帝國召喚 外伝「辺境警備隊隊長よもやま物語」 番外編「タブリン着任」 【01】  ――畜生! なんでこんなことになったんだよ!?  昭和16年12月7日、帝國は異世界に転移した。  原因は不明。  開闢以来最大の國難に直面した帝國は、労働力確保の見地から、大規模な動員解除を決定する。  これにより、転移直前には230万の兵力を誇った帝國陸軍は、その数を100万人にまで減らすことになったのだ。  昭和17年1月から始まった動員解除は急速に進み、翌2月には終了。多くの将兵が除隊、軍を去ることとなる。  ……とはいえ、全ての将兵が除隊する訳では無い。  望んでいるのに除隊できぬ者も、少なからず存在する。  この冒頭から嘆いている男も、そんな一人であった。  帝國陸軍少尉、黒部成之。  昭和15年1月、大学卒業後一年足らずで召集。当時24歳。  『この戦争(日中戦争)は、どうやら長くなりそうだ。  召集されれば満期除隊など夢のまた夢、除隊まで何年かかるか分かったものではない。  ……ならば、兵よりも下士官、下士官よりも将校の方が良いだろう』  ――という、酷く不純な動機から兵科幹部候補生を希望。望外にも甲種幹部候補生として採用された。  その後、盛岡の予備士官学校で歩兵将校としての教育を受けた後、見習い士官として部隊勤務。昭和16年11月に帝國陸軍少尉に任じられる。 配属先は歩兵第二十八聯隊。  転移一ヶ月前のことである。  これで楽が出来ると思われたのだが……  彼の人生計画は、転移という『自然災害』によって覆された。  ……将校になった彼は、除隊から漏れたのである。  まあ将校とて除隊になった者も多いし、下士官兵でも除隊出来なかった者も多い。 (当たり前だ。でなければ、とてもではないが100万などという大軍を維持できない)  が、兵より下士官、下士官より将校の方が除隊し難いという事実もまた存在していた。  たとえ幹候出の方が陸士出の将校よりも除隊され易かろうと、そんなことは彼にとっては関係無い。  将校になったのが全ての間違いだった、とばかりに日々己の不幸を嘆くばかりの毎日であった。 ――昭和17年5月、某帝國直轄領。歩兵第二十八聯隊。 「黒部少尉、入ります!」  少尉風情が聯隊長直々に呼ばれるなど、一体何事だろう?  緊張の面持ちで聯隊長室に入る。 「おう、よく来た!」  歩兵第二十八聯隊聯隊長、一木清直。  歩兵学校教官を永年務めた程の優秀な聯隊長であり、上からの信頼も厚い。  彼は、黒部少尉の顔をしげしげと眺める。 「お前が我が聯隊に来て、そろそろ半年以上経つな? 少しは面構えが変わってきたではないか!」  そう言って大笑する。  ……おかげ様で。  黒部少尉は内心溜息を吐く。  彼の指揮する歩兵第二八聯隊は、彼同様に高い評価を受けており、転移後は各地を転戦することになる。  神州大陸島から始まり、その後は西のガルム大陸辺境を駆け回った半年…… (考えただけでも泣けてくる) 「……お前、そういう所は全く変わっておらんなあ。 兵の指揮は多少マシになったが、娑婆っ気が全く抜けておらん」  黒部中尉の内心を見透かした聯隊長は、怒るよりも先に呆れた様に言う。 「しっかりせい! そんな所を見られたら、また中隊長にどやされるぞ!」 「ハッ!」  慌てて背筋を伸ばす黒部中尉。 「……まあ良い。お前を呼んだ理由は他でも無い」  そう言って、彼に階級章を手渡した。 「? 中尉、ですか?」  それは中尉の階級章であった。少尉に任官して半年程度の彼には、些か早過ぎる物でもある。 「半年に及ぶ外地での活躍、真に多大であり、貴官を本日付で陸軍中尉に任命する。 ……おめでとう黒部中尉」  目を逸らしながら――非常に珍しいことだ――も、聯隊長は祝福する。 「有難う御座います!」 ……何となく嫌な予感がするが、黒部少尉、いや黒部中尉は礼を述べた。 「で、だな。実戦経験のある優秀な小隊長を一人欲しい、と今度出来たタブリン地区司令部から依頼がきておるのだ。  普通なら断るところではあるが、何しろ方面軍司令部経由の正式な依頼だからなあ」  ……話が読めてきた。  要は、タブリン地区に人員を一人回さなければならないが、その生贄に自分が選ばれたのである。  昇進は手切れ金、又は手付金といった所――或いはその両方――か。 「ハッ! 黒部陸軍中尉、タブリン地区に転任いたします!」  が、分かったところで如何しようも無いことでもある。黒部少尉改め黒部中尉は敬礼し、『命令』を復唱する。  ……あの転移以来、俺の運命狂いっぱなしだ、と内心嘆きながらではあるが。 「……ああ、御苦労。この半年は東奔西走で色々忙しかっただろうから、まあ骨休みの積もりでゆっくり休め」  聯隊長は、どこかホッとした表情で答礼した。 ――昭和17年6月、旧タブリン王国王都ダソレル。  ダソレル近郊の飛行場に、1機の一〇〇式輸送機――週一度の定期便――が着陸する。  載せてきたのは、100キロ程度の物資に数人の人員だ。その中に黒部中尉の姿があった。 「……あ〜太陽が黄色い」  気分は最悪である。  聯隊が待機していた場所とタブリンとの間に直行便が無いため、何回も輸送機を乗り換えて来たのだが、乗り継ぎの関係上二週間近くもかかってしまったのだ。  帝國直轄領タブリン。  南ガルム――ガルム大陸南部――の辺境に位置する小国である。  面積10万平方km、人口は帳簿上67万人(推定約200万人)。  数字だけ見れば、この辺り一番の『大国』だ。  ……独活の大木どころか、腐った独活の大木ではあったが。  タブリン王国が滅んで帝國直轄領タブリンとなり、タブリン総督府が発足。  これに合わせ、南ガルム方面軍はタブリン地区を設置する。  タブリン地区は、陸軍大佐を司令官とする小振りの旅団級部隊である。  その編制は――  ・地区司令部及び司令部付隊(旧王都ダソレル)  ・地区通信隊(旧王都ダソレル)  ・地区衛生隊(旧王都ダソレル)縮小編制  ・地区病馬廠(旧王都ダソレル)縮小編制  ・地区輜重隊(隊本部は旧王都ダソレル)現地人を主体とした支隊多数。  ・地区工兵隊(隊本部は旧王都ダソレル)現地人を主体とした支隊多数。  ・憲兵分遣隊(旧王都ダソレル)  ・独立歩兵大隊1個(旧王都ダソレル)一部欠編制  ・乙種警備隊 3個(旧王都ダソレル、都市コーク、都市スライゴー)中隊級部隊。  ・丙種警備隊 複数(各鉱山配備)小隊級部隊。  ――等、2100余名の将兵からなる。  この他に、航空軍隷下の飛行場中隊が王都近郊の飛行場に駐屯し、タブリン軍区を支援している。 (軍区内には三ヵ所の飛行場が存在或いは整備中だが、内二ヵ所は無人)  また増援として、野戦軍より1個増強歩兵聯隊(1個大隊欠)が派遣中である。この聯隊は、臨時にタブリン軍区隷下に入っている。  一時的な増援である歩兵聯隊は別として、この2200余名の軍に総督府役人や帝國人軍属等を加えたおよそ2500名余りが、タブリンに存在する全帝國人であった。 「中尉殿! タブリンへようこそ!」  迎えの少尉が、敬礼しながら歓迎の言葉を述べる。 「有難う、少尉。 ……悪いなあ、待っただろう?」 「いえ、仕方がありませんよ中尉。こっち(大陸)じゃあ当たり前のことですから。  それに中尉は、精鋭中の精鋭、『あの』二十八聯隊からの御出向なので、皆も期待しているのです」 「……俺は、陸士じゃあなくて幹候だよ?」 