帝國召喚 第4章「王国崩壊」 【0-1 帝國、帝都】 「現在、レムリア王都は戒厳令下にあり……」 帝國では、臨時閣僚会議が急遽開催されている。 情報省次官の報告を聞く閣僚達の表情は、一様に暗い。まるで敗戦国のようだ。 「では、レムリア王国は『滅亡した』ということかね?」 閣僚の一人が恐る恐るそう質問すると、他の閣僚達が感謝の表情が浮かべる。 ……誰もが聞きたくても聞けない質問だったからだ。 「結論から言うと、『実質的に滅びた』ということです。後は、『誰が引導を渡すか』でしょうね」 だが、あっさりと非情な答えが返ってくる。 「現在、王都にいる中央政府閣僚は軍務卿唯一人です。他の閣僚は、皆仕事を放り出して自領に帰りました。ああ、外務卿は別ですね。彼は、グラナダの地で無駄な努力を続けていますな。御苦労な事です。 ……これだけでも深刻さが分かるでしょう? おまけに王軍は地方の貴族達に取り込まれ、事実上軍閥化している有様です」 「王子達の命令なら……」 「真っ先に王都から逃げ出した、妾腹の餓鬼共の事ですか? もう神輿にもなりはしませんよ。第一、連中が逃げなければ、ここまで事態は悪化しなかったのですから」 次官は、希望的観測を容赦なく切り捨てる。 「しかし、何故こうも簡単に滅ぶ? まだレムリアには、十分な余力があった筈だぞ!?」 堪りかねたように外務相が叫んだ。 当然の疑問だった。 レムリア王国軍は五大総軍のうちの一つを失っただけであり、残りは未だ健在。そして帝國軍は、未だ国境の向こうにいるのだから。 「『王が不在』というのが痛いですね。神輿がいないわけですから。おまけに跡継ぎは未だ決まらずあの体たらく…… 貴族共が見放すのも無理はありません」 ……止めは二度目の空襲でしょうけど。 流石にそれを声に出すことはしなかったが。 「……申し訳ない。我々の力不足でした」 情報相が面目なさそうに詫びる。見るからに悔しそうだ。 彼等(ダークエルフ)に責任を求めるのは、酷というものであろう。 そもそも彼等は情報収集が本来の役目であり、その評価や立案の責任まで求めるのは筋違いなのだ。彼らとて万能ではないし、このような国際政治の桧舞台で活躍したことなど無いのだから。 そしてそのようなこと位は、ここにいる誰もが弁えている。 「殿下御一人の責任ではありませんよ。最終的に判断したのは、我々全員ですから」 口々に否定の言葉が返ってくる。 「問題は今後です」 情報省次官とともに呼び出されていた参謀総長が、口を開く。 「今後の指示を頂きたい。退くのか、 ……それとも進むのかを」 【0-2】 「退く? 撤退するということか!?」 「それも一つの手ではあります。これ以上の無駄は避けられますから」 閣僚の悲鳴にも似た問いに、参謀総長は冷静に返す。 「ですが、『それだけ』です。それに諸国の不信を誘う恐れが濃厚ですな」 「それだけではありません。レムリアは内乱状態に陥り、多数の難民が発生しまするでしょう。難民は大陸同盟諸国に流入し、諸国の不安定化を招きます。また、大陸同盟諸国が混乱に乗じてレムリアに侵攻し、混乱を拡大する可能性も十分に考えられます」 参謀総長の発言に次官が付け加える。 ……どうやらあまり賢明な選択とは言えない様だ。 それに彼等はあえて言わなかったが、國民の反応も心配だ。下手をすれば政権が吹っ飛ぶ。 「では、我が軍がレムリア王国に侵攻した場合は?」 「王都占領までは容易です。何せ、多くの貴族達から内応の書簡が来ていますから。作戦としては北方の『大特演』の軍は待機し圧力をかけ、東方のグラナダ派遣軍が一気に王都制圧。その後諸侯に帰順を呼びかけ、応じぬ者は討伐という形でしょう」 「『大特演』の軍は、レムリアに入れないほうが良いでしょう。大陸同盟の連中は、レムリア諸侯と仲が悪いので、何が起こるか分かりませんから」 「では王都占領後、直ぐに解散させましょう。その後は帝國軍のみの1個軍として国境で待機、予備兵力とします」 次官の助言を受け、参謀長が作戦に若干の修正を加える。 「しかし、そうなると王都制圧後の兵力が足りませんな。グラナダ防衛は海軍特別陸戦隊に任せるとしても、最低あと1個師団は必要です。もちろん北方の予備兵力とは別に」 「……どこから引き抜くと言うのだね?」 陸相(兼宰相)が呻く。 以前にも出てきたが、現在帝国陸軍の完全充足師団は僅かに10個。 そのうち資源地帯及び直轄領の防衛だけでも、4個師団もの戦力を割いている。これらの地域は『帝國の生命線』であり、その防衛に当たる師団は決して動かせない。 更にグラナダに1個、『大特演』に3個相当を展開している為、国内に残るのは2個師団相当しかない。しかも『大特演』に各部隊を引き抜かれ、五体満足な師団は一つだけという有様だ。 「まさか、近衛師団を派遣しろと言うんじゃあないだろうな?」 そう、動かせる五体満足な師団は『近衛師団』しかないのだ。 だが政治的にこれは拙い。もし近衛師団を出せば、『これが帝國の限界か』と見られるかも知れないのだ。それは避けたい。 「他の師団では駄目か?」 他の師団とは平時編制の現役師団のことだ。平時編制のため充足率も良くて50%、だいたい40%程度である。 「やはり完全充足師団と比べて、練度が数段劣ります。それにこれらの師団には、他の任務がありますので、下手に動かせません」 平時編制の現役師団は兵の訓練に当たるとともに、交代で帝國本国と目と鼻の先にある『神州大陸』の開拓団護衛にも当たっている。 『神州大陸』は大陸とは大嘘で満州よりやや小さい程度の『島』であり、無人ではあるが性質の悪い害獣(ゴブリン、コボルト、オーク、オーガ等)がやたらと居り、軍の力が欠かせないのである。 「しかし、近衛は……」 「では総督として、畏れ多いですが宮様に務めて頂いたら? それならば『陛下が心配して』という弁もたちますし、レムリア貴族の自尊心も擽られるでしょう」 「ああ、それなら」 「しかし、我々の不手際で陛下におすがりするのも……」 だが、宰相はなおも渋る。 「では、私からお頼みしましょうか? 婚礼の件で近々陛下にお会いするので」 情報相が助け舟をだす。 「いえ、やはり私が奏上しましょう。帝國宰相としての務めですから」 「では決定ですな」 「……一つ問題が」 軍需相が発言する。 「確か近衛師団は、『機械化師団』でしたな」 「はい、ですから1個師団でも柔軟な運用が可能です。それが何か?」 「……ガソリン」 「!」 「おまけに嵩張る分、通常の師団よりも多くのフネを手配する必要があります。もちろん重油も」 「……」 「重油については若干の余裕がありますが、だからと言って無駄に使っていい訳ではありません」 「いや、しかし」 「……まあいいでしょう、重油はなんとかします。ただし、ガソリンは『大特演』の軍から回して下さい」 「航空支援は?」 「海軍がやってくれるのではなかったのですか? 海軍に要請して下さい」 「……分かりました。」 どうやら航空支援は、あまり期待できなさそうだ。下手をしたら寝返った貴族の飛竜に頼る羽目になるかも知れない。 「物資もそうですが、『金』もです。」 今度は蔵相だ。 「幸い、レムリア王国は豊かな国だそうです。活動経費はレムリア国内で調達して下さい」 「流石にそれは……」 下手したら暴動が起こりますよ? 「帝國には、他人に施す余裕なんてありません」 「レムリアには鉱山とか資源は?」 交渉を諦めた宰相が、情報相に尋ねる。 「……『それなりに』としか。どちらかと言えば、レムリアは商業国家ですから」 「それに関しては、朗報があります」 海相が口を挟んだ。 「朗報?」 「メディチ家が帝國に全面協力するそうです。上手くいけば、ボルドー中の商人の協力が得られるでしょう」 「メディチ家? ああ、貿易のお得意様か。しかし何故?」 「簡単な事です。我等に賭けたのですよ。メディチ家はボルドーで一、二を争う大商人で、王国でも有数の大富豪です。商会の支店も各地にありますから、心強いことこの上なしです」 「要求は何だ。商人が、ただでそんな事する筈もなかろう」 「これです」 宰相は渡された書類を眺める。 「……これだけか?」 「はい」 「いいだろう、色も付けてやる。だから死ぬ気で協力させろ」 「有難う御座います。メディチ家も喜ぶでしょう」 そこに秘書官がやって来て、宰相にメモを渡した。何か起こったようだ。 「ほう! これは……」 暫く驚いたようにメモを眺めていたが、やがて顔を上げて皆に告げた。 「レムリア王国は『滅びた』。大至急計画を実行する」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【1-1 レムリア王国、ボルドー】 ボルドーでは現在、ボルドー中の大商人達が集まり、会合を開いていた。 表向きこそいつもの定例会合ではあるが、何しろこの御時世だ、只の会合で終わる筈が無かった。 「さて皆様。本日の会合の主催は、私共パッツィ家が務めさせて頂きます」 会合は、パッツィ家当主の誇らしげな宣言で始まった。 ……大げさな奴だ。 メディチ家当主は内心で舌打ちする。 パッツィ家は、メディチ家と共にボルドーでも一、二を争う大富豪であり、事有る事にぶつかり合って来たライバル同士でもあるのだ。 「皆様にお知らせしていた通り、本日は趣向を変えて船上での会合となりました。本船は、王国の技術力の粋を集めた新造船です! 排水量2000トンという王国史上最大の巨船であり、魔法動力により無風状態でも5ノットで丸半日、10ノットでも3時間の走行が可能です!」 つまりは、独活の大木という訳か。 彼は内心呆れながら、パッツィ家当主の説明――というより自慢――を聞いていた。 『魔法動力で丸半日走行が可能』とするだけの魔力を蓄えるのに、一体どれだけの区画を食われているのだろう? 恐らくかなりの区画を潰して魔力蓄積・動力機関に当てているに違いない。 ……要するに、『船体の割りに輸送スペースが恐ろしく狭い』ということだ。 それでいて、建造費は目玉の飛出るほどの値段であろうことは、まず間違いが無いだろう。魔道動力とは、非常に高価なものなのだ。それ故、商船ではとても採算が取れず、精々一部の軍艦に補助機関として搭載される程度である。 『値段の割りに余り意味の無い代物』 これが魔法動力に対する、大方の評価だ。 ……それに、2000トンと言われてもね。 通常、500トン以上は大型船、1000トンならば超大型船と呼ばれる。 この範疇で言えば、排水量2000トンのこの船は巨船と行ってもいいだろう。 事実、他の商人達は感心したように眺めている。 だが彼にとっては、別に珍しくも何とも無い。 帝國と取引をしていれば、この程度どうと言うことは無いし、既にこれ以上の巨船を彼は保有しているのだから。 帝國製3000トン級帆船。それが彼の所有する最大の船だ。 帝國が国内航路での重油節約のために建造したもので、そのうちの1隻を譲り受けたのである。 ……もっとも、彼にはそれを他の商人達に自慢しまくるような趣味はなかったが。 それにしても、実用的価値ゼロのこの船を作るのに、一体幾らかかったのだろう? おそらく最良の500トン級大型船を1ダース買ってもなお、お釣が来るのではないだろうか?  全く呆れるほか無い。 ……他に、幾らでも使い道はあるだろうに。 彼とてメディチ家当主である。決して、吝嗇という訳ではない。 様々な芸術や学問のパトロンとしても名を馳せているし、それを義務とも心得ている。 だがこのような、さながら『金貨の詰まった袋を燃料に走るような船』を作るなどということは、とうてい彼の理解の外にあったのだ。 「パッツィ殿、いい加減本題に入って頂きたい」 いいかげん堪りかねて制止する。 だがパッツィ家当主はさして気にした様子も無く、大げさな身振りで答えた。 「いけませんなあ〜、メディチ殿。我等もただ金を溜め込むのではなく、このような遊び心も持たなければいけません。でなければ高貴な方々と、とてもお付き合いはできませぬよ?」 そんな貴族共の悪い面ばかり真似してどうする! パッツィ家当主の答えに思わず頭を抱える。 そうだ、昔からこういう奴だった。どうもこいつとは、反りが合わない。 「ですがメディチ殿の仰る事も御尤も。本題に入りましょう」 【1-2】 「皆様。いまボルドー、いえ王国は危機に晒されています!」 パッツィ家当主は、相変わらず大げさな身振りで訴える。 「王位は未だ空白、不穏な諸侯の動き、そして迫り来る帝國の影。このままでは内乱が起きるのは、時間の問題です。ここボルドーも、無関係ではいられないでしょう!」 「……で、具体的には? 御自分から切り出す位です、当然考えがおありでしょう?」 メディチ家当主が促す。放って置くと、何時本題に入るか分らないからだ。 周囲の商人達が、ほっとしたような表情をする。大パッツィ家の当主に意見できるなど、彼位のものなのだ。 「……メディチ殿、物には順序というものがありますぞ」 流石に、パッツィ家当主も嫌な顔をする。 「芝居ではないのですよ? 前置きなど不要。『時は金なり』です」 こいつ、自分に酔ってやがったな。 呆れながらも反論する。 大方、自分を芝居の中の人物に当てはめ、成り切っていたのだろう。 ……さしずめ、『王国の危機を憂い、訴える愛国者』といったところだろうか? 