帝國召喚 外伝「カナ姫様の細腕繁盛記」 【11】 「陸軍さんは何を考えている?」  フランケル派遣艦隊司令長官 小沢治三郎中将は、旗艦「扶桑」の艦橋で呟いた。  その手に握られているのは一枚の書信。  『どうか作戦を四八時間延期して頂きたい、理由は後で必ずお話します』  第一六軍司令官 今村均中将直々の書信、それをどう扱ったら良いか、判断に苦しんでいたのである。  この書信が来て直ぐ、第一六軍の動きが止まった。  小規模な油田調査や測量こそ行っているものの、如何なる軍事行動も、建設行動すらも行っていない。  既に書信が到着してから丸一日、『バレンバンの割譲の確約をとった』という報告からならば二日が経過している。  事前の打ち合わせでは、とっくに先発隊が動き出している筈だ。  ――今村さんとて、帝國の現状は重々承知しているだろうに。  現在の帝國は、まさに生きるか死ぬかの瀬戸際にある。  手持ちの資源が尽きる前に、何としても本国に新たな資源を運び込まねばならないのだ。  それを、何故…… 「第一六軍から、その後何か連絡は?」 「はっ、特にありません」  部下からの報告に、小沢は少し考える。  今村中将とは今まで面識が無かった。  が、今回の作戦における一連の調整過程において、充分信頼するに足る人物と踏んでいた。  しかし……  ――見込み違いだったか?  書信一枚で後は梨の礫、共同作戦の相手にそれはないだろう。  しかも、これは帝國の運命を賭けた大作戦だ。正気の沙汰とは思えない。  ……誇張でもなんでもない。文字通り、帝國はこの作戦に『賭けている』。  それは派遣された戦力を見れば一目瞭然だろう。 フランケル攻略部隊序列  海軍部隊(フランケル派遣艦隊) 艦隊司令長官:小沢治三郎中将   ┣━主隊   ┃  ・第二戦隊第二小隊:戦艦「扶桑」「山城」   ┃  ・第一六駆逐隊:駆逐艦「初風」「雪風」「天津風」「時津風」   ┣━航空隊   ┃  ・第五航空戦隊:空母「瑞鶴」「翔鶴」、駆逐艦「朧」「秋雲」   ┣━護衛隊   ┃  ・護衛隊本隊:練習巡洋艦「香椎」、海防艦「占守」   ┃  ・第一護衛隊:駆逐艦「霞」「霰」「陽炎」「不知火」(第一八駆逐隊)   ┃  ・第二護衛隊:海防艦「国後」「八丈」「石垣」   ┣━支援隊   ┃  ・油槽船「玄洋丸」「日栄丸」「東栄丸」「国洋丸」「健洋丸」「神国丸」   ┗━附属       ・第二根拠地隊、特設工作艦「山彦丸」 、特設病院船「氷川丸」  陸軍部隊(第一六軍 通称フランケル派遣軍) 軍司令官:今村均中将   ┣━軍司令部   ┣━第六師団   ┣━第五飛行集団   ┃  ・集団司令部   ┃  ・第四飛行団   ┃    ・飛行第八戦隊:九七式軽爆27+9、一〇〇式司偵11+3   ┃    ・飛行第一六戦隊:九九式双軽27+9   ┃    ・飛行第一四戦隊:九七式重爆18+6   ┃    ・飛行第二四戦隊:九七式戦36+12   ┃    ・飛行第五〇戦隊:九七式戦36+12   ┃  ・第一〇独立飛行隊   ┃    ・独立飛行第五二中隊:九九式軍偵9+3   ┃    ・独立飛行第七四中隊:九八式直協12+4   ┃    ・独立飛行第七六中隊:九七式司偵9+3   ┃  ・フランケル航空地区   ┃    ・第一八飛行場大隊   ┃    ・第二四飛行場大隊   ┃    ・第二八飛行場大隊   ┃    ・第四〇飛行場大隊   ┃    ・第四八飛行場大隊   ┃  ・バレンバン防空旅団   ┃    ・防空第五一聯隊   ┃    ・独立防空第五一大隊   ┃    ・独立高射砲第五一中隊   ┃    ・第五一防空通信隊   ┃    ・第五一〜五四防空監視隊   ┃    ・他   ┃  ・航空通信第一聯隊   ┃  ・第四野戦飛行場設定隊   ┃  ・第九野戦飛行場設定隊   ┃  ・他   ┣━独立戦車第四聯隊:九五式軽戦車38   ┣━野戦重砲兵第二聯隊:九六式15cm榴弾砲24   ┣━野戦高射砲第三大隊:八八式七糎高射砲18   ┣━独立工兵第八聯隊   ┣━軍通信隊   ┣━軍直属兵站部隊   ┗━他  ……これだけの大戦力が、バレンバン開発団を支援するのだ。  他方面の攻略部隊ならば、特設水上機母艦か水上機母艦が1隻――或いは良くて空母1隻――に駆逐艦以下の小艦艇数隻の所を、最新の大型正規空母2隻からなる1個航空戦隊、加えてその絶対数の少なさから、本来ならば幾つかの中継地点でしか支援を受けることが出来ない工作艦や油槽船までもが配属されている。  おまけに戦艦である。如何にフランケル文明圏が重視されているかが分かるだろう。 (無論、陸上戦力もそれに相応しく、非常に大規模なものだ)  ――戦闘艦艇はまだしも、1万t級の大型高速油槽船6隻に優良船舶30万t以上を二日も遊ばせる余裕は、帝國に無いぞ? それがわかっているのか?  単純に考えても一日遅れる毎に42万t・日のロス。帝國―大陸間の往復輸送に一月かかるとして、一日1万4000t分の船舶を無駄にしていることになる。  1万4000t分の船舶と言えば2万t近い積載量だ。毎日2万tの物資を大陸に送れず、2万tの資源が本土に届かない、と言えばその恐ろしさが分かるだろう。  ――何を考えている? 下手をしなくても、これは重大な責任問題に発展するぞ?  仮にも陸軍中将である。それがわからぬ筈が無い。  だからこそ、余計に真意が読めなかったのだ。 ――――シュヴェリン王国、フーズム 「……ほお」  それは、感嘆の言葉だった。 「全員が小銃で武装しておりますな。しかもあれは火縄じゃあありません、燧石式のマスケットです。  ……しかし、まさかナポレオニック……いやそれ以上の軍がやって来るとは思いませんでしたよ」  今村中将の感嘆に、参謀長も思わず同意の呻きを漏らす。  畜生、何だよこいつら。これじゃあ『未開の蛮族』どころか……  シュヴェリン軍は縦列行進でやって来た。  小隊規模の歩兵に過ぎないが、中々統制のとれた軍の様だった。  歩兵の装備にも目を瞠る。  肩にかけたマスケットと腰の短剣、  茶色に染めた長袖長ズボンの布の服、  服の上には上半身のみを防護する薄手の皮鎧、  頭には独逸軍のフリッツヘルメットの様な鉄兜、  近代以前の軍に見られる様な装飾等は一切無く、合理的かつ質実剛健そのものだ。  ……御丁寧に、編上靴に巻脚絆までしている。 「大荷物は後方の竜車に載せている様だね」  今村中将の指摘通り、彼等は銃と短剣の他は腰に下げた帯革に弾薬盒、後は水筒のみ、という身軽な格好である。 「贅沢なことです」 「そうかい? 僕は羨ましいけどね。  我が軍の歩兵達にも、あれ位の手当てをしてやれれば……」 「無いものねだりです。自分らは、与えられたものの中で遣り繰りするしか無いのですから」 「……そうだね。あんまり物欲しそうな目は止めておこう」  今村中将は軽く肩を竦めた。 「賢明ですな」 「で、君はどう見る?」 「『異常』です」  参謀長はきっぱりと答えた。  何をですか、とは問わない。 (そんなことでは参謀長は務まらない)  シュヴェリン軍は明らかに『異常』だった。  この世界で今まで出会ってきた軍勢と比べ、余りに近代的過ぎるのだ。  ……元の世界でもここまで来るのに、一体どれだけかかったことか。  それを考えれば、このシュヴェリン軍の存在は異端としか言えなかった。 「僕も同意見だ。どうやら有馬君の報告、大当たりの様だね」 「……この非常時に、なんたる難題」  参謀長は溜息を吐いた。  それは、彼の嘘偽り無い本音だった。  昭和17年2月10日。有馬大尉が上陸した海岸に程近い漁村、フーズムで帝國・シュヴェリン王国間の会談が行われた。  帝國側の代表は帝國陸軍第一六軍司令官今村均中将、  シュヴェリン王国側の代表は第一王位継承者カナ・メクレンブルク・シュヴェリン王女。  両者共相当の権限を有しており、正にフランケル文明圏の運命を左右する会談、と言っても過言では無いだろう。  ……そしてはからずも帝國にとって、この世界における初の独立国家との会談――しかも正式な――でもあった。 「帝國陸軍中将、今村均であります。王女殿下」 「シュヴェリン王国第一王女、カナ・メクレンブルク・シュヴェリンです。  閣下、先日の御助力ありがとうございました。国王陛下と全国民に代わり、お礼を申し上げます」 「いや、左程のことではありません。対価も受け取りましたしね」  正直、今村中将はこれ以上この話題に関して触れて欲しく無かった。  命令であるから仕方なく実行しているが、言わば自作自演の火事場泥棒の様なもの、心中では罪悪感とやり場の無い怒りが仲良く手を取り合って踊っている。  しかも、その騙している相手がこの様な年端もゆかぬ少女である、という事実を突きつけられているから堪らない。先程から胃がキリキリと痛む。  ……この様な悪辣な行動を実行させるには、今村中将は余りに誠実過ぎたのだ。  この人選には、当時の帝國の御家事情……というよりも、混乱振りが大きな影響を与えていた。  当時の帝國――つまり転移初期における帝國――は、まるで夜盗か強盗か、とでもいう様な強引な手法で大内海沿岸の資源地帯を獲得していた。  時間が無いのはわかるが、いきなりやって来て大上段に『領地を寄越せ』などと言っても通用する筈も無い。必然的に各地で血の雨が降ることになった。  ……このため、多くの原住民が国ごと滅ぼされたという。  この余りに強引な手法は政府内部、そして軍内部からも大きな批判の声が上がった。  ――これは戦争ではない、只の虐殺だ!  ――皇軍は何時から押し込み強盗になった!?  ――このままで行けば、帝國はこの世界全てを敵に回すことになるぞ!?  批判に加え、現地でも問題が山積みだった。 、原住民を労働力として使用するどころか、生き残った原住民の残党がゲリラ活動をする始末で、これが開発の大きな不安要因となっていたのだ。  加えて、資材だけでなく労働力から食料まで全てを本国から送らねばならなくなった為、兵站にも重い負担がかかっている。  このため、軌道修正を求める圧力が日増しに強くなっていた。  が、『この非常にそんな悠長な真似が出来るか』という、ある意味御尤もな意見も未だ少なくない。  両者の意見は平行線を辿り、未だ結論が出ていなかった。  ……今回のフランケル攻略作戦は、実はその両者の妥協の産物だったのだ。  その気になれば、フランケル地方の住民全てを殲滅出来るほどの大戦力、  にも関わらず、穏健派の最右翼と目される今村中将の起用、  今までには見られない、この世界に合わせた入念な裏工作、  が、その内容は悪辣非道、加えて最終目標はフランケル文明圏の住民浄化としか思えぬ大量移民計画。  ……それでいて、『皇軍の名誉を汚さぬよう行動せよ』である。  まるで鵺の様な得体の知れぬ、支離滅裂な行動に一貫性の無い計画だ。  ―― 一体、最終目的は何か? 帝國は我が軍に何を期待しているのか?  派遣直前、今村中将は何度もなく上層部に問い質した。  が、返ってきた答えは『石油の安定確保』の言葉のみである。  とはいえ、この計画では行動基準が定まらない。これでは予想外のことが起きた時、対応に困ってしまう。  第一六軍司令部はほとほと困り果てていた。  冒頭の挨拶が終わり、バレンバン地方の割譲が行われた。  これでようやく計画の第一段階が達成されたことになり、帝國側関係者の誰もがホッとする。 「我々は、直ちにバレンバン地方の掌握をせねばなりません。  が、バレンバンには良好な港がありません。貴国の港、正確には入り江をお借りしたい」 「喜んで、と申し上げたい所ですが、現在の我が国周辺の情勢は非常に緊迫しています。貴国も巻き込まれてしまいますよ?」 「構いませんよ。バレンバン地方開発の支援をして下さるならば、我が国も貴国を支援する用意があります」 「……貴国は、随分と『黒い水』に執着なさいますね?」 