帝國召喚 外伝「カナ姫様の細腕繁盛記」 【16】  有馬大尉率いる救援隊は、一路シュベリンとメクレンブルクが戦っているであろう戦場目指して進む。  その戦力は有馬大尉以下八九式中戦車3両に歩兵12名というもので、歩兵は全員戦車の上に乗っている。所謂『跨上歩兵』という奴だが、この歩兵、全員が軽機班であった。  軽機班とは軽機関銃を運用するために小銃分隊内に設けられた班である。  九六式/九九式軽機関銃装備する軽機班の場合――  班長   弾倉4個(銃弾120発)、双眼鏡、照準機携行。  第一銃手 弾倉2個(銃弾60発)、軽機関銃本体携行。  第二銃手 弾倉7個(銃弾210発)携行。  第三銃手 弾倉7個(銃弾210発)携行。  *全員小銃を持たず拳銃装備とされていたが、第一銃手以外(特に第二〜三銃手)は小銃を装備する場合が多かった。  ――となる。つまり歩兵12名で3個軽機班、各戦車に1個軽機班が跨上している、という訳だ。  尤も、班は固定編制ではないので必ずしもこの限りではなく、3名〜場合によっては2名で運用する場合も決して少なくない。特に昭和15年に歩兵操典が改訂されて以降、この様な大掛かりな運用法は消えつつある。今回の場合も『軽機関銃手1名に支援の小銃手が3名付いた』といった程度の意味合いでしかないだろう。 「急げっ!」  有馬大尉は叱咤する。  ……が、そう言うものの、3両の八九式中戦車は既に許す限りの全力で道路上を疾走している。20q/h近く出ているのではないだろうか?  八九式中戦車は、カタログデータ上では最高速度25q/hとなっている。  が、これはあくまで路上での話であり、これが路外になると8q/hにまで低下してしまう。加えて生産終了から既に4年が経過している旧式戦車であり、経年による劣化と戦場での酷使によりかなりの数が老朽化していた。 (初の国産戦車であり、信頼性が低かった――特に甲型――ことも否めない)  この3両も師団戦車隊に配備された時点でかなり使い込まれており、特に機関の老朽化が著しかった。  このため最大出力の発揮は困難と判定され、路上速力は20q/h以下、路外速力に至っては6q/h以下にまで制限される有様だ。如何な歩兵支援用の戦車とはいえ、これでは鈍足にも程があるだろう。運用の幅も狭まれてしまう。  この様な老朽品が回された背景には、比較的状態の良いものについては戦車聯隊の損耗予備として確保する、という参謀本部の方針があった。しかも配属される戦車兵や整備兵も即席教育の二線級である。これらの要因が重なって、各師団の戦車隊に回される車両は今ひとつ稼働率が振るわなかった。  ……まあそんなことはこの際どうでも良い。問題は、路外速力が余りにも遅いため『路上移動するしかない』ということだ。  故に直線距離では無く、こうして回り道にはなるが道路を経由して向かっているのである。  急がば回れ。有馬大尉の到着まで、まだまだ時間がかかりそうだった。 ――――シュヴェリン・メクレンブルク国境。  シュヴェリンの北部国境では、シュヴェリン軍300とメクレンブルク軍3500がにらみ合っていた。 「……あれは、何だ?」  メクレンブルク軍の将兵達は、シュヴェリン軍の布陣というか陣そのものを見て首を捻る。  ……シュヴェリン軍は多数の荷車を連結し、そこに立て篭もっていたのだ。 「弓矢はまだしも、あんなもので銃弾を防げるものかよ」  そう言って将兵達はせせら笑う。  外見から見るところ、一応薄い木板を貼って多少なりとも防御力を強化した様だが、その程度で銃弾を防げたら苦労はしない。何しろ100mの距離でも3ミリの鉄板を貫通できるのだ。1〜2cmの木板などどうということはない。 「シュヴェリン軍も焼きが回ったな」  メクレンブルク王は露骨に顔を顰める。その顔には、失望の色がありありと表れていた。  かつて恐ろしい程の精強を誇っていたシュヴェリン軍。  それが、まるで亀の様に甲羅に固く閉じ篭っている。  この大軍に恐れをなすかの様に、貧弱な荷車に閉じ篭って震えている。  ――なんという醜態。  あれが自分の父を討ち取った敵とは、とても思えなかった……いや、思いたくも無かった。  もうこれ以上、見ていたくもない。 「撃て!」  一言、吐き捨てるかの様に命じる。  メクレンブルク軍の一斉射撃が始まった。  カンッ、カンッ! 「何っ!?」  その光景に誰もが目を見張る。  ……荷車は、放たれた銃弾全てを跳ね返したのだ。  そして、お返しとばかりに反撃を開始。少なからぬ被害を受ける。  こちらも応戦。再び射撃するも、やはり効果は無い。 「……あの荷車、只の荷車ではないな」  メクレンブルク王は歯軋りする。引っ掛かった自分も間抜けだが、それ以上に小細工ばかりを施すシュヴェリンに対し、改めて怒りを覚えたのだ。  王の判断通り、この荷車は只の荷車ではない。その側面内部には鉄板を仕込んでおり、車内から狙撃出来るよう銃眼が穿たれた特製の『荷車』だ。もう一方の側面にも、バランスをとる為かやはり鉄板が仕込まれているが、銃眼は無い。代わりに扉があり、そこから『荷車』の中に入ることが出来る様になっている。  シュヴェリン軍は、竜1頭あたりこの『荷車』を数台牽かせて戦場まで運びこみ、そこで荷車同士を鎖で厳重に連結、これを防御壁とした。  防御壁の前には、『荷車』に積んでいた『竹槍ならぬ木槍を斜め上に向けて多数取り付けた柵』を地面に打ち込んで張り巡らし、歩兵や騎馬の突撃を防ぐ。  そして空になった『荷車』には銃兵が乗り込み、近づいた敵に銃弾を浴びせる。  ――という訳だ。何も無い草原上に、シュヴェリン軍は僅か数時間で砦を一つ造り出したのである。  この手法、少なくとも他のフランケル文明圏諸国には決して真似出来ない戦法だった。  何故ならば、竜を持たぬ彼等には、この様な大重量の『荷車』を牽引する手段が無いからだ。この世界の貧弱な馬では、とてもでは無いが牽引できるものでは無い。 (少なくとも、1台牽引するのに何頭も馬を必要とするようでは、不可能と同義語であろう)  話は変わるが、限定的とはいえ、シュヴェリンの常備軍が動員による人員増強を受けなくても対外展開が可能な理由も、『竜を保有しているから』である。  実の所、シュヴェリン常備軍における輜重段列の人員規模は、平時における他国常備軍のそれと変わらない。が、他国がその人員を(動員時に配属される軍夫の)監督官に当てているのに対し、シュヴェリンは竜の御者に当てている。それが唯一の違いだ。  言うまでも無く、竜の輸送力は人や馬とは比較にならない。だからこそシュベリン常備軍の輜重段列は、少数の人員で常備軍の兵站を支える事が可能なのである。  この竜による輸送はシュヴェリンの専売特許であり、他国軍に対する優位性の一つに数えられていた。 (フランケルやその周辺の文明圏では竜は生息していない。入手するには遠く他文明圏から輸入せねばならないが、これには膨大な資金を必要とした)  が、メクレンブルク軍もやられっ放しではなかった。一時的に混乱したものの直ぐに体勢を立て直し、今度は前面に鉄板を貼り付けた防盾――畳み2畳程の大きさで車輪が付いている――を幾つも最前列に押し出し、それを盾に前進する。  そしてある程度まで前進すると、盾と盾の間から次々と大鉄砲を射掛ける。さしもの『荷車』もこれには堪らず大穴が空き、中の人員が殺傷される。  が、それも長くは続かず、大鉄砲を抱えた兵が盾の外に身を晒した瞬間に狙撃され、大鉄砲を撃つ間を与えない。  ……正直、メクレンブルク軍はこの『荷車』の防壁を攻めあぐねていた。  しかしそれはシュヴェリン軍も同じだった。  メクレンブルク軍が『荷車』の存在を知らなかった様に、シュヴェリン軍もメクレンブルク軍が大鉄砲を保有していることを知らなかった。これ程の大威力銃は、シュヴェリン軍とて保有していない。こと火器に関しては『自分達が本家本元』と自認していただけに、これには少なからぬ衝撃を受けた。  加えて、メクレンブルク軍が槍兵に弩を持たせていたことも大きな誤算だった。メクレンブルク常備軍の遠戦火力定数は長弓160に火縄銃200、後は場合によっては騎馬兵(騎士)が長弓を用いる程度――そう考えていたのだが、これは全くの間違いであった。彼等は全槍兵に弩を持たせ、遠戦火力を強化していたのである。 (無論、いざとなれば槍兵も再び槍を取るので近接戦闘にも問題は無い)  弩は下手な銃並の威力と射程を持っており、扱いも容易だ。槍兵が片手間に習得したとしても、十分な威力を発揮できる。  ただし火縄銃よりはマシだがコストが高いことや装填の困難さ――こっちは火縄銃以上――から、火縄銃や長弓の様に常備軍主力とはならず、各国ともせいぜい動員軍の火力増強用として少数導入している程度と思われていた。  が、クレンブルクの常備軍は弩を全面的に取り入れていた。  槍兵が射撃戦に参加したことにより、メクレンブルク軍の遠戦火力は一気に倍近くまで膨れ上がった。  ……この為、シュヴェリン軍は中々打って出られない。  シュヴェリン軍としては、敵が『荷車』によって一方的に撃たれまくり大混乱に陥った所で出撃。大打撃を与えようと考えていたのだが、敵の火力が凄まじく、とてもでは無いが打って出れないのだ。 (ちなみに出撃の際は斧槍を使うことになっていた。小銃にも銃剣が着いているが、これはあくまで緊急時の自衛用に過ぎない。  ……大体、高価な銃を棍棒代わりに用いるなどとんでもないことである。  故にシュヴェリンの銃兵は斧槍の扱いも習得しており、通常の近接戦闘では斧槍――隊配属の竜車に搭載されている――を用いることとされていた)  シュヴェリン軍、メクレンブルク軍共に、誤算だらけのいくさであった。 ――――同時刻、某所。  疾走していた筈の八九式中戦車が、何時の間にか路上に停止していた。  