帝國召喚 間章3「それぞれの事情 帝國」 【1-0】 ――――ローレシア王国、某山中。  オイゲンは、走りながらも百式改二型機関短銃――百式機関短銃の簡略型である百式改に消音器を組み込んだ特殊戦用の短機関銃――を後方に向ける。  そして狙いも付けずに引き金を引く。  あくまで牽制目的であり、当たることなど端から期待してはいない。  ドムドムドム……  従来の百式に比べ、遥かに小さく低い発砲音。何よりも発砲炎が無いのが良い。  その御蔭で、こうして潜入時にも思いっきり使うことが出来るのだ。 (消音器がなかった頃など、位置暴露を恐れて射撃は殆ど行うことが出来なかった)  実際、オイゲンがここまで逃げられたのは、この銃を始めとする帝國製兵器の御蔭だった。  これ等の強力な武器があったからこそ、魔力の消耗を抑え、その全てを身体強化に回して走り続けることが出来たのだ。  が、それも限界だ。  最早、武器弾薬も魔力も底を尽きかけている。  逃げ切るのは不可能だった。 「……年貢の納め時、かな?」    既に一緒に潜入した仲間達も、その大半は戦死した。  現在何人残っているのか見当も付かない。  が、追っ手の数が増え続けていることから勘案しても、そう期待は出来ないだろう。  まあ、始めから分かりきっていたことではある。  何せ今回の強行潜入は、およそ生還の期待出来ない無理無謀な作戦だったのだから。 【1-1】  ことの起こりはこうだ。  ローレシア王国に潜入中の工作員が、立て続けに消息を絶つ事件が相次いだ。  しかも皆、同じ地域の捜索を受け持っていた者達ばかりである。  事態を重く見た情報省は、何がその地域で起きているのかを本腰を入れて調査し始めた。  ……が、更に少なからぬ犠牲を払いながらも、その地域で何が行われているのか一向に判明しなかった。  異常、と言って良いだろう。  ここにきて情報省は、遂に強行偵察を閣僚会議で具申する。  潜水艦から数十人規模の熟練工作員を潜入させ、現地偵察を行うという無謀極まりない計画だ。  当然、反対が続出した。 『これは作戦では無い! 単なる自殺行為だ!』 『既に多くの工作員を失っている! この上更に、数十名もの熟練工作員を死地に追いやるというのか!?』  陸軍も海軍もこぞって反対した。政府もだ。  ダークエルフはそうそう消耗して良い存在では無い。  ましてこの件に関しては、既に多くの工作員を失っている。  この上、更に数十名規模の腕利きを死地に赴かせるなど、とてもではないが算盤が合わないだろう。  加えて、帝國として生還の見込めぬ計画を承認する訳にはいかない。  決死は良いが、必死は許されない。『九死に一生』なら兎も角、『九死零生』の作戦などとても許容出来なかったのだ。  にも関わらず、情報省――正確にはダークエルフ側――は計画をゴリ押しした。  彼等は、『承認されなければスコットランド王国単独で行う』とすら通告してくる程の強行振りだった。  ……レムリア崩壊、足柄事件と立て続けに起きた失態を何としても取り返そうと、ダークエルフも必死だったのだ。  何としても帝國に、ダークエルフの力を見せなければならない。  そのためには、数十名の犠牲は『仕方の無いこと』だった。  こうしてこの計画は実行に移された。  帝國は死地へと赴くせめてもの餞として、彼等に百式改二型機関短銃を始めとする最新式の装備を交付した。 【1-2】  が、オイゲンを始めとする潜入工作員達に、この様な上の事情など知る由も無い。  ただ一言、『一族の為に死ね』と言われただけだ。  しかし彼等にはそれだけで充分だった。  『一族の為に死ね』と直接命令されるのは一族存亡の時のみであり、それを受けることは大変名誉なこととされていたからだ。  しかも、今回は非公式ながらも帝國宰相を始めとする帝國要人の敬礼に見送られての出撃だ。  今まで死んでいった諸先輩方に比べれば、遥かに恵まれている。  ……とはいえ、完全に諦めた訳では無い。  最後の最後まで足掻くつもりだ。  諦めたらそれで終わりだから。 「くそっ! 何でコイツらがここにいるんだ!?」  悪態を吐きつつ、最後の弾倉を空にする。  敵は名高きダルカ族。  獣人の血が混じっている上に、一族全員が忍という厄介極まりない相手だ。  が、ダルカ族は遥か極東の地、清華のお抱えである筈。それが、何故…… 「くっ!」  考える暇も無く、敵は攻撃をしかけてくる。  無論、一対一ならば自分の敵では無い。  が、複数による見事な連携攻撃の前に防戦一方。このままではジリ貧だ。  ダルカ族戦闘術の真髄は集団戦闘にある。  どちらかといえば個人技能に重きを置くダークエルフとは、ある意味対極の存在だ。  とはいえ、どちらにも共通していることがある。  それは、『何としても任務を達成しなければならない』こと。  王のため、一族のための違いはあれど、お互い『死ぬことは許されても失敗は許されない』のだ。  ……あと少し、あと少しで海岸なのに。  この山を越えれば海岸に出る。  そこには潜水艦が待機している筈だ。  しかし……  運良く海岸に辿り着いたとしても、多くの忍も付いて来るだろう。  自分一人が助かるために、多くの仲間を犠牲にする訳にはいかない。  そう。こいつ等まで連れて行く訳にはいかないのだ。  ならば。  既に写真を送ってある。最小限とはいえ、任務は果たした。  己の為すべきことは一つだけ。  オイゲンは忍び共が近づいた瞬間、隠し持っていた大型手榴弾のピンを抜いた。 【1-3】 ――――ローレシア王国、某海岸沖。伊19  海岸数qの沖合いに、伊19は浮上待機していた。  強行偵察隊の収用を行うために。  その格納庫には偵察機の代わりに折り畳み式の小型機動舟艇が格納されており、陸上から合図があれば何時でも発進出来る様、既にエンジンがかけられている。  艦内でも、臨時配属された三人の外科軍医達が衛生兵と共に治療準備を、炊事兵達も特別食の炊き出しに当たっていた。 「艦長、予定時刻をもう30分も過ぎています」 「ああ、分かっている」  予定時刻を過ぎても、何の合図も無い。  が、聴音機からは偶に手榴弾の音が微かに聞こえる。  もう直ぐそこまで来ていることは確かなのだ。  とはいえもう限界だ。  艦長権限でここまで伸ばしてきたが、これ以上は待てない。  これ以上は、部下達を危険に晒すことになる。 「……もう帰還しましょう。これ以上は」  舟艇指揮のために同乗しているダークエルフの陸戦隊中尉も進言する。 「うむ…… あと少し、少しだけ待とう。  場合によっては、本艦の14センチ砲で撹乱射撃も可能だ」  もしかしたら敵の注意を逸らし、強行偵察隊の助けになるかもしれない。 「御言葉は大変有り難いのですが……  それではこの艦を、ひいては帝國を危険に晒すことになりかねません」  14センチ砲などという大口径砲で射撃を行えば、流石に帝國も知らぬ存ぜぬでは済まされない。  話が大きくなり、唯の潜入工作事件では話が済まなくなるからだ。 「艦長! 対空電探に感あり!」 「! 夜間だぞ!?」  念のために回していた対空電探からの報告に、潜水艦長は驚きを隠せない。  何故なら、ワイバーンの夜間飛行は不可能の筈なのだから。 「間違いありません! こっちに近づいてきます!」 「拙い! ナイトメア・ワイバーンです! 奴等は海上の本艦を探知攻撃出来ます!」  ダークエルフの中尉は、電探員からの報告を聞き、慌てて艦長に進言する。  ナイトメア・ワイバーンは、ワイバーン・ロードの一種である。  性能的には普通のワイバーンと全く変わりがないが、唯一つ大きな特徴として、夜間戦闘が可能なことが挙げられる。  これは他のワイバーンやワイバーン・ロードが、夜間飛行すら不可能なことから考えても大きな長所と言えるだえろう。  その反面、調整が難しい上、竜騎士に非常に高度な能力と熟練を要求する扱いにくい竜でもある。加えて昼間戦闘能力も無い。  そのため、多くの国では特殊戦用に少数配備されている程度だ。  が、この場では強力な戦闘能力を発揮する。  強力な夜間捜索能力を持つナイトメア・ワイバーンからは、海上の伊19は丸見えである。  こちらからは視認出来ないのに、だ。  高機動の上、目に見えない相手にたかが25ミリ連装機銃1基では話にならない。 「くっ! 急速潜行!」  大急ぎで伊19は潜行を開始する。  流石新鋭艦だけあり、その速度は早い。  何とかナイトメア・ワイバーン部隊が到着する前に潜行することが出来た。  伊19の位置を見失ったナイトメア・ワイバーン部隊は、伊19が浮上していた付近に正確に『爆雷』を投下する。 「爆雷、投下!」 「!?」  馬鹿な。洋上の船が突如消えたのだぞ? 何故、迷わず即座に攻撃できる!?  その疑問の答えが出る前に、周囲で爆雷が炸裂する。  早い。その沈降速度は我が軍の九五式爆雷よりも、遥かに早い。  魔法爆薬を使用しているのか、その威力も我が軍のそれと全く遜色が無いか、或いはそれ以上に思える。 「奴等、潜水艦の存在を知っているのか?」  そういえば、噂に聞いたことがある。  足柄事件の報復として、第六艦隊の潜水艦群は列強各国の大型軍艦を一隻ずつ沈めた。  多くの国は原因不明の沈没に混乱したままだったが、幾つかの国は即座にワイバーン部隊による海上爆撃を行ったという。  その時は偶然で片付けたそうだが…… 「連中は、対海竜用の海中爆弾を保有しています。  