帝國召喚 第7章「西方諸侯の乱」 後編 【7-1 旧王都近郊、要塞飛行場】 「調整、急げ!」 ずらりと翼を並べた四式戦闘機『疾風』。その間を整備員達が走り回り、出撃前最後の整備を行なっている。 「……全く、有馬参謀殿も無茶なことを言う」 飛行第六四戦隊――この四式戦を装備する部隊だ――隊長は、その様子を眺めながら苦笑した。 幾ら小規模作戦とはいえ、陸海軍合同作戦を僅か三日で準備しろとは!  まあ基本計画や調整といった仕込みに関しては、既に有馬参謀の方でやっているのではあるが、それにしても…… ――『無謀、横暴、乱暴で三暴』とまでは言わないが、実に人使いの荒い御人だな。 そう思わざるをえない。 とはいえ、不快感は無い。それどころか感謝の念すらある。 自分は戦いたくて仕方が無かったのだ。この四式戦で。 一式戦一型から乗り換えた彼は、この四式戦に惚れ込んでいた。 2000馬力という大馬力が生み出す、600キロを超える高速。 12.7ミリ機関砲6門という重武装。 充実した防弾装備等々…… どれをとっても、一式戦を超越した機体である。 もっとも欠点が無い訳では無い。 四式戦は、未だ未完成の機体なのだ。 特にその心臓たるエンジン――誉――は、先天的な『持病』を抱えこんでいる。 2000馬力級エンジンとしては、異例と言っていいほど小型軽量化したツケとして、その生産には熟練した技術と高品質の素材が非常に高いレベルで要求される。 はっきり言って、帝國の技術レベルでは少々手に余る代物だったのだ。 生産も難しければ、整備も難しい。 熟練整備兵でなければまともに整備出来ないという複雑さの上、『完全分解しなければ整備不能――つまり現場ではまず整備出来ない――の部位が少なくない』という、およそ整備性云々以前の問題を抱えている。 とてもではないが、並みの整備兵では稼働率を維持出来ないだろうシロモノなのだ。 (何しろ、『整備の神様』とすらいわれるこの飛行場の整備班長をして、『このエンジンを開発した奴の頭の中を疑う』と言わしめた程だ) そのため飛行第六四戦隊では、稼働率を維持するために、四式戦40余機(補用機込)に対して特別に80基程の誉エンジンが支給されている。 凡そ1機に2基の割合だ。 これなら幾らバラしても問題ないし、それでも手に余るようならば、ツーロンで待機している整備船――本土のエンジン整備工場を丸ごと移植した――に送ることも出来る。 (そのお陰で、飛行第六四戦隊の四式戦は95%という高稼働率を叩きだしていた) 要は、こんな金満家的な手段を採らねばならない程、誉は問題児――特に初期は――だったということだ。 だが帝國は、その欠点を承知の上で尚、この誉に賭けていた。 現在の帝國は、この誉エンジンの大増産のため、他の航空エンジンの生産を大幅に減らしてまで熟練工をかき集めている。 (これは年間の生産機数と機種が極度に減少したからこそできる『荒業』だ。戦時ではとても真似できないだろう) そうでもしなければ、とてもではないが満足な誉エンジンを量産できないからだ。 これはあくまで生産が軌道に乗るまでの『一時的な措置』とはされていたが、如何に現在の軍が戦闘機偏重に陥っているか、如何に誉に賭けているかの証とも言えるだろう。 ……帝國の航空エンジン生産能力が、如何に貧弱かという証でもあったが。 【7-2】 特別倉庫から立派なドラム缶が恭しく運び出され、丁重にタンクに注ぎ込まれる。 試運転を行なうと、誉は普段以上に力強く動き出した。 「こりゃあ凄い! 『お嬢様』がご機嫌だぞ!?」 『お嬢様』とは、余りにも手がかかることから付けられた誉のあだ名だ。 ……如何に誉に手を焼いていたかが分かるだろう。 「さすが米国製! 帝國製とは一味も二味も違うな!」 ――米モービル社製100オクタン価ガソリン(と潤滑油)。 米国の対日禁輸措置以前に購入した、残り少ない貴重なガソリンだ。 実は、帝國は未だ100オクタン価ガソリンを量産できない。 帝國の航空ガソリン生産状況は、昭和19年1月現在で91オクタン50%、87オクタン40%、87オクタン以下10%という有様である。 100オクタンどころか95オクタン価ガソリンですら、次世代の燃料としてようやく量産化の目処がついた状態であり、その生産量は1%にも満たないのだ。 それを考えれば100オクタン価ガソリンなど、良くて次の次、下手をすれば次の次の次以降という『夢の燃料』だろう。 (現状では、量産化の目処どころか実験室レベルがやっと――それですらこの米モービル社製100オクタン価ガソリンに劣る――の有様だ) このような物が特別支給されることからも、今回の作戦の重要性というものが伺えた。 「傾注!」 戦隊長の声が響き渡る。 「今回の作戦は、ディジョン城空爆に先立つ敵航空戦力の撃破である!」 そこで区切ると、部下の搭乗員達を見渡す。 皆、目を輝かせて喰いついてきている。 戦隊長ばかりでなく、誰もがこの四式戦での出撃を望んでいたのだ。 「敵の航空戦力は、ブルゴーニュ大公爵家空中騎士隊及び王国空中騎士団の一部。うち、『大公爵家空中騎士隊は出撃しない』との情報が入ってきてはいるが、油断は禁物である。 なお、大公爵家空中騎士隊は2個戦隊規模のワイバーン部隊だが、王国空中騎士団は1個戦隊規模の新編成部隊であり、これは全騎ワイバーン・ロードだ! 我が軍を仮想敵とした初の部隊、強敵だぞ!」 歓声が沸く。 噂に聞く新編成部隊、相手にとって不足は無い。正に、四式戦の初陣にふさわしい敵と言えるだろう。 「静粛に! 今回の作戦は、800qという長距離――増槽を目一杯搭載してやっとの距離――飛行後の空中戦という、非常に不利な条件下で行なわれる! 何度も言うが、くれぐれも油断するなよ! 相手は今まで帝國が出会った中では間違いなく最強の敵だ! ……以上、解散! くれぐれも無理するなよ!」 ……それだけではない。今回の作戦は、敵にも筒抜け――故意に流した――なのだ。 おそらく敵は、最高のコンディションで迎撃してくるだろう。 最低でも1個戦隊規模のワイバーン・ロードが、だ。 それに引き換え、こちらは長距離飛行後の疲労した四式戦が20機(半個戦隊)。 戦力比2対1、大公爵家空中騎士隊が加われば更に悪化する。 ――全く、有馬参謀殿は無茶を言う。 改めて思う。 要は、『不利な状況下、衆人環視の下で圧勝しろ』と言っているのだ。 西方諸侯の『勘違い』を、根本から叩き潰すために。 一見、政治的思惑が最優先され、軍事的な常識――敵よりも多くの戦力を投入する――がおざなりにされた様に見える今回の作戦ではあるが、実の所、帝國は今回の作戦に持てる力全てを投入していた。 この時期、レムリア方面に展開している航空部隊は―― <陸軍> 旧王都 四式戦1個戦隊。 マルセイユ 五式戦1個戦隊。 他、上記二箇所に輸送・偵察機若干。 <海軍> ツーロン 方面艦隊所属陸上航空隊 ボルドー 一航艦分遣隊 洋上   一航艦主力 他、少数の水上機部隊。 ――となっていた。(陸軍指揮下に入る予定の海軍航空隊は、未だ未到着) このうちツーロンの部隊は、『レムリアにおける帝國輸送船団の陸揚げ港であるツーロンの防空』及び『ゲヘナ島攻略中の方面艦隊の支援』で手一杯。 ボルドーの部隊は、ボルドー商人のための貼り付け部隊であり、やはりボルドーから動かせない。 洋上の一航艦主力も、ゲヘナ島へ移動中で支援不可能。 ――となっており、海軍部隊は動けない。 つまり、海軍は輸送機代わりの九六式陸攻位(それも少数)しか動かせない状態だったのだ。 もう一方の陸軍は、四式戦と五式戦を各1個戦隊――各3個中隊36機(定数)+補用機8機からなる――保有している。 各戦隊は通常、要地防空(旧王都又はマルセイユ)、兵站防衛(大街道哨戒)、予備/訓練の三任務――どれも欠かせない重要任務――に、各1個中隊ずつ交代であてていた。 (整備や搭乗員の休養は、各中隊とも任務の合間に行なっている) ……要するに今回出撃する戦力は、本来なら予備/訓練任務に当てる分の機体をかき集めて投入した、というのが実情だ。 ――もう少し突っ込んで考えてみよう。 各戦隊の稼働率は定数の95%、故に稼働は約34機。 四式戦を稼働34機のうち20機を派遣するため、基地に残るのは僅か14機。 これでは通常任務が行なえない。 このため、マルセイユの五式戦稼動機34機のうち10機を一時的に回して貰っている。 これで両基地とも24機となり、要地防空、兵站防衛、予備に各2小隊8機――これは各任務に必要とされる兵力の最小限度――ずつ配分できるという訳だ。 以上の方法で遣り繰りして、何とか四式戦20機を捻り出したのである。 確かに敵を多少甘く見ているということもあったが、今回の作戦に投入される四式戦20機という数は、帝國が出せる最大値だったのだ。 帝國軍は政治的要求を受け入れながらも、きちんと軍事の基本――出せる最大・最良の戦力をぶつける――を遵守していたのである。 (秘蔵の米モービル社製ガソリンと潤滑油の使用も、少しでも性能を上げる為の努力の一環だ) 欲を言えばきりが無いが、兎に角帝國は今回の作戦にベストを尽くそうとしていたことが窺えるだろう。 総員帽振れの中、先導の九六式陸攻に続き、20機の四式戦が次々に離陸していく。 目標はディジョン城上空、ワイバーン・ロード部隊。 四式戦の初陣が始まろうとしていた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【8-0】 レムリア王国においては、飛竜という種は国王により厳重に統制されていた。 その統制は戦闘用のワイバーンに止まらず、軽輸送や個人移動に用いられる中/軽量級の非力な飛竜種にまで及ぶ。 中/軽量級の飛竜種は、ブレス攻撃能力の有無以前に飛行性能そのものがワイバーンに対して大きく劣る。例え幾ら束になったとしても、とてもワイバーンに対抗できないだろう。  ……にも関わらず、である。 それほどまでに、王国は飛竜という種を『危険な存在』と見做していたのだ。 (この点に関しては、帝國も全くの同意見だったが) 故に、国家以外が飛竜を保有することは至難の業であり、何重もの煩雑な手続きと審査が必要――平民、士族、貴族を問わず――とされた。 それらをパスして初めて、去勢済みの飛竜が下げ渡されるのだ。 (その後も、厳しい査察と高額な税金がついてくる) このように、空を飛ぶ全ての竜は、王国によって厳重に管理されていたのである。 治外法権を持つ『半独立的な存在』たる諸侯達とて、その例外ではない。 上で述べた事例程極端では無いにしても、やはり飛竜の保有は許可制――それも1騎ごとの!――であったし、王国から渡される竜も同様に去勢済みの竜であった。 (勿論、ワイバーン・ロードの保有は許されない。保有が許されているのは、ワイバーン以下の飛竜種だ) ――申告していない飛竜の保有は、即反逆とみなす。 王国は、諸侯に対してもこの様な厳しい態度で臨んでいたのだ。 故に、諸侯の航空戦力は大きく劣る。 それは王国有数の大諸侯であるブルゴーニュ大公爵家すら、保有するワイバーンが百にも満たぬことからも分かるだろう。 (大体、航空戦力の主力がワイバーンである諸侯ですら限らた存在である。小身の諸侯では、ワイバーンなど保有していない家も少なくない) であるから、もし帝國と事を構える積もりであるならば、王国空中騎士団の取り込みは必須であった。 当然ブルゴーニュ大公爵も、西レムリアに駐留する空中騎士団の各部隊に対して、様々な働きかけを行っていた。 が、その反応は決して芳しいものではなかった。 血族集団である上、一つの技術者集団でもある彼等の結束は非常に固いのだ。 帝國がその中枢と『手を打った』以上、まともな竜騎士や竜戦士が大公爵の呼びかけに応じる筈はなかった。 ……極一部の例外を除いて。 唯一大公爵の呼びかけに応じた部隊、それは第101近衛空中騎士隊だった。 第101近衛空中騎士隊とは、例の新計画――航空戦力の大改編――の一環として、試験的に編制されたばかりの実験部隊である。 【8-1 ディジョン近郊上空】 帝國軍は、予告通りの時間にやって来た。 先導役の爆撃型1に戦闘型20。 ……数も予告通りだ。 ――ということは、矢張り予告通り爆撃部隊が後からやって来るんだろうな。 竜騎士エーリクは胸の内で呟いた。 『三日後の昼、帝國軍はディジョン城に対する限定空爆を行なう。大公に組しない者達は、当日は城から出来る限り離れよ』 帝國は、その軍事行動を盛大に触れ回っていた。 それだけではない。その時刻、兵力すらも満天下に晒している。 だがそれによれば参加する部隊は非常に小規模であり、今までの戦訓から考えれば、帝國軍の撃退は決して不可能ではないと考えられた。 にも関わらず、帝國は自信満々だった。 ――王(帝國)が、まつろわぬ者共(ブルゴーニュ家)に対して懲罰を加えるのに、一体なんの隠し事が必要か!  『帝國の代理人』こと有馬子爵は、この作戦の危険性――返り討ちにあう可能性が高い――を親帝國派の諸侯に指摘された時、そう述べて大笑したと伝えられている。 西方諸侯達は、この帝國のメッセージを正確に読みっとった。 帝國は、自分の力を西方諸侯に見せようと言っていたのだ。 西レムリア最大最強を誇るブルゴーニュ大公爵を相手に。 ――これは、我々に対する挑戦だ! 第101近衛空中騎士隊の竜騎士達は、帝國の攻撃予告を聞いた時、その様に判断した。 