帝國召喚 ジャンクSS「転移男」 【01】 ――――平成19年2月、秋葉原。 「いや〜、神様っているもんやね〜♪」  俺の名は稲葉昌由。25歳、しがないプログラマーだ。  趣味はパソコン弄りに軍事。所謂『ヲタ』というヤツである。  当然恋人いない暦=年齢という、実に寂しい青春を送っていた。  が、そんな俺にだって偶にはいいこと位ある。  いつもくじ引きと言えば『外れ』のティッシュ位だったのだが、今回はなんと宝くじの一等100万円当たったのだ。  すげえよ! これがビギナーズラックって奴か!?  かくしてすっかり浮かれた俺は、俺的最強PCを作るべく、こうして秋葉原までやってきた――という訳だ。 「よーし、パパこれも買っちゃうぞー」 (*稲葉は独身です!)  調子に乗って10万円近いグラフィックボードに手を出す。  他にも最新のCPU、マザーボード、メモリ、ディスプレー、周辺機器等々……合わせた金額は軽く50万を越えるだろう。 「おっ、忘れちゃいけないビスタちゃん」  Linuxも悪くは無いが、如何せん互換ソフトがなさ過ぎる。  会社じゃ重宝しているのだが…… 「うっし! これで後は帰って組み立てるだけ〜」  いや、折角だから美味いものでも喰っていこう。金ならあるんだし。  ――そう考えた俺は駅へと向かう足を止め、方向を変えて再び歩き出した。 「まずは『勝漫』で大カツ丼、〆に『すしざんまい』でマグロ〜♪」  俺は意気揚々と万世橋を渡った。  ……この時の俺は、浮かれてたので気が付かなかった。  この『一等100万円』は、この世界の神様が俺に寄越した『手切れ金』だった、ということに。 ――――平成19年2月、???。  道を歩いていくと、色々なコスプレ姿の連中が目に付く。 「流石は天下の秋葉原、正に『聖地』!」  老若男女を問わぬ見事なコスプレに、思わず感心してしまう。  リアルな獣面を被った巨漢の男性、  ネコ耳と尻尾を見事に動かしながら歩く美人なおねーさま。  エルフの様に耳を長くした外人さん…… 「おや、帝国軍人さんまでいらっしゃるじゃあないですか!」  しかも腕章には『憲兵』。凝ってますねえ……  思わずデジカメで撮っちゃいますよ。 「すみませ〜ん。写真、良いですか?」  買ったばかりのデジカメを手に、思わず駆け寄ってしまう。 「ん、お前はなんだ?」  うわっ! 見事になりきってるよ! 「はっ! 自分は本日初めて帝都に参った者であります!  帝都観光記念に是非一枚、お願いいたします!」  余りにも嵌った憲兵軍曹殿のお言葉に、思わずこちらの口調も変わる。 「……まあ構わんが、余り変な所を撮るなよ?  スパイ容疑でしょっ引かれるからな」 「はっ!」  有り難く写真を撮らせて頂く。  ――お前のカメラは変わっとるなあ。  ――ええ、最新式ですから。  ――ふ〜む、世の中どんどん進んでいるのだなあ。  等というイベントをへて、俺は道を進んでいく。  道を進んでいく。  道を進んで…… 「え〜と、ココ何処?」  なんか、道に迷いましたよ!?  おっかしーなー、もうとっくに『勝漫』に着いてる筈なんだけど…… 「すいませ〜ん。この辺に『勝漫』ってお店、ありませんか?」  とりあえず、俺は近くを歩くイヌ耳少女に助けを求めた。  ……いや、別に下心はありませんよ?  他にも人がいたのにわざわざ声をかけたのは、『彼女がかわいかったから』ではありません。多分……きっと。 「はい?」  彼女は、う〜ん、としばらく考えて首を振った。 「ごめんなさい。知りません」 「結構有名なカツ屋さんなんだけどなあ〜」  申し訳無さそうにへたる耳と尻尾が可愛いなあ、と思いつつも俺は首を捻る。 「えっと、住所とかわかりますか?」 「確か千代田区神田……」 「へ? 千代田区?」  少女は一瞬目をパチクリさせるが、直ぐに『む〜』と膨れる。 「私をからかってるのですか!? 千代田区って、天子様の御座所じゃあないですか!」 「へっ? ……そりゃあそうかもしれないけど、全部が全部そうでは――」  豪くアナクロなことを言う子だなあ、と思いつつも弁解する。 「……『千代田区』は皇居の別称です。皇居にカツ屋さんなんかありません」 「はあ……すいません」  異論はあるのだが、少女の剣幕からして逆らわない方がよかろうと判断し、黙っておく。  ――しかし、本当に良く出来たコスプレだなあ。  少女の感情に合わせて自由に動いたり、逆立ったりする耳や尻尾に感心してしまう。  ……触っても良いだろうか? 特にあのフサフサの尻尾とか尻尾。 「……むっ、聞いてますか!?」 「き、聞いてます聞いてます」 「ならいいです。じゃあ今度から気をつけて下さい」 「あっ待って、最後にもう一つ! ココ何処!?」 「蒲田区六郷ですよ」 「へっ? 蒲田区? ……六郷って大田区じゃあなかったっけ?」 「……大田区なんて区はありませんよ」  イヌ耳コスプレ少女は呆れ果てた様に仰った。  ……それから1時間後、俺は途方にくれていた。 「ジーザス! なんてこったい!」  ヘイ、ボブ聞いてくれっ!  冗談でも気が触れたわけでもなく、どうやら俺はリアルで異世界に来ちまったらしい!  近くの電気店に置かれたTVからは、こんなニュースが流れてくる。 『清華王国に対する月連合王国の大量武器供与問題について、帝國政府は断固たる措置を……』  そこ、笑う所じゃあないですよ! 天下のN○Kが大真面目にこんなこと放送してやがるのですよ!?  ……つーか、『月連合王国』って何ですか? うさぎの国ですか? うさぎが武器売りまくってるんですか!?  なんつー極悪うさぎだ。きっと黒い眼帯した目付きの悪いうさぎに違いない。あと葉巻も必須。これで完璧。 「落ち着け、俺。こういう時こそ平常心だ」  カチッ! ふ〜〜〜  落ち着くために一服遣ってみる。  で、期待通り落ち着いたんだけど、今度は容赦無い現実って奴が襲い掛かってきやがりました。 「しかしこれからどうするよ、俺……」  こーゆー状況、小説とかじゃあよくあるパターンなんだけど、リアルで巻き込まれたら実にいい迷惑である。  第一、俺は主人公なんてガラじゃあないし。 「……それに『主人公』つっても、この場合『自分の人生は自分が主人公です』てのと同レベルなんだよねえ」  む、報われねえ……  神様、俺何か悪いことしました? もしかして籤かなんかで適当に決めました?  ……だとしたら恨みます。ええ、一生。  ク〜〜〜 「……腹、減った」  けど金は無い。  ……正確には、『この世界の金』は無い。  元いた世界の金が使えないことは、駅で両替しようとして既に判明している。  いやあ、もう少しで警察沙汰になる所だったよ。洒落にならねー。  ク〜〜〜!  先ほど以上に、腹が自己主張する。  喰えないとなると、余計ひもじさが増すのだ。  神様の馬鹿。せめて飯喰ってから異世界に送り出して欲しかった…… 「おれ、ホームレスになるしかないのかな……」  実際、戸籍すら無い以上、まともな職にはつけないだろう。  ……いかんいかん、腹が減るとどうしても弱気になってしまう。  俺はおもいっきり首を振り、縁起でもない将来予想を頭から追い出した。  が、現実は厳しい。  俺は公園の水で腹を満たし、トボトボと歩く。  ひたすら自分の家がある筈の場所へと向かう。  じっとしていた方が良いのはわかっているが、歩かずにはいられなかった。  ……両手と背中の荷物がとても重く感じる。 (いや、まあ、実際重いのだが)  …………  …………  …………  何時しか日も落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。  二月の夜は寒く、空腹と冷気、そして疲労が体を蝕む。  ……それでも歩く。  ドサッ!  道端の小石に躓き、盛大にすっ転んだ。  慌てて立ち上がろうと……立てねえ!?  それどころか、とてつもない睡魔が襲ってくる。  ……もしかして俺、ヤバイですか!?  必死で眠気と戦い続けるも、形勢はどんどん不利になっていく。  やがて、なんかもー何もかもがどうでもよくなってきた。 「……パトラッシュ、ぼくはもう疲れたよ。少し眠ってもいいかい?」  俺は背中の愛機(パソコン、未成)に呟くと、目を閉じた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【02】 ――――翌日早朝、定食屋「まんぷく」前。 