まあ滅多に使わないので、極少数保有している程度でしょうが」 「……そんな珍しい兵器を、即座に装備させて急行だと?」  まさか、連中は潜水艦の存在を知っているのか?  湧き上がる疑念。  だが、もしそうならば。  確かに潜水艦という存在は、爆雷を多少保有している位でどうこう出来るシロモノでは無い。  が、敵が潜水艦の存在を知り、かつ反撃手段を保有していると知っているだけでも、相応以上の抑止力となる。  そしてそのことを知らなければ、思わぬ不覚をとりかねないのだ。 「やむをえんな。再浮上は危険だ。  任務を切り上げ、これより本国に帰還する」  そしてこの疑念を、何としても上に報告しなければならない。  第六艦隊数千の潜水艦乗りのためにも。  こうして伊19は、任務を達成出来ぬまま本国に帰還した。  彼等の報告は、強行偵察隊がその命を代価に撮影した写真と共に、帝國に認め難い事実を突きつけることとなる。 【1-4】  伊19潜水艦長は、本国帰還後直ちに第六艦隊司令部に事の次第を報告した。  伊19は今回の作戦にあたり、一時的に所属戦隊を離れて第六艦隊直属になっていた。  故に、本来所属している戦隊の司令部を飛び越え、直接艦隊司令部に報告出来たのである。  特に彼が強調したのは、以下の二点である。  ・列強諸国は潜水艦の存在を知っている可能性が高い。  ・列強諸国はある程度の対潜能力を保有している。  無論、『潜水艦の存在を知って』いたり、『ある程度の対潜能力を保有している』位で、潜水艦が沈められたら苦労は無い。  広大な海域に潜む潜水艦を発見するのは非常に困難なことであるし、仮に水中の潜水艦を発見できたとしても、撃沈出来るとは限らない――それこそ様々なパターンで多数の爆雷を連続投射してもだ――のが対潜水艦戦なのだ。  しかし、である。  もし、『相手が潜水艦の存在を知っている』にもかかわらず、こちらが『相手は潜水艦の存在を知らない』と勝手に決め付けていたら?  もし、『相手がある程度の対潜能力を保有している』にもかかわらず、こちらが『相手は対潜能力を全く保有していない』と勝手に決め付けていたら?  思わぬ不覚を取りかねない。    例えば潜水艦長が、通常ではとても考えない様な大胆な行動を採り、艦を危険に晒しかねない。  例えば司令部が、通常ではとても考えない様な大胆な行動を要求し、艦を危険に晒しかねない。  ――何れにせよ、そのツケを払う者は自分達『どん亀乗り』だ。  そう考えての報告であった。    ……が、報告を受けた第六艦隊司令部の反応は芳しいものでは無かった。 【1-5】  現在の第六艦隊は連合艦隊同様、転移前のそれとは全く性格を異なものとしている。  転移前における第六艦隊は、有力艦揃いとはいえ、帝國海軍が保有する潜水艦の半数弱を保有する『潜水艦部隊の一つ』に過ぎなかった。  だが現在の第六艦隊は、『帝國海軍が保有する潜水母艦/特設潜水母艦、及び潜水艦を統一的に運用する艦隊』であり、いわば『潜水艦乗りの総本山』的な存在となっていた。  その戦力も、転移前の3個潜水戦隊(潜水艦30隻)とは比較にならない程巨大化している。  具体的には――  第六艦隊  艦隊司令部   陸上(呉)  艦隊直轄    潜水母艦「迅鯨」「長鯨」、機潜型4隻。  第一潜水戦隊  特設潜水母艦1隻、甲型1隻、乙型8隻  第二潜水戦隊  特設潜水母艦1隻、甲型1隻、乙型8隻  第三潜水戦隊  特設潜水母艦1隻、甲型1隻、乙型4隻、丙型5隻  第四潜水戦隊  特設潜水母艦1隻、巡潜型8隻  第五潜水戦隊  特設潜水母艦1隻、海大型7隻(伊176〜182)  第六潜水戦隊  特設潜水母艦1隻、海大型8隻(伊168〜173、174〜175)  第七潜水戦隊  特設潜水母艦1隻、海大型13隻(伊153、154、155、158、156、157、159、160、162、164、165〜167)  第十一潜水戦隊 特設潜水母艦1隻、海中型9隻(呂60〜68) *訓練/対潜訓練任務  ――と、実に8個潜水戦隊を数える。  第六艦隊に所属していない潜水艦は、潜水学校に回された呂100〜103の4隻のみである。  事実上、帝國海軍の全潜水艦戦力を保有・運用すると言っても間違いでは無いだろう。  ……とはいえ、その内情は火の車だ。  まともに定員を満たしているのは第一〜三潜水戦隊の3個のみで、第四〜六潜水戦隊の3個は定員の七割以下。老朽艦の寄せ集めである第七潜水戦隊に至っては、艦隊直属の4隻の機潜型と共に事実上の予備艦扱いである。  海軍の人的資源の欠乏の影響は、ここでも影響を与えていたのだ。 (訓練/対潜訓練専用とはいえ、最も旧式の第十一潜水戦隊が未だに使われ続けている理由は、やはり人員問題と運用コストのせいだろう)  現在の潜水艦は、その隠密性を活かした特殊作戦任務や、長大な航続力を活かした哨戒任務に就いている。 (戦時においてもこの役割に変化は無く、これに通商破壊任務が加わる位だ)  尚、現在の各潜水艦の任務は――  第一潜水戦隊は北方大海峡(大内海の北方出口)を越えて西小内海に展開、第二潜水戦隊は南方大海峡(大内海の南方出口)を越えて外洋に展開し、それぞれ未知の海域を探索している。  第三潜水戦隊は伊19の様に特殊作戦任務に就いている。  第四〜六潜水戦隊は大内海の哨戒任務に就いている。  ――となっている。  事実上の全実戦戦力である第一〜三潜水戦隊を遠方海域の探索や特殊任務に従事させていることからも、現在の第六艦隊(潜水艦)の置かれた状況というものが分かるだろう。  この世界では、潜水艦は『必要性の乏しい存在』とされていたのである。 【1-6】  第六艦隊司令部は、伊19潜水艦長の報告を事実上黙殺した。  実の所、こういった類の報告は、今まで何度もあった。  が、座礁や衝突等で損傷した艦こそあるものの、転移以降の損失はゼロである。  故に、『大したことは無い』と軽く見ていたのだ。  加えて現在の第六艦隊司令部は、とても『それ所では無い』状況にあった。  転移後、潜水艦の数は『現状維持』とされた。  具体的には、転移時に計画又は建造していた甲型、乙型、丙型、海大7型、中型、小型の計6タイプの内、代艦更新用に選定された甲型と乙型を除いて計画中の艦は無期延期、建造中の艦についても解体されたのだ。 (甲型と乙型が代艦更新用に選ばれた理由はその航続距離もあるが、『一番豪華だから』だろう。  また建造が相当進んでいた海大7型7隻、中型1隻、小型4隻の12隻についてはそのまま建造続行、竣工させた。  尤も、その後直ぐに中型1隻は2隻の海中5型と共にスコットランド王国に供与され、小型4隻も潜水学校に回されたが)  が、『現状維持』にも関わらず、現在の潜水艦戦力は転移前を大きく上回っている。  故に帝國海軍は、現在の8個(うち訓練1個)潜水戦隊体制を7個(うち欠編制の訓練戦隊1個)潜水戦隊体制に、各潜水戦隊についても特設潜水母艦1隻+潜水艦9隻(甲型系列1隻と乙型系列8隻)に縮小し、将来的には現在の潜水艦77隻体制から最大でも63隻体制――要するに転移前の戦力――に縮小しようと考えていた。  当然、第六艦隊はこれに猛反発した。  『潜水艦戦力は、一度減らせば回復は困難である!』  『減らせというが、この世界においても潜水艦の価値は些かも損なわれていない! いや、更に重要性は増している!』  『2万海里という長大な航続距離に優れた隠密性を併せ持つ潜水艦だからこそ、未知の『小内海』や『外洋』の探索を行えるのではないか! 情報の要たるダークエルフ部隊輸送とて、我等が行っているのだぞ!?』  ――この様に第六艦隊は主張し、特設潜水母艦1隻+潜水艦10隻(甲型系列1隻と乙型系列9隻)からなる潜水戦隊8個(うち訓練1個)、計80隻の潜水艦保有を要求していた。  潜水艦の総本山となった第六艦隊は、潜水艦運用に止まらず潜水艦乗組員の教育や潜水艦の艤装、挙句の果てにはこの様に政治的な問題にまで口を出す様になっていたのだ。  ……要するに、『政治に忙しくてそれ所ではない』という状況だったのである。無論、彼等(第六艦隊司令部)からすれば、の話だが。  さて、第六艦隊司令部は伊19潜水艦長の報告を黙殺したが、話はこれで終わりではない。  司令部内にだってこの報告を重視する者もいたし、伊19潜水艦長の同期とて存在する。  伊19潜水艦長は、彼等の口から『報告を黙殺された』という事実を知った。  激怒した彼は、遂に『第六艦隊司令部前に座り込む』という強行手段を採る。  これを第三潜水戦隊の潜水艦長達や戦隊司令部までもが後押しし、司令部の参謀の中にも同調して座り込む者すら出始めた。  ……最早彼の主張は、第三潜水戦隊の総意にまで膨れ上がっていたのだ。  更に悪い事に、事態を伝え聞いた第一潜水戦隊までもが戦隊司令官以下の連判状を送りつけてくる有様で、こうなるとさしもの第六艦隊首脳陣も無視出来るものではない。 (下手をすれば、艦隊司令部の責任問題にまで発展しかねないだろう)  こうして第六艦隊司令部は、渋々調査に同意する羽目になったのだ。 【1-7】  この調査は一ヶ月もかからないで終了した。 (所詮は一艦隊の調査であり、調査能力もたかが知れている)  肝心の調査結果だが、少なくとも前者――列強諸国は潜水艦の存在を知っているかどうか――については遂に確証を得ることは出来なかった。  