帝國召喚 第5章「王都進駐」 【0】 「帝國から招待状が届いたよ。レムリア併合記念式典を、『旧』王都で開くそうだ」 「ふん! まだレムリア全土を掌握するどころか、王都すら握っていない現状で、よくもまあ……」 二人の男達が酒飲み話をしている。 一人は背は低いががっしりとした体つき、もう一人は背が高く華奢な体つきだが、どうやら背の低い方の男が振った話を、背の高い方の男が批評している様に見えた。 「確かに、現在帝國が抑えている地域は、レムリア東部のみだ。だが、レムリアの諸侯・貴族の大半は、既に帝國に通じている。現実的には、『既にレムリアを平定した』と言っても言い過ぎではないだろうな」 「大半ということは、まだ従っていない者もいるのでしょう? 王家も健在ですし、まだまだ一波乱も二波乱ありそうですが?」 背の高い方の男は、あくまで帝國のレムリア支配を認めたくないらしく、何かと難癖をつけてくる。 「まだ従っていない連中は小物ばかり、それも圧倒的な少数派さ! ……それに王家だって!? ありゃあもう駄目だ! 完全に貴族共から見放された」 そう言うと、酒を浴びるように飲んで一息つき、また話を再開する。 「……まあ確かに、一波乱位はあるかもしれん。だが大勢に影響はないだろうな。遅いか早いかの違いだけで、帝國がレムリアの新たな支配者となることに変りはないさ」 「余所者に尻尾を振るとは、レムリア貴族も落ちたものですね」 背の高い男は舌打ちする。 ……余程帝國に含む所があるようだ。 「で、貴方は帝國の招待を受けるのですか?」 「そりゃあ受けるさ! 向こうが礼儀正しく招待しているんだ、断る訳にはいかないだろう?」 背が低い男の所に訪れた帝國の使者は非常に礼儀正しく、招待状とともに今後の友好の証として剣と酒を彼に贈ったのである。 「実に見事な剣だった。帝國の剣だそうだが、余程の名工が己の命を込めて作ったに違いない! 優美さと力強さを兼ね備える、堪らなく魅力的な剣だったよ」 「ほう」 背の高い男は驚きの声を上げる。 この男が、『人間の作った剣』を褒めるなんて! おそらく相当な物だったのだろう。でなければここまで褒める筈がない。何しろこの男は、仲間が作った剣でさえ滅多に褒めないことで有名だからだ。 「宝物庫で返礼の品を物色しているのだが、どれもいま一つでね。正直困っている」 「貴方達の宝物庫に入る程の剣ならば、どれでもいいのではないですか?」 「そうはいかないさ! あれ程の物を貰ったんだ、こちらも相応の物を贈らねばならんよ。これは我等の名誉の問題でもある」 それを聞いて、背の高い男は更に顔を顰めた。 「……そしてそれを持って式典へ行くのですか、いい見世物ですよ?」 その光景は、帝國にとっていい『見世物』、宣伝になることだろう。 「ああ! 酒も素晴らしかったぞ!」 だが彼の皮肉を気にすることも無く、背の低い男は急に剣から酒に話題を変えた。 ……どうやら酒についても、大いに気に入ったようである。 「酒は見たことも聞いたことも無い酒だった。あれは異界の酒に違いない! 式典後の宴でも、いろいろな酒――世界各地どころか異界の銘酒までも――が用意されるそうだ」 そう言うと、まだ見ぬ他の異界の酒に思いを馳せる。 その嬉しそうな様から察するに、余程楽しみなのだろう。 「……貴方は、酒に釣られて行くのですか?」 非難と呆れの混じった声だ。 「もちろんそれだけじゃあないさ。帝國は、レムリア王国の旧領全て受け継ぐことになるだろう。勿論、旧王国属国も含めてだ。そして大陸同盟諸国は既に帝國の傘下。 ……この意味が分かるか?」 「……帝國はガルム大陸北東部、すなわち世界九大文明圏の一つ、『北東ガルム文明圏』を事実上統一することになりますね」 忌々しそうな答えが返ってきた。 「そうだ。近い将来、北東ガルム文明圏は帝國によって統一される。これは歴史上初めての快挙だ。加えて帝國本国はまた別にある、恐らく並みの文明圏以上の人口を抱え込んでいるだろうな。他にも、世界各地に辺境地域とはいえ自治領や邦を多数持っている。これ程の規模の国家が、歴史上に一体いくつ存在した?」 「…………」 「史上有数の国家、超大国が誕生しようとしているのだぞ?」 「…………」 だが背の高い方の男は沈黙したまま、一向に喋ろうとしない。 「お前さんの所にも、招待の使者がきたのだろう?」 どうせ断っただろうが、と水を向ける。 「……はい、ブレスト伯が使者としてきました」 「ブレスト伯が? じゃあ行くと返事をしたのか?」 ブレスト伯とはレムリア諸侯の一人で、自分達とも日頃から親交を結んでいる。その彼の仲介ならば…… 「いえ、もちろん追い返しました。変節にも程がありますから」 「何だって! まさか手ぶらで追い返したのか!?」 「人聞きの悪い。品物も受け取っていませんよ?」 「そういう意味じゃあない、お前さんはブレスト伯の面目を潰したんだぞ! この意味が分からないのか!?」 『贈り物や招待状を贈るどころか、返事すら貰えずに追い返された』――これでは、子供の使いも同然である。ブレスト伯の屈辱と怒りは相当な物だろう。 (貴族や士族は、とかく体面――自分どころか一族のものまでも――を重んじるものだ) 「これでブレスト伯、いいや彼の一族全てがお前さん達の敵になったぞ! 他の貴族達も距離を置くだろうな。ただでさえこの地方では、お前さん達の『威光』は薄いんだ。わざわざ理解者を敵に追いやってどうする!? 帝國とも不仲なのだろう?」 「帝國は、私達を快く思っていませんからね」 「……それはお前さん達も同じだろう? お互い様さ。だがそれでも帝國は、少なくとも表面上は礼儀を弁えて、招待状を送ってきたのだぞ?」 それにひきかえ、何を子供じみたことを。断るにもやり方があるだろう? 背の低い男の呆れた様な言葉を、背の高い男は口を曲げながら黙って聞くだけだった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【1-1】 帝國軍前衛部隊は、進撃二日目にして王都入城を果した。 王都へ向かう帝國軍の参加兵力は以下の通りである。 前衛部隊(約1千) 戦車連隊、近衛歩兵1個中隊からなる完全機械化部隊。 主力部隊(約5万) 第二師団、軍直轄部隊、東方諸侯連合軍からなる徒歩部隊。 後衛部隊(約5千) 近衛歩兵第一連隊(1個中隊欠)を中核とした増強連隊(完全機械化部隊)。 実に総勢5万を超える大兵力である。 現在これに対抗できる戦力は、レムリアには事実上存在しないだろう。 (王国軍は各諸侯に分割吸収されているし、諸侯のまとめ役が複数いる以上、大同団結は余程のことが無い限り不可能) さて、帝國軍は前衛部隊こそ早期に王都に送り込んだが、主力部隊は街道沿いの有力者達の歓待を受けつつのんびりと西上し、後衛部隊に至っては未だマルセイユに留まっていた。 後衛部隊は、『全ての準備』が整ってから出陣する予定である。 帝國軍にとって王都占領は、既に確定事項だったのである。 【1-2 レムリア王国、『旧』王都】 「さあ、帝國の御慈悲ですよ! 有難く受け取って下さい!」 王都ではボルドー系商人達が多数の物資を持ち込んで、帝國軍入城祝いと称した大判振る舞いを行っていた。 「まだまだ幾等でもあります! 慌てないで下さい!」 王都は人口100万を誇る超巨大都市だ。 諸侯・貴族たちが家臣とともに去り人口が大きく落ち込んだとはいえ、未だ人口80万を超えるレムリア第一の都市である。平民だけで60万人近くに達するだろう。 それだけの人口に、大判振る舞いをするだけの物資を集められるとは! ……改めて、彼等ボルドー商人の底力を見せ付けられた出来事といえよう。 もっとも、カラクリがある。 別に、ボルドー商人は損をしていないのである。 これらの物資は、各地の『旧』王国政府の貯蔵庫から集めたもので、彼等はそれを運んできただけ(それだけでも大したものだが)なのだ。 それにある程度振舞った後は正価で売るつもりだが、その場合は原価は零という丸儲け振りである。 流石に、金銀貨だけでなく銅貨でも売ることになっているが、帝國は『旧』王国通貨を引き続き使用することを約束している。 ならば、事態が沈静化すれば再びレートは元に戻るだろう。それまで待てばよいだけのことなのだ。 「明日から店を再開します! けちなことは言いません、正価で結構です! もちろん銅貨でも受け付けますよ!」 群集から歓声が上がった。 彼等にとって戦争とは自然災害のようなもの、帝國に含むものなど存在しない。 『自然災害』に対処できない『旧』王国こそ、怨嗟の対象なのだ。 自分達の生活が良くなるのなら、別に帝國が主人でも構わないのである。 「『帝國』が王都にお入りになれば、直ぐに諸侯・貴族の方々もお戻りになります! また元の生活に戻りますからそれまでの辛抱です!」 再び歓声が上がる。 忌々しそうに見る者――おそらく他の商人達だろう――もいるが、彼等にそれ以上のことはできないだろう。 ボルドー系商人達の店の周囲は、『旧』王軍で固められているのだ。 彼等『帝國御用商人』の登場により、レムリアの権益構造は大きく変ろうとしていた。 【1-3】 同時刻、典礼参謀は王城で軍務卿と会見していた。 (彼は前衛部隊と行動をともにしていたのである) 「閣下、王都の確保有難う御座いました。この功績は大きいですよ!」 典礼参謀は礼を述べる。 実際、軍務卿が王都を制圧してくれた御蔭で兵を動かす大義名分もできたし、その後も王都の治安を維持、行政機構も無傷で残した。その功績は大きい。 「帝國の御役にたてて光栄です」 「引き続き、王都の治安確保を御願いいたします」 帝國は既存組織の上に乗るだけだ。直接統治する気などさらさら無い。 「お任せ下さい。 ……ところで子爵閣下、失礼ですが外務卿のことを御存知無いでしょうか?」 軍務卿は、非常に聞きにくそうに尋ねる。 「ああ、それは……」 流石に聞きにくかろう。 典礼参謀は口には出さずに、そう心で呟いた。 外務卿は、帝國側から軍務卿の『反乱』を知らされた。 始めは信じようとしなかったが、その事実を確認すると呆然とレムリアに帰っていった。 ……今頃は、自領で意気消沈しているのではないだろうか? 呆然といえば、他の随行員達も呆然としていたな。まあ外務官僚なんて仕事、今後無くなるのだから仕方ないか。 (代わりの仕事は勿論有る――情報関係だ――が、とても全員は必要ない) 「……そうですか、彼にはすまないことをしたと思います」 「閣下には、おって加増の沙汰があるでしょう、そう気を落とされますな!」 軍務卿との会談後、今度は傘下の諸国の大使達から歓迎を受けたが、後に改めてということで早々に切り上げる。