帝國召喚 第6章「レムリア動乱」 後編 【8-0 旧レムリア王国、ツーロン】 未だ夜明け前だというのに、1隻、また1隻と鋼の大型船が出航していく。 帝國海軍レムリア方面艦隊の艦艇群だ。 レムリア方面艦隊は、旧王国周辺海域の警備及び旧王国内の海軍施設・部隊を管理し、同海域における海軍の作戦行動を支援する任務を持つ艦隊である。 その担当海域は広大だ。 更に、今後大陸同盟諸国海域も担当に加わることは確実である。その担当海域は更に広がっていき、最終的には北東ガルムの全海域を担当するようになり、北東ガルム方面艦隊に格上げされるだろう。 それにしても、これ程広大な海域を担当する方面艦隊である。 それこそかつての遣支艦隊のように、連合艦隊から独立した同格――少なくとも表面上は――の艦隊であってもおかしくない。 ちょうど、現在の海上護衛総隊のように。 しかし実際は、連合艦隊所属の一艦隊に過ぎない。 実は帝國海軍の『有り様』を巡り、現在大激論が交わされているのだ。 軍令部は、今後守るべき海域が世界規模にまで膨れ上がることが予想されることから、帝國海軍を英国海軍型に転換しようと考えている。 つまり本国艦隊、北東ガルム方面艦隊、東ガルム方面艦隊、南ガルム方面艦隊、西ロディニア方面艦隊、南ロディニア方面艦隊……と言った具合に連合艦隊を分割。海軍の中核を方面艦隊とし、各方面艦隊がその海域の海軍部隊や施設を管理運用しようというのである。 (ただし海上護衛総隊については、通商路保護の重要性と世界規模での運用が求められることから、統一運用したほうが効率的と判断され、現状維持とされる) 当然、連合艦隊はこれに激しく反発した。 それはそうだろう。この案では、連合艦隊は本国艦隊にまで解体・縮小され、その地位が大きく低下するのだから。 連合艦隊は、『連合艦隊を分割して主力艦を分散し、海外に常駐させる』という軍令部案に対して、『海外における補給・整備能力の貧弱さ』『海外に展開し続けるコスト』『運用の柔軟性が損なわれる』等の理由を上げ、反対していた。 ……勿論、本音は別の所にあるが。 そして彼等は対抗案として、従来通り連合艦隊が実質的な指揮運用を行うことを主張した。 無論方面艦隊も各地に創設されるが、それらは全て連合艦隊の指揮下に入るのである。とどのつまりは現状維持に他ならない。 ちなみに海軍省は、両者の折衷案を提案していた。双方の言い分、至極最もなれど……という奴だ。 同格の組織として本国艦隊、北東ガルム方面艦隊等の方面艦隊を編制、この方面艦隊に担当海域の海軍部隊や施設を管理運用させるが、海上護衛総隊と連合艦隊は残し、連合艦隊は世界規模で運用する機動打撃艦隊として、戦艦部隊や正規空母部隊を配属させようという案を提示している。 当然、各方面艦隊には戦艦や正規空母は配属されず、軍令部の案よりも大幅に弱体化しているし、連合艦隊の案よりも連合艦隊の規模や権限は縮小していた。 ……が、両者の面目は立つ。 (両者の妥協が大前提ではあるが) 何れにせよ、遅くともここ一〜二年の内――本来ならばとっくに片をつけておくべき問題だが――に決断する必要があった。 しかし未だ先行きは依然不透明であり、最終的な答えは『神のみぞ知る』という有様でだった。 【8-1】 「長官! 全艦出航しました!」 「うむ」 旗艦『鹿島』では、方面艦隊司令長官自ら指揮をとっている。 どうやら、レムリア方面艦隊主力総掛かりの大仕事の様だ。 一体、何事であろう? 「しかし『羽黒』が使えんとは、痛いな」 「仕方がありません。給油の予定は変更不可能ですから……」 「仕方ない、か」 長官は顔を顰める。 『羽黒』は『足柄』の本土帰還後、艦隊に残された唯一の重巡だ。 が、この場にはいない。 本土からやってきたタンカーと合流し、給油を受ける為である。 現在石油を精錬できるのは、当たり前の事であるが帝國、それも本土のみでしかない。 流れとしては、 @バレンバンを始めとする油田地帯から石油を採掘。 A近くの港へ陸上輸送。 Bタンカーで帝國本国へ運搬。 C製油所で精錬。 D精錬した重油・ガソリン等を再びタンカーに積み込み各地へ。 ――という具合である。 今回の場合ならばDの『各地へ』、正確には『大陸各地の艦艇に給油』だ。 全ての給油を終えたタンカーは、その後再び大陸の港で原油を受け取り、本土へ帰還する。 こうして見ると、『羽黒』への給油も『ついで』に過ぎないことが良く分かるだろう。大陸と本土を行ったり来たりで、忙しい事この上ない。 この合間に整備も行うのだから、とてもこちらの都合で日時をずらす事など不可能――逆ならいくらでもある――だ。 何しろ全てのタンカーの予定は、一時間単位でキッチリと決まっているのだから。 そうでもしなければ、とても石油を回せないのだ。 いや、既に回っていない。 今ですら大陸の港に、運ばれるのを待っている原油が貯まりつつあるのだ。 ……まあ情けないことに、ドラム缶の数には限りがあるので、溢れかえったりはしないのだが。 これは本土と大陸が数千キロも離れているせいもあるが、やはりタンカーの絶対数が足りない事が根本的な原因――軍の動きが活発化したのも原因の一因として挙げられる――であろう。 そしてこの話は、通常の輸送船にすら当てはまっていた。 無論、帝國とて努力はしている。 廃船一歩手前の輸送船やタンカーですら老骨に鞭を打って第一線で働かせているし、造船所では輸送船やタンカーを最優先で建造しているのだ。 しかし、旺盛な経済活動により需要は伸び続け、そのゴールは逃げ水の如く遠ざかっていく。 この様に、帝國の経済成長も好景気も破滅と背中合わせのものに過ぎず、未だ帝國は綱渡り的な国家運営を迫られていたのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【9-1】 艦隊の先頭を軽巡洋艦『長良』以下8隻の旧式駆逐艦(睦月型駆逐艦)が航行している。 その後方を4隻の哨戒艇――やはり元は旧式駆逐艦――が航行し、更にその後方をレムリア方面艦隊旗艦である練習巡洋艦『鹿島』と1隻の特設水上機母艦が敷設艦と特設敷設艦3隻に守られて航行している。 レムリア方面艦隊外洋戦力(機動打撃戦力)のほぼ全力だ。 (この他に重巡洋艦『足柄』『羽黒』が所属している) 他の方面艦隊の外洋戦力が、旗艦任務の5500トン型軽巡洋艦1隻の他は旧式駆逐艦/哨戒艇が3〜4隻(1個隊)、特設巡洋艦と敷設艦/特設敷設艦が各2〜4隻(各1個戦隊)、後は特設水上機母艦が1隻程度に過ぎないことを考えれば、破格といっても良い編成だろう。 ……とはいえ、只の旧式駆逐艦部隊に過ぎない。 レムリア方面艦隊司令長官はそう肝に命じる。 夜明けと共に出撃した陸上航空隊が今頃『目標』を叩いている筈だが、油断は禁物だ。 レムリア方面艦隊は、水上機部隊の他に1個航空戦隊を保有している。 その戦力は、零戦36、九九艦爆36、九七艦攻36、輸送機4の計112機――補用機を除く――と非常に充実しており、正に方面艦隊の切り札的存在だった。 (竣工直前の装甲空母『大鳳』と建造予定の同型艦の艦載機分を一時的に回したものではあるが) この『切り札』にも、当然作戦参加が命じられていた。 やはり手元に航空部隊が無ければ、話にならないな! 改めてそう思う。 他の方面艦隊の様に、若干の水上機が配属されている程度では話にならないのだ。 実際、もし彼の手元にこの航空戦隊が無ければ、とてもこの様な『軽率な作戦』は行えなかったであろう。 これだけの航空兵力があるからこそ、『この程度の水上戦力』での作戦を決断出来たのである。 今後再編成されるであろう方面艦隊には、充実した航空戦力が不可欠だ。 ……もちろん、水上戦力の今以上の増強も。 近い将来、松型駆逐艦や朝潮型以前の条約型駆逐艦、それに新型海防艦が、現在配備されている大正期の旧式駆逐艦やその改装型である哨戒艇の後継として、方面艦隊に配属される予定であるが、一刻も早い配属が望まれる。 また駆逐艦だけでなく、巡洋艦の配属も真剣に検討する必要があるだろう。 新型重巡を早期に就役させ、旧式となった従来の重巡を方面艦隊に回すのだ。 これからの方面艦隊は、担当海域において多くの非友好国と接することになる。 当然小競り合いも起こるだろうが、大概の事は方面艦隊内で処理できる様にしなければならない。そうでなくては、中央の主力艦隊が東奔西走する羽目になり、疲弊してしまう。 ああ、それだけ大規模な編成ともなれば、支援艦艇の問題も出てくる。何しろ、今でさえ足りない位なのだから。 決して、帝國海軍の支援艦艇の数が少ないという訳では無い。 現在の帝國海軍の支援艦艇は増強に次ぐ増強で、その数は――能力は別として――英米の支援艦艇部隊をも大幅に上回っているのだから。 ただ大陸にインフラ設備が全く存在しないため、全てを自前――一般の輸送船団の分も!――で賄わなければならず、そのせいで数が不足しているだけの話だ。 せめて工廠代わりの特設工作艦や貯蔵タンク代わりのタンカー位、各港に浮かべたいものではあるが、それが実現するのは何時の日になる事やら。 ……しかしこうして考えていくと、戦艦の建造余地は全く無いな。 そこまで思いを巡らせ、ふと自分には好ましくない『結論』が出た事に気付く。 砲術の俺が、『戦艦よりも駆逐艦や支援艦艇を』だって!? 苦笑する。 転移前は、敵艦隊の迎撃だけを考えていれば良かったのに。 それがどうだ? 今では、本土から数千キロ以上離れた海域の事をいつも問題にしている。 全く、嫌な時代になったものだ。 今の帝國海軍に必要なフネは、戦艦よりも巡洋艦、巡洋艦よりも駆逐艦、駆逐艦よりも空母や海防艦だ。そして何よりも必要なフネは工作艦にタンカー! 全く、本当に嫌な時代になったものだ。 そう思いながらも、彼はこの結論を既に受け入れていた。 老境の彼には、達観して現実を眺めるだけの気持ちの余裕があったのだ、 最早先も見え、退官まで『そう長くは無い』ということもあるだろうが。 【9-2 ゲヘナ島】 ――――要塞司令部。 「帝國軍機械竜、複数接近!」 「……やはり来たか。数は?」 「『水平爆撃型』18に、『戦闘型』9です!」 「たった27騎だと?我等も舐められたものだ。 ……まあ良い。対空戦闘準備! 叩き落とせ!」 ゲヘナ島は濃密な防空網で覆われている。いかに帝國の機械竜とはいえ、僅か30にも満たない数ならば十分勝ち目はある。 どうせ最後は陥落するだろうが、それまでの間、できるだけ多くの敵を落としてやる! 要塞司令官は自信満々だった。 ――――ゲヘナ島対空陣地。 「敵機械竜、照準良し!」 「撃て!」 低空を飛行する帝國機に、『魔法の槍』が次々に撃ちだされる。 『濃密な防空網』と自慢するだけの事はあり、帝國機1機に対して何発もの『魔法の槍』が向かって行く。 ……が、 帝國機は『魔法の槍』が接近すると、翼下の小型爆弾を一斉に投下。小型爆弾は投下後直ぐに分解し、大量の紙片をばら撒く。 「?」 すると『魔法の槍』は途端に行動を乱し始め、次々にあさっての方向に向かっていき、挙句の果てには自爆をするものまで現われた。 「! 何事だ!?」 「あれは只の紙ではありません! 魔力を秘めた『呪紙』です!」 「何だって!?」 「……あの『呪紙』が、擬似生命反応を発しています。突然現われた大量の生命反応に混乱し、目標を見失ったのでしょう」 悲鳴の様な声。返ってくる声も悲痛そのものだ。 何ということだ! 感度を上げた事が裏目にでたのか! 指揮官は天を仰ぐ。 だが、帝國はあれだけの『呪紙』をどうやって集めた? 帝國には魔道士はいない筈だし、仮に集めたとしてもあれだけの量、とても100人や200人では…… そこまで考え、気付く。 そうか! ダークエルフか! 確かに全員――女子供まで――が最高位の魔道士以上の魔力を持つダークエルフなら、『この位の』量、容易い。 我々が帝國軍の対策を練っていたのと同様、帝國軍も対策を練っていたのだろう。当然、考えて然るべきことであった。 何故、『帝國は魔法に頼らない』などと決め付けた? だが今更後悔しても遅い。 自分達の無能のツケが、回ってきただけの話に過ぎないのだから。 「隊長! これでは『魔法の槍』が敵を捕捉出来ず、発射できません!」 「……目視照準に切り替えろ。無誘導モードで発射する」 部下の悲痛な叫びに、彼は力無く答える事しか出来なかった。 【9-3】 今回空襲を行ったのは、レムリア方面艦隊陸上航空隊である。 帝國海軍が、レムリアに保有する2箇所の飛行場――接収した空中騎士団の大規模集結基地――から飛び立った彼等は、ゲヘナ島に対し熾烈な波状攻撃を行った。 第一波は零戦9、九七艦攻18の27機。 第二波は零戦9、九九艦爆18の27機。 第三波は零戦9、九七艦攻18の27機。 第四波は零戦9、九九艦爆18の27機。 延べ四波108機の猛攻である。 頼みの綱である『魔法の槍』が目標を捕捉不能となり、目視照準による直射攻撃しか行えなくなった以上、ゲヘナ島秘密要塞はなすすべも無く帝國機に叩かれるしかなかった。 一方的に叩かれたが、ゲヘナ島秘密要塞は本来ならば非常に堅固な要塞だ。 特に空からの攻撃に対しては、多大な注意が払われており、強固な対空防衛能力を誇っている。 しかし敵の『空からの攻撃』は、想定されていたものとは全く異なっていた。 ……ただそれだけの話である。 敵の『飛竜』に対し、大量に装備された『魔法の槍』は全く機能せず、十分と思われていた防護施設は、想定を遥かに超える爆撃に対し、全くの無力だった。 全てが『想定外』だったのだ。 帝國の出現により、従来の要塞が全て――建設中の物も含め――『時代遅れ』『無力』と化したのである。構造的にも、思想的にも。 ゲヘナ島秘密要塞は、その事実を身をもって証明した。 そしてゲヘナ島秘密要塞は、不幸にも『新たな時代』に対応するだけの時間が無かった。 ……だが、ゲヘナ島秘密要塞の不幸は、まだ始まったばかりに過ぎない。 沖合いに、レムリア方面艦隊外洋戦力が姿を現したのだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【10-0】 「撃ち方始め!」 司令長官の号令とともに、到着したレムリア方面艦隊が一斉に砲撃を始める。 砲撃に参加したのは軽巡洋艦『長良』以下、旧式駆逐艦8隻、哨戒艇4隻の計13隻。 (旗艦『鹿島』と敷設艦/特設敷設艦群は砲撃に参加せずに後方に待機している) 突然話は変わるが、方面艦隊の主力である8隻の旧式駆逐艦は峯風型駆逐艦であり、4隻の哨戒艇もやはり峯風型駆逐艦を改装したものだ。 つまり峯風型12隻、全艦がここに集結していることになる。 偶然では無い。 転移前から旧式化が著しかった峯風/神風/睦月型駆逐艦及び二等駆逐艦群は、最後の御奉公として全艦が既に各方面艦隊及び鎮守府に回されているのだ。 とはいえその老朽化は深刻であり、数年の内には全艦が哨戒艇に改装される予定である。 現在まだ改装されていないこの8隻の峯風型駆逐艦も、近い将来に改装されることになるが、その後釜には最新鋭駆逐艦である松型か、条約時代の駆逐艦である吹雪型〜朝潮型の何れかの艦が回される筈だ。 が、それはまだ少し先の話であり、現時点では未だ半数近くの旧式駆逐艦が、未改装の状態で任務に就いている。 話を本題に戻そう。 命令一下、14センチ砲7門――ただし内1門は射界の関係から砲撃不能――と12センチ砲40門(駆逐艦各4、哨戒艇各2)の合わせて47門という重砲戦力がゲヘナ島秘密要塞に叩きつけられる。 これは、陸軍野戦重砲連隊(15センチ砲24門)を優に上回る攻撃力であり、正にグラナダ戦役における大砲撃戦の海軍版と言えよう。 しかも彼等にとって運の悪いことに、事前情報により主要な砲陣地や防御区画の位置が暴露されてしまっている。 航空部隊の四次に渡る波状攻撃により既に半壊状態のこれら施設に対し、砲弾が殺到したのだ。 【10-1】 ゲヘナ島秘密要塞の砲台や沿岸陣地は、艦艇との砲撃戦やワイバーンの航空攻撃を想定しており、厳重に隠蔽されている上、堅固な防御が施されていた。 しかしその位置は既に暴露されており、航空攻撃による爆弾や殺到してくる砲弾は、想定外の大威力であった。 多くは30〜60キロ、最大でも100キロ程度の爆弾――それも黒色火薬を詰め込んだ低威力の――による急降下爆撃しか想定されていない天蓋に覆われた砲台。 元の世界における17〜18世紀の大砲による砲撃程度しか想定していない土塁とそこに篭った歩兵。 皆、纏めて吹き飛ばされた。 生き残った砲で反撃しようにも敵は射程の遥か外、かえって格好の的として袋叩きにされ、たちまち沈黙していく。 勢いづいた艦隊は、更に沿岸に近寄り――といってもこちらの射程外だ――、ほとんど水平弾道で射撃を続ける。 『敵艦隊ノ砲撃ハ長射程カツ大威力ノ上、正確無比ナリ。ソノ上手数モ多ク……』 これは、この砲撃で戦死したある将校の手記である。 『……隠蔽陣地ガ暴露サレテイルトイウ事実ヲ考慮シテモ、現状ノ構築陣地デハ全ク役二立タズ、新タナル築城技術及ビ資材ノ開発ガ不可欠ト考察ス……』 彼の手記は、ここで終わっていた。 恐らく、彼の篭っていた陣地に砲弾が命中したのであろう。彼はその最後の瞬間まで、自分の任務を果たそうとしていたのだ。 彼はその手記の中で、『現状ノ構築陣地デハ全ク役二立タズ』『新タナル築城技術及ビ資材ノ開発ガ不可欠』と断言している。 何故なら彼等が篭っていたのは、かなりの時間と資金、そして労働力を投下して作られた永久陣地であり、グラナダ戦役における東方総軍が篭っていた様な、野戦の応急的な簡易陣地ではなかったからだ。 ――それが、全くの無力。 そこから導き出される結論は、『現在の築城技術及び資材では、帝國軍の攻撃を防げない』『故に、その技術と資材で造られた要塞は帝國軍の前では無力』であるという非情な現実だった。 かけた時間や資金の差、規模の大小の違いが有るとはいえ、要塞に使われている技術は世界中皆同じである。 長い年月と莫大な資金をかけて造った世界中の要塞が、帝國軍に対しては全く役に立たない! この事実が伝われば、列強諸国も慌てふためくことは間違い無い。 かけた金と時間も惜しいが、何より彼等は、未だに要塞を重要な拠点として考えていたからだ。 【10-2】 「撃ち方止め!」 予定の斉射数に達すると、ようやく砲撃終了の号令がかかった。 そして4隻の哨戒艇から、特別陸戦隊を乗せた大発が次々に発進していく。 大発の上空を、後方の特設水上機母艦から発進した二式水戦と零式水偵が、旋回しながら護衛している。敵が何らかの攻撃に出れば、彼等は即座に反撃を行う筈だ。 艦隊上空にも、二個所の陸上基地から派遣された零戦が、常に2個小隊(6機)待機し、警戒に当たっている。 これは艦隊の防空能力の低さを自覚しての処置だが、全くの杞憂に終わった。 懸念されていた反撃は無く、特別陸戦隊も何ら抵抗を受けずに上陸に成功したからである。 ――――要塞司令部。 「敵が上陸しようとしているのだぞ!? 絶好の機会に、何故反撃しない!」 要塞司令官の怒声が響き渡る。 「海岸部の砲台や防御施設は、敵の猛攻により壊滅状態と推測されます。とても反撃する余裕は無いでしょう」 「海岸部の砲台や防御施設が壊滅だと!」 「更に言えば、海岸部に展開する諸隊との連絡線も各所で分断されており、一体どれ程の将兵が生き残っているのかすら不明です」 司令官はその言葉に衝撃を受けていた。 『海岸に配備した部隊が壊滅』 それは、『戦力の大半を喪失した』と同義語であったからである。 『敵の上陸を許すな、水際で叩け』という戦術の原則に従い、ゲヘナ島秘密要塞はその砲兵戦力の大半と歩兵戦力の半数を海岸に振り向けていた。 しかし、レムリア方面艦隊の航空攻撃と艦砲射撃の前に、その戦力の大半を一戦も交えぬ内に失ってしまったのだ。 ……何故だ? 何故こんなことになった? 何が間違っていた? 自らに問うが、その答えは出てこなかった。 しかし、答えは出なくとも行動は起こさねばならない。 どうすれば良い? どうやって反撃する? 手元に残った戦力は、あまりにも少ない。 もはやゲヘナ島秘密要塞は、丸裸も同然だった。 【10-3】 ……戦術の基本原則に忠実に従った様だが、それが仇になったな。 混乱状態の要塞司令部を、覚めた目で観察している者がいた。 列強がひとつ、ネーデルランド王国の軍人である。 旧王国海軍残党は、皮肉にも仮想敵であった他の列強諸国の支援――表向きはあくまで商人からのだが――を受けていたのだ。 彼は『連絡役』として、ここゲヘナ島秘密要塞に留まっている。 むろん連絡役とは名ばかりで、『帝國軍の上陸戦能力』と『帝國軍の攻撃に対する要塞の耐久性』を、この要塞を実験台に見立てて調査することが目的だった。 その彼の目から見ると、もう勝負はついていた。 ……正直、拍子抜けだ。これじゃあ分析材料が足りな過ぎる。 司令部の無能を内心で罵る。 戦術の基本原則が通じるのは、あくまで『同程度』か『やや上』の相手までだ。圧倒的な相手に対しては、力で押し切られてしまう。 そう例えば、丁度今回の様に。 敵が同レベルであれば、例え位置が判明しているとはいえ、今回の様な一方的な戦いにはならなかっただろう。 攻撃側の飛竜部隊は、不慣れな海上を100キロ以上も重い爆弾を抱えて渡り、到着しても濃密な防空網に晒される。 そして運良く爆撃に成功しても、1発や2発ではビクともしない強固な陣地!  1個飛竜騎士隊が総力を挙げても、どの程度の戦果を見込めることやら。