帝國召喚 第8章「???」 第0話 『現在、王都レムリアは闇に包まれている。  帝國が王都を支配下においてから、何もかもが変わってしまった。  確かに一見しただけでは何の変化も感じないだろう。  王都の繁栄振りも以前と全く変わらない。  いや、帝國が大規模な事業を行っているため、もしかしたら以前よりも繁栄しているかもしれない位だ。  ……表向きは。  だがその裏では、確実に闇が広がっている。  最近の王都の流行は、反エルフに親ダークエルフ、それに帝國の象徴たる帝國刀だ。  神聖な筈の神殿がエルフの肖像画や像を忌まわしいダークエルフのそれに変え、誇りある筈の騎士達は帝國様式の剣を腰に下げて闊歩している。  中には、争うかの様にエルフ関連の品々を破壊して回っている者達すらいるそうだ。  上がこれなら下は推して知るべし。  多くの者達は、神聖な筈のエルフを厄介者、とすら見做し始めている。  まるで悪い夢を見ているかの様だ。  今も眼下の大通りを、数人の獣人達が通っていった。  奴等は帝國の軍服を身にまとい、道の中央を我が物顔で闊歩している。  そして王都の市民達は奴等に道を譲り、道の端を肩を寄せ合って歩いている!  これでは男が女装し、女が男装して踊り狂ったという伝説の退廃都市そのものではないか!  ……すべてが真逆、善悪が逆転してしまったのだ。  おお神よ! 世を統べる全ての神々よ!  どうかこの罪深き穢れし者共に天罰をお与え下さい  我等に正しき光と加護をお与え下さい  我等に帝國を討ち破る力をお与え下さい  このままでは、世界は闇に閉ざされてしまうでしょう』  この世界における覇権種族は人類である。  が、その勢力圏は大陸沿岸部という極限られた範囲に過ぎない。  人類は各大陸の沿岸部にしがみ付き、そこから奥は未だ人類未踏の地なのだ。  広大な各大陸、その半分以上は人類のあずかり知らぬ未知の大地だった。  勢力圏たる沿岸部でも事情は然程変わらない。  人類の大半は、世界各地に分布する『文明圏』と呼ばれる大小様々の自然が穏やかな地域内で生活している。  そして各文明圏の外は無人の――といって良いほど人口の希薄な――大地が広がっているのだ。  そこは未知でこそ無いものの、『蛮地』と呼ばれ文明圏の人々から恐れられていた。 (まあ文明圏を『海上における島や大陸』と考えた方が良いかもしれない。  文明圏が『陸地』で、蛮地が『海』だ。  『海』たる蛮地はその厳しい自然環境に加え、文明圏から追われた流民や獣……そして魔獣が生息する危険地帯なのだ)  が、この『蛮地』を渡り、各文明圏を回る人々が存在した。  交易商人達である。  各文明圏の間は、所謂シルクロードや海上交通路の様な道なき道、『路』で繋がっている。  交易商人達は、ここを通って各文明圏へと移動するのだ。  そしてこの『路』の中継地点として、文明圏外ではあるが『都市国家』という国家が存在していた。  これ等都市国家の主な収入源は、『路』を通る交易商人達の落とす金である。  海上交通の中継地の島や港、陸上交通の拠点となるオアシス――この場合は内陸の蛮地でも比較的自然の穏やかな地域のこと――に存在する都市国家群は、交易商人にとって格好の休憩地点であり、準備地点なのだ。  ……そして、情報交換の場でもあった。 ――――ウルガン王国。  ウルガン王国は小文明圏と小文明圏を繋ぐ『路』――それも支線――にある都市国家で、人口5000人足らずの吹けば飛ぶ様な零細国だ。  都市国家とは一つの都市とその周辺地域を治める国家であり、上でも述べた通り各文明圏を結ぶ『路』の中継地点でもある。  ……と言うよりも、『中継地点として都市が誕生し、都市が誕生したからこそ人が集まって国となった』と言った方が正しいかもしれない。  ただ『蛮地でも比較的自然の穏やかな地域』位では、都市など出来る筈もないのだ。  とはいえ、たかが二つの小文明圏を結ぶ『路』、それも支線の一中継地という時化た立地条件では、5000の民を支えるのがやっとである。  都市国家と一口に言っても、大は十万人超から小はこのウルガン王国の様な数千人規模まで、実に大小様々なのだ。  そんなウルガン唯一の酒場で、一見交易商人風の男達が密談を交していた。 「では聖リヒャルト礼拝堂の天井画は、本当に……」 「ああ、見るも無残さ。罰当たり共の御蔭で、な?」 「神をも恐れぬ不届き者め!」  男の一人が、拳を固く握り締める。 「だが、これで覚悟を決めた連中も多い。帝國は『やり過ぎた』のさ」 「当たり前だ! 帝國も、帝國に尻尾を振った連中も、全て等しく神の裁きを与えてやる!」 「……声が大きい」  他の男が、興奮気味の男を慌てて窘めた。  