だが無視出来ぬ傍証が幾つも出てきたため、結論としては『黒でもないが白でもない灰色』といった所であろうか?  が、調査の過程でとんでもない事実が明らかになったことにより、第六艦隊は潜水艦運用……いや、潜水艦そのものの大幅な見直しを迫れることとなる。  ……それは、『列強諸国が高水準の対潜能力を保有している』ことが明らかになったからである。  稀に現れる、或いは一部地域で猛威を振るう海竜――モドキの方では無い――相手に、列強諸国は対水中戦装備を開発・保有していた。  具体的には、魔法式水中聴音機による『水中捜索』と海上捜索型ワイバーンによる『空中水上捜索』により探知し、魔法弾頭を内臓した爆雷により攻撃するという手法である。  これは帝國海軍の対潜掃討の流れと然程変わりはない。 (つまり、この手法は対潜水艦にも使えるということだ)  しかし第六艦隊首脳部をそれ以上に瞠目させたのは、その個々の性能だった。  彼等の保有する対水中弾(爆雷)は、その高価さから連続大量投射こそ行えないものの、いやだからこそ沈降速度が早く、通常型(150s)でも5m/s以上、魔法推進式(250s)なら20m/s以上という超高速――帝國海軍の主力爆雷である九五式や二式は2m/s前後――で沈んでいく。更に悪いことに、威力も帝國軍の爆雷と大差ないかそれ以上という高性能『爆雷』だ。  この『爆雷』は回転式の台座から臼砲の様に投射されるのだが、この投射方式も帝國海軍の爆雷投下軌条や爆雷投射機よりも射界が広く、自由度が高い。  この他にもワイバーン用の小型爆雷も存在する。  この小型爆雷は、通常型(100s)だと3m/s以上、魔法推進式(150s)だと10m/s以上で沈降する。  小型のため、威力は艦載型と比べて半分以下となっているが、何れにせよ水中の潜水艦を撃破可能なことに変わりは無い。  探索力に関しては、爆雷以上に差をつけられていた。  装備数こそ少ないがその探知能力は極めて高く、一隻或いは一騎当たりの能力に関してならば、列強は帝國を遙かに上回るのだ。  捜索型ワイバーンが水上に出現した潜水艦をその生命反応や魔法波で捜索するのに対し、帝國航空機は目視で捜索するしかない。  しかも夜間においては、帝國は捜索不能だが列強諸国ならナイトメアワイバーンを用いれば索敵と攻撃が可能である。  ……これでは勝負にならないだろう。  これは水中聴音機に関しても同様だった。    皮肉なことに、これ等の結論はレムリア海軍が保有していた装備から導き出したものである。  帝國海軍は、レムリア海軍の装備について碌な調査を行っていなかった。  だからこそ、今の今まで列強諸国に対水中戦闘能力が存在することを知らなかったのだ。  レムリア海軍の対水中戦部隊は、第六艦隊が行った実験において、帝國海軍最新鋭の潜水艦である丙型をあっさり捕捉し、艦隊首脳部を青ざめさせた。 (実験に立ち会ったレムリア海軍のあるベテラン聴音兵は、『まるで楽隊が水中を行進しているかの様だ!』と丙型の大騒音に呆れたとすら伝えられている)  こうして、『列強諸国は潜水艦を充分に捕捉・撃沈する能力がある』ということが判明した。  無論、総合的な対潜能力については、多数の対潜艦艇数を保有する帝國海軍の方が、遥かに高いことは言うまでも無いだろう。  列強諸国の対水中戦部隊の数などたかが知れているし、その増勢は困難――魔法技術を多用するため高価だし優先順位も低い――だ。  だが、こちらが隠密行動のつもりでとってきた行動が、全てとは言わないが敵に筒抜けだった可能性は捨て難い。  これは思わぬ政治的な失態となりかねなかった。これから帝國と列強は政治の季節に入ることを考えれば、尚更ある。  これからは、一層の慎重な行動が要求されるだろう。  この結論は、第六艦隊首脳にとって余りに認め難い事実だった。  帝國技術の粋である筈の潜水艦、それを『蛮族共』が簡単に捕捉撃沈出来るなどという不名誉を、断じて認める訳にはいかなかったのだ。  これは連合艦隊司令部……いや海軍省や軍令部とて同様である。  以後、帝國海軍はその名誉に賭けて潜水艦の『隠密化』を突き進めることとなる。  それは潜水艦の個艦性能に止まらず、運用法そのものにまで影響を及ぼす大改革であった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2-0】  ――ギュイーン。  多くの人々が見守る中、それは鈍い響き――油を注いでいるためだ――と共に、鉄棒の中を切削しつつ進んでいく。    やがて芯を貫通し終えるとそれは止まり、固定してあった鉄棒は職人によって外される。  そして簡単な検査を終えると、次の鉄棒が固定され再び切削が始まった。 「凄いな! こうも簡単に銃身の施条が可能とは!」  鉄棒――その正体は銃身――を手に取った男が、感に堪えぬ様に叫ぶ。  それは、その場にいる者全ての感想を代弁したものだった。  そして男がその言葉を発したことにより、実験の成功が『確定した』。  男の名はピョートル・プロコフィエフ・ローレシア。ローレシア王国の王である。 【2-1】  実はこの世界においても、銃は数百年以上前から存在――砲が存在するのだから当たり前なのだが――している。  まあ銃いっても火縄式前装銃なのだが、ここ数十年で打ち石式前装銃も登場している。  が、帝國が元いた世界とは異なり、この世界の軍には採用されていない。  これには様々な理由が考えられるが、一番の理由はやはり予算上の問題だろう。  この世界では、先ず航空兵力に軍事予算の大半を奪われ、残りの予算も戦竜や砲に優先的に回されてしまうのだ。  ……まあ火縄銃では防護結界で守られた戦竜の突撃を阻止できないのだから、その分を戦竜や砲に回すのは至極当然なことではあるのだが。  故に高価な銃を揃える位ならば、安価な弩と弓を揃えた方が余程費用対効果に優れている――少なくともこの世界の軍人達はそう考えていた。  それ以上のことは戦竜や砲、或いはワイバーンの仕事と考えていたのだ。  要するに銃は、無くてもさしたる不便を感じない、『必要性の割りに酷く高価な兵器』という風に見られていたのである。  とはいえ、最近少し……いや多いに風向きが変わってきた。  言うまでも無く帝國のせいだろう。  帝國が銃を歩兵の主兵器としている以上、こちらも銃を採用しようという考えるのは或る意味当然のことだった。 (相手と同様の武器を持つことは、軍事の基本だ)  が、この世界の銃には様々な欠点がある。  上に上げた理由に加え、帝國の銃と比べると――  ・命中精度が低すぎる。当然有効射程も短い。  ・前装式のため、発射速度が遅い。   ・低威力。  ――等の欠点があるのだ。  そのため、銃の威力向上が各国の緊急課題となっていた。  弓や弩と異なり、発展性があるものと思われたことも、これを後押ししていた。  こうして誕生したのが、ローレシア王国の『アントノフ小銃』と『アントノフ弾』である。  帝國風に言えば、打ち石式の施条式前装銃とミニエー弾なのだが、これらの登場により銃は大きく進歩した。  銃は、弓や弩とは比べ物にならない程強力な武器へと進化したのだ。  ……この世界においても、銃の時代が始まろうとしていたのである。  が、この『アントノフ小銃』と『アントノフ弾』は確かに強力な兵器ではあるのだが、如何にせん高価な武器だった。  また生産が難しく、量産も困難だった。 (特に、銃身に施条を施すのは困難を極めた)  これではとても歩兵の主力兵器には出来ない。  このため、生産計画は一時暗礁に乗り上げる。  が、今回の実験成功により、計画は大きく前進した。  蒸気機関の開発成功によって。 【2-2】  『アントノフ小銃』も『アントノフ弾』も、元は帝國の小銃や小銃弾からヒントを得て開発したものだが、この蒸気機関もやはり帝國の技術を流用したものだった。  ……いや、正確には『帝國技術をコピーした』と言った方が正しいだろう。  ローレシア王国は様々な帝國情報――無論技術も――を集め、帝國という国家を調査している。  特にレムリア王国滅亡以降は、帝國技術の調査に重点が置かれた。  情報は、様々な方法で集められる。  何気無い帝國人との会話、娼館での寝物語、或いは帝國人同士の会話の記録。  丸見えに置かれた帝國製の兵器や機械のスケッチ。  ……そして何より役立ったのが、帝國の書物の収集だ。  帝國の書物には、様々な有益な情報が記載されていた。  機械の原理といった即物的なものから、数学・物理・化学・生物学といった基礎学問、農業や鉱工業の手引きまで様々。正に宝の山である。  これ等を解読、理解するのに必須だったのが、大陸での教育用に作成された『帝國文字教本』と、帝國本国の学生が使用しているものと思われる『教科書』だ。 (特に教科書の存在は列強諸国に大きなカルチャーショックを与えた。  『難解に書かれた書物を師がもったいぶって解説する』という、極めて権威的・秘密主義的な教育方法を採っている彼等にとり、  帝國の『誰にでも分かり易く書かれた教本』の存在は、常識の根本を覆すものだったのだ)  ローレシア王国の研究者達は、『帝國文字教本』を辞書として帝國語を解読、『教科書』を参考書として各種資料を分析していった。  現時点ではその大半が未分析状態であるが、それでも多くの貴重な情報を得ることに成功している。  