「その件に関しては、御返答しかねますな」 「私の方も、今回はバレンバン地方の割譲と顔合わせが主目的、とお聞きしていますので御返答しかねます。  次回以降、ということで宜しいですか?」 「ええ、構いませんよ」  今村中将はあっさりと引き下がった。  ……今回の会談の目的は、別の所にあるのだ。  実の所、有馬大尉の報告と冒頭の冒頭のシュヴェリン軍を目の当たりにしたことにより、今村中将は会談前から既に『カナ王女が帝國人の遺児である』ことを確信していた。  だから、彼女の胸元の金鵄勲章や重そうに下げている帝國刀を見ても、さして驚かなかった。  が、事実を突きつけられた今になって、今村中将の心に迷いが生じていた。  ――問題は、それを伝えるかどうか、ということなのだが……  迷う。確かに帝國人の、それも金鵄勲章を受ける様な男の遺児かもしれない。  が……  ――それを伝えても、彼女は信じるであろうか? 幸せであろうか?  そう思わざるをえない。  これからのシュヴェリンの、フランケルの未来を考えれば、帝國の血は重荷にしかならないかもしれないのだ。  何故なら、帝國はこの地方の完全併合を狙っており、最終的には北海道や沖縄の様に、完全に自領にしてしまう腹積もりなのだから。  ……いや、むしろ米国におけるハワイの様に、か?  ならば、いっそ…… 「そういえば、閣下は先王陛下のことを御知りになりたいそうですね?」 「ええ」 「先王陛下のことについては、きっと『ダークエルフの彼』が閣下に御報告しているでしょうに、閣下は何について御知りになりたいのですか?」 「……痛み入ります」  なかなか言うじゃあないか。  今村中将は苦笑する。 「そうですね。先ずは、陛下の遺品について知りたいのですが」  勲章に帝國刀とくれば、拳銃位は残しているかもしれない。 「先王陛下の個人的な遺産は僅かなものです。この飾りに剣……」  そこで彼女は初めて気付いた。  将軍達が、この独特な剣と全く同じ物を下げている事を。 「この日記位です」 「日記? 見ても宜しいので?」  軽く目を瞠る。  一応、国家機密とかが書いてあるかもしれないのに。 「ええ、読めませんが」  それに、これはシュヴェリンのことは書いてない。  そう祖父は言っていた。そして、もう一つ…… 「では、失礼」  今村中将は、カナから手渡された『日記』に目を通し始めた。  ……その目は、ページを捲る毎に真剣になっていく。   「閣下?」 「よろしいっ!」  今村中将は絶叫し、遂には号泣してしまった。  それは日記ではなく、帝國語で書かれた報告書だった。  報告書には、およそ彼が知りえる限りの、この世界に関する様々な情報や注意事項が書き連ねられていた。  それらの情報はまず事実関係のみが客観的に、  次いでこの世界における一般的な解釈、  最後に自分の分析が記載されており、この世界の人間の考え方や帝國人との差異すらわかる貴重な資料だ。  ……そしてなにより重要なことは、これ等の資料が『帝國人によって記されている』ことだった。  今まで帝國はダークエルフの情報を丸呑みする以外方法が無く、それが何処まで正しいのか知る術さえ無かった。  ここで初めて、帝國は『真に信用すべき情報』を手に入れたのである。  確かに、ダークエルフの膨大な情報に比べれば、情報量自体は些細なものでしかないだろう。  が、『帝國人の目から見たこの世界』という情報は、正に万金に値する価値があった。  転移後数十年、彼はその死に至るまで、帝國軍人としてこの報告書を書き連ねていたのだ。  ――あと数年生きていれば、帝國に帰れたものを……  彼の無念を思えば、涙が出る。  が、生きていても帰らなかっただろうな、とも考えていた。 『この報告書を作成するに当たり、シュベリンの民の助力非常に大なり。  シュベリンの民に対し、後世特別のご高配を賜らん事を』  ……わざわざ、こんな一節を挟む程であるのだから。  しかし、何れにせよこの報告書は『使えた』。  情報の貴重さも勿論だが、それ以上にタカ派の連中を突き崩すには最適だった。  この報告書の一節を読ませるだけで、態度を変える連中もいるだろう。  彼等の中には、感情的に反対論を唱えている連中も少なく無いのだ。  連中は、フランケルに対する方針を修正することに同意せざるを得なくなる筈だ。  そして、一度先例を作れば…… 「殿下、この日記を我等に頂けないでしょうか?  対価として、貴国に対する支援をお約束します」 「バレンバン地方の開発支援に関する返答を抜きにして、ですか?」 「勿論。手付けとして、有馬大尉とその手勢を200ばかりお貸ししましょう。  たった今から、彼等は殿下の指揮下です」 「期間は?」 「同程度の部隊と交代させるか、或いは貴国の危機が去るまで」 「わかりました。その日記はお渡ししましょう」  カナは、あっさりと祖父の形見を引き渡すのに同意した。  ……何故なら、それは祖父との約束でもあったから。 『もしこれを読め、かつ欲しがる者がいれば、その者に渡しなさい』  それは彼女だけが知る遺言だった。  こうして、後に『フーズム会談』と呼ばれる一連の会談が幕を上げた。  この会談は今後の帝國、そして世界に大きな影響を与えることになる。 ――――同時刻、会談場所周辺。 「ちっ! 流石志願兵だけあり、よく訓練されてやがる」  有馬大尉は護衛のシュヴェリン兵を見て舌打ちした。  『護衛は双方50名以内』とされていたので、帝國は上陸した有馬隊――歩兵第二三聯隊第七中隊に戦車小隊を付けた増強中隊――から小隊規模の兵を抽出、対するシュヴェリンは第一歩兵隊を派遣している。  彼等はそれぞれ、会談場所である村長宅周辺に陣取っていた。  が、先程からシュヴェリン兵共は整列したままピクリとも動きやしない。 「本当にこいつら、中世の軍隊か? 嫌過ぎる程統制とれてるぞ」  中世の軍って言えば、もう少しばかりだらしなくても良いんじゃあないか? 「フランケル最強は伊達じゃあ無い、ということしょう」 「……とは言え、使うのが無能な王じゃあ如何しようも無い、ということかね」  分隊長の言葉に、有馬大尉は嘆息しつつ応じる。 「何れにせよ、早く神州丸に帰って冷えたビールでも飲みたいものだよ」 「これからドンパチやろうってのに、帰れますかね?」 「まあ、一度位は戻れるだろう。それに1個師団丸々投入しているんだぞ?  何も、俺達が土に塗れて戦うとは限らないじゃあないか」 「御尤もですな」  ……既に自分達がレンタルされたとも知らず、有馬大尉は実に暢気なものだった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【12】  多分、薄々は気付いていたんだと思う。  ただ、それを認めたくなかっただけなのだろう。  御爺様が、『あの人達の仲間だった』などとは。  ……けど、『帝國』の将軍と会見して、疑念は確信に変わらざるを得なかった。  ああ、やっぱり御爺様は――  御爺様が残した日記は、彼等にとってかなり重要なものの様だった。  将軍は目の色を変えたし、たかが日記一冊には破格の条件を提示した位なのだから、多分そうなのだろう。  けど、たとえ無条件でも私は日記を渡していた筈だ。  ……だって、それが遺言だったのだから。 『もしこの日記が読め、譲渡を望む者がいれば、その者に譲りなさい』  当時の私には、その意味が全くわからなかった。  けど、今ならわかる。  御爺様は、シュヴェリン人ではなく帝國人として死んだのだ。  彼等の国は『帝國』と言うらしい。  神でも悪魔でもない普通の、でも私達よりずっと強い国。  ……そんな国が、何故こんな辺境にやって来たのだろう。  ここに来るのだって、きっと沢山のお金と時間と苦労をかけた筈だ。  でも、国家は伊達や酔狂でそんな浪費をしない。  かけたもの以上の『何か』を得るために、ここに来たに違いなかった。  多分それは、あの黒い燃える水なのだろう。  それを手に入れるために、彼等ははるばるフランケルにまでやって来たのだ。  ……それだけの執着を示したものだ。決して彼等は諦めないだろう。  どんな手段だってとるに違いない。あの時のアリマ卿の様に。  あの将軍は穏やかそうだったが、騙されてはいけない。  油断しては骨の髄までしゃぶられてしまう。  だから、私がしっかりしなければならなかった。 ――――シュヴェリン王城近郊、有馬隊。 「で、一体何用です?」  カナの突然の来訪に、有馬大尉は目を丸くした。  有馬大尉以下、歩兵第二三聯隊第七中隊に戦車小隊を加えた増強中隊(通称 有馬隊)はシュヴェリン王国――正確にはカナに――に貸し出され、現在は王城近くの丘に陣取っている。  王城での居住を勧めたにも関わらず野営している訳は、単に『出入りが面倒』だからだ。決して『以前の遣り取りから居辛い』からではない。 ……多分。 (野宿慣れしている有馬隊の将兵からすれば、天幕で寝られるのなら御の字だ) 「視察です」 「はあ……」  胸を張るカナに、有馬大尉は実に曖昧な返事を返す。  実の所、以前の経緯から敬遠されていると考えていたのだが、考え過ぎだったのだろうか? 「ま、取り合えず御案内しますがね」  有馬大尉は頭を掻きつつ、カナを案内した。  有馬大尉を従え、カナは陣地内の巡回に当たる。  ギロギロと気張って見て回る様は、監察官というよりもどちらかと言えば小姑の様だ。  で、その彼女が見るところ、どうやら現在昼食準備の真っ只中らしかった。  有馬隊には炊事班など附属していない。  だから食事の際は各自で自炊しなければならなかった。  このため、歩哨として任務につく一部の兵を除き、皆炊飯している。  飯が炊けたら副食の牛缶を混ぜ、混ぜたら飯を飯盒の蓋に移す。  そして空いた飯盒で湯を沸かし、携帯粉味噌をぶち込んで汁とする。これで完成だ。  牛缶の混ぜ飯に若布と焼麩の味噌汁、それに現地調達の蜜柑(多分)が本日の献立である。 「……あれは、マーコット?」 「名は知りませんが、現地調達で手に入れたものです。  ……ああ、勿論対価は支払いましたよ?」  カナのギロッとした目付きに気付き、正当な対価を支払って手に入れたことを慌てて付け加えた。  そうか、アレは『マーコット』というのか。  ここでは蜜柑をマーコットというのか、それとも単に蜜柑に似ているだけの別の種か……まあそんなことはどうでも良い。  この世界の連中が喰えるのならば理論的には自分達も喰える筈、と考え、早速農家と交渉して手に入れたものだ。  ちなみに値段は木1本分(約300個30s)で帝國一圓銀貨1枚。  帝國の物価で考えれば投売り同然だったが、この世界的には高いのか安いのか見当もつかなかった。  ……まあ、農民の表情から考えて、多分ボられたらしかったが。 (派遣前に現地の物価体系位、調査しておいて欲しいものだ!) 「王国に要請していただければ、その位……」 「手続き、面倒でしたから」  それに、美味そうだった。  木一杯に艶々と輝く蜜柑……じゃなかったマーコット。  だから農民を捕まえて交渉、買い上げた。無論、自分のポケットマネーだ。 「……で、幾らとられたのです?」  それを聞いたカナは、はあ、と溜息を吐きながら尋ねた。 「?」 「だって、アリマ卿はマーコットを知らなかったのでしょう? 相場がわかりますか?」 「これと交換しましたが」  有馬大尉はポケットから帝國一圓銀貨を取り出し、カナに見せる。  カナは暫く銀貨を弄繰り回していたが、やがて感嘆の溜息と共に尋ねた。 「これ……銀貨ですね?」 「ええ、帝國銀貨です」  既にその役目を終えていたが、帝國がこの世界で活動するあたり急遽復活した貨幣である。  尤もこの銀貨は、以前から有馬家にあったものを拝借してきた物なのだが。 「これ、銀をどの位含んでいるのですか?」 「九割です」  正確には、銀九割に銅が一割だ。 