帝國召喚 外伝「辺境警備隊隊長よもやま物語」 【11】  五十嵐憲兵少尉の指揮の下、レディング鉱山は厳戒態勢に入った。  鉱山の各出入り口は閉鎖・封印され、居住区内をはじめ鉱山要所には、土嚢が積み上げられる。  鉱山にある二基の監視塔にも、三八式重機関銃が大量の銃弾と共に運び込まれ、物々しいことこの上無い。  勿論、残留する35名の将兵も完全武装だ。  現地労働者達には、労働の一時停止と当座の食料三日分――労働が無いので基準の七割だが――が配給され、同時に禁足令が言い渡された。  ……『破ったら即射殺』という警告と共に。  数少ない非戦闘員の帝國人にも、やはり当座の食料三日分――こちらは基準通り――が配給され、同時に禁足令が言い渡される。  現地労働者と違う点は、『居住区域内なら出入り自由』であることと、自衛用として各人に一四年式拳銃1丁と弾丸16発が貸与された点だ。  (拳銃に関しては、屋外に出るときには必ず携行すること、屋内にいても常に身近に置いておくことが、貸与と同時に義務付けられている)  これだけを見ても、帝國軍にとって『身内』はあくまで帝國人のみであり、現地労働者は『他人』に過ぎないということが如実に分かるだろう。  帝國軍は、外敵に加え内部の現地労働者に対しても、露骨に警戒の目を向けていたのである。 「では五十嵐少尉、後を頼む」 「お任せ下さい!」  本郷少佐は五十嵐少尉に後を任せると、カウナス少尉と2個小銃分隊を率い、出発する。 「出動!」  号令と同時に、2台の竜車は勢いよく走り出した。  ……ちなみに竜車を牽く2頭の竜は、鉱山の動力用として飼われていたものだ。  動力用の竜を他の目的に使用することは厳禁されているが、『超法規的措置』として本郷少佐が強引に押し切ったのである。  ――タブリン地区司令部。  司令部の地下営倉、その一角に黒部中尉は拘束されていた。  話は暫し遡る。  地区司令部に出頭すると、黒部中尉は直ぐに司令官に呼び出された。  ……実は、いきなり地区司令部に出頭を命じられた時点で、薄々『怪しい』と感じてはいたのだ。  そして『司令官が呼んでいる』と聞いた瞬間、疑念は確信に変わった。  (それまでは、『事情説明だけだろうから、他の者が処理するかもしれない』と、一縷の望みをかけていた)  黒部中尉と現司令官は馬が合わない……というか、向こうが一方的に敵視している。  黒部中尉が、前司令官に目をかけられていた――少なくとも現司令官はそう思い込んでいる――のが原因だろう。  前司令官時代、現司令官は副司令官であり、何かにつけて前司令官と対立していた。  それ故、『前司令官派』である黒部中尉は、現司令官の昇格後に、ダソレル勤務の中隊長から辺地の警備隊長へと追いやられたのである。  故に、普通ならば顔も見たくない筈だ。  普通ならば。  ……こりゃあ、何か俺を責める材料を見つけたかな?  そう当たりをつけるも、心当たりは無い。  (あるとすれば、時期的に考えても『今回の事件絡み』だろうが、それにしても……) 「レディング鉱山警備隊隊長、黒部中尉入ります!」  不審に思いつつも、黒部中尉は、覚悟を決めて司令官室に入室した。 「中尉、よく来たな」  地区司令官こと松島中佐は、如何にも機嫌が悪そうな声で、黒部中尉に話しかける。 「ハッ! 出頭命令に基づき、至急出頭致しました!」 「貴官を呼んだのは他でもない。今回の『捕り物』についてだ」 「はあ」  内心『やはり』と思いつつも、何故それで司令官の機嫌が悪いのか分からない。  (顔も見たくないのだとしたら、他の者に任せれば良いのだ) 「中尉、君は実に余計なことをしてくれたものだな?」 「……は?」  何を言っているのだ? この人は? 「……恐らく君は、『犯罪を見つけて大手柄』とは燥いでいるのかもしれないが、実に『考え無しなこと』をしでかしたものだよ」 「しかし!」 「我々が、『間引きに気が付いていない』とでも考えたのかね? ……愚かなことだな」 「! まさか、気付いておられたのですか!?」  馬鹿な。アレは、まさしく帝國が採掘した鉄鉱石だ。  それを、奪われていることを知りながら、『見逃していた』とでもいうのか!? 「ふむ、納得出来ない様だな? ならば説明してやろう」  司令官は軽く頷いた。 「君も、タブリン人官僚の無能振りと、強欲振りは知っているだろう?  連中は、口で言っただけでは動かん」  それついては百も承知である。  それ故に、帝國はタブリンを直轄領にしなければならなかったのだ。  (資源地帯のど真ん中に、不安定要因があっては困る)  力を誇示し、服従させ。  自力で国内を安定出来ないために、直轄領とし。  口で言っても分からないので、軍を置いて常に威嚇する。  ――そこまでして、やっとここまで安定したのだ。 「だが、矢張り力だけでは駄目だ。  鞭だけでは無く、飴もしゃぶらせてやる必要があるのだよ」 「……『だから』横流しを黙認したのですか?」  黒部中尉は呆れる。  現在の統治ですら、現地の役人達は好き勝手――以前よりは百倍マシだが――にやっているのだ。  帝國もそれを知っているが、余りにも目に余る者以外、積極的な処罰は行っていない。  精々、偶に運の悪い者が『自爆』する程度である。  ――この上、更に『目をつぶる』だと?  信じられない。  確かに絶対額から言えば、今回の件は『余りにも目に余る』とまでは言えないのかもしれない。  (確証は無いが)  が、連中が奪ったのは『帝國が採掘した資源』である。  現地人からの年貢を誤魔化したり、賄賂を取ったりするのとは、少々次元が違うのではないだろうか? 「納得出来ない様だな? が、これには理由があるのだ」 「理由?」 「今回の事件の黒幕は、タブリン現地軍の軍団長バザルだ」 「バザル軍団長!? まさか!」  意外な名前を聞き、黒部中尉は驚愕した。  バザル軍団長のことは、黒部中尉もよく知っている。  何しろレディング鉱山は、バザル軍団の守備地域内にあるのだ。  が、何もそれだけが理由では無い。  彼は、タブリン軍人としては珍しく有能かつ熱心であり、匪賊討伐にも積極的であると評判だったからだ。  (そして自分自身の経験――中隊長時代の――からも、その評判は肯定すべきもの、と黒部中尉は考えていた) 「意外な様だな? が、事実だよ」  司令官は、驚愕の表情の黒部中尉を、面白そうに眺めながら話を続ける。 「彼が、我等にとって有用な存在であるということは、言うまでもないだろう。  ……だが悲しいかな、所詮は下級貴族に過ぎない。  本来ならば中隊長止まりのところを、我等の推薦で『何とか軍団長にした』という所が実際だ」  それは知っている。  彼は下級貴族出身でありながら、僅か一年足らずで、副中隊長(正確には先任小隊長)から軍団長に抜擢された。  