帝國召喚 第7章「西方諸侯の乱」 前編 【0】 ――――昭和19年1月、 帝國、帝國議会 「何故、政府はそこまで空母の建造を優先するのですか!? 空母ならもう十分有るではありませんか!  しかもその内艦齢二十年を超える艦は僅か1隻(『鳳翔』)のみ! その大半が、艦齢十年未満の新鋭艦なのですよ!」 「え〜、列強諸国における、航空戦力の質量両面からの増強に対抗するためには、装甲化された新世代の空母が必要不可欠でありまして……」 「そこを何とかするのが兵法というものでしょう! 足らぬ、足らぬは工夫が足りぬのです!」 正月明け始めての帝国議会は、初っ端から議論が紛糾していた。 海軍の建艦計画。 その三度に及ぶ大改定―― 一度目はレムリア崩壊後の戦費増大を危惧し規模縮小、二度目はレムリア王都制圧後に判明した敵航空戦力再編計画に対する対抗から配分見直し、三度目は足柄撃破事件による精神的衝撃から――に、とうとう議員達の怒りが爆発したのである。 ……もっとも三度目は建艦数そのものの増減はなく、ただ空母の建造前倒しと戦艦の建造先送りが決定されただけだったが。 だが―― 「僅か半年にも満たぬ間に三度、三度ですよ!? 政府と軍は、一体何を考えているのですか!」 「え〜、対艦誘導弾の実用化という、想定外の事態により……」 「我々が聞いているのは、そんなことではありません! 『何故、戦艦の建造を減らしてまで、これ以上空母を建造する必要があるのか?』ということです!」 ……そう。要するに議員達は、度重なる戦艦の大幅削減とその建造先送りに反発していたのである。 「新鋭艦揃いの空母と比較して、戦艦の古さは目に余ります! それなのに、今後五年間は戦艦の就役予定が無いそうではないですか!  空母は5隻(『大鳳』『千歳』『千代田』『瑞穂』『日進』)の就役が予定されているにも関わらず、ですよ!?」 「その通り! しかもこの五年間で、保有する12隻の戦艦の内8隻が艦齢三十年を超えるという深刻な事態を放置してです!」 「え〜、戦艦に対抗できる兵器は、この世界には……」 「いい加減にして頂きたい! 帝國が日清日露以来営々と建設してきた大海軍! その灯火が、今消えようとしているのですよ!?」 「我々がこうして戦艦の増強はおろか近代化すら怠っている間に、『本来の列強』たる英米は、戦艦の建造を着々と進めているでしょう! このままでは、世界三大海軍國から脱落してしまう!」 「これではいざ元の世界に戻った時、英米海軍に対抗出来ない!」 議論は混迷に陥り、議会は混乱の渦に巻き込まれていた。 今まで政府に協力的だった議員達が、今回軒並み反旗を翻している。 「え〜、諸君、静粛に」 議長の声が空しく響いた。 ……結局、本日の議会は、殆ど何も決まらないままで終わる。 これは異常事態だ。 議会だけではない。 各報道機関も、正月明けあたりから突如政府批判を始めたのである。 例えば代表的な報道機関たる某新聞社では、連日の如く今回の政府の不手際を批判していた。 『海軍の建艦計画を憂う』 今から丁度二年前の昭和17年1月3日、海軍特別観艦式が執り行われた。 帝國海軍の総力を挙げた観艦式だ。見に行った読者も多いことだろう。 かく言う筆者も例外ではない。 正月早々、連合艦隊の勇姿に胸を躍らせ、初公開された『大和』に搭乗した時には、年甲斐も無く興奮してしまったものだ。 あらためて神州不滅を感じさせる、素晴しい観艦式だった。 だが帝國の守護者たる戦艦群、その殆どが大正時代に建造された艦だということを、忘れてはいけない。 そろそろ新型戦艦と、交代する時期に達しているのだ。 それにも関わらず、政府は今後五年は戦艦の就役予定は無いという。次の就役時期は、早くて十年後なのだそうだ。 一寸待って欲しい。 元の世界において、英米を始めとする列強諸国が、軍拡に血道を上げているというのに、そんなにのんびりしていて良いのだろうか? 如何に忠勇無双、一騎当千揃いの帝國海軍将兵といえど、数と質に勝る敵が相手では、些か荷が重過ぎるのではないだろうか。 ふと、歴史を思い出す。 かつて帝國が軍艦の建造に勤しんでいる間に、清国は一艦も建じていないことを嘆き、憂いた清国宰相がいた。 そして彼の予想通り、清国は帝國の前に敗れる。清国滅亡の始まりだ。 現在の帝國も同じである。過去の遺産に胡坐をかき、一艦の戦艦も建じようとはしない。 帝國は、清国と同じ過ちを犯そうとしているのだ。 政府に再考と猛省を促したい。 (昭和19年1月3日 某新聞) ――――という、まあ当たり障りのない社説から始まった批判は、日を追うごとにエスカレートしていき、現在では某退役提督による政府や海軍指導部批判が一面にでかでかと踊っている程だ。 『今後五年で戦艦は4隻に、十年後には2隻にまで減ってしまう!』 このいささか大袈裟――とはいえ満更嘘でも無い――な煽り文句は、國民の不安を大いに掻き立てた。 多くの國民にとって、海軍とは『國防の要』である。 そしてその戦力の大小は、『戦艦の数と質で決まる』と考えられていた。 (空母など、所詮は『補助戦力』に過ぎないのだ) その戦艦の老朽化が著しいのに、代艦の建造すらしようとしない。 これは、現政権の不手際故である! 事態を憂う海軍の退役将官や現役将官の『勇気有る』告発により、『真実を知った』國民達は、不安――或いは怒り――の声を上げ始めた。 ……今回の議員達の詰問も、その延長線上にあったのである。 しかし実に上手い手だ 皆が皆、今回の建艦計画に絞って批判している。 統制に引っかからない範囲内で、國民の最も不安がるであろう所を突いているのだ。 しかしいくら統制の範囲内とはいえ、これだけの批判が出来るということは、彼等に相当有力な後ろ盾がついているものと思われる。 間違いない。『強硬派』が動き出したのだ。 (合わせて、『強硬派』の広範囲な繋がりを痛感せざるをえない) 「……連中の目的は?」 官邸で、宰相は善後策を練っていた。 「國民に対し、我々(現政権)への不満を植えつけようとしているのでしょう。いざという時、世論を味方につけるために」 「……事前チェックはどうした? 憲兵は何をやっている?」 「事前チェックは、余程の物でない限り、主に審査官の個人的判断に委ねられます。つまり……」 「……それだけシンパが多い、後ろ盾にも事欠かない、ということか」 「はい。『後ろ盾』の中には、『やんごとなき』方々も……」 「! それ以上は言うな!」 宰相が慌てて止める。 ――『連中』の中には、『やんごとなき』方々もおられる―― これこそが、宰相が強硬手段をとれないでいる最大の理由だった。 また、例え積極的には関わってはいなくとも、『連中』の行動に一部理解を示す方々をも含めれば、その数は更に膨れ上がる。 「しかし、このまま連中をのさばらせば……」 「馬鹿言うな! 下手をしたら國が割れるぞ! ……もはや事態は、ただの政争の次元を超えているのだ」 ……下手をしたら、南北朝の再来だ。 流石に、その言葉を口に出すことは憚れた。 だが宰相は、そのことを真剣に恐れていたのである。 「今回の反対者も、全員が全員シンパという訳では無いだろう。多くは連中に踊らされているだけだ。地道に一つずつ問題を解決し、連中の力を削いでゆけば良い」 「それでは、根本的な解決には……」 「兎に角、連中を世論から切り離すのだ。そうすれば『行動』も、『大乱』から『只のクーデター』にまで落とせる。連中の始末はそれからだ。 ……方々も、手足を失えば大人しくなるだろう」 「……分かりまりました」 秘書官は、如何にも『納得出来ない』という表情で頷く。 「至急、議会幹部と会談の場を用意しろ。直談判する」 帝國に、政治の季節が到来しようとしていた。 それは一歩間違えれば、帝國の分裂すらも巻き起こしかねないほどの、大きな『うねり』でもあった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【1】 ――――レムリア総督府。 『西部地方だけでも、レムリア王国として存続させて欲しい』 西方諸侯の申し出は、帝國に難しい判断を突きつけた。 『受け入れる』か『受け入れない』かの、単純な二択では無い。 『どの様な反応を示し、どの様な経過を経て、どの様な判断を下すのか?』 その手腕が問われているのだ。 旧レムリア諸侯どころか北東ガルム中の、いや全世界の国々が帝國の一挙手一投足を注視していることだろう。 「……この手腕、只者ではないな」 総督府幹部の一人が、苦々しげに毒づく。 「全くだ。本来ならば、『下らん』と一言で握り潰してもおかしくない嘆願。それを見事、『政治』にまで押し上げた。今や、この嘆願は総督府の最重要検討課題だ」 今や、この問題は世界中の注目を浴びている。 故に、帝國も下手な手を打てないのだ。 つい数日前、レムリア併合記念式典のことである。 数多の諸侯達の謁見が続き、少し雰囲気が緩んでいた丁度その時、西方諸侯の使者の一人が上奏文を読み始めた。 上奏文そのものは、別に珍しく無い。 先程から、各諸侯による帝國への賛辞の言が延々と続いていたこともあり、『またか』と少々うんざりと迎えられた程度である。 ……始めのうちは。 だが読み進む内に、その内容が『王国存続の嘆願』だとういうことに、誰もが気付く。 帝國の敗者に対する寛大な措置を称えつつも、捨てきれぬ旧主への忠誠の想いを綴り、帝國に『レムリア王家にも寛大な措置を』と請うその文は、『その文に感動しない者は不忠者』とすら後世で言われる程の、正に歴史上に名を残す『名文』だった。 最高の場、最高の時、最高の文。 ……見事、してやられたのだ。 が、途中で止めることなど不可能だった。 世界中の使者が見ている前であったし、彼等の大半がその名文に感動していたのだ。そんなことできる筈も無い。  第一、総督府の官僚達も感動――彼等の教養は相当な物であり、だからこそ余計その文に感動した――し、涙すら浮かべる者もいたのだから。 