隊は完全に機械化された優良部隊であり、飛行場(1500×100m)及び各種施設とこれ等を結ぶ道路網を僅か30日で完成させた。  これに前後して航空隊も進出、翌八月の作戦発動時にはほぼ全力稼動が可能となっていた。  ――こうして誕生したピグニス基地であるが、同基地は諸島全域の防衛を担うだけでなく、“前進基地”としての役割も併せ持っていた。  というよりも、“攻撃軍”としての性格の方が強い。(だいたいが『そのため』に購入したのだ)  故に、今回もロッシェル本土をその射程内に置く唯一の“帝國”軍拠点として、機動部隊と共に対ロッシェル戦の中核と位置付けられている。  ロッシェル事変時、同諸島に駐留する部隊はその全てが飛行場のあるピグニス本島に駐留していた。その具体的な戦力は、以下の通り。   ピグニス航空隊(約600名)    作戦機44機(常用36機、補用8機)    他に防御戦力として、重火器6門(三年式12cm砲×2、13o機銃×4)、砲艇4隻を保有。  また守備隊ではないものの、この他に第一〇三設営隊と同部隊の輸送船団(5000総トン級輸送船2隻、護衛艦2隻)、そして民間会社の漁業船団も同諸島に駐留していた。  これ等の部隊は基本的に戦力足り得ないが、例外として船団の護衛艦2隻(特設砲艦“第三千代田丸”“第四千代田丸”)が投入可能だった。 ――――ピグニス島飛行場。  ド、ド、ド、ド……  腹に響く豪快なエンジンの始動音が幾つも響き渡る。攻撃隊が今、正に出撃しようとしているのだ。  第一九航空隊――いわゆる“ピグニス航空隊”の戦力は、零式艦上戦闘機が22機(常用18機+補用機4機)及び九七式艦上攻撃機が22機(常用18機+補用機4機)の計44機(常用36機+補用機8機)である。  これらの機体人員は、商船改装空母“海鷹”“天鷹”に搭載する筈だった機体と搭乗員をそのまま流用したものだ。  ……ちなみに“海鷹”は“あるぜんちな丸”、“天鷹”は“ぶらじる丸”を改装して誕生した空母である。  尤も“空母”とは名ばかりで、両艦共に航空機の運用は不可能――空母としては小型低速過ぎるため――だった。  これを可能にするには、機関換装して大幅に速力を上げるしかない。が、それには一年近くドックを占拠させる必要があった。  加えて、例え機関換装して航空機運用能力を獲得したところで、この程度の大きさではその能力は限られたものでしかない。  故に“帝國”海軍は無意味な機関換装を見送り、両艦を“航空機運搬専用空母”として運用することを決定した。  ――こうなると元から空母への改装を前提に建造されただけに、話は早かった。両船は僅か三ヶ月足らずで空母へと生まれ変わり、以後は高性能の航空機運搬艦として東奔西走することとなる。  そして行き場を無くした両艦の航空隊はピグニス島航空隊へと生まれ変わり、こうして今まさに中央世界進出の一番槍を担おうとしていた。 (とはいえ“とある魔法機械”を使用することにより、低速の商船改装空母でも艦隊軽空母並の航空機運用能力を獲得することになるのだが、今はこれに触れないでおこう)  そうこうしている内に次々と攻撃隊が滑走、離陸していく。  その数、零戦6機、九七艦攻9機の15機。  それぞれ編隊を組み、西方へと消えていった。 「司令、どうなさったのです?」 「……いや、な? ひよっ子共が大丈夫か、となあ?」  副官の言葉に、航空隊司令はまるで奥歯に物が挟まった様に答えた。  本来は半年ほど前に竣工した『“海鷹”“天鷹”の航空隊』として編制された彼等である。その歴史は浅く、搭乗時間もそれに比例して短い。  ……正直、“帝國”海軍の搭乗員分類――『技量特に優秀なる者』『技量優秀なる者』『艦隊一般搭乗員』『技量未熟なる者』――で言えば、その過半は『技量未熟なる者』、残る大半もやっとこさ『艦隊一般搭乗員』といった所だった。  一応“要の存在”として数人の『技量優秀なる者』が配属されてはいるが焼け石に水、航空隊総合で見ればその評価は……といったところだ。 (これは第八航空戦隊も同様であり、実の所今回の作戦に投入される航空戦力は、はっきり言って額面通りには受け取れない部分が多分にあった) 「せめて相棒が八航戦ではなく七航戦だったらな……」  そう思わずにはいられない。  七航戦は、空母“大鷹”“雲鷹”“冲鷹”と睦月型駆逐艦4隻から成る八航戦と同規模の艦隊である。  が、どの母艦も一年以上前に就役しており、それなりの練度を保有している。八航戦の各空母がつい二〜三ヶ月前に就役して連合艦隊に配属されたばかり――つまり艦も機も練度は推して知るべし――だという頼りない現状を考えれば、本来ならば七航戦が投入されるべきだった。  ……が、生憎と七航戦の新編と前後して、各艦共に現在ドック入りしていた。  ――いや、それを言うならば一航艦を投入すべきなのだ。  強大な戦力による強烈な一撃。それこそが“帝國”海軍ではないか!  が、その様なことは有り得なかった。何故なら、海軍は虎の子の艦隊を極力本土で温存する方針だったからだ。  海軍は、虎の子の艦隊が傷つくことを極度に恐れていた。  尤も、『敵と戦って傷つく』ことを恐れていたのではない。そんなことを言ったら笑い飛ばされるか怒鳴られるかのどちらかだろう。  彼等が恐れていたのは“距離”。3000海里以上もの“距離”――しかも本土以外満足な補修施設も海図も無い様な――を何よりも恐れていた。  それ故、商船改装空母と旧式小艦艇群の投入でお茶を濁していたのである。無論、大規模な艦隊派遣による兵站の崩壊も恐れていたが、本音はこっちだ。  ド、ド、ド、ド……  と、そんなことを考えていた司令の目の前を、3機の零戦が横切った。レスト島――“明神丸”事件を引き起こしたロッシェル漁民達の島――攻略部隊の直援任務の交代部隊だ。  内、1機の機体には幾つかの撃墜マークが記されている。支那マークの他に竜の様なマークも見えた。  航空隊で数人しかいない『技量優秀なる者』。その中でも唯一、ワイバーンとの実戦経験のある辻原一飛曹の機だろう。 「大丈夫ではないでしょうか? 言ってみれば“据え物斬り”の様なもの、『度胸付けにはもってこい』と愚考しますが……」  司令の気がそれたことに気付き、副官が当たり障りの無い意見を口にした。 「ああ、上も貴様と同じ見解だ」  その言葉に、だが司令は顔を顰めた。副官の意見こそが正に圧倒的多数派であることを、嫌というほど思い知らされていたからだ。 『一度の実戦参加は百度の訓練に匹敵する。 ……まあ相手は未開の蛮族だ、一つ肩の力を抜いて気楽にやれ』 『貴様、上手くやったなあ! 手柄の立て放題だぞ?』 『足らぬ足らぬは工夫が足りぬのだ! 足りぬのを兵法で補うのが才覚というものだろう!』  何とか高練度の部隊を回して貰える様に根回しをしたのだが、その結果はこの様に散々だった。  彼の様な極々一部を除いて、誰もが今回の戦争を、せいぜい“大規模な実弾演習”程度にしか考えていなかったのである。 ――――ロッシェル王国、クノス島飛竜巣。  クノス島は王国本土から130ミール(約190km)程離れた海域に浮かぶ北クローゼ列島最大の島であり、同列島全域を管轄する支庁と相応の軍部隊が駐留していた。  これ等の軍部隊の駐留目的は『北クローゼ列島の防衛』。故に王国軍はクノス島駐留軍に対し、直ちにレスト島奪還と報復攻撃を命令した。  命令を受けたクノス島駐留軍は、手始めにクノス島飛竜巣に駐留する飛竜中隊に対して威力偵察を命令した。  飛竜巣とは、読んで字の如く“飛竜の巣”。