これは帝國統治下、それも帝國の積極的な推薦が無ければ、到底不可能な人事である。  ……とはいえ、流石にこれが限界だ。  これから十数年間は、軍団長のままだろう。   たとえ帝國の推薦でも、下級貴族を将軍にするのは、非常に困難なことなのだから。 「その件はまあいい。とりあえず軍団長でも役に立つ。 ……問題はこれさ」  そう言うと司令官は、親指と人差し指を繋ぎ、手に輪――おそらく金銭のことだろう――を作った。  軍団長は、500人からの兵を持つ。  兵の士気を保つためには、彼等にも十分な食料や俸給、そして武器を与えなければならないが、軍から支給される経費や装備ではとても足りない。  加えて、従卒や軍師、副官といった『竜廻り』については自分で賄わなければならないし、軍団長として恥ずかしくないだけの装備――著しい出世のせいで先祖伝来の装備では不足――も整える必要もある。 「……この出費は、下級貴族じゃあ厳しかろうなあ。  が、周りの目もある。我等が直接手を貸す訳にもいかんのだ」  だからこんな迂遠な手を使ったのさ、と笑う。  司令官の内意を受けた担当者が、『横流し分』を差っ引いて帳簿に計上する。  後は、『横流し分』を別の所に保管するだけだ。  それを、黒部中尉が捕まえた連中が運んでいく。  そして、それを仲介するのが鉄商人ザルカ。  只で手に入れた鉄鉱石で鉄を作って売り捌き、巨利を得る。勿論、利益はザルカと折半だ。  更に、その鉄の一部で武器防具を作り、寄進と称して格安――それでも損はしない額――でバザルの軍団に売る。  これで軍団の装備は整えられるし、バザルにも軍団長としての格式を保ち、かつ部下の面倒を見てやれるだけの金が手に入る。正に一石二鳥だ。  (ザルカが大儲けするのは、仲介料と口止め料ということだろう) 「それを貴様はぶち壊した! しかも、よりによって帝都から来た憲兵が巡回している時に、だ!」  司令官は激昂し、机を叩く。 「『帝都から来た憲兵』、ですか?」  何故、こんな辺境に……  首を捻る。  彼等が、何の目的も無しに動き回るとは、とても思えないのだ。  偶々、か? それとも……  が、思考は司令官の声で中断を余儀なくされる。 「手柄を立てたい阿呆共が、現地の事情も知らずに乗り出してきたよ! まるでハイエナの様にな!」  ……なるほど。  確かに帝都から来た憲兵なら、規則通りに『犯罪者』を取り締まるだろう。  下手をしたら、タブリン地区の帝國軍にも飛び火しかねない重大事だ。 「しかし、納得がいきません。何故その様な、こそこそとした真似をなさるのですか?」  一見、納得出来そうな説明ではあるが、やはり納得できない。  この様なことが露見すれば、帝國の権威は地に落ちるのでは無いだろうか?  が、その意見は火に油を注ぐだけだった様だ。  その言葉に、司令官は更に怒り狂う。 「政治も知らん若造が、偉そうなことをぬかすな!」 「お言葉ですが、同じ闇給与を渡すにしても、こんな犯罪まがいの真似ではなく、公費から出せば良かったのでは?」 「だから貴様は若造と呼ばれるのだ!  一個人に対する利益供与なぞ、認められる訳が無かろう!」 「しかし帝國は、悪党共にすら利権を与えているのですよ?  ならば、帝國の役に立つ人材に、認められない筈が……」  そう言いつつ、黒部中尉は首を捻る。  何かがおかしいのだ。 「あれとて現地での便宜を図っただけで、直接与えた訳じゃあ無いだろう!  帝國自身は、一銭たりとも払っていないぞ!?」  ……やはりおかしい。  何だろう?  話の内容にも気にかかるが、それ以上に司令官の態度がおかしい。  何を、そんなに怒り狂っているのだろうか? あまりに異常だ。  自分にも、火の粉が降りかかろうとしているから、か?  確かに今回の件は、軍法会議にかけられてもおかしくない大事件だ。  が、『帝國のためにやったこと』と主張すれば、弁護する者は大陸に幾らでもいるだろう。  現地を統治するにあたっては、何事も杓子定規では済まない。  賛成反対は別としても、同情者や弁護者には事欠かない筈だ。  (黒部中尉にしても同様だ。納得も賛成も出来ないが、気持ちは分かる)  加えて、これは南ガルム方面軍の管内で起きた事件である。  自分達の縄張りで無断に捜査した上、軍法会議まで本土の憲兵に任す様な真似は、絶対に許さない筈だ。  そして方面軍内での裁判ならば、それこそ同情者や弁護者には事欠かない。  せいぜい『訓告及び減俸の上、数ヶ月の謹慎処分』、といったところではないだろうか?  まあ経歴に傷はつくかもしれないが、どうせ今(中佐)以上の出世は見込めないのだから、それ程問題は無いだろうに。  ……冷静に考えれば考える程、違和感は膨れ上がる。 「このままで済むと思うなよ! 今、貴様のこれまでの行動を徹底的に洗い出している! 絶対に軍法会議にかけてやるからな!」 「!?」  司令官は最後にそう吐き捨てると、黒部中尉を営倉に放り込んだ。  罪名は、上官反抗罪。  黒部中尉にとって、これは甚だ不本意な結末であった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【12】  『六波羅』は、元々は貴族の別邸が建ち並ぶ、ダソレル(旧王都)の一区域に過ぎなかった。  が、周囲を堀と柵で囲まれ、建ち並ぶ建物も大きく立派なこの地は、帝國の統治機構を置くには最適だった。  位置もダソレルの外れにあり、ダソレル中心から遠過ぎず近過ぎずで丁度良い。  ――そう判断した帝國はこの地を接収、総督府や地区軍主要部隊を置き、タブリンにおける帝國統治機構の中枢とした。  帝國はこの区域を接収するにあたり、殆どそのままの状態で使用している。  故に地区軍司令部も、元は某大貴族の別邸である。  故に地下営倉も、かつての地下牢をそのまま転用したものだった。  ……なんで貴族の別邸に、地下牢なんかがあるのだろう? 座敷牢なら、まだわかるのだけどなあ。  そんな疑問を持ちつつも、何となく知らない方が良い様な気がして、慌ててその疑問を頭の中から追い出す。  (壁の所々にある黒ずんだ『染み』も、きっと只の汚れに違いない。うん、きっとそうだ)  黒部中尉は、あれからこの地下営倉に閉じ込められている。  どうやらあの司令官、本気で自分を軍法会議にかける積もりの様だ。  不安である。  別に疚しいことは無いが、万が一のこともあるし、あの司令官の様子だと誇張や捏造すらやりそうだった。  何しろここは、帝國から遠くはなれた異郷の地。軍法会議における詳細な事実確認など、期待出来ない。  黒部成之。異郷の地で死す、か……  無念だ。この心の叫び、是非とも後世に残したい。  ――そう考え、『帝國陸軍中尉、黒部成之。無実ノ罪デ死ス』と壁に刻み込む。 「……お前、一体何をやっているんだ?」  そんな様子を、牢越しに呆れた様に眺める者がいた。  『先輩』こと、長谷川軍医大尉である。 「! 先輩!」  地獄に仏とはこのことである。  黒部中尉は、牢の格子前に駆け寄った。 「……一体、これは何の真似だ?」  長谷川軍医大尉は黒部中尉の方を見ず、怪訝そうに壁に刻まれた文字を見る。 「いえ。心の叫びを是非とも後世に残したい、と考えまして」 「阿呆」  黒部中尉の戯言を、容赦無く一言で切り捨てる。 「自分に酔うのは構わんが、営倉入りしてからまだ半日も経っていないだろうが……」 「ここ、地下なので時間や日にちの感覚が無くなるのですよ。  だからこうやって食事が来る度に、壁に印も刻んでいます」  良い手でしょう、と少し自慢げに話す。  ……その指し示す壁には、まだ一本の線しか刻まれていない。 「……まだ、一食しか来ていない様だが?」 「まあ今の所はその通りですが、そのうち……」  長谷川軍医大尉は、深く溜息を吐く。 「馬鹿なことをやっているんじゃあない。  いい年した大の大人――お前、そろそろ三十だろう?――が、『岩窟王ごっこ』とは何事だ?  故郷の御両親が見たら泣くぞ?」 「……まだ二十八ですよ」  心外だ、とばかりに黒部中尉は反論する。  二十代と三十代の間には、越えられない壁というものがあるのだ。  ……が、既に三十路の長谷川軍医大尉には、そんな理屈は通じない。 「三十まで、残り二年も無いじゃあないか。同じことだよ。  そんなことより、いつまでも遊んでないでさっさと出ろ」  鍵を開け、促す。  そして番兵に『あの壁の落書き、消しとけ』と、些か投げやりに命じた。 「先輩、いいのですか?」 自分は、一応『抗命罪』で営倉入りしていた筈だ。 「構わんよ。あの司令官、ありゃあもう『終わり』だ」 「『終わり』?」  黒部中尉は、首を捻る。 「あの司令官、鉱山資源の横流しをやっていたのだ」  もう話は広がっているのか。が…… 「そりゃあ多少やり方が拙かったかもしれませんが、幾らなんでも『終わり』は言い過ぎでは?」 「阿呆。あの司令官、横流しついでに自分の私腹も肥やしていたんだぞ?」 「は?」 「だ、か、ら、自分も横流しして得た利益を着服し、私腹を肥やしていたんだよ!」  まあ、問題はそれだけじゃあないがな、と付け加える。 「しかし、何故そんな真似を?」  この恐ろしく物価が安いタブリンでは、中尉の自分ですら『御大尽』なのだ。  ましてや中佐なら…… 「……面白い話をしてやろうか?」  そう言うと、長谷川軍医大尉は愉快そうに話し出した。  ある所に一人の男がいた。  男は陸軍中佐であったが、定年まで残り短く、大佐に昇進するのはまず無理だった。  何せ、本来なら大佐が務める筈の地区司令職に補されたというのに、未だ中佐のままだ。昇進どころか営門大佐すら怪しい。  加えて男の任地はこれまた恐ろしい程の辺境の地であり、残りの任期を考えれば、恐らく定年までここにいる羽目になるであろうことは容易に想像出来た。  ……まあ、要するに『先の見えた男』だったのだ。  さてこんな男だが、任地で女が出来た。それも若く美しい、貴族の娘だ。  そりゃあそうだろう? 任地じゃあ占領軍の司令官様、地位と権力は相当なものだ。良い女を手に入れるなど、造作も無いことさ。  がこの女、その容姿に比例どころか二乗する程、金遣いの荒い女だった。  加えて取り巻き連中もいる。その消費たるや、相当なものだ。  ここまで悪条件が重なっては、如何な物価の安いタブリンとはいえ、そうそう金が持たない。  それに司令官……じゃなかった、男は婿養子であり、財産は全て帝都の細君に握られていた。勿論、俸給もな!  男が自由に出来る金など、始めからたかが知れていたのさ。 ……『独身貴族』のお前とは違うんだよ。  そんな訳で、蓄えを使い果たすまでに、さしたる時間は必要なかった。  男は、たちまちの内に無一文になってしまったのさ。  が、今まで味わった蜜の味は忘れられない。  かと言って、金策のあては無い……  困り果てる男。  ここで、一人の商人が登場する。  商人は男の赴任先の商人で、まあ言うなれば『お前と竜借屋の様な関係』だった。  男は、商人に借金の申し込みをする。  とは言え、相手は『商人』だ。返せる見込みも無い奴に金は貸さんよ。 ……普通なら、な。  が、男は任地内では絶大な権力を持っている。要するに、『普通じゃあなかった』のさ。  こうなると話は別だ。商人は、『機会到来!』とばかりに大金を貸す。  男が返せる見込みは無いが、そんなことはどうでも良いんだ。これは『投資』なのだから。  案の定借金は膨らみ、男は二進も三進も行かなくなった。『首も回らない』って状態だ。  そこまで来て、今まで黙って貸し続けてきた商人が、突如返済を願い出る。  『恐れながら、そろそろ……』とな。  ……男は、さぞ震え上がっただろうなあ。  こんな不始末が、上に知れたら? 家内に知られたら? ……破滅さ。  そんな状況を見透かし、商人は代案――本当はこっちが本命だが――を出す。  これが今回の事件、その始まりだ。  多少強引な手だが、合法と言えなくも無い。仮に露見しても、大した罰は受けないだろう。   そりゃあ借金のことが露見すれば問題だが、双方が黙っていれば誰にも分からないことだ。特別に調べない限りは、な。  いや実際、これを考えた商人に脱帽するね! よくここまで、我々のことを調べ上げたものさ!  兎に角、これで商人は大金――貸し金を遥かに越えた――が得られるし、男も借金を返せる。  両者共に、言うことなしだ。  ここで終われば、まあそれ程問題は無かったのさ。  ……ここで終われば、ね。 「よく、そこまで調べ上げましたねえ?」  感心する。この人、本当に只の軍医か? 「何、叔父貴の受け売りだよ」 「叔父貴?」 「叔父貴は憲兵大佐なんだよ。憲兵総司令部付で、今ここに着てるんだ」 「任務での情報喋っちゃって、叔父さん大丈夫なんですか?  ……って、ここに!? 憲兵大佐が!?」  司令官が言ってた『帝都の憲兵』って、憲兵大佐かよ…… 一体全体、何をやらかしたのだ?  だがこれで、あの時の司令官の恐慌振りが理解できた。  憲兵大佐といえば、憲兵隊本部長――言わば県警本部長みたいなもの――級の重鎮なのだ。  そんな大物が、直接指揮を執るということは……  ……そりゃあ、怯えるのも無理無いよなあ。  しかし、憲兵大佐が出張るからには、何か相当大きな裏がある筈だ。 「話を聞く限りでは、只の『賄賂による便宜計らい』みたいですけどねえ?」  そんなケチな犯罪に、わざわざ憲兵大佐が出張るだろうか? 