帝國に出来たことは、西方諸侯の忠誠を称え、『おって沙汰がある』と伝えることだけであった。 式典が終わり名文の余韻も冷めた頃、彼等はようやく事の重要性を悟る。 そして大慌てで対策会議を開き、現在へと至るのだ。 議題は勿論、『嘆願』に対する対応である。 途中、レムリア方面艦隊による残党拠点への単独攻略の報が伝わったが、そんなことは失敗でもしない限り、もうどうでも良かった。 レムリア鎮定における、おそらく最大の難関であろう西方諸侯対策。 それを巡り、レムリアの新たな支配者達は頭を痛めていたのだ。 「情報部は、この動きを察知できなかったのか?」 「レムリアにおける情報部の優先度は、一に総督殿下の安全確保、二に列強諜報網の摘発、三、四がなくて五に東部及び中部地方諸侯の監視です。正直、現在の人員ではこれ以上の仕事は手に余りますな」 「旧レムリア王国情報機関はどうした? 彼等も働いているのだろう?」 帝國は旧王国政府機関の大半――殆ど全部と言って良い――をそのまま継承している。 特に諜報機関は治安機関と並び、最重要機関のひとつとして、早くから水面下での交渉が行われていた。 諜報機関の方も、自分達の重要性は百も承知だったので、帝國が『(自分達を)高く買うこと』を条件に、すんなりと帝國の傘下に収まった。 そして現在も、彼等は以前と同様――変わったのは主だけ――に仕事を行っている。 「そうだな。これは彼等の専門分野だろう」 何人かが賛同の声を上げた。 意外に思えるかもしれないが、彼等の最重要諜報対象は諸侯を始めとする国内勢力であり、他国に対する諜報活動については、防諜を除けば二の次に過ぎない。 要するに、どちらかといえば『内向き』な組織なのだ。 ……ちなみに、他国に対する諜報活動は、主に外務省や軍の担当である。 彼等は大使館や御用商人の現地支店を拠点とし、原則として合法的な範囲内での情報収集を行っている。 非合法手段を用いる場合は、大抵の場合ダークエルフを雇って(成功率が高い上、失敗しても半金の損失だけで済む)いた。 このような役割分担は、レムリアだけの特殊な例ではなく、ほぼ全世界共通であった。 (だからこそ、ダークエルフの『稼業廃業』に誰もが困惑したと言えよう) 「すんなりと帝國傘下に収まったとはいえ、彼等とて内部でごたごたが無い訳ではありません。暫くの能力低下は避けられないでしょう。 それに彼等には、東部及び中部地方諸侯の監視と、列強諜報網の摘発もさせていますから……」 彼等もいっぱいいっぱいなのだ。 「……責任のなすりつけあいは後でしてもらおう。問題は如何対処するか、だ」 副総督の重々しい声が響いた。 副総督とは、総督の政務上の補佐として、全ての文官を掌握する事実上の総督府トップだ。 ちなみに派遣軍司令官とは、総督の軍事上の補佐として、全ての武官を掌握する事実上の軍トップであり、副総督とは同格である。 ……つまりレムリアにおける帝國の権力構造は、表向きこそ総督殿下をトップとしたピラミッド体制であるが、実際は副総督(文官)と派遣軍司令官(武官)が並立する、双頭体制となっているのだ。 これは官僚と軍人――彼等とて官僚だが――の綱引きの結果であるが、この問題は後々まで尾を引くこととなるだろう。 「まずは西方諸侯を攻める場合の問題だな。連中の提案を受け入れるにしろ、受け入れないにしろ、手札に軍事行動を入れておく必要がある。 ……派遣軍司令官閣下の意見をお聞かせ願いたい」 副総督の問いに、派遣軍司令官は難しそうな表情を浮かべる。 「……正直、軍としてはいくさは避けたいですな」 誰もが、その言葉に唖然とした。 普段の彼からは、とても考えられないような意見だったからだ。 実の所、派遣軍は西方諸侯との戦争を歓迎していない。もっとあからさまに言えば、『戦争を避けたがっている』のだ。 現状の2個師団では、レムリア中部と東部を抑えるので精一杯――それも都市とそれを結ぶ基幹道路周辺のみの話だ――であり、本来の編成である4個師団体制が完結するまでは、とても攻勢はとれないと軍は考えていた。 またたとえ完結したとしても、西方は遠い。当分の間、それこそ鉄道ができるまでは兵站が追いつかないだろう。大部隊の運用など、とてもではないが不可能な話だった。 「他にも、地理の不案内――まさか地図があれば大丈夫なんて言いませんよね?――に 現地情報そのものの不足。挙げればきりがありません」 「では、レムリア諸侯を動かすか?」 「まあ、大陸同盟諸国を動かすよりはマシでしょうが、賛成はできませんね」 「何故?」 「事が大事に成りすぎるからですよ。西方諸侯を討つからには、全国の諸侯を動員しなければなりません。 まだ他の地方とて安定した訳でもないのに、そんな真似をしたら……」 混乱が起きない筈ないでしょう? 「それに、総指揮は帝國が採ることになるでしょうが、我々は未だこの世界の軍の指揮に慣れていません。思わぬ損害を受ける可能性があります。 ……それは政治的に拙いのでは?」 軍高官の一人が指摘する。 「そのための『大特演』だったのだろう?」 「ええ。検討課題が山の様にでましたよ。それを解決しない内にやるのですか?」 大特演は、その効果こそ認められたが課題が山積みであり、大規模運用は当分の間『不可』との結論がでている。 (本来、演習とは問題点を洗い出すためのものだ) 「……それに、その後も問題です」 軍の末席に座っていた典礼参謀が発言した。 「諸侯を動員すれば、恩賞を与えなければなりません。ですが恩賞の配分は只でさえ難しいというのに、我等は未だ各諸侯や所領の情報を完全には把握していないのが現状です。必ずや不満がでるでしょうし、それが新たな火種になる可能性も否定出来ません」 「恩賞なら今回も与えたじゃあないか! 今度も問題なかろう!」 「全然状況が違いますよ! 今回は簡単でした。真っ先に帝國についた者を厚く遇せば良かったのですから。はっきりと目に見える分、有る意味非常に分かり易いです」 「戦争とてそうだろう? 手柄を立てた者を遇すればいい」 「何を持って手柄とするか、どの手柄を一番とするかは難しいですよ? 例えば城を落とした者同士の間でも、その城の規模で判断するか、地理的重要性で判断するか、それとも攻略難易度で判断するのかで全然違います。 他にも、全軍の兵站を支えた者達の功績は? 野戦と城攻め、どちらが上か? ……皆大量の血と金を流していますし意地も絡むので、生半可なことでは納得しないでしょうね」 指を数えながら例を挙げる典礼参謀に、一人の総督府高官が反発する。 「ならば、この世界の人間にやらせれば良い!」 「……正気ですか?」 呆れた様に他の典礼参謀が反論した。 「そんなことをしたら、帝國の面子は丸潰れですよ! 『帝國は恩賞の沙汰すら、自分で出来ないのか?』とね。恩賞の配分は、主君の特権であり義務なのです」 だからこそ、先の恩賞も帝國独力でおこなったのだ。 「……成る程。軍の御意見、大変に参考になりました」 当初こそ軍の意見を聞いたものの、その後は争いをただ聞いていただけであった副総督が、まるで両者の争いを切り上げるかのように発言した。 結論の出ない会議に、幾分うんざりしたのだろうか。 「ですが、最終的には軍の出動を要請する事態に為るやもしれません。最初から軍事行動を除外する訳にはいきませんから」 「わかりました」 副総督の至極最もな意見に、派遣軍司令官も頷く。 「とりあえず、今回はこれでしまいにしましょう。まず連中のことを詳細に把握しなければならない」 そう。 嘆願に参加したのは西方諸侯の半数程だが、他の西方諸侯はどうなのだろう?  そして彼等は本当に一枚岩なのか? 他の地方の諸侯の動向は? 『レムリア王国の存続』というが、その形態は? 西部地方全体を王国とするのか、それとも西部地帯の王領だけか? 王国は帝國の邦か、それとも独立国か?  今後の西方諸侯とレムリア王との関係は? 主従関係か、それとも只の旧主か? レムリア王は誰がなる? 王子達の一人か、それとも別の係累か? そして、なによりも…… 首謀者は誰か? 何が目的か? 列強諸国が絡んではいないか? 疑問は尽きることがない。これらを早急に調べ上げる必要があった。 全てはそれからの話しだった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2-1】 会議終了後、典礼参謀は王都近郊の飛行場へと向かった。 飛行場では、最新鋭の四式戦闘機『疾風』が距離をとって並んでいる。 これは奇襲を受けた時の被害を減らすためであろう。 (その証拠に各機体の周囲には、応急処置として土嚢が積み上げられている) そのすぐ近くでは、工兵部隊が航空機用掩体――鉄筋コンクリート造りの本格的な物だ――を建設している。 ここからは見えないが、地下式の弾薬庫や燃料庫も建設されている筈だ。 この飛行場は、元々は飛竜訓練施設を流用したものであり、現在昼夜突貫で改装工事が行われていたのだ。 獣人部隊を含め多数の設営部隊が投入されており、工事は凄まじい勢いで進んでいる。 ……しかし、徐々にその姿を現しつつあるこの『飛行場』は、実に物々しい。 主要施設は全て地下又は半地下。(無論、対爆仕様だ) 航空機は全て鉄筋コンクリート式の掩体へ。 周囲は何重もの鉄条網と対人・対戦車混在の地雷原(!)に覆われており、あちこちにトーチカまである。 高射機関砲や野山砲すら配備されており、『飛行場』というよりも、『飛行場機能付の要塞』といった印象だ。 事実、その通りである。 ここは有事の際、防衛拠点として総督殿下を御迎えし、援軍が来るまで死守する『要塞』なのだ。 (レムリアの帝國軍は、敵に良く知られているであろう王城などに篭城する気などさらさら無い) ……この『帝國式要塞』は、後に世界中の諸国に大きな衝撃と影響を与えることになるが、それはまた別の話である。 【2-2】 典礼参謀は滑走路の脇に車を止めさせ、そこでしばし待つ。 