帝國召喚 第8章「???」 第1話  帝國属領ボルドー王国。  かつてレムリア王国第二の都市であり、『商都』とすら称えられたボルドーは、グラナダ戦役後に周辺の町村を併合し独立。その名をボルドー王国と変えていた。  ……ただし、あくまで『帝國の保護下での独立』あり、その実態は外交権を持たない自治領(或いは保護国)に過ぎなかったが。  とはいえ、外交権こそ無いものの内政に関してはかなりの自由裁量が認められていたし、宗主国である帝國は基本的に放任主義であり、上納金さえ払えば何の文句も言わない為、以前と比べて大分自由になったことは事実である。 (たとえその『自由』がメディチ家のみの独占物であり、他の商人にとっては『以前よりはマシ』程度であったとしても、だ)  加えて帝國がレムリア王国を支配するにあたり、ボルドー商人は帝國御用商人に抜擢された為、ボルドーは以前以上の活況を呈していた。  このため周辺人口が大量に流れ込み、一寸した社会問題と化していたほどである。 (治安の悪化も心配だが、それ以上に周辺諸侯との関係悪化が心配だった。  如何にボルドーに帝國の後ろ盾があるとはいえ、同じ邦國同士なのだから)  ……まあそんな感じで多少の問題はあるものの、概ねボルドーは平和と繁栄を謳歌していたのである。  が、ここ南レムリアに位置するボルドーといえども、一連の騒動とは無関係ではいられなかった。  無論、西レムリア程の狂乱振りは無い。  あれはあくまで西レムリアにおける局所的――と言うには範囲が広すぎるが――な混乱に過ぎないのだから。  が、その暴風は確実にボルドーを、いや北東ガルム全域を蝕みつつあった。  ただ、他地域では虐殺等が起こらなかった――少なくとも帝國が把握している範囲では――ため、西レムリアの影に多い隠されていたに過ぎない。  ボルドーの中心大通りを、1台の竜車が疾走する。  その車の造りと牽引している竜の毛並み(?)の良さから、乗り込んでいるのはかなりの実力者であることが伺えた。  ……尤もボルドーの民ならば、その竜車に描かれた紋章から直ぐに持ち主を特定できるだろうが。 「急げ! 急いでくれ!」 「旦那様! もうこれ以上は限界です!」  車内から急かすパッツィ家当主に、御者が悲鳴を上げる。  竜車の持ち主は、つい数ヶ月までメディチ家と並んでボルドーの二大実力者の一人と称されたパッツィ家の当主だった。  断っておくが、『つい数ヶ月まで』と称したのは、別にパッツィ家が没落したからでは無い。  ただ、ここ数ヶ月間におけるメディチ家の飛躍がそれだけ凄まじかっただけの話である。 (現在でもパッツィ家は『ボルドー第二の家』なのだ)  竜車は一路聖サルヴェストロ寺院へと向かっていた。  聖サルヴェストロ寺院とは、ボルドーがレムリア領ですらなかった独立都市時代に当時のメディチ家当主が建立した寺院であり、ボルドーは無論、北東ガルムでも有数の伝統と格式を持つ『神殿』だ。  中でも有名なのはその大礼拝堂、聖リヒャルト礼拝堂の天井画であろう。  大商人としてだけでは無く、熱心なアムール教の信者としても有名だったサルヴェストロ・メディチは、当時世界的な巨匠としてその名を馳せていたリヒャルト・ギルランを招き、大礼拝堂の天井画作成を依頼した。  やはり熱心なアムール教信者であったリヒャルト・ギルランは依頼を快諾。全ての仕事をキャンセルし、ギルラン工房の総力を挙げて10年がかりで作成した。  この天井画に賭けるリヒャルト・ギルランの熱意は相当なもので、当時71歳だったにも関わらず寝食を忘れて作成し、天井画完成と共にこの世を去ったと伝えられている。  サルヴェストロ・メディチもほぼ同時期に死去したが、二人はその信仰と功績を称えられ、死後アムール教団――アムール神を崇拝する世界規模の教団――より、サルヴェストロ・メディチは正聖人の位を、リヒャルト・ギルランは準聖人の位をそれぞれ贈られた。  