「俺も、そこから先は知らん。  協力する際に、当たり障りの無いところまでは教えてくれたが、それ以上は流石にな」  仕方ないことだが、と苦笑する。 「……ところで、自分等は何処に向かっているのです?」  このままでは、司令官室に着きますよ? 「司令官室さ。叔父貴が、『連れて来い』って言ったからな」 「……何故です?」  理由が分からない。 「さあ? が、叔父貴はなかなか『いい性格』をしているからな、気をつけろよ?」  何の用も目的も無しに、呼び出す訳が無い。あの人使いの荒い叔父貴のこと、きっと碌でもない目に会うだろうなあ。  ――そう呟くと、健闘を祈るとばかりに敬礼する。 「じゃあ俺はここで。頑張れよ?」 「一緒に来てくれないのですか!?」  悲鳴を上げる。  憲兵大佐と司令官の一騎討ちの場になど、居合わせたくも無い。 「俺は駄目なんだ。重要な話だそうだから」 「じゃあ、何で自分が!」 「知らん! 叔父貴に聞け!」  そう言い残し、長谷川軍医大尉は帰ってしまった。  ……司令官室の前に、黒部中尉を一人残して。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【13】  ――タブリン地区司令部、司令官室。 「……少し、落ち着いたらどうかね?」  まるで檻の中の熊の様に忙しなく部屋の中を動き回っている松島中佐――タブリン地区司令官――に向かい、先程からソファにどっかりと腰を下ろしている男が忠告した。  憲兵、それも憲兵大佐だ。  憲兵大佐は、まるで自分の部屋にいるかの様に寛ぎ、葉巻を吹かしている。  その後方にはダークエルフの憲兵大尉と帝國人の憲兵軍曹が直立不動で控えており、これでは誰がこの部屋の主か分からない。 「大佐殿、一体何の御用かは分かりませんが、早く本題に入って頂きたい!」  この状況に溜まりかねた松島中佐が、声を震わせながら叫んだ。  が、憲兵大佐はその叫びにもまるで動じず、かえって喉の奥で笑いながら馬鹿にした様に諭す。 「……まあ落ち着きたまえ、中佐。慌てる乞食は何とやら、だぞ?」 「茶化さないで頂きたい!」 「まあ待て、まだ最後の一人が着ていない」 「最後の一人?」  松島中佐が首を捻る。  そこで、ノックの音が響いた。 「おや、来たようだな?」  松島中佐の疑問を無視し、憲兵大佐は『おう、入れ!』と勝手に来客を呼び込む。 「黒部中尉、入ります!」 「! お、お前! 何故!」  黒部中尉の登場に、松島中佐は驚愕した。 「ああ、彼は私が出す様に命じておいたよ。  ……いかんなあ、中佐。仮にも将校を、こうも簡単に営倉――それも重営倉――に入れるとは?」  彼が全ての始まりだし、とばっちりで投獄までされたんだ。聞く権利位はあるだろう?  ――と、憲兵大佐は澄ましたものだ。 「憲兵に、そこまで口を出される謂れは無い! これは越権行為だぞ!?」  松島中佐は興奮の余り、口から泡を飛ばしながら叫ぶ。  相手が何者かも頭に無い様な物言いだ。  ……その様は、最早完全に常軌を逸していた。 「! そうか! 黒部、お前は憲兵の狗だったんだな!?  俺の動向を、逐一この男に報告していたんだな!! 畜生! 殺して……」  最後まで言い終わらぬ内に、松島中佐は壁に激突した。  (憲兵大佐に殴り飛ばされたのだ) 「いい加減にしろ! 見苦しい!  お前如き小物の動向なぞ、誰が一々調べるか!」 「う、う……」  憲兵大佐の一喝に、中佐は暫し呆然としていたが、やがて床に這い蹲り嗚咽し始めた。 「中佐殿……」  黒部中尉は、その姿に呆然とする。  こんな男でも、自分の上官なのだ。  そして何より、栄光ある帝國陸軍の中佐でもあるのだ。  ……こんな姿は、見たくない。  誰が見たいものか……  まるで自分が侮辱されているかの様に、黒部中尉は唇を噛み締めた。  きつく握り閉めた手からは、血が流れている。 「フン! まあ揃った事だし、始めるとするか!」  そんな黒部中尉の様子を鼻で笑い、憲兵大佐は本題に入った。 「この男は現地商人と結託し、不届きにも帝國の資源を着服、私腹を肥やしていた」  ビクッ!  憲兵大佐の指摘に、松島中佐は肩を震わせる。 「が、そんな下らん犯罪に、本来ならば私は関わらん。現地の憲兵に任せれば済むだけの話だ。  ……もっとも大陸の同志諸君は、残念ながらこういった『目に見えぬ犯罪』の摘発には、不熱心の様だが」  皮肉気に笑いながら、憲兵大佐はあっさりと同業者の批判をする。  その余りの率直さに、黒部中尉は目を丸くした。  憲兵大佐の言うことは、残念ながら事実であった。  大陸の憲兵達は、下士官兵の取り締まりこそ熱心に行っていたが、将校の『目に見えぬ犯罪』――特に現地との癒着や馴れ合い――の取締りには腰が引けていたのだ。  これについては、現地の帝國軍に大幅な裁量が認められている点も大きく影響しているだろう。  どこからどこまでが合法か、非常に判断が難しいのである。  加えて現在の憲兵組織は本土と大陸で分割され、大陸の各憲兵組織については各方面軍司令官の元に置かれている。  故に大陸の憲兵達は、その独立性を大きく損ねられていた。  (例えばタブリン地区の憲兵は、タブリン憲兵分遣隊として地区司令部の隷下にある)  ……これでは、大陸の憲兵達の腰が引けているのも、ある意味当然ともいえるだろう。 「……とはいえ、ここまで証拠が揃えば、さしもの大陸の同志諸君も動かざるをえなかっただろうな。  だから私が来た理由は、そんなことじゃあない」 「と、いいますと? 失礼ながら、大佐殿程の御方が直接出向く様な大事件に、残念ながら心当たりはありませんが?」  そう言って、黒部中尉は首を捻る。  『自分が全ての始まり』と言われても、さっぱり心当たりが無いのだ。  ――パサッ  が、憲兵大佐はその質問には答えず、代わりに何かを机の上に放り投げた。 「これは……中学校の教科書?」  それは数学、生物、化学、物理といった、極有り触れた中学校の教科書だった。 「我々が、密輸組織から押収したブツ、その一部だ」  憲兵大佐が、憮然とした表情で答える。 「? 密輸? ……こんな物を?」 「『こんな物』だと!?」  黒部中尉の何気無い一言に、憲兵大佐の怒りが爆発した。  黒部中尉も憲兵大佐の鉄拳を喰らい、壁に叩きつけられる。 「この阿呆共! この本の価値すら分からぬ愚か者共!  この教科書一冊作るのに、一体我等は、我等の世界は、何百年の時をかけたと思っている!?」  憲兵大佐が吼える。 「例えば、この『元素周期表』! これは画期的な発見の一つだ!  今まで独立した存在だと考えられていた元素が、実は『全て一定の法則に支配されたもの』だという事実!  ……これが魔道士共に知れたらどうなると思う! 