帝國召喚 『帝國海軍概論』その1 1、ロッシェル戦役直前(本編開始時)  転移直後、帝國海軍には約40万人の将兵が在籍していた。  しかしその後の大軍縮により約10万人が削減され、人員は30万人に抑えられてしまう。 (これは、陸軍ばかり削減させる訳にはいかないという政治的な判断からの措置である) <艦艇の就役状況>  転移後、海軍艦艇の建造状況に大きな変化が起きた。  今後数年間の資源確保が困難な事こと、そして海上交通路の劇的な増大による船舶不足から、艦艇に割り当てる資源、ドックが大幅に制限されたからだ。 @大型戦闘艦(戦艦、巡洋艦、航空母艦)  戦艦については「武蔵」のみの建造が続行され、他の建造及び建造計画は全て白紙に戻された。  重巡洋艦については全ての建造計画が白紙に戻された。  軽巡洋艦については大淀型1隻、阿賀野型4隻の建造のみ許可され、他の建造計画は全て白紙に戻された。  航空母艦については大鳳型1隻の建造のみ許可され、他の建造計画は全て白紙に戻された。  この様に今後資源状況が好転するまでの間、帝國海軍は戦艦1、軽巡洋艦5、航空母艦1の僅か7隻の建造しか行わないこととなった。  この状況は、昭和19年までの丸二年間続くこととなる。  帝國海軍、冬の時代だ。  が、航空母艦に関しては既存艦船を改装することにより、例外的に増強していく。  その汎用性の高さは、大陸での資源獲得において何よりも必要性とされたからだ。  以下11隻の艦船が空母へと改装された。  潜水母艦「剣埼」「高崎」→「祥鳳」「瑞鳳」(基準11200t、速力28kt、航続18kt-7800海里、搭載機常用27機+補用3機)  潜水母艦「大鯨」→「龍鳳」(基準13300t、速力26.5kt、航続18kt-8000海里、搭載機常用24機+補用7機)  商船「出雲丸」「橿原丸」→「飛鷹」「隼鷹」(基準24140t、速力25.5kt、航続18kt-12251海里、搭載機常用48機+補用5機)(*)  商船「春日丸」「八幡丸」「新田丸」→「大鷹」「雲鷹」「冲鷹」(基準17830t、速力21kt、航続18kt-8500海里、搭載機常用23機+補用4機)  商船「あるぜんちな丸」「ぶらじる丸」→「海鷹」「天鷹」(基準13600t、速力23kt、航続18kt-7000海里、搭載機常用24機)  商船「シャルンホルスト」→「神鷹」(基準17500t、速力21kt、航続18kt-8000海里、搭載機常用27機+補用6機)  *但し、「冲鷹」搭載機は常用26機+補用4機。 A駆逐艦  昭和17〜18年度に以下22隻の駆逐艦が就役した。  夕雲型15隻(ロッシェル戦役開始時点ではうち7隻未完成)  島風型1隻  秋月型6隻 B潜水艦  転移時の戦力維持として、老朽艦の代艦建造のみ。  広大な海域での活動を主任務とし、かつ隻数制限されていることから大型潜水艦一本槍である。 (但し、枠外で特殊任務の輸送潜水艦を数隻計画中) C護衛艦艇  転移時、帝國海軍は海防艦4隻、掃海艇19隻、駆潜艇23隻、敷設艇11隻、哨戒艇12隻、駆潜特務艇3隻の護衛艦艇を保有していた。  総計72隻と数的にはそれなりのものだ。  だがその大半は航洋性・航続距離の乏しい、せいぜい『本土〜中国大陸・台湾』間での運用を想定したものでしかなく、大内海では大きな運用制限を受けていた。  とはいえ、新たな艦艇を設計する様な時間的余裕は無く、やむを得ず当座は従来艦艇を若干改良して建造し続けることとなった。 <対空火力の劇的増強>  昭和17年春の『二等駆逐艦「栗」撃沈事件』以降、艦艇の対空火力は大幅に向上した。  この対空火力向上の主力となったのが九六式25ミリ機銃であり、大半の艦艇が25ミリ機銃の大幅増設をおこなった。  増強後の各艦艇における対空火力は……  戦艦は大和型が12.7センチ連装高角砲12基、25ミリ三連装機銃28基。他は12.7センチ連装高角砲4基、25ミリ三連装機銃10〜15基。(*)  重巡洋艦は古鷹型と青葉型が12.7センチ単装高角砲4基、25ミリ三連装機銃10基。他は12.7センチ連装高角砲4基、25ミリ三連装機銃10〜12基。(*)  航空母艦は大型空母が12.7センチ連装高角砲6〜8基、25ミリ三連装機銃12基。小型空母は12.7センチ連装高角砲4基、25ミリ三連装機銃10〜12基。(*)  *上記は最低基準で、戦時には機銃が更に増設される。  5500t型や駆逐艦以下の艦艇についても、機銃が大幅に増設された。  というよりも沈む可能性のあるこれらの艦艇の方が、むしろ大型艦よりも大幅に強化されている。