恐らく僅かな戦果と引き換えに、消耗しきってしまうのでは無いだろうか?  (もし敵にも飛竜がいれば尚更だ) 艦隊が攻撃しても同じことだ。 陸上砲の方が揺れない分だけ命中率が高いし、加えて艦隊は小さな砲塁を狙わなければならないが、陸上砲は大きな船のどこを狙っても構わない。 防御力も陸上砲の方が上だし、勝負にならない。 結局は、数個飛竜騎士隊を磨り潰す覚悟で波状攻撃を行い、その後大艦隊で強襲する力技に頼るしかないだろう。 (艦隊が周囲を封鎖して日干しにする手もあるが、それでは時間がかかり過ぎる) しかし、もしも―― もし、攻撃側の飛竜が長時間飛行しても疲弊しなかったら? もし、攻撃側の爆弾の威力が、防御陣地の防御力以上なら? もし、攻撃側の艦砲が、あらゆる面で防御陣地の砲よりも圧倒的に優れていたら? ……その結果が『これ』だ。 圧倒的な攻撃力は、戦術の基本原則すらも突き崩す。 仮に陣地の位置が暴露されていなくても同じこと、グラナダ戦役の時のように全てを吹き飛ばせば良いだけの話だ。 が、それにしても要塞司令部の連中は無能すぎる。もう少し柔軟に対応すれば良いものを。 ……所詮陸戦は素人か。いや、それ以前にこいつらは『本物の』軍人ではないか。 とはいえ、もう少し頑張ってくれないと困る。 「伝令を出して海岸部の残存兵力を退却させ、再編すべきです」 少し助言をする。 「あ、ああ。そうだな」 司令官はその言葉で我に返り、ようやく伝令を出す。 そして、部下達を鼓舞する。 「まだ終わった訳ではない! 兵を集めろ!」 その言葉にせせら笑う。 せいぜい、最後まで踊ってくれよ? もう勝負はついているとはいえ、彼等には最後まで戦ってもらわなければ困るのだ。 何よりも我が国のために。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【11-1】 ――レムリア方面艦隊旗艦『鹿島』。 「一体どうなっているのだ!」 司令長官の怒号が響き渡る。 原因は上陸部隊からの報告だった。 『敵、負傷兵多数ヲ残シ撤退中。追撃スベキカ、負傷兵ノ救出ヲ優先スベキカ、指示ヲ願ウ』 敵は、一戦も交えず内陸部に撤退していったのである。 ……負傷者を見捨てて。 「仲間を見捨てるとは、何事か!」 再び怒号。 敵の卑劣な振る舞いに、司令長官だけでなく艦隊司令部全体が怒りに包まれている。 尋問や書類解読等の調査任務に借り出された旧王国軍人や官僚達ですら、いやむしろ帝國人以上に憤慨に駆られていた。 「如何いたしましょうか?」 「……むう」 部下の問いに、司令長官が一瞬返答に詰まる。 『即刻追撃させるべきだ』 そう彼の軍人としての本能が囁いたのだ。 このままでは、敵に貴重な時を稼がせてしまう。敵はその時間を最大限有効に使うだろう。 だが高級軍人としての彼が、その囁きを否定する。 『我々は今後この地の主となるのだぞ? そんな短絡的な考えでどうする? 敵との違いを見せる上でも、是非とも慈悲を見せるべきだ。 そうだ、連中のこの醜態をレムリア中に知らせてやれ、負傷者達はその貴重な生き証人だぞ?』 ……確かにその通りだ。例え連中が時を稼ぎ、再編したといって、だから如何だと言うのだ? そう司令長官は判断した。 「上陸部隊に命令。『追撃を中止シ、負傷兵ノ救出二全力ヲ尽クセ』」 「ハッ! ですが上陸部隊は僅か700名程度、十分な機材も無くては……」 人力だけでは、瓦礫に埋もれている負傷兵の救出は不可能だ。 「特別設営隊を呼び寄せろ。輸送にはツーロンに待機中の輸送船団護衛部隊に要請し、駆逐艦を回して貰う。全速ならそれ程かからない筈だ。あとかき集められるだけのレムリア人医師も集めろ」 「……レムリア人医師も、ですか?」 沖合いには病院船が待機しているのに? 部下が首を捻る。 「そうだ」 部下の疑問に、司令長官ははじめて笑顔を見せた。だがそれは、腹に一物ありそうな笑顔だった。 「彼等には証人になってもらう」 【11-2】 要塞守備軍は追撃を受ける事無く無傷で撤退を完了、再編に成功した。 上陸した帝國軍を足止めしたのは、果敢な反撃では無く、自分達の艦隊の後始末――救助活動――だったのだ。 こうして帝國軍は負傷兵の救助に多大な時間を消費し、一方の要塞守備軍は貴重な時を稼ぐことに成功した。 ……余裕が有るか無いかの違いですよ。 この場に、皮肉屋で有名な某ダークエルフがいれば、そう評したに違いない。 敵のとった手段は、後先を考えないのであれば、効果的な手であることは言うまでも無いだろう。 (まあ、後々自分達に跳ね返ってくること確実ではあったが) 少しでも頭が回れば、『帝國軍は負傷兵を救助する』という判断に疑問の余地は無い。 故に、撤退する際に負傷者を残していけば、帝國軍は自分達の代わりに負傷者を救助する羽目になる。 その間自分達は追撃を受けること無く撤退を完了し、再編ができるという訳だ。 ただし、時間こそ得たが、失ったものはそれ以上に大きい。 今後、彼等『反乱軍』の士気が著しく低下することは避けられないだろう。貴族士族の支持に至っては絶望的だ。 とはいえ、現実問題として彼等に選択の余地は無かった。 いや、或いは他の選択肢があったかもしれない。 だが追い詰められつつある彼等に、そのような後先のことを考えるような『余裕』は存在しない。現在のことを考えるだけで精一杯だ。 だからこそ要塞守備軍首脳は、『助言者』の甘言に飛びついたのである。 彼の目的が、『ただ今回の戦いを引き伸ばすことだけ』であるということにすら気付かずに。 逆に帝國軍からすれば、軍事的な観点だけでなく、政治的な観点も考えて行動するだけの余裕があった。 たとえその判断が、軍事的には好ましくなくても、だ。 結局は、『どちらがより倫理的に優れているか』では無く、ただそれだけの違いに過ぎない。 だが、多くの者はそうは受け取らないだろう。特に庶民達は。 訳の分からないうちに、半ば強引に連れてこられた民間のレムリア人医師達は、帝國の軍艦の余りの速さに目を回し、次に陸地の惨状に唖然とし、今は同胞の恥知らずな振る舞い――負傷兵達が口々に『真実』を訴えた――に憤慨しつつ治療にあたっている。 目論見通り、彼等の口から旧王国軍残党の非道が漏れることは確実だ。しかも彼等は、社会的に信頼性の高い医師である。その言葉はさぞ重いだろう。 【11-3】 「お〜い、こっちに生存者がいるぞ!」 「今行く! 待ってろ!」 その頃特別設営隊の獣人隊員達は、その持ち前の怪力を活かし、獣化までして人間起重機として活躍していた。 「……全く、まだ港の設営も途中だっていうのに、こんな無駄なことを」 「文句言うな。これも仕事のうち、給料分働け」 「そうだ。口ではなく手を動かせ」 一人の隊員の文句に、同僚達から叱責が飛ぶ。 決して『発した内容についての叱責』では無いのはご愛嬌だ。 彼等獣人からすれば、『王国残党は帝國に逆らったのだから自業自得』といったところで、同情など無いに等しい。 ――これ位、如何と言う事は無いだろう? 今までの俺達と比べれば。 それが彼等獣人達の意見の最大公約数であった。 上官の帝國人の将校下士官達は、このように不謹慎な獣人の下士官兵達の軽口に頭を痛めつつ――帝國人の感傷からは相容れないのだ――も、少しでも多くの負傷兵を助けようと奮闘していた。 頭からの叱責はしない。 獣人達を指揮するにあたり、散々叩き込まれたことがあるからだ。 ・獣人ハ帝國人ニアラズ。文化ノ差ヲ理解シ、ムヤミナ叱責ヲ厳ニ慎ムコト。 ・私的制裁ハコレヲ厳禁ス。獣人ハ帝國ニ必須ノ存在デアリ、陛下ヨリ拝領ス兵器ノ如ク丁寧ニ扱ウベシ。タダシ侮ラレルベカラズ。 ・タダ忍耐アルノミ。 ……最後の言葉は突っ込むべきかどうか迷うところだが、とりあえず以上三箇条を守り、帝國軍人たちは彼等獣人を指揮していた。 (配属される下士官も、温厚な者を特に選んでいる) まあ彼等獣人は、基本的に忠実・穏やかであるし、第一働き者だ。普段であれば特に何の問題も無い。 ただたまに、どうしても違和感を感じる時があるのだ。 例えばそう、丁度今回の様に。 そんな時上官の帝国軍人達は、『文化の差、文化の差』と自分に言い聞かせつつ、『何も聞かなかった』ことにして、指揮を続けるのだった。 そして、それが一線を超えたと判断した時には…… 「おいっ! オズボーン一等水兵! 何時まで無駄口を叩いている!」 「申し訳ありません! 旦那!……じゃなかった二曹殿!」 「誰が旦那か! 貴様たるんどるぞ! 獣化を解いた後、一斗樽背負って腕立て伏せ100回!」 「はいっ!」 『馬鹿だな〜』という同僚達の目の中、その獣人兵は獣化を解いて腕立て伏せを始める。肉体的よりも精神的にキツイ処置だ。 このように帝國人の上官達は、指導処置として上記の様な罰則を多用していた。他にも『便所掃除』『一時的な外出時間短縮や外出禁止』等々。 異なる種族を指揮するというのは、この様に実に大変なことなのである。彼等上官の帝國軍人達は、身にしみてそのことを理解しただろう。 こうした努力を重ねつつ、帝國軍は現在負傷兵救出に全力を尽くしていた。 ……戦争を放り出してではあるが。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【12-1】 救出作業は現在も尚、継続中である。 救出作業に当たっているのは、当初から参加している上陸部隊の内、機関銃及び歩兵砲の各中隊を除いた小銃中隊3個約400名と増援である特別設営隊約100名の合わせて500名程。 他にも、艦隊から手隙の者が交代で派遣されることになっているが、艦隊が未だ警戒中――余程『足柄』の件で懲りているのだろう――であることを考えれば、その望みは薄く期待するだけ無駄というものだった。 救出作業は、獣人兵が大まかな作業――大きな瓦礫等の撤去――を行い、帝國人兵が細かな作業を行うという分担となっている。 (当初はなかなか捗らなかった作業も、獣人を主力とする特別設営隊の投入により一気に進展――獣化した獣人は下手な軽工作車両顔負けの大馬力を持つ――していた) そして生存者が発見されると、比較的軽傷ならツーロンから集められた民間のレムリア人医師達、重症なら帝國軍軍医の応急処置を受ける。 その後、海上に待機している病院船に送られ、本格的な治療を受けるのだ。 勿論、病院船とはいっても以前出てきた『大型豪華客船を改装したVIP用豪華病院』(*「帝國召喚」短編04参照)では無く、只の客船を改装したものであり、人材も医療機材もそれなりのものでしかない。 ……とはいえ、帝國本国でいえば地方の大病院程度の人材と機材を備えており、師団級野戦病院などとは比較にならないだけの治療能力を保有しているのだから、あながち馬鹿には出来ないだろう。 