やがて1機の九六式陸攻が姿を現し、滑走路に滑り込んだ。 帝國本国からの連絡便だ。 機体からは、何人かの軍人や軍属が降りてくる。 最後に、彼の目的の人物――海軍少佐だ――が降りてきた。 「やあやあ、久し振り」 典礼参謀は声をかける。 その声は客に対するそれではなく、友に対するものだ。 海軍少佐は典礼参謀の親族の一人であるとともに、竹馬の友でもあった。 「そちらも変わりないな。 ……いや。また星の数が増えたようだ」 海軍少佐も笑いながら返す。そして茶目っ気たっぷりに敬礼した。 「お久し振りです。有馬中佐殿」 「……やめてくれ。背中がむずむずする」 そして、お互い笑う。 ひとしきり笑った後、海軍少佐はあたりを見渡す。そして呆れた様に言った。 「……しかし上空からも見たが、随分物騒な飛行場だな。まるで要塞だ」 「要塞だよ、ここは。 ……まあ海軍さんは、飛行場に掩体すらないからなあ。珍しいのも無理ないが」 海軍の思想では、飛行場とは敵の来ない場所に作るものである。故に、掩体など必要ない。地べたを歩く陸軍とは、発想そのものが違うのだ。 「で、帝都に変わりはないか?」 「変わりまくりだ。あちこち更地だらけだよ。軍令部で仕事をしていても、毎日のように発破の爆破音が聞こえる。五月蝿いやら埃っぽいやらで、正直かなわない」 海軍少佐は、うんざりした様に首を振る。 「景気が良くて、結構なことじゃあないか」 「まあ、長年の社会問題だった失業問題が解決したことについては、な」 その変わりに、今度は『人手不足』が社会問題化してきたが。 そう付け加える。 「あっちを立てればこちらが立たず、世の中そんなものだ。それより、今日は暇なんだろう? 良い店がある、そこで積もる話でもしよう」 【2-3】 有馬中佐が案内した店は、王都でも一、二を争う程の格式――つまり旧レムリア王国中、ひいては北東ガルムでも――を持つ店だった。 典礼参謀が車で乗り付けると、店主自ら出迎える。従業員も勢揃いだ。 「これはこれは子爵閣下。御来店、光栄の限りに存じます」 「店主か、出迎え御苦労。私の親友が帝都より訪れてな。それでここを紹介したという訳だ」 鷹揚に頷く典礼参謀。店主も一子爵にではなく、まるで大国の王を相手にするかのような態度だ。 「有難い御言葉、勿体無く思いまする」 「……典礼参謀というのは、大したものだな」 部屋に通された海軍少佐は、呆れた様に言う。 通された部屋も、豪華絢爛たるものだ。 彼とてかなりの資産家ではあるが、正直この部屋でもてなされるには、格が違い過ぎる。 「『典礼参謀』というよりも、『帝國子爵』の威光さ」 帝國子爵は、外様なら数十万規模の国の王に与えられるものだ。ましてや譜代ならば、それ以上の待遇が必要…… という訳だ。 「それに『典礼参謀』と言っても、いろいろだしな」 典礼参謀と一言で言っても、様々な立場の者がいる。 まず文字通りの『御飾り』である高位の者と、そうでない比較的軽輩の者。 (中には全くの平民の出すらいる!) そして軽輩の中でも本人の適正により、『外回り』か『内仕事』かに分かれるのだ。 典礼参謀の仕事は、主に以下の三種類が挙げられる。 『軍の外交官として、相手国の有力者との調整を行い、軍の行動を円滑なものとする』 『司令官に対し、この世界に対する儀礼一般、風俗に対する助言を行う』 『その肩書きを利用して、情報収集を行う』 これ等の全てを行う者もいれば、どれかを主任務とする者もいる。 だがこれ見ると、有馬中佐が普段おこなっている行動が、かなり本来の任務からは逸脱していることが分かる。 これは彼が『典礼参謀』だけではなく、『陸相補佐官』も兼ねており、陸相(つまり帝國宰相)直属で動いているからだろう。 要するに只の典礼参謀ではなく、『大陸における大規模な工作活動を行う特務機関の機関長』と言った方が正しいかもしれない。 (典礼参謀は『隠れ蓑に過ぎない』ともいえる) 「成る程。 ……しかしここ、相当高いんじゃあないのか? 大丈夫かい?」 高いなんてレベルではない。大金貨の塊を食べたり飲んだりする様な所だ。 「気にするな。どうせ払いはレムリア政府さ。 ……というよりも、肩書きのせいで下手な所に入れん」 この世界ではその身分により、入るべき所が明確に区分されている。 無論、帝國とてそうではあるが、この世界はその比ではない。 貴族の入る場所、士族のはいる場所、平民の入る場所、それぞれ暗黙の内に決まっており、これ等の中でも更に細分化(例えば大貴族の入る場所とか下級貴族の入る場所等)されていくのだ。 「一度地方を視察した時、あんまり喉が渇いたので、止むを得ず平民用の店に入ったのだが……」 典礼参謀は首を振る。 店主以下、店の者は小動物のように怯えてたし、案内役の役人達はピリピリしていて居心地は最悪だった。 店主の娘が、店一番の酒を頭より高く掲げて――貴人が飲む器を見下ろさない様に――運んで持ってきた時など、零さないかどうかみているこっちがハラハラしたものだ。 幸い、『彼の軍服に零す』というお約束の様な粗相はなかったが、酒の味などわからず、礼を弾むように役人に命じるとそうそうに立ち去った。 「正直、身分制度は江戸時代より酷い。まるでインドのカーストだ。 ……貴様も気をつけろよ?」 驚いている親友に、苦笑いしながら忠告する。 暫くすると、料理が運ばれて来た。 「さあさあ、どんどん食べて飲んでくれ」 「……しかしいくら払いがレムリアとはいえ、随分気前がいいな? 正直、気味が悪いぞ?」 「……気にするな。貴様にはその権利がある」 そう。これは、侘び代なのだから。 「? そういえばこの前、久し振りにエドリックと会ったがな、あいつもやたらと酒を勧めるんだ。しかもかなり高い奴をだぞ!?」 「……そうか。あいつもか」 実をいうと典礼参謀は、この親友をダークエルフに『売った』のだ。 まあ要するに、彼のことを洗いざらい教えてしまったのである。 ……『誰に』、とは言わない(言えない)が。 ……断ったら、何されるか分からん雰囲気だったしな。 『まあ大したことにはならないだろう』という希望的観測はその数ヵ月後に見事打ち砕かれ、『まあ売ったと言っても代価(しいて言えば身の安全か?)を貰った訳ではないし』という言い訳も、その後一人のダークエルフが訪れたことにより失われた。 そのダークエルフは、『御蔭で孫の望みが叶えられました。これはその御礼です』というと、拒否するよりも早く消えてしまう。 ……以後、彼にはダークエルフの一隊が個人的に付くようになった。 つまり、『私兵』だ。 彼が現在のように活躍できるのも、彼等の力があってのこと――無論彼自身の実力もあるが――だろう。 止めが『陸相補佐官』である。きっとダークエルフ達が裏工作したに違いない。 始めは、罪悪感に悩まされたものだが…… 苦笑する。 今では、ダークエルフ達の魂胆も分かっていた。 この『御礼』は100%純粋なものではない。それどころか、自分はこの親友の『代わり』なのだ。 本来こいつがやるべき任務をやっているに過ぎない。 自分はそれに最適の位置にいた、ただそれだけだ。――そう考えている。 もしかしたら自分のこの考えは、贖罪意識からくるただの言い訳に過ぎないのかもしれない。 だが実の所、そんなことはもうどうでも良かった。自分はこの仕事を、心から楽しみ始めていたのだから。 この『世界の中心で働く』という、遣り甲斐のある仕事を。 「???」 不思議そうに自分を見る親友。 典礼参謀は心を切り替え、笑いながら言った。 「偶然だろう? まあ、盆と正月が一度に来たと思えば良いさ!」 【2-4】 食事を終え、二人は酒を酌み交わす。 だがその表情は、先程までとは変わり真剣そのものだ。  (いよいよ『本題』に入るのだろう) 「で、首尾は?」 「新たにレムリアに派遣される海軍航空部隊は、陸軍の指揮下に入ることとなった。 ……根回し大変だったぞ? 感謝して欲しいな」 「……その代わり、陸軍はボルドーを中心とする南レムリア沿岸部だけでなく、ツーロン周辺についても大幅な譲歩をしたじゃあないか」 「ボルドーについては、現状の追認だからなあ」 海軍が、自らの勢力拡大を目的として派遣する予定であった増派航空部隊。それを陸軍の指揮下とすることで、今回合意がなされたのだ。 無論、一介の佐官に過ぎない二人にできることではない。 (実際に合意したのは、陸相と海相を始めとする陸海軍の巨頭達である) だが、二人がその間で奔走したことは事実であり、その功績と苦労は誰もが否定できないだろう。 「王都とマルセイユには、零戦二一型改U48機と九七式艦攻48機の計96機が派遣される。この他にも補用機が加わるから、全部で120機位にはなるかな」 「そいつは有難い」 レムリア派遣軍航空隊は数が少ない上、実戦の洗礼も受けていない新型機ばかりなので、正直不安だったのだ。 「これでレムリア派遣軍の航空戦力は200機を超える。レムリア方面艦隊の作戦機も加えれば、たとえ全国規模の反乱が起きても、増援が来るまでは制空権を維持できるだろう」 ……想像したくもない悪夢ではあるが。 「だが、こいつで海軍の陸上航空隊は打ち止めだぞ? 何しろこの部隊だって、来年に就役する軽空母4隻――『千歳』『千代田』『日進』『瑞穂』――に当てる筈の部隊を、一時的に抽出した位なのだからな」 「他の部隊は?」 「無いよ。後は3月に就役する『大鳳』に転用予定の部隊だけだ」 これが現在の海軍航空隊の台所事情だ。 現在、帝國海軍の空母は、練習空母である『鳳翔』を除外しても、実に18隻――正規空母6隻、準正規空母2隻、艦隊軽空母4隻、商船改装軽空母6隻――に上るが、この上更に一年以内に5隻――正規空母1隻、艦隊軽空母4隻――が新たに戦列に加わる予定である。 これらの空母群に必要とされる艦載機が膨大な数となるのは、想像に難くないだろう。 空母艦載機の定数は、現在でさえ常用700機以上、補用も含めれば800機以上だ。