帝國召喚 外伝「カナ姫様の細腕繁盛記」 【06】  塔の部屋は、貴人を一時的に拘束――軟禁ともいう――する『牢』である。  ……とはいえ身分に関しては非常に煩いこの世界のこと、牢とは名ばかりで、その実態は『窓に格子が付けられ、周囲の壁や扉が丈夫』なだけの『豪華な部屋』に過ぎない。 (この世界では、その身分によって入る牢すら違うのだ)  その『牢』の外では、兵や使用人達がおろおろと右往左往している。  姫様の牢獄入りに対してどうしたら良いのか、皆目検討もつかなかったのだ。  彼等にとって、ここはあくまで牢だ。部屋が豪華だろうが、そんなことは関係無い。貴人には貴人に、下人には下人に相応しい『扱い』というものがあるのだから。  故に、『貴人をこの牢に軟禁する』ことと、『下人を地下の、日すら当たらぬ不衛生な牢獄にぶち込む』ことは、彼等の感覚ではあくまで『同じ扱い』なのだ。  その扱いの差を、彼等は差別と……いや、区別とすら考えていなかった。  この『牢』は、静かで考えごとには丁度良い。  この機会を利用し、カナは一人考え込んでいた。  ――そういえば、御爺様のことあまり知らないな……  祖父が何処から来たのか、何者なのか、まるで知らない。  ……考えてみれば、あれだけの知識を一体何処で学んだのだろうか?  祖父は、何も武将として優れていただけではない。  その農業知識により水害や病害を防ぎ、農業生産量を増大させた。  その経済知識によりこの国を経済的に豊かにした。  その衛生知識によりこの国……いや、この地方から疫病を一掃した。『衛生』という言葉と概念を広めたのも祖父だそうだ。  年寄り達は口を揃えて言う。  祖父が王になる前となった後では、生活が一変した、と。  農作物の収入が増え、税率も下がり、飢えから開放された、と。  疫病は激減し、戦や飢餓もなくなり、平民達は老衰で死ねる様になった、と。  この国に来る商人達すら、祖父を褒め称える。  とても辺境とは思えない、と。  中央世界でもこれ程豊かな農村は珍しい、と。  祖父がそこまで引き上げたのだ。  戦に強いだけの、生半可な王ではなかったのである。  ――御爺様の遺品でも、この国に来る前の物は殆ど無いし……  祖父の遺品で、この国に来る前からの物はたった二つ。剣と印だけだ。  剣は、拵えこそこの国の物だが、その刀身は反りの有る両手剣。  印は、金色の鳥に剣と楯と矛があしらわれた物。  何れも、祖父が生前その身から離さなかった物である。  故に祖父の死後、剣と印は王家の家宝に加えられ、王権の象徴とされた。  それが『当然』と皆が思う程、祖父は評価されたのだ。 (とはいえ、現在これ等の品を保持しているのは現王ではなく、次期女王のカナである。  これだけでも現王の権威の無さがわかるだろう)  カナは、先程思い出した祖父との思い出が気になって仕方がない。  『この世界の人間』――記憶の中の祖父は、確かにそう言っていた。  無論、自分の記憶違いの可能性もある。むしろ幼かったことを考えれば、その方が可能性としては高いだろう。  だが、もしも……  もし本当に異世界から来たのならば、祖父の知識も納得できる。  時折見せた奇妙な、『この世界の常識』からは凡そかけ離れた考えも。  ――まあそんな風に考えたら、何でもかんでもこじつけられちゃうけどね。  そう、所詮これは『こじつけ』に過ぎない。自分でもそれ位分かる。  今までなら、こんなことは考えもしなかっただろう。  ……あの、『魔王の鉄槌』を体験するまでは。  あれは何だったのだろう? 何かの魔術か兵器の類だろうか?  でも、大レムリアや大ローレシアといった列強諸国ですら、あんな真似は出来ない。それだけは自信を持って言える。  未だ知られていない、強大な力を持った『何か』がやったのだ。  が、その『何か』が何かは今の所不明である。  冗談では無く、本当に御伽噺の魔王なのか。  それとも、大陸奥深くや海の果てに生息すると言われる強大な魔獣なのか。  それとも、エルフ族の様な強大な魔力と魔法具を操る古代種族なのか。  はたまた、異界の存在なのか……  何れにせよ、この国は否応無しにその『何か』と隣接することになるのだ。  その『何か』は、今の所いやに紳士的ではある。  が、本当にそうかは甚だ疑問だった。  彼女はそう思うほど楽天的でも能天気でも無い。  ――要は、『正体不明の化け物』が相手と考えるから駄目なのよ。うん。もっと現実的に……  圧倒的な力の差がある相手と外交、例えばすぐ隣に列強諸国が存在し、その国――しかもやる気満々な――相手に交渉……  …………  …………  …………  えっと……   自分で考えたとはいえ、余りに素敵な設定である。一体どうしろと?  ――外交というよりも、詐欺師の出番よね。これ……  まあ、詐欺も外交の一手法ではある。  ――くっ、列強ならうちみたいな辺境の小国じゃなくて、もっと大物狙いなさいよ! ……駄目だ、文句しか出てこないわ。  そんなこといったら即戦争である。 (まあやる気満々なら、言おうが言うまいが攻めて来るだろうが)  ――ああっ! どうしたら!?  仮想上の敵に、カナは頭を抱えながらも立ち向かう。  が、そいつはカナのやることなすこと鼻でせせら笑い、腹が立つことこの上ない。  ――くうぅぅぅ〜! ちょっとばっかり大国だからって威張り腐って!!  彼女は、仮想上の……というより脳内の国に対し、本気で腹を立てていた。  ……一体全体、彼女の頭の中では、どんな遣り取りが繰り広げられているのだろう? 「おやおや、何時もの部屋に居られないので探してみれば、この様な所におられましたか」  カナが不毛な脳内シミュレーションを繰り広げていたそんな時、背後から聞き覚えのある声がかけられた。 「おやおや、何時もの部屋に居られないので探してみれば、この様な所におられましたか」 「……今度は何?」  振り向かなくても分かる。 この軽い口調は昨日のダークエルフだ。 「立ち入り許可は出したけど、もう少し遠慮して入りなさい。仮にも乙女の部屋なのよ?」  いきなり出現した、この遠慮という言葉からはおよそ無縁そうなダークエルフに、無駄と思いつつも一応言ってみる。 「……『乙女の部屋』、ですか?」  ダークエルフはそう呟きながら、視線を窓に向ける。  ……その窓には、洒落た造りとはいえ、丈夫そうな鉄格子がはめられていた。  彼は如何にも『やれやれ』といった風情で、大袈裟に溜息を吐く。 「最近の若い方の感性には、正直とてもついていけません。これが若さという物なのでしょうか? ……いやはや、年はとりたくないものですねえ」  ……いちいち腹の立つことを。 「貴方、『主』の仕事で来ているのでしょう? 真面目にやらないと怒られるんじゃあないの?」  この口から先に生まれた様なダークエルフを、一度で良いからギャフンと言わせてやりたい、という欲求をどうにか抑えつつ、カナは精一杯の皮肉で応じる。 「いやあ! これは痛い所を! ……実は私、この口が原因で、よく上司に叱られているのですよ! 『お前は口から先に生まれたのか!』とね」  でも、仕事はちゃんとやっていますよ? と笑いながら話す。 「仕事は真面目にやるものよ? 例え結果を出していたとしても、ね」  でなければ、働きに対する評価は大幅に低下してしまう。 「私、仕事は楽しくやりたいのですよ。 ……でなければやってられますか、こんな仕事」 「え……」  いつもの薄笑いと、軽い口調。だけど……  今、ほんの一瞬だけ、彼の本音が聞こえた様な気がした。 「おおっと、いけません! 私は仕事のためにここに来たのでした!」 「仕事? 『主』の?」 「いいえ。姫様の、ですよ」  そして、一枚の紙を差し出す。 「ここに姫様の叔父上が埋葬されています。 ……偽名で、ですがね」 「ありがとう! でも、早いわね?」  昨日の今日だ。半日もかかっていない。 「何、簡単な仕事でしたし、『迅速かつ確実』が我等のモットーですから」  ただし安くはないですが、と笑う。 「でも、貴方達を雇える程のお金なんて、払ってないわよ?」  だから、これはあくまで個人間での頼みごとに過ぎない筈。 「いえいえ! 実は我等ダークエルフにとって、姫様は記念すべき『最後の御客様』なのですよ!  ですから特別大サービスです! いやあ、運が良いですねえ! あやかりたいっ!」 「…………」  どこまで本気なのだろう? この人は? 「では、仕事も済みましたので、私はこれで。 ……ああ、そうそう!」  帰ろうとしたダークエルフは、何か思い出したかの様に振り返った。 「我等の『主』は、『恐ろしく強大な国家』です。この世界全ての国々を合わせたよりも、ね」 「……え?」  唐突に『今までの疑問の答え』を教えられ、思わず戸惑う。 「ちょっと待って! そんな国、今まで聞いたことも……」 「『主』は、強国の例に漏れず、怒りやすく多少乱暴ではありますが、それ以上に『御人好し』な面があります。 ……では御武運を」  だが彼はカナの疑問を無視して話を続け、言い終えると消えてしまった。 「もう! 言いたいこと言ったら、すぐに消えちゃうんだから!」  聞きたいことは山と有るのに。  ……とはいえ、あれが彼精一杯の『助言』だった、と言うこと位は分かる。 「……ダークエルフって、聞いていた程悪い人達じゃあなさそう」  油断はできないが、生まれながらの『悪』と言う訳では無い様だ。 「その油断ならないダークエルフ達を掌握した国、か…… どんな国だろう?」  まあ彼の話し振りからすると、直ぐに彼等の『主』からの接触があるだろうが。  ……しかし『主』は、この国に何を要求するつもりなのだろう?  バレンバン地方の割譲は、要求の始まりに過ぎないのだろうか? 「兎に角、『ひさしを貸して母屋をとられる』なんてことにはならない様にしないと」  前途多難ではあるが、やるしかない。   とはいえ――  ――御爺様なら、どうするだろう?  切にそう思う。   死者は何も答えてはくれないが、それでも縋らずにはいられなかったのだ。  彼女は無意識の内に、胸元に下げている印を弄くる。 (これは彼女が困った時によくやる癖だ)  祖父王の遺品であり、次期王の証したる印。  それは紛れも無く、功四級金鵄勲章であった。 ――――同時刻。シュヴェリン王国、『港』。  王国唯一の港――あくまで天然の港に過ぎず、周辺には町どころか漁村しか存在しなかったが――に、数隻の大発が滑り込む。 