重要な会見が控えているからだ。 他の列強諸国大使との会見である。 帝國、列強諸国とも初めての公式な接触で、今回彼等は初めて顔を会わせることになる。 「これはこれは大使方、わざわざの御訪問有難う御座います」 「子爵、お会い出来て光栄です」 当たり障りの無い挨拶が交わされると、典礼参謀は早速要求を切り出した。 「帝國は、引き続き大使館の特権を認めます。旧王国の結んだ条約についても、『旧レムリア王国の範囲内で』有効としましょう」 典礼参謀の言葉に、何人かの大使が顔を引きつかせた。 要は、帝國がレムリア王国の後釜として列強の椅子に座ることを宣言(要求)したのだ。 しかも、ただ列強の椅子を要求している訳ではない。 帝國は、『旧レムリア王国の範囲内で』しか他の列強との条約は有効でない、つまり帝國本国は条約対象外と言っているのだ! 「……それはそれは随分と」 新参者は、もう少し慎み深いものですよ? 一人の大使が皮肉を言い、 「帝國は、まだレムリア全土を支配した訳ではありませんよ? 完全に支配してから、改めて『要請』して頂きたい」 さらにもう一人の大使が、要求を突っぱねる。 「そうですか、では後日改めて」 ……が、典礼参謀はあっさりと要求を引っ込めた。 門前払いは分かっていたことではある。とりあえず今回は顔見せに過ぎない。 「ところで、1ヶ月後の『記念式典』への招待は受けて下さいますか?」 「それはもちろんですよ、子爵。我等全員が参加することをお約束しましょう」 「有難う御座います」 そう、これが本題なのだ。 帝國が主催する、この世界にきて初めての国際的な儀式。これには彼等列強の出席が欠かせない。 もしごねたら強制送還を匂わせて揺さぶろうかと思ったが、彼等にしても我等を観察できる良い機会なのだろう。拒否の言葉はなかった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2】 「若僧が! 調子に乗りおって!」 会談後、大使の一人が溜め込んでいた怒りをぶちまけた。 今まで、彼等にあのような態度を取った者など存在しない。 例え同じ列強同士であっても、だ。 しかしあの若僧はそれをやった。それも、全列強の大使を相手にである。 ――文句があるならまとめてかかって来い。帝國はいつでも相手になる―― 彼等は、彼の言葉をこのように受け取っていた。 彼の後ろに、帝國を見たのである。 「だが、帝國の『力』は本物だ」 別の大使が指摘するが、即座に反論が入る。 「所詮同じ人間、神ではない。対抗のしようはある」 既に列強諸国は、帝國に対抗するための大規模な軍備改編を開始している。 それだけではい。あらゆるレベルでの対帝國政策をも合わせて実行しているのだ。 「……いっそ、経済封鎖でもしてやるか?」 確かに、全列強が共同で帝國に対する経済封鎖を行えば、帝國の支配地域は大混乱に陥り、帝國は支配地域にかかりっきりとならざるをえないだろう。 軍備が整うまでの時間稼ぎとしては、まあ悪くないかもしれない。 だが…… 「それは事実上の宣戦布告だぞ?」 「それに帝國を経済封鎖するということは、北東ガルム大陸全土を封鎖するということでもある。確かに向こうの損害は大きいだろうが、こっちの損害も無視できないぞ? 下手をすると、経済が大幅に悪化して社会が不安定になりかねない」 経済封鎖は諸刃の剣だ。 特に大文明圏――北東ガルム文明圏―― 一つを丸ごと封鎖するとなると、『肉を切らせて骨を断つ』どころか、大動脈ごと切られてこちらも失血死しかねない。 帝國が破れかぶれになって、戦争を吹っかける可能性もある。これでは本末転倒であろう。 「私も経済封鎖には反対だな」 また一人反対者が増えた。彼は言葉を続ける。 「私は宮廷の御婦人方を、敵に回したくはないのでね」 彼の言葉に思わず耳を疑う。 「……何故、帝國への経済封鎖と宮廷の御婦人方が関係あるのですか?」 半眼で大使の一人が問い詰める。 「大有りですよ! 帝國と交易しないということは、当然帝國の化粧品やら香水やらが入ってこなくなるのですよ!?」 「!」 その言葉に一同が愕然とする。 実は帝國製の化粧品や香水は、この世界の貴族の御婦人方の憧れの的なのだ。 帝國は近い将来の交易を見越して、ある計画を実行していた。 『帝國製品高級化計画』 ……笑い話のような計画ではあるが、帝國自身は大真面目である。 帝國は元の世界における帝國製品への不信感――安かろう、悪かろう――を繰り返さない為にも、帝國製品に対する絶対的な信頼と憧れを植えつけようと、この計画を立てたのだ。 この計画は実に徹底しており、帝國でも最高品質の品のみを選択し輸出――このため本国では二級品のみしか手に入らなくなってしまったが――し、中でも化粧品や香水は帝國製品の高級化に最適として、特に力を入れて作られていた。 何せ、元の世界における欧州諸国の高級製品を、最高の材料と手間をかけてコピ−し、売却しているのである。売れない訳がないだろう。 化粧品や香水のタ−ゲットは、『上級貴族の女性』。 帝國はこの世界における流行の最先端である彼女達に、法外な値段――高級感を出すためでもある――で売りつけていた。 彼女達が、斬新かつ繊細な帝國製化粧品や香水の虜になるのに、さして時間はかからなかった。 「正直、宮廷の御婦人方も恐ろしいが妻はもっと恐ろしい。妻は、帝國の新作の服を楽しみにしているのだ、もしそれが経済封鎖で手に入らなくなり、その経済封鎖に私が噛んでいた等ということがばれたら……」 その言葉に、何人かの大使がビクッと肩を震わせる。 ……どうやら彼等にも心当たりがあるようだ。 「? 帝國は、服まで売っているのですか?」 それは初耳だが、さすがにそれは仕立て屋の仕事ではないだろうか? 「……メディチ商会が、各国の王室に帝國の布を献上したことを覚えているでしょう?」 「ああ、確か『きぬ』とかいう不思議な布だな。実に見事な物だったが、それが?」 大使の一人が、溜息を吐きながら説明する。 「……他国はどうだか知りませんが、我が国では妃殿下が大層それをお気に召し、これからは『きぬ』の服しか着ないと仰っています。早速『きぬ』の服を着て、あちこちの宴に御出席。当然、他の御婦人方も争って御購入。帝國は商売上手にも、各ブランドで季節ごとに違った服を発表するそうです。まああの神の衣に使うかのような『きぬ』に、帝國のデザインですから売れない筈が無いでしょう? 発表前から予約殺到ですよ」 帝國は英仏伊などコピーした国毎にブランドを作り、それぞれで化粧品や香水を発売しているが、今度は更に、服のデザインまでコピーして売ろうと――しかもやはり法外な値段でだ――いうのだ! 実に突っ込み所満載の、素敵な商売である。 売却法としては、各地のメディチ商会支店が代理店となって受け付け、注文毎に契約を結んだ仕立て屋に発注し、各個人の体型に合わせて作るという手法だ。 当然時間がかかり、かなり待つことになる。というか、なかなか手に入らない。 (加えてメディチ商会は、従来以上に厳選した職人にのみ扱わせているため、職人の絶対数そのものが少ない) ……不思議なことに、それが余計に人気を呼んでいるらしいが。 「帝國め、なんと腹黒いのだ! よりにもよって、御婦人方を取り込むとは!」 「全くだ。最初は、いやしくも国家自らが商売して小銭稼ぎとは、何をトチ狂ったのかと思っていたが……」 「全て綿密な計算の上、ということだろうな」 これが麻薬やら他の品ならば話は早い、迅速に対抗処置を取ることができる。 だが化粧品や香水、それに服では…… 恐らく何を言っても、御婦人方を納得させることは不可能であろう。 こうして、帝國の『帝國製品高級化計画』は、帝國を経済封鎖の危機から救った。 だが一方で、かなり歪んだ誤解を招くことにもになる。 「帝國は油断がならないぞ? レムリア王国そのものには全く興味が無さそうな振りをしておきながら、結局は全土を併合してしまった。強欲にも程がある」 「まあ辺境では相当好き勝手にやっていたようだからな。それが本性だろう。中央では、やはり人の目が気になるのだろう」 皮肉にも、帝國は列強諸国から、『老獪な、戦争の上手い超大国』と見られつつあった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【3-1】 帝國軍主力部隊が、旧王都に入城したのは、前衛部隊の入城から遅れること、およそ十日程過のことであった。 この差は、完全機械化部隊と徒歩部隊という違いもあるが、前衛部隊がスピードを何よりも要求されたのに対し、主力部隊については、街道沿いの住民達に『見せること』が重要視されたためである。 帝國軍将兵にとっては、拍子抜けするほど楽な進軍で、気勢を削がれた感すら否定できない。 これは、帝國軍の余りの士気の高さ――というより興奮状態――に危機感を抱いた典礼参謀が、独断で街道沿いの諸侯・代官に対して伝令をとばし、彼等に事細かな指示を与えて住民を統制させたためだ。 今の帝國軍は、もし何かあれば、どんな小さなことでも戦闘に突入しかねない。そして帝國軍は、『やり過ぎる』だろう。――そう判断しての処置である。 東方諸侯を取り込む為の式典に、自分達が飲まれてどうする! ……あまりにも簡単に、場の雰囲気に飲まれた阿呆共を、内心そう罵りながら。 【3-2】 「典礼参謀、御苦労。しかし街道沿いの歓迎、随分と統制されていたが、ありゃあ貴様の仕業か?」 「はいその通りです、閣下」 不測の事態は御免ですから。 典礼参謀は後半は言葉にせず、前半のみを到着したばかりの司令官に伝えた。 「まあいいさ、俺も『不測の事態』は御免だ」 ニヤリと笑いながら司令官は本題に入る。 「で、どうだ? 上手くいったか?」 「はい、『工作』は順調です」 「そうか、良くやった。レムリアという『餅』は、、我等(軍)が突き、捏ねて作ったのだ。総督府の連中にそう簡単に喰われては堪らんからな」 ……それが、我々の本来の役目なのですがね。 典礼参謀は、やはり口には出さず、心の中で呟いた。 (彼とて、わざわざ軍の有力者の機嫌を損ねたくはないのだ) 「他には?」 「はい、これを御覧下さい」 そう言いながら書類を手渡す。 その書類には、何やら横文字が書かれている。 「こりゃあレムリアの文字か? 読める訳がないだろう?」 言葉が通じるので誤解しやすいが、帝國の言語は、この世界のいかなる文明ともなんら共通点を見出すことはできない。 ……つまり、言語体系が全く異なるのだ。 では何故言葉が通じるのか? この世界では、言葉はどこでも通じるのに対し、文字については各地で異なる。 いや、本来ならば会話も成立する筈がない。 