「そういえば、メディチ殿は余り芝居に興味がおありでないようで?」 「無い訳ではありませんよ。一通り見ました」 無視するわけにもいかず、やむを得ず答える。 一応、『芸術的評価の高い』とされるものは、一通り見ているのだ。これも教養の内なのである。 「いけませんなあ。お上品な芝居も悪くないですが、大衆が興奮する芝居も決して悪くはありませぬよ? 彼等は自分に正直です。自分の『教養』などに騙されず、素直に『面白いものは面白い』と評価します。まあ、その逆も然りですがね」 「……それは、私に対するあてつけですか?」 メディチ家当主は、微妙に眉を引きつらせる。 「まさか! 忠告ですよ、忠告。芝居とは本来、肩肘張って見る物ではなく、心から楽しむための娯楽ですよ? 楽しまないでどうしますか!」 「……別に。人それぞれでしょう」 「『人それぞれ』ですか。ふむ、確かに。さすがメディチ殿!」 半ば投げつけるように言った言葉であるが、パッツィ家当主に何らかの感銘を与えたようだ。……決して、彼には到底理解できない感銘だろうが。 【1-3】 「さて、私に一つの案があります」 ようやく本題である。 これだから、こいつの所での会合は嫌なのだ。 今までの長い前振りを思い出し、溜息を吐く。 「第一王子殿下をボルドーにお迎えしたいが、如何?」 ……は? 思わず耳を疑う。 ……いま、この男は何と言った? 何か、とんでもない事を、聞いた様な気がする。 第一王子を、ボルドー迎える!? 阿呆か! 災いの元を、自ら呼び寄せてどうする! 周囲を見渡すと、皆も呆然としていた。 「皆様が驚かれるのも無理はありません。ですが、これも考え抜いての事です」 皆の驚きの表情を眺め、満足そうに話を続ける。 「ボルドーはレムリア最重要拠点の一つです。内乱に巻き込まれる事は確実でしょう。ですが第一王子殿下が居られれば、流石に攻撃をする者も居りますまい!」 成る程。少しは考えているのか。 確かに見放したとはいえ、旧主君には違いは無い。流石に攻撃を加えるのには、抵抗を覚える者も多いだろう。まあ全ての貴族がそうだとは、とても思えないが。 ……だが、それはあくまで貴族達の話である。 「他の王子達から攻撃される恐れは無いでしょうか? 旗幟を鮮明にする訳ですし」 他の商人からも疑問の声が上がる。 「心配御無用! 第一王子殿下の後ろ盾は、トスカーナ大公ですぞ! 他の王子達よりも有力ですし、何と言っても長兄です!」 ならば何故、トスカーナ大公の所に居ないでここに来る。 メディチ家当主は内心舌打ちする。 恐らく第一王子とやらは、トスカーナ大公から半ば(或いは完全に)見捨てられたのではないだろうか?  トスカーナ大公は、何といっても王家の血筋である。このような事態ともなれば、別に王子などを神輿に担ぐ必要も無い。殺すのも拙いので、体よく追放したのだろう。 ……トスカーナ大公は老いてなお、野心家らしいしな。 「第一王子殿下は、もし我々が協力すれば、王位に就いた後、永代爵位を我々に下賜して下さるそうです。しかも男爵位を! これは光栄な事ですぞ!」 それが狙いか、この阿呆。 この会合に出席できる程の商人ともなれば、王国より抱え席――つまり一代限りの――騎士の位が与えられる。 だが、これが曲者だ。それを理由にいろいろ要求されるし、代替わりすれば、新たに騎士の位を与える事を名目に、莫大な金額を毟り取られる。良い事無しのため、ボルドー商人の不満の種であった。 とはいえ、不満は不満でも、この男は位が低い事が不満だったらしい。 まああくまで騎士であって貴族ではないし、騎士としても低い位から無理も無いが。 しかし空手形とはいえ、そこまで餌をつり上げるという事は、それだけ状況が芳しくないということでもあるあろう。 ……沈みゆく船の一等船室に、そんなに乗りたいか! どうやらこの男、本気で貴族になるつもりらしい。男爵位に目が眩み、周りが見えないようだ。 いやもしかしたら、彼は男爵ではなく、それ以上の位を提示されたのかもしれない。 それに一つ気になることがある。 「しかしパッツィ殿、どうやって第1王子殿下と接触しました? 仲介人は誰です?」 「仲介人? 何のことです?」 「惚けないで頂きたい! 必ず仲介人が居る筈です! 何故、隠すのですか!」 今の反応で確信した。恐らく仲介人は…… 「……まさか、王都の商人共ではないでしょうね?」 「…………」 返答は無かった。 だが、パッツィ家当主の反応が何よりも雄弁に、彼の質問を肯定していた。 【1-4】 「……失礼ですがパッツィ殿。貴方は、王都の商人共が仲介するという事の意味を、考えたことがおありですか?」 「…………」 メディチ家当主が問い詰めるが、彼は沈黙を続けたままである。 「ならば、私が代わりにお答えましょう。連中は、ボルドーを乗っ取るつもりなのですよ!」 『第一王子を迎える』と言うことは、ボルドーが第一王子の領地となることをも意味する。 そして、第一王子は一人で来るわけではない。当然、多くの取り巻きの貴族や騎士を伴って、やって来るだろう。 従来、ボルドーは大商人達に手懐けられた、地元出身――元はレムリア出身ではあるが既に同化している――の下級役人達が実際の運営を行っており、王都からやって来る高級官僚達は、数年で交代する『お飾り』に過ぎなかった。 だが、第一王子を迎えれば、そうはいかなくなる。 彼等は居座り続け、やがて下級役人達は彼等の言うがままになるだろう。実権が奪われてしまうのだ。 更に、王都の商人達もやって来たら? ……最悪だ。 第一王子とその取り巻き達は、我々とではなく王都商人達と深い繋がりがある。 何事においても彼等を優先し、我々ボルドー商人はたちまちの内に、隅に追いやられることになるだろう。 「奴等は王都に見切りをつけ、今度はここボルドーに目を付けたのですよ!」 「では、どうすれば良いというのですか! 他に案がおありですか!?」 パッツィ家当主は、反対に切り返す。 「私は、ボルドーを戦火から守るため、あえて決断したのですぞ! これ以上代案も提示せずに反論した場合は、侮辱と受け取ります!」 彼も必死だ。何としても、自案を押し通すつもりの様である。 「私の案? ……そんなもの、ありはしませんよ」 メディチ家当主は、薄笑いを浮かべながら答えた。 「どうせレムリア王国は、もうすぐ帝國の占領下に置かれるのですから」 【1-5】 その爆弾発言に、今まで二人の応酬を固唾を飲んで見守っていた者達は驚き、会合は忽ち混乱状態に陥った。 「まさか! 講和会議中だぞ!」 「だが前例がある。帝國ならやるだろう」 「しかし何故、メディチ殿が知っている!?」 「……メディチ殿と帝國は、交易関係にある」 「その程度の関係で、そんな重要機密を知る訳がなかろう!」 商人の一人が、代表して彼に尋ねる。 「メディチ殿、今の話は本当ですか?」 「ええ本当ですよ。帝國は、レムリア王国は『滅亡した』と判断しましたから」 「……どうやって、それを知りました?」 「知るも何も。我がメディチ家は、近日中に創設される『帝國レムリア総督府』の御用商人にと、帝國から依頼されましたから」 「なっ!」 思わず絶句する商人の横から、パッツィ家当主が彼を怒鳴りつける。 「メディチ殿! 国を売る気ですか!」 「……私はレムリア人ではなく、ボルドー人ですよ?」 「そのボルドーも、帝國の占領下に置かれますぞ!」 「ああ、その事ならば、ご心配なく。帝國は、ボルドーに関しては、以後我がメディチ家に一任するそうです。多少の兵は置くが、内政干渉はしないそうですよ?」 「!」 帝國はボルドーに関しては、『以後』メディチ家に『一任する』。『内政干渉』はしない。 商人達は、今の言葉の意味を素早く理解した。つまり帝國はメディチ家を…… 「そういえば、御用商人と言っても我がメディチ家のみ。それでいて、総督府と軍の御用を一切承るものですから、忙しいのなんの! 宜しければ、皆様も手伝って頂けないでしょうか?」 ……どうする? 商人達は目を交し合う。 確かに大きな、いや途轍もなく巨大な仕事だ。旨みも大きい。 ……だが、危険すぎる。 もし、帝國軍が撤退する羽目にでもなれば、我々は…… 彼等とて、帝國軍の活躍は聞いている。 だが彼等にとっては、伝え聞く帝國軍の現実離れした、それこそ御伽噺のような強さよりも、日頃目にするレムリア王国軍の精強さの方が現実的に思えたのだ。 ……もう一押しか。 彼等の逡巡を眺めながら、メディチ家当主は勘案する。 こうなる事は、十分想定の範囲内だった。 ……そろそろだな。 腕時計――帝國から贈られた――を見る。 まったく便利な物だが、弊害もある。 これを貰ってからというもの、彼は腕時計無しでは落ち着かなくなってしまったのだ。 「御館様、大変です!」 突然、船長が部屋に駆け込んで来た。 「船らしきものが、急速にこちらに向かってきます! 速力はこちらの5倍、およそ30ノットです!」 「30ノットだと! そんな船ある筈なかろう!」 慌てて甲板に駆け上がった彼等が見たものは、レムリア史上最大であるこの船と、同じ位の大きさの船の群れだった。 彼等は、自分達の乗る船を悠々追い越し、信じられない速度で去っていく。 「そんな馬鹿な!」 パッツィ家当主の悲鳴にも似た絶叫が、空しく響いた。 だが、それで終わりではなかった。 彼等のやって来た方向から、何か巨大なモノが現れたのだ。 「……アレは、何だ?」 誰かが呟くが、大半の者達は驚きのあまり声もでない。 それは到底船とは言えなかった。 島のような大きさの鉄の塊、いや城塞としか表現が出来ない。そしてその大きさからは想像もつかない程、機敏に動いている。 ……そして、あの巨大な大砲! 長く突き出た巨砲群は、まるで大砲の王のようだ。一体、如何程の威力があるか想像もつかない。 「帝國海軍ですな。時間通り、見事なものです」 メディチ家当主が、感心したように言った。 あれが帝國海軍? しかし、ここはレムリア海軍の勢力圏…… そこまで考え気付いた。 アレの前では、レムリア海軍など何の意味も無い。彼等は好きな時に来て、好きな時に帰ることができる。 そう、この前の空襲のように。 ……これで止めだな。 メディチ家当主は、ニンマリと笑う。 そう、何もかもが思い通りにいった。 ……これから忙しくなるだろう。まったく笑が止まらないというものだ。 そういえば、あいつはどうした? 随分と大人しいが。 ふとパッツィ家当主の事を思い出し、彼を探す。 ? あいつ、如何したんだ? パッツィ家当主は、何かに魅入られた様に、帝國の巨艦を眺めている。その後ろ姿は、どこか危なげな物さえ感じられた。 「帝國海軍の戦艦で、『ヒエイ』というらしいですよ?」 まるで魂でも抜かれたみたいだな。と思いつつも声をかける。 「ヒエイ……」 言葉を返すが、心ここにあらずといった感じだ。 こいつ、あの軍艦に魅入られやがった! 「パッツィ殿、しっかりして下さい。あの船は確かに美しい。……ですが所詮は軍艦、いくさ船です。我等商人には関係の無いもの、縁の無いものです」 「商人……、縁の無い……」 「そうです。軍艦は、王侯が戦う為にあるのです。」 「……王侯」 その時、パッツィ家当主の目が不気味に輝いたことに、迂闊にも彼は気がつかなかった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2-1】 ボルドーに派遣された艦隊は、第一航空艦隊から分派されたものであり、以下の戦力を保有していた。 航空母艦 『瑞鶴』『翔鶴』(作戦機136機)*作戦機が定数を満たしていないのは損耗のため 戦艦   『比叡』 駆逐艦  8隻(うち秋月型4隻) この艦隊の任務は、示威行動を行うとともにボルドーを制圧、その後はこの地の防衛にあたることである。 ……いささか、過剰な感がしないでもない。 だが、今やボルドー防衛は、レムリア占領計画の大前提となっている。 『スポンサー』であるボルドー商人に、安心感を与える為にも、この程度の戦力は必要と判断されたのだ。 またこの他にも、『天龍』『龍田』の2隻が急派された艦された。 両者は、帝國海軍最古参の巡洋艦であったが、大改装により、『哨戒艦』(哨戒艇ではない)という新艦種に生まれ変わっている。 具体的には、魚雷発射管および後部兵装(14センチ砲2門、高角砲)を撤去し、艦後部に兵員居住区を設置。更に艦後部へ向けて甲板をスロープ状にし、艦尾から大発を発進可能にしたのである。 改装の際、一部罐も撤去したため、最高速力は22ノットに低下したが、巡航速度や航続距離に変化はなく、200名(最大300名)の歩兵を搭乗させることも可能だ。 兵装も、砲戦力こそ14センチ砲2門と半減したが、25ミリ・13ミリ機銃を、計10挺増設したため個艦防空能力は大きく向上している。 この艦の運用成績如何によっては、5500トン型軽巡も順次『哨戒艦』に改装されるだろう。今回はそのテストも兼ねているのだ。 そして、この2隻には陸戦隊500名も搭乗している。 いうまでもなく、ボルドー派遣部隊の前遣隊である。 【2-2】 メディチ家当主から、出現した帝國軍の行動予定――ボルドー制圧――を聞いた時、商人達は半信半疑だった。 たしかに帝國の海空戦力が強大だということは、嫌という程理解した。 だが、肝心の陸上部隊がこの程度では! ボルドーは人口30万。王国第二の大都市である。 