「いいお天気だなあ」  少女は、箒と塵取りを手に玄関を出ると、大きく背伸びをする。  吐く息が白い。昨日は比較的暖かかったけど、今日は大分冷え込むらしい。  ……鍋定食が良く売れそうだ。仕込みを大目にしておかなければ。  そんなことを考えながら店先に向かうと、何か大きなゴミが捨ててある。 「……?」  少女は軽く眉を顰めると、ゴミに近づく。  ……それが『倒れている人間』だと気付くのに、さしたる時間はかからなかった。  しかも、体が冷たい。  モシカシテ、死体デスカ…… 「きゃあああああ――――っ!!」  その悲鳴は町内中に広がった。  うう、寒い、寒い……寒……暖かい?  稲葉は、自分が布団に寝かされていることに気付いた。  恐る恐る目を開けてみる。 「……知らない天井だ」  とり合えず言ってみる。  いや……『お約束』だし仕方ないよね?   『お約束』も立派な約束事。日本人たる者、約束は守らなければ。 「あっ、良かった。気がついたのですね」 「お、俺は一体……」 「あなたは、うちの店の前で行き倒れていたのですよ」 「そ、そりゃあとんだご迷惑を――」  って、貴女は昨日のイヌ耳少女!? や、やべー! 「ス、ストーカーじゃ無いです!」  俺は慌てて飛び起き、弁解したね。  『昨日からつけてきた』なんて思われちゃあ警察沙汰だ。  で、本来この世界にいない筈の俺が警察沙汰になったら即バットエンド、つーかデッドエンド……  い、いやだっ! 俺はまだ死にたくない! 「あ、あの、まだ体が本調子じゃあ無いのですから、あまり無理しないで下さい。お願いですから」  ふらふらしながらも必死の俺を慌てて止めるイヌ耳少女の様子から、これなら大丈夫そうとひとまず安心し、俺は布団に戻る。  と、頃合を見計らって彼女は口を開いた。 「あの……」  甘かった――ッ!? 「『すとおかあ』って何ですか?」  イヌ耳少女は真顔で尋ねた。 「へ……」  俺はその時、とても間抜けな顔をしてたと思う。  で、しばらくしてやっと気付いたね。  この世界にゃあ『ストーカー』なんて概念、少なくとも一般市民レベルでは浸透していないってことに。  もちろん、言葉もね。 ……あ、そーいやーここ異世界なのに、なんで言葉が通じているのだろう?  一応ここも日本(多分)だからかな? やっぱり。  そんなことを考えていると、襖が開き、新たな人物がやって来た。 「おっ、気がついたみたいだな!」 「あ、お父さん」  イヌ耳少女のお父上は、獣頭でした。  で、あのお口でどーやって発音しているのか謎なのですが、実に流暢な日本語を操っていらっしゃいます。  やはり慣れか? はたまた駅前留学か?    ……しかし、何故に同じ種族で男はケモノ頭、女は人間の頭にケモノ耳なのだろう? 謎だ。  ひょっとして、この世界の神様の趣味か? 趣味なのか!?  なんてこった! だとしたら…… 「神様、ぐっじょぶ」  俺は思わずサムズアップしたね。  どうやらこの世界の神様とは趣味が合いそうだよ、うん。 「お、おい…… こいつ何言ってるんだ?」(ヒソヒソ) 「うん…… まだ完全じゃないらしくて、時々変な事口走るの」(ヒソヒソ)  ……そんな俺を、お二人は実に不安そうに見てらっしゃいました。 「……しかし、今時行き倒れとはなあ……」  見た感じ、浮浪者とも見えない俺を見て、イヌ耳少女のお父さんは呆れた様に呟いた。  あ、イヌ耳少女のお父さんは『ロン』さん、イヌ耳少女は『シャオ』ちゃんってお名前だそうです。今度からそう呼びますね。  いやあ、リアルイヌ耳のインパクトが強くてつい…… 「面目ありません」  俺は申し訳無さそうに頭を下げる。  いや、実際幾ら感謝してもしたりないね。何しろ何処の馬の骨ともわからん行き倒れを、わざわざ家に上げて看病してくれたのだから。  しかも枕元のお盆には処方剤、医者まで呼んでくれた様だ。人情紙風船の元の世界じゃあちょっと考えられないよ。   「お前さん、帝國人だろ? なら、働き口位幾らでもあるだろうに……」 「お父さん!」 「あ、こりゃあすまん。 ……そうだよなあ。人には色々事情があるわあなあ」  もう一度、俺を見る。  その目は、お粥にがっつく俺を気の毒そうに眺めていた。 「よしっ! 決めたっ!」 「きゃあ!」 「うおっ!?」  突然のロンさんの叫び声に、俺とシャオちゃんは驚いて悲鳴を上げた。  いや本当、まるで遠吠えのような大きな声なんだもの…… 「お前、今日……いや、明日からここで働け!」 「あー、丁度人を探してからからね……」 「い、いいのですか!?」  思わぬ幸運に俺は目が点になる。 「構わん構わん。どうせお前、行く所無いのだろ?」 「う、そ、そりゃあ……」 「まあそんなに給料は出せないが、衣食住位は面倒見てやるよ」 「有難うございます!」  俺は深々と頭を下げた。 「お〜い、行き倒れ! 月見海老天丼頼むわ!」 「はい!」 「行き倒れ! こっちは海老蟹フライ定食、大盛!」 「はい!」 「こっちは竜肉龍田揚げ! 龍田四枚で!」 「……お客さん、二つで十分ですよ」  あ〜、忙しっ! 全く目の回るほどの忙しさだ。  俺の仕事なんて接客と後片付け、それに皿洗い位なんだけど、どんどん流しに皿が溜まっていく。  ロンさんなんか、これだけの注文を一人でこなしているというのに。 ……情け無い。  あれから一週間、俺は『まんぷく』の住み込み店員として働いている。  忙しい事は忙しいが、こき使われるという程ではなく、まあ楽しく遣っていた。  ……いや実際、本当に良い人に拾われたよ。  現在唯一の悩みの種は、店に来る客の大半が俺を『行き倒れ』と呼ぶこと。  俺がここで雇われた顛末は、もう町中に知れ渡っているらしい。  お客さん達の話では、シャオちゃんが俺を見つけた時の悲鳴は凄まじく、町内中に広がったそうだ。  で、バットや木刀を持って駆けつけたところ、俺が倒れているのを見つけた、という訳だ。  駆けつけた一人が町医者だったのでその場で診察した結果、救急車を呼ぶには及ばない、ということで家に上げられたらしい。  ま、そんな訳でお客さん所か町の皆――お客≒町の人だが――が俺を『行き倒れ』とか『行き倒れさん』とか呼ぶ。  稲葉さん、なんて呼んでくれるのはシャオちゃん位なものだ。  あ゙、シャオちゃんと言えば、訂正しなければいけないことがあったんだ。  シャオちゃんは……なんとイヌっ娘じゃなくてオオカミっ娘だったんだよっっ!!(MMR風)  てことは、アレはイヌ耳じゃあなくてオオカミ耳か……  シャオちゃんは春から高校一年生になる。学制が違うから一概には言えないけど、まあ元の世界で言えば『今度高二になる』って頃かな?  イヌミミ&尻尾付き制服少女……萌える。 「行き倒れ! 枝豆追加!」 「はい!」  いかんいかん。妄想してる暇は無い。急がねば!  …………  …………  …………  店を閉め、後片付けや明日の準備を終えると夕食。ま、もう10時近いけど。  シャオちゃんが用意しておいてくれた夕食をロンさんと食べ、風呂に入ったら自由時間。  俺の自由時間の過ごし方は、ロンさんから借りた雑誌のバックナンバーを読むことだ。  ロンさんも俺と同好の士らしく、大量の軍事雑誌を保管している。  何でも、この世界の男は皆多かれ少なかれ軍ヲタの気があるらしく、この世界ではその手の雑誌が数多く出回っているらしい。  何せ軍事雑誌の四天王と言われる『世界の艦船』『戦車』『航空情報』『丸』など、発行部数は各1000万部に達するのだそうだ。  すげえよ! 月刊誌とはいえ、元の世界の少年ジャンプ以上じゃん!  ……とはいえ、比較的ディープな軍ヲタだった俺には少々物足りない。  ページの多くが写真なのはまあ良いが、記事がマンセー過ぎる。俺みたいに斜に構えたヲタには物足りなさ過ぎるのだ。  ――ま、仕方が無いか。  元の世界の防衛省ですら情報を殆ど出さなかったんだ。こっちの世界の軍ならば尚更だろう。  法規制も厳しいだろうから、得た情報もストレートに書けない。  ああ、『皆が軍ヲタ』ってのも拙い。この世界の軍事雑誌は立派な『大手雑誌』、影響力が強くて下手な事は書けないだろう。  書いたら軍も企業も黙ってはいない……無論、過去の兵器も。 「で、結局はマンセー記事になる訳ね」  俺は苦笑しながら『戦車』の続きを読んだ。  ……そこには、『世界最強、帝國陸軍の鉄竜系譜!B九七式中戦車改〜栄光のチハ改〜』と書かれていた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【03】  さて、この世界に来て早10日。