「しかし、実戦経験がお有りだ」 「たった半年、それも蛮族相手だがね?」 「十分ですよ。我々が相手をするのは、その『蛮族』なのですから」  中尉には、早速歩兵中隊を指揮して頂くことになるでしょう、という言葉に目が点になる。 「おいっ! 俺は、今の今まで小隊長だったんだぞ!? ……それをいきなり中隊など」  それに本来ならば、中隊長は大尉の筈だ。ついこの間まで少尉だった新米中尉――それも上げ底――に、務まる訳が無い。 「確かに中尉の中隊長は特例ですが、別に異例とまでは?」  まあそりゃあそうだが、俺に中隊長の真似事が出来るだろうか?  黒部中尉は、首を捻りながら少尉の後に着いていく。  辿り着いた先には、竜車が停められていた。  ……飛行場を出ると、そこは餓鬼道だった。  道端は浮浪者で溢れている。皆痩せこけ、死んだような目だ。  竜車上の黒部中尉は、思わず目が点になる。 「うわ〜」 「これでも前よりはマシになったんですよ? 少なくとも死体は片付けましたし」  まあ毎日の様に新しい死体が出るから、中々死体が無くならないのですがね、と苦笑する。  ……ということは、あそことかそことかで倒れているのは、もしかしたら死体かも。  とんでもない所に来たなあ、と背中に嫌な汗が流れる。 「別に、元の世界でもあった光景ですよ? 支那とかじゃあ良くある光景だそうです。  中尉殿は実戦を経験しておいでですから、すぐに慣れますよ」 「……戦場に死体が転がっているのと、平和な筈の都市で死体が転がっているのとじゃあ全然違うさ」  金剛石と硝子程も違う、と思う。 「そんなものですかねえ……」 「そんなもの、だよ」 ――タブリン地区司令部。 「黒部成之陸軍中尉、只今着任しました!」 「御苦労」  お決まりの言葉、敬礼と答礼が交された後、司令官は相好を崩した。 「よく来たな、中尉! 歓迎しようじゃあないか!」 「有難う御座います」 「さて中尉。お前には早速、独立歩兵大隊の中隊長をやって貰おうかと思う。   ……が、確かお前は、今まで『座ったことが無い』な?」 「はい、『走り回って』いました」  『座ったことが無い』とは、『大陸の一地域で腰を据え、本格的な警備・治安維持をした経験が無い』ということだ。  逆に『走り回って』とは、二十八聯隊の様に『大陸を戦いながら東奔西走している』ことを言う。  どちらも軍の隠語だ。 「ならば最初に言って置く。いいか、ここタブリンの実勢人口は約200万にも上る。  対する我等は、腰掛の援軍――どうせ彼等は一年もいない――を除いて僅かに2500。   ……それも全帝國人を合わせて、だ」  そう司令官は、言い含めるかの様に言う。 「お前は、北海道を一回り程広くした地域に散在する200万人を、たかがこの程度の数で完全に統治できると思うか?」 「不可能です」  地図も戸籍も満足に無いような土地、それを自分達だけで完全に統治するなど…… 「宜しい。ならば、我等がどの様な統治法を採るべきか理解できるな?」 「元から存在する現地統治機構、及び現地有力者を積極的に活用するべきです。  少なくとも当分の間は、ある程度の税収と資源を得るだけで満足すべきかと」 「宜しい、大いに宜しい! ならば今言った言葉を必ず実行したまえ!  『郷に入りては郷に従え』、現地の慣習ややり方に口出しするなよ!   ……たとえそれが、どんなに納得できないことでも、だ」  最後の言葉、それはもしかしたら、自分(大佐)自身にも改めて言い聞かせているのかもしれない。――そう感じられる程、真剣な口調だった。 「所でお前、勿論健康だな?」  突然話題が変わる。 「はい、病気はおろか虫歯一本ありません」  突然の話題の変化に、戸惑いつつも答える。 「結構! ……ああ、赴任前に一応歯を見てもらっておきたまえ。  タブリンには、歯医者は王都にしかいないからな」  現在、タブリンに駐在している帝國人医師は僅か5人。歯医者に至っては1人だけだ。 (他にも臨時派遣の歩兵聯隊に軍医がいるが、『お客様』であることと『常に動き回っている』ことを考えれば対象外だろう)  この6人、歯科医も含めて皆軍医であるが、タブリン駐留の帝國軍将兵の他に総督府役人や軍属の帝國人も治療すること、彼等が各地に駐在していることをを考えれば、あまりに少ない。少な過ぎる。  まあ陸軍に言わせれば、これでもかなり手厚くしている積もりなのだろうが…… (確かに2千余の将兵に対して軍医5人に歯科医1人という配属は、決して少ない数ではない。 むしろ問題は、別の所――信じ難い程の軍の分散配置や現地医療事情の劣悪さ等――にあるだろう)  この6人の軍医は、全員が王都の軍区病院隊に所属している。  ただし、交代で乙種警備隊が置かれている2箇所の大都市に送られるので、王都の『病院』に常駐しているのは4人(うち歯科医1人)だけだ。  また、独立歩兵大隊の軍医が欠員状態になっているため、大規模戦時による派遣時には、軍区衛生隊から軍医を臨時に派遣することとなっている。   ……この時には、王都でも軍医は3人(うち歯科医1人)だけになってしまう。  この3つの都市以外には、軍医はいない。  故に、他の地域に駐留している帝國人は、まず衛生兵に見て貰い、それで駄目なら最寄の都市に送られることになっている。  このため、飛竜装備の空中患者輸送部が地区輜重隊内に設置されているが、急性疾患の場合、手遅れになる可能性が少なくないのが現状だった。  (まあ無いよりは遥かにマシではあるが)  要は、『普段から健康に気をつけろ』ということであろうか。  ……ホント、とんでも無い所に来てしまったなあ。  説明を聞いた黒部中尉は、内心で何度目になるかもわからない溜息を付いた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【02】  タブリン地区隷下の部隊、その多くは旧王都ダソレルに集中している。  地区司令部とその付隊を始めとして、地区通信隊、地区病院隊、地区病馬廠、憲兵分遣隊、地区輜重隊隊本部、地区工兵隊隊本部、独立歩兵大隊等々……  実に地区戦力の過半数が、ここダソレルに集中しているのだ。    ……正確には、ダソレルの中心からやや外れた所に位置する地区、通称『六波羅』にだが。 (但し、航空軍隷下の飛行場中隊については、ダソレル近郊の野戦飛行場に駐屯) 『六波羅』  かつて平清盛が館を構え、一門と共にその権勢を欲しいがままにした地。その後も長い間、六波羅探題として都(朝廷)の監視にあたった地。  帝國にとっては、朝廷を蔑ろにしてきた『逆賊の地』を意味する地名でもある。  誰が言い始めたのかは知らぬが、あまりに皮肉的な単語であろう。  六波羅と付けたのは、『自らを平氏と重ね合わせていた』ためだ。  正統タブリン貴族から外れながら、強大な権力と武力を持つ存在。  でありながら、自ら支配することなく、旧来の支配層に覆い被さっている特異な存在。  タブリン地区の幹部達は、自分達の立場の不安定さを自覚していた。  彼等は、『下手に油断すれば、平氏の様に攻め滅ばされない』とすら考えてたのだ。 (王都に駐留する帝國軍将兵は、飛行場中隊を含めても1500足らず、独歩大隊不在時には1000を切る。不意を付かれれば、その可能性は否定できない)  ここ『六波羅』は、元々は貴族の別邸が集まる地であり、周囲を簡単な柵と堀で囲まれている特別区域だ。  