寺院とその礼拝堂に二人の名を冠した名が付けられているのは、それを記念してのことだ。  ……要は、それだけ世界的に有名な寺院、ということである。    聖サルヴェストロ寺院に着くと、パッツィ家当主は慌てて聖リヒャルト礼拝堂へと向かった。  そこは、多くの男達で溢れていた。  彼等は、何やら大規模な作業を行っている様だった。 「おお、なんということだ…… リヒャルト・ギルランの『天神降臨』が…… 至高の芸術が……」  礼拝堂内部に駆け込んだパッツィ家当主は、天井を見て絶句した。  リヒャルト・ギルラン最後の、そして最高の傑作である天井画が、醜く塗り替えられていたからだ。  大礼拝堂の天井一面に描かれた天神降臨の図は、世界を治めている数多の神々、その中でも一際高貴な存在であるアムール神が、数百数千の属神と共に降臨する様子が描かれている大作だ。  空には降臨する神々、地上にはその御使いたるエルフが、祝福を受ける諸国の王や聖人達と共に描かれている。  ……そのエルフ像が、塗り潰されたり描き換えられたりしていたのだ。  新たに描き加えられた人物は、よりにもよって浅黒い肌を持ったダークエルフ達だった。  アムール教の教義においては、『邪悪な存在』とされているのにも関わらず、だ。 「君達! これはどういうことだ!」  パッツィ家当主は、黙々と作業をこなす男達に食って掛かる。  そしてはじめて気がついた。彼等が見知った顔であることを、ボルドーでも名高い工房の職人達であることを。 「パッツィの旦那…… 勘弁して下さい……」  食って掛かかられた男は、目をそむけて弁解する。 「いいや、許さん! 君は仮にも芸術に携わる者の一人だろう!? にも関わらず、この様な真似をしでかすとは!  いや、それ以前に一人の人間がその命を賭けて造ったものを汚すとは、どういう了見だ!」  その姿は、『気さくな旦那』とボルドーの民から慕しまれている普段の彼からは想像もつかない。  彼は本気で怒っていたのだ。 「旦那…… 勘弁して下さい……」  が、男はやはり同じ言葉を繰り返すのみ。  業を煮やしたパッツィ家当主は、話にならんと責任者を探す。 「クリムドはどこにいる? まさかあの男がこんな真似をしでかすとは思わなかったぞ」  失望した、と言わんばかりのその言葉に、男は初めて反応した。  正確に言えば、クリムドという名に、ではあるが。 「……親方はいません」 「では、まさか君達の独断か?」  その言葉に、まさかとばかりに目を丸くする。  が、男はそれを肯定した。 「親方は、今牢屋の中にいます。天井画の描き換えを断ったから。  だから俺達が代わりにやらないと、親方の両手は切断されちまうんです」  だから皆で相談して決めたんです、と男。 「馬鹿な!? どこの貴族がそんな真似を……」  余りにも信じられない理由を聞き、パッツィ家当主は目を丸くした。  ……しかし、そういえば噂で聞いたことがある。  西の方ではエルフ廃絶の動きが凄まじく、多数の死者が出ていること。その動きが他地域に波及しつつあることを。  それらの地域でも虐殺こそ無いにしろ、エルフを称える詩を歌うことを止めなかった吟遊詩人が喉を潰されたり、やはりエルフを描くことを止めなかった画家の利き手が潰されたりしているという。  それ故、災難を恐れてエルフ関係の品々を手放したり、描き変える事例も後を絶たないらしい。  が、まさかここボルドーにまで……  そこまで考えが及んだ時、後ろから聞きなれた声が聞こえた。 「……何だ、全然進んでいないではないか」  振り向くと、そこにはメディチ家当主が多くの取り巻きを従えてやって来た。  取り巻きの中心には、メディチ家当主の他に数人の帝國人も見える。 「メディチ殿!?」 「おや? パッツィか、どうした?」  メディチ家当主は、かつての様に『パッツィ殿』とは呼ばず、『パッツィ』と呼び捨てた。  が、パッツィ家当主はそれどころでは無かった。  