駐留している王国軍が抵抗すれば、僅か500名程度の兵力では完全制圧は困難――というよりも不可能――だと商人達は考えていたのだ。 しかし…… 「なんだって? それは本当か!」 思わず問い返す。 なんとボルドー駐留の王国軍は、一戦も交えずに降伏したのである。 これには流石の商人達も、驚きを隠せなかった。 確かにボルドー駐留の王国軍は、大都会暮らしに慣れきってしまった事もあり、『王国軍最弱』などとも影口を叩かれていた。 だが、一戦も交えずに降伏とは! 聞けば司令官を始め、王都から派遣された上・中級指揮官達は、とっくに自領に帰っていたらしい。 だが、それにしても…… 王国が崩壊しつつあるという現実を、あらためて見せ付けられた感がした。 「……だから言ったでしょう? 『もうレムリア王国は滅びた』と。滅びた国に義理立てする者など、いやしませんよ」 「…………」 「それに僅か500とはいえ、彼等は精鋭です! 後続の主力部隊も合わせれば、陸上部隊だけで1500。ボルドー防衛だけならば十分でしょう! さらに海上からは帝國艦隊が睨みを利かせてくれます。不安な事など何もありません!」 ……そうかも知れない。 メディチ家当主の演説を聞き、商人達も徐々にその気になっていく。 もうレムリアは終わりだ。それは間違いないだろう。 ……では、その後は? 王国は統制を失い、大混乱に陥る。 だが、すぐに事態を収拾出来る圧倒的な有力者は、王国にはいない。 ……困ったことに、『同程度の有力者』ならば、複数存在するが。 内乱が起こるのは時間の問題だ。そしてボルドーは真っ先に狙われる。 占領されれば、ボルドーは骨の髄までしゃぶり尽くされて、荒れ果ててしまう可能性が高い。そうでなくても、以前のような自由な商売は出来なくなるだろう。 確かに内戦状態になれば、『最初は』儲かるかもかもしれない。 だがそれは最初だけのこと、急激に国土は荒れ果て、購買力も購買意欲も低下していく。 ……後はジリ貧だ。 列強レムリア王国の看板を失った今、海外との交易も今まで通りともいかないだろう。 何もかもが、独立都市だった頃の時代とは違うのだ。 新しい後ろ盾、庇護者が必要だった。 「帝國は、海上交通の安全確保や、勢力圏内での自由な商売も保障していますよ? 商売の場が広がりますなあ!」 彼等の考えを察したかのような甘言が響く。 「そうそう、帝國から我等への下賜品があるのですよ!」 下賜品? 我等の様な商人風情に、国家が? メディチ家当主が、一抱えもある箱を持ってこさせる。 「!」 興奮を隠せない。商人の血が騒ぐ。 箱の中には、未知の品物が入っていた。 だが、只『未知の品』というだけでは、これ程驚きはしない。 何か織物のようではあるが、従来の自分達が知る物とは全然違うのだ。 我々の知るどの織物よりも軽く、柔らかな肌触り。そしてこの優雅な光沢! これで服を作れば、どんなに素晴らしいものが出来るのだろう! もしかしたら、神々の服を作るための織物かもしれない。そう言われても信じるだろう程の品である。 「『キヌ』というそうです。帝國の特産品の一つだそうですよ」 「メディチ殿! このような立派な品、本当に頂けるのですか!?」 「ええ、もちろん。後で細かい注意点をお教えしましょう。細君か娘御の服でも、お作りになられては?」 メディチ家当主は、鷹揚に頷く。 「おお、そう言えば! 実は私は、『キヌ』の十年間の独占販売権を、帝國より頂いたのですよ!」 「これの独占販売権を!?」 「ええ、『帝國本国以外の地域での独占販売権』です。その件でも、皆様のご協力をお願いするかも知れませぬ。 ……もちろん帝國に忠誠を誓う方に」 「…………」 暫くの沈黙が訪れる。 「誓います!」 不意に沈黙が破られた。1人の商人が帝國――ひいてはメディチ家――への忠誠を宣言したのだ。 「私も!」 「私も誓います!」 後は簡単だった。堰を切ったかのように、次々と忠誠を誓う声が響く。 「有難う御座います。皆様の忠誠、『陛下』もお喜びでしょう」 メディチ家当主は満足げに頷く。 『キヌ』の事を知ったのは、つい最近だった。 どうやら帝國は、工業製品しか売れないものと頭から思い込んでいたらしい。 ……いかにも役人的な発想である。 こちらから話を持ち込むと、後はトントン拍子だ。 帝國は『キヌ』の希少性を維持し、かつ広範囲に売り込むためにメディチ家の独占販売を許したのである。十年というのは、市場を開拓する手数料のようなものだ。 パッツィ家当主はまだ呆然としているが、もう無視しても構わないだろう。 メディチ家はたった今、名実ともにボルドーの頂点に立ったのだ! 帝國の邦だが構わない。帝國の爵位もついてくるのだから。 帝國の爵位は、商売をする上で役に立つだろう。 ボルドーの人口は30万。内規通りなら、帝國子爵位が下賜される。 だが帝國は、帝國伯爵位を提示してきたのだ。 帝國伯爵! 邦國でいえば人口100万超、数百万規模の王と同格である。 これ程強大な武器があるだろうか! これから傘下に入るレムリアの諸侯でも、帝國伯爵位を下賜されるのは数人程だろう。 それ以上は、帝國侯爵位がレムリアの代表者として、一人に下賜されるかどうかである。 何のことは無い。メディチ家はいつのまにか、レムリア最高位の家に躍り出たのだ。 これが乱世というものか! メディチ家当主の体に、不思議な高揚感がみなぎって来た。 帝國はまだ拡大を始めたばかりだ。まだまだチャンスは広がっていく。 まだまだだ。この程度では終わらんよ。 数十年後には、メディチ家の名を全世界に轟かせてやる! 彼の野望は始まったばかりなのだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【3 レムリア王国、王都】 武装した兵士達が次々と王城に突入する。 兵士達の乱入に、一瞬役人達は混乱を起こしかけるが、兵士達の鎧の紋章――軍務卿の家紋――を見ると納得したような表情になり、大人しく指揮官の指示に従った。 この奇妙な光景は、王都各所で繰り広げられている。 だが、当の役人達は達観したものだ。 ……とうとう、来るべきものが来たか。 これが彼等の本心だったのである。 現在王都に残る大臣は軍務卿のみ。 その為、軍務卿は軍務省だけに留まらず、他の全ての省庁の最高責任者となっている。 その権限たるや巨大なもので、王国宰相どころか、さながら『国王代理』といったところである。ちなみに王国宰相とは臨時に置かれる役職であり、江戸幕府でいえば各大臣(卿)が老中、王国宰相が大老といったところであろうか。 このような巨大な権限を保有している以上、軍務卿が野望を抱き『王制に止めを刺すのは時間の問題』と王都では見られていたのだ。 ……『火中の栗を拾うようなもの』とも見られていたが。 とにかく、王都は短時間で軍務卿の手に落ちた。 もっとも、『それで何が変わったか?』と聞かれても、返答に困る。 なにしろ以前から、王都では軍務卿の手勢による戒厳令が布かれていたし、各官庁は以前から軍務卿の命により活動していたのだから。 「御館様、王都の制圧を完了しました」 軍務省の一室で、軍務卿は部将達からの報告を受ける。 「ご苦労。損害は?」 「ありません」 「役人達に死者や怪我人は?」 「僅かですが抵抗する者がいましたので、取り押さえて牢に入れました。多少の手傷を負ってはいますが、命に別状はありません」 「そうか……」 軍務卿は胸を撫で下ろすとともに、例えようの無い寂寥感に襲われた。 『抵抗したのは僅か』か…… 最早、完全に見捨てられていたのだな…… ……400年以上続いたレムリア王国の最後。 それが、こんなにも呆気無いものだとは。 華々しい最後でもなく、のた打ち回るような苦しみの上での最後でもない。ただ年老いた老人が、老衰で息絶えるかのように静かに滅びていく。 そして最後を看取る、いや止めを刺すのは自分か…… 軍務卿の家は、レムリア王家が未だ一騎士だった頃から郎党として代々仕えてきた家だった。文字通り、主君と共に戦場を駆け巡り、主君とともに出世していった家なのだ。 『王の馬前で討ち死にした一族数知れず、立てた勲功随一、参加しなかった戦なし』 それが家の誇りであった。 『例え全ての諸侯貴族が背いても、最後まで忠誠をつくすだろう家』 そう歴代の王から称えられた名誉。 全て投げ捨てたのだ。 後悔はしていない。 ……ただ、御先祖に申し訳が無いだけだ。 「御館様?」 「いや、何でもない。次の計画に移るぞ」 「では、いよいよ」 「そうだ。レムリア全土にレムリア王国の滅亡と、レムリア全土の帝國への併合を宣言する」 「これで御館様も、トスカーナ大公に匹敵する大諸侯ですな」 「油断するな、本番はこれからだぞ」 ここまでは上手くいった。だが、問題はこれからである。 王都には諸侯どころか貴族も居らず、彼に反抗する勢力は存在しなかった。 『王都には』、だ。 この宣言により、いよいよ賽は投げられる。 いままで睨み合い、様子を伺っていた者達は、これを合図に一斉に行動を起こすだろう。 そしてそれを鎮められるのは、帝國のみ。 「我々の使命は、帝國軍の王都入城まで王都を死守する事、如何なる軍も一歩も王都に入れるな!」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【4 グラナダ王国、帝國使節団】 「吉田君、軍務卿が動いたぞ」 「では我等の仕事も、一時中断ですな」 大使代理は気の無い返事で答える。 「軍も動き出した。グラナダ派遣軍司令官が、越境を命じたらしい」 「……まだ近衛師団が到着していないのに?」 「時間が惜しいそうだ。いかにも彼らしい」 ふむ、と両腕を組んで考える大使代理。それを見て、全権大使は茶目っ気たっぷりに話す。 「これで君の、いや君達の望み通りになった訳だ」 「……何の事です?」 「こうなる事は、分かっていたんだろう?」 「……さて、何の事やら」 「第二次空襲を提案したとはいえ、最終的に決定したのは閣僚連中だ。君が責任を問われる事はまず無い。そして今回の結果により、君達(外務省)のポストは大幅増確実。 ……本省じゃあ、早くもポストを巡って大変らしいぞ?」 「まあ、御想像にお任せしますよ」 そう皆が解釈してくれるのならば有難い事ですよ。大使閣下。 大使代理は内心苦笑する。 そういう考えが無かった、といえば嘘になる。だが、本当の狙いはもっと別のところにあったのだ。 『ダークエルフが、常に正しい訳ではない』 それを知らしめたかったのである。 『帝國は、ダークエルフに頼りすぎている』 それが彼の率直な感想――というよりも懸念――だった。 現在、帝國が得る情報の大半は、ダークエルフからのものだ。 確かに連中の情報は貴重であるし、帝國が未だ情報網を構築できていないという事もあるだろう。 だがそれに頼りきりで、自前の情報網構築を疎かにしているのは困りものである。 ……ひょっとして、連中を『自前の』情報網と考えているのではないだろうか? それだけならまだ良い(いや良くは無いが)。 問題は、情報の分析までも連中に丸投げしていることだ。 情報省の新設。大いに結構。 だがトップはダークエルフ。そして帝國が得た情報は、全てそこに集まり評価される。 ……この意味が、分からないのだろうか? 情報省には帝國人の方が遥かに多い? 馬鹿野郎。トップ以下、中枢にダークエルフがいる事自体が大問題なのだ。 大体、情報『相』にダークエルフを据えること自体が間違いだ。当たり前のように閣僚会議に出席しているのだぞ? 帝國の『全て』が筒抜けではないか! ……ああ、二度目の空襲が止めとなるだろうこと位は、分かっていたさ。 ダークエルフの『情報』は正確だ。その情報に、元いた世界の歴史を当てはめれば分かることだ。 じゃあ何故、ダークエルフが間違えたかって? 簡単な事だ。連中は情報『収集』は請け負っていたが、情報『分析』までは請け負っていなかったからさ。 そりゃあそうだろう? 一体何処の国が、そこまで頼るというのだ! もちろん自分達でも、情報分析をやっていただろう。だがそれはあくまで『弱者の』情報分析だ。今要求されている『覇者の』情報分析ではない。 連中の寄越した資料――確かにこんな重要なものを寄越す位だ、本気で我々と一緒になるつもりなのだろう――にはいろいろ書かれていた。 それを読んで得た結論は、『ダークエルフは、敵を常に過大評価する傾向がある』ということだ。 確かに、一度の失敗が致命傷になりかねない以上、敵は大きめに評価した方が良いのだろう。少なくとも、過小評価するよりは遥かにマシだ。 だから今回も、レムリア王国を過大に評価したのだ。 『列強の名に惑わされた』ということもあるだろう。 ……まあ帝國とて、連中を責められない。自分達も中国戦線の経験から、彼等の過大評価を肯定したのだから。 とにかく、結果として帝國は、レムリア王国はまだまだ続くと判断していた。 そして、丁度良い時にレムリア側が交渉を中断してくれた。 どうせ賠償金なぞ取れずに内戦になる。そうなればやはり兵を送る羽目になるだろう。 要は、早いか遅いかの違いに過ぎないのだ。 ……ならば。 だからこそ、あのような提案をしたのだ。 今回の事で、多少なりとも自覚してくれれば良いのだが。どうも帝國は、連中を甘く見ている節がある。 