帝國召喚 外伝「特務砲術科物語」 【1-0 昭和17年、春】 「左舷、敵飛竜来襲!」 「対空戦闘用意!」 7.7ミリ機銃が唸るが、低速とはいえ高機動を誇るワイバーンには、なかなか命中しない。 圧倒的に火力が不足しているのだ。 僅か2挺の7.7ミリ機銃――しかも目視照準――程度では、『撃墜』どころか『威嚇』にすらならない。 ……何しろ敵は、熟練の『戦士』なのだから。 組し易しと見た敵は、至近距離から次々と爆弾を投下していく。 その内、4発が命中した。 黒色火薬を使用した100キロ程度の小型爆弾とはいえ、僅か800トン程度の老朽艦には、それだけで十分だった。 爆風が薄い『装甲』を突き破り、弾薬庫に到達する。 帝國海軍二等駆逐艦『栗』の最期だった。 【1-1 昭和17年、夏 帝都、海軍省】 「大佐、これは君にしかできない任務だ」 ……何が『君にしかできない』だ! 人事局長の言葉に、腹の中で毒づく。無論、表に出すような真似はしないが。 「将来の砲術科を担う、君だからこそだよ!」 局長…… そんな甘言、本気で信じるとでも? 『あそこ』へ飛ばされたら『もう終わり』ってこと位、分かっていますよ。 「では、頑張ってくれたまえ! 君の健闘を期待している!」 ……まあ決まってしまったものは、今更如何しようもないのだが。 大佐――吉良海軍大佐――は、内心溜息を吐いた。 「大佐! どうでした?」 退出した吉良大佐に、部下の浅野中尉が駆け寄り、声をかける。 「阿呆! 分かっててを聞くな!」 ポカリ! 拳骨が飛ぶ。 「例の『あそこ』へ転出だ。 ……勿論、貴様もな」 「何故、自分も!?」 「人事局長に、貴様を副官として御願いしたら、快く了承してくれたぞ? ……ああ、逃げられると思うなよ? こうなったら一蓮托生だからな?」 「そ、そんな〜」 浅野中尉は情けない声を上げた。 ついてない、とことんついてない。 浅野中尉は肩を落す。 吉良大佐は、『あの』吉良家の血筋だ。 余程その名と血筋に鬱屈した物があったのだろう。何せ『あの』浅野家とは無関係の、ただ姓が同じというだけの自分を、ここまで『教育』する位なのだから。 勿論、他にも浅野という姓の海軍士官がいるが、どうやら同郷ということが拙かった様だ。 ……畜生、殴られた頭が痛い。 何故、二人がここまで消沈――大佐については些か疑問だが――しているのだろうか? それは、二人が『あそこ』と呼んでいる部署に、移動させられることになったからである。 『あそこ』とは、今度新設される『機銃操作員教育・補充隊』のことだ。 今年の4月、『帝國海軍の二等駆逐艦が少数のワイバ−ンに撃沈される』という、大事件が発生した。 この戦訓から、『各艦艇の対空火力の大幅増強』が決定されたが、これには大量の機銃操作員を必要とする。 だが現在の海軍には、到底それだけの規模の人員を新たに揃えることなど不可能であった。 検討の結果、各艦への常時配属される人員については『現状通り』とし、増要される分の機銃操作員は一組織で管理して、必要に応じ各艦に派遣することとされた。 機銃操作員教育・補充隊は、その『増要される分の機銃操作員』を管理する部署なのである。無論、常時各艦に配属される機銃員も教育するが、管理はしない。 この機銃操作員教育・補充隊は、機銃を扱うことから砲術科に属する――冒頭の二人も砲術科だ――が、砲術科における地位は低い。極めて低い。 『砲』ではなく機『銃』、つまり豆鉄砲を扱っているからだ。なにしろ『砲術科』ではなく『銃術科』と揶揄されている位である。 ……まあ地位が低いのは、何もそれだけが理由ではない。 その構成人員は各科から移籍された者達だが、これが御世辞にも『良質』とは言えないのだ。 まあ他科が優秀な人材を出す筈が無いし、こんな卯建の上がらない部署に好き好んで来る物好きもいない――唯一の例外は、凋落著しい水雷科の出身者位――だろうから、仕方の無いことではあるが。 要するに、ていのいい『姥捨て山』という訳だ。 そこへ、水雷から優秀な人材が大量に来る。 これは問題だった。下手したら、この部署が乗っ取られるかもしれない。 大した部署ではないが、流石にそれは面白くない。 それを防ぐためには、他はともかくトップには優秀な人材を送り、睨みを利かせなければならないだろう。――そう砲術科は判断した。 だがいくら優秀な人材でも、腰掛程度では対抗できない。 できるだけ長期間――出来れば骨を埋める覚悟で――出向する必要があるのだが、皆わざわざ経歴を棒に振って行きたがる筈もなく、人材選びは難航した。 