帝國召喚 ジャンクSS「転移男」 短編「戦場の降誕祭」 ――――昭和二八年春。オクサス文明圏、“帝國”軍立臨時難民収容所。 「ふー」  少年は満足気に息を吐いた。  一つまみの塩のみだけで味付けした重湯、三分粥、五分粥、七分粥、全粥と経て、本日ようやく固形食を得ることが出来た。  米麦飯に豚汁、沢庵……  生まれて初めての“料理”に、心底満足する。 「今までボクが食べてきたのは、“エサ”だった訳だよなあ……」  そう、思わざるを得ない。  少年は清華からの難民だった。  最下層の被差別民族だった少年は、清華では僅かばかり配給されるソバ粉――それも砂まじりの――に山や川で採れた雑魚や木の実、挙句の果てには雑草まで入れて“かさ”を稼いだ粥を食べて暮らしていた。  逃亡時だって似たようなものだ。  だから、塩だけの粥にすら感動した。米の甘みに、蕩けそうだった。  そして今日、“本物の料理”を食べた。  感動した……とても感動した。  ――こういう物を作れるようになりたい!  それは、少年が持った始めての“夢”だった。  コト。  と、少年の前に皿が置かれた。  ……なにやら、白い四角いものが載っている。 「特別配給食だよ。今日は――だからね、特別さ」  そういって、兵隊さんは笑った。 「???」  匂いをかぐと、とても佳い匂いだった。  少年は手に持つ木のスプーン――今まで手づかみだったので箸が持てない――で、その白いモノを掬って口に入れた。 ――――昭和六〇年二月一一日(*1)。外洋、四凶島。  “帝國”本土の裏側、外洋のまっただ中にある四凶島。  その上空に、“帝國”軍機の編隊が姿を現した。  編隊は全部で14機、その全てが“帝國”軍の誇る超重爆撃機“富嶽改”である。  うち、7機が空中給油型。本土から飛び立ったこの編隊を、アルフェイムの裏側まで導いた空飛ぶガソリンスタンドだ。  うち、6機が火力支援型。多数の機銃を備え、何者も寄せ付けぬ編隊のエスコート役だ。  そして、残る1機が特殊爆撃型。この編隊がはるばる世界の裏側までやってきた、その理由だった。  特殊爆撃型の富嶽改は、高度10,000mから“巨大な爆弾”を投下する。  “巨大な爆弾”は落下傘でゆっくりと降下、やがて島のほぼ中央に位置する山の火山口に入り、消失した。  その次の瞬間、“巨大な爆弾”は作動を始めた。核分裂―核融合―核分裂という三段階の反応を瞬時に行いそのエネルギーを開放、想像を絶する大爆発を引き起こす。  爆発による火球は高度12000mにまで達し、あらゆるモノを焼き尽くす。その爆風と熱線は、半径80q圏内の生物を即死させ、それに数倍する圏内の生物に深刻な損害を与えた程だ。  生じたキノコ雲は高さ100q/幅50qにも及び、世界中で目撃されたという。  “巨大な爆弾”の正体は、重量30tの超巨大水素爆弾“超兵器ガ壱號”。  そのTNT換算で100Mt超にも達するエネルギーにより、清華人が“海の向こうにある破壊神の眠る島”と恐れる四凶島を、文字通りこの世から消し去ったのである。  ……それだけに止まらず、爆発の余波は1万q以上隔てた両側の大陸沿岸に、大津波を引き起こした。  おかげで、あらかじめ避難していた東側の大陸(“帝國”領)とは違い、西側の清華はこれに直撃、大きな被害を蒙った。  轟音と共に天まで届く不気味な噴煙……そしてその後の大津波により、清華の民は『破壊神が目覚めた』と震え上がったという。  この一撃は、“帝國”が清華に……いや、(月連合王国を含む)全世界に向けて発した強烈なメッセージだった。  言うなれば“天下布武”、『武力を持って天下を取る(*2)』という、“帝國”の世界制覇宣言だったのである。 *1 二月一一日は紀元節にあたるが、偶然では無いだろう。 *2 近年の研究では、(“天下布武”に関する)この解釈は否定されつつある。 ――――平成一九年四月二九日。帝都、陸軍兵器行政本部。  ガサゴソ、ガサゴソ…… 「む〜、無いなあ……」  陸軍の兵器行政を一手に担う陸軍兵器行政本部。