現在の帝國海軍において、この種の艦は急激に増大つつある。その数も重要性も、だ。 病院船だけではない。 インフラの全く存在しない大陸での活動を考慮し、実に様々な補助艦艇が整備されつつあった。 従来から存在する艦艇整備工廠代わりの『工作艦/特設工作艦』、航空エンジンを始めとする航空機の整備を担当する『特設航空整備艦』等の整備専門艦。 (陸軍各種装備の整備は『陸軍整備工作船』が担当) 木材加工及び簡易製紙能力を持つ『特設木材加工艦』等の現地資材加工艦。 (限定的な能力ながら製鉄・製油等、各種原料の製錬を行なう艦すら存在する) 糧食搭載能力だけでなく、現地食材を加工し製品化する能力を大幅に強化――早い話が食品工場代わり――した『給糧艦/特設給糧艦』。 上記の様に、各種工場代わりとして、工場をそのまま船に移したような艦船が数多く出現した。 『給兵艦』『給油艦』『油槽船』『各種輸送船』等、帝國-大陸間の兵站を結ぶ補給艦船も大幅に拡充されている。この種の艦船は、輸送だけでなく『貯蔵施設』としても使用された。 他にも―― 大陸に設営した港湾整備を行なう岩砕船、泥受船、浚渫船、潜水作業船。 港湾や沿岸の測量・調査を行なう測量船/艇。 潮流等の観測・調査を行う海洋観測船/艇。 船の運用を行なう起重機船、動力船、曳船、消火艇。 船と港を結ぶ内火艇、連絡艇、運貨船、他各種(水・油・武器弾薬等)運搬船。 船の整備を行なう浮船渠、工作艦/特設工作艦。 負傷・事故時の救助を行なう救難船/飛行機救難船。 物資・油の貯蔵を行なう輸送船/油槽船。 港湾や沿岸の警備を行なう哨戒/駆潜/掃海特務艇。 ――等、小なれど必須の船艇群に至っては100隻単位の需要が存在した。 これ等の艦船の大半は、軍事予算では無く大陸開発関連の政府特別予算で整備されている。 (軍だけでなく、民間や政府の船舶・人員も利用――軍以上に――しているため) その運用も大半が軍人ではなく軍属だ。 これは軍の人員増大を防ぐと共に、後に速やかに他の省庁・機関に移籍させるための措置である。 (故に正規の軍属ではなく、一時的な臨時雇用扱い) これは驚くべきことだ。 転移による一時的な措置とはいえ、大陸の港湾施設とその支援船舶、その全てが軍――陸軍と海軍――によって握られているのだ! 流石に大陸内部の鉄道、鉱山は政府直轄機関が支配しているが、これにすら軍(陸軍)が噛んでおり、その影響は大きい。 この様に、大陸進出にあたり軍の協力が必須だったとはいえ、軍(特に陸軍)の大陸に対する影響力はあまりに巨大過ぎた。 (事実上、軍が帝國勢力圏内を支配している様なもの) この軍の影は、後々大きな問題となりかねない。――心ある者達はそう危惧してた。 ……が、未だ軍の力は必要であり、彼等は軍の力がますます肥大化していくのを黙って見ているしかなかったのだ。 【12-2】 皮肉なことに、転移により帝國海軍の後方支援能力は急激に上昇しつつあった。 最早その能力はかつて――少なくとも転移直前――の英米海軍を大きく上回っている。 しかしそれでも尚、必要とされる数には到底届かず、これらの艦船は未だ貴重な存在である。 そのため必然的に東奔西走し、例えば工作艦や余程重要な地域――レムリアはその数少ない『重要な地域』だ――でなければ常駐していない艦船も多い。 病院船もその一つだった。 その貴重な病院船がわざわざ艦隊に随伴している。――これは驚くべきことだ。 ずらりと並んだベッドは衛生的で汚れ一つ無い。壁、床、天井も同様だ。 患者達には清潔な衣服が支給され、極力汚れを持ち込ませないように心掛けている。 ……なんという優れた発想だ! 船を丸ごと治療施設とするとは! 患者に付き添ったレムリア人達――特に医師や軍人――は、その発想と巨大な医療設備に圧倒されていた。 実はこの世界には、大規模な医療施設である『病院』は存在しない。 やはり職人達と同様、医師達はそれぞれが個人的な『医院』を構えており、多くの場合医師は自分一人、いても数人の弟子程度の規模でしかないのだ。 『医師(職人)は一人前になったら独力で開業するもの』 これがこの世界の常識だ。 彼等から見れば、多数の医師を抱える施設など奇妙以外の何者でもない。 もし存在すれば、『それ程腕に自信がないのか?』と嘲笑の的になっているだろう。 『男一匹、自分一人の腕で食えないでどうする!』 それが医師も含めた職人達の考えだった。 ……しかし、どうだろう? 多数の医師達が連携して治療しているのを見ていると、レムリア人医師達は自分達の考えが揺らぎつつあるのを自覚せずにはいられない。 治療技術そのものが帝國より遅れているのは薄々気付いていた。 だが、我々はもっと根本的なところで、決定的に遅れているのではないだろうか? 彼等は、言葉で上手く言い表せない――『合理的』と帝國人なら考えるだろう――そんな思いに囚われていたのだ。 医師達と同様に、軍人達も衝撃を受けていた。 『帝國は、ここまで兵を大切にするというのか!』 驚嘆すべきことだった。 確かに戦場では大量の負傷者が出る。 だが『各部隊に配属している医師が医療兵の補助の下、一人で治療を行う』という、まるで民間の個人医院の様な治療――当然数も多く時間が無いのでいい加減になる――を行い、それで死ねば『それまで』、運良く生き延びれば後方の療養所に送られ、そこで体を癒すのがこの世界のやり方だった。 この療養所も基本的には患者を『置いておくだけ』の施設であり、精々食事が支給される程度。床に直接ムシロを敷いたとんでもない所で、平時はともかく大規模な戦時には、『世話する者の数よりも患者の方が遥かに多い』という有様で、患者は怪我や病気を自力で直すしか無い。 (大規模な戦時の際の様相は、慈善活動として持ち回りでやって来る民間の医師達から『まるで地獄のよう』と表現される凄まじさだ) 故に、それなりの平民なら絶対に兵になど志願しないし、騎士(将校)達は自前で医師を雇用するか、それができなければ数人で共同で雇い入れる。 医者が必要となる程の怪我を負った兵に用は無いし、そんな事にかける『無駄金』など存在しない。仮に生き残れば、僅かな下賜金を与えて軍から出せば良い。 『兵など使い捨てに過ぎない。代わりなど幾らでもいる』 『自力で直らない者は、どうせ治療しても直らない』 これが各国の兵に対する考え方だ。 これは列強の一つであり、その中でも兵を優遇しているレムリアとて同じことだった。 (まあ下賜金の額が他国よりも大目であり、死んでも身内に渡されるだけマシではあるが) それに比べ、帝國はどうだろう!  帝國では末端の兵ですら、この様な待遇が受けられるのだ。 一体、一人の兵に幾らかけているのだろう? あれだけの戦力を揃えて尚これだけの余力を持つ、『帝國』という国の強大さを思わずにはいられない。 ・・・・・・負けるはずだ。国力の桁が違う。 レムリアの軍人達は、そう判断せざるをえなかった。 【12-3】 レムリア人達は帝國を大きく評価している様だったが、それは過大評価というものだろう。 帝國とて『兵の代わりなど幾らでもいる』と、つい最近まで考えていたのだから。 確かにこの世界の兵の扱いよりは遥かにマシではあるが、それは考え方の相違に過ぎず、根はそう大差ない。 ほんの数年前なら、今回の様なたかが千にも満たぬ上陸部隊のために病院船を待機させるなど、例え近くに病院船がいたとしても考えもしなかった筈だ。 それが変わったのは、やはり転移が原因である。 この世界においてる帝國が採るべき道、世界の覇権国家への道を示した帝國の基本指針『決号計画』。 様々な角度から検討されたこの計画において、帝國は『兵の補充が望めない』『労働力が不足している』等という短絡的・短期的な考えからではなく、根本的に今までの人口政策を見直すことになる。 人を『貴重な限られた資源』と考え、それが『現在大幅に不足している』とし、その大幅な増大を決定したのだ。 ……驚くべき転換である。 今までの帝國においては、どちらかといえば人は『余り気味』とされてきた。 (まるで棄民のような移民政策がそのことを証明している) この転換は、無論考えがあってのことだ。 世界各地からの転移組を含め、現在の帝國人口は凡そ8000万。 対するこの世界の人口は推定16〜20億、帝國との比率は凡そ20〜25対1。 この比率は、今後も現在の様な技術的優位を確保したとしても、世界の覇権国家としてその覇権を維持できる最低限の比率――少なくとも帝國はそう判断した――である。 だがこの先、帝國の技術情報が僅かなりとも漏れる事は避けられない。例え技術情報を封鎖したとしても、だ。 そうなれば、この先世界人口は急激に増大する。 帝國もこの『人口戦争』に備えなければならない。何としても現在の比率を維持するのだ! それが帝國の決断だった。 土地ならある。 帝國本土の3倍という巨大な無人島『神州大陸』を手に入れたことにより、帝國本国の総面積は一気に4倍に増大した。 計算上、人口密度は江戸初期にまで低下している。 例え人口が現在の倍になろうとも、将来的には本国だけでも十分食糧を自給できる筈だ。農業の機械化が進めば、人口が3倍になっても恐れることは無い。 幸い両者は目と鼻の先にある。本土は工業、神州大陸は農業と分担してゆけば良いだろう。 この『人口倍増計画』は、人口増加に必要――必要としているのは質の高い増加だ――な『所得倍増計画』と合わせ、既に発動されている。 帝國は本気でこの世界の覇権を狙っていた。 帝國本国は、アメリカ並み、いやそれ以上の人口と、それを支えるにたる農業・工業生産力を保有する! そのためには、『無駄にして良い兵』など存在しない。少しでも生存率を上げるため、できるだけの努力が求められている。 病院船の随伴も、その一環に過ぎなかったのだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【13-1】 食事の知らせに、ルドランはホッと力を抜く。  ……そういえばお腹が空いたな。 何しろここに着てから働き通しなのだ。 ルドラン少年は、ツーロンで開業している医師の弟子であり、師である医師の所で住み込みで働いている。 その彼が何故ここ(ゲヘナ島)にいるのだろう? それはほんの一日前のことだった。 いつもの様に医院で働いていると、突如として役人達が医院に乗り込んできたのだ。 そして訳が分からぬ内に、師匠と一緒に無理矢理巨大な船に乗せられ、気付いたらにこにいた。という訳である。 一体何事か!? と驚いたが、ここにきてようやく納得した。 要は怪我人の治療だ。 さしもの帝國軍も手が足りなかったのだろう。一刻一秒を争うため、強引に自分達を連れて来たのに違いない。 ……そう彼は解釈していた。 