こうして様々な押し付け合いが水面下で起こった末、丁度『良い時』に、とある問題を起こして『くれた』吉良大佐に、お鉢が回ってきたのである。 【1-2】 「ああ、最新鋭戦艦の艦長になるという夢が……」 「そんな夢、厠にでも捨ててしまえ!」 嘆く浅野中尉を、吉良大佐が容赦なく切って捨てる。 「砲術科は、我々を追い出したのだぞ? 最早、連中は我々の敵だ!」 「……自分らも砲術科ですよ?」 一応突っ込んでおくが、流石に、『自分を追い出したのは。砲術科ではなく大佐です』とは言えない。 ……また殴られるのも嫌だし。 「阿呆」 吉良大佐は、心底呆れたように言った。 「もう俺達は『砲』術科じゃあない、『銃』術科だ。一生機銃だけ扱うんだ」 「いっいやだ! 自分が扱いたいのは機銃じゃあない、戦艦の主砲です!」 思わず叫ぶ。 「諦めろ」 吉良大佐が、ポンと肩を叩く。 「ああ、貴様もう絶対少将以上にはなれんぞ? 良くて営門大佐だ」 吉良大佐が追い討ちをかける。それが止めだった。 「そ、そんな…… 折角頑張って砲術科に入ったのに。競争率高かったのに……」 「お、おい!浅野中尉! ……いかんな、脅かしすぎたか」 思わずへたり込んだ浅野中尉を見て、流石に慌てる。 「! 『脅し』だったのですか! 冗談だったのですか!?」 「……残念だが本当だよ、中尉」 一縷の望みを託して尋ねる浅野中尉に、非情な答えが別方向から返ってきた。吉良大佐は、凄い目つきで声のした方向を睨みつけている。 「?」 振り向くと、一人の大佐が立っていた。 「朝から吉良・浅野の漫才かい? 『最後に』面白いものが見れたよ」 愉快で堪らない。という様に、嫌味ったらしく言う。 「黒木大佐」 同じ砲術科の黒木海軍大佐だ。吉良大佐とは、何かにつけていつも衝突している『犬猿の仲』である。 「いやあ、君がいなくなると寂しくなるよ。実に残念だ」 態度と口調が雄弁にその言葉を否定している。幼児でも、その言葉が嘘だと分かるだろう。 「浅野中尉、君も残念だったね。だがまあ君の席次じゃあ、砲術科に入れた事自体が奇跡みたいな物だったから、精々いい夢が見れたと思って諦めたまえ」 ……なんて嫌味な。 言葉もそうだが、態度はそれ以上に嫌味だ。ここまであからさまなのも、一種の才能と言えるのではないだろうか? 吉良大佐の方が百倍マシだと思っていたが、どうやらそれ以上にマシだったようである。 浅野中尉の中で、黒木大佐の株が更に下落していく。もう、落ちるところまで落ちた感じだ。 かえって転出になって良かったのかもしれない。 この大佐は何故だか知らないが、吉良大佐を嫌っている。吉良大佐がいなくなれば、今度は自分が標的となるだろう。 ……理不尽だが、自分を吉良大佐に見立てて。 浅野中尉はそう判断した。 ……ひょっとして、吉良大佐は自分を助けるために? そこまで考え、直ぐに打ち消す。 いや、まさかな。そんな細かいことに、神経を回す様な人じゃあない。 「じゃあ精々、『新天地』で頑張ってくれたまえ。陰ながら応援しているよ」 黒木大佐はそう言うと、笑いながら帰って行った。 「…………」 浅野中尉は呆れていた。 な、なんて子供なんだ…… あれで砲術科のエリートか? きっとあの嫌味を言うだけの為に、わざわざここまで来たのだろうか? 実に暇なことだ。 ふと、吉良大佐の方を見る。そういえば先ほどから無言だ。 「!」 ……そこには、鬼がいた。 「……おのれ、黒木! 砲術科!」 吉良大佐は拳を握り締めた。 「今に見ていろ! 今に必ず、仕返ししてやる!」 「……大佐」 この人も子供だ。似た者同士だ。 負け犬の遠吠えにしか聞こえない様な台詞を聞き、浅野中尉はあらためてそう思った。 「この恨み、必ず晴らすぞ!」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2-1】 吉良大佐は、今度新設される『機銃操作員教育・補充隊』に関する資料を眺めていた。 (彼はこの組織のトップ、隊司令なのだ) ほう! 結構な大組織じゃあないか! ……しかし。 思わず感嘆の声を上げ、だが直ぐに渋面になる。 『機銃操作員教育・補充隊』は、増設された機銃員の教育・管理を一手に引き受ける組織である。それ故、抱え込む(予定の)人数は相当な物で、軽く数千人を超えるだろう。 ……ただし、その規模に見合うだけの地位は無い。 これは中身を見れば分かる。 まずトップが大佐だ。普通、これ程の規模の組織ならば中将、悪くても少将がトップの筈である。 ……それが、大佐。 これだけでも、この組織の置かれた『立場』が分かるというものだ。 トップがそうなら、後は推して知るべし。 