直ぐに役立つと思われる情報は一部――それでもかなりの量――に過ぎないが、他の情報も今後の重要な指針となるだろう。  またこの過程で、彼等は帝國が『科学が異様に発達した国家』に過ぎないことを、ようやく理解出来たのだ。  そして、彼等の技術は『限度はあるものの、自分達にも真似出来る』ということも。  こうしてローレシア王国は、帝國技術の再現に力を入れることになった。  蒸気機関の開発は、その第一陣の中核である。 (他にも無煙火薬やニトログリセリン、ダイナマイト、雷管、後装式銃砲、駐退機・復座機等の兵器関連技術、  農業や鉱山の生産関連技術――初級レベルの――が研究第一陣に指定されている) 【2-3】 「いやはや、凄いものだな! 蒸気機関は!」  こうも容易に銃身に施条を施すとは、驚きの限りである。  これならば、生産量を大幅に増やすことが出来るだろう、そう言って王は笑った。 (今までは熟練の職人が、ハンドル等を利用して手作業で行っていた。  水力や風力では弱く不安定、竜でも力の伝達にムラがあり過ぎるからだ) 「はい。蒸気圧をエネルギーに変換し、動力源としたものです。陛下」 「水を石炭で燃やすのだな? 魔法と比べて恐ろしく安価なことよ。  まこと、帝國があのレムリアを圧倒したのも当然だな」  王は、魔法で再現した場合の費用を推測し、微妙に顔を歪める。  そこから導き出された答えは、『話にならない』だったからだ。 「帝國の資料は非常に役に立ちました。特にこの『復水器』の御蔭で効率が格段に増し、充分実用に耐えうる物になったかと」  蒸気機関のアイデア自体は、以前から存在していた。  無論不完全なものであったが、もし本腰を入れて開発いれば、この世界でももっと早くに蒸気機関が完成していたであろう。  が、魔法の存在がそれを阻んできた。国は見向きもしなかったし、魔法協会も圧力をかけた。  故に、それ以上の発展を見ることは無かったのだ。 (この世界では、大航海時代も存在しない。それら未知への分野への投資、その大半を魔法関連に吸い上げられているからだ。  この世界の人々――特に上層の――は、魔法の進展こそが自分達の利益に繋がると考えていたのである)  ……しかし今は違う。  国は本腰を入れて開発に取り組み、魔法協会も黙認――内心はどうであれ――している  そして何より、帝國から理想的な蒸気機関の構造情報を得ている。  これだけお膳立てが整えば、もはや蒸気機関の完成は必然だった。  後は、早いか遅いかの違いに過ぎなかったのだ。 「獣力や水力、風力といった従来の動力とは異なり、蒸気機関は大馬力を安定して発揮することが出来ます。  これを用いれば、王立工房の生産能力は飛躍的に向上するでしょう。  今まで造れなかった様な高品質素材の生産や、困難な加工も可能となります。  将来的には、蒸気機関を用いた自力行動の船や車(鉄道)も開発可能です」 「素晴しい! 素晴しいぞ! アントノフ!」  王は、最大限に責任者であるアントノフを褒め称えた。  王にこれ程賞賛されるのは名誉なこと、アントノフも最敬礼で王に答える。 「これで帝國に追い付ける目算が付きましたな」  王の機嫌が良いのを見て取った侍従の一人が、すかさず追従する。  が、アントノフはその流れに水をさす。 「いえ。帝國は我等の遥か先を進んでおります。  我々は千歩、いや万歩先を進む帝國の後を、ようやく追い始めたばかりです」 「貴様! 王国を愚弄するか!」 「貴様風情が口を出すとは何事!」  忽ち罵声が飛ぶ。  アントノフ小銃の開発により、最下級とはいえ爵位を得ていなければ、罵声どころか首が飛んでいただろう。  が、それでも言わなければならない。 「帝國は、既に蒸気機関以上の動力を得ています。『石油』を用いたものです」 「何!? では貴様は、陛下を騙して旧式技術を開発したというのか!」 「『石油』は精錬せねば使用出来ず、機関そのものも蒸気機関よりも高度・複雑です。  我等は、比較的容易な蒸気機関から始める必要があったのです」 「黙れ! あれ程の費用をかけながら、何事か!」 「これが現在の王国の『精一杯』なのです!  土台も作らず、次へ進めるとお思いか!?」  アントノフはそう叫ぶと、銃身を切削した切削器具を外し、見せ付ける。 「これを見てください! 切削機の強度が足りないため、何本か銃身を削ればボロボロです!  数本削る度に研ぎなおさねばなりません! それを2〜3回も繰り返せば交換ですよ!?  この蒸気機関とてそうです! 鉄の強度が足りないため、今以上の蒸気圧を出せない上、寿命も短い!  全てが不完全なのです! 全てが帝國の技術に対応出来ていない、付いていけないのですよ!」  強い機械や刃物を造るためには強い鉄がいる。  だから製鉄に蒸気機関を用いる。無論、帝國の製鉄技術も必須だ。恐らく相当大規模な工房――工場という概念が無い――の建設が必要だろう。  この工房からは、かつて無い程の鉄量が生産される筈だ。  そしてこの生産を維持する為には、多くの資源がいる。  鉱山運営の見直しは必須だろう。やはりここでも、蒸気機関と帝國の技術を導入する必要がある。  こうして出来た素材で蒸気機関を作る。  今とは比べ物にならない位の出力と信頼性が得られるだろう。  この蒸気機関を動力として製品を造れば、質・量共に満足出来るものが造れる筈だ。  そして資源生産地点と素材生産地点、完成品生産地点を結ぶ迅速な交通網。  これ等全てを動かす、教育された人員。  全てが完成して、漸く土台が完成したと言えるのだ。 「帝國では、これ等を総称して社会基盤というのだそうです。  帝國の力の源泉は、銃や砲でもなければ、戦艦でもありません。  それを生産できる『社会基盤』です」  蒸気機関の開発を始めて、ようやく理解出来たことがある。  それは戦艦が恐ろしいのではなく、『戦艦を造れるだけの生産量と技術力』こそが恐ろしいということだ。 (無論、今でも全て理解した訳では無く、おぼろげながらの想像に過ぎない)  ――戦艦1隻造るためには、一体如何程の鉄量が必要だと言うのだろう!  それを支えるだけの社会基盤が帝國にはある、ということだ。  その豊富な生産力は、庶民達の生活にも恩恵を与えるだろう。きっと帝國の民は、我々からは想像も付かぬほどほど豊かに違いない。  ……その事実は、自国の現状と比較し、余りにも残酷な現実だった。  突き詰めていけば、『帝國には勝てない』という結論に達するからだ。  が、これは余りにも過大評価が過ぎるというものだろう。  実の所、帝國臣民と列強平民との差に、それ程決定的な差があるという訳では無い――考え方にもよるが――のだ。  アントノフが想像したのは、英米の様に軍需と民需が両立している世界だったが、帝國の正体は極端な軍備偏重に走った軍事国家である。  故に社会基盤も、その大半はアントノフが想像した様な『豊かな社会基盤が戦艦の建造を可能とした』ではなく、『戦艦を造るために社会基盤を整えた』と言う方が、どちらかと言えば正しい。  本来の帝國の国力からは、現在の軍事力は過大過ぎるのだ。  つまり帝國は、多分に前近代的――元の世界から見れば――な影を引き摺った、特異な『列強』だったのである。  まあだからこそ、この世界にここまで適応出来たのではあるが。 「アントノフ、お前はいつも耳が痛いことを申すな!  が、お前のそういう所を余は気に入っているのだ!」  アントノフの独演を、侍従たちを制して聞いていた王は笑って言った。 「こいつ等は、余にいつもこう申すぞ!  『はい、陛下! 陛下は大ローレシアの王です! 陛下に不可能は御座いませぬ!』とな!  余が望めば、太陽は西から昇り、死者は生き返るものらしい!」  過度な阿諛追従など、不快感しか与えぬというのにな! と皮肉っぽく侍従達を見る。 「が、お前の申すことは尤もなれど、流石に全ての社会基盤を整えるのは不可能だ!  とりあえず、蒸気機関を備えた王立工房を幾つか造ろう! それで当座は我慢せよ!」  そう言うと、王は去っていった。  蒸気機関の実用化を決定して。 【2-4】  実の所、王は社会基盤を整えようなどという気はさらさら無かった。  精々、製鉄等の素材部門の工房と製品製造工房を幾つか造る程度で充分と考えていたのだ。  無論、王とて長い目で見れば社会基盤を整えた方が有利だということ位は承知していた。  が、それには膨大な資金を必要とする。  それでも強行すれば、魔法技術の開発に大きな支障が出るだろう。  魔法は、現状では帝國に対抗出来る唯一無二の存在である。  帝國が保有してない、理解できない魔法技術を保有しているからこそ、帝國はローレシアを警戒しつつも認めている。  だからこそ、魔法技術への投資は疎かに出来ない。  長い目で見ることは大切だが、まず今日明日を生きなければならないのだ。 (無論、投資の分散など問題外だ。  そんな真似をすれば、どちらも中途半端なものになってしまう。  どちらかに絞っても足りない位なのだから)  故に、今以上の科学部門への投資は出来ない。  今までの投資とて、ある意味魔法部門への投資の意味合いを込めての投資でもあるのだから。 (蒸気機関を動力とすることで、魔法兵器の生産は加速されるし、  高品質の鉄は魔道砲の信頼性を高めることが出来る)  このように、如何な列強といえど科学と魔法の両立は不可能なのだ。  もし魔法と科学を両立出来る国があるとすれば唯一国、人口3億超を誇るという列強の枠すら超えた『超大国』、清華のみだろう。  