更に上記5空母が加われば、その数は1000機を超える。 夢想すらしなかった、大空母戦力が生まれようとしていたのだ。 だがそれに対し、海軍の第一線戦闘航空機は約1500機――それも陸攻や水上機も含めての話だ――に過ぎない。他は二線級の機体、或いは輸送機や練習機の類である。 そして、これ以上の数的な増強は不可能だ。 増強転移後も変わる事無く営々と増強に務めてきた海軍航空隊ではあるが、この辺りが増強の限界だった。 (第一、仮にこれ以上増やしたとしても、パイロットが確保出来ないだろう) そしてその皺寄せは、海軍陸上航空隊が一手に引き受けさせられている。 彼等には、二線級の旧式機しか回らない。その機体すらパイロットに困り、欠員を防ぐために低練度のパイロットで誤魔化している有様だ。 『機体も旧式ならばパイロットの練度も今ひとつ』 それが現在の海軍陸上航空隊の一般的な姿だったのだ。 この例外として一部航空隊と陸攻部隊があるが、前者はいずれ艦載機部隊の予備として解体されるか新空母に回される『消えゆく部隊』であり、後者も一式陸攻のみ――九六式陸攻は半数が保管状態で、残り半数は輸送任務――で編制されている『数と任務を大幅に減らされた斜陽部隊』に過ぎない。 ……まあ御蔭で輸送機には不自由しなくなったが。 『艦載機でなければ海軍機にあらず』――こんな言葉すら囁かれる程だ。 とはいえ、これはあながち間違った選択とも言えないだろう。 全ての地域に十分な兵力を貼り付けるなど、戦力的にも兵站的にも不可能な話だ。 そうである以上、空母を用いた機動防御戦術を採用するしかない。そして守るべき広大な地域を考えれば、空母とその母艦機は生半可な数では足りないのだ。 海軍航空隊が『攻撃空軍』として位置付けられている以上、『洋上の自走航空基地』たる空母の存在とその充実は必要不可欠なのである。 「陸上航空隊なんか惨憺たるもので、水上機と陸攻の他は、九六式艦戦と九七式艦攻だらけだ。栄光の十一航艦も見る影が無い。 正直、レムリア方面艦隊に回している機体も、『大鳳』が就役したら維持できなくなるだろうね」 「じゃあレムリアの航空部隊は?」 「とりあえず陸軍指揮下に入れる航空隊は、半年以上維持できる。 ……一年は無理だがな」 「レムリア方面艦隊の方は?」 「現在、ツーロン近郊の二箇所の飛行場に零戦36、九九艦爆36、九七艦攻36、輸送機4が展開しているが、近日中にこの内の半数がボルドーに移動する。 これはボルドー沖に展開している正規空母部隊(『瑞鶴』『翔鶴』基幹)が、第六航空戦隊を中核とする改装空母部隊(『海鷹』『天鷹』『神鷹』基幹)と交代することにより生じる戦力低下を補完するためだ。 そして二〜三ヶ月後には、陸上航空部隊は引き上げる。これは決定事項だよ。 ……その頃には状況も安定しているだろうという『希望的観測』に基づいての、だが」 『希望的観測』と皮肉を込めて言う。 ……つまり、こういうことだ。 現在レムリアに派遣されている航空戦力は、陸軍が旧王都に四式戦1個戦隊、マルセイユに五式戦1個戦隊。これに若干数の偵察機と輸送機が加わるが、これ等はレムリア派遣軍指揮下となる。 海軍が、ツーロンに零戦36、九九艦爆36、九七艦攻36、輸送機4の計112機(補用機を除く)からなる1個航空隊。これに若干数の水上機が加わるが、これ等は方面艦隊指揮下となる。 この他にも洋上に第一航空艦隊が展開しているが、この艦隊は近い内に本国に帰還するため、除外しても構わないだろう。 これに増援として、近日中にも零戦二一型改U型48機と九七式艦攻48機の計96機(補用機を除く)からなる航空隊が派遣され、旧王都とマルセイユに分散配備されることとなる。この部隊は海軍所属ではあるが、方面艦隊指揮下ではなく臨時とはいえ派遣軍指揮下に入れられる。 また第一航空艦隊帰国後の空白を埋めるため、第七航空戦隊(常用機は零戦27機、九九式艦爆36機の計63機)を主力とした機動部隊がボルドーに派遣あれ、方面艦隊指揮下に入る。 更にボルドーには、ツーロン展開中の海軍航空隊の半数が分派され、ボルドーの守りを固めると同時に、未だ陸軍の手が廻らない南レムリアに睨みを利かせることなる。 但し、海軍航空隊はボルドーとツーロンの陸上航空部隊が二〜三ヶ月後に、陸軍に貸したレムリアとマルセイユの陸上航空部隊も半年〜一年の内に撤退することが決定している。 要するに、海軍は『ここ数ヶ月でレムリアを安定化させろ』と言っているのだ。 ……それも現有戦力だけで。 (無論、大規模有事の際には第一航空艦隊を始めとする艦載機群の支援が受けられるだろうが、それは同時に帝國のレムリア統治の失敗を意味する) 「だが陸軍とて余裕はないぞ? ワイバーン・ロードに対抗できる一式戦U型、二式戦、三式戦については、その全てが本土か資源地帯防衛に回されている。それでも足りずに一式戦T型で補っている位だ。しかもこれ等の機体は、海軍さんの艦載機と違って自由には動かせない」 陸軍がレムリアに四式戦と五式戦しか回さないのも、何もガソリンだけが理由ではない。 たとえ若干余裕の有る一式戦T型を回したとしても、『無いよりはマシ』程度でしかないことが分かりきっている。貴重なパイロットの犬死は、到底看過出来ないのだ。 ……だからこそ、譲歩してまで海軍から零戦を借りたのである。 「とはいえ、無い袖は振れないよ。近々一航艦、いや連合艦隊そのものが大改編されるしなあ」 こっちも当分はごたごたさ、と首を振る。 「零戦の増産は?」 「……零戦の生産は、本年度で終了だ。紫電改を今年中に何とか制式化させ、昭和20年からは紫電改一本で行く」 今までの航空優勢は零戦の性能もあるが、それ以上に戦術の差によることが大きい。 その戦術的な優位差が急速に縮まりつつある以上、高性能の新型艦戦が早急かつ大量に必要とされいたのだ。 「だが、紫電改の発動機はハ45(誉)だろう? 一本に絞って大丈夫か?」 陸軍も四式戦『疾風』に採用しているが、ハ45の信頼性に不安を抱き、保険として堅実な五式戦も同時採用している。 「……海軍の考えは逆だな。とにかく数さえ揃えれば、結果的に整備効率も稼動機数も上がるという考えだ」 海軍は紫電改を早期にかつ大量に手に入れるために、航空機購入予算の大半を注ぎ込むつもりだった。 ……それこそ他の航空機の発注を大幅削減してだ。 紫電改は、最大で250キロ爆弾を2発も搭載できる『戦闘爆撃機』でもある。 ……ならば紫電改にも爆撃任務を付加し、艦爆の代用として用いても良いのではないか? この様な意見が海軍では主流となりつつあった。 無論、専門機に任せた方がより上手くいくことは、彼等とて分かっている。だが予算が限られている以上、『ベスト』よりも『ベター』を選択せざるを得ないのだ。 ――彗星の発動機と紫電改の発動機、両方整備が困難ならば、紫電改一機種に絞った方が『マシ』だ。 この様な、半ばやけっぱちな本音も否定出来ない。 何れにせよ、新型艦戦の早急な配備が迫られる中、一番物になりそうなのが紫電改(本来は局地戦闘機だが)だったのである。 ……いや、『紫電改しかなかった』のだ。 兎に角、こうして海軍は紫電改の制式採用と、その多用途任務化は決定した。 「最終的には、正規空母は搭載機の半数、軽空母は搭載機のほぼ全機が紫電改となる。まあ大分先の話だけどね。 その際、艦爆乗りや艦攻乗りもかなりの数が紫電改に乗機転換――流石に、彼等に戦闘機乗りの真似事をさせる気は無いが――させられる予定だ。 軽空母の整備能力不安についても、一機種になれば『なんとかなる』という考えの様だよ。 ……まあ完全否定する気はないがね」 「陸軍も、四式戦や五式戦に襲撃機や軽爆の一部任務を割り振ろうとは考えているが…… さすがにそこまで徹底は……」 絶句する。 上手くいきそうな気もするが、失敗したら目も当てられないことになるだろう。一種の博打だ。 「じゃあ『烈風』は?」 ふと思い出す。確か海軍にとって、紫電改はあくまで『つなぎ』だった筈だ。 「……まだ試作機すら1機も出来ていない有様だぞ? 二〜三年程、紫電改だけで頑張らなければならないだろうな」 烈風の性能如何によっては、その後も紫電改一本槍でいく可能性も否定できないが、と付け加える。 「まあ零戦があってこその決断だろうな」 陸軍には真似出来ない。――そう典礼参謀はつくづく思う。 自分達は零戦の様な『強力な主力戦闘機』を、四式戦や五式戦の登場まで保有していなかったのだから。 「その零戦だがな…… 三菱は徐々にだがラインを閉じ始めている。近い内に、零戦は部品供給のみとなる筈だ」 海軍が購入を打ち切る以上、これは有る意味当然の選択だった。 「おいおい、紫電改の生産開始はまだ一年近く先の話だろう? 少し急ぎ過ぎじゃあないか?」 現在の主力戦闘機たる零戦の運用にも支障が出かねない。 「三菱も営利企業だ。利益が見込めない以上、ラインを閉じるのは当たり前だろう? 約束を反故にしたばかりだし、海軍もそう強くは言えないよ」 そう。海軍は、三菱が現在開発中の新型艦戦『烈風』に半ば見切りを付けた形で紫電改を選んだのだから。 未だ烈風採用の目は消えていないが、紫電改の大量購入が決定した以上、たとえ採用されたとしても、どの程度の数が見込めるかは甚だ疑問だった。 それにこれで浮いた人員は、紫電改と誉のライセンス生産に回さなければならない。今から用意しておく必要があるだろう。 紫電改と誉の開発元である川西と中島も、この人手不足の折なかなか熟練工を確保出来ない。 特に新参の中小メーカーに過ぎない川西だけでは、年300機以上という大量生産はとてもこなせない。三菱の協力は必要不可欠だった。 (ちなみに昭和19年度以降の陸軍戦闘機調達予定数は、三式戦が約50機、四式戦と五式戦が各100機の、合わせて年250機程度である。いかに海軍が紫電改にかけているかが分かるだろう。 そして陸海軍のこの戦闘機生産数は、ここ三年程で第一線級の戦闘機を全て新型に更新できる程の数だ) 中島も事情は変わらない。 