少佐以上の士官は少数で、大半が大尉以下の下級士官。一応砲術科なのだが、純粋な砲術科出身者は殆ど居らず、いても明らかに左遷された者――大体トップ自体が、その『左遷された者』の筆頭だ――ばかりである。 まあ実際、兵を指揮して戦うのは少尉か中尉、精々大尉止まりである。少佐以上の士官など、そう必要無いだろうが。 ……つまり、一旦ここに来れば『少佐以上になるのは難しい』と言うことだ。 吉良大佐は溜息を吐いた。 何しろ最高位が大佐、それも隊司令の一人だけ。その他大勢は、良くて営門大佐、大半は営門中佐で終わることだろう。 ……そして、ここにきたらもう抜け出せない。 ……これでは、士気の低下は避けられないな。 この組織を引っ張っていく立場としては、非情に頭の痛い問題である。 上は何を考えている? 『箱(組織)』を作っても、『中身(実体)』がこれじゃあ…… まあ、今は何を言っても無駄だろう。 何としても実績を作り、皆にこの組織を認めさせなければ! ……そして、なんとしても黒木を始めとする砲術の連中に、一泡吹かせてやるのだ! 心中、密かに決意する。 数千人の部下達の待遇改善は、彼の双肩にかかっていた。 【2-2 横須賀鎮守府近郊、機銃操作員教育・補充隊司令部】 本日、幹部の顔見せが司令部で行われる。 司令部といっても、鎮守府の近くにある学校――それも老朽による建て直しのため、移転した――を接収した、実にささやかなものだ。 吉良大佐が浅野中尉を伴い入出すると、一斉に幹部達が立ち上がり敬礼する。 本当に吹き溜まりだな! 碌な人材がおらん! 吉良大佐は酷評する。 敬礼一つで、ここまで分かるとは頭が痛い。皆、先行きの暗さに諦めていることもあるだろうが、それにしても…… だが、その中で異彩を放つ一団がいた。 見事な敬礼。 ……周りがアレなので、一層目立つ。 旧水雷科の士官達だ。 ふん、使えそうな連中もいるか。 吉良大佐は不敵に笑う。 どうやら、全くの『寄せ集め』と言うわけでもなさそうだった。 「さて、本日ここに『機銃操作員教育・補充隊』の幹部が集まったわけだが……」 そう発言すると、着席した幹部達を見渡す。 幹部とはいえ、皆若い。副司令たる退役間近の中佐(砲術科)と主席参謀の応召中佐(やはり砲術科)を除けば、皆少佐や大尉だ。 ……『その程度の組織』と言ってしまえばそれまでだが。 「この組織は砲術科ではない! まずそれを宣言しておく!」 その言葉に、周囲の者は呆気にとられた。 ……この人、砲術屋だよな? 「名目上、砲術となってはいるが、交流など殆どない。第一、我等を『銃術科』などと嘲笑する連中など、仲間と言えるか! 断じて砲術科などではない! 事実上の新しい術科だ!」 吉良大佐の演説のボルテージは、ますます上がっていく。 うわあ、また始まったよ。この人は…… 慌てて浅野中尉が止めようとする。が、途中で気付いた。一部の幹部が興味深く彼の話を聞いているのを。 元水雷組だ。 ……あれは、元水雷科の上杉少佐。 かつて水雷科が没落するまでは、将来を嘱望された水雷科の若手エリートだった人物である。この組織における元水雷科のリーダー的存在だ。 「司令」 上杉少佐が発言する。 「何か?」 「司令は、この組織は『新しい術科』と仰いますが、一体どんな術科でしょうか?」 「うむ、『特務砲術科』だ! 砲術科にはできない事をやる科だ!」 良くぞ聞いてくれた! と言わんばかりに、得意げに答える。 「……『特務砲術科』」 上杉少佐は口の中で、小さく復唱した。 「具体的に何をする科ですか? ……まさか、機銃を扱うだけの科ではないでしょうね?」 「まさか! そんなジリ貧の科は御免蒙る。私は大佐で終わりたくないのだ!」 吉良大佐は大げさな、芝居かかった表情で答える。そしてニヤリと笑い、続けた。 「『特務砲術科』は新しく出来た科、我々はその創設メンバーだ! 我々が『特務砲術科』を育て、発展させるのだ!」 「成る程」 上杉少佐も笑いながら答える。 「『鶏頭となれども牛後となるなかれ』ですね? 面白い!」 周囲の幹部連の表情にも変化が見られた。どうやら将来に、少しは希望が見えてきたからだ。希望は今、何よりも必要としている物だったのだ。 「そうさ、考えてもみろ! トップはたかが大佐だ、大尉や少佐でも思う存分腕が揮えるぞ! ……こんな科、他にあるか?」 その変化を満足げに見渡し、吉良大佐は発言を締めくくった。 「諸君! 『特務砲術科』にようこそ! 歓迎しよう!」