確かに帝國1億(実質は8000万程)に対して、ダークエルフは10万(公称、実数は不明)と、千分の一に過ぎない。だからこそ、『簡単に飲み込める』と考えているのだろう。 ……だが、藤原氏の例もある。 もうそんな時代ではないのかも知れないが、やはり気にはなるのだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【5-0】 ――レムリア王国は王位の空白が続き、今回王都までも失った。しかしそれにも関わらず、一向に次期国王が選出される様子はない。ここに至り、もはやレムリア王国は統治能力を失ったと判断せざる得ない。帝國はレムリア諸侯たっての要請により、レムリアの新しい王となる事をここに宣言する―― 帝國は、レムリア王国との和平交渉を打ち切ると同時に、行動を開始した。 この少し前、グラナダ派遣軍は新たに近衛師団――未だ洋上であったが――が加えられ、2個師団基幹に増強されている。 ……既に、準備は始められていたのだ。 今回の宣言を受け、グラナダ派遣軍はレムリア派遣軍に改称された。その任務は、『レムリア全土の速やかなる平定』。もちろん、軍司令官はグラナダ派遣軍司令官がそのまま務める。 帝國の基本計画は、以下の通りである。 第一段階(東部制圧)――東方より進撃し、早期にレムリア東部を確保。 第二段階(王都制圧)――レムリア東部を拠点としてレムリア中央に進撃、王都を確保。 第三段階(全国制圧)――帝國に従わぬ諸侯・軍の討伐。 東方より進撃する理由は、東方総軍が壊滅し、防衛力が著しく弱体化していること、王国への忠誠が最も高い地域であること等が挙げられる。 ……もっとも、『直ぐに動ける軍がグラナダ派遣軍だけ』ということが、一番の理由なのだが。 【5-1】 レムリア派遣軍司令官は、宣言と同時にレムリアへの進撃を命じた。 だが、グラナダからレムリアへ通じる道は、御世辞にも良好とはいえない。 その為、速やかにレムリア四大街道の一つ、東方街道を確保する必要があった。東方街道とは、王都とレムリア東部を結ぶ大街道なのだ。 その後は東方街道を西走し、東部最大の都市マルセイユを制圧する。 洋上の近衛師団は、東方街道の終着点であるツーロンより上陸し、先ずその地を確保――ツーロンは今後の拠点とされている――する。その後はやはり東方街道を西走、マルセイユでレムリア派遣軍主力と合流する予定だ。 レムリア派遣軍は、戦車連隊を先頭に進撃を開始する。 その威容を見た各地の小領主や代官達が、続々と恭順していく。恭順による住民の動揺も無く、かえって安心しているようにも見えた。 ……正直、拍子抜けだった。 『王国への忠誠が最も高い地域』という位である。いくら軍が壊滅したとはいえ、ある程度の抵抗があるのが『常識』というものではないだろうか。 だがそれは、所詮帝國人の感覚に過ぎない。 『忠誠を要求するからには、それに相応しい態度と力を示せ』というのが、レムリア人の考えである。肝心の王家があの体たらくでは、忠誠を誓う義理など無いのだ。 彼等の常識では、あの東方総軍の壊滅で、『義理は果たした』のである。彼等から見れば、帝國人の考える忠誠は『犬の忠誠』だろう。 「前方にレムリア兵多数! 白旗は揚げていません!」 ……どうやら、レムリア人にも『忠犬』がいたらしい。帝國軍前衛の進撃を遮るかのように、レムリア兵が展開している。 その数およそ200、増強中隊規模だ。彼等はこちらを発見すると一斉に突撃を開始する。 「戦闘準備!」 直ちに中隊長の号令が下る。 帝國軍の戦力は、戦車中隊(九七式中戦車改10、九五式軽戦車2)に機動歩兵小隊を加えた小部隊である。前方警戒のため、前衛部隊から分派された先遣隊だ。 各戦車小隊は散開を始め、中隊本部と機動歩兵小隊を守るように、鏃型の陣形をとる。歩兵は下車し、戦車を盾に展開していく。 「撃ち方始め!」 12門の37ミリ砲と47ミリ砲が唸り、一発で数人が吹き飛ぶ。 だが、敵は突撃を止めない。 どんどん距離が縮まり、やがて機銃も射撃に加わる。 敵は次々に討ち死にするも、尚も前進を続ける。 遂に騎兵一騎だけが先頭の戦車――九七式中戦車改だ――に辿り着き、槍ごと激突した。 しかし、25ミリの装甲に覆われた17トンの巨体はビクともせず、たちまち随伴歩兵に撃ち殺された。 ――何なんだ、こいつ等は! 中隊長は心の中で罵る。 お前ら軍人だろ! 何故圧倒的に優勢な敵に、何の準備もせずに真正面から姿曝して突撃する!? そんな槍で、戦車相手にどうしようというんだ!? 「中隊長、さらに敵兵! 大軍です!」 「!」 見ると数千の兵が展開しているのが見えた。 ……だが様子がおかしい。一向に動く気配がないのだ。 やがて1騎が白旗を掲げてこちらにやってきた。 「帝國軍とお見受けいたします! 我々はガリア公の軍です。我々に帝國への敵意はありません!」 「ガリア公……・」 確か東部における有力諸侯の一人だ。 第二次空襲後、真っ先に帝國に密使を送り、帝國への恭順を約束したと聞いている。 「ガリア公は、東部の諸侯・代官に帝國への協力を呼びかけております。つい先ほども帝國に従わぬ軍1000を討ち破り、残敵を追ってここまで参りました。どうやらお手数をおかけした様子、申し訳ありませぬ!」 そうか、そういう訳だったのか。 彼等は、逃げる途中で我々に出会ったのだ。 そしてかつての味方、同胞に討たれる位ならばと、我々に突撃したのだろう。 ……『同胞に殺される』のではなく、『帝國と戦って死ぬ』ために。 「これでこの周辺に『敵』は存在しません。皆、帝國に忠誠を誓う者達ばかりです!」 「……そうでしたか。その忠誠、有難く思います」 「これ位、大した事はありませぬ。我等も帝國軍とともに戦うよう、命を受けております!」 ああ、ここは本当に異世界なのだ。 彼等にとって、忠誠の対象はガリア公国であり、レムリア王国ではない。ただガリア公が従うから従うのみ。 レムリア王国とは、レムリア王を盟主とする連合国家にすぎなかったのだ。 だから『レムリア王』という盟主が凋落すれば、それに付き合う義理も無い。新しい盟主を探すまでだ。 そう、まるで古い帽子を新しい物に取り返るかのように。 もし帝國が衰退すれば、今レムリア王国にしているように彼等は遠慮無く刃を返すことだろう。 「宜しいのですか? 我等のとりあえずの目標はマルセイユです。しかし最終目的は王都ですよ?」 そう皮肉っぽく問いかける。 しかし彼は莞爾と笑って答えた。 「望むところです。王都までの道は、我等東方諸侯にお任せ下さい! 中央の軟弱連中などに、遅れはとりませぬよ!」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【6-1】 「お願いに御座います! お願いに御座います!」 レムリア派遣軍司令部が通りかかった時、突然一人の男が叫びながら飛び出してきた。 男は手に短い棒を持っており、棒の先には何か紙が括り付けられている。 ……どうやら手紙の様だ。 「貴様! 何の真似だ!」 忽ち男は周囲の兵に取り押さえられるが、それでも男は必死に同じ言葉を繰り返している。 「まあ待て。何か我等に用があるのだろう」 「参謀長閣下!」 騎乗していた将校がやって来て執成すと、兵達は慌てて手を離す。 自由になった男は其の場で平伏し、御願いの儀が御座いますと告げた。 「進軍中の軍を止めるという事の意味が、分かっているのか? それ程の願いか?」 『進軍中の軍を止める』――言うまでも無く大罪である。 この世界でもそれは代わりが無い。いや、身分制度の厳しいこの世界においては、更に重い意味を持つ。 「……皆とは絶縁してまいりました。覚悟の上に御座います」 「では聞こう、言ってみよ」 【6-2】 帝國軍がレムリアに侵攻して直ぐ、帝國軍先遣隊にレムリア兵が襲い掛かってきたことがあった。 帝國軍の侵攻を快く思わない者達の仕業であったが、結局は返り討ちに終わる。 ……問題はその後だ。 先遣隊隊長は事実関係の報告のみを行い、先を急ぐ(彼の立場からして当然である)。 そして連絡を受けた連隊長は、軍司令部に報告するとともに、遺体の処理を適切に行うよう要請して、矢張り先を急いだ。 要請を受けた軍司令部は、付近の村々――この辺りは王領である――に後始末をするよう依頼し、それで良しとした。 だが、依頼を受けた村々は困り果てた。 依頼――彼らにとっては命令――では、『適切に処理せよ』とされていた。 『適切に処理せよ』 ……『適切』とはなんぞや? 帝國軍は、事実上の『王軍』である。少なくとも、このレムリア東部ではそうだ。 御代官もそう仰っていたし、諸侯方も認めている。自分達も、新しい王様は帝國なんだろうなと思っていた。 その『王軍』に刃向った彼等は、『逆賊』『大逆人』なのだ。 『大逆』とは、数ある罪の中でも最も重いものであり、その罪は一族郎党に及ぶ。 当然、墓なぞ立てて貰える筈も無い。 だから『埋葬する』などという選択肢は、始めから彼等の頭になかった。 「どう『処理』すれば良いのだろう? 放っておけ、という事であろうか?」 「いや、曝し首にしろという事ではないだろうか?」 「彼等の素性を調べて、報告せよという事では?」 御代官の所に使いを送ったが、矢張り『適切に処理せよ』としか聞けなかった(恐らく代官も、どう『処理』してよいか分からなかったのだろう)。 議論は紛糾し、結論は一向に出ない。 突然、末席にいる一人の男が発言した。 「埋葬して弔おう」 熱血漢の彼は、この会議を黙って聞いていられなかったのだ。 だが、その言葉は周囲の者達から大反発を受けた。 「お前は黙っていろ!」 「相手は大逆人だぞ! 何を考えている!」 「我等にまで、お咎めがくるぞ!」 彼等の不安は最もだった。 自分達の村の近くで起きたこの不始末。 もしかしたら、『手引きをしていた』と思われるかもしれない。死体の中には、見知った騎士や兵も多数いたのだから。 それに、末席にいる男が発言したことへの反発もある。 村の会合に出られるのは自作農のみ。 だが男は僅かばかりの畑を持つに過ぎず、後は他人の畑を手伝う事で糧を得ている『半自作農』に過ぎないのだ。 だからこの会合にいられるだけでも『過ぎた事』であり、分を弁えて大人しくしているのが筋なのである。発言などとんでもない。 ……だが男は、意見を変えようとはしなかった。 「ならば俺が帝國に直接聞こう。 ……ああ、心配はいらない。たった今からお前達とは絶縁する。」 【6-3】 「村々は困惑しております。どうか民を試すような真似は御止め下さい。そして死者には御慈悲を」 「……」 成る程。そういえば、この世界はこういう所だった。 参謀長は思わず頭を抱える。 死者の弔い。 弔うのは当たり前と考えていたが、『大逆人』となると難しいところだ。下手な判断はできない。 参謀長は考え込む。 この世界にきてから政治的判断、政治、政治の連続で、正直ウンザリしていた。 我々は政治家じゃあない、軍人だ! いいかげんにしてくれ! だがその心からのの叫びは空しく響く。 この世界においては、軍人とは行政官であり、司法官、ときに立法官でもあるのだ。とくに将官ともなれば、政治からは『絶対に』避けて通れない。 元の世界以上に、だ。 ……ああ、打って付けの奴がいるじゃないか! 突然、参謀長は、この問題を押し付けるのに丁度良い人物を思い出した。 「お前の願い、或る御方にお伝えしよう」 「……何故、私が」 参謀殿は自問する。 『典礼』参謀。その聞いた事も無いような役職が彼の仕事である。 要は貴族達との交渉役・接待役だが、馬鹿にしてはいけない。この世界では、大変重要な仕事(第2章参照)なのだ。 始めは『酒を飲んだり御馳走を食べるのが仕事』と陰口すら叩かれていたが、今ではそのような影口は一切ない。『あの人は命をかけて酒を飲んでいる』とすら言われている程だ。 恐らく『代わってくれ』(彼の代わりなどいないが)と言われても、誰もが首を横に振るだろうことは間違いない程の『激務』である。 ……グラナダに来てから、10キロ近く体重が増えた。毎日倒れる程運動しているのに。 このままでは酒のせいで死んでしまう。戦死ならまだしも、『酒のせいで』死ぬのは絶対嫌だ。絶対に生きてやる! 彼は悲壮な決意をしていた。 馬も車も拒否し、完全装備で行軍を続ける彼の姿は鬼気迫るものがある。 ……周囲の者も微妙に距離を置いている。 「典礼参謀!」 彼を呼ぶ声が聞こえた。 「? 参謀長、どうしました?」 「仕事だ」 【6-4】 村人達は畏れ入っていた。 あの阿呆! 本当に帝國軍に行き、あろう事か子爵閣下まで御連れするとは! 村に帝國子爵と名乗る御方が、突然数十名の兵を連れてやって来られた。 慌てて村中どころか近隣の村々の者まで集まり、ここで平伏している。 「皆、集まったか?」 「はい、集まりました」 代官が跪き答えた。平民達が答える訳にはいかないからだ。 「先程、直訴があった」 村人達はピクリと肩を振るわせ、他の村々の者は、『余計な事しやがって』という感じで彼等を睨む。 「皆の者を困惑させたようであったな。我等の不手際である、謝罪しよう」 「!」 これには皆驚いた。 やんごとなき方が平民に謝罪を? 夢でも見ているのだろうか? 「何を驚く? 我等とて間違いはある。だから今回のその男の非礼も許そう。 ……今回だけだが」 男は額を地に擦り付ける程に叩頭する。