故に、総督府を置いたり地区主要部隊が駐留するには、丁度良い場所でもあったのだろう。  ……ダソレルの元貴族達と『距離をおく』意味でも、だ。  タブリンの帝國人達は、旧王国貴族達と馴れ合う気など、端から無かったのである。 「あれが、旧王宮だ。総督府隷下の現地行政機関が、置かれている所でもある」  地区司令官自ら、竜車で都を案内してくれている。光栄と思うべきであろう。   ……その見え隠れする期待が痛過ぎるが。 「総督府、いえ『六波羅』よりもずっと巨大ですね。 ……宜しいのですか?」  支配者である我等が都の外れに位置し、被支配者が未だに都の中心部たる宮殿に居座っているとは!  現地民の目には、一体どの様に映っているだろうか? 「構わんよ。どうせ実際の統治は彼等が行なっているのだ。我等はその上前を撥ねるだけさ!」  それに何か失敗があっても、連中のせいにできるしな、と笑う。  実の所、それだけが理由では無い。  気位の高い彼等を王宮から追い出し、下手な反発を買いたくなかった、というのが一番の理由である。  些か弱腰に見えるかもしれないが、あちこちで似たような事情を抱える帝國にとって、これは死活問題でもあったのだ。  その辺の事情は、黒部中尉とて理解している……と言うより、大陸に来る前に嫌というほど叩き込まれている。  広大な大陸、その各地に派遣された陸軍各部隊。  薄く広く配備されたそれは、相互支援不可能。一応機動打撃戦力があるものの、戦乱が連鎖的に発生すれば、簡単に対処不能になるのは目に見えていた。 (無論、最終的には鎮圧できるだろうが、その間資源供給が滞る帝國にとっては、計り知れない程の大ダメージになるだろう)  ――故に、現地の風習に介入してはならない。  大陸に派遣される帝國人が、耳にたこが出来るほど聞かされている言葉だった。 「……中尉、君にある物を見せよう。俺がここで一番見せたい物だ」 「? それは何ですか?」 「……ここを、この国を、最も端的に表した『見世物』だよ」  都の大通り、その一つ『市通り』。  様々な店や露店が並ぶその一画に、それはあった。 「これ…… は……?」  黒部中尉は、絶句する。 「見ての通りだよ。人買い、正確には子買い市場だ」  丸裸にされた子供達が壇上に一人ずつ上げられ、幾ばくかの銭や麦で売られていく。 「地主や商人が労働用に買う場合も有れば、面白半分に買うもの、様々だな」 「役人は……憲兵は何をやっているのですか! こんな白昼堂々と、不届きな!」  確かに、辺境での人身売買については色々と耳にしている。  が、それは息を潜めて、闇で行なわれるものとばかり思っていた。 「何を言う? ここは公式市場、売っているのはちゃんとした公認商人さ! ……それも総督府認定の、だ」 「なっ……」  帝國公認の!?  ……では、『これ』を帝國が認めたというのか!? 「……まあ、黙って聞け」  そう言って大佐は黒部中尉を宥め、説明してやる。  この国は治安が極めて悪く、人攫いや人買いなど日常茶飯事、そんな国だ。  だがタブリンに配属された程度の兵力では、その撲滅どころか治安維持すら不可能。 (地区戦力は、あくまで少数の拠点を防衛する戦力でしかない)  ……ならば許可制にしてせめてルール作りを徹底させよう、という訳だ。  人攫いは禁止し、人買いのみにするだけでもかなり違う。現実を考えて妥協したのである。 「そのため現在の『商品』は、皆身売りされた娘か子供だ。攫われた者はいない」  そう、これでも大分マシになったのだ。 「しかし!」 「……どうせ売られる子供や娘は、どうやったって売られる。例え法で禁じたとしても、だ。現実を見ろ」 「……ならば管理した法がマシ、ということですか?」 「そうだよ。 ……全ては我等の無力故だ」 「無力……」 「自力でこの国を完全統治できぬため、自力でこの国の治安を維持できぬため…… 故に我等は、腐りきった旧支配者とも、犯罪組織とも手を結ばなければならない」 「…………」 「我々に出来るのは、彼等犯罪組織を、凶悪な犯罪組織から穏やかな利権集団に変えていくこと位だ。時間をかけてゆっくりとな」 「……理解しました」  納得は出来ぬが。 「それで良い。こんなこと、慣れてしまったら終わりさ。 ……それこそ『連中』と馴れ合うしか道が無くなる」  自嘲気味の声。 「いいか中尉、今日ここで見たことを良く覚えておけ。  害にしかならん変な正義感を発揮する大馬鹿野郎になるのは問題外としても、決してこの光景に慣れたら駄目だ。   ……絶対に」  その言葉に、黒部中尉は、飛行場で自分を出迎えた少尉を思い出す。  道中で見た全ての光景に無関心、無感動。  彼は、あたかも自分達帝國人と辺境の民との間に、明確な一線を引いているかの様に見えた。  始めは植民地人に対する侮蔑感からかとも考えたが、辺境の民に対する嫌悪感を、少尉は全くといって良い程示していなかった。   只、無関心。  ……ああ、やっと分かった。少尉は、彼等を人では無く、『モノ』として見ていたのだな。  人は我等帝國人のみ。他は人では無く『モノ』――そうすることにより、心の平穏を保っているのだろう。 「……平松少尉も、最初はああではなかったのだがなあ」  大佐は溜息を吐く。  赴任した将兵の中には、罪悪感と無力感からその様な反応を示す者も少なくない。  少尉もその一人だったのだ。 「売られている子供も、税を払えず棒で打たれている一家も、誰一人助けてやることが出来ず、只見ているのみ。  募る罪悪感と無力感。 ……やがてこう考える様になる。『どうせ奴等は帝國人じゃあ無い、だから関係無い』とな」  これが帝國支配下の実態だ、とても内地の臣民には見せられんな、と嗤う。  ……何故、帝國が転移の事実をひた隠しにしているのか、その理由が分かった様な気がした。  これ程大規模な現象、何時までも隠せる筈も無い。  大陸に関わる人間が、100万人単位に上ることも考えれば、尚更だ。  人心が乱れる? ……ああ、確かに最初の二〜三ヵ月は、確かにそうだったかも知れないさ!  が、既に転移して半年。  何とかやっていける目算もつき始めている。  何より、臣民も何かがおかしいと気付きはじめている。  現在では、公表しない方が余程、人心に不安を与える可能性が高い。  それにも関わらず、帝國は沈黙したままだ。  ……その理由が『これ』、か。確かに見せられんよな。ああ、だから大陸行の将兵の殆どが『一方通行』なのか。  大陸の実態を知る将兵の口から、『真実』が漏れない様に。  ということは、自分も当分帰れないということになる。  やはりあの転移で、自分の運命は狂い始めたらしい。嘆くより先に、苦笑するしかなかった。  人買い市場。  これがこの国を最も端的に表した場所である。まさに『餓鬼道に落ちた国』、としかいい様が無い。  しかし実の所、これが辺境という地の実態だった。  タブリンは、それが濃縮されたに過ぎないのだ。  故に、どこの総督府の統治法も、皆似たりよったりである。  ……要するにタブリン同様、帝國は各地の犯罪組織と協力関係を結んでいたのである。    彼等を合法化し、専売等の特権を与える代わりに、強引な犯罪を禁止させて違反者を取り締まらせる。帝國の情報・監視網としても利用する。  小悪を潰すため、大悪を見逃したのである。  無秩序な悪よりも、秩序だった悪の方がまだマシ、と判断したのだ。 (唯一の慰めは、各地の治安が、目に見えて改善していることだろう)  が、それは諸刃の剣でもある。  一歩間違えれば帝國も一緒に腐敗していきかねないのだ。  ……だからこそ、大佐はここを自分に見せたのだろう。  現地の風習に介入してはいけないこと、だが決して馴れ合ってはいけないことを分からせるために。  ――忘れるな、中尉。彼等は帝國臣民では無いかもしれないが、れっきとした帝國領民だ。帝國には、彼等に対する責任があるのだ。  こうして様々な思いを胸に、帝國陸軍中尉黒部成之は、タブリン軍区司令部直属の独立歩兵第百九大隊第二中隊長に任命された。  昭和17年6月、26歳のことである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【03】  独立歩兵大隊とは、歩兵連隊隷下ではなく、旅団等の上級部隊に直属している歩兵大隊である。  大陸においては、警備隊が拠点防御を、独立歩兵大隊が機動打撃をそれぞれ担当しており、これ以上の規模の部隊(連隊級)となると、余程のことが無い限り投入されることは無い。 (ちなみにタブリン地区には、1個大隊欠とはいえ精鋭1個歩兵連隊が野戦軍より分派されている)  このため独立歩兵大隊は、警備隊と並び、大陸における帝國軍地上部隊の顔として活躍していた。  只、これ等の部隊は、その多くが解隊した守備隊や警備師団から人員を抽出して編制したものであり、御世辞にも精鋭とは言い難い二線級部隊に過ぎなかった。  精兵の多くは、野戦師団――大幅に定員が増加した――に優先的に回されていたのである。  優秀な将兵は、一に完全充足の野戦現役師団、二に平時編制の野戦現役師団に回され、警備隊や独立歩兵大隊はその次の三番手に過ぎなかったのだ。  まあそれでも、予備役師団の管理要員や後方部隊に回される人材よりは、遥かにマシではあったが…… (無論、戦車や砲兵、航空等の『特化』は、第一優先である)  故に――  ……何だ、こりゃあ!?  第一優先の完全充足師団、その中でも精鋭を誇る歩兵第二十八連隊にいた黒部中尉にとって、独立歩兵第百九大隊第二中隊将兵の一挙手一動は、酷く緩慢に感じられたのだ。  転移後の独立歩兵大隊は、標準化の観点から、均一な編制となっている。  基本的には――  ・大隊本部  ・歩兵中隊3個  ・機関銃中隊  ・歩兵砲小隊  ――という、改編前の野戦師団歩兵大隊と殆ど変わらない編制だ。精々、歩兵中隊が1個減った程度でろうか?  ただし、小銃分隊は10名という少人数であるし、機関銃中隊に至っては2個小隊80名という縮小編制である。  一応、機関銃中隊は重機関銃を6乃至8挺保有してはいるが、人員不足のため、防御戦闘ならばともかく、通常の野戦では4挺を運用するのが精一杯だろう。 (このため残りの重機については、『保管装備』として扱われている)  定数も700名に満たず、編制の面から見ても二線級の大隊だ。  これは人員の質を合わせているのでは無く、出来るだけ少ない人員――何しろ正規の歩兵大隊ならば定員は1000名を超える――で、多くの部隊を編制する必要性に迫られていたからであろう。  無論、攻勢よりも防御戦闘を重視している、ということもある。  辺境での蛮族相手の攻勢作戦ならば、『重機4挺でも充分』と判断したのだろう。  但し、独立歩兵大隊が防御戦闘を行わねばならぬ様な大規模叛乱時には、正規大隊並の火力を発揮出来る様、運用能力以上の重機を与えているのだ。  このため、定員はともかく兵器の数そのものは、正規の歩兵大隊と比べても左程遜色は無い。 (改編前の正規歩兵大隊と比べて『歩兵中隊1個分欠』、改編後でも『歩兵中隊1個分欠+歩兵砲中隊が小隊に縮小』程度だ)  本来ならば定員も正規大隊並としたいが、『人員不足のため妥協した』或いは『通常の歩兵大隊を、人員不足のため恒常的に縮小編制とした』、といった所であろうか?  ……が、『人員の質』まで同等という訳にはいかなかった。  無能とまでは言わぬが、歩兵第二十八連隊の将兵を見慣れている黒部中尉の目には、酷く頼りなく映る。  酷く嫌な予感がした。  そして各小隊の訓練を見学して、その嫌な予感が的中したことを悟る。  敬礼や整列が緩慢なのはまだ良いとしても、分隊間の相互支援も出来ていないし、何より分隊の展開が遅い、遅過ぎるのだ。  ――仕方ありませんよ、中隊長殿。  中隊本部の古参下士官達は、諦めた様に首を振る。  元より精強とは言い難い上、こんな辺境に半年近くいるのだ。士気も下がるというものである。  娯楽どころの話ではない劣悪な環境、兵站の限界から来る極度の嗜好品不足……  歩兵第二十八連隊の様に精強の上、比較的恵まれた待遇の部隊とは訳が違うのである。 (歩兵第二十八連隊は、緊急派遣時以外は方面軍司令部近く――娯楽の豊富な地――に待機していた上、港の特設糧食艦からの特別配給を頻繁に受けていた) 「……どうせ敵は蛮族です。これで十分でしょう」  その辺りの事情を察した黒部中尉は、渋々ながらも准尉の言葉に同意せざるをえなかった。  これがタブリン地区の虎の子、唯一の常設機動打撃戦力である、独立歩兵第百九大隊の実態だったのである。 「おいっ! 貴様、成之じゃあないか!」  明日から指揮することとなる中隊の訓練を見学後、取りあえず司令の忠告通り、地区病院――元は大貴族の別邸だ――の歯科室へと向かった黒部中尉は、一人の軍医大尉に呼び止められた。 「長谷川先輩!」  長谷川軍医大尉は名を良樹といい、黒部中尉の幼馴染の兄であり、黒部中尉の兄貴分でもある。 (昔は『良樹兄さん』と呼んでいたが、同じ中学に入った頃――当時既に長谷川軍医大尉は卒業していたが――から『先輩と呼べ』と言われ、現在の呼び方に落ち着いた) 「お久し振りです」 「全くだ。 ……だが貴様、確か歩兵第二十八連隊じゃあなかったか? 何故こんな所に?」 「実はこの度、タブリン地区に着任しました。独立歩兵第百九大隊第二中隊隊長です」 「おや、じゃあ貴様が長山の後任か。こんな辺地に回されるとは御愁傷様だな? ……ああ、だから中尉か」  長谷川軍医大尉は、黒部中尉の早すぎる昇進の意味を、すかさず読み取った。 「前の方は何故? 転任ですか?」 「……ああ、あの阿呆ね」 「阿呆?」  その呆れ果てた様な口振りに、首を捻る。 「あの阿呆、虫歯を放っておいたせいで本土の病院送りだ。ま、命があっただけでもみっけものかな」  治療の痛みより、虫歯の痛みの方が遥かに酷かったろうに、と首を振る。 「……はあ?」  何故に虫歯で病院? しかも命だって? 「虫歯を甘く見るな。細菌が歯を溶かして歯の髄に入り込んだら、立派な『細菌感染』だぞ?   これを放っておけば髄から血管に入り込み、全身に菌が廻ることだってあるんだ。 ……下手すりゃあ、死ぬぞ?」  ……成る程。だから司令は歯医者に行け、と。 「まあ今日は暇なんだろう? ここに来た用件が終わったら一杯やろうや」 「宜しいのですか?」  確かタブリンの軍医は歯科医を入れても6人しかおらず、うち都(軍区病院)に常駐しているのは、軍医3人に歯科医1人に過ぎない。 「なあに、若く健康な連中が殆どで、基本的にはそれ程忙しい訳では無い。  或る程度までの怪我なら、衛生兵に任せられるしな」  だから三日に一日は休みなのだ。 ……その代わり、他の二日は12時間勤務の上、一日中病院内待機であるが。 