「上陸!」  号令とともに、大発は完全武装の陸軍歩兵と戦車を吐き出した。 「中隊長殿! 中隊全員上陸完了しました!」 「戦車小隊も全車上陸完了です!」 「宜しい」  中隊長は鷹揚に頷くと、傍らの男に声をかけた。 「中山さん。護衛部隊は何時でも出発が可能です」 「ああ大尉、御苦労様」 「いえいえ。任務ですから」  男は軍人ではなく、外務省官僚だった。  彼はシュヴェリン王国に対する使節であり、大尉はその護衛部隊の指揮官だ。  ……ちなみに護衛部隊は、歩兵中隊に師団戦車隊から分派された戦車小隊(八九式中戦車3両)を加えた、中々豪勢な陣容である。 「……しかし戦車と一緒の行動なんて、訓練ですら殆ど無いですよ」 「そんなに珍しいのですか? しかし大尉は確か、支那で何年も従軍しているのでしょう?」  大尉のいかにも『珍しい』という口振りに、驚いて尋ねる。 「戦車と一緒に戦ったのなんて精々一、二回程度。それも遠くから眺める程度ですよ。  まさか、自分が戦車を3両も指揮することになるなんて……」  苦笑いしながら首を振る。 「はあ…… 軍人さんでも戦車は珍しいのですか……」 「何せ『特科』(特別な科)ですからねえ」  師団戦車隊(八九式中戦車10両を保有)だって、転移後の大軍縮で装備に余裕が出来たため、ようやく新設された位なのだ。  ましてやたかが中隊に戦車が配属されるなんて…… 「くわばら、くわばら」  支那で自分の中隊に戦車が配属される様な状況を想像し、思わず首を竦める。  ……正直、御免被る様な状況の筈だ。 「『それだけ期待されている』、ということでしょうかねえ」 「……『それだけ危険』、という説もありますよ?」 「大尉! 脅かさないで下さいよ!」 「これは失礼! ……まあ実際は『威嚇用』といったところでしょうかね。  我々は所詮メッセンジャーに過ぎません。必要事項だけ伝えたら、後は御偉いさんに任せれば良いので気楽なものですよ」 「はあ……」  中山は曖昧に笑う。  この大尉はおよそ軍人らしくない。  士官学校を出て、数年の実戦経験もあるのだから、もう少し凄みが出ても良いだろうに。  ――やはり、華族だからだろうか?  この風変わりな、爵位を持ちの大尉を改めて眺めた。 「? どうしました?」 「いえ! では、そろそろ出発しましょうか!」  かくして、一向は城を目指した。 「……しかし、こうして見るとかなり豊かな国みたいですねえ」  当たり一面に広がる田園風景を眺め、大尉が呟く。 「この国では三毛作を行なっているそうですよ。同じ農地で米、小麦、その他作物――大豆や野菜等――を年一回ずつ、合わせて三回作るそうです。  ……まあ、米以外の作物は専ら売却用だそうですが」  出発前に読んだ報告書を思い出しながら、中山が教える。 「そりゃあ凄い」 「ある意味、帝國の農村なんかよりも余程豊かですよ。白米を常食しているらしいですしね。  ……おや、見て下さい。魚肥を使っていますよ」  ふと気付き、中山はしゃがみ込んだ。 「港が近いからでしょうね」 「ええ。それに、『魚を肥料に回す余裕がある』ということです。灌漑施設も充実していますし、中々のものですね。  ……しかし、同じ辺境でこうも違うものなのか」  感慨深げに呟く。  中山は、既にいくつかの辺境地域の小国――国と言えるかどうかも疑問だが――を訪れている。  だが、そのレベルは非常に低く、帝國で言えば『弥生時代か古墳時代か』という有様だった。 「……まあ、辺境じゃあ土人すら珍しくないそうですから、まだマシだったのでしょうが」 「何か問題が?」  中山の浮かない顔を見て、大尉は尋ねる。 「……いえね、この国の今後を考えると……」 「ああ、それは……」  大尉は顔を顰めた。  ――畜生。なるべく考えない様にしていたのに!  彼の知る限り、帝國はフランケル文明圏を完全併合するつもりだ。  今回の使節派遣もその一環で、バレンバン地方を正式に譲り受けると共に、まずは食料供給源としてシュヴェリン王国を利用しようと考えているのだ。  具体的に言えば、現在の年一回の米作を年二回――これだけで収穫量は倍になる――とし、稲も帝國種を使用する。  そうすれば、米の取れ高は元の三〜四倍になるだろう。  これで発生する余剰米は10〜15万石。実に5万人以上の成人男性を養える量だ。  これだけで、バレンバン地方に派遣する全人員の胃袋を賄うことができるだろう。  最終的にはフランケル全体に米作を広め、ゆくゆくは帝國が大陸に派遣している全人員を養なうだけの量を確保する計画だ。  ……そして、これ等の食料は最初の内こそ銀での買い取りを行なうが、最終的には税代わりに徴収する。  帝國はこの地方の国々を併呑し、資源地帯、穀倉地帯として利用ようと考えていたのだ。  ……その傀儡として、シュヴェリン王国は利用される。 「今まで訪れた国々では、正直話し合いすら不能でしたよ。『お前の物は俺の物』って連中ばかり――我々が言うのもなんですが――でしたから。  で、こっちも切羽詰まってますからね…… 当然あちこちで武力衝突です。それこそ幾つの部族が消えたことか……」  が、シュヴェリン王国は割譲を確約した。  つまり、『話し合い』が出来る相手なのだ。 「ならば文明国同士、できれば話し合いで解決したいですよ……  仮にも陛下の臣として、こんな強盗の様な真似……」  中山は、山間部の貧農の出である。  学問が出来るのを見込まれ、庄屋様――中山の村では村長を未だにこう呼ぶ――に援助して貰い、外務官僚となったのだ。  ……だからこそ、分かる。  これ等の農地が、どれ程手間隙かけて作られたのかを。  どれだけ愛情を込めた耕したかを。  ……それを、収奪する。  正直、やりきれなかった。 「……言わないで下さいよ。自分も考えない様にしていたのですから。さっさと王様のサインを貰って帰りましょう」  大尉もげんなりして答えた。 「それが…… どうやら王のサインじゃあ駄目みたいなんです」 「はあ?」  そんな馬鹿な。確か、この世界の法では…… 「現シュヴェリン王は、仮の王に過ぎません。真の王は別にいます」 「誰です?」 「現シュヴェリン王の一人娘、『カナ姫』です。シュヴェリン王国第一王位継承者にて、メクレンブルク王国の王位継承権すら保有する、傀儡とするにはもってこいの人材です」  ちなみに、年は数えで十四。 「数えで十四ってことは、満なら十三か……」 「まだ二月の頭ですからねえ…… 十三より十二の方が可能性が高いのでは?」 「ますます嫌なこと聞いた……」 「私だけでは不公平でしょう? この気持ち、分かち合ってください」 「…………」  結構いい性格してるじゃあないか、中山さん。 「お互い様です。大尉こそ、報告書をわざと読みませんでしたね?」 「……自分は『只の護衛役』ですので」 「『威嚇役』もお忘れなく」 「……しかし、『カナ姫』様ね。帝國でも通用しそうな名前だ」 「話は逸らさないで下さいね」  シュヴェリンと帝國、両者の邂逅は目前だった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【07】 ――――バレンバン地方、『死の湖』。  彼等の目の前には、広大な『湖』が広がっていた。  その表面は固く硬化していたが、金槌で何度か力一杯叩くとひびが入り、そこからじわじわと黒い液体が湧き出てくる。  間違いない! 石油技術者の一人が、興奮して叫んだ。 「こりゃあ原油だ! 巨大な原油の『水溜り』だ! 間違いない!」  バレンバン地方の総面積は約3000kuで、帝國の県に匹敵する広さを持つ。  そのほぼ中心に位置する、数km四方の『湖』。  ……まさかこれが全部原油だとは、誰も想像すらできなかった。  帝國の石油技術者達は、当初『薄い原油の膜が湖の表層を覆っているだけ』と考えていた。  つまり、『湖の底から原油が噴出している』と考えていたのである。  が、実際は『原油の噴出により原油の湖が出来た』というのが正解だった。  実に嬉しい誤算だ。 「埋蔵量は……想像もつかない!」  この『水溜り』だけでもざっと2000〜3000万klにはなるだろう。  これ程大規模な油田地帯は、恐らくこの世界には――無論、元の世界にも――他に存在しないだろう。あってたまるか。 (ちなみに帝國の石油備蓄量は970万kl、予想される年間消費量が550万kl+α程度) 「これで帝國も救われますな!」  同行した軍人達も、皆興奮している。  まあ夢にまで見た大油田、それをとうとう手にしたのだから、無理も無いだろう。 「まだまだ、これからですがね……」 「この油田だけでは、帝國の需要を満たすことはできませんか?」 「出来るとは思いますよ? ……運び出せれば、ですがね」  まさかシャベルで掬い取るつもりですか? ご冗談を!  ……そりゃあ、最初の内はそうせざるを得ないでしょう。  ですが、採掘施設の建設は不可欠です。どうやったって、人力じゃあ限界がありますから。  そう答えながら、技師長は必要なものをひとつひとつ頭の中に積み上げていく。  先ず、採取した原油を輸送する鉄道網や道路網の建設。これは何を運ぶにも必須だ。パイプラインについても検討した方が良いだろう。  無論、タンカーに積み込むための港の整備も。現状では船の補修どころか、積み込み作業や陸揚げ作業すら満足にできない。  ああ、発電所も必要だ。できれば鉄道と発電に必要な石炭が、この近くで採れれば良いのだが……  そして警備の軍人や労働者、技術者達のための各種施設。彼等の生活を支えるためには、それこそちょっとした規模の都市――居住施設だけでなく様々な娯楽も整備された――も造らねばならないだろう。  飛行場も必要だろうし、行く行くは石油の精錬施設も必要だ。  ……そういや、全部本国で精製するんだよな……大丈夫か? 確か、帝國の石油生成能力は日産14000〜15000kl程度だと思ったが。  やらなければいけないことが余りに膨大な為、全てが完成するのにどの位かかるか想像もつかなかった。  ある程度形になるだけでも十年かかるだろう。それ程の大事業だ。  ……だがそうでもしなければ、到底帝國の要求を満たすことは出来ない。  このままでは絵に描いた餅、宝の持ち腐れなのだから。 「動かせる技術者と労働者、それに資材を全て投入し、一刻も早く稼動状態にもって行かないと……」 「それなんですが……他にも回さなければいけないので……」  技師長の呟きに、同行した軍の参謀がバツが悪そうに答える。 