「はあ…… やられましたね」 「ああ、やっぱりボられてましたか」 「そんな次元じゃあありません。これと同じ量の銀塊で、この何倍もマーコットが買えますよ。  この銀貨なら、さらにその倍……いえ、三倍いけるかもしれません」 「そりゃまた」  つまり、十倍近い値を吹っかけられた、という訳か。  ……しかし、豪く経済感覚豊かなお姫様である。  お姫様といえば、こういうことには疎いのが相場だと思っていたのだが。 「大国の姫君ならばともかく、ウチみたいな小国でそんなことやっていたら、国が潰れます」 「……御尤も」  カナは、あらためて帝國銀貨を見た。  完全な円形に微細な文様は、貨幣というよりも美術品と言って良いだろう。  この貨幣を見ただけでも帝國の力がわかるというものだ。  フランケルでは貨幣を造っている国は無い。全て他国からの輸入だ。  このため、フランケルで貨幣と言えば銅貨――金銀貨は輸入できない――であり、それ以上の通貨としては『粒銀』がその役割を果たす。  粒銀とは粒状の小さな銀塊で、大きさは一定でなく、その価値は重量で判断される。  要するに、通貨(銀貨)でなく銀そのものの価値で物を買うのだ。  ……その考えから言えば、美しい帝國銀貨は同じ重量の銀塊以上の価値があることは言うまでもなかった。 「これからはきちんと王国に要求して下さい。王国の為にもなりませんから」 「はあ、まあ出来る限りそうしましょう」 「『出来る限り』ではなく『全て』です! シュヴェリンの物価が混乱するじゃあないですかっ!?」 「そんな大袈裟な……」 「大袈裟じゃあありません。いいですか、私達は自分達が食べていくのに丁度良い程度の量の食料しか作っていません。  その他は小麦も含め、全て換金作物です。 ……そんな限られた枠の中、適正価格を無視して買い求める輩が200人も出現したらどうなると思いますか?」 「うっ」 「わかっていただけたのなら、次からはきちんと請求して下さいね?」 「はいはい、了解しました」 「『はい』は一つ!」 「はい、姫様」  やれやれ、と有馬大尉は敬礼した。  機嫌を直したのか、カナは話を続ける。 「以前、アリマ卿が米に執着した理由がわかりました。  帝國の方にとって、お米は御馳走なのですね?」 「以前、とは?」  有馬大尉は首を捻る。 「アリマ卿が私を脅迫した時のことです」 「ああ、思い出しましたよ。 ……しかし、手厳しいですな」 「本当のことですから」  カナは澄ましたものだ。 「ま、否定はしませんよ。しかし少し状況が変わりましてね?  だから、脅迫は無しです」 「ということは、また必要があればやる、ということでもありますね?」 「なるべくはそうならないよう、努力はしますよ?  ……しかし悲しいかな、自分は宮仕えの身ですのでね」 「……アリマ卿はあのダークエルフの隊長さんそっくりです」  カナは呆れた様に言った。 「はて、心当たりはありませんな」 「では今度紹介します。 ……陰謀とかで話が合いますよ、きっと」 「……自分は姫様に怖がられている、と考えていたのですがね?」  思わぬカナの毒舌――と言うほどではないかもしれないが――に驚き、有馬大尉はぼやく。 「ええ、『以前の有馬大尉』は怖かったですよ? けど、『今の有馬大尉』は余り怖くありません。  ……とはいえ、以前の経緯が経緯ですから警戒してますけど」 「で、何故『米が御馳走』と考えたのですか?」  余り話を長引かせるのは得策ではない、と判断して有馬大尉は話題を変えた。 「だって、こんな状況でお米を炊いていますから」 「?」 「私達の文明圏では、軍が作戦行動する際には『御馳走』が振舞われます。多分他の文明圏でも。  ……なら、帝國だってそうでしょう?」  シュベリン軍の食事は、主食に米、副食に魚と屑野菜(漬物)、それに汁物が基本だが、これは庶民の食事と同じである。  が、戦時には主食にパン、副食に獣肉、乳製品、卵、野菜といった構成になる。  如何に米を常食していようが、シュヴェリン人の御馳走、本来あるべき主食はあくまでパンなのだ。  米を常食するシュヴェリン人と帝國人だが、その感覚は大きく異なっていた。 「……成る程、よく見ていらっしゃる」 「当たり前です」  カナは胸を張る。  ……どうやら、かなり気負っているようだ。 「……で、その御慧眼の姫様は、我等を如何様に使うおつもりで?」 「は?」 「我々はシュヴェリンにではなく、姫様個人に貸与されました。  ……ま、謂わば姫様の私兵でして」 「そ、そんなことを急に言われても……」 「姫様はフランケル最強の軍を手に入れられました。 ……姫様は何を望みますか?」 「貴方達は、王国に貸し出されたのです! 私に、じゃあありません!」 「……これはこれは」  有馬大尉は意地悪く笑う。 「姫様は契約書にサインし、叛乱軍を皆殺しになさいました。 ……それと同じですよ。  御爺様の遺品と引き換えに、我等は貸し出されたのです」 「あ、あれは……」 「ぷ、くくく……」  真っ青のカナを見て、有馬大尉は噴出した。  反応が素直で実に面白い。 「? ……!! からかったのですねっ!?」 「いやあ、そんなことはありませんよ? が、私共にも立場というものがあります。  貸し出された以上、何もしないで帰る、というのもねえ……」  実際は、カナがあまりにも気張っていたので、ついからかっただけだ。  有馬大尉は、自分達が『何もしないで帰る』などという事態など有り得ない、ことを重々承知していた。  彼女が望もうと望まなかろうと、である。  ……その立場上、彼は計画のかなりの部分まで知らされていたのだ。 (恐らく、聯隊長クラスの情報を知っている筈だ) 「とにかく! 私は戦争なんて望みません! だから貴方方の出番は無し!」 「成る程成る程、『私が望まないから戦争は起きない』ですか。 ……やっと王女様らしい御言葉が聞けましたよ」 「なっ!?」 「どうやら姫様は、シュヴェリンが周辺諸国から如何に恨まれているかを御存じない様だ」  祖父王の時代、シュヴェリンは数多の戦を戦い抜き、その全てに勝利してきた。  一体、周辺諸国はどれ程の血を流してきたことだろう? 如何程の屈辱を受けてきたことだろう? 「その上更に、夥しい賠償金。 ……いやはや、踏んだり蹴ったりですね?」 「最初に仕掛けてきたのは向こうじゃないっ!? 自業自得よ!!」 「世の中には、『逆恨み』という言葉もありますよ?  過程なんかは重要じゃあありません、『結果として自分達が酷い目にあった』という事実のみが重要なのです。  人間なんてそんな生き物ですよ」  悟りを開いた坊主じゃあ無いんだから、と有馬大尉。 「…………」 「まあ、何れにせよ戦争は避けられません。恨み云々以上に、現在の秩序は限界ですからね」  フランケル文明圏における現在の秩序は、シュヴェリンが最も利益が得られる様、構築されている。  が、この秩序は祖父王個人の威信によって築かれたものであり、現在のシュヴェリンでは到底維持出来ないシロモノだった。  故に、現在の秩序に不満を持つ者達が新たな秩序を目指して行動するのは、ある意味当然のことだった。 「必然的に戦争になります。この上に更に『恨み』が加わっていますからねえ……  いやはや、シュヴェリン存亡の危機ですな」   「……御爺様が『遣り過ぎた』と言うの?」 「正に」 「!!」  カナは息を呑んだ。  シュヴェリンでは絶対に聞けない言葉、祖父に対する批判を有馬大尉が平然と吐いたからだ。 「……しかも、中途半端に『遣り過ぎた』のだから、余計にタチが悪いですな」 「……どういうことよ」 「要は、やるなら徹底的にやれ、ということですよ。  滅んでしまえば、恨むことすら出来ないでしょう?」 「そんなの無理よ! 戦争にだってルールがあるのよ!?」  そう叫びながらも、心に恐怖が染み込んでくる。  叛乱軍を皆殺しにしたこと、  以前の有馬大尉の振る舞い、  そしてこの言葉……  もしかして、帝國の考える戦争とは―― 「……ええ、無理ですね」  が、有馬大尉はあっさりと自説を否定した。 「へ?」 「ですから、これは所詮後知恵なのですよ」  祖父王が即位した当時の状況を考えれば、徹底的に勝つしか生き残る道はなかった。  だから、反シュヴェリン同盟が結成されるのは歴史的必然だった。  そして、やはり反シュヴェリン同盟相手に徹底的に勝つしか生き残る道はなかった。  恐らく祖父王は、目先の戦争に全力を傾注していたに違いない。  そして、祖父王は気付いた筈だ。  何時の間にか、シュヴェリンが『フランケル第一の国家』になっていたことに。  ……たとえそれが、意図したものでは無かったとしても。  『フランケル第一の国家』になった以上、シュヴェリンを中心とした国際秩序が作られるのは当然だった。  第一、そうしなければ平和が訪れない。  が、シュヴェリン程度の規模の国家では、秩序を維持するのが困難なことは明白だった。 (最低でも、メクレンブルク程度の規模は必要だろう) 「とはいえ、現在でも国境が広がって水増しした状態。 ……この上、更に数倍の領地を、というのもねえ?」  統治が追いつかないだろう。  いや、それ以前に逆に飲み込まれてしまう恐れすらあった。   「それに、自分を軍神と崇めるシュヴェリンの民だけを統治した方が楽だからね?」  多分、新たに数倍もの領地を経営する自信が無かったんじゃあないかな、と思う。  帝國が調べたところ、祖父王の内政手腕は平々凡々だし、外交に至っては落第ものだそうだ。  無論、それはあくまで『手腕』の話であり、結果的には外交、内政の両面で大成功をおさめている。  が、それは余りに強引な手法によって、であった。  祖父王の成功は、その全てが軍事的な大成功に立脚している。  外交の成功は軍事的な大成功のお蔭以外の何者でもないし、内政が成功したのも膨大な戦利品と賠償金を得たからに過ぎない。  ……数々の勝利と、それによって得られた夥しい金が、欠点の全てを覆い隠したのだ。 「ま、必要以上の賠償金に関しては、周辺諸国の力を奪う、と言う意味もあったのでしょうけどね……」  江戸幕府を真似たのだろうが、江戸幕府は『圧倒的な大大名』でもあったのだ。シュヴェリンとは違う。  ……どちらかと言えば、豊臣政権の方が近いだろう。 「……貴方は、御爺様が無能だと仰りたいの?」 「誰がそんなことを言った?」  俯いて呟くカナの問いに、有馬大尉は目を丸くして答えた。  何時の間にか、言葉も素に戻っている。 「如何な知識があろうとも、凡人が一国の王に、ましてや一文明圏の『第一の王』になんてなれる筈も無いだろう?  だから、君のお爺さんは間違いなく『英雄』さ。  が、人間である以上限界があった、というだけの話だよ」 「…………」 「ま、英雄が死んだ後なんてだいたいこんなものさ。  だから後は俺達にまかせて、子供は大人しくしてな……って?」  その時初めて、有馬大尉は気付いた。  自分が遣り過ぎた、ということに。  ……と言うか、『いい年して遣り過ぎた』のである。  カナは肩を震わせて泣いていた。  ――これは、もしかして始末書……いや、国際問題か?  有馬大尉は慌てた。  余りにカナがしっかりしていた為、そして彼女のその立場から、つい彼女の歳を忘れて言い過ぎた様だ。  ――とりあえず、部下達が気付く前に何とかしなくては。  こんな所を見られては敵わない。  有馬大尉はその全能力を傾け、なんとかカナの御機嫌をとろうと試みた。  …………  …………  …………  机の上には、様々な嗜好品が広げられていた。  蜜柑、桃、パイン缶といった果物の糖煮の缶詰から、サクマドロップ、羊羹といった菓子、おまけにサイダーまで――しかも高級品の三ツ矢だ――ある。 「さあ、これでどうです? いい加減に泣き止んで欲しいものですな」 「…………」 「ええいっ! 強情な! ……なら、これはどうです!」  業を煮やした有馬大尉は、『とっておき』を出す。  それは、マロングラッセの瓶詰めだった。  ……ただのマロングラッセではない。  転移直前、イタリーに駐在していた外交官に頼んで送ってもらった、超一流ホテルの特注品である。  つい最近届けられた、妹秘蔵の一品だった。 「わ、わたしをなんだと……思ってるのですか!?」 「はて? 妹はこれで泣き止みますが?」  声を震わせて抗議するカナを、有馬大尉は不思議そうに見た。  ぶっちゃけ、有馬大尉は素人娘の扱いなど知らないし、また知りたくもなかった。  ……だって、面倒くさいから。これが芸者とかなら幾らでも大歓迎だったが。  だから、妹に対する対処法を用いただけで、別に他意は無い。 「! あ、あな『ポイッ』……!!」  カナが声を大にして言おうとした瞬間、口の中に何かが放り込まれた。  その瞬間、口中に繊細な甘味と風味が広がる。  最高の材料を最高の技術で調理したそのマロングラッセは、素朴な菓子しか知らぬカナに、大きなカルチャーショックを与えた。  ――世の中に、こんな美味しいものがあるんだ……  噛み砕くのが勿体無い程である。  カナは、無心にマロングラッセを味わった。 「……やれやれ、やっと泣き止んでくれましたか」  ハッ!  ニヤニヤ笑う有馬大尉を見て、思わず青ざめる。  ……なんとはしたない所を見せてしまったのだろう! 「いやいや、女性は皆そんなものです、お気になされるな」 「う、うーー!!」 「……噛まないで下さいよ?」 「噛みません!」  怒りと羞恥で顔を真っ赤にし、カナは否定する。  が、有馬大尉は気にも留めなかった。 「これは失礼、妹は唸った次の瞬間に噛み付くので」 「……もういいです。アリマ卿がいじめっ子だということが良くわかりました」 「心外ですね? これでも紳士のつもりですが?」 「どこがですか?」 「気にいられたようですので、それ全部差し上げます。  ……どうです? 少しは紳士に思えてきませんか?」 「し、仕方がないですね! 紳士、ということにしておいてあげます!」  そう言うと、カナはマロングラッセの瓶詰めを大事そうに抱え込む。  それを確認すると、有馬大尉はカナの耳元で囁いた。 「では、今までのことは全て無かったことに。 ……お互いのためにも」  無論、カナに異議は無かった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【13】 ――――メクレンブルク王国、王城。  シュヴェリンが正体不明の援軍を受け入れた――  その報は、メクレンブルクに少なからぬ驚きと混乱をもたらした。 「計画を中止、もしくは延期すべきです!」  重臣の一人、テュルゴーは声を大にして唱える。 「計画の前提は全て覆されました。2000の叛乱軍は全滅し、シュヴェリン軍は未だ健在です。  この上、正体不明とはいえ少なからぬ数の援軍が加わった以上、計画の遂行は著しく困難になったと判断せざるをえません」 「今更中止できるとお思いか!」  が、やはり重臣の一人が真っ向から異を唱える。  確かに、テュルゴーの意見は一理も二理もあるだろう。  初期の想定とは大きく異なる事態となった以上、計画は中止、そうでなくとも再検討は当然のことだ。  加えて今ならばまだ出費も少ない。故に、中止してもその損害は充分許容範囲内――そうテュルゴーは主張しているのだ。  が、これはあくまでメクレンブルク国内に限ってみれば、の話に過ぎない。  既にシュトレリッツ、シュワルツブルクの両国はメクレンブルクとの秘密協定に従い、共同軍事演習を名目に国内の動員まで行っている。  その出費たるや相当なものだろうし、これだけの政治的決断――動員というものはそう安易に行えるものではない――をした以上、相当の果実を得なければとうてい納得できないだろう。  仮に計画を中止した場合、メクレンブルクの対外的な権威……いや、信用そのものが大きく失墜することは間違かった。  もはやこの計画は軍事的合理性のみで語れる問題ではなくなっていたのである。 「……シュヴェリンが得た援軍の詳細は?」  王は計画の進退については一切触れず、シュヴェリンが得た援軍についてのみ問う。  ……その発言が計画の続行を強く意識したものであることは、誰の目にも明らかであった。 「はい。現在判明したところによれば、兵の数はおよそ200。その全員が銃兵だと思われます」 「200! 大国一ヶ国分の兵ではないか! しかも全員が『銃兵』だと!?」  悲鳴じみた声が上がった。  フランケルでは、200もの常備軍を持っているのは『大国』と呼ばれる国々のみだ。  逆説的に言えば、『200の援軍を得る』ということは『大国一ヶ国がシュヴェリンに味方したも同然』ということでもある。  それだけでも厄介だというのに、その全員が銃兵となると……  ここ数十年――要するに前シュヴェリン王の軍制改革以降――で、フランケルの軍事思想は大きく変化していた。  常備軍の導入や編制の合理化といったソフト面の変化がその最たるものだが、変化の波は兵器そのものにも押し寄せている。  従来の遠戦兵器の主力であった長弓はその能力が射手の練度に大きく左右され、その能力を遺憾なく発揮するには非常な熟練――それこそ十年や二十年訓練に明け暮れる様な――を要する極めて不安定な兵器であった為に二線級の兵器と化し、代わって小銃こそが戦場の勝敗を分ける決戦兵器として認識される様になったのだ。  ……とはいえ、だからと言って軍から長弓が追放された訳では無い。寧ろ逆で、銃の導入を見送る、或いは導入を少数に止め、改めて長弓を遠戦部隊の主兵器に据えた国々も少なく無い。  その理由は何と言っても銃にかかるコストにあるだろう。  銃の調達コストが恐ろしく高価なことは有名な話だが、調達してからもそれは同様で、一発撃つ毎に決して安価とはいえない火薬を消耗する。弾に関しては極力回収に努めるが、とても回収しきれるものではないし、戦場では尚更だ。再利用が可能な弓矢とは根本的に異なり、買って『それで終わり』では無いのである。 (槍や弓矢とて手入れが必要だが、そんなものは自前で出来る類のものだ)  ただでさえ常備兵の導入で経費が増大しているというのに、この上銃の導入など冗談ではない。常備兵を弓のプロフェッショナルにして銃に対抗すれば良いではないか。何、後は『運用の妙』で補えば良い――そう考える国が出ても何ら不思議はないだろう。事実、多くの中小諸国が同様の結論に達した。  彼等には、常備兵制度と銃の導入を両立することは不可能だったのだ。  大国と言われる一握りの国々とて事情は似た様なものだった。  銃を導入したとはいえ銃兵の数は各国とも『常備兵の一〜二割』といったところで、遠戦部隊の半数かそれ以上はやはり長弓を装備しており、弓は銃と共に遠距離打撃の中核をなしている。  彼等にとっても、銃の導入は決して簡単なことではなかったのだ。 (尚、現在のフランケル文明圏において理想的とされる常備軍戦闘部隊の比率は、近接戦部隊1に対して支援する遠戦部隊1、遠戦部隊の構成は『銃兵1に対して弓兵1』とされている。この銃兵と弓兵の共存は、コストもさることながらプロフェッショナル化による弓の長射程化や発射速度の向上も無視出来ない要因である)  ――以上のことを考えれば、『200の銃兵』という意味の重さが理解出来るだろう。  普通の軍編制で言えば、『400の援軍』と同様かそれ以上の響きを持っていたのだ。 「しかし、それだけの戦力を提供できるとは、米喰い共――シュヴェリンの蔑称――と手を結んだ連中は何者だ?」 「何処かの文明圏の大国が、フランケル地方に足場を築く為に送り込んだのではないか?」  ……実の所、この答えこそが正に真実を言い当てていた。  が、この世界の常識で考えれば、残念ながら今ひとつ説得力に欠けていた。 「だが、周辺の文明圏にそんな余力を持った国など無いぞ?」  確かに、『他文明圏に足場を築く為、救援と称して兵を送り込む』という例は少なくない。  が、それは余程の大国、或いは文明圏の間に大きな格差がある等、極限られた場合の話だ。  この周辺でそれ程の差を持った文明圏など存在しないし、ましてや飛び抜けた大国など存在しない。  そして常識的に考えて、この際周辺文明圏以外の文明圏のことなど考える必要は無い。  故に、この説は呆気なく否定された。 「傭兵、では無いだろうか?」 「傭兵? 数は兎も角、全員銃兵なのだぞ?」  200もの兵を抱える傭兵団など、フランケルは勿論、周辺の文明圏にも存在しない。  ましてや200もの小銃を保有するなど有り得ない。 「第一、それだけの傭兵雇い入れるのに一体幾らかかると思っている?  とてもではないが――」 「……払えるだろうよ。シュヴェリンなら、な?」  そう。我等を始め、フランケル中から奪い取った莫大な賠償金を持つ、かの国ならば。  その言葉に、広間の男達の顔に憎しみの影が宿る。  数度の戦いで多くの一族郎党を殺されたことを、この場の誰もが覚えていたのだ。  ……無理も無い。最後の戦争からまだ三十年と少し『しか』経っていないのだから。  もしこれ等の敗北が納得できる戦いの結果だったのならば、彼等は誇りをもって受け入れただろう。  シュヴェリンを『第一の国』と認めすらしたかもしれない。  が、彼等にあるのは激しく深い怒りのみ。  シュヴェリンは戦場を屠殺場に変えた。  誇り高き勇士を鳥獣の様に鉄砲で射殺し、卑怯にも決して剣や槍を交えようとはしない。  常に正面からの戦闘を避け、盗賊の様な手管で勝利を『盗む』。  そこには栄光も名誉も存在しなかった。 (これは極論である。事実、メクレンブルクを始めとする国々は、何度もシュヴェリンと正面から戦っている。  ……その全てにおいて大敗――優勢な兵力を持ちながら――しているが)  現実的な恨みもある。  敗北により、戦場に持ち込んだ金銭・物資の全て失った――その大半は戦利品として奪われた――のに加え、莫大な賠償金まで要求されたのだ。  これを支払うためには国庫を空にしてもまだ足りず、交易商人共から銅山を担保に借り入れを行うしかなかった。  これにより、メクレンブルクは長い間借金の返済に苦しむ事になる。 (この重荷から開放されたのは、つい数年前のことである)  借金の踏み倒しなど不可能だった。  メクレンブルクは、『主要通貨』たる銀塊や銅貨の大半を圏外へ銅を輸出することにより得ている。  である以上、交易商人共の信用を失うことは自殺行為だ。たかが10万の小国では忽ちの内に経済破綻してしまう。  腹立たしいが、それが現実だったのだ。  ……いや、以前ならば或いは可能だったかもしれない。  そう、数十年前までのフランケルならば。  が、シュヴェリンの先王による改革開放路線が、フランケル地方の圏外依存度を増大させてしまった。  これにより商業活動が大幅に活性化し、結果として銀塊や銅貨がなければ何も出来なくなってしまったのだ。 「傭兵だろうが何だろうがどうでも良い! 300が500になろうが同じこと、まとめて叩き潰すのみだ!」  若手――といっても三〜四十代だが――の重臣達の間から、そんな威勢の良い声が沸きあがる。  メクレンブルク、シュトレリッツ、シュワルツブルクの三国とその従属国を合わせれば、常備軍だけでも2000を越える。  不遇を囲っている旧同盟諸国も加えれば、3000を越えるだろう。  故に、彼等は勝利を信じて疑わなかった。  むしろフーシェの謀略を聞いた時、即時の宣戦布告すら主張した程だ。  このような回りくどい計画に同意したのは、老人達の顔を立てたからに過ぎない。  ――テュルゴー老は、老人方は何を恐れておいでだ!?  往時のシュヴェリン軍を知らぬ彼等にとり、老人達の慎重ぶりは歯痒くて堪らなかった。 「陛下! 御決断を!」  その言葉を合図に、一斉に同意を求める声が上がる。 「新たなる秩序の為に!」 「盗まれた地位を奪い返すために!」  ――本当に、勝てるか?  その勢いに押されつつも、王は未だ逡巡していた。  