「ならば喜んで。どこかいい店があるのですか?」 「そんなもの、ある訳無いだろう?」 「……ここ、一応都なんですよね?」  小料理屋の一つも無いのか。 「この国には金持ちと貧乏人、そのどちらかしかいない。貴族や金持ちは自邸で料理人に作らせるし、貧乏人にはそんな余裕は無い。故に、料理屋など存在しない。  ……他の辺境でも似たようなものだぞ? お前、この半年間、一体何を見ていたんだ?」  他にも、料理人自体が一種の技術集団であり、組合の統制が厳しいことも、理由として挙げられる。  彼等は料理法や食材、調味料に至るまで門外不出とし、決して他に漏らそうとしない。  故に、料理人以外は料理というものが出来ない――まあ少し語弊があるが、要は『焼く』『煮る』位しか知らないのだ。 (後は、食料の保存方法位か)  まあ安酒を売る店などは、軒下辺りにござを敷いて酒を飲ませる場合も多いが、つまみは良くてひねた干物位のもの、とても帝國人に受け入れられるものでは無かったのである。  二人は、病院の一室で酒を酌み交わす。  酒は日本酒、つまみは干し芋。  干し芋を火鉢で軽く炙ると、みるみるうちに黄金色に変わり、香ばしい匂いが辺りに漂う。 「この芋、ここで作っているのですか?」 「ああ、馬鈴薯と甘藷を持ち込んである。 ……まあまだ種芋を増やしている段階ではあるが」 「なら、近い内に餓死者がいなくなりますね」  飛行場から『六波羅』に行くまでの道程、そこで見た浮浪者達の姿が頭に浮かぶ。 「……どうかな?」 「?」 「馬鈴薯も甘藷も、軍が雇用した現地労働者に喰わすためのものだぞ? だから一般には出回らない」  軍は大量の現地人を雇いあげ、人足として使っている。  彼等には、報酬として一日三度の食事に集団住居が与えられる。つまり、最低限ではあるが、衣食住全てがが保障されるのだ。  この報酬は、タブリンでは、破格と言っても良いだろう。 (人足の相場は、一日働いても二〜三食分の食料が支給されて終わり、しかも大半が日雇いだ。  長期契約の上、衣食住全てが与えられる帝國軍の厚遇振りが分かるというものである)  ……が、破格とはいえ、その食事内容は決して十分では無かった。  支給される食事は、タブリンにおける人足の標準的な食事に過ぎず、質量共に貧弱なのだ。 ……まあそれでも、毎日三食食べられるだけ恵まれているが。 「具体的には、ライ麦を水で煮込んだ薄い麦粥だな。少しばかりの屑野菜や豆、雑魚が入るが…… まあ、あれで重労働キツかろう」  長谷川軍医大尉は、そう言って首を振った。  ……これは、恐ろしいことである。  彼は、立場上その程度でお茶を濁したが、軍医としての立場から、『あの食事量では現在の労働は重過ぎる』と述べているのだ。 (実際、栄養不足から起こったと思われる事故も、少なからず起きている) 「食事量を、増やせないのですか?」 「……無理言うなよ。政治が許さん」  つまり、こういうことだ。  人足如きに水準以上の食事をやれば、なり手が殺到する。  相場が上がって他の者が人足を雇い難くなるし、貧乏な農民の中には、農地を放り出す者すら出るかもしれない。 ……そんなことになったら大混乱だ。  加えて、身分制度がはっきりしているタブリンでは、人足が喰って良いものと駄目なものすら存在する。  まあ、これについては貴族や金持ちにも同じことが言えるが、要は『人足如きに贅沢は許されない』ということだ。  これはタブリンの大原則のひとつでもあり、根が深い。 (故に、帝國も軽々しく破れない) 「だから麦粥に芋を入れるのだ。これだけでかなり違うな」  馬鈴薯や甘藷ならば、この世界には無いので、高貴でも野蛮でも何でも無い。  ならば多少加えても大丈夫であろうし、第一育てるのが楽だ。 (やはり余り多くは加えられ無いが、それでも大分マシになるだろう) 「『一般には出回らない』、というのは?」 「農民が、他の作物を作らなくなったら困るからな」  この世界では、農民は作物で税を払う。  だが馬鈴薯や甘藷は金にならない。現地経済が大混乱に陥ってしまうのだ。 「故に、農民には麦を作らせて飢えていてもらう。国が安泰ならばそれでよし、という訳だ」 「…………」 「現地人足の監督も、我々では無く、現地の官吏が行っている。  これは我々の数が少ないこともあるが、決してそれだけではないぞ?  ……全てを彼等に一任し、我々は只見ているだけ」  長谷川軍医大尉はおどけた調子で哂う。少し酒が回ってきたようだ。 「この『素晴しき世界』とそれに迎合する帝國、貴様はこれから隅々まで見ることになるだろう。が、決して手助けしてはならんぞ。  貴様一人が出来ることなぞ高が知れるし、多くの恨みを買うことにもなる。もし、それでも手助けするというのなら……」  精々腹を括ることだ、と呟いてそのまま寝込んでしまった。  後に残された黒部中尉は、一人酒を飲みながら自らに問う。  司令も先輩も、皆が自分に同じことを忠告する。  が、自分とてこの半年様々なものを見てきた。何百人、何千人と見捨ててきた。  ――今更、一体どんな顔で助けるというのだ!?  だから心配は無用である。  自分とて帝國軍人、帝國に不利益な行動などしない。  「……安心して下さい、先輩。自分は大丈夫ですから」  それは、誓いの言葉でもあった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【04】  17台もの竜車が国道を疾走している。  その荷台には、多数の帝國兵。  彼等は、独立歩兵第百九大隊第二中隊の将兵であった。  歩兵第百九大隊第二中隊は、定員136名。  中隊指揮班(10名)と歩兵小隊3個(各42名)からなり、隷下の歩兵小隊は、指揮班(2名)と小銃分隊3個(各10名)、及び擲弾筒分隊(10名)からなる。 (これは、野戦師団の歩兵中隊と比べて、二回り以上小さい)  この中隊が、分隊毎(又は中隊/小隊本部毎)に竜車に分乗していたのだ。  ……ちなみに1台多いのは、中隊本部が2台使っているためである。  中隊/小隊指揮班の竜車には、多くの補給物資が人員と共に搭載されていた。  荷が軽いこともあり、竜車は1日100q(定格では満載時で80q)の速さで進む。 (竜車の最大搭載量は3000s。歩兵1人を60+30sとして1個分隊で900s、これに予備の装備弾薬、竜と人の食料10日分に水3日分を加えても、2000sがいいところ)  このため、3日目の朝には目的地に到着した。  ……やはり、竜車は早い。  中隊長である黒部中尉は、つくづくそう思う。  何せ、徒歩が30〜40q/日程度の移動速度なのに対し、竜車は80〜100q/日と三倍近い開きがあるのだ。  加えて、この搭載量!  御蔭で、通常ならば丸五日はかかる様な距離を実質二日、それもまるで中隊/小隊段列が付いたかの様な補給物資と共に到着したのである。  加えて兵に疲労は殆ど無く、直ぐにも戦闘が可能。  良いことづくしである。  実際、大陸での活動――特に資源を始めとする物資輸送――において、既に竜は必要不可欠の存在となっている。  が、軍は竜の制式採用に消極的だ。  竜がこの世界特有の生き物であり、『マナ無しでは活動できない』と推測されていたからである。 (再転位を恐れている軍にとって、これは決して無視出来ない要因だ)  故に竜は、軍において、未だ員数外の『装備』に過ぎなかった。  