どちらかというとかなり好意的なこの判断は、『味方の負傷者を見捨てる』という同国人の卑怯な振る舞いと、帝國軍の『敵』の負傷者に対する扱いとの差から導き出されている。 『見捨てられた敵の負傷者を、わざわざ停戦までして救出する』 まだ世間の裏表を知らぬ少年の彼にとって、その古の騎士の様に『高潔』な振る舞いは、手放しで賞賛すべき行為であったのだろう。 ……とはいえ、食事に関しては期待できないなあ。師匠も余り期待してなさそうだったし。 そう思わざるをえない。 師匠は医師なので、将校用の食事を支給されるから別行動。自分は兵用の食事を支給される。 もちろんそのこと自体に不満は無い。あまりにも『あたりまえ』のことだからだ。 問題は食事の内容である。 帝國の軍艦で支給された食事は、『知らない雑穀を蒸して丸め、塩で味付けしただけの代物』で、実に粗末極まりない物だった。 ……まさか、またアレじゃあないよね。お願いだから違うと言ってよ! しかしその望みも空しく、危惧していた通り帝國兵達があの『穀を蒸して丸めた物』を食べている。 どうやら、アレが主食らしい。おかずは、付近の海で採れる大衆魚の干物の様だ。 ……よくあんな物食べられるなあ。ツーロンの浮浪者でも、もう少しマシなものを食べているんじゃないか? そんな偏見じみたことを考えつつ、食事に向かった。 【13-2】 配給所には多くの人だかりが出来ていた。 全員獣人だそうだが、こうして獣化を解いた姿を見ると普通の人間と変わりない。 大鍋から熱々のシチューが振舞われる。 (シチュー…… 一般人ならば現場を想像して、とてもではないが食が進まないだろうが、医療関係者や軍人はそんな事気にしない。皆、平然と食べている) シチューには、野菜にハム、ソーセージがたっぷりとブツ切りで入っており、豪華極まりない。 たまらず一口、口に入れる。 ! ・・・・・・これ、味付けに香辛料を使ってる! このシチューは、塩や素材そのものによる味付けだけではなく、貴重な香辛料を惜しみなく使っているのだ! (これは驚くべきことだ) しかもこの洗練された味! こんなに美味しいシチューは初めてだ! 「どうだ、坊主! 驚いたか!」 となりのおじさんが声をかける。帝國人ではなさそうなので、獣人なのだろう。 「はい! こんなに美味しいシチューは初めてです!」 「そりゃあそうだ。貴重な香辛料をたっぷり使ってるし、第一ちゃんと修行した料理人が作ってるんだぞ?」 「本物の料理人が!?」 その言葉に再び驚く。 きちんと修行した料理人なら、貴族や金持ち専属の料理人になれる筈。それがこんな所で、何故…… 「帝國軍が雇っているのさ! お陰で毎日旨いものがたらふく食えるわけだ!」 「でも、何故?」 「そんな細かい事は如何でも良いさ! あそこの黒パンの山を見ろ! やはりちゃんとした職人が作ったもので、普通の黒パンなんか比べ物にならない! あれも好きなだけ食っていいんだぞ? 帝國様様だよ!」 確かにおじさんの言ったとおり、黒パンも美味しかった。 おじさんの話によると、いつもこんな美味しい物を御腹いっぱい食べられるらしい。 その話は事実らしく、以後帝國軍から支給される食事はどれも豪華極まりなかった。 (こんな豪華な食事は、故郷の村長さんでも滅多に食べられないだろう) ……でも不思議なことに、帝國兵達は粗末な食事を文句も言わずに食べ続けていた。 何故だろう? 疑問は深まるばかりであった。 【13-3】 帝國は、世界各地に直轄領を保有しているが、その地は『全て無人』と言う訳ではない。当然、そこには少なからぬ数の住民が存在している。 加えて邦國。 レムリア併合以前ですら、既に百を超える邦が帝國に服していたのだ。 これらの支配地からは、毎年――とはいってもここ1〜2年程だが――年貢が上納される。 『年貢』だ。間違っても税『金』ではない。 直轄領の役人達は当初、積み上げられた『年貢』の前に頭を抱えたと言われる。 ……帝國は、この世界における租税制度を考慮していなかったのだ。 (後世『極めて迅速かつ的確』と評される帝國の行動計画は、この様に実際は穴だらけのものだったのである) それにしても、あれだけ多数の人間が関わったにもかかわらず、誰もこのように初歩的なミスに気がつかなかったとは!  もしも現地事情に詳しく、かつ帝國の内部事情も把握しているダークエルフを会議に加えていれば、直ぐにでも判明していただろうに……  (この反省から、ダークエルフも主要会議に加えられるようになる。彼等はこの機会を足がかりに、当初の『アドバイザー』から『主要メンバー』へとその地位を向上させてゆくが、それはまた別の話である) 帝國政府は慌てた。 この収入を大陸での活動資金に当てようと考えていたのだが、それは既に破綻している。大至急対策を練り、指示を与えなければならない。 各地から送られる悲鳴のような報告の前に、様々な検討が加えられた。 『現地で金に換える』 一見良い案のようにも見えるが、無理だろう。帝國領は辺境の地にあり、自給自足の観が強いのだ。 その上物々交換が主流であり、貨幣など遠くからやって来る交易商人との取引に使う程度だ。とても日常で使うレベルに達していない。 第一、その交易商人ですら大規模な取引は物々交換が基本なのだ。 ……まあこんな辺境に来る商人に、大量の作物を現金に換えられる力がある筈も無いだろうが。 では、こちらから運ぶか?  いや、年貢の大半は小麦ですらないライ麦等の安い作物だ。わざわざ貴重な船舶と燃料を割いて運ぶ価値は無い。 結局どの様な方法を用いたとしても、一部ならばともかく、その全てを換金するのは不可能だった。 『租税制度を変更する』 予想される反発が大き過ぎる。長い目で見れば必要かもしれないが、今すぐどうこうという話でもない。当然却下だ。 このように様々な案が検討されては却下されてゆき、最終的に残ったのは『食料として使用する』という実に当たり前の案だけであった。 止むを得ずこの案を採用した帝國政府は、現地機関に対し『活動経費を除いた全ての年貢を食料として使用する』と通告した。 【13-4】 対策が決まりさえすれば、全てはそれに向けて動き出す。 まず実行されたのが、獣人労働者の食料に当てることである。 驚いたことに彼等の食料は、今まで貴重な『現金』――文字通り金銀――を使って大陸諸国から買い求めていたのだ!  (その近くでは大量の食料在庫に悩んでいたというのに、である) 貴重な『現金』を浮かす――というより無用な消費を止める――ため、直ちにこれ等の年貢が流用され始めた。 ライ麦や獣肉・獣乳等々…… これらを本土から運んだ各種香辛料や調味料で味付けする。作るのは熟練の職人達だ。 『何よりも味と量を重視』 これが基本方針である。何、工作車両のコストと考えれば安い物だ。 (獣人は帝國の貴重な労働力であり、その馬力は下手な軽工作車両に匹敵する) 彼等を呼び集める『餌』、呼び止める『餌』としてはまさにうってつけだろう。 事実、これ等獣人達に提供される食事は、その質量ともに大文明圏における中流階級――大規模自作農や小地主――に匹敵しており、その余りの贅沢さに獣人たちは狂喜したと伝えられている。 その効果は絶大だったと言えよう。 次いで大陸の帝國軍将兵への提供が考慮されたが、これは早々に却下された。 彼等は帝國で散々『くどい食事』をしており、大陸においては素朴な食事――米と魚――を望んでいたのである。 彼等にはその望み通り、シュべリン王国の米が最優先で配給されることになった。 ……まあ当初はこれで事足りた。 これだけでも相当な量を必要とするし、他の使いでのある作物(小麦等)は、帝國本国でも十分な使い道があるからだ。 だが、簡単な病害対策や農業技術が伝えられたり(犯人は農村出身の将兵だろう)、灌漑施設が作られたり(これは部隊単位での仕業だろう)、更には領土そのものが増えたことにより、『使い道の無い』作物の年貢は急激に増えていく。 (帝國自身による公式な開拓等の農業インフラ整備、帝國種放出の効果も無視できない) それは獣人の需要量の伸びを大きく上回っていた。 ここに至り帝國は本国での消費を決定、どう考えても帝國人には合わないこれ等の食料を無理矢理導入する。 そのターゲットは学校児童。 未だ幼く、『適応力がある』と考えられたからだ。 帝國政府は、『全ての子供達に高栄養食品を!』の美辞麗句の下、給食対象児童を従来の『貧困児』『栄養不良・身体虚弱児童』だけでなく『全ての児童』に拡大、合わせて食事内容も一新した。 悪名高い『学校給食法』の制定である。 ……何故『悪名高い』のか? 理由はその食事内容にあった。 主食は黒パン、毎日これだ。 それも獣人達に提供しているような『保存性よりも味を重視したもの』ではなく、保存性を第一としたガチガチの黒パンである。当然出来立てですらなく、何日も経過した物だ。 副食は、『オーク肉のハムカツ』『オーク肉のハンバーグ』といったオーク肉シリーズか、『海竜肉の竜田揚げ』の繰り返し。 これ等は工場で粉末・乾燥等の保存処理されたもので、食べる前に簡単な調理が必要とされる。しかし校内に調理設備などある筈も無く、周辺の簡易調理施設で数校分がまとめて調理されていた。このため、児童に届けられる頃には冷えてガチガチだった。 止めは獣乳を加工・粉末化したものを水で溶いた『粉ミルク』。 栄養はあるが、当時の帝國人の味覚からかけ離れたシロモノであり、当時の子供達は鼻を摘み泣きながら飲んだと伝えられている。 パンや粉ミルクは調理の必要がないため工場から直接学校に送られるが、副食は工場から一旦簡易調理施設に送られ、再調理後各校に配給される。 どれも味など二の次、保存性第一としたものであり、更に悪いことに出来立てですらない。その拙さは想像を絶するものだっただろう。 ……が、残すことは許されない。 昼の給食の時間。それは児童たちにとっては地獄も同然であったと伝えれている。 (事実、阿鼻叫喚地獄だったそうだ) この『地獄』が終わりを告げるのは、帝國が本格的な直轄領統治に乗り出してからのことである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【14】 ――第一航空艦隊、艦隊司令部。 「はあ? 今、何と言った!?」 司令長官は驚きのあまり、思わず問い返してしまう。 「レムリア方面艦隊が単独でゲヘナ島を攻略中です。先方からは『貴艦隊ノ支援ヲ必要トセズ』と」 「……正気か? あの御老体」 「例の足柄の件で、『面目を潰された』と大層御立腹だったそうですから」 通信参謀も『お手上げ』といった表情だ。 馬鹿な! 方面艦隊単独で、しかも『攻略』だと!? ……何と無意味なことをするのだ! 司令長官は頭を抱える。 ゲヘナ島の秘密要塞は要塞とはいえ、その役割は『秘密の補給拠点』である。