実際、死刑を覚悟していたのだ。 「改めて命じる。死者を埋葬し弔え。彼等は滅び行く旧王家に殉じた者達、ただの大逆人ではない。帝國は二君に仕えぬその忠誠を愛でよう。 ……代官!」 「ハッ」 「この者達に、埋葬の労賃として来年の年貢を軽くしてやれ」 「畏まりました。この者達も喜びましょう」 てっきり只働きだと思っていた村人達も、皆一斉に叩頭する。 「さて、その方」 再び男に声をかける。 「その方の死を恐れぬ諫言、嬉しく思うぞ。その方こそレムリア臣民の鑑である」 男は黙ったまま、再び叩頭する。 ここは公式の場。平民が答える事は許されないからだ。 「その勇気と忠誠に対し、褒美を与えよう」 子爵閣下はそう言うと、盆を持ってこさせた。盆には何か載せられている。 「銀十枚を与えよう」 「!」 下賜金を下賜された事自体、大変名誉なことであり、一生自慢できる。 ……が、それにしても銀十枚とは大金だ。 『銀一枚』とは、儀礼用の大銀貨のことである。正銀貨(10レムリア銀貨)十枚分で、額面価値は100レムリア銀貨だ。 ということは、銀十枚だから1000レムリア銀貨を下賜されたことになる。此れだけあれば、物価の高い王都でも家族五人が一年楽に暮らせるだろう。 実際は、大銀貨は希少でありその倍の価値があるため、『二年は暮らせる額』ということになる。 それだけではない。 下賜金には金、銀、銭の3種があり、金は貴族、銀は士族、銭は平民に下賜されるのだ。これは絶対の決まりであり、例外はない。 ……ということは。 「お前は今からレムリア士族だ。永代に渡り、レムリア士族を名乗るがいい」 「!」 「どうした? その方はもう平民ではないぞ? 黙っている必要はない」 「あ…… 有難き幸せに存じます」 男はそう言うのが精一杯である。死を覚悟してからの急展開に、頭がついてこないのだ。 夢でも見ているのではないだろうか? そうだ、そうに違いない。自分は今牢に入れられ、処刑を待っているのだ。 小作人に毛が生えたような貧乏農民の自分が、永代レムリア士族だって? 郷士様だって? 過ぎた夢だ。 「代官!」 再び、子爵閣下が代官を呼ぶ。 「ハッ」 「今後、この者の面倒を見てやれ。いろいろ戸惑う事もあろう」 「ハハッ」 運のいい若者だ。 代官は跪きながら思う。 確か、こいつは小作人に毛が生えたような貧乏農民だった筈。 だが今日からは郷士様。しかも永代士族の初代様だ。 『永代士族の初代』 これは重要な意味を持つ。 初代ということは、例えば養子に入れば、たとえその家が平民であっても、その家は永代士族になれるのだ! 普通の士族には無理な芸当だが、初代にならそれができる。 二代目以降はその『家』を守らねばならないが、初代は『家』を作る事ができるのだから。 平民の小金持ちの養子の口が殺到する事間違い無しだろう。 だから自分に『面倒を見ろ』と仰ったのだ。 ……やれやれ、これで帰れる。 子爵閣下、いや典礼参謀殿はそうぼんやりと考える。 彼は、この大時代的な芝居にウンザリしていた。 今回の一連の出来事はいい噂、帝國の宣伝になるだろう。『帝國は決して無慈悲な侵略者ではない』と。 災い転じて何とやら、である。 永代レムリア士族、安い物だ。帝國士族ならともかく、どうとでもできる。要は銀十枚で噂を買ったのだ。 だが甘いのはここまでだ。これ以上の甘さは、返って毒になる。 次に真似をする愚か者には、死を持って償わせることになるだろう。柳の下に二匹目の泥鰌はいない。 この仕事、何時まで続くのだろうか? 分かりきった疑問だが、考えずにはいられない。たとえ今後、これ以上忙しくなることはあっても、楽になることなど無いと分かっていても、だ。 ……矢張り、自分には向いていないな。この仕事。 それを聞いた誰もが否定するであろう言葉で、自分を慰めた。 そうする事しかできなかったから。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【7 旧レムリア王国、ガリア公爵領】 「そうか…… 彼等の遺領の相続が認められたか」 ガリア公爵は、安堵の溜息を吐いた。 『彼等』とは、帝國がレムリアに侵攻した直後に、刃を向けた者達のことだ。 「はい。正確には、彼等の封土は一旦『没収』し、改めて相続者に下賜する形ですが……」 「それでも良いさ。事実上の『旧領安堵』なのだ。先ずは目出度い」 ……相続者は帝國に対し、その『忠誠』を身をもって示さなければならないだろうがな。 ガリア公爵は、内心付け加える。 形式上、相続者達は何の功績もなく封土を下賜されることになる。しかも『叛徒の遺族』であることを不問とした上で、だ。 『御恩と奉公』の観念からいえば、彼等は帝國に対して、巨大な『御恩』が出来たと言えるだろう。 「はい。遺族達も、帝國の懐の深さに感激しております」 彼の胸中を知ってか知らずか、男は話を続ける。 「帝國はボンクラ王家よりも余程、人心の機微を心得ているようだな……」 思い出したくもない光景が、脳裏に蘇った。 そう、忘れもしない。 ……あれは謁見の間で東方総軍降伏の報を、王や他の廷臣達と共に受けた時のことだ。 その時王が示したのは、『東方総軍に対する怒り』のみであった。 ……それだけが王のため命がけで戦い、敗れ死んでいった者達への『報酬』だったのだ。 全身の血が逆流する程の怒りが駆け巡ったのを覚えている。 東方総軍には多くの一族が参加していた。東方総軍の主だった者は、皆身内と言ってもいい位である。 『これは我が一族、ひいては東方諸侯全てに対する侮辱である!』 王の死後、彼はさっさと自領に帰還する。多くの東方諸侯も、彼と行動を共にした。 王位を巡って下らない争いが起きる事が分かっていたし、もはや王家に愛想を尽かしていたからだ。 だが自領では、意外な物が彼等東方諸侯を待っていた。 帝國から、死者の武具が返還――未だ講和すらされていないのに、だ!――されていたのだ。 流石に修復こそされていなかったが、それらは皆丁寧に磨き上げられており、添えられた手紙には帝國軍司令官直筆で、東方総軍の健闘への惜しみない賞賛と、遺体を送れず埋葬してしまったことへのお詫びが記されていた。 余りの情けなさに涙が出てきた程だった。本来ならば、これはレムリア王がすべきことなのだから…… 『帝國はレムリア王家よりも余程、騎士の心を知っている』 東方諸侯の間に、そのような雰囲気が瞬く間に広がった。 そして王子共の『逃走』。 これには皆、怒りを通り越して呆れ果てた。 彼等は、自分達がしたことの意味が分かっているのだろうか? 何故、御付の中央貴族共は止めないのだ? ……まあいい。もうレムリア王国には何の未練も無いのだから。 今は、自分達が生き残ることを第一に考えなければならない。 これを境に、ガリア公爵は帝國との交渉を大きく変化させる事になる。『東方諸侯の独立とそれに対する支援』から、『東方諸侯の帝國編入』へと…… 王国の滅亡は、既に時間の問題となっていた。 次に起こるのは戦乱だ。先ずは無主の旧王領が狙われる。そして次は…… 我等、東方諸侯。 先の戦いで多くの兵を失った我等は、格好の獲物だ。これを防ぐには、東方諸侯全てが団結するしかない。 ……いや、それでも到底足りないだろう。弱った獲物には、大挙して敵が押し寄せるものだから。 やはり帝國の力を借りるしかない。帝國ならば、他地方の諸侯も抑えられる。 だが、帝國の力は無料ではない。 先ほど『相続者は帝國にその忠誠を、身をもって示さなければならない』と考えたが、それは当然自分達にも当てはまる。 当分、他の諸侯よりも供出兵力の少ない我等東方諸侯は、それこそ『帝國への忠誠』を売り物にするしかないのである。それこそ『犬』のように、だ。 そうでなければ、他の諸侯達の間で埋没してしまう。 ……また多くの一族が死ぬだろう。いや、死ななければならないのだ。 我等が帝國に払うことができるのは、『己の血』しかないのだから。 これは東方諸侯全体の総意でもあった。 不安材料はまだある。 いままで沈黙を保っていた、他の列強諸国が動き出したのだ。 彼等は囁く。『もし帝國と戦うのでしたら、力をお貸ししますよ?』と。 そして資金や物資の提供を申し出た。 ……だが、奴等の魂胆なぞ分かりきっている。 恐らくは、帝國の『足止め』『消耗』『対抗戦術の研究』といったところだろう。 我等を捨石、実験台にするつもりなのだ! 奴等はレムリアを焦土にしてでも、帝國を足止めする気だろうが、そうはさせるか! 一刻も早く、帝國の下でレムリアを安定させなければならない。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【8-0】 レムリア派遣部隊を乗せた船団が、洋上を進んで行く。 途中で一群の艦船が分離した。 本隊はツーロンへ、そして別働隊はボルドーへ…… 本隊は、近衛師団を主力としたレムリア派遣軍増援部隊とレムリア総督府前遣隊。 そして別働隊は、鉄道連隊2個と多数の支援部隊から成る『帝國レムリア鉄道』の諸隊である。 【8-1】 『帝國レムリア鉄道』とは、今回新たに創設された組織であり、帝國の大陸政策の大転換を象徴する組織でもある。 転移により帝國は、元いた世界で保有していた植民地を始めとする全ての権益を失った。 それこそ長年に渡り投下してきた莫大な投資――資本はおろか血まで含む――が、一瞬で無駄となったのだ! それ故、帝國にとって植民地経営は一種のトラウマとなっていた。 これは現在でも尾を引いており、『資源開発』や『神州大陸(帝國本国近くの巨大な無人島)開発』――植民地から放り出された人々と食糧生産の為に必要不可欠――を除き、大規模な開発は一切行われていない。 何しろ、『神州大陸』以外への民間人の移動すら許されていない程の徹底振りである。 大陸に獲得した領土(直轄領)も戦略上の要衝や資源地帯のみであり、その開発も上記の様に資源開発関連――採掘施設の建設と輸送路の確保――位のものだ。 ……まあ、『それ以上は、時間も金も資材も人も余裕が無い』という理由もあったが。 その直轄領における輸送の主力となったのが鉄道であり、その鉄道を管理するために設立されたのが『帝國大陸鉄道』である。 『帝國大陸鉄道』は旧満鉄と軍の出身者からなり、全ての帝國直轄領における鉄道を整備・維持・運行する組織だ。帝國本土に中央本部があり、ここが各直轄領支部を管理統制している。 もちろん全て中央からの指示で動く訳では無いが、中央で一元的に管理されていることは確かである。これが可能なのも、各直轄領支部が小規模だからであろう。 現在、帝國直轄領は辺境地域、それも沿岸部(精々海岸100キロ以内)のみに留まっている。辺境地域に限っているのは『資源地帯を早期に確保する為』、沿岸部に限ったのは『資源開発と輸送の便を考慮した為』だ。 このため、各路線も一線20〜50キロ、最長でも100キロ程度とかなり短いのである。 それでも直轄領の増加とともに『帝國大陸鉄道』は拡大を続け、現在では総距離1000キロ超を誇るまでに成長していた。 帝國大陸鉄道の仕事振りは、十分満足すべき物だった。 現在では、各資源地帯と港を結ぶ鉄道は、職人芸の様な過密ダイヤルで連日ピストン輸送されているのだ。 彼等は短時間の内に、直轄領における鉄道網――『最低限の』ではあるが――を作り上げたのである。 帝國は満足し、海外領土における全ての鉄道を彼等に任せること対して、何の疑問も不満も感じていなかった。 ……レムリア併合決定までは。 【8-2】 ――レムリア併合―― この決定は、いままでの帝國の直轄領(植民地)経営方針を吹き飛ばすことになる。 『人口5000万超、総面積100万平方キロ超』という大レムリアの帝國編入は、それだけの衝撃があったのだ。 諸侯領がその六割とはいえ、これだけの大国を支配するには、今までの方法では通用しない。 あまりにも規模が大きすぎ、全てが見直しを迫られた。 鉄道もその一つである。 レムリアの四大街道をカバーするだけでも、数千キロの鉄道建設を必要とする。 最大の街道である南方街道(王都〜ボルドー間)では1000キロ超。これだけで今までの建設距離に匹敵する。到底支部レベルでは管理しきれないだろう。 だが中央は遥か遠くにあり、他にやるべきことが山とある。 ここに至り、帝國はレムリアにおける鉄道組織を独立させ、帝國大陸鉄道と同格の組織とすることを決定した。 『帝國レムリア鉄道』の誕生である。 『帝國レムリア鉄道』の母体は旧満鉄陣。 広大なレムリア――ひいてはガルム大陸全土――の鉄道を管理するのには最適といえるだろう。 ……技術的には。 ……大丈夫か? この声は当初からあった。 技術的、経営的な能力についての疑問ではない。彼等の余りにも強い『独自性』を懸念しての声だ。彼等の暴走を恐れていたのである。 だが彼等位しか適任者はいないのだ。選択の余地など無い。軍から監視役を送リ込むことで、妥協せざるを得なかったのだ。 彼等の最初の任務は、『旧王都と各地方(東方、西方、北方、南方)主要都市を結ぶ鉄道の建設』。 とりあえずは建設区間も限定され、南方街道こそ完全にカバーされるが、他の三街道は『旧王都と各地方の中心都市(東方ならマルセイユ)を結ぶだけ』とされた。 ……それでも数千キロに及ぶ大工事であるが。 最初に建設されるのは、王都〜ボルドー間。 