第101近衛空中騎士隊は、ワイバーン・ロード6騎を装備する中隊6個とその支援部隊からなるという強力な部隊だ。 特に対帝國を意識し、部隊展開を迅速にするための空地分離や、ワイバーン・ロードの集中単独運用といった新機軸が導入された新世代の編制となっている。 騎士達も腕こそ確か――少なくとも一定水準以上――であるものの、皆若い。 (これは従来の枠組みに囚われぬ様に、との配慮からではあるが、ベテランから『一騎駆けの端武者』として敬遠されたということも大きい) 彼等は新部隊に選ばれたことを誇り、対帝國を想定した訓練と研究に没頭した。  血気盛んな若者達にとって、帝國と言う巨大な敵は実に功名心を刺激する相手だったのである。 そこに、まさかの王国崩壊。 竜騎士達の各本家筋達も、多数の貴族達と共に早々に帝國に降ってしまった。 ――未だ、王国は十分な戦力を残しているではないか! 竜騎士達は激昂した。 帝國を仮想敵として日々訓練を重ねてきた彼等にとり、その仮想敵に降るなどということは、到底我慢出来るものではなかったのである。 『第101近衛空中騎士隊は、通常の半分の規模なれど、従来の空中騎士隊3個分以上に匹敵する!』――という自信、自負もこれを後押しする。 ここで、『若者達だけ』という部隊の特徴が裏目に出た。 抑えるべき者達がいなかったのだ。 そこにブルゴーニュ大公爵からの誘いが加わり、激昂が暴走へと変化するのにさしたる時間を必要としなかった。 【8-2】 大公家空中騎士隊は、帝國の裏工作のためかサボタージュを決め込んでいる。 だが、エーリクは気にも留めない。 自分達が勝てば掌を返すに決まっているからだ。 ……第一、ワイバーン部隊などかえって邪魔なだけで、必要ない。 エーリクは自分達の勝利を疑っていなかった。 戦力比、凡そ1対2。 しかも帝國軍は、数百キロに及ぶ飛行の後だ。疲労していない筈は無い。 「グラナダの時と間逆だな。仇はとらせて貰うぞ」 エーリクは不適に笑い、騎竜を敵に向けた。 「……? 識別表にないな。新型か?」 まあいい。多少能力が向上したとて、この戦力差は覆せないだろう。 精々、お手並み拝見といくか。 機械竜達は、隊形を崩さぬまま突っ込んで来る。 ……ということは、陸軍か。 (『水軍』ならば、隊形を崩して単機単位で突っ込んで来る) 鼻で笑う。 「水軍ならばまだしも、陸軍とはな…… 何!?」 嘲笑が、驚愕に変わる。 最初の一撃で、6騎の味方が撃墜されたのだ。 ……自分も、かわすのが精一杯だった。 「馬鹿な! この火力は水軍か!? だが、この戦法は陸軍の……」 また敵が襲い掛かる。 ……速い! 味方は敵の速度に対応できず、回避もままならない。 今度は4騎が撃墜された。 「見たか竜共! 隼とは違うんだよ!」 加瀬軍曹は、喜びの叫び声を上げる。 『馬鹿者! 油断するな!』 無線機から、長機の叱責の声が流れる。 「はっ! 申し訳ありません!」 『敵も、そろそろ体勢を立て直し始めた様だな。くそっ! それまでに半分以下に減らしたかったが…… いいか、これからが本番だぞ! 隊形を崩すな!』 「ハッ!」 暫しパニックに陥った第101近衛空中騎士隊も、流石は対帝國を標榜するだけあって三撃目は許さない。体勢を建て直し、反撃に移る。 戦いは、混戦へともつれ込んでいく。 だがその中でも帝國軍機は、小隊隊形こそ崩されてしまったものの、依然2機単位の陣形を維持していた。 帝國軍機は、2機がかりで1騎のワイバーン・ロードに突っ込んでいく。 この2機というのは、陸軍戦闘機隊の最小単位であり、『常に連携して行動すること』とされている。 相互の距離は、最大でも『僚機との無線連絡が可能な距離』。 ……決して高性能とは御世辞でも言えない帝國製無線機とはいえ、その程度には使えたのだ。 敵の機体性能に対し、決して勝っているとは言えない機体。 敵の防護結界を打ち破るには、余りに貧弱な武装。 ――それを補うために、少なからぬ血の代償として得られた戦訓である。 2機の四式戦、計12門もの12.7ミリ機関砲が放つ弾丸は、あたかも巨大な1機の機体から放たれたかの様に、ワイバーン・ロードに殺到する。 その凶悪とすら言える鉄の暴雨の前には、防護結界など無きに等しい。 また1騎のワイバーン・ロードが、討ち倒された。 ……原型すら留めずに。 仮に避けられても、深追いはしない。 幾らでもチャンスはあるのだ。十分距離をとって、次の攻撃に移る。 「畜生!」 エーリクは、自分でも分からぬ『何か』に向かって罵倒する。 そこからは、先程までの余裕は欠片も見出すことは出来ない。 悔しいが、竜の性能が違い過ぎる。火力も速度も全く適わないのだ。 特にその速度差は深刻で、100q/時を軽く超えている。全く追い付けない。 その圧倒的な速度差を活かした戦法の前では、機動力の差など何の役にも立たなかった。 回避に失敗した竜が、1騎また1騎と落とされていく。 「対等以下の相手に、集団で立ち向かうとは! それでも竜騎士か!」 怒りの声とともに、敵の何度目かの襲撃をかわす。 そして、信じられ無いほどの高機動で敵の後ろに回りこんだ。 「死ね!」 叫びながらブレス攻撃を放つ。 2機目に数発のブレスが命中したが、あっという間に引き離されてしまう。 敵は距離を稼ぐと、再び突入してくる。 その様からは、さしたるダメージを受けた様には見えない。 ――畜生! 帝國軍の機械竜は脆弱じゃあなかったのか! 間違い無い。敵は新型、それも新種の機械竜だ。  ……そして自分達は、その実験台。 屈辱に震える。 その屈辱が、彼の判断を微妙に狂わせた。 防護結界を突き破った1発の弾丸が、彼の騎竜に命中。彼は騎竜と共に錐揉み状態で墜落していった。 『加瀬! 無事か!?』 「ハッ! 全く問題ありません!」 そう言いながらも、加瀬は額の汗を拭う。 ……今のは、本当に危なかった。何しろ、丁度背中の方から嫌な音が聞こえたんだものなあ。 四式戦の重装甲と高速、そのどちらかがなかったら、確実に死んでいただろう。 『……米国製ガソリンに感謝だな』 加瀬の考えを見透かしたような声。 「はっ?」 首を捻る。 『……何だ、貴様気付いていなかったのか?』 敵に背後をとられたその瞬間、加瀬はスロットルを全開にした。 ……それこそ、帰りの燃料を考えずに。 『貴様、俺の機を追い越したんだぞ? 620q/時近く出ている俺の機を、だ』 四式戦の最高速度は、624q/時。 だがその瞬間、加瀬機は650q/時に達していた。 【8-3】 空中戦は30分以上に及び、一方的な結果――少なくとも地上からはそう見えた――で幕を閉じた。 空を飛んでいるのは帝國の機械竜のみ。 第101近衛空中騎士隊は、文字通り全滅したのだ。 ……少数の竜騎士を除いて。 「う、う……」 エーリクは、その少数の一人だった。 彼は何とか騎竜を建て直し、着陸することに成功したのである。 (幸運にも、1発だけの命中で済んだからだ) 「この程度なら、竜もなんとか治せそうだな……」 騎竜の無事――少なからぬ期間の療養が必要だろうが――を確認し、安堵の声を挙げる。 竜さえ無事ならば、また戦えるのだ。 「?」 不意に、竜が警戒の声を上げた。 「どうし……」 その次の瞬間、竜の頭が吹き飛ばされる。 しかも、これは…… 「戦竜のブレス!?」 彼の目の前には、2騎の戦竜に率いられた数十の兵がいた。 しかも彼等は、ブルゴーニュ大公爵家旗印を掲げている。 「無礼者! 我は近衛竜騎士エーリク! 大公殿下の客人だぞ!?」 「客? 近衛? ……はて?」 だが隊長は、首を傾げる。 「……先程、王都の近衛騎士団から書状が届きました。『近衛には第101近衛空中騎士隊などという部隊は存在しない』そうです。 念のため、竜騎士を束ねる長老衆にも問い合わせましたが、やはり『知らぬ』とのこと」 「なっ!?」 隊長は意地悪く笑う。 「……つまり貴方、いや『お前』は近衛騎士と竜騎士の名を騙り、あまつさえ御禁制のワイバーン・ロードを乗り回した大悪人ということだ。ああ、大公殿下を謀った罪もあるな?」 「貴様等……」 ようやく理解した。こいつら、自分達を切り捨てる積もりなのだ。 「この男をひっ捕らえろ!」 「くそっ! 帝國の犬どもめ!」 連行されていく男を軽く一瞥すると、隊長は第101近衛空中騎士隊が駐屯していた基地の方に目をやる。 「そろそろかな……」 突如爆発音が聞こえると、基地から煙が上がっていく。 待機していた軍が突入したのだろう。 (彼等が受けた命令は至極単純、『全てを破壊せよ』だ) 第101近衛空中騎士隊の将兵達は、一人たりとも生かしてはおけなかった。 ……それだけのことだ。 「だがまあ、連中はまだマシか。すぐに死ねるからな。だがあの男は……」 竜騎士はそうはいかない。 生き残った竜騎士達は、人身御供として公開処刑されるだろう。 「恨むなら、自分の愚かさを恨めよ?」 隊長には、あの竜騎士達に対する同情心など欠片も無い。 何しろ帝國は、『竜騎士や竜戦士の家を正式な武家に任じ、職禄を家禄として永代に渡りこれを認める』という破格の条件を提示していたのだ。  例え飛竜に乗れなくても、である! 王国が、あくまで竜騎士や竜戦士の禄を職禄とし、竜に乗れなければ僅かな捨扶持に留めたのとは雲泥の差だ。 「全く、大人しく帝國に従ってりゃあ、子々孫々まで遊んで暮らせるというのに!」 本当に、馬鹿は始末に終えない。 こいつらが来なければ、流石に大公殿下も帝國に対して露骨な敵対行動をとらなかった筈だ! うん、そうに違いない。 ……筆頭家老様が切られたのも、何もかも、皆こいつらのせいなのだ。 【8-4】 ――ボーヌ。 ボーヌは、中央レムリアの最西端に位置する地である。 その近郊にある飛竜基地に、臨時の野戦飛行場が設営されていた。 戦闘を終えた四式戦を一時収容するために、帝國軍の一部が強行前進し、大急ぎで設営したのだ。 西レムリアに隣接しているだけあり、飛行場の警備も実に物々しい。 近衛歩兵大隊を中核とし、これに戦車中隊、野砲兵中隊、各種兵站部隊を加えた強力な陸戦部隊。 野戦高射機関砲大隊に加え、接収した『魔法の槍』まで多数展開させるという対空警戒…… まるで最前線である。 ――その通り。 帝國の認識では、ここはまさしく『最前線』だったのだ。 「おいっ! 帰ってきたぞ!」 一人の兵士が空を指差す。 その先には、黒い点々が見えた。暫くすると、聴き慣れた爆音も聞こえてくる。 「20! 全機無事だ!」 歓声が上がる。 ――期待通りの大勝利。 それは、ロッシェル戦役以来厳しい戦いを強いられてきた陸軍航空隊にとって、何よりも待ち望んでいたものだったのだ。 やがて四式戦が次々に着陸する。 整備兵と衛生兵は急いで駆け寄り、搭乗員と機体の安否を確認していく。 「……被弾機が多いな」 レムリア派遣軍航空参謀――戦況を確認するため旧王都からわざわざ出向いていた――は、舌打ちした。 「被弾機は、11機であります!」 「11機だと? 半数以上ではないか!」 整備班長の報告に、顔を顰める。 「このうち、8機は応急修理で基地まで帰還可能、残り3機についてはバラして地上輸送する必要があります」 「ではその3機については、ツーロンの整備船送りか……」 今後の機体のローテーションを考え、航空参謀は溜息を吐く。 だが、報告はそれで終わりではなかった。 「この3機もそうですが、念のため残りの被弾機も整備船に送りたいのですが……」 整備班長は更に悪い話を、バツが悪そうに告げる。 「駄目だ! それでは今後の通常任務に大きな支障が出るではないか! 只でさえ、今回の作戦で無理をしているのだぞ!?」 「そうは仰いますが、『だからこそ』です。今日一日で、一体どれ程機体とエンジンを酷使したとお思いですか? 航空機は精密機械の塊なんですよ!」 ただせさえ四式戦は『未完成』なのだ。基地の整備隊は、これから整備で忙しいことになるだろう。 とても被弾機にまで手が回らないし、もしものこともある。 「うっ……」 航空参謀もそういわれると弱い。 航空のプロである彼にとって、整備班長の言葉の正しさは十分理解できるものだ。反論など出来るはずも無い。  ……とはいえ、整備だけでなく運用も考えなければならない彼にとっては、実に頭の痛い話ではあったが。 「作戦に参加しなかった機体も、定期整備を一時遅らせて運用しています。そのツケを払わなければならないのです。 ……暫くの間、稼働率は大幅に低下するでしょうね」 「当分はギリギリの運用か……」 どうやら海軍航空隊が到着するまでは、現在の超過密スケジュールをこなすしかないらしい。 ……宴の後、その高いツケを払わされることは、どこの世界でもみな同じの様だった。 【8-5】 その後、搭乗員の状況も報告されたが、幸運にも疲労は別として大半が無事であった。 死者ゼロ。負傷者も皆軽症だ。 600q/時以上の高速。 燃料タンクは防弾の上、自動消火装置付。 主要部には装甲が施されており、特にコクピット後部には、実に12o厚――他でも6〜8o――の防弾鋼板が挿入されている。 そして機体構造そのものの強靭さ。 その全てが組合わさったことによる複合効果が、搭乗員を救ったのである。 四式戦は、その生存性の高さを初陣で証明した。 (これが零戦なら、一体何人死んでいたことだろう!) 「想像通り強敵でした」 帰還した飛行第六四戦隊長は、正直な感想を述べた。 「……矢張り、数か?」 