互いに全く違う言語で話し合っているのだ、常識で考えれば伝わる筈がないだろう。筆談すればそれは良く分かる。 だが、現実は通じるのだ。 おそらく、マナが何らかの作用をしているのではないかと考えられている。 帝國とスコットランド王国(ダークエルフ)の共同研究でも、マナが関係していることは突き止めていた。 航空機で実験したところ、高度が上がりマナが薄くなるにつれて、互いの言葉が聞き取りにくくなり、最終的には両者とも全く言葉が通じなくなったのである。 マナが重要な働きをしていることは、まず間違いがないであろう。 だが疑問が残る。 何故全く魔力のない帝國人にも、マナが作用するのだろうか? これは現在のところ不明である、今後の研究の進展に期待するしかない。 とにかく現在のところ、この世界の文字に精通している帝國人など存在しない――逆もまたしかりではあるが――のだ。 よって、見せられた書類もまず読める筈がない。 「訳した書類は別にありますが、これはその元です。軍務省で自分が発見しました」 「貴様は読めるのか!?」 「大雑把になら」 それは大したものだ。 司令官は感心する。 余程の努力と才能が無ければ、この短時間で習得は不可能であろう。 「それ程読めませんでしたが、レムリア王国空中騎士団の改編計画についての書類であることだけは分かりました。急ぎ翻訳させた物がこれです」 レムリアの空中騎士団は、全て王軍に属している。 東方・西方・南方・北方・中央の5個総軍に各1個、合わせて5個騎士団が存在(他に近衛騎士隊が存在)する。 各騎士団は、10個騎士隊と直轄部隊よりなり、騎士隊は10個中隊とやはり直轄部隊からなる。 1個中隊は、ワイバーン・ロード1騎とワイバーン4〜6騎を保有しているので、1個個騎士隊あたりの戦力は、定数上は、以前帝國が傘下におさめたロッシェル王国と同等であろう。 もっとも、現実には雲泥の差である。 ロッシェル王国唯一の空中騎士団は、12個空中騎士隊を保有してはいるが、実際に定数を満たしているのは僅かに7個。この7個が真の実戦部隊であり、残りの5個は事実上の補充・訓練部隊に過ぎないのだ。 帝國との戦争でも、これらの部隊はもっぱら飛竜の提供に止まり、戦闘には参加しなかった。 ……まあ、参加する前に飛竜を失ったという事情もあるが。 だがレムリア王国空中騎士隊は違う。 5個騎士団51個騎士隊(近衛含)は全て定数を満たしており、その上予備まで保有しているのだ。 その総保有飛竜は、定数だけでもワイバーン・ロード510騎にワイバーン2550騎の3060騎、予備や訓練用も含めれば4000騎近くにもなる。 この数がどれ程巨大なものであるかは、帝國の保有する第一線の作戦機が陸海軍各1500機足らず、総計でも5000機程度であることを考えれば分かるだろう。 これらの戦力を有効活用すれば、帝國とてそうそう簡単には勝てなかった筈だ。 だが彼等は、様々な慣習やしきたりに手足を縛られ過ぎていた。 性能の異なるワイバーン・ロードとワイバーンの混在した編制(戦闘時には分離して戦ったが、付け焼刃の感が強い)、ゲリラ的な戦法の否定(これは最後まで実行不可能だった)、総軍間の連携の不備…… 挙げればきりがない。 『この世界の軍は、致命的な欠陥を抱えている』 そう帝國は考えていた。 ……今までは。 【3-3】 「これはっ!」 書類を一読し、司令官は絶句する。 「既に承認済の計画で、ロッシェル戦役直後に提案されたそうです。今回の戦争がなければ、直ちに実行されていたでしょう」 計画の要旨はこうである。 『飛竜保有数の大幅な見直し。合わせてワイバーン・ロードとワイバーンの比率も見直す』 @ワイバーン・ロードとワイバーンの比率をワイバーン・ロードの調整ギリギリの1対2とする。 Aこれに伴う粗製乱造を防ぐため、ワイバーン・ロードの『寿命』を削減、性能維持を維持する。 B経費の増大に伴い、保有数もワイバーン・ロード800、ワイバーン1600の計2400(教育用を除く)とする。 ワイバーン・ロードはワイバーンから選抜して調整するが、その際ワイバーン・ロードは生殖能力を失ってしまう。 そのため、ワイバーンとの比率は通常1対4〜6となるが、それを1対2にまで上げ、粗製による性能低下を防ぐために、ワイバーン・ロードの寿命をも削減しようというのだ。経費の大幅な増加を防ぐため、総数も4割程削減する。 『編制の大幅な改編』 @飛竜中隊編制を、ワイバーン・ロード6の戦闘中隊100個とワイバーン・ロード1とワイバーン8の攻撃中隊200個とする。 A騎士団は、近衛騎士団(10個騎士隊、戦闘中隊100個)と5個方面騎士団(各10個騎士隊、40個攻撃中隊)の6個とする。 従来の中隊は、全てワイバーン・ロード1とワイバーン4〜6からなっていたため、ワイバーン・ロードはその真価を十分発揮できなかった。 これを反省し、ワイバーン・ロードを集中して運用しようという構想で、戦闘中隊は従来の中隊と比べて戦闘力・航続距離が大幅に強化されている。 攻撃中隊は、従来の中隊と比べて飛竜の数が増えただけで、未だにワイバーン・ロードを混成しているが、これは「近衛騎士団は『近衛』なので特別編制である、その証拠に他の騎士団はいままでと変化は無い」とするための精一杯の方便であろう。 中隊数が減少したのに、方面騎士団の騎士隊数が減っていないのは、ポストの確保と駐留地の失業対策もあるが、攻撃中隊の航続距離の短さ――基地を減らすとカバーできない地域が出来る――と有事に近衛騎士団を受け入れるための余裕作りであろう。 近衛騎士団は、その名称とは異なり、機動的運用を行うものと考えられる。 以上が要旨であるが、これは帝國にとっては深刻な情報である。 もしグラナダ戦役時に、レムリア王国空中騎士団がこのような編制であれば、一航艦もそう簡単に制空権を奪取できなかったであろう。思わぬ大損害すら受けかねない。 大陸での作戦時、航空支援の大半を海軍機動部隊に頼る陸軍にとっても、座視できない問題といえる。 「他の列強諸国も、同様の処置をとるものと思われます。早晩、沿岸部での下手な部隊展開は危険になるでしょう」 空母の甲板は脆弱であり、彼等の強力とは言えない爆弾でも十分に効果がある。1発の爆弾でも、航空機の発着が不可能となりかねないのだ。 そうなれば、地上部隊はエアカバーを失ってしまう。 その後は…… 現在これに対抗できるのは、建造中の装甲空母『大鳳』しかない。 そして、今後建造が予定されている装甲空母は、僅か1隻――計画より削減された――のみ。 まあこれ以上建造しても、今度は載せる飛行機に困るだろう。現在でも海軍は、十分な数の空母を保有しているのだから。 そして上だけの理由で空母をこれ以上量産する余裕は、帝國には存在しない。 「他の列強諸国は、どの程度のワイバーン・ロード単独部隊をつくると思う?」 「……レムリアの飛竜保有数は、他の列強と比べて特に多いとはいえません。レムリアの崩壊もあったことですし、この計画地が最小と考えた方が良いかと」 それを聞いた司令官は唇を噛み締めた。 畜生! ミニマムでワイバーン・ロード600の機動兵力だと!? 一航艦でも、500に満たないんだぞ! しかも戦闘機はそのうち200にも満たない。これでは、列強1つと戦うだけで一航艦は磨り潰されてしまう。 どうする? 装甲空母の量産については問題外だ。そんな予算は通らない。 ……ああ、海軍が新しい戦艦を諦めれば通るだろうが、それは無理な相談だ。 空母に搭載する戦闘機の数を増やすか? 攻撃力は減るだろうが悪くない。半分も戦闘機にすれば…… いや、やはり駄目だ。増やすこと事態は悪くないが、既に海軍は一線機の半数を空母に乗せている。これ以上載せられる戦闘機はそう多くないだろう。 ……やはり航空機、特に戦闘機の性能を大幅に上げるしかないだろうな。 だが、一番バランスの良い海軍の零戦もその性能は頭打ちで、これ以上の性能向上は無理だろう。 陸軍の戦闘機は、隼はあの体たらくだし、飛燕を野戦飛行場で運用するのは不可能。鍾馗はまだマシだが、操縦性が悪すぎる。とすると残る手はやはり…… 「やはり陸海軍とも、新型機の導入しかないでしょう」 典礼参謀の声に我に返る。どうやら彼も同じ結論に達したらしい。 「特に海軍は、早急に新型機を導入せねばならないでしょうね。それこそ、零戦すら手玉に取るような高性能機を」 「やはり一に速度だな、できれば600欲しい。次に攻撃力、13ミリ6挺は最低条件だ。航続は多少落ちても構わない。ああ、爆弾も積めれば言うこと無しだが、そこまでは望むまい」 「運動性は?」 「操縦性が素直ならそれでいいさ。どうせ生物相手に格闘戦なんて無駄な限りだ」 司令官は切り捨てるように言った。どうやら、余程『隼』に含むところがある様だ。 「海軍にも、この書類を回してやれ。同じ結論に辿り着く程度の知恵はあるだろう。忌々しいことだが、連中とは一連托生だからな」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【4-0】 レムリアからもたらされた情報は、軍のみならず、帝國そのものすらも揺るがした。 この情報を元に、改めて今まで得られていた情報を繋ぎ合わせると、列強諸国が今までとは明らかに一線を画した、『新世代の戦争』に対応した軍備を整えようとしている事実が浮かび上がってきたのである。 ――楽な戦は終わった。 そう帝國は判断せざるをえなかった。彼等を、余りにも甘く見すぎていたのだ。 そもそも、その見かけに誤魔化され易いが、この世界の軍事力――特に列強諸国のそれ――は、ハード面から見れば、決して楽な相手ではない。 特に、航空兵力に関していえば、これに対抗できるようになったのは、帝國ですらつい数年前、零戦や隼といった新世代機を実戦配備できるようになってからのことだ。 (九六式艦戦や九七式戦では、ワイバーン・ロードの相手は荷が重過ぎる) 要するに、この世界の列強諸国は、元の世界でも十分に通用――あくまでハード面のみではあるが――するだけの軍事力を保有しているということになる。 帝國を始め、英米仏独ソといった列強相手ならばともかく、それ以外の国々に対しては十分通用するだろう。 今までの大勝利は、敵のソフト面の遅れによる、いわば敵失に過ぎないのだ。 帝國は、速やかな対応を迫られていた。 【4-1】 もっとも影響を受けたのが、海軍である。 海軍は、ロッシェル戦役末期に大型艦の建造凍結を解除し、大規模な艦隊整備計画を立案していた。 これは、昭和19年度から28年度の10年間で、条約時代に建造された艦を一気に更新しようという、非常に大規模かつ野心的な計画だ。 だがこの計画は、僅か数ヵ月後のグラナダ戦役とその後のレムリア崩壊を受け、大幅に変更されることとなった。 