彼は慌ててメディチ家当主に、ことの次第を確認する。 「まさか、メディチ殿がこの様な命を下したのですか!?」 「? ……ああ、絵画の改修工事のことかね? それが何か?」  メディチ家当主は、彼の質問に『そんなことか』と言わんばかりに返す。 「馬鹿な!? この様な神をも恐れぬ所業、一体何のために!?」 「『神をも恐れぬ所業』と言うがね、これは教団のレムリア本部――本部は世界各地に複数ある――からの正式な依頼だぞ?  ……ならば敬虔な信徒としては、やらない訳にはいかないだろう?  第一、この寺院は昔から我が家の所有物だ。誰に何を言われる筋合いでも無いと思うがね」  パッツィ家当主の言葉にも、取り付く島が無い。  実は『我が家の所有物』というその言葉通り、メディチ家はこの寺院を教団に寄進していない。  寺院を寄進する代わりに、それ以上のものを寄進したのである。  それは寺院の永代使用権とメディチ家が寺院を所有している限り、教団に寄進し続けるという暗黙の約束だ。  聖者を出した家系であるメディチ家は、この寺院の所有権(と同時に維持管理義務)を代々継承しているのだ。  ……まあ所有権と言えば聞こえが良いが、寺院内部の運営は教団側が独自に行うし、事あるごとに莫大な寄進をする必要があるため、名誉も重いが負担も重いという実に厄介な代物なのだが。  無論、その程度の負担を重荷に感じる様なメディチ家では無いが、数百年間の間教団に莫大な寄進をし続けていることに変わりは無い。  はっきり言えば、これだけの寄進の約束を数百年前にしたからこそ、サルヴェストロ・メディチは聖人の位を得たのである。 「しかし……」  が、その様な理屈に納得出来る筈が無い。パッツィ家当主は尚も食い下がろうとする。  が…… 「ええい、煩い。何処かへ連れて行け!」  尚も言い募ろうとするパッツィ家当主を、メディチ家当主は煩そうに部下に命じて追い出させた。  最早、両者の間にはそれだけの力の差が存在していたのである。 「どうもお騒がせしました」  パッツィ家当主を追い出すと、メディチ家当主は帝國人達の方を振り返り、愛想笑いを浮かべた。  それは、かつての彼からは想像もつかない程、酷く下卑た表情だった。  ……何が、彼をここまで変えたのだろうか? 「いや、まあ余興にはなりましたよ」  帝國人達は答える。口調こそ丁寧だったが、態度は尊大そのものだ。  彼等は大きく分けて、二つの系統の服装をしていた。  軍服と背広である。  軍服と背広といっても、軍人と民間人では無い。  軍人と官、正確に言えば陸海軍の高級軍人と外務官僚達である。 「――で、どの位数が揃いましたか?」  男達の一人が、本題に入る。  この帝國人達、実は今回の騒動で手放した、或いは手放そうとしているエルフ関連の芸術品を買い集めに来ていたのである。  メディチ家当主は、その斡旋役を務めていたのだ。  今回の騒動で、大量の美術品が出回った。  が、後難を恐れて買う者は殆どいない。 (少数の者も、流石に目立つことを恐れて大々的には買い入れない)  それに目を付けたメディチ家当主は、これ等美術品を帝國人の有力者に斡旋し始めたのである。   簡単に言えば、美術品を恐ろしく安く買い入れ、それを他大陸の富豪や貴族に売りつけるのだ。  これなら帝國人達は、多額の差益を手にすることが出来る。  この一部始終を代行するのがメディチ家だ。  元の所有者から代理人として買い叩き、  他大陸の買い手を見つけ、やはり代理人として交渉し、売り捌く。  帝國人達は黙っていても金が入る、という寸法だ。  ……早い話が、賄賂とさして変わりが無い。何しろ元手すら無担保で貸しているのだから、他に例えようが無いだろう。  が、さすがメディチ家。その辺りに抜かりは無い。  以下の様な弁明を予め用意している。  『我々は商売として斡旋しているだけ』  この言葉どおり、メディチ家は斡旋の代償として、仲介手数料を徴収している。  