ボルドーが南方最重要都市とはいえ、南方街道のみフル建設されるのには理由があった。 表向きこそ『ボルドーは王国第二の都市であり、王国最大の港町であること』『街道が最も整備され、重要性が最も高いこと』がその理由とされたが、最大の理由はボルドー商人――ひいてはメディチ家――にある。 ボルドーが『レムリアの玄関』を独占する為には、他の港町(例えばツーロン)にまで鉄道を敷かれては困るのだ。 彼等は『他の三街道のフル建設中止』と『王都〜ボルドー間の最優先の建設(もちろんボルドー側から)』を要求した。 これが今回の諸事情、その真相である。 帝國にとって、ボルドー商人は重要なスポンサーだ。 どうせ全街道フル建設は当分――少なくとも資源に余裕が出来るまでは――無理だし、する気もない。始めから『王都〜その地方の中心都市まで』とされていた(これだけで距離が数割短縮される)のだ。 邦國である(直轄領ではない)ボルドーにまで正規の鉄道を敷くこと対して異論もあるが、止むを得ないだろう。どうせどこか一路線は、港町まで敷く必要があったのである。 『ならば、ボルドー商人の要求を受け入れたかのように、ボルドーから工事を行えばよいだろう』――そう帝國は考えたのだ。 かくして十年はかかるであろう大工事が決定され、新たに創設された帝國レムリア鉄道が、ボルドーに送られることとなったのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【9 旧レムリア王国、マルセイユ】 東レムリア最大の――つまりレムリアでも有数の――都市にして、東方経営の拠点である。 ここに帝國軍は、侵攻後僅か数日で到達した。 もっとも数日で到達したのは、機械化されている先遣隊だけである。 何せ帝國レムリア派遣軍は、前衛こそ機械化された戦車連隊だが、大部分は徒歩部隊なのだ。彼等はただひたすら歩くしかない。 それでも侵攻後十日目には、本隊もマルセイユに到達している。 これは進軍が実に順調――侵攻初期にこそ小競り合いがあったものの――なものだったためだが、レムリアの道路事情の良さも無視できないだろう。 主要四大街道は、軍の重型戦竜部隊の『突進』にも耐えられるほどの強度と広さを有しており、それに準じる街道でも、やはり重型戦竜部隊の『行軍』や四〜六頭立ての重馬車に耐えられるように設計されているのだ。 ……何という先進的な道路網だ、帝國とは比べ物にならない! 帝國軍司令官は、驚きを隠せないでいた。 道路もそうだが、都市(マルセイユ)も先進的だ。 マルセイユは東レムリア最大の都市とはいえ、帝國ならば地方都市程度の人口規模に過ぎない。 だがきちんと計画し整備されたこの都市は、実際の規模よりも遥かに大きく見え、列強レムリアの東方拠点に相応しい風格が漂っている。 政府が、帝都の大開発に乗り出したのも頷ける。始めは『何と無駄なことを』と思ったものだが…… 苦笑する。 彼は、今まで帝都大開発に否定的だったが、どうやら宗旨替えするしかなさそうだった。 帝都大開発とは、帝都をこの世界における『超大国の首都』として相応しい――胸を張って海外からの要人を招くことが出来る――ように、『一から作り直す覚悟』で再開発する大計画だ。 何しろ、千代田区を全て国有化(!)して官公庁の町として作り直すことを手始めに、『帝都全域に区画制を導入、合わせて緑化、道路網の整備等を行う』という、政府に強大な権限がある今しかできないであろう壮大な計画だ。 計画そのものは転移後数ヶ月には既に検討されていたが、実際に着工したのは今年(昭和18年)も半ばに入ってのことである。 その完成には、数十年の歳月が必要とされていた。 この計画に賭ける政府の熱意を示すのに、有名なエピソードがある。 帝國は、海外からの要人を受け入れるのは、帝都の開発が終了してからにしたい。 ……しかし、当然そんな事は不可能である。 ではせめて、千代田区の官公庁街が完成してからにしたいが、これも十年近くかかるのでやはり無理だろう。 伸ばせるのは精々三年だ。この三年で、できる所――皇居の拡張・再整備完了が絶対条件だが――までやるしかなかった。 ここで帝國は、思い切った決断を行う。 戦車工廠に対し、建設作業車の製作を命じたのだ。 建設作業車の母体になったのは一式中戦車(!)。制式化されたものの、未だ量産されていない最新鋭の戦車だ。 これはその大馬力を見込まれてのことだが、今までの帝國からは想像すらつかない大技である。 ……やはり『転移』は、帝國の『何か』を変えたのだろう。 とにかく100両以上の作業車が発注され、工廠は本来の戦車生産すら一時停止して、その製作にあたることになった。 帝都大開発だけではない。 現在、帝國は大事業をいくつも平行して行っている。 『帝都大開発』『全国の道路網整備』『神州大陸開拓』『海外資源地帯開発』等、挙げればきりが無い。 これ等にかける労力に比べれば、転移後の戦争など、はっきり言って全て片手間の様な物だ。 今まで軍と戦争に投下していた莫大な金と人員が、開発に雪崩れ込む。 このケインズの経済理論をそのまま写したかのような政策は、帝國全土に未曾有の好景気をもたらしていた。 昭和17年後半から始まった経済成長は、毎月のようにその成長率を更新していく。まるで第一次世界大戦中の好景気を思い出すようだと、懐かしむ者さえいる程だ。 だが第一次世界大戦中の好景気とは、大きく異なることがある。 この好景気は『外需』ではなく、全てが『内需』によって持たされているのだ! そして帝國の開発計画は、まだまだ始まったばかりである。 この景気は、まだ『入り口』に過ぎない! 多くの経営者はそう確信し、更に投資をしていく。 帝國政府は既に膨大な債務を抱え込んでいたが、誰もそれを不安視していなかった。 政府には、膨大な資産があるじゃあないか! そう。帝國は膨大な――それこそ自分だけでは到底消費不可能な程の――埋蔵量を誇る資源地帯を幾つも抱え込んでいる。 将来生産が軌道に乗れば、一体どれ程の富をもたらすだろう? 想像もつかない程だ。 ……現在の帝國は、その資金の捻出にのた打ち回っていたが。 転移直前と比べ、あらゆることが好転している現在。 そして繁栄が約束されている(であろうと考えている)薔薇色の未来…… 國民は熱狂し、酔いしれていた。 ……しかし当の政府(閣僚や軍・官僚の高官)では、そんな楽観的な見方の者など極少数派に過ぎなかった。 彼等は、時間と備蓄資源の減少を横目で見ながら行動している。その彼等から見れば、現在の帝國はまさしく『綱渡りの状態』以外の何者でもなかったのだ。 『今回のレムリア平定、一歩間違えれば命取りになりかねない!』 一歩間違えれば、帝國は元いた世界と同じ状況に陥るだろう。 ――これが政府と軍の共通認識だ。 主要な港と資源地帯のみを押さえ、後は海外交易で富を得ようと考えていた帝國は、いつのまにかレムリアの広大な大地に足をとられつつあったのだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【10-1】 マルセイユ到着後、帝國軍司令官が最初に行った仕事は、『東レムリアの要人達との会見』だった。 彼等は、東レムリアにおける『旧』王国官僚や諸侯の中でも屈指の実力者達である。帝國がレムリアを円滑に統治する上で、彼等の協力と支持は欠かせない。 ……もっとも、既に調略(事前合意)は済んでおり、今回の会見はあくまで儀礼的なものでしかなかったが。 「閣下、帝國の寛大なる御処置に感謝します。我等一同、ここに帝國への忠誠を誓います」 マルセイユ行政府長官(市長)が、東レムリア官僚を代表し、感謝と忠誠の意を表す。 既に帝國は、レムリア統治に当たって、旧王国の行政機構をそのまま流用することを決定・表明している。 一応、形式的には『改めて帝國が雇用しなおす』という形ではあるが、帝國統治後も彼等の身分と仕事に何ら変化はない。 「帝國爵位の下賜に感謝します。我等東方諸侯、帝國への忠誠を誓います」 今度は東方諸侯を代表して、ガリア公爵がやはり帝國への感謝と忠誠の意を表す。 帝國は、『旧』レムリア王国貴族・士族の身分や領地を保障している。 更に、高位のレムリア貴族に対しては、帝國爵位を下賜することすら決定していた。 特に諸侯に対しては、『王』として邦國の創設を認めており、今後大量の邦國と帝國貴族の誕生が予想されていた。 これ等の決定が意味することは唯一つ。 『帝國は旧王国を事実上存続させる』ということだ。 王は旧王家から帝國に変わるが、ただそれだけだ。便宜上総督府が創設されるが、最高レベルでの意思決定機関――それも『抜かずの宝刀』の――でしかない。 ……少なくとも、帝國政府はそう考えていた。 帝國は、自分自身でレムリアを統治する気など、更々無かったのだ。 今回の官僚、諸侯両者の公式な忠誠表明により、実質的にも形式的にも、東レムリアは平定されたことになる。 侵攻後、僅か十日目のことだ。 驚くべき早さである。 「いえ。これも貴方方の帝國への忠誠が高く評価されてのことです。これからも、その忠誠に期待していますよ」 帝國軍司令官は、鷹揚に頷いた。 幸先の良いことに、一兵の損失も無く第一段階が終了した。 ……第二段階(王都制圧)も、この調子で進んで欲しいものだ。 「時に閣下? 『旧』王都への出撃は何時頃に?」 ガリア公爵が尋ねる。 『旧』などと躊躇いもなく言う所を見ると、最早王国に何の未練も無いらしい。 「ツーロンの部隊が到着してからになります。そうですな…… 道路状態も良好ですから、明日には到着できるかと」 「ツーロンからここまで、一日でですか!?」 「ええ。近衛師団は、完全に機械化されていますから」 「機械化? ……いえ、今何と仰いました?」 「? 『近衛師団は完全に機械化されていますから』と言いましたが?」 「近衛ですって!」 ガリア公爵は、悲鳴にも似た叫び声を上げた。周囲も驚愕の表情を浮かべている。 彼等の驚きも無理は無い。 彼等にとって『近衛』とは、王を守るためだけに存在する軍なのだ。そうホイホイと気軽に出てくる軍ではない。 「何故、近衛が出てくるのです?」 「陛下が『総督』にお付けしたのですよ。大変心配しておられましたからね。」 総督とは、新たに創設されたレムリア総督のことだ。 ただし、諸侯領は邦國として独立するため、その支配地域は旧レムリア王領と直参騎士領のみ――それでも旧王国の六割に達する――である。 「……その総督閣下とは?」 行政府長官が震えた声で聞く。 ……矢張り、陛下に御すがりしたのは正解だったな。 そう思いながら帝國軍司令官は答えた。 「帝國で、第二皇位継承権を持つ御方です」 暫くの間沈黙が流れた。皆、言葉の意味を反芻していたのである。 「何故、そのような高位の御方が!?」 当然の疑問だ。レムリアは完全に平定された訳ではない。未だ『戦地』なのである。 『万一』の可能性も否定できないし、そうなったら自分達にも類が及びかねない。 「……レムリアに対する敬意の表明ですよ」 まさか、『近衛を送る理由付けです』とも言えず、当たり障りのない言葉を選ぶ。 実際彼も困惑しているのだ。 『宮様を総督として派遣する』とは聞いてはいたが、まさか…… 後で聞いた話だが、宰相の報告を聞いた陛下は『他の者にだけ、危険な任務を押し付ける訳にはいかぬ』と現総督を任命されたそうだ。 陛下の御意思を聞いた宰相は卒倒し、侍従長らは必死にお諌めしようと大騒ぎだったらしい。 ……しかし結局御意思は変らず、このような仕儀となった。 「我等は。総督を奉じて王都に向かいます。馬廻りはもちろん近衛」 今回の決定を受け、近衛師団の士気は非常に高い。『これぞ近衛の本懐!』なのだそうだ。 今回の王都進撃に参加するのは、近衛歩兵第一連隊を中核とする増強連隊1個であり、完全な総督護衛任務である。 他の近衛部隊は東レムリアに留まり、その機動力を活かした後方・補給路警備を行う。 「先陣は戦車……ああ、『鉄竜』連隊」 グラナダ戦役で竜騎士団を完膚なきまで叩きのめした『鉄竜』連隊の勇名は、既にレムリア全土にまで広がっている。 「そして主力は第二師団と……」 そこで言葉を一旦切り、周囲を見渡す。 「貴方方、東方諸侯」 「!」 帝國の第二皇位継承者を奉じ、王都進撃。 これは大変名誉な事である。帝國への忠誠を示すのにも丁度良いし、手柄を立てる良い機会だ。 それだけではない。 他の諸侯に先駆けて、帝國と共に――しかも帝國の第二皇位継承者を奉じてだ!――王都に入城すれば、連中への良い牽制にもなるだろう。 「お任せ下さい! 我等東方諸侯、総督閣下に指一本触れさせませぬ! 我等の働きとくと御覧あれ!」 「期待していますよ」 帝國軍司令官は満足気に頷いた。 実際、彼等の精強さはグラナダ戦役で、嫌というほど味わったのだ。 彼等は興奮して去って行った。 おそらく出撃準備を整えるつもりなのだろう。こちらも準備をしなければ。 「閣下」 そこまで考えた時、副官が彼を呼ぶ声が聞こえた。 「何か?」 「面会希望者です」 【10-2】 「面会希望者? 約束も無いに貴様が取り次ぐとは、一体何者だ?」 帝國軍司令官は首を捻る。 彼のような超VIPに、飛び込みで面会を要求するなど、この世界の『常識』からして考えられない『暴挙』だ。 