ようやくこの世界のことが朧げながらもわかってきた。  ……遅いって言わないでくれよ? こっちだってこの世界に適応するので必死なんだからさあ。  ま、結論から言っちまえば、ここは『平行世界の日本』だった。  どうやらこの世界の日本は、幸か不幸か太平洋戦争直前にこの世界に飛ばされちまったらしい。  で、そのまま65年以上が経過し現在に至る――って訳だ。  当然敗戦なんて無いから憲法は帝國憲法のまま。『平和憲法? なにそれ美味しいの?』って世界だ。もし憲法第九条の様なことを主張すれば、狂人扱いされることは間違いない。 ……ま、それについては俺も同感なんだけどね。  この世界では、日本は『帝國』って呼ばれている。なんか思いっきり『悪』なイメージだが、ちょっとだけ格好イイと思ってしまったのは秘密だ。  帝國はその呼び名に相応しく、この世界の過半をその支配下に置いているらしい。『世界人口50億の内30億以上が帝國領に住んでいる』ってんだから驚きだ。  その支配構造は結構複雑で色々序列があるらしいが、そこから先は俺もよくわからない。唯一つだけ言えることは、『戦前以上の階級社会』ってことだけだ。 ……なんでも、身分どころか種族や国籍にも上下があるらしい。  ……らしい、らしい、ばかりでスマン。  けど、俺だってまだ来てから10日しか経ってないのだから、まあ勘弁してくれ。  ――とはいえ、以上のことは現在の俺に何の関係も無かったりする。  「まんぷく」の住み込み店員である俺は、ウマウマと暢気にシャオちゃんが作ってくれた飯を喰っていた。  いや〜、もうコンビニ弁当三昧の生活には戻れんなあ〜 「このシシャモ、美味いですね」  俺はシシャモに齧り付き、思わず感嘆した。  噛んだ瞬間に旨みが広がり、卵はハラッと解けて食感も抜群だ。  ……今まで喰ってきたシシャモとは比べ物にならないよ! 「シシャモじゃあありませんよ。ガピーです」  シャオちゃんは笑いながら俺の間違いを訂正した。  何でも本物のシシャモは超高級魚で、今までカペリンっつー魚を代用していたらしい。  けど、そいつも乱獲が祟って高級魚の仲間入り。で、代用の代用としてガピーを食べる様になった――という訳だ。  とはいえ、これはあくまで帝國の立場から見た話であり、カペリンもガピーもこの世界じゃあ昔から、当たり前に食べられている魚だそうだ。  ま、その辺の事情は俺の元いた世界の日本だって同じこと。いちいち気にする程のことじゃあない。  美味ければ全てが許されるのだ。  ……でも海老蟹だけは勘弁な。アレはちょっと―― 「? どうしたのですか?」  顔を顰めた俺を、シャオちゃんは不思議そうに見る。 「い、いや別に……そういやあ、シャオちゃんは4月から高校だっけ」  俺は慌てて話題を変える。  卒業は3月だから、シャオちゃんはまだ中学生なのだ。 「いえ、高専(高等専門学校)ですよ」  この世界の学制は戦前の延長線上にあるため、元の世界のそれと大分異なる。  まず小学校が6年、次いで中等学校が4年。ここまでの10年が義務教育だ。  で、更に勉強したい子供は『高等教育機関受験資格試験』を受ける。これに受からなければ上の学校には進めない……つーか、入学試験を受けられない。  この『高等教育機関受験資格試験』ってのは、義務教育で勉強した範囲をきちんと理解しているかどうか調べる試験で、ほぼ全教科&全範囲から出題されるマラソン試験だ。  尤も、この試験は落とすための試験では無いので、教科書の例題レベルの問題が解ければ余裕だそうだ。事実、大半は一発で受かるらしい。  しかも試験は年複数回ある上、合格した科目も持ち越せるため、その気になれば合格しない筈が無い……とされている。まあ何事にも例外はあるのだろうが。  ……しかし、もし元いた世界でこんな試験やったら一体どうなるだろうね?  高校進学率八割切るカモナー  で、上の試験に受かって初めて上級学校の入学試験を受けることが出来る。  この道は二つあり、一つは高等学校、もう一つが高等専門学校だ。高等学校は4年制、高等専門学校は甲種が6年制、乙種が4年制である。  高等学校は元の世界における高校と大学教養課程を合わせた感じで教養重視、高等専門学校は甲種ならば高校+大学全課程、乙種ならば高校+専門学校といった感じで実技重視……だと思う。多分。  入学難易度としては、一に旧大学予科系高等学校、二に非予科系有名高等学校か甲種高等専門学校、三四がなくて五にその他だそうだ。  高等専門学校に進んだ人の学歴はここで終わるけど、高等学校を出た人は『大学受験資格試験』に受かれば大学受験資格を得ることが出来る。  ……尤も、大学の絶対数が少ないため、『受験資格は得たけれど……』って人が多いそうだけどね。  旧大学予科系の高等学校の生徒なんかは、資格試験にさえ受かれば入学試験無しに系列大学に入れるけど、こういった高等学校は上で挙げた様に難関校揃いだし、進学先の学部も成績で割り振られるから、これはこれで色々大変らしい。  最高学府たる大学は4年制で、もっと勉強したけりゃあ博士課程(4年)に進む――という訳だ。  新聞によれば、現在の帝國本國人の進学状況は――  中等学校卒     男性 3%/女性 5%  高等学校卒     男性35%/女性70%  高等専門学校乙種卒 男性40%/女性20%  高等専門学校甲種卒 男性15%/女性 5%  大学卒       男性 7%/女性 1%未満  ――だそうだ。就学期間も考慮に入れれば、かなりの高学歴社会だろう。甲種高等専門学校卒や大学卒が少ないのは、単に入り口が狭いからだ。 (ちなみに男性の高等専門学校志向が強いのは、就職に有利だし潰しが利くからだそうだ)  シャオちゃんは進学先のことを嬉しそうに話してくれる。 「高専では栄養学を学ぶのですよ。楽しみです」  高等専門学校栄養学科は乙種で、卒業すれば栄養士の資格も取れるそうだ。 「……店なら食品衛生責任者資格がありゃあ済むんだから、わざわざ高専なんか行かないで高等学校に行きゃあいいものを」  高等学校なら楽しく遊べるものを、とロンさんは愚痴る。  栄養士になれば食品衛生責任者資格を自動的に収得出来るが、わざわざそんなことをしなくても講習会を受講すれば取れる資格だ。どう考えても割に合わない。 (高等専門学校は実践重視で忙しい、というのが一般の認識だ) 「お父さん。私は栄養学を勉強したいの」  だいたい学校は遊びに行く所じゃあ無いわよ、とシャオちゃんはやんわりとロンさんを窘めた。 「けどなあ…… 学生時代は友達と遊ぶのが仕事だぞ?」  それもどうよ?と正直思わないでも無かったが、ロンさんの経験を考えれば口に出せない。  ……実はロンさんは56歳。一人娘のシャオちゃんが16歳だから、かなり年が離れている。  ロンさんの故郷は清華だそうだ。  あ、清華ってのは帝國から見て極東にある国で、帝國と敵対する唯一の大国らしい。  で、獣人ってのは昔は迫害されていたらしく、ロンさんは子供の頃家族と共に帝國に逃げてきたのだそうだ。  ……ロンさんは簡単に言うけど、当時は帝國も転移してまだ20年足らず。その勢力圏は清華から遠く離れていた筈だ。おそらく相当な苦労があったに違いない。  その後、ロンさんのお父さんは帝國軍に志願。特に望んで激戦地を渡り歩き戦死した。  ロンさんも義勇少年兵として帝國軍に志願。同様に激戦地を渡り歩いた。  ……二人が命がけで戦ったのは、帝國本国居住許可が欲しかったからだそうだ。 (今でもそうだが、当時の獣人達は特に帝國に憧れており、皆なんとかして帝國本国に住みたいと考えていたそうだ)  帝國は親子二代の血の忠誠の代償として、ロンさんが志願して10年後に本国永住資格を与えてくれた。  既に父の戦死により本国長期滞在許可を得ていたロンさんだったが、これで子々孫々まで帝國本国に住めることになったのだ。  永住資格を得たロンさんは軍を除隊、その後現在に至る――という訳だ。  こんな生活を送ってきたため、ロンさんの青少年時代は遊びとは程遠かった。  だから、娘のシャオちゃんには思う存分遊んで欲しいらしい。 (以上はロンさんと酒を飲んだ時に聞いた話だが、シャオちゃんは詳しくは知らないだろう)  けど、シャオちゃんにはシャオちゃんの考えがある訳で―― 「ありがとう。