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【3-0 帝國、機銃操作員教育・補充隊司令部】 司令部――廃校寸前の校舎を徴用したボロ屋――の正門前に、何台もの荷馬車(トラックではない)が止まった。 「うん、時刻通りだ。さすがは陸軍さん!」 先程から今か今かと待ちかねていた吉良大佐が、満足そうに頷いた。 ……おいおい、本当に陸軍が来たよ。 副官として吉良大佐の傍に控えていた浅野中尉は、ただ驚くしかなかった。 この人には、節操というものがないのだろうか? 他兵科を巻き込むだけならまだしも、よりによって陸軍まで巻き込むとは! ……後で、問題にならなければ良いのだが。 嫌な予感がしてならなかった。 【3-1】 話は1週間ほど前に遡る。 「……以上が、各艦艇についての大まかな対空火力向上化案です」 機銃操作員教育・補充隊では、自分達が操作・指揮することとなる機銃群の増設状況について、大まかな説明が行われていた。 現在、各艦艇の防空能力の強化が順次行われている。 高角砲の増設こそ戦艦のみだが、25ミリ機銃については各艦大幅に増設され、その個艦防空能力は大幅に強化される予定だ。 機銃操作員教育・補充隊は、その増設機銃を運用する将兵の管理教育部隊なのである。 だが、説明を聞く元水雷組の表情は暗い。 軽巡や駆逐艦については重量とスペース確保のため、大幅な水雷兵装の撤去――主に予備魚雷とその関連設備だ――が行われることとなったからである。 ……分かってはいても、『辛い現実』ということなのだろう。 「さて諸君、今後の我々の活動についてだが、一つ提案がある」 説明後、吉良大佐が発言した。 「まず我々は、剥き出しの機銃を扱う。飛竜を主敵としているが、敵船との戦闘もあるだろう。その際、真っ先に被害を受けるのは我々だ。我々は、最も多くの血を流す『科』となる。 ……だがどれだけの血を流しても、報われることは無い。このままでは我々は一生飼い殺しだ」 皆、吉良大佐の意中を図りかねていた。 何故士気を下げるようなことを、わざわざ言うのだろうか? 「司令!」 上杉少佐だ。 「我々が這い上がるのが容易ではないことは、皆承知しております。司令の発言は、我々の起死回生を考えてのものですか?」 「うむ。 ……だが、更なる血を必要とする」 大佐は重々しく頷いた。 「機銃員全員、陸戦隊の要員となるのだ」 陸戦隊とは特別陸戦隊と異なり、常設の陸戦部隊ではない。非常時に艦乗組員から選抜し、編成する臨時の陸戦部隊のことである。 勿論陸戦要員を予め指定し、その中から選抜するのではあるが、戦力としては今ひとつ不安がある――陸戦訓練などロクに受けていないのだ――し、艦の運用にも支障が出かねない。 だが、増援の機銃要員が陸戦要員なら? 乗組員と違い業務は機銃操作だけで、陸戦訓練に割ける時間は比較にならないほど多い。 しかも、彼等は駆逐艦でも50名以上搭乗しているのだ! これはあくまで完全充足の場合であるが、警戒度の高い海域――つまり陸戦隊が必要とされるような――に派遣される艦には大抵適応されるだろう。 そして50名以上の増援機銃員がいれば、艦にある程度留守番を残したとしても、十分に1個小隊を編成できる。 確かに、一寸した戦力と言えるだろう。 第一、艦の運用にも大きな支障は無いし、艦長も気軽に運用できる。 「これから先、駆逐艦単艦による哨戒任務が増えるだろう。陸戦の機会が増える事は間違いないし、手柄を立てる良い機会、我々の必要性を証明する良い機会だと思うが、どうだろうか?」 吉良大佐が畳み掛ける。 確かに、これからは小規模な陸戦が多発する可能性が高いし、船の臨検にも重宝されるだろう。特別陸戦隊とも任務の差別化が出来ているから、縄張りの問題は無い。 ……まあ『手頃な陸戦部隊があること』が、余計陸戦を多発させる可能性もあるが。 しかし、我々に陸軍の真似事をやれと? 「不満かね?」 吉良大佐が見通した様に言った。 「いえ。確かに司令の仰る方法しか、這い上がる手段は無いでしょう。止むを得ないかと」 上杉少佐が代表して答えた。 「ですが、装備はどうします? 手に入れるだけの予算はありませんし、特別陸戦隊とて、装備が余っている訳では……」 確かに、数千人分の装備や弾薬だけでもかなりの量だろう。とても認められるとは思えない。 「心配するな!」 吉良大佐は胸を張り、自信満々に言う。 「それを用意するのが、司令の仕事だ!」 ……一体、あの自信は何処から来るのだろう? その場の誰もが、疑問に感じていた。 【3-2 再び、機銃操作員教育・補充隊司令部】 「吉良大佐。今回の件、本当に有難う御座いました。陸軍を代表して、お礼申し上げます!」 