四式戦の他に、陸海軍の主力発動機――四式戦と紫電改の発動機――たる『誉』を抱えているが、ただでさえ生産の難しい『誉』の大量発注は中島単独では対応不能だろう。 ……三菱は別の意味で大変だ。 四大戦闘機メーカー(三菱、中島、川西、川崎)筆頭とはいえ、三菱は陸海軍の新型戦闘機の選定から漏れている。 零戦の生産も本年度で終了し、各種航空機も発注数大幅低下…… となれば如何に大三菱とて航空機生産ラインを維持出来ない。それでも維持させるには、仕事が必要だった。 川崎は今のところ三式戦、五式戦の生産だけでもやっていける――かなりの設備投資を行ったが――が、将来の経験を積む上でも、規模拡大の上でも、ライセンス生産に参入する必要があるだろう。 この様に、四大メーカーが四大メーカーとも事情を抱えていた。 (加えて言えば、政府や軍も航空機市場が急速に狭まっている以上、これらメーカーを維持育成するためには、四社が共同生産する方が望ましかった) 「……何も航空機メーカーに限らない。全ての産業に言える話だよ、これは。 軍もかつてのような、『唯一最大の得意先』と言う訳ではない。 今でも上得意には変わりないが、その比重は徐々に低下しつつある」 今一番の成長株は、何と言っても『開発』だ。帝國は各地――それこそ帝國内外を問わず――で大規模開発を行っている。 帝都大開発、神州大陸開発、資源地帯開発がその『御三家』だろう。 開発に必要とされる物は…… 何をもっても、先ず必要とされる各種建設資材。 効率良く開発するための各種土木機械。 各種資源を精錬する為に必要な各種設備。 そして資源を運ぶ船や自動貨車(トラック)……  まだまだ色々あり、挙げればきりが無い位だ。 これ等は皆、今後二十年は成長するであろう巨大市場である。――これは幼子でも理解できる道理だ。 故に、あらゆる企業が殺到する。 そして研究開発、設備投資に莫大な労力と資金が投下される。これ等に対する投資は急成長を続けており、今や軍関連に迫りつつあった。 「……素晴しきかな、資本主義」 有馬中佐は呟いた。 資本主義の力。その凄まじさに驚嘆したのだ。 長年に渡る統制でもその命脈は尽きることはなかったそれは、今再び勢いを盛り返し、逆に経済統制はその力を急速に失いつつある。 企業の、いや國民の熱気は今やそれ程のものなのだ。 ……もはや帝國の膨張は、誰にも止められないだろう。 何よりも國民が、それを欲しているのだから。 貪欲な膨張を望む國民と、それに苦慮しながらも、徐々にその勢力範囲を広げていく帝國。 暴走する資本主義と帝國主義。 その先にあるものは…… ……一刻も早く西方問題を解決し、レムリアを平和裏に平定しなければならない。武力衝突などもっての他だ。 あらためて有馬参謀は決意した。 「早急に陸相、いや宰相閣下に、現地情報を報告する必要があるな」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【3-1】 西方諸侯による王国存続の上奏は、王都庶民に驚きの声で迎えられていた。 何しろ西方諸侯の半数までもが名を連ねているし、中には帝國の記念式典に参加しない者――事実上の従属拒否だ――までいるのだ。 ――すわ! 戦か! 王都庶民達は色めき立った。 戦争になれば大量の物資が調達されるし、手柄を立てた騎士達が散在するので、莫大な金が王都に落ちる。 ……早い話が飯の種だ。 (もっともこれは王国時代の話であり、帝國支配下の現在でも同様であるかは不明ではあるが) 気の早い者に至っては、商売のチャンスとばかりに動き回っている。 そんな彼等に動揺は見られない。 『王都空襲』を体験した彼等からすれば、西方諸侯の敗北は目に見えていたからだろう。 それに、何と言っても彼等にとって西方は遠い。 実際の距離も遠いが、感覚的な距離はそれ以上に遠く、その他の地方――東方、南方、北方――の比ではない。 些かオーバーだが、『王国の辺境』といったイメージなのだ。 ……しかし何故、西方諸侯が? 『王の剣』たる東方諸侯でもなければ、『王の盾』中央諸侯でもない。 『王の懐刀』宮中貴族ですら帝國に帰順しているという御時世なのに、何故? 庶民達は首を捻った。 これは、主に脅威に対する認識の差から生じている。 帝國軍に完膚無きまで叩き潰された東方諸侯。 帝國の全面的な後ろ盾を得た大陸同盟諸国と国境を接している北方諸侯。 東方諸侯の無力化により、帝國の脅威に直に晒されることになった中央諸侯と南方諸侯。 そして、王国の現状を誰よりも把握している宮中貴族。 これらの面々に対し、西方諸侯は帝國の圧力を直に受ける訳でも無く、今一つ危機感に乏しかった。 (『王都空襲』後の王国主要都市に対する威嚇飛行にしても、西方については西方最大の都市アルビ上空を僅か4機――発動機の不調や同様の理由による他都市への転用のため――が飛行した程度に過ぎない) それ故、西方諸侯達の大半は、『帝國は他地方の支配で手一杯で、当分は西方にまで手を伸ばせないだろう』という、他の諸侯や貴族が聞いたらその判断の甘さに呆れ返る様な結論を下していたのである。 ……まあ事実なのではあるが、この場合『正確な判断』と言うよりは、『現状に対する認識不足』と言えるだろう。 決して情報が少ない訳では無い。情報の分析に失敗したのだ。 幾ら情報が集まろうと、結局判断を下すのは人間なのである。 【3-2】 さて帝國軍による王国侵攻後、居場所を失った――要は利用価値を失った――王子達は、主に二通りの道を選択した。 一つは、『他の列強諸国への亡命』。 王位に近かった王子達程この道を選んだ。 王国諸侯には不要でも、列強諸国にとってはまだまだ利用価値があるのだ。 もう一つは、『西方へ落ち延びる』。 列強諸国からの誘いも来ない様な、王位から遠い王子達は、帝國の追求を恐れて西方へ落ち延びた。 (ちなみに『西方へ行く』という言葉には、俗に『都落ち』『夜逃げ』といった意味もある。如何に西方が田舎と見られていたかが分かるだろう) 西方へ落ち延びた王子達は、当然西方諸侯を頼った。 どちらかと言えば朴訥な西方諸侯達は、取りあえずはこの厄介者達を、客として受け入れることにしたのである。 ……他地方の諸侯ならば、その様な真似はさせなかっただろう。 政治的嗅覚の鋭い宮中貴族や、その宮中貴族と長年渡り合ってきた中央諸侯。 交易商人との繋がりが深く、利に聡い南方諸侯。 王家に対する対抗心の強い二つの大公爵家――彼等も王家の血筋だが――の力が強い北方諸侯。 彼等ならば、絶対に受け入れない筈(事実追い出した)だ。 唯一受け入れる可能性があった東方諸侯も、満座の場で王に侮辱された上、帝國に力の差と寛大さを見せ付けらたこともあり、真っ先に帝國についてしまっている。 これからも分かる通り、亡命が望めない以上、西方諸侯を頼るしか道が無かったのである。 西方諸侯にしても、最早王子達に利用価値が無いこと位は承知していた。 が、行き場をなくした彼等を放り出すのはさすがに憚られた――仮にも主筋だ――のだ。 彼等の今後位は、『最後の御奉公』として考えてやるべきだろう。――そう考えたのである。 先に挙げた帝國の脅威に対する過小評価と、朴訥な風土から導き出された、実に鷹揚な結論であった。 ……まあ一番の要因は、左程実害を受けていないことであろうが。 彼等を保護した西方諸侯達は、相談を重ねた結果、帝國に対して西方にある王家直轄領だけでも彼等の領土として認めてくれる様、交渉を行なうことにした。 代償は、自分達西方諸侯の臣従。 これならば、彼等の今後どころか、レムリア王国の名すら残すことが出来る。正に最後の御奉公に相応しい。 また自分達西方諸侯も、面目を保ったまま帝國に臣従出来る。一石二鳥どころか、一石三鳥の案だ。 別に西方直轄領全部と言わなくても、半分でも良い。要は王国の名が残れば良いのだ。 ……これが、多くの西方諸侯達の最初の考えであった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【4-1】 このように、当初の西方諸侯達――王子達を受け入れた――の考えは、現在よりも余程穏やかなものであった。 この雲行きが怪しくなるのは、『話し合い』に加わる諸侯の数が増えてきてからのことである。 当たり前のことではあるが、全ての諸侯が同じ考えという訳では無い。 各々考えるところがあるだろうし、打算もある。 加えて何処の地方でも隣近所の領主、その全てが全て仲が良い筈も無く、かえって利害関係が絡んだりして険悪な場合――代々の仇敵同士の家すらある――も少なくない。 ……要するに、『あいつが気に食わないから、あいつの案には賛成できない』とか、『あいつにだけは美味しい思いはさせたくない』といった感情的な反発や、『この案よりもあの案の方が自分には美味しい』という様な打算から、話が複雑になってきたのだ。 そこに反帝國を唱える者――その理由は様々だが――が出てきたことにより、事態は一層悪化していく。 無論、他の地方にも反帝國派は存在した。それは、帝國軍の王都進撃時において遭遇戦(本編第4章第5話参照)があったことを考えれば、容易に想像がつくだろう。 だが、他の地方では自分達だけで早期に収拾を付けることができた。 それこそ一族総出で説得し、それでも駄目ならば一族の手で討ち果たすことまでして、だ。 ……西方諸侯には、それが出来なかった。 一族内での説得こそ行なわれたが、討つという最終手段までは採れなかったのだ。 これは、そこまでの覚悟を固めるほど状況を深刻視していなかったこと(やはり状況を深刻視していなかったため)や、反帝國派が他地方よりも多かったことが原因だろう。 そして何よりも一番の原因は、多数である恭順派に『まとめ役』がいなかったことだ。 まとめ役がいなかったために話はまとまらず、反帝國派も抑えることも出来なかったのである。 ……いや、本来ならば、まとめ役になるべき者はいた。 だが、彼はこともあろうに反帝國派だった。 故に、比較的少数の反帝國派が勢い付いていたのだ。 故に、多数派である筈の恭順派が、押し切ることができなかったのである。 東方におけるガリア公、南方におけるトスカーナ大公とは真逆の選択をした者。 その名を、ブルゴーニュ大公爵という。 【4-2】 大公爵家は旧王国最高位の貴族であり、男爵以上の貴族だけでも一千家を称する――些か大袈裟だが――中でも、僅か四家しか存在しない。 加えて、旧王国開祖の子供達を始祖に持つという毛並みの良さと、公爵に匹敵する領地を持つ大諸侯であるという実力を併せ持ち、その権勢は『国王ですら遠慮する』とすら言われる程だ。 まあ江戸時代における御三家の様なもの、と考えてよいだろう。 (やはり御三家の様に、『王家に後継者がいない場合は王位に就ける』とされている) ……それ故か、中央からは常に警戒した目で視られており、『敬して遠ざける』を地でいく扱いを受けていたが。 兎に角、南方に一家(トスカーナ大公)、北方にニ家(ガープ大公及びビシー大公)、西方に一家(ブルゴーニュ大公)の合わせて四家の大公爵が存在し、それぞれの地方に大きな影響力を持っていたのである。 当然、ブルゴーニュ大公も西レムリアに大きな影響力を持っている。 しかも西方諸侯は小身の者が多く、ブルゴーニュ大公に対抗できる――匹敵ではない(ブルゴーニュ大公は西方最大の諸侯でもある)――程の大身の者が少ない。 故に、ブルゴーニュ大公を止めることは困難だった。 結局、反帝國を掲げるブルゴーニュ大公とその一派の強引さに付いていけず半数ほどの諸侯が離脱したが、残りの者達は大公爵家の威光や圧力、義理に逆らいきれず、やむなく――それこそ朝倉氏についた浅井長政の様な心情で――彼等に加担する羽目になった、というのがことの真相だ。 彼等に出来たことは、せめて帝國を刺激せずに西レムリアを独立させるため、使者の役を買って出ること位であった。 (ちなみに、この時点で既に王子たちのことは脇に追いやられている) 初期における帝國の混乱は、この使者達と西レムリアにおける現状との、あまりの落差が原因だったのである。 【4-3 ブルゴーニュ大公爵領、ディジョン】 ブルゴーニュ大公爵領は、領民65万人余という、帝國の県にも匹敵する程の規模を備えている。 その『首都』であるディジョンは人口2万5千人、ディジョン在住の大公家家臣団とその家族も加えれば、4万近くにまで達する西方第二の都市だ。 (ちなみに、西方第一の都市である王領アルビでも、人口4万をやっと超えた程度である) 第二とはいえ、ディジョンの華麗さと富裕さは、王国でも有名だ。 その規模、質ともに正に王国四大公爵が一人であり、西方最大、王国屈指の大諸侯でもあるブルゴーニュ大公爵のお膝元に相応しい都市といえるだろう。 ――――ディジョン城。 大公爵の居城であるディジョン城。その謁見の間では、家老達が集まり、主君である大公爵を必死で諌めようとしていた。 「殿下。此度の戦、どうか思い止まりますよう御願いいたします」 筆頭家老が代表して、家老全員の意見を述べる。 他の者は、口を閉ざしたままだ。 ……この状況は只事ではない。 これは既に家老達の間で議論が行なわれ、彼等の意見が一致した証拠である。 (そしてそれは即ち、『家臣団全員が反対』ということをも意味する) 家老とはいえ、皆封1000戸以上と、諸侯に匹敵する禄を食む有力者達だ。 如何な主君とはいえ、その言は無視出来ない。 「……それはできぬ相談だ」 『玉座』の上から家老達を見渡しながら、大公爵は口を開いた。 まだ若い。二十を超えたばかりであろうか? 「殿下。帝國は、既に西方を除く全ての地を掌握しております。西方単独では、とても勝ち目は御座いませぬ」 「掌握? 言葉は正確に使え。帝國は、未だ『客』に過ぎない。その支配は限定的かつ不安定、掌握にはほど遠いわ」 筆頭家老の諫言を鼻で哂う。 「西方は守るに易く、攻めるに困難な地だ。帝國も苦戦は必至だろう。それを見せ付けてやれば、他地方の越し抜けどもも態度を変えるに決まっている」 「……確かに、西方が一丸となればその可能性も無くは無いでしょう。ですが西方諸侯の内、殿下の言に賛同した方々は半数に過ぎませぬ」 痛い所を突かれ、大公爵の顔が怒りで歪む。 が、筆頭家老は尚も続ける。 「その半数とて、大半は義理で名を連ねた方々です。その戦意には甚だ疑問があるかと」 「黙れ!」 遂に怒りが爆発した。 「貴様、方々の誠意を侮辱する気か!」 「帝國は、他地方の諸侯貴族を使い、我等の切り崩しを行なっております」 それに引き換え…… だが、それ以上の言葉は、流石に憚られた。 今回の西方諸侯の行動に対し、帝國自身は未だ積極的な――少なくとも公式には――交渉をおこなっていない。 これは面子もあるが、他地方の諸侯貴族とのバランスを考えてのことだ。西方だけ特別扱いは出来ないのである。 だが、それはあくまで『交渉は』、だ。 帝國は、静観の裏で様々な対策を行なっていた。 先ずは、情報収集。 王国商人、王国諸侯や貴族からの情報収集から始まり、ダークエルフや旧王国情報機関まで動員した大規模な諜報活動が行なわれている。 いざとなれば、この諜報活動に破壊工作が加わるだろう。 次いで、西方諸侯の切り崩し。 西方諸侯と縁戚関係にある諸侯や貴族達が、帝國の内意を得て次々に西方へと向かう。 (ただあくまで、『事態を憂う諸侯貴族が個人的に西方諸侯に働きかけている』という形だ) 彼等は、現状の深刻さを指摘して不安を煽り、本領安堵と引き換えに西方諸侯達を揺さぶる。  帝國も彼等を側面から支援するため、様々な流言蜚語を振りまいていた。 ……だが、それに対して大公爵家は、碌な活動を行なっていない。 大公爵家の情報機関は、その規模から考えて防諜が精一杯である。とてもダークエルフと旧王国情報機関を従える帝國には対抗できない。 (それどころか、王都を始めとする西方外の拠点も閉鎖され、西方以外の情勢の把握が困難になりつつあった) 西方諸侯の締め付けも、家臣達にやる気がない以上、その効果は期待出来ないだろう。 要するに、孤立しつつあったのだ。 「表向きは名を連ねたままでも、内々に帝國に内応した方々がいてもおかしくはないでしょう」 「もうよい! 下がれ!」 「下がる訳には参りませぬ」 「…………」 大公爵は、しばし怒りに震えたが、家老達が下がらないことを悟り、自分の方から退出した。 ……これが大公爵なりの『譲歩』だった。 (これが他の者達ならば、只ではすまなかったであろう) 後に残された家老達は、ただ溜息を吐くことしか出来なかった。 【4-4】 自室に戻った大公爵は、怒りの言葉をぶつける。 「くそ! 忌忌しい!」 「全く、殿下の崇高な御心を理解できぬ愚か者達ですわ」 大公爵の怒りの言葉を、愛妾が肯定した。 「私を真に理解してくれるのは、この城ではお前だけだ」 「……殿下、寂しいことを仰らないで下さい。私の父や兄達がおりますわ」 「ああ、そうだったな済まない。お前の家族には、いつも助けられている」 先程、謁見の間で見せた態度とは間逆の態度。 「それに導師様がいらっしゃっています。導師様なら、殿下の悩みを消し去って下さいますわ」 「導師が!」 「ええ、客間で先ほどから」 喜びを露にした大公爵は、急ぎ客間へ向かった。 「導師、お待たせして申し訳ありませんでした」 大公爵は、恭しい態度で、導師と呼ばれる人物に応対する。 この導師、ボゴミール教という弱小宗教の指導者である。 ボゴミール教は、レムリアでは――というよりも北東ガルムでは――珍しい、エルフを崇拝する宗教だ。 この様にエルフを崇拝する宗教は、北東ガルム西部にちらほらと散見するが、大半が布教許可どころか、宗教として認可すらされていない非合法のものでしかない。 (王国で宗教として認められるには、何重もの関門がある。  @宗教認可――学問として系統だっているか。危険性がないか。  A県布教許可――県レベルでの布教許可。  B郡布教許可――郡レベルでの布教許可。  C州布教許可――州レベルでの布教許可。  D王国布教許可――全国での布教許可。  *@段階では、親族内または同村内でのみ信仰許可) ボゴミール教は、その中では珍しく布教許可まで得ている――布教許可は大公の入信後だが――が、『格』が低く『歴史』も浅い。 間違っても、大公爵が入信する様な宗教ではないだろう。 ……原因は、愛妾である。 農村の一郷士の娘に過ぎなかったこの愛妾、実は熱心なボゴミール教の信者だったのだ。 当然愛妾は、城内でも熱心に祈りを続ける。 元からエルフに憧れていた大公爵が、ボゴミール教の信者になるのに、さしたる時間は必要としなかった。 家老達はそれを苦々しく思ってはいたが、目立った実害はなかったため、口煩く諫言しながらも半ば黙認する形となっていた。 ……少なくとも、今までは。 「いえ、いきなり訪ねたのですから仕方がありません」 「しかし……」 「今日参ったのは、私の予言が、いよいよ最終段階に近づいてきたからです」 「はい…… 導師の慧眼には、ただただ恐れ入るばかりです」 大公爵は、導師の予言を思い出す。 『間もなく世界は危機に瀕するであろう。  かつて無い程強大な、忌むべき存在の手によって。  地の大半は奪われ、裏切り者は溢れかえる。  世界を救えるのは、ただ信仰心厚き者達の剣のみ』 忌むべき存在たるダークエルフを従える帝國は、ダークエルフよりも遥かに忌むべき存在だ。 そして国土の大半は奪われ、国は裏切り者で溢れている。 「このままでは、世界は暗黒に覆われるでしょう。レムリアはその第一歩です」 「確かに……」 帝國は、ダークエルフを始めとする忌むべき者共を、次々と日の当たる場所に引き上げている。 このままでは…… 「それを阻止できるのは、信仰心厚き者達の剣のみです」 「はい。及ばずながら、私も立ち上がります」 そう、これは聖戦なのだ。 