奴等は錬金術師であり、学者でもあるのだぞ!?」 「!」  そう。一見、『たかが中学レベルの教科書』。  が、それはこの世界の学者達からすれば、『宝の山』でもあるのだ。  この世界の人間は、決して蛮族などでは無い。  特に列強上層の人間達は、帝國から見ても十分優秀な人材だ。  彼等は最初こそ手間取るかもしれないが、直ぐに教科書の内容を理解するに違い無い。  (ましてや、理解し易く書かれている『教科書』なのだ)  ……そして、知るだろう。  『新たなる学問体系』の存在を、『新たなる知識』を。  場合によっては、魔道技術の発展すら促進させる可能性すら充分考えられるのだ。 「松島中佐! お前は金に目が眩み、教科書を売ったな! 全て判明しているぞ!」 「あ、あ、あ……」  松島中佐は、顔面蒼白だった。  ――ちがう、ちがう、そんな積りじゃあ無かったのだ。  松島中佐とて、仮にも帝國軍人の端くれだ。愛国心はある。  もしもこれが、軍機といった機密情報や兵器といったものなら、決して売らなかっただろう。  が、『たかが教科書』である。  教科書一冊で正金貨十枚!――この取引に目が眩んだのだ。  (これが『金貨一袋』とかなら、少しは怪しんで警戒しただろうが……)  ――これだけあれば、今の犯罪からも手を切れる!  そう考えた松島中佐は、この話を持ちかけた出入り商人の一人に、教科書を売ってしまう。  たかが教科書。それも一冊だけ、と軽く考えたのだ。  が、『悪銭は身につかず』。  その言葉通り、金貨は直ぐに消えてしまう。  既に一線を踏み越えていた松島中佐は、一冊、また一冊と教科書を売却していった。 「出入りの商人の正体は、ローレシア王国の間諜だ」 「そっそんな…… 馬鹿な…… 何故、こんな辺境に……」  憲兵大佐の言葉に、松島中佐は驚愕する。  ――じゃあ、俺のしたことは。 「辺境だからこそ、だ。レムリアと違い警戒もゆるいし、軍人の口は更に軽い」  最近、列強の間諜の動きが活発だ。  特にローレシアは、帝國の資源供給状や統治状況、そして何より技術情報を、知識を、貪欲に求めている。  ……今回の教科書密輸騒ぎも、氷山の一角に過ぎないのだ。 「無論、この様なことを行っているのはお前だけでは無い。  が、だからといってそれがお前の免罪符にはならん!  お前が、お前等がしでかしたことの結果が、これだ!」  そう言い捨て、憲兵大佐は更に何かを放り投げた。  それは、一枚の写真だった。 「ローレシアに潜入させた連中が遣したものだ。その写真を最後に、消息を絶ったがな」 「これは…… まさか、蒸気機関!?」  それは、昔本で見た『ワットの蒸気機関』にそっくりだった。  そして、それが意味することは…… 「そうだ。奴等は、試作段階とはいえ『蒸気機関』の開発に成功した。  ……今まで、人力や獣力を動力にしていた連中が、遂に蒸気機関を手に入れのだ」  これから数年で、ローレシアの工業生産力は、爆発的に増えるだろう。  勿論、噂に聞く前装式施条銃『アントノフ』や新型魔道砲も。  もしかしたら、後装式の小銃や砲すらも。 「ローレシアは、国王による完全な中央集権国家だ。他の国と違い、一端動き出したら早い。  蒸気船の計画すらある様だ。これを軍用に転用するとすれば、真っ先に考えられるのは『飛竜母艦』だろうな」  飛竜母艦。  呼んで字の如く、飛竜――恐らくはワイバーン・ロード――を搭載した母艦だ。  無論、登場するのに五年や十年はかかるだろうし、仮に実用化しても、暫くは『十騎前後搭載するのがやっと』の程度と思われる。  が、それでも…… 「海上交通には脅威だ。何処にいるか分からん敵を探し出すことの困難さは、先の大戦でも嫌という程見ている」  これに対抗するため、既に海軍では、海上護衛総隊への護衛空母6隻の移管を決定している。  (まあ、何もこのことだけが理由ではないが、大きな理由の一つには違いない) 「そんな積りじゃあ、なかったんだ……」  松島中佐が、振り絞るかの様に呻く。  その顔は、まるで死者の様だ。 「『そんな積りじゃあなかった』? ハッ!  お前等の愚かな行為により、列強は加速度的に進歩しようとしている!   戦争にでもなれば、帝國臣民はより多くの血を流す羽目になるだろう!  全てお前等の、いや『お前のせい』だ! お前は『売国奴』だ!」 「あ、あ、あ……」  『売国奴』という言葉に、余程衝撃を受けたのだろう。  松島中佐は蹲ったまま、虚ろな目で何かをつぶやき続けている。 「ザグレブ大尉! 松島中佐を逮捕、連行せよ!」  そんな様子を見た憲兵大佐は、軽く舌打ちすると話を打ち切り、先程から後ろに控えていたダークエルフの憲兵大尉に命じた。 「しかし、自分には逮捕権はありません」  ザグレブ憲兵大尉は、戸惑ったかの様に答えた。  実は、各所に進出しているかの様に見えるダークエルフではあるが、司法・警察関係には未だ未進出の状態である。  これは流石の帝國人も、『異種族に裁判・逮捕されたら敵わない』という強い思い――或いは反発――があるのに加え、当のダークエルフ自身にも、『時期尚早』との判断があるからだ。  ダークエルフは賢明である。もし自分達が犯罪者とは言え帝國人を逮捕すれば、必ずや帝國人からの反発があるであろうことを充分理解していたのだ。  (この様な考えから、大陸の帝國人に対するダークエルフの調査も腰が引けており、結果としてより多くの情報が、列強に流出する大きな原因の一つになったことは否めないだろう)  今回のダークエルフの憲兵入りも、佐藤憲兵大佐の強い要請により『逮捕権及び強制捜査権を持たない』という条件で、ザグレブ以下の一隊を渋々派遣したのが実情である。 「『帝國人上官ニヨル命令ノ下デノ、逮捕及ビ強制捜査ハ可能』となっている筈だが?」 「……畏まりました」  ザグレブ憲兵大尉は渋々松島中佐の傍により、『失礼します』と立ち上がらせ、連行しようとする。 「手錠をつけろ!」 「それは…… 余りにも……」 「命令!」  ザグレブ憲兵大尉は、済まなそうに手錠をかけると、手錠をハンカチで隠し、部屋から連れて出て行く。 「中佐殿……」  黒部中尉は、その後姿を呆然と見送る。  ……何故、こんなことになったのだろう?  確かに松島中佐とは馬が合わなかったが、彼は決して悪人では、ましてや売国奴では無かった筈だ。  自分と松島中佐の間に、差があったとも思えない。  なのに松島中佐は逮捕され、自分は結果として引導を渡す羽目になり、こうしてその後姿を眺めている。  が、幾ら考えても分からない。  堪らず、目を逸らす。 「見ろ!」  憲兵大佐が叱責する。 「何れああなったとはいえ、今回の件の引き金を引いたのは貴様だ!  男なら、己がしたことの結果を最後まで見届けろ!」 