戦車兵がパネルを開けてエンジンに手を突っ込んでいる所から察するに、どうやら故障の様だ。 「……どうだ?」  有馬大尉の質問に、戦車兵は大きく首を振る。 「直りますが、1時間はかかります」 「そんなに待てんな。 ……やむを得ん、我々は先に行くから後から追いかけろ」 「了解であります」  そんな会話が交わされた後、2両の戦車が動き出し、先を急いだ。 ――――再び、シュヴェリン・メクレンブルク国境。  両軍は一進一退の戦いを繰り広げていた。  こうなると最後にものを言うのは数と火力であろう。  ……が、残念ながらシュヴェリン軍はその両方で劣勢にあった。  シュヴェリン軍の小銃装備密度は七割と他の大国(一割前後)を圧倒しており、その保有数も200挺以上とフランケル一を誇る。銃自体も他国が火縄銃なのに対し、燧石式マスケットだ。質量共に他国を圧倒している、と言っても良いだろう。 ……そんなシュヴェリン軍唯一のライバルが、メクレンブルク軍だった。  メクレンブルク軍は装備密度でこそ大きく劣っているものの、小銃保有数自体はやはり200挺以上とシュヴェリン軍とほぼ同数だ。火縄銃と燧石式マスケットの差を考えれば、『幾分劣っている』といった程度だろうか? が、これはあくまで『小銃に関して』のことであり、『遠戦火力に関して』のことではない。  メクレンブルク軍の遠戦兵器には小銃の他にも長弓が存在するが、これを考えれば遠戦火力はシュヴェリン軍より優勢、今回初めて見せた『槍兵の弩兵化』も加えれば、優勢どころか圧倒出来る。傘下の独立勢力軍の装備も加えれば、この差は更に広がるだろう。 ……そして兵数の差に関しては言うまでも無い。  つまり、総合的にシュヴェリン軍は劣勢――それも圧倒的な――にあり、防壁に篭ることでかろうじて互角に戦っている、というのが正直なところだった。  彼我の各級指揮官達の目には、徐々にではあるが『押しつつある』或いは『押されつつある』ことが明らかである。実際に戦っている兵達も遠からぬ内にそれを肌で感じ取るだろう。  ――その時、流れは一気に傾きかねなかった。 「……おい、こりゃあ不味いんじゃあないのか?」  シュヴェリン軍本陣でこの様子を眺めていた平野少尉は、傍らの志村伍長にそっと囁いた。  彼の見るところ、情勢はかなり不味い。喩えて言うならば、『盗賊が押し込もうとしているのを、薄い戸板一枚を必死で支えている』様なもので、僅かでも気を抜けば一気に戦線が崩壊しかねない。 「自分もそう思いますね。少しでも気を抜けば総崩れでしょう。 ……まあ何れにせよ、時間の問題ではありますが」 「畜生! やっぱりお前もそう思うか!」  ――シュヴェリン軍が負けたら、俺達も殺されるぞ!  平野少尉は己の運の無さを嘆く。  彼は見学――観戦武官などという制度はフランケルにはない――という名目で、シュヴェリン軍と行動を共にしている。  が、実際は大きな旭日旗を携え、いざ友軍機が飛来すればこれを展開し誤爆を防ぐという役割を負っていた。 ……しかし一体どうしたことなのか、友軍機は一向に姿を見せない。  ――中隊長殿、話が違いますよ!  平野は頭を掻き毟る。  このままではシュヴェリン軍は負けてしまうだろう。そうなれば自分の命も危ない。ぶっちゃけピンチである。 「あいつらが一斉に突撃してきたら、終わりだ……」 『――それは…… ありませんよ……』  コフー、コフー  天を仰いで涙する平野少尉に、カナが声をかけた。  ……どうやら聞こえていた様だ。バツが悪いことこの上ない。 「ひ、姫様! いや、その〜」 『この状況で突撃を命じるなど…… 『死ね』と言う様なものです…… だから…… メクレンブルク王が…… 命じられる筈ありません……』  カナがこうも言い切るには理由がある。  騎馬兵や指揮官級の軍人は、その全員が騎士だ。そして、フランケルにおいて騎士とは領主階級である。  ――要するに、あくまで王と騎士との関係は『御恩と奉公』の間柄に過ぎず、この段階での突撃命令はその範疇を明らかに越えている、ということなのだ。  シュヴェリンに端を発する改革により騎士達が領地から切り離され、領主とは名ばかりになったとはいえ未だ改革から三十余年、メクレンブルクに至っては二十余年だ。まだまだ彼等の力は無視できなかったし、昔ながらの伝統やしきたりと決別することは困難だった。老齢のメクレンブルク王なら尚更だろう。  ああ、兵達に関しても同様だ。如何な常備兵とはいえ、国のため、王のために死ねる様な連中はそういない。そもそもそれを支える『思想』が無いのだ。王の為に命を投げ出す様な連中は、王家直属の郎党達位のものだろう。  無論、突撃させること自体は不可能ではない。が、それには相応のもの――つまり特別報酬――が必要だ。  しかし王も経営者である。このまま押し切れそうな敵相手に、そんな大判振る舞いは出来る筈も無い。故に、このまま堅実に攻めるしかない、という訳だ。 (まあ騎士の場合、名誉を得る機会には報酬無しでも勇んで突撃するが、流石に『荷車』を攻め落とすのに命を賭けたく無いだろう)  コフー、コフー  呼吸音をたてながらカナが説明する。かなり苦しそうだ。  ……それもその筈、カナは鎧兜に身を包み、完全武装していたのだ。  長袖のワンピースの様な厚い下地の上にチェーンメイルを着込んでいるのだが、これが鉄板を貼り付けてある上、胴体は無論前腕から膝下までを覆うシロモノである。更に 手足には鉄板を貼り付けた厚い皮手袋とブーツ――それぞれ肘・膝近くまである――、頭には厚い頭巾の上に壺型兜だ。鎧の上に厚手の外衣まで着ている。  その合計重量たるや相当なものだろう。先ほどから椅子に座った(もたれかかった)ままカナがピクリとも動かないのは、多分動かないのではなく、重くて動けないからではないか?――そう平野少尉は見当を付けていた。  ……何故カナがこんな格好して戦場に出ているかと言えば、『成り行きで』としか言い様がない。話は少し前に遡る。  今回の戦いは天下分け目の大いくさである上、敵も王自ら出陣している。  敵とはいえ王自らが出陣しているのだ。儀礼上、こちらも王が出陣せねばなるまい。第一、この様な大いくさを家臣に丸投げするなど、王として失格である。  ……が、家臣達は元からシュヴェリン王を軽く見ていた上、現在ではその能力に深刻な懸念すら抱いている。正直、いない方が百倍マシだった。  このため、名代としてカナに白羽の矢が立ったのだ。次期女王のカナならば、身分に何の問題も無い。何、ただ居てくれればそれで良いのだ。  とはいえ、幾らなんでも数えで14歳の少女だ。加えて唯一の王位継承者でもある。『危なくない様に』ということで、この様な重装備となった訳だ。  ちなみにこの鎧、カナ専用に造られた特製の鎧だ。次期王位継承者は子供の内から専用の鎧を持つことになっている為、カナも毎年成長に合わせて造っている。それを流用したのだ。  が、この鎧は行事の一環として造られた鎧である。鎧も本物ではあるが飾りの様なもの、カナの寸法に合わせてはあるが、見栄え重視の大重量――その分防御性能も高いが――で実際身に着けることなど『全く』考慮されていない。  こんな大重量の鎧を着せられては、非力なカナでは歩くことすらままならない……というか、立ち上がることすら困難だ。転んでも自力で起き上がれないことは確実で、もしかしたら『危なくない様に』どころか『着ていたほうが危ない』かもしれなかった。おまけに着慣れていないから息苦しくて堪らない。  ――重い、暑い、息苦しい……  が、臣下の手前、そんなことは口が裂けても言えなかった。  せめて顔全体を覆う兜をとれば少しはマシになるのだが、こんな情け無い表情を皆に見せられないため、それすらままならない。  ……王族も中々大変なのだ。 「……姫様、大丈夫ですか?」  流石に心配になり、平野少尉が尋ねる。 「大丈夫ですよ…… 重くも暑くも息苦しくもありません…… へっちゃらです……」 「ヒラノ殿、戦場では言葉を選んで頂きたいものですな。戦場でその様な世迷い事を吐く者は、我が軍ならば死罪ですぞ?」  カナの言葉が途切れた途端、ブッデンブルク将軍が脅しを含んだ苦情を平野少尉にぶつけた。  ……まあ当然といえば当然だろう。周囲を見渡せば、皆自分達を白い目で見ている。 「し、失礼しました!」  平野少尉は慌てて謝罪し、逃げ出す様にその場を離れた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【17】 ――――同時刻、某所。  再び疾走した筈の八九式中戦車が、またも路上に停止している。  先程と同様、戦車兵がパネルを開けてエンジンに手を突っ込んでいる所から察するに、どうやら今回も故障の様だった。  ……しかも1両しかいない所から見ると、あれから更にもう1両脱落したらしい。 「……どうだ?」  有馬大尉はこめかみをひくつかせながら、一体今日何度目になるか判らない質問をする。  が、やはり戦車兵は大きく首を振った。  「こりゃあ、自分等の手には負えません」 「二時間も走っていないというのに、一体どういうことだ!」  とうとう有馬大尉の怒りが爆発した。  その見かけによらず、戦車が頻繁に整備を必要とする繊細な兵器である、ということは重々承知している。  が、ものには限度というものがあるだろう。これでは繊細どころが欠陥品だ。 「大尉殿、そうは仰いますが――」  しかし戦車兵である少尉も黙っていない。二階級も上の有馬大尉に対し、毅然と反論する。  本来彼等は師団直属の戦車隊の所属であり、今回は偶々有馬大尉の下に臨時配属されたに過ぎない言わば『お客様』である。遠慮は無用だ。 (外様部隊は派遣先の指揮官――当然彼等は元からの部下の安全を優先する――に酷使され易い傾向がある為、遠慮していては使い潰されてしまうのだ)  確かに、有馬大尉の言い分は運用する指揮官の立場としては至極尤もなものだろう。が、戦車隊にだって言い分はある。  そもそも、この中隊に配属された八九式中戦車は、かなり使い込まれた中古品だ。それを制限近い速度――全速ではない――で一時間や二時間走らせれば、機関の調子は悪くなって当然である。本来この戦車は、だましだまし使わなければならない様な老朽戦車なのだから。  加えて言えば、自分達戦車兵は整備の専門家ではない。整備兵も碌につけずに送り出す方がどうかしている。 (他にも戦車兵の練度が低く、機関に負担をかける様な操縦をしていることも無視出来ない要因だろう。無論、彼等の整備能力は一般戦車兵のそれよりも低い) 「くっ!」  有馬大尉は思わぬ反論に顔を歪めた。  少尉の反論が正当なものであること、そして少尉自身が最善を尽くしているであろうことは否定出来ない事実である。彼はそれを無視して頭ごなしに押さえつける程傲慢ではない。  ……が、彼とて人間、それもかなり大人げない人間だ。当然ムッとくる。  そして現在の状況が、更にこのやり場の無い怒りに油を注ぐ。  戦車が動けない以上、戦車を置いて徒歩で移動するしかないが、ここから目的地まで優に20qはあるだろう。徒歩では4時間かかる距離だ。  加えて、他の歩兵は1両に跨上できる限界から戦車と共に置いてきた。今回も戦車の修理と警備の問題から、最低でも戦車兵は置いていく必要がある。つまり、自分と軽機班1個の5名だけで先を行く、ということだ。が、たかが5名の歩兵では―― 「ええい、くそっ!」  腹立ち紛れに、戦車に装着されている円匙を取り上げ、思いっきり投げつけた。  それは偶然パネルが開いて剥き出しになっていたエンジンに命中し、大きな音を立てる。 「何するのですか!」  少尉が目を剥いて喰ってかかる。 「エンジンは精密機械なんですよ!」 「喧しい! 戦車のエンジンなんぞ、衝撃を受けてナンボの商売だろうが!?」  が、有馬大尉も猛然と対抗する。要は『逆切れ』というヤツである。  ……先程『彼はそれを無視して頭ごなしに押さえつける程傲慢ではない』と説明したが、どうやら間違いだった様だ。 「壊れたらどうするのです!?」  もう壊れてる――そう有馬大尉が言い返そうとした瞬間、今まで沈黙を守っていたエンジンが突然唸り声を上げ始めた。  最初の内こそ悲鳴を上げるかの様な音だったが、それも直ぐに軽快な音へと変化する。  ……この現象に、少尉は絶句した。 「そ、そんな馬鹿な……」 「動くではないか!? だいたい、お前は甘やかせ過ぎなのだ!」 「そんな馬鹿な……」 「お前は壊れた蓄音機か!? さっさと戦車を動かせ! 進軍を再開する!」 「そんな馬鹿な……」 ――――シュヴェリン・メクレンブルク国境。シュヴェリン軍本陣。  シュヴェリン軍各防衛線は、敵の波状攻撃に晒されていた。  攻撃の手を止めない敵の戦法は、地味ではあるが非常に効果的だ。シュヴェリン軍は敵と違い交代が殆ど不可能であるため、兵士が疲弊するのは避けられない。  自慢の燧石式マスケットも同様で、連続射撃により燧石式マスケットの銃内にカスが溜まり、不発が多くなってきている。一応、布で銃身内を清掃しているが、焼け石に水だ。一度銃を(無論兵も)休めてやり、本格的な掃除を行う必要があるだろう。このままでは銃身破裂等の大事故が起きかねない。ああ、燧石の交換も必要だ。  ……この様に、シュヴェリン軍は急速に消耗していった。  最早気力だけで支えている様なもの。こうなると戦線崩壊は時間の問題だ。 「あ〜、こりゃあやばい」 「どうします? 加勢しますか?」 「『加勢しますか?』って、お前――」  志村伍長の言葉に平野少尉は絶句する。  現時点でこの戦場にいる帝國軍は、自分と志村伍長の二人だけだ。武器も三八式歩兵銃と南部式大型拳銃が各一挺で、到底戦力とは数えられない。これが歩兵の一分隊もいれば話は違ったろうが……  が、志村伍長は自信満々とまではいかないが、覚悟を決めた様な表情で言い切った。 「少尉殿、自分らと連中は一蓮托生です。やらせて下さい」  平野少尉はその勢いに押され、思わず頷いてしまった。  志村伍長は見張り台を上っていく。  そして頂上に到着すると、思わず感嘆する。 「へえ…… 結構いい眺めじゃあないか」  この見張り台、組み立て式で高さは5〜6m程のものだが、他に高いものがない草原上――それもやや高台の――に設置されているため視界は広く、結構遠くまで見渡せる。流石に敵陣は前衛の一部しか見えないが、味方陣地と敵の攻防も明瞭だ。 ……尤もこれは敵味方の距離が短い上、陣が密集しているせいもあるのだが。 「これならば狙撃もやり易い」  満足気にそう頷く。  志村伍長は、ここから狙撃しようとしていたのである。  三八式歩兵銃はスコープも無い只のライフルだが、配置された『荷車』が目印となって大体の距離は見当がつく。ならば眼下200〜300程度の距離、ものの数ではない。手持ちの弾薬120発で上手くやれば100人以上殺れるだろう。半分でも50〜60人だ。それだけ狙撃されれば攻撃の手も緩むだろうし、もしかしたら一度敵を退かせられるかもしれない。何れにせよ、兵を休めることが出来る。  志村伍長は三八式歩兵銃を構えると、敵兵目掛けて引き金を引いた。  タンッ!――その音と共に、兵の一人が崩れ落ちる。  タンッ!――二度目の音と共に、今度は指揮官級の騎士が崩れ落ちた。  10〜20秒おきに響くその音は、その度に一人ずつ倒していく。たちまち前線部隊は混乱状態に陥った。  結局この部隊は退却したが、この僅か5分間の間に20人近い将兵が狙撃され、死傷した。 「さてと…… じゃ、次の部隊いってみようか」  志村伍長は軽く頷くと三八式歩兵銃の向きを変え、今度は他の方向から攻め立てている部隊目掛けて引き金を引いた。 ――――メクレンブルク軍本陣。 「ほう…… 敵には腕の良い射手がいるようだな?」  報告を受けたメクレンブルク王は、軽く目を見張った。  実際、数百mの距離からマスケットで狙撃するなど神業である。  恐らくは施条を施した長砲身の狙撃銃を使用しているのだろうが、それにしても―― 「お前はどうだ? 同じ真似が出来るか?」  そう、傍らに控える砲術指南役に尋ねてみる。 「……専用のの狙撃銃を使ったとしても、二つに一つは失敗するでしょう」 「正直なことだ」  メクレンブルク王は苦笑するものの、怒ってはいない。彼の腕は十分承知している。ただ向こうが少し上のだけ、只それだけのことだ。  そもそも銃は誰にでも容易に習得でき、安定した性能を発揮するが、逆に言えば個人の力量が入り込む余地は多くない。狙撃ならば銃などより―― 「ならば、お前はどうだ? ……あの射手、討ち取れるか?」 「御意」  弓術師範は一礼すると、王の下を離れた。 ――――シュヴェリン軍本陣。 「ははは! ざまあ見やがれ!」  50発目を発射した志村伍長はそう罵声を浴びせた後、バケツに入っていた雑巾を軽く絞り、銃身に当てた。  ジュッ  そんな音と共に銃身が冷える。  最初のうちこそ1分間に5発程発射していたが、現在では2〜3発/分にまで低下していた。敵がばらけたり遮蔽物を利用したりで上手く狙えなくなったこともあるが、銃身が加熱し、命中率が低下してきたことも否定出来ない。 「この銃、三十年以上前に造られたヤツだからなあ…… 支那でも散々酷使したし、まあしょうがないか」  苦笑しつつ、再び銃を構え直す。  そして最も狙い安そうな敵兵を見つけ出し、照準を合わせた。そして引き金に指をかける。  ドンッ!  ――が、その指が引き金が引く機会は永遠に訪れなかった。  彼の側頭部を、大矢が貫いたからである。  志村伍長は台から転げ落ちた。 「志村――っ!」  平野少尉は慌てて志村伍長の元に駆け寄る。  ……が、志村伍長は既に事切れていた。恐らく即死だろう。 「鉄兜を被せていれば――」  そう考えると、悔やんでも悔やみきれない。  が、喩え鉄兜を被っていたとしても、やはり死は免れなかっただろう。  これ程の衝撃を受ければ、何の支えも無い台の上――筏の上の様なものだ――から吹き飛ばされるのは目に見えている。  頭部に大きな衝撃を受け、意識を失っている様な状態でこの高さから堕ちれば、まず助からない。  第一、鉄兜を被っていれば、射手は当然狙う部位を変えていた筈だ。これ程の大矢、四肢ならばまだしも胴体に喰らえば――  ……が、それでもそう思わずにはいられなかったのだ。  『重くて邪魔ですし、この距離じゃあ連中の手は届きませんよ』  ――そう志村伍長は笑って言ったあの時、命令してでも被せていれば、と。 「畜生! 畜生! 蛮族共が!!」  こんな蛮地で、弓を扱う様な蛮族共に、栄光ある皇軍兵士か殺されるだと!?  ……認めん、俺は断じて認めんぞ!! 「殺してやる……」  平野少尉は落ちていた三八式歩兵銃を拾い、壊れていないことを確認すると、志村伍長の遺体から弾薬盒を外して身につけた。  神技――彼等の常識に従えば――ともいえる砲術を見せていた狙撃手を、やはり神技ともいえる弓術で討ち取ったことにより、メクレンブルク兵の士気は大いに上がった。彼等は勢い付いて攻め立てる。  それに対し、シュベリン兵にとっては物心両面に手痛い損害であり、士気の低下は避けられなかった。  が、僅かとはいえ一息つけたのは大きい。敵の攻勢が僅かなりとも緩んだ隙に補給の弾薬を運び込めたし、多少なりとも銃の手入れが出来た。この間に、戦闘開始以来初めて水を飲むことができた兵も少なくない。志村伍長のやったことは決して無駄では無かったのである。 (逆を言えば、『それすらする暇がなかった』ということだ)  勢い付いたメクレンブルク軍は攻勢を今まで以上に強め、迂回しようとキル・ゾーンに殺到した。  