帝國召喚 第7章「西方諸侯の乱」 第2.5話 帝都は山の手の閑静な高級住宅街。その一角に、とある人物の屋敷が有る。 大きさは壱千坪程度であろうか? 長屋門造りのなかなか立派な御屋敷だ。 ここでは今、ある重要な決断が下されようとしていた。 「……と、言う訳です」 「「…………」」 上座に座る若い、というよりも未だ幼い女性の言葉に、下座で畏まっていた二人の男性――初老の帝國人とダークエルフだ――は互いに顔を見合わせた。 この家は華族では無いが、歴史有る士族の家だ。加えて、なかなかの資産家でもある。 故に使用人も多くおり、彼等彼女等を統率する『家老』――この二人の男達がそうだ――も存在する。皆、代々この家に仕える者達だ。 (例外として、何人かのダークエルフの男女がいるが、これとて今上座に座っている女性の家から付けられた代々の家臣達である) 「何か質問はありますか?」 女性の言葉に、ダークエルフの方の男が恐る恐る質問した。 「姫様。その儀、大陸に出張なさっておられる御館様は御存知なのでしょうか?」 この言葉に、隣の帝國人の男も大いに頷いている。 「? 御館様は私に、『家のことは一切をお前に任せる』と仰いました。ですから問題はありません」 それは知っている。二人はこの家の、言わば『家老』なのだから。 「そのことは我等とて、重々承知しております。ですが……」 ダークエルフの男はそこまで言うと言葉を切り、まるで続きを促すかの様に帝國人の男の方を見る。 それを受けた帝國人の方の男は、ダークエルフの男の言葉を引き取り、やはり恐る恐る言葉をを続けた。 「ですが、余りに冒険が過ぎるのではないでしょうか?」 この家の家業は土地経営である。つまりは大地主だ。 帝都近郊に幾つかの山林と五百町歩近い田畑を保有しており、後は帝都にある家作からの収入で生計を立てている。 (無論、この他にも多額の金融資産運用益がある) ……要するに、黙っていても金が入ってくるのだ。冒険の必要など全く無い。 となれば、家風が『安定志向』となるのも、有る意味必然であろう。 だが…… 「現在に安住する者には未来はありません」 だが、彼女にそんな言葉など通用しない。一刀の元に切り捨てられる。 「お前達は、今しか見ていないのですか? 当家は今、重大な岐路に立たされているのですよ?」 彼女の言う通りだった。 現在の帝國は、未曾有の人手不足である。その様は最早、『人手の奪い合い』とすら言われる程の様相を呈し始めている。 言わば『究極の売り手市場』なのだ。 当然、労働者の待遇は鰻上り。まがりなりにも政府が統制していなかったら、とんでもないことになっていただろう。 この人手不足が、帝國の農業を直撃したのだ。 帝國の労働人口の大半は、実は一次産業従事者である。 その中でも農業が大半を占めるが、帝國の農業は御世辞にも生産性が高いとは言えない。これは小規模かつ機械化が遅れているということもあるが、何よりも寄生地主制のせいだろう。 生産性が低ければ、待遇も比例して低いのが当たり前。帝國農業の担い手たる小作人達の待遇たるや実に悲惨なものだ。 ……この売り手市場の御時世に、そんな職に就きたがる者などいよう筈も無い。 農業は、忽ち人手不足に陥った。 借金で縛られている筈の者達も、『借金の肩代わり』『給与の前払い』といった形振り構わぬ企業の募集攻勢の前では、まるで意味をなさなかったのである。 これを防ぐためには、小作料を大幅に引き下げるしかない。かくして、小作料は大幅な下落を余儀なくされる。 転移前には五割を越えていた小作料相場が、現在(昭和19年)では四割を切っているのだ! ……そしてこの相場は現在も下がり続けている。 (来年度――昭和20年――には三割五分前後、そして数年以内に三割を割り込むのではないかと見られていた) この『小作料の大幅な下落』は、地主の大半を占める中小規模の地主層の暮らしを直撃した。 彼等はその小作料だけでは、最早その暮らしを維持できなくなりつつあったのである。 