帝國召喚 第3章「和平交渉」 【0-0 第十歩兵団司令部】 「ルンガ王国騎士団1000到着!」 「ケルト王国騎士団1200到着!」 諸王国軍が到着する度に部下からの報告があがる。 さすがにこれだけの軍勢が集まると壮観だ。帝國陸軍にはない『華』がある。 ……しかしまさか、こんな戦国武将の真似事までする羽目になるとは。 思わず苦笑いする。 今回の命を受け、慌てて戦国時代や中近世欧州の戦術を勉強しなおしたものだ。五十の手習いという奴だろうか? 「第十集団、全軍到着しました!」 第十歩兵団長は大きく頷いた。 ……これで全部隊揃ったようだ。 さあ、大実験の始まりだ。 【0-1】 大陸同盟軍特別演習。通称『大特演』は、帝國が大陸同盟を『使える』軍事同盟にする為の、非常に野心的かつ壮大な実験である。 大陸同盟は多数の中小国家の集合体に過ぎない。その為、動員できる兵力は精々1万前後で、1千程度の都市国家も少なくない(例外としてロッシェルやロンバルキアのように10万近い軍を持つ国があるが)。 とはいえ、その総兵力は数十万にもなる。これを利用しない手は無い。 そう考えた帝國は検討の末、今回の演習に踏み切った。 その演習内容は極めて野心的といえる。 同程度の兵力を持つ軍を集め、それを帝國軍が指揮しようというのだ。帝國軍の役割はあくまで指揮統制および火力支援だ。 一例を挙げれば、以下のようになる。 第十集団(集団長 帝國軍第十歩兵団長) 帝國軍第十歩兵団司令部 帝國軍歩兵中隊2個 帝國軍機関銃小隊2個 帝國軍野砲兵中隊1個(三八式野砲4) 帝國軍速射砲中隊1個(九四式速射砲4) 帝國軍通信隊 帝國軍段列(臨時編成) 諸王国軍5個(各1千程度) 上記の場合は現役師団である第十師団より部隊を抽出、大隊規模の混成部隊を派遣している。総兵力も数千程度なので、歩兵団司令部が指揮を行う。 第百十集団(集団長 帝國軍第百十師団長) 帝國軍第百十師団司令部(*予備役師団) 帝國軍歩兵連隊1個(1個大隊欠) 帝國軍山砲兵大隊1個(1個中隊欠、九四式山砲8) 帝國軍野砲兵大隊1個(1個中隊欠、三八式野砲8) 帝國軍機関砲大隊1個(九八式高射機関砲12) 帝國軍通信隊 帝國軍段列(臨時編成) 諸王国軍3個(各1万程度) 上記のように総兵力が数万以上になれば、現役師団より連隊規模の混成部隊を派遣、予備役師団の司令部が指揮を行なう。 これらの集団をあつめて『混成軍』を編成。この『混成軍』を大陸同盟軍総司令部が指揮するのだ。 今回の演習に帝國軍が占める割合は、大陸同盟軍の二割程度に過ぎない。この手法が上手くいけば、これが今後成立するであろう『大同盟』軍の標準編成となる。 ……しかし何故このような手法を採る、いや採らなければならなかったのか? それは現在の帝國陸軍の台所事情と深い関係がある。 転移直後、帝國軍は総兵力270万にも達していた。しかし労働力の確保の為大規模な動員解除を行う羽目になり、現在の帝國軍は総兵力130万と実に半分以下にまで激減しているのだ。 陸軍に限っていえば、100万(転移直後は約230万)にまで落ち込んでしまったのだ! しかも航空戦力および機甲・重砲戦力は現状維持とされたので、歩兵戦力がその影響を一手に受ける羽目になった。 その影響は大きい。 師団51個、混成旅団58個のうち、現役に留まったのは師団26個、混成旅団28個。他は予備役として、司令部と装備の保管任務にあたる少数の人員のみの存在にされた。 現役に留まった師団も実際に定員を満たしているのは三分の一以下、他はせいぜい充足率40〜50%程度の平時編制に過ぎない。 100万もいながら、すぐに戦闘可能なのは10個師団相当に過ぎないのだ! さらに悲劇は続く。 やはり労働力の観点から、今後10年程は今以上の動員を行えないという研究報告がなされたのだ。 という事は、後10年ほど僅か10個師団相当の戦力でなんとかしなければならない。 だが、これ以上の充足師団の増勢(師団数の圧縮による)は不可能だ。 これ以上のポスト減少は、とても陸軍に受け入れられそうにない。なにせあれだけの大軍縮をやった後だ。 この様な事情から、帝國軍は兵力不足を補うためにこの世界の軍を使う事を決定。そして今回、大規模な『実験』に踏み切ったのだ。 大陸同盟軍特別演習、通称『大特演』の誕生である。 【0-2】 三八式野砲が『敵砲兵』の射程外から砲撃により『敵砲兵』を牽制・制圧し、九四式速射砲は1000mの距離まで進出して『敵拠点』の撃破する。 重機がこれらの援護の下肉薄し、『敵の陣形』を崩す。 『敵陣』は大きな混乱に陥ったと判定された。 「さすがレムリアを叩きのめした帝國軍砲兵! 見事なものです!」 「僅か10門に満たぬとはいえ、100門の魔道砲にも匹敵しましょう!」 「これだけのお膳立てをして頂ければ、後は帝國のお手を煩わす訳にはまいりませぬ! 仕上げは我等にお任せを!」 帝國軍火力支援の実演を見た諸将は、口々に褒め称える。 最初に支援兵力の少なさを見た時の不審げな態度とは雲泥の差だ。 ……彼等の最初の懸念は当然だけどな。 第十歩兵団長は思う。 第十集団は総員6500の旅団級の軍である。その重火力が僅か三八式野砲・九四式速射砲各4門、後は重機が4挺である。 少なすぎる。最低でも倍は欲しい。 それが彼の率直な思いであった。 軍砲兵と航空部隊の支援が一応約束されてはいるが、彼にはそんな空手形はとても信用できるものではなかったのだ。 そもそも帝國軍の優越性は、その圧倒的な砲兵戦力と航空戦力にある筈である。 それがこの体たらくでは! グラナダにおける完勝とて、圧倒的な砲兵戦力あればこそではないか。 そこまで考えると急に笑いが込み上げてきた。 圧倒的な砲兵戦力と航空戦力だって!? 彼の脳裏には、ノモンハンにおける圧倒的なソ連砲兵の火力が浮かんでいた。 本当の砲兵戦力とはああいうものをいうのだろう。 それがどうだ! 我々はたったこれっぽっちの砲の配備すら惜しんでいる。 それで『圧倒的な』砲兵戦力だって? ……悪い冗談だ。まるで鳥なき里の蝙蝠じゃあないか。 彼は自虐的な笑みを浮かべた。 だがその笑みの意味を理解した者はいなかった。周囲の者には『強者の余裕』としか映らなかったのだ。 彼は周囲の視線に気付くと笑みを止め、厳かに言った。 「さて、今度は諸卿の番です。貴軍らの戦い振りをお見せ下さい」 【0-3】 「突撃!」 砲撃後、各騎士団が次々に突撃する。その姿は実に華々しく、まるで絵物語のようである。 しかし相互の連絡手段は伝令に頼るしか無く、統制した進退ができない。 また一度突撃すれば帝國軍自慢の火力支援が困難――というより不可能――になるため、突撃のタイミングが非常に難しい。 ……やはり突撃は最後の手段だ。 改めてそう思う。 連中の白兵戦は馬鹿にできない。白兵戦に持ち込まれたら帝國軍でも分が悪いだろう。 それだけ騎士の防御力と突進力とは、洒落にならないものなのだ。 だがそれとこれとは話が別である。 まずは相互の連絡手段と指揮系統の確立。更には相互支援や散兵戦術などの伝授。 やるべき事は山ほどある。いったい使い物になるまでどの位かかる事やら。 だがその前に『事』が起きたら? 今回の演習のように火力で制圧。その後に突撃を命じ、後は各国騎士団の判断に任せるしかない。 ……やれやれ本当に戦国武将になったようだ。きっと彼等も諸豪族の軍の統制に苦労したのだろう。 【0-4】 夜も更け、第十集団司令部では親睦の意味もこめた会食が行われていた。 暫くは何気ない雑談であったが、話はやがで本題に入っていく。 「将軍。この度の『演習』いつまで?」 ルンガ王国騎士団長が意味ありげに問いかける。 いつまで演習の真似事をしているのか? という意味である。 やはりただの演習とは思ってはいないか。 内心溜息を吐く。 皆が皆、今回の演習は『レムリア侵攻のための芝居』だと思っているのだ。 ……まあこれだけ兵や物資をかき集めておいて、『ただの演習です』では通じないだろう。 それに彼等の考えもあながち間違ってはいない。 あくまでこれは秘密なのだが、和平交渉が不調に終われば本当にレムリアに侵攻することになっているのだ。 「さて、それは総司令部の判断です」 だがそんな事は表に出さずに惚ける。諸将も追求する気は無いようで、あっさりと引っ込んだ。 「そうですか。ですが『いざ』という時には、我等ルンガ王国騎士団に先陣をお任せください」 「いえ、我等ケルト騎士団にこそ先陣を!」 「いや! 我等にこそ!」 たちまち諸将が騒然となる。 話を引っ込めたのは良いが、もはや彼等の頭の中で『レムリア侵攻』は既成事実となっているらしい。やる気満々だ。 ……これが話に聞く『先陣争い』というやつか。 だが感心してはいられない。 国境のすぐ向こう側ではレムリア軍が警戒しているのだ。 彼等の鼻息ではいつ軍事衝突が起きるかわからないし、偶発的な戦闘による戦争の拡大は帝國の望む事ではない。 これは…… しっかりと手綱を握っておく必要があるな。 彼は今後の事を思い、もう一度溜息を吐いた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【1-1 大陸同盟軍総司令部】 大陸同盟軍総司令官(帝國派遣軍総司令官兼任)は頭を抱えていた。 ……これで、一体何人目だ? 彼の目の前では某国の将軍が演説を行っている。ちなみに聴衆は彼一人だ 殆ど聞いてはいないが、言いたい事は分かっている。 だからレムリア侵攻を、だ。 ここ数日、同様の意見具申が各国の諸将からなされている。 今回のように1人で来るならまだマシな方で、だいたい数人――多いときは10人以上――でやって来るのだ。鬱陶しい事この上ないし、仕事の邪魔だ。 だが応対しない訳にはいかない。帝國は彼等の盟主なのだから。 「我等が大陸同盟軍は、その兵力でレムリアを圧倒しています!」 彼が他の考え事――如何にかして逃げ出せないか――をしている間に、どうやら話は佳境に入ったようだ。演説は益々熱を帯びる。 その内容は基本的には間違っていない。 確かにレムリア王国軍は現在、一時的にではあるが弱体化していたのだ。 レムリア軍は軍管区制を採用しており、東西南北に中央を加えた5個『総軍』からなる。 そのうち東方総軍はグラナダで壊滅し、残っているのは少数の留守部隊程度である。 そして大陸同盟軍と向かい合っているのが北方総軍で、留守部隊や地域警備隊を除外した野戦軍総兵力だけで10万以上を誇る一大戦力だ。 ただし本来ならば、だ。 10万以上という数は、あくまで諸侯軍や属国軍を加えての話に過ぎない。現状では諸侯や属国の動揺が激しく、とてもこれだけの兵は集められないだろう。 逆に不穏な動きすらあり、集めるどころかこれに対する備えの兵も手当てしなければならない有様だ。5万も動かせれば上出来といえる。 他の総軍からの援軍も当てにはならない。 彼らもそれぞれの担当区域を空にはできないし、やはり同様の事情を抱えているからだ。 恐らく他の3個総軍合わせても5〜6万程度の援軍をかき集めるがやっとであり、それも空白となった東方総軍へ派遣される事になるだろう。 ……つまり、援軍は来ないということだ。 ああ、中央総軍を空にする気なら、後3万程捻り出せるかもしれないが。 それに対し、彼の指揮下にある大陸同盟軍は30万。それも帝國軍を抜きにしての数だ。 寄せ集めとはいえ圧倒的と言えるだろう。 諸将もそれが十分に分かっているからこそ、ここまで強気なのだ。 「レムリアなど腐ったドアの様な物です! ひと蹴りで粉砕できましょう!」 将軍の演説はますます勢いを増し、一向に終わりが見えない。 「『手負いの虎』という言葉もありますぞ?」 どこかで聞いたような言葉だな、と思いつつも反論する。どうやらどこの世界でも、人間の考える事はみな同じらしい。 「レムリア王が崩御し、混乱している今こそ最大のチャンスなのです!」 「だからこそ、です。帝國は崩御したレムリア王の死を悼んでおります」 帝國派遣軍総司令官は噛んで含めるように答える。 「王を失い、混乱にある国を攻める。そのような火事場泥棒のような真似を、帝國にしろと? まさか卿は、そのような事を仰るのですか?」 「いえ…… それは……」 とたんに将軍は口ごもる。 「帝國は盗人のような真似はしません、もし戦うのならば、清々堂々と戦いましょう。 ……グラナダの時のようにね」 その言葉に将軍の肩が震える。彼とて、『グラナダの惨劇』のことを知っているのだ。 「帝國はレムリア王の死を悼み、レムリアにチャンスを与えました。これは帝國の決定です。それとも卿は、帝國の決定に異論がおありですか?」 これが決定打だった。将軍は真っ青になり、慌てて弁解する。 「いえ、私はあくまで帝國の為に意見具申したまでの事です。それが帝國の決定でしたら、一体何の異論がありましょうか」 そう言うとそそくさと退室していった。 ……やれやれ。この文句は実に効果的なのだが、出すタイミングが難しい。 【1-2】 やっと仕事に入れると思った矢先、また副官が来客の報を告げる。 とうとう総司令官は癇癪を起こした。 「俺はいないと言え!」 「グラディア閣下ですが……」 「何故それを早く言わん! 早速お通ししろ! ・・・…いや、俺がお迎えする!」 副官の返事を聞き、総司令官は途端に態度を変えた。 慌てて部屋を出ようとするが、それを呼び止める声が聞こえる。 「お忙しいところすみません、閣下」 「グラディア殿、お恥ずかしいところをお見せしました」 来客は初老のダークエルフで、帝国陸軍少将の軍服を着ている。 彼こそが陸軍に所属するダークエルフを束ねる男だった。 彼はダークエルフの『長老』家当主であり、帝國伯爵でもあるダークエルフの重鎮だ。 「いろいろ大変そうでしたな」 「聞いておられたのですか? ならば始めから……」 「いえ、まさか彼の目の前に現れる訳にはいかないでしょう?」 