多方向から銃弾が降り注ぎ、防盾の死角を突かれた少なからぬ兵が倒れるが、殺到する兵の数は徐々に増えていく。  ドン!  その時、今まで隠蔽されていた虎の子の大砲が初めて火を噴いた。大重量の鉄球が防盾ごと兵を吹き飛ばす。  が、次弾装填まで時間がかかるため、聴覚・視覚的な衝撃のわりに戦果はほとんど挙げられない。 (シュヴェリンが保有する砲は青銅製の鋳造砲だ。前装式滑腔砲で、装填に時間がかかる上に射程も短い、弾は球形弾のみなので威力範囲が狭い、重量なので陣地転換が困難である――等の理由から、野戦では威嚇以上の役割は難しいだろう。加えて、初期収得費用もさることながら貴重な火薬(装薬)と鉄(弾)を大量に消費するため、滅多やたらと使えるものではない。このため、『最後の切り札』として隠蔽されていたのである。 ……まあ、本来は攻城用に購入したものだ。野戦で役立たずでも非難はできない)  轟音と大重量弾の着弾による土煙に一瞬驚愕するメクレンブルク兵。  が、彼等は何年も鍛え抜かれた常備兵である。直ぐに『張子の虎』と見抜いて前進を再開する。  そして、遂に一部の部隊がキル・ゾーンを突破。『陣地の間隙』に到達した。  シュヴェリン軍は、草原の中でもやや隆起した地――中央最高部でも5m程の高さに過ぎないが――に陣地を構えている。  この周囲を一〜三重の『木槍付の柵』で囲んでいるのだが、『周囲を完全に一本の柵で囲んでいる』という訳では無い。所々に出入り口が造られているし、ある程度の長さの柵を組み合わせているので、隙間も多い。  これはその内側を守る防壁も同様……いや、それ以上に隙間が多い。連結した『荷車』を防壁としているのだが、全周囲を覆える程の『荷車』も人員も無いため、『荷車』も人員も重要拠点に集中配備しているのだ。このため、重要拠点間を結ぶ空白地帯には、各々1台の『荷車』がトーチカの様にポツンと置かれ、数人の監視兵を配備しているに過ぎなかった。  ……まあ、いざ敵が来襲すれば予備の『荷車』が急派され、防壁が展開されることになってはいたのだが。  が、予備の『荷車』が展開するにはある程度の時間を必要とする為、早期の察知が不可欠である。加えて予備の『荷車』自体が少なく一箇所分しかない上、とても重要拠点並の防護は施せない。勿論、人員に関しては更に深刻だ。  固いが薄い防衛線と雀の涙の貯金(予備隊)――これがシュヴェリン軍の台所事情だった。  そんな状況で、敵が『間隙』に殺到したのである。  遂にシュヴェリン軍はなけなしの貯金を決意し、直ちに予備隊の出撃を命じた。 ――――シュヴェリン軍本陣。  本陣には、20頭程の竜達が集められている。  が、竜達は戦の空気と轟音に怯え、きゅるきゅると悲鳴を上げながら身を寄せあって震えている。ストレスで倒れてしまう竜すらいる程だ。  ……何故この竜達が前線に立たされないかが良く判る光景だろう。竜と言えば凶暴なイメージがあるが、その大多数はこんなもの、『気は優しくて力持ち』……どころか犬に吼えられても驚く様な臆病な生き物なのである。戦竜になれる種など、極一握りに過ぎないのだ。  この為、たとえ輸送用とはいえ、戦場に連れて行くには訓練が不可欠――そうでなければとても使い物にはならない――である。  まあ、訓練しても所詮このざまではあったが。 「予備隊、出ろ!」  隊長の命令により、御者が嫌がる竜に『荷車』をつなげ、何とか動かそうと必死になる。  竜は行きたくないと必死で突っ張ったが、嚮導犬共に吼えられて嫌々動き出す。残された竜達はそれを見て大きな悲鳴を上げるが、やはり嚮導犬に吠え立てられて大人しくなった。  こうしてなんとか予備隊を送り出し、誰もがホッと一息ついた正にその時、一つのの報告がもたらされた。 「監視哨より緊急報告! 左陣の『間隙』に敵が現れました! 至急増援を、とのことです!」  それは、正に最悪の報告であった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【18】 「監視哨より伝令! 左陣の『間隙』に敵が現れました! 至急増援を、とのことです!」  それは正に最悪の報告であった。  僅か1台の『荷車』に数名の兵では、とてもあの『間隙』を守り切れない。至急援軍を送る必要がある。  ……が、シュヴェリン軍には最早差し向けるべき戦力など存在しなかった。  既に副官を始め本陣付の従兵や輸送隊の輜重兵まで抽出している。現在本陣にいるのは、軍司令官たる自分の他輜重兵1名に伝令兵2名のみ。後はカナ姫と御付の侍女達、文官たる書記官と財務官が合わせて10名いるに過ぎない。予備の武器だって払底している。  ――だが、送らない訳にはいかない。  ブッデンブルク将軍は素早く抽出できる戦力を計算する。  カナ姫と御付の侍女達は問題外だし、全般の指揮をとる自分も無理だ。各防衛線との連絡を担う伝令兵、竜を御す輜重兵からもこれ以上抽出出来ない。  ……ということは、書記と財務官を出すしかないだろう。が、文官である彼等に如何程の働きが期待できる? 武器も碌なものは残っていないし、第一指揮官が――  そこまで考えた時、鬼気迫る表情の平野少尉がやって来た。 「俺が行く。奴等を俺に殺させてくれ」  そのただらぬ様子に、ブッデンブルク将軍は危険な匂いを感じ取る。  が、選択の余地は無い。そして何より、彼の手にある三八式歩兵銃は魅力的だった。 「……いいだろう」  ブッデンブルク将軍は頷くと書記官と財務官に武器を持たせ、平野少尉に貸し与えた。 ――――左陣『間隙』。  左陣の『間隙』を襲ったのは、メクレンブルク軍第八歩兵隊だった。  メクレンブルク王は近衛隊を自分の護衛専用とする他、予備隊として2個歩兵隊(第一、第八)を手元に置いていた。  要するに、今まで戦っていたのは第二〜第七の6個歩兵隊のみ、ということだ。尤も、彼等はそれぞれほぼ同数の同盟軍をその指揮下に置いており、各隊400〜500名――内戦闘員は250名前後――にまで膨れ上がっていたのではあるが。  これがシュヴェリン軍の各隊(各44名、計5個)に一斉に襲いかかったのだから堪らない。僅かな砲兵や本部人員からの援軍では焼け石に水である。各隊は10倍近い敵軍の波状攻撃に晒され、たちまち疲弊していく。  それを感じ取ったメクレンブルク王は遂に予備隊の投入を決意。第一、第八歩兵隊に前進を命じた。  ただし、正面に投入するのではなく迂回攻撃。もはやシュヴェリンに兵が無いことを察してのことだった。  こうして第一歩兵隊は右陣を、第八歩兵隊はやや遅れて左陣を迂回。『間隙』に出現した、という訳である。  第八歩兵隊は236名。彼等は防盾を押し出し前進する。  この時、左陣『間隙』を守るは僅か1台の『荷車』に銃兵3、これに平野少尉以下11名の増援が加わった計14名。投射武器は三八式歩兵銃1、マスケット銃3、弩と短弓が10。  ……考えるだけでも馬鹿らしい程の戦力差であった。  唯一の頼みの綱は一挺の三八式歩兵銃だろう。三八式歩兵銃は、使いようによっては一挺で銃兵一分隊以上の働きをすることが出来る。  平野少尉はただ『敵を撃て』とだけ部下に命じると、専ら銃兵……いや、狙撃兵として戦うことに専念する。  タンッ!  三八式歩兵銃を構え、引き金を引くと同時に馬上の騎士が一人、崩れ落ちた。  タンッ! タンッ!  平野少尉は次々と弾丸を消費し、装弾子を入れ替えていく。  志村伍長は弾を出来るだけ節約するために、狙い易い敵から撃っていった。  が、平野少尉が狙うは敵指揮官、つまり騎乗士だ。たとえ一発で仕留められなくても、同じ相手に二発三発と放つ。  ……中隊長殿(有馬大尉)からは、『騎乗士や段列の軍夫を極力殺傷しないこと』との命令が隊の全将兵に伝えられていたが、何構いやしない。  志村とてこうしていれば、もしかしたら死なないで済んだかもしれないのだから。 ――――第八歩兵隊、本営。 「くそっ! 卑怯者め!」  第八歩兵隊隊将ガストン・フィリップは、そう吐き捨てた。  敵の狙撃手は、卑怯にも馬上の士を集中的に狙ってくる。  馬に乗ることを許された高貴な者を、まるで鳥獣の様に――それも狙って――撃ち殺すとは、なんたる無礼! なんたる侮辱! 「あれ程の業を持ちながら…… 下衆が! 手練れとはいえ所詮は銃手か!」  敵の狙撃手は見える範囲の騎乗士を片付けると、今度は徒歩の中下級指揮官に目を付けた様だ。僅かでも指揮しようとした者を次々と狙い撃ちしていく。  ガストンが無事なのは、距離が離れていることに加え、鉄板二枚重ねの特製重防盾に護られているからに過ぎない。 「幸い風が弱まりました。煙幕を展開し、煙に紛れて突入しますか?」  ガストンの私臣である軍師が進言する。  多少煙いかもしれないが狙撃されるよりはマシだろう。萎縮した指揮官達の士気が回復すれば、後は数で押し切れる。  ……が、ガストンは頭を振った。 「馬鹿者! フィリップ家当主たる儂が、そんな猟師風情の真似できるか!」 「……しかし、槍分隊長は御二人共狙撃されました。このままでは兵の士気も指揮系統も持ちません」 「至急、本営より臨時指揮官を派遣して現状を回復させろ!」 「しかし、それでは同じことの――」 「騎士には騎士の戦い方があるのだ!」  騎士には何より守るべきものがある――そうガストンは主張して譲らなかった。 ――――第八歩兵隊、弓分隊。 「畜生、奴等いい銃持ってるよなあ…… 一体何処で手に入れたんだ?」  第八歩兵隊弓分隊長カミーユ・フィリップは、敵の銃(三八式歩兵銃)の性能に感心した様に呟いた。  防盾すら貫通するその威力も勿論だが、何よりその射程と発射速度は脅威以外の何物でもない。無論、その命中精度もだ。 