帝國召喚 外伝「カナ姫様の細腕繁盛記」 【21】 ――――フランケル派遣艦隊旗艦“扶桑”、司令長官公室。  カナ姫との会見後、今村均陸軍中将は小沢治三郎海軍中将に面会を要請した。約束通り、“事の次第”を説明する為である。  が、両者はこの方面における陸海軍のトップである。軽々しく会う(会わせる)訳にはいかない――少なくとも艦隊司令部の参謀達はそう考えた。(無論、これには『何度も通信を無視されたことに対する意趣返し』という意味合いも多分に含まれている)  故に、もったいぶった様な遣り取りが水面下で長々と行われ、両者の会談が実現したのはなんと三ヶ国連合とシュヴェリンが戦端を開いた頃だった。  ……転移後は今までと一転して上手くいっている様にも見える陸海軍であったが、その実態は一皮剥けば“こんなもの”だったのである。 (これを知った小沢が激怒したことは言うまでも無いだろう)  とはいえ、トップ二人には陸軍だの海軍だのという偏狭的な自己主張は無縁――そりゃあ言うべきことは言うが――である。  両者は余人交えず膝を突き合わせ、忌憚のない意見を交換していた。 「――成る程、そういう事でしたか……」  今村が語る事実に驚きを禁じえず、流石の小沢も絶句する。  そして暫し目を瞑ると哀れな同胞の最期を悼んだ。 「しかし、彼の犠牲は決して無駄ではありませんでした。これがその証です」  今村は語句を強め、件の“報告書”を小沢に見せた。  小沢は“報告書”を手に取り、軽く目を走らせる。 「確かに。彼はその最期まで帝國軍人であり続た様ですね。 ……陸軍さんは良い士官をお持ちだ。我々(海軍)も見習いたいものです」  小沢は全面的に同意した。  それと共に『この哀れな同胞に対する“心遣い”をすべき』とも指摘する。 「ええ、自分としましても出来る限りの配慮を中央に具申する積りです」  故人に対しては昇進と勲章を、未だ健在であろう本土の遺族には恩給の増額が得られる様に今村は働きかける積りだった。(官僚軍人の中にも浪速節に弱い者は少なくない。この働きかけはまず間違いなく成功するだろう)  無論、カナ姫とシュヴェリン王国に対しても“それなりの配慮”がなされる筈だ。 ……尤も、彼等がそれで納得できるかどうかはまた別の話だったが。  が、それ以上は彼に如何こう出来る話ではない。精々彼等が“賢明な判断”を下す様、祈ってやる――場合によっては“現実”を教えてやる――位だ。  如何な“仁将”とはいえ彼は帝國の将なのだから。  更に二、三の会話を交した後、小沢は居住いを但して一礼した。 「計画を延期したことに関してはこれで納得出来ました。海軍としても陸軍さんの判断に異論を挟む積りはありません」  つまり『この話はこれでお仕舞い』であり、『以後海軍から問題にすることはない』ということだ。  それを受け、今村も居住いを但して一礼する。 「有難うございます。海軍の御配慮に対して感謝で一杯であります」 「ではこの話はこれで。で、これからの話なのですが、陸軍さんは計画を再開されるのですね?」  それは単なる確認に過ぎなかった。  が、今村は首を振った。 「いえ、陸軍としましては計画を一部見直す予定です」 「“一部見直し”?」  今村の意図が読めず、小沢は軽く眉を顰める。 「制圧後の統治については現地の旧支配勢力に委ねる積りです」  それは歴史に残る発言だった。 「……では閣下は、この地を統治されるお積りはない、と?」  小沢は軽い驚きの目で今村を見た。  この地方、即ちフランケル文明圏は大油田地帯であることが既に確認されている。である以上、『この地を支配しない』などという選択肢は帝國にとってあり得ない。  ……が、この将軍は『しない』と宣言したのである。小沢がその真意を訝ったのも無理は無いだろう。 「……どうも言葉が悪かった様ですね。申し訳ない。  無論、統治はします。ですが『直接にはしない』と申し上げたのです」  今村均陸軍中将は頭を掻き、先ほどの言葉を補足した。 「と、言いますと?」 「現地住民の統治は旧支配勢力に任せます。我々の介入はその後ろ盾になる程度に止めたいのですよ。最初のうちだけでなく、恒久的に」  正直、そうでもなければ幾ら兵がいても足りませんからね、と今村は溜息を吐いた。 「? 閣下の兵力なら十分可能では?」  今村の言葉に小沢は首を捻る。  フランケルに派遣された――或いはこれから派遣されるであろう――地上兵力は、航空集団をも含む一個軍である。碌な抵抗手段を持たない、高々100万にも満たぬ現地人を支配するには十分すぎる戦力であろう。 ……それでも『足りない』と言うのか? 「確かに小沢閣下が仰る通り可能でしょう。『現在の戦力なら』ば。  ……失礼ですが、小沢閣下はフランケルに駐留する戦力が『現在の水準を維持できる』と御思いで?」 「それは無理でしょうね」  小沢はあっさりと頷いた。  現在の戦力はあくまで一時的なものに過ぎない。現在大規模な艦隊を派遣している海軍も、作戦を終えれば艦艇の大半を本土に帰還させるか他の方面に転用し、この地には大きめの根拠地隊を一つ置く程度――それだって破格の措置だ――のものだ。陸軍とて話は同じだろう。  ……が、大体において統治は侵略よりも遙かに困難なのだ。 「最終的にフランケルに置かれる陸軍部隊は、地上戦力が旅団規模の独立守備隊1個、航空戦力が小規模の飛行団1個……後は若干の直属部隊程度ですね。まあ、確かにこれだけでも十分直接統治できます。 ……ですが他の地方は如何でしょう? 果たしてこれだけの戦力を揃えられるでしょうか?  現在の手法では早晩限界が訪れます。事は“フランケルが如何こう”という問題では無いのです」 「それは――」  全くの同意見だった。  帝國軍が展開すべき地域は恐ろしい勢いで広がりつつある。それこそ予想を上回る勢いで、だ。これでは幾ら兵がいても足りない。  が、それでも尚『現在の手法でも十分対処できる』などと豪語する者が少なからず存在する。実に嘆かわしいことだった。(これが陸海軍省や参謀本部、軍令部の幹部連なのだから余計始末におえない)  確かに現在の手法でも統治できないことは無いだろう。が、それには多くの戦力を投入する必要がある。その分国内の労働力が減るし兵站にも負担がかかる。如何考えても割に合わなかった。  ……いや、“割に合わない”どころか現状では“自殺行為”とすら言える危険な考えだろう。現地住民の協力が得られなければ、ましてや暴動が多発すれば、肝心の資源開発や資源輸送に少なからぬ影響が出ることは明白だ。それがどういう意味を持つか、帝國にどの様な影響を与えるか、連中には判らないのだろうか? 「我々の最大の敵は“距離”と“時間”です。であるならば、暢気に直接統治などやっている余裕が無いことは明らかでしょう」  今村中将は帝國の抱えている問題を端的に言い表した。  “距離”とは帝國と大陸を隔てる数千海里もの距離のことだ。その間は広大な未知の海洋と大地に阻まれており、港や道路の整備、航路設定といった輸送網の整備から始めなければならない為、実際の距離以上に遠い道程だった。肝心の建設機械や資材、船舶だって圧倒的に不足している。  “時間”とは帝國が備蓄資源を食い潰すまでの時間のことで、それまでに少なくとも主要資源の輸送体制だけでも整えておかねばならない。  ……つまり、帝國に現地住民と“遊んでいる”余裕など存在しないのだ。 「旧支配勢力に統治を任せれば人員も時間も大幅に削減できます。我々も資源開発と輸送網整備に全力を傾注できるでしょう」 「確かにそれはそうでしょう。 ……ですが色々な問題がありますよ。  まずそれでは資源地帯の領有権が帝國のものになりません。これは後々問題になるでしょうし、本国も納得出来ないでしょう。  ポストの問題もあります。その手法ではポストが大幅に減りますが、大陸帰りの官僚や半ば強引に除隊させられた陸軍さん達は如何されるのですか?  第一、肝心の現地勢力を手懐けられますかねえ?」  小沢の危惧は尤もだった。  資源地帯の領有は帝國の悲願であるし、莫大な開発投資をすることも考えれば下手な妥協は出来ない。  ポストの問題だって同じ位重要だ。生臭い話だが、名誉と収入を約束したからこそ陸軍は大幅な削減に応じたのだ。それを反故にすれば如何なるかは火を見るより明らかだ。子供にだって理解できるだろう。  ……そして、現地勢力とてむざむざ帝國に屈するとも思えない。仮に屈しても面従腹背は十分考えられた。 「形の上では“属国”“属領”とし、帝國の統治機関も置きます。が、自治権に関しては大幅に認める積りです。  ……これならば領有権も主張できますし、ポストも確保出来ます。現地勢力とて力を見せれば妥協するでしょう。  無論、バレンバンの様に重要な資源地帯や要地に関しては直轄としますが」 「ですが…… やはり難しい話ですなあ」  小沢はそう言うと腕を組んで考え込んでしまった。  今村の意見は一見容易にも聞こえるが、『それができれば苦労はしない』といった類の話だ。  そもそも如何言い繕っても『他所の国を侵略し、資源と労働力を奪う』行為である。これで反感を買わない訳が無い。  大体において、『必要だからその地を寄越せ』と要求されて『はいわかりました』などと言う連中がいる筈も無いのだ。  ……ましてやそれが傲慢な態度なら尚更だろう。『喧嘩を売っている』ととられても仕方が無い。  傲慢な一方的な割譲要求は怒りを買って拒否され、力尽くで奪うことになる。  が、相手の怒りと恨みは益々強まり、戦いによってそれは末端の民衆にまで伝播する。  かくして抵抗は続き、怒りと恨みは流れる血に比例して増していくという悪循環。  土地を奪われ、多くの仲間を殺された彼等の恨みは深い。  未開の部族の気性の激しさと団結力を、帝國兵達は身に染みて実感していた。  交渉にかける時間すら惜しみ、“力押し”も『止むを得ない』としていた帝國。  ……それが大陸進出から僅か一ヶ月足らずで揺らぎはじめていたのだ。如何程の抵抗を受けていたかが判るだろう。  が、下手に出たとて如何なるものでもない。  かつて白人が土人から一握りのガラス玉で広大な土地を買い取った故事に習い、当初は帝國も現地人から土地を買い取ろうとしたが、足元を見られて失敗している。  土人如きに足元を見透かされた外交官の無能振りにも涙が出るが、それ以上に軍の沸点の低さ――交渉の過程でキレた――も問題だった。もっと洗練された手法が必要とされていたのだ。  だから、今回は慎重を期した。  最も重要な資源である石油を産出するフランケルは、是非とも安定していて欲しかったからだ。  標的はシュヴェリン。  先ず、フランケル最大の国家でありシュヴェリンの敵対国であるメクレンブルクを操り、シュヴェリン国内に叛乱を起こす。この叛乱鎮定に力を貸し、恩を売って資源地帯を平和的・合法的に割譲させる。これが第一段階。  次いで、メクレンブルクをけしかけてシュヴェリンに侵攻させる。その際シュヴェリンは徹底的に孤立させ、追い詰める。そして支援を口実に本格介入し、用済みのメクレンブルクを叩き潰す。これが第二段階。  シュヴェリンに大恩を売ると共にフランケル全土に帝國の力を見せ付けた後、メクレンブルクを足場にフランケル全土の制圧を開始する。この際、シュヴェリンを前面に押し出すのが望ましい。これが第三段階。  最終的には全ての国々から統治権を剥奪し、帝國の直轄領とする。丁度かつての李氏朝鮮の様に。  マッチポンプではあるが、今までとは比較にならぬ程周到な計画である。当然成功する確率は極めて高いだろう――そう帝國は考えていた。  ……まあ、その実態は穏健派と強硬派のせめぎ合いによる玉虫色の計画となっていたが。  が、同時に帝國は計画が失敗に終わった時の腹も決めていた。  もし、もし今までの様な混乱状態になったら……  『鏖殺する』、と。  これは彼等二人にしか知らされていない秘密である。  全く反吐が出る様な話ではあるが、それ程まで帝國はこの地を欲していたのだ。 「しかし、失敗すれば腹を切るだけでは済みませんよ?」  上のことを念頭に、小沢はやんわりと諭す。 「それも覚悟の上です。小沢閣下には、海軍さんには御迷惑はおかけしません。 ……ですから、どうか騙されてやって貰えないでしょうか?  このままでは帝國は直ににっちもさっちも行かなくなってしまうでしょう。万が一如何にかなっても、後世に重い罪を背負わせてしまいます」  そう言うと今村は深々と頭を下げた。  ――成る程、そういうことか。  小沢はやっと今村を突き動かしているものの正体を悟った。  今村は、帝國の殺戮行動を止めようとしていたのだ。  転移から二ヶ月、実際に行動を開始してからなら僅か一月足らずの間に帝國が滅ぼした地域は両の手では数え切れない。  ……これは紛れも無く“虐殺”だった。ましてや一つの部族を丸々“消し去る”など、帝國史の上でも特筆すべき悪行である。  『何れも“文明圏”と呼ぶのもおこがましい様な未開の小規模部族群である』ことや『欧米列強よりはマシ』『今は非常時』といった言い訳も存在するが、何れにせよ不名誉であることには変わりない。しかも現在進行形であり、更にエスカレートする可能性が高いのならば尚更だった。 「……判りました。私は何も見なかった聞かなかったことにしましょう」 「ありがとうございます」  無論、小沢は今村一人に罪を被せるつもりは毛頭なかった。  何より、彼とて現在の状況を苦々しく思っていたのだから。 「後、気になることが一つあります」  会見時間も終わりに近づいた頃、今村は最後に一つ、と“報告書”のあるページを開き、それを小沢に見せた。  小沢は暫く黙って読んでいたが、やがてその表情は驚きに変わっていく。  そして、思わず呟いた。 「これは!」  ――それはダークエルフについて書かれた箇所であり、客観的な記述の多い中で珍しく、自身の経験が語られていた。  今から四十年以上前、未だ“彼”が王ではなく只の一代官だった頃 ある事件が起こった。  ダークエルフの隠れ里が見つかったのだ。  この知らせにフランケル中が大騒ぎになり、急遽有志連合による討伐軍が編成された。身分の上下関係なく集まった討伐軍は一万を呼号し、隠れ里を包囲しつつ進撃する。この時ばかりは全ての国々が一致団結して――少なくとも表向きは――協力したのだ。  が、“彼”は変装したダークエルフの領内通過に目を瞑り、そればかりか内々に女子供を匿った。露見すれば死罪は免れなかっただろうに、だ。  この騒動で数十人のダークエルフが惨殺された。(その大半が老人だったと伝えられている)  ……この時、討伐軍の中心になったのはメクレンブルク軍である。