それ以上でも、それ以下でもない。 であるから、その存在と位置が暴露した時点でゲヘナ島はその存在価値を失っている。もう王国海軍残党もやって来ないだろう。 ……つまり無理して攻略する必要は無いのだ。 『一航艦の空爆と艦砲射撃により無力させたら、後はレムリア方面艦隊による海上封鎖を行い、地道に締め上げれば良い』 そう連合艦隊は判断していた。 それを…… 孤立させればそれで済むものを、わざわざ『攻略』とは! あの要塞は岩盤を刳り貫いて作られた、なかなか堅固な要塞である。とても方面艦隊の豆鉄砲――最大でも14センチ程度――では撃ち抜けまい。 必然的に要塞内への強行突入となるだろうが、方面艦隊付属の特別陸戦隊は数も少なく経験も浅い。その損害は馬鹿にならないものになりかねない。 「止めますか?」 「どうやってだ!? 向こうは大将でこっちは中将、おまけに大先輩だぞ!?」 司令長官が吐き捨てるかの様に叫ぶ。 現在のところ方面艦隊は連合艦隊直属ではあるが、陸軍レムリア派遣軍司令官が大将であることから、海軍はその対抗措置として予備役大将であった現長官を三顧の礼で迎えた。 現役大将ではなく予備役大将を迎えたのは、理由があってのことである。 一つは、方面艦隊が完全に連合艦隊司令長官の指揮下に入ることから、『さすがに現役は拙い』との配慮があったこと。 もう一つは、『近い将来における方面艦隊の連合艦隊からの独立』を考えての布石である。 大先輩の予備役大将を配置することにより、連合艦隊が口を出し難くしたのだ。 (これにより、方面艦隊の幹部達も大分独立心が出来てきた) ……まあどれも極めて政治的な色が強いが、組織である以上止むを得ないだろう。 もちろん弊害も多々ある。 例えば、『このような場合止める相手がいない』のだ。 相手が相手である。海軍三長官(海軍大臣、軍令部総長、連合艦隊司令長官)でも止められるかどうか…… 「では?」 「決まっている! 方面艦隊と共同でゲヘナ島を攻略するのだ!」 「しかし命令では……」 このド阿呆! 怒鳴るのを必死で堪える。 「前提条件が崩れたのだ。それに一旦手をかけた以上、帝國海軍の面目に賭けても早期に攻略する必要がある」 「しかし我が艦隊には陸兵はおりません。陸上戦力の不足は如何とも……」 「いるではないか。沢山」 「……まさか連中、『吉良組』を?」 参謀達が顔を顰める。 「彼等にとっては『仇討ち』だ。士気も高かろう」 「彼らには防空任務がありますが?」 参謀の一人が指摘する。何とかして止めようとしているのだ。 「何も全部投入する訳じゃあない。各艦から選抜すれば2〜3個中隊位どうとでもなるだろう?」 「しかし……」 「岸辺少佐!」 なおも食い下がる参謀達を無視すると、参謀達の輪から離れた場所に待機していた一少佐を呼んだ。 「ハッ!」 厳つい顔の少佐が進み出る。艦隊特設機銃員管理官、岸辺少佐だ。 「大至急各艦の特設機銃員を選抜、陸戦2個中隊を編成せよ!」 「畏まりました! 『特務砲術科』出撃準備致します!」 岸辺少佐は勝ち誇るかのように胸をはり、周囲の顰蹙を無視して艦橋を後にする。 「航空参謀!」 「ハッ!」 不意に呼ばれ、慌てて直立不動する。 「航空隊出撃準備! 対空警戒も怠るな!」 「畏まりました!」 「艦隊最大戦速! 目標、ゲヘナ島!」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【15-0】 ゲヘナ島要塞は古い神殿を改修して作られた要塞である。 (この神殿は、山の岩盤を刳り貫いて建立されており、要塞への改装にもってこいだったのだ) その防御力は堅牢そのもので、方面艦隊の艦砲射撃――その大半は沿岸部に集中していたが――を見事耐え切ってみせた。 そして沿岸部永久陣地を失ったとはいえ、要塞中枢は未だその戦闘力を保ち続けている。 ……見かけ上は。 「帝國め! どこまで我々を虚仮にする気だ!」 その要塞の一室に司令官の怒声が響き渡る。 まあ怒るのも無理はないだろう。 ……何と、帝國軍が一方的に停戦を通告してきたのだ。 しかもこちらの意向すら確かめずに、堂々と救出作業を始めている。それも敵――つまりこちらの――の負傷者を、だ。 傍若無人もここに極まれりといったところか。 「しかしそのお陰で、無傷の内に再編が完了しました」 「それが我々を虚仮にしているというのだ!」 副官が宥め様と試みるが、取り付く島も無い。 確かに帝國軍は『敵など何時でも潰せる』という意識が丸出しだ。舐め切っているとしか言いようがない。 「ではどうします? 強襲しますか?」 「馬鹿者! これ以上恥の上塗りをするつもりか!」  だがその言葉は一層司令官を刺激したようだ。 「帝國軍は『こちらが見捨てた負傷者』を、『わざわざ進撃を中断してまで救出』しているのだぞ!?  それだけでも面目丸潰れだというのに、その上強襲などしたらどうなる!」 ……もう恥も外聞も無いと思うのだがな。 ネーデルランド王国軍人、アーベルはこの一連の遣り取りを呆れながら傍観していた。 『恥だから攻撃しない』などという考えは、『負傷兵を見捨てて逃亡』した時点で既に破綻しているではないのだろうか? 第一、既にここまで劣勢になっている以上、もはや形振り構っていられる状況ではない。『恥だから』などという贅沢は許されないのだ。 要はそこに軍事的合理性があるかないかだけである。 ……まあ何れにせよ強襲は『不可』だな。 帝國軍は救出作業を行っているが、あの雨の様に銃弾を振り撒く銃――機銃というらしい――を保有する部隊(機関銃中隊)や砲兵部隊(歩兵砲中隊)は救出に参加せずに陣を構えている。 強襲すればたちまち蜂の巣だろう。 そして足止めを食らっている間に、歩兵部隊が戦闘準備を整えて反撃。返り討ちに合うだけだ。 少しでも敵に出血を与えたければ、この要塞に篭り近接戦に持ち込むしかない。敵に間合いを与えてはいけないのだ。 そう、丁度あのグラナダ戦役最後の突撃において、帝國軍の一部隊を白兵戦で殲滅した時の様に。 彼は連絡役としてこの地に留まっているが、実際の所は情報収集――帝國、レムリア問わず――が主任務である。 であるから、少しでも多く情報を集めるためにも彼らには健闘して貰わねば困るのだ。 ……とはいえ、これではな。 彼の見るところ、この要塞は無能の巣窟だ。司令官は凡庸以下だし、幹部にもろくな人材がいない。 数百年の太平が続けば、『こんな所』に回されるのは無能しかいないのだろう。秘密にする余り人材確保が不可能となり、人材登用が硬直化している。 ……秘密要塞を建設するという発想自体は悪くないが、所詮は机上の空論、理想に過ぎないという訳か。 嘆息する。 この要塞の幹部は、『不始末をしでかし、絶家となる代わりにこの島送りになった者』が大半で、戸籍上は『死人』となっている。後は『この島で生まれた幹部の子孫』であり、彼等に至ってはそもそも戸籍にすら記載されていない。 そんな連中が有能な筈も無く、形だけは要塞司令部としての体裁を整えているが、とても使い物にはなりそうにない。 事実、彼等は当初から右往左往しているだけだ。もしかしたら、何をして良いのすらも分からないのではないだろうか? しかし彼等の代わりはいない。 まともな将校――運悪くたまたま補給に寄港していた艦に乗り組んでいた――は沿岸部の防衛に回され、その大半が既に死人か捕虜になっている。 それにそもそも『余所者』がこの司令部に加えられる筈も無い。加えられるなら最初から加えられている筈だ。 だが現実は、最前線である『沿岸陣地』送りである。 そのこともあり、要塞組と『余所者』との中は険悪そのものだ。いや、負傷者を見捨てての撤退命令で決定的にすらなっているかもしれない。 再編が終わったとはいえ、その内情は目を覆うばかりであったのだ。 【15-1】 特別陸戦隊が攻略を再開したのは、実に上陸後三日目のことである。 『ようやく全ての設営隊が到着し、救出作業から開放された』というのが表向きの理由ではあるが、一航艦に『出撃がばれた』ことも決して無関係ではないだろう。 一度手を付けた以上、方面艦隊の面子に賭けても独力で攻略する必要があったのだ。 「総員、前へ!」 隊司令の号令により、各中隊が進撃を開始する。 この特別陸戦隊は方面艦隊が保有する唯一の陸戦専門部隊であり、隊本部以下小銃中隊3個、機関銃中隊(重機8)、歩兵砲中隊(37o速射砲2、70o歩兵砲2)各1個からなる大隊級の部隊だ。 その数、およそ700名。 少数ではあるが艦艇や航空機からの支援が受けられること、そして何よりも『敵を圧倒する火力を保有している』という自信が、僅か700での攻略を後押ししていた。 だが…… 「畜生! こそこそと!」 陸戦隊将兵の苛立つ声がそこかしこで響く。 どうも勝手が違っていた。 当初の予想とは異なり、ゲヘナ島要塞守備部隊は正面からの戦闘をはなから放棄していたのだ。 頻発する小部隊(分隊規模)単位での待ち伏せ攻撃――弩と短弓による――により、陸戦隊は徐々にではあるが出血を余儀なくされていく。 鎧どころか薄い軍服しか着用していない帝國兵にとって、矢は非常に殺傷能力の高い武器であり、一撃で即死する例すら続出していた。 無論、被害以上の損害を敵に与えてはいる。 敵が攻撃により位置を暴露――その行動は稚拙そのものだ――すると、圧倒的な火力差により殲滅していく。 ……だが初撃はなかなか察知できない。 かなりの確率で奇襲となり、運の悪い兵が次々に犠牲になっていった。 多くの将兵にとっては今回が初の実戦である。この『ゲリラ攻撃』は、彼等の精神に少なからぬストレスを与えていた。 【15-2】 しかしこの世界の正規軍(元だが)がこの様な戦法をとるなど、帝國軍にとって初めて経験である。完全に虚をつかれた形だった。 これが蜂起した農民や山賊ならわかるのだが…… 上陸部隊の幹部は一様に首を捻った。 ……実はこの攻撃法、要塞守備兵の練度と意識が低いからこそのものである。 レムリア軍はこの世界にしては珍しく、末端の兵に至るまで高い練度を誇る軍隊だ。 だがこれはあくまで一般的な話であり、何事にも例外はある。ここゲヘナ島要塞もその『例外』の一つだ。 ここの連中は『永久の島流し』にあう様な『吹き溜まり』の集まりに過ぎず、故に士気や練度が高い筈も無かった。 当然陣形を組んでの前進なんぞ満足に出来ず、剣や槍もロクに使えない。 だから陣形も何も考えずに、行動の楽な少人数で遠距離から矢を射る程度の攻撃法しか採用できなかったのだ。 また、この様な『下品な戦い』――まるで山賊のような――を何のためらいもなく実行できる程、将兵――特に将校――の意識が低いことも見逃せないだろう。 要は『弱者』の破れかぶれの戦術に過ぎなかったのだ。 しかし、疑問が沸いてくる。 