即ち飛竜(主にワイバーン)を大規模運用する為の施設である。クノス島飛竜巣はクローゼ列島唯一の飛竜巣であり、常時1個飛竜中隊(6騎)が本土より交代で駐留していた。 「今回の奪還作戦において、我が中隊は栄誉ある先陣を担うこととなった! 逆上陸に先立ち、レスト島の敵戦力に対する空爆を敢行する!」  王国飛竜軍第13飛竜連隊第3中隊長のオーベール・ガリ少佐は部下達を前に宣言した。  逆上陸するには船を用いるしかない。が、クノス島からレスト島までおよそ120ミール(約176km)。航海速度6〜7ミール/座(5ノット前後)程度の帆船では航海だけで丸々一日近くかかる。(準備期間を入れればそれどころではない)  ……それまで手をこまねいていては世間の笑いものだ。故に、先ずワイバーン単独での偵察を兼ねた襲撃を実施し、次いで海空共同の逆上陸作戦で同島を奪還する――という計画だ。 「少佐殿! 本土からの援軍はあるのですか?」  部下の一人が挙手、質問した。  ……当然の質問だろう。何せクノス島の空中戦力は自分達の中隊、即ちワイバーン6騎しか存在しないのだから。  が、有事には本土の第13飛竜連隊(4個中隊24騎)――彼等の親部隊だ――が全力展開することになっている。当然、それを期待しての質問だった。 「無論だ。が、連隊全力では無い。明朝には第4中隊が本中隊と合流、“第2大隊”を編成し対“帝國”にあたる」  ガリ少佐は大きく頷き、その質問を肯定した。  ちなみにここで言う“大隊”とは建制のものではなく、『連隊(4個中隊)の1/2(2個中隊)を分派したから“大隊”』といった便宜的な呼称に過ぎない。  この世界では連隊の建制に大隊や小隊が存在しない場合が多く、この為『連隊から数個中隊を分派する場合“大隊”』『中隊から1/2、1/4の戦力を分派する場合“小隊”』といった便宜的呼称が広く行われているのだ。 (とはいえ、全ての連隊に建制の大隊(小隊)が存在しない訳ではない) 「上陸した敵戦力はどの程度でしょう? 特に空中戦力について、お聞きしたいのですが」  別の部下が質問する。 「レスト島からの報告では『戦列艦クラスの大型軍船1隻』だったらしいが詳細は不明だ。が、恐らくイルドーレ王国から割譲された諸島に駐留している部隊が出動したのだろう。同諸島の規模、加えて割譲期間から考えて然程の部隊が駐留しているとも思えん。“戦列艦”は別として、200〜300の兵に空中戦力3〜6騎程度だろう。当然、上陸部隊もそれに見合ったものである筈だ」  ガリ少佐は、司令部から送られてきた情報を部下達に教えた。(この時点でロッシェルは、“帝國”軍駐留兵力を『最大でも兵数300、空中戦力6騎程度』と予想していた)  “戦列艦クラスの大型軍船”と聞き、部下達は一斉に色めきだった。特に第13飛竜連隊は洋上打撃を主任務とする部隊だ。“戦列艦”と聞いては黙ってはいられない。  『退屈極まりない対地支援のみ』と考えていたのが、とんだ大物の登場である。  “軍艦の王者”戦列艦といえども、彼等から見れば“カモ”でしかない。  歴史の紐を解けば、数騎のワイバーンに大艦隊がなす術も無く敗れた例など幾らでもある。『海上兵力は如何足掻いてもワイバーンには勝てない』――これがこの世界の常識なのだ。  ……とはいえワイバーンも所詮は生き物、弱点が無い訳では無い。現在、ガリ少佐が頭を悩ませている問題のもその一つだ。  現在彼が悩んでいるのはクノス島―レスト島間の“距離”。これは空中戦力の運用者達が常に頭を痛める問題――他兵科から見れば“贅沢者の悩み”でしか無かったが――の一つだった。  第一線のワイバーンに要求される性能水準は、『最高速度:18ミール/刻(約318q/h)、巡航速度:12ミール/刻(約212q/h)、航続距離(非爆装時):巡航速度で60刻(300分)』程度である。  クノス島からレスト島までおよそ120ミール(約176km)。  『12ミール/刻で60刻』というワイバーンならば、一見十分な様にも見える。  が、これはあくまで非爆装時の時の話である。  ワイバーンは、爆装で巡航した場合にはこの2倍、空戦時には3倍以上消耗する。  つまり、空対空任務(非爆装時)の場合なら、  『行動半径216ミール(約318q)+戦闘8刻(40分)』  『行動半径144ミール(約212q)+戦闘12刻(60分)』  といった具合だが、対地任務(最大爆装時)の場合では、『最初の2刻(10分)で投弾、その後4刻(20分)で空戦・戦線離脱』という最低限のスケジュ−ルでも、  『行動半径144ミール(約212q)』  にしかならない、ということだ。  加えて、如何に『生物として考えられないほど均質化している』と言われるワイバーンとてやはり個性があるし、体調の良し悪しもある。  故に、実際の運用ではこの行動半径から更に一割引いて計算される。  行動半径144ミール(約212q)ならば約130ミール(約191q)――  こうして見ると、レスト島は爆装でも一応は攻撃範囲内ではある。  が、『飛行ルートの大半が海洋で不時着不可能』ということを考えればかなり厳しい距離――先に挙げた数字もあくまで地表上空を飛行した場合(そもそもワイバーンは洋上飛行に向いていない)だ――だろう。  明日以降の逆上陸が本命ということを考えれば、反復攻撃も難しい。  ――止むをえん、『あくまで偵察』と腹を括って爆装は半量に止めるか。  爆装半減では打撃力が不足するが仕方が無い。まず敵の情報を収集することこそ先決だ――そう、ガリ少佐は決断した。 「中隊は全騎爆装、ただし各騎の爆装は半減とする! ダントン大尉!」 「ハッ!」  小柄な飛竜騎士が立ち上がり、敬礼する。 「中隊を二分し、それぞれ対地爆装と対艦爆装とする! 貴官は対艦爆装騎を指揮せよ!」 「ハッ! 対艦爆装騎を指揮します!」 「よし、私は対地爆装騎を指揮する! 各“小隊”――中隊を分割した際の便宜的呼称――の内訳はいつも通り! これより1時間後に出撃する! 解散!」  飛竜騎士達は一斉に立ち上がり、敬礼した。  飛竜騎士達が出撃前の最後の休憩をしている間、飛竜待機所では竜卒達がワイバーンの爆装準備に追われていた。  ワイバーンの両足には爆弾架が固定され、慎重に爆弾が装着される。そして装着すると導火線を発火装置に挟み込む。  ……ちなみにワイバーンの搭載する爆弾には“榴弾”“榴散弾”“魔力弾”の三種類が存在するが、これには以下の基本搭載パターンが存在する。(ただし“魔力弾”は特殊爆弾で通常は用いない)   @400リブラ(約205s)又は500リブラ(256s)爆弾×1発。   A200リブラ(約102s)爆弾×2発。   B100リブラ(約 51s)爆弾×4発。   C 50リブラ(約 26s)爆弾×8発。  この内、最も用いられるのがCの50リブラ爆弾だろう。何しろ脱着も容易な上、安価なことから広く利用されている。  尤も、今回各騎に搭載されたのは、第1小隊騎(対地)が各50リブラ榴散弾4発、第2小隊騎(対艦)が各200リブラ榴弾1発だ。先にも述べた様に、ワイバーンの負担を出来るだけ軽くする為である。  爆弾を搭載したワイバーンは次々と発着場へと連れて行かれ、200×50パッシス(約294×73.5m)の発着場――ワイバーンの運動場も兼ねる――に整列させられる。  全騎整列するといよいよ出撃だ。 「目標、レスト島“帝國”軍! 侵略者共を内海(小内海)から叩き出せ! 以上、出撃!」  その言葉を合図に、ワイバーンは次々と滑走を始める。  滑走が進むにつれワイバーンの魔力回路は出力を上げていき、徐々に宙浮かび始める。