当時のメクレンブルク王は大変なダークエルフ嫌いであり、“彼”の言葉を借りれば『犬畜生にも劣る所業』を行ったらしい。  さて、上の話は“彼”にとってはこれで“終わった話”であったが、どうやらダークエルフにとってはそうでは無かったらしい。  ほとぼりが冷め、誰もがダークエルフの隠れ里のことを忘れつつあった頃、ダークエルフが当時王になったばかりの“彼”の前に現れた。  ダークエルフは『報恩のため』と様々な協力をしてくれた。各国の動向を探ってくれたのも有り難かったが、何よりも有り難かったのは他文明圏との交易の橋渡しをしてくた上、銃や竜の入手に尽力を尽くしてくれたことである。『自分ではどうにもならなかったことだから』――そう“彼”は率直に記している。  ……フランケル内の外交で落第点を帝國に付けられた“彼”が、他文明圏との外交では好評価を得られたのは、どうやら彼等ダークエルフの後押しがあってのことらしかった。 (また“彼”は、忌み嫌われている筈のダークエルフが裏では有力な王侯貴族や富豪と強く結びついているらしいことを知り、『この世界は複雑怪奇なり』と驚いて記している) 「もしこれが事実ならば、帝國は彼等に『踊らされている』という可能性もあります」  今村は声を潜めた。  “報恩”があるならば“復讐”もあるだろう。ダークエルフのこの地方への、ましてやメクレンブルクへの恨みは相当なものの筈だ。  ……そして今回の計画に彼等は当初から密接に関わっている。 「『ダークエルフへの迫害はあらゆる場所に存在する。これもその一つに過ぎない』――そう言われたらそれまでですが、考えられますね。  ……ですが、今回の計画はあくまで大本営が作成したものです。何も言えませんよ」  小沢が嘆息する。軍の、官僚の無責任体質に改めて失望したのだ。 「……ええ、仰る通りです。仮に問題提起しても、責任問題を恐れて握り潰されるのが落ちでしょう。“あそこ”はそういう所です」 「それどころか、『だからどうした?』でしょうね。作戦自体に問題が無ければ、私怨の一つや二つは問題視しないでしょう。  本当に問題視すべきは、作戦云々の次元ではないのに、です」  そう、本当の問題は―― 『帝國がダークエルフに操られたかもしれないこと』 『ダークエルフ問題に帝國が巻き込まれたかもしれないこと』  何れにせよ、情報を彼等に独占されていることによる重大な弊害だ。 「一刻も早く自前の情報網を整備しなければなりませんな。少なくとも資源地帯の制圧が一息吐いたら直ちに」  とりあえずは軍と外務省で、と今村は語気を強める。  が、小沢は首を振った。 「……外務省は駄目です。彼等に取り込まれつつあります」 「取り込まれる、とは?」 「連中、ダークエルフから個人的に得た情報を、自分の手柄として報告してるのですよ。  ……まあ彼等自身は『飼ってる』つもりでしょうが、ね?」  苦笑しつつ小沢は教えた。  情報と女で篭絡されすっかり親ダークエルフとなった高級外務官僚を、海軍省の同期から何人も聞いているのだ。 「なんたること! 官たる者が外人に取り込まれるなど!」  今村は信じられない、といった表情だ。 「……彼等に言わせれば、『殿下との御成婚が決まった以上、ダークエルフは同胞』だそうですよ?  ま、その豹変具合の裏に何があったのか些か興味を惹かれますが」 「……『敵は内にあり』ですか」 「まさしくその通りです。ダークエルフ達は賢明で、決して独断専行はしません。  彼等が動く裏には、必ずや中央の“お墨付き”があります」  その“賢明さ”が、尚更の警戒を呼び寄せる。  何れにせよ、これはダークエルフに対する懸念が陸海軍の高位者同士で共有された最初の出来ことであった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【22】  カナが天幕に戻ると、そこにはブッデンブルク将軍が立っていた。どうやら彼女を待っていたらしい。  が、彼は中々用件を話そうとしない。その様子と表情から『かなり重要な用件』と察して人払いを命じると、将軍はようやく用件を口にし始めた。  ……彼が語った内容は驚くべきものだった。 「メクレンブルク王陛下は『戦死した』のではなく『暗殺された』!?」  驚きの余りカナは思わず叫んだ。  そして、念のためもう一度確認する。 「……それ、本当?」 「無論です」  ブッデンブルク将軍は真剣な表情で頷いた。  戦闘終結後、メクレンブルク王は死体となって発見された。  馬廻りの騎士達の話によれば、本営が蹂躙され混乱した中で頓死したらしい。『高齢をおして行軍したことによる疲労』に『激しい怒り』が加わったことによる憤死、と彼等は判断した。  鎧の上からは特に外傷も見られないことから、当初はシュヴェリン軍も同意見だった。  が、清めの為に鎧を脱がせると、その背中は黒く変色していた。  ……毒による変色だった。直後に判らなかったことから、徐々に広がっていったものと考えられた。 「傷自体は注意して見なければ判らない程小さなものでした。細い毒針の様なものを用いたのでしょう。問題は――」  将軍はそこで一つ溜息を吐いた。 「問題はその場合、『余程近寄らないと暗殺できない』ということです」  細い針で鎧――チェーンメイル――の隙間を狙うのは吹き矢では不可能……とまでは言わないが難しい。確実をきすならやはり直接刺す他ないだろう。 「でも、当時は混乱状態だったのでしょう?」  雑兵にでも扮していれば幾らでも近づく機会はあった筈だ、とカナが指摘する。 「はい、ですが『メクレンブルク軍の本営が大混乱に陥る』などと一体誰が予想出来たでしょう?  正直、確信を持って準備しておかねばとても……いえ、それでも難しいものです。ましてや誰にも見咎められない様にやるのは」  これはプロの仕業であり、少なくとも馬廻りの騎士達には不可能な芸当だ、と将軍は断言する。 「殺害に使われた毒は恐らく“復讐の毒”。間違いありません」  “復讐の毒”は魔法薬の一つで、死に至るまでの間激しい苦痛をもたらすことから付けられた名称である。  気が狂わんばかりの苦痛に遭いながらも指一本動かせず、声一つ発することが出来ない、正に“復讐”の名に相応しい毒薬だ。  が、『死ぬまでにかなりの時間を要すること』『比較的簡単に解毒出来ること』から暗殺用としては実用性に欠け、主に王や大貴族が憎い相手を死罪にする際に用いられるに過ぎない。  ――故に、今回これを用いたということは『現在の状況を確信していた』ということになる。 「……じゃあ、帝國軍が?」 「彼等が王を殺したければ普通に出来ましたから、何もこんな汚れた手を使う必要もないでしょう。  ……第一、“復讐の毒”を用いる程の恨みがあったとも思えません」  メクレンブルク王に激しい恨みを持ち、かつ先を見通せていた者の仕業でしょう、と将軍。 「それは誰?」 「まあ先を見通す云々は兎も角、ダ―クエルフ――恐らく直接実行したのは彼等でしょう――を雇える程の財を持ち、かつ王に激しい恨みを持つ者、となればかなり絞られる筈です。もう少々お待ち下さい」 「ダ―クエルフ自身が首謀者、とも考えられるわよ?」  ダ―クエルフは以前狩られた経験からフランケルの国々、特にメクレンブルクに対して激しい恨みを持っている筈だ。  ……が、将軍はそれをやんわりと否定した。 「如何な彼等とはいえ、流石にそこまで先を見通せますかどうか。第一、彼等の流儀にも反します」 「流儀?」 「ダ―クエルフが王を殺すなどあり得ないのです」  彼にもルールがあるのです、と将軍は言う。  そう。闇に生きる種族ダ―クエルフも好き勝手に行動している訳では無い。その行動には厳格なルールが存在するのだ。  ダ―クエルフがそれを無視するなど考えられなかった。  ……何故ならそれは人間との“誓約”であり、彼等が闇の世界で生きていく上で必要不可欠なものだったのだから。  ダ―クエルフは大昔から迫害されていた種族である。  何故迫害されたかについては諸説乱れ飛び、詳細不明だ。  が、かつて大罪を犯したらしく、様々な忌み名――それも尋常でない――で呼ばれていた。  曰く、“闇の王と交わりし者”  曰く、“神々に叛し者”  曰く、“許されざる者”……要は『その存在を否定された種族』であるということだ。  当然、国どころか安住の地すら持てず、人目を逃れての放浪を余儀無くされたという。  ……そんなこの世界で生きていくため、遙か昔に彼等はある決断を下した。  闇の世界で生きていく、という決断を。  ダ―クエルフは人を超越する知力、体力、魔力を持っている。それを活用する知識にも事欠かない。  その全てを持って、種族ごと闇の世界に身を投じたのだ。  幸いにも、人間の国々の大半は闇の世界の住人となったダ―クエルフを雇い入れた。 ……それも喜んで。  国を、権力を維持するのは奇麗事では済まない。その中には様々な闇が潜んでいる。その闇を担う――汚れ仕事を押し付ける――相手として、彼等ダ―クエルフは最適だったのだ。  ……それはそうだろう。優れた戦士であり、大魔道士でもある“忍”など他に存在する筈が無い。万が一存在しても、とても使い捨てに出来るような存在では無いだろう。名前だって知られている筈だ。  が、ダ―クエルフならばそんな存在は山といるし、失敗しても『知らぬ存ぜぬ』で突っ撥ねられる。 『ほう? ダ―クエルフが? それはお気の毒に!  何しろきゃつ等は“闇の王と交わりし者”、どんな悪逆非道なことだって平然と行う輩です。お気をつけなさい。  ……で、今日はまた一体何用です? その話と一体どの様な関係が?』――と。  以降、人間の国々はその存在が公にならない限り、ダ―クエルフを積極的に狩り出すことは無くなった。  『闇の世界で』とはいえ、ダ―クエルフは生きることを許された――実際は黙認だが――のだ。  故に、彼等ダ―クエルフとてむやみやたらと手を汚す訳では無い。ある意味人間と共生している以上、そこにはルールが存在する。 『王や大貴族の暗殺は決して行わない』 『秘密は絶対に守る』 『一国に肩入れしない』等々……どれも生きていく上で絶対に守らねばならないものだった。  何故ならそれは誓約であり、究極的には自分達を守るものでもあったから。  無論、ブッデンブルク将軍はこういった経緯や事情の全てを知る訳では無い。  が、辺境の小国とはいえ彼も一国の重臣だ。ダ―クエルフのルール位は承知していたし、それを律儀に守る理由も見当が付いた。  ……故に、ダ―クエルフがやったとは思えない、と断言したのである。 「え、でも……」  ちょっと待って欲しい、とカナは思った。  でも、大叔父様はダ―クエルフに殺されたのだ。  確証は無いが、多分殺されたのだ。  ……が、流石にそれを口に出す事は憚られたため、当たり障りの無い質問に変える。 「何でしょう?」 「叛乱を起こした大貴族とかは?」 「無論、殺しません。その叛乱はもしかしたら成功するかもしれませんからね。  そしてそれ以上に、貴人から“反感”や“恐怖”を買う事を彼等は好みませんから」  如何なる理由があろうと、“薄汚い”ダ―クエルフに貴人を殺されれば貴人達は“反感”を持つだろう。そして『次は自分』と考えるかもしれない。何せ彼等は闇に近い場所にいる。殺される理由には事欠かない。  ……故に、『絶対しない』と保証する必要があったのだ。  貴人は雇い主であると同時にその安全を保証(黙認)する権力者でもあるのだから。 「ですから例えメクレンブルク王家に恨みがあろうとも、王家自身には絶対に手を出さない筈です。  その報復対象は平民や中堅以下の家臣に止まるでしょう。 ……事実、あの時もそうでしたから」  以前フランケルで多数のダ―クエルフが狩られた後、狩りに参加した人々が次々と殺害される事件が起こった。  ダ―クエルフの報復である。  狩りに軍を参加させた国々は、中堅以下の家臣が数人ずつ殺害された。  狩りに参加した平民に至っては、頭格の者全員が殺害された。  ……が、どの王家もその上級家臣団も、皆無事だったという。  もう“終わった話”なのだ、と将軍は言った。 「…………」  将軍の発言にカナは考え込んでしまった。  そこに決して無視できない事実を発見したからだ。  『既にダ―クエルフがルールを破っている』という事実を。  帝國の配下になった時点で、既にダ―クエルフは中立の禁を犯している。  ……いや、それどころかは『もう雇われ仕事はしない』とすら以前会ったダ―クエルフは言っていた。  それは即ち、『闇の世界から足を抜けた』『(帝國以外の)人間との共生関係を捨てた』ということだ。  そんなことをすれば後戻りは出来ない、ダ―クエルフは帝國と運命を共にするしかないというのに、である。  そこまでして帝國に付いた理由は何だろう?  帝國はダ―クエルフに一体何を与えたというのだろう?  主従というが、一体どの程度の関係なのだろう?  ……正直、判らないことだらけだ。が、ダ―クエルフがここまで腹を括る以上、生半可なものではないことだけは確かだった。 『この世界の全てを支配できるだけの力を持った御方』  ふと、以前聞いたそんな言葉が頭を過ぎった。  もしかして、ダ―クエルフは……  そこまで考え、カナは首を振った。それは余りにも馬鹿げた考えだったからだ。  確かに帝國は強大だ。けど、この世界はたった一国で支配できる程―― 「姫様?」 「……何でもないわ。ありがとう、下がっていいわ」 「ハッ、このことは帝國やメクレンブルクには?」 「……話を拗らせたくないわ。メクレンブルク王陛下は名誉の戦死を遂げられた、それだけよ」 「畏まりました」 「ふう」  将軍が下がった後、カナは溜息を吐いた。  余りにも色々なことが続けて起こったからだ。 「どうやら考えていた以上の大事よね……」  カナは、メクレンブルク王を殺害したのはダ―クエルフだと確信していた。  ルールを破り捨てた以上、最早彼等が遠慮する理由は無い。ならば遣り残した復讐を遂げようとするのは当然だろう。  今まで闇に身を潜め、ひたすら屈辱に耐えてきた彼等が突然顔を上げて主張し始めたのだ。 「今まではフランケルだけの問題だとばかり思っていたけど……」  どうやらそんなものでは済まなそうだ。  大きな時代の変革が訪れようとしていることを、カナはぼんやりながらも感じ取っていた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【23】  カナを散々からかい――タチが悪いことに自覚が無い――気分を切り替えた有馬大尉は、ほろ酔い気分で部下達の所へと向かう。  