「ああ成る程、必要とされる資源は他にもたくさんありますからね」 「いえ……勿論それも有りますが…… 他の油田地帯にも人員や機材を差し向けなければならないものですから……」 「なんですって!」  技師長は愕然とする。 「帝國には、幾つもの油田地帯を平行して開発する能力はありません!   ここだけでも手に余るというのに、そんなことをすれば開発は遅れる一方ですよ!?  ですから、最大かつ最も開発の容易なこの油田地帯に全力を注がなければ……」 「……『一つの籠に卵を盛るな』ということですよ。少なくとも、上はそう判断しました」  参謀自身も反対である。  石油の入手が遅れるし、軍を分散配置しなければならなくなるからだ。陸軍の現状を考えれば、正直キツい。  不穏な噂もある。  多数の資源地帯を確保しつつある現在、その権益を巡って壮絶な争いが起きている、という噂だ。  軍、政界、官界、財界、そこに属する誰もが開発の主導権を握ろうとやっきになっている、というのだ!  そして、複数の油田地帯の同時開発決定も、その権益争いの妥協の産物なのだそうだ。  ……本当かどうかは分からないが、いかにも有り得そうな話ではあった。  これ等の資源地帯は、帝國に巨大な富をもたらすことが確実だ。その『お零れ』に与ろうと考える不届き者がいたとしても、おかしくはない。  ――全く! この未曾有の国難に何をやっているのだ!  それが、その場にいる人間達全員の率直な気持ちだった。 ――――シュヴェリン王国、王城。 「陸軍大尉正五位勲六等子爵、有馬信実」  『ほうっ』という声があがる。  王城での謁見における最初の名乗り――これだけで、中山ではなく有馬が『真の主役』とシュヴェリン側に見做されてしまった。  ……言うまでもなく、中山は平民である。士族ですらない。よって、有馬の『代弁者』と見做されたのである。 「有馬卿、中山殿、遠路はるばる御苦労」  王が労いの言葉をかけた。 「謀反の件では、大変世話になった。  余としては、バレンバン地方の割譲に異存は無い。約束は守ろう」 「有難う御座います。陛下」  これで第一段階突破だ。 「陛下、実は御願いがあります」 「何か?」 「我等、シュヴェリンと同様に米食を常としております。貴国の米を売ってはもらえないでしょうか?  ……そう、とりあえず大人5万人分(約9万石)を」  その余りの量の多さに、家臣達がざわめく。 「しかし、我が国には米を輸出する余力は無い」 「帝國の種苗を差し上げましょう。病虫害に強く味も良い、おまけに従来の倍近い量がとれる逸品です。これを蒔けば」 「……その様な夢のような品種、本当に存在するのか?」 「御言葉ですが陛下、この米は我等が数千年の長きに渡り、改良に改良を重ねてきた種です。  失礼を承知で言わせて頂ければ、貴国の米とは歴史が違い過ぎます」 「数千年……」  絶句する。  シュヴェリンの米作の歴史はここ数十年で、未だ原種の域を完全に抜け出せてはいない。  故に主食として考えた場合、収穫量はまだしも、味はけっして良いとは言えなかった。 「……しかし、たとえ倍でも大人5万人には足りぬ」  現在のシュヴェリンにおける米の年間生産量は、約5万石に過ぎない。 「ならば年一度の米作を、年二度にされれば?」 「それならば足りるだろう。だが、我等は小麦を売って金銀に換えている」 「ですから、我等も『売って欲しい』と申しております。小麦ではなく米を、ですが」 「しかし……」 「『米を作らねば採れていたであろう小麦の量』と同額で買いましょう。  ……聞けば、貴国は小麦を相場よりも、大分安く買い叩かれているとか?」 「おおっ! それなら……」  売却利益は倍以上になる筈だ。特に今は、復興資金が喉から手が出る程欲しい状況でもある。  周囲の家臣達からも賛同の声が上がった。 「うむ。では……」 「駄目です!」  その声に、周囲の注目が集まった。  先程から黙って話を聞いていたカナ姫が、初めて声を上げたのだ。 「使者殿の御言葉ですが、シュヴェリン王国としましては、それ程の量の売却はできません」 「……何故です? 理由をお聞かせ願いたい」 「小麦を作って、商人達に売らねばならないからです」 「ですから、それを我等が買い取ろうと……」 「それでは、商人達との『信』を破ることになります」  シュヴェリン王国は、小麦を売って金銀に換えている。  が、本来ならば、こんな辺境に大量の小麦――仮にも一国が生産する量だ――を買える程の商人共がやって来る筈もなかった。  ……祖父王が招いたのだ。  だが、そこまでには想像を絶する苦労があった。  まず、地域が平和でなければならない。  これは当然だろう。何しろ彼等は、大量の銀を持ってくるのである。命も銀も両方惜しい。  祖父王が戦場を駆け巡り、平和を勝ち取ってやっと、彼等を招くことが可能となったのだ。  小麦も相場より安く、大量に提供することも求められた。  商人達に言わせれば、安いのは遠路はるばるやってくる危険手当や手間賃だし、採算を考えれば大量売却の保証は必須だった。  家臣達は『商人共の好き勝手な要求』に怒り心頭であったが、祖父王は彼等の要求を全て受け入れた。  が、商人達の要求量を確保するには、国内を『小麦を必要としない地域』にしなければならない。  米はそれに最適だった。米は国民を飢えから救うだけでなく、銀や銅貨――自分達で個人的に小麦を換金した代金――すら与えたのだ。  そして何よりも、商人達との信頼関係。これがなければ話にならない。  現在の商人達との信頼関係は、数十年かかってやっと築き上げたものだった。 「……それを、目先の利益で壊す訳にはまいりません」 「姫様…… 何も、商人如きに義理立てする必要は……」  重臣の一人が異議を唱える。  が、どうやらそれは彼女の逆鱗に触れたようだった。 「お黙りなさい! これには王の信、ひいては王国の信が問われているのです!  信無くして、何が王ですか! 国ですか!」 「は! も、申し訳御座いません……」  そして使者の方を向き、頭を下げた。 「折角のお申し出ですが、受け入れる訳にはまいりません。我が国が出来る精一杯の御礼は、『バレンバン地方の割譲』及び『帝國米の一部農地での導入とその余剰分の提供』だけです」 「…………」  中山は沈黙した。もともと心にやましい物がある以上、彼女の言葉は激しく彼の胸を突いたのだろう。  ……外交官としては、些か問題ではあるが。  ――ほう……  そして、有馬大尉は感心した様に眺めていた。  なかなかどうして、やるじゃあないか。  少なくとも、王や重臣共より百倍マシだ。 『バレンバン地方の割譲』は約束の礼。 『帝國米の一部農地での導入とその余剰分の提供』は約束+αの礼。  拒否の中にもちゃんとこちらの顔を立てている。米提供に関して全面拒否ではないのだ。  一部農地に限る理由は『信用できないから』、これに尽きるだろう。  これは国民を喰わすことを第一に考えるならば、当然の措置だ。  商人との信頼関係を第一に考えるのも悪くない。  きっとこのお嬢さんは、全てをこんな感じで考えているのだろうな。  『小国の王』としては悪くはないさ。きっと良い王様に『なった』だろう。  ……だが、悪いな。我々にも都合というものがあるのだ。  お嬢さんが国民の、そして商人のことを考えているのと同様に、我々(帝國)も國民のことを考えなけりゃぁならんのだよ。  知ってるかい、姫様?   反吐が出る様な言葉だが、『国家は国民を喰わす為ならば何をしても許される』そうだよ?  ああ、『国家は生きるためならば何でもやる存在』とも聞いたな。  まあこっちは八千万、そっちは三万。恨むなよ? ……いや恨んでくれた方が良いか。 「た、大尉?」  異変を感じ、声をかける中山。  有馬大尉は中山に振り向き、薄く笑った。  ――すみませんね? 中山さん……  これからの返答如何によっては、貴方にとって最悪の展開になるでしょう。  待機している戦車、ありゃあ『張子の虎』って訳じゃあない。ちゃんと理由があって配属されたんです。  ええ、ちゃんと自分はその『理由』を聞きましたよ?  ……『命令』とともにね。 「姫様? お考え直しをしては頂け無いのでしょうか?」 「残念ながら……」 「もう一度お考え直しを」 「嫌です!」  ああ、いかんなあ…… 今ので『スイッチ』が入ってしまった…… どうも殺気を抑え切れん……  周囲の家臣団が、自分の殺気に気構えるのがわかった。   ――こりゃあ、駄目かな?   そっと、一〇〇式機関短銃の安全装置を外す。  謁見の間に連れて来た半個分隊程の部下達もそれを察し、次々に銃――皆、一〇〇式短機関銃だ――を引き寄せる。  自分の殺気に、姫様が内心で怯えているのが分かる。だが、それを殆ど表に出さないのは御立派。  いや…… この一触即発の事態にまるで気付いていない王様も、『有る意味御立派』と言えるだろうか?  ああ、この『大人物』の王様に免じてもう一度だけ…… もう一度だけチャンスをやろう。  内心苦笑する。  何だかんだ言って、結局自分も『こんなこと』は嫌なのだ。  だが…… 数年に及ぶ実戦で揉まれたもう一人の自分が……  『さっさと命令を実行しろ!』と騒ぐのだ。 「姫様……」  そこで言葉が途切れた。  その視線は、先程からカナが触っている胸元の品に注がれている。  ……それはある筈の無い物、有り得ない物。  ――あれは…… まさか! 「姫様。もし宜しければ、その胸元の品の由来についてお教え願いたい」 「これは先王陛下の遺品です」 「……確か、姫様の御爺様でしたね? 崩御されたのは数年程前とか」 「はい」 「……そうですか。では、今回我等はこれで退散いたしましょう。  どうか先程の件、ご検討下さい。双方の為にも、ね」 「え……」  カナ姫の呆気に取られた表情を横目に、大尉は部下を連れて退散した。 「大尉! どういうことです!」  帰り道、中山が詰問した。 「あの時の殺気! 貴方の部下達も迷わず銃を引き寄せた! 貴方は軍から、何か別命を受けていましたね!」  ……だが、大尉はそれどころでは無かった。 「そんな筈は無い。そんな筈は無いんだ…… 帝國がこの国に来たのはこれが初めて、しかも転移して二ヶ月だぞ?  第一、『アレ』は帝國でもそこら中に転がっている物なんかじゃあない。断じてだ!」 「……大尉?」  大尉の只事では無い様子を怪訝に思い、一瞬怒りを忘れて呼びかける。 