具体的には、以下の通りである。 『戦艦』 現計画通り、改大和型4隻、新型高速戦艦4隻の8隻。 改大和型4隻は、大和型の準同型艦で伊勢型/扶桑型4隻の代艦。 新型高速戦艦4隻は、超甲巡の拡大発展型で金剛型4隻の代艦。 うち新型高速戦艦は、基準35000トン、最高速力33ノット。 主砲は、@35.6センチL45U×4、A35.6センチL45V×3、B35.6センチL50V×3、C40.6センチL45U×3の四案が検討されている。 なお、35.6センチL45は金剛型、40.6センチL45は長門型と同じ砲身で、35.6センチL50のみ新設計の砲身である。 計画完成時には、改大和型4隻、大和型2隻、新型高速戦艦4隻の10隻体制(長門型以前の戦艦は退役)となる。 『空母』 現計画の改大鳳型5隻から、改大鳳型1隻に削減。 削減理由は、現在でも多数の空母を保有しており、かつ艦齢も若いためである。 恐らく建造されるのは、計画最終段階だろう。 計画完成時には、 大型正規空母は、改大鳳型1隻、大鳳型1隻、翔鶴型2隻、赤城型1隻、加賀型1隻の6隻。 中型正規空母/準正規空母は、飛龍型1隻、蒼龍型1隻、隼鷹型2隻の4隻。 艦隊軽空母は、祥鳳、瑞鳳、龍鳳の3隻。 改装軽空母は、大鷹、冲鷹、雲鷹、海鷹、天鷹、神鷹の6隻。 練習空母は龍驤の1隻。 ――以上、総計20隻(鳳翔は退役)となる。 (この他に補助戦力として、多数の水上機母艦/特設水上機母艦を保有している) 『巡洋艦』 現計画の重巡16隻、軽巡12隻の計28隻から、重巡16隻に削減。 軽巡が削減されたのは、駆逐艦の通信能力が向上し、旗艦としての軽巡が必要無くなったことが表向きの理由ではあるが、実際は中途半端な艦種として、削減を一手に引き受けさせられたためである。 計画完成時には、 重巡は、新型16隻、妙高型4隻、高雄型4隻、最上型4隻、利根型2隻の30隻。 軽巡は、大淀型1隻、阿賀野型4隻の5隻。 ――以上、総計35隻(古鷹型/青葉型重巡、5500トン型以前の軽巡は退役)となる。 (この他に練習巡洋艦として、香取型3隻を保有している) 最終計画年度は昭和28年度で、昭和32〜33年に全ての艦が就役する予定である。 (実際にはずれ込むことが確実で、全ての艦が就役するのは昭和35年以降と早くから囁かれている) 【4-2】 だが今回の情報により、帝國海軍は計画の再修正を迫られることになった。 真っ先に上がったのが空母戦力の増強で、1隻から3隻の建造に上方修正された。また、水上機母艦4隻――千歳、千代田、日進、瑞穂――の艦隊軽空母への改装も合わせて決定されている。 建造されるのは、改大鳳型1隻に超大鳳型2隻。 (超大鳳型は、航空機搭載能力を増やすために、格納庫面積を大鳳型の1.5倍以上にまで引き上げた超大型装甲空母) これらの空母は最優先で建造され、改大鳳型については、早くも昭和19年度に要求される予定である。 これらの空母が完成した暁には、一航艦は超大鳳型2隻、改大鳳型1隻、大鳳型1隻を主力とする前衛部隊と、翔鶴型2隻、飛龍型1隻、蒼龍型1隻を主力とする後衛部隊の、2群8隻の空母を保有することとなる。 隼鷹型2隻は、第一艦隊の母艦戦力として防空/哨戒任務に当たり、赤城型1隻、加賀型1隻は艦齢を考慮し、平時は練習空母とし、有事に戦列に復帰する。 さらに龍驤、鳳翔は退役とし、艦隊軽空母7隻は海域哨戒/対地支援任務に当たり、改装軽空母6隻については、海上護衛総隊へ移籍する。 この修正により、空母戦力は大幅に充実することになるだろう。 ……それこそ載せる機に困るほど。 この増強分は、当然どこかに皺寄せが来ることになる。 割を食ったのが戦艦で、新型高速戦艦4隻こそそのままだが、改大和型が4隻から2隻に下方修正された。 これでは第一艦隊の戦艦6隻体制が維持できないため、退役予定の戦艦の中では最も状態が良好な長門型2隻を再改装、現役に留めることになった。 この決定により、長門型は最低でも40年近く、下手をすると半世紀は現役に留まることになるだろう。 新型重巡についても、16隻から12隻に削減された。 ……以上がその詳細であるが、実に大幅な修正である。 全面修正と言ってもよい。 だが今回の修正により、『10年では無理』とされていた計画が、『なんとか10年で完成可能』となった。 海軍は、名より実を取ったとも言えるだろう。 新型戦闘機の開発も加速した。 一向に先の見えない烈風のリリーフとして、川西の紫電改が、採用を前提とした試験飛行を行うことになったのだ。 紫電改は、川西が自社研究として製作していた紫電の改良型である。 実は、海軍当局は早くから紫電に注目し、紫電は何度も海軍当局により試験されている。 (紫電は、信頼性に大いに問題があるものの、その高性能は零戦一枚看板の海軍にとっては非常に魅力的だったのだ) その一環として、海軍当局は紫電の試験的な実戦配備を何度も計画していたが、その度に『信頼性に大いに問題あり』として却下されていた。 三菱がその政治力を使い、握り潰していたのだ。 これは三菱の面子もあるが、紫電が一旦採用されてしまえば、烈風が紫電の性能を大幅に上回っていない限り、烈風の採用は無くなるためだ。 そうなれば、川西に海軍戦闘機の仕事を奪われてしまう。 もちろん川西も、三菱の差し金だと気づいていた。 だが川西の戦闘機市場参入への意欲は衰えず、紫電の信頼性・生産性の大幅向上を目指し、紫電の改設計型『紫電改』の製作を開始する。 そして紫電改の試作機完成時に、情勢は一気に川西に傾いた。 列強諸国の軍備増強の詳細が明らかになり、海軍は早急な新型機の導入を迫られたのだ。 こうなっては最早三菱に打つ手はない。 海軍は、紫電改の採用を事実上決定した。 (海軍は、紫電改の艦戦化と、遅くとも昭和19年末の制式化を川西に希望していた) こうして川西は、これから当分の間、航空機市場における主役の一人として、その将来を約束されることになったのである。 一方、陸海軍の次期主力機から締め出された三菱は、当分の間冷や飯を喰わされることになる。 だが三菱は、他の多くの航空機メーカーの撤退、航空機部門売却にもかかわらず、その面子にかけて航空機市場に踏みとどまることを決意する。 三菱は、次の次における競争を見越し、他を引き離すべく、未来技術の開発に全力を注ぐことになる。 大三菱、その逆襲の始まりだった。 【4-3】 もう一方の当事者である帝国陸軍も、当然対応を迫られている。 現在の陸軍は、転移時に230万人を誇った兵力を100万人まで削減されていた。 51個師団58個旅団の戦力も、26個師団28個旅団のみが現役に留まり、他は予備役に回されている。 だがそこまでしても、100万人の現有兵力に対して部隊数が多すぎ、完全充足は僅か10個師団という有様だった。 (これには、展開している地域が遠方かつ多数に及ぶことによる兵站への負担、支援部隊の充実等も要因として挙げられる) だが、これ以上の部隊削減は政治的に困難だった。 これ以上のポストの削減は、大きな反発を招きかけない。 ……しかし、背に腹は変えられない。 今回遂に、陸軍は実質的な部隊数削減を決意せざるをえなくなった。 独立混成旅団を全廃し、51個師団58個旅団体制を、51個師団体制に削減することを決定したのだ。 内訳は、現役師団26個に予備役師団(充足率5%以下、司令部と装備管理要員のみ)25個。なお現役師団のうち完全充足師団は13個で、他の現役師団は充足率40〜50%の平時編制師団である。 これにより、部隊配備も大きく改編される。 @北東ガルムにおける支配権を確立するために、派遣軍を大幅増強する。 A資源地帯防衛強化のため、更に1個師団を追加派遣する。 B神州大陸派遣軍部隊を、従来のローテーション制から固定制とする。 C軍規模の緊急展開部隊を新設し、大陸各地での異変に備える。 以上の四項目を基本とした新編成を行い、占領地域における支配権を確保する腹積もりなのだ。 新編成が完了すれば、帝國陸軍の部隊配備状況は―― 大陸の直轄領(資源地帯)に、完全充足師団5個。 北東ガルム大陸に、完全充足師団5個。 帝國本国に、完全充足師団1個、平時編制師団10個。 神州大陸に、平時編制師団3個。 緊急展開軍に、完全充足師団2個(通常は本土駐屯) ――となる。(他に本土には、予備役師団全てが置かれる) 特に目を引くのが、緊急展開軍の新設である。 この緊急展開軍の2個師団は、純粋な『戦力の余裕』、いわば戦略予備兵力だ。 小競り合い程度なら、十分過ぎる手持ち兵力――少なくとも参謀本部はそう判断した――であろう。 師団そのものも強化される。 独立混成旅団の廃止により浮いた装備を回し、師団火力を向上させるのだ。 大幅な部隊削減により、従来(転移直後)からの計画―― @歩兵大隊に速射砲小隊を配備し、歩兵砲小隊と合わせて大隊砲中隊を新設する。 A歩兵連隊の速射砲中隊と連隊砲中隊の保有火砲を50%(つまり2門)増加させる B師団速射砲隊及び師団機関砲隊を新設する。 ――の達成目処もつき、更に師団砲兵を、野山砲大隊3個と榴弾砲大隊1個の4個大隊編制への増強まで行なわれることとなった。 (一部師団では、師団戦車隊の新設すら行なわれている) これらの計画が全て達成された暁には、帝國陸軍師団の火力は、従来よりも大幅に上昇する筈だ。 『これでようやく、ドイツやソ連に匹敵する歩兵師団を手に入れることができる!』 この計画は、中堅の将校達にそう歓迎されていた。 ……もっとも、弊害が無い訳ではない。 例えば、ポスト確保のために、各師団には新たに副師団長職が設けられ、1個師団に中将1に少将3(副師団長/参謀長/歩兵団長)の4人もの将軍が存在することになり、少将間の序列や指揮系統に問題がでる可能性が出てきた。 他にも、人員や装備の増大による師団輜重の負担増大、戦略機動性の低下等、様々な問題も指摘されている。 (特に戦略機動性の低下については、海外展開を宿命とする陸軍にとっては、見逃せない問題と言えるだろう) だがそれでもなお、陸軍はこの火力重視の、非常に『重い』新型師団で戦うことを決意したのである。 機甲戦力についても、ようやく一式中戦車と一式砲戦車の生産が決定された。 今後、中戦車中隊には一式中戦車、機動砲兵中隊は砲戦車中隊に改編されて一式砲戦車が配備されることになる。 九五式軽戦車の後継、九八式軽戦車の生産も開始され、機甲戦力も師団近代化に合わせて新時代に入る。 (従来の戦車は、新型と入れ替えに、新設される師団戦車隊に回される) 恐らく、今後10年程はこの機甲戦力で戦うことになるだろう。 戦闘機の更新も決定された。 