往時のシュヴェリン軍の強さと、次々に失敗していく計画が、王の判断を乱していたのだ。  が、今回の決断を見送れば、諸国の信を失う。  再び諸国の信を取り戻し、次の機会を得るには十年以上かかるだろう。  ……そんなには待てなかった。  王は重々しく頷いた。 「うむ、諸君等の言うとおりだ」 「陛下! お待ち下さい!」 「……止めるなテュルゴー。 余ももう年、何時までも待つ訳にはいかぬだ」  ――そうだ。三十年、三十年以上の長きに渡り、余は待ったのだ。  それは、迷いを断ち切るには十分な理由だった。  そして一度決断すると、体中に覇気が漲ってくる。  ……久しく忘れていた感覚だ。 「余の鎧を持て! 余自ら兵を率い、宿敵シュヴェリンを討つ!」  歓声が上がり、この場の全ての人間が戦争に向けて動き出す。  新たなる秩序を目指し、再びフランケルを二分する大戦争が始まろうとしていたのだ。  ――かくして帝國の思惑通り、獲物は穴から引き擦り出された。  幸か不幸か、彼等はその事実に気付いていなかったが。 ――――シュヴェリン王国、王城。 「?」  何か変だ。何かがおかしい。  ホクホクとマロングラッセが詰まった瓶を抱えて帰ってきたカナは、城の雰囲気に困惑した。  自分が有馬子爵の所に出かけている間に、一体何があったというのだろうか?  ――何か、やけに物々しいのよねえ?  例えて言えば、まるで出入り前の様な殺気……いや、それ以上に興奮した空気が伝ってくる。  ……まあ、それ自体は決して不思議ではないのだけれど。  シュトレリッツとシュワルツブルクの不穏な動きは既に城中に知れ渡っている。  両国のその余りに露骨な行動は最悪の事態を想像せずにはいられないし、援軍の到着はその想像を肯定するには十分過ぎる。  これでは緊張しない方が不思議というものだろう。  ――でも、その緊張とは違う様な気がする。  上手く説明できないが、まるで『祭り前の高揚感』とでもいう様な空気を殺気と共に感じるのだ。  殺気はわかる。これから戦争になるかもしれないのだから。  けど、『祭り前の高揚感』というのがわからない。  興奮ならわかる。が、どうも興奮というよりも高揚感、と呼んだ方がしっくりくる。そんな奇妙な空気なのだ。  ――う〜ん。  カナは首を傾げる。  この空気が何を意味するのか、彼女にはとんと検討がつかない。 「稼ぎ時、手柄のたて時だな?」  と、その時、そんな声がカナの耳に飛び込んできた。 「稼ぎ時、手柄のたて時だな?」  ――へ? 何、それ?  カナは思わず目を白黒させる。  会話の主は二人の兵士だった。彼等はカナに気付かず話を続ける。 「ああ、俺の爺さんもそんなこと言ってたな。『戦争は儲かる』って」 「だろ? 上手くやれば一生遊んで暮らせるだけの大金が手に入るし、そうでなくたって一財産だ。退役後の元手になる」 「お前は何に使う?」 「退役して王都の土地を買う。そこからの地代で一生遊んで暮らす」 「……そりゃあ余程の大手柄が必要だぞ? 流石に無理じゃないのか?」 「俺の野望は大きいんだよ! そう言うお前はどうなんだ?」 「故郷に帰って田畑買う。で、嫁貰う」 「夢が無いねえ」 「堅実、と言ってくれ」 「まあ何れにせよ、シュトレリッツやシュワルツブルク様様、と言う訳だ」 「違いない」  そして二人は互いに笑いあう。  ……そんな会話を、カナは唖然として聞いていた。 (王族たる者が隠れ聞きなど言語同断だが、文句は勝手に動いた体に言って欲しい)  ――何よ、それ……  彼等の会話からは、戦争への恐怖感は見えない。  あるのはただ降って湧いた様なチャンス、儲け話への興奮のみ。  彼等にとり、戦争とは『儲け話』以外の何者でもなかったのだ。  祖父王による軍改革の一環として、シュヴェリン軍の戦利品分配法は大きく改められた。  個人的な略奪は禁止――破った者は死刑――され、その代わり戦利品を分配する仕組みを明文化したのである。  具体的には――  @あらゆる戦利品は現金に換算され、現金(銀粒或いは銅貨)で支払われる。  A総評価額の1/2は『軍功ある者』に、1/4は戦闘に参加した者全てに平等に、1/4は戦闘に参加した者の位階役職に応じて分配される。  Bただし賠償金と得た領地は戦利品には含まない。  つまり、『戦利品は将兵のもの』という考えである。  国は戦利品を買い上げ、その全てを将兵に渡す。その代わり、国は賠償金と領土で戦費を補填する、というシステムだ。 (まあ『手数料』という形で評価額から一割程差っ引くが、従来から考えれば全額渡しているに等しい)  このシステムの特徴は、後方の輜重兵だろうが一兵卒だろうが戦闘に参加すれば『戦利品の分配に与る権利』が発生する、ということである。  無論、偉ければ偉いほど、手柄を立てれば立てるほど支給額は大きい。が、何の手柄も無い一兵卒にもそれなりの額が転がり込んでくる。  任務を真面目に遂行――命令違反者は通常の刑罰の他に分配金の減額や分配権利剥奪といったペナルティを課される――しさえすれば、手に入るのだ。  加えて、このシステムは戦争に勝つことが大前提である。負ければ一文も入らないし、勝っても辛勝では実入りは少ない。  が、このシステムを導入した頃は祖父王が戦乱に明け暮れ、そして連戦連勝していた時代であり、将兵の誰もがそのことを忘れていた。  ……まあ、当時は一兵卒でも一財産稼げた程だったらしいから、仕方の無い話ではあるのだが。 (この時代のシュヴェリンは大金を得た兵士達の落とす金で大変な好景気であり、今でも当時を懐かしむ老人達は多い)  ――彼等はそんな話ばかりを聞いて育ってきたのである。『戦争は儲かる』と考えても何ら不思議ではないだろう。  彼等シュヴェリン人にとり、当時は『古き良き時代』、祖父王が戦った一連の戦争も『偉大なる戦争』なのだ。  が、よく考えればこのシステムは欠陥だらけである。  まず上でも挙げたように一定以上の戦利品が見込めるような大勝利が前提である上、大勝利しても国は賠償金と土地を奪わねば戦費を補填出来ず、必然的に多額の賠償金を要求せざるをえない。  これが今の事態の大きな要因の一つとなったことは、否定出来ない事実であろう。  多くの将兵を殺され、多額の資材や軍資金を奪われ、この上更に情け容赦ない賠償金だ。周辺国がシュヴェリンを恨むのも無理は無い。『シュヴェリンは血も涙も無い』と言われる所以である。 (たとえ自分から吹っかけた喧嘩の結果であろうが、そんなことは関係無い。  自分達が戦争の後遺症――戦費の補填と賠償金の捻出――で苦しんでいるのに、一方の当事者が面白おかしく暮らしていれば恨みに思うのはある意味当然だ)  ……では何故、祖父王はこんな問題の多い制度を作ったのだろう?  それは、『そうせざるをえなかったから』だ。  如何に軍制・戦術を刷新しようが士気が低ければ『仏作って魂入れず』、当時のシュヴェリン軍の士気の低さを考えれば、金の力だろうがなんだろうが利用せざるをえなかったのである。  そして士気が回復した後も士気の低下を恐れ、祖父王はこの制度に手を付けることはなかった。  制度――特に軍の制度――を変える、ということには大きなリスクが伴うことを重々承知していたからである。 「シュトレリッツやシュワルツブルクの食い詰め共に、思い知らせてやるさ」 「先王陛下の御慈悲により生かされたというのに、身の程知らずな連中だよ」  彼等はシュヴェリン軍の勝利を信じきっていた。  ――シュトレリッツもシュワルツブルクも、規模はうち(シュヴェリン)と同じ位なのに。  必勝の信念は良いけど、何故そこまで信じられるのだろうか?  カナは首を捻る。 「何でも、姫様御自身が軍を率いて出陣なさるらしいぞ?」 「ああ、俺も聞いた。閣下に『責任は戦場でとれ!』と仰ったらしいな?」 「流石、先王陛下の御血筋だな。お勇ましいことだ」 「あの叛乱軍の一掃も、姫様が仕組んだらしい。  先王陛下から学んだ兵法の一つだそうだ」 「そりゃあ凄い。なら、今度の戦も楽勝だな」 「爺さん達も『何時の間にか勝ってた』なんて言ってたしなあ」  ――え、私が軍を? どうして?  カナは、二人が笑いながら去って行くのを呆然と眺めていた。  彼等の会話を聞き、先程から感じていた違和感の正体がようやくわかった。要するに、自分の発言が原因で、軍人達は『戦争だ!』『分配金だ!』と勝手に盛り上がっていたのだ。  ……加えて援軍まで引っ張ってきたものだから、『姫様はやる気満々』『戦は近い』と誤解したのだろう。  これは問題である。が、問題はこれだけではない。  彼等は、先王の孫であるカナが『先王から必勝の兵法を学んでいる』と無邪気に信じきっている。  いや、まあ彼等は兵士なのだからそれで良いのかもしれない、良いのかもしれないが…… 「私、兵法なんて知らないわよ?」  幾ら王族とは言え、女の子にそんなこと期待しないで欲しい。  祖父から教わったことと言えば、兵法というより心得的なことばかりである。これでは縦横無尽の活躍など出来ないだろう。  下手をすれば『第二次対シュヴェリン同盟』が結成されそうなこの御時世では、些か心もとなさ過ぎる。  ――結局、私はお爺様の遺産に支えられている、という訳か。  嘆息する。  自分のような小娘を皆が祭り上げるのも、自分が『お爺様唯一の孫』だから。  何のことは無い。『親の七光り』ならぬ『祖父の七光り』という奴だ。  この国だってそうだ。  シュトレリッツやシュワルツブルク、それにメクレンブルクが一思いに軍を進めず、こんなまどろっこしい手を使っているのも、死んだ祖父を未だ警戒しているからだろう。  だって、この三国だけでシュヴェリンの五倍の人口を誇るのだから。  ――けど、実際は幻影に過ぎないのよね。  かつてシュヴェリン軍が無敵だったのは、他国によりも大きな優位点が幾つも存在したからだ――カナは祖父に何度もそう教えられた。  が、もはやその優位性の大半は失われている。  他国も競い常備軍を組織し、騎士と歩兵を分離した。火力も増強している。戦訓だって得ているだろう。  対するシュヴェリンは……  祖父はもういない。歴戦の武将達も墓の下、現在の軍幹部の多くはハルマヘラ戦争以降の平和な時代しか経験していない。将軍だってそうだ。  祖父の傍で、その戦いぶりを見てきた者はもう誰もいない。  無論、未だシュヴェリン軍は他国より優越している。  銃の装備密度は他国とは比べ物にならないし、輸送用とはいえ竜だっている。そう簡単にはやられないだろう。  ……けど、決定的な差ではない。  かつての様に、1対多数といった状況を覆す様な絶対的な差は無いのだ。  正直、シュトレリッツ、シュワルツブルク、メクレンブルクの連合軍と戦い、勝つのは難しいだろう。  ああ、敵がこの三国だけとは思えない。  彼等はあくまで表に出てきた者達だけ。潜在的には、かつて『対シュヴェリン同盟』に参加した国々全てが敵、と考えた方が良いだろう。  ……でもその場合、未来は更に絶望的だ。  『祖父王による平和』が終わり、誰もが新たな秩序を目指していたのだ。  カナは、歴史が大きく動こうとしていることを、身にしみて実感した。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【14】 ――――メクレンブルク王国、王都。  夥しい数の将兵が王都に集結しつつある。  メクレンブルク王国常備軍、その全てに出陣が命じられていたのだ。  各地に駐屯していた常備軍各部隊はその任を動員軍部隊と交代、王都に向かい移動する。  そして王都に到着した部隊は大勢の軍夫をその編制に加え、『防衛軍』から『外征軍』へとその姿を変える。  これに従属勢力の軍勢も加わり、王都は将兵でごった返していた。  いや、彼等だけでは無い。  国民にも動員令が発せられ、多くの民が動員兵や軍夫として徴集されていた。  動員兵と一部の軍夫は動員軍に、大部分の軍夫は常備軍に配属され、各々常備軍が全力で戦える様、補佐する。  