「……何を仰います、殿下。殿下が及ばずして、一体誰が及びましょうか」 「しかし、私は未だ信仰して日も浅く……」 「信仰の正しさに、年月など関係ありません。正しき信仰心と、正統なるレムリア王族の血を引く殿下こそ、世界を救うに相応しい存在なのです」 「私が……」 「私には見えます。殿下の頭上に輝く至尊の冠が」 「おお!」 現王家に独占され続けたレムリア王位。 歴代四大公爵の誰もが望み続け、決して叶わなかった至尊の冠。 ……それを、私が!? 「殿下こそ危機に瀕す王国を救い、王国中興の祖として称ええられる御方」 そうだ。レムリア王族の中で唯一人、私だけが戦う決意をしたのだ。 私以外の誰が、王になれるというのだ! 『世界を救った英雄』 真にレムリア王に相応しい称号だ。 「人としての階梯を終えた殿下は、死後エルフに生まれ変わることもできるでしょう」 「素晴しい! 人を超えた存在、不老不死の現人神になれるのですね!」 「その通りです。さあ大公殿下! 帝國と裏切り者達に、裁きの鉄槌を与えるのです!」 「お任せ下さい、導師! 必ずや帝國を討ち滅ぼしてみせましょう!」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【5-1】 陸相補佐官兼典礼参謀こと、有馬陸軍中佐は頭を抱えていた。 今回の西方諸侯の件に関する総指揮をとっていたのであるが、本国から『エルフが関与していないことを確認せよ』との指令を受けたのである。 ……無茶言ってくれる。 エルフの関与の有無を調べたところで、分かるのは『エルフの関与を見出せた』か『エルフの関与は見出せない』かのどちらかであり、エルフが関与していないことを確認するなどできるはずもない。 推測は出来ても、確認など出来ないのだ。 ……まあ、それだけ内地じゃあ混乱しているんだろうなあ。 溜息を吐く。 請願を提出した連中がどうやら反帝國派らしいこと、そしてその親玉であるブルゴーニュ大公はボゴミール教の信者であり、筋金入りの反帝國派であること。 彼が本国に送ったこの速報に、陸軍首脳、いや政府そのものが大きなショックを受けていた。 反帝國にでは無い。ボゴミール教というエルフ崇拝教の存在に、だ。 世界唯一の超大国への道を独走している(様にも見える)帝國が、高々信者千人にも満たぬ、弱小どころか零細宗教を恐れているのである! ……正確には、ボゴミール教にある(かもしれない)エルフとの繋がりを恐れているのではあるが。 もし、今回の件にエルフが噛んでいるとしたら大事だ。 たとえエルフが、未だ帝國との対決を望んでいなかったにせよ、それはエルフの重大な路線変更を意味するからである。 従来の『静観』から『行動』への。 この世界におけるエルフの威光は絶大だ。 もし彼等が呼びかけを行なえば、エルフを象徴として、全世界が団結して帝國と対決することにもなりかねない。 そして下手をすれば列強諸国、いや全世界との全面戦争だ。 (これは帝國にとって最悪のシナリオである) エルフとは、それだけの影響力を持った存在――少なくとも帝國はそう判断している――なのである。 故に、エルフへの敵対行為は、厳に慎まなければならないのだ。 無論、将来的にはエルフとぶつかることになるかもしれない。 だが今はまだ早い、早過ぎる。 ……後十年、いや二十年は猶予が欲しい。 これが帝國の本音だった。 だからこそ、エルフに対して距離を置きつつも、丁重に対応しているのだ。 ……屈辱と怒りにに震えつつではあるが。 【5-2】 「しかし…… なんだ…… こいつ、絵に描いたような俗人だな?」 報告書を眺めながら、有馬中佐は苦笑する。 ボゴミール教最高指導者、導師ギル。 報告書に書かれた彼の姿は、聖職者からは程遠い。 「女の信者には手を出すわ、部屋には大金を溜め込んでるわ…… これ程分かり易い奴、そうはいないぞ?」 まあ一応は隠れてやっているようだが、それが一層『小物さ』を浮き上がらせている。 「……我々も呆れました」 彼の『家臣』であるダークエルフも、うんざりした様な声で応じる。 「色々探ったり、本人も監視してはみましたが、やはりボゴミール教とエルフの繋がりは発見できません。 ……正直、これ以上は時間の無駄かと」 ……流石に、この男のこれ以上の監視は、ダークエルフも嫌らしい。 だが、顔を顰めて訴える家臣に、有馬中佐は苦笑しながらも命じた。 「未だボゴミール教とエルフとの繋がりが否定されていない以上、作戦の中止は認められない」 「しかしこのギルという男、エルフが最も嫌うタイプの人間です。仮に『捨て駒』だとしても、あの病的な程潔癖なエルフが、こんな男と関わりを持とうとするでしょうか?」 「俺もそう思うさ! だが、これは帝國における最高レベルでの命令なんだ」 尚も食い下がる家臣に、『仕方ないだろ?』と肩を竦める。 有馬中佐とて十中八九、いやそれ以上の確率でエルフは噛んでいないと確信してはいる。 だが帝國はそれでは満足できず、更なる調査を命じてきている。 (きっと自分達の他にも多くの連中が、うんざりしながらも動き回っているだろう) 「……『悪魔の証明』だな」 ガックリと肩を落とす家臣を見ながら呟いた。 悪魔の証明とは、「無いということを証明するのは不可能である」ということに対する比喩的表現だ。 とはいえ、これ以上の調査は本当に時間の無駄だ。それは認めざるをえない。 そもそも、情報の確度に100%を求める方がおかしいのだ。 情報の確度などというものは、余程の場合を除けば、五分五分以上まで持っていければ御の字、七八割まで持っていければ正に奇跡の様な代物である。 後は、様々な状況証拠を積み重ねつつ情報の真贋を判定するのだ。 故に、100%など不可能。 まあ帝國としては、『もっと良く調べろ!』と言いたいのだろうが、それにしても…… 「いい加減、限界だな」 自分も、家臣達も。 「…………」 家臣は黙ったままだが、態度で自分の言葉を肯定している。 「仕方がない。裏技でいくか?」 自分達の下した結論は、『ボゴミール教(又は今回の西方諸侯の件)とエルフは無関係』。 それを証明しろというのなら、やって見せようじゃあないか! ……何のことは無い。有馬中佐は、いい加減頭にきていたのだ。 【5-3 旧レムリア王国、ディジョン郊外】 一台の馬車が、走っている。 ボゴミール教最高指導者、導師ギルを乗せた馬車だ。おそらく城からの帰り道であろう。 馬車内のギルは、ホクホクとした顔をしている。 その懐は、大公から寄進された金貨の袋でずっしりと重たい。 「まったく帝國様々だな……」 帝國の御蔭で自分の予言が的中した形となり、大公の信頼は一気に高まった。 レムリア侵攻以来、一体どれ程儲けさせてくれたことか! 「……とはいえ、そろそろ潮時かな」 そう呟くと、急に真面目な顔つきになる。 戦が近づいてきている。早く逃げなければ、自分も巻き込まれてしまうのだ。 確かに勝てば自分も栄耀栄華は思いのままだろうが…… 「まず負けるだろうな」 そう判断を下す。 自分に戦のことなど分からない。が、王国の八割方は既に親帝國なのだ。 それに引き換え大公は、西方の半分をまとめるのもやっとの状態だ。 負けるのは目に見えていた。 「大体、自分の家臣すらまとめきれない若造が、戦どころじゃあないだろう」 せせら笑う。 ……まあせいぜい帝國ともども頑張ってくれ。自分は他国でそれを眺めさせて貰うとしよう。 重い金貨の大部分は、軽い宝石に変えてある。これなら何時でも高飛びできるのだ。 「そうだな。明日にでも適当に言い繕って……」 急に馬車が停止する。 「何事だ!」 御者を怒鳴りつける。 「おやおや、これはご挨拶ですねえ」 その声は、全くの別人。 「貴様!?」 御者だった筈の男は、何時の間にか全く姿形を変えていた。 低い背は高く。 太い体型は細く。 黒い肌は、透き通った白に。 ……そして丸く短い耳は、細く尖った耳に。 「……エッエルフ!?」 それは、肖像に描かれるエルフそのものだった。 「我等の名を騙り、金儲けをしている不届き者がいると聞き、やって来ましたが……」 腰を抜かす自分を、まるで汚物か何かの様に見るエルフ。 その手には、剣が握られていた。 「おっお許しを!」 「あなたは、誰に頼まれて私達の名を貶める様な真似をしているのです? ……まさか、あの帝國からじゃあないでしょうね?」 「ち、違います! 大公みたいな金蔓を逃すのは、余りにも惜しかったもので、つい出来心で……」 「そうですか? てっきり、帝國の忌まわしいダークエルフを、私達エルフと間違えて踊っているものと考えていましたが?」 「全て自作自演です」 「そうですか…… ならば、今まで通り振る舞いなさい」 「へっ?」 「帝國との戦い、せいぜい長引けば良いですねえ」 ギルは、いかにも愉快そうに哂うエルフを恐ろしそうに眺めていた。 「……本当に、これだけで良かったのですか?」 ギルがほうほうの態で逃げ出した後、『エルフ』は意外そうに有馬中佐に聞いた。 (有馬中佐とその一党は、今まで隠れてことの次第を見守っていたのだ) 「ああ」 「あの男の本性をばらして、大公の目を覚まさせることも不可能ではないのでは?」 「……その方法も考えたんだけどね」 あの男が突然名を惜しむ――どうせ殺されると思い――可能性も無くはないし、大公が現実を認めない可能性もある。 「それに結局は、西方諸侯が帝國を甘く見ているのが今回の原因だからね。気の毒だけれど、ブルゴーニュ大公には見せしめになって貰わなければならないのさ」 西方諸侯だけでなく、他地方の諸侯にも見せ付けるために。 「……まあ正直、ブルゴーニュ大公爵領は邪魔なんだ。あんな反帝國の有力者が貴重な資源地帯にいちゃあ」 彼につい最近届いた報告。それは、大公爵領における大規模なタングステン鉱の存在。 それは、帝國が未だ見つけることができないでいたもの。 それは、最早殆ど底をつきかけていたレアメタルのひとつ。 