そして50パッシスも滑走した頃には完全に離陸していた。  ……実に恐るべき短距離離陸性能である。(搭載量と航続距離を犠牲にすれば垂直離陸すら可能!)  6騎は見事な編隊を組み、一路レスト島を目指す。  両軍は今、正に衝突しようとしていた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【3】  ロッシェル王国最南端の領土であるレスト島は現在、“帝國”軍に占拠されていた。  占拠したのは特設砲艦“第三千代田丸”(840総トン)から選抜された陸戦隊、およそ20名弱。本来ならば歩兵第二八聯隊が担うべき任務だったのだが、同聯隊が未だ前線に到着していないため、止む得ず彼等が投入されたのだ。 ……尤もレスト島は、代官以下数人の役人と700人程の島民がいるだけの無防備な小島で、急遽編成された半個小隊の陸戦隊でも容易に落せたのではあるが。  が、領土を占拠されっ放しでいる相手など存在しない。直ぐに反撃が来ることは間違いないだろう。  故に二八聯隊が到着するまでの間、彼等は敵の反撃に耐えつつ同島を維持し続けねばならなかった。 ――――レスト島上空。  敵の反撃は、先ず空から来るものと思われた。  このため上陸以来、交代で常時3機の零戦が警戒に当たっている。(無論、日昇から日没までだが)  ちなみに現在直援任務に就いているのは、第二中隊第二小隊だった。 「来るなら来い!」  小隊長の渡瀬中尉は敵を待ち望んでいた。  ……いや、『切望していた』と言って良いだろう。  第二小隊は、渡瀬中尉のみが『一般搭乗員』で部下達二人は『技量未熟なる者』という、まあピグニス航空隊では一般的な組み合わせ――基本は『一般搭乗員』1人に『技量未熟なる者』2人――の小隊だ。が、『小隊長が一番の技量』というのは彼の小隊のみで、このため彼は少々天狗になっていたのである。  今回の任務も、彼はほとんど狩猟感覚で臨んでいる。  総飛行時間も500時間の大台を越え、一通りの技術を身につけた彼が次に望むもの。それは撃墜マークに他ならなかったのだ。  ……故に、敵を見付けた時の彼は、まさに舌舐めずりせんばかりだった。  待ってましたとばかりにスロットルを全開にし、敵に向かう。  振り向くと、部下達は自分の行動で初めて敵に気付いたのか、かなり遅れてついて来る。  ――しょうが無い奴等だ。 ……まあいい、奴等が駆けつけるまでの間に何機落とせるか試してみるか。  渡瀬中尉は敵目掛けて突き進んだ。  第13飛竜連隊第3中隊は、渡瀬中尉が気付く遙か前から零戦を発見していた。  1q先の小鳥すら視認するワイバーンと“同調”している彼等にとり、巨大な零戦を発見することなど容易いこと。故に、渡瀬中尉が突撃し始めた頃にはとっくに迎撃態勢を整えていた。 「…………?」  ガリ少佐はレスト島上空に敵飛竜を発見した時、若干の戸惑いを感じた。  それは全く見たことの無い竜で、陽光を浴びて金属色に光っている。 ……鎧でも身に纏っているのだろうか?  とはいえ、何時までも眺めている訳にはいかない。何れかの小隊に爆装を投棄させ、他の小隊が爆撃するまでの間支援させなければならなかった。  敵上陸部隊に対する爆撃を諦めるべきか、それとも敵艦への爆撃を諦めるべきか――ガリ少佐は素早く決断を下す。 「ダントン大尉!」  ガリ少佐は胸元のペンダント――小型の魔道式通信機で各中隊に1セット(2個)配備されている――に向かって叫んだ。 『ハッ!』 「俺の小隊(第1小隊、対地爆装)が敵空中部隊と交戦する! お前の小隊(第2小隊、対艦爆装)はあのデカい軍艦を沈めろ!」 『ハッ! 御武運を!』  ダントン大尉は敬礼すると進路を変え、敵艦に向かった。第2小隊もそれに続く。  それを確認すると、ガリ少佐はワイバーンを短く3回鳴かせた。  『――』  『――』  『――』  人の耳では聞き取れない“声”でワイバーンは鳴く。  それぞれの“声”には事前に単語が当てはめられており、簡単な命令ならこれで対応出切るのだ。  (爆弾投棄)  (対空戦闘準備)  (続け)  この命令を受けた部下達も、理解した事を知らせるべくワイバーンを鳴かせた。  『――』(了解)  『――』(了解)  第1小隊は爆弾を投棄し、進路を変える。  第1小隊は敵飛竜(零戦)隊へ、  第2小隊は敵戦列艦(第三千代田丸)へ、  それぞれ目標目掛けて突撃した。 ――――特設砲艦“第三千代田丸” 「敵機来襲!」 「ピグニスに救援要請を送れ! 対空戦闘用意!」  ワイバーンが向かって来るのに気付いた“第三千代田丸”は、直ちに対空戦闘の準備にかかる。  “第三千代田丸”は戦時標準船1E型の1隻を海軍が購入し、特設砲艦とした艦である。総トン数840トン、航続距離は10.0ノットで7200海里という足の長さで、船団護衛や哨戒、物資輸送に活躍していた。  が、その兵装は8センチ砲2門、7.7o機銃2挺、13o機銃2挺、爆雷12個に過ぎない。一応、対空火力強化の為に25o機銃4〜6挺を増設することになってはいたが、その半分以下の13o機銃2挺しか割り当てられなかったのだ。(これは機銃生産数の不足、そしてそれ以上に内地―外地間の輸送網の貧弱さが原因)  加えて、おりからの人員不足――艦艇や基地の数は増加する一方なのに海軍兵力は30万人に制限されている――により“第三千代田丸”乗員の過半は軍属であり、更に悪い事に敵が来襲した当時、その数少ない軍人達は多くが陸戦隊として出払っていた。(規定では陸戦隊の選抜は定員の1/3以下なのだが……)  そんな考えられる限り最悪の状態で、“第三千代田丸”は空襲を受けたのである。 「急げ!」 「あ、ああ……」 「手が震えているぞ!? 落ち着け!」  基本的に軍属は非戦闘員だが、そんなのは表向きの話に過ぎぬし今は非常時だ、そんな悠長なことを言っている暇など無い。軍属達が慣れぬ手付きで機銃に取り付き、操作しようと悪戦苦闘する。が、気が焦るばかりで中々上手くいかない。ようやく射撃準備を整えたのは、既にワイバーンは爆弾を投下し終えた後だった。  ヒュルルル……  発火装置が導火線に火を着けた数秒後、200リブラ(102.4s)爆弾が投下される。爆弾は計算通り“第三千代田丸”上空数mという格好の位置――正に職人芸だ――で炸裂、辺りに多数の散弾を撒き散らした。非装甲の船体は容易く貫通され、中の乗員を殺傷する。多くの機銃操作員がこれで倒れた。  ダダダ、ダダダ…… 「畜生、当たらねえよ!」  ダダダ……カチッカチッ 「弾が、弾が出ない!?」 「馬鹿野郎、弾が切れてる! 装填、装――ガアアッ!?」  残る操作員も慣れぬ為再装填に時間を喰い、その隙に雨霰と降り注ぐワイバーンのブレスを受けて次々と撃ち倒されていく。忽ち“第三千代田丸”は浮かぶ鉄屑と化した。 ……が、それでも尚、沈まない。 「流石は鉄船、丈夫なものだ」  ダントン大尉はそう呟くと、ワイバーンの魔力回路を最大にする。そしてその膨大な魔力をブレス発生器官に回し、短剣の様に細長い通常の魔力弾ではなく、大樽の様な特大の魔力弾を発生させた。 「喰らえっ!」  巨大な魔力弾が“第三千代田丸”に命中、薄い船殻を突き破って船体内で炸裂した。最大出力のブレス攻撃である。一回の戦闘で一〜二発が限度の上、短射程短初速だが効果は絶大だ。他のワイバーンもこれに続き、流石の“鉄の巨艦”も大火災が発生した。  ――直に、あの戦列艦は沈むだろう。  ダントン大尉は満足そうに頷いた。 ――――再びレスト島上空。  