メクレンブルク王国は、戦争に向けて急速に準備を整えつつあった。  メクレンブルク王国常備軍の基本作戦単位は『隊』であり、近衛隊及び第一〜八歩兵隊の9個隊――第二近衛隊は名目のみのため不算入――が存在する。  この『隊』は中規模国家の常備軍に匹敵する規模を持ち、メクレンブルクの力の象徴として周囲の国々から恐れられる存在だ。  その詳細は――  近衛隊は本営、騎馬分隊4、銃分隊2、荷駄分隊からなり、平時定員は136名、戦時定員は236名。  本営は、指揮班、騎馬班、軍旗班、軍楽班、書記班、財務班、医療班からなる。定員は26名。  「指揮班」は隊の指揮を行う。定員は隊将1、従兵1の2名。隊将は馬に騎乗する。  「騎馬班」は隊将の護衛及び隊外との連絡任務を担当する。定員は騎士班長1、騎士4の5名。全員が馬に騎乗する。  「軍旗班」は国旗及び隊旗を掲げる。定員は旗手長1、旗手4の5名。旗手長は馬に騎乗する。  「軍楽班」は各分隊に進退を知らせる。定員は楽手長1、楽手4の5名。  「書記班」は隊の書類を作成する。定員は書記班長1、書記官2の3名。  「財務班」は隊の財務を担当する。定員は財務班長1、財務官2の3名。  「医療班」は隊の医療を担当する。定員は医療班長1、医師2の3名。  騎馬分隊は突撃部隊であり、短槍と長弓を状況に応じ使い分ける。定員は分隊長1、騎士10の11名。全員が馬に騎乗する。  銃分隊は銃兵からなる遠戦部隊であり、主兵器は火縄銃である。定員は分隊長1、従兵1、銃兵20の22名。分隊長は馬に騎乗する。  荷駄分隊は隊の兵站を担当する。定員は平時と戦時では異なり、  「平時定員」は分隊長1、従兵1、軍夫長4、軍夫16の22名。分隊長は馬に騎乗、他に荷運搬用として駄馬を複数保有する。  「戦時定員」は分隊長1、従兵1、軍夫長4、軍夫頭16、軍夫100の122名。分隊長は馬に騎乗、他に荷運搬用として駄馬を複数保有する。  歩兵隊は本営、槍分隊2、弓分隊、銃分隊、荷駄分隊からなり、平時定員は136名、戦時定員は236名。  本営は、指揮班、騎馬班、軍旗班、軍楽班、書記班、財務班、医療班からなる。定員は26名。  「指揮班」は隊の指揮を行う。定員は隊将1、従兵1の2名。隊将は馬に騎乗する。  「騎馬班」は隊将の護衛及び隊外との連絡任務を担当する。定員は騎士班長1、騎士4の5名。全員が馬に騎乗する。  「軍旗班」は国旗及び隊旗を掲げる。定員は旗手長1、旗手4の5名。旗手長は馬に騎乗する。  「軍楽班」は各分隊に進退を知らせる。定員は楽手長1、楽手4の5名。  「書記班」は隊の書類を作成する。定員は書記班長1、書記官2の3名。  「財務班」は隊の財務を担当する。定員は財務班長1、財務官2の3名。  「医療班」は隊の医療を担当する。定員は医療班長1、医師2の3名。  槍分隊は槍兵からなる近接戦部隊であり、長槍と斧槍を状況に応じ使い分ける。定員は分隊長1、従兵1、槍兵20の22名。分隊長は馬に騎乗する。  弓分隊は弓兵からなる遠戦部隊であり、主兵器は長弓である。定員は分隊長1、従兵1、弓兵20の22名。分隊長は馬に騎乗する。  銃分隊は銃兵からなる遠戦部隊であり、主兵器は火縄銃である。定員は分隊長1、従兵1、銃兵20の22名。分隊長は馬に騎乗する。  荷駄分隊は隊の兵站を担当する。定員は平時と戦時では異なり、  「平時定員」は分隊長1、従兵1、軍夫長4、軍夫16の22名。分隊長は馬に騎乗、他に荷運搬用として駄馬を複数保有する。  「戦時定員」は分隊長1、従兵1、軍夫長4、軍夫頭16、軍夫100の122名。分隊長は馬に騎乗、他に荷運搬用として駄馬を複数保有する。  ――であり、9個隊合わせて平時定員1224名、戦時定員2124名にもなる。 (但し、この他にも個人的な随員や中央から派遣される軍監が加わるため、実際の人数はこれを上回る) 「天下分け目のおおいくさ、か……」  王城、その塔最上階からこの光景を見下ろしていたフーシェは、独り呟いた。  王都に集結するは戦時編制となったメクレンブルク常備軍に従属勢力の軍、合わせて3500。  この全てが対シュヴェリン戦に投入されるのだ。  しかもこれに加え、シュトレリッツ、シュワルツブルク両国とその従属勢力の軍1500も他方面から同時侵攻する。  ……対するシュヴェリンは、総動員し、かつ例の援軍200を加えたとしても1000を越えるかどうか。  常識から考えれば、まず間違いなくメクレンブルクの圧勝となるだろう。が――  ――今回のいくさは、『仕組まれたいくさ』だ。  声には出さず、胸中でそう呟く。  自分達ダークエルフを操る何者かが望み、仕組んだ大いなる――恐らくフランケル全体を巻き込む程の――謀略。  ……その中で、我がメクレンブルクは一体どのような役割を与えられているのだろうか?  『名無し』は何も語らなかったが、恐らく碌なものではないであろうことは想像がついた。  『ことが終われば、お前はスコットランドに『帰れる』』  『名無し』の囁きが声が頭に過ぎる。  ――違う。自分の故郷はそんな何処とも知れぬ場所ではない。ここ、メクレンブルクだ。  そう思う反面、それが単なる感傷に過ぎぬこともフーシェは理解していた。  所詮、この地で得た繋がりは夢幻(ゆめまぼろし)、ここは安住の地では有り得ない。  ……多分、『名無し』の言うスコットランドこそが真の安住の地なのだろう。  が、それに納得しきれない自分がいたのもまた事実であった。  ――ああ、『名無し』の言うことは正しい。我等は所詮日陰の身、徒に人と関わり合うものではない。  山中で樵として暮らしていればこの様な思いをせずに済んだものを、人と関わり合ってしまったばっかりに心が揺れる。  ダークエルフに生まれてきたのは仕方が無い。『草』として、人に化けたまま一生を終えるという運命も受け入れよう。  が、何も自分の代にこんな大仕事が廻ってこなくても良いではないか。  何故、仮初とはいえ今まで築いてきたものを、自らの手で壊さねばならぬのだ。  何故、このまま人として死なせてくれぬのだ。  フーシェは、激しく己の運命を呪った。  ……そんな彼に更に追い討ちをかけるが如く、王太子ルッツがやって来てフーシェに声をかける。 「爺、こんな所にいたのか?」 「殿下」  フーシェは慌てて礼をしようとするが、ルッツは無用と手を振った。  そして『何が見えるのだ?』とフーシェ同様に下を見下ろす。 「……成る程、確かに良い眺めだ」  眼下には、3000を越える軍勢。  これ程の大軍をこの目で眺めることが出来るとは、真に眼福としか言いようが無い、とルッツはフーシェを見てニヤリと笑う。  ルッツとフーシェは対シュヴェリン戦には参加しない。  王の不在の間、ルッツは国王代理として、フーシェは第二近衛隊隊長兼動員軍司令官として、それぞれ国を守る役目を担っているのだ。  が、留守役とはいえ一国を任されたのである。長い間父王に押さえつけられてきたルッツにとっては檜舞台も同然、鼻息も荒い。 「殿下は、いつにも増して御機嫌の様ですな」 「鬼の居ぬ間になんとやら、さ。王位についた時の予行演習と洒落こもうじゃあないか」  フーシェの当たり障りの無い言葉に、ルッツは快活に答える。  指揮下の軍こそ動員兵500足らずだが、官僚団に何ら変化はない。  彼等を率い、外地で戦う軍を支援するということは、目立たぬながらも大役である。  王同様、ルッツも全身力で漲っていた。 「父上ももう御年だ。長年の悲願が達成されれば、いい加減に王位を退かれるだろう。  ……いよいよ我等の時代だ」  長かった、とルッツはしみじみ呟く。  王太子になって三十余年。ようやく待ち望んだ王位が手に入ろうとしていたのだから、無理も無い。 「お前達には本当に待たせたな。が、それも終わりだ。やっと私を支えてくれていた者達の恩に報いることができる」  ……そんなルッツの笑顔を、フーシェは複雑な表情で眺めていた。 ――――シュヴェリン王国、王城。  『貴国に尋問の筋これあり』  たったこれだけの名分を掲げ、メクレンブルク、シュトレリッツ、シュワルツブルクの三国(以後『三ヶ国連合』)はシュヴェリンに対し、宣戦布告を行った。  しかもこの時点で彼等は動員を完了しており、宣戦布告と同時にメクレンブルク軍は北方から、シュトレリッツとシュワルツブルクの両軍は南方から、それぞれ万全とも言える戦力を整え、シュヴェリンに向けて進軍を開始した。  対するシュヴェリンも、今まで何も気付いていなかった、という訳では無い。  三ヶ国連合が動員をかけた時点で疑念を確信へと変えており、対抗して動員をかけている。  が、それ以上のこと――例えば先制攻撃等――は行っておらず、後手後手といった印象は拭いきれなかった。  この弱気ともとれる対応は、三ヶ国連合との圧倒的な数の差、そして従属勢力の大半が動員命令を拒否したためであろう。  シュヴェリンがかき集めた兵力は、常備兵300、動員兵300、軍夫300の計900と、1000にも満たない有様だ。  が、これでも人口比3%に達しており、事実上の限界値だった。 (三ヶ国連合よりも動員兵の比率が高いのは、侵攻する側とされる側の違い)  後先考えた場合、如何な農閑期とはいえ、これ以上の動員は国力の衰退をもたらす。  そもそも、農閑期だからといって農民――人口の九割を占める――は遊んで暮らしている訳ではない。  農繁期には忙しくて出来なかった、他の生産活動や次の農繁期に向けての準備を行っているのだ。  ……つまり、農閑期の動員とて国の経済活動を阻害していることに変わりはないのである。  それでも出来る限り農繁期を避けて農閑期に動員を行うのは、農繁期は食糧生産という最も重要かつ不可欠な生産活動を行っており、この時期の動員は国に致命傷を与えかねないからで、言わば『農繁期よりはマシ』だからに過ぎない。 (動員分の装備や食料供給も馬鹿にならない、ということは言うまでもないだろう)  加えて、非戦闘員の軍夫は兎も角、動員兵は戦力として甚だ心もとない存在である。  武器防具が貧弱なのは言うまでもないが、武器の扱いも碌に知らず、組織戦闘に至っては全くの素人であるため、常備兵相手にはまず勝てないのだ。  口が悪い者など『常備兵1人に動員兵3人』『常備兵10人に動員兵100人』などと陰口を叩くが、あながち間違ってはいない、というのが正直な所だった。 (ちなみに後者の比率が跳ね上がる理由は、個人戦闘技能差に加えて組織戦闘技能差が加わる為)  このため常備兵とぶつかった場合、大損害を受けることは間違いなく、その損害は国の生産力減少に直結する。  故に、何処の国でも動員された国民は、動員兵として常備兵の代わりに国内の警備を行ったり軍夫として常備軍に加わったりと主に後方支援を担当し、極力戦闘を避けさせている。  ……要するに、シュヴェリンの事実上の防衛戦力は常備軍300のみでしかないのだ。  対する三ヶ国連合は5000。常備兵とそれに準ずる兵だけでもシュヴェリンの8倍、有馬隊200を加えても5倍近い差があった。  ――こういうのを小田原評定って言うんだろうなあ……  有馬大尉は胸中で呟いた。  謁見の間では王以下重臣達が緊急会議を開いているが、結論は一向に出そうもない。  彼も客将として軍議に参加しているのだが、堂々巡りの議論に欠伸がでそうだった。  ――しかし、こりゃあ孤立もいい所だねえ……  三ヶ国連合のこの戦争に賭ける意気込みは凄まじく、国内に止まらず傘下の独立勢力群まで動員しており、『総動員』と言っても良い程の力の入れようである。  こうして集められた兵力は、メクレンブルク軍3500、シュトレリッツ軍とシュワルツブルク軍が各800と、実に5000を越える。  これはフランケル文明圏の1/4以上、即ちほぼ全ての近隣勢力がシュヴェリンに敵対した計算で、まさに『反シュヴェリン同盟』の再現とも言えた。  