帝國召喚 短編IF「遠き日の夢」  ――こんな夢を見た。  とある大学の講義室、ここで私は講義を行っていた。 「さて、帝國史もいよいよ最終章を迎えようとしている。  ……が、諸君等に改めて言おう。諸君等が今まで学んできたことは、帝國史のほんのさわりに過ぎない。  帝國史というものは、それだけ奥が深いものなのだ。  その登場から世界統一までの道のりにおいて、帝國は常に世界史の中心であり続けたし、世界統一後は、正に帝國史こそが世界史であった。  帝國滅亡後の世界史も、帝國史や帝國の諸制度を知っていなければ、理解できない。  いや、現在の我々とて、未だ帝國の影響下にあるのだ。  言語、度量衡はその最たるものだが、他にも例は幾らでもある」  そこで私は、学生の一人を指名し、尋ねる。 「他には、どんなものがあるかな?」 「はい、年号です」 「その通り! 現在はパルマ暦121年だが、これは我がパルマ王国でしか通用しない年号だ。隣のロマーニャ王国なら、現在はロマーニャ暦133年だな。  この様に、世界中の国々が、皆異なる年号を、好き勝手に使っている。  ……故に、どこの国でもこう教えるのだ。『○○暦元年は皇紀○○年だから、○○暦○○年は皇紀○○年だ』と!  帝國の年号たる『皇紀』を、我等は未だ後生大事に、世界標準年号として使っているのだよ!  公式な外交文章に至っては、世界中どこでも『皇紀』しか使われない!」  私は熱弁を続ける。 「それに留まらない! 恐れ多くも我がパルマ王家は『南部帝國譜代伯爵』、ロマーニャ王家は『ムラン=リヨン帝國外様侯爵』の称号と家門を継承していている!  千年も昔に消えた帝國の称号と家門を、未だに誇っているのだ! 『我こそは、帝國以来の名門』と!  時には、称号と家門を巡り戦争すら起きる。  帝國でも名門中の名門、『徳川帝國譜代公爵』の継承を巡り、ガルム北部の諸国が大戦争を起こしたのは、諸君等の記憶に新しいことだろう」  些か熱くなり過ぎた私は、教壇の上の水差しからコップに水を注ぎ、喉を湿らした。  うん、美味い。 「……それだけ、帝國の影響力とは大きなものなのだ。  何しろ、『未だ帝國の世は続いている』と主張する連中もいる位だからな」  確かに杓子定規に考えれば、そう言えられないことも無い。  ……かなりの強弁ではあるが。  私はこの大学の助教授だ。世界史――それも帝國史を専攻している。  帝國史といえば史学、考古学の花形。故に研究者のプライドも高い。  『歴史とは帝國史のことである!』  そう臆面も無く述べる史家すら存在する程である。  私はそれ程極端ではなかったが、それでも『帝國史こそが第一史学』であると誇っていた。 「言うまでもなく、帝國は史上初の世界統一国家である。  そしてこの偉業を達成した国は、現在に至るまで他には存在しない。  帝國は千年という長きに渡って世界を支配し、繁栄した。  伝承によれば、今よりも遥かに進んだ文明だったようだ」  この点に関しては、考古学的にも証明されている。  現在の世界の文明レベルは、帝國出現時にも達するかどうか怪しいそうだ。  ならば、末期にはどれ程の文明だったのか! ……現在では知る由も無いが。 「が、この世に永遠などというものは存在しない。  死なない人間が存在しない様に、滅びぬ国家もまた存在しないのだ」  帝國も例外ではない。  帝國は、今から二千年以上も昔に滅び去った。  多くの『遺産』を残して。  帝國が衰退した原因。それは外敵の侵入でも、国内の腐敗でも無かった。  『皇統の断絶』だ。  帝國開闢以来、四千年近くに渡り維持してきた万世一系。それが途絶えたのだ。  ……この様な理由で滅びた国家は、他に例がない。  『流石は帝國』と評すべきであろうか? 「この原因は幾つも挙げられるが、やはり一番の原因は『側室制度の廃止』だろう。  第171代帝が決めたことだが、この後僅か数代で、幾つもの宮家が自然消滅している」  以後、皇位継承者の数は坂道を転げ落ちるかの様に減少していく。  その頃になると、流石に帝國自身も拙いと感じたのか、盛んに皇家の改革が唱えられる様になる。  まあ所詮は掛け声だけで終わりであったが。 「……そして第180代帝、帝國最後の皇が即位する。皇紀3689年のことだ」  第180代帝は最後に残った皇位継承者であり、女性だった。  結局今までの努力は徒労に終わったのである。  しかしまだチャンスは残されていた。が…… 「帝國は皇統維持のために様々な議論をおこなった。無論、今までもだ。  が、結局何一つ実行に移せなかった。  