「ハッ!」  黒部中尉は、直立不動し、松島中佐の後ろ姿を見送った。  ……それは大した時間ではなかったが、黒部中尉には、恐ろしいほど長く感じられた。  最後に竜車に乗り込むその瞬間、急に松島中佐が振り返った。  その目は依然として虚ろであり、何を見ているかも分からなかった。  が、黒部中尉にとって、それは一生忘れられない光景となった。  松島中佐が獄中で縊死したのは、それから数日後のことである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【14】  松島中佐を乗せると、竜車は走り出した。  行き先は郊外の飛行場だろう。  そこから先は飛行機だ。  将校を裁くには、最低でも師管区司令官(陸軍中将)を裁判長とした、師管区軍法会議の場でなければならない。  ましてや『地区司令官の陸軍中佐』という高位高職の将校を裁くのならば、方面軍司令官(陸軍大将)を裁判長とした、方面軍軍法会議の開廷が必要だろう。 「中佐殿は、一体どうなりますか?」  黒部中尉は、憲兵大佐に尋ねる。  松島中佐の逮捕理由は『横領』ではない。『教科書を売った』ことだ。  これは技術や知識、兵器等をこの世界に無断移転させることを禁じた法(通称『兵器・技術管理法』)を根拠にしてのことであろうが、かなり強引な法解釈といえる。  そもそも『兵器・技術管理法』は、本来『高度な技術や兵器の流出阻止』を主目的としたものであり、『中学の教科書』などというシロモノに関しては全くの想定外だ。  (だからこそ、多くの人間が何の抵抗も無く低レベルの書物を売り、小遣い稼ぎをしているのだ)  今回は、売った相手が『ローレシアの間諜』と判明したからこそ何とか逮捕・起訴に踏み込んだのだろうが、それでもどちらかといえば列強諸国の科学技術力の急進――蒸気機関の開発成功――に対する『八つ当たり逮捕』的な観が強い。  ……ならば、『売った相手が間諜とは知らなかった』『教科書が規制対象かどうかは帝國すら想定していなかった』等を考え合わせて、比較的軽い判決が期待できるのではないか。 ――そう希望をこめて尋ねたのだ。  が憲兵大佐は、黒部中尉の希望的観測を鼻で笑う。 「貴様、阿呆か? 『その程度で済む問題』ならば、わざわざ俺(憲兵大佐)が出向く筈も無いだろう?」 「…………」  余りにも当たり前の返答に、黒部中尉は沈黙しか出来ない。 「何か勘違いしている様だが、松島中佐の逮捕は『国策逮捕』だ。だから裁判も、大陸ではなく本国で行われる。  ……それも陸相閣下を裁判長とした『高等軍法会議』で、だ」 「高等軍法会議!? そんな馬鹿な!  アレは将官を対象とした、重大事件に対する……」 「起訴理由も『兵器・技術管理法』違反だけではない。  治安維持法、国防保安法、軍機保護法に対する違反も含まれる」  ――馬鹿な。  黒部中尉は、内心で毒づいた。  それだけの重要法違反で起訴されれば、死罪以外は有り得ない。  が、言ってしまえば『この程度』の過ちを犯した者なら、大陸には大勢いる。  その全てをこの基準で裁けくとすれば、数十人――下手したら数百人――規模の死罪相当者が出ることは間違いないだろう。  にも関わらず……  そこで、先程の『国策逮捕』という言葉を思い出す。  ……『一罰百戒』ということか。  間違いない。  大陸の帝國人に意識改革と綱紀粛正を迫るため、松島中佐は人柱にされたのだ。 「じゃあ、中佐殿は」 「『運が悪かった』のさ」  たまたま教科書という分かり易いものを売却した、という不運。  加えて資源の横流しという、臣民が反感を持ち易い犯罪にも手を染めていたこと。  ……そして何より、『部下に犯罪を暴かれた』こと。 「は?」 「今回我々が動けたのは、貴様の一報があったからこそだ」  佐藤憲兵大佐を長とする今回帝都から派遣された憲兵隊は、『特別高等憲兵隊』という新設組織である。  特別高等憲兵隊は、『列強諸国を始めとするこの世界の諸国の工作活動』や『大陸における反帝國活動』から、帝國を守るために新設された憲兵隊である。  そのため管区というものを持たず、本国・大陸を問わずに『対工作・対反帝國捜査』の任に当たるのだ。  ……故に、各方面軍だけではなく、現地の憲兵隊からも疎ましがられている。  特別高等憲兵隊が、自分達の既得権益を侵す存在だということを、彼等は十分理解しているからだ。  現地組織の非協力的――というより妨害的――対応、配下であるダークエルフ憲兵の腰の引けた調査……  これ等の悪条件が重なり、任務は一向に進展しなかった。  まあ寧ろ、これだけの悪条件を抱えながら、『怪しい』連中をある程度絞り込んだだけでも賞賛に価するが。  とはいえ新設された組織である以上、何か手柄を立てる必要がある。  その存在理由を証明するためにも。  焦る佐藤憲兵大佐。  が、下手は踏めない。  ただでさえ異論反論続出で出来た組織である。  もしも失敗すれば、喜んで足を引っ張る連中が大勢いることだろう。  特別高等憲兵隊は、『臨時設置』ということで、ようやく新設された組織である。  何かへまをすれば、即解体されるであろうことは想像に難くなかった。  無論、何の手柄も立てれなくとも、解体は間違いなかったが。  悶々とする日々が続く。  ……そこへ、黒部中尉からの報告が入ったのだ。  ――チャンスだ!  佐藤憲兵大佐は狂喜した。  予てから怪しいと踏んでいた人物、松島中佐のいる地区からの『告発』。  しかも『告発者』は、その人物の部下であり、憲兵ではない一般の兵科将校。  これで、強制介入できる大義名分が出来た。  『特別高等憲兵隊』は、その総力を挙げて行動を開始する。  些か強引とも言える彼等の行動は、実は『焦り』の裏返しでもあったのだ。  とはいえ、犯罪自体は左程のものでは無い。唯の横流しだ。  教科書流出も、それこそ『有り触れた話』とまでは言えないが、『よく聞く話』である。  が、特別高等憲兵隊はその存在意義を証明するためにも、大事件にする必要があった。  帝國政府も、帝國人へ意識改革を促すため、そして独立性の高い大陸の帝國軍に対する牽制のため、それを積極的に支援する必要があった。  ……要は、黒部中尉も松島中佐も利用されたのだ。  まあ流石にここまで伝える必要は無い。  故に当たり障りの無い、如何とでも取れる言葉でお茶を濁す。 「貴様の『告発』があったからこそ、我々は踏み込めたのだ。  ……我々は新参者だからな」 「そうですか……」  黒部中尉はその裏の意味までは気付かず、額面通りに取って頷く。 「礼を言うぞ。無論、言葉だけでは無い。  陸相閣下からの感状と、大尉への昇進も手配してやろう」 「いえ、遠慮します」  折角の申し出ですが、と断る。  