陸軍戦闘機は転移以来、旧式の九七式を除けば一式/二式/三式の三機種で戦ってきた。 海軍が、事実上零戦一機種で戦っていたことを考えれば無駄もいい所だが、もちろん理由がある。 陸軍にとっては頭の痛いことだが、陸軍には零戦のような『万能な主力戦闘機』が存在しなかったのだ。 陸軍戦闘機の第一線機、その大半を占める一式戦は、『弱武装』『鈍足』と罵られ、とても主力とはなりえない。 ……まあ数から言えば主力ではあるが。 それでも生産が続けられていたのは、信頼性が高く操縦性も良好だったからだ。 とはいえ、『弱武装』に関して言えば、少なくとも初期については冤罪の感も強い。 何かと比較される海軍の零戦とて、初期は20ミリ機銃2に7.7ミリ機銃2だ。 20ミリ機銃が、トリッキーな程の高機動性を誇るワイバーン・ロードに対してまず命中せず、『御守り』と揶揄されていたことを考えれば、7.7ミリ機銃2の一式戦と条件は同じ――もっとも実際に乗って戦う身となれば、『御守り』の有無は大きいかも知れないが――であろう。 まあ現在の様に零戦が改良され、7.7ミリ機銃や12.7ミリ機銃を多数搭載し、雨あられのように銃弾を発射しているのを横で見れば、12.7ミリ機関砲2が精一杯の一式戦を『弱武装』と罵っても、弁護のしようもないだろうが…… 『鈍足』については、ワイバーン・ロードに対して精々20〜30キロ程度速度差では、その優速を十分生かすことが出来無い為に言われた悪評だ。 50キロ以上優速の零戦が、速度差を生かした戦いが出来るギリギリだろう。 零戦が、速度差を生かしてワイバーン・ロードを翻弄――言うほど簡単ではないが――し、その強武装で一撃か精々二撃目で仕留めるのに対し、一式戦は何とか射撃のチャンスを掴んでも、その弱武装のため長時間の射撃を行わなければワイバーン・ロードの防護結界を破ることができず、しばしば返り討ちにあっている。 (実際、ロッシェル王国軍は一式戦を恐れておらず、互角か若干劣ると見ていた) 二式戦については、速度では零戦すら上回り、武装もまあ強力ではあったが、操縦性が悪く機体にクセもあり、乗り手を選ぶ戦闘機といえた。 また比較的新しい機体であるので生産数も少なく、航続距離が短いこともあり大半が大陸資源地帯の防空用に配備されている。 ……三式戦については問題外であろう。 何せ、未だに増加試作機をいれても60機足らずであり、その整備性の悪さは『部品供給が容易な帝國本国以外での運用は不可能』とすら言われているのだから。 このように、三機種それぞれが問題を抱えているのだ。 大陸での航空作戦の大半を海軍に任せていなかったら、とっくに新型機に更新されていた筈である。 何しろ陸軍は、海軍と違い既に後継機が完成しているのだから。 そう。陸軍の次期主力戦闘機『四式戦闘機』として、二機種の機体が名乗りをあげているのだ。 その一つが、中島が一式戦の汚名返上の為、名誉を賭けて完成させた『疾風』である。 疾風は、600キロを軽く超える高速と12.7ミリ機関砲6という重武装、加えて今までの帝國戦闘機には見られない重防御を有し、まさに『帝國最速最強の戦闘機』という中島の謳い文句に相応しい高性能戦闘機であった。 陸軍の期待も高く、試作段階から四式戦闘機の座は疾風にほぼ確定していた程だ。 だが、三式戦闘機の少数採用に業を煮やした川崎が、自社研究として製作した三式戦闘機の空冷型『飛燕改』を持ち込んで、四式戦闘機の候補に名乗りをあげたことから、事態は急変する。 飛燕改は、速度こそ600キロに達してはいない――それでも要求速度は満たしている――が、軽快な運動性と良好な操縦性を誇り、何よりエンジンも機体も既存の物で信頼性が高かった。 これは、疾風搭載の新型エンジンの信頼性に未だ疑問符がついている状態では、決して無視できない優位点と言えるだろう。 さらに疾風にとって悪いことに、飛燕改は既存の設備で今すぐ量産が可能であった。 陸軍の戦闘機が、三式シリーズで統一できるのも魅力である。 中島も川崎も一歩も引かず、陸軍当局も二分して議論は紛糾。これに大蔵省や軍需省も加わり、状況は混沌とした様相を呈していた。 しかし今回の情報を受けて、ついに決定は閣僚会議、つまり帝國宰相のところに持ち越されることになった。 海軍の三菱と川西にしろ、今回の中島と川崎にしろ、皆必死だ。 何せ帝國軍は、今回の採用機を当分の間使い続けること確実である。 (これ以上は、機体を更新してもそう大きな性能向上は望めないであろうから、恐らくジェット式戦闘機がものになるまでは、エンジンを換装するのが精々で、後は機体の小改正に留めるであろう) 『今回の採用を逃したら、戦闘機市場から追い出される。』 皆、そう認識していたのだ。 結局、帝國宰相の裁定は『両者採用』という、実に帝國的な決定に落ち着いた。 四式戦闘機を疾風としたが、未だ信頼性に疑問符がつくため、五式戦闘機として飛燕改も採用としたのだ。 (飛燕改が、既存の設備ですぐに作れるということも、この裁定を後押ししていた) この裁定により、中島、川崎、川西、それに残留を決めた三菱――大三菱だからこそ出来る選択だ――の四社が、戦闘機メーカーとして生き残ることになった。 恐らく帝國の航空機メーカーは、この四社を軸に再編されていくことになるだろう。 このように陸海軍それぞれが大変革を迫られ、その結果、帝國軍の軍事力は大きく変わろうとしていた。 『量』から『質』へ、その第一歩を踏み出そうとしていたのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【5-1】 王都に入城してまもない本日、王都に駐在する列強外交官を招いた臨時演習――早い話が示威――が、旧王都郊外の某演習場で行われることとなった。 参加部隊は、レムリア派遣軍唯一の戦車連隊。帝國軍でも最新装備の精鋭部隊である。 機動砲兵中隊の九〇式野砲6門による制圧射撃の後、九七式中戦車改と九五式軽戦車が突撃を開始し、その後方に機動歩兵中隊が続く。 帝國陸軍戦車連隊は転移後改編され、機動歩兵及び機動砲兵各1個中隊を加えた諸兵科連合部隊へと生まれ変わっており、ミニ機甲部隊として、単独での機動運用が可能となっているのだ。(現在も改編中) ただし、未だ完全な機甲部隊とはいえないだろう。 機動砲兵中隊は、自動車化された砲兵中隊に過ぎないし、機動歩兵中隊も、計画では一式半装軌装甲兵車を装備する完全な機械化中隊とされてはいたが、一式半装軌装甲兵車の生産数があまりに少ないため、『最新装備の精鋭部隊』とされるこの連隊でこそ特例として完全充足されているが、他の連隊の機動歩兵中隊では僅か1個小隊のみの装備――それすら未だ充足されていない――とされ、他の小隊は只の自動車化歩兵に過ぎない有様だ。 もっとも、招待された外交官達にとって、そんな帝國陸軍の御家事情など知る由もない。 彼等の大半は、帝國鉄竜部隊の火力と突進力に、ただただ圧倒されるだけだった。 ……噂には聞いていたが、何という火力だ! ローレシア王国レムリア駐在武官セルゲトフは、その数少ない例外の一人であった。 彼は、帝國鉄竜部隊の火力に驚愕こそしていたが、決して圧倒されてはいなかったのである。 砲の射程、発射速度、命中精度、そして砲弾そのものの威力…… どれをとっても我々を圧倒、いや超越している。 これでは、レムリア王国東方総軍が全滅したのも無理は無い。こんな連中相手に陣形を組んで突撃など、勇敢ではあるがあまりに無謀だ。 お前ならどうする、セルゲトフ? 平野部での戦闘など、自殺行為でしかない。敵の火力が十分発揮できないような山岳部におびき寄せ、白兵戦でも挑む――相手が乗ればの話だが――か? 敵の補給を断つのもいいだろう。少なくとも輜重部隊は、戦闘部隊よりは弱いはずだ。 ……何れにしろ、空で勝てないまでも『負けないこと』が大前提ではあるが。 あれこれ考えているうちに演習が終了し、彼等の前に帝國の鉄竜が何騎もやって来た。 「触っても宜しいですか?」 セルゲトフはそう案内役の将校に声をかけた。 「……それは」「いいではないか、中佐」 『やはり駄目か』 将校の否定的な態度に半ば諦めかけるが、意外なところから援軍が現れた。 「大佐殿、しかし!」 「……中佐、私にもう一度同じことを言わせる気かね?」 将校は何とか諌めようとするが、無駄だった。 ……どうやらこの大佐は、何か意固地になっている様にも見える。 「案内役が失礼しました、どうぞ」 許可を得たセルゲトフは、近くに寄りあらためて鉄竜を眺める。 ……これがレムリア竜騎士団を屠った『鉄竜』か! 攻撃力で戦竜を圧倒していることは分かった。だが、防御力はどうだ? こいつは、どれ程の『鎧』で覆われている? セルゲトフは、鉄竜を触ったり、軽く叩いたりしてみる。 …………? 思ったより薄い。大型の鉄竜でも最大で2センチ、小型の鉄竜では1センチといった所だ。 だが、この材質はなんだ? 少なくとも、我等の知る鉄よりも遥かに硬そうだが、本当に鉄か? ああ成る程、装甲板に自信を持っているからこその『薄さ』か。 確かに撃破するのも一苦労だろうが、決して『不可能』じゃあない。 ……まして、あの小型の鉄竜なら。 だが、鉄竜の鎧を打ち抜くのは不可能だろう。 我々の砲では、それ程の高初速は得られないし、砲弾の材質も『鎧』より弱い。大質量の砲弾をぶつけて、叩き割るしかないだろう。 小型の鉄竜なら、それで撃破できるかもしれない。衝撃で鎧を留めている鋲が外れ、中の兵が死傷することも期待できる。 後は、常識から考えて、下面や上面の『鎧』が最も薄い筈だ。 ……やはり、地雷や飛竜による攻撃が効果的だろうな。 「いかがですか?」 「有難う御座いました、大佐」 非常に有意義でしたよ? 大佐の質問に、セルゲトフはにっこりと笑って答えた。 【5-2】 自宅に戻ったセルゲトフは、帝國軍との戦闘を想定した対策法を検討していた。 しかし、直ぐに放り投げる。 『効果あり』と考えられる対策は、その大半が政治的にも社会的にも実行不可能なものばかりだったからである。 これじゃあ戦争にならない。タブーが多すぎる! とは言うものの、これでもまだマシになった方だ。 レムリア王国の滅亡により、各国はようやく重い腰を上げ、より『現実的な』対策を練り始めたからだ。 ……だが彼に言わせれば、未だ『枠の中』で小細工をしているに過ぎない。 帝國と戦い勝利を得るには、それこそ形振り構わずどんな手でも使えるようにならねばならないのだ。それでようやく、帝國と同じリングに上がることができるだろう。 煮詰まっていると、ノックとともに声が聞こえた。 