丘を下りる道からは、シュヴェリン兵達が捕虜となったメクレンブルク兵を使い、戦後処理に当たっている光景がいたる所で見られた。  ……実際、シュヴェリン軍は上から下まで勝利の祝杯を上げる暇も無い程忙しい。  膨大な捕虜、遺体、戦利品……これ等の始末にてんてこ舞いだ。  下は早朝からの休み無しの戦闘後、軽装とはいえ鎧兜に身を包み、腰には剣、手には斧槍を携え捕虜を監視・監督、  上は上で(事務官まで戦闘に投入し、その半数が死傷したため)膨大な事務手続きを必死で消化している。  ある意味、捕虜のメクレンブルク将兵よりも辛いだろう。 「ご苦労なことだ」  だが客将の有馬大尉は暢気なもの、他人事の如く呟き、歩を進める。  ――と、前方から誰かが駆けてくるのが見えた。彼の部下だ。 「中隊長殿! 大変であります!」 「何事だ?」  慌ててはいるものの小声で話す兵に、有馬大尉の酔いが急速に醒めていく。 「師団司令部より参謀殿がお見えであります!」 「参謀殿? しかも師団の? ……一体、何用だ?」  その思いもよらぬ内容に、有馬大尉は首を捻る。 「中隊長殿、“さんぼうどの”ではありません、“さんぼうどの”であります!」 「? ……! 参ったなあ、よりによって“三暴殿”か!?」  兵が指を3本指し示したことで、ようやく有馬大尉は理解した。  参謀は参謀でも、“三暴殿”が来たことを。  第六師団作戦参謀、水谷中佐。通称“三暴殿”。  その無謀、横暴、乱暴さから『参謀ではなく“三暴”』と陰口を叩かれる程の人物――と言えば、その人となりが判るだろう。  以前は関東軍参謀を務めていたのだが、二年前に第六師団参謀に転出し、現在に至る。  事実上の左遷である。『ノモンハンでやり過ぎたため』と専らの噂だ。(嘘か真かは不明だが、ノモンハン後に指揮官達に自決を強要したらしい)  だが左遷後もその性格は変わらず、いやかえって水を得た魚の如く支那で暴れまわっていた。  当然、そのツケを最も支払わされる立場である中〜大隊長達からの評判は極めて悪い。(かくいう有馬大尉もその一人だ) (ちっ、よりにもよって……)  有馬大尉は露骨に顔を顰め、盛大に舌打ちする。 「今 軍曹殿が応対しております。お急ぎを」 「分かった、直ぐ行く。御苦労だった」  有馬大尉は兵を労うと足を速めた。  ……その急な来訪を訝りながら。 「大尉、いつまで遊んでいる! さっさと片をつけんか!」  それが水谷中佐、開口一番の言葉だった。 「……『遊んでいる』とは?」  軽く聞き流しておこうと考えていた有馬大尉は、この言葉に血相を変えた。  だが水谷中佐は気にも止めず、怒鳴り続ける。 「当然だろう! いつまでも“戦国ごっこ”などしておらんで、今直ぐ三国に侵攻せよ!」 「しかし、自分等はシュヴェリン付になっております、勝手な真似は――」 「命令だ!」 (命令、ね…… お前に命令権なんか無いだろう?)  有馬大尉は内心毒づいた。  参謀に命令権は無い。ましてや軍直属となっている現在、彼と彼の中隊は第六師団から切り離されている。元の大隊からの命令だって聞く必要は無いのだ。  ……が、それはあくまで形式上の話に過ぎない。  実際問題“軍直轄”など一時的なものに過ぎない以上、師団の意向を無視することなど出来ないし、その中枢にいる参謀の言葉を無視するなど愚の骨頂である。  故に、水谷中佐の言葉は相当な強制力を持っていた。  ――とはいえ、さすがに今回の“命令”は滅茶苦茶だ。これでは軍司令官の意向に真っ向から反してしまうではないか。 「シュヴェリン軍は現在、疲労により戦える様な状態ではありませんが」 (こいつ、一体何を企んでいる? 何が目的だ?)  水谷中佐の真意を探るため、有馬大尉は再度弁明を試みた。 「お前は馬鹿か!? シュヴェリンなぞ関係ない、我が軍単独に決まっておるだろう!」 「……しかし先程も申し上げました様に、我が中隊はシュヴェリン付になっております。勝手な真似は出来ません。また、単独での敵地侵攻には不安があります。地理や風俗に不案内過ぎますから」  そう言いつつ、有馬大尉は確信した。  水谷中佐は軍司令官の意向を無視し、初期の計画に従ってフランケルを完全制圧しようと考えているのだ。  ……如何にも“三暴殿”の考えそうなことである。  恐らく、軍司令官の不在――有馬大尉は知らないが――を奇貨とし、一気に既成事実を作り上げる腹づもりなのだろう。 「先の戦勝でシュヴェリンの危機は去った。である以上、契約は終了したものと判断できる。地理についても心配するな、ちゃんと道案内を用意した」 「ならば、せめて中隊全力が揃うまでお待ち下さい」  無論、中山と連絡をとるための時間稼ぎである。  だが同時に、中隊長としての判断でもあった。  現在手元にある兵力は、中隊本部に歩兵1個小隊、それに八九式中戦車が1両。  戦車が整備中であることを考えれば、甚だ心許ない戦力だ。(加えて、強行軍で疲弊している!)  が、水谷中佐は鼻で哂った。 「お前、蛮族相手に何を言っている?」 「次の戦いは攻城戦となりますが、唯一の重火器かつ突破戦力である戦車は現在整備中です。そうなると我が中隊は自前の兵器のみで戦うことになりますが、6.5mm弾はおろか擲弾でも厚い城壁や城門を貫けません」 「擲弾で制圧し、乗り越えれば良いではないか」 「ですが、その際に少なからぬ損害がでます。 ……一日二日も遅らせれば防げる損害が」  その言葉を言い終えた直後、水谷中佐の拳が飛んできた。 「軍人が損害を恐れてどうするっ!」 「…………」 「今は非常時だ! 我々は御国の為にっ! 一刻も早く石油を手に入れねばならんのだっ!」 「…………」  ……そのために祖国に大虐殺の罪を負わせるのか?  『将来邪魔になるだろうから』という理由で、何万人も殺すのか?  馬鹿も休み休みに言え、連中は獣じゃない、追い詰めればそれこそ最後まで戦うに決まってる。  そうなれば――殺せるのか? 殺しきれるのか? 100万人も!?  現在の帝國に、そんな余裕があると本気で思っているのか!? それこそ油田建設どころではなくなるぞっ!? (さすが三暴殿だよ、常人とはおつむが違う)  頬を殴られても、有馬大尉は微動だにしなかった。  ただ無言で見下ろすのみ。  だがその行為は、水谷中佐をより一層刺激した。 「なんだ! その目は!?」  更に拳が飛ぶ。それも一度ではない、二度、三度……  新品少尉ならともなく、実戦を経た大尉をここまで殴るなど尋常ではない。  たとえそれが“三暴殿”でも、だ。  だが両者それぞれの事情が、彼の激情を招きいれた。  貧農の出である水谷中佐は富豪、しかも華族の出である有馬大尉を日頃から目の敵にしていた。  対する有馬大尉も、彼に対する反感から『何処の馬の骨とも判らぬ下郎が、なにを威張ってやがる』と侮蔑する。  コンプレックスと傲慢不遜な態度……両者はぶつかるべくしてぶつかったのである。  …………  …………  ………… 「何れにせよ、残りの部隊は来ん。シュトレリッツ、シュワルツブルク両国を制圧するよう命じたからな。 ――だから、お前は現在の戦力で大至急メクレンブルクを制圧せよ」  殴りつかれたのか肩で息をしつつ、水谷中佐が再度命じた。  この言葉を聞き、有馬大尉の中で殺気が膨れ上がる。 (こいつ…… 俺の中隊に勝手に命令まで出しやがったのか……) 「あとあの小娘……カナとか言ったか?、事故にでも見せかけ、始末しろ。それが無理なら強引にでも構わん」 「……同胞を、それも少女を殺せと?」  有馬大尉が沈黙を破り、訊ねた。  それは、妙に平坦な口調。  だがそれに気付かぬのか、水谷中佐は吐き捨てる様に答えた。 「同胞!? はっ! 冗談はよせ! あの小娘は帝國の血なぞ1/4しか引いておらん! 帝國人としての意識も教育も無い以上、帝國人ではないっ!」 「……なるほど。中佐殿がお考えになる同胞とは、左様のものですか」  有馬大尉の口元が歪んだ。  その意味するところを勘違いしたのか、水谷中佐も口元を歪め、笑う。 「ああ、あれがいなければ余計なことを言い出す連中もいなくなり、帝國自らこの地を支配でき――」  ……それが、水谷中佐の最後の言葉だった。  有馬大尉が放った抜き打ちからの逆袈裟により、彼は何が起こったのかも分からぬまま絶命した。 「下郎が!」  斬り捨てた水谷中佐の遺体を見下ろし、有馬大尉は吐き捨てた。  だが同時に激情も去り、己が仕出かしたことの重大さも理解する。  上官殺害。軍法会議で極刑も有り得る重罪だ。 「銃殺刑、か……」  銃殺刑と口にした途端、全身から血の気が引いていく。  だがその反応とは裏腹に、有馬大尉は妙に冷静だった。  この如何にもな反応に苦笑しつつ、己の心に問いかけてみる。 (ふむ、もしや俺は後悔しているのか?)  暫し熟考し、ゆっくりと首を振って否定した。 (……いや、俺は後悔していない)  確かに激情はしていた。が、決して一時の感情ではないと断言できる。  この男は――死んで当然だ。  そんなことよりも、問題は『これから』だろう。  どうする? 大人しく自首するか? それとも…… 「とは言え、正直こんな男のせいで死ぬなど真っ平御免だな……」  ……ああ、確かにこれが内地ならば大人しく自首するのが得策だろう。  こいつも大いに問題のある男だ、コネやら何やらを総動員して運動すれば、罪の一等や二等減じられる可能性が高い。  が、こんな僻地ではそれもままならない。(何より、戦時体制なので裁判も即決・厳罰主義だ!)  よって、自首は却下だ。 (だが逆に考えれば、『捜査も荒い』と言うことでもあるな。幸い俺はここの最高責任者だし、何とかドサクサに紛れて――いやいや、ここは落ち着いて考えろ)  そう自分に言い聞かせると、有馬大尉は剣を正眼に構え、目を瞑る。  一刀流免許皆伝の剣士である彼にとり、最も効果のある精神統一法だ。 (……?)  と、遺体の反対側に、微かな違和感を感じた。  これは……人の気配? (いや、だがしかし……)  その方向に傾注すると、“違和感”は霧散した。  気のせい……か?  その可能性は十分にある。きっと神経が過敏になっていたのだろう。 (そもそも最初に感じた“違和感”とて、何故“人の気配”などと感じたのか……)  だが待てよ、と思い直す。  “違和感”捕らえた時、そしてそれを“人の気配”と判定した時、自分の心は空っぽだった。  それ以降とは異なり、無の心境にいた訳である。ならば信じてみるのも悪くないかもしれない。 (こんな訳の分からん世界だからな、ひょっとしたら狐狸の類かもしれん。 ……ま、駄目元だ)  有馬大尉は目を開けると一瞬悪戯っぽく笑い、だが直ぐに真剣な表情で剣を構え直す。  そして、“違和感”を感じた場所に向かい、鋭く告げた。 「そこにいるのは誰だ? 出て来い」  …………  …………  ………… 「…………」  有馬大尉は黙って剣の向こうを凝視する。  だが10秒経っても20秒経っても一向に変化は訪れない。 (これは……失敗したか?)  些か気恥ずかしくなってきた頃、変化が訪れた。 「?」  まるで砂漠にいるが如く、目の前の空気が揺らぎ始める。  揺らぎはどんどんどんどん大きくなり、やがて――  目の前に、一人の男が出現した。  一見したところ、男は白人風の青年だった。  ……ただ一つ、その尖った耳を除けば。 (ははあ、これ噂に聞くダ―クエルフか)  有馬大尉はそう見当をつけると、記憶の中から彼等に関する知識――と言っても新聞で読んだ程度のものだが――を引っ張り出した。    ダ―クエルフ。  この世界における帝國の“片腕”、  生まれながらの“忍”、  欧州における猶太人の如く、謂れ無き迫害を受ける民……  ――等々、ごくごく大雑把な情報が頭の中を駆け巡る。  新聞(政府の公式発表)を鵜呑みにするほど阿呆ではないが、まあこの程度なら信じても害はなかろう。  だが何故ここに―― 「!」  脳裏に、先の水谷中佐の言葉が蘇った。  『地理についても心配するな、ちゃんと道案内を用意した』  あの時はただ聞き流すだけだったが……成る程、確かに案内人には打ってつけだ。 (しかし、不味いな……)  有馬大尉は唇を噛む。  何時からいたかは知らないが、この状況を見られた以上同じこと。何とかしなければ…… (斬る、か?)  その誘惑に駆られ、剣を握り直す。  如何な“忍”“外法の使い手”とはいえ、この間合いからの一撃を防ぐことはできまい。(しかも密室だ!)  毒喰らわば皿まで。有馬大尉は呼吸を整え、再び精神統一を試みる。  ――が、それは叶わなかった。 「これはこれは初にお目にかかります、有馬大尉殿」  目の前のダークエルフが、いきなり深々と頭を下げたからである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【24】 「これはこれは初にお目にかかります、有馬大尉殿」  そう言って深々と頭を下げるダークエルフ。  その余りに無防備かつ道化染みた態度に意表を突かれ、有馬大尉は思わず鼻白んだ。  そんな彼に、ダークエルフはまるで十年来の友人に対するが如き口調で語りかける。 「私、エドリック・ヴォーン(長いので以下略)と申します。どうか気軽にエドとお呼び下さい」 「…………」 「いやはや、本日はお日柄も良く。 ……いえ、もう沈んでいますけどね?」 「……………………」 「そういえばこの間、うちの隣で飼われている犬が仔を産んだのですよ、10匹も。現在里親を探しているらしいのですが、一匹如何です?」 「…………………………………………」  目の前の惨状などまるで無視し、ダークエルフは一方的に喋り捲る。  それは宛ら言葉の洪水で、こちらに言葉を発する隙を与えない。  だが有馬大尉とて何時までもこの状況に甘んじている訳ではなかった。最初の内こそ呆気にとられていたが、徐々に目が険しくなっていく。  ――それが限界まで膨れ上がった時のことである。 「おや、これは大変失礼! いやはや、大尉のことは常々お聞きしていたので、ついつい知っているつもりになっていましたよ」  その冷たい視線にようやく気付いたのか、ダークエルフ……いやエドリックが大袈裟な身振り手振りで詫びた。 (? ……こいつ、俺のことを知っている?)  ブラフかと思いつつも、有馬大尉は足元の遺体に顎をしゃくる。 「これが話したのか?」 「まさか!」 (……おや)  質問を一笑に付すエドリック。  その一瞬見せた冷たい目に、有馬大尉は軽い驚きを覚えた。  どうやらこのダークエルフ、水谷中佐に対してかなり非好意的な感情を持っているようだ。  ……何か手酷い侮辱でも受けたのだろうか? (あり得るな)  水谷中佐の性格を思い出し、内心大いに頷く。(こいつを殺したいと思っているヤツは、ざっとダース単位で存在するだろう!)  そうなると不思議なもので、このエドリックというダークエルフに少しばかり親近感が湧いてきた。 (だが、それとこれとは別だ)  そんな自分に有馬大尉は言い聞かせる。  犯行現場を目撃されたことに変わりは無いのだ、と。  加えて先の隠行といい、自分を煙に巻くこの態度といい、兎に角このダークエルフは油断がならない。  だがそんな有馬大尉の心を知ってか知らずか、エドリックは暢気に種を明かした。 「カナ姫様やクレア姫からお聞きしたのですよ」 「? あのシュベリンのお姫様とクレア……誰だって?」  前者は兎も角後者の名に聞き覚えの無い有馬大尉は、眉を顰めて聞き返す。  と、エドリックは顔に手を当てて天を仰ぎ、大袈裟に嘆いて見せた。 「ああ! 姫は貴方を恩人と感謝しているのに、なんと薄情な!? あなたの無二の親友の婚約者ではないですか!?」 「無二の親友の婚約者? ……ああ、あの猫姫か」  まだ子供と言って良い異国の少女を思い出し、有馬大尉は呟いた。  そういや、アレもダークエルフだったっけ。猫姫呼ばわりしてたからすっかり忘れていたぞ……  まあ名前すら忘れていたしな、仕方無いか……ん? 婚約? 「婚約したというのは本当か?」  そこまで話は進んでいるのか、と有馬大尉は訊ねる。  だが、たしかあの猫姫はまだ―― 「猫姫……くくく、まさにっ! いや〜、中々お上手い!」  ……が、エドリックは爆笑してそれどころではなかった。  ひとしきり笑った後、涙目で答える。 「いや失礼、少々ツボに入りまして。あ、婚約者云々は御本人の自称ですので、祝電やご祝儀は結構かと」 「何故それに付き合う」 「……脅されましたからね。『協力しなければウェルダンにします!』と」  ――だから大尉もお気をつけなさい。  どこまで本気か分からぬ表情で忠告する。  馬鹿馬鹿しい……  いい加減付き合いきれなくなってきた有馬大尉は、さっさと始末をつけることとした。 「エドリックとか言ったか? お前には、三つの道がある。『抵抗して殺される』『逃げようとして殺される』『無抵抗で殺される』――、好きな道を選べ」 「おお! 何たる悲劇っ! 何故私が殺されなければならないのでしょうか!?」  大袈裟に嘆き天を仰ぐエドリック。  そんな彼に有馬大尉は遺体を顎でしゃくってみせる。 「現場を見られた以上、生かしておけんからな」  と、エドリックは『なんだそんなことか』とでも言わんばかりに肩を竦めた。 「ああ、それならご心配なく。我々、帝國人同士の揉め事に関る気は更々ありませんから」  その下手な逃げ口上に、有馬大尉は鼻で哂う。 「要するに『見なかったことにする』という訳か? だがこうして見つかった以上、見て見ぬ振りもできまい」 「いやいや、これはあくまで前置きです。本題はこれから」 「ふん……」 「我々、今話した様に帝國人同士の揉め事に関る気は更々ありません。ですが、有馬大尉とは他人ではない。それどころか私の親友の妹姫の想い人の親友です。加えて面識こそないが色々話は聞いている――こうなると話は違ってきます」 「その程度で、か?」  他人も同然ではないか。  その無理なこじつけに、有馬大尉は苦笑する。 「その辺は価値観の違いでしょう。まあ要するに私個人としましては、大尉の手助けをしたい訳です。が、それでは一族の掟に反する。私は悩みました。『助けるべきか、助けざるべきか、それが問題だ』と!」 「まるでハムレットだな?」 「そして迷っている所を、大尉に発見された訳です。いやあ〜、さすがは一刀流皆伝! お見事です! ……お見事と言えばあの抜剣からの一撃、惚れ惚れしましたよ」 「ほう? 見て止めなかった、か」 「おや、これはついつい余計なことを言ってしまいましたか?」  この口が悪い、と己の口を叩くエドリック。 「ま、そんな訳で踏ん切りがついた訳です。 ――これも何かの縁、お助けしますよ」 「目的は?」 「“縁”では駄目ですかね?」 「弱いな」  有馬大尉は首を振る。  確かに、有り難くないと言えば嘘になる。  が、死体始末に協力するということは『水谷中佐殺害の片棒を担ぐ』ということである。  公人(軍務中の師団参謀)を殺すいうことは、帝國の権威に対する挑戦だ。そんな危ない橋を、たかがその程度の“縁”で…… (ありえん。もし本気だとすれば、いったい何を企んでいる?)  必死に目の前のダークエルフの真の目的を考える有馬大尉。  だが、彼に考える時間は残されていなかった。 『中佐殿! シュトレリッツ、シュワルツブルク両国に派遣した部隊からの無電です!』  天幕の外から声が聞こえてきた。 (選択の余地無し、か……)  有馬大尉は嘆息する。 「……他に碌な手も無いことだし騙されてやろう。が、恩には着ないぞ?」 「了解しました。 ――では」  エドリックはコホンと咳払いを一つすると、水谷中佐そっくりの声で外に向かって怒鳴りつけた。 「今忙しい! 後にしろっ!」 『も、申し訳ありません! では!』  天幕の外から狼狽した声が聞こえ、直後にバタバタと足音が遠ざかっていく。  助かった……  有馬大尉は安堵の吐息を漏らす。  だがエドリックから目を離していたことに気付き、慌てて視線を戻す。  と、そこには――水谷中佐が立っていた。 「!?」  ――馬鹿な!?  驚愕のあまり有馬大尉は大きく目を見開いた。  確かにあの時、手応えがあった筈…… 「大尉。私ですよ、私」  狼狽する有馬大尉に向かい、水谷中佐はそう言って大袈裟に肩を竦める。  それは、決して彼に有り得ぬ仕草。  何より、その声は―― 「! ……まさかエドリック、か?」 「当たりです。ま、急のことなのでかなり粗いですがね?」 「…………」  有馬大尉は瞠目した。  憎々しい相手故に、水谷中佐の外見は熟知している。  その彼から見ても、先の声……そしてこの姿は“瓜二つ”としか言いようがなかった。 「これが、魔法……」  思わず驚愕の呻きを漏らす。  正直、魔法を見たのはこれが初めてだ。  だが、にも関わらず高を括っていた。周囲の皆と同様、何の根拠もなく“子供騙し”と認識していた。  ――それがどうだ!  この変装術一つとってみても分かる。  魔法は断じて子供騙しなどではない。それどころか、我等が知らぬ未知の技術体系だ。  もし、こんな変装をされて潜入されたら…… (帝國軍は大混乱に陥る)  ……そう断定せざるを得なかった。  帝國軍にはこの変装術を見破る術が無い。(流石にチェックすれば分かると信じたいが……)  いや、それどころか変装術の存在そのものすら知らない者が大半だろう。  ならば、潜入者達は何だってできる。  情報収拾、流言、破壊活動、そして軍幹部の暗殺…… 「お前達以外にも、そういった変装をできる連中は多いのか?」  有馬大尉は乾いた声で訊ねた。 「……それは『この世界の人間達で』という意味ですか?」 「とりあえずは」 「いない、とは断言できませんが……いても極々一握りでしょうね」  エドリックは暫し考え、答える。 「正直、人間の魔導師では基礎魔力が低過ぎますからねえ。