その第幾つだかの資料庫の一画で、年の頃24〜25の青年将校が何やら探し物をしていた。  良く見ると、兵科色は黄色。襟章は金線4本に星が2個――技術中佐であることが判る。  が、漫画じゃああるまいし『二十代半ばで中佐』など、あり得ない。(他国ではあり得るが、少なくとも“帝國”軍においてはあり得ない)  加えて、その一挙手一投足がおよそ軍人らしくない。幾ら技術将校とはいえ、あまりに酷すぎる。  ……とはいえ、こうして行政本部に出入りしていることから考えて、どうやら“本物”らしい。事実は小説よりも奇なり、だ。(いったい如何なる裏技を用いたのやら……)  技術中佐は、頭の埃を叩きながら嘆息した何やら嘆息している。  ……よく見ると、我らが主人公稲葉だ。 「やっぱり、沙羅を連れてくれば良かったかなあ? アイツ、喜んでやりそうだし……」  陸軍兵器行政本部、と聞いただけでぬこまっしぐら、きっと飛んでくるだろう。  が、彼女は現在“まんぷく”で仕事中、呼び出すのはロンさんに悪い。まして公務ならともかく、これは私用なのだから。 「中佐殿、いくら探したってありゃあしませんよ」 「しかし、だな。可能性はある」 「……いや、ありませんから」  技術中佐の台詞に、この資料室を管理する老人は呆れ気味に答えた。  ……きっかけは、昨日の夜だった。  NHKスペシャル『挑戦者達〜史上最大の爆弾を造れ!“超兵器ガ壱號”開発秘話〜』を見た時のこと。  突如、彼の頭にキバヤシが舞い降り、耳元で囁いたのだ。  …………  …………  ………… 「なるほど、世界制覇宣言ね。『我が目指すは天! 阻むなら神とも悪魔とも戦うのみ!! 我、世紀末の覇者となろうーーー!!!』 ってか? く〜〜、カッコいいなあ……」  ――本当にそう思うか!?大本の情報が間違っていたとしたら…!! 「むう……? けど、確かに筋は通っているし……」  ――ナワヤ……速断は禁物だぞ!! 「何?どういうことだ?」  ――おれは今この映像を見て、恐ろしい仮説を思いついたんだ。 「恐ろしい仮説?」  ――クククク…クククク……何故、“帝國”はあんな巨大爆弾を投下したのだと思う? 莫大な予算をかけ、しかも清華人どころか“帝國”領民まで犠牲にして…… 「でも、“帝國”領民の方は死んでないし。被害も補償したし……」  ――あの爆弾の本当の目的は、四凶島の地下に眠る、伝説の破壊神を抹殺するためのものだったんだよっっっ!! 「な、なんだってーーーっっ!?」  た、確かに……アノ爆弾ならゴジラだって殺せるぞ。  それにぬこミミ少女やいぬミミ少女がいるのなら、伝説の破壊神がいたっておかしくないな。だって、ファンタジーだし。  ――が、あれが最後の破壊神だったとは思えない。必ずや第二、第三の破壊神が存在するだろう。今回は封印された状態だったから良かったが…… 「クッ!だとしたら、俺達が今までやってきたことはっっっ!!」  ――あきらめない!!それがオレたちにできる唯一の闘い方なんだよ!! 「!!」  ――よしMMR緊急出動だ!!新たなる破壊神を、俺達の手で見つけ出すのだ! 「ラジャッ!」  …………  …………  ………… 「破壊神〜出ておいで〜〜♪」 「……その手の本屋で探した方が早いんじゃあないですかねえ――おっと電話だ。はい、第11資料室です!」 「む〜〜」 「はい、わかりました。 ……稲葉中佐殿、お電話ですよ。ご自宅からだそうです」 「“まんぷく”から?」  何の用だろ?と稲葉は受話器をとり、転送されるのを待つ。  と、まるで身を乗り出す様なシャオの声が聞こえてきた。 『あ、稲葉さんですか!?』 「シャオちゃん?何か用?」 『今、ヒマですか!?ヒマですよねっ!!』 「忙しいよ」 『お仕事で忙しい、のではないですよね!?』 「……まあ」  今日のシャオちゃんキッツいなあ〜と思いながらも、稲葉は返す。 『じゃあ、大急ぎで帰ってきて下さい!お願いですっ!!』 「何があったの? ……なんか、やたらせっぱ詰まった様な」  稲葉の何気ない質問。