対するシュヴェリンにも従属する独立勢力があるが、この大軍に恐れをなし、皆中立を宣言しているという。  まあ寝返られるよりは余程マシではあるが、それも最初の内だけだろう、というのが大方の見方だった。 (要するに、シュヴェリンの敗北が決定的になれば雪崩をうって寝返ることは間違いない、ということだ)  ――外交の失敗、その最たる例だな。  こうなった原因を、有馬大尉は一言で言い表す。  先王の無策の結果とも言えなくもないが、流石にそれは頼り過ぎというものだろう。少なくとも先王の死後、国内の引き締めや対外融和政策――近隣諸国以外の国々と――を採っていただけでも、大分違った筈だ。  が、彼等は何もしてこなかった。 ……その結果がこれである。  ――まあ、俺達(帝國)が言えた義理じゃあないのだがね?  そこまで考えると、自嘲気味な笑いが込み上げてきた。  何故ならば帝國も同類、同じ過ちを犯した国なのだから。 「……とはいえ、相手に時間を与えすぎだな。なんの為の常備軍だ?」  思わず口に出して呟く。  動員なんかすれば、相手に直ぐ悟られるのは当然だ。  事実、これでシュヴェリンは疑念を確信に変えた。動員前に宣戦布告、それと同時に兵を進めれば相手に猶予を与えなかっただろうものを……  確実をきす為に大軍を集めたのだろうが、兵は神速を貴ぶものだ。この半分の戦力でも電撃的に侵攻すれば――  この有馬大尉の疑問には少々誤解が含まれている。  メクレンブルクを含むフランケル文明圏の常備軍は、輜重段列の人員を動員に依存している為、動員無しでは外征が事実上不可能なのだ。  要するに、有馬大尉の言うところの『電撃的に侵攻』など不可能なのである。  この欠点は、『迅速な展開が可能なこと』が魅力の一つである常備軍にとって、決して無視できる問題ではない。  実際、フランケル文明圏における常備軍の手本となったシュヴェリン軍では、動員無しでも外征が可能――ごく短期的なものだが――となっている。  にも関わらず、他の国々はシュヴェリンの様に常備軍に輜重段列を組み込まなかった。何故か?  ……皮肉なことであるが、他の国々の常備軍は、『完全な外征軍』であるシュヴェリン軍に対して国内を防衛するために整備された軍だったからである。  自国内であれば各地に蓄えられている物資を利用できる為、迅速な展開が可能である。国内防衛や叛乱制圧ならば十分対処出来るだろう。  無論、常備軍のもう一つの大きな魅力である『兵の精鋭化』に関しては何の問題も無い。 (軍夫にさほどの練度は要求されない為、動員された農民でも構わない)  むしろ限られた常備軍の人員を極限まで戦闘員に回した為、『理想的』とされる人員配分がなされた同数の常備軍と比べ、直接的な戦闘力は比べ物にならない程強化されている。防衛用と割り切れば、十分合理的な判断と言えた。  ……要は、それ程までに彼等はシュヴェリンの先王を恐れていたのだ。  有馬大尉がそんなことを考えている間も、会議は篭城か決戦かで延々と議論が続いていた。  客将たる有馬大尉には発言権は無いため仕方なく黙っていたが、いい加減限界だった。 「……どうも結論が出ぬ様ですな。ならば我等に全て任して頂けないでしょうか?」  その言葉の意味を理解出来ず、一瞬の静寂が訪れる。  有馬大尉はもう一度、今度はよりわかり易く発言した。 「敵に関してはご心配無く。我等が全て引き受けましょう」 「200の手勢で、5000の軍を!?」 「無論」  信じられない、という重臣の言葉に当然と返す。  が、25倍の戦力差など、有馬大尉はさして心配していなかった。  帝國陸軍歩兵中隊に戦車小隊を加えた有馬隊の火力は、『彼等の25倍』等というレベルでは無かったからだ。  まあ『損害を省みず突撃』などという真似をされたら多少は厄介だが、連中にそんな真似は不可能だ。何よりも国力がそれを許さない。  ならば適当に火力の差を見せ付ければ撤退するだろう――そう考えていたのだ。  が、客将にこうまで言われては軍の立つ瀬が無い。  有馬大尉の勇ましくも無謀な発言――とその場の誰もが思った――に背を押され、ブッデンブルク将軍が声を荒げて発言した。 「我が軍も出撃します!」 「では、幸い敵は二手に分かれております。我等が北方、将軍閣下が南方の敵を迎撃すれば如何?」  それを受け、有馬大尉は折衷案を提示した。無論、彼等の顔を立てるためである。  南方から侵攻するシュトレリッツ・シュワルツブルク連合軍は1500程、うち常備兵は半分以下だ。  若干の対地支援――なに、神州丸の零式水偵1機もいれば十分だ――を差し向ければ、十分戦えるだろう。 「いえ、我等が北方を担当します! アリマ子爵には南方をお頼みしましょう!」  が、有馬の折衷案は到底ブッデンブルク将軍を納得させるものでは無かった。  敵の主力、ましてや宿敵中の宿敵でもあるメクレンブルクを客将に任せるなど、名誉に賭けても認める訳にはいかなかったのだ。 「……お言葉ですが、我等が最初に名乗りあげた以上、一番の獲物は我等のものです」  おいおい、300で3500と戦う気かよ、と有馬大尉は慌てて止める。 「客人が口出し無用!」 「……閣下、獲物の横取りは感心しませぬな」  売り言葉に買い言葉。  二人の間に険悪な雰囲気が漂ってきた。  それを察し、慌ててカナが仲裁に入る。 「一番名乗りを上げられたアリマ子爵には申し訳ないのですが、シュヴェリンはメクレンブルクに大きな『借り』があります。  ここは私達の顔を立て、将軍に譲っては頂けないでしょうか?」 「……姫様のお言葉ならば」  まあいいか、と有馬大尉は考え直した。  対地支援は神州丸の水偵ではなく、海軍の母艦機に要請すれば良いだろう。  あまり海軍の手を借りることを良しとしない輩もいるだろうが、何、気にすることはない。  よく言うではないか。使えるものは親でも使え、と。  ……そんなどうでもよいことを考えながらニヤニヤと笑う有馬大尉は、完全に周囲から浮いていた。  この劣勢の中で独り笑みを浮かべて戦を望む彼は、以前の振る舞いと合わせ考え、『危険人物』以外の何者でもなかったのだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【15】 ――――シュヴェリン王国南部国境。  会議の翌日、有馬隊200とシュトレリッツ・シュワルツブルク連合軍1500は、国境を挟んで対峙していた。 「さ〜て、どうするかねえ〜」  有馬大尉は頭を掻く。  いや……ただ勝つだけならば簡単である。今直ぐ射撃を命じれば、それで『終わり』だ。両軍は500m近く離れている。一方的にアウトレンジできるだろう。  連合軍の飛び道具は長弓である。これは100mも離れていればまず当たらないシロモノで、有効射程はその半分の50〜60m程度でしかない。まあこれは『一人の兵が単体の目標を狙って』というあくまで個人レベルの話なので、数で命中率を補える軍レベルではもうすこし距離が広がるが、それでも100mがやっと、といったところだ。無論、これが達人の集団ならば話は別なのだが…… 「で、実は結構達人だったりするんだよな。連中」  そこまで考え、思わず苦笑する。  常備兵……いや、職業軍人として平均10年以上の専門訓練を受けている彼等は、立派な『達人』である。  シュヴェリン軍からの情報では、彼等は『人間大の目標』に対して、距離100mでもかなりの命中率を誇るらしい。これも上と同様個人レベルの話なので、軍レベルでは100mどころか150mでも油断は出来ないだろう。  ……まあ、こちらも立射する訳じゃあ無いのだから、そんなに心配することは無い……とは思う。思うが油断は禁物である。  出来れば、敵が射撃開始地点に到達する前にケリをつけたかった。  が、ここに『大人の事情』が入り込み、軍事的合理性のみで判断を下せないから話がややこしい。  だからこうしてぼやいている、という訳だ。 「中隊長殿、いつでも撃てます」  中隊でも最先任の下士官である古川曹長が、催促を兼ねて報告する。  実際、『距離500m』という数字は、ある程度ばらけているとはいえ、整列している騎馬や兵相手ならば50%以上の命中率――『射撃訓練における基準では』の話だが――が期待できる距離だ。  ……そして三八式歩兵銃から放たれる有坂6.5mm弾は、400mで8mm厚の鉄板を、600mで22cm厚の煉瓦を貫通できる。鎧など何の役にも立たない。  が、有馬大尉は首を振った。 「300……いや、200まで待て」 「300!? 伏せた兵だって狙える距離じゃあないですか! 連中はつっ立っているのですよ!!」  しかも300では、敵の最大交戦距離(相互距離150?)まで150しかない。これではかなりの数の弓兵が攻撃可能距離に到達してしまう。  第一、300mなど突撃されれば1分以内に白兵戦に持ち込まれてしまう距離だ。ましてや200mならば―― 「幾ら戦車の支援があるとはいえ、300や200からの射撃では、1500からの敵兵の突撃を完全に阻止することは困難です。下手をすれば同数以上の敵と白兵戦ですよ?」  まあ向こうさんが死ぬ気で突撃してくればの話ですがね、と付け加える。  ……支那兵とは違う、と教えられたせいか、敵をまるで狂戦士か何かの様に考えているらしい。 (もしかしたら、異世界人である彼等を『同じ人間』と見做していないのかも知れない) 「無理、さ」  そんな古川に有馬大尉は苦笑する。  彼等にそんな狂った思想は無い。騎士はまだしも、兵共にそこまで戦わせられるだけの思想は。  第一、国の生産力がそれ程の損害をカバー出来ないだろう。  ……故に、上はそこまで命令できないし、下もまた従わない。 「ま、全体の一割も死傷させりゃあ逃げるだろうよ。 ……連中も『同じ人間』だからな」  つまり、シュトレリッツとシュワルツブルク両国の常備軍1100の内、100も倒せば敗走する、ということだ。 (中核である両軍が敗走すれば、無理矢理付き合わされている独立勢力の軍も撤退する筈だ) 「……ならば、今直ぐ射撃を開始しても同じでは?」 「……それだと、王様が逃げちまうだろう?」  そう。問題はそこなのだ。  両国軍とも王自ら出陣しているが、彼等は陣の最後尾にいる。  何かあれば、即逃げ出すだろう。 「ま、そんな訳で出来るだけ連中をひきつけなけりゃあならん訳だ。  面倒なことは一度で終わらせたいからな」  王に逃げられれば、直ぐに軍は建て直されてしまうだろう。  上が欲しているのは単なる勝利では無い。大勝利――それも未曾有の――なのだ。 「……かと言って『殲滅は駄目』などと釘さされているからなあ。  中々難しいのだよ、これが」  軍司令官閣下も無体を仰る、と額に手を当て天を仰ぐ。  そんな些か芝居染みた仕草の有馬大尉に、古川曹長は不審気に尋ねた。 「……なんでまた、そんな手の込んだ真似を?」 「政治、さ」  一中隊長に過ぎぬ自分に裏事情まで説明される筈もなかったが、大体想像はつく。  要は、『今までの遣り方』とは正反対の方法でこの文明圏を統治して見せよう、ということだろう。  ……そしてその実績を突きつける。そんな所だ。 「――と言う訳だ。すまないが我慢してくれ」 「了解であります。 ……しかし、下っ端はツライですなあ」 「何、中間管理職も辛いさ」  有馬大尉は軽く肩を竦めた。  シュトレリッツ・シュワルツブルク連合軍は、規則正しく前進していく。  その陣形は所謂密集隊形ではなく、1騎の騎士を中心とした集団が各々距離を置いて進軍する、といったものだ。 (恐らく銃の斉射による大被害を恐れているのだろう)  シュトレリッツとシュワルツブルクの両軍が中央集団の左右を形成し、その両脇を両国傘下にある独立勢力群の軍勢が固めている。  中央集団は前衛4隊、後衛4隊、最後尾に各隊から切り離された荷駄と共に2隊が布陣しているが、おそらく最後尾の2隊が両国王の本陣だろう。  シュトレリッツとシュワルツブルクの両軍の編制は、それぞれ本営、騎士隊5、荷駄隊からなる。  