帝國は、その報告に飛びつく筈だ。 ……そして決断するだろう。 「そういう訳で、ブルゴーニュ大公爵家には滅びてもらう。 ……今までさんざん手をかけさせてくれた礼もかねて」 あんな小物に自分達が、いや帝國が振り回されたことに対する怒りが、今更ながらこみ上げてくる。 「しかし…… いきなり呼び出して何事かと思えばエルフの真似事とは…… 君の家臣にも『擬態』の心得位あるでしょうに……」 エルフ、いやダークエルフのエドリックは顔を顰めた。 「君の『擬態』は天下一品なんだろう? どうせやるなら本格的にやらねば!」 「……『貸し一つ』ですよ?」 「了解」 「大変です!」 彼の家臣の一人が、慌ててやってきた。 「これを」 「ほう! これは、いやはや……」 報告書を眺める有馬中佐の顔は、驚きに満ちている。 「どうしたのです?」 「……筆頭家老が、大公の無礼討ちにあったらしい」 「……それはそれは」 自ら死刑執行書にサインしたも同然の行為。 どうやら大公は、本物の阿呆だったらしい。 「これで戦は大分楽になるな。こりゃあ天の助け、神が帝國に味方しているとしか思えない」 「神ならば、あちらにもいますよ。張子の神が」 「……違いない」 両者哄笑。 こうして、レムリア併合後初の『お取り潰し』が行なわれようとしていた。 ……余談ではあるが、今回の報告後、有馬中佐は帝國政府から叱責の言葉とお褒めの言葉の両方を、ダークエルフ達からは感謝の言葉を頂いた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【6-0】 『どういうことだ!? 公的な通信には魔法通信を用いないよう、徹底してある筈だぞ!』 陸相の機嫌の悪そうな声が聞こえる。 「緊急事態でして」 『なおさらだ!』 帝國は、公務に関する全ての通信を魔法通信で行なうことを厳禁している。 これは通信の際に不都合が生じる恐れがあるためだ。 不都合とは、具体的には事故、傍受、妨害、捏造等のことである。 帝國は未だ魔法関係の知識に乏しい。故に魔法通信に関してもブラックボックス扱いなので、これらの不都合に対して全くの無力だったのだ。 ……いくら便利でも、そんなモノはとても頼りには出来なかった。 (ダークエルフが介在すればこれらの不都合も解消されるだろうが、帝國もさすがにそこまで首根っこをダークエルフに抑えられたくなかったのである) 「……と言うわけで、今すぐ動きたいのですよ。電信じゃあまどろっこしくて、とてもやってられません」 『……分かった、今回は黙認しよう。だが今回だけだぞ! 次は軍法会議だ!』 苦渋に満ちた声だ。最高責任者自らが禁を破ることに対して、内心忸怩たる思いがあるのだろう。 「はっ! 申し訳ありませんでした! ……で、如何いたしましょうか?」 『……貴様は、悪い知らせしか持ってこん』 「はて? 吉報だと思いますが?」 首をかしげて、指折り数える。 エルフ未介入の確認、タングステン鉱の発見、西方問題解決の糸口の発見…… 『……ブルゴーニュ大公爵家、どうしても邪魔か?」 「現ブルゴーニュ大公爵は、筋金入りの反帝國派です。そして貴重なタングステン鉱は、そんな彼の領内。それを抜きにしても、ブルゴーニュ大公爵は西方の不安定要因でしょう」 『…………』 「西方は、レムリアにおける鉱物資源の過半を産出しています。特に金銀に関してはその三分の二を占めますが、これらの金銀は貨幣鋳造、ひいてはレムリア経済に不可欠です」 『…………』 「加えて、西方は北東ドワーフ領との連絡線でもありますが?」 『……分かった。認めよう』 「有難う御座います。閣下」 疲れきったような声に気付かぬ振りをして、有馬中佐は通信を終えた。 【6-1 ビアリッツ城】 ブルゴーニュ大公爵領内――厳密には異なるが――にあるビアリッツ城は、夜も更けたというのに、赤々と炎と魔法照明で照らし出されていた。 詰めている兵の数も多く、その上完全武装しているため実に物々しい、殺気だった雰囲気だ。 「おお! では父は、諫言しただけで大公に殺されたというのか!」 「御意……」 父である筆頭家老の死に、レイナルドは悲痛な声を上げた。 「なんという無礼! なんという屈辱! 我がビアリッツ家は、大公家の臣であって臣ではないのだぞ!?」 ビアリッツ家は、ブルゴーニュ大公爵家創設の際に王家から派遣された『付家老』の一家であり、他の家臣達とは明らかに一線を画す存在だ。 現在でも陪臣では無く王家直臣扱いであり、王国子爵の称号を賜っている立派な王国貴族なのだ。 その封も大きく、ビアリッツ城を中心とした一町百二十ヶ村、五千余戸を数える立派な『王国諸侯』である。 大公家にとっては家臣というよりも、『客分』とでもいった方が良い存在であり、代々の大公も決して疎かにはできなかった。 「レイナルド殿、これは我等『三人衆』に対する侮辱ですぞ!」 「左様、ビアリッツ家のみの問題では無い」 やはり大公家家老である二人の男も、レイナルドの意見に同調する。 『三人衆』とは、上記にある、王家から派遣された付家老三家の総称である。 他の二家も、ビアリッツ家の半分程度の家禄ではあるが、やはり王家直臣として、王国子爵位を賜っている諸侯だ。 「我等二家も、ビアリッツ家とともにありますぞ!」 彼等三家の封を合わせれば、凡そ一万戸近くにもなる。 その三家が、連合して大公家に立ち向かおうというのだ。 「……御両家の御言葉、有り難く存じます。亡き父も喜びましょう」 レイナルドは、両者に感謝の意を伝えると、声を大にして叫んだ。 「大レミ神も御照覧あれ! 大公、いやあの卑しき妾腹めに、必ずや報いを与えんことを!」 「おお! 我等も誓いますぞ! ビアリッツ家と共に、必ずや血の報復を与えんことを!」 二人の大公家家老も唱和する。 ……そんな時だった。一人の来客がやってきたのは。 【6-2】 「何? 帝國の使者が?」 「はっ、御館様――殺された筆頭家老――の弔問に来られたそうですが、如何なさいましょうか?」 家臣が困惑の声で尋ねる。 「……構わぬ。お通ししろ」 「! しかし……」 仮にも帝國とは、敵対関係にある筈。 「父上を弔いに来られた以上、無下にする訳にもいくまい? 帝國が礼を持って対する以上、我等も礼を持って遇する必要がある」 「左様。しかも使者殿は、単身で参られるという『信頼』を我等に対して示しておられる。それに応え、歓待せねばなるまいて」 レイナルドの言葉に、二人の大公家家老も同意した。 ……無論、帝國の狙いが別の所にあるだろうことは分かっている。 だが亡き父に対する弔問を掲げ、単身で乗り込むという信頼を示している以上、受け入れない訳にはいかないのだ。 何よりも、家の名誉のために。 「使者殿、いえ有馬子爵、この度の弔問、真に有り難く存じます」 「いえ、御父君とは大変親しくしていたものですので、当たり前のことですよ」 嘘である。 まあ全く知らぬ仲では無い。大公爵家筆頭家老である以上、何度か折衝している。 ……その程度だ。 「ほう? 父と……」 無論、レイナルドとてその程度のことは弁えている。 (この程度、外交というよりも社交辞令だろう) 「はい。実は、御父君には何度も現在の王国情勢をお教えし、大公家の、いや西方諸侯の置かれた状況を話し合ったものです」 これは本当だ。 有馬中佐は、現状を把握させることにより帰順を促すとともに、微妙な偽情報も混ぜ、その真贋判定能力から大公家の諜報能力とその低下具合を測っていたのである。 「ああ、それについては父も良く申しておりました。『アリマ卿から情報を頂いたが、最早その真偽の鑑定すら困難だ』と」 「それは御父君のせいではありませんな。全て大公の無能さ故です」 少し、しかけてみる。 が…… 「あの妾腹めに、そんなことを期待しただけ無駄でしたがね」 レイナルドはあっさり同意した。 ほう…… 有馬中佐は軽く驚いた。 如何に屈辱を受けたとはいえ、仮にも主君。 屈辱を受けた自分達ならばともかく、敵である帝國の侮辱は許さないだろうと思っていたが、こりゃあ…… 大公個人に対する仇討ちどころか、完全に大公家からの離反を決めたな。 「……御父君の仇討ちをなさるお積りですか?」 ならばと、単刀直入に本題に入る。 「無論!」 「帝國が、お手伝いできるかもしれませぬよ?」 「御心遣いは有り難いですが、助太刀は無用。これは我等の戦です」 「……しかし、大公家は封十三万余戸にも達する西方最大の大諸侯。王国空中騎士団の一部を取り込み、航空戦力も充実していますが」 大公家は、王国空中騎士の一団――小規模とはいえなかなか有力な――を取り込んでいることが、つい最近判明した。 大公家家臣団が日和見しても、彼等は戦う可能性が高いだろう。 何せ、彼等は帝國と戦うためだけに大公家についたのだ。 (そうでなければとっくに帝國に恭順している筈だ) 大公が死ねば、それが水の泡になってしまう。 「…………」 ふむ。不利なのは分かっているが、誇りにかけて独力で成し遂げたい、と。なら…… 「我が軍の航空部隊は、三日後にディジョン城を空襲する予定です。『ある区画』を限定的に、ですがね」 「!」 「その際、当然敵航空戦力は排除されるでしょう。城の防衛力も低下する筈です。 ……まあ貴家には関係無いでしょうが」 「……かたじけない」 レイナルドは有馬中佐に深々と頭を下げる。 「何のことです? これは、以前から決まっていたことですよ?」 そう、これは助太刀ではない。 帝國の空襲はあくまで『予定されていたこと』なのだ。 (その証拠に陸戦部隊は送られない) その後で三人衆が動こうが、それは只の偶然に過ぎない。 「まあ大公に関わりたく方々は、三日後突然病気になるか、それが無理なら『ある区画』から出来るだけ離れたところにいることですな」 契約は成立した。 たとえ直接口に出さなくとも、帝國と『三人衆』は手を結ぶことを合意したのである。 ……少なくとも今回の件――大公抹殺――に関しては。