『それ程意識の低い将兵が、何故逃げ出さずに戦っているのか?』という至極当然の疑問だ。 その答えは『他に行く所が無いから』である。 前にも述べたとおり、この地にいる将兵は『死人』か『いる筈の無い――何の出生記録も無い――人間』のどちらかで、それは司令官から兵に至るまで変りは無い。 仮に逃げても、その扱いは『流民』と同じなのだ。 (ちなみにレムリアの法では『流民』は死罪) 降伏しても同じこと。レムリア政府は自分達を決して受け入れないだろう。 それは『外の連中』と少しでも接すれば分かる。所詮彼等にとって、自分達は『死んだはずの犯罪者とその子孫』に過ぎない。 そんな厄介者を、民として、ましてや禄持ちの士族として遇する筈もない。 レムリア政府は帝國に刃向かったことを口実に、嬉々として自分達を始末する筈だ。 ――そう彼等は確信していた。 帝國の口利きもまず期待できない。 帝國は上陸直後に出した降伏勧告の際、自分達を『レムリア政府に引き渡し、その処置を委ねる』旨をしっかり宣言していたからだ。 帝國にしてみれば未だレムリア全土を完全に掌握したわけでもないし、その方がいろいろ『都合が良い』――自分の手を汚さないで済む――と考えたのだが、この際両者の不信感を全く考慮していなかった。 これは不手際としか言い様がないだろう。みすみす彼等を追い詰めてしまったのだから。 ……まあ、どうでもいいと考えていた節もあるが。 【15-3】 とはいえ、仮に気付いていたとしても、帝國が『口利き』などすることは有り得なかっただろう。 帝國は自勢力圏内において、現地人の大幅な自治権を認めている。極端に言えば、帝國及び帝國人に損害さえ与えなければ、何をしようが構わないのだ。 かなりいい加減だが、事実である。 だがこの『いい加減さ』こそ、帝國が広大な領土と多数の異民族を短期間のうちにその支配下に置き、その後も円満――少なくとも表面上は――に統治できている最大の理由だった。 それは支配される方の身になって考えてみればわかる。 毎年一定の税を納め、後はたまに来る要求さえこなせば、今までと何の変わりもない生活ができるのだ。ならば無理に逆らう必要は無いだろう。 第一、彼我の実力差は嫌と言うほど最初に見せ付けられているのだ。 『帝國という強力な後ろ盾が出来た』と考えれば、そう悪くも無い。 大概の者はそう考えていた。 この様に暮らしさえ変わらなければ、それ程反発は起こらない。仮に反発を持ってもそれは少数派であり、大多数の現状維持派の間に埋もれてしまう。 まあそれでも極一部は反乱を起こすだろうし、かえって全く起きない方がおかしいだろう。 現に帝國勢力圏内でも、僅かではあるが武装蜂起が『非公式ながら』確認されている。 だがその大半は、周囲の説得により断念。武装蜂起を『なかったこと』にしてしまう。 もし説得に応じなければ周囲の手により鎮圧し、やはり武装蜂起を『なかったこと』にしてしまう。 自分達の手で、内々に処理してしまうのだ。 帝國もそのことに気付いてはいるが、現地人の間で処理が出来れば『見なかったこと』とし、不問としていた。 もっとも『気付かない』のと『見逃している』のとでは、天と地の差がある。 だからこそ、これら帝國領内の監視任務は帝國諜報機関の最も重要な役目の一つとされており、時折現地にそれとなく警告を発し、『監視している』ことを示唆しているのだ。 現地人の間だけでは処理できない程の事態になって初めて、帝國は『反乱』と認定するだろう。 この様に、帝國は広大な領土の直接統治を初めから諦めていた。帝國の国力、ましてや現有戦力では到底『支配しきれない』との判断からだった。 一見大雑把に見えるが、現状ではこの統治法がもっとも帝國の身の丈にあっていたのである。 ……そしてこの一連の考えからすれば、たかだか投降者風情のために帝國が現地の自治に介入する筈も無かった。 彼等はここ以外で生きることができない。それを知っているからこそ、必死に抵抗を続けているのだろう。 例えそれが、破滅への時間を伸ばしているに過ぎないと分かっていても。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【16-1】 帝國軍は損害を出しつつも前進を続け、遂に要塞本拠地――旧神殿――にまで到達した。 だが速度を優先した上、決して実戦慣れしているとは言い難い部隊である。その損害も大きく、既に30名以上の死傷者を出している。 この数は小銃小隊ほぼ1個分――特別陸戦隊の小隊は10名分隊4個と陸軍と比べてやや小振り――に相当する。 決して無視できる数ではない。明らかに速度を最優先したことが裏目に出たのだ。 もしも敵の練度が高ければ、こんな程度では済まなかっただろう。 ……まあ練度が高ければ、ゲリラ戦など選択しなかっただろうが。 とはいえ、キルレシオは20対1近い。 しかもこちらの損害は『死傷者』だが、敵の損害は『死者』が殆どだ。少なくとも数字の上では、『圧勝』と言える。 ……あくまで『数字の上』では、の話だが。 帝國兵達は、どこから来るかも分からない攻撃の前に、すっかり萎縮してしまったのである。 帝國軍が要塞本拠地に突入する。 守備部隊との戦闘があちこちで発生し、要塞内部に敵味方の悲鳴と怒号が響き渡る。 「うわ〜!」 「畜生! こっちに来るな!」 「馬鹿野郎! こんなトコで弾をバラ撒くな! 跳弾が!」 帝國軍とて、要塞内部の全容を把握している訳では無い。あくまで概要のみである。 当然、あちこちで遭遇戦が頻発した。 ……だがそれにしても、両軍とも目を覆わんばかりの『酷い戦』である。 泣き叫びながら武器を振り回す要塞兵、逃げ腰の帝國兵…… 傍から見て、『無様』の一言だ。 レムリア本土の旧王国軍人達や、やはりレムリア本土に駐留している帝國陸軍第二師団の将兵が見たら、呆れ返るか怒り狂うのどちらかだろう。 戦いは泥沼の様相を呈し始めていた。 【16-2】 ――方面艦隊旗艦。 「これはどういうことだ? たかが刀槍しか持たない相手に、一体何を手間取っている?」 隊司令からの増援要請――彼は一時的な撤退すら具申していた――を受け、司令長官は戸惑いの声を上げる。 「彼等は特別陸戦隊とはいえ、所詮は寄せ集めの基地警備部隊に過ぎません。実戦経験も有りませんし、仕方が無いでしょう」 事実だ。彼等はあくまで基地警備を主任務とした二線級以下の部隊であり、強襲部隊ではない。 「……しかし、相手は丸腰同然だぞ?」 「近接戦闘は熟練兵にも大きな負担です。ましてやろくに実戦経験も無い彼等には、相当な負担でしょう」 「では、このまま戦闘を続行させれば?」 「最終的には勝ちます。これは間違いありません。ですが……」 そこから先は言われなくとも分かる。多くの兵が精神的にやられ、後方送りとなるのだ。死傷者も馬鹿にならないだろう。 「ならば、どうしろというのだ! まさか撤退しろとでも!?」 「いえ。それは政治的に拙すぎます」 軍事的には一時後退し再編、一航艦の到着を待って再度攻略するのが一番良い。戦艦の艦砲射撃ならば、要塞地下施設にもダメージを与えられる筈だ。 だが、政治がそれを許さない。 無敵帝國軍の看板に泥を塗ることになる。反乱軍も勢いづくだろう。 ……とはいえ、このまま戦闘を続行しても、醜態を重ねるだけである。 「では?」 「増援を送るのです。それも度胸の据わった連中を」 「『度胸の据わった連中』? 貴様、まさか特設機銃員のことを言っているのか? あの『やくざ者ども』のことを!」 司令長官は顔を顰める。 古風な老提督である彼から見て、あの連中はどうも好きになれない。 「はい。彼等は度胸もありますし、近接戦の熟練者でもあります。今回上陸戦参加を願って血判状まで提出した位ですから、士気も高いでしょう」 ……その血判状が気に食わないのだ。やくざじゃああるまいし。 とはいえ、好き嫌いで決めるほど彼は子供ではなかった。素早く投入できる戦力を計算する。 「だが、出せるのは1個中隊がやっとだぞ?」 「その1個中隊が重要なのです。彼等が破城槌となり、苦戦している上陸部隊を勇気付けることでしょう」 「仕方無し、か…… 分かった。連中に出撃命令を出せ」 猟犬の首輪が外されようとしていた。 【16-3】 彼等の外見は他の帝國兵とはまるで違う。 まず目に付くのは、肩から腰の下までを覆う分厚い皮鎧を着ている――手甲に足甲まで!――こと。 そして他の大概の帝國兵の様に大荷物を背負っておらず、見るからに身軽そうなこと。 その姿は、一部の者達にとって恐怖の的でもあった。 それが帝國領域内の『まつろわぬ者共』を殲滅した最功労者集団、『特務砲術科』である。 「これより突入の先陣は、我等が務めさせていただきます。御苦労様ですが、貴官等はどうかお下がり下さい」 突如現れた集団の長は、一方的に陸戦隊小隊長に告げる。 言葉は丁寧だが、その態度は慇懃無礼そのもの。『邪魔だからどけ』というのが見え見えである。 「吉良組……」 小隊長は呻いた。 『吉良組』とは、彼等の通称である『特務砲術科』のこれまた通称で、海軍内部ではどちらかといえばこちらの方が良く使われる。 その出自の悪さ――彼等の大半は元の科から放り出された――と気性の荒さ、そして団結の固さから、やくざの『組』にかけた呼称である。決して好意的なものではない。 が、隊長はさして気にも留めずに部下に攻撃命令を出す。 命令を受けた部下達は、何の躊躇いもなく立て篭もる敵に銃弾を浴びせかけた。 「おい! そんなことをしたら、跳弾が!」 「大丈夫ですよ。この弾は特別製ですから」 6.5o破砕弾。 特務砲術科が独自に開発した特殊弾である。 壁など固い目標に当ると粉々に砕けるという性質をもっており、室内戦闘における跳弾を防ぐことができる。 敵に対しても、厚いプレートメイルで身を固めた騎士ならばともかく、皮鎧かせいぜいチェーンメイル装備の一般兵には通常弾と何ら変わらない効果を発揮する。 いや、それ以上かもしれない。 その性質上6.5o破砕弾は体内で変形――運が悪ければは粉々――するのだ。その致命率は高く、人体に対する殺傷能力ではある意味通常弾以上だろう。 特務砲術科は室内戦闘用の特殊装備として、この弾を採用していた。正に特務砲術科にはうってつけの弾と言える。 とはいえ、貴重な弾である。その数は決して多くない。 が、彼等はそれを惜し気も無く使っている (このことだけでも彼等の『本気』が分かる) 彼等はこの戦いを『弔い合戦』『仇討ち』と位置づけていたのだ。 射撃を終えた兵達は、まだ息がある敵兵を次々に仕留めていく。 「おいっ! 何をしている!」 「この弾を受けたら、この世界の医療技術では魔法でも使わない限り、まず助かりません。一思いに楽にしてやるのが情けというものです」 小隊長の抗議にもどこ吹く風だ。 