が、それはシャオにとってはとてもマズいものだったらしい。  ナニやら慌てふためいた声で、否定する。 『い、いえ!な〜んにもないですよ?本当ですっ! ……ただ、稲葉さんがいなくてさみしいなあ、早く帰ってきて欲しいなあってっっ!』 「…………」  ……怪しい。  稲葉の頭の中で、警報が最大限に鳴った。  今、帰ってはならない!と。  故に、きっぱりと断るべく、稲葉は大きく息を吸い込んだ。 「せっかくだけど――『(あんたじゃダメよ!貸しなさいっ!そんな、沙羅ちゃん横暴だよ……)あ!ご主人さま♪お帰り待ってますので、早く帰ってきて下さいね♪♪』」  !?  つうこんのいちげき!稲葉は1000ポイントのダメージをうけた!  ……ぶっちゃけ、ありえねえ。ナニか、よほどヤバい事態が進行しているに違いない。  頭では、それが判っていた。  が、体は別だった。 「……帰ったら、シッポとミミ触らしてくれる?」 『ご主人さまのお望みのままに♪』 「うん、ボク帰る」  まてまて、これは孔明の罠だ!早まるなっ!!  ……MAX値を振り切らんばかりの警報を無視し、稲葉は帰ることに同意した。  虎穴に入らずんば、萌えを得ず――稲葉は命よりも萌を選んだのだ。  稲葉がハイヤーを使い、運転手を脅してまでして、超特急で帰宅した。 ――――平成一九年四月二九日、帝都。  本部に待機していたハイヤーの1台――軍(陸軍兵器行政本部)がタクシー会社と契約を結び本部付として借り上げていた――に乗り込み、急ぎ帰宅すべく出発した……は良いが、渋滞で遅々と進まない。  稲葉はイライラと前の運転手座席を揺さぶる。 「え〜い!もっとスピードあがらんのかっ!? クラクションを鳴らせ!蹴散らせ!」 「勘弁してくださいよ、旦那……」  苦笑しつつ、運転手はやんわりと断った。  ハイヤーに限らないことだが、“人を乗せる車”の運転手には交通規則の厳守が要求される。(であるからこそ、彼等は“特殊資格者”として規制による保護を受けているのだ)  だから、無視して当然だった。  が、運転手の所属するタクシー会社にとり、軍は上得意の顧客であると同時に、社の信用を高める金看板でもある。相手がその“お偉いさん”ということを考えれば、無視する訳にもいかない。  ……正直、運転手はこの厄介な客の対応に苦慮していた。 「しっかし、何でこんなに混んでるんだ?」 「そりゃあ、今日は四月二九日ですからねえ」 「? ……ああ、黄金週間か」  納得、と稲葉は頷いた。  “毎日が旗日”の彼には関係ないので、すっかり失念していたのだ。 「……いえ、確かにそれもありますが、今日は四月二九日の“聖誕祭”じゃあないですか」 「??? あ、昭和の日……じゃなかった天長節……いや、“先の天長節”ね! ああそうそう、すっかり忘れてたよ!や〜、まいったまいった」 「“先の天長節”って……まあそうなんですけどね、若い方でそういう人は初めてですよ?」 「大陸、それも辺境暮らしが長くてね……こっちじゃあどういう風に祝うんだい?」  誤魔化すついでに、ちゃっかりと情報収集だ。 「基本的には、家族でケーキ食べたり子供にプレゼントをやったりですかねえ? この車の列もきっと、都心のデパートで買い物したり食事したりしに行くんでしょうし」 「はー」  まるでクリスマスである。  ……日本人は、騒げれば誰の誕生日でも良いのだろうか? 「そういや、冊子がありますよ。仕事の合間に行ったデパートで貰ったのですが」  そういえば今気づいたのだが、助手席にはリボンで結ばれた袋が置いてある。 ……きっと、子供へのプレゼントだろう。  冊子を受け取った稲葉は、パラパラとめくる。  大部分が宣伝だが、冒頭に“いわれ”が物語風に語られていた。 『今からもう何十年も昔、帝國がこの世界に来てからまだ10年も経っていない頃のことです。  当時は先の帝であらせられる昭和帝の御世で、聖誕祭もまだ天長節と呼ばれていました。  その天長節に、大陸の王侯貴族からたくさんの貢物が献上されたのです。  