第1小隊が大分接近した頃、ようやく敵の飛竜(零戦)もこちらに気付いたのか向かって来た。中でも1騎が突出して突撃してくる。  ――なんだ、一騎打ちのつもりか? ……まあいいだろう、受けてやる。  流石に限られた“声”に“一騎打ち”などという単語は設定していない。が、ガリ少佐は大きく手で部下達を制しただけで、通じたのか部下達のワイバーンは空中で静止(!)して待機状態に入る。  それを確認したガリ少佐は、敵目掛けて突進した。  勝負は一瞬で着いた。  ――何て出鱈目な動きだ…… 九六艦戦……いや、複葉機だってあんな真似出来ないぞ!?  交代としてレスト島上空に向かっていた辻原一飛曹は、“一騎打ち”を見て我が目を疑った。  敵ワイバーンが一瞬で零戦の前方から後方へと回り込み、零戦を撃墜したのだ。信じ難い程の高機動で、恐らく渡瀬中尉は『目の前の敵が突然消えた』としか思えなかっただろう。  ……いや、“高機動”などという生易しい動きではない。あんな真似、航空機では真似できない。断じてだ。  『まるで回転翼機(ヘリ)の様だ』  或いはもう少し時代を経ていれば、そう評したかもしれない。正にワイバーンこそ、回転翼機と固定翼機の長所を兼ね備えた“航空機”と言えるのだから。  そのカタログデータこそ、第一線のワイバーンでも――   最高速度:18ミール/刻(時速換算で約318q/h)、   巡航速度:12ミール/刻(時速換算で約212q/h)、   航続距離:非爆装時で巡航60刻(約1058q)、  ――程度と一見、零戦と比べて遙かに劣る様にも見えるが、その格闘戦能力は卓越しており、零戦……いや航空機で格闘戦を挑むなど、自殺行為以外の何者でも無かったのである。 「……あれは本当にワイバーンか?」  今まで戦ったワイバーンとは、とても同じ生物とは思えないその動きに、思わず辻原一飛曹は自問する。  加えて速度も速い。ワイバーンは最大でも100ノット/h(約185q/h)出るかどうか、といった程度の筈なのに、あれは160ノット(約296q/h)近く出していた。  ……もしやあれが噂に聞く“ワイバーン・ロード”だろうか?  辻原一飛曹は、今まで自分が戦ってきた“ワイバーン”が『只の飛竜』――同じ飛竜でもワイバーンとは自動車と大八車程も違う――か、良くて『輸出された老年のワイバーン』に過ぎないということに気付いていなかった。(そしてこれは、彼一人に止まらず“帝國”軍全体の認識でもあった) 「奴等、腕もいい。 ……こりゃあ不味いぞ」  飛行センスがあり、総飛行時間も500時間を越えていた渡瀬中尉が、ああも簡単に墜とされたのだ。  ピグニス航空隊搭乗員の大半は、総飛行時間300時間に達したかどうかのひよっ子共である。まともに殴り合っては――  ――どうする?  正直、手合わせしたい気持ちも少なからず存在したが、辻原一飛曹には“責任”があった。彼は下士官でありながらその経験と実績を見込まれ、小隊長を差し置いて一番機を担当していたのだ。  『辻原、経験も実績も何もかも貴様が上だ。実戦の指揮を頼む』――兵学校出の士官である小隊長にこう頭を下げられては、心意気を感じずにはいられない。辻原一飛曹は 一番機を引き受け、小隊長を指導することを快諾した。  ……故に、小隊から損害を出す訳にはいかないし、下手を見せる訳にはいかない。絶対に。  が、二番機の小隊長は覚えは良いが飛行時間は300時間をやっと越えた程度、三番機に至っては覚えが悪い上に飛行時間も200時間をやっと越えたというド素人だ。これでは採れる戦法など知れている。 ……だから、彼が指示したのはたった一つだけ。 『小隊長、何があっても自分の後をついて来て下さい。そして自分が撃ったら撃つ、です』 『いいか、貴様は何があっても小隊長の後についていくんだ。そして小隊長が撃ったら撃て。 ……それ位、出来るな?』  辻原一飛曹は高度8000まで上り、急降下で敵に襲い掛かった。  その速度340ノット(約630q/h)。翼がきしみ、揺れる零戦二一型の急降下制限速度ギリギリだった。 「カラクリ仕掛けの飛竜か…… 速いが、鈍いな」  零戦を撃墜したガリ少佐は、勝ち誇るでもなく淡々とそう評した。壮烈なワイバーン同士の格闘戦を日夜経験している彼から見れば、豚の様に鈍重な零戦相手の格闘戦など、勝って当然であり、自慢にもならなかった。  ――あの速度なら他に戦い様があるだろうに、未熟者が……  己の竜の長所を活かせぬ不味い戦い振りに、ガリ少佐は首を振る。  そして残りの2騎を見ると、仲間を墜とされたというのに右往左往するのみ。 「惰弱な!」  ガリ少佐は吐き捨てた。が、先程からこちらに向かって来る別の敵は別の様で、ますます速度を上げてこちらに向かって来る。その数3騎。  ……そして信じ難い程の高度まで上昇すると恐るべき速度で急降下し、襲い掛かってきた。 「何ッ!?」  慌てて避けると、6本の赤い火線(7.7o機銃弾)が過ぎ去っていく。反撃しようにもこちらが追い付けないほどの高速で上昇し、再び急降下して攻撃――この繰り返しだ。圧倒的な速度差を活かして徹底的な一撃離脱を繰り返す敵に、反撃の糸口を掴めない。 ……単騎では。  故に、こちらも対抗して集団戦に以降すべく、ガリ少佐はワイバーンを鳴かせようとした。が、その時、信じられない光景が彼の……いや、彼のワイバーンの目に映った。  敵の援軍が更に6騎、こちらに向かって飛行していたのだ。  ……どうやら敵は、予想以上の規模の空中戦力を送り込んでいる様だった。  ――くっ…… ただでさえギリギリの距離で、これ以上の消耗は!  一瞬躊躇するも、第1小隊の部下達が行きがけの駄賃とばかりに右往左往していた零戦を撃墜し、第2小隊が戦列艦を炎上させているのを見て、これで目的は達成したと判断。ガリ少佐は全騎に帰還を命じた。  見ると、援軍が飛来してくるのが見えた。恐らく海上の艦が救援を発したのだろう。レスト島からピグニス島まで20海里も無い、10分とかからず駆けつけられる。 「助かった……」  辻原一飛曹は、敵が去るのを見て額の汗を拭った。  ……正直、こんなぶっつけ本番の即席手段で押し切れる相手では無い。三対一なら兎も角、同数では―― 「こりゃあ、えらいことだぞ……」  これからのことを思い、暗澹たる思いで呟いた。  連中相手に格闘戦など自殺行為だ。対抗手段は、速度差を活かした徹底的な一撃離脱しか無いだろう。が、それは“捻りこみ”に代表される“帝國”海軍航空隊の従来の戦法に真っ向から反するものだった。 ……戦法を一撃離脱に切り替えるまでに、一体どれ程の損害を受けるだろう? 考えるだに背筋の寒くなる話だ。    が、彼の心配は少なくともピグニス航空隊に関しては杞憂に終わった。航空隊司令が数少ないベテランである彼の進言――『小隊長の』という形だが――を受け入れたからである。以後、同航空隊は一撃離脱を基本戦法とするとともに、対ワイバーン戦法の確立に全力を上げることとなった。  ……が、これはあくまでピグニス航空隊のみの話であり、“帝國”軍全体に影響を及ぼす動きでは無かった。ピグニス航空隊からの報告は、北方艦隊司令部の段階で握り潰されたからである。(まあ仮に握り潰さなくても結果は同様だっただろうが)  それは前線に向かいつつある第八航空戦隊ですら同様で、彼等はこの空戦の結果すら知らされることなく、戦闘に投入されることになるのだった。  この一連の戦闘で“帝國”軍は零戦3機を失い、“第三千代田丸”が大破坐礁、砲艦長以下多数の死傷者を出した。 ……対するロッシェル軍の損害は皆無。文字通りの“完敗”だった。  