「あんな銃が沢山あれば、弓も槍も必要無いな? ドニ」 「銃は戦士の、男の武器ではありません。卑怯者の道具です」  フィリップ家郎党のドニは、若旦那の言葉を真っ向から否定的する。 「……この戦力差で卑怯も糞もないと思うがな」  カミーユは苦笑した。  あのちっぽけな『砦』に潜む十人やそこら相手に、1個歩兵隊をぶつけていることを考えれば、如何考えても卑怯者はこちらの方だろう。  ……無論、謝罪も反省もする気は無かったが。 「しかし若旦那。将たる者が馬から降りて宜しいので? この様な振る舞いが大旦那様に知れたら……」 「降りねば死ぬさ!」  カミーユも騎乗士だが、狙撃は受けていない。危険を感じて馬から降りて身を隠しているからだ。  が、こうもあっさり答えるあたり、やはりカミーユという若者は只の若旦那ではないだろう。どっち方向で『只者でない』かは判断に苦しむが…… 「銃分隊長様が討ち死されました!」  何処からか悲痛な声が響き渡る。 「……まったく! どいつもこいつも俺の忠告を無視しやがって!」  カミーユは忌々しそうに吐き捨てる。  忠告とは、『下馬して身を隠せ』とういうものだ。  ……まあ、鼻で哂われて終わりだったが。 「やばいな…… 残った分隊長は俺だけか……」 「その様ですな」 「親父のことだ。俺に手本を見せろ、とか言って突撃命令を出しかねないぞ」  死にたくないから一番敵から離れている弓兵になったのに、突撃なんて冗談じゃあない、とカミーユは頭を抱えた。 「……可能性はあります。十分に」  親父、とは第八歩兵隊隊将ガストン・フィリップのことである。  同じフィリップ姓からも判る様に、ガストンとカミーユは親子なのだ。 「アレはまだ出来ないのか?」  カミーユは祈る様に尋ねる。 「組み立ては終わりました。後は調整と試射で終わりです」 「試射はいい、調整が終わったら即使用する」 「ですが、試射は調整を行う上でも……」 「構わん」 ――――『荷車』。 「はははっ! 蛮族が文明人に勝てるかよっ!」  周囲を全く気にせずにそんな罵声を上げながら、平野少尉は射撃を続ける。  始めは指揮官だけを狙っていたが段々と面倒になり、今では無差別に狙撃する様になっていた。  ……いや、違う。  面白い、と思える対象を狙っていたのだ。  わざと一人の兵の太腿を撃ち抜き、動けなくする。  それを助けようとした仲間を次々に狙撃していく。  そして最後に、太腿を撃たれながらも必死に這って逃げようとする兵を仕留める。  ――まさに鬼畜の所業である。  が、平野少尉は笑いながらそれを実行した。彼は敵を……いや、この世界の人間を同じ人間と見做していなかったのだ。  平野少尉にとり、最早この世界の人間は獣でしかない。  復讐心と戦場の空気に蝕まれ、完全に正気を失っていたのである。  ドンッ!  ……その報いは、直ぐにやってきた。  直径数cmもある丸太の様に巨大な矢が、平野少尉を串刺しにしたのだ。  平野少尉を串刺しにした巨大な矢は、バリスタから撃ち出されたものだった。  シュヴェリン軍が攻城戦用として大砲を導入していたのと同様、メクレンブルク軍も攻城戦用にバリスタを導入していたのである。  ……尤も、『王国が導入した』という訳ではなく、あくまでカミーユの個人的な買い物ではあったが。  バリスタとは据え置き式の巨大な弩のことであり、弩砲ともいう。  槍、或いはそれ以上に巨大な矢を高速で撃ち出すことが出来、その大破壊力でもって敵陣の構造物を破壊する攻城用兵器である。  が、今までフランケルでは殆ど使われることがなかった。  何故か?  理由は幾つも挙げることが出来るだろう。  先ず真っ先に挙げられるのは『技術力の不足』。銃や砲と同様、フランケルの技術力ではバリスタを造り出すことが出来なかったのだ。  設計知識――特に梃子や各部のすり合わせに関する――も、熟練した工人も、何もかもが不足していた。何より、消耗品である『城壁や城門の貫通が可能な超硬度の鏃』や『巨大な大張力弦』を造り出すことが出来ないのは致命的だった。  ……つまり、バリスタを入手するには他文明圏から輸入するしか無い訳だが、シュヴェリンの先王登場以前は他文明圏との交流が乏しく、とてもこの様な大兵器を輸入出来る様な状況では無かった。 (信頼関係も無い様な国に、バリスタの様な攻城兵器を売ってくれる筈も無いし、当時は輸送手段を探し出すだけでも一苦労する様な状況だった)  二つ目は『移動の困難さ』。大重量兵器であるバリスタは、一頭の馬で牽引するには余りに重すぎた。  フランケルには竜が生息しないため、非力な馬――力は帝國馬の半分以下――で運搬するしかなかったが、駄載どころか牽引すら不可能だった。それでも多数の馬を連結すれば可能だったかもしれないが、馬を連結する知識も乏しかったのだ。  道路状態の悪さもこれに拍車をかける。先王登場以前のフランケルの道路状況は非常に劣悪であり、仮に複数頭立てでバリスタを牽引出来たとしても、とても通れる様な状態では無かった。この道路状況の悪さは国防上からも当然とされ、特に国境周辺の状況は酷いものだった。  三つ目は『必要性の乏しさ』。  小勢力の乱立するフランケルでは城も貧弱であり、また築城技術も低かったため、この様な大威力兵器は『牛刀』とされていた。 (小勢力故に高価かつ大重量のバリスタ運用が困難だったことも否定出来ない)  ――まあ、この様に様々な高いハードルが存在していたのだ。  が、シュヴェリンの先王が登場して以降、この前提が幾つも崩れてきた。  他文明圏との交流が活発化し、バリスタの様な大兵器の輸入も不可能ではなくなった。  道路整備が行われ、フランケル中の国々が統一された規格の道路で連結された。  上記の改革により各国の経済規模が拡大した。  戦術思想も高度化し、戦争も従来の様に単純な『正面からの殴り合い』ではなくなった。  ……つまり、バリスタを受け入れる下地が出来たのだ。あとはきっかけだけだった。  とはいえ、やはりシュヴェリンの先王の影響からか、フランケルの国々は野戦偏重の意識が強く、今一つバリスタの導入意欲が低かった。  まあそりゃあ『あれば良いな』位は思っていただろうが、常備軍や鉄砲の整備に比べれば遙かに優先順位が低かったのである。  如何に『経済規模が拡大』したとはいえ限度があるし、未だに多くの国々はシュヴェリンへの賠償金の後遺症を引き摺っている。とても全てを手に入れることは出来なかったのだ。 ――――第八歩兵隊、弓分隊。 「初弾命中!」 「次弾装填、急げ!」  第八歩兵隊弓分隊では、湧き上がる声援を尻目にカミーユの郎党達――王国軍人ではない私兵――が忙しく動き回っていた。  彼等は数人で梃子を巻き上げて弦を引き絞り、丸太の様な矢を装填する。 「次弾装填完了!」 「撃て!」  ドンッ!  巨大な音と共にバリスタから矢が撃ち出される。  矢は吸い込まれる様に『荷車』に命中し、貼り付けられた鉄板もものとせず側面を貫通する。  再び歓声が湧き上がる。 「銃声が弱まりましたな」  何より、あの独特の音を発する銃の狙撃が無くなった。 「やった……か?」 「おそらく。 ……しかし、凄まじい兵器ですなあ」 「だろう! これはいいものだぞ! 掘り出し物だっ!!」  ドニの感嘆に、カミーユは子供がとっておきの玩具を自慢するかの表情で笑う。  冒頭でも言った様に、このバリスタは官品ではない。カミーユの私品である。  他文明圏へ旅行――これは冒険と同義語だ――の際にある老発明家から買い取った物だ。  ……無論、本来なら彼個人で買い取れる様なシロモノでは無いのだが、そこはそれ、足元を見て激安で買い取ったのだ。 (まあそれでもバカ高で、御蔭で金を使い果たし、冒険は数日で終了する羽目になったのだが)  このバリスタは只のバリスタではない。他と異なり、分解輸送を前提に造られている山岳戦用のバリスタなのだ。  この為はめ込み式に造られており、分解結合に工具も釘もネジもいらないという優れモノだ。各部の重量も最大でも2プード(約31s)と、非力なこの世界の馬(駄載重量2〜2と3/4プード)でも駄載できる様に設計されている。無論、最悪の場合人力輸送も可能だ。 (ちなみに帝國馬の駄載重量は6〜8と3/4プード)    が、この利点は欠点の裏返しでもある。  先ず各部の最大重量を低く抑えているため、どうしても小型になってしまうのだ。加えて設計の制約上、同重量の牽引式と比べて低威力だ。これでは低レベルの防御施設しか破壊できない。これは攻城兵器としては致命的だろう。また、『分解結合が容易』ということは必然的に構造が弱いということであり、連続射撃が困難である上、数回射撃すると再調整が必要となる。これでは野戦にも使えない。  ……こうまでして『人力輸送』や『馬への駄載』に拘る必要性を、多くの文明圏は持ち合わせていなかった。この程度のバリスタ、竜なら分解せずとも駄載出来るのだから。  当然、このバリスタは何処からも相手にされなかった。かくしてこの発明で財産を使い果たした老発明家は、寿命よりもやや早く棺桶に片足を突っ込みかけ、そこをカミーユに救われた……という訳だ。  カミーユは迷わず財布の底を叩き、このバリスタを買い上げた。  フランケルの築城技術を考えれば、この程度の威力でも十分な効果が期待出来るし、何よりその機動性の高さは魅力的だったからだ。  ……まあ、単に老人が気の毒だったから、という理由も否定出来なかったが。  兎に角、バリスタは期待通りの働きを示した。銃弾をも跳ね返す『荷車』の装甲を貫き、見事『魔弾の射手』を倒したのだ。  平野少尉は用心して荷車に立て篭って狙撃していたのだが、やはり同様に矢で射殺されたのである。  油断していたこともあるが、視界の狭い『荷車』内からは、隠蔽されたバリスタを発見できなかったのだ。 「しかし、初弾で仕留められたのは僥倖だったな!」  