清華は中央世界から遠く離れた存在ゆえに超大国とは認められぬが、誰もがその存在を無視できず、遠い極東の地にありながら列強の席に座ることを認められた(認めざるをえなかった)異端の国だ。  現在、清華はローレシアと秘密協定を結び、共同で帝國技術の研究を行っている。 (この蒸気機関についての詳細も、清華本国に送られている筈だ)  清華はローレシアと共同研究することにより、帝國の技術を入手出来、  ローレシアは清華と共同研究することにより、資金負担を大幅に減らすことが出来る。  両者の利益が一致した結果だ。  が、ローレシアはこの研究所を維持するので手一杯なのに対し、清華は本国でも同様かそれ以上の研究を行っている筈だ。  勿論、魔法技術に対する投資も怠っていないだろう。  この研究所の維持費の半分を負担しているにも関わらず、だ!  ――化け物め!  王は内心で吐き捨てる。  帝國も化け物だが、清華の連中も同じ位化け物だ。努々油断はならない。  そう彼は考えていた。  清華は、ローレシアを隠れ蓑に帝國に対する諜報工作を強化している。  少なくとも、帝國がローレシアの工作と判断しているものの数割は清華の仕業だった。  ローレシアはそれを忌々しく思いながらも、甘んじてそれを受け入れねばならない。  その利点があるからこそ、清華は資金の半分を負担しているのだから。 (通常ならば1/3がいい所だろう)  そして清華はローレシアの陰に隠れ、ひたすら帝國技術の分析に勤しんでいる。  他のことにはまるで興味が無い様で、対帝國同盟も付き合い程度にしか考えていない節すら見られる。  ……自分達が帝國と対峙するのは遠い先、少なくとも最後なので、準備を整える時間はあるとでも考えているのだろう。  ローレシアが出来るせめてもの抵抗は、汚れ役として金の上積みを要求すること位だった。  列強諸国の間にも、温度差が広がっている。  他の列強諸国――清華を除く――から一頭地を出し始めたローレシアに、他の列強諸国が警戒を始めたのだ。  ローレシアは、その政治体制(中央集権制)故に浮いていたが、高性能兵器群の開発成功により更に浮き始めていた。  他の列強は、自分達がその政治体制故に出来ぬことをローレシアがやっていること、ローレシアが一頭地を出し始めたことに対して腹を立て、警戒し始めている。  そのローレシアは清華を警戒し、清華は我関せずだ。  列強の対帝國同盟といっても所詮はこんなもの。対帝國の一点でのみ意見が一致した、只の紳士協定に過ぎなかったのだ。  帝國の内部に不協和音が広がっているのと同様……いやそれ以上に、列強同士の結束は酷く危ういものだった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【3-0】  第六艦隊が右往左往していた丁度その頃、海軍首脳……いや帝國政府首脳全体が、ある報告の前に顔面蒼白――又は怒りの余り顔面真っ赤――となっていた。  ローレシア王国に強行偵察に向かった選抜特務部隊は、全滅こそしたもののその任務を達成――最低限ではあるが――した。  彼等は目的地に到達し十数枚の写真を撮影。全滅と引き換えに、それを帝國本国まで送り届けることに成功したのだ。  写真に写されていたのは、様々な蒸気機関。  恐ろしく実用的で一切の無駄が無い、洗練されたそれは、帝國が元いた世界で発明された物と瓜二つだった。  ……これは、果たして偶然だろうか?  確かに、蒸気機関を突き詰めていけば、これ等の形式となるだろう。  が、魔法偏重のこの世界で今まで脇に追いやられていた科学が、僅か一年――ロッシェル戦役前からと考えても――やそこらでここまで進歩するだろうか?  少なくとも帝國政府首脳は、そう考える程お目出度くはなかった。  ――帝國の技術情報が洩れているのではないか?  そう疑った彼等は、極秘調査を命じたのだった。 【3-1】 「これは何だ!」  極秘調査の報告書は、帝國首脳部を激怒させる様な信じ難い事例が大陸で横行していることを、淡々と書き連ねていた。  それは、正に目を覆わんばかりの現地の実態だった。  『大陸ニ駐在スル帝國人ノ心構エハ非常ニ緩ンデオリ……』  報告書は先ず第一に、大陸に駐在している帝國人全体の気の緩みとそこから来る警戒心の欠如を挙げ、これを根本的な原因としている。 (尚、この報告書は大陸駐在の帝國人にのみ責任を押し付けるのではなく、ここに至った理由として現地の過酷な環境に加え、帝國が彼等に充分な娯楽を提供してこなかったこと、碌に交代もさせず彼等の駐在を徒に長期化させていることを、無視できぬ要因として指摘していた)  報告書は、情報は様々な過程で無意識に流出していると推測している。  ・外出先における帝國人同士の何気無い会話。  ・現地人との会話。特に娼館におけるそれ。  これ等を有る程度集めて繋ぎ合わせれば、立派な情報になる。  少なくとも、帝國の姿を知ることが出来るだろう。  ……何、足りないパーツはそれとなく聞き出せば良いのだ。  無警戒な帝國人は、簡単に教えてくれることだろう。  報告書は、列強諸国が帝國本国の『大体の位置』と『その実態』を把握しつつあると断定していた。  これだけでも由々しき事態である。  が、報告はこれだけに止まらない。  報告書は、更に深刻な状況をも報告していた。  首脳部が激怒したのは、この『深刻な状況』に対してであった。 【3-2】  『大陸帝國領ニハ現在多数ノ間諜ガ潜入シテオリ、ソノ活動ハ極メテ活発ナリ。   更ニ深刻ナルハ、コレニ協力スル帝國人ガ多数存在スルコト……』  現在、列強諸国は帝國の情報を得るのにやっきとなっている。  彼等は上に挙げたような地道な情報収集に止まらず、もっと直接的な情報収集も行っていた。  帝國は、この世界に技術が流出することを防ぐため、既に『兵器・技術管理法』(通称名)という法律を制定している。  が、同法はあくまで一定水準以上の兵器や技術を対象とした法律であり、既に過去の技術となったものや、基本的な知識や技術に関しては想定の範囲外であった。  例え枯れた技術であろうが、基本的な知識であろうが、科学が産業革命の一歩手前で足踏みしているようなこの世界においては、まさに宝の山――新技術や新知識の宝庫――である。  故に、これ等の情報を記した本が大量に列強諸国に流出した。  流出元は大陸の帝國人だ。  列強諸国の息のかかった商人達が良い値で購入するため、帝國人達は良い小遣い稼ぎの感覚で、気軽にこれ等の書籍を売却していた。  無論、彼等に罪の意識は欠片も無い。というよりも、何故これ等の本が高値で売れるかすら理解していなかった。 (これには、商人達の巧妙な価格設定も功を奏している。  彼等は不審を持たれぬ様、『眼を剥く様な高値』ではなく、『それなりに高値』――少なくとも帝國人にとっては――で購入していたのだ。  また、対象帝國人と一定以上の親交を結んだ後に『好意で購入する』形を取るという念の入れようだ)  これにより、農業開発や鉱工業技術の様々な技術教本、数学・物理学・化学といった理工系の基礎学問の教本……ありとあらゆる書籍が流出したものと思われる。  先の蒸気機関など、その氷山の一角に過ぎなかった。  列強諸国に流出したのは本だけではない。実物も流出していた。  個人による売却から組織による売却まで大小様々で、その売却物も、小は『帝國産農作物』から大は『廃船となった小型輸送船を屑鉄名目で丸ごと』と、正に『なんでもあり』状態だ。  明らかに兵器・技術管理法に違反する拳銃や小銃、各種弾薬・爆薬、挙句の果てには旧式砲といった兵器や備品まで売却された可能性も捨てきれない。  報告書は、密輸組織の存在すら否定できないとしていた。  『専門技術ヲ保有スル帝國人ノ失踪……』  大陸に駐在する帝國人は100万を越える。  これだけいれば、現地で死亡する例や、少数とはいえ失踪する例も出る。これはやむを得ないこと――脱走者は銃殺刑だが――だろう。  ……が、失踪者の中には、専門技術を保有する者が少なからず見受けられた。  死亡者の中にも、だ。  不審に思い洗っていくと、信じ難い実情が露見していく。  保身のために、失踪者を『死亡者』と偽る例、  実にいい加減に死亡と断定する例……  ある海軍根拠地での話だ。  現地の娼館が火事となり、数十人が焼死する事件が起こった。  この中には数人の帝國人も存在し、彼等も焼死として処理された。  だが、彼等の遺体は歯型すら調べられていなかった。  ただ宿帳に名が書かれていたため『その時娼館にいて』、焼死体の数が合うから『焼死した』と断定したのだ。  ……焼死したとされる帝國人は、機関科と航海科の士官だった。  この様な『火事による焼死』は各地で散見され、陸軍でも工兵や砲兵系、整備系といった技術畑の士官下士官、技術指導を行う現場監督級の軍属が多数『焼死』していた。  またこれ等失踪の疑いがある者達には、専門技術を保有していることの他に、現地で借金や女性問題を起こして首が回らなくなっていた、という共通項が多く見られた。  このため、どうやら現地の帝國機関も『厄介払いが出来た』と考えた様で、これが死亡判定を一層杜撰なものとしたことも否定できないだろう。  しかし、それにしても……  正に不祥事のオンパレード、眼を覆わんばかりの惨状である。  