今回の元凶たる有馬中佐の顔を思い浮かべ、押し殺した様な声で問う。 しかし、戦隊長は首を横に振った。 「いえ。否定はしませんが、決定的な要因ではありません」 「と、いうと?」 「今回の作戦を、航空参謀は『強襲』とお考えのようですが、我々は、『技術的な衝撃』により、敵に混乱を与えることに成功しました。 ……つまり」 「事実上の奇襲だった……と?」 「そこはまでは言いませんが、先制攻撃に成功したことは事実です。敵は二撃目までしか許しませんでしたが、それでも10騎削ることができました」 「つまり…… 実際は36対20ではなく26対20、『1対2』ではなく『ほぼ同数同士』だったということか?」 「まさに」 今度は首を縦に振ったが、その顔は深刻そのものだった。 「――馬鹿な!」 航空参謀は、吐き捨てるように叫ぶ。 今回の作戦は、800キロに及ぶ超長距離飛行後の戦闘だった。 今回の作戦は、敵に筒抜けで待ち伏せされていた。 今回の作戦は、兵力比1対2と劣勢だった。 ――そう、我々が圧倒的に不利な筈だった。少なくとも自分は、帝國はそう考えていた。 ……しかし、本当にその通りだろうか? 有利な点は全くなかったのか? 別の自分が囁く。 我々は、敵が『待ち伏せしているであろうことを確信』していた。 我々は、敵の竜の性能とその攻略法を知っていたが、敵は四式戦について全く知らなかった。 我々は、敵の混乱に乗じて数の差を大きく縮めることに成功した。 「ほぼ対等条件での戦いだったと言うのか! これがその結果だというのか!? そんな馬鹿な!! 確かに一見対等には見えるが、我々にとっては800キロに及ぶ超長距離飛行後の戦闘だったのだぞ!?」 2時間を越える飛行。その疲労たるや…… 「それだけではありません。 ……お忘れですか? 今回の四式戦は、言わば『下駄を履かせた様なもの』だということを」 そう指摘しつつ、今回の四式戦の飛行能力について思い出す。 今回四式戦は、通常の91オクタン価ガソリンと潤滑油ではなく、高性能の米国製100オクタン価ガソリンと潤滑油を使用していた。 その性能は、通常よりも一割かもしかしたらそれ以上、上昇していたのではないだろうか? ……少なくとも、自分は乗っていてそう感じた。 「もし平均的な練度の部隊が、同数のワイバーン・ロードと四式戦で戦ったらどうなる? 無論、下駄無しでだ」 飛行第六四戦隊は、実戦経験も多く、練度の極めて高い部隊である。 今回の結果をそのまま他の一般部隊に当てはめるには、少々無理があった。 「条件にもよりますが、正面からの殴り合いならば、10騎落とすのに1機、いや2機失うことを覚悟した方が良いでしょう。撃墜率は5対1から6対1程度ですかね」 知っている敵と知らない敵の差は大きいですよ? 今後は相手も対策を練るでしょうからね、と付け加える。 「レムリアは、確か600騎のワイバーン・ロード部隊を編制する積もりだった。ということは、600機の四式戦を用意しても、100機以上を失うということか」 自分で何となく口に出したその言葉、数字に愕然とする。 冗談じゃないぞ!?  陸軍戦闘機の年間生産機数は200〜250機。しかもこれは三式戦、四式戦、五式戦全て合わせての話だ。四式戦など、年間100〜150機程度である。 (ちなみに三式戦は50機、五式戦は50〜100機程度) つまり列強一国と戦うごとに、最低でも半年分の戦闘機を失うことになるのだ! 機体以上に搭乗員の損失が痛い。 被撃墜が即戦死という訳ではないが、100名の戦死などという損害は、陸軍航空隊……いや帝國軍航空隊の補充能力を完全に超えている。 まして複数の列強と同時に全面戦争になったら、帝國軍航空隊は磨り潰されてしまうだろう。 無論、話はそんなに単純ではない。 戦争とは、何も正面から殴りあうだけが能ではなく、いわば狐と狸の化かしあいのようなものでもあるのだから。 ……とはいえ、列強と全面戦争になれば、最新鋭機を用意してもかなりの被害を喰うであろうことは間違いないだろう。 「……参謀本部では、どんなに厳しく見積もっても10対1以上という撃墜率を想定していたが」 ポツリと呟く。 「この差は何だ?」 「ワイバーン・ロードは、ただの『480q/時で飛ぶ旧式戦闘機』ではありません。その機動性は、我々のそれとは比べ物になりません」 ワイバーン・ロードの機動を思い出す。 三枚翼の複葉機ですらついていけない程の出鱈目な高機動、それでいて一式戦一型よりもやや劣る程度の高速…… それ等を活かし、一瞬の隙を見つけて背後を取るのだ。ベテランとて油断は出来ない。 そこから抜け出すには、研ぎ澄まされた実戦感覚が必須だ。 未熟な搭乗員では、到底間に合わないだろう。一瞬の判断が生死を分ける。 防弾板は、あくまでその『一瞬』を稼ぐ程度のものでしかないのだ。 「そして、『搭乗員の練度差』ですね。 ……お忘れですか? 彼等は幼い頃から訓練に明け暮れているのです。それこそ10年、20年とね。その彼等から見れば、我々など……」 「ひよっ子も同然、か……」 基地は大勝利の興奮に包まれている。 が、この大勝利が暗示するものは、帝國にとってあまり歓迎できるものではなかった。 「こちら(陸軍)は新型機が登場したばかり、海軍さんは未だ零戦一本槍で、新型は影も形も見えず……」 そう。つまりそういうことだ。 少なくとも、新型機の数が有る程度揃う昭和20年――海軍はそれ以降――までは、列強相手に戦うことは極めて危険ということなのである。 例え限定戦争でも、だ。 (限定戦争だからこそ『危険』という考えもある) ……正直、零戦や隼で列強のワイバーン・ロード部隊と戦うなど、考えたくも無い悪夢だな。 が、これではっきりした。 ――帝國の一時代を築いた零戦は、その神通力を急速に失いつつある。 はっきり言おう、『零戦の時代は終わった』のだ。 今回の作戦でそれは証明された。 全く! 海軍は何時まで零戦に頼る積もりだ!? 航空参謀は、未だ新型機の開発に梃子摺っている海軍を、心中で罵倒した。 軍の、いや国家の有り様そのものを、航空戦力の優越に頼っている帝國にとって、それは看過し得ない大問題だったのだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【9-1】 ディジョン城下のとある邸宅には、ブルゴーニュ大公爵家の重鎮達――ビアリッツ城に集う付家老三人衆を除く――が集まっていた。 彼等の目は、手の者が送ってくる魔法映像に釘付けとなっている。 そこに映し出される光景は、圧倒的な帝國軍航空部隊の姿であった。 「馬鹿な! 一方的ではないか!?」 家老の一人が悲鳴を上げる。 帝國が勝つだろうとは考えていたが、まさかこれ程とは…… 「……どうやらこの帝國の機械竜、時速600qを大きく超える超快速型のようですな」 魔法映像の調整を行なっている、王国魔法協会ディジョン支部長が注釈を加えた。 「時速600q以上、だと……」 その余りの速さに絶句する。 「はい。ですがそれだけではありませぬ。その火力は些かも衰えず、従来の機械竜を上回る強靭さをも……」 ワイバーン・ロードも多少の命中弾を与えているのだが、敵はそのダメージもものとせずに動き回っている。 「新型、か?」 「おそらく。 ……それも、ただの改良型ではなく、全くの『新種』でしょう」 「……ワイバーン・ロードの改良で、対抗出来るか?」 その問いに、魔道士は黙って首を横に振る。 映像には、第101近衛空中騎士隊最後の1騎が、四式戦に撃墜される光景が映し出されていた。 「……結論は出ましたか?」 この中で只一人の客人が、彼等に問う。 「ブレスト伯爵閣下、本当に帝國は、我等の身代を保証して下さるのですか?」 「それについては、今までの帝國の振る舞いから判断して頂きたい」 ……ええ、保証されるでしょうよ。『貴方方の身代は』ね? 西方諸侯における親帝国派の最右翼、ブレスト伯爵が彼等の確認を軽くあしらった。 エルフ上洛の件で面目を潰した――帝國は気にしていなかったが――彼は、その失点を取り返すべく、反帝國派の西方諸侯に対して積極的な工作活動を行なっている。 今回も有馬中佐との密接な連絡の下、ブルゴーニュ大公爵家の『揺さぶり』を行なっているのだ。 「御老公、御決断を」 家老の一人が、ブレスト伯とともに上座に座る老人に決断を促した。 「うむ?」 老人は軽く首をかしげると、左側に座る男達の一団――家老達は右側だ――を見てやる。 言い忘れたが、この場には魔法映像の調整を行なっている魔道士は別として、客人であるブレスト伯爵、ブルゴーニュ大公爵家家老衆、そして『御老公』と言われる老人の他にも、ある男達の集団がいる。 それが上の『左側に座る男達の一団』だ。 やはり大公爵家家臣であるが、彼等の禄は精々百戸〜数百戸級(それでも相当なものではあるが)に過ぎない。 本来ならば、千戸級――つまり諸侯級――の家老達と比べて遥かに格下の存在だ。 だが現実には、明らかに家老達の方が遠慮しているように見てとれた。 彼等は、実はブルゴーニュ大公爵家御一門衆、つまり大公爵の親族達なのである。 『御老公』と呼ばれる老人を筆頭としたこの集団は、普段こそ王家が大公家に対してとるように『敬して遠ざけられて』いるが、その影響力は侮れない存在なのだ。 「我等、御老公の決断に従います」 男達の一人が答えると、男達は一斉に老人に頭を下げる。 「ふむ。 ……如何に本家唯一の男子といえど、所詮は『妾腹』。どうやら大公位を渡したのが間違いの元だったようじゃな?」 「では……」 「よきにはからえ」 「はっ!」 家老衆の筆頭格――あくまで付家老を除いての話だが――は、老人に頭を下げると、部屋の外に向かう。 部屋の外、別室には、大公家の武将達が控えていた。 「大公家に巣食う危険分子を一掃する! リオネル!」 「ハッ!」 「至急、家中の反帝國派を拘束せよ!」 「ハハッ!」 「ズマナ! 貴様は、近衛を騙る不届き者共を一掃せよ!」 「ハハッ!」 「マリユス! 貴様は、ボゴミール教の坊主と信者共だ! 領内の邪教集団を一掃せよ!」 「ハハッ! しかし、城内中央城郭(いわゆる本丸)の信者共は如何しましょうか?」 「……そいつらは、ビアリッツ家の獲物だ。手を出すな」 「御意」 「大掃除だ! 急げ!」 家老のその言葉を合図に、武将達は一斉に行動を開始する。 粛清の嵐が始まろうとしていた。 【9-2 ディジョン市近郊上空】 空戦が四式戦の完勝に終わり、四式戦がその勝利を誇るかの様に我が物顔で空を飛び回っている中、東方の高空から更に何かが飛んで来るのが見えた。 ――九六式陸攻だ。 その数、4機。 九六式陸攻は転移後、一式陸攻の登場とともに第一線から退いたが、その長大な航続距離を買われ、その半数が輸送機として活躍――残り半数は保管――している。 ……というよりも、長距離輸送機を多数必要――何しろ帝國本国と大陸との間は遠い――としたため、やむをえず九六式陸攻を戦列から外したというのが実情だろう。 (何しろ陸軍では、未だ九六式陸攻と同世代である九七式重爆が重爆戦力の主力なのだ。その考えからすれば、九六式陸攻はまだまだ『使える』機体である) 一式の量産は、九六式陸攻を取り上げた海軍への保障措置という奴だ。 こうして九六式陸攻あらため、『二式陸上輸送機』は、帝國と大陸各地を結ぶ戦略輸送や、大陸域内における戦術輸送に活躍し、帝國の航空路を支え続けていた。 この九六式陸攻4機のうち2機も、輸送機として待機していた機体を急遽再転用したものだ。 輸送機に転換したとはいっても、手間を省くためもあり、手は殆どかけていない。 そのため、容易に陸攻に再転換できるのだ。 (それ故、従来の九六式陸上輸送機とは区別されている) 搭乗員も以前の陸攻乗り――流石に人員の関係上、搭乗員は7名から3名に減ってはいたが――である。 海軍が、輸送機に転換する条件として『爆撃・雷撃訓練を続けること』を条件付けていることもあり、練度の低下もそれほどおきていない(ものと思われた)。 これ等輸送機群は、いざとなれば即陸攻として復活する、いわば『予備戦力』だったのである。 市上空に達すると、2機単位の2隊に分かれ、まず先頭の隊が城に向かう。 九六式陸攻2機は、緊密に隊形を組み、高度1500メートルという低空飛行で飛行する。 「いよいよだ……」 一番機『爆撃手』は呟いた。 二式陸上輸送機に転換したことにより、搭乗員は以前の7名から、主操縦士兼機長、副操縦士兼航法士、無線手兼輸送管理手(兼爆撃照準手)の3人体制となっており、彼は普段は無線手兼輸送管理手として働いている。 (本来ならば、人員不足の折でもあり、無線手兼輸送管理手を外した2人体制とした方が合理的ではあるが、海軍は頑として譲らなかった) どちらかと言えば、雑用的な役目である。 彼も、新型である一式陸攻の爆撃照準手として働いている同期と我が身を比べ、些か肩身の狭い思いをしてきた。 ……いっそ、地上勤務の方がまだマシだ。 そう考えたことも、一度や二度ではない。 だが、数日前より出撃命令を受け、その考えは百八十度変わった。 『諸君等は、あくまで“爆撃照準手”である! 二式陸上輸送機はあくまで“陸攻”であり、輸送任務は余技に過ぎない! それを証明する日がやって来たのだ! 海鷲の力、些かも衰えていないことを、陸軍の連中に見せてやれ!』 基地司令の激励の後、連日の爆撃訓練を実施し、本日を迎えたのだ。 