そしてそのような『無礼者』を、副官が取り次ぐことは、余程のことがない限りまず有り得ない。 「いえ、それが……」 副官が口篭る、 「レミ教の高位神官です。最高神官からの使いだそうで」 「レミ教!? ……旧王国の国教が何の用だ?」 レミ教とは、旧レムリア王国の国教であった宗教である。 ……とはいえ、レミ教はお世辞にも『この世界における主要宗教』とは言えない、大レムリアの国教としてはおよそ相応しくない弱小宗教だ。 大体レミ神自体が、主神どころか大神ですらない、只の一地方神に過ぎない存在でしかないのだ。 それが何故、大レムリアの国教になれたのか? それはその『弱小さ』故である。 レムリアの位置するガルム大陸は、『この世界では最も宗教の力が弱い地域』として有名――だからこそ帝國に狙われたの訳であるが――だ。 これは元々の土着宗教が穏やかなものだったこともあるが、歴史的に各国が宗教に対して厳しく対処し、決して妥協しなかったためであろう。 特に旧レムリア王国は、宗教に厳しく対処したことで有名だ。 『坊主は政治に口出しするな! 学問だけやっておれば良いのだ!』 『あれは坊主ではない、ただの反逆者だ! 神殿を城代わりに立て篭もっているではないか!』 ……これは、旧レムリア王国初代国王の宗教に対する発言を抜粋したものである。 彼は、宗教と血みどろの戦いを繰り広げ、遂に宗教の非武装化に成功。以後、レムリアでは宗教は、王国の厳しい監視下に置かれることになった。 そして各宗教は王国により分断され、互いに敵対し、王国からの様々な『飴』により骨抜きにされていく。 レミ教は、このレムリアの一地方で生まれた、比較的新しい宗教――レミ神自体は昔から知られていたが――だ。 初代国王時代では、それこそ新興宗教の域をでていない存在でしかなかった。 ……『だからこそ』、最適だったのだ。 レミ教は、『入信』した王国家臣団により、急速に乗っ取られていく。 教祖死亡時には、実に神官団の過半が、王国家臣団によって占められていたのである。 こうしてレムリア王は、レミ教を制したのだ。 ならば何故、レムリア王は『皇帝』(国王と教皇を兼ねる)とならなかったのだろうか? それは、王国がレミ教をとことん利用していたためである。 レムリア王はレミ教を各国に進出させ、それを隠れ蓑に諜報活動――時には破壊工作すら――を行っていた。 流石に、レミ教教皇をレムリア王が兼ねるには、いろいろ都合が悪過ぎたのだ。 兎に角、こうしてレミ教は、傀儡としてではあるが、レムリア王国とともに栄えることになった。 ……しかし既に王国は崩壊し、最早レミ教はレムリアの『国教』ではない。 『国教』としての箔だけでなく、様々な恩恵や莫大な寄進先までも失ってしまった。 これからは、文字通り一から自力でやっていかなければならないのだ。 しかし問題がある。 信者の大半は王国貴族や士族なのであるが、彼等はこれからもレミ教信者でいてくれるだろうか? 現実的に考えれば、レミ教を捨て去る可能性が高い。彼等はその大半が、ただ『国教である』というだけでレミ教に入信したのだから。 レミ教は、存亡の危機に立たされていた。 おそらくこの危機感が、今回の訪問と関係しているのだろう。 ……だが、レムリアの各宗教とは、既に協定を結んでいる筈だが。 帝國軍司令官は考える。 レムリア王国の宗教は弱体とはいえ、帝國もこれらを無視するほど愚かでは無い。既に各主要宗教とは、基本事項に関しては合意しているのだ。 「申し訳ありません。下手な扱いもできませんし、典礼参謀殿より緊急の報告がありましたから」 「典礼参謀から?」 「はい、これです」 副官が紙を渡す。 それには、『レミ教の使者が来るだろうから、とりあえず話を聞いてやって欲しい。また決して提案を断らずに『検討する』と言って欲しい』というような意味の文が記されていた。 そして見逃せない文が、最後に書かれていた。 そこには『典礼参謀』ではなく、『陸相附典礼補佐官』と記されていたのである。 ……つまりは、『そっちの仕事』か。 典礼参謀は、形式上は彼の部下である。 しかし本来は、陸相(つまり宰相)直属の『典礼補佐官』なのだ。 彼には立場上、いろいろな情報や嘆願が回ってくる。それらを吟味して大臣に直接報告するのが、彼の『本当の仕事』なのである。 あいつが補佐官として動くとなると、余程の内容のようだな。 そう判断した司令官は、副官に答えた。 「いいだろう、会おう」 【10-3】 「閣下、お忙しいところ申し訳御座いません」 レミ教の高位神官が、深々と頭を下げる。 「いえ、ですがどの様な御用件で?」 帝國軍司令官は、とり合えず来客用の笑顔でそれに応じた。 「はい、我等がレミ教のことで御願いがあって参りました」 「願い? ですが各宗派とは、既に基本事項に関しては合意している筈です。我々としては、レミ教のみを特別扱いする訳には……」 もうお前達は、『特別』じゃあないんだよ。 そう言外に含めて言う。 帝國は侵攻以前からレミ教を除くレムリア各宗派と接触し、交渉を重ねていた。 しかしレミ教は、国教としてのプライドか王国への義理立てかは分からないが、一切の交渉に参加しないでした。 彼等がようやく交渉の席に着いたのは、実に『帝國のレムリア侵攻後』。まさに合意直前のことであった。 この席でレミ教は、元国教として優遇を求めたが、そんな物が今更通る筈も無い。 結局レミ教は、レムリア主要宗教のひとつとして、帝國との合意文章に署名することになった。 合意した項目は、以下の通りである。 @帝國及び各宗派は、今後定期的に『会合』を行ない、情報交換を行なう。 A各宗派は、帝國のレムリア統治を認め、帝國に対して敵対的又は不利益になるような行動をとらない。 B各宗派は、ダークエルフの存在を『黙認』し、その排斥に関わらない。ただし、帝國もレムリアにおいて、ダークエルフを『公式』には活動させない。 C帝國は、各宗派の宗教活動を阻害しない。ただし、その活動が上記第2項に反する場合は、この限りではない。 D帝國は、各宗派が現在所有する財産を保証する。 E帝國は、レムリア各宗派を公平に扱う。 この6項目が合意事項だ。 一見は簡単な合意事項ではあるが、その内容は見逃せない。 例えば第1項の『会合における情報交換』。これは各宗派が、帝國に対して情報提供者となることを意味している。事実上の統治協力だ。 彼等は、『帝國の統治を邪魔しない』という中立的な立場ではなく、積極的――『どちらかといえば』という程度ではあるが――に帝國の統治を支援することを表明したのである。 第3項も見逃せない。 『お互いダークエルフ問題を持ち出さない』という意味の協定ではあるが、彼等はついにダークエルフの存在を文章――非公開だが――で正式に『黙認』したのだ。 レムリアが宗教戒律の緩い『穏やかな地域』であり、今回の合意も制約が多いことを考えたとしても、これは偉大な『第一歩』と言えるであろう。 ……ちなみに第6項は、最終段階で付け加えられた項目である。レミ教代表の優遇要求に対して強い不快感と不信感を示した他宗派からの強い要請により、文章化されたのだ。 これによりレミ教は、正式に国教から転落したことが確認されたのである。 だが神官は、皮肉を気にした風も無く――少なくとも外見は――話を続けた。 「レミ神を、帝國神の一柱として認めて頂きたい」 「はあ!?」 思わず素っ頓狂な声を上げた。 レミ神を帝國の神々に? ……こいつは何を言っているのだ? 「実はレミ神について、重大な事実が判明したのです!」 「ほう?」 内心怒り五割、呆れ五割で話を聞く。典礼『補佐官』からの報告が無ければ、怒鳴りつけて追い返していた所だ。 「レミ神が、『異界の大いなる神々の一柱』だという事実は有名な話ですが、その『異界の大いなる神々』とは、帝國の神々だということが判明したのですよ!」 「…………」 帝國軍司令官は、得意気に話す神官を前に、こめかみを抑えた。 要は、『レミ教を神道の一派として認めろ』ということだろう。 ……何と虫の良い。 確かに、帝國にも全く利益が無い訳でも無い。 この世界の宗教を取り込めば、『異界の帝國』といった悪感情も薄らぐかもしれない。 ……だがそれ以上に、他宗派からの反感を買う事必至だろう。 そもそもこれは、取引とすらいえない! レミ教が得るのは利益のみ。不利益はあっても極小さなものでしかない。 だが帝國は、得る利益は小さく、不利益の方が遥かに大きいのだ。 巫山戯やがって! とはいえ、『補佐官』からの要請である。 無下に断るわけにもいかない。 「私の一存では、何とも言えませぬな。神祇院に照会してみましょう」 とりあえず、そう答えるのが精一杯だった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【11】 出撃を明日に控えた夜になって、ようやく典礼参謀が帰還した。 「中佐。何故、あんな奴を寄越した?」 帝國軍司令官は、典礼参謀が帰還するとすぐに呼び出し、詰問する。 「閣下、今は揉め事を起こしたくないのですよ」 司令官直々の詰問に対して、典礼参謀はいかにも『仕方が無い』といった風情で答える。 「……それが理由か?」 帝國軍司令官の声が、一段低くなった。 ただそれだけ理由で帝國軍司令官と直接対談――しかも飛び込みで――とは、過剰待遇も過ぎるだろう。 「……彼等は、『喰えなくなる』ことを恐れています。ですから顔を立ててやり、落ち着かせる必要がありました」 ……思いがけない返答が返ってきた。 「? ……権力保持のためではないのか? 第一、資産なら沢山あるだろう!?」 何といっても大レムリアの国教だったのだ。資産は豊富の筈だ。 「彼等の資産は、事実上国有です。連中は名誉こそ与えられましたが、権力や富からは徹底的に遠ざけられていましたから。まあその辺は流石ですね」 レミ教は、その運営に関して厳しく管理されており、教団運営は政府の役人が代行していたのである。よってレミ教の聖職者達は、レミ教の資金運用に対して口を出すことが出来ず、自分達の俸給ですら政府から渡されていた程だ。 また国教であることから、レミ教の聖職者達は『役人に準じる存在』とされ、付け届け等も厳しく制限されていた。 「それにしても、『喰えない』というのは……」 あまりの言葉に絶句する。 「申し訳ありません。言い方が悪かったようです。つまり『禄』を失うことを恐れているのですよ。特に末端の連中は、禄を失ったら即喰えなくなりますから」 「禄? ああ、成る程」 上記の様に、レミ教神官の給料は王国から支給されている。 ということは、王国が無くなれば当然禄も無くなる(資産は『国のもの』だ)と言うことだ。 騎士なら、帝國が家禄を保証し支給するが、国教でなくなった彼等には…… 「では、レミ神が『帝國の神』というのは?」 確か、『異界の大いなる神々の一柱』とか何とかいっていたが。 「それについても調べました。胡散臭いですが、シュヴェリン王国の例もありますから」 シュヴェリン王国は、王家が帝國人の血を引いている事で有名な国である。 「で?」 「結論から言えば、真っ赤な嘘…… とまでは言い切れせんが、かなり強引な結論ですね」 『やれやれ』といった感じで、典礼参謀は話す。 「まあ、『レミ神は異界の大いなる神々の一柱』というレミ教教祖の発言自体は本当にあったようですが、これはどうやら『他の大神を祭る宗派から、レミ神を属神扱いされた』際の発言のようです。売り言葉に買い言葉という奴でしょうね」 それを聞いた帝國軍司令官は呆れて果た。 「そんな下らん理由か!」 「それと現在のレミ教ですが、殆ど形式化・儀礼化しています。入信者も他の宗教と二足草鞋を履いている連中が多く、最早宗教とはいえません。国教でなくなれば早晩衰退するでしょう」 「じゃあどうする? まさか連中の提案を受け入れる気か?」 「レミ教教団は解散とし、神官はレムリア騎士として新たに召抱え、禄と仕事を与えたらどうかと。 ……インテリは困窮すると、碌なことをしませんから」 「仕事もか?」 「はい、インテリは暇になると、碌なことを考えませんから」 「それで納得するか?」 一つの教団を解体するのは、なかなか容易ではないだろう。 「その時は、『帝國の神を僭称した』と脅します。徹底的に調べれば、幾等でも粗は見つかりますから」 『飴と鞭』という訳だ。 「他の宗派にはどう説明する?」 「『レミ教教団は解散とする』――これで十分ですよ。もう彼等は、神官では無くなるから合意にも反しません」 ふむ。 軍司令官は腕を組む。 『本来の仕事』の合間にしては、随分と手際がいい。 こいつ中隊長時代はそんなに優秀だったか? 副官――彼の同期だ――の話では『可も無く不可もなく』だった筈だが。 「それで、『本来の』仕事はどうだった?」 取り合えず話題を変える。 「はい。大半の諸侯は、既に帰順したと見て良いでしょう。 ……怪しい、腹に一物ありそうな連中もいますが」 「かまわんさ。そういう連中は、こっちが圧倒的な力を持っていれば大人しいものだ。むしろ、下手に正義感を持っている連中の方が始末に負えない」 帝國軍司令官は笑いながら答えた。 「旧王軍は、諸侯が握っているので自動的に恭順します。特に飛竜騎士団は完全に抑えました。」 「それはよかった」 帝國軍がもっとも警戒しているのは、飛竜騎士団なのだ。 「ですが、問題が一つ」 「何だ?」 