帝國にとって、皇とは不可侵の存在だったからだ」  様々な意見の狭間で、身動きがとれなくなっていたのである。  問題が問題なので、突出した意見を言えば失脚どころの騒ぎでは無かったのであろう。 「とうとう何の結論も出ないまま、皇紀3720年に最後の皇が崩御する。帝國、事実上の終焉だ」  私はそこで再び喉を湿らした。 「ここまでは前回のおさらいだ。質問は?」  何人かの学生が手を揚げた。 「では、君」 「帝國は、何故無為に時間を費やしたのでしょう?  皇位継承者が早晩いなくなるであろうということは、それこそ滅びる百年以上も前から、わかっていたことなのに」  その学生は、出現時をはじめ、幾多の危機が起きる度にそれをバネとして強大化していった帝國が、何故こんなにも簡単な問題に対処出来なかったのかが分からない、と言う。 「ふむ、君の疑問は最もだ。  ……が、この問題こそ帝國にとって、『開闢以来最も解決困難な問題』だったのだよ」  帝國は、皇を異常なほど神聖不可侵化することにより、その団結を保ってきた。  そして如何なる困難も、皇を掲げてに解決してきたのだ。 「その皇を使えないのだよ?」  加えて神聖不可侵化し過ぎたせいもあり、下手に制度を変えられなくなっていた。 「でも、『背に腹は変えられない』でしょう?」 「……それも帝國時代の言葉だな」  私はニヤリと笑う。 「が、無理だな。逆に言えば、『変えられないからこそ、これまで帝國は続いた』とも言える」  ここら辺は実に微妙な問題で、現在でも様々な説がある。 「まあ兎に角、帝國から皇が消え、帝國は無主の状態となった。 ……終わりの始まりだ」  そしてここからが今日の本題。 「当時の帝國は、軍事的にも経済的にも安定していたが、政治的には大きな問題を抱えていた。  中期以降から徐々に顕在化してきた、『帝國本国の没落』と『属州・邦國問題』だ」  そこで、この間提出されたレポートの束を思い出す。 「諸君等の中にも、未だに帝國直轄領と帝國属州との区別が付かない者がいるようだから再度教えるが、両者は学術的には全く別の存在だ。  両方とも、帝國本国の直接統治下にある地域であることには変わりはないが、帝國直轄領とは『帝國がその登場初期において多用した制度』、帝國属州とは『その後に出来た制度』だ。  直轄領は、属州制度が出来た後、順次属州に変わり消え去った。いわば、帝國の大陸統治制度が未だ未熟だった時期における、過渡期的な制度に過ぎない」  不安になった私は、一応念のためこの問題――『帝國本国の没落』と『属州・邦國問題』――に対する歴史的経緯を再度、駆け足で解説する。  帝國本国は、大内海に浮かぶ小さな島々の連合体に過ぎない。  その総面積は、40万kuにも満たないのだ。  準本土とも言える、直ぐ隣の神州大陸島を含めれば140万kuに達するが、世界を統一した国家――その本国としては小さ過ぎる。  帝國の優越性は、その圧倒的なまでの科学力と生産力であったが、時代が進むに連れて大陸への技術移転が進み、その優越性は縮小していった。  無論、これは同じ帝國内部での話ではあるが、内地(本国)と外地(大陸)の差が縮まったことには変わりが無い。  前期も中盤に入ると、科学力では依然として優越していたものの、少なくとも生産力に関しては、完全に逆転した。  この傾向は更に進んでいく。前期も終わりに近づくと技術力の差は殆ど無くなり、分野によっては追い越される例すら出てきたのだ。 「この頃になると邦國でも混血化が進み、王族・主要貴族は言うに及ばず、下級貴族や富裕な民の間にも本国人の血が入り始めた。  ……無論、一般庶民にも大勢いたろうが、影響力という点からあえて無視する。  この場合重要なのは、邦國指導層も帝國本国人の血統――それも貴族層のそれを受け継いでいた点だ。  彼等は、最早外様でもなければ外人でもない。れっきとした帝國人だったのだ。  伸びる国力、受け継ぐ血統。これ等に自信を得た彼等は、やがて本国に対し、主張を始める様になる」  だがこの時点では、未だ帝國本国は、経済力・科学力共に世界一の地域(国)だった。それも圧倒的な。  属州を加えれば、その力は更に増す。  如何なる邦國も、本国には到底敵わなかったのだ。 ……少なくとも、一国や二国では。  ここで登場したのが、帝國連合会議である。  帝國連合会議とは、本国及び邦國の代表者からなり、相互理解を深める目的で設立された常設会議だ。  実質的な力こそ持たなかった――この時点では――ものの、邦國唯一の発言の場として、時には帝國本国の横暴に対して団結する場として、積極的に活用された。  その存在は、帝國にとって決して無視しえぬものであったとされている。 (それ以前に、この様な会議を設立すること自体が、帝國本国が彼等の声を無視できなくなってきた証拠でもある)  今まで一方的だった帝國本国の立場が崩れ始め、邦國が声を上げ始めた瞬間だ。  そしてこの『帝國連合会議』の登場をもって、帝國時代中期が始まる。  帝國連合会議の影響力は、彼等の力の増大と共に巨大化していく。  当初こそ、なんの権限も持たない『社交倶楽部』に過ぎなかったが、時代と共に権限が付加されていき、やがてその力は帝國議会と並ぶ様になる。  そして遂には『帝國連合会議』から『帝國連合議会』と名を変え、名実共に帝國政府に対する上位機関と化す。  これは、全属州の邦國への昇格――神州大陸島は本国に正式編入――と合わせて行われた。  この瞬間、帝國政府と帝國議会は、帝國本国にのみ影響を及ぼす存在に身を落とした。代わって帝國連合議会こそが、帝國全域を支配する存在となったのだ。  帝國本国は、未だ帝國連合議会に対する大きな影響力――総会における拒否権と全ての委員会における常任理事国の座――を持っていたが、最早自分だけでは何も決められなくなったのである。  これをもって、帝國時代は後期に入る。『連合帝國時代』の始まりだ。 (ちなみに帝國時代初期は『世界統一前』、前期は『帝國本国の独裁時代』、中期は『邦國と属州の勃興時代』、後期は『連合帝國時代』、末期は『皇統断絶後』) 「実の所、この『帝國連合議会』という組織は、非常に問題のある組織だった。  『各地域――本国、邦國――に対する議席配分は、その国力に応じて決める』とされていたが、  国力の計算法を巡っての大国同士の対立、  議席配分の一層の優遇を求める小国とそれを拒否する大国との対立、  補助金の支払いや分配を巡る争いなどは日常茶飯事だったし、  各委員会における委員の座を巡っての国を挙げての買収も、珍しくは無かった様だ。  ……これ等の問題が致命的とならなかったのは、単に『外敵がいないから』に過ぎない」  私は溜息を吐く。  帝國時代も後期に入ると、本国の統制から開放されたため、世界中で紛争が頻発した。  その原因の半数以上は、経済的な対立だったと推測される。  各地域の権限が強まったため、地域間の交易に支障を来たす様にもなったからだ。  また同じ貧国でも、政治力により補助金の交付に差が出始め、不公平感が増大していったことも挙げない訳にはいかないだろう。  結果として、多くの弱小国が没落していった。  この時代、外地の多くの民が、本国の影響力低下を嘆く日記を残している。  『昔なら、良くも悪くも本国の一言で解決したのに! 戦争にはならなかったのに!』と。  ……まあ自分達でやっておいて何だが、こんな筈ではなかった、といった所だろうか。  逆に、本国の庶民は歓迎していた様だ。  度重なる外地との軋轢により、内地ではすっかり『内向き』となっていたのだ。  加えて、外地への援助や派兵がなくなり、負担から開放された。  資源地帯である属州を失ったものの、依然として本国は豊かであったので、内地の住人は、誰もいない大内海のド真ん中で、『我関せず』とばかりに太平楽を決め込んでいた。  この頃の本国人の心情を示す、最も有名な言葉がある。  当時の帝國外相が、停戦交渉の場で尚も争う両国に対して発した言葉、『勝手にしやがれ!』だ。  ……当時の本国は、国内に不法滞在する外地人――難民も含む――を大規模追放する等、完全に内向きとなっていたのだ。 「いつ分解してもおかしく無かったことが分かるだろう?  が、それでも帝國は続いた。  何故か? 皇がいたからだ。  面と向かって現体制に弓を向ければ、それは皇への大逆になる。忽ち諸国に袋叩きだ。  同様に、幾ら本国に不満があろうが、直接喧嘩は売れない。本国には皇の宮城があるからな。  本国は皇を『菊のカーテン』で覆い隠し、その存在を独占した」  この頃の帝國は、全体から見れば経済的にも政治的にも安定していたが、それは停滞しての安定であり、局所的には紛争が絶えなかった。  帝國は、分裂状態に陥っていたのである。それを繋ぎとめていたのが、皇という存在だったのだ。  この様な不安定な状況が、三百年も続く。  後世から見れば『不安定な時代』だが、当時の人間から見れば『安定した時代』と見做される――そんな時代だ。 「そして皇紀3720年に皇統は断絶、帝國時代は末期に突入する。  皇統断絶をもって、帝國の滅亡を主張する者も少なくないが、現在の主流は『帝國連合議会』の崩壊後だ。  皇がいない以上、分裂は避けられないが、そんなものを望んでいるのは少数派だ。  故に、『帝國連合議会』の崩壊まで100年近い間がある。  