やがてディジョン城上空に到達。 中央城郭の更に中央――天守区画――に到達し、照準器に天主が入ると一斉に爆弾を投下した。 その爆弾は、今まで見たことも無いほど巨大なものだった。 ――試製1500s貫通爆弾。 大和型戦艦の46センチ徹甲弾をべースとして、試験的に作成された爆弾である。 『徹甲』爆弾でないのは、想定される目標が、固い岩盤に覆われた地下陣地や、幾重もの強固な防護結界で覆われた大城塞だからである。 (無論、対艦にも凶悪な威力を発揮する) この爆弾、本来は将来開発されるであろう新型陸攻での運用を想定している。 爆弾架に手を加えることにより何とか搭載はできたものの、正直いってこの爆弾は九六式陸攻、いや現在の帝國軍爆撃機には手に余る代物だった。 今回も、搭載する燃料を大幅に減らすことにより、何とか搭載することが出来たというのが実情である。 航続距離が大幅に縮んだことも爆撃機としてはかなり問題ではあるが、それ以上に問題なのは、動きが豚のように鈍くなることだろう。 たとえ例の撹乱呪紙を装備しているとはいえ、これでは無誘導・目視照準の『魔法の槍』にすら撃墜されかねないのだ。 まあ今回は事前の裏工作により、敵の対空陣地を政治的に無力化できたから良いが、これでは『新型機が搭乗するまでお蔵入り』となったのも、或る意味当然の結果と言えよう。 爆弾を投下した瞬間、急激に軽くなった機体が大きく揺れる。 2機から投下された2発の1500s爆弾は、天守とその周辺『上空』に命中した。 この世界の城、その上空には、通常――或る程度の国なら――防護結界が展開可能となっている。 ワイバーン・ロードの『防護結界』、その巨大化版だ。 (とはいえ、常に展開されている訳ではない。普段は精々『鳴子』程度の結界だ) その強度や範囲、連続持続時間等の条件は様々ではあるが、それなりの規模の城ならば、大概はこの手の装備が整備されている。 (以前のゲヘナ島要塞に装備されていなかったのは、予算の理由もあるがそれ以上に秘密要塞という性格上、大規模な魔力を発せられなかったためだ。 とはいえ、それでもゲヘナ島要塞の対空防御力は、並みの城を超えていたが……) このディジョン城にも、当然施されている。 各城郭毎に独立した結界が展開可能――大抵の城は丸ごと防御――となっており、一度に全ての城郭が丸裸とならない様に配慮されている。 その結界強度も、200s級大型爆弾による急降下爆撃、三頭牽引による400s級超大型爆弾による水平爆撃に対して防御可能――あくまでこの世界の通常爆弾レベルを想定したものではあるが――という極めて強靭なものだ。 これ程強力な防御は、レムリア全土、いや北東ガルム大陸においても数える程しかない。まさに堅城である。 だが、高度1500メートルから投下される1500s爆弾までは流石に想定していなかった。 中央城郭には、特に二重の結界が展開されていたが、そんなことでどうにかなるシロモノではなかったのである。 この衝撃を均等に受けたのならば、まだ耐えられたかもしれない。 だが、極めて限定された部位にかけられた、1500s爆弾2発分の衝撃は、防護結界の限界を大きく超えていた。 過負荷によるオーバーヒートを起こし、結界展開システムは2基とも沈黙。2発の1500s爆弾は、天守に直撃――些か運動エネルギーを減じたとはいえ――する。 その弾頭は、事前の時限調整により、一定時間後爆発。 天守は音を立てて崩れ始める。 ……だが、それで終わりでは無かった。 天守崩壊後、待ちかねたかのように残る2機が向かってきたのだ。 【9-3】 今度は別の九六式陸攻2機が、今度は500メートルという超低空飛行で飛来する。 天守区画に到達すると、攻撃を開始する。 今度は爆弾では無く、弾丸の雨がばら撒かれた。 その胴体下、本来なら爆弾を積むべき部位には、多数の機銃が装備されていたのだ。 ――試製大型襲撃機。 転移後のドクトリンの変化により零戦から撤去され、大量の九九式一号20ミリ機銃が余剰となった。 これを、やはり余り気味の九六式陸攻に装備し、地上襲撃機としようと考えたのが、本機である。 九九式艦爆に、九九式一号20ミリ機銃2挺を装備した機が、予想外に活躍した所からの発想である。 胴体下面中央に、地上に銃口を向けた九九式一号20ミリ機銃15挺を装備。 機銃は固定式だが、出撃前にある程度向きを変え、攻撃範囲を調節することが可能となっている。 各銃の弾数は、即応分こそ、装着されている箱型弾倉(60連発)の60発のみだが、予備の弾倉が各銃につき1個用意されているため、各銃120発、計1800発の20ミリ弾を保有――無論自衛用はまた別にある――していることになる。 実戦テストを期待し、北東ガルムに送られていたのだが、どうやら『期待通り』にその実力を試すチャンスがやって来た訳だ。 今回、被害範囲を限定する必要性から、各銃の向きは最小とされている。 一撃ごとの攻撃範囲こそ狭いが、その火力密度は、それに反比例して強力だった。 15挺の機銃から放たれる20ミリ弾は、大概の建造物を無効化し、建物内にも降り注ぐ。 敵に反撃の暇もなく降り注ぐ『鉄の豪雨』。 ……それは、もはや一方的な虐殺でしかなかった。 2機の九六式陸攻は命令通り、天守区画に全弾――3600発――の20ミリ弾を発射すると、先の2機とともに帰還していった。 後に帝國支配地域における反乱鎮圧の最終手段として用いられ、『屠殺人』と呼ばれ恐れられた、悪名名高い大型襲撃機――その原型機のデビューの瞬間だった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【10-0】 ブルゴーニュ大公爵は、中央城郭の主御殿地下で息を潜めていた。 ……筆頭家老を切り捨てた以上、必ず報復があるとを確信していたからだ。 筆頭家老のビアリッツ家は、大公爵家から半ば以上独立した存在である。 それを切り捨てた以上、只では済まない。 王国健在時ならば、謀反の疑いで王都喚問ものだろう。――それ程の大問題なのだ。 それに最早王国が機能していないとはいえ、これ程度の大失態である。自分を日頃から疎んじている親族や重臣達が、この機会を見逃す筈は無い。 これをチャンスとばかりに動き出す筈だ。 ビアリッツ家の報復や親族による暗殺を恐れた大公爵は、唯一信頼できるボゴミール教の信徒達とともに、中央城郭に立て篭もった。 ……彼は、親族はおろか、家臣すらも信用していなかったのだ。 大公爵の実母は妾である。 そのため、日頃から『妾腹』と軽んじられてきた。 ただの妾ならば、ここまで言われることは無かっただろう。 (妾腹出の貴族など、それ程珍しいことでは無い) が、それはあくまでその妾が貴族の場合の話である。 彼の母の出自は、残念ながら貴族では無い。それどころか士族ですら無かった。 彼の母は、平民だったのだ。 とはいえ、曲がりなりにも王都王城、それも王室近くで下働きすることを許された女である。決して『何処の馬の骨』と評される生まれでは断じてない。 彼女は、水準以上の歴史と資産、そして教養を持った中流階級――つまり中小規模の資産家――の娘だった。 ……残念ながら、大公爵家という最高峰の格式を持つ貴族から見れば、馬の骨同然であったが。 彼女と前大公との出会いは、彼女にとっては不幸以外の何者でもなかった。 ことの始まりは今から二十数年前、レムリア王――グラナダ戦役後に急死したあの王だ――の、とある言葉から始まる。 「貴公、女を抱けぬ体か?」 当時王都に伺候していた、前大公にかけた言葉だ。 前大公は男色家であり、女に見向きもしなかった。それをからかっての言葉である。 前大公は、その言葉に秘められた揶揄の響きに激しく反応した。 「陛下! それは某が不能ということですかな!? ならばそれは陛下の勘違いというもの! それを証明して御覧にいれる!」 そう叫ぶと辺りを物色し、運悪く庭の片隅で平伏していた女に目をつけた。 「陛下! この者お借りいたす!」 その後のことは明らかであろう。翌日王都の大公邸から返された女は、『憔悴しきっていた』とだけ言っておく。 (王の前で、このような放言と行動をとることが許されることからも、彼等大公家の強大さが伺える) 当時まだ二十代の青年であったレムリア王は、この女を哀れみ、前大公を呼びつけてこう言ったという。 「貴公が女を抱けぬとういうのは、余の誤りであったようだ。侘びにこの女をやろう。妾とせよ」 ……ここで断っておくが、王はあくまで『女を哀れんでいた』のである。 だからこそ自分の誤りを認めてやり、なおかつ大公の妾に『してやった』のだ。 (平民風情を大公の妾にしてやるのだから、という考えからであるが、これはこの世界ではごく『常識的』な考えだ) 前大公も、王にそこまで言われては断れない。 こうして女は前大公の妾として、王都から何百キロも離れたディジョンの地へと連れて行かれたのである。 そして以後、二度と王都に戻ることはなかった。 女はやがて身篭り、出産後直ぐに死んだとされるが、毒殺されたとも伝えられている。 王にとっては善意だったのかも知れないが、彼女にとってはとんだ不幸であっただろう。 前大公の方は、やっと女から『開放』――曲がりなりにも王から下賜された形なので無下にはできなかった――されたとばかりに以後は男色趣味に没頭、死に至るまで女を近づけることはなかったという。 故に、前大公の子は現大公一人しかいないという有様だった。 大公の死後、跡目争いは揉めに揉めた。 前大公唯一の子、それも男子とはいえ、母の出自が余りにも卑しすぎたからだ。 彼が大公になれたのは、前大公の遺言があったからこそ、そしてそれが無事公表――遺言の捏造や改竄、破棄など珍しくもない――され、レムリア王が即座に相続を認めたからである。 (ただし前大公が彼を指名したのは、単に親族に大公位を譲るのが腹立たしかっただけであり、決して息子を愛していたからではない――前大公の彼に対する態度は完全な無視だった――し、レムリア王が彼の大公位相続を支援したのも、御家騒動ひいては大公家の弱体化を期待したからに過ぎないことは指摘しておく必要があるだろう) こうしてどうにか大公位を継げた彼ではあるが、この様な生い立ちからか、その心に人間への激しい不信と劣等感、そしてそこからくる英雄願望が生まれ、それは年月とともに徐々に増殖していくことになる。 彼は人ならぬ者、『穢れなき』エルフに憧れ、その憧れはボゴミール教と出会うことにより、崇拝にまで高められていった。 そして、そのエルフを侮辱されたからこそ怒り、筆頭家老を切り捨てたのである。 『我等には神がついている! 負けることなど有り得ん!』 『神は殿下のみについておりませぬ! 帝國にも神はおりますぞ!』 『大ボゴミール神が帝國の神如きに遅れをとるか!』 『……帝國の神の方が、遥かに多くの信者を得ておりますぞ? レムリア国主神の大レミ神ですら、帝國の神々の一柱に過ぎぬとの噂もありますが如何に?』 『信者の数など問題ではない!』 『殿下! いつまでボゴミールなどという、いかがわしい教えに惑わされておりますか! いい加減に目をお覚まし下さい!』 『貴様! 我が神を侮辱するか!?』 ……それが、全ての原因だったのだ。 【10-1】 ビアリッツ家を中心とした仇討ち部隊がディジョン市に到着したのは、飛行第六四戦隊と第101近衛空中騎士隊が丁度始まったあたりだった。 彼等は小高い丘に布陣、両者の空戦を観戦している。 三人衆の威光と帝國の揺さぶり、そして何より大公自身の自爆により、大公軍も大公被官の領主達も激しく動揺、ここまでの道程に大した障害は無かった。 「……だが、ここからは違う」 ビアリッツ家新当主となったレイナルドは呟いた。 仮にも大公の御膝元である。武装した私兵集団が進入出来る筈も無い。 (今までの道程も、公道を通過したからこそ何事も無かったのである。もし都市や私領に進入していたら、即迎撃されたであろう) 事実、自分達を先程から監視している一団がいる。 大公軍、その一部隊である。 自軍のほぼ倍の規模を持つ彼等は、微妙な――双方の武装の射程ギリギリ外――距離を保ち、向かい合う用に布陣していた。 両者はお互いを警戒しつつ大空を、正確には空戦の経過を注視している。 ……あの空戦の結果如何だな。 レイナルド以下の幹部達は、その結論で一致していた。 もし帝國軍が勝てば、大公の親族連中は大公排除に傾く筈だ。 その際、自分達の手を汚さぬ上でも、自分達を利用しようとするだろう。 これなら敵は大公の取り巻きだけで済む。 だがもし痛み分け、或いは帝國軍敗北の場合は…… ディジョン城に駐留する大公軍も敵に回る。 (痛み分けの場合は微妙だが、覚悟した方が良いだろう) 自分達は何倍もの敵、それも軍と戦わなければならないのだ。 この場合、仇討ちは絶望的だ。我等三人衆は滅亡の危機に晒される。 「つまるところ、帝國頼みか……」 「仕方ありませぬな。敵は腐っても大公爵、『諸侯の中の諸侯、王に最も近き者』ですから」 レイナルドがふと口にした言葉に、三人衆が一人、大公家付家老のバイヨンヌ王国子爵が答えた。 次いで、帝國への不信に近い懸念の言葉が、バイヨンヌ王国子爵から出る。 「二対一…… 今までの情報を考えれば、帝國が不利ですな」 「帝國にも何か策があるのでしょう」 そう答えたレイナルドも、顔を顰めている。 アリマ卿は、あれ程自身たっぷりだったのだが…… 「もし帝國軍が敗北した場合、殿は我がビアリッツ家が務めます。