転移から三年以上が経過した現在、大陸における帝國人の士気は深刻なほど低下しつつある、と政府首脳は判断せざるをえなかった。 【3-3】  報告書を読んだ政府首脳の表情は様々――感情は怒りで統一されているとはいえ――だった。  顔を紅潮させている者、蒼白にしている者、俯いて何か考え込んでいる者……  何れにせよ、彼等がこの報告を深刻に受け取っていることは間違い無かった。  ……尤も、その怒りと深刻さの大半は列強諸国に対してではなく、主に身内である筈の『大陸の帝國人』達に向けられていた。  政府首脳は、大陸における帝國人の堕落振りに怒り、かつ憂慮していたのである。 「皆様のお怒り、至極御尤である」  帝國宰相が発言の口火を切る。 「が、我々が第一に問題とすべきことは『起きてしまったことに対する対処』と『今後の措置』だと思う。  故に、皆様も一先ず怒りを抑え、建設的な御意見を御聞かせ願いたい」  この言葉を聞き、多くの者達が首を傾げた。  この場の誰よりも憤っているのは、他でもない帝國宰相その人であろう、というのが彼等の一致した見解だったからだ。  ……無論、帝國宰相とて激怒していた。  先にこの報告を受けた時など、机を何度も拳で叩きながら、大陸各方面軍の職務怠慢振りを長々と批判していた位だ。  が、彼は帝國宰相であり、陸軍大臣でもある。  帝國のこと、そして陸軍のことを考えれば、只怒り狂うだけではいられなかったのだ。  宰相の目配せに、憲兵隊の少将は報告を続ける。 「先ず御理解して頂きたいことは、大陸に展開する帝國人――その大半は、犯罪者でも無ければ売国奴では無い、ということです。  一部のどうしようも無い馬鹿者共を除き、大半は真面目に任務を遂行しております」 「……この報告書を読む限り、とてもそうは思えないが?」 「他人のあらを探すのが、自分の仕事ですから」  少将は、首脳の一人の皮肉を軽くかわす。 「大陸の帝國人は、陸軍だけでも軍人軍属合わせて100万に上ります。  海軍や他省の人員等、それに家族も含めれば200万を越えるでしょう。  ……これだけ人が集まれば、何も起きない筈がありません」  200万超の大都市と考えれば然程のことではない、とまで言い切る。 「しかも、この大半が青壮年の男子です。  これも合わせ考えれば、400〜500万の超巨大都市と比較していただかないと」  その余りの言い草――是非は兎も角――に、周囲からたちまち反論が巻き起こる。 「あらゆる人間が無秩序に集まる大都市と一緒にするな!  軍が秩序だっていないで如何する!?  この大半は、栄光ある皇軍将兵とその軍属だぞ!」 「そうですか? 自分は『彼等は良くやっている』と愚考しますが?  ……その劣悪な状況を考えれば、ね」  大陸に展開する帝國人達は、その多くが未開の非文明地帯で、危険と隣り合わせで日夜奮闘している。  しかも彼等は、『一度大陸に派遣されたら何時帰れるか分からない』という様な状況だ。  ……にもかかわらず、帝國は彼等に対して碌な娯楽すら提供出来ないでいる。  そんな『劣悪な状況下』に置かれ、交代すら儘なら無い様では、士気も落ちるというものだろう。  これは、『いちいち交代の兵を乗せて往復する程船舶の余裕が無い』ということ、『そんな余裕があれば行きは資材、帰りは資源を搭載させたい』という理由による。  これに『熟練兵と新兵を一対一で交代させるのは勿体無い』という軍の事情も加わり、彼等の兵役は延長される一方だったのだ。 「無論、彼等自身にも多少の責任はあるでしょう。  が、やるべきことすらやらずに、批判ばかりするのは如何なものでしょうか?」 「……我等は、出来る限りのことをしているつもりだが?」  その耳の痛い批判に、出席者の一人が少将を睨みつける。  が、他の出席者から次々に理解の意が示された。 「『つもり』ではあっても、出来てはいないがね。現実は」 「……確かに、大陸に展開する彼等、特に兵達の苦労は相当なものだろう。  劣悪な状況下における兵役延長、内地の者との差が有り過ぎる」  現在の帝國本国における労働者待遇の向上――好景気による――には目を見張るものがある。  これでは大陸の兵達との格差は開く一方だ。 「……埋め合わせが必要ですな」 「左様。御国の為に大陸で血を流している彼等が、内地でぬくぬくしている者達よりも不利な状況下に置かれるのは、余りに好ましくない」 「が、如何するというのだ? 確かに補償は必要だろうが、下手に金など出せぬぞ?」  そんなことをすれば戦時の費用がかさむ一方だし、『色々拙い』。 (今までの戦死者への補償問題にも発展しかねない) 「……役所の雇人を募集する際に優先的に採用する、或いは枠を確保する、といった所ですな」  『役所の雇人』とは、国や府県、市町村、或いは公社で働く下級職員――役所職員の大半は『官』では無く『雇人』――のことである。 「それだけでは足りませんな。それで補償されるのは一部に過ぎない」 「しかし、全員となると……」  そこで、今まで黙りこくっていた海相が始めて発言した。  ……驚くべきことに、陸軍との共同提案である。 「それについては、軍から提案があります。何卒関係省庁の御理解と御助力を頂きたい」  それは、現役軍人及び一定年数以上軍役を務めた退役軍人に対する医療提供案だった。  具体的には、現役軍人はその軍役中、一定年数以上軍役を務めた退役軍人はその後一生涯に渡り、無料で医療提供が受けられるというものだ。  また一定年数の軍役を果たさなくても、海外派遣や戦争に参加すればその分大幅に加算され、中等度以上の戦傷者は無条件で一生涯に渡り、無料で医療提供を受けられる。  この案の特徴は、その家族――父母曽祖父を始め配偶者や未成年の子――まで医療提供の対象とされることだ。  これにより将兵は後顧の憂い無く戦えるだろう、と軍は結論付けていた。 「『……但し、一定以上の収入のある者に関しては本人無料、家族一割、高額所得者は本人一割、家族二割の負担(但し負担については最高限度額有)とする』か。悪くないな」  無条件、無制限で無い所が特に良い。 「誰でも病気になりますしな。 ……それに、これならば臣民も納得する筈だ」  御国の為に命を賭けた者、その者とその家族の命を國が守るのに、一体誰が反対できようか?  これは軍そのものにとっても非常に有益な案であった。  この法案では、医療提供が受けられる病院は、陸軍病院や海軍病院のみだ。  故に、普段から多くの医師や看護婦を軍が抱え込むことが出来るし、軍医や衛生兵に技量向上の場を提供することも出来る。  軍人や退役軍人に対する福祉に止まらない、正に『一石二鳥』の案だった。 (平時の軍医はなかなか治療経験が得られず、技術向上が困難なのだ) 「決まり、ですな」  ――かくして、軍人に対する医療提供制度、通称『軍人健康保険法』が制定されることとなった。  後にこの法は、全臣民(転移前からの帝國人)を対象とした、帝國が世界に誇る『臣民健康保険制度』へと発展していくが、それはまた別の話である。 「これで内地の者との差を大分埋められるでしょうな。後は、『今現在の彼等に対する待遇改善』ですか……」 「取りあえず、雑誌の配給を定期的に行うのが精一杯でしょう。後は、嗜好品の配給増量位ですね。  ……無論、一括して管理させる様指導を徹底させることが条件ですが」 「それに関しては、既に規定案を作成しております。これを御覧下さい」  手元に、冊子が配られる。  『大陸における心得』と題するその冊子には、大陸で活動をする上での各種注意事項が多数記載されていた。  無論、法的拘束力のある注意事項だ。 「……確かにこんな物だろうな。が、現状では『仏作って魂入れず』、ということになりかねないぞ?」  が、やはり懸念の声が上がるのは避けられない。  それだけ、誰もが『大陸の連中』を不安視しているのだろう。  が、ここで帝國宰相が重々しく発言する。 「彼等の目を醒まさせる」 「どうやって、ですか?」  帝國宰相のその言葉に、皆が怪訝そうな声で問い返した。 「陸軍から生贄を一人差し出す。その者を徹底的に叩いて『見せしめ』『警告』とするのだ」 「! 陸軍か泥を被るおつもりですか?」  その発言に、誰もが瞠目した。  これから責任のなすり合いという泥仕合がはじまるもの、と誰もが考えていたからだ。  が、宰相はあくまで淡々と返す。 「……まあ単純に数を考えれば、我等が一番多いからな。仕方があるまい」 【3-4】  今回の件に関しては、陸海軍に止まらず、大陸に人員を派遣している省庁全てが不祥事を出している。  確かに数から言えば陸軍が一番多いが、それは大陸に展開している人員が圧倒的に多いからであり、割合やことの重要性で言えば他組織も負けていないだろう。  無論、断じて自己犠牲などという『組織としての自殺行為』では無い。  陸軍は、『結局の所、最終的には自分達が責めを負う羽目になるだろう』と考えていたのだ。  ……ならば下手に押し付けあうよりも、最初から身をひいて恩を売った方が良い、と判断した。それだけのことだ。 (また、これを機会に独立性の高い大陸の各方面軍を叩いておきたいという『御家の事情』もある)  そう決まると動きは早い。  陸軍は早速『生贄』の選定に入った。 「……この男を、か?」 「はい。丁度良いかと」  どこから聞きつけたのかは知らぬが、新設されたばかりの特別高等憲兵隊司令が生贄を紹介してきた。  不審に思いつつも、宰相は資料を眺める。 