帝國召喚 ジャンクSS「転移男」 短編「我が青春のエア・コンディショナー」  みーん、みんみん…… 『今年の夏は観測史上最高の暑さで、連日最高気温を更新しています。帝都でも連日40度を突破し――』 「暑い、ですね……」  朝食の支度をしていたシャオが、うんざりした様な声を上げた。  ……如何に朝から元気な彼女と言えど、この暑さには勝てない様で、耳も尻尾垂れたままだ。 『ここ○○では昨日42.8℃という数値を記録、本国の最高気温記録を更新しました! 朝だというのに熱気が凄いです、見て下さい!!』  レポーターが道路の上に置いた氷は、アスファルトの熱で忽ち溶けて消えていく。後には水溜りすら残らない。 「……うわあ」  ……見ているだけで暑くなりそうな映像である。  BGM代わりにつけているTVから流れるニュースは、もはや暑さを一層煽るものでしかなかった。  シャオは顔を顰め、スイッチを切ろうと指を伸ばし――止まった。 『この暑さのせいか、各百貨店や電気店では冷房機が飛ぶように売れており――』 「冷房、か……皆お金持ちなんですね……」  そのニュースに思わず感心してしまう。  一昔前に比べれば大分安くなったとはいえ、安月給のサラリーマンが夏のボーナスはたいてやっと、一番安いヤツが買えるかどうかのお値段である。  ……正直、シャオの経済感覚からすれば、こんなモノが飛ぶように売れることがよく理解できなかった。皆お金持ちなのだろう、たぶんきっと。  そんな思索に耽る間も朝食の支度は進み、遂に完成。シャオは家族を呼びに居間を後にする。 ――――ケース@ ロンの場合。 「お父さん、どこかな?」  ロンは最近は寝苦しくて堪らないらしく、あっちこちと涼しい場所を求めて家中徘徊している。はてさて、一体昨晩は何処で寝たのやら…… 「――って、お父さんそんな所で何やってるのよ!?」  十数分後、シャオは庭で立ち竦んでいた。  ……縁の下に、巨大な狼が眠っている。  なんとロンは遂に涼を求めて外に出、獣化した挙句床下の地面を掘ってそこで寝ていたのである! 「……ああ、シャオか……おはよう」  ぐるるるる、と喉を鳴らしながらロン。 「おはよう、じゃないよっ! そんな所でケモノみたいに寝てっっ!!」 「ふふふ……昔、戦場にいた頃はよくこうやって穴を掘ったものさ……」 「意味がわからないよ……」  ロンは目を瞑ったまま得意気に話すが、それと床下に穴を掘って寝ることの関連性がシャオにはさっぱり判らない。  が、そんなことよりも彼女には言いたいことがあった。 「『獣化は止めて』って、いつもいつもあんなに言ってるのに!」  シャオは怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にして怒る。  実は“帝國”本国に在住する若い世代の獣人――特に年頃の女性――にとり、獣化は“恥ずかしい行為”と見做されている。 ……いや、女性の獣人は完全獣化出来ないのだが、この場合“男性獣人の獣化”を嫌っているのだ。(無論、同世代の男達にとっても同様だ)  思う存分獣化ができる様になり、獣化を“自由の象徴”としてきた第一世代、  時に獣化でもって戦場を……大陸を第一世代と共に駆け巡った第二世代  ……そして時は流れ、獣化を必要としなくなった第三、第四世代が登場した。  彼等彼女等にとり、獣化はまるで必要が無いばかりか、下手をすれば“帝國”人を傷つける恐れすらある無用の長物でしかない。  ……加えて周囲の“帝國”人達は獣化などしない。かくして何時の頃からか、『獣化は恥ずかしいこと』と見做される様になってしまったのである。 (以前、稲葉がシャオに何故嫌か尋ねた時、『だって裸ですよ!? 裸なんですよ!!』と彼女は答えたというが、つまりまあ“そういう感覚”なのだろう) 「お父さん、今晩の晩酌抜き!」  悪い子にはお仕置き、とシャオは毅然と宣言する。 「横暴だ!?」  この暑い最中、冷えたビールが飲めないとはあんまりである。ロンは慌てて床下から這い出してきた。  ……さてここで問題です。一晩床下の穴の中にいたでっかい狼を、家に上げたら一体どうなるでしょう? 「ちょっ! そんな汚れた体で家に上がらないでよ! 泥と毛が!!」  シャオは慌ててロンを止めた。  床から這い出してきたロンは泥だらけである。 ……これでは家に上げられない。  が、庭で体を洗わせようにも狼のままでは無理だし、かといって獣化を解いたら全裸である。  シャオは溜息を吐いた。 