方々は自領へ御戻り下さい」 レイナルドは先程から考えていた言葉を彼に伝えた。 もし無事領地に帰れれば、周囲の親帝國派――敗北後は旗色を変えかねないが――諸侯と共同し、何とか生き残れるかもしれない。 だがここに残れば…… 無念だが、仇討ちは中止だ。 三人衆全てが動いたからこそ、ここまで無傷でこれたのである。その恩に報いなければならない。 「何を仰るレイナルド殿、いやビアリッツ卿!」 レイナルドの言葉に、バイヨンヌ王国子爵は目を丸くする。 「我等に尻尾を巻いて逃げ出せと!? ご冗談を! その様な生き恥、御免こうむる!」 その言葉に、先程から沈黙していたボー王国子爵も首肯した。 「左様、ビアリッツ卿とバイヨンヌ卿は手勢を連れ、そのままディジョン城に突入して下さい。アレは……」 そう言いながら、ボー王国子爵は布陣する大公軍を指し示した。 「アレは、我がボー家に頂きたい」 「では、市内の敵は我等の獲物。ビアリッツ卿は安心して城内に突入を」 バイヨンヌ王国子爵も同意、自分の獲物を定める。 城内には自分達のシンパも多い。どの程度あてに出来るかは疑問だが、運が良ければ仇討ちが達成できるかもしれない。 「しかし、貴方方の手勢は……」 その言葉に、レイナルドは絶句する。 我がビアリッツ家が200。バイヨンヌ、ボー両家は各々100程度に過ぎない。 対して大公軍は、布陣しているだけでも1000近いのだ。 「心配御無用! この期に及んで、命など惜しみませぬよ!」 「……名の方が惜しいですからなあ」 貴族としての保身、そして貴族としての誇り。 この全く対立する両者の兼ね合い、その天秤は大きく『誇り』の方に傾いていた。 (余談ではあるが、この判断の兼ね合いは、帝國――特に転移初期の――にとって非常に分かり難いものであった。 帝國人にも彼等の様な感覚が多かれ少なかれ存在するので、『理解不能』とは言わないが、ギリギリの所で判断に困ったのである。 このため、この世界の風習・風俗に対する研究に大きな労力がかけられることになる。 典礼参謀などという制度が出来たのも、交渉を円滑に行なうとともに、少しでも彼等を理解しようした結果であろう) 「……かたじけない」 「何、礼なら大公の首をとってから頂きましょう」 覚悟を決めた貴族や士族は強い。彼等は死をも恐れぬ死兵と化すのだ。 【10-2】 空戦は、帝國軍の圧勝に終わった。 ワイバーン・ロードは、帝國軍の新型の前に、手も足も出なかったのである。 「……この戦、勝ったな」 誰とも無しに呟いた。 帝國軍がここまで圧勝した以上、大公の親族連中も大公排除に動かざるをえない。それも積極的に。 「大公軍、去っていきます!」 其の証拠に、対陣していた大公軍1000は陣を引き払う。 西方からは砲声が聞こえ、幾つもの煙が上がる。 「あの方向には、確か近衛空中騎士隊が駐屯していた飛竜基地がある筈だな」 ……つまり、そういうことだ。 「よし、我等も陣を引き払う! 進軍だ! 敵はディジョン城にあり!」 レイナルドの号令に将兵は歓声で応え、仇討ち部隊は整然とディジョン城に向かう。 その門は、大きく開け放たれていた。 ――ディジョン城中央城郭。 「……これは」 帝國軍の大型機械竜による攻撃を受けた中央城郭、特に天守付近は凄惨な惨状を呈していた。 老若男女の死体、いや肉片が辺り一面に散乱している。 五体満足な死体など、殆ど無い。 建物内部も安全では無かったらしく、多くの死体が折り重なる様にして倒れていた。 机の下に隠れる様な死体すら見受けられる。 「帝國の力、これ程とは……」 北東ガルム屈指の堅城であるディジョン城、その中央城郭がこうも簡単に無力化されるとは! バイヨンヌ王国子爵が唸る。 「見縊り過ぎていたようですな」 「深く考えることも無いでしょう? 我等は『賭けに勝った』のですよ。 ……ギリギリのところで、ですがね」 ボー王国子爵の言葉に、他の二人も頷く。 彼等の頭の中の天秤は、貴族の誇りから保身へと大きく傾きを変えた。 最早、仇討ち成功は確定事項である。 それよりも、『その後』のことを考えなければならない。 自分の家門の存続を守り、かつ今まで以上の繁栄を得るにはどうしたら良い? ……帝國に協力する?  そんことは当たり前だ。誰もがそう考えるだろう。 そんな中、頭一つ突き出た『何か』をしなければならない。 だが、それは何なのか? 皆、首を捻る。 地下の退避室に潜んでいた大公が、彼らの前に引き摺り出されたのは、丁度そんな時だった。 大公の死、その前後の詳細については一切伝えられていない。 ただ、貴族としての名誉ある待遇も、誇りある死(自決)も許されず、罪人の様に首を刎ねられてその短い生涯を終えたことだけは確かである。 享年22歳。死後、その首は数週間に渡って晒されたという。 ……それは大公爵として、いや貴族として、余りにも惨めな最期であった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【11】  酷く噴飯ものな話だが、ブルゴーニュ大公爵は、公式には『親族や重臣達によって隠居させられた後』で殺されたことになっている。  ……その、余りの愚かさ故に。  だから彼等に言わせれば、『これは叛乱では無い』だそうだ。  詭弁ここに極まれリ、である。  さて、問題はここからだ。  曲がりなりにも主君であり、かつ共同の『敵』でもあった大公爵がいなくなると、彼等の間に微妙な温度差が出て来ることは避けられなかった。  それはそうだろう。元々一門衆と家老衆は反目しあっていたし、一門衆同士、家老衆同士ですらも対立が有ったのだから。  ただ今回は、共通の目的――大公の排除――の為に、それ等の対立を一時的に棚上げしていたに過ぎない。  そして更に厄介なことに、彼等の中には指導者と言えるべき者がいなかった。  とり合えず一門衆の長老を盟主として祭り上げてはいたが、多分に御神輿的な存在であり、とても指導力を発揮する様な力は無い。  早い話が、今後の主導権を巡る争いが、早くも水面下で繰り広げられていたのだ。  両者の最大公約数としては――  一門衆は「王家縁の我等こそが主導権を持つべき」、  家老衆は「我等家老衆による集団指導体制とする。一門衆にも外様三人衆にも、好きにはさせない」  ――といった所であろう。  この枠の中で、各家が主導権を狙っていたのだ。  ……この様な指導者不在・同床異夢の集団指導体制が、まともに機能する筈が無い。  事後処理の段階で早くも問題が表面化したのは、ある意味必然とも言えた。  当時ブルゴーニュ大公爵領内では不穏分子の掃討が行われていたが、『大掃除』と称したそれは苛烈を極めた。  第101近衛空中騎士隊将兵は身分詐称、飛竜不法所持を始めとする罪で、  ボゴミール教の信者も邪教崇拝、叛逆罪を始めとする罪で、  その家族も含めた全員が死罪とされた。彼等は、老若男女皆平等に、生きたまま火刑に処されたのだ。  ……捕らえた者を裁判無しに即日処刑するというその強引な手法は、多くの冤罪を生んだとすら伝えられている。  その追及は家臣団にまで及び、大公派及び反帝國派は全員拘束の上、『自裁及び家禄没収』とされた。  要は、『本人切腹の上、御家断絶』という奴である。  流石に家族にまでは類が及ばないとはいえ、これは余りに厳し過ぎる。  いや、これを決めたのが一門衆と家老衆であることを考えれば、完全な越権行為とさえ言えた。  が、彼等はあえてそれを行った。  特に『領地持ちから領地を取り上げる』などという行為は、大公ですら法的に困難なことなのだが、彼等は武力に訴えてでも実行しようとしていたのだ。  当然、処罰対象者達は激しく反発した。  領主級の者達など、それぞれ一族郎党共々家屋敷に立て篭もり、迎え撃つ準備を整えた。  彼等は連絡を取り合い、ここにやはり疑いをかけられた家臣とその家族達が合流。事態は、忽ち内乱の一歩手前にまで進展する。  ……しかし何故、彼等はここまで強硬な措置を採ったのだろう?  帝國への恭順の意を示す為、というのは分かるが、余りに強引過ぎる。  第一、大公派といっても『大公に阿諛追従していた者』程度だし、反帝國派も『反帝國寄りの言動をしたことがある者』程度に過ぎない。  これに該当する者など、それこそごまんといる。ましてや、『そう思われる者』まで加えれば……  混乱を回避するため、主だった者に詰め腹を切らせるだけで充分ではなかっただろうか? 後はそれこそ帝國に押し付ければ――判断を委ねれば――良い。  が、所詮これは外部の無責任な意見に過ぎないだろう。  事ここまで至った以上、常識から考えれば大公家は御取り潰しとなってもおかしくない。  そうなれば、陪臣たる自分達も一蓮托生である。 (ブレスト伯の言葉を完全に信用する程、彼等も能天気では無い)  これを防ぐには、徹底的な恭順を示すしか方法が無い。  だからこそ、徹底的にやる必要があった。  彼等も必死だったのだ。  ただ問題は、『処罰対象者が多過ぎた』ことだろう。  何より、『これを機会に邪魔者を始末しよう』とそれぞれ企んだこともあり、大身の者が名を連ねたことが拙かった。  ……確かに彼等は生き残りに必死だったが、同時に生き残り『後』のことも考えていたのだ。  無論、彼等個人個人はそのことに対する危険性を重々承知していた。  が、集団指導体制では、彼等は『集団の中の一人』に過ぎない。しかも指導者不在の上、周囲は皆ライバルだ。  このような中では、一歩退けば一歩踏み込まれ、二歩退けば二歩踏み込まれてしまう。  だから主張するしか無いのだ。己の利益を。 (自分だけが妥協して不利益を蒙ったら、目も当てられない)  これが、対象者リストに多くの大身が名を連ねることとなった理由だった。    一触即発の大事態。  有馬中佐が帝國軍の正使として大公領に乗り込んだのは、丁度そんな狂乱の真っ只中であったという。 ――――ディジョン郊外、帝國軍本営。  ここディジョン郊外のとある丘の上、そこに帝國軍の本営が設けられた。  本営と言っても有馬中佐とその手勢のものだから、極々小規模なものだ。  が、ここにはブルゴーニュ家の重臣が集まっていた。  集まったのは――  一門衆や家老衆を中心とする『体制側』、  大公側とされた家臣、すなわち『反体制側』、  そして、大公家からの独立を宣言した三人衆を始めとする『中立派』、  ――それぞれの派閥の重鎮達である。  つまり、全勢力が一堂に会していたのだ。  直ぐ近くに三者の手勢――それぞれが有馬中佐の手勢を遥かに上回る――が待機しているというのに、有馬中佐の顔には全く不安の影は見えない。  実に、堂々としたものだ。  自分の安全を確信しているから……ではない。  彼我の兵力差は多勢に無勢であるし、これから発表する話を考えれば、逆上する者がいても不思議では無いだろう。 (中立の三人衆は帝國側だろうし、反体制側は帝國よりも体制側の方を敵視しているだろうが、こういう交渉の場では何が起こるか分からない。  ましてや体制側と反体制側との間は、一触即発の状態だ)  事実、彼の腹心達は危険を訴えた。  が、彼は聴く耳を持たなかった。  『自分自身を危険に晒す』という勇気を見せたからこそ、疑心暗鬼に陥っている反体制側の要人を呼び寄せられたことを、重々承知していたからだ。 「さて、諸君等に集まって貰ったのは他では無い。諸君等に問う為だ」  有馬中佐は、彼等に対して命令口調で話す。  彼等は大公の家臣――つまり陪臣――なので無礼とまでは言えないが、未だ彼等は帝國配下ではない。  この様な場で用いるには、少々言葉がきつ過ぎる。  が、あえて用いる。 「諸君等の主は死んだ。今後どうする? 帝國に従うか? 主の意思を継ぎ、帝國に剣を向けるか?  ……今、この場で表明して頂きたい」  中立という選択肢が無いのは、中立も『反帝國』と見做しているからだ。  故に、有馬中佐が問うのは服従するか否かの二つに一つ。  緊迫した雰囲気が流れる。 「まず、申し上げたいことが御座います」  沈黙の中、ビアリッツ家当主のレイナルドが発言する。 「許す」 「我等三人衆は、元よりブルゴーニュ家の配下ではありましたが、臣下ではありません」 「知っている」 「ならば、申し上げることは御座いません。我等三人衆、西方諸侯が一つとして帝國に忠誠を誓います。  帝國の先陣となり、西レムリアを平定して御覧にいれましょう」 「分かった」  余りに素っ気無い返答。  だが、三人衆は膝を屈し忠誠の誓いを示す。 「我等も帝國への忠誠を誓います」  次いで、反体制側の家臣達が忠誠の誓いを示す。 「わっ、我々も忠誠を誓います!」  そして最後に、体制側の家臣達が慌てて膝を屈した。  これで全勢力、少なくとも全勢力の中核が帝國に屈したことになる。  事実上、ブルゴーニュ大公爵領を掌握した瞬間だった。  ……意外にも、あれ程必死だった体制側の家臣達が、最後に忠誠を誓うこととなった。  実の所、彼等は戸惑っていたのだ。  有馬中佐の言は、とり様によっては『無条件の服従要求』とも取れる。  が、ブレスト伯によれば、帝國は自分達の身代を保証している筈だ。 ……にも拘らず、その様なことはおくびにも出さない。  加えて、真っ先に臣従した三人衆に対してかけた言葉も、実に素っ気無いものだった。  ――考えてみれば、帝國自身からの言葉は聞いていない。  自分達の不始末に対する負い目もあり、彼等はすっかり疑心暗鬼に陥っていたのである。 (帝國と直接交渉した三人衆や、失うものの無い反体制側とは『立場が違う』ということもあるだろう)  故に、彼等は最後に声を上げたのだ。  自分達が孤立するのを恐れ、慌てて。   「諸君等の忠誠、確かに聞き届けた。陛下もお喜びになるだろう」  有馬中佐は、うって変わって満面の笑みで彼等を褒め称える。  しかし、それも一瞬のことに過ぎなかった。 「が、今聞いたのは、あくまで諸君等の誓いの言葉だけだ。  諸君等以外の者達についても、早急に旗幟を鮮明にさせて欲しい。  三日だ。それ以上は待てない」  帝國も暇では無いのだから、と直ぐに挑戦的な口調に戻る。  ……それでも、最早従うしかなかったが。 「今後のことだが、ブルゴーニュ大公爵領は帝國が一時没収し、改めて諸君等に分配することとする。  但しビアリッツ、バイヨンヌ、ボーの三家については、ブルゴーニュ大公家とは無関係なため没収とせず、家領安堵とする」 「有り難く存じます」  レイナルドが代表して礼を述べる。  これで三家は、正式にブルゴーニュ大公家からの独立を果たしたことになる。  それは数百年の悲願だった。 「おっ、お待ち下さい!」  有馬中佐の言葉に、一門衆の一人――無論体制側だ――が、慌てて叫ぶ。 「何か?」 「『ブルゴーニュ大公爵領の一時没収』ということは、もしや……」 「まあ平たく言えば、『ブルゴーニュ大公爵は取り潰す』ということだな。  ああ、諸君等の家禄については、保証するから安心しろ」  なんだそんなことか、とばかりに平然と述べる有馬中佐に、その男は顔を真っ青にして食って掛かる。 「し、しかし! ブルゴーニュ大公爵家は名門中の名門! それを御取り潰しとは……」 「……何か勘違いしている様だが」  有馬中佐は、目を細めて言い放つ。 「ブルゴーニュ大公爵家は潰されて当然のことをしでかした。だから潰す。それだけだ。  ……第一、誰が継ぐというのだ? 本家は絶えたし、分家はこの様だろう?」 「く……」  内乱一歩手前までいった状態を指摘され、流石に鼻白む。 「分家にブルゴーニュ大公爵領の統治能力が無いということが、今回の一件で良く分かった。  だから、帝國が直接統治する。 ……何か疑問・反論はあるかね?」  反論は許さない、といった強い口調で述べる有馬中佐に、誰もが口をつぐんだ。  これ以上反論しても、良いことなど無いことが明白だからだ。 「では話を続ける。  諸君等の身分については、千戸未満の者に関してはブルゴーニュ大公爵家家臣から帝國レムリア総督府付きとなる。  千戸以上の者に関しては領地を邦國とし、王とする。立場も帝國政府付きだ」  その言葉に、家老衆は、ホッとしたような安堵の笑みを浮かべる。  彼等の所領は千戸以上、つまり邦王たる資格があるのだ。  反対に、一門衆の表情は暗い。  数百戸級の彼等には、王たる資格が無いからだ。  これからは『王』と『領主』として、事ある毎に明確な差を見せ付けられるだろう。  家老衆より家禄が低いとはいえ、レムリア王家の傍流であり、家格が高いことこそが誇りである彼等にとって、それは屈辱以外の何者でも無かった。 「家禄に関しては、一部を除きそれぞれ従来通りとする。  が、一門衆については旧王家縁者としての立場を考慮し、ブルゴーニュ大公爵領より千戸ずつ加増し、諸侯とする。  尚、新領地として大公爵直轄の空城と周辺領地を与えるため、現領地については没収とする」 「! あ、有り難く存じます!」  突然の朗報に、一門衆の面々は慌てて礼を述べる。  ライバルである家老衆に大きな差をつけられた、と意気消沈していただけに、喜びも一層大きい。  百〜三百戸の彼等に千戸加増するということは、家禄が千百〜三百戸になるということだ。  実に四〜十倍という大加増である。  それだけでは無い。只の平諸侯では無く、城持ち(城主諸侯)にするという。 (『城を持つ』ということは非常に名誉なこと。たとえ与えられる城が、田舎の小城――100m四方程度――であっても、だ)  これで一門衆は、家老衆と完全に並んだことになる。いや、出自を考えれば完全に『追い抜いた』とさえ言えるだろう。 (三人衆を除いた家老衆も、皆千戸級の城主なのだ)  問題は新領地が田舎の上、代々の領地を失うということだ。  が、これだけの家禄と名誉を与えられた以上、止むを得ないだろう――そう考え、一門衆の面々は取りあえず納得することとした。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【12】 「どうだ? 上手くいっただろう?」 「……こんな危険な真似、どうか今回限りにして頂きたいものですな」  有馬中佐の言葉に、彼の家臣――ダークエルフ――が渋い顔で答える。  幕裏で待機していた彼等にとって、気が気では無かったのだ。 「交渉の場では、何が起きるか分かりません。  ましてや一触即発の関係の者達が集まった中、『大公家を取り潰す』などとあからさまに言えば、不測の事態も……」  頭に血が上れば損得計算など無くなります、と諭す。 「大丈夫さ。自分の領地が没収されるのならともかく、主君とはいえ他人の領地だ」 「しかし、一門衆にとっては……」  彼等は、それぞれ栄華を夢見ていた筈だ。  仮に大公爵領を相続出来なくとも、分割統治や万戸侯を望んでいたに違いない。  それが、ディジョン近郊の領地すら召し上げられ、田舎の小城主とは…… 「まあ雰囲気に呑まれて納得したようなものだから、後々まで不満に思うだろうな。  ……が、どうすることも出来んよ。  今回のことで、分家連中の指導能力の欠如が明白となったし、家臣団は分裂した」  おまけに連中、当分は新領地の統治で手一杯だろうしな、と哂う。 「ですが、宜しいのですか? この様な大盤振る舞い」  今回、大公直轄地から、一万戸近い領地を割いたことになる。  ……何の功も無い、一門衆に。 「構わんさ。どうせ他人のものだ。  それにディジョン周辺にいられたままでは、邪魔だろう?」  体よく言えば、追い出したのだ。 「……与えるのは簡単ですが、取り上げるのは難しいですよ?  まして、恨まれないようにすることは」  それだけでは無い。  大盤振る舞いされれば、今後の恩賞の際も過剰な期待をすることだろう。  そしてその期待に答えられなければ、失望とそれに伴う逆恨みが必ずや発生する。  余裕が無いのはわかるが、どうも帝國は先のことよりも今現在のことを優先し過ぎているきらいがある様に思えてならない。  その率直過ぎる指摘に、さしもの有馬中佐も顔を歪める。 「分かっているさ。領地だけに止まらず、帝國が多くの面で譲歩をし過ぎていること位は。  一度与えた権利はそう簡単には奪えない。必ずや将来の禍根となるだろう」  邦國と直轄領が複雑に絡み合う帝國支配領域。  同様に、大小の領主と天領が入り組む帝國直轄領。  そして帝國は、彼等に対し大幅な自治権を認めている。  今後、帝國が大陸で何か大きなことをしようと思えば、必ずや彼らの利害とぶつかるだろう。  彼等に対する根回しに膨大な労力と時間を費やし、最終的には骨抜きにされる可能性が高い。  今は良いが、20年、30年先には頭を抱える様な事態になっている筈だ。  ……本気で大陸を開発する気なら。  が、現在の帝國の大陸政策は、大陸に深入りしないことを前提としている。  帝國は大陸統治に深入りする気は無い。  故に現地領主の権限を強くし、大陸のことは彼等に任せる。帝國が出張るのは余程の時だ。  帝國は、彼等から少しずつ集めた――塵も積もれば巨額となる――税、大陸との交易により得られる利益、そして天領で採掘される莫大な資源が得られればそれで良い。 「大陸が安定していけば、不要な直轄領は邦國に押し付け、邦國の地力を底上げさせる。  最終的には、資源地帯か余程の要地を除き、全て『独立』乃至『既存邦國の領』とする」  これで帝國は贅肉を落とせるし、余りに小粒すぎる邦國連中も多少は底上げできる。  正に、一石二鳥だ。 「邦國に押し付けた直轄領からは、役人も軍も撤退――まあ多少は残す必要があるかも知れないが――出来る。  その頃には、直轄領に残った地域の兵も縮小出来るだろう。  少なくとも、『鉱山警備隊』なんて馬鹿げた代物も必要なくなる筈だ」  現在、帝國は広大な大陸の直轄領に、大兵力を細分化して配置している。それこそ各鉱山にまで。  無駄と叫ぶ官僚も一部にいるが、それは現地の事情を知らぬ輩の言に過ぎない。  陸軍とて何も好き好んで戦略単位たる師団を多数解隊し、それを原資に正規戦の役に立たぬ警備隊や独立歩兵大隊を量産している訳では無いのだ。  それこそ、血の涙を飲んで行っていたのである。  現地勢力が帝國に従っているのは、その力故だ。  そしてその力は常に目に見え、かつ振るえる様な状態でなければならない。  目に見えぬ力、遠くにある力など、無きに等しい。  帝國の力が及ぶからこそ、目に見える力があるからこその『帝國直轄領』なのだ。 (もし帝國がさしたる兵を配備していなければ、たちまち現地は腹面背従となるだろう。  要は、『力の空白地帯を作るな』とういうことだ)  だからこそ、帝國は各地に兵を置き、その姿を見せ付けている。  そして各警備隊には少なからぬ機銃を割き、有事に備えているのだ。 (これは海軍とて同様である。  その海域に帝國海軍の艦艇が遊弋しているからこそ、そこは『帝國の海』なのだ。  だからこそ、海軍は警備効率の優れている海防艦の量産に力を入れていた)    加えて、大陸には100万を超える帝國人が活動している。  彼らを置いて、軍を退けるか?   否、断じて否である。  臣民も守れぬ軍にその存在価値は無いし、第一政治がそれを許さない。  故に陸軍は、多数の警備隊を大陸に展開し続けているのだ。  この状況は、現地が安定するまで――少なくとも10年やそこらは――続くだろう。 「それにここ半世紀は、本国と資源地帯の開発で手一杯の筈だよ。  問題になるのは、早くてもそれ以降だろうな」  そんな未来のこと知らないよ、と笑う。 「無責任の様にも聞こえますが……」 「今の我等にはこれが精一杯だ。それに……」  だからこそここまで順調に来た、と急に真面目な口調になる。 「今回の西方諸侯の件もそうだが、幾ら叛乱が起ころうが、最終的には帝國がレムリアを支配することに変わりが無い。  要は早いか遅いか、それだけ違いに過ぎない。 ……何故だか、分かるか?」 「諸侯の大半が帝國に付いたから、ですか?」 「その答えでは、50点もやれないなあ……  いいか良く聞け。東方諸侯と、そして何より『空中騎士団が帝國に付いたから』さ」 「!」 「東方諸侯が降ったことにより帝國はレムリア支配の足場を固められたし、皆の顔色を眺めていた他の諸侯も雪崩をうって帝國に付いた。  そして何より空中騎士団が帝國に降ったからこそ、レムリア派遣軍は安心して進撃できた。  空中騎士団が健在なら、とてもじゃあないが西方なんか相手にしている暇は無い。  いや、未だにグラナダだな。今の航空戦力では、とてもじゃあ無いがレムリア侵攻など夢の又夢だ」 「成る程」  数千のワイバーンが相手となれば、いかな疾風や飛燕改といえども、たった百機足らずでは…… 「では何故、空中騎士団や東方諸侯は帝國に降った? 多くの仲間を殺した帝國に、こうも簡単に?」 「それはレムリア王家の不甲斐無さと、帝國の力を目の当たりにしたからでしょう?」 「それもある。が、大切なことが抜けているな」 「大切なこと?」 「『帝國に対する信』さ。帝國を信用せねば、ああも簡単には降るまい?  そしてその『信』はどこから来た? 簡単なこと、帝國の今までの行動からさ」  確かに転移初期にこそ、無茶な行動を起こしたが、その後の帝國は寛大なものだった。  現地勢力に帝國爵位を与えた上、大幅な自治も認めた。  約束も出来る限り守ってきた。 「特に、『約束を守る』ということは大きい。これはこの世界における『帝國の財産』と言っても良いだろうな」  帝國の言葉を信用するからこそ、相手も降るのだ。 「国家に信などという言葉を持ち込まれましても……」 「勘違いするな。何も『良い子になれ』などとは誰も言っていない。  国家などというものは、幾らでも悪逆非道なことが出来る――いや出来ねばならん存在だからな。  俺が言っているのは、『一度口に出した事だけは守る』ということだ」  いかに悪辣になろうとも、いやだからこそ約束だけは守らねばならぬ、と力説する。 「国家にも品格が無ければならない。ましてや覇を唱えようというのなら。  故に、その行動原理は終始一貫し、かつその言は百万金の価値を持つ必要がある」  だから二枚舌などもっての他、と力説する。 「理想ですよ、それは。 ……或いは強者の傲慢か」 「どちらかと言えば、『痩せ我慢』かな?」 「痩せ我慢?」 「そうさ。究極的には、例え相手が和平を破ろうとしていることが明白であろうとも、明日にも敵が攻めてくることが分かっていようとも、決してこちらからは動かない。  同盟国、ましてや邦國は何があっても守る。例え多くの兵を失おうが。  但し、敵と認定した相手は完膚なきまでに叩き潰す」 「そりゃあ……正しく『痩せ我慢』ですなあ。