帝國軍少将の軍服を着て。 グラディア少将は意味ありげに笑う。 だが言いたい事を察した総司令官は、破顔して言った。 「いいではないですか、見せ付けておやりになれば! そうすれば連中も『時代の流れ』という物を少しは知るでしょう!」 グラディア少将は曖昧に頷く。 総司令官は、それがどういう事態を招くか考えて言っているのだろうか? いや彼だけではない。帝國人は我々ダークエルフを重用する事の意味を、少しばかり軽く考えているようだ。 ……まあ付き合い易くはあるが。 内心溜息を吐く。 帝國直轄領でエルフを入領禁止としたのも早計だ。我々の事を考えてくれるのは有り難いが、これではまるで我々が帝國を唆してやっているみたいじゃあないか。 だが帝國人が貴重な友人である事に変わりない。 彼等の『友情』から比べれば、その位のことはどうということも無いだろう。 そこまで考えが及んだ時、総司令官の声が聞こえた。 「ワインをお飲みになりますか? とっておきの奴があるのですよ」 【1-3】 「これは! 一体どこで手に入れられたのです?」 ワインを飲んだグラディア少将は思わず訊ねる。このようなワインは今まで飲んだ事がない。 「フランスですよ……」 総司令官はどこか悲しげに答えた。 「フランス…… 確か帝國が元いた世界における、列強が一つでしたな?」 グラディア少将は帝國本土で得た知識を引っ張り出す。 「ええ、既にドイツに占領されていましたがね」 「帝國も列強の一つだったそうで」 「ええ、決して『最強』ではありませんでしたがね。まあ列強に名を連ねる程度の『力』は、あったと思いますよ」 総司令官の言葉は驚くべきものだった。 これ程の『力』をもちながら最強ではない? ただの列強に過ぎないと? 「正直信じられませんね」 「英国、フランス、ドイツ、イタリアまあ一対一で戦えば勝つ自信はありますよ。先に根を上げるのは向こうでしょう。ソ連……まあ勝てないまでも、負けない戦はできるでしょう。ですがアメリカは…… どうあがいても無駄ですね、転移前なら口が裂けても言えませんでしたが」 総司令官は複雑そうな表情だ。まあ彼ほど高位の軍人がそう言うのは、内心忸怩たるものがあるだろう。 「ですからこの世界に来て、内心ホッとしているのですよ。正直、もういかんと思っていましたから」 まあ向こうの酒が飲めなくなったのは悲しいですけどね。と付け加える。 「だからこそ、この世界では慎重にやらなければいかんのです。今回の戦もこれで手打ちにしなければ」 総司令官の真剣な言葉に頷いた。 そういえば彼は、陸軍の大軍縮を身を呈して断行した者の一人だった。きっと前の世界での事を後悔していたのだろう。 【1-4】 「で、交渉の具合はどうです?」 総司令官は本題に移る。グラディア少将はその為(レムリア情勢の報告)に来たのだ。 「難航しています。 ……というより、交渉相手すら定まっていない有様でして」 グラディア少将はお手上げといった感じで返答する。 現在のレムリアには、講和条約を結ぶだけの権限を持った人間がいないのである。 一応交渉は水面下で行われているが、全く進捗が見られない。 ……王の不在が原因だ。 この時期になっても、未だ後継者は未定。 レムリア王には沢山の王子がいたが皆妾腹であり、決定的な後継者がいなかったのだ。 更に悪いことに、それぞれ思惑を持った貴族が後ろ盾に控えており下手な選定が出来ず、今まで先送りにされてきた。 そのツケが今回、一気に回ってきたという訳だ。 現在王位の行方は混沌としており、未だに王の葬式すら出せない状態らしい。 「連中、未だに王位を巡って争っています」 「……この非常時に?」 王位を押し付け合っているのならば、まだ分かるが。 「まあ国が滅びる時というのは、こんなものなのでしょうね」 「待って下さい! 勝手に滅びられては困ります! 誰がその後始末するのですか!?」 「……帝國でしょう?」 帝國が滅ぼしたのだから。 「そんな面倒臭いことに係わるのは御免です!」 それは彼の心からの叫びであるとともに、帝國の叫びでもあった。 今回の戦争はあくまで示威行動に過ぎない。これにより大陸同盟を始めとする国々を自陣営に組み込む事が目的なのだ。 そしてその目的は既に達した。 後は多額の賠償金をせしめられれば文句なしである。交渉の目的は『賠償金』であって、決して『レムリア王国』ではない。 領土などいらないのだ。 帝國は現在、この世界でそれなりの領土を獲得しているが、これが曲者である。 領土内には近代的な設備が何一つ存在しない。一からインフラを整備しなければならないのだ。 そしてそれには莫大な金と資材、労力がいる。 だが帝國には、そんな金も資源も意欲も無かった。ただでさえ莫大な投資をした満州以下の植民地を失ったばかりなのだから。 必要最小限の投資(それでもかなりのものだ)で精一杯だ。 ……このうえ更に、混乱したレムリアの面倒まで見ろと?  冗談ではない。あの広大な地を統治するには、兵と金が幾らあっても足りないだろう。 第一、レムリアにはこれから金蔓になってもらわなければならないのだ。 帝國がこれほど賠償金に拘るのには切実な理由がある。 レムリアから得られるはずの多額の賠償金は、帝國がこの世界で活動する上で是非とも必要なものなのだ。 この世界での主要貨幣は金貨や銀貨、つまり『貴金属』だ。 よって、帝國通貨は貨幣とは認められていない。 いろいろ努力した結果、なんとか帝國直轄領では通用するようにはなったが、交易は今でも物々交換が主という有様である。 もっとも、いままではそれで何とかなった。 しかし、これから盟主として振舞うつもりならそうはいかない。是非とも大量の金銀が必要だ。 そしてレムリアからならば、大金をせしめる事が出来るだろう。 そう帝國は考えたのである。 ……獲らぬ狸の何とやら、ではあるが。 「……どうにかならないのですかね?」 「帝國使節団の方々と、同じ事をお聞きになる」 グラディア少将は苦笑する。 「まあ要は馬鹿王子や中央貴族共の危機意識が足りないのですよ。しかも王位に目が眩み、頭に血が上っているんですな」 総司令官の問いに、グラディア少将は露骨な表現で状況を言い表した。 「ですから、頭に少し『冷水』をかけて差し上げたらどうでしょう?」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2-1】 敵襲! その報により、飛竜が次々と迎撃に上がる。 ……こんな国土深くにまで、入り込まれるなんて! 空中騎士隊隊長は唇を咬む。 敵は、度重なる迎撃にも関わらず、飛行を続けているらしい。 始めは目的すら定かでなかったが、やがて嫌でも理解できるようになった。 彼等は、王都目指して真っ直ぐに飛行していたのである! 『敵の目標は王都!』 この知らせはレムリア軍を震撼させた。 軍はありったけの迎撃部隊を差し向けたが全くの無駄に終わり、事実上この迎撃部隊が最後の防衛線となるまで追い詰められていた。 畜生! 連中、一体何キロ飛べるんだ! 恐怖にも似た感情が湧き上がってくる。 ロッシェルにある敵の『飛竜』基地から王都まで、実に1000キロ以上。 という事は、敵の行動半径は最低でも1000キロはあることになる。 1000キロの行動半径! 常識ではとても考えられない数字だ。 第一、それでは戦争にならないだろう。戦争開始とともに、敵の首都を叩けてしまう。 ……しかし、何故1騎も落せないのだ。ワイバーンだけならばともかく、ワイバーン・ロードも多数迎撃部隊に参加しているというのに? 幾らなんでもおかし過ぎる。疑問だらけだ。 だが、騎士隊隊長の疑問は直ぐに解消された。 ……敵を発見したのである。 【2-2】 高度を幾ら上げても、一向に敵まで到達できない。 既にワイバーンは全て脱落。残るは10騎のワイバーン・ロードのみである。 だが彼等も既に限界に近い。 ……だがその遥か高高度を、敵は悠然と飛行していた。 『マナ』は高度3000Mを過ぎたあたりから減少を始め、4000m急激に減少する。 更に5000m、6000m、8000mを境に減少はより一層加速していくが、これはマナを利用して飛行するワイバーンにとっては致命的だ。 通常のワイバーンでは、最大4000mが限度である。 それ以上では、いつ飛行不能になる(墜落する)かわからない。 ワイバーン・ロードでも4000mを超えると動きが鈍くなり、5000mともなると飛ぶのがやっとになる。6000mではいつ飛行不能になるかわからない。 つまり、それが『飛竜』という種の飛行限界といえるだろう。 そもそもワイバーンやワイバーン・ロードは低空での戦闘を目的としたものであり、高高度での戦闘など考えた事も無かったし、その必要も無かったのだ。 ……少なくとも、今までは。 遂に高度7000にまで達した。もはや彼以外は全騎脱落している。 彼の騎竜も息絶え絶えで、いつ墜落してもおかしくない。これでは会敵できたとしても、ブレスは使えない。 ……もう、これ以上は無理だ。 諦めた彼の頭上を、次々と敵が通過していった。 大きい! 頭上を通過していく敵は、まるで絵物語に出てくる古代竜のような大きさだった。 そしてその高度をものとせず、悠々と編隊を組んで飛行している。 遥か上空を飛行する敵を、彼は呆然と見つめていた。 【2-3  レムリア王国、王都】 王都では、あちこちで鐘が鳴り響いている。 昔から定められている非常警報だったが、住民達にはそれが何を意味するのか理解出来なかった。 彼等にとって、戦争は遠い世界での出来事にすぎなかったのである。 やがて上空に見慣れない『竜』が多数現れた。 上空では空中騎士団のワイバーンも多数飛び回ってるが、それでもやはり住民達の大多数は無関心だった。 ……突如爆発音が響き渡るまでは。 凄まじい轟音が王都中に轟く。 驚いた住民達が見ると、どこかが燃えているのが見えた。 王都郊外にある森林地帯が、爆撃を受けているのだ。 王都郊外の森林地帯は広大で沢山の動物も生息しているが、王族や貴族達の狩猟場として長年使用されているので、住民達は立ち入り禁止となっている。 だから、今回の目標としては最適だった。 『敵を粉砕する』のでは無く、『敵の戦意を粉砕する』ことが目的なのだから。 今回の作戦に参加したのは、一式陸攻120機。 種々の方法が検討されたが、『王都空爆が最も効果的』と判断されたのである。 高度8000mから投下された爆弾は次々と森林に吸い込まれていき、たちまち大火災が発生。火災は森中に広がっていく。 「ああ、もったいない。こんなに豊かな森を燃やしちまうなんて」 「爆弾ももったいないよ。全部無駄弾だぜ?」 「……王都を爆撃するよりはマシだろ。 俺は大量虐殺なんか御免だぞ」 一式陸攻内部では、搭乗員達のぼやきが交わされている。 わざわざ往復2000キロ以上もかけて、森林を一つ燃やすだけなのだ。愚痴の一つも出るだろう。 その会話の間にも、爆弾は絶え間なく投弾されて続けている。 投下された爆弾は90トン以上にも達した。 【2-4 帝國、帝都】 帝國宰相(陸相兼任)は頭を抱えていた。 今回の作戦――王都空襲作戦――の報告書が海軍から提出されたのだが、その報告書には彼が思わず目を疑う一文が記載されていたのである。 『ガソリン総使用量、1000キロリットル。(うち陸軍負担分、500キロリットル)』 「……」 この一文を凝視する。が、何度見てもやはり同じ数字。 そこには、常軌を逸するガソリン消費量が記載されている。 本来ならば、このような物が彼にまで回ってくることは無い。ただ今回は陸海軍共同の大作戦である事から、彼の決済が求められたのだ。 たかが120機動かして、1000キロリットル? 一体何の冗談だ?  ……いや、これが事実である事位は分かっている。少し現実逃避したいだけだ。 以前一式陸攻を海軍に見せてもらった時、その航続距離よりもそのガソリン搭載量に驚愕したものである。 6000リットル以上!? そりゃあそれだけ積めば、嫌でも遠くまで飛べるだろうさ! 今回の作戦は、機体(兵装込み)と搭乗員を海軍が、施設を陸軍が提供する事で合意されていた。ガソリンは折半である。 その結果、陸軍に500キロリットルものガソリン要求が回ってきた訳だが…… だが果たして、これだけのガソリンと爆弾の使用量に見合った成果を上げられたかどうか。 参謀本部の一部では、効果がでるまでの連続爆撃を主張する声もあるが、もちろん却下だ。 爆弾も惜しいがそれ以上に、こんなガソリンをドラム缶でぶちまけるような無駄を、帝國がそうそう行えるものではない。 なにせ現在、ようやく石油生産が軌道に乗り出した所で、未だに使用量が生産量を上回っている状態なのだ。石油は未だ不足している。 ……まあ先が見通せるので、それ程深刻ではないが。 だが例え石油が豊富に生産できるようになったとしても、話は同じだ。 石油を運ぶにはタンカーがいる。 とても連続爆撃を可能とするだけのタンカーを、大陸への輸送に手当てできない。 現に今回の作戦では、大陸に備蓄してあるガソリンまで大量に消費する羽目になった。そのせいで現地から、『これ以上は止めてくれ』と泣き付かれたばかりである。 ……さて、レムリアはどうでるか。 これで駄目なら全面戦争しかない。レムリア全土を制圧するまで戦いは続くだろう。 そして例え制圧しても、大軍を駐留させ続けなければならない。それこそレムリアを支配している間は、永遠に。 全く、何という無駄なことだ。 おもわず溜息が出る。 だが例え望まない戦争であっても、こちらにも面子というものがある。 だから帝國にできることは、もうこれで終わりだ。 ボールは以前からレムリアの手にあるのだから。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【3-1 レムリア王国、王都】 日が暮れたというのに、それを全く感じさせないほどの明るさだった。 