これを聞いた国内の貴族・富豪・企業……挙句の果てには普通の臣民までもが、負けじと競って貢物が献上します。  たちまち宮城は貢物で溢れました。  けれども、山と積まれた高価な貢物を前にしても、昭和帝は一向に喜ばれません。  それどころか、深い深い溜息をおつきになりました。  “帝國”の民は未だ貧しく、大陸の民は更に貧しいのに、と心をお痛めになったのです。  けれども今更返す訳にもいきません。  かといって放っておけば、来年も再来年もこの様なことが起こるでしょう。  昭和帝は暫しお考えになりました。そして、おおせられたのです。 「朕ばかりが祝われるのは心苦しい、朕も皆に礼をすべきであろう。  これからは朕にでなく、王侯諸侯は民に、富豪は使用人に、企業は労働者に、親は子に贈り物をするように」  そのさきがけとして、昭和帝はご自身の財産をはたき、臣民に贈り物をなされました。  大人には米などの生活必需品を、そして子供たちにはお菓子やボールなどのおもちゃを。  ――これが聖誕祭の始まりです。  現在では昭和帝のご意向もあり、すっかり家族皆でにぎやかに祝うお祭りになってしまいました。  ですが、この様な事実あったということを、私達は忘れてはならないでしょう』 「むう、そういうことか……」  なんか某北の国みたいな気もするが、まあクリスマス代わりだと思えば――  そこで、稲葉は気づいた。  クリスマス→シャオと沙羅が呼んでる→サンタ服を着た“いぬっ娘&ぬこっ娘”とのクリスマスパーティー  ぶーーーっ  ……想像しただけで、鼻血出しちゃいました。 「ちょっ、どうしたんですか!?」 「機関全速……」 「は?」 「全速力で帰宅じゃああっっっ!!」  ……コイツ、諦めてねえ。  諦めるどころか、更にエスカレートしている。  運転手は深い溜息を吐き、何か言おうと口を開いた。  が―― 「お、あそこのレーン、あいてるじゃん!」  その前に、この馬鹿客(←ついに評価がここまで落ちた)トンでもないことをのたまわった。 「あそこは非常用レーンですよ!?」  正気か、と運転手は目を剥く。  非常用レーンとは、車道の両側に設置された一般車両通行禁止のレーンである。(一定規模以上の道路には、必ず設けられている)  故に、現場に急行する救急車や消防車、或いはパトカーといった緊急を要する車両の他は、公共性の高いバスしか走ることができない。  ……そんな所を走った日には、おまんまの食い上げである。運転手は怒鳴りつけそうになったのを抑え付け、やんわり諭し、きっぱり拒否する。  が、稲葉は聞いちゃあいなかった。 「大丈夫、見つからなければ無問題さ!」 「捕まりますよ!」 「大丈夫、俺は不逮捕特権持ってるから」  そう言って、稲葉は自慢気に“免許”を見せる。  ……そう、信じ難いことだが稲葉は“不逮捕特権”――しかも高レベルの――を持っていた。  逮捕には“帝國”宰相か陸軍大臣の許可を必要とし、一般警察はもとより特高や憲兵でも彼を逮捕拘留できない。(たとえ現行犯でも、だ)  これはその身の特殊性に加え、国家機密に深く関わっていることによるものである。  つまり、VIPということだ。だからこそ、軽々しくそれをひけらかしたり、ましては私利私欲のために使ってはならぬのだ。ならぬのだが……稲葉はやっぱり稲葉だった。  それを見て、運転手は腹を括った。 「……わかりました、わかりましたよ。その代わり、ちゃんと警察追っ払って下さいよ?」 「ま〜かせてっ!」  その言葉を合図に、ハイヤーは非常用レーンを勢い良く走り出す。  途中パトカーに尋問されるも稲葉の“免許”で態度豹変、かえって先導する始末である。  ……本来、不逮捕特権は稲葉個人の身を保証するだけのものであり、それ以上でもそれ以下でも無い。  が、『高レベルの不逮捕特権を持つ』ということは、『権力の中枢に近い位置にいる』ということの証拠でもあった。  要するに『虎の威を借る何とやら』、命令権の無い中央の参謀に現地部隊の上位者が従うように、“こういった現象”を起せる、という訳だ。 (無論、後で部長(大見中将)にバレて、『正座して反省文100枚書かされる』ことになるのだが、今の稲葉に知る由もない。パラダイス目指してまっしぐら、他の事なんか気にも留まらないのだ)  かくして、虎の威を借る狐以下の小人は、短時間で帰ることに成功したのである。  …………  …………  ………… 「ただいま〜〜っ!」 「お帰りなさい!」 「待ってたわよっ!」  稲葉の帰宅に、シャオと沙羅が飛び出した。  ガシッ!  そして、二人は逃がすものかと稲葉の両脇を固め、家に連れて行く。  ――や〜、二人に腕組まれて“両手に花”だね、こりゃあ♪  二人がサンタ服を着ていないのは不満だが、二人の少女の柔らかい胸と良い香りの前に、すっかりフニャフニャである。  稲葉は上機嫌で門を潜った。 (とはいえ、傍から見れば『両脇を拘束』され、『まるで犯罪者の様に』『連行』されていったという。どちらが正しいかは……まあ、直ぐに判るであろう)  プ〜〜ン  家に一歩入った途端、強烈な甘い匂いが漂ってくる。  これは……一体? 「お〜、丁度いいところに帰ったな。早く席につけや」  ロンが台所から顔を出す。  ……むう、普段は男子厨房に入らず――料理人だが――とか言って、シャオちゃんと沙羅ちゃんに全権任せているクセに。  目を下に向けると、手には大きなホールケーキが抱えられている……ケーキ? 「パーティのケーキ、ロンさんが作るんですか?」 「おうよ、コイツばっかりは任せちゃあおけねえからな」 「……任せてくれていいのに」 「?」  ボソッとシャオが漏らしたつぶやきを聞き、稲葉は怪訝に思う。  が、ロンさんもプロだ。幾ら専門外とはいえ、そんなにヘンなモノは作らないだろう――そう思い直し、支度して居間へと向かった。  ……途中、二人はまるで監視するかの様にずっと張り付いていた。 「うおっ!?」  ……思わず、声に出た。  食卓には、直径30p以上もあるホールケーキが4個も並んでいる。 ……マジっすか? 「1人1ホールか……」  そのノルマに眩暈がする。 「……逃がさないわよ」 「一蓮托生、ですよ」  ……なるほど、そーゆーオチね。  両脇を固めるシャオと沙羅の言葉に、稲葉はようやくはめられたことに気づいた。  そして、やはり孔明の罠だったか、とがっくりと肩を落とす。 (まあ考えてみれば、二人が急に稲葉に愛想を振りまく筈が無いのだ。自業自得である)  ――でもまあ、“いぬっ娘&ぬこっ娘とのクリスマスパーティー”と考えれば、悪くないな。  甘いものも嫌いじゃあない。少しキツいが、まあ何とかなるだろう。  そう苦笑しつつ、稲葉はケーキを口に放り込んだ。が―― 「くっ!?」  稲葉は目を白黒させ、コップの水を飲み干す。  こ、これは……これはまさか――バタークリームっ!?  そう、あの“しつこい(油っこい)”“パサつく”“マズイ”の三拍子揃った、あの悪名高いバタークリームケーキである。  ……一応、バタークリームケーキの名誉の為に付け加えておくが、本物のバタークリームは決して不味くない。(胃に重くはあるが)  が、純正バターでは無く代用物(安いマーガリンとか)を使ったり卵黄をケチったりすると、途端に不味くなる。『バタークリームケーキ=不味い』となったのも、まあそんな理由からだ。  とはいえ、何故ロンさんはわざわざバタークリーム(モドキ)なんか使ったのだろう?生クリームだってそう高い物ではないのに、むしろバタークリーム(モドキ)を探す方がよほど―― 「全部、お父さんの手作りなんですよ……」 「おじさん、わざわざ乾燥卵と粉バターで作ったのよ?信じられないわ……」 「……うおう、グレート」  乾燥卵に粉バターって……ここは何処の伊号潜水艦ですか?  普通に生クリーム買う方が、よほど安いし楽だろうに。  しかし納得、マズい筈である。が、わざわざ家主が作ったものだ、食わぬ訳にはいかぬだろう。  スポンジにたっぷりとバタークリーム(モドキ)を塗りたくっただけの、イチゴ一つ載っていないケーキを睨み、稲葉は覚悟を決める。  