「……中山さん? 私が何故引き下がったと思います? 『とんでもない物を見たから』ですよ!」 「とんでもない物?」 「あの姫様が首に下げていた物…… あれは、帝國の金鵄勲章です! 間違いありません!」 「はあ……って! まさか!」  中山も驚愕する。それは有り得ないことだった。 「中山さん…… 転移した帝國人は八千万、その内転移時に本土外にいた帝國人だけでも数百万に上ります……」 「考えてみれば、相当大規模な天変地異ですねえ」 「自分は常々考えていたのですよ…… 本当に全員が全員、『同じ時、同じ場所に転移できたのだろうか?』と、『それ以前にも転移した人間はいないのか?』とね……」 「!」  確かに、公式には『全員が無事転移した』とされている。だが、それを確認する術は無い。  何故なら、帝國国外には政府も満足に把握していない多数の帝國人が存在していたし、大陸では大戦争をしていたのだから。  確率的に考えて、仮に転移時の誤差が百万分の一でも数十人、一万分の一なら数千人規模の『難民』が発生したことになるのだ!  ……そして、この程度ならば誰も気にしない。 「だとしたら…… だとしたら……」  同様の結論に達した中山は真っ青だ。 「帝國全体で見れば、『だからどうした?』という程度かもしれません。ですが……」  ……同胞の苦難と無念を思えば、引き下がらざるを得ませんでしたよ。  有馬大尉はそう呟いた。  丁度その時、前衛の分隊から伝令が届いた。 「中隊長殿!」 「何か?」 「前方に、隊商です!」 「……隊商?」  隊商の主は王国と取引する商人の一人であり、陸路でシュヴェリン王城に向かう最中だった。 「まだ反乱が収まったばかりだぞ?」 「だからこそ、商売になるんですよ。隊長様」 「まだ危険かもしれないのに、か?」  その余りのたくましさに、呆れてしまう。 「その危険も多少ありますが、行かなきゃあ信用にもかかわりますしね」 「ほう? それ程大切か?」  命あってのものだねだろうに。 「隊長様、我等卑しき商人ではございますが、だからこそ、余計に信用は大切なので御座います。『信用こそが第一の資産』なのです。  ……ましてや、シュヴェリンとは先王陛下から三十年以上に渡る御付き合い。そんな簡単には壊せません」  その言葉を聞き、有馬大尉は突然笑い出した。  自分の愚かさを思い知ったからだ。 「隊長様?」 「いや……何でもない。『誇り高き女王陛下』が御待ちかねだ。行って差し上げろ」  怪訝そうにしながらも、一団は一礼して通りすぎていった。 「いやはや! どうやら俺の負けのようだ!」  ……そのわりには愉快そうだ。  大尉の中では、もはやシュヴェリン王国は『討つべきもの』ではなく、『守るべきもの』となっていた。  戦場の毒にやられて荒んでいた自分……その毒を洗い流してくれたのだ、その位の礼はしようじゃあないか!  一大尉とはいえ、自分は帝國子爵である。名門、権門に知人友人は大勢いる。軍高官にだっていないことはない。  それに、あの金鵄勲章。  もしかしたら、最大の武器になるかもしれない。 「さて、中山さん。貴方にも協力して貰いますよ?」 「何を?」  気構える中山の肩を、有馬大尉は軽く叩いた。 「多分、貴方が一番望んでいることについて、ですよ!」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【08】 ――――シュヴェリン王国、『港』。  『港』直ぐの海面に、1機の零式水上偵察機が着水した。  中山と有馬を派遣軍司令部(と附属する外務省連絡部)に送るため、射出された神州丸の搭載機である。  神州丸は帝國陸軍が建造した上陸作戦用の舟艇母船、その第一陣だ。  多数の舟艇(大発・小発・装甲艇)を搭載し、2個中隊分の戦車を含む2000名もの部隊を迅速に揚陸させることが可能な上、航空機まで搭載している。  搭載機は最大12機で、その内訳は九一式戦闘機6機に九七式軽爆撃機6機(うち分解格納3機)。ただし航空機格納庫は兵や馬、物資の格納庫も兼ねているため、あくまで『最大12機』でしかない。加えて発艦は出来るが着艦は出来ない。 ……この欠点――着艦不可能――は、この世界では致命的だった。  言うまでもないことだが、この世界に『飛行場』などというものは存在しない。  聞くところによれば、中央世界には似たような目的の『飛竜基地』なるものがあるらしいが、これとてそのまま飛行場として即使用出来る訳ではないし、遠く辺境の地で活動する帝國には関係の無い話だろう。  要するに『飛行場を早期に占領して、そこを利用する』という手が使えない、ということであり、搭載機を着陸させる方法が無いのである。  このため陸軍は水上機の供給を海軍に要請。海軍もこれを受け入れ、納入予定の機材を陸軍への供与に回すことを急遽決定した。  供与機種は最新鋭の三座水偵である零式水上偵察機。  陸軍機にはない長大な航続力と迅速な進出能力が魅力の高性能水偵だ。250s爆弾を搭載し、爆撃機として運用できる点も素晴しかった。  この代償として、陸軍は既に海軍への供与が内定している一〇〇式司令部偵察機二型(開発中)の供与時期を繰り上げ、最優先で――陸軍への配備を遅らせてでも――行う旨を確約した。 (事実、昭和十七年六月に制式化された同機は、真っ先に海軍に供与された)  ……余談ではあるが、これ等一連の過程における陸海軍の措置は、幾ら実績があるとはいえ従来からは考えられぬ程迅速な決定であった。転移初期における軍部の危機感、その大きさが伺える好例とも言えるだろう。  この決定により、神州丸の航空機搭載能力は『零式水上偵察機を最大で9機』に改定された。  ただし、零式水上偵察機は九七式軽爆撃機と比較して全長と全幅こそ同程度だが全高が1m以上高い――言うまでもなくフロートのせいだ――為、格納庫に格納するにはフロートを外す必要があり、今ひとつ即応性に欠けていた。  ……まあ、使えない従来機よりは万倍マシではあったが。  このため、9機のうち3機は完全分解、5機はフロートを外して格納庫に格納、残る1機のみを艦首中央に露天繋止とした。 (この位置(艦首中央)は前部起重機を運用する上でかなり邪魔であった様で、今回の作戦以降は最大搭載機数を8機に削減し、原則として『全機を格納庫内に格納すること』と再改定された)  尚、今回のフランケル制圧作戦は陸軍水上機部隊の初陣であり、零式水上偵察機3機が神州丸に搭載されていた。  ただし本来の搭乗員は未だ機種転換訓練真っ最中のため、搭乗員は海軍からの一時出向者だったが…… 「う゛あ…… お偉いさん方になんて説明しよう……」  有馬大尉は、水偵へと向かう手漕ぎボート――現地の漁民より調達した――の上で、げんなりした様な唸り声を上げる。  こう言っては何だが、まず間違いなく叱責されるだろう。それを考えると心底気が重かった。 「……有馬さん、あんた今更何言ってんですか。他人を巻き込んでおいて」  僕だって上司に報告と説得をしなけりゃあいけないのですよ? と、中山は呆れ気味だ。  ……とはいえ、中山とて口には出さないが気が重い。  その場の勢いで有馬大尉に協力することを了承したが、考えてみればかなり『危ない橋』だ。  何せ、バレンバン地方割譲の確約こそ得たものの米の供給要請に関しては失敗。おまけに向こうの心象をかなり害して――これすら穏やか過ぎる表現だろう――しまった。  この報告だけでもアレなのに、この上『陰謀』まで持ちかけるとなると……  正直、頭が痛くて堪らない。  ――いざとなったら、交渉失敗の責任については全部軍(有馬大尉)になすりつけてしまおうか?  などと、不穏当なことすら考えてしまう。  ……まあ、何時の間にか呼び名が『大尉』から『有馬さん』に変わっている所から察するに、それなり以上には打ち解けた様である。  ならばこれは軽い突っ込み程度の意味合いで、非難ではないのだろう。多分。 「そりゃあそうですがね、中山さん。軍と娑婆じゃあ叱責の度合いが違いますよ?」 「さっきまでの意気込みはどうしたのです?」 「それはそれ、これはこれ。どんなに意気込もうが、嫌なものは嫌なんですよ」 「……あんた、本当に軍人ですか?」  本当に、よくこれで今までやってこれたものである。 「ま、ある程度までいけば、何とかやっていけるものですよ。  陸士や見習い士官時代は、よく修正喰らいましたがね」  あと出世も無理ですね、と笑う有馬。  昔は陸軍大将を目指していたが、どうやら少将も無理そうだった。 (とはいえ、軍拡が無ければ中佐……下手したら少佐で退役確実だっただろう。  兵力20万そこそこから100万まで増え、ポストはそれ以上に増えた戦時体制様様である) 「……僕は出世したいのですが」  そんな有馬大尉を、中山が半眼で睨む。  今回の任務だって、重要なキャリア作りの一つなのだ。  膨大な石油資源を有するフランケル文明圏との外交交渉は、自分に大きな点数を稼がせてくれる筈だ。  ……あれ? なんかおかしいな?  思わず考え込んでしまう中山に、有馬大尉は笑いながら肩を叩く。 「ま、一緒に幸せになりましょうや」  それは、新たに加わった『お仲間』――同類ともいう――に対する同士意識からくる、実にイヤな笑みだった。  中山と有馬を乗せた水偵は、沖合いに停泊する神州丸上空を飛び越え、輸送船団本隊へと向かう。  10分も飛行すると、眼下に大型船舶の大群が飛び込んでくる。本隊だ。  上空からは、輸送船団の様子が一目瞭然だった。  数十隻もの大型輸送船が規則正しく整列し、碇を下ろして停泊、その外周を数隻の護衛艦がのんびりと遊弋している。  ……これは、少しでも重油の消費を減らすための措置だ。  輸送船については一部を残してボイラーの火を落とし、必要最低限の機械を動かす以外は重油を使わないようにし、  護衛艦については流石に全てのボイラーに火を入れているが、なるべく重油を使わないよう、低速で動いているのだ。  水偵は練習巡洋艦『香椎』の側に着水、二人を下ろすと再び飛び立ち、空の向こうへと消えていった。  二人は投げられた縄梯子を使って上っていく。 「もっと楽な方法は無いんですか!?」  高所恐怖症の上、運動神経の悪い中山には、苦行もいいところだ。  ヒイヒイ言いながら危なっかしげに上る。手足はブルブル、目は半泣きである。 (やたら饒舌なのは、恐怖心を紛らわすためだろう) 「そりゃあありますよ」  遅いなあ、と思いつつも、後から上る有馬大尉が答える。 