必死の消火活動にもかかわらず、爆撃による火災は一向に弱まる気配すら見せない。むしろ、その勢いを増して被害を拡大させ続けている。 かつて豊かな森林だった場所は、地獄の業火で焼き尽くされようとしていたのだ。 その頃、王城では閣僚会議が開かれていた。 王不在の今、閣僚会議は事実上の最高意思決定機関である。 ……王無しでは、その決定に如何程の威光があるかは疑問(特に諸侯に対して)ではあったが。 「では軍務卿、『軍は敵の存在を早くから探知していた』と仰るのですか?」 「はい。軍は彼等が国境を越える前から捕捉しておりました。 ……王都が狙いと判明したのは、それから大分後の事ですがね」 軍務卿の発言に、周囲の閣僚から反発の声が上がる。 「では何故、迎撃できなかったのです! 時間は十分有ったのでしょう!」 「よりにもよって、王都への敵襲を許すとは! 軍の怠慢に他なりませんぞ!」 「……今回の敵襲は、高度8000mという超高空から行われました。まず、その事を御理解願いたい」 だが軍務卿は、あくまで淡々と報告を続ける。 「そもそも我軍の、というよりも『この世界』の迎撃システムが有効に機能できるのは、精々高度3000mまでです。3000〜5000mとなると迎撃手段はワイバーン・ロードのみとなり、5000〜6000mになるとワイバーン・ロードでも迎撃するのは非常に困難でしょう。つまり、6000m以上の敵に対する攻撃手段など、『この世界』には存在しないのですよ。 ……ああ失礼。おそらく帝國には存在するでしょうね。『帝國以外』と訂正します」 軍務卿の発言は、非常に重大な事実を指摘していた。 つまり帝國は、好きな時に、好きなだけ、自由に王都を爆撃できるという事実を。 そして、それを止める手段は無い。 「爆弾の威力も相当な物で、我々の物とは比べ物になりませんね。あれがもし、王都に投下されたらどうなっていたか」 それを受けて、王都長官が発言する。 「目には見えませんが、もう被害はでています。この火災による煙害、異常熱気は相当なものです。このままでは、住民の健康に大きな被害がでるでしょう。 ……しかし、それよりも差し迫った問題があります。王都住民の精神的な衝撃です」 王都長官は、溜息を吐きつつ話を続ける。 「彼等は戦争の恐怖を体験しました。今はまだ呆然としているだけですが、近い内に王都からの集団脱出が起きる可能性があります。既に一部では、その兆候が見られます」 「王都からの脱出だって!? 何処に逃げるというのだ!」 「そんな事になったら、治安や経済が崩壊するぞ! 諸国も我々を見放すだろう!」 「……もう遅いかもしれません。」 財務卿が話を引き継ぐ。 「通貨の交換レートで、銅貨が暴落を始めました。」 【3-2】 レムリアの通貨は金貨、銀貨、銅貨の三種類からなっている。このうち正式な通貨は金貨と銀貨であり、銅貨はあくまで補助通貨に過ぎない。 何故か? もしその通貨を全世界に通用させたいのなら、全世界共通に『価値のあるもの』でなければならないからだ。 銅や鉄では、ありふれている。 かといって、宝石では絶対量が少なすぎる。 通貨として流通できる程の量があり、かつその希少性を万人が認めるもの。つまり、金と銀しか無いだろう。 含まれている金銀の量で、その通貨の価値が決定されといっても過言では無い。 無論、その通貨を発行している国家の信頼性――経済力や軍事力等の国力、国家そのものが信用できるかどうか――も重要な要素である。これが高ければ、その通貨は含まれている金銀以上の価値に評価されるのだ。 ……とはいえ、それもその通貨自体に価値があっての話である。 だからこそ、銅貨はあくまで『それぞれの国内』でのみ通用する地域通貨に過ぎない。 1枚あたりの額も小額だからこそ、通用しているのだ。 そういった経緯上、金貨、銀貨、銅貨はそれぞれ独立しており、その交換レートは日々変化する。 ちなみに、レムリア通貨の体系と交換比は以下の通りである。 正金貨(10レムリア金貨)1枚=副金貨(5レムリア金貨)2枚=小金貨(1レムリア金貨)10枚 正銀貨(10レムリア銀貨)1枚=副銀貨(5レムリア銀貨)2枚=小銀貨(1レムリア銀貨)10枚 正銅貨(10レムリア銅貨)1枚=副銅貨(5レムリア銅貨)2枚=小銅貨(1レムリア銅貨)10枚 凡その交換レートは、1レムリア金貨≒10レムリア銀貨≒1000レムリア銅貨である。あくまで目安ではあるが。 爆撃前日には、105レムリア銅貨で1レムリア銀貨を交換できた。 しかし、爆撃後数時間で1レムリア銀貨が136レムリア銅貨まで跳ね上がり、その上昇は現在も続いている。 金貨に至ってはそれ以上の高騰振りだ。 これは屈辱的なことだが、レムリア王国そのものが不安視されたことが原因であろう。 この影響は、計り知れない。 銅貨の暴落。 その直撃を受けるのは、下層階級の平民達だ。 彼等は日銭として銅貨を得て、その日暮しをしている。その銅貨の価値が下がれば、その分だけ彼等の実質的な収入が減る。 貰える銅貨が同じでも、物価が上がる(物価は金銀貨を基準としている)からだ。 このまま物価が高騰し続ければ、たちまち生活に行き詰るだろう。 いや今はまだいい。近日中にもあらゆる品物が『金貨か銀貨でのみの支払い』となる可能性も高い。 レムリア銅貨に不信任が突きつけられるのだ。 そうなったら暴動だろう。 治安と経済の両方が破裂、住民の大脱出と合わせて、王都はゴーストタウンとなる。 ……これが現在予想される最悪のシナリオだった。 【3-3】 「何とか手を打たねば! 王都の混乱は、諸国の『誤解』を招きかねない!」 「もうある程度は伝わっているでしょうね。王都には、各国の大使館がありますから」 「……それよりも」 今まで沈黙していた外務卿が、始めて発言した。 「それよりも、『何故帝國が王都にまで来て、わざわざ王都を避けて爆撃したのか』をお考え下さい。まさか、帝國のミスだとお思いではないでしょうね?」 「というと?」 「これは帝國からのメッセージ。いわば最後通告です」 「これだけの被害を与えておいて、最後通告だと!」 「確かに本気なら、王都に攻撃していたでしょうね」 軍務卿が頷く。 「外務卿、卿の仰る事は良く理解出来ます。ただ、もしこれが帝國からのメッセージだとすれば、合わせて何らかの情報も知らせてくる筈ですが?」 「中立国経由で、外務省にメッセージがありました。あくまで非公式なものですが」 外務卿は閣僚に報告書を提出する。 何故もっと早くに出さなかったかといえば、タイミングを計っていたからだ。閣僚達が現状を認識するまでは、とても出せない内容だったのである。 「何だこれは!」 予想通り、閣僚の一人が怒りの声を上げる。 「『国交の樹立』『通商条約の締結』はいい。『グラナダの独立』も止むを得ないだろう。だが、この『賠償金』の額は何だ! 我が国の年間歳入の10年分ではないか!」 「おまけに北部及び東部国境地帯の非武装化だと? 舐めおって!」 「これを飲めば、もはや我が国は列強ではいられない!」 次々と罵声が飛び交う。 だが外務卿は冷静に反論した。 「諸卿はまだ、レムリアが『列強』だと思っていらっしゃるのですか? 諸外国はもはや、レムリアを列強とは見做してはおりませぬよ?」 嘘ではない。 先の大敗と現在の危機により、レムリアは『列強の地位から転落しつつある国』と見做され始めていたのだ。 今回の爆撃による混乱も合わせれば、完全に列強の地位から転がり落ちたことだろう。 「外務卿! その話は真ですか!?」 「はい。諸国の大使館からも報告があります。諸国の扱いが目に見えて変った、と」 今までいろいろと悪い報告が出てきたが、今回は最悪だ。 『列強の地位の喪失』 それは彼等がもっとも恐れていたことである。 列強の地位はパワーゲームへの参加資格だ。これから先、あらゆる場面でレムリアは他の列強諸国から『差別』を受けるだろう。 名誉の問題もある。 後世の『歴史』で彼等閣僚は、レムリアを没落させた張本人として罵られ続けるのだ! 『家』の名誉も丸潰れである。 「……では、この帝國からの提案を受け入れろと? 条約の締結は、王の専権事項ですよ?」 閣僚の1人が力無く呟く。何処か投げやりな感じだ。 『もうどうとでもなれ』という心境らしい。 「はい。諸卿からの了解が得られれば、私が王子達を説得します」 「外務卿、それは……」 軍務卿が絶句する。あまりにも損な役回りだった。 だが外務卿は微笑んで言った。 「良いのですよ、軍務卿。思えば私がはっきりと前王陛下に諫言しなかったから起こった戦争です。自分で起こした戦争の幕引き位は、自分でやらなければ」 「しかし、それはなにも卿だけの責任では……」 「それに帝國とて、この条件全てが受け入れられるとは考えていないでしょう。十分交渉の余地があります」 外務卿の望みは叶えられた。 閣議は全会一致で、外務卿への一任を決定したのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【4-0 レムリア・グラナダ国境】 外務卿を乗せた馬車がグラナダとの国境を超えた。 国境を越えると同時に、馬車の護衛はレムリア騎兵から帝國軍憲兵隊に委ねられる。 彼等はグラナダにある講和会議場へと向かっているのだが、会議場は帝國の勢力下、護衛も帝國軍である。ここからも今回の交渉の実情が分かるというものだ。 外務卿に委ねられた交渉は、事実上の『敗戦処理』だったのだ。 王子達からの委任は、呆気ない程上手くいった。 正直、『彼らの首筋に剣を当ててでも』と思いつめていた外務卿にとっては、肩透かしもいい所であった。 王子達は『他の王子全員が了解したら』の但し書き付きで委任状を書くと、そそくさとそれぞれの後ろ盾の貴族達の領地へと『保養』に出掛けてしまったのだ。 ……情けない。 それが外務卿の率直な思いであった。 一人位は、『あの爆撃』で目が覚めてもいいではないか。それが家臣に交渉を丸投げして、王都から逃げ出すとは。 しかも、『他の王子全員が了解したら』等という小賢しさである。 これでは先が思いやられる。 仮に講和が成立しても、それからが本番なのだ。 果たして彼等に、今や内憂外患を抱えるレムリアを保つことが出きるかどうか…… ……いや。案外、さっさと帝國の邦になる道を選ぶかも知れないな。 自分達の地位を保つだけの為に。 そこまで考えが及ぶと、自分の余りにも突き放したような考えに驚愕した。 私は何を考えている!?  仮にも列強の一角を占めた大レムリアが、他国に跪く? ……悪い冗談だ。 どうやら悲観的になっているようだ。これでは交渉を行う前から負けてしまう。 気を引き締めなければならない。 【4-1】 マケドニア王国――『獣人の国』と言った方が通りが良いかもしれない――は、帝國の一邦である。 彼等マケドニア王国も、今回の大特演に1200の兵を派遣していた。 1200である! 未だ人口6万のマケドニアにとって、これは大兵力だ。何しろ全人口の2%(常備軍全てをなら1500で、実に2.5%!)にも達しているのだから。 ……だが何も、帝國が要請した訳ではない。あくまでマケドニアが自主的に派遣したのである。 何故これ程の軍を派遣したのか? それは彼等の『危機感』の表れであった。 帝国の二大邦國。 獣人国家『マケドニア王国』は、ダークエルフ国家『スコットランド王国』とともにそう並び称されている。 だが実際には、両者の間には大きな格差があった。 国王以下、主な名門家系全てに帝國爵位が下賜されているダークエルフと比べ、獣人は僅かに国王と王太子に帝國爵位が与えられているに過ぎない。 国王の爵位もダークエルフの『公爵』と比べ、『侯爵』と格下である。 更に言えばダークエルフは帝國国政にも深く関与し、帝國軍将官すらいるのに対し、獣人は帝國国政どころか、帝國軍では未だに軍属扱いなのだ。 この様に、両者の間には天と地ほどの差――それでも他から見れば優遇されていることに変わりはないが――があった。 もっとも、それでも彼らは『次席』筆頭で満足していたのである。 ……つい、この間までは 彼等が現状を明白に認識したのは、スコットランド王国建国一周年記念式典に招待された時のことである。 マケドニアの重臣達は初めてスコットランドを訪れ、愕然とした。 帝國から近いとは聞いていたが、これ程近いとは! 帝國とスコットランド王国は、目と鼻の先にあったのだ。 ……まるで帝國本国に抱かれ、守られているかのように。 そして『島』とは名ばかりの広大な領土! どれをとっても、マケドニアとは比較にならなかった。 そして彼等を最も打ちのめしたのが、その軍事パレードだ。 上空を飛ぶ機械竜。あれは『レイセン』と呼ばれる、帝國でも最強の飛竜ではないか! おまけに地上では、数十両の鉄竜が行進している。 どれもこれも、自分達が供与を諦めたものばかりである。 ……我々はこの間漸く、僅かばかりの武器供与を許可されたばかりだというのに。この差は何だ! 帰国の際、重臣達の表情は一様に暗かった。 改めて格差を見せ付けられた差に、衝撃を受けていたのだ。 下からの追い上げも心配である。 ロッシェル王が、先日帝國侯爵位を下賜されたのだ。 今までは、帝國伯爵位が彼等以外の王に下賜される最高位だったのに、である! ……さすがに爵位を与えられたのは王だけではあったが、王同士が同格なのは否めない。 ロッシェルは他の邦國の指導者として、急激に浮上しつつあったのだ。 『マケドニアはスコットランドから大きく引き離され、下からはロッシェルの猛追を受けている!』 それがマケドニアの重臣達の率直な感想だった。 彼等は自分達の地位が、足元が大きく揺らいでいると感じていた。 ……だが仕方ない。ダークエルフにはそれだけの『働き』があるし、ロッシェルは大国なのだから。 誰かがそう呟いた。 そうだ、我々も帝國に『働き』を示さなければ。 