「タブリン地区司令、松島中佐、か…… 高位過ぎるのではないかね?」  司令、中佐という肩書に顔を顰める。 「だからこそ、です。陸軍は如何に高位であろうと許さない、という意思表示にもなります」 「犯罪自体も卑小すぎる。もっと重大な犯罪を犯した者でも……」  が、流石にこの小悪党に対し、哀れみを覚える。  もっと相応しい輩は幾らでもいるのだから。 「閣下。失礼ながら、閣下は陸軍を潰すお積りで?」  大佐は目を丸くし、如何にも大袈裟な口調で話し出す。  この男の言うことは尤もだった。  もし重大な犯罪を起こした者を差し出せば、臣民は陸軍をも責めるだろう。  ……それだけは避けねばならない。 「だから、これ位が丁度良いのです」  この男の犯した罪は、『資源の小規模な横流し』と『教科書売却』。  臣民が『個人の犯罪』と思う程度の罪。しかし、決して許さないであろう罪。 「しかも『教科書売却』という分かり易い罪を問うことは、多くの無自覚な連中の目を醒まさせるでしょう。  ……『他人事では無い』とね」  これだけで大分変わります、と大佐。 「兎に角、この男を徹底的に糾弾するのです。これで全て終わりにするために」 「しかし、そこまですると陸軍にまで火は回らないかね?」 「そのための『英雄』です」  そう言いながら、もう一人の資料を指し示した。  レディング鉱山警備隊隊長、黒部中尉。  松島中佐検挙の最功労者だ。 「松島中佐とは逆に、この中尉を徹底的に持ち上げるのです。  そうすれば臣民は中尉を賞賛し、中尉に陸軍を見るでしょう」  中佐を叩けば叩くほど中尉が輝き、中尉を持ち上げれば持ち上げるほど陸軍が輝く、と説明する。 「『作り物の英雄』で誤魔化す、か……陸軍も落ちたものだな」  宰相は、吐き捨てる様にそう言った。  この茶番に自分が関わらねばならないかと思うと、心底ぞっとする。 「しかも、この程度で金鵄勲章まで呉れてやるとは」  金鵄勲章とは、もっと神聖なものの筈だ。 「だからこそ、効果は倍増するのです。  それに、金鵄勲章復活第一号の授与機会としては、格好かと思いますが?」  金鵄勲章は現在生者に対する授与を廃止されているが、大量戦死者の危険が無くなったことと士気高揚を目論み、生者授与の復活が内定していた。  ……が、その授与機会が無かった。  今回はそのいい機会となるだろう、と彼は言うのだ。 「……これで、本当に大陸の不祥事は無くなるのだろうな?」 「まさか! 激減はするでしょうが、無くなりはしませんよ。  何処にでも、物分りの悪い愚か者はいるものです」 「……では、その愚か者は如何する?」 「その時は我等の出番です」 「……出来るかね?」 「特別高等憲兵隊にお任せを。全て、極秘の内に『始末』して御覧にいれます」  ……契約は成立した。  以後、特別高等憲兵隊は『今新撰組』と大陸で恐れられる程の暴力機関へと成長することとなる。 【3-5】  昼食後、会議が再開された。 (まあ昼食のための一時休憩とはいえ、多くの閣僚にとってはとても食事どころの話ではなかっただろう。  何せ彼等はそそくさと控え室に篭り、担当省庁の幹部達との打ち合わせに忙殺されていたのだから。  ……この為、閣僚合同の昼食会は欠席者続出で中止となってしまった)  午前中の会議において、今回の不祥事に対する対応と今後の措置についてはどうにか決定した。  が、ひとつ大事なことが残っていた。  それは―― 「……で、今回の『落とし前』は如何するおつもりですか?  他は兎も角、帝國人拉致――それも官に対する――については、到底容認出来るものではありませんぞ?」  そう。拉致された帝國人と、それによって流出したであろう情報や技術の問題が残っている。  特に冒頭の閣僚が発言している様に、自国民を拉致されるということは国家的な大問題だ。  しかも今回拉致されたのは官や官の雇員・傭人、すなわち『臣』である。  『民』ばかりか『臣』まで拉致されるということは、国家としての存在を否定されたも同然、正に国家の根幹に関わる大問題であろう。 「左様、帝國にも面子というものがある」 「報復攻撃は勿論、戦争も止む無し、ではないか?」  故に、多くの閣僚が同意の声を上がる。  彼等は口々に報復を主張した。   「しかし、一体如何に報復するというのだね?」  が、否定的な声も即座に上がる。外相だ。 「物的証拠すら無く、おまけに誰がやったのかも不明だ。  まさか、『列強全てに無差別報復しろ』などというのでは無いだろうね?」  外相は、外交的見地から否定的な見解を示す。 「連中は対帝國で手を結んでいるぞ? 所詮は同じ穴の狢だ!」 「そうです! 連中は、帝國の勢力圏内で盛んに工作活動を行っているではありませんか!」 「何も、列強諸国の首都を陥落させろとは言っていない! 短期的に暴風の様に暴れ回れば良いだけだ!」  ……どうやら外相の意見は少数派の様で、形勢は芳しくない。 「工作ならば、帝國とてやっている。 ……拉致はやっていないがね」  少なくとも、上層部が把握している範囲内では。 「だから報復するのです!」 「『今まで自国民を拉致されていたことに気が付きませんでしたが、今回やっと気付きました。   しかし誰がやったかわからりませんので、無差別に攻撃します』――そんな無法が通るとでも思っているのか?」  恥の上塗りの上、外交的な損失が大きすぎる、と外相は一歩も譲らない。  面子を取るか、算盤勘定を優先するか――会議は神学論争の様相を帯びていた。 【3-6】  その時、意外な人物が外相に対する援護射撃を行った。 「陸軍としましては、報復に関しては協力しかねます」  参謀総長のその言葉は、会議に参加した面々を驚かせた。  この中で最も面子を重視する陸軍が、しかも今回最も面子を潰されたにも関わらず、報復に反対するとは! (本来ならば、真っ先に報復を主張していて不思議は無い) 「現在、陸軍は再編中です。とても兵を出す余裕はありません」  が、参謀総長は全くやる気が無い。  兵は出せない、の一点張りだ。 「1個師団やそこら、如何とでもなるでは?」 「それはレムリア情勢次第ですな。我々が現在最も重視しているのは、彼の地ですから」 「陸軍は腰が抜けたのですか!?」 「我々は、専門的見地から結論を出したまでのことです」 「ええい! ならば海軍が主力艦隊総出撃で報復すべきだ!」  柳に風、暖簾に腕押し、といった陸軍の態度に業を煮やした閣僚の一人は、陸軍に見切りを付けて海軍単独の作戦を要求する。  ……が、 「非現実的です」  陸軍に続き、海軍までも要求を突っぱねた。  列強諸国に対する攻撃を行うためには、北方大海峡を通過して小内海で行動することになる。  が、現在の帝國には小内海におけるまともな海図は存在しない。  加えて小内海は水深も浅く、潮の流れも複雑で下手に沿岸に近寄れば座礁の恐れが高い。  航行の際の危険性は大内海の比では無いのだ。  右も左も分からない海域、それも敵勢力圏内での艦隊行動など、悪夢としか言いようが無いだろう。  また、主力艦隊――第一〜三艦隊――を総出撃させる為には、10万近い将兵・軍属と大量の船舶を新たに動員する必要がある。 (現在、第一第二艦隊は定員を大きく下回っているので、補充が必要)  それ以前に、主力艦隊を総動員する為には、一体どれだけの重油と油槽船がいるだろう?   ……少なくとも、ロッシェル戦役の比では無いことだけは確かだ。  海軍大臣は具体的な数字まで挙げて反対する。  ロッシェル戦役からその後のゲヘナ島攻略、そして本土帰還までの間、帝國は第一航空艦隊(現第三艦隊)をフル稼働させた。  が、その間第一航空艦隊は貴重な10000t級高速油槽船を10隻も拘束し、重油も20万t以上消費している。 (何せ10隻の油操船が空になり、一度油槽船群を昭北島へ再補給に帰還させた位である。  この為、昭北島の重油備蓄量は激減し、現在に至るまで回復していない有様だ  『この10隻を自由に使えていたら』と考えれば、その損失は更に広がる筈だ。  これが主力艦隊全力、それも更に遠隔の小内海まで繰り出すとなれば、それこそ油槽船は3倍でも足りないだろう。  重油消費量も一日1万tとして、100万tを越える可能性が高い。  ――重油100万t。  帝國の転移直後の石油備蓄量が約870万t、対英米戦時の年間石油消費予想量が500万t以上(予想最低値。うち軍事以外の消費量が官民需合わせて220万t)であることを考えれば、如何に莫大な量であるかが分かるだろう。  ……この数字の前には、さしもの強硬論者も沈黙するしかなかった。 【3-7】  ここで、転移後の帝國の石油事情を少し見てみよう。  帝國の石油収支状況   石油消費量    昭和17年度(S16.12〜S18.03) 670万t(うち陸軍120万t 海軍330万t その他220万t)    昭和18年度(S18.04〜S19.03) 700万t(うち陸軍110万t 海軍390万t その他200万t)    昭和19年度(S19.04〜S20.03) 700万t(うち陸軍100万t 海軍350万t その他250万t)    昭和20年度(S20.04〜S21.03) 750万t(うち陸軍100万t 海軍350万t その他300万t)    *昭和19、20年度は予想値    *陸海軍分は大陸開発分も加算されている。    *その他の急進は国内の大規模開発と経済成長による。   