歩兵将校の反発もある。  ――歩かない歩兵など歩兵では無い! 竜車に慣れれば、兵が弱くなる!  頑固と切って捨てたい所ではあるが、残念ながらこの意見には一理あるだろう。  歩くのを億劫がる様な歩兵など、使い物にならない。 ……些か過剰反応とも思えるが。 (意外なことに、当の歩兵科下士官からも、多くの否定的な声が上がっている。  古参の下士官からすれば、『兵の教育とは歩かせること』なのだそうだ)  とはいえ、正規師団ならばともかく地方軍区などは、少ない将兵を効率的に運用するため、むしろ積極的に竜車を活用していた。  前出の独立歩兵第百九大隊第二中隊を乗せた竜車群も、タブリン地区が保有している竜車を、一時的に貸与されたものである。 (竜車の数には限りがある。貴重な竜車を効率的に運用するため、竜車は地区輜重隊が一括管理しているのだ)  ……ならば何故、そんな貴重なものを17台も貸与したのか?  重量から考えれば、12台でも大丈夫のはずである。  答えは簡単。重量に余裕はあっても、空間には余裕がなかったからである。  10名の兵に加え、予備の物資や食料を乗せれば、空間は殆ど残らない。  何日も揺られる兵の身になれば、とてもこれ以上は無理だろう。 (荷物と違い、人は動くのだ。とても寿司詰めには出来ない)  加えてスプリングもシートも無い荷台の上、国道とはいえ決して良好とは言えない道路状態では、徒歩よりはマシとはいえ、乗っているだけでも疲労が蓄積していく。  故に、ある程度の空間的な余裕が不可欠だった。  第二中隊の疲労が殆ど見られないのは、上記の様に空間にある程度の余裕を持たせたのに加え、即時行動する羽目になる可能性も考慮し、三日目の乗車時間を二時間足らずに止めたからに過ぎないのだ。  目的地では、数百の現地軍(旧タブリン軍)が陣を布いている。  帝國は、旧タブリン軍を解散せず、補助兵代わりとして軍区司令部隷下に編入していた。 (矢張り地域警備や武装警察任務には、彼等の存在が不可欠なのである)  竜車は陣の近くで停車、兵が次々に下車する。  下車し隊列を整えていると、現地軍の指揮官が挨拶にやって来た。  彼の話によると、前方に見えるあの小山(ビーノスキー山)に、200〜300程の匪賊とその家族が身を寄せているらしい。  各地で追い詰められた匪賊が、この山に逃げ込んだそうだ。 (これは、此方の事前情報と一致する)  旧タブリン軍は、匪賊を封じ込めるために、ここに展開していたのだ。  黒部中尉は、現地軍と共同で匪賊を掃討することを決断。  直ちにこの現地軍を指揮下に入れ、作戦を開始することにした。  ……幾分、不安を持ちながらも。  各地区における独立歩兵大隊の任務は、機動打撃である。  が、タブリン地区においては、一時的な措置とはいえ、野戦軍から増強歩兵連隊(1個大隊欠)が回されている。  である以上、独立歩兵第一〇九大隊の任務は、警備隊と共に旧王都――正確には『六波羅』及び飛行場周辺の――を警備することになる。  とはいえやはり実戦経験も必要であるし、歩兵連隊とて人手が余っている訳では無い。  そのため、訓練を兼ねて交代で、1個中隊を歩兵連隊に貸し出すことになっていた。  今回は、それがたまたま第二中隊の番だったのだ。  凶暴な山賊海賊は歩兵連隊が始末する。此方に回す敵は戦意の低い盗賊集団位のものだから、訓練代わりに気楽にやれ――との『有り難い御言葉』を、黒部中尉は大隊長から頂戴している。  とはいえ、黒部中尉にとっては初の中隊指揮である。  しかも着任直後であり、未だ中隊を把握していない上、その練度には疑問符が付く有様だ。  勢い、慎重にならざるをえない。  黒部中尉は、現地軍に命じてあらためて匪賊の退路を断つと共に、付近の村々に注意を呼びかけた。  そして中隊からは分隊規模の偵察を各小隊から1個、計3個を出して匪賊の動向を探らせる。  ……負傷者が出なければ良いが、と内心恐れながらではあるが。  惰弱と言う無かれ。  現在の第二中隊の医療体制からすれば、負傷は死に繋がりかねない危険なものであるのだ。  もし負傷者が出れば、単純な骨折や裂傷程度ならば、中隊配属の衛生兵でも対処できる。  ……まあ竜車で何日も揺られるのは流石にキツイため、現地で暫く静養する羽目にはなるが。 (このため、中隊は戦闘終了後、最大十日間の駐留が許可されている)  問題は、毒矢を受けたり動脈に損傷を受けたりするなど、衛生兵の対処能力を超えた事態――骨折でも治療の難しい粉砕骨折等もこれに含まれる――が起きた場合だ。  この場合、衛生兵は応急手当を行うが、それ以上のことはお手上げである。  とはいえ、骨折はともかく毒や動脈損傷は、放っておいたら命に関わる問題であり、事態は一分一秒を争う。 (無論、命に別状が無い『高度な骨折』とて、そう何日も放ってはおけない)  が、王都までは竜車でも丸二日以上かかる。軍医がいる一番近い町についても、同様かそれ以上だ。  現在、軽輸送型の小型飛竜を救急輸送として配備し始めてはいるが、それでも最低5〜6時間はかかるだろう。  数そのものも少なく、黒部中尉は飛竜の事前配備を要請したものの、却下されている。 (ちなみに小型飛竜の最大積載量は150s以下、無人・無積載状態で最高速度80〜100q/h、航続40〜50q/h―300キロ前後。 これでは竜士に患者一人を乗せたらそれで終わりである上、その飛行性能は大きく低下してしまう。 このため、現在ワイバ−ンの導入が検討されてはいるが、その導入時期は未だ不明だ)  ……これでは、積極的な戦闘を躊躇するのも仕方が無い。  援軍の歩兵連隊とは訳が違う――自前で何人も軍医を抱え込んでいる――のである。 (まあ彼等には彼等の言い分があるだろう。彼等とて決して軍医が余っている訳ではないのだ)  黒部中尉は、偵察隊の安否を気遣いながらも、現地の住人達から目標を始めとするこの地域の情報(地理等)を集め、ビーノスキー山周辺の地理特性の把握に努めた。  被害を極限まで抑えるために。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【05】  中隊指揮班の臨時指揮所として一時接収した小屋で、黒部中尉は情報を整理していく。  事前情報を基とし、これに現地軍や地元住民からの情報を加えて修正していくと、どうにか『地図らしきもの』が出来た。  まあ地図と言っても、概略図に注意事項を記入しただけの、実に簡素――いい加減ともいう――なシロモノである。  当然、等高線など無いし、距離や位置関係も不正確極まりない。  が、それでも有ると無いとでは雲泥の差がある。  何の情報も、地図すら無しに戦うなどという事態は、少なくとも帝國軍指揮官にとっては悪夢そのものだ。こんな物でも、無いよりは遥かにマシだろう。 (実際、各部隊が各地で作成したこれ等の『地図』――というよりも地理情報――は、タブリン地区、ひいては帝國の『財産』となっている。  前出の『最大10日間の現地滞在』の時も、周辺地域の様々な情報を、出来るだけ収集することが求められていだ)  黒部中尉は、完成した『地図』に匪賊の情報を記入していくが、直ぐに筆を止めて地図を睨みこむ。  ――何故、連中は『こんな所』に逃げ込んだ?  湧き上がった疑問に首を捻った。  