「なら!」 「あー、多分、『石油の一滴は血の一滴』って奴じゃあないかと」 「その石油を獲ってきたのに!?」 「……今現在にゃあ、関係ありませんけどねえ……おっ?」  と、突然一本のロープが投げ寄越された。  上を見れば、甲板上の海軍士官が何やら手振りしている。 「りょーかい。中山さん、良かったですねえ」  そんな軽口を叩きつつ、片手で器用にロープを中山の腹や肩に襷がけに結びつけると、有馬大尉は甲板上の海軍士官に大きく手を振った。  士官は大きく頷くと後ろを振り返り、何やら合図する。   「へ? 有馬さん、何を……って、うぎゃあああああ――――っ!!!!」  次の瞬間、ロープは急激に引っ張り上げられ、中山は悲鳴を残して艦上に引き上げられていった。  ……何のことはない。余りの遅さに業を煮やした海軍側が強行手段を採ったのだ。 「中山さん、上司への説得頼みましたよ――!」  そんな言葉をかけつつ、有馬大尉は待ちかねた様に縄梯子を上っていく。  ……いや、これでも彼には期待しているのだ。  如何に有馬大尉が強力なコネを持っていると言えど、一大尉の身では本国との自由な連絡など不可能だ。  故に、協力者は必須である。  その点、独自の連絡手段を持ち、小所帯の外務省派遣組は、協力者に最適と言えた。 ――――練習巡洋艦『香椎』。  香椎は、護衛艦隊の旗艦であると共に、その収容能力の大きさと指揮通信能力から上陸部隊司令部も同乗していた。 (本来ならば両者の兼任は好ましくないのだが、『本来上陸部隊司令部を乗せるべき神州丸が、司令部の準備が整う前に先行して出発した』、『指揮下の護衛艦が少ないため、特に実害が無い』等の理由により、やむをえずの措置となった)  その上陸部隊司令官の執務室に、有馬大尉はいた。 「大尉、どういうことだ!」  同席していた参謀からの叱責が飛ぶ。  有馬大尉の任務は、『バレンバン地方割譲の確認』と『シュヴェリン王国を帝國の米櫃とすること』の二点であった。  石油資源の確認が出来た以上、譲歩する気は一切無い。帝國は、バレンバン地方のみならず、その周辺地域までも制圧する腹積もりだ。  ……そして、今回の任務はその第一歩だったのだ。  当然、周辺国家との武力衝突は覚悟の上である。強硬派など、『暢気過ぎる!』と交渉の必要性すら認めていなかった程だ。  とりあえず今回は穏健派の顔を立てたが、もし交渉が不調、或いは長引きそうならば、同行した有馬大尉には『速やかなるシュヴェリン王国の制圧』が命じられていた。  その後は、洋上に待機している陸海軍が共同で、一気にフランケル文明圏とその周辺地域を制圧する計画だった。 「大尉、貴様怖気づいたか!? ……いや、情にほだされたな! 阿呆め!」  参謀は吼えた。  自分達は帝國軍人である。  である以上、自國民と他国民、祖國と外国との間には、明確な『線引き』をしなければならない。特に公務に際しては尚更だ。  ……であるにも関わらず、他国と他国民を哀れみ、帝國臣民、ひいては帝國に不利益をもたらすとは、何事かっ! 「現在の帝國は未曾有の危機にある! である以上、我等はいかなる手段を用いても、帝國を危機から救わなければならないのだ!  その我々に、他国のことなど気にかける余裕は存在しない!」 「まあ、そのへんにしておけ。 ……有馬大尉」  司令官は参謀の叱責を制し、有馬大尉を見る。 「何があった? 貴様、任務を放り出して帰還するような阿呆じゃああるまい?」 「……異常事態が発生しました。そのため一時任務を中断し、報告の為帰還したのです」 「異常事態?」 「はい、想定外の大事件です」 「何だ?」 「『目標』は、金鵄勲章を所持していました」 「何だと!? ……間違いではないのかね?」  その意味することを即座に理解し、司令官は慎重に確認する。 「間違いありません。おそらく功四級金鵄勲章と思われます」 「由来は?」 「次期王位継承者の証だそうですが、本来は数年前に死亡した祖父王の『形見』だったそうです」 「何と言うことだ! もしかしたら……」 「はい。対象者が『同胞の孫』という可能性があります。 ……それも、金鵄勲章を授与されるような」  『可能性がある』どころか、それしか考えられない。  帝國がこの世界に転移してから僅か二ヵ月、しかもこの国に来たのは自分達が初めてなのだから。  ――転移時に『はぐれた』か、それ以前に個人的に転移したかは不明ではあるが、帝國が転移する数十年も前に、既に帝國人がこの世界に存在していた。  この事実は、司令官に衝撃を与えた。  彼とて、その可能性について考えなかった訳では無い。  だが調べる術も無く、大勢に影響が無い以上、深く触れる必要性を感じてはいなかったのである。  ……が、その現実を突きつけられれば、帝國人なら誰もが動揺せざるをえない。  陸軍でも穏健派として知られる彼ならば、尚更だった。  事態を重く見た司令官は、一つの決断を下した。 「有馬大尉、御苦労。一時撤退した君の判断は正しい。  もし金鵄勲章を授けられる程の者、その忘れ形見だとすれば、帝國は最大限の敬意を払わなければならないだろう」  それこそが帝國の義務、帝國の誇り。 「僕が直々に会い、確認する必要があるだろう。  よって、現計画は詳細を確認するまでの間、一時凍結とする」 「ハッ!」 「尚、この件に関しては緘口令を敷く。外務省の連中にも、余計なことを喋らせるなよ?」  ……なんだ、気付いていたのか。  ニヤリと笑う司令官を見て、有馬大尉は苦笑した。  恐らく、既に外務省から連絡を受けていたのだろう。  全てを知りながら、全て自分一人の腹に収め、今まで黙っていたのだ。 (ということは、中山は早くも失敗したのだろう、とあたりをつけた) 「ああ、それから……」  司令官は退室しようとする有馬大尉を呼び止めた。 「よくやった!」  ……後で知ったことだが、司令官も外務省の責任者もこの計画に乗り気でなく、何とか出来ないかと話し合っていたのだそうだ。 (とはいえ司令官も軍人である。嫌々ながらも計画は実行していた) ――――シュヴェリン王国。 「姫様? 御考え直しをしては頂け無いのでしょうか?」  アリマ子爵が問う。  だがその言は、『願う』というよりも『確認する』といった感じだった。 「残念ながら……」  そう答えた途端、彼の雰囲気は変化する。  ――怖い……   さっきも怖かったけれど、今とは比べ物にならない。  ――怖い……   きっと今のこの人なら、どんなことでも平然とやるだろう。  そう思わずにはいられない。 「もう一度お考え直しを」  今度は、自分に『命令』している。  ――怖い…… 目の前が真っ暗で、何も見えないよ……  反射的に返してしまったけど、自分が何を言ったのかすら分からない。  アリマ子爵はますます怖くなり、飲み込まれてしまいそうになる。  ――怖い…… 苦しくて息が出来ない……  …………  …………  ………… 「!」  そこで、目が覚めた。 「……何だ、夢かあ」  どうやら、精神的にかなり参っていた様である。  昨日の謁見は、最悪だった。  彼等――『帝國』と名乗っていた――は、交渉などする気など端からなかった。  ただ、その場で一方的な要求を突きつけてくるだけだった。  ……『受け入れる』か『受け入れないか』、妥協する気など全く無い、事実上の最後通牒を。  もし受け入れなければ、彼等は力ずくで受け入れさせようとするだろう。  事実、あの時のアリマ子爵は武力を用いようとしていた。  それでも受け入れなければ、待っているのは『死』だ。  ……けど、受け入れても先は暗い。  彼等の要求が、あれで終わりとは思えない。むしろ始まりに過ぎないだろう。  要求の先にあるのは、『緩やかな滅亡』か『完全な属国化』のどちらかだ。  ――でも……  何故あの時、自分は彼等の提案を即座に拒否したのだろう?  あれでは挑発している様なものだ。  『検討しますから時間を』でも良かったのではないだろうか?  あの時、幸運にもアリマ子爵が引き下がらなければ、結果は最悪のものになっていただろうに。  でも、それでも……  譲れないものがあったのだ。 ……上手く口にはできないのだけれでも。 「これから…… どうしよう?」  彼等がまた来ることは間違いが無いし、今度は彼等も引き下がらないだろう。  そして、幸運は二度も続かないものだ。 「……どうしよう?」  譲れないとは思うが、受け入れなければこの国は滅ぼされかねない。第一、反対しているのは自分だけである。  受け入れれば、今後要求はエスカレートするだろうが、少なくともこの国が生き残れる――どのような形であれ――可能性は高い。 「どうしよう……」  ……が、答えは決まりきっていた。  冷静に考えれば、自分一人の『我侭』でこの国を危機に陥れる訳にはいかない。  自分一人の感情で、家臣達と領民を危険に晒す訳にはいかないのだ。  悔しいが、仕方が無い。  情けないが、仕方が無い。 「そうだよね…… それが一番良いのよね……」  止め処も無く涙が出てくる。 「おや? もう起きられたのですか?」  ……そんな、雰囲気をぶち壊す暢気な声がひとつ。 「……今日は、あんまり話をしたい気分じゃないの」 「ふむ! 姫も幼いとはいえ女性! そういう日もあるでしょう!」 「うるさい!」  泣いている所を見られたこともあり、八つ当たり気味に怒鳴りつける。 「いやあ! 朝早くから来るのは流石にどうかとも思いましたが、そこはそれ! 上司の命令には逆らえないのですよ!  嗚呼! 悲しむべきは宮仕えのこの身!」 「何の用よ……」  涙を拭い、睨み付けた。 「帝國軍の将軍閣下が、姫様にお会いしたいそうですよ?  閣下はこの地方における帝國の最高責任者になられる方です。顔を繋いでおいて損は無いと思いますが、如何?」 「……何で私なのよ」  自分はただの王女だ。法的な権限など無い。 「いやあ! 姫様の『武勇伝』をお聞きした閣下が、姫様に大層興味をもたれまして!  『祖父王陛下のことも含め、話を聞きたい』と!」 「要するに、『見世物』ね」 「いやしかし! 有馬様の殺気を受け止めたのは御立派!  何しろ有馬様は戦場経験も豊富の上、一刀流の目録をお持ちの剣客でもあるのですよ!」 「そう……」  ……そんな人を遣したということは、やはり『そのつもり』だったんだ。 「御返答は如何に?」 「……行くわよ。どうせ無理矢理にでも、連れて行く積もりなのでしょう?」 