が、この時、やはり“帝國”軍が放った攻撃隊もクノス島で一方的な空襲を加えており、多くの被害をロッシェル軍に与えていた。  こうして開戦初日は両者痛み分けで幕を閉じたのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【4】  ド・ド・ド…… 「ううう……」 「痛えよ〜〜」 「俺の手が、手が……」  やや間延びした発動機の音(大丈夫か?)と複数の呻き声。  血と消毒液、そしてガソリンの匂いが入り混じった異臭。  第二五号砲艇の甲板上は、まるで野戦病院の様な惨状を呈していた。  第二五号砲艇はピグニス航空隊に所属し、周辺海域の哨戒や軽輸送、救難等を任務としている。  砲艇と言っても、支那で河川警備に用いていた“25トン砲艇”(河川砲艇)ではない。新規設計の第一号型砲艇(沿岸砲艇)の一艇だ。  第一号型砲艇は、20トン強の木造船体に600〜800馬力級の旧式航空エンジン――要は手に入るものを手当たりしだい――を1基搭載し、最高速力は20ノット前後、兵装も7.7o〜25o機銃が1〜2基に過ぎない非力な小艇である。が、世界各地の拠点で多種多様な任務――地味だが重要な――に従事した所謂『縁の下の力持ち』的存在であり、かつ改良型を含めれば最終的には数百隻が建造された実績を考えれば、小なりと言えど“名艦”と評すべき艇、と言えるだろう。 (余談ではあるが、後世の資料では第一号型砲艇を『魚雷艇を簡易化した艇』とするものが多いが、これは全くの誤解である。高速襲撃を主任務とする魚雷艇と低速での哨戒活動を主任務とする砲艇では、そもそも船型からしてまるで違う)  ピグニス航空隊はこの第一号型砲艇を4隻(“第二五号”“第二六号”“第二七号”“第二八号”)保有しており、うち2隻(“第二五号”“第二六号”)をレスト島に急派。大破座礁した“第三千代田丸”の負傷者を、ピグニス島の医療施設にピストン輸送している真っ最中だった。  *ちなみに第二五号砲艇の要目は――    基準排水量:22.5t    最高速力:18ノット    航続距離:14ノットで300海里+    機関:九一式航空エンジン1基(600hp)/1軸    兵装:13o機銃1挺    乗員:6名   ――である。(“第二六号”“第二七号”“第二八号”も同一)  ド・ド・ド……  第二五号砲艇は、全速でピグニス島へと向かう。  ガソリン節約のため、航海は『巡航速度が望ましい』とされていたが、誰もが無視を決め込んでいた。  先の一方的な敗北を見せつけられ、誰もが『再襲撃は必至』と考え、ワイバーンの影に怯えていたのだ。 (艇唯一の兵装である13o機銃など、ワイバーンの前では蟷螂の斧でしかない)  ……そんな中、撃墜された渡瀬中尉の姿があった。  ピグニス航空隊……いや、“帝國”軍にとって幸いな事に、撃墜された3機の零戦の搭乗員は全員無事――うち一人が骨折してはいるものの――だった。  無論、“偶然の産物”でもなければ、ましてや“天の加護”などではない。『そうなる様、上手く墜とされた』のだ。  飛竜騎士の世界には、国を問わず共通の“マナー”が存在する。『騎乗する飛竜騎士を直接狙わない』というのは、その最たるものだろう。(これ等の“マナー”は、『騎士たる者云々』などといった高尚な精神論で裏打ちされているが、何より『飛竜騎士が希少な存在である』等といった現実的な問題が大きく後押ししていることは否定できない事実だった)  ……が、仮に飛竜騎士を直接狙わなかったとしても、実の所その生還率は決して高いものではない。と言うのも、飛竜騎士はワイバーンと精神同調して“繋がって”いるため、ワイバーンの負傷……ましてやその死亡時には、その断末魔により少なからぬ“精神汚染”を受けるからだ。加えてワイバーンは魔力で無理矢理飛ぶ存在故に、その魔力を失えば全てのコントロールを失い落下する。これ等を乗り越え、無事脱出することは正に至難の業だった。  何しろ、魔導の発展に伴い何重もの安全策が組み込まれている筈の現在ですら、『生還率は一割』――状況にもよるが全ての事例を合算して――という悲惨な数値である。  飛竜騎士が撃墜されて尚生還するには、多大な精神力と体力・魔力、そしてそれ以上に運を必要としていたのだ。   ……そんな彼等飛竜騎士からすれば、『3人が3人とも生還した』などとは考慮の外、常識からは考えられないことだった。(第3中隊の竜騎士達が知れば、目を剥くに違い)  が、それも当然だろう。そもそも両者の条件が違い過ぎるのだ。  動力を失っても航空力学で暫く滑空できる“帝國”機と、魔力を失えば錐揉み状態で墜落するワイバーン。  直接被弾しない限り無傷の“帝國”搭乗員と、減殺されるとはいえワイバーンのダメージを直接精神に受ける竜騎士。  パラシュートで降下する“帝國”搭乗員と、己の魔力だけが頼りの竜騎士……  この差は決して小さいものでは無く、中長期的に見れば決定的な差に繋がりかねないものだった。 「…………」  渡瀬中尉は一人、ブリッジの陰で蹲っていた。  大言壮語を叩きながらあっという間に撃墜され、挙句に海上から第三小隊の奮戦や次々と墜とされていく部下達を、ただ見ていることしか出来なかった自分――この屈辱に、彼の誇りは大きく傷つけられていたのだ。 「よう、どうした? しけた面して?」  見ると、艇長の老中尉が自分を見下ろしていた。(通常、この規模の艇長は兵曹だが、“第二五号”砲艇長は砲艇隊長が兼任している)  ……しかし、“老”中尉である。中尉といえば特務中尉(指揮権が無い)を除けば若いのが相場なのだが、些か大袈裟に言えば『渡瀬中尉と親子ほども離れている』。  実はこの老中尉、大病を患って早期退役したのだがその後完治したこともあり、風雲急を告げる昭和一六年に召集されたのである。  その後、転移による大軍縮があったが残留を希望――海軍の減員は小規模だっため除隊は希望者選抜制だった――して海軍に留まっているのだ。  何でも、当人曰く『軍に居たほうが収入になる』からだそうだが、要は“苦労人”ということなのだろう。  ……そんな彼から見て、今の渡瀬中尉は非常に『危なっかしかった』。  それ故、声をかけたのである。 「……死に損ないに何の様だ?」  吐き捨てる渡瀬中尉。が、老中尉は顔色一つ変えない。  その代わり、手にした一升瓶から椀に酒を注ぎ、押し付けた。 「ま、なんにせよ生き残れたのは目出度いことさ、飲め飲め」 「…………」  渡瀬中尉は無言で椀を受け取ると、一気に喉の奥に流し込む。  どろり、とした濃厚な液体が喉を焼く。  想像していたものと大きく異なる――それも悪い方に――味わいに、中尉は思わず顔を顰めた。  ……どうやら、“帝國”酒の瓶に違う酒を入れてあるらしい。 「……不味い」  その正直すぎる感想に、老中尉は苦笑した。 「イルドーレ産、それも1升10銭の安酒だからな。が、まあ安いから沢山買える。下士官兵にゃあ有り難い存在だぞ? ……無論、俺にもな」  何でも、慣れればコレはコレでいけるらしい。  ……ちなみに帝國酒なら“並等”――帝國酒は“上等”“中等”“並等”にランク付けされている――でも1升2圓である。如何に物価が安いイルドーレの安酒とはいえ、何をどう造っているのか不安になる値段だろう。  当然、渡瀬中尉も驚いた。 「10銭!? 幾ら何でも安すぎだろう! ……それに何故、瓶が違う?」 「そりゃ、“量り売り”だからさ。器は客が持参しなきゃあならんのだ」 「成る程…… そういや、この世界では未だ産業革命は起こっていないそうだからな。