いくら追い詰められて立て篭もるにしたって、此処よりもいい場所が他に幾らでもあるのだ。何もこんな山とは名ばかりの、平野のど真ん中で孤立している小山なんぞに逃げ込む必要など無いのである。  第一、こんな小山では、数百人分の食料や水なんてとても……  そこで考える。  追い詰められて逃げ込んだ以上、手持ちの食料はそれ程無い筈だ。せいぜい三日分が限度だろう。 (まあ竜車で逃げたのならば話は別だが、少なくとも集まった情報からは、竜の存在は確認できない)  連中が立て篭もってから既に一週間。どんなに引き伸ばしたとしても、もう食料も水も無い筈だ。  ……けれどそれならば、麓に降りて食料を調達しようとする奴等が出てもよい筈なのだが。  そういった報告は無い。  やはり、食料はまだあるのだろうか?   だとしたら、竜車を持っている可能性が高いのだが。  堂々巡りだ。  何故、これ程食料の有無に悩むかといえば、黒部中尉としては出来れば飢えて弱った所を襲いたいからである。  が、攻撃開始はそれ程引き伸ばせない。  この討伐にはおおよその時間制限があり、下手に攻撃開始を引き伸ばせば、実際の戦闘時に時間制限に縛られてしまう。これは好ましくない。  また、初の中隊指揮――それも慣れない中隊を――であることから、必要以上に気張っているせいもあるだろう。 精鋭である歩兵第二十八連隊の出身というプレッシャーも否定できない。  しかしこれ以上は幾ら考えても所詮は憶測、想像でしか無い。  ……まあ、偵察隊の報告如何だな。  そう結論付けると、床に寝っころがった。  帰還した偵察隊からの報告は、意外……とはいかないまでも、一寸した認識の転換を黒部中尉に促すものだった。 「……それは、本当か?」 「ハッ! 事実であります!」  ――逃げ込んだ匪賊は、只の食い詰めた農民集団に過ぎない。  故に、竜どころか刀槍の類すら持っていない。せいぜい手製の弓矢に棍棒、木の槍が精一杯。 「……ならば何故、我等が出る必要がある? 現地軍だけでも容易に片が付くだろうに」  湧き上がる当然の疑問。  確かに、数こそ展開している現地軍とほぼ同数であるものの、報告によれば『匪賊』の半数以上は女子供に老人だ。武器の差も考えれば、十分彼等だけでも制圧できるだろう。  そして彼等が動かないからこそ、黒部中尉は山の『匪賊』を『ある程度以上の力を持つ戦闘集団』と考えたのだ。 「中隊長は赴任したばかりなので、御存知無いかもしれませんが……」  現地軍の連中、戦意が乏しいのですよ。余り信用しないことです。  中隊指揮班付きの准尉が耳打ちする。 「……サボタージュか?」 「そんな立派なものじゃあありません。まあ支那兵みたいなもんですか」 「つまりは烏合の衆、ということか」 「そんなもんです。追い詰めたことで、取りあえず『義務は果たした』とでもいった所でしょうか?」  まあ流石に直接命令すれば連中も攻撃するでしょう、と付け加える。 「いらん! そんな連中など何の役にも立たん!」  現地軍の余りの怠慢さに、黒部中尉は怒りを込めて言い捨てた。  タブリンでは、貴族の所領から軍役税を徴収しているため、貴族に軍役の義務は無い。  故に、貴族達は、少数の警護兵しか保有していないのだ。  これは、かつてタブリン王国の大きな強みとなったが、腐敗後は寧ろ軍の弱体化に結びついていた。  ……この世界において諸侯という存在は、良くも悪くも軍の中核なのであろう。  タブリン軍の総兵力は公称1万、定数8000、実勢7000だ。これは実在人口の0.3〜0.4%の水準である。  これで竜兵5個軍団、歩兵15個軍団を編制する。  歩兵の場合、  『班』は5人、『分隊』は2個『班』で10人、『小隊』は5個『分隊』で50人、『中隊』は2個『小隊』で100人、軍団は5個『中隊』で500人。  竜兵の場合、  『分隊』は5騎、『小隊』は2個『分隊』で10騎、『中隊』は5個『小隊』で50騎、軍団は2個『中隊』で100騎。  この軍団までが固定編制である。 (ちなみに『中隊』以下の名称は、帝國軍による意訳)  軍団が複数集まって軍となるが、この軍の司令官を将軍と呼ぶ。  上記20個軍団が、王都及びその周辺地域を守護する近衛軍、機動打撃を任ずる竜軍、各地域の警備を担当する北軍、西軍、南軍の計5個軍(各軍3〜5個軍団)に集約されているのだ。  ……尚、輜重部隊は存在しない。  手持ち分以外の物資は各地の官衙の備蓄や徴発に頼り、輸送も徴用した付近の住民が行うのである。  これ等一連の行動も、全て現地の官衙が差配する。軍は少数の警備兵を出す程度であろうか。  このため国外の遠征は農閑期以外は困難であり、農閑期でも能力不足に起因――なにせ全くの素人だ――する輸送能力の限界から、大軍の長期遠征は事実上不可能となっていた。  これでは折角の常備軍も、宝の持ち腐れであろう。  要するに、タブリン軍は自己完結能力に欠けた軍だったのである。 (タブリン軍の軍事行動は、現地官衙との連携が不可欠となっているが、これは軍の叛乱を防止するための措置だ。  タブリンの軍人は『卑しい出』が多いため、タブリン貴族は彼等を信頼してはいなかったのである)  また各級指揮官は直卒部隊の長も兼ねているのに加え、手足となる司令部や本部も存在しないため、全般指揮に集中出来ないという欠点もある。  このため、各級の指揮官は軍師や副官、従卒といった共廻りを私費で雇用しなければならない。  タブリン王国において、軍はある程度の実力重視を謳っている――このため軍人の位は他の官と比して低い――が、これでは必然的に指揮官は裕福な者に限定されてしまう。  事実、大将軍や将軍位、それに軍団長位といった高位職は中級貴族、『中隊』長の様な中堅職でも下級貴族でないとなれない。平民はせいぜい『分隊長』止まりで、どんなに努力しても『小隊長』がやっとだろう。 (それでも平民が官になるには軍に入るしか道が無いが)  ……所詮、現実とはそんな物であった。  ちなみに、各軍団の兵士は志願及び徴集制併用であり、志願で足りない分を徴集で補う制度だ。  軍の規格化といい、兵の集め方といい、かなり異色の軍事制度である。  一見先進的とも言えるかも知れないが、上記の様に欠点も多い。  そもそも軍事制度などというものは、その時代、その地域に適したものがあるのだ。この場合は些か『不適格』と言うべきであろう。  その証拠に、タブリン軍は昔から一度崩れると弱い。  踏み止まって支える者がいないからだ。  これが他国であれば、必ず幾らかの諸侯や騎士が踏み止まる――忠誠心にせよ名誉心にせよ――であろうし、その指揮下の兵も諸侯・騎士への忠誠心や恐怖心といった感情から奮戦する筈だ。  これがきっかけで逆転したり、無事撤退できた例は数多い。  が、タブリン軍ではそれを期待できない。指揮官と兵は主従でもなければ、領主と領民でも無いのだから。  これを考えれば、やはり『早過ぎた』軍制なのであろう。  黒部中尉は、『手助け無用、但し一人も逃がすな』と軽く現地軍指揮官を呼びつけて軽く脅すと、中隊に出撃命令を下した。  竜の警備に第一小隊から小銃分隊1個を割き、中隊を前進させる。  第二、第三小隊を左右に展開させ、指揮班は第一小隊と共に中央を進む。  その後方には、中隊長直属の集成擲弾筒隊。  各小隊から擲弾筒分隊を引き抜き、臨時に編成した部隊である。  これは黒部中尉のかつての上官が得意とした戦法だ。  