「はあ……余計な手間を……」  結局、この強い日差しの下、シャオは汗だくになりながら、まるでお湯の様な水で“でっかい狼”を洗う羽目になったのであった。 ――――ケースA 稲葉の場合。そして…… 「いやああああっっっ!?」  次は稲葉の番、と二階に上がったシャオだったが、そこで彼女が目にしたものは、ヤバ気に痙攣している稲葉の姿だった。  ……ロンとは違って動き回る元気も無かった稲葉は、余程暑かったのか布団ではなく床の上で、汗まみれになって横たわっていたのである。 「い、稲葉さん! しっかりして下さい!!」  慌てて抱き起こすが、その目は虚ろで何も見ていない。 「ああ……刻が……視える…………」  ガクッ 「稲葉さ――――んっ!?」  …………  …………  …………  カラ〜ン 「畜生、なんだよこの暑さ……“暑い”ってレベルじゃねーぞ!?」  30分後、稲葉は居間で氷入りの麦茶をがぶ飲みしながら悪態を吐いていた。 「まったくだ! 何か年々暑くなる一方だぞ!? どーなっとるんだ!!」  カラ〜ン  やはり氷入りの麦茶をがぶ飲みしながら、ロンが相槌を打つ。  ……この瞬間、二人はまるで魂の双子の様に共鳴しあっていた。 「畜生畜生! 今日は仕事なんて止めだ止め! 冷房の効いたデパートで一日中のんびりしちゃうぞっ!!」 「異議なし! こんな中、火なんか使えるか! 店は休みっ!!」  パコ〜〜ン、パコ〜〜ン。 「あたっ!?」 「イテッ!!」 「二人とも馬鹿言ってないで、早く御飯食べて下さい! 片付かないでしょう!!」  手にしていたお盆で殴ると、シャオは二人を睨みつける。 「「は〜〜い」」 「まったくもう……あら、電話? は〜〜い!」  ヒソヒソ……  シャオが席を外すと、ここぞとばかりに二人は愚痴り始めた。 「うう、今日のシャオちゃん何だか怖いよ……」  と、シクシク稲葉が泣けば、 「……同感だな、“あの日”か?」  と、ロンが舌打ちする。  稲葉は何だかんだ言ってもいつも相手してくれるシャオに邪険に扱われ、ロンはロンで晩酌を抜きにされ、不満たらたらだ。  が、シャオだって暑いのだ。そこに持ってきていろいろ余計な手間をかけさせるから怒られる、ということに二人はまったく気付いていなかった。  ……付け加えて言えば、電話――もちろん懐かしの黒電話だ――は直ぐ外の廊下にある。この会話が聞こえないはずは無い……と言うか、聞こえるのを知ってて二人は言い合ってたりする。  電話の応対をしているシャオは反撃できない、と踏んでやっているのだが、“子供”としか言いようがなかった。  いい年した大人が二人、一体何をやっているのだか…… 「……稲葉さん、部長さんからお電話ですよ」  と、襖が開き、受話器を手で押さえたシャオが顔を出した。声はいつも通りだが、顔が引きつっている。  ちなみに“部長さん”とは、陸軍電子工学研究本部長 大見忠弘技術中将のことである。  大見中将は電子工学の世界的権威であり、帝都帝國大學の名誉教授も兼ねる大物中の大物だ。(無論、シャオはそんな大物とは知らない)  ……そして稲葉の直属の上司でもあるという、まるで“こち亀”の大○部長の如き不幸な役回りを押し付けられている人物でもあった。 「げっ! 部長から!?」  両○……もとい、稲葉の顔が青ざめる。 「はい、『今日が提出期限の報告書、出来てるか?』って」 「『今、出ました』と言ってくれ」 「……お蕎麦屋さんじゃあないんですから。あ、はい、代わりますね」  シャオはにっこり笑うと、盛んにイヤイヤする稲葉に力尽くで受話器を握らせた。 「只今おかけになった電話番号は、現在使われておりません……」  ……取り合えず誤魔化す事にする。  が、大見中将は稲葉の冗談には付き合わず、用件を切り出した。 『報告書、出来てるな?』 「インシャ・アッラー」 『出来てるな?』 「……ごめんなさい、編集長。オチました」  思わず土下座する稲葉。 『お前という男は…… いいか、お前が遅れるということは、計画全部がドミノ式に遅れる、ということなのだぞ! 一体、国がこの計画に幾らかけてるのか判ってるのか!?』 「へへー、仰る通りで御座います」 『一日遅れるごとに、一体幾ら損するか教えてやろうか?』 「ごめんなさい、私が悪う御座いました」 『……本当にお前という男は……まあ、今回は大目に見てやる。で、後どれ位かかる?』 「……クーラーがあれば直ぐにでも」 『はあ?』 「毎日暑くて死にそうです。こんな環境では繊細なボクの脳細胞は働けません」 『お前がリラックスできる場所でやりたい、と言ったんだろうが! 何なら、網走刑務所にでも監禁してやろうか!?』  この男はやる……やると言ったら絶対やる。