大量生産大量消費とは無縁である以上、『器だって貴重品』ということか」  “帝國”の酒屋も江戸時代は量り売りだったことを考えれば、まあそういうことなのだろう、と渡瀬中尉は納得する。  それに考えてみれば、器が無ければその分安くなるのは当たり前だ。キャラメルだって箱無しのバラ――所謂“バラキャラ”だ――なら半額である。 ……まあアレは“箱の値段”というよりも、“箱に詰める手間の値段”を省いたのだが。  物価が恐ろしく安い上に、極限までコストを削減しているのだろう――そう考え、渡瀬中尉は無理矢理自分を納得させた。 「ほう? 学があるね?」  渡瀬の言葉に感心した様に老中尉は呟いた。  が、渡瀬は、どうということはない、という風に返す。 「これでも俺は九大(九州帝國大學)出だぞ?」 「! これは驚いた! 天下の帝大生様かね? ……何故また、搭乗員なんぞに?」  当然の質問だった。大學出ならば兵科……ましてや危険な搭乗員になどならなくても、他に幾らでも“楽な”選択肢があった筈だ。 「……実家の都合で諦めたが、俺は本当は予科練に行きたかったんだ」  結局諦めて進学したが、大學卒業時には戦雲が大きく“帝國”を覆っていた。  どうせ徴兵されるなら陸軍より海軍……いや、昔憧れていた戦闘機乗りになろう――そう考え、飛行予備学生となったのだ。  ……些か少年染みた気概、と言えなくも無い。(尤も、本人も自覚しているのか横を向いている。顔が赤いのは、何も酒だけのせいではないだろう)  兎に角、こうして飛行予備学生となった渡瀬は、『他人が三ヶ月かけて習得するものを僅か一月足らずで習得する』という異才振りを発揮、『戦闘機乗りとしての素質大いにあり』と評されることとなる。帝大卒という肩書きもあり、渡瀬が増長するのにさしたる時間は必要としなかった。  ……が、今回、その鼻っ柱を見事へし折られたのである。彼の人生、初めての挫折であった。 「惨めなもんさ。 ……ピエロだな?」  そう、自嘲する。 「そこで死んでれば、な? でもあんた、生き残った上に五体満足じゃないか。汚名返上、名誉挽回の機会は幾らでもあるだろう?」  説教染みていないその老中尉の言葉は、不思議と抵抗無く渡瀬中尉の体に染み込んでいった。 「無論だ。が、それまで暫くの間恥をかかねばならん。 ……それが嫌だ。堪らなく嫌だ」  そう言いながら酒をあおる渡瀬中尉。  ……その目は先程までとはことなり、生気で漲っていた。 「なら、早く手柄を立てることだな?」 「無論だ」  更に酒をあおる。 「ま、頑張ってくれ。 ……その酒は貸しておくよ。いつか利子付きで返してくれ」 「わかった。 ……ありがとう」  その言葉には、いろいろな意味が含まれていた。  老中尉は満足気に頷き、その場を後にした。 ――――クノス島、飛竜巣上空。  帰還した中隊が見たものは、変わり果てた飛竜巣の姿であった。  瓦礫と化した施設、穴だらけの滑走路……  言うまでもなく、“帝國”海軍ピグニス航空隊の空爆を受けたためである。  ピグニス航空隊が放った攻撃隊は、距離が近い――ピグニス島-クノス島間は100海里強(約200q)――こともあり、零戦を含めた全機が爆装していた。  このため攻撃隊が投下した弾量は、零戦(6機)が各60s爆弾2発、九七艦攻(9機)が各250s爆弾1発+60s爆弾6発の総計6.21tにも上る。単純な比較が出来ないが、『野砲弾およそ1000発に匹敵する弾量』と言えばその凄まじさが判るだろう。加えて攻撃隊は20o機銃による地上掃射すら行っており、これにより飛竜巣はその機能をほぼ完全に失っていた。  一方的に叩かれた形の“帝國”軍ではあったが、最後に一矢報いたのである。  ――連中、攻撃隊を差し向ける余裕まであったのか!  内心、ガリ少佐は驚きを禁じえない。レスト島だけでも10騎以上いたというのに……  これだけの破壊をもたらした以上、少なくともレスト島と同数以上の飛竜が参加した筈だ。ならば、少なく見積もってもピグニスの“帝國”軍は、20騎以上の飛竜を保有していることになる。  『最低でも連隊(24騎)規模の空中戦力』  それは、ロッシェル軍の反攻計画を根本から覆すほど重大な情報だった。  おそらく当分の間、逆上陸作戦は延期されるだろう。クノス島の部隊単独では敵空中戦力の撃滅は『非常に困難』であり、増援――それも大規模な――が不可欠だということが判明したからだ。  “ほんの小競り合い”の筈だったものが、“大規模紛争”へとその姿を変えようとしていたのである。 「……今度の戦いは長くなりそうだ」  ガリ少佐は今後の困難さを予想し、溜息と共に呟いた。  ……それは半分正しく、そして半分間違っていた。  穴だらけの滑走路に、次々とワイバーンが着陸態勢に入る。もはや“滑走”路の態をなしていないため、着陸法は滑走着陸ではなく垂直着陸だ。戦闘後―それも爆装した上に行動半径ギリギリでの―――の垂直着陸はワイバーンに少なくない負担を強いるが、この場は止むを得ない選択だろう。(あの時、戦闘を切り上げて帰還して良かった!)  ワイバーン達は穴を避け、慎重に着陸していく。幸い、僅かなりとも余力を残していたこと、そして何より竜騎士達が熟練揃いだったこともあり、全騎が無事着陸出来た。  が、誰一人駆けつける者がいない。規則では竜卒が迎え、ワイバーンの世話を行うことになっているのだが…… 「一体、どうしたのでしょうね?」 「…………」  ダントン大尉が話しかけるが、ガリ少佐は厳しい表情で黙り込んだままだ。 「中隊長殿?」 「……判らんか?」 「……は?」  不審に思っている竜騎士達の前に、一人の軍人がやって来るのが見えた。  ……が、その軍服は飛竜巣中隊の将兵ではなく、工兵のものだ。  彼はガリ少佐の前で立ち止まると、敬礼する。 「クノス島工兵分遣隊隊長、ベロン中尉です。第13飛竜連隊第3中隊長、ガリ少佐殿ですか?」 「いかにも。アモン大尉は?」  ガリ少佐は答礼後、飛竜巣中隊長のアモン大尉の安否を尋ねた。もし彼の想像が正しければ――  と、その次の瞬間、ベロン中尉は姿勢を正した。 「アモン大尉殿は戦死されました。中隊80名の内、『現在のところ』戦死26名、重傷者27名、軽傷者15名、残りは行方不明です。 ……クノス島飛竜巣中隊は、事実上全滅しました」 「そうか……」  ガリ少佐はそう一言呟くと、両の目を瞑ったまま沈黙した。  半ば以上予測していた答えではあったが、だからと言って何も感じない訳では無い。表面上は平静を保ちつつも、その内心は沈痛そのものだった。  アモン大尉には妻と幼い子供達がいた筈だが…… 「中隊もそうですが、飛竜巣そのものの被害も深刻です」  ベロン中尉は状況説明を続ける。 「“帝國”軍の空襲は熾烈かつ執拗であり、施設の全てが破壊、滑走路も滑走不能とされました。 ……無論、貯蔵されていた物資や装備弾薬も。  現在、滑走路の復旧と仮宿泊所の設営に全力を上げていますが――」  そこまで言って、ベロン中尉は口篭った。 「――今日明日の話では無い、ということだな?」 「ああ、その通りです」  ガリ少佐が言葉を継ぐと、ベロン中尉はホッとした表情で頷いた。  飛竜騎士達はとかくプライドが高く扱い難い、というのが定説だ。どやされるのではないかと緊張していたのだろう。  ガリ少佐は苦笑しつつ指示を与えた。 「とり合えず、竜達の仮宿泊所の設営に全力を挙げてくれ。二、三日は野営用の天幕でも構わんが、それ以降はせめて天井と壁のしっかりした場所で寝かせてやりたい。我々は竜と一緒に寝るさ。 ……世話もしてやらねばならんしな」  ワイバーンの世話は素人には任せられない。