「若様、お茶をお入れしました」 「入れ」 「有難う御座います、若様」 入ってきたのは、10代後半位の少女だった。 そういえばセルゲトフも若い、まだ20代半ばだ。が、それでも彼は既に少佐である。 (これは彼の身分が高いためだ) 「エレナ、外出していたのではなかったのか?」 「あっ、申し訳ありません。つい外出が長引いてしまいまして……」 「お前は、今日は休みの筈だろう? 別に、帰りが多少遅くなっても文句はないさ。その位でいちいち文句を言うほど、俺は小うるさくないぞ?」 「いえ、そのような……」 「しかし、何か面白いことでもあったのか?」 すっかり恐縮してしまった少女を見て、とりあえず話題を変えてみる。 「……ええと、帝國の兵隊さん達にお茶を奢ってもらいました」 「はあ?」 「お茶屋さんでお茶を飲んでいたのですが、声をかけられたのですよ。普段ならお断りするところなのですが……」 「その連中の中に、『同族』がいたのか」 「! 何故それを! もしかして、私の考えていることがわかるのですか!?」 「阿呆、話の流れからすれば丸分かりだろうが。それに、お前が誘いを受ける事自体で、『何かある』と考えるのが普通だ」 「ああ、……そうですよね」 「しかし帝國は、そこまで大っぴらか」 「はい! 凄いんですよ、帝國本国軍の下士官殿です! 周りの皆が、『獣人』って知っているのにですよ!?」 「帝國には、伯爵の獣人もいれば、ダークエルフの公爵や将軍すらいるぞ? 下士官位でそこまで驚くほどの……」 そこまで言って気付く。 ああ、そういえば、こいつは今まで正体を隠して生きてきたからなあ。興奮するのも無理は無い。 それに下士官と言えば、最下級とはいえれっきとした官である。 帝國が、国家として獣人を『認めている』生きた証拠とも言えるだろう。 「話には聞いていましたが、驚きです!」 「で、お前も誘われたか?」 「…………」 途端に口篭る、どうやら図星のようだ。 「何て誘われた?」 「ええと、帝國直轄領かマケドニアの好きな方に連れて行ってもらえるそうで、旅費の心配はいらないそうです。職も紹介して貰えるそうですが、それだと直轄領に限定され、マケドニア行き希望なら職の代わりに一時金を支給してくれるそうです。 ……何か聞いてて『騙されているんじゃあ?』っていう位、好条件でした。あ、職場の御飯も美味しいらしいですよ」 彼女は『信じられない』といった表情で話す。 「それ、本当だぞ。帝國も直轄領は人手不足らしいからな。だから高待遇で、力持ちのお前ら呼び集めているんだ。 ……まあ飯が旨いかどうかは、当人の主観的な問題だが、これも本当らしい」 もちろん善意からかどうかは疑わしいが、そう付け加えて教えてやる。 「そうかあ、本当なんだ……」 「別に行ってもいいぞ? 餞別(退職金)位は出してやる」 「……えっ?」 おいおい、好意で言ってやったのに、そんな『捨てられた』ような眼で見るなよ……。 「……いえ、私は別に。それに若様には『大恩』が御座います」 「そうか……」 これ以上突っ込むと、話がややこしくなりそうなので、その一言で収めることにした。 実に賢明な判断である。 「で、帝國兵はどうだった?」 「?」 「……兵としての質だ。まあそういっても分からないだろうから、感じたままを話せ」 「そうですねえ。別に怖くありませんでしたよ? それこそどこの町にいそうな、親切な人ですか? あっそういえば、兵隊さんの一人が『田んぼが心配だ』って言っていました。家が農家らしいです」 「ほう、やはり兵は平民か」 「あと…… そうだ! 帝國の人は、皆読み書き計算ができるそうですよ。凄いですねえ。その兵隊さんも4人分の御代を、一瞬で暗算して3人で分けていました」 「! それはかなり質が高いな」 読み書きだけでも驚きだが、どうやら帝國兵は、レムリア兵並の『学』があるようだ。 レムリア兵は、他国とは異なり、身分こそ平民だが代々レムリアに仕える者達からなる、言わば『王の御家人』だ。 その質は、他国とは比較にならない程優秀である。そのレムリア兵並となると…… 「後は、近衛兵のお話をした位でしょうか? 皆さん近衛兵を羨ましがっていました。『自分達も総督殿下の護衛をしたい』って」 「守っているのは、帝國の近衛だけじゃあないぞ? 連中はあくまで、『見える壁』にすぎない。本命は、ダークエルフの王室警備隊と『死の手』の腕利きだ。近寄り過ぎた他国の間者が、既に何人も問答無用で消されている」 ひいっとエレナが怯える。どうやら、こういう話は嫌い(当たり前か?)のようだ。 「まあ連中が、自分の王室警備まで割くくらいだ、余程の重要人物だということがわかるだろう? ……しかし、『死の手』だけで十分だろうに、わざわざ王室警備隊までいるのが分からんが」 「ええっと、もしかしたらなんですが……」 「何だ?」 「本当かどうかは分かりません、余りにも突飛なお話なんで……」 「だから、何がだ?」 「帝國の兵隊さん達が言ってたのです。てっきり冗談かと思ったのですが、でも今にして思えば内容が内容ですから……」 「ほう、話してみろ」 セルゲトフは彼女を促す。 その眼は先程の『若様』のものではなく、『ローレシア王国レムリア駐在武官』としてのものだった。 【第5話裏-1】 「大佐! どの様なお考えで、他国の武官に戦車を触らせたのですか!?」 「別に触らせる位、構わんだろう?」 案内役の中佐――典礼参謀――の詰問に、大佐は冷やかに返す。 「あの武官、かなり真剣に調べていましたよ? 当然、装甲の『薄さ』にも気付いたでしょうね」 「だから如何した? 奴らに戦車を倒せるものか!」 「その考えは危険です。姿形で誤魔化されますが、連中の軍は元の世界の列強に準じる戦力を持っています。もし連中が形振り構わない戦争ができたとしたら、帝國にとっても十分強敵となるでしょう。戦車にしても、いつまでも無敵とはいかないでしょうね」 「……それは私に対する皮肉かね? 中佐」 「そう聞こえたのなら謝罪します。ですが、あの場は自分に一任されていた筈です。あの場は外交官達の目がありましたので、やむをえず譲りましたが、以後の口出しは御遠慮願います」 「……貴様、俺に命令しているのか?」 大佐は典礼参謀を睨み付けた。 が、こんどは典礼参謀が冷やかに返した。 「まさか! 命令ではありませんよ、『要請』です」 【第5話裏-2】 『まさか! 命令ではありませんよ、『要請』です』 同じことだ! 大佐は内心で悪態を吐く。 あれから別れた後、彼の心は憎悪で満たされていた。 『彼の要請は、速やかに受け入れること』 そう通達が出されている以上、癪なことだが、あの男の『命令』を聞かざるをえないのである。 気に入らない、何もかにもが気に入らない。あの男もこの世界も、何もかもが、だ! あの男は、ついこの間まで一介の中隊長だった筈だ。 それがあの忌々しい転移後、直ぐに少佐に昇進して陸相閣下直属になり、その後は僅か一年ほどで中佐殿だ。 三十で中佐だと? ……噂に聞く、ルフトヴァッフェも真っ青じゃあないか! それだけではない。人事局の同期の話によれば、三十代前半で大佐、三十代後半には少将閣下だそうだ! その後も中将までは確実らしい。 ……ふざけるな、何だその昇進速度は? 陸大も出ず、陸士とて下から数えた方が早かった癖に、ただ貴族というだけの理由で! 更に気に入らないのは、その同期もあの男を高く評価していたことだった。 そればかりか、『中佐でやっと入り口だ、早く大佐にはなってもらわないと』とまで言いやがったのだ! 『気にするな。彼はもう部隊を指揮することもない、まあ軍人というより外交官みたいなものだ。階級は“飾り”さ』 『じゃあ、奴のあの権限の巨大さは何だ? まるで参本の将官並じゃあないか!』 『それは、典礼参謀としての肩書きのせいじゃあない。陸相補佐官というもう一つの肩書きのせいさ! まあ陸相閣下の分身みたいなもの、仕方がないだろう?』 『納得できん!』 『……彼がやらなければ、海軍の独占だぜ? なら、身内にやってもらった方が良いじゃあないか!』 『貴様は、“もう奴は部隊を指揮しない”と言ったな? じゃあ聞くが、俺が連隊長か旅団長だったとする。そこへあの男がやって来て、“補佐官としての要請だ、部隊を貸せ”と言ったら、部隊を貸さねばならないのか? 奴の指揮下に入らなければいけないのか? ……答えろ!』 『…………』 同期は眼を伏せ、無言だった。 ……あの転移から、全てがおかしくなった。 200万を超える大陸軍が解体され、愛国的な新進気鋭の将校達は、次々と予備役に回されていった。 あの大陸軍が健在なら、こんな苦労をしなくても済み、世界すら制すことも不可能ではなかっただろう。 当然、この世界の蛮族共に合わせる必要もなく、あの男も中隊長のままだったのに! それだけではない。社会も折角統制されたというのに、軍需は後回しにされ、国民は弛んできた。 これではいけない! かつての様な、軍こそが主役の国家でなければ! そうすれば、薄汚い獣や耳長共も必要なくなり、真の我等大和民族だけによる統治を行える! そこまで考えると、新たなる怒りが膨れ上がってきた。 ……畏れ多くも、陛下の血統に、耳長の血を入れるだと? ふざけるな! 本国の同志達とも連絡を取り、何としても阻止しなければ。 そう、我々とてただやられていた訳ではない。『時』を待っていただけなのだ。 予定より早いが事情が事情だ、仕方が無いだろう。 どいつもこいつも、調子に乗りやがって! 今に見ていろ! 大佐は自分の『義憤』が、『私憤』に過ぎないことに気がついていなかった。 自分の『正義』を、まったく疑っていなかったのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【6-1、 旧王都、レムリア派遣軍司令部】 「現在、北東ガルム大陸に派遣されている師団は、レムリアに2個、大陸同盟に3個相当の、計5個師団相当です。尚この『相当』とは、例の大特演のために、細分化された兵力の合計分です」 壇上では、作戦参謀がレムリア大陸の地図を背に、状況報告を行なっている。 北東ガルムにおける帝國軍の現在、そして今後についての対策が練られていたのだ。 「更に、分割派遣された残り1個師団相当の部隊が、北東ガルムに移動中です。これが到着すれば、大陸同盟に展開する兵力は、3個師団相当から完全編制師団4個へと増加します。 ですが、全師団の編制完結をもって大特演は終了し、大特演派遣軍は解散します。 その後、4個師団のうち1個はロッシェル王国に配備され、大陸同盟諸国に対する『睨み』とし、残り3個は我がレムリア派遣軍に配属される予定です」 「と言うことは、我が軍は5個師団となるのか?」 現在のレムリア派遣軍は、近衛と第二の2個師団を基幹としている。 