「おや?」  カナの返答に、一瞬首を捻る。  が、直ぐに大きく頷いた。 「……成る程。すねてらしたか」 「!」 「いやあ、気にすることなどありませんよ? 姫様はまだお子様ですから」 「違うわよっ!」 「? 『自分の思い通りにならないことがあった』から、機嫌を損ねられているのでしょう? ……違いますか?」 「貴方に! 何が!」 「分かりませんなあ。他人ですし…… ああ、この場合は『ダークエルフだから』の方がそれっぽいでしょうかね?」 「くっ!」  全く、ああ言えばこう言う! 「で、諦めましたか?」 「…………」  痛い所ばかりを…… 「一番無難な方法ではありますなあ。まあ、命と生活くらいは保証されるでしょう」 「……逆を言えば、『それ以外は分からない』ね」  精一杯の皮肉だが、そんな物が通用する筈も無い。軽く鼻であしらわれる。 「承知の上、でしょう?」 「…………」 「こんなこと、それこそ良くある話ですしね」 「…………」 「また沈黙ですか? ……まあ良いでしょう。閣下への面会の日時は、この紙に書かれている通りです」  そう言いながら、懐から取り出した紙をテーブルに置く。 「これを『チャンス』と捉えるか、『降伏受け入れ』と捉えるかは姫様の御自由です。では……」  そして、最後に何か思い出したかの様に付け加えた。 「……ああ有馬様ですが、後で大笑いされていましたよ? 『あんな姫様は初めてだ』って」 「…………」  言うだけ言って去っていくダークエルフ。  言いように言われた自分。  再び怒りが爆発した。 「何なのよ、もう! 皆で私を笑い者にして!」  姫様の機嫌が直るのには、まだ暫くかかりそうだった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【09】 ――――メクレンブルク王国、王城。  叛乱軍の全滅から二日。当初事態の把握に追われていたメクレンブルク王国も、ようやくその全容を掴みつつあった。 「……では、叛乱軍は全滅か」  報告を受けた王は、信じられない、とでも言うかの様に首を振る。 「はい。しかも、シュヴェリン軍は全くの無傷の様です」 「あそこまでお膳立てしてやったというのに、なんと無能なことよ」 「だからこそ、王家唯一の男子でありながら遠ざけられたのでありましょう」  王の言葉に、王太子ルッツが嘲笑気味に応じた。  実際、王家の正統でありながら何処の馬の骨ともわからぬ義兄に王位を奪われたのは、義兄の有能さ以上に彼の無能さが挙げられる。  でなければ父である王が、母である王妃が認めなかっただろう。第一、家臣達がついてこない。  彼は、王となるには余りに『愚か』過ぎたのだ。 ……実の父母ですら見放すほどに。 「……しかし、今回の失敗に関して、フーシェ殿は如何な責任をとるおつもりですかな?」  一人の重臣が皮肉めいた口調で発言すると、皆の注目が隻眼隻腕の老人に集まった。  男の名はジョゼフ・フーシェ。  メクレンブルク王国軍第二近衛隊隊長である。  第二近衛隊とは王太子を守護する隊であり、『(第一)近衛に次ぐ格式を持つ』とされている。  が、実際は他隊より遙かに規模が小さく戦闘部隊としての態をなしていない上、新設部隊であるため歴史――伝統や戦歴――も無い。  故に、第二近衛隊の現実の地位は、御世辞にも高いとは言えなかった。  ……軍組織である以上、如何な近衛の名を冠せども、何ら実力も実績も無ければどうにもならない。かえって『近衛』の名誉が重荷となるだけ、という事実の典型的な例であろう。  フーシェがこの場にいるのも、『第二近衛隊隊長』というよりも『王太子の側近だから』という意味合いが強い。  であるからこそ、本来この場にいるべき者では無いフーシェの失敗をあげつらわれたのだ。  とはいえ、フーシェ自身に軍人としての戦歴が無い、という訳では無い。  むしろ、フーシェは『メクレンブルクにフーシェあり』とすら謳われる程の騎士だった。  でなければ樵の倅風情が、名ばかりとはいえ『近衛』の『隊長』になどなれる筈も無いのだ。  ……無論、そればかりが理由では無かったが。 「失敗と言うが、爺は失敗などしてはいないぞ?」  直ぐにフーシェを擁護する声が上がった。王太子ルッツだ。  己の責任問題を回避するというよりも、『爺』を庇おうとしているのが、その雰囲気からありありとわかる。 「確かに計画そのものは失敗した。それは認めよう」  だが、と言葉を続ける。 「爺は三つの大きな成果を挙げた。  一つ目は、我等の手を汚さずに『シュヴェリンの正統後継者を全て始末した』こと」  今回の件により、シュヴェリン王家の男系は全て絶えた。  この事実はメクレンブルクにとって大きい。  何故なら、シュヴェリン王家は元々この地方の宗家の家であり、メクレンブルク王家もシュヴェリン王家の分家に過ぎなかったからだ。  この為、『シュヴェリン王の方がメクレンブルク王よりもメクレンブルク王国に対する正当性が強い』という捩れ状態が続いていた。  ……それが消えた。 「二つ目は、流民共を無傷で始末できたこと」  数千の流民が国境付近に居ついている、という事態は歓迎せざる事態だった。  が、数千という数は脅威であり、また諸国の利害が複雑に絡み合って今まで放置されてきたのだ。  ……それも消えた。 「三つ目は、叛乱軍が身をもってシュヴェリンの策を暴いたこと」  叛乱軍の全滅を、彼等は『前シュヴェリン王の遺産によるもの』と考えていた。  城郭周囲には予め大量の地雷火がを埋められており、それが叛乱軍を吹き飛ばす。  無論、吹き飛ばされる兵は一部だろうが、その音と閃光で烏合の衆である叛乱軍は混乱状態に陥り、そこを急襲された、との結論に達したのである。 (この結論には幾つもの疑問がある。だが少なくとも、これが一番納得出来る説だったのだ) 「如何かな? 爺の功は大きい、と私は考えるのだが?」 「……御意」  次代の王に刃向かう程、彼等も愚かではない。彼等はあっさりと矛を収める。  元からルッツの側近中の側近であるフーシェをどうにか出来る、などとは流石に考えていない。  ただ、『木こりの倅』に皮肉の一つや二つも言ってやりたかっただけだ。 「まあ実質的な損害は、幾らかの騎士と廃棄寸前の武具の供出だけだ。充分以上の元は取れただろう」  王太子ルッツ以下の発言を総括し、王はそう結論付けた。  カナ姫などは『叛乱軍は流民1200〜1300にメクレンブルク兵700〜800』と考えていたが、メクレンブルク――正確にはフーシェ――は更に悪辣だった。  実際は2000の兵の大半が流民であり、メクレンブルク兵など数十に過ぎなかったのである。 ……流民は、男ばかりか女までも動員したのだ。  しかも彼等に渡されたのは廃棄寸前の武器が1000程で、防具の類は一切渡されていない。後は元からある武具や急遽自作した武器だけだ。  もし帝國の介入が無くとも、シュヴェリン軍――主力不在とはいえ――と激突していたら、さぞかし被害を受けていたことだろう。  ……それこそが、メクレンブルクの真の狙いだった。    たとえどちらが勝とうとも無傷ではいられない。  勝敗が決した直後にメクレンブルク軍により急襲、これを撃破し王城を占拠。  その後、シュヴェリン軍主力をシュトレリッツ、シュワルツブルクと共に挟撃  ――そんなシナリオを描いていたのだ。 「が、シュヴェリンに滅んで貰うことには変わりが無い。 ……余は三十年待ったのだ、もう待てぬ」  シュヴェリンに父を討たれ、自身は捕虜となった屈辱。そして崩壊した軍と多額の賠償金――それを王は忘れてはいなかった。  その屈辱は現在も続いている。  メクレンブルク王国は人口10万を誇る、フランケル文明圏最大の国家である。  加えて鉱山資源も豊富であり、特に王都近郊のペール鉱山からは大量の銅が産出され、国庫を満たしていた。  つまり、メクレンブルク王国はフランケル地方第一の国家、と呼ばれても何ら不思議ではないのだ。  ……本来ならば。    が、現実には、フランケル第一の国家といえばシュヴェリン王国である。  メクレンブルク王国の数分の一程度の規模の国家が、メクレンブルクを押しのけて『フランケル第一の国家』と称されているのだ。  何故ならば、現在のフランケルにおける秩序が、シュヴェリン王国を中心に回っているからである。  この秩序は、ハルマヘラ戦争におけるシュヴェリン王国の大勝利と、メクレンブルク王国を盟主とする反シュヴェリン同盟諸国の大敗北によってもたらされたものであり、メクレンブルクにとっては打破すべきもの以外の何者でも無かった。 「シュヴェリンの米喰い共が、調子に乗りおって!」  その屈辱を思い出し、王の目が充血で真っ赤に染まる。  それに気付いた家臣達は、皆首を竦めて下を向いた。  この時の王は、如何程にも残虐になる。とばっちりは御免だった。 「父上、流民共は如何しましょう?」  それを察し、ルッツが父王に生贄を放り投げた。  と、王はギロリと彼を睨みつけ、言い放つ。 「戦の前の景気付けに、流民共を始末する。老人は殺し、女子供は捕まえて売り飛ばせ」 「御意」  王の言葉は、直ちに実行へと移された。 「殿下、有難う御座いました」  会議の後、フーシェはルッツに礼を述べた。 「何を言う。水臭いぞ、爺」  苦労を分かち合ってきた仲ではないか、とルッツ。  ルッツは今でこそ王太子であるが、けっして順風満帆な人生を送ってきた訳では無い。  元は現王――当時は王太子――の六男坊の上、庶子の出であり、王家での立場は実に低いものであった。  『王太子の息子』とはいえ庶子の六男坊――それも人口10万程度の小国の――では立場は軽い。  彼は生まれて直ぐに僅かばかりの捨扶持を与えられ、数人の使用人をと共に王都外れの小さな屋敷に放り込まれた。  そした誰も訪れること無い屋敷で、彼等は肩を寄せ合って暮らしていたのである。  ……フーシェもその一人だった。  転機が訪れたのはハルマヘラ戦争の時のことだ。  当時15の少年だったルッツは勇んで王軍に参加した。  が、その姿は王族の初陣とは思えない程、みすぼらしいものであった。  粗末な鎧兜に身を包み、騎乗するは痩せ衰えた運搬用の駄馬。そしてお共は当時門番だったフーシェ唯一人――それが当時のルッツの『精一杯』だったのだ。  ――乞食殿下。  そう哂う上級騎士すらいた程である。  立派な鎧兜に身を包んだ兄達からも無視され、みじめで堪らなかったことを今でも覚えている。  