冗談ででも稲葉が相槌を打てば、直ぐに憲兵隊が来てしょっぴかれるに違いない。  ミミンスキーな稲葉にとり、それはとても辛いことである。稲葉は真っ青になり、慎重に言葉を選んだ。 「いえ、クーラーがあれば十分です」 『その位、自分で買え。金ならあるだろう?』 「ありません」  きっぱりと稲葉は言い切った。  事実である。元の世界の電子機器を売っぱらった代金は、もはや一銭たりとも残っちゃあいない。それどころかマイナスである。 『……何に使った。怒らんでやらんでもないから、言え』 「漢として使いました」  そう、後悔なんかしちゃあいない。だって漢だから。  ……けど、あの金でせめてクーラーだけは買っとくべきだった、と考える度に涙が出てくるのは何故だろう? 『相変わらずお前の言う事は訳が判らんが……仕方が無い、数日内に送ってやろう。だから、今週中に書き上げろ』 「いえ、今直ぐ下さい!」 『無茶言うな、これから書類を通すのだぞ?』 「三号倉庫で埃被ってるヤツがあったじゃないですか! アレを下さい!」  ここぞとばかりに稲葉は前々から目をつけていた物件をねだる。  アレは埃を被ってはいるものの、まだ梱包すら解いてない業務用クーラーの新古品である。型だってまだまだ現役のタイプで、買ったらウン万という代物だ。  ……あまりの稲葉の図々しさに、受話器の向こう側から何やら溜息が洩れ聞こえてくるが、そんなことは知ったこっちゃあない。何しろ全てはこの暑さが悪いのである。暑さが稲葉を変えた(?)のだ。 『……勝手に持ってけ』  暫くして、投げやり気味の返答が返ってきた。言ってみるもの、である。 「ありがとうございます! 部長!」  稲葉は敬礼して受話器を置いた。 「――と、言う訳で、今からクーラー獲りにいきます……って二人とも、どしたの?」  ぽかんと自分を見る二人に、稲葉は首を捻る。 「いや……お前、上司にむかってよくあんな態度とれるな? 相手、部長なんだろ?」 「よくクビになりませんね……」 「ウチは外資系なんで、アットホームが売りなんですよ」  んなわきゃあ、ない。(それ以前に外資など存在しない) 「そんなことよりロンさん、車貸してください」 「ああ? ま、別に構わんが……」 「あとロンさん、クーラー付けられます?」  ロンは手先が器用で、日曜大工やら簡単な配線工事ならお手の物だった。 「……多分、な。っていうか、お前取付けられもしないのに、そのまま持ってくる積りだったのか?」 「まあなんとかなるかな、と思いまして……」 「相変わらず行き当たりばったりだな、お前……」 「計画性、ゼロですね……」  二人は呆れた様に顔を見合わせた。  結局、居間兼食堂に置かれることになったクーラーの取り付けに成功したのは、もう日が暮れてからのことだった。  業務用なので、多少複雑だったのが直接の原因だが、“ご家庭の達人レベル”のロンの手に余った、とういうのが正直なところだろう。 「では、スイッチを入れます!」  ピッ  二人の拍手の中、稲葉は意気込んでスイッチを入れた。  グオ〜〜ン  轟音と共に、冷気が吐き出される。 「おおっ!」 「涼しい!」 「ははは! これで十年は戦えるよ!」  二人の感嘆に、稲葉は満足そうに笑う。  ククク…… そうだ、二人とも自分の様にクーラーの虜になるがいい……  ガッコーン!  ……が、それも僅か数秒のこと、途端に辺りが真っ暗闇になる。 「な、なんだ?」 「ああ、ブレーカーが落ちたんですね」 「……そういや、ウチ古いから、電気の容量小さいんだよな」  な、なんですと――っ!? 「じ、じゃあクーラーは……」 「電力会社の人に来てもらうまで、無理ですね」 「2〜3日はかかるかな?」  コノクソ暑イナカ、サラニ2日以上デスカ…… 「ノオオオオオ――――っっっ!?」  稲葉は絶望の叫び声を上げたかと思うと、まるで映画“プラ○ーン”の一シーンを再現するかの様に、両手を挙げて膝から崩れ落ちた。  PS,1  それから3日後、ようやくクーラーは使える様になり、快適な日々を提供し始めた。  が、稲葉はこれが稲葉の世界でいう“70年代末〜80年代最初期のクーラー”だということを失念していた。  ……どういうことかと言えば、『恐ろしく電気を喰う』ということである。ましてやそれが業務用なら……という訳だ。  翌月、請求された電気代を見てシャオが真っ青になったのは言うまでもないだろう。  PS,2  ロンと稲葉の懇願により何とか封印こそ免れたものの、『クーラーは寝る前の1時間のみ』という制約が課されることとなったらしい。