帝國召喚 外伝「辺境警備隊隊長よもやま物語」 番外編「帝國今昔物語 『恩賜の鰻』」  今は昔、昭和帝の御世の話である。  帝都に一人の男がいた。  名は、黒部成之。  言わずと知れた、名門黒部氏の開祖である。    が、後にタブリン……いや南ガルム一帯にその名を轟かす黒部氏の開祖といえど、当時はやや名の知れてきた程度の一下級将校に過ぎなかった。  黒部家は、帝國爵位制度一新の際、帝國男爵位を賜った。  その血統を表されて――と黒部氏家譜では誇らしげに謳われているが、何のことは無い、それ以前は一平民に過ぎなかったのである。  ……故に、男爵としての体面を維持するための資金にすら、こうして困り果てていた。  黒部家は、決して貧家はない。  資産家とは御世辞にも言えぬが、仮に一家が働かずとも、『喰うには困らぬ』程度の資産は保有していた、と伝えれている。  が、『男爵としての体面を保たねばならぬ』となれば話は別だ。  所詮、多少の小金を持った一平民に過ぎぬ黒部家には、とてもそれだけの資産は無かったのである。  男爵としての体面を維持するためには、なけなしの資産を売り払って家屋敷を整えなければならぬが、その負担たるや相当なものだ。  仮に土地の安い郊外に移ったとしても、男爵としての体面を維持し続けるためには、付き合いは最小限に止めなければ立ち行かぬであろう。それこそ、息の詰まるような生活になる筈だ。  が、それでも避けられぬ出費――冠婚葬祭等――はある。  その度に資産を切り売りする羽目になり、子の代にはそれこそ『家屋敷のみ』となりかねない。孫の代には、その家屋敷すら維持できるか怪しいものだった。  ――故に、今回の結婚で資産を増強せねばならぬ。  両親が連日額を寄せ合って相談し、達したであろう結論。  これに成之は頭を痛めていたのである。  実は、当時の成之は多数の縁談を抱え込んでいた。  皆、多額の持参金と実家からの援助を期待出来る様な、金満家――家柄は低いが――の娘ばかりである。  自身も大手柄を立てた『軍神』であり、新興貴族の最高位である男爵に叙爵された黒部家、その当主でもある成之だからこそ、であろう。  当時、多くの新興貴族は貧窮のため同様に持参金目当ての結婚を試みたが、その中でも成之の縁談相手は飛び抜けていた。   ……それでも『この程度』とも言えるが。  「困った、困った」  この頃、宗家第二代当主たる成正は未だ生まれていないが、既に成之はサーナと出会っている。  その成之が、サーナを意識していない筈も無いだろう。  が、当時の帝國人にとって、現地人など結婚相手として対象外である。  ましてや、黒部男爵家当主の相手としては問題外だ。  成之が悩むのも無理は無い。  成之は夜も眠れず、朝飯すら喉に通らなかった。  ……故に、昼を喰う。 「大カツレツ、三人前!」 「二人前で充分ですよ…… おや、お久し振り」  出てきた店主が、お得意様の久し振りの来訪に目をパチクリさせる。 「もう五年近く間が空いているのに、良く覚えていてくれたねえ」 「そりゃあ……お得意様ですから」  ウチの大カツレツを毎回三人前も平らげる様な客、覚えていない筈が無い――そう答えそうになり、店主は慌てて言い直す。  幸い成之は、『商売熱心で結構なことだ』と感心するに止まった。 「しかし暫く見ないと思ったら、すっかり御立派になられましたねえ」  店主は、帝國陸軍大尉の軍服(九八式軍衣)に身を包んだ成之をしみじみと眺める。  正直、成之の学生時代からは想像も付かないのだろう。 「まさか、金鵄勲章まで頂く程の立派な将校様になられるとは……」  生者としては数年振りに与えられる金鵄勲章は、生者復活第一号であることを記念し、宮中で陛下自ら下賜される――これは成之が帝國男爵であることも無関係では無いだろう――こととなっており、帝國中の評判の的だ。 (故に、店主も知っている)  軍神様の御来店だ。腕によりをかけて作らせて頂きますよ――そう言いながら店主は奥に引っ込んだ。  暫くすると、湯気を立てたカツレツが運ばれてくる。 「ああ、夢にまで見たカツレツだ」  何年振りかになるであろうカツレツ、久方振りの帝國料理を成之は堪能する。  何せ、いつまで帝都にいられるか分からぬのだ。食い溜めしておく必要がある。  先ずは洋食、という訳だ。 