でも、高専でだって友達と遊べるわよ」  シャオちゃんは「まんぷく」の料理を栄養学の観点からも見たいらしい。  ……いや、偉いねえ。おじさん感心しちゃうよ。 「俺なんか、大学時代ですら何の目的意識も無かったのに……」 「え? 稲葉さんって大卒なんですか!?」  何気無く呟いた言葉に、シャオちゃんが猛烈に反応した。  ……し、しまったっ! こっちじゃあ大学進学率一桁だったよ!? 「い、いやあ…… 駅弁……じゃなくて地方の国立だし……」 「国立って! お前、帝大卒だったのか!?」 「はい? いや……只の国立……」  後で知ったのだけど、国立大学は帝國大学のみで東京、京都、東北、九州、北海道、大阪、名古屋の7つしかないそうだ。  ……言うまでも無いことだが、帝國大学は帝國教育機関の最高峰である。 (まあ公立大学なら県立、府立、総督府立の大学がそれなりにあるが、何れも帝大程では無いにしろ難関に変わりは無かったりする) 「……稲葉さん、実は凄かったんですね」  俺を眩しげに見るシャオちゃん。  ……なんか、何気に酷いこと言われている様な気がするのは気のせいだろうか? 「つーか、なんで帝大出が行き倒れるんだよ」  この世界の大卒はエリート、帝大卒なら超エリートということはわかる。  ……が、正直俺には二人の反応が理解しかねた。  なんか見る目が思いっきり変わったって感じ? へへーって今にも平伏しそう。 「いえ、普通の大学ですよ! 二流……いや三流かな?」  うん、嘘は言って無いぞ。だからこれは学歴詐称なんかじゃない。断じて違う。 「……大学に二流三流ってあるのですか?」  私には雲の上の話なのでよくわかりません、とシャオちゃんは悲しげに首を振った。 「しかしお前……仮にも大卒がこんな職場にまで身を落とすたあ、一体何があったんだ?」  ……ロンさん、自分の職場を『こんな』って言うのもどうかと。 「お父さん! 駄目だよ! (……何か余程の理由があるんだよ)」 「(借金で夜逃げとか?)」 「(……どうしてお父さんはそうなのかなあ? もう少し夢を持ってよ)」 「(……具体的には?)」 「(稲葉さんは天下の帝大卒で、将来を誓い合った恋人がいたんだよ! で、その恋人が死んじゃって自暴自棄に……)」 「(…………)」 「(な、なんで溜息吐いて首を振るの!? いいじゃない夢があって!)」 「(行き倒れにゃあ夢も希望も無い『夢』だがな。 ……しかしお前、一見現実的な癖に相変わらずの夢想癖だな)」 「(ひ、酷いよ!)」  ……一体何を話しているのだろう。  親娘が目と目で交わしている会話の内容など、俺に知る由も無かった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【04】 「掃除、掃除〜〜♪」  俺は歌いながらテーブルを拭く。  ロンさんとシャオちゃんは二人で買い物だ。  親娘水入らず……って奴じゃあない。3時から5時までの昼休み時間を利用した只の仕入れだ。  今日はいつにもまして客が多く、材料が足りなくなってしまったのだ。  で、どうせ買出しに行くならたくさん、ついでに日用品も――という訳で、二人がかりで出かけたわけだ。  ……ま、あの二人なら重量なんて関係無いけど、嵩張るからね。手は2本しかないし。  実の所、店の仕入れ担当はシャオちゃんだったりする。  俺じゃあ食材の質とかわからないし、まだ店の人とも親しく無いからまけてもらえないからだ。  それでも最初の内は荷物持ちについて行ったのだが……  そんな必要、ありませんでした。  女の子とはいえ獣人、でっかい漬物石を片手で持ち上げるシャオちゃんです。  ぶっちゃけ、邪魔にしかなりませんでした。  こうして掃除してる方が余程役に立てますね。はい。  鍛えてシャオちゃんの役に立てる男になろうとも考えたが、シャオちゃんが100m走で『7秒切る』なんて聞いて即諦めた。  ……俺には光の向こうの神を見ることなんて出来ない。  いやー、『越えられない種族の差』ってヤツを実感したね。劣等感すらわかねーや。  これで掃除完了、と。 「さて、掃除も終わったしTVでも見るか」  俺は居間に上がり、ガチャガチャとTVのチャンネルを弄る。  そういやあまだ言っていなかったけど、この世界の科学水準は元いた世界でいうと、だいたい1980年代初期のレベルだ。  家電普及率で見てみると、俗に『3種の神器』なんて言われる電気冷蔵庫、洗濯機、掃除機なんかはすでにほぼ100%普及しているし、『3C』(カー、クーラー、カラーテレビ)についてもカラーテレビはほぼ100%、自動車はやや落ちて70%、クーラーは更に落ちるがそれでも50%程度普及している。  けど、携帯電話やFAXなんて存在しないし、ビデオデッキだって普及率10%とまだまだ高級品だ。  ロンさんの家を例に挙げると、普及率ほぼ100%の『3種の神器』やカラーテレビなんかはあるけど、やや普及率の落ちる自動車やクーラー、ましてやビデオデッキなんかは存在しない。  ……まあ自動車やビデオデッキに関してはどうでもいいが、『クーラーが無い』ってのは俺的には致命的だったりするんだよな〜〜暑いの苦手だし。  クーラーはここ十年でようやく普及しだした段階だ。  上でも挙げた様に普及率はまだ半分程度、それも『一家に一台』って感じで『個室にクーラー』なんて夢の又夢、高嶺の花だろう。  「まんぷく」に導入されるのは一体何時の日のことやら……  はあ〜、夏が怖い。  TVでは、美男美女が迫真の演技を見せている。 「いやあ〜、こっちの世界のドラマはいいやね」  この世界の俳優は顔は良いし演技も上手い。  脚本も良好だしロケにも金をかけている。  西洋系の顔立ちをした俳優が頻繁に出てくることも合わせ、まるでアメリカのドラマを見ている気分だ。  ……ついでに言えば、歌手の歌も上手い。上手いっつーか凄い。全般的に。  安っぽいセットに学芸会以下の演技を見せて下さるどこかの国のTVとは豪い違いである。 「何故ここまで違うんだろう?」  俺は首を捻ったね。  ……そういえば、この世界のファッションもやけにセンスが良い。  俺が野暮ったいから気がつかないだけかもしれないが、町の人の髪型や服装にそれほど違和感を感じないのだ。  と言っても、元いた世界の『若者ファッション』ではない。俺はあれが大嫌いだ。ぶっちゃけ、チンピラや淫売にしか見えない。  どちらかと言えば上品で大人しめの感じで、好感がもてる。人によっては地味と思うかもしれないが、俺は好きだね。 「何故、こんなに洗練されてるんだ?」  この時の俺は、『この世界の日本は文明・文化の中心地』ってことを理解していなかった。  だから、幾ら考えても答えは出てこない。無意識にガチャガチャとチャンネルを弄る。  ザー 「ああ、2chか。やっぱり、この世界でも放送局入って無いんだよな」  2chで思い出したが、もう10日以上ネットに触れてない。  触れたくてもこの世界にネットは無いし、パソコンも初期のタイプが存在する程度。しかも恐ろしく高価だ。  ……ま、この世界ではパソコンの利用法を知らない人が大半らしいから、持っていても使い道に困るだろうけどね。 (上で挙げた家電普及率の際に言及しなかったのも、家電とは見做されていないからだ) 「高いし必要性も無いから普及しない、普及しないから値は下がらないし進歩もしない……」  一般家庭におけるパソコンの普及率は恐ろしく低く、限りなく零に近い。  この世界でパソコンを保有しているのは企業や官庁が主体で、個人で保有しているのは余裕のある趣味人位のもの。世間の認知度は低い。  能力的にも8ビット級全盛で、16ビット級がようやく登場し始めた、といった感じだ。 「シャオちゃんなんか『パソコン? それ、何ですか?』だもんなあ」  独力でここまで開発したことには素直に脱帽するが、まだまだ道は遠い。  パソコンの実力はこんなものじゃあないのだ。それによって開ける未来も。 「……そういやあ、家庭用ゲーム機も無いんだよな」  あることにはあるが、やはり高価で趣味人が保有している程度だ。  ! ということは、俺がファミコン作れば大金持ち!?  そうだよ! 漫画は絵心が無いし、小説もうろ覚えだから無理だけど、初期のファミコンゲームなら俺にだってプログラム出来るぞ!  流石に後期のゲームになると一人じゃあ厳しいけど、俺がチーフになれば!  20年以上のネタストックがあるから、こりゃあ凄いことになるぞ! 