『極楽蜻蛉』ともとれますが」 「だからこそ、『諸国は付いてくる』とは思わんか?」 「正直、分かりません。 ……ただ一つだけ分かることは、『それが出来るのは余程の強国のみ』ということだけです。やるやらないは別として」 「そうさ。『痩せ我慢』が出来なくなった時、その国の覇権は終わる。  ……まあ究極の理想論だな。つまらん事を話した。忘れてくれ」 「はあ……」 「何れにせよ、帝國は力と法――法とは正義のことじゃあないぞ?――をもって、大陸統治に当たらねばならない。  そのどちらが欠けても、失敗するだろう。これだけは肝に銘じておく必要がある」  どうやら、これこそが有馬中佐の政治哲学、行動原理の様だった。  ……或いは、有馬様なりの美学かもしれないな。  彼は胸中で呟く。  この様な仕事を行っているからこそ、正道に憧れるのだろう。  が、彼は特に心配はしていなかった。  有馬中佐は、最終的には個人の感情よりも帝國の利益を優先することを知っていたからだ。  それは、彼の今までの行動が証明していた。  ――そう彼は考えていた。少なくともこの時は。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【13】  有馬中佐はブルゴーニュ大公爵領を掌握すると、未だ恭順の意を示さぬ輩に対する軍事行動を開始した。  具体的に言えば、西レムリア各地に点在する少数の『まつろわぬ者共』を、その周辺の諸侯や旧王軍を動員して袋叩きにしたのだ。  空中騎士団すら動員した『帝國軍』――その実態は西レムリアの旧王軍と諸侯軍の連合体だが――は、その圧倒的な戦力差で各地の反帝國派を包囲殲滅していく。  それも『大軍を縦横無尽に動かす』というものでは無く、『反帝國派の各拠点周囲の諸侯・旧王軍を動員し、拠点殲滅後に動員解除、自分は身一つで次に移動』という、神出鬼没振りである。  この手法は『大軍を組織し、威風堂々と西レムリア各地を転戦する』ものと考えていた反帝國派にとっては誤算もいい所であり、次に何処を狙われるかもわからぬ状況に彼等は恐慌状態に陥っていた。  ……しかし何故、彼等は帝國が『大軍を組織し、威風堂々と西レムリア各地を転戦する』ものと考えていたのだろう?  それはその政治効果の大きさ故のことだ。  帝國が西レムリアを本気で支配しようするならば、何よりも先ず自らの力で『叛徒』を叩き潰す必要がある。  確かに帝國はディジョン城空爆においてその力を見せ付けたが、やはり地上軍の侵攻という手札には敵わない。  何時の時代、何処の地域であろうが、歩兵が敵地を占領してこそ、その地の所有権を主張出来るのだ。  また西レムリアの諸勢力を自軍に馳せ参じさせることにより主従関係を明確化させたり、西レムリアの民に帝國の威光を誇示することも出来る。  西レムリアを統治するならば、これ以上効果的な方法は無いだろう。  ……が、帝國はこの方法を採用しなかった。  遠征のための兵力も、大規模な帝國軍を展開させるだけの兵站も、何もかもが不足していたからだ。  それ故次善の策として、西レムリアの親帝國派を組織し征討軍を編成、これによる西レムリア遠征計画が一時検討されたが、結局の所放棄された。  大軍を大移動させるための時間と、その経済的な負担が相当なものとなるからだ。 (他地方の諸侯・軍による西レムリア制圧は問題外だ。話がややこしくなりかねない)  まあこの場合、経済的な負担については西レムリアの諸勢力が負うことになるのだが、彼等には鉄道(西レムリア〜旧王都間)建設資金も負担してもらわねばならないため、帝國としても余り消耗させられない。そして何よりも、帝國は短期間での西レムリア制圧を求められていた。  西レムリアの混乱は、長引けば長引くほど帝國の威信を低下させる。  しかし現実問題から考えれば、自らの出兵など悪夢以外の何者でもない。  故に帝國は、全てを西レムリア内で解決させることにしたのだ。それも出来るだけ短時間で。 ――――西レムリア、ストラスフール城。  ストラスフール城はストラスフール子爵家の本拠で、その縄張りは200m四方にやや足りぬ、といった程度の小城だ。  特に天険の地にある訳でも堅城という訳でもない、極平凡な平城に過ぎない。  加えてストラスフール子爵家自体、僅か封二千七百戸という小諸侯だ。  それでもかつて軍役制度が機能していた時代であれば、最低でも270名前後の戦力(騎士27、徒士・兵卒108、従卒135程度)で出陣し、防衛戦時ともなればこの倍以上の数を揃えることが出来た。  が、軍役制度が崩壊した現在では、その半分の戦力すらままならないでいる。  現在のストラスフール子爵家の家中は家臣135家(騎士27家、徒士108家)を中核に、従卒60人その他使用人100人余と数だけはいるが、その内情はお寒い限りでしかない。  使用人は文字通り家事や事務しか出来ぬし、家臣の大半は領地経営や子爵家そのものの家政に携り、個人的な武技は兎も角まともな集団戦闘訓練など碌に受けたことが無いという有様だ。  ストラスフール子爵家唯一の軍事組織である警備隊は、その数100にも満たないのだ。  これは、かつての四割にも満たぬ戦力である。  尤も、これは何もストラスフール子爵家に限った話ではない。  全ての諸侯家に言えることだが、時代を経るに従いあらゆる職種で高度な専門知識が求められる様になり、家中における職種の専門化が進んだ結果である。  領地管理、徴税、財政管理、司法、家政等……どれも片手間にできる仕事ではない。何より軍事そのものが、高度な専門職種と化している。  諸侯の家中男子全員が軍人であった時代など、とうの昔に過ぎ去っていたのだ。    そのストラスフール城周辺を、二千の兵が包囲していた。  ストラスフール近隣から集められた旧王軍や諸侯軍から成る連合軍だ。  率いるは帝國陸軍中佐子爵、有馬信実。 「撃ち方始め」  信実の命令一下、十数騎の空中騎士が爆撃を交互に繰り返す。  合わせて砲兵も射撃を開始、攻城砲が猛射――信実から見れば間延びした射撃だが――を行う。  連続した大質量による打撃を受けると、堅固とは御世辞にも言えないストラスフール城の防護結界はたちまち限界に達し、消滅する。  爆弾と砲弾の雨は防御手段を失った城内に直撃し、打撃を与えていく。 「……脆いな。脆過ぎる」  そう言って、信実は顔を顰めた。  こうも脆くては、城の意味が無いではないか。  これは尤もな疑問と言って良いだろう。  城とは、本来『敵の攻撃を防ぐための存在』である筈だ。  それがこれ程脆弱では、その存在意義に対して疑問を抱いても何ら不思議なことではない。  ……が、残念ながらこの認識は間違っている。  この世界ですら、『防御拠点としての城』という存在は過去の遺物と化していた――少なくとも大文明圏では――のだから。  考えてもみて欲しい。  前装式とはいえ多数の大口径砲が存在し、あまつさえワイバーンなどというシロモノものすら存在するこの世界で、果たして城にどの程度の戦術的価値があるだろう?  帝國が元いた世界ですら、砲の発達と共に城はその存在価値を失ったのだ。ましてやワイバーンが存在するこの世界では……  『城の防御に金をかけるならば、その分ワイバーンに金をかけた方が良い』という思考に行き着くのも当然と言えよう。  ワイバーンを中核とする『航空戦力』とそれを地上から支援する『野戦軍』こそがこの世界の軍の主力であり、城など二の次以下なのだ。  無論、軍の重要な出撃拠点や防衛拠点として、高度な防御が施された『城』も列強あたりでは多数造られている。  が、これらは『要塞』と呼ばれて城とは区別されている。 (中にはディジョン城の様に、大要塞級の防護結界が施されている城もあるが、これは例外中の例外である)  ……つまり、『この世界の城は敵軍を防ぐための施設ではない』ということなのだ。  とはいえ、それで城の価値が低下した訳ではない。寧ろ逆だ。  軍事的な価値こそ喪失したものの、その政治的な価値は些かも減じておらず、逆にかつてより肥大化している。  俗に『一国一城の主』と称す様に、城持ちの領主は王に次ぐ格式を持った存在だ。  それは、レムリアの貴族制度において男爵と子爵の区別が、『城持ちか否か』で判断されることからも分かるだろう。 (例えば男爵で最大の家は封8700戸を誇るが、それでも子爵家で最小の封1050戸の家よりも宮中席次が低い)  そしてそのことを、誰も不思議に思わない。  庶民共ですら『うちの領主様はお城持ち』と自慢し、城無し領主の領民を見下す傾向がある。  何故なら、王冠が王権の象徴だとすれば、城はその周辺地方の支配権の象徴であるからだ。 (故に『城を得る』ということは、『その周辺地域の支配権を確保した』ことと同義語でもある)  だからこそ、城の政治的価値は大きいのだ。  故に、城に求められることは軍事的なものではなく――  『見る者を圧倒させる荘厳さ』  『周辺地域の中核であること』  『内部は行政に適した造りであること』  ――といった多分に行政的な要求で、防御力など二の次以下の話に過ぎない。  だから防御力など、せいぜい平民の暴動や小規模叛乱を防ぐ程度の防御力で充分なのだ。 (無論、これは大文明圏やそれに近い文明圏での話である。  中小の文明圏においては、未だに城は有力な防衛拠点だ)  度重なる砲爆撃により、遂に城の象徴たる塔が崩れ落ちる。 「……頃合か」  信実は立ち上がると総攻撃命令を下す。 「見事敵を討ち取った者には、敵首が騎士格ならば正銀貨十枚、士格なら正銀貨一枚、他は小銀貨一枚を与える!  勿論論功賞とは別に、だ! ……ああ、敵将を討ち取れば一ヶ村の領主にしてやるぞ!」  信実の言葉が各陣に伝わると、どよめきが起こる。  レムリアの貨幣制度では、正銀貨一枚=副銀貨二枚=小銀貨十枚である。  ちなみに小銀貨は、銅貨に直すと正銅貨十枚(百レムリア銅貨)前後だ。  人足の日当が百〜百五十レムリア銅貨前後だから、これにほぼ等しい計算となる。  つまり、誰でもいいから一人殺してその首を取れば、最低でも人足の日当程度は稼げるということだ。  しかも論功賞は別にあると言う。  ……これは美味しい。  そして敵将を討ち取れば、一ヶ村の領主!  数十戸の領民を持ち、数人の家臣を従える騎士様である。  嫌が応にも士気は高まるというものだ。  歓声が周囲に響き渡り、二千の兵は城内に突入した。 「……恐ろしいお人だ、あの方は」  ストラスフール城包囲戦に参加していた諸侯の一人は、そう声を潜める。 「全くだ。あの方は、ストラスフール城を『撫で切り』なさるお積りだ」  やはり包囲戦に参加していた諸侯の一人が同意する。  『撫で切り』とは、この場合『皆殺し』ということだ。  騎士格ならば正銀貨十枚、士格なら正銀貨一枚、他は小銀貨一枚を与える、と信実は言った。  つまり、女子供の首に対してすら褒美を与える、と言っているのだ。  あの兵共の張り切り様から考えて、恐らく城内の人々は皆殺しだろう。 「今回の戦とてそうだ。わざわざ近隣の諸侯同士を争わせ、お喜びになっておられる」  近隣の諸侯同士は普段から交流もあり、血縁関係も深い存在だ。  つまり現在の状況は、『近く親しい親族同士で殺し合いをして(させられて)いる』ということになる。 「ブルゴーニュ大公爵領でも同様で、叛徒は大公殿下以下皆殺しだそうだ。  大公爵家も結局は取り潰された」  西レムリアにおける帝國の行為は、話に聞くそれとは全く異なっている。  それ故西レムリアの諸侯達は、その容赦無さに真っ青となっていた。 「我等諸侯を、下郎(平民)並の扱いで討つとは……」  全てはこの一点に尽きる。  確かにレムリアにおける刑法は残虐だ。  だが、諸侯はその枠外にいた。いた筈だった。  が、帝國は諸侯をいとも簡単に始末していく。  そこには、諸侯に対する敬意はまるで見当たらない。 「まるで、『大逆罪』で討伐しているかの様な無慈悲さよ」  その言葉に、諸侯達は皆黙りこむ。  この場の誰もが胸にしながら、口に出せなかった言葉だからだ。  貴賎関係なく処罰する唯一の例外、大逆罪。  ――間違い無い。帝國は反帝國派に対し、大逆罪を適用しようとしている。  そこまで考えた諸侯達の背筋に、冷たいもの走る。    ――下手をすれば一族郎党皆殺し、良くて御家断絶。  それは恐怖以外の何者でも無かった。 「ほう…… これはまた……」  落城後、ニヤニヤと笑いながら首を検分していた信実は、思わず驚嘆の声を上げる。  ストラスフール子爵の体は細分化されて並んでいた。  当然予想されてしかるべきことであったが、ストラスフール子爵の首を巡り、壮絶な争いが起こった。  その体は細分化され奪い合われ、同士討ちにより多くの死傷者が続出したのだ。  最終的に子爵の肉体は七分割され、七人の手に渡った。それがこの並んでいる肉片だ。 「ふむ、どうするか?」  最初に討ち取ったのは七人の一人だが、この男は右手首を確保するのがやっとだったらしい。  チャンスをふいにし、項垂れている。 ……まあ命あっての物種ではあるが。 「おい、褒美の村の戸数は?」 「はっ、四十七戸です」 「一人当たり六戸と少しか……」  どうやら分割して与える積りらしい。 「よし! 皆に十戸ずつやろう! 面白いものも見れたことだしな?」  いやはや人とは何とも業の深い生き物よ、と笑う信実。