御国の役に立ったのは嬉しいが、どうも後味が悪い。  司令官のあの姿が、目に焼きついてどうしようもないのだ。 「……それは困るな。『勇気ある告発者』には、それ相応の待遇がないと臣民も納得しない」 「……何故、そこで臣民が出てくるのですか?」 「『国策逮捕』だと言っただろう?  今回の事件は、本国で大々的に報道される」 「! ……それは、余りにも」  酷すぎる。司令官に止まらず、その家族や親戚にも被害が及ぶだろう。 「分かっている、分かっているさ。奴に妻子がいることも。  ……が、御国のためだ。それに、奴は無実じゃあない」  どうせ犯罪者だ。帝國のため、そして我々のために、精々役に立って貰おうじゃあないか。 「せめて、自分の名は出さないで貰えますか?」  その位の報酬はあっても良い、と思う。 「……名は、売っておいた方が良いと思うぞ?」 「?」 「貴様は、結果として我々(特別高等憲兵隊)を呼び込んだ。大陸の軍の面子も潰した……」  憲兵大佐は、そう指を折りながら挙げていく。 「今回の事件を受けて、大陸の帝國軍は何らかの譲歩を余儀なくされるだろうな。  責任を取らされるのも、一人や二人じゃあ無い」 「全部自分のせい、だとでも?」 「全部が全部、貴様のせいとは言わんさ!  が、貴様がその原因のひとつ――それも無視出来ないほどの大きさの――であることは、間違いないだろうなあ」  ニヤニヤと笑う大佐。  ――畜生! そういうことか!  黒部中尉にも、やっと『からくり』の一部が見えてきた。  要するに全部が全部、最初から最後まで自分達(特別高等憲兵隊)の手柄として報道してしまえば、どうしてもその『強引さ』と『強面』振りが目立ってしまう。  出来たばかりの部署、これから発展しようという部署としては、大変よろしくない。  だから『英雄』を作り出し、その『英雄』と協力して売国奴を摘発した『正義の組織』、というイメージが欲しいのだろう。  ……が、自分としては余り美味しくない。  大尉へ昇進など、来年か遅くとも再来年には出来る。一〜二年早くなった程度だ。  感状も、名誉なことではあるがそれだけのこと。実質的には何ももたらさない。  名が売れても、何事もやり難くて仕方が無くなるだけだ。かえって、余計な反発――嫉妬等――を食らうだけであろう。  この上、一部――だと思いたい――の御偉方からの恨みまで買っては、踏んだり蹴ったりだ。  「ほう。少しは考えるじゃあないか」  憲兵大佐は、黒部中尉の意見をニヤニヤしながら肯定する。 「じゃあもう一つ、『一度だけ力を貸してやろう』。  無論、我等の力の及ぶ範囲での話で、だがね?」 「……はあ」  それがどの程度のものなのか、どの程度親身にやってくれるのかわからず、曖昧な返事をする。 「どうだ?」  しばらく考えていた黒部中尉は、やがて溜息を吐きつつ答えた。 「どうせ、こっちの意思などお構いなしにやるつもりでしょう?  なら、報酬を受け取った方がマシです」 「賢明だ」  契約は成立した。 「ふん、俺も甘くなったものさ」  黒部中尉が帰った後、憲兵大佐は自嘲した。  普段の自分なら、問答無用で全てを行っただろう。  なのに今回は、いろいろ気を使って説明してやり、最後には『力を貸す』約束までした。  ……彼を知るものならば、驚愕すること間違いない事態である。  (事実、控えていた憲兵軍曹はつい余計なことを言ってしまい、大佐に張り倒された)  黒部中尉がどう考えているかは知らないが、約束は必ずや実行されるであろうし、するつもりだ。  仮にも、『男と男の約束』なのだから。  しかし、甥に言われた位で、この俺がこうも丸くなるとは…… 「年、かな?」  ――叔父貴、また何を企んでいるのかは知らないけれど、成之は俺の可愛い『弟分』なんだからな? 使い捨てや捨て駒扱いは、御免こうむるぜ?  何かあったら親戚の縁を切る、と息巻く甥御。  その意気を尊重し、最大限譲歩してしまったのだ。  何故だろう?  自分でも良くわからない。  が、何か甥が眩しく見えたことも事実である。 ……ほんの一瞬、ではあるが。 「ふん、まあいいさ。兎に角全てが上手くいった。  特別高等憲兵隊の常設化は、まず間違いないだろう」  そして自分は、特別高等憲兵隊の初代司令官だ。うん、悪くない。 「が…… まだ第一歩に過ぎん。まだまだこれからだ」  常設化がなった暁には、更にこの組織を発展させていかねばならない。司令官となった以上は。  最低でも管区憲兵隊や方面軍憲兵隊と同格、出来れば陸軍憲兵隊そのものと同格の別組織にしたい。 「さて、次はどんな事件を摘発するかな?」  ネタならある。  共産主義の傾向が見られる青年将校による、大陸での啓蒙活動。  帝國では珍しいイスラム信者の軍属による、大陸での布教活動。  どちらも極軽微なものではあるが、油断は禁物である。  ――精々、誇張して摘発してやるさ。  帝國と特別高等憲兵隊のために。  憲兵大佐は、不敵に笑った。  実の所、今回の様な事件は『今後も起こり得る』と、憲兵大佐は考えていた。  彼我の技術格差がここまで開いている以上、技術漏洩は防ぎようが無いのだ。水が高きから低きに流れるのと同様、必ず洩れる。  防ぐにはそれこそ鎖国でもするしかないが、そんなことは不可能である。  余り気遣い過ぎ、大陸での開発に支障が出ては、それこそ本末転倒であろう。  要はバランスである。  ある程度の法整備と管理体制、そして何より各人の心構え――これだけで大分マシになる。  今回の摘発は、そのいい刺激となる筈だ。  列強の蒸気機関の開発成功も、恐れるに足らない。  これでやっと、連中は産業革命への切符を手に入れたに過ぎないからだ。  連中と帝國との差は、維新時の帝國と欧州を遥かに上回る格差――少なくとも科学技術に関しては――がある。  ……まあ魔法という鬼札ガある以上、油断は禁物ではあるが。  それに、連中が本当に科学技術を発展させられるかどうかは、怪しいものだ。  今まで科学技術よりも優位にあった魔法。  科学技術の発展は、魔法技術の相対的な地位低下に繋がる。  何も起こらない筈が無い。  魔法関係者が、指をくわえて見ている筈が無いのだ。  政治的な問題もある。  この世界の経済基盤は、一にも二にも農業だ。  が、科学技術の発展は生産能力の増大に繋がり、それは農作物の価格下落に繋がる。  そして農作物の価格下落は、全人口の八割を超える農民層の没落と社会の不安定化に繋がるだろう。  加えて貴族層は、その経済基盤が領地の農民達である者達がの大半だ。  封建制を未だ維持している連中が、それに耐えられるか? 適応出来るか? ……その意思と覚悟はあるのか?  生産能力の増大を続ければ、何れ出現するであろう中産階級。  