帝國召喚 短編「帝國海軍の次世代駆逐艦」 ――何という醜い艦だ―― それが大方の関係者の第一印象だった。 その直線を多用した艦容は、優美さから程遠い。 従来の帝國海軍駆逐艦に見慣れた目で見ると、どうしても違和感を拭いさることが出来なかったのだ。 松型駆逐艦第一番艦『松』。 秋月改型駆逐艦とともに新世代の帝國海軍を担う艦であり、従来の駆逐艦像からの決別を示す艦でもある。 昭和18年。 甲型駆逐艦の建造が峠を越した帝國海軍は、次期駆逐艦の検討に取り掛かった。 転移後、帝國海軍駆逐艦群は想定されていた任務とはかけ離れた任務を押し付けられ、その遂行に四苦八苦していた。 勿論、任務に応じた改装を施されてはいた。だが所詮は泥縄的な物でしかない。 転移後の運用要求の変化に対応した駆逐艦の建造が、早急に求められていた。 次期駆逐艦に第一に求められたのは、長大な航続力である。 広大な『守るべき海域』を抱える帝國にとって、航続距離の長さは必須であった。 従来の駆逐艦では、その航続距離の短さから、運用に大きな制約を伴っていたのだ。 その次に来るのが対空攻撃力だろう。 従来の駆逐艦では、25ミリ機銃の増設による個艦単位の対空防御力の強化しか見込めず、他艦への航空攻撃に対し殆ど無力だった。 次期駆逐艦では、艦隊防空の一翼を担う事が期待されている。 また、対空攻撃力と同程度に重視されているのが哨戒・通信能力の強化である。 『1隻で広範囲の海域の哨戒を遂行し、その場から遠距離の味方との交信が可能な艦』 そう海軍は表現していた。やはり従来の駆逐艦の通信能力に、不満があったのであろう。 ……要するに、『英国巡洋艦の廉価版が欲しい』と言う訳ですな。 この要求を聞いた某設計官の弁である。 従来の雷撃一本槍。いわば水雷専門艦から汎用艦への転換を求められていたのだ。 だがこれ等の要求は、従来の帝國海軍駆逐艦の否定でもある。 『これは駆逐艦ではない、ただの護衛艦だ!』 『艦隊の対水上攻撃能力が低下する!』 当然、この様な批判・抵抗が噴出した。 しかし従来型駆逐艦群の不調、苦戦は疑いようの無い事実である。 強い反対を押し切り、海軍が従来型から決別したのも、止むを得ない処置だっただろう。 こうして完成したのが、秋月改型である。 秋月改型は秋月型の船体を流用(一部簡易化)し、量産性確保のため生産性に問題のある九八式長10センチ連装高角砲4基を八九式12.7センチ連装高角砲4基に変更、近接防御力を強化するため九六式25ミリ機銃を三連装4基、単装4〜12基に増強した艦だ。 ただし、重くなった兵装重量を少しでも減らすために、予備魚雷と次発装填装置を廃止して重量を稼いでおり、雷撃能力は最小限度しか保有していない。 この様に秋月改型は、従来の駆逐艦から見て最高速力(33ノット)と水雷兵装(四連装発射管1基のみで予備無し)こそ劣ってはいるものの、強力な対空・対水上砲撃力(八九式12.7センチ連装高角砲4基)と巡洋艦並の航続距離(18ノットで8000海里)を誇る有力艦に間違いがなかった。 更に駆逐艦としては初めて対水上・対空電探を装備しており、通信能力も旧5500トン級軽巡を上回っている。 秋月改型は万能な有力艦(『護衛艦』として)であり、その性能は海軍を大いに満足させた。 ……これだけ欲張った艦だけに、その排水量は基準ですら2800トン近くに達してしまったが。 が、ただひとつ欠点があった。 値段が高すぎるのだ。 これではとても駆逐艦全てを、秋月改型と代替する事は不可能だった。 そこで登場したのが、松型駆逐艦である。 松型駆逐艦は秋月改型の補助として、『早く』『安く』建造できることを第一として設計された艦である。そのため、起工から竣工まで1年とかからない安価な量産艦であった。 無論、それに見合う能力しか持たず、対空・対水上攻撃力は秋月改型の半分以下、電探も搭載されていない(通信能力については言うまでも無いだろう)。 ……それでも従来の駆逐艦群より遥かに有能ではあったが。 一見いいことばかりのようにも見えるが、松型には重大な欠点が存在する。 航続距離が短過ぎるのだ。 その『18ノットで3500海里』という航続距離は、はこれからの航洋型駆逐艦としては致命的ですらある。 だがその安さと(そこそこの)性能は魅力であり、何よりも全ての駆逐艦を秋月改型で賄えないという現実も存在した。 航続性能は駆逐艦に対する性能の第一要求ではあったが、数は性能要求そのものよりも遥か上位に存在(無論、一定水準の性能が不可欠ではあるが)しているのだ。 結局、松型は秋月改型を上回る数の生産が決定された。 松型は、主に各地の方面艦隊に配属され、帝國の権益確保のため活躍することになる。 なお秋月改型は本国艦隊、松型は方面艦隊に配備され、シーレーン防衛を任務とする海上護衛総隊には配属されなかった。 『松型の航続距離に不安が有り過ぎた』ということもあるが、やはり広大な海域全てをカバーするには、松型ですら数が少なすぎた(高価過ぎた)のである。 代わりとして、松型よりも遥かに安価な船団護衛任務専門の海防艦が量産されることとなった。 これらの艦の出現が物語るのは、『帝國海軍が迎撃型の海軍から脱却しつつある』という事実だった。 『最早、迎撃する相手がいない』という現実と、『広がりつつある海外権益』を前に、帝國海軍は試行錯誤しつつも、ようやく現状に即した状態に変化しようとしていたのだ。 ……未だ、迎撃型海軍の影を捨てきれないでいたが。 余談ではあるが、これらの艦の総建造費は(主に隻数の増大から)増加の一途を辿り、やがて海軍予算を圧迫していく様になる。 そして大型艦(巡洋艦以上)の建造計画を狂わせていくことになるが、それはまだ少し先の話である。