重臣とはいっても、彼等の殆どはついこの間まで平民以下の存在だったのである。 当然、満足な教育など受けている筈も無かった。 ……だから彼等には理解出来なかったのだ。 『何故、人口6万という吹けば飛ぶような小国の王が、大国ロッシェルの王と同格なのか?』 『何故、ロッシェルの王太子ですら無爵なのに、自国の王太子が一国――それも大国――の王並の爵位を下賜されているのか?』 『何故、少量とはいえダークエルフに次いで、真っ先に武器供与を受ける事ができたのか?』、を。 彼等にあるのは、邦國筆頭の地位を奪われる恐怖と危機感だけであった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【5-1 大陸同盟軍、マケドニア王国軍陣地】 ……一体、総攻撃の命令は何時だ? マケドニア軍司令官は焦っていた。 マケドニア軍は、連日緊張感に包まれている。いつでも出撃出来るよう、待機し続けているからだ。 だが、兵からの不満は無い。 何せ今回はマケドニア初の対外戦争(彼等の主観)である。 国王以下、多数の国民からの大声援を受けてやって来た手前、彼等もまた、今回の『戦争』で何らかの手柄を立てなければ、国に帰れないと考えているのだ。 ……だがいい加減、兵も限界であろう。これではいざという時、十分な『働き』が出来ない。 いっそ、独断で動くか? そこまで考えが及ぶと、それがとても素晴らしい考えに思えた。 ……彼もまた、疲労により思考力が低下していたのかもしれない。 そうだ。このままでは、もしかしたら他国に『抜け駆け』されるかもしれない。 だがこの方法ならば確実だ。 たとえそれが、命令違反であっても。 「副官!副官はいるか!」 彼は独断での単独出撃を決断した。 【5-2】 マケドニア軍は隠密裏に陣を離れる。 『800という寡兵であること』、『残りの400(輜重兵)を陣に残し、偽装工作をさせたこと』が幸いし、どうやら誰にも気付かずに移動できたようだ。 後は夜明けとともに総攻撃をかけるだけである。 一旦ことが起これば、他国も我先にと動き出す筈だ。 ……そうなれば帝國も、重い腰を上げざる得なくなる。 帝國は予定が早まった事を不快に思うかも知れないが、手柄を立ててしまえばこっちのものだ。 今回の戦いで、帝國に我等の『力』を見せられればそれで良い。 マケドニア軍司令官は、『帝國がレムリアを滅ぼす』と確信していた。 何しろこれだけの兵を集めたのだ。 とても只の演習とは思えない。頃合を見て、一気に攻め込むつもりに間違いないだろう。 ならば我々がその先陣となり、マケドニアの名を世界中に轟かせるのだ。 ……だが夜明けが近づくにつれ、マケドニア軍司令官の心に、不安と緊張が擡げてきた。 無理も無い。何せこれが彼の初陣なのだから。 彼は某小国の下級騎士の家に生まれた。 幼少時に彼が獣人である事が発覚したが、両親はそれを隠して彼を育て続けてくれた。 稀に見る幸運と言って良いだろう。 曲がりなりにも騎士であり、それなりの規模の家屋敷を構えていたこと、使用人を雇うほどの余裕はなかったことが幸いし、家族だけで秘密を守りぬけたのである。 彼の幸運は、両親が死ぬまで続いた。 両親が死に、家督を相続して暫くしてから、その正体が露見し追放されたが、彼は騎士としての教育を受けることができたのだ。 その後、彼はマケドニアの創設に係わり、王国貴族に列せられることになる。 さらに小隊長をしていた『軍歴』と、騎士として身に着けた『教養』を見込まれて、王国大将軍に任ぜられた。 ……この事実は、マケドニア王国の信じ難いほどの人材の不足を物語っている。この程度の経歴の持ち主ですら、マケドニアでは宝石のように貴重な人材だったのだ。 『一介の小隊長が大将軍として戦場に臨む』 そのプレッシャーは、一体どれ程のものだろう! 想像通り、彼は必死に押し寄せる不安と戦っていた。 大丈夫だ、何も不安な事は無い。獣人の力は圧倒的だ。 彼は必死に押し寄せる不安を鎮めようとするが、不安は一向に収まらない。 それに我々には、『あれ』があるではないか! 帝國から供与された兵器の事を思い浮かべる。そうすると、心が軽くなったような気がした。 そうだ。帝國の武器は無敵だ。帝國の武器の前では、古代竜でさえ敵ではないだろう。 そこまで考えると、もう彼の心に迷いは無かった。 ……それは一種の信仰だった。彼だけではなく、獣人ならば多かれ少なかれ持っている、『帝國への畏怖』という。 【5-3】 夜明けとともに、マケドニア軍が動き出す。 「銃兵隊前え!」 銃兵隊指揮官の命で、100人ほどの銃兵が整列し射撃体勢をとる。 敵との距離800M。敵弓兵の射程外である。 狙うは敵砲兵。 ……報告によれば、眼前の敵の砲は軽砲のみの筈。 「撃て!」 一斉に『銃』が火を噴き、それとともに敵陣に炸裂音が響き渡る。 九七式20mm自動砲。 これが帝國軍から供与された秘密兵器だった。 その数、100門。 マケドニアの銃兵達は、60キロはある『銃』をまるでライフルのように軽々と扱い、弾倉の弾が切れると、腰の弾薬箱から弾を取り出して補充し、射撃を継続する。 「擲弾兵前え!」 敵砲兵の沈黙により、今度は擲弾兵が進み出る。 「投擲!」 擲弾兵は一斉に手榴弾を投擲する。投擲後、たちまち敵陣の防御陣地が破壊された。 九一式手榴弾。爆発までの時間が長く、遠くまで投擲できる獣人には打って付けであろう。 これらの兵器は、マケドニア軍の遠距離火力の不足を補う為に帝國から供与されたものである。 今回、それを根こそぎ持ってきたのだ。 これだけで、マケドニアの今回の戦いに賭ける意気込みが分かるだろう。 ……頃合だ! 敵陣が混乱した事を確認すると、軍司令官は剣を掲げ号令を掛けた。 「総員抜刀! 全軍突撃!」 【5-4】 「総員抜刀! 全軍突撃!」   軍司令官の号令により、マケドニア軍は一斉に突撃を開始する。 先陣を務めるはマケドニア重装歩兵。 数百キロの鎧を身に着けた彼等の突撃を止めるのは、並大抵の事では不可能である。 彼等は半壊した応急陣地を容易に突破、陣地内になだれ込む。 各所で白兵戦が発生する。 マケドニア兵は、獣の様な雄叫びを上げてレムリア兵に襲い掛かる。 マケドニア兵の武器は、切れ味よりも頑丈さを重視した、通常の数倍の重さを誇る剣や槍。 マケドニア兵はこれでレムリア兵を次々と『撲殺』していく。 レムリア兵も体勢を立て直し、マケドニア兵1人に数人掛りで対抗しようとする。 だがこの戦法を用いるには、僅か2000のレムリア兵では少な過ぎた。 レムリア兵は次第にその数を減らしていき、後退を重ねていく。 「獣人共が……」 レムリア軍の司令官が呻く。 最早、マケドニア軍がここまでやって来るのは時間の問題だろう。完敗である。 「栄光あるレムリア軍が、獣人如きに!」 レムリア軍司令官は唇を噛み締めた。 だが彼の立場から言わせれば、いくらでも異論がある。 こちらからの積極的な行動は厳禁。しかも重砲どころか軽砲の持ち出しすらも制限され、挙句の果ては防御陣地の構築すら厳しく制限されたのだ。 これではもし大陸同盟軍が国境を越えてきたら、対処のしようがない! それが、この命令を受けた時の率直な感想だった。 彼は同僚とともに、総軍司令部に対して何度も意見具申をおこなった。 ……だが、総司令部からの命令は撤回されることは遂に無かった。 総軍司令部は、あくまで和平交渉に望みを繋いでいたのである。 その挙句がこの様だ。 「それでも、帝國の武器さえ無ければ……」 帝國の武器がマケドニアに供与されていたとは知らなかった。 あの最初の一撃さえなければ、いくらでもやり様があったのに。 ……今更詮の無い話ではあるが。 「逃げずに留まっているとは、流石レムリアの将!」 「……何処に逃げるというのだ?」 掛けられた言葉に、冷笑で返す。 振り返ると一人の獣人が立っていた。 見るからに立派な拵えの鎧兜、剣を身に着けている。 ……おそらく彼がマケドニアの将であろう。 「レムリア王国軍第三十三槍歩兵連隊長、陸軍大佐、准男爵、グラフィズ・アプ・グェンミンマン」 「マケドニア王国大将軍、伯爵、ウィリアム・デ・ブラオス」 両者は互いが名のある者と判断し、名を交わす。 「グラフィズ卿、ここは我等の勝ちの様ですな」 マケドニア軍司令官は、ニヤリと笑った。 「これが我等獣人の『力』です。以後は甘く見ない事です」 「ほう? お前達は本当に、自分達の力で勝ったと思っているのか?」 レムリア軍司令官は、嘲るような表情で言った。 「我々はお前達の持つ、『帝國の武器』に敗れたのだ。断じてお前達にではない! それにお前達の鎧や剣、それはロッシェルで作られた物ではないのか? 全て他人からの借り物。自分達の手で作り出したもの等、何一つ無い。よくそれで『自分達の力で勝った』と言えるものだ。 ……ああ、そういえば『国』も『王位』も帝國から施されたものだったな! 所詮は獣か!」 「施しだと! 我等を侮辱するか!」 レムリア軍司令官は、それを聞くと笑い出した。 「侮辱! 真実を言う事が侮辱か! ……では聞くが、お前達は帝國に何を与えた? 施しを受けたのではないと言うのならば、代償として帝國に『何』を与えた?」 「うっ……」 途端にマケドニア軍司令官は黙り込む。 図星だった。だからこそマケドニアは焦っているのだ。 「……まあ精々飼い主に尻尾を振るがいい。所詮お前達など、帝國の庇護が無ければ何も出来ないのだからな」 「黙れ!」 とうとう我慢できなくなり、マケドニア軍司令官は剣を振った。 レムリア軍司令官はたちまち絶命する。 だがそれでは治まらず、彼は何度も剣を振るう。 「将軍! 何をやっているのですか!? もう死んでいますよ!」 やってきた副官が慌てて彼を止めた。その言葉を聞き、ようやく我に返る。 「どうやら敵将を討ち取ったようですね! 首級を掲げましょう、兵も喜びます!」 そうだ、我々は勝ったのだ。何を気にする? 所詮は負け犬の戯言だ。 彼は首を獲ると副官が渡した槍に吊るし、高々と掲げた。 「敵将の首、マケドニア王国大将軍、ウィリアム・デ・ブラオスが討ち取った!」 それを見たマケドニア兵は大歓声を上げる。肩を取り合い涙する者までいる。 記念すべきマケドニア王国軍の初陣、その勝利の瞬間だった。しかも相手は『あの』列強レムリアなのだ! 「勇敢なるマケドニア兵諸君! 記念すべき歴史的勝利だ! 今日この日、この瞬間を諸君らと共にすごせた事を光栄に思う!」 マケドニア軍司令官の演説に、マケドニア兵は歓声で答える。 「諸君らは今日この日の事を、その子々孫々の代に至るまで語り継ぐが良い! それを聞いた者達は口惜しむ事だろう! 『何故自分達の先祖はその日、そこにいなかったのか?』と! さあ諸君! 前進だ! 共に歴史に名を刻もうではないか!」 「マケドニア万歳!」 「勝利万歳!」 「マケドニアに栄光あれ!」 「共に歴史を!」 マケドニア兵は口々にそう叫び、レムリア兵の遺骸を越えて前進を始める。 マケドニア軍司令官も兵も、勝利に酔っていた。 それは彼等にとって、あまりにも美味だったのだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【6-1 大陸同盟軍総司令部】 『帝國軍の一部隊が独断でレムリア領に侵攻!』 この報は大陸同盟軍総司令部を震撼させた。早朝だというのに、蜂の巣を突付いた様な騒ぎである。 「一体何処の馬鹿だ!」 「あれ程釘を刺しておいたのに、まさか我が軍(帝國軍)から行動を起こすとは!」 夜明けと共に、突如大量の発砲音がレムリア側から聞こえた。 何事か! と調査し始めたところ、『何者か――おそらく帝國軍――がレムリア軍に向け発砲した』という報告が上がってきたのである。 ――どこかのトチ狂った帝國軍指揮官が、密かに国境を越えてレムリア軍に攻撃を仕掛けた―― そう帝國軍は判断した。 ……この時点では。 「同盟諸国の軍が、次々に陣を出て行きます!」 それはそうだろう。彼等にとって絶好の機会なのだから。 「止めろ! 何としてでも止めろ! このままでは収拾がつかなくなるぞ!」 そこに、知らせを受けた総司令官が慌ててやって来た。 「状況は!」 「何者かが、夜明けと共にレムリア軍に向け発砲! 現在交戦中です! それを受け、同盟諸国の軍も次々と出陣しています!」 「各集団司令官に命令、『配下の軍の統制を厳にせよ。従わざるは発砲を許可す』。 第一戦車団に命令、『国境を越えようとする軍は、これを全力で撃退せよ』」 その過激な命令に、司令部はたちまち沈黙する。 「閣下、それは……」 「命令!」 参謀長が慌てて取り成そうとするが、総司令官はとりあおうとはしない。 「閣下。現在交戦中の部隊については、如何いたしましょうか?」 参謀の1人が、恐る恐る尋ねる。 「……大至急部隊を割り出せ。全てはそれからだ」 畜生、何処の馬鹿だ。調子に乗りやがって! 支那の時のような独断専行が、此処でも通用すると思うなよ? 絶対やった者勝ちにはさせんぞ! 帝國軍は事態の収拾に乗り出した。 【6-2】 犯人探しは呆気なく終了した。マケドニア軍の伝令が総司令部にやって来たのだ。 「前衛のレムリア軍は、我がマケドニアが打ち破りました! 帝國軍の出陣を願います! 我等が先陣を務めましょう!」 伝令の騎士は、誇らしげに報告する。 ……余程浮かれているのだろう。 そうでなければ、総司令部の殺気立った雰囲気を嫌でも感じる事が出来る筈だ。 「……!」 何か言おうとした参謀長の足を(伝令に見えないように)蹴飛ばすと、総司令官は満面の笑みを浮べて言った。 「さすがは豪傑揃いのマケドニア、見事なものです」 「光栄に存じます」 「成る程、先陣を願われますか。ですが貴軍には、総司令部の馬廻りを務めて貰おうと思ったのですが?」 馬廻りとは、まあ親衛隊や近衛みたいなもの(旗本と言った方が分かり易いかもしれない)である。