「彼等中小地主達は、早晩決断を迫られるでしょう。 ……『土地を売る』か、それとも『自分で耕す』かを」 『土地を売る』――要するに地主を辞め、純粋に都会の中産階級となるということだ。自分の働きだけで収入を得るのである。 『自分で耕す』――地主から、自作農へ転身するということだ。 ……だが素人である彼等に如何程のことが出来るであろうか? 耕作地が広いので、機械化も不可欠(つまり大規模な投資が必要)だろう。 「幸い当家は小作人達とも長年の信頼関係があり、規模も大きいので、事態はそれ程深刻ではありませんが、これは他人事ではありません」 「確かに……」 家老達は頷く。 小作人達も、跡継ぎを除いた子供達が都会にいってしまったので、労働力が低下しているのだ。 帝國政府の補助により、大幅な機械化を行ったため労働不足は補えたが、実質的な地代収入は低下――小作収入の低下と機械化による経営コストの上昇による――の一途だ。 「この解決には、今以上に規模を広げるしかありません。薄利多売です。当家の農地周辺の中小の地主達から、土地を買い集めるのです!」 彼女は既に工作を終えている。買収完了時には、この家の農地は倍以上に膨れ上がるだろう。 「しかし、これ程の農地を買う金は流石に……」 家老達は渋る。彼等は、必要とされる資金のあまりの多さに反対しているのだ。 「資金なら、帝國政府の農業基金から低利で借ります。十分採算はとれますので、心配ありません」 帝國政府も、この降って湧いた――十分予想できたであろうことだが――農業危機に対処するため、様々な補助を行っている。 またこのピンチをチャンスとばかりに、『大規模自作農の増加』と『効率化(機械化)』を推し進めようともしていたのだ。 「奥様。当家は、『借金厳禁』が家訓ですが……」 帝國人の男がやんわりと指摘した。 「借金には、『して良い借金』と『して悪い借金』があります。これは『して良い借金』ですので問題ありません。資産と収入は増えるし、税金は節約できるし良いこと尽くめですよ?」 「しかし、家訓では……」 「そんな融通の利かない家訓なんか、私知りません」 「奥様……」 ……ああ、地下の先代様に何と言って詫びようか。 男は半泣きだ。  「……しかし、よく基金から借りられましたね」 ダークエルフの男が首を捻る。 当家ほど大規模な地主なら、銀行から借りることが十分可能なため、対象外の筈なのだが…… 「何事にも例外はあります。それに御爺様が保証人になっていますから、何でしたら返さなくても大丈夫ですよ?」 さらりととんでも無いことをのたまう女性。 「グラディア様……」 ……やはりか。ダークエルフの男は、絶句しながらも納得する。 確かに、孫娘に『だだ甘』なあの方ならば、借金の肩代わり位喜んでやるだろうなあ…… 「しかし姫様、御館様も帝國男児。妻の実家を頼ることなどできないでしょう。 ……もしかしたら、機嫌を損ねられるやも」 とはいえ、流石にそれは拙い。御館様も良い顔をなさらないだろう。そういうけじめにはうるさい方なのだ。あの方は。 そこを突かれると流石に弱いのか、女性は暫し沈黙すると、あっさり先程の言葉を撤回した。 「御館様はもう御爺様の義理の孫です。問題ありません。 ……ですが、そうですね。やはり『最後の手段』としてとっておきましょう」 とりあえず最悪の展開は避けられたので、両者はほっとする。どうやら借金はしなければならないようだが、『借金肩代わり』よりはマシだ。 「有馬様の御家では、神州大陸開拓も行うそうです。当家も一段落し、足元を固めたら参入する必要があるでしょう。神州大陸は土も超えていますし、暖かいので三毛作だっできますから」 ……何やら今、とんでもないことが聞こえた様な気がした。 「姫様? 今、『神州大陸開拓に参入』と……」 「? ええ、言いましたが、それが何か?」 神州大陸は、開拓後すぐ収穫が可能なため、企業や富豪達が先を争うように参加している。 無論、表向きは開拓権利者――海外からの転移者達――の代理として、だ。 