石油供給量    昭和17年度(S16.12〜S18.03) 250万t(うち国内生産25万t、但し人造石油8万tを含む)    昭和18年度(S18.04〜S19.03) 400万t(うち国内生産30万t、但し人造石油9万tを含む)    昭和19年度(S19.04〜S20.03) 600万t(うち国内生産35万t、但し人造石油10万tを含む)    昭和20年度(S19.04〜S21.03) 800万t(うち国内生産40万t、但し人造石油12万tを含む)    *昭和19、20年度は予想値   石油備蓄量    S16.12  870万t    S18.03  450万t(昭和17年度供給250万t 消費670万t 差引−420万t)    S19.03  150万t(昭和18年度供給400万t 消費700万t 差引−300万t)    S20.03  50万t(昭和19年度供給600万t 消費700万t 差引−100万t)    S21.03  100万t(昭和20年度供給800万t 消費750万t 差引+50万t)    *昭和19、20年度は予想値  転移直前の昭和16年には、国内だけでも原油生産量26万t、人造石油生産量19.4万tの計45.4万t(但し12月8日以降の分は見込)の石油生産があったのだが、転移後はそれを大きく割り込んでいる。  これは、原油生産については操業人員や機材が大陸各地の油田地帯に抽出され、その後の割り当ても大陸優先となっているため、人造石油については主要な生産施設が満州等にあったためであるが、何れにせよ現在でも転移前の水準に達していない。 (人造石油に関しては、帝國がこの世界で大油田地帯を獲得したため企業が『将来性なし』と判断し、転移後の増産が遅遅として進んでいないことも大きい)  現在の帝國は、主にロディニア大陸バレンバン地方から石油を得ている。  本国―バレンバン間は約3000海里。  12ノットで航行しても片道10日半、往復ならば21日かかる。  これに港での積み下ろしやその他のロス――非効率による――を考えれば、一航海30日と考えた方が良いだろう。  一年365日うち整備・補修が1/3、航海を2/3として、年8航海しかできない計算だ。  油槽船1万t分で一回に運べる石油が約1.5万tだから、8往復で12万t。10万tでも年120万tしか運べないことになる。  転移時に帝國が保有していた油槽船は57.5万t、うち外洋航行が可能な船は45万t。  計算上は年540万t供給可能だが、海軍分や大陸での活動分を考えれば、とても全部を本国―バレンバン間に投入することは不可能だった。 (大陸や諸島における石油備蓄、或いは燃料運搬用としても大量の油槽船を必要とする)  また油槽船を増産しようにも、年50〜70万t程度という貧弱な帝國の造船能力――それも中小船舶分も含めて――では、とても急激な増産は望めない。  帝國の船舶建造能力、その全てを油槽船に振り向けたとしても、必要とする量を満たすのに丸一年以上かかるだろう。  加えて、確かに石油は最も重要な資源ではあったが、だからといって他の全てを犠牲にする訳にはいかないのだ。 (帝國の油槽船生産量は昭和17年度で20万t、18年度で20万t、19年度で25万t(計画値)と段階的な増産に止まっている)  このため、帝國は外航用の油槽船は勿論、本来ならば外航不能の油槽船までも動員して本国―バレンバン間の航路に投入した。  彼等はギリギリ以上の石油を積載――船上にまでドラム缶を満載――し、本国―バレンバン間の石油輸送に従事することになる。  ……この危険な任務により、少なからぬ数の船舶が遭難した。  上の供給量は、正に帝國海運・造船業界の決死の努力により達成された数値だったのである。  が、後に多くの関係者達は語る。  輸送だけを考えれば良いだけマシだった――と。  バレンバンで自噴される膨大な原油を運べば良いだけマシだった――と。 (実際、バレンバンの膨大な、そして自噴する原油は、帝國にとって干天の慈雨だった。  他の油田地帯が未だ碌に原油を産出しない――昭和19年度でも合わせて10万t未満――様な状況下では、バレンバンは正に命綱と言えた)  こうした関係者の努力の甲斐もあり、帝國は昭和19年度を最後に供給が需要を上回るだろうと予測していた。  そして、昭和20年度以降は備蓄量が増加に転じるだろうとも。  とはいえ、これはあくまでレムリアを始めとした大陸情勢が、このまま順調にいくと仮定した上で成り立った予測である。  加えて、現在の備蓄量は既に200万tを大きく割り込んでいる。  故に、少なからぬ者達は、現状に対し強い危機感を抱いていた。  現在の帝國の状況は、正に『綱渡り』そのものだったからだ。 (特に石油備蓄が100万tの大台を割り込むであろう昭和19年秋〜21年春の間は、如何なる冒険も不可だった)  ……彼等閣僚が、そのことを忘れる筈が無い。  余程頭に血が上ったのか、或いはまさか艦隊を多少動かした程度で、そこまで重油を消費するとは考えてもいなかったのだろう。  何れにせよ、この件に関しては帝國の最高国家機密であった。 【3-8】 「海軍としましては、奮発しても一個空母群による一〜二ヶ国に限定した、限定報復攻撃が精一杯です。  ただこの様な小規模戦力の場合、返り討ちに遭う可能性も否定できません」  一個空母群は、正規空母2、軽空母1、重巡2、軽巡1、艦隊駆逐艦8、防空駆逐艦4(定数)からなる比較的小規模な分艦隊だ。  空母艦載機も常用で132機(うち艦戦54)、補用を含めても153機(うち艦戦63)しかない。  これで列強本国に殴り込めば、集中攻撃を受けて大損害を受けかねないだろう。 (未だ艦戦が零戦なのも、海軍を消極的にしている)  つまり海軍も、陸軍同様『やりたくない』と言っているのだ。  陸海軍の意見は非常に正しく、かつ冷静だった。  ……同胞、それも身内が拉致されたにも関わらず、だ。  原因は、矢張り拉致されたと思われる連中の所業のせいだろう。  彼等は、拉致される前、現地で多額の借金や女性問題を抱えていた『恥さらし』である。  口の悪い者など、『自分から逃げたのではないか?』とすら陰口を叩く始末だ。  これでは仮に犯行国が判明しても、相手に『自分達から逃げてきた』とすら主張されかねない。  故に、軍は彼等を見捨てたのだ。 ……算盤に合わぬ、と。 「だが、ここまで良い様にされたら面子がたたんぞ?」 「敵が分からないのだから仕方がないだろう?  ……無論、判明すればそれ相応の報いを受けて貰う。  が、取りあえずは対応を強化し、敵にメッセージを送る。それ位だ」  すっかり勢いの弱まった強硬派の閣僚達に、外相は『棚上げ』を提案した。  彼等の面子を立てるためだ。 「……しかし、一体何処の国の犯行でしょうね?」  負けを認めた閣僚の一人が、自問する様に呟いた。  が、この呟きは勝った筈の外相や軍への思わぬ一矢となった。 「目下調査中ですが、中々尻尾が掴めません。  ……地元に諜報網を持たない連中の犯行の可能性もあります」  参謀長が忌々しげに呟く。  何せ、地元協力者が中々見つからないのだ。  これでは探し様が無い。  この世界には国際法などというものは存在しない。  が、暗黙のルールは存在する。  ……あくまで対等以上の相手間のみに通用する『ルール』ではあるが。  そのルールからすれば、今回の犯行は明らかなルール違反だった。  現在の帝國は、細々とはいえ列強諸国との対話があり、『準列強』『列強候補』として扱われている。  その国の国民、ましてや士官を攫うなど、如何なる国とて許されるない。  たとえ列強諸国でも、だ。  無論、帝國の特務機関もこれを遵守して活動している。  工作機関とはいえ、守るべきルールというものがあるのだ。 (だからこそ『現地にいられなくなった連中』を対象にしたのだろうが、その場合でもここまで数が膨れ上がれば、到底言い逃れが出来ない) 「まあ考えても仕方がありません。  問題は、洩れたことにより帝國が受けた損害です」 「とはいえ、水は高きから低きに流れる。  これで下手に萎縮して、大陸での開発が停滞するようなことは許されない」 「同感ですな。仮に技術を知られたとしても、それ程問題ではありません。  元の世界ではそれこそ多くの情報、技術が手に入りましたが、それを活用して軍艦や戦車、航空機を造れたのはほんの一握りの国々だけです」  数十人の専門技術者を拉致したところで社会基盤がなければ、出来ることなど高が知れている。  それは、元いた世界の国々が実証していた。 「列強を支那や南米、中東・アフリカ諸国と一緒にすべきでは無いのでは?  いうなれば、連中は産業革命前の欧州諸国ですぞ。いや、人口や魔法を考えれば、潜在能力はそれ以上だ」 「……お忘れですか? 我が国とて維新による体制変革がなければ、今ほどの発展できませんでしたよ?  連中がそんなことをすると御思いで?」  魔法の存在により、知識と力は貴族層に独占されている。到底、この世界では…… 「何れ列強とは雌雄を決す必要があるだろう。が、まだ早い。準備が整っていない」  かつて帝國が清と、ロシアと、……そして英米と戦わざるを得なかった様に、この世界でも何れは戦わなければならないだろう。  が、それは『今』ではない。  それは、この場にいる誰もが理解していることだった。