「いえ、この3個師団の配属後、近衛師団は総督殿下直属となる1個大隊を除き、本国に帰還します。 …何せ、これで本国は空になってしまいましたから」 「まだ本国には、多数の現役部隊がいるだろう?」 「陸軍は、現在大規模な改編――独立混成旅団を全廃し浮いた兵で、3個の平時編制師団を完全充足師団にする――を行っています。これに部隊移動を考えれば、てんやわんやの大騒ぎですよ」 「では総兵力4個師団か…… 確かに、戦闘力としては相当なものだ。支援部隊の手厚さも合わせて考えれば、『野戦なら』無敵だろうな」 軍司令官は腕を組んだ。 「はい。ですが、レムリア全てを占領するには少なすぎます。要所への部隊配備がやっとでしょう。具体的には、大都市とそれを結ぶ幹線道路ですか」 作戦参謀が相槌を打つ。 今回予定されている部隊の追加配備により、レムリア派遣軍は大幅に増強される。 砲兵戦力の大幅な増強と師団戦車隊の新設により、従来の三単位師団よりも一回り大きくなった新型師団4個。 これに重砲連隊や戦車連隊を始めとする充実した直轄部隊、おまけに飛行団までもが加わるのだ。 その総兵力は、10万を超えるだろう。 レムリア派遣軍は、正に帝國陸軍最大最強の軍となる。 ……だが、旧満州に匹敵する程の大きさと、5000万超の人口――それも平民だけで――を誇る旧レムリア王国を支配するには、到底足りない。 現地人の全面協力なしには、統治は不可能だ。 (実際、帝國は旧王国の行政機関の上に乗るだけであり、派遣軍も現地政権のバックアップに過ぎない。 ……これは、あくまで理想ではあるが) 「大都市とそれを結ぶ幹線道路、『点と線』か」 以前何処かで聞いたような話に、軍司令官は顔を顰めた。 「現実的に考えれば、部隊の細分配備は得策ではありません。必要最小限の要地にのみ、余裕を持って配備するのが望ましいかと……」 「作戦参謀、航空部隊の配備予定は?」 第二師団長が発言する。 「空中騎士団の駐屯地に、多少手を加えるだけで飛行場となります。ここに陸軍航空隊が展開されます」 「……まさか、一式戦か?」 一式戦の評判は良くない(と言うか悪い)、U型になって少しはマシになったが、T型の時は明らかにワイバーン・ロードより分が悪かった。『所詮ただの隼じゃあ竜には勝てないさ』と、陰口すら立てられていた程である。 そして虎の子のU型は、その全てが資源地帯防空に回されている。 「いえ新型です。四式戦と五式戦が派遣されます」 「四式戦! もう実戦配備されているのか!?」 五式戦は既存の設備を流用できるが、四式戦についてはまったくの新規生産だ。 「正確には、増加試作機による実験部隊が1個戦隊です。五式戦の方は、増加試作機と初期量産型で、三式戦の生産を遅らせて、何とか1個戦隊分を確保したそうです。 これら2個戦隊と偵察/輸送飛行部隊等をもって、レムリア派遣飛行団が臨時編制されます」 「戦闘機全てが新型だと!? しかも四式に至っては、未だ実戦配備すらされていないではないか! そんな物アテにできるか!」 「何故増加試作機だけで、1個戦隊相当も集められるのだ? 不具合続出じゃあないだろうな? それなら一式の方がまだマシだぞ!」 「大体、その歪な編成は何だ? 爆撃機や襲撃機が何故配備されていない? 第一、数が少なすぎるぞ!?」 派遣される航空戦力のあまりの少なさと歪さから、作戦参謀に非難が集中する。 彼のせいではないのだが…… 「戦闘機は、爆装も可能です。ですが、飛行部隊は基本的に制空以外の戦闘任務は行いません。現地の飛竜部隊を活用しろとのことです」 司令部に沈黙が訪れる。 航空支援は出来ない? 飛竜を使え?  自前の航空部隊があるのに、か? 無茶な命令だが、理由は分かっている。 「……そんなにも、ガソリンが足りないのか?」 誰かが呟いた。 「軍の割り当てについて言えば、その通りです。現在、飛行部隊の訓練時間削減すら行っている位ですから。 もちろん石油そのものは、本国に沢山あります。ですが、全て使い道が決まっています」 「政府は、我々を馬鹿にしているのか!? 何故、ガソリンがあるなら回さない!」 「勘違いしないで頂きたい! ……確かに石油は沢山あります。ですが消費量は、それ以上に多いのですよ」 「だが、敵を甘く見るにも程がある!」 「もしもの時には、海軍機も支援してくれるそうです。我々とは別に、航空部隊を配備するそうですから。多分、それもあっての数かと愚考しますが」 集中砲火を浴びる作戦参謀に、典礼参謀が助け舟を出した。 だが、典礼参謀のその発言に、作戦参謀が眼を剥いた。 「それは本当か、初耳だぞ? 確か、海軍はボルドー周辺のみの担当だった筈だ!」 「それは陸上部隊の話で、航空部隊は適用外ですよ。 ……飛行場護衛の特別陸戦隊についても当然適用外で、かなりの数を送るようです」 典礼参謀は、お手上げのポーズをとる。 「海軍め、何と小賢しい! 鳶に油揚げを攫われてたまるか!」 「いえ、そこまで海軍も強欲ではありません。『一枚噛みたい』だけだそうですよ? もっとも1枚どころか、2枚も3枚も噛まれそうな雰囲気ですが」 「典礼参謀、阻止しろ!それが貴様の仕事だろうが!」 「無茶言わないで下さい。大臣間で決まった事ですよ?」 典礼参謀と大佐が睨み合う。 前回に続き二度目の衝突だが、今回は典礼参謀も譲る気は無さそうだ。 両者の間に、緊迫した雰囲気が流れた。 【6-2】 「大佐は、『海軍の協力は無用』と仰るのですか? 新型とは言え、未だ未完成の機体が、数十機しか配備されないというのに!?」 典礼参謀が、反撃を開始する。 「それに海軍の行動は、『協定』に従ってのものです。これを阻止することは、『協定』を我々(陸軍)から破ることになりますが?」 『協定』とは、転移後に陸海軍の間で取り纏められた、両者の『棲み分け』に関する協定である。 航空作戦について、大まかに言えば―― @陸軍は、本国及び大陸直轄領における防空、及び陸軍部隊の直協を担当する。 A海軍は洋上における航空作戦全般を担当する。 ――という様な分担で合意されている。 陸軍航空隊が防御的な防空/戦術空軍、海軍航空隊が攻撃的な戦略空軍という所だろうか? ……だが、これはあくまで大まかなものであり、例外がいくつもある。 例えば、海軍航空隊が基地防空のために、本国及び大陸直轄領上空で防空戦闘を行うこともあれば、陸軍航空隊が、本国及び大陸直轄領近海で航空作戦を行うことも十分考えられる。 また、邦國については特に規定されておらず、その国の事情に応じて判断されることとなっている。 その最も顕著な例外が、今回のような『他国での戦闘時』だ。 ・海軍航空隊は、陸軍航空隊が展開するまでの間、全ての航空作戦を担当する。 これは当然だろう。何しろ陸軍地上部隊が上陸して土地を確保し、飛行場を完成させるまでは、陸軍航空隊は展開できず陸軍地上部隊は丸裸なのだから。 だが、問題はここからだ。 ・陸軍航空隊展開後、海軍航空隊はこれと協力して航空作戦を行う。 確かに、陸軍航空隊展開後も暫くは弱体だろうから、その後も海軍航空隊の協力は必要であろう。 だが、両者の関係は五分五分であり、陸軍航空隊充実後も、海軍は自由に自前の航空作戦を行うことが出来る。勿論、期限や運用等の制限も無い。 陸軍は、洋上での航空作戦をほぼ封じられているのにもかかわらず、海軍は大陸で自由に活動できるのだ! 今回も、この項目が利用された。 (海軍は、この項目を大陸活動における武器として、度々利用している) 『レムリアは、未だ帝國直轄領の条件を満たしておらず、敵地と言える』 ――これが海軍の言い分であった。 こう出られると反論は難しい。 結局、陸海軍首脳会談により両者が妥協、海軍航空隊のレムリア進出が認められることとなった。 何故、陸軍がここまで弱腰なのか? それは、陸軍航空隊の展開速度の遅さ、陸軍戦闘機の大半を占める一式戦の貧弱さが挙げられる。 陸軍航空隊の展開速度が遅いのは、飛行場完成が遅いのもあるが、その支援体制の貧弱さがある。 そもそも陸軍航空隊にとって、『数千キロ離れた地域に素早く展開』などという要求は、想定外のものだったのだ。 (これは海軍とて同じであるが、多数の空母の支援が受けられるというアドバンテージの有無が、陸海軍の絶対的な差となって表れた) 一式戦の貧弱さも陸軍の弱みだ。 より高性能の二式戦や三式戦が、本国や重要資源地帯の防衛に回されているため、陸軍航空隊は一式戦で戦うしかないのだ。 (まあ現実的に考えても、その支援体制の貧弱さから、信頼性の高い一式戦を使わざるを得ないだろうが) しかも、配備される一式戦の大半が、未だにT型である。 最新型であるU型の大半は、数の少ない二式戦や三式戦の補助として、やはり本国や重要資源地帯の防衛に回されているからだ。 資源地帯――帝國の生命線――の防空の責を負う陸軍にとって、最良の戦闘機を防空に回すのは最優先のことであり、止むを得ない処置なのだろう。 ……だが、これでは海軍の支援無しではどうしようもない。そこをつけこまれたのである。 結んでしまったものは仕方が無いが。 「レムリアの空中騎士団は、既に抑えているのだろう! 海軍は、いざという時に来ればいい!」 だが大佐も負けてはいない。あくまで海軍は不要と主張する。 「……そんな虫の良い話が通るとでも? それに空中騎士団を抑えたとはいえ、やはり威圧のためにある程度の数は必要でしょう。 第一、常識から考えて『取りこぼしは無い』とは断言できません。『力』を見せつけるのが、何より重要かと愚考しますが?」 「そこまでにしておけ」 突然、軍司令官の制止が入る。 「決まったことを、今更ぐだぐだ言っても仕方なかろう。その話はここで終わりだ。作戦参謀、報告を続けろ」 「はっ!」 両者の言い合いに、呆気にとられていた作戦参謀が姿勢を正す。 「レムリア各勢力については、大半が帝國への忠誠を表明しました。ですが依然として旗幟不明な勢力が存在し、中には明らかに非友好的な勢力も存在します」 「どこの国にも時代の趨勢の分からぬ輩がいるものさ、どうせ小勢力だろう?」 「はい。ですが小なりと言えども、宗教国家も含まれるので油断は禁物かと」 その言葉に大佐が再び反応した。 「宗教だと? 大方、ダークエルフや獣人を取り込んだツケだろう? 全く、連中など取り込まなければこのような苦労も……」 そう言い、情報参謀――ダークエルフ――を睨みつける。 だが、情報参謀は眉一つ動かさない。 「……そして、今頃帝國は立ち往生ですか? 『彼等がいなければどうなっていたか?』と、少しは考えたらどうですか?」 今度は、典礼参謀が大佐に噛み付いた。 再び緊迫した空気が流れる。 