先陣とは別の意味で名誉なことだ。 「馬廻りを! ……しかし」 「それに、なにせこれだけの大軍。動き始めるだけで一苦労です。全軍にまで命令が行き渡るまで、暫く時間がかかるでしょう。できれば一度陣に御戻り願えないでしょうか? 補給の問題もあるでしょう?」 「分かりました。その旨、司令官にお伝えします」 「ああ、お待ち下さい」 そう言うと司令官は一旦退出し、手に酒瓶を持って戻ってきた。 「これは私からの戦勝祝いです。司令官閣下にお渡し下さい」 「有難う御座います!」 【6-3】 「全く! 獣人は脳味噌まで筋肉か!?」 自室に戻った総司令官は、初めて怒りを顔と言葉に表した。 「……良く我慢しましたなあ」 グラスを手にしたグラディア少将が、他人事(事実その通り)のように声をかける。 「ああ、この『すこっち』も良いですね。『連中』への手土産はワインよりもこっちの方が良いでしょう。『うぉっか』も捨て難いですが……」 「グラディア卿!」 「ああ、失礼。 ……ですがこの度の一件、如何に処置します?」 グラディア少将は真面目な顔つきで尋ねる。 「グラディア卿にとっても、以後は他人事ではなくなるでしょう」 「承知」 つまりはマケドニア王国も、帝國(ダークエルフ)の監視対象に加わるという事だ。 もちろん独自にある程度の監視はしていたろうが、以後は『公式に』監視する事になる。 「それ位でしょうね。本国政府もそう判断する筈です」 「では、お咎め無しと?」 「……グラディア卿もお分かりでしょう? できる筈が無い」 溜息を吐きつつ、総司令官は答える。 現在、獣人は外地における帝國の貴重な労働力として活躍している。 帝國が外地で雇用している異世界人の大半は、実は彼等獣人なのだ。 その怪力は、機械化されていない帝國にとって、今では必要不可欠なものとなっていた。 資源が一年足らずで採掘可能となったのも、彼等が重機代わりに働いた御蔭である。 ……ああ、帝國軍の快進撃を支える飛行場の設営にも欠かせない。彼等がいるといないのとでは、効率が倍以上違うのだから。 だからこそ、帝國は彼をここまで厚く遇しているのだ。 「まあ彼等も焦っていたのでしょうね」 「焦る? 何に?」 「広がる我々との差。縮まる後ろとの差」 グラディア少将は総司令官の疑問に簡潔に答える。 「まさか帝國公爵位を望んでいるのですか!? そんな無茶な! 帝國人とて公爵位を有しているのは、やんごとなき限られた一握りの方々です! 何の功績も家柄も無いマケドニア王に、下賜できる訳ないじゃあないですか! 加賀前田家だって侯爵位なのですよ。その侯爵位を下賜するのにだって、どれだけ苦労したことか……」 総司令官は愚痴るように話を続ける。 「だいたい、ロッシェル王と同格で何が不満なんです? 人口も国力も差は100倍じゃあきかないでしょう!? そのロッシェル王と同格。その上更に、王太子に伯爵位まで与えて差をつけているのですよ!」 ……閣下、所詮強者には弱者の気持ちは分からないのですよ。 グラディア少将は心の中で呟く。 おそらくマケドニア、いや獣人は想像を絶する恐怖の中にいたのだろう。 欲しいのは帝國公爵位なんかじゃあない。ただ『帝國に忘れられる』事が怖かっただけのだ。 今回の戦いも、彼等なりの精一杯のアピールだったのだろう。 ……不器用な事だが。 ……だが今回の一件、高くついたな。 これから帝國はマケドニアに対して、『全面的な好意』で見るような事はしなくなるだろう。目に見える罰は無いだろうが、失った物は決して少なくない。 まあ仕方ないな。彼等にも責任はあるのだから。 帝國には自覚はないだろうが、今回の『暴走』の責任の半分は帝國にある。 だが逆を言えば、マケドニアにも同じ分だけの責任があるのだ。 帝國だけが被害を被るのも、不公平というものだろう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【7-1  マケドニア王国『大特演』派遣軍本営】 「そうか! 総司令官閣下は、そのように仰っていたか!」 「はい! 労いのお言葉だけに止まらず、勝利祝いの酒まで賜りました!」 マケドニア軍司令部は総司令部から帰還した伝令の報告を聞き、歓喜の渦に包まれた。 これで我等の面目もたった! ……いや、ようやく及第点に達したところか。 だが軍司令官だけは一瞬歓喜した後、改めてそう考え直す。 我等にとっては偉大な勝利であるが、所詮敵の小部隊を蹴散らしたに過ぎない。我々の真価が試されるのは、むしろこれからだ。 「それで閣下は我等に馬廻りを、と?」 「はい。ぜひ総司令部の馬廻りに、と仰せでした」 「ふむ」 馬廻り、か。名誉な事ではある。だが…… 「それだけだ」 「は?」 どうやら口に出していたらしい。 「いや独り言だ。気にするな」 馬廻りでは、手柄の立てようが無いではないか。我々の真価は、先陣でこそ発揮されるというのに! どうする? 軍司令官は心の中で自問する。 当初の予定通り、このまま進撃を続けるか? ……だが我々だけでは流石に無理だ。たちまち袋叩きにあってしまう。 期待していた後続部隊はどうしたのだろう? このような状況になれば、諸国の軍勢が殺到する筈なのだが一向に現れない。 それに輜重部隊は、一体何をやっているのだ! 本来ならばもうとっくに合流している筈なのだが、一向に姿が見えないのだ。 これでは補給が出来ない。 実は、身軽にする必要があったため、彼等は一日分の糧食しか持ってきていないのである。 武器弾薬についても同様で、重さは大したことが無いがかさばることから、銃兵は20o弾を50発、擲弾兵は手榴弾を20発ずつしか持ってきてない。 そしてこれらの弾薬は、先の戦いでその大半を射耗してしまったのである。 あれでも、十分足りると思ったのだが…… やはり発射速度が速すぎるせいだろう。初陣で興奮し、必要以上に射耗した事も無視できない。 帝國からの第一次供与として受け取った武器は、九七式20mm自動砲100門と弾薬1万発(全て榴弾)、そして九一式手榴弾が1千発。 今回その全てを持ち込んだのだが、僅か一回の戦いで、四割以上の弾薬を消費してしまったのだ! この分で行けば、おそらくあと二回――大きな戦いならば一回――戦えば無くなってしまうだろう。 この消耗は、弾薬を全て帝國に依存しているマケドニアには、到底無視できないものだった。 が、軍司令官はあくまで楽観的だ。 まあ無くなったらまた貰えばいいだろう。ケチケチした戦は御免だ。 ……彼は、帝國が聞いたら腰を抜かすようなことを考えていたのである。 「閣下」 副官がやって来た。 「銃兵の銃ですが、16挺が破損しました。興奮して手荒く扱ったり、棍棒代わりにした事が原因のようです」 「あれ程優しく扱えと言っただろう! あの武器は強力だが華奢なんだぞ!」 「何分、初陣ですから」 くそ! 我々ではどうしようもない。直ぐに帝國軍に修理して貰う必要がある。 ……まあいい。どうせ輜重部隊がこないから、一度陣に戻る必要があったのだ。 それにチャンスは1度だけではない。また次の機会もあるだろう。 欲を張っても仕方ない。 「帰還だ。一旦陣に戻るぞ!」 マケドニア軍は撤退を開始した。 【7-2】 「何だ、これは!」 それが、陣に帰還したマケドニア軍司令官の第一声であった。 陣を発っている筈の輜重部隊の将兵が、なんと多数の酒樽を囲んで大宴会をしていたのだ! 「どういう事か!」 「? 帝國軍からの差し入れで、『初勝利祝い』だそうです。『軍司令官閣下も直ぐにお戻りになるので、これでも飲んで待機していて欲しい』と」 輜重部隊隊長に問い質すと、思わぬ返答が返ってきた。 「……それで、素直に酒を飲んで待っていたのか?」 軍司令官は、こめかみを微妙にひきつかせながら言った。 ど阿呆。例え帝國の言葉であっても、軍司令官からの命令の方が優先されるに決まっているだろう! 普通の軍なら処刑ものだぞ! ……いや、待て今何と言った? 「帝國軍から?」 「はい。大きな酒樽をいくつも」 ……何だ、この違和感は? もしかしたら、自分は何か大変な事を見逃していないか? 何故、帝國軍がそんな真似をする? 差し入れるだけならまだしも、『飲んで』待っていろとは。 ……もしや、足止め? 「!」 「閣下?」 「副官! 斥候を出せ!」 【7-3】 「はい。確かに国境付近に多数の人馬の足跡がありました。それと帝國の鉄竜の足跡も」 「……やはりそうか。ご苦労」 斥候の報告を受け、軍司令官は頷く。 「閣下。それが何か?」 周囲の幹部達は、状況が全く飲み込めていないようだ。 馬鹿者。この報告の意味も分からないのか。最初の目論見通り、諸国の軍も我等の後に続いたのだ。 だが実際には現れなかった。 何故か? 簡単な事だ。もう一つの足跡、帝國軍――それも鉄竜――に追い返されたのだ。 何故か?  おそらく『帝國は現時点での戦いを望んでいなかった』のだ。 ならば、何故我々は連れ戻されなかったか? こうして連れ戻されたではないか! 何も力づくでやるだけが方法ではないぞ? 第一、国境を越えた相手を『力づく』で連れ戻す気か? それこそ本末転倒だ。 では、我々のした事は。 「……どうやら、根本から間違っていた様だ」 「?」 その言葉と溜息の意味を、理解できる者はその場にはいなかった。 「何でもない。総司令部に行かせた伝令を呼べ」 総司令部の雰囲気を問い質さねば。 【第7話 裏】 「総司令官閣下は終始御機嫌のご様子で、祝い酒まで頂戴しました」 「では周りの者の様子は?」 「いえ、特には」 「何も?」 「はい、一言も喋りませんでしたし」 「! 何故それを早く言わん!」 総司令官自ら不機嫌な態度を見せる事など、通常ありえない。特にこのような多国籍軍においては。 そしてもし本当に喜ばしい事ならば、周囲の者も祝福する筈だ。 それが、無口。 ……これは相当不味い。 こいつは浮かれて気付かなかった様だが、総司令部はさぞかし険悪な雰囲気だったのだろう。 伝令とはいえ総司令部に行ったのだぞ? 『使者』として周囲の様子に気を配らなくてどうする! いや。これは自分のミスだろう。 何か粗相があっては困ると、礼儀をある程度弁えただけのこいつを送った自分が悪い。 だが他に誰がいる? 皆似たり寄ったりだ! 参謀は飾り。 副官は言われた事しかできない。 各級指揮官も自分では何も判断できず、いちいち細かく指示しなければ動けない。 ……止めは読み書きすらできぬ『将校』! これで軍だと? 『獣人で全て賄う』などという、馬鹿げた政策のツケがこのザマだ! 彼は建軍当初、『帝國軍から教官を多数招き、彼等を各級指揮官の補佐にあてよう。最初のうちは彼等に指揮を任せても良いのではないか』と提案したのものだ。 だが、その案は他の重臣達から凄まじい反発を買った。 ……どうやら彼等にとって、建国という『神聖な儀式』は、獣人のみで行わなければならない物らしい。 結果としてマケドニアは孤立する事になる。 当然情報など回ってこない。 そのツケがこれだ。 とはいえ、自分も連中をとやかく言える立場ではない。所詮同じ穴の狢なのだから。 ……どうやら自分も彼等に感化されていた様だ。 視野狭窄に陥っていたらしい。 「馬を出せ、総司令部に行く!」 もう猶予はない。いやもう遅いかもしれないが、何もやらないよりは余程マシだろう。 そもそも国すら帝國から只同然で貰った分際で、『獣人で全て賄う』などという台詞は百年早い。 今度は連中には何も言わせん! 【7-5】 「急げ! 遅れをとるな!」 司令官の叱咤が響く。 ワイト王国軍3千の兵が、駆け足で『戦場』に向かっていた。 油断した。まさか帝國単独で動くとは! おそらく帝國は、大陸同盟諸国を未だ完全に信用してはいなかったのだろう。情報が漏れるのを恐れていたのだ。 これだけの国が集まっているのだから、それも無理からぬことではあるが。 ……あるいは大陸同盟諸国の軍事力を見て、『頼りにならぬ』と判断したか。 そこまで考え、司令官は屈辱に身を震わせる。 帝國軍との演習は、我等にとって衝撃的なものだった。 グラナダに派遣された観戦武官達が、血相を変えて『時代に乗り遅れるな!』と叫び、軍の派遣を進言したのにも納得できた程である。 だがそれは、裏を返せば我等の軍など、帝國軍から見れば『取るに足りぬ』と判断されても仕方の無いことでもあるのだ。 武人として屈辱的な事だが、認めざるを得ない。 兵器だけではなく指揮統制・運用、全てのレベルが違いすぎるのだ。 だからといって、このまま引き下がる訳にはいかない。 何としてでも手柄を立て、帝國に我等の武を示さなければならないのだ。 ……今後のためにも。 生臭い理由もある。 今までの行動を見る限り、帝國は領土欲に乏しい。 そしてレムリアは豊かな大国だ。その滅亡時には、恩賞の大盤振る舞いが行われる事だろう。 レムリアはパイのように解体され、諸国に分け与えられるのである。 『少しでも多くの分け前にありつけ!』 それが、この『演習』に参加した諸国の腹積もりだった。 上手くやれば、小国でも一躍中堅国家にのし上がる事も不可能ではないだろう。 ……こんなチャンスは滅多に無い。 その為には、何としても他国を圧倒する手柄を立てる必要があったのだ。 「前方に鉄竜多数! 帝國軍です!」 「分かった」 前衛から報告がくる。どうやら追いついたようだ。 「将軍閣下、違います! 帝國軍は我々の行く手に立ち塞がるように展開しています!」 司令官の勘違いに気付き、伝令が発言する。 「何だと? 何かの間違いではないのか?」 「いえ。来て頂ければお分かりになると」 「……これは」 伝令の報告を受け、半信半疑で前衛まで赴いた司令官は絶句した。 報告通り、自軍の行く手を遮るように帝國軍は展開していた。しかも数十騎の鉄竜を伴って。 「これはこれは! このような早朝から、一体どちらへ?」 帝國軍の指揮官が、鉄竜の頭(砲塔)から声をかけてきた。 ……ちなみに、その竜の口(砲口)はこちらに向けられている。 「指揮官殿! これは一体何の真似です!?」 「ああこれは失礼! 実は我等、『国境を越えようとする者は、問答無用で打ち払え』との命令を受け、このように待機していたのです」 「なっ!」 「貴軍は早駆けですか? 早朝から精が出る事です。さすがワイト王国軍!」 「何やら国境の向こうから、銃声が多数聞こえてくるのですが」 司令官は精一杯の抵抗を試みる。だが帝國軍指揮官は平然と返してきた。 「ああ。我等の演習に触発されて、向こうさんも演習でも始めたのでしょう」 演習? あれが演習だって!? 直ぐに分かる嘘を! 「そのような戯言を。これ程の侮辱はありませぬ! 帝國は我等が信用できませぬか!?」 「これは異な事を! どうして信頼できぬ者と演習など出来ましょうか? 貴殿こそ我等を信用できぬ御様子!」 「いや…… それは……」 思わぬ反撃を受け、思わずたじろぐ。それを見た帝國軍指揮官は、更に追い討ちをかけた。 「我等、禁を犯し国境を越える者共を討ち取るが役目。ただ命を実行するのみ! これ以上の議論は総司令官閣下に願いたい!」 ワイト王国軍司令官は、黙って従うしかなかった。 「やっと行ったか。」 帝國軍指揮官――第1戦車連隊長――は額の汗を拭った。 この大時代的な言葉遣いにもいい加減嫌でも慣れてきた。 ……別に嬉しくもないが。 しかし一体何処の阿呆だ、余計な手間かけさせやがって! 思わず舌打ちをする。 今回の件で帝國は大きな被害を受けた。 レムリアとの交渉に悪影響を及ぼすどころの話ではない、今後の他国との外交活動でも『油断ならぬ國』と尾を引く事になるだろう。 ああ、今こうやって追い返している連中にも要らぬ誤解を与えた筈だ。 「こりゃあ、軍法会議間違いないな」 自業自得だが。 「連隊長殿、捜索部隊より急報! 『新タナ部隊見ユ』!」 やれやれ、千客万来だ。 「分かった! 連隊前進!」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【8-1 大陸同盟軍総司令部】 「閣下。マケドニア軍司令官閣下がお見えです。閣下に面会をお求めですが、如何いたしましょう?」 「ふむ?」 副官からの報告を聞き、首を傾げる。 こんな時間に何の用だ? 文句でも言いに来たか? いや。流石にそれは無いだろう。  とすれば、総攻撃の意見具申か。 ……やれやれ、御苦労な事だ。 「分かった、お会いしよう」 何れにせよ、会わない訳にはいかないだろう。 今後の為にも、釘を刺しておく必要があったのだ。。 【8-2】 「これはこれは大将軍閣下。一体何用です?」 「総司令官閣下に、祝い酒の礼とお願いがあって参りました」 「私に願い事を?」 やはり意見具申か。 「はい。単刀直入に言います。『マケドニアに、軍事顧問団を派遣して頂きたい』」 「ほう? 随分と急ですな」 「実はこの度の戦で我が軍、いや我が国の『不備』が露呈したのです」 「『不備』?」 「色々ありますが、やはり『情報の不足』が大き過ぎるのです。至急改善が必要でしょう。 ……このままでは、貴国に『迷惑をかける可能性』すらあります」 「成る程」 どうやら気付いたらしい。という事は、全くの無能という訳では無いのか。 「分かりました。優秀な者を何人か送りましょう」 「いえ、出来れば100人程」 「!」 それはまた。 「……随分思い切ったものですなあ。しかし失礼ながら、マケドニア王の許可は取られましたか?」 「いえ。ですがマケドニアの軍備は、私に一任されております」 彼の決意は固そうだ。 要は軍が大量の顧問団を受け入れる事により、マケドニアの変革を促そうという考えか。 悪くはない。 仮に軍だけの改革で終わったとしても、少なくとも我が軍との繋がりはできるのだから。 しかし…… 「ですが、御国の政策に背きませんか? 閣下の御立場も悪くなるのは?」 「それも覚悟の上です」 「……」 暫くの間総司令官は沈黙し、やがて口を開いた。 「どうやら大将軍閣下とは一度、腹を割って話をする必要がありますな」 「喜んで」 【8-3】 「……成る程。貴国はそこまで思い詰めておりましたか。これは我々の不手際でもありますな、申し訳ない」 「いえ。元はと言えば我が国が、勝手にそう判断していただけのことです。何の裏付けもなく、ね」 しかし愚かな事を考えたものだ。このことだけでもマケドニアの重臣共のレベルが分かる。 帝國にとって必要なのは獣人の『労働力』であって、『軍事力』ではない。 確かに獣人を兵士とすれば戦力にはなるだろう。 だがそんなものの代用など、幾等でもアテはあるのだ。 しかし、労働力となるとそうはいかない。 帝國勢力圏における獣人の人口は、帝國直轄領を含めても30万に過ぎない。これから他地域からの移民が増えたとしても、50万がせいぜいだろう。 後は、それこそ自然増加に任せるしかない。 ……これでは、帝國が現在必要とする労働力を支えるのがやっとだ。 それに対して、必要とされる労働力は今後も増え続ける一方。 本音を言わせて貰えば、本当は獣人をマケドニアで遊ばせている余裕さえ無いのである。 ただ、獣人に対する『飴』として国を与えた手前、『ある程度は仕方が無い』と考えていたのだ。 当初は、獣人を管理する組織としても期待していたが、とうに見切りをつけている。 『マケドニアには何も期待できないし、しない方がよい』 これが帝國政府内における最大公約数だった。 帝國は、既にマケドニアに対して距離をとり始めていたのである。 だが、総司令官はそんな考えを少しも表情に出さずに、話を続ける。 「考えてみれば、マケドニアの方とこうして酒を酌み交わすのは、初めてですよ」 「このような事の積み重ねが重要とは、理解はしていましたが…… 今まで私は『与えられたもの』の中で最善を尽くそうとしてきました。しかしそれではいけないと気付いたのです。私は『一指揮官』ではなく『大将軍』なのですから」 「しかし、貴国はなぜ鎖国じみた政策をとっているのです?」 おおよその見当はつくが、やはり内部の者の意見を聞きたい。 「マケドニア政府には、大きく分けて三つの考えを持つグループがあります。一つは自分の考えを持たない日和見のグループ。情けない事ですがこれが最大派閥です。もう一つは『獣人の国なのだから獣人だけの力でやっていこう』という、極単純な考えのグループです。初めて国というものを与えられ、舞い上がっているのですな。彼等二グループについては何とかなるでしょう。ただ……」 マケドニア軍司令官は暫く口篭っていたが、やがて意を決したように話を続ける。 「ただ問題は最後のグループです。彼等の考えは『自分達の地位と権力の維持』です。そもそも、我々マケドニアの貴族や重臣はその地位を自力で勝ち取ったのではありません。もちろんその地位に相応しい能力などある筈もありません。いや末端の役人に至るまでそうでしょう。彼等、いや私達はただ『帝國のマケドニア建国時にただ居合わせた』というだけで、今の地位を得たのです」 「しかし大将軍閣下。貴方方とて建国活動をしていたのでしょう? そのための組織だってあったじゃあないですか」 「組織? ああ『獣人の国』建国は、確かに組織の最終目標でした。ですが実際はただの互助会、連絡会に過ぎません。最終目標も目標というよりも信仰みたいなもので、帝國の力がなければ千年掛かっても無理だったでしょうね」 自嘲気味に答える。 「ですから私達は自分達が『無能』だと知っています。もし帝國から顧問を受け入れれば自分達の実権などたちまち奪われ、お飾りになってしまう…… いえ飾りならばまだ良い、『将来帝國で学んだ獣人達に今の地位を奪われるのではないか?』と考え、それを最も恐れています。彼等にとって、マケドニアは『獣人の国』ではなく『自分達の国』なのですよ」 「マケドニア王のお考えは?」 「陛下は人格者であらせられます。 ……ですが、臣にあれこれ細かく指図なさる方ではありません」 つまりは典型的な協調主義者という訳か。まあ無理も無い。元からの主従という訳ではないし、ついこの間まで『同志』だったのだから。 「それぞれの派閥の勢力は?」 「日和見連中が半分、後は2つのグループが拮抗しています」 「では、大将軍閣下はどうなさる御積りで? 失礼ながら、閣下お1人では……」 「……もし駄目ならば兵を挙げ、連中を一掃します」 「!」 クーデターを起こす積もりか! しかし、まさか宗主国とはいえ、他国の人間に打ち明けるとは…… 「もちろん責任は取ります。所詮、我々古い世代など必要ないのです」 総司令官の絶句の表情を見て、マケドニア軍司令官は穏やかに笑って言った。 「暫くは御迷惑でしょうが、帝國からの顧問団に国を運営して頂けないでしょうか? 徐々にマケドニア国民を登用して頂ければ、数十年後には獣人だけで立派にやっていけるようになるでしょう」 「そこまでお考えですか。決心は固いようですね」 止めても無駄だろう。 「総司令官閣下、どうかマケドニアをお願いいたします」 「……流石に私の一存では」 「分かっております。ですが、どうか御一考願いたい」 マケドニア軍司令官は総司令官の両手を握り締め、深々と何度も頭を下げた。 【8-4】 会談は終わり、総司令官は先ほどの話について考えていた。 マケドニアの内部事情は、想像以上に悪い。 矢張り、今まで放任していたツケが回ってきたのだろう。監視もせず、自由に『国家ごっこ』をやらせたのが間違いだったのだ。 マケドニアは、地域の安定を図るために今の場所に建国された。 この地域は帝國直轄領の一つであり、重要な港や拠点、資源地帯を抱えている。 そのマケドニアが不安定要因となっては、本末転倒である。 なるべく獣人達が動揺しない方法で、事態を収めなければならない。 まずは今の話の裏を大至急取る事、全てはそれからだ。 そして彼の要請通り軍事顧問団を派遣し、彼を監視すると共にマケドニア軍を掌握する。ああ、マケドニアの他の勢力とも秘密裏に接触を図った方が良いだろう。 そしてどの勢力が帝國にとって一番都合が良い存在かを判断する必要がある。 ……マケドニアの大将軍は、帝國を随分信頼しているようだ。 だが、なにも帝國は善意の塊という訳ではない(当たり前だ)。 彼には気の毒だが、帝國にとってはマケドニアの安定こそが望みであり、安定さえしていれば後はどうでも良いのだ。 そう、例え『自分達の地位や権力の維持』を目的とした連中が、権力を握ったとしても。 逆に、彼は帝國にとってマケドニアの安定を乱す恐れのある者、排除すべき要因と成りつつある。このままでは彼は謀反人の汚名を被せられて処刑されるだろう。 個人的には、彼に肩入れしたい。 だが帝國の軍人である以上、帝國の利益こそが第一なのだ。 そして国益に個人の感情など入る余地はない。帝國は自分の利益を犯す者を冷酷に排除するだろう。 「何とか穏便に事が済めばよいが。」 それは心からの願いだった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【9-1 グラナダ王国、帝國使節団宿舎】 「く、く、く……」 駄目だ。どうしても笑いが漏れてしまう。 「……笑い事ではないと思うのだがね」 「分かっていますよ、議長……いえ大使閣下。」 ですがね、閣下。これが笑わずにいられすか? 軍の連中が振り回されているのですよ? 想像するだけで痛快じゃあありませんか! この二人、レムリア王国との講和交渉に赴いた帝國使節団全権大使と大使代理である。 もっとも全権大使は帝國議会貴族院議長であり、まあ使節団箔付けのための『御神輿』(この世界で交渉をする上では必要不可欠な存在なのだ)と考えてよい。 実際の交渉は大使代理が行い、全権大使はただ座って署名するだけなのだ。 「まあ、起こってしまったことは仕方が無いでしょう?」 こんなこと、転移前は日常茶飯事だったのだ。 ……それこそ、何度こっちの努力をぶち壊してくれた事か! 「それはそうだが……」 大使は渋い顔だ。真面目な彼には、大使代理の様に笑って済ますことが出来ない。 「しかし軍は、手駒の統制すらできないのか?」 「……何を今更。出来ないに決まっているじゃあないですか」 大使代理は、大使の愚痴をさらりと返す。 「問題は今後の対応ですな。レムリアは必ずこの件を持ち出すでしょう。 ……もう大体の情報は把握している可能性が高いですか」 この世界は妙に時代懸っているくせに、こういう情報伝達はなかなか素早いから油断ならないのだ。 「どうするかね?」 「もしかしたら、『災い転じてなんとやら』かもしれませんよ? どうせ交渉は膠着状態だったのです。これを突破口にするしかないでしょう」 そう。交渉は膠着状態に陥っていった。 原因は帝國の過大な要求と帝國使節団の自由度――妥協の余地――の少なさにある。 帝國のレムリアに対する主な要求は、以下の4項目である。 『対等な友好条約と通商条約の締結』 国交を結んで商売しようということ。「不平等条約を結ばせろ」という意見もあったが、さすがに却下された。 『グラナダ大公国(王国)の独立承認』 というよりも帝國の傘下に入る事を認める。 『東部国境地帯の非武装化』 つまり「大陸同盟諸国と接する国境を丸裸にしろ」ということ。 『賠償金の要求』 ちなみに要求額は、レムリア王国中央政府の年間収入10年分。もちろん一括払いだ。 『対等な友好条約と通商条約の締結』はまあ問題ないし、『グラナダ大公国(王国)の独立承認』も現状追認という意味合いが強い。 事実、レムリア側が全面的に認めることにより早々に合意した。 問題は『東部国境地帯の非武装化』と『賠償金の要求』である。 レムリアにとって『東部国境地帯の非武装化』を飲むことは、自分から列強の地位を放棄した事になる。 たとえ諸外国から列強と見なされなくなりつつあることを自覚していても、到底容認できない要求だ。 