帝國召喚 短編「帝國から見放された地 ホラズム」 【0】 帝國直轄領とは、その大半が資源地帯を中心とした辺境沿岸地域である。 鉱床――或いは油田――と採取した資源を運び出すための港、及び両者を結ぶ通路を中心とした地域を基本とし、これに防衛や地域自給上の問題から幾分加算したもの、この極狭い地域こそが帝國直轄領の一般的な姿である。 ……『極狭い地域』とはいえ、最小でも帝國の都道府県数個分に匹敵するが。 これ等の帝國直轄領周辺には、多くの邦國が存在している。 彼等は帝國侵攻時に降伏した国々であり、帝國に属する邦として、その地方における治安の要となることを期待されている。 (決して帝國直轄領が『治安の要』では無いという点が、この時期の帝國支配体制の大きな特徴である) 帝國は、原則として支配した辺境地方のうち大規模(或いは重要な)な資源地帯を直轄領として併合・採掘し、他の中小(或いは重要度の低い)資源地帯については邦國に採掘を委託していた。 故に、支配地域に対する帝國直轄領の割合は驚くほど低い。 帝國は直接統治を極力避けていたのだ。 さて、帝國支配地域の大多数を占める邦國諸国であるが、当然帝國に対する義務が存在する。 まず税。 決して高くは無いが、それなりの税を毎年帝國に納めなければならない。 また、領内に帝國が望む資源が存在する場合、独力で開発して帝國に納める義務もある。 (この場合は有償提出だが、多くは自国が支払う税から相殺されている) 次いで様々な情報の報告義務。 自領内の様子は無論、他国の動向も報告しなければならないし、帝國が欲する情報については調査をしなければならない。 他にも出兵や資材・労働力の提供、自国内飛行場の維持整備等々、有償無償を含め挙げればきりが無い。 (当然外交権も剥奪されており、帝國本国及び他の邦國以外との接触も禁止されている) とはいえ、数こそ多いがどれも『御尤も』な義務ばかりであるし、それ程重い義務では無い。 税等の出費を伴う義務については、地域が平和になったことによる軍縮を考えれば『お釣り』が来るだろうし、帝國が邦國を動員する可能性は甚だ低い。 外交権の喪失についても、周囲の国々までも帝國の邦となった以上、実害は無い。 『そんなこと』よりも、帝國という巨大な後ろ盾が出来たことに対する利点の方が、遥かに大きかったのである。 (加えて、帝國は邦國の内政については無干渉――無関心ではない――だった) ……ただ、『外交』『軍事』という国家の二大負担から開放された――切り離されたともいう――これ等邦國の多くが、その後急速に自立力を物心両面ともに失っていったということは付け加えておく必要があるだろう。 彼等は、『邦國同士の政治闘争』という狭いコップの中での争いや帝國主催の宴等に熱中し、急速に『帝國諸侯』と化していったのだ。 【1】 さて、ここはロディニア大陸南部にあるホラズム地方。ここに帝國直轄領の一つがある。 ホラズム地方は、原則として帝國本国を挟む東西二大陸――西のガルム、東のロディニア――に囲まれた大内海南部(南大内海)沿岸部のみに限定されている帝國直轄領の中では、珍しく『外洋側』に存在する。 ちなみに、ガルム及びロディニア両大陸に限られているのは『列強諸国のある大文明圏との直接対決を避けるため』、南大内海沿岸部に限られているのは『帝國本国との距離と輸送の便のため』だ。 レムリアすら完全に掌握していない状態で、他の列強諸国と争うことなど自殺行為だし、帝國を囲む南大内海でさえ元の世界の大西洋よりも巨大なのだ。とても手が回らない。 レムリアに兵力と兵站を吸い取られている以上、帝國が南大内海を超えるのは当分先のことになるだろう。 ホラズム地方は、約5万平方キロの土地に100万人程度の人口が住む『小文明圏』だ 転移初期、ここにレアメタルの大鉱床があるという情報を受けた帝國は軍を派遣、当時戦乱に明け暮れていたホラズム地方を瞬く間に制圧する。 ……が、それは全くの誤情報であった。 帝國が1個師団以上の兵と1個艦隊を投入して――それも数千キロの海を越えて――手に入れた物は、帝國の関東甲信越地方に匹敵する程度のありふれた狭い土地と、100万人の戦に疲れた民に過ぎなかった。 ――なかったことにしよう。 冗談ではなく、当時の帝國政府や軍中央では『撤退』の二文字が真剣に検討されていた。 (当時の帝國は、とても『この地方を維持する』などという無駄が許される雰囲気ではなかったのだ) 帝國がホラズム地方を維持する方向に転換したのは、丁度その頃帝國本国で陛下との御目見えを許されていた一人の王女の嘆願だった。 彼女の嘆願により、100万の民は再び戦乱の世――それも前以上に混乱した――に放り込まれることから逃れられたのである。 (現在の研究では、これは些か大袈裟な俗説とされている。この件については、様々な要因が組み合わさった『非常に複雑な政治的判断の結果』というのが真実の様だ) 兎に角帝國は、ホラズム地方の四分の一を直轄領、残りを十数ヶ国の邦國領とし、正式に帝國に併合することを宣言した。 この地方に常駐するのは、軍(指揮官は陸軍中佐)が独立歩兵大隊1個、形ばかりの航空部隊――隼1個中隊と飛行場中隊1個――に港管理の碇泊監視部。後は僅かな数の役人のみ。 ……これを見れば分かるが、帝國は端からやる気がなかったのである。 だが幸い、帝國が制圧時に見せた力のせいもあり、領主達は帝國に反抗を起こそうとはしなかった。 代わりに彼等は、かつて戦争に用いた軍を匪賊討伐に用い、治安を回復させていく。 かつて国境付近や他国は追い詰められた匪賊の逃げ場であったが、この地方が統一された以上、彼等の逃げ場は最早どこにもない。 匪賊達は急速にその姿を消していった。 平和になれば人心は安定する。 ホラズム地方は、徐々にではあるが、確実に復興を遂げつつあった。 【2】 「……しかし、増えたよなあ」 益田少佐は呟いた。 ここはトルクメン。ホラズム地方の『首都』たる港町ヒヴァを守る戦略上の要衝だ。 この地は元は只の草原であり、中央にトルクメンという小山がそびえているだけの無人地帯に過ぎなかった。 しかし、帝國がヒヴァを『首都』と定めてから、その戦略的価値は一気に上がることになる。 ヒヴァは鎌倉の様に天然の要塞に守られた地であるが、このヒヴァと外界とを繋ぐ唯一の街道がこの草原、しかもトルクメン山山麓を通過しているのだ。 ……つまり、トルクメン山に山城を築けば、この街道を支配下に置くことが出来るのである。 加えてトルクメン山からヒヴァまで馬で半日。 トルクメンに永久陣地が築かれ、貴重な歩兵中隊が割かれて常駐しているのも当然のことであった。 トルクメン山の永久陣地は、『山城』と言っても良い位に立派な造りだ。 これは帝國軍将兵が『暇だった』ということもあるが、ヒヴァの玄関、最重要拠点としての威厳が求められたということが大きい。 (難民に対する当座の仕事口という面も否定できないだろう) ここには、要塞本部と歩兵中隊1個、若干の軍属(現地雇用)が常駐している。 ちなみに、トルクメン『城』の装備は駐屯する部隊が保有する装備の他に、独自の武装として三年式重機と三一式野砲――大軍縮により余剰となった旧式兵器――が配備されていた。 まあ三一式野砲はともかくとして(仮にも『砲』だ)も、三年式重機に至っては現用の九九式小銃や九九式軽機よりも射程・威力に劣る。  ……まあ有るだけマシなのかもしれないが、もう少し何とかならなかったのだろうか? こんな所からも、帝國中央のこの地方に対する見方が分かるというものだ。 さてこのトルクメン城が出来、この地は急速に発展していた。 先ずは、駐屯する帝國軍将兵狙いの行商人がやって来る。ヒヴァに向かう旅人が、トルクメン城周辺で野宿する様にもなった。 人の往来が多くなると、彼ら目当ての宿や店――宿は掘っ立て小屋、店も露天に毛が生えた程度の物ではあるが――が出来始める。定住者が出始めたのだ。 こうなると、軍も黙認は出来ない。 彼等を人別帳に載せ、居住許可を与える。――町の誕生だ。 町として認めた以上、人を雇ってインフラを整えなければならない。共同の井戸を掘り、区画を整える。下水道の整備も必須である。 (この種の衛生管理は、帝國人の健康の面でも非常に重要なことなのだ) こうしてトルクメンは小なりとはいえ、『城下町』として知られる様になる。 ヒヴァがその広さの限界と居住許可の厳しさから、人口1万人を超えたあたりで足踏みしている対し、トルクメンの人口は現在も順調に増え続けていた。 「僅か二年足らずで3千人、か……」 トルクメン城『城代』、益田少佐は本丸(本陣)から『城下町』を眺める。 少し前まで無人だった地は、今では人で溢れていた。 『城下町』周辺に目を転じると、ポツポツと畑が見える。 治水が行なわれた結果開墾が進み、入植希望者も日に日に増えていた。 「……ここ(トルクメン)は今後ますます発展していくな」 そう…… トルクメン城の城下町として。 ヒヴァの玄関としての宿場町として。 ヒヴァの補完としての商業町として。 人が人を呼び、繁栄が繁栄を呼ぶ。 近い将来、トルクメンはホラズム地方有数の都市となることは間違い無いだろう。 「町とは、こうして出来るものなのか……」 益田少佐は妙な気分になった。 この『城』を築いた当初からの『城代』である彼にとって、この町の発展は実に感慨深いものだ。 誕生から現在までを見届け、時に手助けしてきた彼だ。この町に対する愛着は並大抵のものではない。 「一少佐に過ぎないこの俺が、この町の最高実力者とはな……」 それどころではない。彼はこの地方全土を見渡しても屈指の実力者なのだ。 彼より行為の軍人は、中佐たる派遣軍司令官しかいない。同格の少佐ですら、僅か5人――派遣軍主席参謀、歩兵大隊長、航空隊司令、碇泊監視部司令、そして自分――しかいないのである。 それにしても、軍人――それも軽輩の――の自分が『国造り』とは! 苦笑する。 ……全く、世の中とは分からない物だ。 「まあいい。壊してばかりいるよりは、余程マシさ」 それどころか、面白くもある。 「司令。町長が是非お目にかかりたいと申しておりますが」 「わかった。今行く」 副官の報告に頷くと、面会場所に向かう。 ……やれやれ、今度は一体何の陳情だ? 言葉とは裏腹に、その表情は実に愉快そうである。 その姿は、最早『要塞指揮官』ではなく『民生官』のそれだった。 そしてそれは彼一人に留まらず、各地の帝國直轄領に駐在している多くの軍人達にも言えることでもあった。