今や帝國は、大内海沿岸の小文明圏や辺境のみを支配下としているだけの新興国家ではない。  列強レムリアを滅ぼし、大文明圏の一つである北東ガルム全域をほぼその支配下におさめた『超大国への道を突き進もうとしている列強』なのだ。  列強諸国は未だ帝國を『列強』として認めていないが、それはあくまで形式的な問題に過ぎない。  実質的には、帝國は既に並の列強を上回る軍事力と勢力圏を保有する『列強』であり、その武威は中央世界――東西小内海沿岸部――においても急激に浸透しつつある。  特に北東ガルム文明圏に程近いこの地では、帝國の威光が及んでいないとも限らなかった。  また例え及んでいなくとも、軽々しく口に出して良い言葉では無いだろう。  ……特に、何かを企んでいる時は。  その懸念は的中した。  男が窘めた直後、酒場に数人の騎士達が入ってきたのだ。  その物々しい武装と表情から、酒を飲みに来たのでは無いことは明白だった。 「ちっ、『帝國派』か。こんな辺地の騎士まで……」  忌々しそうに誰かが呟いた。  騎士達はこの国の騎士で、皆やや湾曲した造りの剣を腰に下げている。  帝國様式の剣だ。  親帝國を自称する輩が好んで腰に下げた為、この剣は『帝國派の象徴』ともされていた。  そしてこの様な辺地の騎士までもが帝國派を気取るという事実は、それだけ帝國の影響力が増大していることを意味する。  ……それは彼等にとって憂慮すべき事態だった。 「おいっ! その詩は何だ!」  騎士達は、店内で竪琴を弾きながら叙事詩を唄っていた吟遊詩人を取り囲み、詰問する。  騎士達に取り囲まれた吟遊詩人は、哀れなほど怯えていた。 「わ、私はただ、『創世』の詩を唄っただけです!」 「とぼけるな! お前が反帝國の唄を唄ったという訴えが出ているのだぞ!」  騎士の一人が吟遊詩人を殴りつけ、叫ぶ。  小柄な吟遊詩人は、悲鳴を上げながら壁まで吹き飛ばされた。  その顔は青黒く腫れ上がっている。  手甲を付けた手で殴られたため、骨折していても不思議では無いだろう。 「本当です! 私はその様な大それたことは!」  それでも吟遊詩人は、必死で騎士達に無実を訴え続ける。  が、それを聞いた騎士の一人が、意地の悪そうな笑みを浮かべて言い放った。 「お前はエルフを讃える唄を唄った! エルフは反帝國の象徴だ!」  仲間の騎士達はその様子を嘲笑いながら眺めている。  ……本当に、言い訳なんかどうでも良いのだ。  どんな言い訳があろうが、彼等はこの吟遊詩人を痛めつけると決めているのだから。  騎士とは名ばかりの微禄、只日々を生きるだけという貧しい生活に対する不満、  国の誰もが顔見知りという狭い人間関係の中、身分制度を始めとする様々な柵に抑え付けられていることに対する不満、  その様な蛮地真っ只中の零細国に生まれ、そこで一生を終えねばならないという絶望――  その憤懣の捌け口として利用するだけなのだ。  この方法で、既に騎士達は何人もの罪も無い人々を殺していた。 (無論、相手は一人旅か精々親子連れの後腐れ無さそうな連中だ) 「そっそんな! これは大昔からある……」 「口答えをするな!」  その言葉を合図に、騎士達は吟遊詩人をよってたかって殴りつけ、蹴り飛ばす。  ……その様は尋常では無く、狂気としか言いようが無い。  が、誰も止める者はいない。  誰もが関わりあいを恐れているのだ。  暫くの暴行の後、騎士達は虫の息となった吟遊詩人を引きずる様にして連行していった。  その後を、先程密談を交していた男の一人が追おうとする。  それを他の男達が制した。 「大事の前の小事だ。無視しろ」 「しかしっ!」 「事が露見すれば、全てが水泡に帰す。故に、慎重に進めなければならない」 「目の前の犠牲者を救えずして、何が大義か!? 何が使徒か!!」  が、男はそう吐き捨て、騎士達を追って店を出て行った。 「どうします?」  上座に座っていた男に、男達の一人が尋ねた。  他の男達は腰を浮かしている。  ……恐らく上座の男の一声があれば、実力で先の男を止めることだろう。 「まあ今まで黙って見ていただけでも、あの男にしては上出来だろう」  好きにさせろ、ということだ。  その意外な答えに男達は目を丸くする。 「……あの男を止めれば、騒ぎは余計大きくなる」  道理だった。  何れ避けられない騒ぎなら、小さい方を選んだ方が良い。 「では?」 「予定より早いが、直ぐにここから立ち去る」 「不審に思われないでしょうか?」 「何、明日の朝、他の連中に紛れて出て行けば大丈夫だ」 「かしこまりました」  翌日、『帝國組』と呼ばれていた騎士達が、路地裏で死骸となって倒れているのが発見された。  が、国を挙げての大捜索にも関わらず、犯人を見つけることはついに適わなかった。