荷台から降りてきたのは、なんと少将閣下だった。 ……しかも参謀肩章付の。 「いやあ、それ程ではありませんよ。こちらこそ、また何かあったら宜しく御願いします」 吉良大佐もにこやかだ。両者の間に、実に和やかな、友好的な雰囲気が流れている。 「では、これが約束の品です。残りは指定された倉庫にお運びしましょう」 沢山の箱。その中身は、油紙に包まれた兵器、弾薬、その他の各種装備だった。 三八式小銃、九六式軽機、擲弾筒、各種弾薬…… ああ、個人装具まである。 「これ、皆新品ですよ!?」 浅野中尉は驚いて叫ぶ。 吉良大佐の話では、陸軍は装備改編と部隊縮小で大幅な余剰兵器――歩兵装備だけの話だが――がでたらしい。それを貰い受ける筈だったのだが…… おかしい、絶対おかしい! いくらなんでも、こんな新品(実際は新古品)を寄越す筈が無い。しかも、向こうの責任者が参謀肩章付の少将閣下だって? ……吉良大佐、貴方は一体どんな魔法を使ったのですか? 「ああそのことか。今度の対空火器増設の際、戦艦から大量の副砲――14〜15センチ砲――が降ろされただろう? その内20門程、弾薬と一緒に失敬したんだ。 ……ああ勿論、許可はとったぞ? 裏口からだがな!」 吉良大佐は愉快そうに笑う。 陸軍もさぞかし吃驚しただろう。海軍大佐が、目録片手に陸軍省に乗り込んで来たのたのだから! とはいえ、陸軍にとっては悪い話ではない。寧ろ歓迎すべき『取引』だ。 現在陸軍は、直轄領の防衛のために各地に永久陣地を構築中であるが、そこに配備する砲のことで陸軍は悩んでいた。 かつて保有していた多数の要塞砲は、転移時に要塞本体とともに失っている。 まさか、本国要塞から持ってくる訳にはいかないし、かと言って、ただでさえ少ない野戦重砲を配備するのは…… そこへ、吉良大佐がやってきたのである。渡りに船とは、このことだろう。 「それで、ですね」 少将閣下が意味ありげに言う。 「もう少し、用立てして頂けないでしょうか? いえ、5〜6門で良いのですが」 「……それは」 流石の吉良大佐も逡巡する。この20門を確保するだけでも大変だったのだ。 「その代わり、と言っては何ですが」 「! これは!」 「ええ、独ラインメタル社の8センチ迫撃砲です。これを30門差し上げますが、如何?」 「う〜ん」 なおも悩む。が、大分気持ちが傾いてきているのが、手に取るように分かった。 「……20ミリ自動砲も付けましょうか? これで敵戦竜にも対抗できますよ?」 後一押し、と見た少将閣下は切り札を出す。 「分かりました! お任せ下さい!」 それが止めだった。吉良大佐は快諾する。 「では、契約成立ですね」 少将閣下は、満面の笑みを浮かべた。 【3-3】 「? 随分、軽機が多いですね?」 浅野中尉が驚く。何しろ小銃3〜4挺に1挺が軽機だ、多すぎる。 「いや? 頼んだ通りだぞ?」 何しろ、自分らは陸戦の『素人』だ。だから手っ取り早く戦力を獲得するには、火力の向上しかない。――と、吉良大佐は力説する。 構想としては3人を最小の単位、班とする。班編制は固定。 この班を2〜4個組み合わせて分隊、分隊を2〜4個と本部で小隊とするのだ。これ(小隊)が最も多用される単位であろう。 一見、班を自由に組み合わせる事によるチームワークの欠如が不安視されるかもしれないが、その恐れは先ず無い。何しろ、彼等は元からの機銃要員としての部隊は固定されており、日頃同じ艦で同じの釜の飯を喰っているのだ。 せいぜい数十人単位だからこそ、使える手だろう。 「まあ機銃要員としての編制を崩して、陸戦部隊を編成するのだから、その辺は仕方が無いさ」 そう吉良大佐は弁解した。 最大の戦闘単位は中隊。これ以上の部隊運用は訓練が高度になりすぎるし、現実的ではない。第一、特別陸戦隊と衝突する気は無い。 「恐らく、小勢で多数の暴徒や魔獣から一般人を守ることが主な仕事となる筈だ。だから火力が必要なのだ」 他にも、海賊根拠地征伐や臨検なども考えられるが、火力が邪魔になることはないだろう。 班(3人)の装備は、『軽機1、小銃2』か『擲弾筒1、小銃2』からなる。 長距離行軍をしないので、陸軍の様な重装備も必要ない。だから彼等より大量の弾薬を装備してもまだ身軽だ。この身軽さと、火力を『売り』とするのである。 「まあ、分隊全員が軽機班か擲弾班みたいなものだな。6.5ミリ弾は低威力だが、そこは手数で補う。弾幕で敵を制圧するのだ。弾が足りなければリヤカ―で運べば良いし、艦砲の援護も期待できる。 ……ああ、リヤカーの他に携帯式の通信機も欲しいな。