「我が軍の医療技術なら…」 「……助けて、それでどうするのです?」 特務砲術科の隊長が、尚も抗議する小隊長に不思議そうに聞き返す。 「う……」 相手は特務少尉、『水兵の少将閣下』である。 しかも彼の胸には突撃章――特務砲術科独自の徽章で、対空戦闘もしくは上陸戦闘を一定回数以上こなすごとに貰える――が輝いている。 少なくとも、20回以上の戦闘をこなした『猛者』だ。とても新米少尉が太刀打ちできる相手ではなかった。 だが、彼も正規将校の威厳にかけて対抗しようとする。 ……足元が震えていたが。 そんな様子を見ていた隊長は穏やかに笑い、まるで息子に教えるかの様に諭す。 「こいつら、要塞守備兵です。運悪く居合わせた艦船乗り組みじゃあありません」 「それがどうしたというのだ!」 「……まだ分かりませんか? こいつらは『存在しない筈の人間』なんですよ」 「! 『だから殺しても良い』という理由には!」 「……まさかレムリアに引き渡した後、こいつらが無罪放免になるなんて思ってはいませんよね?」 「!」  「間違いなく死罪ですよ。それも恐ろしく残虐な」 「まさか…… 同胞なんだぞ?」 「同胞? こいつらは『存在しない筈の人間』、流民と同じですよ。 ……『流民の賊』がレムリア刑法上、どうなるか御存知ですか?」 「 レムリアはもはや帝國領だぞ! 野蛮な真似は許されない! 」 「少尉、『郷に入りては郷に従え』ですよ。本土から出る時、散々叩き込まれたでしょう?」 「…………」 帝國は現地の風習に極力介入しないよう心がけており、将兵にもその旨厳しく教育している。 一見、『世界の既存の秩序を否定する』帝國らしからぬ振る舞いであるが、『だからこそ』である。 この世界全てを敵に回せるほど、帝國は強大では無いのだ。 だからこそ、帝國は目を背ける様な風習ですら、見ない振りをしている。 そして、それを見てきたからこそ…… 「じゃあ、特務砲術科が山賊や海賊を皆殺しにしているのも……」 「……現地の連中に引き渡したら、どうなると思います?」 小隊長の問いに直接答えずに、質問で返す。 「……」 「少尉。我々はね、この世界の暗部をいろいろ見てきたのですよ。この世界は決して楽園なんかじゃあありません」 答えられないでいる小隊長にそう告げると、待機していた部下達を促し、去っていった。 【16-4】 「前進!」 隊長の号令により、前進を始める。 彼等は敵が潜んでいそうな部屋をみつけると催涙弾を放りこみ、堪らず飛び出してきた敵を蜂の巣にしていく。 偶に反撃を試みる敵もいるが、素人同然のその攻撃は高確率で分厚い皮鎧に阻止される。 只の皮鎧ではないのだ。 これは戦竜の一番固い部分の皮を削ぎ、それを惜しみなく何枚も重ね合わせて作った物。材料も手間も恐ろしくかかる――もちろん技術も――最高級品である。 その防御力は下手なチェーンメイルをも凌ぐ。 特務砲術科の活躍により、最近帝國陸軍内部でも一部でこの鎧の採用が唱えられている程だ。 だが、只でさえ歩兵は重い荷物を背負って行軍している。重量的にとても不可能――それこそ完全自動車化されない限りは――な話だった。 (第一、予算も無い) この皮鎧は、非常に効果があることが各種戦闘で証明されているが、その重量は手甲、足甲を含めフル装備で10キロにも達する。 『本来帝國軍歩兵が装備する筈の個人装具(数十キロ)の大半を携行しない』という大前提にたっている特務砲術科だからこそ出来る装備だろう。 とても他が真似出来るものではないのだ。 ――要塞司令部。 特務砲術科の登場により、形勢は加速度的に悪化していく。 だが司令部は、この様な事態になっても慌てふためくだけであり、一向に効果的な命令を出せないでいた。 ただ『持ち場の死守』を繰り返すのみである。 まあ所詮、まともな軍事教育を受けていない司令官や参謀達だ。このあたりが限界なのだろう。 ……潮時だな。 アーベルは見切りをつけた。 これ以上ここにいたら、こっちまで逃げ出せなくなってしまう。 どうやら新たに投入された帝國軍はかなりの手練れらしく、下手をしたらこいつらと心中だ。 そんな事態は願い下げである。 彼は司令部からそっと退出し、地下の飛竜待機場に向かう。 「……御苦労、よくやった」 「はい。何人もやられましたが、どうにか……を……」 「しかし、本国も無茶を言ってくれる」 「全くです」 「! 待て!」 密談が聞こえたが、こちらに気付き鋭い声で中断する。余程聞かれたくない内容なのだろう。 「おや? アーベル殿ではありませんか?」 「……ヤコフ殿。まだおられたのですか?」 「それはお互い様でしょう?」 先程の鋭い声とは対照的に、非常に柔らかい口調。ローレシア王国の連絡官、ヤコフだ。 もう自分以外の国は全て引き払った筈なのだが…… 怪しむが、流石に直接には聞けない。ヤコフが言ったとおり、『お互い様』なのだから。 「おや? 銃声ですね? ……どうやら、本格的に拙いようです。急がなければ」 耳を澄ますと銃声が聞こえる。 いくら音が通り易い構造とはいえ、敵はかなり肉薄しているのだろう。 「ではアーベル殿、お先に失礼」 先を急ぐ彼等の背には、細長い箱が背負われていた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【17-1】 特務砲術科が投入されてから僅か一日足らずで、要塞は呆気なく陥落した。 特務砲術科の苛烈な戦いぶり。 そして何より、大勢の味方の死を前にして要塞守備兵が恐慌状態となり、遂には総崩れになったのだ。 そうなると脆い。 後は坂道を転げ落ちるようなもので、瞬く間に要塞最下層――要塞司令部がある――にまで攻め込まれてしまう。 ……ここまでで、半日。 残りの半日は、特務砲術科の『降伏勧告』を受け入れるかどうかを議論していただけである。 特務砲術科の面々は、時間を要求する彼等に内心呆れながらも、猶予を与えることを許した。 情けをかけたのではない。その逆だ。 要塞幹部練中は、生け捕りにしてレムリア側に引き渡さなければならなかった――絶対にではないが――のである。 だから情けをかけて、『一思いに殺してやる』ことは出来ないのだ。 ……まあ、かけてやる気も義理も無かったが。 半日に及ぶ議論の末、彼等は降伏を選択した。 散々『死守命令』を出しておきながら、だ。 ……命が惜しくなったのだろうか? だが自分達の末路など、重々承知のはずなのだが…… もしかしたら、一縷の望みを賭けたのかも知れない。 未だ家名が残っている者が大勢いたし、親兄弟や友人が生存している者すらいたのだから。 こうして彼等――要塞司令官以下、島にいた者全員――は、レムリア側に引き渡されていった。 その後帝國軍はこの要塞を爆破。 更に到着したばかりの一航艦から戦艦三隻――金剛、榛名、霧島――を借り受け、その艦砲射撃により要塞に完全に止めを刺した。 もはやこの要塞、というよりこの島は使用不能だろう。 これでようやくその役目を終えた帝國軍は帰路につく。 こうして方面艦隊は、なんとかその面目を保つことが出来たのだ。 この戦いでの帝國軍の死傷者はおよそ60名、その大半が特別陸戦隊員だった。 (要塞側のそれはおよそ3000名) 【17-2】 レムリアに引き渡されたゲヘナ島の生き残り達。彼等のその後の運命は悲惨としか言い様が無い。 彼等に下された判決は等しく『死罪』、ただそれのみ。 せっかく瓦礫の下から救出され、九死に一生を得た者たちも、僅か数日その寿命を延ばしただけに過ぎなかったのだ。 とはいえ、元からゲヘナ島にいたわけではない者達――帝國軍襲撃時にたまたま寄港していた艦船の乗組員――はまだ良かった。 彼等は死罪とはいえ、一応『レムリア士族』『レムリア平民』としての扱い――罪人のそれだが――を受け、温情により比較的楽に死ねたのだから。 ……本当に悲惨だったのは、元からゲヘナ島にいた者達だろう。 彼等は特務砲術科の一少尉が予言したとおり、『流民の大罪人』として扱われた。 自分の身分――士族や貴族――を主張する者もいたが、もとより籍など残っている筈も無い。 頼りにしていた家門も、親兄弟ですら『そんな人間は知らない』で終わりだった。 かえって、身分詐称――それも士族や貴族の!――の罪が新たに加わっただけでしかなかった。 撥ね付けた親兄弟を責めることは出来ない。 この世界ではそれが『当たり前』のことなのだから。 仮に不憫に思ったとしても、『家名』を守ることが何よりも最優先される。 人一人の命など、家名に比べれば遥かに軽いのである。たとえそれが肉親であっても、だ。 結局、彼等は激しい拷問の末、司令官以下全員が『流民の大罪人』として処刑された。彼等の悲痛な叫び声は、その最後の瞬間まで続いたという。 レムリアに引き渡されてから、僅か数日後のことだ。 彼等はその死後も差別を受け、葬られることも無く、ただゴミのように打ち捨てられた。 ……世界で最も進んだ国の一つであるレムリアでさえ、この様な蛮性を秘めていたのである。 この一連の処置は、在レムリアの帝國人にかなりのカルチャーショックを与えた。 中国戦線での従軍経験もある軍人達には左程のものでもなかったが、中央から派遣された総督府官僚達にはかなりのショックだったようだ。 特にレムリアを『相当文化が進んだ法治国家』と捉えた矢先の出来事だったから、余計そう感じられたのだろう。 『何、大したことはありませんよ。わが国でもつい七、八十年前まではこうだったでしょう?  それにこれは法と慣習に則った秩序ある行動です。そこが支那の連中とは決定的に違います。彼等は文明人なのですよ』 この様な立場をとり、レムリアの肩を持つ派遣軍に対し、 『……確かに法に則った処置なのかもしれない。だが、その法自体がとても文明国のそれではない!  少なくとも帝國直轄領となった旧王領では、早急に理性的な法制度を整える必要がある!  ことは帝國の名誉にも関わるのだ! 忘れたのか! ここは総督殿下の御膝元なのだぞ!?』 ――等と、急進的な意見を唱える総督府官僚が一部出てきたのだ。 これは現在の帝國、その方針と真っ向から対立する意見である。 今までの小規模な直轄領では、どちらかといえば現場型の人間が差配していた。 だがレムリアという大領を統治するにあたり、中央の幹部連まで投入された。それが原因である。 彼等から見れば、レムリアは『早急に改革する必要がある国』と映ったのだろう。 そして持ち前の強引さで、その主張を押し通そうとしたのだ。 ……そして困ったことに、彼らの意見は一理も二理もあった。 そう。ここレムリアは正しく、『親王(総督)殿下の御膝元』だったのだから。 今回の戦は、軍事的には所詮小島――それなりの重要性はあったが――での攻防に過ぎなかったが、政治的には帝國とレムリアの双方に大きな波紋を投げかけたのである。