彼等は開拓権利者の生活を保証する変わりに、名義を借りている。開拓権利者達もノーリスクでそれなりの生活基盤が得られるため、多くの者が名義貸しを行っていた。 政府も、開拓には彼等の力を必要としていたので、この事実上の開拓権利の売買を、有る程度まで黙認している。 「姫様! それはさすがに手を広げ過ぎです! どこまで規模を拡大するつもりですか!?」 「無論、『当家が帝國屈指の農業企業となったら』ですよ?」 「「……姫様(奥様)」」 男達が情けない声をあげた。彼女の思考の飛躍についていけないのだ。 ……何故、農業と企業が結びつくのだろう? 両者は全くの真逆の存在ではないか。 それにしても、一体何が彼女の拡大思考を後押ししているのだろう? (彼女はやる気満々だ) 「以前御館様のことについて、有馬様に質問したことがあります。その際の有馬様のお答えは、大変参考になりました」 「はあ」 「その中には、『帝國では、どの様な妻が理想とされていますか?』という質問もありました。その答えとして、有馬様から頂いた本がこれです」 「「…………」」 彼女が見せた本は、戦国時代に夫を一国一城の主にまで押し上げた、とある賢夫人について書かれた本だった。 ……要するに、彼女はこの本のことを実行しようとしているのだろう。 また有馬様か! 帝國人の男は、全ての元凶である(と思われる)主の『悪友』の顔を思い浮かべ、内心罵った。 有馬様。名門子爵家の嫡男に生まれながら、かつて『台風』とすら言われた悪たれ。 『良い子』であった御館様に、悪戯を教えた――困ったことに、二人は非常に馬が合った――のは全て彼だ。 あの方は、御館様に悪影響ばかり与える困った御人であったが、まさか奥様にまでも悪影響を与えるとは…… 子爵家を継いで、少しは大人しくなったと思ったが、どうやら甘かった様である。 ああ、忘れもしない。御館様が軍に入られたのも、有馬様のせいだ。 『俺は陸軍に入って陸軍元帥になる。だからお前は海軍に入って海軍元帥になれ!』 ……などと、阿呆なことを! あの言葉さえなければ、御館様は帝大でっ! 男は尚も有馬子爵を罵るが、有馬子爵の名誉の為に敢えて述べる。 実は、有馬子爵のこの言葉――『俺は陸軍に入って陸軍元帥になる。だからお前は海軍に入って海軍元帥になれ!』――こそ、後の帝國を救う一言であったのである。 この言葉により、帝國の歴史は大きく変わり、『この家』も歴史にその名を残すこととなる。 それ故、この言葉は『歴史を変えた(動かした)言葉』として、後世多くの歴史書に刻まれることとなるのだ。 ……だがこれは、まだ遠い先の話である。今はまだ、誰もそのことを知らない。 「姫様。基金より資金を借り入れ、農地を拡大することには賛成しましょう」 ダークエルフの男が、結論を述べるかの様に発言する。 「そうですか。では早速……」 「ですが神州開拓の儀、これについては何卒、御再考頂く様お願いいたします」 「何故ですか!」 「当家の手には余るからです。先程姫様は有馬様の御家を挙げられましたが、有馬家は御大身、当家とは規模が違います」 「む〜」 不機嫌そうに唸る。 「とりあえず、買収した農地の借金を返し終えてから、もう一度検討しては?」 それを察した帝國人の男の方が、折衷案を出した。 「……そんなの、十年以上先の話です。完全に周回遅れです……」 尚も不満そうだったが、暫くすると諦めたのか溜息を吐いた。 「でも…… 仕方がありませんね…… 妻たる者、夫の家を危険に晒す訳にはいきませんから」 「御意」 この言葉で、二人は『もうこの話は無しになった』と考え、頭を下げて退出した。 ……だが、彼等は甘かった。 賢夫人の有名な逸話である、『黄金十枚の馬』の話を失念していたのだ。 帝國人の男は、未だ夫人の性格を把握しておらず。 ダークエルフの男は、逸話を知らなかった。 彼等が、『帝國屈指の農業企業へ』計画が未だ健在であることを知るのは、大分先のことである。