「ああ、この洗練した味! 肉、ソース、調味料…… 何もかも、溜まらぬ」  思わず目を細める。 (大陸では肉に塩や醤油をかける程度だったし、肉質そのものが悪かった) 「おや? あんたは、確か……」  そこへ二人目の客がやって来て、成之に声をかけた。どうやら知人の様だ。 「おや? 貴方は……」 「お久し振り」  声をかけた男は、名こそ知らぬが矢張りこの店の常連だった。  やはり良く喰う上に、多くの店を喰い歩く『食道楽』である。 「あんたが華族の上、将校だなんて知りませんでしたよ」  とうてもそうは見えなかった、と男は笑う。 「久方振りの帝都なんでね。こうして帝國料理を堪能しているのさ」  これを喰い終わったら、今度はいつもの店で蕎麦をやるつもりだと成之が言うと、男は顔を歪めた。 「そりゃあいけませんよ。あの店はもう無いです」 「何だって!? ……そんな馬鹿な。あの値段であの味を出してくれる店なんて、他に無いぞ!? あの店が潰れる筈が無い!」  成之は愕然とする。 「例の『大開発』のせいですよ」  大開発の煽りで、古くからの店も多くが移転を余儀なくされている。  これを機に、店をたたんだ所も少なくない。 「なんてことを! 多くの店は地元の顧客で成り立っているのだぞ!?  政府は江戸の味を、帝國の食文化を、殺す気か!」  成之の魂の叫びに、男は皮肉めいて哂う。 「一流の料亭は無事だそうですよ。官僚や政治家が良く利用するような、ね?」  その後、二人はあの店はもう無い、この店はどこそこへ移転した、と話し合う。 「……なんてことだ」  成之は、男から得た情報に真っ青になった。  情報によれば、成之の知る多くの店が危機に瀕していたのである。  このままでは……  成之は、かつて無い危機感を感じていた。  成之は危機感を抱いたまま、宮中での授与式に臨んだ。  宮中とは、皇居のことである。  言うまでも無いことをわざわざ付け加えるのには、理由がある。  本来ならば、昭和帝は帝都大開発の第一期――麹町区と神田区の開発――が終了するまでの間、京都御所に動座される筈だったのである。  が、昭和帝は頑として御動座を拒否。現在もこうして帝都に留まっておられたのだ。 (実の所、昭和帝は帝都大開発に批判的であったとされている。  開発そのものはやむを得ぬかもしれないが、麹町区と神田区全土の国有化等、行き過ぎた開発に懸念されていたらしい)  ……故に、成之の生家が神田と知り、声をおかけになられたのだ。  『久し振りの帝都は、どうであった?』と。 「四年半ぶりの故郷でしたが、一面更地でありました。  爆撃を受けてもこうはならぬでしょう」  成之の言葉に、宮中の者も同情する。  長い間大陸で帝國の為に戦ったのに、帰国してみれば故郷はあらず……  これ程気の毒なことは無い。 「しかし、更に衝撃的なことがありました。 ……多くの店が消えていたのです」  ……?  多くの者が、我が耳を疑った。  ――店? 何のことだ?  そんな周囲の疑念も気にせず、成之の独白は続く。  ――自分は大陸の地にあって、再び帝國料理を食すまでは死ねぬ、と誓ったものです。  ――ところが如何でしょう? 多くの店が開発により消えてしまったではないですか!?   ――江戸の味が、帝國の食が、失われようとしているのです!  …………  …………  …………  成之の独白――というより演説に、皆目を丸くしている。  『大カツレツ三人前食し、その後蕎麦を……』の件では女官達は袖で笑いを堪え、男達は忍び笑いをもらす。  まあ無関係ではいられない陸軍の侍従武官辺りは、額に青筋を浮かべている。尤も、その彼等ですら半数は笑っていたが…… 「……成る程。食も文化、店々はそれを守り発展させるもの、か。  正しくその通りであるな? 宰相?」  昭和帝はお笑いになられながらも、真面目な声音で宰相に問われた。 「伝統ある高名な店に関しては、保護しております」  帝國宰相は、成之の『無礼な振る舞い』に額に青筋を立てている者の一人だったが、陛下の御下問である故、真面目に答えた。 「伝統は無くとも素晴しい店、伝統はあるのに無名な店に関しては如何? 加えて洋食屋が一軒も入っておりませぬ!」 「洋食なぞ、大衆料理だろうが!」  成之の言葉に、些か言葉足らずに返す。 (正確には、『大衆料理なので保護せずとも消えぬ』と言いたかったのだろう)  が、これは少し認識が間違っている。  洋食は断じて大衆食では無い。  確かに歴史こそ浅いが、どちらかと言えばハイカラの香りがする高価かつ特別な食事だ。  ……まあ『親しまれている』という点から考えれば、大衆食と言えなくも無かったが。 「これは宰相閣下の御言葉とは思えません!  洋食とは、西洋料理を帝國風に直した『帝國独自の料理』ですぞ!?」  西洋料理を帝國料理として出すより、和食や洋食を出した方が余程良い、と食い下がる。 「黒部男爵の言葉、尤もである。帝國は、開発により店々を潰してはならない。  ……無論、料理屋以外の店もである」  この御言葉により、勝敗は決した。  既に開発が進んでいる麹町・神田の両区に関しては手遅れだが、他の地域に関しては開発は大幅に縮小――それでも二、三十年がかりの大開発である――されることとなる。 (無論、成之の手柄では無い。行き過ぎた開発に対し、昭和帝が嫌悪感を示されておられたからこその御言葉だ。  昭和帝は成之の言葉に動かされた訳では無く、成之の言葉を利用子なされたのである。  そしてこの昭和帝の御言葉を御旗に、帝都大開発にかかる膨大な費用を忌避する大蔵省、大陸の開発を優先する軍需省や軍等が猛烈に巻き返した、というのが真相だ)  さて、この話の核心にいよいよ入ろう。  その後成之は、金鵄勲章と共に恩賜の品を賜わった。  通常ならば煙草であろう。が、成之に下賜された品は少し……いや大いに風変わりな物だった。 「……鰻?」  御紋章入りの桶の中には、丸々と肥えた数匹の鰻が生息している。 「『あの者にはこれの方が喜ぶだろう』との、陛下のお言葉だ。  わざわざ静岡から献上された品の一部を下げ渡されたのだ。光栄に思え」  ……こうして成之は、現在ではとんとお目にかかれぬ貴重な鰻。それも上物を手に入れたのである。  が、恐れ多くも恩賜の鰻を殺して食すのは、流石の成之も気が引けた。  故に、鰻と共にタブリンに帰還する羽目になった。  タブリンに到着しても、驚いたことに鰻は生きていた。  死んでいたら喰おうと考えていた成之は少し残念に思うが、これも神仏の思し召しと考え、サーナの家のある丘近くの川に放してやった。  するとどうだろう? ここケネットの水が余程生にあったのか、はたまた天敵がいなかったからなのか、年々鰻共は数を増やしていく。  十年後には、川が真っ黒になった程である。  神仏の御加護、であろうか?  こうして何時の頃からか、ケネットの名物と言えば『鰻』と帝國でも知れ渡る様になった。  帝國産の最上物に匹敵するケネット鰻は『恩賜の鰻』と呼ばれ、大いに珍重されたそうだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『恩賜の鰻 秘話』  後に『開発と成長、そして冒険の時代』と呼ばれることとなる、昭和20年代が終わりを告げた。    この10年間で、帝國は大きな飛躍を遂げた。  その経済規模は、本国だけでも転移直前の3倍以上――それもインフレ分を除いた――に膨れ上がり、準本国である神州大陸も含めれば、実に3.5倍にまで達する程だ。 (恐ろしいことに、他にも帝國には、大陸に直轄領や邦國が多数存在する。  邦國はともかく、大資源地帯を抱える直轄領を加えれば、転移直前の4倍は固いだろう)  進む開発、年々加速する経済成長、次々と広がる帝國勢力圏……  そして昭和20年代末には、遂に本国人口が念願の1億人を突破。  帝國は超大国への道を駆け足で上りつつあった――そんな時代だったのだ。    無論、物事には表と裏、光と影が存在する。  この輝かしき黄金の昭和20年代とて、その例外では無い。  その負の面は徐々に拡大してゆき、次の年代たる昭和30年代に噴出した。  故に、多くの人々は昭和30年代を『呪われし年代』『悪しき時代』と呼ぶ。  だがその種は、全て昭和20年代――或いはそれ以前――に蒔かれたものだ。  只、育つのに若干の時間を要した。それだけのことだ。  深刻化する公害問題。  膨大な国家債務。  一向に終わらぬ軍政。  大陸で頻発する、帝國人と現地人とのトラブル。  大陸統治政策の行き詰まり。  ……等々。  転移以来、全てを棚上げしてきたツケが表面化したのである。  