カミーユは冷や汗をかきながら呟いた。  この反撃には慎重の上にも慎重を期している。入念に擬装――この考え自体がフランケルでは異端だ――し、更には陽動作戦で敵の注意もひき付けた。が、もし初弾を外していたら、そうでなくてもあの銃を沈黙させられなかったら、間違いなく不味いことになっていただろう。バリスタには鉄製の防盾が付いているが、とてもあの銃の弾を防げるとは思えなかった。 ……つまり、次弾を装填するまでの数分間、あの銃の洗礼を受けることになるのだ。それは考えるだに素晴しい想像だった。 「あの射手はやり過ぎました。だから天に見放されたのですよ」  カミーユの言葉に、ドニは吐き捨てる様に答えた。  ……そこには、志村伍長に対して持った様な敬意は全く含まれていなかった。 (志村伍長が射殺された時、ドニは神の名を呟き悼んだ。それは敵とはいえ、卑しい銃手とはいえ、堂々と身を晒して誇り高く戦った者への当然の敬意だったからだ)  その時、隊本営から伝令の騎馬が駆けて来た。 「伝令! 『只今の弓術、見事なり! 弓分隊長は第二槍分隊も指揮下に入れ、あの荷車を攻略せよ!』」  そして、お父上は大層お喜びでしたよ、と付け加えて駆け戻る。  ……どうやら、親父殿は下馬やバリスタの擬装に関しては知らないらしい。そうでなければこんなベタ褒めしてくれる筈も無い。 「やりましたな! 大旦那様は若に『手柄を立てろ』と仰っているのですよ!」  何時の間にか、第八歩兵隊の進撃は停止している。指揮官の再配属による再編、ということもあるだろうが、カミーユに譲ったのだろう。 「……なんかこそばゆいな」  カミーユは照れ臭そうに鼻を掻く。 ……が、悪くなかった。  気付くと、先程まで下馬した自分を呆れた様に見ていた兵共が、自分を尊敬の眼差しで眺めている 「次弾発射用意! 槍兵は突撃準備に入れ! 弓兵は支援射撃準備!」  照れ臭さを隠すため、カミーユは大声を張り上げた。  士気と統制を取り戻した兵が、その言葉で一斉に整列する。 「一部構造が緩んできました! 再調整が必要です!」 「……二発で緩んだか。ま、仕方が無いな。再調整を急げ!」  カミーユは苦笑しつつ頭の中で素早く計算し、結論を出した。  年には念を入れ、もう一発撃とう。突撃はその後だ。これで損害は極限まで減らすことが出来るだろう。  ……ああ、あの銃は是非手に入れたいな。どんな銃か見てみたいし、あれを献上すれば点数稼ぎにもなるだろう。壊れていなければ良いが。  そして、あの『荷車』を突破すれば敵本陣だ。  ――この戦い一番手柄か……悪くないな。  何もかもが上手くいっている。カミーユはそう信じて疑わなかった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【19】  時折、かすかに人馬の喊声や悲鳴といった“戦場音楽”が聞こえてくる。  もう戦場は目前なのだろう。 「ククク……」  有馬大尉は笑っていた。  ……別に愉快だった訳では無い。俗に言う“自棄笑い”というヤツである。 「ククク…… 到着するまでにエンコ四回か…… このボロ戦車共がっ!!」  そう叫ぶと、有馬大尉は手にしていたスコップを尾部のソリに放り込む。  ……どうやら、あれから更にもう一回立ち往生したらしい。  多分、動くまでエンジンを殴りつけたのだろう。そのスコップは大きく変形している。ある意味究極の修理法だった。  が、それにしても、如何に回り道をしたとはいえ直線で30km足らずの距離を、しかも曲がりなりにも路上を走っているというのに、こうも簡単に故障するとはとんでもない話である。信頼性云々以前の問題であり、これではとても実戦で使い物にならない。  この事実は、各師団に新設されつつある師団戦車隊に対する深刻な疑問を投げかけており、本来なら笑って済まされる様な話ではないのだ。  ……まあ、下っ端には関係の無い話ではあったが。 「そんな馬鹿なそんな馬鹿な……」  戦車内では、車長である少尉の呟きが乗員全員に伝染している。  ……無理もない。彼等はここ二時間程で、常識を覆される様な体験を連続して経験しているのだから。跨上している歩兵達もどこか疲れた様な顔振りだ。  その元凶たる人物は、砲塔の天辺で双眼鏡を構えながら胡坐をかいて――落ちないように砲に片手を掛けながら――座っている。 「! 総員戦闘準備!」  双眼鏡で戦場を確認すると、有馬大尉は肩に下げていた一〇〇式機関短銃を手にする。  部下達もそれに続く。先程の影は微塵も感じ取ることは出来ない。 (何年も大陸の戦場で鍛えられてきた彼等は、気持ちを切り替える術を十分心得ているのだ)  戦場は最早肉眼でも確認できるほど近づいていた。  有馬大尉は大きく息を吸い込む。  彼が良く知る戦場ほどではないが、血と硝煙の匂いが鼻腔を擽る。  ……ああ、忘れかけていた戦場の匂いだ。  そして、耳には人馬の喊声や悲鳴といった“戦場音楽”。  何もかもが懐かしい。  有馬大尉の顔に獰猛な笑顔が宿った。 「軽機班下車! 戦車は速度を歩兵に合わせろ!」  有馬大尉の命令により、戦車は路上速度を20q/hから5q/h以下に落とす。  戦車の速度が落ちると4名の歩兵は下車し、戦車を盾に前進する。  こうして準備を整えた“騎兵隊”は戦場に突入した。  その戦力は、有馬大尉以下歩兵5名に八九式中戦車1両。当初の1/3の戦力であった。 ――――第八歩兵隊、弓分隊。  それはまさに、三度目の射撃命令を出そうとしたその時だった。  ――あの、動く巨大な岩の様なものは何だ? 竜か?  それは、シュヴェリン側から真っ直ぐこちらに向かって来る。  ゆっくりと、だが確実にやって来る。  たった“1頭”とはいえ、その圧迫感は騎馬のそれではない。  カミーユは何か不吉なものを感じ取り、即座に目標を変更することを決意した。 「目標変更! 側面の敵を狙え!」  その命令によりバリスタは急遽方向転換し、側面先頭に押し出される。  カミーユは既にアレを敵と断定しており、その正体についても凡その見当をつけていた。  ――アレは、もしや噂に聞く“戦竜”ではないだろうか?  “戦竜”。戦闘に特化された竜。最も非力な種ですら『1騎で騎馬100騎に匹敵する』と評される“陸戦の王者”。  その突撃は、銃や弓では阻止できない――  ――御丁寧に鎧まで付けてやがる……  カミーユは思わず舌打ちする。  アレに突撃されたら厄介なことになる。簡単には倒せないだろうが、早急に討ち取らなければいけない――そう判断し、素早く迎撃の態勢を整えていく。  彼の判断は非常に正しく、そして間違っていた。 「撃て!」  距離50サージェン(約106m)で、カミーユは射撃命令を出した。  バリスタから撃ち出される巨矢は、50サージェン(約106m)以上の距離から“荷車”の装甲を貫通する程の威力を持っている。  フランケルで使用される標準的な火縄銃――50mで3oの鉄板を撃ち抜く――にも十分耐えられる様、約6o厚の鉄板が貼り付けられているにも関わらず、だ。  高張力の弦から生み出される巨大な運動エネルギーと、炭素鋼製の巨大な鏃がそれを可能にしていた。  何より、熱処理で硬化された炭素鋼製の巨大な鏃は、柔らかい鉛弾とは異なり“荷車”の装甲(鉄板)の硬度を大きく上回っていたのだ。  ……が、それは帝國が、帝國の製鉄技術が1000年も昔に通り過ぎた水準に過ぎなかった。その硬度は平均的な玉鋼にすら及ばなかったのだ。  対する八九式中戦車の前面装甲厚は17o、それも駆逐艦用鋼板に更に焼入れ処理を行った超高硬度の炭素鋼である。その硬度は比べ物にならない。  グシャッ!  忽ち鏃は砕け散った。  ……後には、僅かな引っ掻き傷が残っただけである。運動エネルギーも、それを活かす鏃の硬度も、何もかもが圧倒的に不足していたのだ。  ――馬鹿な!?  目の前の現実に、カミーユは危うくそう叫びそうになった。  アレは、あの竜は、一体どれだけの厚さの鎧を身にまとっているのだ!?  もしや、噂に聞く防御結界か? ……いや、矢は確かにあの竜に届いた。防御結界なら途中で止められる筈だ。  第一、只でさえ手に入れることの難しい戦竜だ。ましてや防御結界を持つ戦竜など――  そこまで考え、カミーユは頭を振る。  そんなことは如何でもいい。今はあの竜を倒す事を第一に考えねば。  ……それには出来るだけ近づき、鎧の繋ぎ目を狙撃する必要がある。  如何な竜であろうが、この距離からバリスタの射撃を受ければ、倒せないまでも少なからぬダメージを与えられる筈だから。  そう判断すると、カミーユはバリスタの再装填を命ずると共に、牽制射撃を行うべく号令をかけた。 「総員射撃準備!」 ――――有馬隊。 「……不味いな」  八九式中戦車の砲塔の影で、有馬大尉は忌々しげに溜息を吐いた。  現在、彼我の距離は100mと少し。これ以上進むと鉛球と矢の盛大な“おもてなし”を受ける羽目になってしまう。  ……てっきり、戦車に恐れをなして逃げ散るものと思っていたのだが。 「流石は常備軍と誉めるべきか? ……いや、所詮この距離では脅しにならない、ということか」  敵を甘く見過ぎたかな、と有馬大尉は苦笑する。  が、何時までものんびりと思索に耽っている余裕など無い。既に連中の攻撃圏内――最大交戦距離150m程度――に入っているのだから。  連中が撃ってこないのは、単に矢弾と気力体力の消耗を抑えるため、命中率が大幅に向上する100m以下での射撃を基本としているからに過ぎない。必要とあれば今直ぐにでも雨霰の様に矢弾が降り注ぐ筈だ。  そして、彼等の持つ武器は決して玩具ではないし、皇軍将兵も超人ではなくただの人間である。努々それを忘れてはならなかった。  有馬大尉は決断を迫られた。 『――――!』  