軍事的な問題、非武装地帯となった地域の住民達の動揺等、他にも問題を上げたらきりが無い。 『賠償金の要求』については言うまでも無い。 ……一体、どうやって捻出しろというのだろう? この様に、とてもレムリア側が飲めないような無茶な要求だったのである。 ……とはいえ、帝國にも妥協の余地が殆ど無い。 『東部国境地帯の非武装化』は、大陸同盟諸国からの強い要請により付け加えられたのだ。 彼等の盟主として、初っ端から躓く訳にはいかない。何としても『満額回答』かそれに近いものを引き出す必要がある。 『賠償金の要求』についても同様だ。 出来るだけ多くの賠償金を獲得し、外貨(金銀貨)を稼がなければならない。 これが帝國側の裏事情であるが、これ程事前に縛られていては、柔軟な交渉などできる筈も無い。 「……よくもまあ、これだけ欲を張ったものですなあ。まるで『瓶に手を突っ込んだ猿』だ」 この要求を知った時、呆れて言った大使代理の言葉である。 帝國使節団には、端から話し合う気などなかったのだ。 「大使閣下。レムリアの使節団が至急お会いしたいそうです」 「お出でなさいましたな。どうします?」 部下の報告を聞き、大使代理は悠然と葉巻を吹かしながら尋ねる。 「会わない訳にはいかんだろう?」 「確かに」 「大丈夫か? どうせ交渉するのは君だぞ?」 「分かっておりますよ。大使閣下」 ……そう。所詮英国で外交活動をしていた頃と比べれば、どうという事は無い。 【9-2】 「どういう事です! 大使閣下!」 「おや? 今日の会議には少し早いようですが、何か?」 大使代理は、何食わぬ顔で応対する。 「惚けないで頂きたい! 『東部国境地帯に多数の兵が進入、我が軍に対して組織的な攻撃を加えた』との緊急連絡が、本国より届きました! 一体どのような御積りですか!?」 「落ち着いて下さい、外務卿閣下」 「これが落ち着いていられますか! 交渉中に攻撃を加えるなど!」 「ところでお尋ねしますが、攻撃を加えられた事は事実なのですか?」 「当たり前です!」 「では、『帝國軍』が攻撃したという『証拠』は?」 「誰が攻撃したかなど、一目瞭然です!」 「……つまり『具体的な証拠』ではなく、『推測』で『我が国の仕業に違いない』と?」 外務卿の詰問に、大使代理は『やれやれ』といった大げさな身振りで対応する。 「もしかしたら、山賊の類かもしれませぬよ?」 「……山賊が、連隊規模の軍を襲うとでも?」 外務卿は半眼で睨みつける。 ……もっとも大使代理には、『蛙の面になんとやら』というやつだが。 「さあ? そこまでは分かりませんが、思いがけぬ事が世の中起こるものです。」 「……あくまでお惚けになる御積りですか?」 「さて。そう仰られても、『知らぬものは知らぬ』と言うしかありませんな」 「……百歩譲って、『帝國軍ではなかった』と『仮定』しましょう。それでも、大陸同盟の何れかの国の仕業に間違いありませぬぞ!」 「外務卿。何か勘違いしておられるようですが、帝國と大陸同盟諸国とは主従関係にはありませんよ? 仮に彼等が越境して攻撃したとしても、帝國の責任ではありません。……ああそれと、帝國と貴国は未だ法的には『戦争状態』なのですよ?」 「!」 そう。両国は未だ停戦にさえ合意していない。 帝國軍が、一方的に進撃を停止しているだけなのである。 もちろんレムリア側は交渉中の一時停戦を主張した。 しかし帝國側はどうとでも取れる玉虫色の返事しかせず、文章への記載すら『全ての合意が済むまで、いかなる文章にも署名しない』と拒み続けてきた。 結局、水掛け論のまま今日まできたのである。 それでも交渉が続けられたのは、レムリア側の立場の弱さからであろう。 「戦争中には、『思いがけぬこと』が起こるものです」 「……それは脅しですか?」 「まさか! 忠告ですよ」 大使代理は。凄みのある笑顔で答える。 「そんな事よりも本題に入りませんか? この件は『事態が明らかになってから』でもよろしいでしょう?」 「ならば事態が明らかになるまで、交渉を一時中断しましょう。」 だが外務卿は彼の言葉を逆手にとり、思わぬ提案をする。 「ほう? よろしいので?」 「帝國は停戦にすら応じようともせず、とうてい信用できません」 「貴国からこの交渉を持ちかけたのですがねえ…… 我々はそれに応じただけですよ?」 「再び同様の事態が起きぬよう、停戦文章への署名も改めて求めます」 「………」 そう来たか。 署名してやるか? いや駄目だ。ここで譲ればその後も譲る羽目になる。 それに軍が、また何かやらかすかも知れない。 脅すか? ……いや。それも足元を見られるだけだ。 ならば。 「残念ですが仕方ありませんな。交渉を一時中断しましょう」 【9-3】 「何故、交渉中断に同意したのかね?」 待機部屋に戻ったとたん、大使が詰問する。 「あそこで譲れば、連中にイニシアチブを取られる事になるからですよ」 「しかし、何時までも伸ばす訳にはいかないぞ?」 「連中は我々以上に焦っています。連中から交渉再開を言い出すまで待ちましょう。……とはいえ、只待つのも芸が無い。軍の力を借りますかな」 「……まさか、攻撃させるつもりじゃあないだろうね」 「まさか! 此方の立場が悪くなるだけですよ」 「じゃあどうするのかね?」 「何も。ただレムリアの主要都市上空を、陸攻で飛び回ってくれるだけで良いです。 ……そうですね。一都市一中隊では寂しいので、二中隊以上でやって貰いましょう。もちろん、軍に嫌とは言わせませんがね!」 「領空侵犯だぞ!」 「……ところで閣下。果たして『自分達が辿り付くことのできない高空』でも『自分達の領空』と言えるのでしょうかね? この世界の海にも、『領海』と『公海』という物があるそうですよ?」 つまりはそういう事だ。 「……君は鬼だな」 呆れたように大使は呟く。 「有難う御座います」 そうでなければ外交官なんてやってられませんよ。閣下。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【10 帝國、帝都】 帝國閣僚会議。 帝國における事実上の最高会議(御前会議は別格中の別格)である。 ここに、今日もまた一つの議題が上げられていた。 「グラナダの交渉団から緊急要請がありました。詳細は皆様のお手元にある通りです。皆様の意見をお聞かせ願いたい」 「これはまた随分と大規模な。 ……吉田君も無茶を言う」 「ですが、効果的であることは否定できませんな」 「しかし本当に、『自分達が到達できない程の高空は領空とは認められない』などと主張できるのでしょうか? 吉田君の希望的観測では?」 閣僚の一人が疑問の声を上げる。 「殿下、ご説明を願います」 「はい、宰相閣下」 宰相は傍らの人物に説明を求める。 帝國情報担当相だ。彼は帝國に派遣されたダークエルフの頂点に立つ人物――スコットランド王国王太子――でもある。 「まず始めにお断りしておきますが、この世界にはそもそも『領空』に関する法的な概念などありません。勿論『ここは我等の領空』という考えはあります。ですがそれは、あくまで感情的なものでしかないのですよ」 「? しかし航空部隊があるのでしょう? 何故、法で規定されていないのです?」 「疑問は御尤もです。海には領海と公海がありますから、当然『空にもある』と考えるのが普通でしょう。しかし空に関してはそれが無いのです。『当たり前すぎて』という事もありますが、空には『資源が無い』事が大きい。『ワイバーンの航続距離が短い』ということ無関係ではないでしょう」 「……では、『領空』侵犯した敵の飛竜にはどうやって対処するのです? 対処する名目は?」 「勿論、ワイバーンで迎撃します。名目は『領土』侵犯。 ……法的な裏付けはありませんがね」 「しかし慣例法としてあるのでは?」 「この世界では慣例はあくまで慣例です。明文化されていない以上、法ではありません。第一、自分の力が届かない場所を『領空』とはおこがましい。それでは満天の星々ですら、所有権を主張出来るようになってしまいます!」 彼は笑いながら言葉を続ける。その様はまるで悪徳弁護士のようだ。 「ですから今回の作戦は、十分に『合法』と主張できるでしょう。 ……力のある者しか、そう主張できないでしょうがね。」 説明が終わると、閣僚達が次々に発言する。 「しかしマケドニアの暴発に続き、今回の作戦が実行されれば、帝國の評判に傷がつきますな」 「『毒を食らわば皿まで』ですよ。資源獲得時にだって、形振り構わなかったじゃあないですか」 「辺境地域での行為とは、訳が違いますよ……」 「……一つ宜しいでしょうか?」 発言というよりも『雑談』状態に陥った状態で、一人の閣僚が挙手し発言する。わざわざ挙手する所を見ると、重要な質問のようだ 「作戦が『法的にも可』という事は分かりました。しかし、これ程の大規模な航空作戦を行うだけのガソリンを手当てできるのですか? 前回の作戦でもかなりのガソリンを消費したはずですが……」 当然の疑問である。 現在、帝國は夢にまで見た大規模な油田地帯を複数所有している。全ての施設が完成すれば、それこそ自国だけでは到底使い切れない程の石油を得る事が出来るだろう。 ……あくまで『完成すれば』の話だ。 何せ、全く手をつけていない油田すら存在する有様である。全てが完成するのは、一体何時の事やら…… 油田施設の建設は最優先項目ではあるが、必要な資源は石油だけではないのだ。 全ての資源を一から採掘しなければならない帝國の苦労は、相当なものなのだ。 「結論から言えば、『無理』ですね。余分なガソリンはありません。全て使い道が決まっています」 軍需相の言葉は非情だった。 「軍へのガソリン割り当てを、もう少し増やせないのか?」 「……そして生産活動への支給を減らすのですか? 巡り巡って資源地帯の採掘施設建設にまで支障が出て、資源の完全自給時期が更にずれ込みますよ?」 閣僚達は黙り込む。 「……やはり大陸への進出は、まだ早すぎたのでは?」 誰かが呟いた。 「そうですね。 ……あと一年、あと一年待てば、ここまでの苦労はしなくても済んだのに」 賛同の声がポツポツと上がる。 「あと一年? 転移してから、三年も孤立したまま!? ……不可能ですよ!」 「それだと経済進出は一年半、いやそれ以上伸びる事になる! 大恐慌が起きるぞ!」 だが反対意見も噴出する。 一見強大に見える帝國も、その実際は常に綱渡り的な運営を迫られていたのだ。 ……つまり、こういうことである。 昭和18年前半に、帝國は行動を始めた。 これならば昭和19年中には大同盟が成立し、海外との正式な貿易が始まるだろう。 そして昭和20年中には、何とか貿易を軌道(完全に軌道に乗るには更に数年かかるだろうが)に乗せることが出来る。 この昭和20年頃は、『帝國の工業がほぼ完全に復活している』と予想される時期だ。 『その生産能力は国内だけではとうてい消費できない。それまでに海外への販路を開拓する必要がある』 そう帝國軍需省は報告していた。 この報告に沿って、帝國は動いているのだ。 もっとも逆の報告もある。 『帝國の貧弱な生産能力では、到底大規模な開拓や資源採掘への設備供給は追いつかない。供給能力増強のために大規模な投資が必要だ』 帝國総力戦研究所からの報告である。 相反する二つの報告。 帝國政府は前者を、というより最悪の事態に対して備える事を決定したのだ。 ……この世界の諸国を甘く見ていたこともあるだろうが。 しかし何れにせよ、國民の窮乏も限界に近づいていた。 それを抑えるためにも、國民にも『夢』を見せる必要があったのだ。 「やってしまったことは仕方がないだろう! 今はその様なことを論じている場合ではない!」 宰相が一喝。ようやく騒ぎが収まる。 「大陸に展開している軍のガソリンを、もう一度回せないでしょうか?」 軍需相は、今まで沈黙を保っていた参謀総長に尋ねた。 「検討はしました。ですがその場合、『大特演』に参加した帝國軍航空隊は迎撃任務しか行えなくなるでしょう。積極的な航空作戦は不可能になります。 ……それでもよろしければ」 「万一の場合、軍は陸上部隊だけでレムリアを制圧できますか?」 「……不可能ではありません」 参謀総長は渋い顔で答える。 「いえ、その必要はありません」 海相が発言した。 「グラナダの時の不手際もあります。陸軍だけで戦わせる訳にはいきません。海軍は空母艦載機を陸に上げてでも支援します」 ……随分と勇ましい発言だ。海軍とて、ガソリンが余っている訳ではないのに。 勿論裏がある。 要は、『陸軍だけに活躍されては堪らない』だ。 だからガソリンそのものを回さずに、航空機ごと回す(連合艦隊司令部が聞いたら激怒ものであろう)のだ。 「成る程。海軍からそう言って頂けるとは有り難い」 「では決定ですね」 口々に賛同の声が上がり、それを受けた首相が決をとる。 「では挙手を行います。この作戦に賛成の方は挙手を願います」 次々と手が上がる。 「全会一致により、今回の作戦を許可します」 こうして二度目のレムリア空襲が決定された。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【11-1 レムリア王国、ボルドー】 都市ボルドー。 レムリア王国第一の商業都市であり、『王国の台所』とも呼ばれている。 元々は独立都市であり、レムリア王国編入後も長い間自治を保ち続けた。そのためか、自由闊達で独立の気風が強い事でも有名である。 「ここなら安全だと思ったんだ…… 王都はもう駄目だ。完全に帝國の手の内だ」 ボルドー下町のとある安酒場。ここに今人だかりが出来ている。 王都から逃げてきた男の話を聞くために集まったのだ。 帝國の王都爆撃は世界中に伝わり、上は王侯貴族、下は浮浪者に至るまでの話題となっている。 その体験者が逃げてきたのである。酒の肴には御誂え向きと言ってもいいだろう。 「帝國の巨竜は、王国の空中騎士達よりもずっと高い空を、空中騎士達よりもずっと速く飛べるんだ。