何としても手柄を立て、見返さねば、と思わずにはいられなかったものだ。  が、結果は信じられない程の大敗。  初戦で王を討たれ、復仇を挑んだ戦いでは文字通り『殲滅』された。  父である王太子は捕虜となり、彼の兄も次々と討ち取られていく。  文字通り、シュヴェリン兵の草刈場の様な状況だった。  ……そんな中、ルッツが逃げられたのは幸運でもなんでもない、お供のフーシェのお蔭である。  フーシェはルッツに近寄るシュヴェリン兵五人を一瞬で切捨てると、シュヴェリン騎士の騎馬を奪い、彼を連れてシュヴェリン軍勢を突っ切ったのだ。  その見事なまでの馬術と剣捌きで。  フーシェの名は一気にフランケル中に知れ渡った。  この戦いでフーシェは片目片腕を失ったが、それが一層彼の名誉を高めた。  その奮戦振りは負け戦の中で異彩を放っており、敵であるシュヴェリン軍からすら賞賛された程である。  『メクレンブルクに過ぎたるものが二つ有り、ペール鉱山に騎士フーシェ』、と。  その後、ルッツの運命は大きく変わった。  王の死により父は王となり、上の兄が全員戦死したことにより彼自身は王太子となったのだ。  ……そんな訳で、辛酸を分かち合った彼の使用人達は、現在それぞれそれなりの要職に就いている。  が、中でもフーシェは別格であり、ルッツの側近として地位以上の権力を持っていた。  ルッツが王になれば、地位もその権力に見合ったものに上がるだろう、というのが専らの評判だ。 「木こりの倅に過ぎぬ私めに、身に余る光栄です。ですが……」 「父が三十年前を未だ忘れぬ様に、私も忘れぬぞ! 王太子になる前、私を無視した者共を! 侮辱した輩を!」  いつもの様に『他の者も重用なさって下さい』と言おうとするフーシェを制止し、ルッツは叫ぶ。  ……その目は、憎しみに燃えていた。 「当時私の周りにいたのは、いてくれたのはお前達だけだ。  仲でもお前は危険を省みず、片腕と片目を犠牲にしてまで私を救ってくれた。  ……だから、今の私がいる」 「…………」 「だから爺も身分など気にするな! 私が王になれば何にでもなれる! 何にだってしてやる!  何になりたい? 大臣か? 大将軍か? それともいっそ、王族でも嫁にして王族になるか?」 「殿下、その様なことは大声で……」 「何、爺しかいないから言うのだ。他の連中の前で言うほど馬鹿じゃあない」  そう言ってルッツは、この心配性の爺を笑った。  ルッツと別れた後、フーシェは城を出て帰宅した。  フーシェの屋敷は近衛隊長の家とは思えぬ程小さなもので、使用人も老婆が一人いるきりである。  この年にもなって、嫁もいない。  如何に隻眼隻腕、木こりの小倅とはいえ、腐っても近衛隊長である。加えて王太子の信頼も厚い、となれば嫁には困らぬ筈ではあるが、何故か彼は独身を通していた。  生活も質素なもので、どうも生まれつき欲というものが欠落しているらしい――等と町の者達からは囁かれていた程だ。  ……まあ欲云々は兎も角、この年、この身分で独身というのは、この世界では異常といっても良いだろう。無論、帝國でも、だ。  そんな彼の元に、ある日珍しく行商人が訪れていた。  フーシェ唯一の好物、ホワイトアスパラガスを扱う行商人だ。  彼のアスパラガス好きは相当なもので、自ら手にとって選ぶ程である。  だから、その行商人が屋敷を訪れても、誰も奇異には思わなかった。  行商人を台所に通すフーシェの表情は緊張で歪んでいた。 「フーシェ、フーシェ、何を緊張している?」  行商人風情には有り得ぬ程、無礼な振る舞い。  が、フーシェはそれを止めようともせず、黙って聞いている。その顔は真っ青だ。  それを見て、行商人は薄く笑う。 「……まあ良い。いよいよだ、抜かるなよ?」 「……はい」 「ことが終われば、お前はスコットランドに『帰れる』」 「……スコットランド?」  それは彼の、彼等の伝説の故郷の名だ。 「我等が遂に手に入れた国の名、さ。相応しい名だろう?」 「…………」 「お前が馬鹿な真似をしでかした時は焦ったが、今となっては『怪我の功名』さ。  今の地位、存分に活かせよ?」  ……もうお分かりだろう。  フーシェの正体はダークエルフだ。  フーシェという名も本名では無い。  彼は各地に散らばり、その地で代々生活する『草』の一人だった。  彼等は擬態を常用する為、生まれた時に『調整』され、魔法結晶を体内に埋め込まれている。 (とはいえ、それでも偶に運悪くばれて火炙りにされることもある。  ……まあ実際のダークエルフが火炙りにされる例は、ダークエルフだとして火炙りにされる例の千分の一にも満たなかったが)  『ダークエルフの里』に住む者とは異なり、彼等はダークエルフとしての教育も武技と法術の基礎を学ぶ程度で、目立たぬようにひっそりと息を潜めて暮らすのが最大の任務だ。  が、フーシェはそれを破った。  人目に晒されれば晒されるほど、出世すればするほど、正体が露見する可能性は飛躍的に上がる。  もしこれが中央世界ならば、或いは王太子の強い個人的な信頼が無ければ……  このどちらかでも当てはまっていれば、とっくにフーシェは火炙りにされていただろう。 「……メクレンブルクは、殿下はどうなるのですか?」  思い切ってフーシェは質問する。緊張の余り、それだけで喉がからからだ。  フーシェは何も知らされていない。この『行商人』の名すらも。  ただ言われたことを実行するだけ――それがフーシェという男の、ダークエルフとしての存在だった。 「お前如きが知る必要は無い。言われた通りにやればそれで良い」  が、行商人――フーシェは『名無し』と呼んでいた――はにべも無くフーシェの質問をはねつける。 「しかし……」 「フーシェ」  行商人はフーシェの言葉をさえぎり、冷たく哂いながら言った。 「裏切るなよ?」  ……フーシェには、黙って頭を下げることしか出来なかった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【10】  トントン  …………。  トントン  …………。  トントン  …………。 「姫様、入りますよ? 入りますからね?」  幾らノックをしても返事が無いため、ばあやは強引に部屋の中へと入る。  すると、カナはベットの上で仔猫の様に丸まり、不貞腐れていた。 「……姫様」 「……何、ばあや」  カナは実に不機嫌そうに答える。  『これは重症だ』と、ばあやは一目見て思った。  理由は分からないが、どうやら豪く御機嫌斜めらしい。 「そろそろ御夕食ですが」 「いらない」 「今日の夕食は、グリペンの干物――シシャモの様な魚――ですよ」  好物で釣ってみるが、プイッと横を向いてしまい取り付く島も無い。  ……が、それで引き下がるばあやではなかった。 (何しろ、カナが生まれた時からの付き合いである) 「わかりました、では」  そう言って、ばあやは手を叩く。  すると、侍女達が何やら抱えてぞろぞろと入室してきた。 「……夕食なら、いらないって言った筈よ?」 「夕食ではありませんよ、姫様」  御公務です、とばあやはにっこり笑う。 「私は今謹慎中! だから仕事もお休み!」 「姫様、投獄された者には『強制労働』が付き物ですよ?」 「…………」  顔を引きつらせるカナに、ばあやは更なる追い討ちをかける。 「ああ、ちなみに陛下は食後の午睡中ですから、御公務は無理ですので」 「昨日たっぷり寝たじゃない!?」  というか、昨日はほぼ一日中寝ていた筈である。 「昨日は昨日、今日は今日です。陛下は一日10時間以上寝ないと体調が悪くなりますから」 「起こして働かせなさいよ!」 「陛下は至高の存在であらせられるので、その眠りを妨げることは何人たりとも許されません」 「…………」  澄ました顔でのたまうばあやに、流石のカナも呆気に取られた。  ……そんなカナを見て頃合と考えたばあやは、さり気無く一枚の書類を差し出す。 「どうぞ」 「なんて私ばっかり……って、何これっ!?」  ブツクサ言いながらもカナは書類を受け取ろうとするが、次の瞬間にその書類を引ったくり、驚愕の表情で凝視する。  その目は、まんまるに見開かれていた。  ――何よ、この金額!? 「いち、じゅう、ひゃく、せん……」  自分の見間違えかとも思い、書類に書かれた数字を何度も数える。  が、無常にも数字は一向に減らない。  ――これ、うちの歳入の優に三年分を越えてるわよ!? 「どうかなさいましたか、姫様?」 「どうもこうも無いわよっ!? 財務長官……いえ、担当官を呼んで!!」  そして、数字の洗い直しをさせるのだ。 「かしこまりました、姫様」  役目を終えた、と判断したばあやは一礼し、『あー、もー!!』と叫ぶカナを残して部屋を出た。  どうやら今日は長い夜になりそうだ、と考えながら。  ……こうして、謹慎の場に容赦なく運ばれて来た書類により、カナは否応無く現実に引き戻された。  彼女は、そのまま自棄を推し通す程無責任では無かったし、またその自由も無かったのである。  結局、『何もかも忘れて自分の殻に閉じこもる』という自由は、僅か数時間で終わりを告げた。  その日は夜遅くまで、城下町再建費用の見積もりを巡り、次々と呼び出される官僚達とカナの折衝が続いたという。 (ついでに、謹慎の件も有耶無耶になったことは言うまでもないだろう) 「ブッデンブルク将軍閣下、御帰還!」  翌朝、シュヴェリン王国軍主力が続々と王城に帰還した。  全速力で行軍したらしく、全員汗まみれだ。  ……彼等は南部国境に派遣されており、今までその地で釘付けにされていたのである。  シュヴェリン王国常備軍は、本営、第1〜4歩兵隊、騎兵隊、砲兵隊、輜重隊、衛生隊からなる。  本営は定員26名で、指揮班、書記班、財務班、伝令班からなる。  指揮班は将軍、副官、従兵2の計6名。うち将軍、副官は馬に騎乗。  書記班は書記官5の計5名。  財務班は財務官5の計5名。  伝令班は兵10の計10名。全員馬に騎乗。  各歩兵隊は定員44名で、指揮班と第1〜4分隊から成る。  指揮班は、隊長、従兵1、輜重兵2の計4名。うち隊長は馬に騎乗、輜重兵は竜車1台を保有。  各分隊は、分隊長、副分隊長、兵8の計10名。  騎兵隊は定員44名で、指揮班と第1〜4分隊から成る。  指揮班は、隊長、従兵1、輜重兵2の計4名。うち隊長、従兵は馬に騎乗、輜重兵は竜車1台を保有。  各分隊は、分隊長、副分隊長、兵8の計10名。全員が馬に騎乗。  