と、敵陣から何か号令の様な叫び声が聞こえた。  その内容は聞き取れなかったが、それと同時に敵兵が整然と動き出したことから一目瞭然である。  一斉射撃だ!――そう判断した次の瞬間、有馬大尉は無意識の内に叫んだ。 「戦車! 敵横隊、撃てっ!」  ドンッ!  八九式中戦車から撃ち出された九〇式五十七粍榴弾は、初速380m/sの速さで敵の隊列、その手前に着弾した。  僅かゼロコンマ数秒で着弾。それと同時に信管が作動し、内蔵する250gの炸薬を炸裂させる。その衝撃で弾体は数十の大破片と無数の小破片に分裂し、爆風に乗って周囲に飛散する。  ……それは、密集した横隊に対して凶悪なまでの効果を発揮した。  九〇式五十七粍榴弾の威力半径は16mにも及ぶ。  高々20名の一列横隊など、すっぽりとその範囲内に収めていたのだ。 ――――第八歩兵隊、弓分隊。  それは弓兵が整列を終え、正に射撃態勢に入ろうしたその時だった。  “戦竜”に据え付けられていた大鉄砲が火を噴いたかと思うと、次の瞬間には大爆発と共に弓兵達が吹き飛ばされる。 「なっ!?」  カミーユは我が目を疑った。  ただ一撃、ただの一撃で第八歩兵隊弓分隊が全滅したことが信じられなかったのだ。  ――アレは、大鉄砲ではなかったのか!?  が、大鉄砲は精々片手で転がせられる程度の鉛球を撃ち出す武器でしかなく、この様な現象は起こりえない。考えられるとすれば通常の大弾丸の代わりに多数の小弾丸を装填して発射した場合だが、アレはその効果を期待するには小さ過ぎる。とてもこの様な威力を発揮出来るとは思えなかった。  ……もしや、アレが噂に聞く戦竜のブレス攻撃なのだろうか?  が、カミーユにそれ以上考える間は与えられなかった。   ドンッ!  “戦竜”は右翼に展開する弓分隊を全滅させた後、一呼吸置いて今度は左翼に展開する槍分隊目掛けてブレスを放つ。呆然と立ち尽くしていた槍分隊は爆発をまともに受け、たちまち弓分隊と同様の運命を辿った。  ……たった二撃でカミーユの指揮する全兵力、第八歩兵隊戦力の半数が全滅したのだ。最早残っているのはカミーユの従僕達――郎党と自領内から徴用した下人――だけである。 「畜生!」  カミーユはバリスタに飛びつき、前進する“戦竜”に向けた。  それを見たドニが慌てて止める。 「若旦那! もう駄目です、ここは――」 「やかましい! どの面下げて帰れるというのだ!?」  王から貸し与えられた兵も、臨時に配属された兵も、全て失った。せめてあの“戦竜”を倒さねば、とてもではないが面目が立たない、と吐き捨てる。  ……が、それは言い訳に過ぎなかった。自分の部下を、自分を評価し始めていた者達を殺され、カミーユは怒り狂っていたのである。 「……承知しました」  ドニは重く、溜息を吐くかのように頷いた。  カミーユの真の目的を理解してはいたが、“面目”という建前を出されてはそれ以上は何も言えなかったからだ。  と、まるで自分達の意図を察したかの様に“戦竜”が前進を再開する。  ……これで我に返った下人共は忽ち逃げ散っていく。立てる者は走って、腰が抜けて立てない者は這う様にして。  が、郎党達は逃げない。フィリップ家重代の臣である彼等が逃げる訳にはいかないのだ。 ……例え、自分達のその後の運命が判っていたとしても。  カミーユと数人の郎党達はバリスタを操り、“戦竜”に立ち向かう。  ドンッ!  距離20サージェン(約42m)で再びバリスタから大矢が撃ち出される。  先程の半分以下の距離からの射撃。空気抵抗による運動エネルギーの減衰は殆どなくなり、その威力は倍近い。  如何な“戦竜”とはいえ、この距離なら――誰もがそう確信した。  グシャッ!  ……が、結果は先程と同様だった。巨大な運動エネルギーで超高硬度炭素鋼に叩き付けられた鏃は忽ち砕け散る。  もし……もし鏃の硬度がもっと高ければ、或いは八九式中戦車の装甲を貫通出来たかもしれない。その運動エネルギーは“最強の小銃弾”モーゼルGew98小銃の7.92mm×57弾にも匹敵したのだから、ましてや薄いと思われる視察孔を覆う装甲板を狙撃したのだから。  が、その運動エネルギーを伝える鏃の硬度が圧倒的に足りなかった。石に叩き付けられた卵の様に容易に粉砕され、逆に巨大な運動エネルギーを大きく減殺してしまったのだ。  かくして、彼等の決死の行動は徒労に終わった。  カミーユは三度目の攻撃を試みたが、再び射撃を行うチャンスは遂に訪れなかった。  八九式中戦車が反撃を始めたからである。 ――――有馬隊。  ――今のはちとヤバかったかな?  有馬大尉は内心冷や汗をかいた。  八九式中戦車の前面装甲は、当たり所が悪ければ大口径小銃の硬芯弾にすら貫通――勿論相当な至近距離での話だが――されてしまうのだ。あのバリスタだってここまで近づけばその程度の威力はあるだろう。少し遊び過ぎた、反省ものである。  ……まあ本当に遊んでいた訳ではない。が、余裕を持ち過ぎていたのは事実であろう。  バリスタの左右に展開していた小隊規模の歩兵を吹き飛ばした後、有馬大尉は敵の指揮官が逃げだすのを待っていたのだ。  何せあれだけの規模の指揮官である、それなり以上の階級の騎士だろう。後の手間を考えれば見逃すに越したことはない――そう判断したのだ。  敵を舐めきった、余裕のあるからこそ出来た行動だが、この一撃が有馬大尉の目を醒めさせた。 「俺も相当な大馬鹿野郎だな…… 力を見せずに敵が逃げる――ましてや降伏する筈も無かろうに」  連中は戦争を、生きるか死ぬかの戦いをやっているのだ。そんな簡単にこちらの思い通りになる筈がない。  軍司令官閣下だって仰っていたではないか。“殲滅”は駄目だ、と。あくまで“殲滅”――が禁止されているのであり、通常の戦闘は認められているのだ。  無論、この言葉の意味は十分理解していた。が、敵を甘く見、威嚇だけで降伏に追い込もうとしてしまっていた。  何たる増長、何たる不覚。  ――遊びは終わりだ!  腹を決めた有馬大尉は素早く結論を下す。 「戦車、機銃撃て!」  タタタッ!  車体前部に据え付けられている九一式車載機関銃が軽快な音を立てる。  重機ではなく十一年式軽機関銃を車載用に改良した軽機――しかも6.5o弾――だが、放たれた6.5o弾はバリスタの防盾を簡単に貫通して敵を薙ぎ倒し、バリスタはたちまち沈黙した。 「踏み越えろ!」  メキメキッ! バキッ!  有馬大尉の命令に従い、八九式中戦車はわざわざバリスタを踏み潰し前進する。13トン近い重量に押しつぶされ、バリスタは見るも無残に潰されてしまう。  ……それと共に、人を押し潰す嫌な感触。忘れようとて忘れられるものではない。これが初陣の戦車兵達はさぞかし顔を蒼ざめていることだろう。  が、敢えて有馬大尉はそれを命じた。  残る半数の敵に見せ付ける為に。  それは、正に“魔竜”の所業であった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【20】  腹を括れば話は簡単だった。  先ず、尚も抵抗の気配を見せる第八歩兵隊の本営を砲撃し無力化する。  次いでシュヴェリン軍が布陣している丘を横断、右翼の第一歩兵隊を壊走させる。  そして第一歩兵隊の道程を逆走、メクレンブルク軍正面に躍り出た。  ……その後の有馬隊、その八面六臂の活躍ぶりについては多くを語る必要も無いだろう。  彼等の武器では八九式中戦車の装甲を撃ち破ることは出来ない。  彼等の防具では八九式中戦車の攻撃を防ぐことは出来ない。  これ程楽な戦はなかった。八九式中戦車はメクレンブルク軍を思う存分に蹂躙する。  止めに途中脱落した八九式中戦車の1両が跨上歩兵と共に到着。左右から挟撃される形となったメクレンブルク軍は恐慌状態に陥いり、逃げ惑い味方に踏み潰されて圧死する者が続出した。  ……この頃になるとメクレンブルク軍の統制は完全に失われており、これがかえって戦いの終結を長引かせ、徒に死傷者を増やしていくという悪循環に陥っていたのだ。  結局、それから間も無くしてメクレンブルク軍は降伏することになるのだが、この混乱時に数百の兵が死傷――しかもその大半は踏み潰されたことによる死傷――したと伝えられている。  メクレンブルク軍にとっては悲劇としか言い様が無い戦であった。 ――――夕刻、シュヴェリン軍本陣。  暑い……重い……息苦しい……  暑い……重い……息苦しい……  暑い……重い……息苦し…………くない? 「あっ、お目覚めになられましたか?」 「???」  目を開けると見知った女官、ヘラの顔が映る。  状況判断に悩み首を傾げていると、彼女は助け舟を出してくれた。 「姫様は今まで意識を失ってらしたのですよ」  そんなに苦しいのでしたら仰って下さい、と苦笑するヘラ。  それを聞き、また頭が働き出したこともあって、ようやくカナは現状を把握することが出来た。 「そうか、私……」  途中で気絶しちゃったんだ。  どの位の間かは判らないが、意識を失っていたらしい。  ……そこまで考えて、大事なことに気付いた。 「! そうだ! 戦いはどうなったのっ!?」  気付けば、あれ程騒がしかった外が何時の間にか静まり返っている。もしかして……負けたの? 「……お味方の大勝利です」 「え、勝ったの?」  それも大勝利?  思いがけない言葉を聞き、思わずカナは恐ろしく不謹慎な台詞を吐いてしまう。  が、この様な反応を示すのも無理は無いだろう。  意識を失う直前の戦況は“ジリ貧”状態だった筈だ。勝てたというだけでも半信半疑なのに、“大勝利”なんて正直眉唾ものだった。  ……それにヘラの口篭った様な物言いが気にかかる。勝ったのなら何故素直に喜ばないのだろう? 外が静かなのもおかしい。 「……本当なの?」 