歴史の紐を解けば、中産階級の存在こそが王政打倒の原動力となった。  ……その彼等と如何向かい合う?  ――等々、様々な問題が噴出するだろう。科学技術を大規模導入するということは、社会そのものを変革するということでもあるのだ。  連中は馬鹿じゃあ無い。そんなこと位、分かっている筈だ。  だからこそ…… 連中の苦悩振りが手に取るように分かる。  連中は、言わば『禁断の果実』を手にしたのだ。  が、今はまだ手にしただけの状態。  そのまま、ただ眺め続けるか。  それとも、直ぐに放り捨てるのか。  はたまた、恐る恐るでも口にするのか……  捨てるならば端からぎ取らないであろうし、一口でも口にすれば、とてもそのままでは終わらないだろう。  一口は二口、二口は三口になるであろうことは、想像に難くない。  一口二口で終わらせるには、相当な自制心と運が必要だ。  ――まあ連中がどこまでやっていけるか、せいぜい『お手並み拝見』といこうじゃあないか!  大笑。  彼は、列強を恐れてはいなかった。  (侮ってもいなかったが)  が、特別高等憲兵隊の発展のためならば、あらゆる手段を使う積りだ。  ……無論、帝國の利益に反しない限り――彼は愛国者なのだ――において、ではあるが。  そしてその手段が帝國の利益になることならば、言うこと無しである。  社会主義者も共産主義者も、新興宗教も神道を否定する宗教も、彼にとっては全て『危険思想』だった。  それを潰すことは『帝國のため』であり、何の遠慮もいらないのだ。 「おい軍曹! いつまで寝ている!  さっさとこの『しけた田舎』から出て行くぞ!」  後に、『今新撰組』と恐れられる特別高等憲兵隊。  その記念すべき初陣であった。  ――今回の事件は、ゾルゲ事件に匹敵する大事件として報道された。  『稀代の売国奴』松島陸軍中佐と『それを告発した愛国心溢れる青年将校』黒部陸軍大尉。  そして告発を受け、一斉検挙した特別高等憲兵隊……  三者の名は、帝國中に知れ渡ったという。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【15】  事件は解決した。  が、黒部大尉にとっては未だ終わっていない。  あの事件は、黒部大尉の心に『何か』――自分でも分からぬ何か――を確実にもたらしたのだ。  まあ、『未だ終わっていない』という意見に関しては帝國も全くの同意見の様で、積極的に事件に関する報道を続けて臣民を煽っている。  現在でも事件は大々的に報道されており、新聞・雑誌を連日賑わせ続けている。  その中には明らかな誹謗中傷、読むに耐えぬ罵詈雑言すら大量に含んでおり、とても読んでいられない――よく検閲を通ったものである――程だ。 (その代わりといっては何であるが、黒部大尉と特別高等憲兵隊には手放しの賞賛がなされている。  特に黒部大尉に関しては、歯が浮く程の美辞麗句が並べられており、別の意味で『とても読んでいられない』)  人というもの、組織というものが、一体どこまで残酷になれるのか。  そのとば口を垣間見た様な気がした。  この報道は、当然辺境のレディング鉱山にも伝えられる。  これが一層、黒部大尉を悩ませていた。 「うちの隊長、司令官の不正に気付いたせいで飛ばされたのだそうだ」 「飛ばされても諦めず、調査を続けたのが今回実ったのだな。並じゃあ出来ないよ」 「流石、前司令官(松島中佐の前任者)が、直々に招き入れただけのことがある」  新聞や雑誌を片手に、部下達はこんな調子で議論をする。  娯楽の無いこの鉱山では噂話の格好の種となっており、黒部大尉の評価は鰻上りだ。  ……甚だ不本意ではあるが。 「まあ『人の噂も七十五日』ですよ」 「そんなに待てるかい」  高木軍曹の慰めに、黒部大尉が毒づく。 「しかし、皆が褒めるのも無理は無いですよ。大手柄だ」 「……お前も、この新聞に書いてあることを信じるのか?」 「だって、新聞でしょう?」  黒部大尉の突っ込みに、『何を馬鹿なことを』と返す。  どうやら、新聞に嘘が書いてある筈が無い、と頭から信じ込んでいる様だ。 (まあ黒部大尉とて、以前から疑って読んでいた訳では無いのであまり人のことは言えないが)  ……黒部大尉は、以前の様に素直に物事を受け取れなくなっていた。  あれから、一寸した変化があった。  『大陸における心得』なるものが通達され、大陸で活動をする上での各種注意事項が多数設けられたのだ。  ここレディング鉱山でも荷物の包み紙が新聞で無くなり、代わりに月に一度、一月分の新聞や雑誌が纏めて送られてくる様になった。  その新聞・雑誌も専任の担当者が厳重に管理する様通達されており、普段は鍵のかけられた箱の中に保管、読みたい時は申告の上、ここ帝國人専用集会場でのみの閲覧を許すこととされた。  無論、持ち出しは厳禁だ。  ……そんな訳で、今回初めて一月分の新聞や雑誌が送られてきたのであるが、それが事件の特集一色状態だったのである。 「新聞や雑誌が定期的に送られて来る様になったのは良いが、噂される身には堪らんなあ」  正直、余り目立つのは好きじゃあ無いのだ。 「いいじゃあないですか。評価は鰻上り、連日高値を更新中ですよ?」 「そうは言うがな…… あまり上がりすぎると、下がる時の反動も大きいぞ?」  と、あくまで後ろ向きな黒部大尉。 「全く、あの事件から碌なことが起きない」  思わず慨嘆する。  唯一嬉しかったことといえば、サーナと子供達が自分の無事と昇進を祝ってくれたこと位だろうか?  が、それもこれを見ては色褪せてくる。  『稀代の売國奴、松島康博。獄中で縊死』 「…………」  お気の毒に……とは、口が裂けても言えない。  何故ならこれは自分が引き起こしたこと、その結果なのだから。  佐藤憲兵大佐が言った様に男子たる者、己の行動には責任を持たねばならぬのだ。  故に例え辛くとも、『お気の毒に』などと澄まして言う様な、死者を辱める真似は出来ぬのだ。断じて。  ――己の軽はずみな行動で、結果として司令官を犠牲としたことを、黒部成之は忘れてはいけない。  溜息。  ……とはいえ、やはり同情の念が湧いてくる。  特に司令官の御家族。  彼等彼女等は一体どうしているだろう? さぞや肩身の狭い思いをしているのに違いない。  が、自分にはどうしようもない。  この地でこそ『鳥なき里の蝙蝠』『お山の大将』を気取っているが、所詮この身は一大尉に過ぎぬ。  自分には、サーナとその子供達を守るだけで精一杯なのだ。  黒部大尉は、あらためて己の非力さを痛感した。  そんな人々の感傷を他所に、月日は流れていく。  事件のことも人々の頭の中から消え去り始めていた丁度そんな頃、黒部大尉に帝都からの来客が訪れた。  昭和19年8月のことである。