本営は、指揮班、伝令班、軍旗班、軍楽班、書記班、財務班、医療班からなる。定員は26名。  「指揮班」は軍の指揮を行う。定員は将1、従兵1の2名。将は馬に騎乗する。  「伝令班」は各隊との連絡を行う。定員は伝令長1、伝令4の5名。全員馬に騎乗する。  「軍旗班」は国旗及び隊旗を掲げる。定員は旗手長1、旗手4の5名。旗手長は馬に騎乗する。  「軍楽班」は各分隊に進退を知らせる。定員は楽手長1、楽手4の5名。  「書記班」は隊の書類を作成する。定員は正書記官1、副書記官2の3名。  「財務班」は隊の財務を担当する。定員は正財務官1、副財務官2の3名。  「医療班」は隊の医療を担当する。定員は正医師1、副医師2の3名。  騎士隊は騎士分隊5からなる。定員は40名。尚、騎士隊の内の1個は近衛騎士隊である。  騎士分隊は分隊長1、従兵1、槍兵3、弓兵3の8名。分隊長は馬に騎乗する。  荷駄隊は荷駄分隊6からなる。平時定員は60名、戦時定員は252名。  荷駄分隊は分隊長1、従兵1、軍夫長2、軍夫頭6、軍夫32の42名(但し軍夫32名は戦時に動員)。分隊長は馬に騎乗、他に荷運搬用として駄馬を複数保有する。  故に、両国の常備軍定数は、おのおの平時定員286名、戦時定員478名。  但し、やはりメクレンブルクと同様、上級指揮官の個人的な随員が加わるため、実際の人数は定員を上回っている。  ……尚、両軍の編制から定員までまったく同じ理由は、シュトレリッツとシュワルツブルクが兄弟国である上、人口も殆ど同じ(2万5000人前後)だからである。  ――こうして見ると、両国常備軍の編制はメクレンブルクとは大分違う。 (ちなみに、シュヴェリン常備軍は異端――各国の手本にも関わらず――なので比較対象にならない)  メクレンブルク軍の『隊』は、大規模な上に指揮・輜重能力が充実しているので独立戦闘が可能であるが、両国の『隊(騎士隊)』は、規模が小さい上に指揮官も分隊長兼任で隊内に司令部機構が存在しない。輜重能力に至っては皆無だ。 ……が、この場合はメクレンブルクの方が特殊と言えるだろう。  以前にも述べた様に、メクレンブルクの『隊』の規模は中規模国家(人口1万人以上)の常備軍全力に匹敵する。質(装備等)も考えれば、それ以上の存在だろう。だからこそ、『戦略単位』として安心して運用できるのだ。  正直、両国の騎士隊程度の規模では、とてもでは無いが『戦略単位』たり得ない。常備軍全力で、ようやく一つの『戦略単位』と言える規模だろう。つまり、両国の常備軍はメクレンブルクの『隊』を大きくしたものに過ぎない、ということなのだ。これは他の『大国』と呼ばれる国々とて同様である。 (だからこそ、メクレンブルクの『隊』はメクレンブルクの力の象徴として周囲の国々から恐れられているのだ)  では次に、戦略単位であるメクレンブルクの『隊』と両国常備軍の編制内容を比べてみよう。  メクレンブルクが各分隊を兵科別に分けているのに対し、両国は同一分隊内に諸兵科を連合している。メクレンブルクが近代的な分隊構成に対し、両国の部隊構成は従来の戦闘単位――騎士1騎に数人の供廻り――を均一化・常備化したに過ぎないのだ。この様に、両者の編制(運用思想)には大きな違いがあることが判る。  ……とはいえ、両国の軍とて以前から見れば長足の進歩だ。喩えて言えば、『鎌倉時代から戦国時代中期にまで一気に進化した様なもの』だろう。シュヴェリン先王の登場は、それ程の影響をフランケル諸国に与えたのである。  が、やはりこの改革は余りに急激過ぎた。人の頭が、社会が、追いついていけなかったのだ。  シュヴェリン先王の凄まじいばかりの暴れっぷりにより、何とか軍の常備化と部隊の均一化こそ成し遂げたものの、『騎士1騎に数人の供廻り』という戦闘単位にまでは、遂に手をつけることが出来なかった。これは固定観念だけでなく、身分制度等の社会の根幹から来る問題である。故に多くの国々は早々にそれ以上の改革を放棄したのだ。  この改革に唯一成功したのがメクレンブルクであるが、そのメクレンブルクですらシュヴェリンの軍制を完全に取り入れることは不可能であり、あの様に(第14話参照)妥協した編制にせざるを得なかった。  だからこそ、各国の手本にも関わらず『シュヴェリン常備軍の編制は異端』とされるのである。  要するに、両国常備軍の編制こそがフランケルの『国際標準』なのだ。メクレンブルクに抜きん出た改革が可能となった理由として、現メクレンブルク王の見識と政治的手腕が優れていたことも否定できないが、それ以上に『シュヴェリンに完膚なきまで叩きのめされ、最も大きな被害を受けた』ことが挙げられるだろう。国家というものは、滅亡一歩手前まで傾くと、時々とんでもないことをやらかす、また出来るものなのだ。  距離400……350……300……  両軍の距離はじわじわと縮まっていく。  ――どうする? もう射撃を開始させるか?  一瞬、その誘惑に駆られるが、有馬大尉は首を振る。  敵の本陣は思ったほど動いていない。何故か荷駄隊共に前進している為、その歩みが遅いのだ。  てっきり荷駄隊は置いて前進すると考えていたのだが……  距離250。  兵達の緊張が極限にまで達しているのがわかった。  が、もう少し、もう少しひきつけてから……  ……と、突然爆音が聞こえた。 「?」  上を見上げると、2機の航空機が飛行しているのが見えた。水上機ではないから、海軍の母艦機だろう。  ――海軍さん? 何故?  そう思った瞬間、2機は敵陣に向かって急降下、爆弾を投下した。  爆弾は敵陣最後尾付近で炸裂。敵軍に大混乱を引き起こす。  それを見届けると、彼等は再び空の彼方へと消えていった。  ……僅か数分の出来事である。 ――――シュヴェリン王国南部国境上空。 「やれやれ、やっと目標地点に辿り着けたよ」  岡山中尉は思わず溜息を吐いた。  陸軍の要請を受け、こうして九九式艦上爆撃機2機で対地支援に出向いたのであるが、思わぬ時間を喰ってしまった。  ……それもこれも、全てこの『地図』のせいである。  地図は目標地点までの航路を手書きで書いたもので、目印となる地形の絵が特徴と共に記入されているだけのシロモノだった。  加えてこの地図、この地方の地理に詳しい者の報告を元に作成したため、あくまで地上からの視線で作られたものでしかない。 ……『地上から見た地形』と『高度数千mから見た地形』では全然、まるっきり違うにも関わらず、だ。  無論、ある程度はそういった点を考慮して作ってはいるだろう。が、その程度でどうにかなったら誰も苦労しない。当然彼等は迷いに迷い、ようやくそれらしき場所に到達できた、という訳だ。 (まあ時間が無かったのはわかるが、せめて事前に航空写真位は撮っておいて欲しかった)  上空から見ると、両軍の距離はかなり詰まっている。  誤爆を避ける上でも最後尾を狙うしかないだろう――そう判断し、岡山中尉は僚機に手で合図する。 『俺は右をやるから貴様は左をやれ』 『了解』  2機の九九艦爆は、各々2発の60s爆弾を主翼下にぶら下げて急降下に入る。  狙いは最後尾、騎馬が集中している箇所だ。  敵に対空火器が存在し無いことを幸いに、ギリギリまで急降下する。  ……敵の顔が、恐怖で歪むのがわかった。  その瞬間、爆弾を投下する。  2発の60s爆弾は獲物を求めて離れていった。  数秒後、爆発音。  再び上空から見ると、敵が混乱しているのが手に取る様に判った。  ……しかし、苦労してここまで来たというのに、これで終わりでは勿体無い。  ――機銃掃射でもするか?  一瞬、そんな考えが頭に過ぎる。  が、直ぐに大きく首を振り、慌ててその考えを頭から消し去った。 (いやなに、何やら自分が酷く下卑た人間の様に思えてしまったのだ)  激しい対空砲火を潜り抜け、敵艦に250s爆弾を叩きつけることこそが艦爆乗りの本懐だというのに、自分としたことが如何にかしていた。  艦爆乗りは槍を手に敵陣に突撃する騎馬武者であり、誰彼構わず吹っ飛ばす土建屋ではない。第一、冷静に考えれば、これ以上の攻撃は不要だろう。  ……ならば、無益な殺戮をすべきではない。  そう判断すると、岡山中尉は帰還の合図を僚機に送り、機首を母艦へと向けた。  ……しかし、一体全体、何故自分達を呼んだのだろう?  戦車までいるのだから、陸軍だけで十分ではないか。 ――――再び、シュヴェリン王国南部国境。 「…………」 「…………」 「…………」  有馬隊の将兵は、歓声を上げるでもなく、海軍機の『活躍』をただただ沈黙して見守っていた。  そして海軍機が見えなくなると、ポツリと古川曹長が呟いた。 「……中隊長殿」 「……何だ?」 「自分は思ったのですが……」 「……言ってみろ」 「多分、海軍さんは『間違えた』んじゃあないでしょうかね?」 「……お前もそう思うか?」  何を、とは聞かない。  何故なら有馬大尉も……いや、この場にいる誰もが同じことを考えていたからだ。 「じゃあ、向こう(シュヴェリン軍)の方には……」 「当然行っていない、でしょうなあ……」  航空燃料だってタダじゃあないのだ。  余分(無駄)な消費は許されないだろう。 「つまり――」  ツ――。  有馬大尉の顔に一筋の汗が流れた。  ……恐らく、途中の過程で何らかの行き違いか何かがあったのだろう。  が……こりゃあ豪いことである! 「……海軍に確認を取りますか?」 「無用だ! 水上機を爆装して送るよう、神州丸に大至急要請しろ!」  有馬大尉は吐き捨てた。  海軍に連絡するには、幾つもの段階を経なければならない。故に、伝わるまでに時間がかかる。  簡単に挙げるだけでも、有馬隊→神州丸(中継)→香椎(軍司令部)→扶桑(艦隊司令部)といったステップを経る必要がある。  一刻一秒を争う現在、とても悠長に待ってはいられなかった。  数分後、古川曹長が顔面蒼白で戻って来る。  そして、最悪の言葉を口にした。 「海面状態不良のため、水偵は出せないそうです……」  水上機は意外と運用し難い。天候は無論、水面状態にも運用が左右され、一寸でも時化ていれば運用不能となる。  演習の場合を例に挙げると、『三日に一日は運用不能となる』との統計結果が出ている。天候を選んで行える演習ですらこのざまなのだから、通年では『二日に一日は運用不能となる』だろう、というのが関係者の見方だった。要するに水上機とは、御世辞にも使い勝手が良いとは言えない存在なのだ。  ……そして残念ながら、本日のシュヴェリン沖は天気晴朗なれど波が高かった。水上機を運用するには少々厳しい位に。  それでももしこれが海軍ならば、或いは多少の危険を承知で水上機を出したかもしれない。 ……が、陸軍にはそれはできなかった。  何故なら神州丸搭載の水上機は、機体こそ供与されたので陸軍籍だが、搭乗員は海軍からの派遣教官――所謂『お客様』――だったからだ。これではとても無理はさせられないし、供与されたばかりの機体を壊すのも不味い。故に、神州丸は『水上機の運用は不可能』と判断したのである。  ――とはいえ、そんな経緯など有馬隊の面々が知る筈も無い。  次々と降って湧く想定外の事態に、ただただ慌てふためくことしかできないでいた。  が、指揮官である有馬大尉にそんな贅沢は許されない。  内心で海軍や神州丸の連中に罵声を浴びせつつも、最後の悪あがきをすべく行動を開始する。 「古川曹長!」 「ハッ!」 「大至急、各小隊から軽機班1個ずつ抽出し、戦車に跨上させろ!」 「ハッ! 直ちに各小隊より軽機班1個を抽出、戦車に跨上させます!」 「岸田中尉!」  大声で最先任将校の名を呼ぶ。 「ハッ!」 「これから俺はシュヴェリン軍救援に向かう。お前は残存兵力を率い、連中を追撃しろ!」 「ハッ! これより残存兵力を率い、追撃します!」 「急げ!」  ――畜生、俺は騎兵隊じゃあ無いのだぞ!  向かうは北部国境の戦場である。  一〇〇式機関短銃を手に取ると、有馬大尉は戦車に飛び乗った。