この時、連合議会は初めてその真価を試されたのだ」  が、それも長くは続かなかった。  帝國連合議会には、指導者がいなかったからだ。  かつての指導者である帝國本国は、依然として富強な国家であったが、最強とまでは言えなかった。  本国を完全に上回る国こそ存在しなかったが、同程度の国なら両手で数える程存在していたのである。  (加えて、他国をまとめ上げる意思も人望も欠いていた)  強者は複数おれど、それをまとめるべき最強の強者はいない。  ……船長が多い以上、船が山に上るのは必然だろう。  歯止めが無くなったことにより、紛争や対立は益々エスカレートしていく。 「多くの紛争が頻発したが、決定的だったのは、本国が衰退したことだろうな」  本国の経済繁栄は、交易によって成り立っていた。  が、頻発する紛争により、交易が滞り始めたのだ。 「帝國連合議会の成立をもって、帝國軍という統一された存在は消滅していた。  当時存在していたのは、本国軍と多数の邦國軍という、装備や教育方法すら異なる細分化された軍事組織のみだった。  本国軍は強力ではあるが、多分に防衛的な存在であり、かつての様に『一国で大国を制する様な軍事』力など持ち合わせてはいなかった。  故に、大内海を越えて展開できる戦力では、シーレーンを、大陸の権益を、守りきれなかったのだ」    本国軍は、本国防衛を基本任務としており、外地に常時展開できる戦力など、極限られていた。  中小国を叩き潰す等の一時的な任務ならば兎も角、大内海全域の海上護衛――ましてや世界全土の本国権益を守るなど、到底不可能だった。  結果、本国は多くの権益を失った。  世界は自由貿易体制から、ブロック経済へと移行していく。  ……こうして本国は、衰退への道を辿ってゆくことになる。 「帝國連合議会の崩壊時期については色々考えられるが、大方は『本国の脱退』で一致している。  これにより、帝國連合議会は有名無実と化したのだから、まあ当然だな」  有志国による『議会の大改革案』、それに反発してのことだ。  栄光ある帝國本国にとり、数々の特権――総会における拒否権と全ての委員会における常任理事国の座――の剥奪など、到底耐えられなかったのだろう。  帝國本国代表は有志国を『忘恩の徒』と罵り、未だ本国に従う国々の代表と共に議会を去った。  時に皇紀3809年。帝國の終焉である。 「やがて紛争は、中小国同士のそれから、大国同士の戦争へとエスカレートしていく。  世界は、戦乱の時代へと突入したのだ。  この後、500年間を『暗黒時代』と呼ぶ。  経済・科学・文化……あらゆるものが衰退し、世界人口は大きく減少した。  世界は帝國登場以前、いやそれ以下の水準にまで没落したのだ」  かつて人類は、夜空の月はおろか、太陽系の果てまで進出したという。  ……夢の様な話だ。  その夢を現実にしようと、現在多くの人間・国家がロケット技術――漸く生まれ始めた――の開発に血道を上げている。  尤も、それは夢は夢でも『汚い夢』だが。  ――月には、帝國時代の遺跡がある筈だ。それも完璧な状態の。  帝國の遺産に目が眩んだ国々は、遺産を独占しようと血眼になっているのだ。  現在の我々は、帝國時代の遺産で生き延びているに過ぎない。  鉱物資源ですら、帝國時代の遺跡から金属片を発掘し、精錬している有様だ。  極稀に、帝國時代の本が出土した時など、それを巡って戦争が起きる例すら珍しく無い。  (帝國は、何か特別の記録法があったらしく、一部の民間人による日誌等を除き、驚くほどその手の出土が無い)  ……果たして、帝國が存在しなければ、一体どうなっていただろう?  偶に、そう考える。  良くも悪くも、我々に大きな影響を与えた帝國。  歴史上忽然と姿を現し、瞬く間に世界を支配した国家。  彼等が帝國人が、何処から来たのかは、未だ謎である。  『大内海の孤島で、独自の進化を遂げた人類』との説が有力だが、確証は無い。  帝國史とは、後の暗黒時代以降に伝承されたものを、寄せ集めて推測した学問に過ぎないのだ。  (本来考古学や史学とは『そういうもの』だが、それにしても帝國については不明な点が多い。   『帝國人は異界から来た』など、眉唾物の伝承が大半なのだ) 「以上で、帝國史は終了だ。  最終試験は、帝國史全般から出題されることになるが、健闘を祈る」  学生達からの悲鳴が聞こえるが、あえて無視する。  『帝國の実態は、未だ謎』  ……それでも尚、帝國は多くの人々を魅了し、惹きつける。  かく言う私も、その一人だ。  現代の我々にとり、帝國時代とは『過ぎ去りし栄光の日々の憧れ』なのかもしれない。