何とかして手に入れないと」 少将閣下は、吉良大佐の話に呆気に取られていた。 畜生、何て羨ましい戦い方だ! 分隊全員が機銃班だと!? 弾幕だと!? 少し前の記憶が過ぎる。一航艦の対空射撃訓練を見学したときのことだ。 激しい弾幕。その無尽蔵とも思える火力投射は、驚嘆の連続だった。 あれと、同じことをやる気か! 陸軍軍人からはどうやっても出てこない発想だ。 自分など、先ず残弾と次の補給のことが気になってしまう。 ……やはり陸軍と海軍は、考え方その物が違う。 そのあまりにも贅沢な発想に、そう思わずにはいられなかった。 【3-おまけ】 「成る程、この艦の砲を頂けるのですね?」 軽巡『大井』『北上』。 重雷装艦として改装された両艦は、転移後その存在価値を失い、港に繋がれっぱなしの状態である。 今回、雷装を撤去して建造中・建造予定の駆逐艦に転用するため、工廠に運ばれる予定だったのだが、吉良大佐が強引にねじ込んで主砲も撤去し、陸軍に譲渡されることとなったのだ。 「そうです。両艦あわせて8門。陸軍への約束分は5〜6門だから2門、いや3門余ります。これについては、後ほどあらためて取引を」 「……お手柔らかに」 少将閣下は苦笑する。 「冗談ですよ。一緒にお渡しします。ですが、代わりに『情報』を頂きたい」 吉良大佐は大笑しながら言った。 「情報?」 首を傾げる。 「この世界の賊や魔獣・軍に関する知識、対処法ですよ」 つまりノウハウだ。 「何しろ我等は素人、思わぬ不覚をとりかねませんから」 「それは構いませんが、宜しいのですか? 特別陸戦隊あたりに行ったほうが……」 さすがにそれは拙いのではないだろうか? 色々が陸式になってしまうし、海軍内の風当たりも強くなる。ただでさえ、海軍の装備をちょろまかして、陸軍と『商売』しているのだし。 「特別陸戦隊? 現在再編の真っ最中で、それどころじゃあありませんよ。第一、連中の風下に立つ気はありません」 だが吉良大佐は顔を顰めて、その提案を拒否する。 「まあ我々となら、『取引』ですからね」 少将閣下も頷く。海軍も内部でいろいろあるのだろう。 ……そう思うことにして。 「我々で構わないのなら、『情報』を提供しましょう」 少なくとも、吉良大佐は『話し易い』人物だ。 我々も『取引』相手は必要だし、彼とは付き合っても損はないだろう。 彼らとは長い付き合いになりそうだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【4-1 昭和17年秋 帝國、海軍省】 「おい、聞いたか? 機銃補充隊(機銃操作員教育・補充隊の略称、ちなみに『特務砲術科』は自称)の連中のこと!」 「ああ、なんでも陸式の真似事を始めたそうじゃあないか」 失笑が広がった。 飛ばされて、夢も希望も無くなった連中が、どうやらまだ何か悪足掻きをしている様だ。 ――諦めの悪い。 彼等の必死振りは、傍から見ていて滑稽極まりなかったのである。 「まあまあ、そんなに笑うな。そこそこ、手柄も上げているようだぞ?」 一人の海軍大佐が、笑いながら庇う。 黒木大佐だ。 ……どうやら庇うだけの『余裕』が有ると見える。 「何を仰っているのですか、大佐。大佐が、最初に振り出した話じゃあないですか」 「おや? そうだったかな?」 また笑いの渦が広がった。 何時の時代も他人の噂、それも悪い噂は、良い『話の種』の様だった。 【4-2 黒木邸】 朝、目が覚める。 実に気分が良い。あの男がいなくなってから体調も良好だ。 朝食後、お茶を飲む。至福の一時。 隣の空き地では、子供達が遊んでいる。実に賑やかだ。 注意深く観察すると、どうやら『正義の味方ごっこ』の様で、悪役の子供達と正義の味方役の子供達が戦っている。 元気なことだ。 苦笑する。いくら休日の朝とはいえ…… やがて正義の味方の隊長役の子供が、得意満面で叫んだ。 「とくむほうじゅつかしれい、きらたいさである! かいぞくども、しんみょうにいたせ!」 ブホッ! 黒木大佐は、思わず茶を噴き出した。 【4-3 海軍省】 「どういうことです! これは!?」 黒木大佐の手には、とある少年雑誌が握られている。その少年雑誌の表紙には、でかでかと次の様な見出しが躍っていた。 『新連載! 特務砲術科物語 協力、海軍機銃操作員教育・補充隊』 内容は海軍艦艇に乗り込む『特務砲術科』の面々が、海賊や匪賊から商船や在外居留民を守るという、実にありきたりな少年小説ものである。 が、人気作家と人気絵師を起用しており、なかなか好評の様だ。 「……許可なら出ている。『自分達の活動を国民に広く紹介したい』と申し出て、既に許可済みだ」 まさか、こんな形でとは思わなったが。