その上官――第二十八連隊時代の直属の中隊長――は、『中隊にも独自の支援火力が必要』として、よくこの戦法を用いていた。  まあ、小隊長達からは甚だ不評であったが。 「撃て!」  黒部中尉の命令一下、3個分隊計9門の擲弾筒が火を噴く。  軽い発射音と独特の飛翔音、その後の一斉爆発。  その瞬間制圧火力は凄まじい。  各筒4発、計36発の擲弾を十数秒で発射する。 「前進!」  敵の正体が判明した以上、下手な作戦は無用だった。  ただ狩り出すのみ。  爆発音で腰を抜かした者や、もつれた足で必死に逃げ出そうとしている者を一人ずつ『始末』していく。  女子供や痩せ細った体に哀れを覚えるが、生きるためとはいえ彼等は許されぬ一線を越えた連中である。  加えて帝國の帰順呼びかけも無視するという、二重の犯罪を犯した罪人。見逃す訳にはいかない。  見せしめのためにも、法と秩序を守るためにも、そして帝國の言葉の重みを保つためにも、彼等は死ななくてはならぬのだ。  全ては帝國のために。  その後、数時間足らずで頂上に着き、掃討は終了した。  此方が小勢であることから、それなりの数の匪賊が中隊の網を突破したが、そこから先は現地軍の仕事である。  幾ら士気が低いとはいえ、その始末位は出来るだろうと黒部中尉は判断していた。 (そんなことも出来なければ、さすがの帝國も軍を解散している)  ……まあ出来なければ出来ないで、きっちり責任をとらせるが。  黒部中尉は不敵に笑った。  彼は、匪賊共が逃げ切れないであろうことを確信していたのだ。 「……無様、だな」  黒部中尉の声が響く。  結局、現地軍は10人程の匪賊を取り逃がした。  それを詫びる現地軍の指揮官を見下ろすような形で、黒部中尉は先程の発言を行ったのだ。  指揮官も頭を下げるしか無い。  如何な王国将軍に次ぐ地位にある旧王国軍軍団長が一人とはいえ、帝國軍の将校には逆らえないのである。 (しかも大失態を起こした後だ) 「貴公は、鼠狩りも出来ぬのか?」 「はっ、只今全力を挙げて追跡を……」 「……その必要は無い」  指揮官の言葉を遮る。 「先程、付近の農民達が取り逃がした匪賊を全て狩り出したそうだ」  助かったな?  そう言い残すと黒部中尉は席を立ち、小屋から出て行った。  これが黒部中尉の確信の正体だった。  農民達に、ある噂をばら撒いたのである。  逃亡した匪賊を捕まえれば、匪賊一人につき黒麦を大枡一杯(約2L)分、死んでいたらその半分授ける。――と。  効果はてき面、農民達は血眼になって匪賊を追い立て、狩り出した。  悪辣だが、非常に効果的な手と言えよう。  これで今回の任務は無事終了した。  酷く後味の悪い結末ではあったが、匪賊を掃討する以上、彼等には徹底的な恐怖を与える必要があったのだ。  黒部中尉は、部下の小隊長達と共に、近くの村長の家で持て成しを受けていた。  周囲の村々からの持て成しだ。 (これはタブリンにおける『しきたり』の一つである)  まあ『一人当たり自作の酒を小枡(約200mL)数杯分に肴を幾らか』程度のものだが、それを人数分ともなれば、これを賄う村々の負担は相当なものだろう。  幸い、脅しが効いたのか現地軍は早々に陣を引き払ったため、村々の負担は大分軽くなった。  が、それでも中隊だけでも100人以上という数だ。用意した農民達の苦労は相当なものであったに違いない。  また、酒肴とは別に指揮官への接待もある。これは全員分の酒肴に匹敵するかそれ以上の負担だ。  (というより、こっちがメイン)  この場合は中隊の士官、准士官の六人ではあるが、それでも中隊全員分への酒肴以上の物資と気配りとを消費していたのである。  籠には山盛りの白パン(!)や山で採れた様々な果物。  皿には溢れんばかりの肉、これは仔牛一頭を丸々調理したものだ。  鍋には小麦を獣乳やチーズで煮込み、それに野菜や先の肉をたっぷりと加えたもの。  酒はわざわざ買い求めた上酒、肴は雑魚では無い魚の干物。  まさに農民達の血と汗と涙の結晶だった。  ……年に数度の祭りでも、これ程の食事は出来ぬであろうに。  黒部中尉は、この『しきたり』のあまりの馬鹿馬鹿しさに呆れ返る。  が、これは数百年に渡る『しきたり』でもあるのだ。『郷に入りては郷に従え』、内心の感情を抑えつつも、御馳走を手に取る。  そして、まあ皆調理した物だから大丈夫だろうと判断――タブリン軍区司令部は軍区の全帝國人に対して『生物は食すな』と警告している――し、口に入れる。  うん、まあいける。  味付けは単調だが、素材の良さだけで十分に食べられる。 ……考えてみれば、帝國人から見ても十分『御馳走』だ。  タブリンの作法では、『接待される者は遠慮無く食べ尽くす』のが礼儀、『接待する者は接待される者が食べきれない程の食を提供する』のが礼儀。  ――故に、『接待される者が遠慮する』のは、接待する者に対して非礼であり侮辱である。  ――故に、『用意した食を全て喰らい尽くされる』のは、接待した者にとって最大の恥辱である。  ……悪循環だな。  そう考えながら食す。  黒部中尉の傍には、二人の若い女が付っきりで控えて酌をする。 (他の者にも一人ずつ付いている)  周囲の村でも見目良い女を選んだのか、多少は見れる貌だ。  が、食指は動かない。  女達の視線が、偶に豪華な食事の方へ行くのに気付いていたからだ。  ……馬鹿馬鹿しい、何もかもが馬鹿馬鹿しい。  このような茶番に付き合う自分も、つき合わせている『何か』も、何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。 「馳走になったな。十分満足できた、礼を言おう」  そう言うとその場を引き払った。  ……後に半分ほどの馳走を残して。 「良かった、中隊長は『例の決まり』を御存知だったんですね」  着任したてだから、もしかいたら御存知無いのではないかと思い、内心ヒヤヒヤしましたよ。――と准尉が頭をかく。 「ついうっかり、念を押すのを忘れてしまって……」 「? ……何のことだ?」  黒部中尉は首を捻る。 「!? ……御存知、無いのですか?」  つまり、こういうことだ。  農民達から接待を受ける際、タブリンのしきたり上、受けざるをえない。  但し、必ず酒食の半分を残すこと。  ――その様な申し合わせが、タブリン地区の帝國軍の間で共有されているのだ。 「残り半分は村人達に残す、ということです。これは地区司令の発案だそうですよ」  司令官の故郷でも同じ様な風習――客がわざと馳走を半分残す――があるんだそうです。 ……あの方は結構な苦労人らしいですから。 「……俺も青いなあ」  その准尉の言葉を聞き、黒部中尉は自嘲気味に苦笑した。  あれは反発しての行動だったのだが……  まるで道化である。 「? 良く分かりませんが、結果が良かったのだから良いじゃあありませんか」  任務も無事達成したし、饗宴も無事切り抜けた。『終わりよければ全てよし』です、と准尉は笑う。 「……そうだな。そうかも知れない」  帝國には、自分より優れた者などごろごろしている。  である以上、自分如きの憂慮など、とっくに気付いて如何にかしている筈なのだ。  ――そう。だから自分の思いなど、所詮は杞憂に過ぎない。  黒部中尉は、そう無理矢理結論付けると中隊の待機している場所へと向かった。  村人達が、村長の家に群がるのを横目で見ながら。