控える諸将は真っ青だ。  ――この方は、こうなることを予測しながらあえて行い、それを見て楽しんでおられる!  この場の多くの者にとり、ストラスフール子爵は身内とも言える存在である。  その身内の凄惨な最後に、『下手をすれば明日は我が身』という共通の認識――恐怖――が出来上がった。 「さて諸卿、卿等との楽しい狩りのひと時は、残念ながらこれで終わりだ。  次の獲物が私を待っているので失礼するよ」  論功賞を一日で片付けると、信実は次の目的地に向かう。 (軍勢は全て借り物のため、論功賞に関しては動員分に応じて子爵領を諸将に分け与えれば終わりだ。  他の者に関しては、諸侯を始めとする諸将の役目である)  ……恐怖を植え付けられた諸侯達を残して。  この様に、信実は西レムリア各地で恐怖を振りまいていった。  恐怖こそが、帝國への服従を促す最も手っ取り早い手段考えたからだ。 (この事件が帝國の沽券に関わる大問題であるということも、この行為を正当化している。  これで甘い対応をすれば、帝國は舐められてしまう)  結果として、帝國は短期間で西レムリアを鎮定することに成功した。  が、この手法は後に大きな禍根を残すこととなる。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【14】  ブルゴーニュ大公爵家滅亡の知らせは、反帝國同盟に加わる西方諸侯のみならず西方……いや、レムリア全土に大きな衝撃を与えた。  何故なら、ブルゴーニュ大公爵家は単なる『西方最大の諸侯』であるに止まらず、世界で最も高貴な家の一つたる『レムリア王家一門』でもあったからだ。  それが滅びるなど、レムリアの人々にとり『天が空から落ちてくる』様なもの、ありえない筈だった。  それが、起こった。ありえない筈のことが、起こった。  ――もはや、レムリア王国は完全に滅びた。  誰もが、時代の終わりを痛感せざるをえなかった。  が、西方諸侯、とりわけ反帝國同盟に加わっていた諸侯達には、そんな感傷に浸っている余裕など存在しなかった。  ブルゴーニュ大公爵家を滅ぼした直後、間髪入れずに帝國――正確には有馬中佐――が反帝國派諸侯に対する軍事行動を開始したのだ。  その軍事行動は苛烈を極め、既に充分すぎる程浮き足立っていた彼等を文字通り殲滅していく。  大公爵の死亡により反帝國同盟が事実上瓦解した現在、同盟に属する西方諸侯達は各地で絶望的な戦いを強いられることとなる。  この状況は、反帝國同盟に加わっていた多くの諸侯にとって甚だ不本意なものだった。  と言うのも、彼等は有形無形の圧力により、付き合い程度の感覚で同盟に加わったからだ。  『付き合い』で滅ぼされては堪らないだろう。  積極的に同盟に加わった諸侯とて、事情は似たようなものだ。  彼等は『帝國の手が届かない』と考えていたからこそ、己の感情を優先したのである。  一時の気の迷いのせいで滅ぼされるのは御免蒙りたいだろう  この様に、同盟の諸侯は既に戦意――元から怪しいものだったが――を消失していたのである。  ……先のストラスフール子爵の様な、極少数の頑固者を除いて。  故に彼等は少ない伝手を必死でたどり、何とか帝國に対する恭順の意を示そうと血眼になっていた。  その必死振りは相当なもので、もし帝國が釘をさしてしていなければ、同士討ち――帝國への忠誠を見せるため、他の同盟諸侯を討つ――すら始めていたであろう。  幸運にも、それを見越して有馬中佐が『許可無く領外で兵を動かした者は討つ』と予め布告していた為、これを未然に防ぐことが出来たが、そうでなければ西レムリアは混乱状態に陥っていた筈だ。  有馬中佐の面目躍如である。  が、彼も人間だ。当たり前だが完璧ではない。  故に、想定外のことも多々発生する。  これから話す出来事も、そんな想定外の一つであった。  ……それは、見過ごすにはあまりに大き過ぎる綻びだった。  大公の死後、ブルゴーニュ大公爵領では大々的なボゴミール教徒狩りが行われていた。  その遣り口は非道を極め、教徒だけでなくその親兄弟親類縁者――或いはそう見做した者――すら片っ端から拘束し即日火炙りにするという、実に残虐なものだ。  教徒の認定も大雑把なもので、『疑わしくは罰せ』を地で行っている。  このため処刑対象者は膨大な数に上り、対象と見做された民は着の身着のまま領外へと逃れた。  その数は、数千とも数万とも言われる。 ……人口65万余の大公領で、だ。  これら『難民』は、逃げ込んだ地の諸侯や代官達にとって迷惑極まりない存在だった。  レムリア――というよりこの世界において、民を守るのはその民の主の責任である。  この場合で言えば、一にブルゴーニュ大公爵、二にレムリア王(王国健在なら)であろう。  が、彼等は当のブルゴーニュ大公爵領から逃げてきたのであり、最後の頼みの綱であるレムリア王家も最早存在しない。  彼等を保護しなければならない、又はするべき者は最早存在しないのだ。 (他の諸侯に彼等を保護する義務など無い)  ……要するに彼等の置かれた立場は、流民となる第一段階のそれだった。  彼等は極潰しの厄介者、としか見られていなかったのだ。  それでもこれが飢えた難民などならば、周辺諸侯や代官達が保護する可能性があった。  いや、たとえ全員では無くとも、一人や二人は必ずや救いの手を差し伸べた筈だ。  この様な状況ではあっても、彼等は流民では無いのだから。レムリアの民なのだから。  が、今回ばかりは勝手が違う。  何せ、彼等は『反帝國』の罪で追われている。  そんな連中に手を貸せるか? 無理に決まっている。  故に、多くの諸侯・代官は彼等を取り締まり、牢屋に放り込んだ。  多くの場合は流石にそれ以上のことはしなかったが、劣悪な環境下のため牢死――特に子供や老人――したり、処刑されたりした者も少なくなかったと言う。  ……とはいえ、それでも領内よりは遥かにマシだった為、難民が絶えることは無かったが。  そんな状況を一気に覆したのが、今回の『ブルゴーニュ大公爵家の滅亡』と『反帝國派諸侯の殲滅』だ。  恐怖に駆られた多くの諸侯は、帝國に恭順の意を示すために血眼になった。  その様な状況下で、大公領から逃れた難民達が如何扱われるかは想像に難くないだろう。  第二、第三のブルゴーニュ大公爵領の出現だ。  こうして難民達の多くは、領内の教徒達と同様の運命を辿ったという。  やがて、事態は更なる広がりを見せ始めた。  弾圧対象がボゴミール教徒だけに止まらず、エルフ崇拝者全体にまで広がっていったのである。  最初にこれを行ったのは旧反帝國同盟諸侯の一人だった、と伝えられている。  追い詰められていた彼等旧同盟諸侯にとって、エルフ崇拝者の摘発は帝國への忠誠を示す絶好の機会の様に思えたのだろう。  彼はエルフ崇拝者を片っ端からひっ捕らえ、処刑していった。  一人がやり始めると周囲の者が競うように続く。旧同盟諸侯だけではなく中立、或いは親帝國派の諸侯すらも彼に続いた。  この動きは、瞬く間に西レムリア全域に広がっていった。  ……それだけ、帝國とエルフの不仲は世間に知れ渡っていたのだ。  帝國とエルフとの仲は、直接敵対こそしていないものの、御世辞にも良好とはいえない。  帝國はエルフを『己の実力もわきまえぬ蛮族』と、エルフは帝國を『世界の理を理解出来ぬ愚かな人間(獣)』 と、それぞれ腹の中――エルフの場合それだけではすまないが――で罵り合っている程だ。  エルフの余りに尊大な態度に怒り狂った現地司令官が、交渉の場で軍刀を抜きかけたのも一度や二度では無い。  が、帝國とて『エルフと敵対しても損するだけ』ということ位は理解している。  ダークエルフを優遇しているだけでもこの世界では不利なのに、この上『世界の調和を司る者』『世界の守護者』などと自他共に認るエルフと敵対するのは、余りにも無謀だった。  だからこそ、帝國中央は『帝國の神々は差別しない』という眉唾の理屈の下、ダークエルフを優遇しつつも、エルフに対して充分以上の礼儀を払っている。  たとえ内心怒りに震えていようと、ここ10年や20年の間はエルフとはなるべく関わらない様にすることこそが、帝國の至上命題――少なくとも帝國本国ではそう考えている――の一つだっだのだ。  しかしその様な帝國側の裏事情など、この世界の人間の大半にとり知る由も無い。  彼等が知るのはその表側、帝國とエルフの犬猿さだけでしかなかったのだ。  さて、『エルフ崇拝者』と言ってもそれこそピンキリ、上はボゴミール教徒の様に『エルフを神と崇めて祈る者』もいれば、下は『エルフは高貴な存在と考えている者』まで実に幅が広い。  ……と言うか、この世界の人間は皆多かれ少なかれ、『エルフは高貴な存在』だと考えていると言っても良いだろう。  要は、どれだけ強くそう考えているかの違いに過ぎないのだ。  まあ幸いにも、大半の人間は只漠然とそう考えているだけだが、問題は少数派とも言うべき『エルフを神と崇めて祈る者』がその地域にどの程度存在するか、そして宗教がその地域においてどの程度の影響力を持つか、ということだろう。  少数派といえども、ある程度まとまった数であれば無視出来ぬ存在となる。それが社会の上層を占めているなら尚更だ。  また宗教全般の力が強ければ強い程、『エルフは高貴な存在』という考えが力――強制力――を持つようになる。  宗教的な考えが力を持つような土壌では、エルフへの幻想が肥大化するし、ましてや大半の宗教は、公式非公式の違いはあれどエルフの優越性を認めているからだ。  幸いレムリアを含めた北東ガルム大陸は、小内海に面した中央世界の中では最もエルフの影響力の弱い地域である。  加えて宗教全般の力も弱く、『不信心者の大陸』とすら呼ばれる程だ。  これは決して偶然では無い。だからこそ、北東ガルムは帝國の中央世界進出の足掛かりとして選ばれたのだ。 (無論、その地政学的な優越性も決して無視できないが)  上でも述べた通り、北東ガルム大陸におけるエルフの影響力は弱い。  故に、エルフを神として崇める宗教の信者などレムリアには存在しない。例外的として西レムリアに僅かながらも存在するが、その数などたかが知れている。  が、拡大解釈をすれば、その数は途端に膨れ上がる。  土俗信仰の中には、元を辿ればエルフ信仰に辿り着くものが少なくないからだ。  まあ土俗信仰などと言えば大袈裟だが、要は帝國風に言えばお地蔵様に頭を下げたり、まじない言葉を唱えたりする様な、実に他愛も無いものばかりである。  無論、皆その源流が何かも理解せずに、ただ習慣的に祈ったり唱えたりしているだけで、そこにエルフ信仰など入る余地は無い。  が、西方諸侯達は、風習にまでエルフの影が入り込んでいることこそを重視した。  故に、僅かばかりのエルフ信者を刈り尽くすと、今度はそれらの風習根絶に乗り出した。  先ずエルフを象ったとされるアールヴ像――西レムリアの民家によく置かれていた小さな像――が集められて破壊された。  石像は粉砕され、木像は燃やされ、金属像は溶かされた。  アールヴ像は、家内安全・厄除けの守り神として祈り続けられてきた像である。  各家ごとに独特の造形が施されているのに加え、それぞれの家でそれこそ数百年単位で祈り続けられてきた為、破壊された時は多くの者が涙したと伝えられている。  中には抵抗したり隠したりしたとして、殺された者すら出た程だ。 (アールヴ像はその歴史的美術的価値の為、後世で非常に評価されているが、真正の物は殆ど伝わっていない。この当時に徹底的に破壊されたためである)    この他にも街道沿いの石像等、様々な造形物が破壊された。  それはコイン大のレリーフすら削り取られる程の徹底振りだった、と伝えられている。  ……それだけでは無い。  エルフが描かれている画は焼却処分とされ、多くの絵画が燃やされた。  エルフが称えられている物語や詩の本も同様だで、この場合は原版までも破棄された。  目に見えるもの、その全てが破壊されたのだ。  やがて追求は目に見えない言葉にまで及び、エルフを称える様に取れる意味合いの表現は全て禁止され、破るとその文字数分の鞭打ちとされた。  この文化破壊とすら表現出来る一連の行為の影で、多数の死傷者が生じたことも付け加えておく必要があるだろう。  風習根絶の過程において、少しでもエルフ崇拝を匂わせるような、或いはそう思われる人々は投獄され、その多くが処刑された。  『西レムリア全体で10万人』とすら言われる犠牲者――その大半は、エルフ信徒と無関係だったとされる。  このため庶民達は、摘発や密告を防ぐため、公衆の面前でエルフ像を破壊したり絵を燃やしたりして自衛する様になった。  最早彼等にとり、エルフは厄介ごとをもたらす疫病神と化していたのである。 (帝國にとっては不幸中の幸いであるが、こういう方向に考えが進む程、この大陸ではエルフの威光が薄かったのだ)  やがてこの風潮は、他の地域にまで波及し始める。  先ず北レムリアや大陸同盟諸国に広がり、最終的には北東ガルム全域に広がっていった。  これ等地域では西レムリア程過激では無かったが、エルフの影を消し去ろうという点は共通していた。  後に廃光毀釈と呼ばれる大嵐が、北東ガルム大陸を襲ったのだ。  それはレムリア史上……いや世界史上に残る大事件であり、明らかに帝國の失策だった。