「レムリア海軍の動静が、未だ不明です。しかも一部の部隊の行方が分からなくなっています。現在、有力諸侯を通じて働きかけていますが……」 「海軍はなんと?」 レムリア海軍の制圧は、海軍の担当の筈だ。 「……『帆船が何隻いなくなろうが、問題ない』だそうです」 「グラナダの時といい、あいつら!」 彼は、海軍の言い訳を全く信用していなかった。グラナダ戦役での経験から、『海軍はアテにならない』ことを、嫌という程学んでいるのだ。 だが現在の所、陸軍ではどうしようも無い。精々政治ルートを通じて恭順を呼びかける位が精一杯だろう。 「王子共は?」 「いろいろです。あちこちの貴族の間を渡り歩いている者、諸侯に檄を飛ばしている者…… まあ、未だ王位を諦めていない所は、共通しているようですが」 「……まだ、そんな夢を見ているのか? さっさと恭順すれば、捨扶持位は保証してやるものを」 「諸侯からは、完全に黙殺されているようですね」 「そりゃあそうだろう」 今の所、王子共は放っておいていいだろう。少なくとも王都入城までは。 王都入城迄の間の行動で、今後の彼等の待遇を決定する。 「それだけか?」 「そういえば、ボルドーで満鉄の連中が妙な事をしていましたよ?」 典礼参謀が意味ありげに言う。 「……放っておけ」 「では閣下も?」 「そうだ、広軌派さ」 成り行き上、帝國はレムリアを支配することになった。 レムリアを無事平定すれば、北東ガルム大陸文明圏で帝國に従わぬ国は、一部の山岳辺境国家か狂信的な宗教国家位となるだろう。 帝國は九大文明圏の一つ、北東ガルム大陸文明圏を事実上統一したことになる。 旧レムリア属国、大陸同盟諸国も合わせると、支配人口は実に9000万以上! 1億に迫る。 この広大な大地と人民を支配するには、鉄道――それも輸送力の大きい――の力が不可欠だ。 幸い、良好な道路網が整備されているので、取り合えず主要街道に鉄道を建設すれば何とかなるだろう。 問題はその鉄道の輸送力、つまり線路の幅だった。 以前、帝國レムリア鉄道の線路の幅を巡り、大論争が起こった。 一応、本国と同様の3フィート6インチの狭軌で決着がついたのではあるが、未だに不満(特に陸軍)が燻っている。 彼等は、最低でも標準軌を主張していた。 「戦車も運べん鉄道に、用は無い」 「……連中、5フィート以上の物作ってましたよ。何でも、ソ連の鉄道よりも広げるそうです」 「何? もう作り始めている……5フィート以上だって!?」 てっきり標準軌だと思っていたのだが。 どうやら彼等は、ソ連式の広軌鉄道を作っているらしい。広げるのは、国防上の問題――流石に気にしすぎの感があるが――だろうか? それとも理想を追求しているのだろうか? 「後で、問題になるのでは?」 「中佐、内陸部には『何が』いると思う?」 帝國軍司令官が、不意に尋ねる。 「内陸部に、ですか?」 世界的に見れば北東ガルム大陸文明圏は、数ある大陸の一つ、ガルム大陸の北東部を占めているに過ぎない。 そして同じ北東部でも、内陸部深くには前人未到の密林・山岳地帯が広がっているのだ。 「『野生の』獣人は、『都会の』獣人の比ではないだろうな。他にもどんな種族や生物がいるか、分かったものじゃあない。 ……場合によっては、列車砲も必要となるかもしれんぞ? それが戦車も運べんようでは話にならん」 「……確かに」 典礼参謀は頷く。 この世界に来てから、いろいろ非常識な生き物、出来事に出会ってきた。『魔族がいる』と言われても、直ぐには否定できない。 「とにかく、レムリア鉄道は『広軌』とする。これは我等レムリア派遣軍だけではない、大陸派遣軍の総意だ」 ……そこまで話が大きくなっているのか。 司令官の話に驚愕する。 近頃、広軌派が急増しているとは聞いていたが…… これ程大掛かりな話だ。派遣軍だけで隠しきれるものではない。 おそらく軍中央、いや政府や中央官庁にも多くのシンパがいるに違いない。 ……もしかしたら、財界を始めとする民間にも。 だが彼等の狙いは? 何故鉄道の幅でそこまで協力する? 本当に軍事的な観点だけか? その背後の強大さを考えると、典礼参謀は黙って敬礼する他なかった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【12-1 旧レムリア王国、マルセイユ】 マルセイユは、東レムリアにおける、王国最重要拠点である(あった)。 であるから、市庁舎も市統治機構も、単なる一行政機関としての枠を超えた規模を誇っている。さながら、『ミニ王城』だ。 市統治機構は、東レムリアの王領――直参の騎士領も含む――全域を平時から管理運営しており、戦時には東方総軍総司令部と協力して、東レムリア全域の防衛をも合わせて担当することとされている。 故に、その人員は質量ともに豊富だ。 市庁舎も、城――それも東方レムリア最大の――を転用しているので、その造りは広大かつ荘厳である。 当然、謁見の間も存在する。 そして今回、実に百年振りに、この謁見の間が使われることになった。 ……もっとも、今回の使用者は百年前とは異なり、レムリア王ではない。 新たなるレムリアの支配者(候補の最右翼)たる帝國が、臨時の総督府謁見の間として、『出陣の儀』を執り行っていたのである。 謁見の間には総督府高級官僚、帝國軍高級将校、東方諸侯、旧王国東部の高級官僚が勢揃いしている。 この東レムリアにおける要人全てが、ここに集まっているといっても過言ではないだろう。 だが不思議なことがある。 何故、旧王国要人が『東方』諸侯と旧王国『東部』の高級官僚だけなのであろうか? 他の地方でも、既に多くの諸侯並びに官僚が、恭順の意を示しているのにもかかわらず、だ。 これは現在、東方諸侯は東レムリア『国境』を封鎖しているためだった。 このため他地方の軍は勿論、諸侯達自身も、東レムリアに来ることが出来なくなってしまったのである。 封鎖理由は、『兵力の著しい減少をきたした東レムリアを、悪意ある者――他地方の諸侯達だ――から守る為』。 この行動は彼等の独断ではない。帝國も承知の上だ。  ……帝國は、先ず東方諸侯を取り込むことを最優先し、これを黙認したのだ。足場たる東レムリアの安定を、何よりも優先させたかったのだろう。 之に対する異論は当然あった。 彼等は問う。 ――この東方諸侯の『抜け駆け』を、他の諸侯達は如何見るだろうか?―― もしかしたら、これだけで反帝國に傾く諸侯が出るかもしれない。この世界における貴族や士族の体面と名誉は、それ程までに重要なものなのである。 そもそも、『王に対する忠義が厚い』とされる東方諸侯が真っ先に帝國に降った理由とて、満座で東方総軍を王に侮辱されたためではないか! 異を唱えた者達は、こう言って『東方諸侯単独の謁見』を中止させようとした。 東方諸侯が降ったのは、何もそれだけが理由ではないが、中々に説得力に富んだ意見である。 この意見は、今後レムリア支配に当たる総督府官僚達の多くが支持した。 ……だがそれにもかかわらず、謁見は行われた。意外なことに、軍(レムリア派遣軍)が『東方諸侯単独の謁見』を強烈に支持したためだ。 軍は、『真っ先に降った東方諸侯が優遇されるのは当然であること』、『東レムリアは今後帝國のレムリア支配の足場として重要であること』を挙げ、『東方諸侯単独の謁見』を強く要請したのだ。 軍の意見も決して間違っている訳ではない。何よりそれが『筋』だろう。 しかし既に保有戦力が激減し、自領の単独防衛にすら支障をきたしている東方諸侯に対して、何故軍はそこまで肩入れするのだろうか?  幾らでも足元をみることができるだろうし、例え足元を見なかったとしても、他地方の諸侯と『平等』に扱って何ら問題はないのではないだろうか? 実は、軍の意見は、非常に感情的な理由から出されたものに過ぎなかったのである。 実は軍(レムリア派遣軍)は、レムリア戦役における東方総軍の見事な戦いぶりに、感服したのだ。 この『感服』は、その後の軍の考えや行動に、大きな影響を与えることになる。 グラナダ戦役において降伏こそ厳しく要求したものの、その後の軍の対応は非常に紳士的かつ温情的なものであった。 その一端は、講和すら済んでいないにもかかわらず、戦死者の遺品を返却したことにも表れている。 本来なら『戦利品』としてもおかしくない。第一、講和すらしていない相手に、『武具』を返却するのは狂気の沙汰というものだろう。  (もっともこの処置が、東方諸侯の心を大きく帝國側に傾けたことは否定できないが) その後も、東方諸侯とのパイプが出来ると、軍は捕虜を『最早戦闘に耐えうる身体でない』として、レムリアに送り返すことすら行っている。 しかもこの時、軍(レムリア派遣軍)は独断で、『東レムリアの独立支援』さえも約束してしまっていたのだ! これは、当時の政府及び軍中央の意思に真っ向から反したものである。 もしも講和交渉が無事締結されていたら、とんでもない結果となっていただろう。少なくとも、今よりも厄介な状態となっていたであろうことは間違いない。 ……行為の良し悪しはこの際置いておくとしても、この様に軍と東方諸侯は、既に『特別な関係』を築いていたのである。 今回の軍の要請も、そこから来ているのだ。 だが到着したばかりの総督府官僚団は、軍の強い要請を訝しんだだけで、そこまでの深い理由を伺い知ることは出来ないでいた。 【12-2】 突然厳粛な音楽が響き渡り、謁見の間が緊張に包まれる。 「帝國親王、レムリア総督殿下の御成!」 総督代行に先導され、総督『殿下』が侍従を引きつれて表れた。皆一斉に跪き、敬意を表する。 総督殿下は帝國軍元帥の軍服に身を包んでいる。幼いながらもレムリアにおける全ての権限(もちろん軍事も)を握っているからだ。 レムリア諸侯が未だ邦國として独立していない現在、総督の権限は旧レムリア国王にも匹敵する巨大なものとなっていた。 総督殿下は、マントを翻し玉座につく。脇には総督代行が控えている。 帝國は、レムリア崩壊直前に軍装の改訂――さすがに礼装のみだが――を行っている。 改訂理由は『この世界の風習に合わせるため』。 総督が召されている軍服も新式のもので、マントも今回新しく取り入れられたものだ。 『郷に入りては郷に従え』 今回の大仰な『出陣の儀』も、レムリアの風習にあわせてのことだ。帝國――とくに本国では――はレムリアの風習に手を突っ込み、余計な波風を立てる気などさらさら無かったのである。 「皆の者、大儀であった。面を上げよ」 総督代行が、総督殿下に代わり発言する。 「帝國はレムリア万民たっての請願により、無主となったレムリアの地の王たることを決意した。そして今、東レムリアの忠誠をこの目で確認することが出来き、嬉しく思う」 東レムリア要人達が、頭を下げる。 他の地方への言及は無い。 と言うことは、『公式に』、どの地方よりも早く彼等の忠誠が認められたのだ! 「これより帝國は、レムリア全土の平定に向かう! 帝國に刃向かうものは逆賊である、悉く討て!」 帝國人、レムリア人を問わず全ての者が、一斉に頭を下げた。 ……いよいよだ! いよいよ王都進撃が始まる! 「帝国陸軍中将、山下奉文!」 「はっ!」 「そなたを今より帝國陸軍大将とし、レムリア大将軍を任ず! 速やかにレムリア全土を平定せよ!」 「ははっ!」 「旧レムリア王国公爵、ガリア卿!」 「はっ!」 「そなたを臨時に帝國陸軍中将とし、レムリア副大将軍を任ず!東レムリア諸侯をまとめ、山下将軍を補佐せよ!」 「ははっ!」 周囲の者が息を呑む。 ――これでガリア公が、名実共に東レムリア筆頭だ、もしかしたら、レムリア筆頭も夢ではない―― ガリア公は東レムリア最古の諸侯であり、東レムリアの要である。 東レムリア最大の諸侯という訳ではではないが、一族も多くそれらも合わせれば東レムリア最大の勢力といえるだろう。 ……もっとも、東方諸侯は『みな親戚』とも言えるが。 だが今回の件により、『単独で』東レムリア最大の諸侯となることは間違いないだろう。レムリア副大将軍の地位は、その前渡分のようなものだ。 「レムリア大将軍に、『錦の御旗』を授ける! 前え!」 「ははっ!」 山下将軍が進み出ると、赤い錦地に日月を金銀で刺繍した旗が手渡される。 『錦の御旗』だ! 旗を授けられた将軍は、その重みに身体が震える。 『錦の御旗』が授けられるなど、一体何年振りだろう! 西南戦争以来か!? 押し潰されそうな責任と、湧き上がってくる不思議な感覚、まるで自分が歴史の一部になったかの様な錯覚すら覚える。 「臣、帝國と陛下に仇をなす者、悉く討ち取る事をここに誓います!」 「期待している。」 『錦の御旗』を授けると、総督殿下は共を連れて退室していく。次いで文官――総督府官僚・旧王国官僚――が退出していき、後に残ったのは最初からここにいた者のうちの武官――帝國軍高級将校・東方諸侯――だけとなった。 将軍は、『錦の御旗』を捧げ持ちながら壇上にあがっていく。壇上に上がると、眼下の者達を見渡した。 「これより王都進撃を行う!」 そう言うと『錦の御旗』を掲げた。皆一斉に頭を下げる。 「我等は官軍である! 刃向かう者はこれ全て賊軍である、全て討て!」 歓声が謁見の間を満たす。 諸侯達は、誰よりも早く『官軍(王軍)』となった事を喜び、帝國軍将校達も、『錦の御旗』の下で戦う名誉に酔っていた。 王都進撃が始まろうとしていた。