帝國は、積もり積もったツケの精算を迫られていた。 (意外なことではあるが、この中で最も簡単に解決出切るであろう問題が、『膨大な国家債務の解消』だった。  国家債務の額こそ巨額化しているものの、経済規模の拡大により、国民総生産に占める割合は転移直後からさして変化していないからだ。  それにこの国民総生産はあくまで本国のみの数値であり、全領域にまで広げれば優に二〜三割上昇する。つまり数割減となるのだ。  通常の税収の他に、膨大な資源売却料が毎年国庫に入ることを考えれば、返済は難しくない――覚悟を決めれば――だろう。  尤も帝國は、肥大化した財政の縮小よりも『資源単価の値上げによる返済』という安易な道を選び、後に『資源危機』と呼ばれる大不況を引き起こすことになるが……)    ……ああ、『帝國在来魚の危機』も付け加える必要があるだろう。    転移以来、帝國はほぼ一貫して転移前からの帝國在来魚を保護してきた。  具体的には、養殖を奨励し天然物の捕獲を厳しく制限する、だ。罰則者には懲役刑すら課された程だ。    なのに、何故か?  公害と開発による環境破壊のせいである。  生息環境が、悪化・破壊されたのだ。  無論、他にも原因がある。が、第一の原因としてこの二つを挙げざるを得ない。 (ちなみに帝國議会で追求された農林大臣――帝國在来魚保護の最高責任者――の言は、『(帝國在来魚の)保護と公害対策は別の役所ですので……』だそうだ)  兎に角、養殖すらも被害を受け、ようやく下がり始めた帝國在来魚は再び高騰。  かつての大衆魚は、養殖物ですら高嶺の花。御座敷で食べる様な、庶民とは無縁の超高級食と化してしまった。  無論、何れは値が下がるだろう。  が、養殖量に限りがある以上、値は一定の所で高止まりする筈である。 (折角増えてきた天然の帝國在来魚は、大打撃を蒙った。  仮に生息環境を元に戻せたとしても、回復までどれ位かかることやら……)  帝國在来魚は、その種を問わず『永遠の高級魚』に仲間入りしたのだ。  ――そんなある夏の日のことであった。  帝國本国は帝都、宮城でのことである。 (宮城と言っても、かつてのそれでは無い。帝都大開発により大きく姿を変えた新宮城は、官庁街――関係者以外立ち入り禁止――も含めれば、旧麹町及び神田区全域を飲み込む程の規模を誇り、帝都の中心としてその存在感を発揮していた)  その日、陛下に謁見を許された者の中に黒部前男爵の名があった。 「……ああ、あの『食道楽な男』のことか」  陛下が彼のことを思い出されるのに、さしたる時間を要さなかった。   「今は、一体どうしている?」  彼の現状を、側近にお尋ねになる。 「……『現地の女に生ませた子に男爵位を継がせる』という前代未聞のことをしでかした後、大陸に土着しました。  現地では、かなりの勢力を誇るそうです」 「ああ、それは覚えている」  大騒動だったからな、と陛下。  黒部男爵の願い出――現地の女に生ませた子に男爵位を継がせる――に、当時の宮内省は驚愕した。  それはそうだろう。  帝國譜代男爵は、只高位というだけでは無い。  貴族院議員互選権と終身県会議員権とを持つ、侮り難い存在でもあるのだ。  ――それが、半分は帝國人とはいえ『現地人』の手に渡ったら!  当然、宮内省内では非難が噴出した。  宮内省の許可(正式には陛下の認可)が出なければ、爵位相続は不可能である。  それどころか、処罰の雰囲気すらあった。  が、結局の所、この願い出は許可されることになる。  政府からの圧力故である。  黒部男爵は、願い出る前に、きちんと政府内部に根回ししていたのだ。 (宮内省を後回しにしたのは、当時の宮内省の雰囲気から、無駄と判断したからだ。  下手に知らせて妨害されるよりは、後で怒らせた方が『まだマシ』と考えたのだ)  しかし何故、政府が?  良く考えれば、帝國にとって悪い話ではないからだ。  相手の女は、潰れたとはいえ豪族の出である。郎党なども未だ健在の様だ。  そしてその女に産ませた子は、豪族当主たる存在でもあった。  ――現地の豪族に帝國の血を入れれば、大分やり易くなるんじゃあないのか?  そう考える者が政府内にいても、おかしいことでは無いだろう。  