――そう上司の顔は語っていた。 「それに彼等は現在の海軍で唯一、『血を流している』部署だ。実績もあるし、そうそう無下にはできんよ」 溜息を吐きつつ、そう答える。 神州大陸で、そして世界各地で泥にまみれ、血を流し続けている陸軍に対し、『海軍も血を流している』という実例として、彼等は挙げられているのだ。 「しかし、この様な不真面目な……」 なおも黒木大佐は食い下がる。 しかし、上司の言葉は非情だった。 「上も良い顔はしていない。が、動かんよ…… 何人か、反対しているからな」 畜生、やはりあの男は危険だ。千島の警備隊にでも、飛ばされれば良かったものを! 黒木大佐は、歯噛みする。 ……それにしても、何故あんな男を庇う者が、何人もいるのだろう? それが不思議でならなかった。 【4-4 昭和17年冬 特務砲術科】 「見ろ! 大好評だ!」 吉良大佐は、得意げに自慢する。 あれから数ヶ月。小説の他に写真協力までした甲斐もあり、『特務砲術科物語』は雑誌でも一、二を争う人気となっていた。 特務砲術科の名も広まり、今では普通の雑誌の取材要請すら有るほどだ。 「……しかし、よく上は何も言ってきませんでしたね?」 絶対、横槍が入ると思ったのだが。 「なあに。御偉方の二人や三人、どうとでももなるさ!」 「?」 「誰でも知られたくない事の一つや二つ、有るものだぞ?」 「脅迫ですか……」 浅野中尉は呆れる。本当に、何やっているんだこの人は。 ……まてよ? そこまで考え、ふと気づいた疑問を口に出した。 「じゃあ、何故飛ばされる前に、手を打たなかったのですか? もしかしたら、飛ばされずに済んだのでは?」 「阿呆!」 ポカリ。丸めた雑誌で叩かれる。 「仮にも男子たるもの、己の立身出世、ましてや保身の為に、そんな卑小な真似ができるか!」 「でも、今回使ったじゃあないですか」 「仕事のためなら良いのだ。仕事を成功させるためには、あらゆる手段が正当化される」 「…………」 器が小さいんだか、大きいんだか…… 「それにしてもこんな突飛な考え、よく思いつきましたね?」 吉良大佐の発想力には、いつもの事ながら驚かされる。 「……阿呆」 ポカリ。また叩かれる。だが、先程よりもだいぶ弱い。 「貴様、勉強が足らんぞ? こんな物、謀略戦の初歩の初歩だ。英米の物真似に過ぎん」 「『謀略戦』ですか?」 謀略と少年雑誌が、どう繋がるのだろうか? 「……広報戦略、印象操作の一つだ。大規模になれば、映画や新聞・雑誌まで総動員する。今回はこれで我々の『良い印象』を世間に広めたが、当然逆もできるぞ?」 そう、『敵』に対する『悪い印象』を。 「帝國も英米にそれをやられた。 ……それも世界規模でな。あの世界での事を思い出せ! 何時の間にやら、世界中で悪役扱いだ。我々がやったことは、英米より遥かにマシであるにも関わらず、だぞ?」 「確かに」 連中だって植民地で同様の、いやそれ以上のことをやっているじゃあないか! 「帝國は謀略戦において、既に敗れていたんだよ。対英米戦とて、それこそ敵首都を占領する様な大勝利がハナから不可能である以上、いずれは負ける。『悪い奴』相手に妥協は必要ないし許されないから、中途半端な講和はまず不可能だからな」 「それは……」 「だがまあ、この世界に来たおかげで仕切り直しができた。 ……ここでは、ヘマしない様にしたいものだな?」 吉良大佐は、そう自嘲気味に笑った。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【5-1 帝國宰相官邸】 「海軍には、知恵者がいるな」 「はい。もう世間では、『海軍特務砲術科』の名が広く浸透しています。好感度も高く、新設して僅か数ヶ月の部署としては異例、いえ異常ですね」 「ほう! それは大したものだ!」 帝國宰相(兼陸相)は感心する。 「しかし、たかが少年雑誌と正直馬鹿にしていたが……」 この影響力、侮れない。 帝國とて、決して宣伝に力を入れていなかった訳ではない。それなりに力を入れていたし、重要性とて理解していた。いや、していたつもりだった。 「『海軍特務砲術科』は、最小の労力で多大な『戦果』を挙げましたな」 そう。今までの我々の宣伝の方向性とは、明らかに異なる手法だった。 しかし、この効果。 「どう思う?」 「やはり『面白い』からでしょう。子供達は正直ですから」 副官の率直な言葉に、苦笑する。だが同感だ。 「やはり、貴様もそう思うか」 「はい」 「この手、使えるな」 「?」 「子供達の間で、一番人気の漫画家は誰だ?」 