それにこの技術は我等のメシの種……もとい秘術の一つですから、例え同等の魔力があってもそうそう真似できないでしょう」  だからこそ私達重宝されていた訳ですが、とエドリック。 「そうか……」 (とりあえずは安心、ということか?)  有馬大尉は自問する。  いやだが……ああ畜生! 色々有り過ぎて考えがまとまらん!  混乱する有馬大尉。  そんな彼の隣で、水谷中佐……いやエドリックが何かを短く呟いた。  直後、水谷中佐の遺体が消える。 「!?」 「目晦ましをかけただけですよ。本当に消した訳じゃあありません」  試しに遺体があった場所に触れてみると、確かに“何か”がある。  だが、これほどあっさりと死体を消し去るとは…… 「血の臭いについては外も酷いから香で誤魔化すとして、返り血は……まあご自分でなんとかして下さい」 「あ、ああ……」  有馬大尉は言われるままに頷いた。  確かに返り血位なら、戦いの後だしどうとでもなる。(何なら捕虜を一人二人斬って誤魔化してもいいのだ!)  有馬大尉が頷くのを確認すると、エドリックは深々と頭を下げた。 「では私はこれで。是非またお会いしましょう」  そして、天幕を出て行こうとする。  ……が、途中で何かを思い出したように振り返った。 「あ、直ぐに私の部下達が現場の始末と死体を引き取りに伺いますので」 「ああ……」  言い終えると、エドリックは天幕から出て行った。  その後姿を、有馬大尉はただただ呆然と見送ることしかできなかった。  彼の元に『帰還途中の水谷中佐が三ヶ国連合軍残党によって殺された』との知らせが届いたのは、その翌日のことである。 「ではさようなら、お元気で」  そうにこやかに告げると、エドリックは水谷中佐の遺体を崖から蹴落とした。  遺体は暫く崖伝いに転がり落ちるていたが、やがて勢い良く宙に浮き谷底へと消えていく。 「ふう…… これでよし、と」  これを確認し、『いい仕事をしました』と言わんばかりの笑顔で額の汗を拭うエドリック。  遺体にも念入りに偽装――あの見事な斬り口はこの文明圏の剣と剣技では不可能だ!――を施したし、先ず露見することはないだろう。  さあ、後は最後の仕上げだ……  そんな彼に、控えていた部下が恐る恐る声を掛けた。 「……しかし、本当によかったんですかね?」 「? 何がです?」 「帝國人殺し……それも軍幹部殺しの後始末をするなんて、明らかに上の指示に反していると思われますが」  如何なエドリック様でも、露見したら不味いことになるのではないか、と部下。  子飼いの部下だからこその忠言だ。  ……が、エドリックの返答は予想の遥か上に行ったものだった。 「なんだ、そんなことですか」 「!? 事実上の勅命ですよ!?」  流石に目を剥く部下。  そんな彼に、エドリックは噛んで含める様に教えてやる。 「あれはあくまで原則です。それに確かに『殺すのは駄目』と言われましたが、『死体の後始末もするな』なんて言われてないでしょう?」 「……それは詭弁では?」 「それに、有馬大尉は水谷中佐如きとは比べ物にならない程の要人です。そんな彼と裏で繋がっただけでも、この程度のリスク十分おつりが来ますよ」  そう、有馬大尉は名門子爵家の当主である。  それもただの子爵ではない。その財力・人脈・地盤は、下手な伯爵侯爵を上回る。 「軍でこそ一大尉に過ぎませんが、お膝元の県では相当な権力があります。中央政界に出ても……まあ流石に宰相は無理でしょうが大臣にはなれるでしょうね。しかも下手に伯爵侯爵や将軍提督に近づくより、周囲に警戒を抱かれません。そういった意味でもローリスク・ハイリターンなのですよ」  それが、“上忍”としての彼の判断。 「しかし、貴人に情け無しと言います。ましてあの方は『恩に着ない』といい、エドリック様も『それでいい』と――」 「下手に恩を着せるより、帝國人にはその方が効果的なのですよ。ましてあの方はわざわざ『恩に着ない』などと言明されたのですよ? これでは『意識してます』と言っているようなものではないですか」 「そういう……ものでしょうか?」 「そういうものです。 ……やけに食い下がりますね? 今回は」  そう言ってエドリックは首を捻る。  いつもなら、自分が問題ないと言えば引き下がるのに……  と、部下は言い難そうに答えた。 「申し訳ありません。エドリック様らしくなくて、つい……」 「と言いますと?」 「これは皆も言っているのですが……どうもフランケルに来てからエドリック様は変だ、と」 「ふむ、自覚はありませんが、注意してみましょう」  自分では気付かぬ何かがあったのかもしれないな、と頷くエドリック。 「出すぎた真似、申し訳なく――」 「あなたは我が家譜代の臣です。その忠誠に感謝こそすれ、不快に思うことなどありません」 「はっ、光栄の極みです」 「で、あなたから見て気付いたことはありませんか?」 「いえ、それは……」  流石に部下も言葉を濁す。 「どうせここまで言ったんです。残りも言ってしまいなさい」 「では、お言葉に甘えて。どうもエドリック様はシュヴェ――」  部下は一旦言いかけ、だが直ぐに口を噤んだ。  このあからさまな態度に、流石にエドリックも眉を顰める。 「? シュベリンが何か?」 「! いえ! 何でもありません!」 「何も無い筈無いでしょう……」 「そんなことより! どうもエドリック様はあの軍幹部がお気に召さなかったようですがっ!」  主君の追求に、部下は慌てて話題を逸らす。  だが口からの出任せという訳でもない。  確かにエドリックの水谷中佐の遺体に対する扱いには、明らかな嫌悪感が滲み出ていた。  しかも、それを隠そうともしない。 「ほう? 私が水谷中佐を嫌っている――そう見えるのですか」 「いえ……はい」 「ふむ……」  エドリックは顎に手を当て考え込む。  と、“あの”場面が脳裏に浮かび上がってきた。  …………  …………  …………  『あの小娘を始末しろ』  『ご冗談を…… 私共は帝國人には手をかけられません』  『あの小娘には帝國の血など碌に流れておらん!』  『中佐殿はそう仰いますが、1/4も流れております。ましてその曽祖父は勲章まで頂いた軍人、勘弁して下さい』  『この蛮族が! 一人前に逆らうか!』  そう吐き捨てると、水谷中佐はエドリックの額に煙草の火を乱暴に押し付けた。  ジュッと肉の焼ける音がする。  が、その程度でエドリックの鉄面皮が剥がれる筈も無い。相変わらずへらへらと笑ったままだ。    『ちっ! 犬の分際で……』  水谷中佐は憤懣遣る方無いといった表情で机を蹴倒すと、その場を離れた。  …………  …………  ………… 「……………………」 「エドリック様……」  その壮絶な表情に、部下は恐れおののく。  この男とは昨日会ったばかりなのに、いったい何が……  と、エドリックが口を開いた。 「……そうですね。確かに私は彼を嫌っていました」 「は……」  やはり、とでも言う様に部下が頭を下げた。  そして、つばを飲み込み次の言葉を待つ。 「あの男はね、私に煙草の火を押し付けたのですよ! 酷いと思いませんか?」 「はあ?」  部下は思わず間抜けな声を上げた。  ……『その程度』でエドリック様が? 「納得してない顔ですね?」 「い、いえ……」 「ですが、本当のことです」  そう告げると、エドリックは自嘲気味に哂った。  ――そうだ、私は受けた侮辱に怒ったのだ。