その手数料も、異常なほど安い、などという設定はしていないため、商売行為と言えなくも無い。  『無担保で資金を貸しているというが、担保として買い上げ前は貸した金を、買い上げた後は美術品を預かっている』  担保を貸す前に預かるのではなく、貸してから預かるという、詭弁同然の手口である。  が、同様の例――信用貸し――は帝國でもそれなりに行われていたし、貸した金は直接帝國人に手渡されず、最後までメディチ家が預かっている為、一応筋は通っていた。  『賄賂というが、では我等は如何なる便宜を払ってもらっていますかな?』  ……確かに、具体的な便宜は図ってもらっていない。  買い叩くという批判に対しても、ちゃんと以下の弁明を用意している。  『確かに二束三文で買い取るが、売り手にとっても買い手が帝國人ならば安心できる』  売り手も帝國人に売れば、その後追求は無いだろうし、買い手も帝國人ならば安全だ。  要するに、売り手と書い手の身の安全を守るため、買い手は帝國人限定としているというのだ。  二束三文の値も、市場原理に従えば仕方が無いらしい。  これだけ言い分が有れば、仮に追求されたとしても、どうとでも切り抜けられるだろう。  しかし何故メディチ家は、この様に多少の危険を冒してまでも、この様な斡旋商売をやっているのだろう。  確かにそれなりの収入にはなるだろうが、大メディチ家が手を染めるような商売では無い。  これについても、『他大陸の富豪や貴族と顔を繋ぐため』という理由を用意しているが、そもそも伝手で売り捌いているのだから、然程のコネは作れ無い筈だ。コネはコネでも帝國人との人脈作りだろう。  要するに、今後今以上に帝國と密接な関係を築くため、合法的に金をばら撒いているのだ。 (そんな時にも自分の懐を痛めず、かえって儲けてしまう辺りがメディチ家らしい)  メディチ家当主は、近い将来必ずや帝國商人達が出てくることを、そして彼等と利害がぶつかることを予想していた。  帝國のことを調べていく内に、予想は確信に変わる。  ――近い将来、帝國の『財閥』が大挙して大陸に押し寄せてくるだろう。その時、ボルドー商人は大被害を受けるに違いない。  中小の商人は大打撃を受け、大商人でも没落しかねない。生き残れるのは、帝國と結びついた一部商人だけだろう。  その未来予想は、ボルドーの『王』としては憂慮すべきことだった。  ボルドー商人の没落は、ボルドーそのものの地盤沈下に繋がる。何としても阻止しなければならない。  ――取り込んでしまえ。  それが彼が出した結論だった。  財閥と結びつき、財閥と行動すれば良い。  そうすれば、配下の商人にも仕事を回してやれる。  少なくとも、最小限の被害で済むはずだ。  ……無論、彼は被害を最小限に抑えるというよりも、ボルドーの焼け太りを狙っていたが。  帝國の御用商人役や絹の独占販売権を、気前良く他の商人に分け与えたのも、そのための前準備だ。他のボルドー商人を、メディチ家配下に組み込むための。 (無論、リスク分散等の考えもある)  既に、事態は望み通りに推移しつつある。  ボルドー商人の多くはメディチ家の傘下に入りつつあるし、帝國最大の大財閥と秘密協定も締結した。  近い将来、両家は友好を深めるために婚姻も結ぶ。  息子コジモと財閥本家当主の娘が結婚するのだ。  今回の騒動も、メディチ家は有効に活用した。  確かに大礼拝堂天井画の描き換えはリスクが大きいが、それによって得られる利益はより大きい。  この描き換えにより、ボルドー周辺地域でも美術品の放出が加速されるだろう。  人脈を増やす以上、商品は多ければ多いほど良いのだから。  そして今日もメディチ家は、人脈を広げるために各地で美術品の売買を続けている。  ――メディチ家は教団の指示に止むを得ず従っただけです。  他大陸でこう喧伝しながら、ではあるが。  この様に、メディチ家は着々と準備を進めていた。  やがて訪れるであろう将来に備えて。