『帝國人の血を持つ者ならば、アカの他人より余程信頼出来る』――それは、少なくとも帝國人にとって、かなりの説得力を持った言葉だったのだ。  折りしも、大量の騎士爵を世間に放り出した後でもある。  いつまでも、彼等を世話するのも骨だ。 ……なら、彼等を利用出来ないだろうか?  騎士爵ならば、大した権利も無いし、丁度良い。    そう考えた帝國政府は、そのテストケースと宣伝を兼ねて、黒部男爵の願い出を許可したのである。  ――かの軍神、黒部成之男爵! 大陸に土着し、大名となる!  それは、甘い響きであると共に、帝國の大陸統治が、第二段階に入った証拠でもあった。 「この度、再び陛下に拝謁出来るとあって、臣は恐悦至極に存じます……」  黒部前男爵は、最敬礼で口上を述べる。  どうやら、献上品を持ってきたらしい。  目録によれば……鰻だ。それも天然の。 「ほう? 珍しいな?」  現在鰻は激減し、養殖モノ――それも低質の鰻ですら、『鰻重の並一杯で大工の日当一日分』と言われる程である。  ましてや天然モノなど、値段以前に中々手に入らない。  何せ、高級料理亭ですら養殖モノの御時世だ。  どうしても天然モノを食したければ、有力者でも高級料理亭に頼み込んで数ヶ月程待つしかない。 「はい。ケネット産ですが」 「……?」  十数年前、黒部前男爵は金鵄勲章に加え、鰻までも下賜された。  が、流石に恩賜の鰻を食すのも畏れ多い。  故に、大陸はケネットの川に逃がしてやったのだ。  ……すると、年々鰻の数は増えていき、現在では『川が真っ黒になるほど』いるそうだ。 「十年以上、臣の身をもって毒見を行って参りましたが、異常はありません。  故に、晴れて今回ケネットの鰻を献上いたしたく参りました」  そう言いながら、血色の良い健康そうな腕を見せる。 「……そなたは、やることなすこと見事に常道から外れておるなあ。  それでも良い方にばかり転ぶことを見ると、余程強運の元に生まれたと見える」  さすがの陛下も、思ってもみない出来事に目を丸くされる。 「はっ! 正に神仏の御導きかと!」 「……ならば、鰻も神仏の加護と?」 「正に! 『帝國の食を保護せん』という臣の願いが、八百万の神々に通じたに違いありません!」  その言葉に、陛下は大いに笑った。 「おまえ自身が、食の神ではないのか?  ……ああ八百万の神々といえど、さすがに洋食の神はいないだろうから、さしずめ『洋食の神』か?」  鰻の神はいるかもしれんからな、と陛下。 「洋食の神かどうかは分かりませぬが、臣はケネットの地で帝國料理を広めんと、日夜頑張っております」  この彼の努力は見事実り、後に帝國料理はケネットはおろかタブリン全土、いや周辺地域に広がることとなる。  ……ただし帝國料理は帝國料理でも、広まったのはいわゆる『洋食』だ。  おかげで現在に至るまで、この地方で帝國料理といえば、和食でもなければ西洋料理でもなく洋食が挙げられる様になってしまった。  洋食式フルコースなるものすら創造した、黒部成之男爵の努力の賜物であろう。  無論、その後の黒部家の発展も大きな要因ではあるだろうが。 「『軍神』より、『洋食の神』の方が似合うぞ!」  陛下は再び笑われた。  これ程お笑いになるのは、一体どれ程のことであろうか?  そう侍従達が首を傾げるほどに。  この時の話に尾鰭が付き、後世『黒部成之は陛下から神――洋食の神――に列せられた』との伝説が出来るが、現実はこの様なたわいも無い話に過ぎない。  真実とは得てして、そういうものなのだ。  肝心のケネット鰻については、陛下は無論、相伴に預かった要人達からも絶賛された。  味は無論、食感、香りの全てが見事に尽きたのだ。  ああ、そういえば、極上の天然物とは、かような味だったな――最上の鰻を食せるであろう彼等にすら、そう思わせた程だった。  ケネット産の鰻は、まさしく天然の極上物だった。    こうして大いにその名を高めたケネット鰻であるが、この後直ぐに輸出が開始され、黒部家の財政を大いに潤おすこととなる。  輸出されたケネット鰻は、高級料亭で扱われる様な超高級食材であったが、この様な経緯からか、庶民にも『一生に一度は食したい食』として忽ち人気の的となった。    ――夢があっていいじゃあないか! それで味も良いなら、言うこと無しだね!  人は、この鰻をケネット鰻とは呼ばずにこう呼んだ。『恩賜の鰻』と。