「『パクリ』じゃないニダ〜〜『インスパイア』アルよ〜〜♪  ククク…… 大金持ちになれば、クーラーなんか幾らでも買え…………ハッ! 俺は一体何を!?」  何時の間にか暗黒面に落ちていたらしい。  ふっ、認めたく無いものだな。自分自身の、若さ故の過ちというものは……  ぶっちゃけ、これは以前も考えてボツになった案である。  俺とてプログラマーの端くれ、著作権の重要性は重々承知している。緊急避難的に細々とやるのならばまだしも、こんな手法で大金持ちなんてとんでもない。それ以上にこんな手法で『先駆者』『パイオニア』なんて呼ばれては堪らない。稲葉は恥を知る男なのだ。  ……それに戸籍どころか国籍すら無いこの身では、有名になったらトンデモナイ目に遭うだろうことは間違いない。  こうやって息を潜めて生きていくのが一番安全だ。 「けど、それって問題の先送りなんだよね〜〜」  この職場だってそういつまでも続けられる筈も無い。何時かは暇を出される筈だ。  が、その後どうやって生きていったら良いかは検討もつかない。  定職に付くのが不可能な以上、せいぜい日雇いで食い繋いでいくしかないだろう。  ……でも、年を取ったら? 「……どう考えても、最後は野垂れ死にだよなあ」  結局、いつもの結論に達する。  国籍が無い以上、どうにもならないのだ。  俺は只の不法入国者ではない。存在する筈の無い人間、帰る場所の無い人間なのだから。 「ク……」  俺は声を押し殺して泣く。  待ち受ける未来への恐怖、押し寄せる孤独と絶望感がそうさせているのだ。  ……今に始まったことではない。俺は毎晩、布団の中で泣いていた。  ここ数日――「まんぷく」での生活に慣れ、現状を把握し、将来を考えるゆとりが生じてからの日課の様なものだった。 「稲葉さん、ただいま〜〜」 「行き倒れ! 今帰ったぞ!」  ピクッ 「ウオ〜〜ン、オンオン!」  俺は二人の帰宅に気付くと、TVのチャンネルを変え、声を上げて大袈裟に泣き始める。  二人は俺の泣き声に驚き、居間に駆け込んできた。 「ど、どうしたんですか!?」 「何があった!?」 「う、うう……この主人公、なんて気の毒なんだ……」  計算通り、TVではお涙頂戴もののドラマが放映されていた。 「……お前なあ、TV見た位でそんな泣くなよ。つーか、男が泣くなみっともない」 「いいじゃない、私達しかいないのだし」  呆れた表情のロンさんと、俺を慰めてくれるシャオちゃん。 「稲葉さん、感受性が豊かなんですねえ。でも大丈夫ですよ、物語はいつだって『めでたしめでたし』、ハッピーエンドなんですから」 「ハッピーエンド……そうか、そうだよな」  シャオちゃんはTVのことを言っただけかもしれないが、俺にはそれが何よりも強い励ましに聞こえた。  未来が決まりきっている筈なんてない。その気になれば、どうやったって生きていける筈だ。  ロンさんやロンさんの親父さんに比べれば俺の心配なんて……  この世界にも慣れたと思っていたが、やはりまだまだ本調子では無かったらしい。 「稲葉昌由、戦いの中に戦いを忘れた……」 「えっと……いつもの稲葉さんに戻りましたね……」  余りの俺の変わり身の早さに、シャオちゃんも流石に苦笑気味だ。 「さて、行き倒れも元に戻ったことだし、買ってきたケーキでも喰おうぜ」 「お父さん! ちゃんと手を洗ってからにしてよ!」  ま、そんな先のこと考えてたって仕方が無いやね。  明日は明日の風が吹く、人生どうにかなるものさ! ……多分。  そう強引に結論付け、俺は手を洗いに行くため席を立った。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【05】 「やあ、『客人』の様子はどうかね?」 「だいぶ参ってきたみたいですね。現状の把握もできている様ですし、そろそろ頃合ではないでしょうか?」 「……持ち直した様にも思えるが?」 「何、所詮は空元気です。崩すのはわけないでしょう」 「同感だ。さて、いいかげん『客人』を迎えに行こうではないか。  いつまでも待たせるのは失礼だしな」 「了解であります」 ――――定食「まんぷく」。 「ありがとうございました〜〜!」  最後の客が店を出ると、暖簾を外して『開店中』の札を『準備中』に変える。  ロンさんは町内会の会合に出るためにオーダーストップと同時に店を出、シャオちゃんも友達の家にお泊まりに行っているため、今日は俺一人で片付けなければならない。  ま、大分慣れたからそれほど大変ではないんだけどね。  そういえば、「まんぷく」は定食屋である。  食材は兎も角、料理自体は元の世界のそれと同じもので、所謂『帝國大衆料理』だ。  ……清華料理は作らないのだろうか?  とはいえ、俺は清華料理がどんなものかは知らない。  ロンさんの名前や清華っつー国名から、かってに『中華料理っぽいもの』と決め付けているのだが…… 「でも、もしかしたらタブーなのかも」  考えてみれば、シャオちゃんが作ってくれる家の食事も全部帝國式だ。  ロンさんがまだ子供の頃に清華を出たため、もしかしたら清華料理を知らないのかとも考えたが、よくよく考えれば両親と共に国を出たのだからそんな筈は無い。  多分、清華のことなど思い出したくも無いか、或いは別の――何れにせよあまり愉快ではない理由からだろう。  ドンドン!  そんなことを考えてると、店の扉を乱暴に叩く音が聞こえた。  やべっ、鍵閉めてなかったよ。 「すみません、もう閉店なんですよ……って!?」  扉を開けると同時に、数人の男達が雪崩れ込んでくる。  強盗っ!? 拉致っ!?  なんてこった! ロンさんに留守を任されておきながら! 稲葉昌由、一世一代の不覚っっ!!!! 「ひ――――っ! 命ばかりは勘弁をっ!!」  俺は呆気なく降参した。多勢に無勢、貧弱な坊やの俺にはどうしようもない。大人しくされるがままにするしかなかった。  畜生、この世界は元の世界より治安イイと思ってたのにっ!! ……テロはあるみたいだけど。  ――ああ、今日の売り上げが。  無念のあまり、俺は滝の様な涙を流す。  3時までの売り上げは集金に回ってきた銀行員に渡したけど、5時以降の売り上げや用意してある釣銭はレジの中だ。  ……ロンさん、シャオちゃん、ごめんなさい。何年かかっても只働きして弁償しますから許して。  と、男達の一人がナニやら懐を探り始める。  ひいいいっ! 拳銃!? 光モノ!?  が、予想に反してそれは黒い手帳でした。  その真ん中には、黄金色の旭日章……って、警察!? 「イナバ・マサユキ! 偽札行使の容疑で逮捕する!」 「……へ?」  俺は思わず間抜けな声を上げた。 ――――帝都、某警察署取調べ室。  ドンッ! 「いいかげん白状しろっ!」 「ひいいいっ!」  取調べ官の怒声に俺は震え上がった。  怖いです。むっちゃ怖いです。  俺が捕まった理由は、『ニセ札を使ったこと』『ニセ札を所持していたこと』。  この世界に来て直ぐ、駅で1000円札を両替しようとしてそのまま置いて逃げたんだけど、どうやらそこから足がついたらしい。  で、押収された俺の荷物の中から大量の『ニセ札』『ニセコイン』が見つかったことで、俺の立場は一層悪化――という訳だ。 「しかも一万円圓札だと!? お前警察舐めてるのかっ!」  ドンッ!  興奮した取調べ官の怒声に、俺は思わず首を竦めた。いや、そんなつもりはありません。マジで。  ……でも、この人が怒るのも無理は無いんだよなあ〜〜。  この世界は太平洋戦争が無かったため、敗戦直後の混乱も、その後の新円切り替えとかも無い。  無論、数十年間の間にインフレは進んだものの、とても俺の元いた世界ほどじゃあない。  ……どういうことかって?  要するに、この世界じゃあ未だに『銭』なんて通貨単位があるんだよっっっ!!  物価は大体元いた世界の1/100。1銭は元いた世界の1円、100銭(1圓)なら100円って感じだ。  つまり、一万円圓札は俺の元いた世界でいうと『100万円札』ってことで……そりゃあ怒るよね…… (ちなみにこの世界の最高額紙幣は百圓札だ) 「何処でこのニセ札を手に入れたっ!」  取調官の詰問に、俺は口を閉ざすしかなかった。  元の世界の神様から手切れ金として貰いました……なんて言ったら殺されかねないからだ。 「殿塚さん」 「何っ!?」  部屋に一人の男がはいってきて、取調べ官の耳元で何事か囁く。  と、取調べ官の表情は更に険しくなった。 「お前、不法入国者か!」  ――ああ、来るべきものが来たなあ……  俺は胸の中で諦観気味に呟いた。  帝國本国在住者には、全指の指紋押捺が義務付けられている。  が、当然ながら俺の指紋なんてある訳がない。  ……だから、俺は『不法入国者』になる。帰る場所の無い不法入国者。  加えてニセ札所持の重犯罪者なんだから目もあてられない。  どうやら俺にはスバラシイ運命が待ち受けているようだった。  神様のバカ…… ――――その少し前、某所。  もう夜も11時過ぎだというのに、一人の少女が道を歩いている。  その外見は、とても不良には見えない大人しそうな娘だ。一体、如何したというのだろう?  ……巡回の警官に見つかったら、補導されてしまうのに。 「うう〜〜、稲葉さん、どうしたんだろ?」  この少女、シャオである。  今晩は友人の家に泊まる筈だったのだが、その友人が急遽両親と共に田舎に行かなければならなくなった――祖母が倒れた――為、お泊まり会はお流れになってしまったのだ。  友人の両親は申し訳無さそうに『家まで車で送る』と申し出たが、事情が事情なので固辞。で、こうして一人で歩いている――という訳だ。  ちなみに友人の両親には『お父さんに迎えに来て貰う』と安心させ、駅までの見送りだけで済ませてもらったが、これは嘘だ。ロンさんは町内会の会合に出席しており、今頃は酒宴の真っ最中だろう。とても迎えに来れる様な状況ではない。  ま、そんな訳でもう一人の家族である稲葉に迎えに来てもらおうと考えたのだが、何故か一向に電話に出ないのだ。 「もうとっくにお店も終わってる筈だから、電話に出る暇位ある筈なんだけど……」  シャオ、半べそである。  もしこんな時間に、自分のような少女が一人で歩いている所をお巡りさんに見つかったら補導されてしまう。  補導されたら家や学校(中等学校)に連絡が行く。家は別に構わないが、学校に知れたら何らかの罰を受けるだろう。ああ、もしかしたらもしかしたら、高専の入学も取り消されてしまうかもしれない。  高専受験時に提出した内申書はあくまで暫定的なもの。そのため中等学校卒業時に渡される最終内申書を再提出しなければならないのだが、そこに『補導暦アリ』なんて書かれたら……  そう考えただけで、目の前が真っ暗になる。  お上にも情けがある筈だから事情を説明すれば大丈夫……とは思うが、シャオは好き好んでそんなデンジャラスな橋を渡りたくなかった。  ……今現在、正に渡っているのではあるのだが。 「うう…… 稲葉さん、恨みますよ……」  そんな泣き言を零しつつも、彼女の耳はピンと立って辺りを警戒している。  そして何かあったら即逃げるつもりだ。 ……いや、隠れた方が良いだろうか? 「稲葉さんさえいてくれたら……」  シャオは溜息を吐いた。  確かに、稲葉がいればこんな思いはしなくて済んだだろう。  若い男が夜中に自分の様な少女を連れまわしているのだから呼び止めはされるだろうが、一応住み込みの店員だから保護者と押し通せる。少なくとも自分一人よりは百倍マシだ。 「……もしかして、また泣いてるのかな?」  それで気付かないのかも……と、ふと思う。  稲葉が「まんぷく」の仕事にも慣れてきたと思われるここ数日、稲葉は毎晩の様に布団の中でむせび泣いていた。  稲葉は隠しているつもりだろうが、獣人の超感覚――それも狼の――を甘く見てはいけない。ロンやシャオは、とっくに気付いていた。  ……まあ一つ屋根の下に住んでいる以上、超感覚があろうが無かろうが何れは気付いただろうが。  シャオの脳裏に、以前の記憶が呼び起こされる。  シクシクシク…… 『……お父さん』 『ん〜〜〜〜?』 『……稲葉さん、また泣いてる』  シャオは、隣で寝ているロンを起こした。  その泣き声はとても哀しげで、聞いているこちらまで哀しくなってしまう。 『……放っとけ』 『……でも』 『……あのなあ、男が泣くというのはとても恥ずかしいことなんだぞ?  だから行き倒れだって、決して俺達の前じゃあ泣かないだろう?』 『……うん』 『……なら、気付かないフリしてやれ。それが情けってもんだ』 『そうだよね……でも……』 『シャオ』  ロンはシャオの言葉を遮った。 『余計なことを……行き倒れに恥かかせるなよ?』 『……わかったよ』  渋々、シャオは頷いた。  ……そして今日、稲葉はとうとう昼間に泣いた。  自分達が帰ってきたことに気付き、慌てて偽装工作をしたのだがバレバレで、泣き顔まで見てしまった。 「よしっ! 今日こそは稲葉さんを問い詰めてみよう!」  シャオは意を決した。  お父さんはああ言ったけど、自分だって今回迷惑を受けたのだから、当然聞く権利がある――そう強引に結論付けて。  ……ま、要は心配なだけなのである。 ――――「まんぷく」前。 「……何? この人だかり?」  シャオが自宅に辿り着くと、家の前にはまるで火事場の様な賑わいを見せていた。  訳が分からず、近所の人に尋ねる。 「あの、何かあったのですか?」 「あっ! シャオちゃん、大変よ!」  近所のおばさんは真っ青になってシャオの両肩を掴んだ。 「あのね……落ち着いて聞いてね? 『行き倒れ』さんが警察に捕まったの!」 「……へ? 稲葉さんが?」  『ここ、笑うところなのかな?』と一瞬思ったが、おばさんの深刻そうな顔を見、その考えを引っ込めた。  で、とりあえず人ごみをかきわけて家の前に辿り着くと、そこにはTVドラマの様な光景が広がっていた。 「うっわあ……」  家には進入防止のテープが貼られ、警察官が立っている。  ……なんかあまりにもハマリ過ぎていて、かえって実感が湧かない。 「はっ!? とりあえずお父さんに知らせないとっ!!」  シャオは全速力で町内会の集会場に向かった。 ――――町内会集会場。 「……何? コレ……?」  100m6秒90の自己ベストを更新する様な勢いで集会場に辿り着いたシャオであったが、自宅前同様に思わず絶句する。  ……そこは、倒れ伏した泥酔者の山だった。  あちこちに空の酒瓶や酒樽が転がっている。大半のテーブルはひっくり返されており、皿やコップも酒瓶同様畳みに散乱していた。  倒れ伏した泥酔者達も、皆半裸だったり腰蓑だったりと何らかの仮装をしており、みっともないことこの上ない。  ぶっちゃけ、とても家族には見せられない様な惨状だ。  そんな中、やたら大きな泥酔者が―― 「お、お父さんっ!?」  それは熊の様に大きな狼だった。ロンは、完全獣化して倒れ伏していたのだ。とーぜん全裸のハズだ。  そして、その上には赤い菱形の腹掛けを着た中年男も倒れている。その傍には、おもちゃのマサカリが落ちていた。 「……?」  その異様な光景にシャオは退いた。  ……コノ人タチハ何ヤッテルノデスカ?  と、『第十五回町内隠し芸大会 演目其ノ四十七、金太郎』とのめくり幕が目に飛び込んでくる。 「じ、じゅうごかいって…… お……お父さん……」  ……ちなみにロンの上で眠っている『金太郎』は警察署の警部補殿である。  なんかもー、ここまで来たのが馬鹿馬鹿しくなる様な光景だった。 「あー、もーどうしたらっ!?」  頼りになるハズの大人の男達は全滅。目論見が外れたシャオはトボトボと集会場を後にした。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【06】  稲葉です……  何か留置場はとっても寒いです……そういえば今、真冬なんですよね……  稲葉です……  留置場唯一の防寒具であるこの毛布、なんだかとっても臭いです……一体最後に洗ったのは何時なんでしょう……  稲葉です……  寒くて臭い留置場ですが、取調べでの怖い思いを考えれば何だか天国の様に思えてきました……泣いてもいいですか?  稲葉です……  俺、これから一体どうなるとですか?  稲葉です……稲葉……稲…………ハッ! 俺は一体何をっ!?  警察署の一画に設けられた、暗くてじめじめした留置場(おまけに臭くて寒い)――その一室に稲葉はいた。  部屋の隅に蹲り虚ろな目で何やらブツブツと独り言を呟いていた稲葉だったが、突然我に返り、そんな自分に愕然とする。  くっ……留置場の隅に体育座りした挙句、ヒロシってたとは……稲葉昌由、一世一代の不覚っ!  ……しかし、かなり精神的にヤバいんだなあ、俺。  取調べはとても辛かった、怖かった。  丸一日にも及ぶ取調べ――あくまで稲葉の主観で事実とは異なる――を受け、精神的にも肉体的にも疲労困憊である。  アレはもはや精神的な拷問である。