砲兵隊は定員24名で、指揮班と第1〜2分隊から成る。  指揮班は、隊長、従兵1、輜重兵2の計4名。うち隊長は馬に騎乗、輜重兵は竜車1台を保有。  各分隊は、分隊長、副分隊長、兵6、輜重兵2の計10名で、砲1門と輸送用の竜1頭保有。  輜重隊は定員18名で、指揮班と第1、11分隊から成る。  指揮班は、隊長、従兵1の計2名。うち隊長は馬に騎乗。  第1分隊は、分隊長1、輜重兵12の計13名で、竜車6台保有。  第11分隊は、竜医師1、助手2の計3名。  衛生隊は、医師4、助手8の計12名。  常備軍は志願制であり、総兵力300名、その重装備は、騎馬60、竜車14、砲2である。  この内、ブッデンブルク将軍が率いる軍主力は――  本営(書記班、財務班一部欠)  第1、2歩兵隊  騎兵隊(1分隊欠)  砲兵隊  輜重隊主力  衛生隊主力  ――から成り、常備軍の大半を占めていた。  南部国境がきな臭くなって来た為に彼等が派遣された丁度その時、反乱軍が蜂起したのである。  加えて、流民の流入に怯えた国境付近の住民の嘆願により、既に第4歩兵隊(騎兵半個分隊を増強)を北東部国境に派遣している。  この為、当時城に残っていた常備軍は60〜70、戦闘部隊に至っては第3歩兵隊に騎兵半個分隊のみ、という有様であった。  これでは幾ら素人集団とはいえ、とても2000もの集団には抗し切れない。叛乱軍の作戦勝ちと言えるだろう。  ……シュヴェリン王国は、既に戦う前にして負けていたのだ。 「申し訳ありませんっ!」  謁見の間に現れた将軍は、開口一番そう叫ぶと王の前に平伏した。 「軍を預かる身でありながら、国難をただ指を咥えて見ていただけとは、痛恨の至り!」  実直そのものである彼にとり、今回の『失態』は只恥じ入るばかりでしかなかった。  事実、軍の実質的な責任者でありながら叛乱を察知出来なかったこと、そして叛乱軍を鎮圧出来ず、国を滅亡の危機に晒した責任は決して軽く無い。  彼が派遣された当時――と言ってもつい数週間前のことだが――、北東部に国境を接するシュトレリッツ王国とシュワルツブルク王国が、突如として国境のすぐ向こう側で合同の軍事演習を始めた。  実行の日時や兵力等こそ事前に通達してきたが、こちらの国境付近で、それも両国軍主力が『軍事演習』とは尋常では無い。  が、両国の使者が余りにも低姿勢だったこともあり、シュヴェリン王は鷹揚に頷いたし、些か平和慣れし過ぎていた重臣達も最終的には追認した。  これに真っ向から異議を申し立てたのが彼、ブッデンブルク将軍であった。  軍を預かる身として両国から軽く見られることは我慢できなかったし、両国軍がそのまま兵をこっちに向けないとも限らない。  故に、当初は数人の監視役に騎兵の1分隊も付けて送り出す筈が、将軍自ら監視役となり、軍主力を率いて国境に繰り出すという、実に大規模な派遣となったのだ。  両国を刺激するのではないか、という意見に対しても『先に刺激してきたのは向こうの方』と一歩も譲らず、遂にゴリ押しで派遣に踏み切った。  『もしあの時、軍主力があれば』と言われれば、返す言葉も無いだろう。 「将軍、貴公のせいで国は滅びる手前まで行ったのだぞ?」 「左様。何とか助かったから良いものの、御蔭でバレンバン地方を失う羽目になった」 「それだけでは無いぞ? これからの復興を考えれば、実に頭が痛い」  今回の責任を彼一人に押し付けようとしているのだろうか、ここぞとばかりに重臣達の嫌味が飛ぶ。  ……が、それはあんまりにもあんまりだ、とカナは思う。  軍主力の派遣はともかく、叛乱を察知できなかった責任は彼一人が負うべきものではないだろう。 軍主力の派遣だって、叛乱さえ想定しないのなら妥当な判断だ。  他人の国境のすぐ近くで両国主力が演習など、挑発以外の何者でもない。祖父が生きていれば決して許さなかった筈だ。  ……まあその場合、とてもそんな真似は出来なかっただろうが。  無論、この程度のことは重臣達とて百も承知の筈だろう。 (何しろ、『子供』の自分ですら思いつく位なのだから)  が、人が集まれば派閥が出来、派閥が出来れば対立は起きる。相手の足を引っ張ろう(蹴落とそう)と、鵜の目鷹の目だ。  そして国は組織の最たるものである。である以上、誰かが今回の責任をとらねばならない。組織とはそういうものだ。  たとえ誰もが内心で異議を唱えるようが、そんなことは関係ない。個人の意思など、組織の前では一顧だにされないものなのだから。  ……馬鹿馬鹿しい話ではあるが、何時の時代、何処の世界であろうが、これが『組織の論理』なのである。  しかしカナはその枠外にいた。  彼女は次期王位継承者である。そして彼女以外には、まともな継承権保持者は皆無――唯一のライバルは叛乱失敗で自滅した――と言って良い。  だからこそ、組織内の抗争を上から眺めることが出来たのである。  祖父王は、カナによく言ったものだ。 『家臣達の言が一つにまとまった時ほど、注意せねばならぬ時は無い。人間が多数集まって、意見が全て同じになる筈が無いのだ。  その場合、如何にして違う意見を引き出させるかが大事だな。思わぬ意見が出ることもある』  思えば祖父の前では、家臣達は様々な意見を出し合ったものだ。  例え突飛な意見や少数派の意見であっても、それにより他者から足を引っ張られないという『信』が祖父にはあり、またそれをさせない『威』があったからだ。  が、今はどうだろう。  誰もが同じ様な意見しか言わない。多数派となった意見には直ぐ靡く。  ……それもこれも、父と自分に『威』と『信』が無いからだ。  だから、ここで自分が発言しなければならない。  でなければ、酷く後味の悪い結果で終わってしまう。  が、その時、もう一つの祖父の言葉が頭に浮かんだ。 『王たる者、他人の意見には耳を傾けねばならない。が、あまりにも傾け過ぎると、下の者は軽く見て侮る様になる。この匙加減が難しい』  これは情けでも同じことだ、と祖父は言う。そして、組織には『けじめ』が絶対必要だ、とも言ていった。  ……ならば、この場合はどうなのだろう?   失敗の責任は誰かがとらなければならない――なら誰が、どうやって?  ――わからない。けど、このままじゃあ……  状況は非常に悪い。誰もが『犠牲の羊』を探しており、その最も近い位置に将軍はいる。  事態は一刻を争っていたのだ。 (せめてあの時に軍を動かしていれば、大分マシな立場だっただろう)  ――『情けのかけ過ぎ』かも知れない、『けじめを疎かにしようとしている』のかも知れない。でも…… 「将軍、貴方にも言い分というものがあるでしょう?」  カナは将軍に言葉をかけた。  そして、言葉を続ける。 「貴方の性格からして、言い訳にとられる様な真似はしたくないでしょうけど、黙っていたら、全ての罪を認めたことになりますよ?」 「…………」  が、それでも彼は黙っていた。  死罪も覚悟の上、ということだろう。 「将軍! 姫様の御下問であるぞ!?」 「構わないわ」  カナはいきり立つ重臣を制すると、重ねて問う。 「では言い方を代えます。将軍、当時の国境付近の状況を、陛下に報告しなさい」 「!」  その言葉に、先程から沈黙を守っていた将軍が明らかに動揺する。  ――やっぱり。  そんな様子に、カナは自分の推測が間違っていないことを確信した。  ……将軍は『動かなかった』のではなく、『動けなかった』のだ、ということを。  やがて、ポツポツと将軍は話し出し始めた。  叛乱を知り、直ぐに帰還しようとしたこと。  その時、両国の軍が国境ギリギリまで迫ってきたことを。 「武器こそ向けてこないものの、まるで戦闘直前の様な雰囲気であり、とても背を向けられる様な状況ではありませんでした」  いっそ、戦闘に突入しようかとも考えたと言う。 (隊長級の者達も同意見であり、あと一歩両国軍が兵を退くのが遅けていれば、シュヴェリン軍は両国軍と戦闘に突入していただろう) 「では、シュトレリッツとシュワルツブルクが今回の叛乱に手を貸していた、ということか!?」  重臣達から驚愕の声が上がった。  ……まあ、誰でも思い付く構図である。これで疑わない方がおかしいというものだ。 「その可能性は高い、と考えます。あの空気は尋常で無く、我等を決して生かせぬ、という執念がありありと見えましたから」 「その様な重大なことを、何故先に言わなかった!」  当然の言だろう。  が、カナには将軍の気持ちが何となくわかった。  ……彼は、居たたまれなかったのだ。  もしそうならば、彼は一部始終踊らされていた、ということになる。  『そのせいで』、国は滅亡寸前までいった。  真面目一徹の彼にとり、それは万死に価する失態だった。  ――でも、これで決まったわね。  軍事的緊張が高まっているというのに、軍最高位者の処罰など出来るものではない。  この言葉を引き出したことにより、将軍の処罰は不問、とまではいかないまでも棚上げとされるだろう。  ……とはいえ、メクレンブルクに続きシュトレリッツとシュワルツブルクまでも、とは頭が痛い。  まるで周囲の国々全てが敵となったかの様な錯覚さえ覚える。  ――錯覚じゃあないか、現実ね。  メクレンブルク、シュトレリッツ、シュワルツブルク……全て数十年前の対シュヴェリン王国同盟の参加国であり、中でも最もシュヴェリン王国に煮え湯を飲まされた国々である。  その屈辱は、容易に消えるものではないだろう。 「将軍、貴方には『違う責任の取り方』がある筈です」 「……は」  そして、カナは先程から黙って目を瞑っていた父に進言する。 (もしかして寝てるんじゃあないだろうか、と少々不安に思いながら、ではあるが) 「陛下、ブッデンブルク将軍は優秀な武人です。その罪軽くはありませんが、王国存亡の時でもありますし、何卒寛大なる御処置を御願い致します」 「うむ」  父は重々しく頷いた。 「将軍の責は重大なれど、王国の危機は未だ終わっていない。  軍務をまっとうすることにより、汚名を返上せよ」  つまり、戦場での働きにより罪を償え、ということだ。  あるかどうかも定かではない――可能性としては低くないが――戦争に対する備えとして、処罰を一時棚上げするということであり、事実上の無罪放免である。 (まあ、その働きに対してはいかなる褒賞も与えられない、ということが罰と言えば罰になるのかもしれないが) 「ハッ!」  王の言葉に、将軍は深々と一礼する。  ……その目には、涙が浮かんでいた。