「『ここまで優遇する必要は無かったのではないか?』と言っているのだ」 「今度は、御政道を批判ですか? 周り中敵だらけですな」 その言葉に大佐の顔が紅潮する。 だが何を思いついたのかニヤリと笑い、切り返した。 「ああそういえば貴様の親族に、いい年してダークエルフの小娘を娶った男がいたな? 貴様ももうすっかりお仲間か?」 「大佐、それは我が一門全てに対する侮辱ですか? 自分とて武門の出、それ以上の侮辱は……」 「いい加減にせんか!」 ついに軍司令官が爆発した。 「大佐! 貴様、殿下の御婚約を知っての言動か!? これ以上の発言は反逆と見做すぞ!」 周囲がハッとする。 『反逆』、つまり軍法会議にかけると言っているのだ。しかも『反逆罪』で! 緊張が頂点にまで達した。 全員の視線が軍司令官に向けられる。 ……大佐は真っ青だ。 だが、 「会議は中止だ! 後日改めておこなう、貴様等全員頭を冷やせ!」 そう言い、軍司令官は退出していった。 どうやら脅しだったようだ。 室内の緊張感が抜けていった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【7】 会議中止が中止されると皆退出していき、典礼参謀と情報参謀だけが取り残された。 (元から情報交換の約束をしていたのだ) 「……しかし何故、君は怒らなかったんだい?」 典礼参謀は不思議そうに聞いた。 「あの程度なら、可愛いものですよ。それに、あそこまであからさまな敵意を向けてくれた方が、分かり易くて助かります。 ……本当に怖いのは、親しげに笑いながら人を刺せる連中ですよ?」 「それはそうかも知れないが、少し大袈裟じゃあないかい?」 「そんなことはありません!」 そう情報参謀は叫び、真剣な表情で続けた。 「……気をつけたほうが良い。同一民族だけで生きてきたせいかもしれませんが、貴方方帝國人は、どうも『純朴』過ぎます。 人間はどんな残酷なことも、悪辣なことも平然とやってのけますよ? それこそ貴方方が、『何もそこまではしないだとう』ということも、貴方方が想像すら出来ない、それ以上のことも」 「ああ、分かったよ」 内心、彼のあまりの真剣さに驚きながらも、忠告に感謝する。 「まあ取り敢えず、あの大佐殿は要注意でしょう。彼、屈辱と怒りで震えていたから」 情報参謀は、どうでも良いことのような口調で話す。 「ああ。大佐みたいな人は、何をするか分からないからなあ」 典礼参謀はゲンナリとする。 まあ情報参謀に言わせれば、『分かり易いだけマシ』なのだろうけれど。 「……そういえば、御存知ですか? 陸軍強硬派を監視していた特高の刑事が、もう何人も『消えた』そうです。急におかしいですね?」 急に情報参謀が話題を変えた。何か言いたげな目だ。 「それならこの前、宰相閣下にお聞きしたよ。でも今に始まったことじゃあないだろう? 確かに連中はやり過ぎだが、現状では如何とも……」 そこまで言って気付いた。 違う。情報参謀は話題を変えたのではない。 情報参謀は『何か』を伝えたいのだ。 何を伝えたいのだ? 両者――陸軍強硬派と大佐――が繋がっている? だが、大佐は元から陸軍強硬派の一人だ。そんなこと、誰もが知っている。 『急におかしい』? 強硬派の監視は命がけだ。 深入りしすぎれば消されるし、深入りしすぎなくても、運が悪ければ『警告』としてやはり消される。 だが、消される人数は特に増えても減ってもいない。 そこをあえて、『急におかしい』と表現する。 そこまで考え、或る考えに辿り着いた。 ……いや、でもまさか。この非常時に。 確かに現在でも、強硬派との対立が続いている。 が、未曾有の國難の前に、争いは一時棚上げされている筈だ。 だからこそ、強硬派も軍の大幅縮小をも含む大改革に協力――少なくとも邪魔はしない――したのだし、我々も通常の監視のみに止めているのだ。 「貴方も気をつけた方が良いでしょう」 典礼参謀の考えを見越したような声が聞こえた。 成る程、連中『やる気』か。 あの大佐、ドサクサ紛れに自分も始末するつもりなのだろう。 「有難う」 心からの礼を言う。 恐らく、彼精一杯の忠告だったのに違いない。 ダークエルフの『対帝國諜報活動』。 それは彼等にとって、極秘の筈。 もちろん帝國上層部は知っているだろうが、決して公にされることはないだろう。 ……帝國臣民には刺激が強すぎる話だから。 だが典礼参謀に言わせれば、江戸時代に幕府と各藩が互いに水面下で熾烈な諜報活動を行っていたように、帝國と邦國が互いに諜報活動を行う事は『当たり前のこと』に過ぎない。 それをどうこう言うなら、帝國に邦國を持つ資格は無いだろう。 ましてや、帝國の情報を束ねるダークエルフだ。その位のこともしていない様では、到底情報など任せられない。 「何、ただの世間話です。 ……それに我々は『一族』でしょう?」 ああ、やはり気付いていたか。だが、隠された言葉に他の何人が気付いただろう? 『一門』と『一族』 自分とダークエルフは『一門』、『一族』。 ……そして『一門』、『一族』への侮辱は許さない。 「そうとも、我々は『一門』さ。」 典礼参謀は胸を張って断言した。 ――――同時刻、某所。 「ここ一年、帝國は非常に積極的かつ攻撃的な外交活動を展開しています。対ロッシェル戦を始めとする一連の戦争ですら、帝國にとっては外交活動の一環に過ぎないでしょう。 その効果は、ロッシェル併合後から現れ始め、グラナダでの戦い以降、一層顕著となっています。 ……残念ながら、既にかなりの国々が取り込まれたものと判断せざるを得ません」 その報告は、予想されていたものでしかなかった。 既にかなりの国々が、列強諸国に対し、過去に結んだ不平等条約の改定を要求している。 それも、受け入れられなければ条約破棄すら匂わせて、だ。 明らかに背後に帝國の影がある。 「……このままでは、『レムリアの二の舞』という訳ですな」 自嘲気味な声が漏れる。 「レムリアの失敗は、帝國相手に『今まで通りのやり方』で挑んだことです。戦略的にも戦術的にもね」 だが、その声にすかさず訂正が入る。陸軍の将官のようだ。 「『今まで通りのやり方』とは?」 「戦術的には、火力で圧倒的に勝る相手に正面から挑んだこと。帝國相手に突撃は自殺行為です。レムリアは、身をもってそれを証明しました」 確かに、『あの』レムリア軍の突撃が阻止された以上、他のいかなる軍の突撃も成功不可能だろう。 「じゃあ如何すればよい?」 「第一に、制空権の確保。空で勝てば大半が解決します。第二に、海上輸送の妨害。食料はともかく、弾は現地調達できますまい」 「……簡単に言ってくれる」 海軍の提督から、溜息交じりの反論が出た。 「失礼だが、帝國の『無敵艦隊』相手に、一体どうしろというのだね? 正直、海軍は帝國海軍相手に、海上優勢を確保することはできない。」 「何も、正面から艦隊戦を挑めとは言っていないし、期待もしていない!」 先程の将官が噛み付いた。 「ただ、『負けないようにやれ』といっているのだ! できるだけ兵力を温存しつつ、敵の補給線に打撃を与えてくれればそれで良い! それ位は出来るだろう? 後はこっち(陸軍)で何とかする!」 「何だと! 我等を愚弄するか!」 たちまち険悪な雰囲気が流れる。 「まあ、制空権の確保は何とかなるだろう」 慌てて一人が話題を変えた。 「それはそうだ! 現在の計画が完了した暁には、帝國の機械竜とて恐れるに足らぬ!」 たちまち賛同の声が上がる。 レムリア王都占領時に帝國も知るところとなった『空中騎士団再編計画』に、列強諸国はもっとも力を注いでいる。 その計画に対する彼等の自信は、相当な物だ。 「ですが、それはあくまで戦術的なものでしかありません。戦略的にも手を打っておく必要があります。 ……時間稼ぎにもなりますしね」 気をよくした将官が続ける。 「では?」 「帝國には計画通り、せいぜいレムリアで激しく踊ってもらいましょう。我々はそれを『観察』し、今後の参考とします。 ……ああ、もちろん『準備』をしながらね。」 会議はそのまま、和やかな内に終わろうとしていた。 だが、先ほどから沈黙し何か考えていたような一人の将官が、思いつめた様に発言する。 「諸卿、何を暢気なことを言っておられるのです! 行動するなら『今』です!」 そして周囲の者を見渡し、言った。 「明らかに帝國に傾きつつある国々に対し、懲罰による軍事行動を提案します! 他の列強諸国と示し合わせ、一斉に多数の国々に侵攻するのです!」 その爆弾発言に、会議に混乱が起こる。 「そんな無茶な! 政治的なダメージが大き過ぎる! 第一、準備が終わらない内に帝國と戦うことになるぞ!」 たちまち悲鳴のような反論が上がった。 「準備が終わっていないのは、帝國とて同じ事! レムリアに大軍を展開している現在、他国にまで手が回らない可能性があります! 上手くいけば各個撃破により、政治的にも軍事的にも帝國に大ダメージを与えられるでしょう!」 「可能性で物事を語るな!」 「ですから可能性を少しでも上げるためにも、列強が団結し、多数の国々に対して同時侵攻を行うのです! 常識的に考え、帝國の対処能力を超えられるでしょう」 「だが、仮にそうだとしても、多数の軍を失うことになるぞ!」 先程の将官が指摘した。 「それ以上のダメージを、帝國に与えることが出来ます! 政治的にも、我等の侵攻を完全に防ぎきれなければ、帝國は諸国の不信を買い、帝國の工作は振り出しに戻ります!」 事実だ。 新たな盟主となるハードルは高い。帝國は傘下に入る諸国に、完全な安全を保証しなければならないのだ。 完全に防ぎきって当たり前、一ヶ国でも守りきらねば『失格』である。 何故ならば、帝國にとっては『多数の中の一国』に過ぎないだろうが、侵攻される側にとっては『当事者』なのだから。 それに他の国々にとっても他人事ではない。帝國が失敗すれば、期待が大きい分、彼等の失望も大きいだろう。 だが…… 「危険が大きすぎる。それに現在の計画が完了すれば、帝國にも十分対抗可能だ。わざわざ危険を犯すことはない」 それが会議の大勢だった。 「戦争には相手がいるのですよ!? 我等が計画完了した頃には、帝國も次の戦争の準備を終えているでしょう!」 それでも、縋るように発言する。 「大海を超えてやってくる以上、帝國軍の数も限りがある筈だ。ワイバーン・ロード二体がかりなら、敵の『レイセン』にも勝てるさ。制空権を握れば後は如何とでもなる」 だが、結局は徒労に終わった。 彼等は時間稼ぎをしつつ準備を整え、その後帝國と対抗する道を選択したのだ。 かくして、帝國と列強の直接対決は棚上げされた。 その判断が正しかったのか、そしてそれが誰にとっての幸運だったのかは、未だ闇の中である。