ぶっちゃけ、あれではやっていなくても『やりました』と言ってしまうだろう。 「自白偏重カッコ悪い。だから色々批判されるんだよ、痴漢の取調べなんか先進国ってレベルじゃねーぞ!?」  ……何故かこっちの帝國警察と現代日本警察をごちゃまぜにして、ひとしきり警察批判をする稲葉。  が、直ぐに現実に戻り、大きな溜息を吐く。 「問題は、ロンさん達だよなあ……」  自分はまあいい……いや、よくはないがまあこの際置いておくとして、問題はロンさんとシャオちゃんだ。  身内から犯罪者が出たのだ、さぞかし肩身の狭い思いをしているに違いない。近所付き合いの深いこの世界だ、商売にだって影響が出るだろう。  ……そして何より、下手したら『永住資格剥奪』である。  この世界で本国人――転移前から帝國人だった人々とその子孫――以外の人間が帝國本土に住むのは難しい。  何せ、外地人の一人当たりGDPは内地人(本国人)の1/15〜20程度という恐ろしい程の経済格差なのだ。そしてこれすらも豊かな旧列強諸国を合わせた平均であり、旧列強諸国や一部の比較的豊かな国々を除外すれば『1/20や1/30は当たり前、下になると1/50や1/100も珍しくない』というビックカメラな世界である。厳しくしなければたちまち本国は人で溢れかえってしまうだろう。幾ら国際化されたとはいえ、元々が閉鎖的な帝國人である、そんなことになれば排斥に走るのは目に見えていた。  故に、帝國は外地人の本国入国を厳しく制限している。本国居住どころか本国入国すら至難の業で、少なくとも外地の一般人が訪れるのは不可能に近い。許可されるのは、基本的に貴族や富裕層、或いは国費留学生といった『選ばれた者達』のみだ。まあダークエルフについては名誉本国人扱いで、殆どフリーパスなのだが…… (とはいえ本土と準本土たる神州島には、観光目的の滞在も含めれば常時1000万人を越える非本国人が存在している。 ……ちなみに帝國の総人口は32億人、うち本国人は本土に1億2000万人、神州島に6000万人、外地に2000万人の計2億人である。これらの事実を考えれば、稲葉が元いた世界の日本以上の“国際化”振りであろう)  帝國本国入国資格には以下のランクがある。  『観光許可』甲乙があり、甲は30日以内、乙は1週間以内の本国滞在を許可。観光用だが出張の際にも用いられる。  『短期滞在許可』90日未満の本国滞在を許可。短期の留学・ビジネス用。  『中期滞在許可』90日以上の本国滞在を許可。留学・ビジネス用。  『長期滞在許可』許可された個人のみ、本国に居住することが出来る。就学・就職も可。  『永住許可』許可された個人とその配偶者・子孫は、本国に居住することが出来る。就学・就職も可。  このうちロンさん達が持っているのが永住許可(資格)である。まあ元の世界の永住資格みたいなものだが、その内容はずっと厳しい。  例えば、毎年近況報告や全指の指紋押捺をしなければならないし、実刑判決を受ければ資格を取り消され、追放されてしまう。  ……そんな訳で、今回の件で『永住資格が剥奪されたら』と気が気でないのだ。 「なんとしてでも、それだけは避けないと……」  このままでは恩を仇で返してしまう、と稲葉は一人悶々としていた。  ……そんな時、突然鉄格子が開けられた。  そして警察官が顔を出し、稲葉に『出て来い』と促す。 「面会だ」  面会? ロンさん? シャオちゃん? ……もしかして、両方?  嬉しくない、と言えば嘘になるが、恐怖もまた大きい。  ……だって、『恩知らず!』なんて怒鳴られたり、泣かれたりしたら日にはもう立ち直れないから。  稲葉は期待と恐怖半々で、2名の警察官に前後を挟まれつつ、ノロノロと面会場所へと向かった。 ――――その少し前、某所。 「おや? こんな夜遅くに如何したのだね?」  自分を呼び止める声にシャオが振り向くと、初老の男性が立っていた。 「あ、宮下さん。こんばんは……」  シャオはぺこりと挨拶をする。  宮下は一週間程前にこの町……というか近所に引っ越してきた人で、毎日の様に“まんぷく”で食事してくれる常連なのだ。 「こんばんは。早く家にお帰り、警官に見つかったら大変だよ?」  軽く眉を顰める宮下。  まあこんな遅くに女の子が一人歩きしているのだから、当然の反応だろう。  が―― 「宮下さんは、うちに警察が来ていること知らないのですか?」  シャオは不思議そうに尋ねた。  近所なのだから、あの騒ぎを知らないはずがない。 「警察!? ……一体、何があったのだね?」  が、どうやら宮下には初耳の様だった。  なんでも、今日は朝早くから出かけていたそうで、今まで都心にいたらしい。  ……どうりで今日は“まんぷく”に顔を出さなかった筈である。  シャオが事情を説明すると、宮下は軽く溜息を吐いた。 「……それは気の毒に。何の理由で捕まったかは知らないが、稲葉くんは警察の世話になるような若者には見えなかったがなあ」  いや、もしかしたら食い逃げあたりなら有り得るかもしれないが、とてもそんな警察が大捕物に出張る様な事件をしでかすとは思えない。  宮下はそういった本音を微妙に暈し、感想を述べる。 「で、ですよね! 稲葉さんにそんな度胸がある筈無いですよねっ!!」  我が意を得たり、といった感じで勢いづくシャオ。  宮下も幾分引き気味だ。 「……ま、まあ度胸があるかどうかは知らないが――  兎に角、彼は警察が大騒ぎする様な事件を起こす人間じゃあない。私が保証しよう」  私は何人も犯罪者を見てきてるからね、と宮下。 「宮下さんは警察官だったのですか!?」  思わず一歩後ずさってしまうシャオ。  尻尾が警戒のためピンと張る。  ――こう感情をストレートに表す尻尾を見ると、獣人達が一時期『断尾』に走った理由も納得出来るな。  宮下は苦笑する。  帝國が転移して十年程経った頃、突然獣人達の間に『子供の断尾を行う』という奇妙な現象が発生した。  何でも、『感情を余りにストレートに表す尻尾は、文明社会で暮らす上では不都合でしかない』との噂が獣人達の間に広まり、『文明社会に適応するためには断尾せねばならぬ』とばかりに一斉に断尾に走ったのだそうだ。 (尻尾はバランスをとる為にも重要なので、大人はもう無理だから子供達に――という訳だ)  児童保護と獣人の能力減退を危惧した帝國政府が『断尾禁止令』まで発令したことも考えれば、この現象はどれほど広範囲で行われていたかがわかるだろう。  ……尤も、この現象は一過性のもので、数年で収まったらしいが。 「いや、弁護士だよ」  警戒を解く為に、宮下は誤解を訂正してやる。 「べ、弁護士さんですか!」  地獄に仏、とばかりにシャオは表情を明るくする。  勿論、尻尾は大振りである。 「ああ、だから力になれるかもしれない」 「……でも、お金が……」  シャオはそう言って俯いた。  大振りだった尻尾も垂れ下がる。  ……稲葉の元いた世界だろうがこっちの世界だろうが、結局はこの問題に行き着く。  つまり、『金がなければ何もできない』のである。 「ああ、金の心配はいらないよ。私はもうリタイアじた人間でね、もう働いてはいないのさ」  仕事じゃないから金はいらないよ、と宮下は言う。 「でも……」 「それに正直な話、“まんぷく”が閉鎖されたままでは私の食事はどうなるのだね?」 「はい?」  思いがけない言葉にシャオは目を丸くする。  が、宮下は大真面目だった。 「私は独り身だが、炊事など出来ん。食器を洗うのも面倒臭いから使い捨ての紙コップを使ってる位だ。  が、出来合いは冷めてて不味いから問題外だし、他の食い物屋(蕎麦屋等)は品数が少なくて偶になら良いがとても常食には出来ん。  ああ、ちなみに私は干魚を焼いたヤツが大好きなのだが、それはこの辺りではここでしか喰えんのだよ。他はどこも生魚を焼いててね。  ……わかるかね? これは私にとっては死活問題なのだ」 「はあ……」  そういえば、宮下の注文するメニューはいつも干魚の定食セットに他のおかずを1〜2品追加したものだ。  いくら毎日魚の種類が変わるとはいえ、大体似たような種類である。よく飽きないものだと思っていたが…… (魚くらい自分で焼けばいいのに、とも思うが、コップを洗うのすら面倒臭がる様な人には無理な相談なのだろう) 「だから、私に任せたまえ」 「お、お願いします」  シャオは決断し、頭を下げた。  冷静に考えれば、家に弁護士を雇う様な金は無いし、ましてや弁護士の知り合いなんていない。  ……なら、宮下に頼むしかないだろう。幸い宮下はご近所だし店の常連――だからこそ引き受けてくれたのだろうが――でもある。  家計を預かる彼女は、ロン以上に家の経済状態を熟知していたのだ。 「あ、あの、お礼は出来る限り――」 「何、私はロンさんやシャオちゃんに雇われる訳じゃあない。稲葉くんに雇われるのさ」  無論、彼が承諾すればの話だがね、と笑う。 「だから、貰うとすれば彼から貰うのが筋だな」 「……でも、稲葉さんはおけらです」  稲葉は拾われた当時無一文だったそうで、全財産は給料の一部として前払いされた100圓だけの筈だ。  その100圓も、何時の間にか稲葉の部屋に漫画本が積まれていたことから考えて、一体どれだけ残っていることやら…… 「……ま、期待はしないさ。会えるかどうかわからないが、とりあえず稲葉くんの所に行ってみる」 「わ、私も行きます!」 「子供が行く所じゃあないよ。後は大人に任せなさい」  そう言うとむくれるシャオを残し、宮下は警察署へと向かった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【07】  面会人は、まんぷくの常連客である宮下さんだった。 「ふむ、元気そうだね?」 「……なんだ、宮下さんか」  見るからに気落ちしつつも、何処かホッとした様子で失礼にも程がある言葉を吐く稲葉。  そんなリアクションをとられて平気でいられる筈もなく、宮下は微妙に顔を引きつらせた。 「……帰っていいかね?」 「ごめんなさい、嘘です。来てくれて本当に嬉しいです」  席を立とうとする宮下を慌てて引き止める稲葉。机に額を擦り付け、恥も外聞もない。  宮下は溜息を一つ吐くと再び腰を下ろし、強化アクリル板越しに稲葉と対面する。 「へへへ、今日はまた一体何用で?」 「……君には誇り(プライド)というものがないのかね?」  揉み手で宮下に愛想笑い浮かべる稲葉に、宮下は呆れ気味だ。  が、『まあいい』と再び溜息を一つ吐き、ここに来た経緯を説明する。 「宮下さんは弁護士だったんですか!」  地獄に仏とはこのこと、稲葉の声も弾む。 「私がここに来た時点でわかると思うのだがね……」  稲葉のはしゃぎ様に、思わず苦笑する。  逮捕後しばらくの間、証拠隠滅等を防ぐために弁護士以外には会えない、という規則がある。だからロンやシャオが来れる筈がないのだ。 (これはこの世界だろうが元の世界だろうが変わりが無い) 「……しかし、偽札所持と偽造の容疑とは驚いたよ」 「ははは、もう笑うしかないですねえ」 「笑い事じゃあないぜ、稲葉くん。通貨偽造罪は重罪だよ? 被害が無いとはいえ、有罪になれば十年や二十年は刑務所だ」 「げっ! そんなに重いのですか!?」 「最高刑が死刑だからねえ」 「…………」  たら〜、と稲葉の額に汗が流れる。 「しかも君は黙秘を貫いているそうじゃあないか、せめて身元くらいは明かした方がいいと思うよ?」 「へっ!? 宮下さん、知ってるんですか!?」 「……知ってるもなにも、本国人や本国滞在者からは君の指紋は見つからなかったそうじゃあないか。  何処の外地で生まれたかは知らないが、密航して来たんだろう? ま、帝國風の顔立ちだから、父親か母親は帝國人なのだろうが……」 「あ、そういうことですか」  てっきり自分が平行世界から来たことを知っているのかと驚いたが、良く聞けば『帝國人と外地人の間で生まれたが認知されずに外地人として育てられ、その後本国に密入国した』と思われているのだ。 ……まあ、当然の発想ではあるのだが。 「……まあ、帝國人と主張する気持ちはわからないでは無いがね」  帝國人やそれに準ずる者以外は、外地人専用の刑務所に送られるからなあ、と宮下。 「外地人専用刑務所?」 「……知らないのかね?」  嘘だろう、と宮下は聞き返す。  一人当たりの国民所得が3万圓近い本国人と2千圓にも達しない外地人、ましてや数百圓のそれとは生活環境が違い過ぎた。そんな彼等にとって、本国人には劣悪と思えるような刑務所暮らしも極楽の様なもの、到底罰にはなりえない――という訳で、彼等のレベルに合わせた刑務所“外地人専用刑務所”が造られたのである。  国民所得千圓未満の邦國刑務所をモデルとしているため、その環境は『素晴しい』としか言い様が無い。 ……余りに素晴しいため、人目のつかない孤島に置かれている位だ。 (他にも『本国人犯罪者と外地人犯罪者を一緒にすれば新たなる犯罪発生させかねない』という事情もある)  このため外地人専用刑務所といえば『泣く子も黙る』とすら謳われる程、悪名高い存在だった。 「……あんな所に十年や二十年もいたら敵わないだろうからねえ」 「じ、人権侵害だっ!?」 「ま、そう言う人々もいるな。圧倒的な少数派だが」  そう言って宮下は軽く肩を竦めた。  彼自身としては、必要悪として認めているのだ。 (稲葉が元いた世界の日本とこの世界の帝國とでは、この辺りの考え方がまるで違う。数多の戦乱と権謀術数によって世界の覇者へとのし上がった帝國人にとり、『この程度のこと』は当たり前に過ぎなかった) 「…………」 「――とはいえ、不法入国の上に大量の偽札所持とはねえ…… 実刑判決は間違いないなあ。  ま、最低でも十年以上の懲役とその後の本国追放は覚悟して貰わないと」  なるべく罪が軽くなる様には弁護してみるがね、と宮下。 「い、いやだっ!!」  宮下が話す素敵な未来絵図を俯きながら黙って聞いていた稲葉は、突然何かに憑かれたかの様に叫び、暴れだす。  待機していた警官にたちまち押さえつけられるも、稲葉は尚も叫び続ける。 「もういやだっ! 俺を元の世界に返してくれっ!! おうちに帰るんだあ〜〜!!」  …………  …………  ………… 「……落ち着いたかね?」 「……はい」  すっかり大人しくなった稲葉ではあるが、その表情は憔悴しきっている。 「とりあえず、本当のことを全て話してもらわないと始まらない。正直に全部話してくれ。  ……君は何処の誰で、偽札はどうやって手に入れたのだい?」 「に、偽札なんかじゃあ無いです……」  稲葉は泣きじゃくりながら、全てを白状した。 ……自分がこの世界の人間ではないことも。  宮下は黙ってそれを聞いていた。付き添いの警官は止めるでもなく、欠伸をしながら聞いていた。 「……いや、一体どこから突っ込んだら良いものか判断に苦しむ話だね」 「ほ、本当なんですよっ!」 「しかしだね、『帝國が転移する時にずれて飛ばされた』といった例は存在するが、帝國が転移して以降――ましてや平行世界の『もう一つの帝國から』なんて話は聞いたこともない」 「でもっ!」 「……信用してあげたいが、何か証拠の一つもなければ――」  気の毒そうに首を振る宮下を見、納得させることは困難と察して稲葉はがっくりと肩を落とす。  が、突如として閃いた。 「あ、ありますっ! 証拠ならありますよっ!!」 「ほう?」 「俺が持ってた荷物のパソコン……電子機械の部品とか、携帯音響機器です! あれを専門家に見せればっ!!」 「で、それは何処に?」 「……警察に押収されました」  そこで気付き、再び項垂れる。押収された以上、持ち出しは不可能だ。  ……が、黙って何か考えていた宮下は、真剣な表情で尋ねた。 「……本当に、見せればわかるのかね?」 「……はい、この世界と比べて20年以上……四半世紀近く進んだものですから」 「ならば、なんとかなるかもしれない」 「ほ、本当ですかっ!?」  思わずアクリルに顔を貼り付ける。 「……落ち着きたまえ。私の友人に、軍の技術研究所にいる奴がいてね。軍経由で要請すれば、或いは――」 「是非、お願いします!」 「が、もし嘘だったらとんでもないことになるぞ? ……無論、私も私の友人もね」 「お願いします! このお礼は必ずしますから!」  流石に躊躇う宮下に、稲葉は土下座して懇願した。  そんな稲葉を見て、宮下も流石に心を動かした様だ。 「……わかった。一つ頼んでみようじゃないか」 「お願いします!」  面会が終わると再び留置場に連れ戻されたが、稲葉の表情は明るかった。  どうなるかはわからないが、少なくとも今よりはマシになるだろう、と考えていたからだ。  ……そんな訳で、稲葉は全く気がついていなかった。  本来なら、暴れた段階で面会が中断されるであろうことを、  付き添いの警官が、稲葉の発言を全く制止せずに自由に話させたことを、  そして何より、面会時間が規則よりも大幅に超過していたことも。