【5-2 陸軍省】 その漫画家は、陸軍省に呼び出されていた。しかも『お迎え付き』である。 何の用だろう? また以前の様に絞られるのか? そう考え、憂鬱になる。 ……が、 「やあやあ、お待たせしました」 やってきた軍人は、非常に愛想が良かった。 ……それこそ、異様な程に。 「『先生』、わざわざすみませんね。実は是非『先生』に、お願いしたいことがあるのですよ」 『先生』? 高級将校が、たかが漫画家如きに『先生』だって? 「私に、頼みですか?」 「ええ、仕事の依頼ですよ」 「仕事!? 軍が!?」 「はい。ですが……」 そこで一端切ると、その軍人は今までの愛想の良さからは考えられない程の声音で、言い放った。 「ここより先は、最重要国家機密です。もし誰かに漏らしたりしたら、処罰されます」 「『転移』ですか……?」 帝國の現状を聞いた漫画家は、呆気に取られた。 正直信じられない。が、わざわざ軍が自分を騙す様な真似をする筈も無いだろう。 「事実は小説よりも奇なり、ですね」 「全くです」 その軍人も、心から同意見の様である。彼もいろいろ苦労しているのだろう。 「しかし、何故その様な国家機密を私に?」 「帝國は、この世界で盟友を得ました。これから帝國は、彼等と共に生きることになるでしょう」 「『だあくえるふ』と『獣人』ですね?」 確か、そんな名前だった筈だ。 「その通りです。ですが、帝國人は非常に『人見知り』が激しい。果たして、彼らを受け入れられるかどうか……」 「成る程」 自分の役割が読めてきた。 「つまり、『子供のうちから彼等に親しみを感じさせよう』ということですか」 「ああ、その通りです! 引き受けてくれますか?」 「条件が二つあります」 「条件?」 それを聞いた軍人は身構える。 「一つは、私の漫画に口を出さないこと。面白さが無くなってしまいます」 「いいでしょう。秘密を守るのならば」 これは想定されていたことだ。後一つは何だ? 金か? 「この世界を、私に見せて下さい」 【5-3 昭和17年末 帝都】 本屋には子供達が溢れていた。なんといっても、あの『のらくろ』の連載が再開されるのだ! 子供達は本を買うと急いで家に帰り、待ちかねたように雑誌を開く。 その最初のぺージには、大きな二枚の紙が閉じられていた。 「?」 その紙には難しい漢字が沢山書かれており、仕方が無いので親に読んで貰う。 ……が、親はそれを驚いた様に眺めて、一向に読んではくれなかった。 『野良犬くろ吉を、帝國陸軍少佐に任ず。帝國陸軍省』 『帝國陸軍少佐、野良犬くろ吉の陸軍大学入学を許可する。帝國陸軍省』 その二枚の文を要約すると、そう書かれていたのだ。 そしてそれは正式な書類の体裁を整えており、『陸軍省許可済』と記されていた。 ……つまり『のらくろ』は、漫画の登場人物であるにも関わらず、正式に陸軍から少佐の位と陸軍大学入学許可を貰ったのである。 陸軍の試みは成功した。 子供達は『だあくえるふ』や『獣人』を違和感無く受け入れたのだ。 陸軍、そして政府は、漫画の威力をこの時初めて認識する。 以後陸軍は、漫画を映画に匹敵する宣伝媒介として意識する様になり、『のらくろ』が連載されている『少年倶楽部』を中核として様々な宣伝漫画を発表していくことになる。 海軍も負けてはいない。 『少年倶楽部』のライバル誌――ここのところ影響を受け、落ち目だった――と手を組み、巻き返しを図る。 海軍は、既存の主な漫画家を既に陸軍に抑えられていたため、新人賞を創設して新人を発掘しようとした。 ……ちなみにその第一回大賞受賞者は、まだ高校生であった。 こうなると販売部数を争う両雑誌の争いは、さながら代理戦争の様相を呈してくる。 この陸海軍の面子を賭けた、『当初の目的を覚えているか?』と突っ込みたくなるような争いは、後に『陸海軍漫画戦争』と呼ばれ、その名を歴史に刻まれる。 彼等の熾烈な争いにより、結果として漫画界は大きな発展をとげることになったのだ。 軍だけではなく、政府も動き出す。 政府は漫画だけではなく、漫画映画にも力を入れた。 大陸の子供達には、未だ帝國文字を読めない者が多い。だが、『映像なら』という訳だ。 昭和19年に入ると漫画市場の成長はさらに加速し、貸し本屋が大いに賑わう様になった。昭和20年のテレビジョン放映の暁には、漫画もテレビジョンに進出していく予定である。 この頃には漫画は、もはや帝國にとって映画と並ぶ文化・宣伝戦略の要となっていたのだ。 これから、漫画は更に発展していくだろう。 だが漫画がどの様に進化していき、その先に何があるのか?  未だ帝國は知らないでいた。