「はい…… 苦戦しましたが、アリマ様が手勢を率いて駆けつけて下さったので……」 「アリマ卿が? でもアリマ卿は南方で――」  シュトレリッツとシュワルツブルクの両国と戦っている筈、と言いかけて気付いた。  かつて、彼等が二千の叛乱軍を簡単に滅ぼしたことを。  ……ああ、そういえばヘラの反応もあの時と似ている。あの時は助かったというのに誰もが呆然としていたっけ。 「結局、また助けられた、という訳ね……」  嘆息する。  結局、シュヴェリン独力では何一つとして解決出来なかった。叛乱軍の鎮圧も、反シュヴェリン諸国との戦争も何一つ。  が、他国が伊達や酔狂で、ましてやタダで助けてくれる筈もない。一応“ギブアンドテイク”の形にはなっているが、どう考えてもシュヴェリンの方が分が悪かった。今後シュヴェリンは帝國に対して頭が上がらなくなるだろう。  ――そう考えると、とても手放しで喜ぶことは出来なかった。  或いはそれが狙いだろうか、とも考えたがそれだけとは思えない。どうも有馬大尉の……いや帝國の行動は回りくどくて読み難いのだ。  ……いい加減、その真意をはっきりさせるべきだろう。 「アリマ卿は?」 「! いけませんっ!」  簡易寝台から降り、外に出ようとするカナをヘラは慌てて止める。  体で出口を塞いでいることから察して、余程行かせたくないのだろう。  ……そんなヘラをカナは訝しむ。 「? どうしたの?」 「あ…… も、申し訳ありません。ですが、外にはお出にならない方が宜しいかと……」 「??? ……ま、いいわ。私はアリマ卿に用があります、下がりなさい」 「ですが――」 「下がりなさい」 「……はい」  カナの強い口調に、ヘラは渋々ながらも道をあけた。 「う゛……」  一歩外に出てカナは顔を顰めた。  天幕一枚でこうも違うのか、と思うほど嫌な臭いが嗅覚を刺激する。  が、ある程度鼻が慣れたのか我慢できない程では無い。カナは口と鼻元を布で押さえながらも有馬大尉を探す。  幸い、有馬大尉は直ぐに見つかった。  有馬大尉は見張り台の上で胡坐をかいていた。  そして、寿屋のポケットウイスキーをラッパ飲みしながら夕日を眺めている。  ……何故か、落ち込んでいる様にも見えた。 「な……何を……して……いるの……ですか?」 「……少し酔おうとしまして、ね」  ゼーハーと息を継ぎながら質問するカナに、有馬大尉は怪訝そうな表情で振り向いた。  カナは肩で荒い息をしてへたりこんでいた。  ……どうやら、ここまで来るのに力を使い果たしたらしい。腕も小刻みに痙攣している。 (台に梯子は無く、多数の結び目を付けたロープで上り下りしなければならないのだ) 「……何も、そこまでして登ってこなくても」  流石に有馬大尉も呆れた様な口調だ。 「祝い酒、ですか?」  数分後、カナはなんとか復活――相変わらず腕は小刻みに震えているが――し、有馬大尉との会話を試みた。彼には聞きたいことが山とあるのだ。  先ずは探りを入れるため、心にも無いことを聞く。 「……ああ、そうか、そうとも言えるかも知れませんな」  勝利の後飲む酒だからそうなるかな、と今初めて気付いたかの様に有馬大尉は苦笑した。  そして苦笑した後、ぽつりと呟いた。 「戦に酔えませんでしたからね。代わりに酒で酔うのですよ」 「?」  カナは意味が判らず首を傾げた。  が、有馬大尉はそれ以上説明はせず、黙ってウイスキーを呷る。  “戦場音楽”と“戦場の匂い”は有馬大尉に久し振りの“酔い”をもたらした。  が、それは一瞬のことに過ぎなかった。全く反撃手段を持たない敵との戦いは直ぐに彼を酔いから醒まし、かえってまるで安物の合成酒を飲んだ後の様な堪らない不快感すらもたらしたのだ。  それを誤魔化す為に酒を飲んでいた。が、酔えない。  戦争とは、武器と武器を持った男達の命を賭けた戦いである、と有馬大尉は考えていた。  無論、それが幻想であること位は理解している。が、戦うためにはその幻想を、免罪符を信じる必要があった。騙されえる必要があったのだ。  ……が、今回の戦いはその幻想すら許されなかった。これでは酔える筈も無いだろう。要するに、自己嫌悪に陥っていたのである。 「……もしかして、死んだ人達を慰める為に飲んでいらっしゃるのですか?」 「は?」  唐突に思いがけない言葉を聞き、思わず有馬大尉は振り返った。  ……どうやらカナは、ずっと先程の言葉の意味を考えていたらしい。 「違うのですか? 勝ったのに、手柄を立てたのに沈んでらっしゃるのは、死んだ人達のことを考えていらしたからではないのですか?」 「…………」  しばらくじっとカナを見ていた有馬大尉は、やがてクククと笑いながら残っていたウイスキーを地面に注ぐ。そして半分ほど注ぐと残りをカナに手渡した。 「?」 「姫様もお飲み下さい。半分はこの戦いで死んでいった全ての者達に、残り半分は我々に」 「……えっと、お弔いに参加するのは全くやぶさかではないのですが、なんかコレまだ半分近く残っているのですけど……」  負担割合に問題がある様な気が、とカナはちょっぴり涙ぐんでいる。  が、有馬大尉は澄ました物だ。 「自分は先程飲みましたから。ちなみにそれは二本目です」  見ると、同じ酒ビンが転がっている。  『高価なガラスの器になんとバチ当たりな!』と思いつつも、なんとか負担割合を減らして貰おうと試みた。 「私、お酒飲めないのですが」 「帝國の代表者として自分が、シュヴェリンの代表者として姫様が飲むべき、と愚考しますが?」 「う゛……」  そう言われるとカナは弱い。  飲み残し、それも口を付けたものを寄越すとは失礼極まりないが、戦場に赴く者達が同じ杯で酒を飲み干すのは良くある話なので文句も言えない。 (あくまでそれは男同志の場合の話なのだが、カナはそこまで戦場作法に詳しくなかった) 「……せめて杯を頂けないでしょうか? 流石に器から直接は……」 「んなものありません。死者も自分も直接飲んだのだから、姫様もそうなさい」 「ううう、女官達に見付かったら叱られる……」  なんとなく騙されている様な気がしないでもないが、根が素直な彼女にはそれ以上何も言えなかった。  やがて諦めたのか、半泣きでちびちびと舐める様にウイスキーを飲み始める。  ……このペースでは、飲み干すまでにかなりの時間を必要とするだろう。  そんなカナを眺めながら、有馬大尉は独り言の様な口調で呟いた。 「我々は“ある物”を手に入れる為にフランケルにやって来ました」 「バレンバンに湧く“黒い水”のことでしょう?」  私知ってますよ、と合いの手を入れるカナ。  が、それには答えず尚も有馬大尉は独白を続ける。 「それは我々にとって絶対に必要なもので、困ったことに幾らあっても足りない位大量に必要としています。  ……そう、湖一つ飲み干しても尚必要とするくらいに、ね」 「え? ……それって、『バレンバンだけじゃあ足りない』ってことですか?」 「それはフランケル全土……いえ、フランケルを含む更に広い地域の地下に眠っています。  我々はその全てが欲しい。それも誰にも邪魔されず安全確実に」 「…………」  有馬大尉の独白をカナは呆然と聞いていた。  彼は間接的にではあるが自分の知りたいことを話してくれていた。酔った上での独白、という形で。 ……が、その内容はとんでもない物だった。  帝國はフランケルとその周辺地域全てを自分のものにしようと考えている――そう告白していたのだ。  そして、彼の告白はそれだけに止まらなかった。 「帝國はそれを確実に手に入れる為に3万の兵を派遣しました」 「さ、さんまんっ!?」  カナは目を丸くする。  3万といえばフランケル第二の人口を誇るシュヴェリンと同じ数である。まるで民族大移動ではないか。  冗談の様な数を聞き、カナは思わず笑い飛ばしたくなった。  が、有馬大尉の表情が、それが真実であるということを雄弁に物語っていた。 「それが“帝國の意思”です」  つまり、生半可な覚悟ではない、ということだ。  “黒い水”を手に入れるならどんなに強引な手段だって採るだろう。彼等にはそれを実行するだけの力も覚悟もあるのだから。 「幸い、派遣された軍の司令官閣下は温厚な方です。恐らく“本国の意思に反しない範囲内での紳士的な解決”を目指されるでしょう。  が、それには周辺諸国の協力が不可欠でしょうね。 ……ああ、どうやら酔いが回ってきた様だ。自分が何を言っているのかも判らん」  有馬大尉は自嘲気味にそう呟くと立ち上がり、しっかりした足取り――『酔った』と言った癖に――でロープへと向かう。  暫く黙ってそれを眺めていたカナだったが、やがてハッとした様に慌てて有馬大尉を呼び止めた。 「! ま、待って下さいっ!!」 「もう独り言は終わりですが?」 「……違います。私も下ろして下さい」 「は?」 「……一人じゃあ下りられません」  俯きながらカナは小さな声で呟いた。恥ずかしいのか顔が真っ赤だ。  その言葉に有馬大尉は暫く呆気にとられていたが、やがて呆れた様に首を振る。 「……貴方は猫ですか」 「高い所が怖いのは人としての本能です。恥ずかしいことではありません」  誰もそんなことを聞いてはいなかった。 「なら登るなよ……」  この後先考えない向こう見ずな少女をどうしようか、と有馬大尉は腕を組んで考える。  正直な話、『置いていく』という選択肢も本気でアリな様にも思えた。或いは『スパルタで無理矢理下ろす』という手も。  ……とはいえ、流石に以前中山に対して行った様な荒っぽい手段を採る訳にもいかない。結局、ブツクサ文句を言いながらも有馬大尉はカナを連れて台を下りることを選択した。  カナはしっかりと目を瞑り、下りる間一度も下を見ようとはしなかった。無論、登る時も台の上でも、だ。  ……まあ多分それで正解だな、と有馬大尉は苦笑した。  戦いの後の凄惨な光景は尚も残っており、台の上からはそれが丸見えだったのだから。