カッカッカッ…… 「ほー、いい喰いっぷりだな?」 「うそっ!?」 「凄い……」 「カッカッカッ……ご馳走様!」  完食すると、稲葉はそのまま仰向けに寝っ転がった。気を抜くと、吐きそうだ。  リーン  突然、電話が鳴った。  いつもの様にシャオが応対する。 「あ、はい! お父さーん、電話」 「ほいよ」  よっこらしょ、とロンが席を立つ。  電話に出ると知人らしく、時々笑い声が聞こえる。  ……長くなりそうだ。 「チャ〜ンス」  沙羅がニヤソと笑った。  そして、皿をずずいっと稲葉の前に押し出す。 「男の子だものね、それだけじゃ全然足りないでしょ♪これも上げる♪♪」 「や、もー『間接キス』……ミミ、シッポ『判ったわよ!その代わり半分は食べるのよ!』うん、がんばる……」 「あー!ズルいっ!!」  もうかなりいっぱいいっぱいらしく、ケーキをフォークで突いていたシャオが抗議の声を上げた。  が、沙羅はすましたものだ。 「正当な取引よ」 「うー」  ウルウル……  チワワの様に潤んだ瞳で稲葉を見るシャオ。  その視線に耐え切れず、稲葉は最大限の譲歩をする。 「……1/4でよければ」 「ありがとう!稲葉さん!」 「や、やるわね……」  かくして、稲葉の腹に1と3/4ホールのケーキが収まった。  ……もう、死ぬかも。  その夜、ロンはケーキを肴に酒を飲んでいた。  右手に椀と箸を交互に、左手には古びた写真を持ち、酒を飲む。  懐かしそうに見る写真には、ロンをはじめとする多くの義勇少年兵が写っている。 ……うち、半分以上が既にこの世にいない。  清華出身の亡命獣人志願兵によって編成された第1442部隊(通称“狼牙”)は東部戦線で激闘に次ぐ激闘を重ね、死傷率400%超と“帝國”軍最悪の数字――それも飛びぬけて――を出している。  ロンの友人達の多くも、その確率から逃れられなかったのだ。  ……が、後悔はしていない。第1442部隊数多くの感状を獲得し、遂には大隊規模でありながら聯隊旗まで授与され、教科書にまで載ったのだから。  そしてその功績は、清華出身獣人の地位向上に大きく役立った。彼らの死は無駄では無かったのである。 (現在の“帝國”人で“忠狼”聯隊の存在と功績を知らぬ者はいない。同聯隊の聯隊長になることは、陸軍軍人にとって一種のステータスとなっている)  暫しそれを黙って見ていたロンは、遠い目をして語りかけた。 「どうやら、今の若い者にはコレが不味いらしいよ……」  あの頃の“俺たち”には、天にも届く味だったのにな……  喜ぶべきことではあるが、少し寂しい――そう思うのは、年をとった証拠だろうか? 「あれからもう55年……55歳か。もう年だわな」  そう、自嘲気味に笑う。  ロンは、55年前より前の人生を認めていない。  自分は、55年前に初めて“人”になった。  だから、自分は63歳ではなく55歳――そう考えていたのだ。  自分が初めて“人”になった日のことを思い出す。  忘れもしない、昭和二八年四月二九日。陛下のお生まれになった日のことだ。  あの日、ロンは生まれて初めての料理を食べた。なおかつ陛下の御高配で、ケーキすらも食べることができた。  そして、砂糖の甘みにクラクラした……何と、美味かったことか。  が、オクサス文明圏は貧しく、卵やミルクが簡単に手に入る地ではない。“帝國”軍の補給だってギリギリだっただろう。 (当時、収容所の“帝國”兵達が三度の食事を二度に減らし、何とか子供たちの食糧を定量確保していたことをロンは子供ながらも気づいていた)  だから、今にして思えばカステラは蒸しパンモドキ、クリームも乾燥卵と粉バターで作ったまがいものだったに違いない。味もこのケーキ以下だろう。  でも、それでも――  その価値が減じることは、些かも無い。断じて。  だから、ロン……いや清華狼にとり、ケーキといえば“これ”なのだ。  そして、今日この日腹いっぱいケーキを食すことが先帝陛下への感謝、そして死んでいった多くの仲間達への弔いなのである。