しかも腹には船に乗せる程の爆弾を抱えて! なあ、信じられるか? あの化け物共はそんな状態で、1000キロ以上も離れた王都に軽々とやって来たんだぞ!?」 確かに異常と言って良い。今までの戦争の常識が悉く覆されたのだから。 「都市一つ分の森が丸ごと消えて、残ったのは沢山の大穴だけ。もしあれが王都内だったらと思うと、怖くてたまらなかったんだ」 「でも連中、わざわざ王都まで来て狙いを外すなんて、とんだ無駄骨だったな」 聴衆の1人が茶化す。 だが、男は阿呆を見るような目付きで見ると、すかさず訂正した。 「奴らはわざと狙いを外したんだ! 『今回は警告だ。大人しくこっちの言う事を聞け』ってな! そんなこと子供にだって分かるさ!」 「でもさ、もうここなら安全だろ? 何しろ帝國軍と王都の距離から、更に離れているんだからさ!」 雰囲気が悪くなったのを察し、慌てて一人が話題を変えようとする。 「本当はここだって怖いさ! だけど王都の他に、働き口があるのはここぐらいなんだ……」 「おいおい、帝國軍の『巨竜の巣』からボルドーまで、2000キロあるそうだぞ? いくらなんでも……」 「奴らを甘く見るな! 奴らは『特別』なんだ、常識なんて通用しない!」 「そういえば東方総軍10万、一日で全滅だってな。 ……帝國軍は四分の一以下の兵だったのに戦死ゼロだってさ」 「ああ、俺も聞いた。それ本当らしいぜ」 たちまちの内に恐怖が伝染していく。 噂は尾ひれをつけ、ますます国民を不安にさせていくのだ。 「こら! お前達、何をやっているか!」 罵声が飛ぶ。 役人達だ。ここ最近、『流言蜚語を取り締まる』という名目で、厳しい監視が行われているているのだ。 ……だが彼等は気付かないのだろうか? その様な真似をいきなり行うという事自体が、『噂の肯定』に他ならないことを。 「貴様か! ちょっと来い!」 「他の者は去れ!」 男を取り押さえ、連れて行こうとする。男は大人しく取り押さえられたが、外に連れ出されて暫くすると、途端に暴れだした。 「ああ離してくれ! 奴らだ! 奴らが来たんだ!」 「うるさい! 大人しく……」 その役人は途中までしか言えなかった。後はただ空を見上げるだけである。 心配した同僚が声をかける。 「おい、どうしたん……!」 その役人も、呆然と空を見上げた。 何事かと空を見上げた者達も、皆同様に空を見上げたままだ。 遥か上空、豆粒ほどだが、確かに何かが飛んでいる。それも一つ二つではない、少なくとも数十の『何か』が飛んでいたのだ。 空中騎士団か? まさか!? こんな市街上空を、これ程の数が飛ぶ事はありえない。第一、ワイバーンはあんな高くまで上がれないのだ。 まさか帝國軍? でもいくら何でも、こんな遠くにまで…… 誰もが真実に辿り着いていた。だが感情がその答えを否定していたのだ。 「帝國軍だ! 間違いない、皆逃げろ!」 それが切っ掛けだった。 その言葉に、忽ち群集はパニックに陥る。市民も、役人までもが皆、『安全な何処か』を目指して逃げ出し始めた。 もはや王国に、安全な場所など存在しなかったが。 【11-2 同時刻、ボルドー内某邸宅】 男は、空を眺めていた。 「ほう、帝國の竜はこんな所にまで来れるのか」 感心したように呟く。その声には恐怖感はない。 「父上、一応避難はされないのですか?」 男に声をかける者がいる。 ……どうやら息子のようだ。彼の声にも怯えは見当たらない。 「必要なかろう。どうせ脅しだ」 「確か。」 「数が王都の時よりも少ないようだな。恐らくは、レムリア中の大都市に来ているのだろう。 ……お前にその意味が分かるか?」 男は意味ありげに問いかける。 「揺さぶりでしょう。交渉が停滞しているのでは? ですがこれで帝國がその気になれば、レムリア中を火の海にできると言う事を満天下に示しましたね」 「半分正解だ。それは帝國の当座の考え」 男は愉快そうに笑う。 「と、言いますと?」 「問題はその後さ。レムリアは、今回の戦で列強の地位を失っただけではない。王家の不甲斐無さまでも露呈してしまった。未だに決まらぬ王位、王子共の無能と臆病さ……挙げればきりが無い」 「ああ、それは……」 息子が同意する。 王子共が王都から逃げ出した事は、既にレムリア中に広がっていた。 「これが止めだ。これで態度を決めた貴族も少なくあるまい。奴らは生き残るために『行動』を始める」 「帝國に内通するという事ですね」 「それだけじゃあない。野心のある者は、これを好機ととるだろうな」 「では、内乱が!?」 思わず息子は声を潜めた。 「そうだ、レムリアは分裂する」 すでに兆候はあちこちで見られた。 貴族達は次々と自領に戻り、食料や武器を買い求めている。露骨な者に至っては動員すら行っていた。 「それは我等にとっても一大事では? 何故父上は、そのように落ち着かれているのですか!?」 彼の言葉はもっともだ。 商人である彼等にとって、大規模な内乱は死活問題である。ボルドーとて無事ではいられないだろう。いや、真っ先に巻き込まれる可能性が高い。 「コジモ、これは我等にとって千載一遇のチャンスだ」 「チャンス?」 「そうだ。ボルドーの独立、そして我等メディチ家が飛躍するための、な」 「独立!」 ボルドーは独立を失い、さらに自治権までも失ったが、魂までレムリア人になった訳ではない。 『我等はレムリア人ではない、ボルドー人だ!』 それがボルドーの住民達の思いなのだ。 「ですが、どうやって?」 「……何のために二年も前から帝國と商売していると思っている? ボルドーは都市国家ボルドーとして帝國の同盟国となるのだ。いや、別に邦國でもかまわない」 メディチ家はボルドーでも一、二を争う(つまり王国有数の)大商人であり、独立〜自治時代には代々評議員を務めていた『名門』である。 そのメディチ家が、何故帝國と交易していたのか? 始めは、まあ小銭稼ぎのつもりだった。 なにやら珍しい品を色々持っていたので、貴族達のご機嫌取りの為にいろいろ買い取ったりしていたのだ。 だが帝國の事を知るにつれ、メディチ家は考えを変える。 『帝國は何れ、世界にその名を轟かす大国になる』 そう確信したのだ。 その後、メディチ家は帝國にあれこれと便宜を図り、帝國軍とも深い繋がりを持つようになった。 その繋がりは戦争中も失われることはなかった。 今回の空襲も、事前に『ボルドーが騒がしくなるかも知れないが、帝國は決してボルドーに攻撃は加えない』との通告を受けていたのだ。 「ではグラナダのように、帝國の力を借りて? ですが主人が変るだけでは?」 「お前は帝國をどう見る?」 「何といってもあの軍事力ですね。世界最強と言ってもいいのではないでしょうか? それに以前、帝國直轄領に一度赴いた事がありますが驚きました。役人は確かに威張ってはいますが、決して賄賂を受け取らず公正です。住民も役人を恐れてはいますが信用していました。まあ他にもいろいろ驚きましたけど」 ……獣人とか、ダークエルフとか。 「そうだ。帝國はその軍事力でこの世界に割って入ろうとしている。今画策している条約が締結されれば一大勢力となるだろう。そして今回の戦勝で、レムリアの勢力圏の大半も継承することになる! 商売の場が広がるぞ? 逆にレムリアに留まればジリ貧だ。内乱が起きれば巻き込まれるし、いいこと無しだな」 商売、特に交易を行う上で国籍は重要である。 バックが何処の国かで相手は露骨に態度を変えるし、何と言ってもこの世界はブロック経済なのだから。 「ですが上手くいくでしょうか? さすがにレムリアも、ボルドーを手放すとは思えませんが」 あくまで息子は懐疑的なようだ。どうも安定志向で困る。普段ならばそれでも良いが、今は『乱世』なのだ。 「コジモ、帝國は何故あのような過大な賠償金を要求したと思う?」 「金が無いからでしょう? 帝國と商売すれば分かりますよ」 親しくなった帝國の役人と会食した時も、よく彼等は『金が無いのは首が無いのと一緒というのは本当ですなあ』と慨嘆していたものだ。 ……聞いた事の無い言葉ではあったが、何となく意味は分かった。 「そうだ。だから帝國は本気で賠償金を取るつもりだぞ? レムリアにそれだけの金、用立てると思うか?」 「無理ですよ。あんな非常識な額」 「そこが狙い目だ」 彼は満面の笑み――腹に一物も二物もありそうだが――を浮かべて言った。 「その金、我等ボルドー商人が用立てようじゃあないか」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【12 レムリア王国王都、軍務省】 「王都を始めとする主要都市上空に、帝國軍の重爆撃型機械竜が現れました。数は各都市20騎前後。ただし王都およびボルドーでは30騎前後です」 「被害は?」 「直接的な被害はありません。超高空を飛行しただけですから。ですが……」 「……住民は大混乱と言うわけか」 「……はい。流石に王都ほどではありませんが、住民が大混乱に陥り多数の負傷者がでました。僅かですが、死者も」 「そうか……」 秘書官からの報告を聞き、軍務卿は溜息を吐いた。 現在、王都全域に戒厳令が布かれている。 王都住民が帝國軍の再襲撃により恐慌状態に陥り、それに付け込んだ暴動・略奪が多発したためである。 最も恐れていた事態が起こってしまったのだ。 今や王都に、かつての繁栄の面影は無い。 ……兆候はあった。 まず王子達の『逃亡』を知った王都の貴族達が、次々と領地に帰っていった。 しかも家臣達まで連れて、だ、 王都には『王都である事』以外の産業はない。王都に在住している貴族や騎士達の落とす金で成り立っているのだ。 結果、多くの平民が職を失った。 加えて、帰還した貴族達が食料や物資を大量に買い集め始めたため、王都に物資が入ってこなくなったのである。 物価は急上昇した。 更に悲劇は続く。 食料と安全を求め、僅かな領地を持つ騎士達までもが領地に帰っていったのだ。 裕福な平民達も王都に見切りをつけ去っていく。 王都に残るのは、頼るものの無い貧乏人だけとなった。 後は坂道を転げ落ちるようなもので、状況は加速度的に悪化していく。 現在では金貨か銀貨を払わなければ、何も手に入らなくなってしまっていた。 ……せめて、王子の一人でも踏みとどまっていれば。 軍務卿は歯軋りする。 もし王子が一人でも踏みとどまっていれば、このような事態にまではならなかった筈だ。 譜代の貴族達がその王子を担ぎ上げ団結し、他の貴族達も下手な真似はできなかったであろう。 王子達は認識していないかも知れないが、『王都から逃げ出した』ことにより、事実上彼等は王位継承を放棄してしまったのだ。 「軍務卿! いえ、殿! もう十分に義理は果たしました! 領地に帰りましょう!」 秘書官が軍務卿に訴える。 彼は軍務卿の家臣であり、私的な秘書官として軍務卿を補佐している。つまり王国にではなく、彼に仕えているのだ。 それゆえの心からの忠告だった。 「だが、私まで去ったら……」 「『最後に王都を去った大臣』で十分じゃあないですか! もう王都に残っている諸侯は殿だけです!」 認め難い事実であった。 もはや王都に残る大臣や諸侯は軍務卿のみであり、彼が王都の最高位者なのだ。 「だが、外務卿はグラナダで孤軍奮闘している。私まで去れば梯子をはずすことになる」 「王子達は早々に王都から『逃げ出した』のですよ! なのに何故我々が残らねばならないのです!」 秘書官の叫びは貴族や騎士達の率直な思いでもある。 王子達は忘れているのかもしれないが、所詮レムリア王はレムリアにおける『最大の領主』に過ぎない。 領地も持たぬ郎党ならまだしも、領地持ちならばこのような事態になれば自領を優先するだろう。 「分かっている。だからそれ以上は言うな……」 軍務卿は苦しそうに言った。彼が次に何を言うかが、分かっているからだ。 「いえ、言わせて頂きます。もうレムリア王国は『終わり』です。殿は領地と領民のことのみお考え下さい」 分かっている、分かっているさ。『もうレムリア王国は長くない』なんてことは。 仮に講和が成立しても王位争いは続く、だが大半の諸侯達はもう彼等の王位継承を認めやしない。 ……それどころか、野心のある者ならば『我こそは』と考えるだろう。 行き着く先は内乱だ。 「このままでは内乱は必至です。ですが国内には圧倒的な強者はおらず、内乱は長期に渡って続くでしょう。 ……東方総軍が健在ならば、また違ったのかもしれませんが。」 東方総軍。 王国直轄領の最も多い地の軍であり、レムリア王家の出身地の軍でもある。近衛と並び、いや規模から言えばそれ以上に頼りになる忠誠心の高い軍だ。 だからこそ最後まで帝國軍と戦い全滅したのであるが。 「王国の混乱と東方総軍という『重し』が無くなり、各地の軍は駐留地の貴族達に取り込まれました。このままでは王都も危険です!」 内乱か。 多くの血が流れ、折角ここまで発展したレムリアは荒廃するだろう。民の苦しみは想像を絶する。 防ぐ方法は? 「今、『国内には』圧倒的な強者はいない。と言ったな?」 ……一つだけある。 「! まさか、殿!」 「お前も知っているよな? 多くの貴族達の目が今『誰に』向いているか。連中が『誰と』連絡を取っているかを」 連中を納得させ、野心ある者も圧倒的な『力』で沈黙させる実力者なら…… 「ですが、それでは! 何も殿が泥をかぶる事は!」 そう、例え後世歴史家から何と罵られようが…… 「もう決めたことだ。大至急、帝國と連絡を取れ」 私は我が道を行く。 「……畏まりました。ですが、出来ればご再考を願います」 秘書官が出て行った後、軍務卿は思わず苦笑する。 保身で生きてきた自分に、まさかこんな感情が残っていたとは! どうやら外務卿に感化されたようだ。進む道は真逆ではあるが。 ……すみませぬな、外務卿。 心中で謝罪する。 「さて、後世私は何と呼ばれる? さしずめ『外務卿の愛国、軍務卿の売国』といったところか?」