飛竜巣中隊が全滅した以上、自分達が世話をしてやらねばならないのだ。  ……が、一人で一頭を――それも戦闘をこなしつつ世話しなければならないのは大きな負担だった。早急に本土より人員と物資を派遣して貰う必要があるだろう。  ガリ少佐の指示に、ベロン中尉は慌てた様に首を振った。 「いえ! 飛竜騎士の方々にその様な真似をさせる訳には――」 「何、候補生時代はよくやったものさ。気にすることは無い。 ……それより、仮宿泊所の件は頼んだぞ? 滑走路はとり合えず10×50パッシスも整地すれば良いから」 「ハッ! 全力を挙げて行います!」  ベロン中尉は敬礼すると、大急ぎで、だが歩いて――将校は無闇に走り回るものではない――部下達の下へ戻った。 「やはり、か……」  ベロン中尉が完全に去った後、ガリ少佐は顔を顰めた。  その手元には、中尉から渡された書類――被害報告書――がある。  そこには、先に口頭で受けた説明が“数字”という形で正確に記されていた。 「当分、積極的な行動には出れんな…… これでは第4中隊が来ても無駄に消耗するだけだ……」  人員、施設、物資……その全てを失い、クノス島飛竜巣はその機能を喪失した。(何しろ、ワイバーン達の食事すら他で代用せねばならぬ有様だ)  ワイバーンは確かに強力だが、その能力を発揮するには手厚い支援が不可欠である。これを欠いた状態ではその全力を発揮出来ないばかりか、加速度的に消耗していく。 「……せめて施設が耐爆撃仕様になっていれば、被害は半分程度で済んだでしょうに」 「それは言わない約束だぞ、ダントン大尉」  書類を見せられたダントン大尉が慨嘆し、それをガリ少佐が軽く窘めた。  ……が、気持ちは分かる。言っても詮無いことだが、言わずにはおれなかったのだろう。  クノス島の飛竜巣には……いや、クノス島にどどまらず一部重要地域を除き、ロッシェルの飛竜巣には耐爆撃施設が存在しない。予算が正面装備偏重の余り、耐爆撃施設の様な直接戦闘に寄与しないものには回ってこないからだ。  無論、ロッシェル軍とて耐爆撃施設の重要性は十分理解している。が、例えばほんの小さな施設一つ耐爆撃化するだけで、同規模の屋敷一つ分以上のコストがかかる――人件費は自前で只同然としても材料は只では無い――とあっては断念せざるを得なかった。何故なら、ロッシェル王国は『大陸同盟の一員として』とはいえ、自国の10倍以上の国力を誇る列強レムリア王国と対峙しており、何とか対抗出来るだけの正面装備を揃えるだけで精一杯だったのだから。  ……そして、これは軍の全てに関して言えることでもあった。  このツケを払わせるのは常に現場の人間達である。  クノス島飛竜巣中隊はその命でもって“ツケ”を払い、  そして今また、第3中隊の竜騎士達も“ツケ”を払わされようとしていたのだ。  第13飛竜連隊第3中隊は開戦初日で空爆続行を断念、以後迎撃に専念することを余儀なくされた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【5】  早くも開戦初日に戦略戦術の両面で守勢に追い込まれたロッシェル軍であったが、対する“帝國”軍とて決して褒められた状況ではなかった。 ――――ピグニス島、ピグニス航空隊。 「“香取”(北方方面艦隊旗艦)から督戦命令? ……懲りんな、これで何度目だ?」  副官の報告に、ピグニス航空隊司令である横川海軍大佐は呆れと若干の感心を含んだ口調で呟いた。 「如何なさいますか?」 「放っておけ」 「……よろしいので? これで三度目です、艦隊司令部もいい加減限界かと愚考しますが?」  まるで『どうでも良い』と言わんばかりの口振りの上官に、副官は些か困惑気味の様だ。 「構わんよ。この程度のことは現場の裁量、口出しは御遠慮願うさ」 「……かしこまりました」  副官は、まるで何かを飲み込むかの様な表情で一礼した。  北方艦隊司令部とピグニス航空隊の間には、現在不協和音が生じつつあった。  原因は『同航空隊が一向に動こうとしない』こと、これに尽きる。  当初の計画では、『ピグニス航空隊はクノス島に対し、開戦と同時に徹底的な空爆を行う』こととなっていた。そして可能ならば、同島の敵戦力を単独で殲滅することすら期待されていたのだ。 ……が、同航空隊はその第一撃で『敵空中戦力の拠点撃破』にこそ成功したものの、肝心の“その後”が続かなかった。レスト島上空での空戦結果を受け、早々に攻撃を切り上げてしまったのである。  翌日以降もこの状況は続いており、大規模な空戦訓練を繰り返すのみだ。  これに対し北方艦隊司令部は『ピグニス航空隊は積極性に欠ける』と非難、幾度となく督戦命令を出してきた。  が、ピグニス航空隊は『第八航空戦隊到着まで攻勢不可能』としてこれを無視、両者の間には少なからぬ感情的な対立すら生じ始めていた。  無論、『積極性に欠ける』というのはあくまで北方艦隊司令部の意見であり、当のピグニス航空隊――正確には横川大佐――はその様なことは欠片も思ってはいない。  ただ“慎重に”物事を進め様としていただけ――そう考えていた。 「このまま攻撃を強行すれば、損害は膨大なものになってしまうだろう。レスト島上空での戦いがそれを証明している。  ……我々には猶予が必要なのだよ、“転換”のための猶予が」  横川大佐は力強く断言する。  現在、ピグニス航空隊は単機空戦から編隊空戦、格闘戦法から一撃離脱戦法への転換真っ最中だった。  付け焼刃ではあるが、やるとやらないでは天と地ほども違う――そう考えた横川大佐は、少なくとも第八航空戦隊が到着するまでは訓練を続けようと目論んでいた。  第八航空戦隊が到着すれば、“帝國”軍の航空戦力は常用だけで100機近くになる。対するクノス島航空兵力は、増援を考慮しても最大で1個連隊(24騎)程度。故に、数の力で十分押し切れるだろう、と踏んでいたのである。 「しかし、このままでは司令のお立場が――」 「何、構わんさ。俺は当初から部隊の技量に対して“深刻な懸念”を表明していた。  ――である以上、戦時に“消極的な行動”に出るだろうことは最初から判りきっていたことだろう? それでもこの人事を放置したまま開戦に突入したのだから、少なくとも北方艦隊に俺を非難する資格は無いさ。  ……それに命令通りに攻撃を実行すれば、損害は膨大なものになる。そっちの方が余程立場は悪いだろうな」  横川大佐は自嘲気味にそう哂うが、部隊の練度がもう少しまともなら、彼とてここまで消極的にはならなかっただろう。  が、そうせざるを得なかった。若く未熟な搭乗員をむざむざ死地に追いやる真似など、彼にはとても出来なかったのだ。  そしてそれ故に、今回の“戦争”を“実戦形式の演習”などと気楽に考え、ここまで低練度の部隊を派遣した中央――北方艦隊司令部ではない――に対し、彼は本気で腹を立てていたのである。 「…………」  ここまで言い切られては何も言えない。  副官は、自分も腹を括ることを決めた。  さて、ここで少しロッシェル側の戦力と指揮系統を見てみよう。  まず戦力。“帝國”軍侵攻時、クノス島にはおよそ500名強の正規軍が存在していた。  その詳細は以下の通り。   クノス島駐留正規軍(*1):統合指揮官 ブリュノ・カレ一等海佐     海軍:ブリュノ・カレ一等海佐以下、約350名。       第32戦隊主力(*2):スループ艦2隻       クノス島防備隊:武装カッター4隻     飛竜軍:オーベール・ガリ少佐以下、約90名。       第13飛竜連隊第3中隊(*3):ワイバーン6騎       クノス島飛竜巣中隊     他:約80名。       クノス島工兵分遣隊(*4)       クノス島輜重分遣隊(*4)       クノス島工廠分遣隊(*4)       クノス島竜廠分遣隊(*4)       クノス島施療分遣隊(*4)       クノス島通信分遣隊(*4)    *1 この他に正規軍ではないが、陸戦戦力として州兵1個中隊が駐留。    *2 第32戦隊主力は“帝國”との漁業扮装により臨時派遣。    *3 飛竜中隊は第13連隊各中隊の輪番。    *4 中少尉を長とする10〜20名の基幹要員。  こうして見ると、かなり弱体であることが判る。  総兵力500名強、特に機動戦力に関してはワイバーン6騎にスループ艦2隻、後は大まけにまけて武装カッター4隻が加わる程度だ。陸戦戦力に至っては、スループ艦乗り込みの海兵隊を除けば各部隊の警備兵や準正規軍に過ぎない州兵――どちらも歩兵としては二線級以下――のみ、と皆無と言っても良い様な状況である。  しかも上記の内、スループ艦2隻(乗員約250名)は“帝國”との漁業紛争により臨時派遣された“増援部隊”だ。  ということは、平時のクノス島駐留兵力は300名にも満たないことになる。準正規軍の州兵を加えても400名程に過ぎない。  ……これが北クローゼで唯一、軍が駐屯する島の実情だった。  事実上、北クローゼは6騎のワイバーンだけで守っていたのだ。  まあ“第三千代田丸”の最期を思えば、十分納得できるだけの守りなのだが、それでもこの広大な海域にワイバーン6騎だけとは寂しさを禁じえない。  ロッシェルの……いや、大陸人の島に対する軽視の表れ、とも言えた。  今度は指揮系統について見てみよう。  冒頭で“クノス島駐留軍統合指揮官”と書いたり、以前『クノス島駐留軍は、手始めにクノス島飛竜巣に駐留する飛竜中隊に対して威力偵察を命令した』(本編第2話)などと書いたが、実の所“クノス島駐留軍司令部”などといった統一指揮機構など存在しない。飛竜軍、海軍、各分遣隊……そして州兵、皆バラバラにそれぞれの上級部隊からの指揮を受けているに過ぎないのだ。(例えば海軍第32戦隊やクノス島防備隊は南東方面艦隊の、飛竜軍第13飛竜連隊第3中隊は第13飛竜連隊、同クノス島飛竜巣中隊は第3飛竜巣連隊の指揮下にある)  が、まあ平時はそれでも良いが、戦時にこれは困る。非常に困る。  故に有事には先任指揮官が統合指揮官に指名され、軍の統一指揮にあたることとなっていた。  今回の場合、北クローゼはヴィエンヌ軍管区(ヴィエンヌ州担当)に属すため、同軍管区司令官が統合司令官となった。  軍管区は基本的には担当する州の軍政を担うだけの存在だが、その任務内容には管区内の警備も含まれている。まあ所詮は対暴動、対破壊工作程度しか想定していないが、『それで十分』と判断された訳だ。(当初のロッシェル側の認識が判る良い事例であろう)  ……が、現場から遠く離れた大陸の州都にいる軍管区司令官に、直接指揮が出来る筈も無い。  それ故、クノス島周辺に駐留する軍人で最高位のブリュノ・カレ一等海佐を現場指揮官に任じた訳だ。  丁度、“帝國”軍の北方艦隊司令長官とピグニス航空隊司令の様なもの――ここまで厳密な上下関係ではないだろうが――だろうか?  何れにせよ場当たり的、付け焼刃的な統合であり、綿密な連携は期待出来なかった。 (その証拠に、『統合司令部の設置』どころか、統合指揮官たるブリュノ・カレ一等海佐に対する『司令部要員の増援』すら行われていない)  このため、初期の反攻作戦についても以下の様に、酷く単純なものだった。  第1日目:飛竜中隊による威力偵察。  第2日目:飛竜中隊による敵空中戦力の撃破。  第3日目:飛竜中隊及びスループ艦2隻による支援の下、逆上陸。レスト島奪還。  *上陸戦力はスループ艦2隻の陸戦隊及び防備隊選抜兵およそ80〜100名。  甘過ぎる初期認識、貧弱な戦力、付け焼刃的な統一指揮機構……  ロッシェル側も“帝國”同様……いや、それ以上に問題を抱えて戦争に突入したのである。 ――――クノス島、飛竜巣。 「敵空中戦力が1個連隊っ!? ……失礼ですが、それは本当ですか?」  ブリュノ・カレ一等海佐――他軍の大佐に相当――は思わず聞き返した。  ガリ少佐の帰還後暫くして、統合指揮官を兼ねる海軍側の指揮官(カレ一等海佐)が飛竜巣を訪れた。  名目は空襲被害に対する弔問。が、主戦力たる飛竜軍の被害状況の確認も兼ねていることは言うまでもないだろう。  『これを機会に』と確認できた情報を伝えたのだが、返ってきたのが上の反応だった、という訳だ。 「『最低でも』です。この島を襲撃した隊、そして我々を迎撃した隊だけでも、合わせて30騎近くいましたから」 「ううむ…… それは……」  カレ一等海佐はそう呟くと腕を組み、絶句してしまった。  事態は予想よりもかなり悪い。  日陰者の海軍が活躍できる千載一遇のチャンスだというのに、何たることだろう! 「で、ある以上、もはや我々だけの手に負える話ではありません。少なくとも、『飛竜軍は』そう考えております」  ……ずるい言い方ではあるが、『飛竜軍は(これ以上の反攻には)協力できませんよ。やるなら海軍単独でどうぞ』と言っているのだ。  が、空中支援の無い作戦など、陸上洋上を問わず悪夢以外の何者でもない。飛竜軍が協力しない以上、反攻作戦は画餅も同然だった。  故に、カレ一等海佐は引き下がるほかなかった。 (如何な“統合指揮官”とはいえ、国王から委任状を授かった正式な存在ではないため、無理押しは出来ない) 「……確かに、この島を空襲した部隊だけで10騎を越えます。残念ではありますが、止むを得ないでしょうな」  幾ら階級が上とはいえ、他軍の将校相手には色々気を使う必要――ましてや相手は“最強の兵科”飛竜軍だ――があるのだろう。内心どうであれ、相変わらずカレ一等海佐は丁重だった。ガリ少佐より二階級も上の筈なのに、まるで『同格かそれ以上』の相手に接するかの様な態度である。  が、ガリ少佐は更に畳み掛ける。 「“帝國”がその気になれば、我々は壊滅し北クローゼ全域が奪われるでしょう。そうなれば、王国が払う代価は今とは比べ物になりません!  事は一刻を争います! 至急、援軍要請を!」 「……判りました。軍管区司令部に現状を報告し、援軍を要請しましょう」  カレ一等海佐は内心で落胆しつつも、ガリ少佐の要求を全面的に呑んだ。  ……そしてそれは、統合指揮官位を海軍が返上する、ということでもあった。  ――畜生、これで今回の作戦の主導権は完全に飛竜軍に奪われた。海軍は飛竜軍の指揮の下、下働きに甘んじなければならないだろう。畜生、畜生、畜生! 我々(海軍)は永遠に飛竜軍の風下に立たなければならないのか!? 今回こそは違うと思ったのに!  表向きは変わらぬが、その内心は罵声の嵐だ。  ガリ少佐の言が正しいのは理解できる。が、納得は出来なかった。感情がそれを許さなかった。  ロッシェルに限らず、この“アルフェイム”世界では海軍は日陰者だ。(何しろ“陸軍の一部門”扱いの国が大半だ)  が、今回の作戦では『総指揮官は海軍軍人、作戦的にも飛竜軍は支援に止まりで主役は海軍』と正に千載一遇のチャンス、それだけに上はカレ一等海佐から下は一兵卒に至るまで高揚し、士気に溢れていた。  ……それがこの結末である、無理も無いだろう。  ――部下達に、何と言おうか?  喜びが大きかった分、落胆は大きい。  帰り道、カレ一等海佐は、この後著しく低下するであろう部下達の士気の建て直しに、独り苦慮していた。